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1957-03-05 第26回国会 参議院 内閣委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年三月五日(火曜日)    午後一時三十六分開会   —————————————   委員の異動 二月二十三日委員近藤鶴代君辞任につ き、その補欠として寺本広作君を議長 において指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     亀田 得治君    理事            上原 正吉君            大谷藤之助君            秋山 長造君            竹下 豐次君    委員            木村篤太郎君            迫水 久常君            松岡 平市君            松村 秀逸君            伊藤 顕道君            田畑 金光君            八木 幸吉君   国務大臣    労 働 大 臣 松浦周太郎君   政府委員    内閣官房長官 田中 榮一君    内閣総理大臣官    房審議室長   賀屋 正雄君    宮内庁次長   瓜生 順良君    防衛庁次長   増原 恵吉君    防衛庁長官官房    長       門叶 宗雄君    外務政務次官  井上 清一君    文化財保護委員    会事務局長   岡田 孝平君   事務局側    常任委員会専門    員       杉田正三郎君   説明員    文化財保護委員    会事務局記念物    課長      平間  修君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠互選派遣委員報告雇用審議会設置法案内閣提出) ○外務省設置法の一部を改正する法律  案(内閣送付予備審査) ○労働省設置法の一部を改正する法律  案(内閣送付予備審査) ○国家行政組織に関する調査の件(正  倉院裏観光道路許可に関する件) ○国の防衛に関する調査の件(自衛隊  輸送機墜落事故に関する件)   —————————————
  2. 亀田得治

    委員長亀田得治君) これより内閣委員会を開会いたします。  委員の変更について御報告いたします。二月二十三日付近藤鶴代君が辞任され、その後任として、寺本広作君が選任されました。   —————————————
  3. 亀田得治

    委員長亀田得治君) それでは、これより理事補欠互選を行います。  本委員会理事が一名欠員のままになっておりますが、その指名を委員長に御一任願うことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 御異議ないと認めます。それでは、理事秋山長造君を指名いたします。   —————————————
  5. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 次に、派遣委員報告議題に供します。  先般、当委員会が行いました委員派遣について、派遣委員から報告を願います。まず、茨城調査班の御報告を願います。
  6. 上原正吉

    上原正吉君 当内閣委員会決定に基きまして、上原伊藤の両委員は、二月十八日から二十一日までの四日間、茨城県下に出張いたしまして、防衛庁飛行場設置予定地実情、国の出先機関地方自治団体との間の事務連絡並びに公務員給与改訂に関する問題の実情について調査して参りました。以下、視察いたして参りました順序に従いまして、調査概要を簡単に御報告申し上げます。  まず、日程の第一日、第二日は、防衛庁飛行場設置が予定されております神之池、百里原の現地実情について調査いたして参りました。  日程の第一日、神之池基地予定地現地視察から御報告申し上げます。この神之池基地予定地と申しますのは、鹿島鹿島町及び神栖村に、防衛庁海上自衛隊飛行場設置いたそうとし、昭和三十年八月に、その候補地として地元民との話し合いを始めたところで、接収予定面積は約五十四万坪、すなわち民有地約三十一万坪、国有地約二十三万坪であって、飛行場計画としては、長さ二千二百五十メートル、幅六十メートルの滑走路を作り、海上自衛隊編成機十二機、隊員千名程度基地として発足を予定いたしておるところとのことであります。この地域は、昭和十五年に旧海軍航空隊に接収された軍用地跡であって、終戦後は開拓地として、入植者七十九戸、増反者三百三十一戸が入ったのでありますが、今回の基地拡張計画に伴う開拓地接収予定地のうちには、入植者四十一戸、増反者百九十三戸、計二百三十四戸が入っているとのことであります。  