○中田吉雄君 私は、
日本社会党を代表し、
石橋内閣の施政
演説に対し、主として安全
保障、地方
財政を中心といたしまして
質問いたします。
まず、第一に、
原水爆時代における
わが国の安全
保障についてであります。今回の
施政方針演説を拝聴いたしますると、国際政局に決定的な影響を与えつつある
原水爆についての十分な認識がなく、また、
外交においても、対米追随
外交を対米協力という美名によって粉飾して、そうして鳩山
外交より大きく後退いたしていますことは、まことに遺憾と言わなくてはなりません。先般
イギリスの
首相となりましたマクミランは、昨年外相としてジュネーブに参ってロンドンに帰りました際、記者団会見をやりまして「新聞記者諸君、第二次大戦のような戦争はもうないよ、それは原子力戦争には勝利者がないということがジュネーブ会談で確認されたからである」と言っています。また、別の機会にマクミランは、「私のさきの発言は本質において正しかった。
世界戦争は両陣営の全般的な破壊を意味するのであろう。このことを
世界の
人々が知っている限り、大戦争は絶対に起らないのである」ということを言っているわけであります。まさに卓見と言わなくてはなりません。広島では二十四万、長崎では七万、合計三十一万の同胞が二発の原爆でなくなりました。しかるに、昨年
アメリカが実験いたしました水爆は、広島型原爆の二千五百倍、五十メガトンあると称せられています。四発も落ちれば、
わが国は全滅であります。まあそういたしますれば、総理が御病気で主導権をとられるのじゃないかというような心配は要らぬかもしれません。(笑声)しかるに、
石橋総理、
岸外相等は、一昨日の
施政方針で、相変らず日米共同防衛を原則にするということを言っておられます。しかし、これは
アメリカだけが原爆を独占しました
昭和二十四年ごろまで通用するところの戦略思想であります。しかるに、今や
ソ連も
原水爆を持った現在、情勢は一変しまして、かかる共同防衛の観念は全く
時代おくれの戦略思想と言わなくてはなりません。一九三九年、資本
主義陣営は、面積で八三%を占めました。しかるに、一九五五年には、
原水爆の
時代、
アメリカにつく陣営は三三%になり、中立国が四四%になったわけであります。これは
原水爆の及ぼした大きな影響と言わなくてはなりません。できるだけ米ソを衝突させないように、もし万一の際には、その渦中に入らないようにしようとするところの米ソ両勢力の間にはさまれた諸民族の英知の所産とも言うべきものであります。(
拍手)このように情勢が変っていても、
石橋総理、
岸外相のように、日米共同防衛で果してほんとうに
わが国の安全が保ち得るのでございましょうか。この問題の解決さえつきますれば、私は自由民主党とわが
日本社会党とが共通の広場で、もっと同じベースで、
日本の安全と
外交問題を語り得る重要な問題と思うわけであります。
この際一言しておきますが、昨日、同僚羽生議員が余うんなく指摘されましたように、わが
日本社会党の自主独立の
外交は、決してガンジーのような無抵抗
主義を意味するものではありません。元来絶対的な安全
保障というものはございません。安全はあくまで相対的です。すなわち
アメリカの言いなりにもならない、さりとて思想や制度が違っても、隣の
中国や
ソ連を敵にしない自主独立の
外交こそが、何十万の再軍備よりかも、はるかに
わが国の平和と安全のためになるという
考えを持つものであります。(
拍手)朝鮮事変は決して軍事的な真空から起きたものではございません。また、どちらが先に手を出したかということも問題の本質ではございません。
アメリカのひものついた李承晩の軍隊、そして中ソ両国に一辺倒する金日成のこの二つの質の異なった軍隊が、じかに相対したところに朝鮮事変の本質があると言わなくてはなりません。さらに、もっと歴史的には、過去一世紀の間、朝鮮の指導者層というものは、あるときは
日本、あるときは清国に、あるときは帝政ロシヤにと、いつも外国の力を借りて主導権を獲得しようとしたところに、朝鮮民衆の心の中に悲劇を生んだ大きな事実があるわけであります。今回のように、
石橋内閣のように
アメリカに一辺倒し、そして安全
保障体制を進めることが、どうして第二の朝鮮のようなことに絶対ならないという
保障がどこにあるでございましょう。今の
内閣の日米共同防衛は、戦前
わが国の誤まった、そうしてリッペンドロップに引き回された枢軸
外交と同じではないかと思うわけであります。戦後十年、せっかく
