○
証人(
大西忠君) それではただいま
委員長が申し述べましたことにつけ加えまして前後の
いきさつを詳細に
お話を申し上げたいと思います。
まず昨年の十一月一日でございますが、
勤務評定を
参考として同年の四月以降の
昇給、
昇格を行うということを県の
教育委員会で正式に
決定をいたしたのでございます。そうして同日全県の
教育長会を開催をいたしまして協力を要請いたしますとともに、第一次の素案を配付いたしまして御
意見を求め、またこれに対する考え方を御
説明をしたのでございます。
そうして十一月十日に
勤務評定を
参考として
昇給、
昇格を行うことに
決定した趣旨と申しまするか、
説明を
全学校長、
PTAの
代表、その他等に配付をいたしたのでございます。
次に十一月の十日、十二日、十三日であったと思うのでございますが、
県下各
ブロック別に
教育長会を開催いたしまして、第一次案に対する
意見の聴取をいたしたのでございます。
そうして次に十二月三日に
勤務評定定
要領を全
県教育長会で
説明及び十二月二十七日までにこれを
提出するように通達を発送いたしたのでございます。
この十二月三日に
要領を
教育長会議で
説明いたしますとともに
校長会、それから
市町村の
委員長、
PTAの
会長等にもこの問題を
説明する必要を認めまして十二月の五、六、七、八、九日を休みまして十日とやはり各
ブロック別に
説明会をいたしたのでございますが、この際には松山市を除き
校長先生方は
全員出席をせられなかったという事件が発生をいたしたのでございます。
次に十二月十五日ごろだったと思いますが、郡の
連絡協議会長、それから市の
委員長等が寄りまして各郡、
市別に
説明会を行い、
校長を
出席せしめるから県の方で
説明をしてもらいたいという御
決定がございまして、年末も押し詰まりました二十三、二十四、二十五、二十六、二十七、二十八、さらに年を越えまして一月の四、五、六と
県下郡、
市別に
校長会で
説明をいたし、そうして全
市町村の
委員さん方も御
出席を願ったのでございます。
なおこのごろまでも、やはり
勤務評定の
内容につきましていろいろ御
意見がありまして、そうしてこの
勤務評定を始めます際に
予算が七割であったものでございますから、何か三割というものを故意に
成績の不良な
評定をつけるのだというような誤解がありまして、これが非常にこの仕事をいたす妨げになっておったのでございますが、十二月の
県会ごろから
予算についてもできるだけ多く出そう、また出る見込みもつきまして、そういう点もだんだんわかってきて下すったような情勢が芽ばえ始めたのでございます。
次に一月の中ごろであったのでございますが、全県の
教育長会、それから
委員長会で県の原案でもって
勤務評定を実施するということを
決定をしていただきまして、一月十七日付で、一月二十八日までに
勤務評定を
提出するよう
通知を発したのでございます。すなわち先に十二月に行うということがほぼ一カ月間おくれまして、一月二十八日までに
提出の
通知をしたのでございます。そうしましてさらに同じく一月二十八日付で三十一年度の四、六、七月の
定期昇給の
内申書及び
臨時評定について
出張所長より各郡で
説明会を持ち、この
内申書を二月七日までに
提出をするように、また一月二十四日付で二十八日までに
校長が
提出しなかった場合、再度文書の
命令を出すよう
指示をいたしたのでございます。二月二十五日までにまたさらに十月、一月の
昇給内申書及び
臨時評定書を出すよう
指示をいたしております。この三月の
県議会におきましては、ほほ全
昇給予算の九割
程度に該当する
追加予算が計上されまして、この際
周桑郡は
提出がなかったものでありますから
予算を計上せず、
周桑郡を除いたその他の郡市につきましては、三月二十六日に
予算の範囲内において
全員発令をする手続をとったのでございます。それで
周桑郡につきましてはこの一月二十八日の
提出期限以後
地教委を通じまして、
校長に
評定を出すよう要請いたしますとともに、また
地教委も再三再四
提出を命じて参ったのでございます。三月も押し迫りました二十六日に
地教委と
協議会を開きまして、
予算の
措置をどうしても
年度内にいたさなければならぬ
関係もございまするので、
最後の
努力をしてみることを相談いたしまして、そうして
地教委としては
努力はしてみるがどうしても
命令を聞かない場合には、
処罰もやむを得ないということで、その
程度等につきましても