第一日に、私どもは、まず鹿島役場におもむきまして、町長、助役、町議会議長より、この神之池基地問題について、町当局としては、いかなる所見を持っているかをただしましたところ、町当局説明によりますと、当初、防衛庁から飛行基地設置の話があった際、町当局としては、現地住民の意向をも聞いて、基地設置反対決議を行い、関係当局陳情した経緯もありますが、その後、情勢が変りまして、少々の犠牲を払っても、飛行場設置賛成するとの機運が住民の間に起り、地元の直接関係者の中にも、賛成するものもあるという状態ともなったということでありましたので、その後の町議会において、前回の決定をくつがえし、昭和三十一年二月、飛行場設置賛成決議を行うとともに、鹿島基地対策本部設置することになったが、しかし、実際には住民のうち、どの程度賛否か、その割合については十分に判明していないが、賛成者側から見る賛成者の数は七割くらい、反対者側から見る賛成者数は、半数はないであろうということが言われておる状況であって、従って、町当局としては、この問題について賛否両者側とも、お互い町村の間で激しい摩擦を起さぬよう注意を行なっているところであり、双方の話し合いの中から結論を出していきたいと考えている旨、所見が述べられました。  次に、同役場におきまして、基地設置賛成者側からの現地実地報告を受けましたが、基地設置反対している者の中にも、補償の条件がよければ、賛成するものが相当出ると思われるが、現在のところ、表面から賛成すると、俗にいう村八分にされるということから、これらの人たちは表には現われていない。この潜在的賛成者は、少くとも地元関係者の三割はあると思われる。また、これらの人々は、この問題が何とか早く解決されることを望んでいるものの、表面的には反対者の指令に従って動いているのが実情である旨述べられました。  次に、私どもは、地元陳情者が多数集まっております現地におもむきまして、基地設置反対集団陳情を受けましたが、その陳述の要点は、将来再び戦争を繰り返したくなく、郷土を基地化されたくない。開拓農地を取り上げられることは、せっかくの十年間の労苦が水泡に帰するばかりでなく、農民生活をも失うことになり、また、もし基地が実現された場合には、近く療養所の患者及びその家族は、その閉鎖により、路頭に迷わなければならなくなる。このように、日本の片すみの恵まれざる境遇にある農民等生活十分念頭に置いてもらいたいという点であります。  なお、この際、神之池基地反対同盟代表者より調査団あてに、基地設置反対陳情書提出されましたので、これを受け取って参りました。また、私どもは、これらの陳情を聴取いたしましたのち、引き続き神之池地域の現場を実地視察いたしました。  次に、日程の第二日には、百里原基地予定地視察いたしました。この百里原基地予定地と申しますのは、東茨城小川町に、航空自衛隊航空団設置するための候補地でありまして、基地拡張のために、接収面積約六十一万二千坪が予定されておりまして、拡張計画としては、長さ二千百メートル、幅四十五メートルの滑走路隊員約九百人、飛行機数五十四機の装備が予定されておるとのことであります。この予定地域周辺一帯百里原と呼んでおりますが、ここは元、旧海軍飛行場でありましたものを、戦後、開拓適地として農民に払い下げられることになり、昭和二十一年度に、入植者百十一戸、増反者百十七戸が入ったのでありますが、昨年六月ごろより、防衛庁要請によって、現地住民との間に折衝が開始されまして、その結果、今回の接収予定地域内の居住開拓者百三十八戸のうち、百五戸は買収協議妥結済みであるが、残りの三十四戸中十七戸は、目下買収価格交渉中であり、他の十七戸は、絶対反対態度をとっているというのが現状であります。  私どもは、まず小川町に参りまして、同役場において、町長並びに町議会議員の方々より、百里基地問題についての防衛庁との折衝の経過並びに買収進捗状況について説明を受けましたが、町長としては、基地誘致については、積極的に賛成反対もしないが、国の要請があった場合には、協力するとの態度町議会決定し、今回防衛庁より基地についての要請があったので、この要請に協力している。接収予定地域内の開拓者のうち、現在約九五%は買収に承諾しているが、残りのうちの七、八名くらいが現在も強力な反対を行なっているが、しかし、町当局としては、無理をせずに、円満に話し合い解決しようと努力中である。特にこの際、飛行基地ができた場合には、直接関係住民以外から問題とされている学校防音装置については、ぜひ適当な解決措置をとるよう努力されたい旨が述べられました。  次に、同役場におきまして、買収承諾者よりの陳情を受けましたが、その際述べられました要点は、自分たちは、当初開拓者としてここに入植したが、この土地が農耕に適しない実情なので買収に応じたが、この際、別の新しい土地に移って農業に従事したいと考えているが、昨年、離作補償金支払いを受けたが、今日まだ、土地代金支払いが行われていないので、早急にこの支払いが行われるよう取り計られたいということでありました。  次に、私ども現地におもむき、前日と同様に、地元の多数の陳情者より、基地設置反対についての集団陳情を受けましたが、その陳情の趣旨は、自分たち開拓者として、旧飛行場跡に戦後十数年間営農の努力をしてきて、今日何とか生活の見通しがついてきたところであるにもかかわらず、土地が悪いという理由のもとに、惰農の誘致運動町長が結託していることは問題であるとともに、まじめな農民生活が奪われること、学校等防音装置は、他の基地において実証されているごとくに、何の役にも立たないこと、基地のできることから、町民の日常生活ないし子弟の教育に著しい支障をきたすおそれがあること等の点でありました。