内閣も変り、
アメリカの新任大使も赴任される絶好の機会ですから、私
たちは、もっと
考えるべきだと思うわけであります。そして何よりも大切なことは、
わが国は、
アメリカよりもっと独立すること、独立のないところに真の安全も親善もありません。独立なくして作る自衛力は強国の手段に利用されるだけです。そして隣に仮想敵国をなくし、基地撤廃の前提を作るためにも、
中国との国交をすみやかに回復すべきだと思うわけであります。基地がなくなり、真に完全に独立をいたしました際においてのみ、初めて日米の恒久的な協力態勢ができるものと思うわけであります。このような見地に立ちまして、私は次の諸点をお尋ねしたいと思うわけであります。
一、
政府は今
国会において日
中国交回復はその時期でないということをたびたび言われました。日ソ国交回復のとき、当分日
中国交回復はやらないということを
アメリカ当局に確約されたという風聞があるが、果してどうか。
アメリカは一九一七年、ロシヤに労農
政府ができ、一九三三年、
ソ連を承認するまで、実に十五年間もかかっています。弾力性がないということが
アメリカ外交の特徴でありますが、このような
外交に追随いたしていますならば、
わが国は
世界の情勢におくれるのではないか。また、日
中国交回復は自主独立
外交の試金石だと思うわけであります。
所見をお伺いいたしたい。第二に、
ソ連も原子兵器を持った現在、日米共同防衛、対米協調
外交は、
アメリカの一方的な
利益になっても、
わが国は危険だけ多く、利害の一致がないんではないか。第三に、陸上自衛隊一万人増員の取りやめは、
わが国の岸、
池田両大臣等の対米
外交の勝利を意味するものではなしに、原子兵器の発達から、
アメリカの軍備に対する対日
要求が、基地と原子兵器に変ったためではないか。また、この機会に防衛
計画を再検討するのであるか。また、軍備で国を守るという
考えに立つ限り、必然に原子兵器を持つか、
アメリカの原子兵器の持ち込みに同意をするか、いずれかであろうと思うわけであります。これに対してどうお
考えであるか。また、
国民の不安を一掃しますため、原子兵器持ち込みの相談があったら協議するというようなことでなしに、あらかじめ絶対反対を表明される
意思はないか。そうでないなら、原子兵器部隊を
日本に持ち込むことに暗黙の了解を与えられると理解していいかどうか。第四に、戦略的には、
日本に劣らずはるかに重要な北欧
諸国には基地がなく、外国軍隊もなく、さして自国の軍隊もないのに
ソ連の侵略がない。だのに
わが国は、
アメリカの駐留なしには、今にも近隣が
わが国を侵略すると
考えられるのであるか、撤退に対する
条件いかん。第五に、防衛庁長官の島根、私の鳥取の両県にまたがる美保基地の拡張は、砂川基地以上の挙県的な反対運動が巻き起っています。何よりも民主的な新防衛庁長官は、地元民の
意思を百パーセント尊重されることをかたく信ずるものですが、その
所見をお伺いしておきたいと思うわけであります。
第二に、
石橋内閣の地方税
財政についてであります。
国家予算といい、地方
財政というも、本来全く表裏一体の
関係にあるものであります。
石橋内閣が千億
減税、千億
施策と言われますなら、それは中央地方を通じてのものでなくてはならぬと思うわけであります。またその結果が、
昭和三十
年度決算で、なお六百億をこす赤字にあえいでいるところの地方団体に悪影響を与えてはなりません。しかるに、
予算編成で、
消費者米価とともに地方
財政の問題が最後まで難航した点でも明らかなように、
石橋財政の千億
減税、千億
施策とは、地方
財政の犠牲の上に立つものであり、今回の
池田財政で一番麦飯を食わされたものが、わが地方
財政である点は、わが党の深く遺憾とするところであります。(
拍手)私はこの際、地方
財政に対して大なたをふるわれました
池田蔵相に対して、国の
予算と地方
財政との関連について御所信をお伺いしたい。
第三に、
所得税は千億
減税しながら、地方税では住民税率二一%を七%
引き上げ、また、
明年度は七百億円の
自然増収を見積った
理由いかん。
所得税千億の
減税は、住民税に対して初
年度二百六億、平
年度二百四十一億の減収となりますが、これをどうするかということは大きな問題でありまして、
政府は今回の措置では、先に申しましたように、この
所得税減税のはね返りを税率の
