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松永忠二君 今の
お話は、私の要求した
資料について提出できない理由をいろいろ
お話があったわけで、私はそれらの点について納得ができかねるわけであります。まず、最初に検定に当っては、検定の公正を期するということと、採択の公正をはかるということが非常に大切なことだという
お話だった、私は検定の公正を期するという
意味から今のその検定が果して正しく行われているかどうかということについての検討の
資料を要求しているのであって、そういう
意味からいって、私の
考えている基本的な態度は誤まりではないと思うのです。検定の公正を期するという
意味で検定が行われた結果についての検討する
資料を出していただきたいことを申し上げておる。それから私は調査官が審議会に
資料を出して、そうしてその審議会が審議中において
資料を提出してほしいということを言っておるわけでなくて、すでに
大臣が検定の許可、不許可を決定した後である、これはある
意味から言うと、
一つの行政の
措置がなされているわけなんです、立法の
一つの
法律に基き、あるいは規則に基いての行政
措置がなされた結果なんで、しかもその理由書を出すことそれ自身が行政
措置だから、その
措置をされているものについてその事実を示してくれということなんであって、そういう
意味からいっても私はこれは決して検定の権利を侵害したり、審議会の権利を侵害するものではないと思うわけです。しかもこれは、とにかく従前口頭でしておったといっても文書で出されておるわけなんです。そのこと自体
一つの行政
措置であります。しかもそれは立法に基いて行われた行政
措置であるから、その
措置されたもの自体を出してくれということなんだから何ら私は違法にはならないと思います。それから不合格の理由書を明確にしていくということが
教育の混乱を起すというような
お話が出た、現場の職員どうこうという
お話があったが、私はたとえば同一著者の人がある他の
教科書を作っているとすれば、その検定不合格の理由が明確になることによってその人の著書、あるいは著作のものを利用している
教科書について、どういう点を考慮していかなければならないかというようなことについても事実がはっきりくるので、むしろその
教科書を取り扱っている
教育者というものはその事実に基いてやはり相当考慮をして
教育に当っていかなければならないという点において、むしろ
教育にプラスを来たすのじゃないのか、決してその執筆者が不合格になったからといって、その
教科者に対して不信を持つものじゃない、その
教科書を使うに当って
教育的な考慮をする
一つの
機会を与えるわけでありまして、決して混乱を起すことにはならない。
その次には常時検定という
お話が出てきているのでありますが、今度常時検定といって
文部省は出されておりますが、これはあくまでも
昭和三十四年度の
教科書の検定についてのことであります。現在検定の不合格になったものについてはこれはもうすでに終了したものであります。この
教科書が、また再び同じものが出ていくということではないのでありまして、この
教科書自体についてどういう点が一体工合が悪いのか、どういう理由書が出ているのかということを調べていくということであって、これも常時検定だからそれがどうのこうのという、常時検定ということは、
昭和三十四年度の使用
教科書についてであるので、何ら常時検定との関連が出てくる性質のものではないと私は思うのであります。
それからもう
一つの点で、
異議があれば申し立てができ、あるいは審議をし直すかのような
お話があったが、そういうことは何ら発行者、著作者にも通じておらないし、事実またそういうことができるということは……具体的に不合格になった
教科書を再度出してきて、そうしてこれを三十三年度の使用
教科書として察議会が決定し直すということがあるならば、事実そういうことが行われるということならばそれをはっきり言っていただきたい。私はそういうことはないと思うわけです。ただ、その理由書について
異議があれば
説明の
機会を持つということであって、あらためて再度これを審議し直して、
昭和三十三年度の
教科書として審議をし直すということではなかろうと思います。そういうことであるならばわれわれがこれをとやかく言うことは、検定そのものに対するわれわれの侵害であるので、そういうことを私は要求しているのじゃない。もうすでにこの
教科書がいかなる
異議申し立てがあるにしても、審議会としては、文部
大臣としては再度これを検定合格とすることはあり得ないのである、ないことなんです。従ってこれが
異議申し立てがあり、それを何か今度の
教科書として、本年度また許可するかのごときような
考えを持つような御発言をなさっているけれ
ども、そういう事実はない。もうすでに行政
措置として不合格検定がなされたものだ。そのものについてはわれわれはあくまでも検定の公正をはかるためにこれを要求することは何ら不当ではない。あるいは昨日の御
説明では、これをやることは
教科書会社のいろいろな採択に影響を及ぼすという
お話であったのです。
教科書会社の不利益とか、採択いかんをわれわれは問題にするよりも、あくまで検定が公正妥当に行われておるかどうかということを問題にする以上、そういうことを考慮する必要はないと思う。また、
教科書会社の理解を得て希望に沿う、許せばするということでの
お話だったけれ
ども、むしろそういうことではなくて、
教科書会社の理解を得て
資料を提出いたしたいということであるなら、またそこに話もわかるのに、
教科書会社が許せば私はお出しすることをまた
考えてみたい……きょうの
お話では、そういうことも飛びぬけて、本質的に提出すること自体が、何か検定の公正を破壊し、あるいは公正な採択を破壊するかのごとき印象を与えることを言われ、なおかつ、現場の
教育に混乱を来たすような
お話をされておることについては私は納得がいきかねるわけです。もうすでにこうして日本読書新聞等にも、これのおよその項目が書かれ、しかも執筆者自身は、抽象的であって、私としては納得できない、というようなことも言われておる。著者の方から
異議が出てきておりませんとか、発行者のところから
異議が出てこないということなんかについては私は納得がいきかねるのであります。
以上の理由を述べて、やはり積極的に私は、もし
教科書会社の理解が必要であれば、それを得て積極的にお出しをいただき、また文部
大臣と御相談いただいて
資料をお出しいただいて、そして私たちはあくまで審議会の審議をよく検討し、妥当に行われたであろう審議の
状況をよく把握をして、そして
教科書の公正妥当な検定の行なえることを願っておるわけであります。そういう
意味から、私は今の御
説明は納得ができかねる。とにかく、私の要求したものについて
資料の御提出をしていただきたい。それだけではなくて、私の申し上げたのは、やはり思想的な面に触れるものが多いように思うので、他の
委員から、あるいは理科、英語等のものについてやはりそういう要求があれば、やはりそういうものを出して行って、誤解を解いて行くということは、私は
事務当局のやられる
措置であろうと思う。