私どもは、以上の口頭陳情を受けると同時に、百里基地反対期成同盟小川基地反対愛同志会代表者より内閣委員長あて小川百里原地元婦人部小川基地反対婦人代表等より調査団あてに、基地設置反対陳情歎願書提出がありましたので、これを受け取って参りました。  その後、百里基地現地実地視察いたしまして、二日間にわたる基地予定地視察を終ったのでありますが、この際受けました陳情等の要旨につきましては、時間の関係上、口頭報告を省略し、委員会会議録の末尾に報告書として添付することといたしますから、御了承願います。  日程の第三日に、私どもは、茨城県庁に参りまして、第一に神之池、百里原両飛行基地設置に関し、県としての所見をただしましたところ、百里原については、現地入植者増反者等は、基地設置に賛意を表している者が大部分であり、町議会においても同意しており、すでに補償料の一部が内払いされている模様なので、基地設置はやむを得ないものと思うが、神之池を飛行基地とすることについては、現段階においては、百里原と同様には取り扱い得ない事情にあり、今後における地元世論の推移を見て措置すべきであると考えるとのことでありました。  第二に、過般の一般職国家公務員給与改訂に関する人事院勧告について、県としての所見をただしましたが、給与改善並びに給与制度改正をその内容とした人事院勧告に対しては、原則的には賛成である。しかし、もし政府人事院勧告に基いて、一般職の給与法の改正を行うとするならば、当然、地方公務員給与改正をも必要とすることとなるが、この場合、本県においては、おおむね二億八千万円の純負担という多額の財源を必要とすることとなり、これは、財政的に相当重い負担であるので、国はこれら地方財政状態を十分に考慮に入れ、地方団体においても、国に準じて給与改善措置が円滑に実施できるよう財源措置を講ずべきであり、また、人事院勧告に見られる俸給表の種類については、国家公務員職務内容地方公務員職務内容から、同一に律することは適当ではないが、府県給与体系が国のそれを基準として決定されることを前提として見るときに、税務職俸給表研究職俸給表等の適用をそのまま府県で実施するには、若干問題があると思われるので、この点、慎重に検討を要すると考えられる。その他給与制度改正に当っては、地方公務員特殊性を十分考慮することの必要が認められるとの所見が述べられました。  第三に、国の出先機関との事務連絡改善を要すると思われる点について、県の所見を求めましたが、地方財務局関係につきましては、市町村の起債について、県と財務局及び地方財務部との協議は省略されたい。税務署関係では、知事に対し、法人の県民税及び事業税課税資料の通知を励行するよう措置されたい。地方財務局行政監察局等関係では、これら国の出先機関の行う検査監察調査は、できる限り同時に実施するよう、また、これら検査等調書作成の様式の統一等を十分考慮されたい。国の出先機関である職業安定所及び県の機関である保険課失業保険課及び職業安定課並びに陸運事務所は、その業務及び職員に関し、知事監督権がゆだねられているが、これらの職員の身分は国家公務員であり、予算も県に属していないために、知事としては、十分な指揮監督ができない実情であるから、これらを県に完全に移管されたいという諸点の要望がなされました。  続いて、県職員組合及び教職員組合代表より、給与問題について陳情したい旨の申し入れがありましたので、その陳情を聴取いたしましたが、代表者より、人事院勧告は、昇給期間が延長されている点、職階等級格上げ基準は不明確である点、三十三年で頭打ちとなっていることは、定年制実施前提である点等々の諸点より見ても改悪であるので、反対である旨、また、地域給について、二年か三年で廃止することのようであるが、これは、実質的には、一級地、二級地がなくなると、千円くらいの賃下げとなること、昇給ストップあるいは諸手当の減額によって、本県職員給与は、一般国家公務員より切り下げられているのが実情であるから、これらの完全支給のための財源確保のために、地方交付金税率引き上げを実現されたい旨の陳情がありました。  以上をもって報告を終ります。
  7. 亀田得治

    委員長亀田得治君) ただいまの報告に関する別途資料につきましては、これを本日の会議録の結びに添付することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 御異議ないと認め、添付することに決定いたしました。  別に御質疑もなければ、委員派遣報告は、これをもって終了いたします。   —————————————
  9. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 次に、雇用審議会設置法案議題に供します。まず、提案理由説明を願います。
  10. 田中榮一