引き上げでカバーしたわけであります。これでは全く地方への負担転嫁以外の何ものでもないと思うわけであります。従って
昭和三十一
年度は、一人当り地方税が四千四百十円であったものが、
明年度は五千百五十一円にふえ、
国民所得に対する地方税の比率も昨年に比べて五・七%で、ちっとも軽くなりません。これは結局、
池田大蔵大臣が千億
減税という美名に拘泥し、中央地方を通じての総合的な配慮がなかったため、かかるへんぱな
減税政策となったと思うわけであります。田中長官は去る一月七日京都で、住民税率は絶対
引き上げないと大言壮語されたが、今回の豹変はいかなる心境によるものであるか。また、昨年末、当
国会に提出された
資料では、
明年度の地方税の
自然増収は四百十億、やがて六百三十億、ついに七百億に、わずか一カ月の間に三百億も
自然増収がふえていますが、その信憑性がどこにあるでありましょうか。弾力性の少い地方税で、
明年度七百億の
自然増収を見積ることは過大ではないかと思うが、御
所見をお伺いしたい。
第四に、地方交付税の
引き上げ繰入率を二五%から六%に、たった一%しか
引き上げられなかった
理由をお伺いしたい。
所得税千億
減税は、その二五%でありますところの二百五十億が交付税の減収としてはね返り、
減税がなければ期待できます財源がそれだけ得られないことになります。元来地方交付税は、財源不足額を全国的に積み上げまして、その
総額をきめる平衡交付金とは違って、国税三税に一定割合でリンクして、原則として率を変更しないことになっています。従って、国税の大幅
減税という、今回のごとき全く国の都合によって、独立財源である地方交付税に二百五十億のはね返りがくるといたしますなら、当然それ相当額、三%
程度引き上げるべきであると思うわけであります。皆さん、同じ
所得税の
減税のはね返りは、住民税の方は二一%を二八%に
引き上げ、とる方はまことに抜け目なくとりながら、国から出すべき地方交付税の税率は二六%と、たった一%しか上げないところに、
池田大蔵大臣の
減税政策と積極政策の正体があると言わなくてはなりません。(相手)これでは平衡交付金から地方交付税に変えた根本理念に反するもので、筋が通らぬことおびただしいと思います。二六%で事足れりとした
理由いかん。
第五に、本
年度末の地方債の現在高は実に五千二百二十億の多きに達しています。
明年度の
一般会計の起債額は六百億であり、元利償還額が七百七十八億も要り、そのピークであります三十九
年度には、償還額が一千億円を突破することが予想されます。地方
財政は借金を返すために借金をしている
状態であります。自治体はここ二年来、昇給の停止、延伸、強制退職、投資的経費の大幅削減等、地方
財政再建のため真に涙ぐましい努力をやって参りました。このような極端な経費の削減にかかわりませず、なおかつ地方
財政の再建が軌道に乗らないのは、年々八百億に及ぶ返済が要り、五千億をこす地方債の重圧のためであります。従って、地方債に対する抜本的な解決なしに地方
財政の再建を語ることができません。元来、国は非募債
主義をとり、国の
一般会計では一切公債を発行しない超
均衡財政をとりながら、地方
財政では、地方
財政法第五条に違反し、極端なものに至っては、年末手当や給与改訂に要する財源すら地方債のワクの
拡大でやっています。国家
財政の収支の
均衡をとるため、国が
一般財源を与えず、いわゆる地方債にクッションの役割を果さしているわけであります。この過去の誤まった地方債の
運営方針のため、累積した地方債の償還期限がようやく到来いたしまして、動きがとれなくなっているわけであります。国家
財政は、
池田蔵相御自慢のように、
均衡を保ちながら、なお本
年度千億、
明年度二千億の
自然増収が予定されますが、これは歴代の
内閣の功績でも何でもありません。全く地方
財政六百億の赤字、五千億をこす起債という地方
財政へのしわ寄せの結果であります。しかし、健全
財政とは国家
財政と地方
財政と両方つながるものでなくてはなりません。国が千億円の
減税をし、なお千億円も積極
施策を展開し得るといたしますなら、まず何はおいても、長い間国家
財政の下敷きになり、その結果である地方債の解決に対してあたたかい援助の手を差し伸べるべきだと思うわけであります。
一般財源として国が当然めんどうを見るべきものを地方債をもって充てたものは、
政府が元利を持って、私はその
責任に任ずべきだと思うわけであります。しかるに、
政府は
明年度根本的な地方債
対策を立てていないが、いかなる