協議をいたしたのでございます。ところが三月二十九日に至りまして
事態を憂慮されました
県議会の
中正クラブというのがございますが、その
クラブの佐々木、都築両
議員等から
議長に
調停の
申し入れがあったのでございます。そして
自民党の方の側も
幹部が集まりまして国村
委員長ほか
教組の
幹部と
折衝、
協議をいたしたのでございますが、まず懲罰は全然しないこと、それから
勤務評定は三十二年度においては根本的に検討してほしい、第三に
昇給は
差別をつけないで先に
提出しておる他
郡市並みにしてほしい、これが聞き入れますなれば、
県教委の
指示する
勤務評定を
提出いたさせますということであったのでございます。これに対しまして
調停者の方は
懲戒処分は行わないように
県教委に伝える。ただし今日まで
事態を遷延せしめた
責任を問うような場合には
県教委、
地教委が独自の判断でやるのだ、それから
勤務評定の
内容は
県教委の
自主性において将来
考慮するものであるが、文部省におかれても案があるかもしれないので、これらとにらみ合せてよく検討するよう、
申し入れをしよう。第三には、
昇給予算は他郡市と同様の取扱いはするが、ある
程度の差のあることはやむを得ない、そうしてこの三カ条も
解決の条件としては受け入れられないが、
お互いに
善処をしようではないかということを申したのでございます。また
調停者の中の一人は、こんな要求やこまごました希望を一切
白紙に返して
県教組が謙虚な
気持で本県の
教育に熱情を傾けるのであるならば、純真な
気持に立ち帰ってただいま
提訴をいたしておりまする
行政訴訟、これは
昇給の
延伸条例に反対して
提訴をいたしておるのでございますが、その
行政訴訟を取り下げてはどうか、そうしてみんなが
責任を持ち合って円満な
解決をしようではないかということを提案をいたしたのでございますが、
県教組としても
協議の必要があるので三十日の午後七時から郡市
代表会を開きまして夜の七時に御
回答をいたしましょうということでその日は別れたのでございます。翌日の夜また一堂に集まりまして、
行政訴訟の問題は
大会議決でもあり、今これを取り消すことはできないが、できるだけそういうふうな状態に
お互いにもっていきたいものだと思う。そうして今日としては
周桑郡のみの問題に
限り解決をしていきたいと思うので、三カ条は了承するとの
回答であったのであります。それで三十一日の十二時までに出してほしいと時間を制限して約束をし、
教組、それから先ほど申しました
中正クラブ代表、
自民党の
代表の方が感謝と喜びのあいさつをかわして別れたのでございます。この
調停の線は、私
どもは直接この
会議に参加をいたしておらなかったのでございますけれ
ども、
交渉の
経過とともに
県教委に対しましても、
知事側に対しましても逐一詳細な
連絡がございました。従って私
たちは、これが
誠意をもって
実行ができますように十分打ち合せがなされておったのでございます。また、この先ほど申しました三カ条の
言葉使い等でございますが、今も申しましたように、私
たちは
交渉の場の正式の
言葉を存じておらないのでございますが、党の
幹部が
折衝の過程の
説明において私等に伝えてくれましたものを書きとめておいたものでございます。そうして三月三十一日は日曜であるにかかわりませず、この
調停の
実行に当
つては
教組側も現地に出かけ、真剣に骨を折
つてくれたと聞いておるのでございます。また
知事側の方といたしましても、
委員会側の方といたしましても同日は登庁をいたしまして、深更まで
周桑の成り行きを心配し、午後八時ごろ
評定書が出るということが
決定されましたので、非常に安心もし、また
予算につきましても、
年度内の
措置を完了いたしたのでございます。ところが四月一日の午後になりまして、私
たちの耳に、県の
指示するような正式な
評定書が出ていないといううわさが入ったのでございます。そうして二日の日が、ちょうど
教員の
異動で
委員会を開催いたしておったのでございますが、とのことが問題となりまして、急遽
周桑郡の四
教育長を招致いたしましたところが、これから申し述べますようなことが明らかになったのでございます。それは、この県で
調停をいたしましたよりまた別の線で、郡の
教組と、郡の
地教委とが
協定をしておることが判明をいたしたのでございます。その
内容は、三月三十一日までに
勤務評定を
提出すれば、
処罰は中止する。それから
勤務評定に関連する
教員の
異動は考えていない、ただし、
定期異動は行う、
