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岡田宗司君 どうも誠意のない話だと思いますが、それでは私は、この春闘の問題についての
質疑はこれでおきまして、首相に対する
質疑に入りたいと思うのであります。
岸首相は、かつて、戦争前におきましては、満州国の最高官吏の一員といたしまして軍部に協力をせられ、さらにまた、東条
内閣の一員といたしまして戦争遂行に協力され、その指導者の一人であったのであります。これは、岸氏の一人の責任ではございませんけれ
ども、しかしながら、ついに無謀の戦争の結果、日本は敗れまして、まことに悲惨なる
状態に置かれました。国民の多くは、非常な苦しみをなめておる。多くの人々は、戦争によって、あるいは戦死をし、あるいは負傷をし、あるいはまた、内地におきましても、空襲によって焼かれ、あるいは爆弾で死に、また、多くの人々は、戦争中も統制経済等によって職を失いまして、非常な悲惨な
状態にある。また、海外において働いておりました人々も、内地にやむなく引き揚げざるを得なくなりました。そして今日なお、その十分なる職も得られず、生活のひどい困苦の状況にあるものもあるのであります。戦争の傷はまだいえておらんのであります。で、私は、今日のこの日本の
状態に対しまして、これは、全部があなたの責任であるということは申しません。しかしながら、あなたもその責任者の一員であったということは間違いがないと思うのであります。外国におきましては、政治家の責任というものは、非常に重く考えられておるのであります。日本よりも、政治家の責任につきましては、政治家自体あるいはまた国民の問におきまして、もっと峻厳な
考え方がある。これは、民主主義が進んでおれば進んでおるほど、その国におきましてはそういう
状態であろうと思うのであります。同じ枢軸国の仲間でございましたが、ドイツにおきまして、今日、アデナウアー氏が首相でございますが、アデナウアー氏は、かつてのヒトラーのもとにおける
内閣の閣僚ではなかったのであります。あるいはまた、今日のイタリアのセニ首相は、ムソリーニの指導下におけるイタリアの
内閣の閣僚ではないのであります。それらの責任者の多くは、すでに今日姿を消しておる。死んだ人もございましょう。あるいは処刑された人もございましょう。また、多くの人々は、公的な生涯から引退をしておるのであります。今日、日本におきますごとく、戦争の責任者であるという人々が政治家として復活いたしまして、堂々と横行濶歩しておる国は、私はほかにはないと思うのであります。かくのごとき政治家を自民党が幹事長に据え、あるいはまた総裁に据えようとし、さらに今度、石橋
内閣におきましては外相に、そして石橋さんが御病気で引き下られますというと、今度は首相に出されたのでございますが、私は、これは、自民党が全く政治について、国民に対して責任を持てないのだということを考えざるを得ない。すなわち自民党は、ほんとうに民主主義的な政党であるといえるかどうかということの判断に苦しむのでございます。もし岸さんがほんとうに責任を重んずる政治家であるならば、たとえ追放が解除されましても、政界に復帰すべきではなかったと私は思うし、また、党の総裁に推され、
総理大臣に推されましても、これを受託すべきではなかったと思うのであります。吉田さんあるいは鳩山さん、石橋さんがそれぞれ
総理大臣になられましたときに、あるいは吉田ブーム、鳩山ブーム、石橋ブームというような工合に、相当国民の間から支持もございまして、
一つの大きな人気の渦も作ったのでございます。岸さんが今度
総理大臣になられました場合には、何か国民が白々しい気持をもって迎えておるということは、岸さん自身も御
承知だろうと思うのでありますが、これは、何のためであるかと申しますならば、これは、あなたがほんとうに政治家として、戦争の遂行に対する責任という問題について、国民を納得させるだけのものをもっておらなかったということにあるのではないか。そこで、国民が白々しい眼をもって見、あるいは岸さんの過去の経歴に対して、今後の日本の政治について、若干の疑いを持っているというところから生じているのではないか、こういうふうに考えるのでありますが、岸さんは、政治家といたしまして、従来の問題に対するあなたの政治的責任をどう考えているかということを、まずお伺いしたいのであります。