理由によるものであるか。特に、これに反対されているやに承わっておる
池田大蔵大臣の御
所見をつぶさに拝聴して、今後の
対策にいたしたいと思うわけであります。
今回、わずかに補正
予算で、三十一
年度所得税、法人税の
自然増収分四百億の二五%、百億円を地方交付に繰り入れ、公債費の償還に充てられると伝えられています。しかし、元来補正
予算を組めば、公債費に
関係なく当然百億円交付金に追加計上されることは法の命ずるところであります。これは元来自治体の財源です。また補正を組まねば、これは
昭和三十三
年度の地方交付税に追加配分されるものであります。これは一種の先食いであり自治体の自まかないによるもので、別途の財源措置ではないわけであります。百歩を譲っても、一体これだけで、年々八百億をこす公債費
対策としては、まことに焼け石に水ではないか。また
経済の好況のときはともかくといたしまして、いつまでもかかる弥縫策ではいけないと思うわけであります。またこれでは地方債に対する国の
責任が明確でありません。また地方債の元利補給の特別立法を避けまして、問題の解決を明
昭和三十三
年度に持ち越された
理由をお伺いいたします。なお将来再びかかるあやまちを犯さないようにするため、地方債
運営の基本
方針をお示し願いたい。
第六、最後に、新市町村
建設促進費の大幅削減についてであります。過去三カ年間に行われた町村合併は、当時一万あった町村を三分の一に減らしました。これは、明治二十一年に七万あった町村を、市町村制実施と同時に、翌二十二年一挙に一万五千に減少してから七十年来、じみではあるが地方自治体にとっては画期的なできごとであります。しかし合併しただけでは事足りません。何十年前から、あたかも一体であったように町村の態容を整備し、住民の福祉にこたえ、あわせて国の
施策に対しても、十分これをこなすだけの
能力を備えた基礎的な公共団体に仕上げますためには、なお多くの努力と国の援助を必要とすると思うわけであります。今回、自治庁が四カ年
計画の初
年度分として、新市町村
建設促進費六十八億円を
要求したのはそのためであろうと思います。しかるに六十八億の
要求を大蔵当局はたった二億円に査定し、復活
要求でやっと十四億五千万円が認められたにすぎません。国は一千億の積極政策と言いますが、一兆一千億の地方
財政計画を検討しても、
あとにも先にも、積極
財政というものは、ただこれあるのみであります。これが
石橋総理の施政
演説の新市町村の
建設助成の
強化の実体であります。羊頭を掲げて狗肉を売るものと言わなくてはなりません。(
拍手)大削減に甘んじられた田中長官の
理由をお承わりたい。これに対して、全国の知事会、市町村会を初め地方自治体は、この
予算を裏切り
予算ときめつけ、これでは新市町村の育成
建設への自主的な協力はできないと言っているわけであります。
これを要しまするに、千億
減税、千億
施策の
石橋内閣の施政は、中央地方を通じて検討いたしますると、はなはだしく不健全なものであり、看板に偽わりありと言わなくてはなりません。最近各地方における地方
選挙において、わが党が異常な進出をいたしますのは、
石橋内閣を初め歴代の
保守党内閣が、民主
政治の基盤である地方自治を育成する任務にこたえ得ないことを実証するものと思い、わが党の
責任の重大を痛感するのであります。
いろいろ申し上げたいことがありますが、詳細は各委員会等に譲りまして、これをもって私の
質問を終りたいと思うわけでありますが、ともかくこの
予算は、地方行政を見ただけでも満身創痍と言わなくてはなりません。ただそれだけではなしに、最近の
政府部内の対立を見ても、このような
状態では、この
予算を有効裏に効果的に
国民経済に役立てることは、きわめて困難であろうと思うわけであります。そういう点からいっても、
昭和二十七年に
選挙をやってから今日まで、
国民の
動向も大きく変化していますし、一兆一千億の貴重な財源を効果的に
国民経済に役立てるためにも、私
たちは強く
国民に問うために総
選挙を
要求いたしまして、私の
質問を終るものであります。
最後に、田中長官に申し上げておきますが、最近の田中長官の
答弁では、とうてい私
たちは満足することができません。あれでは腕ききの
池田蔵相に軽くあしらわれることは当然だと思うわけであります。簡明率直なる
答弁を
要求しまして
質問を終るわけであります。(
拍手)
〔
国務大臣岸信介君
登壇、
拍手〕