昭和三十二年度の
勤務評定の
内容については、改訂されるよう
努力をする、次に、
差別昇給は
地教委の
責任において行わないよう
努力する、こういうことが話されておったのでございます。
それで三月三十一日に
提出されました
勤務評定は、県の
計画に従わず、
全員の氏名と、
全員勤務成績優良とのみ記入されておりまして、
地教委はこれをなじり、そうして
県教委の
指示するものに修正せしめるために、この
書類を受理せず、直ちに訂正するよう
校長に返却をいたしたという報告を受けたのであります。それでその
善後措置につきまして、直ちに先の
調停者等とも
連絡をとりまして、急遽同日御集合を願い、またこの間、
県議会議長も個人の資格におきまして、四人の
教育長、それから県の
委員会等の間に立ちまして、この
善後措置を
協議をいたしたのでございます。すでに先に県の
段階で話しました、三月三十一日の十二時という線は切れておるのでございますが、
地教委も四月三日の九時まで待とうと言っております
いきさつもありますので、これを全然破棄してしまうことは、せっかくここまできた話をぶちこわしにしてしまうということを非常に心配され、いろいろ
協議をいたしたのでございますが、
調停者のうちで、
自民党の
幹部はこの
措置に対して非常な憤りがございまして、
議長もこの間に立ちまして非常に苦しんだのでございます。そして
最後に、三月三十一日に
校長が
提出した
書類は、県の
指示した、
県教委の
指示した
勤務評定通り補完をせしめる、その
書類をさらに追完をしてやらすということにしようではないか。やはり三月三十一日ということが
予算の執行から言っても非常に重要なことであるので、その日は
地教委も一度言っておるのだから、
補完をせしめるという
意味で待とう、それで次には事後の処理はそういう空気もございましたので、
県議会議長に
白紙一任をしてもらいたいということで、その次にはこういう大きい問題が、県と郡とで二つになった話が行われるということは、この
解決に非常な混乱を生ぜしめるおそれがありますし、この郡でいたしました
協定につきましても、県でいたしましたものにつきましても、大きい
精神においては変
つていないので、両方を一つにすることが適当と思われるから、三月三十一日になされた
勤務評定提出に関する
周桑郡
地教委と同郡の
教組との間に約束した
事項は、無効になったことを確認しようではないかということ、それから
校長が正式な
書類を添付しない限り、その具申は取り扱わないということをきめておく方がよかろうという
意味で、
校長が
県教委の
指示した
勤務評定を行わない限り、全
教員の
昇給内申は
提出しないということをきめたのでございます。これは
議長は党に持ち帰って諮りましたところ、党の方でも非常なふんまんがあったのだそうでございますが、もうそういうことになっておればいたし方がないから、四月三日の午前九時までは待ちましょう。しかし
指示するものが出たら
考慮をしよう——これは
善処という
言葉を
使つてはならない、
考慮をしようという
言葉を
使つてほしいというふうに言われたそうでございますが、そういう話がございまして、
地教委の四
教育長もこれを了としまして、同日の午後十一時過ぎの汽車で帰郡をいたし、
校長に、県の
指示する
勤務評定書を
提出せしめるよう、
最後の
努力をしたのでございます。
ところが四月三日に再
提出されました
勤務評定は、三月三十一日に
提出されたものに、さらにA、B、C、またはイ、ロ、ハの三
段階しか記入をされておらなかったのでございます。一部には順位がございました。そうして
地教委といたしましては、この
書類は正式なものでなく、これではいけないということは、県の
教育委員会とも
協議をいたしたのでございますが、同感であり、従って受理はいたしていない、ゆえに九時現在、正式な
書類は
提出されなかったことを確認するとともに、この
書類は
学校長あてに返却することに
決定をいたしたのでございます。四月四日、こういうような
事態に直面いたしまして
県教委は
周桑郡
地教委と今後の処置につきまして
協議をいたしました結果、
地教委はあらためて
懲戒処分の
内申を行うこととなり、また
県教委もこれを了といたしまして四月
目日付の
内申、同日付の
懲戒処分を発令し、全
校長三十四名に対し減給四カ月間、十分の一の
処分を行なったような次第でございます。これがこの
周桑郡における
校長を
懲戒処分にしました前後の
いきさつでございます。