    政府委員田中榮一君) ただいま議題となりました雇用審議会設置法案につきまして、その提案理由及び概要を御説明いたします。  最近におきましては、経済規模の著しい拡大に伴いまして、雇用状態相当改善されてきているのでありますが、労働力人口就業内容あるいは日雇労働市場等、なお改善の度の薄い面もみられるのでありまして、今後における生産年令人口著増をあわせ考えますと、雇用問題の解決は、今日及び将来にわたってなおきわめて困難な問題であると認められるのであります。  政府は、諸施策目標一つとして完全雇用達成を掲げ、この問題の解決に努めているのであります。しかしながら、雇用に関する問題は関連するところがきわめて多く、総合的な見地から検討すべき問題であり、また政府の諸施策雇用状態に影響の及ぶ施策も広範囲にわたるのであります。従って、政府雇用に関する問題点を的確に把握し、完全雇用達成目標に向って諸施策を運営して参りますためには、各方面の有識者の意見を徴してゆくことがきわめて必要であると考えるのであります。  以上のような事情にかんがみまして、政府は、雇用及び失業に関する重要事項について調査審議する諮問機関として、従来総理府設置せられておりました失業対策審議会を改組強化し、ここに、雇用審議会設置することといたした次第であります。  次に、法律案概要を申し上げます。  第一条は、この法律の目的及び審議会設置規定し、第二条は、審議会所掌事務規定したものでありまして、審議会は、雇用構造その他雇用及び失業状態に関する事項雇用状態改善のための施策に関する事項失業対策に関する事項、その他雇用及び失業に関する重要な事項について調査審議し、これらの事項に関し、内閣総理大臣又は関係大臣諮問に応じ、かつ、所要の意見を述べ、又は報告する旨を規定しております。  第三条から第七条までは、審議会組織に関する規定でありまして、まず委員は、三十人以内とし、学識経験のある者のうちから、内閣総理大臣が任命し、任期は、二年といたしました。次に、審議会会長及び副会長各一人を置き、委員互選によりこれを定めることとし、また専門委員三十人以内、幹事二十人以内を置くこととしました。更に、第八条では、審議会に部会を置くことができる旨及びその構成について規定いたしております。  第九条では、審議会はその所掌事務を遂行するため必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、資料提出等必要な協力を求めることができる旨を規定し、第十条は、審議会の庶務は、内閣総理大臣官房において処理する旨の規定、第十一条は、この法律規定したほか、審議会に関し必要な事項については、政令で定める旨の委任規定であります。  なお、附則におきまして、この法律は、昭和三十二年四月一日から施行すること及び総理府設置法第十五条第一項の表中失業対策審議会の項を雇用審議会に改めることを規定いたしました。  以上が、この法律案概要であります。  なにとぞ慎重御審議の上、すみやかに御賛成あらんことをお願いいたします。   —————————————
  11. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 次に、外務省設置法の一部を改正する法律案議題に供します。まず、提案理由説明を願います。
  12. 井上清一

    政府委員井上清一君) 外務省設置法の一部を改正する法律案提案理由及び内容説明いたします。  まず提案理由説明いたします。  今般の改正は、外務省機構につき次の二つのことを行おうとするものであります。  第一は、外務省本省において欧米局廃止し、アメリカ局及び欧亜局設置することであります。  第二は、在外公館の一として、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部設置することであります。  まず欧米局廃止並びにアメリカ局及び欧亜局設置につき御説明申し上げます。  外務省において地域別の政務を担当する局といたしましては、戦前はアジア局アメリカ局及び欧亜局の三局、また、時期によってはこのほかに南洋局もありましたが、現在はアジア局欧米局二つだけでありまして、欧米局欧州米州アフリカ中近東大洋州というはなはだ広い地域を一局で担当することとなっておりますが、これは、現在の機構が作られましたのは、サンフランシスコ平和条約が出来たころのことでありまして、当時はいわゆる東欧圏諸国との国交回復はいまだ全然予想が立たず、また、わが国外交活動全体といたしましても、いわば恢復期にあって、全面的な働きをなすに至っていなかった等の理由によったものであります。しかるに、以来五年有余を経過して、事情も大きく変化いたしました。国際政治における地位を着々と向上して来ましたわが国は、このたびの国際連合加盟によりさらに大きく一歩を踏み出し、他面懸案のソ連を始めポーランド、チェッコスロヴァキア等東欧諸国との国交も相次いで回復し、ここにわが国外交は質的にも量的にも、五年前に比べ面目を一新するに至った次第であります。かかるときに際しまして、従来のごとく欧州米州中近東アフリカ大洋州の全地域を合せて一つの局で担当するのでは、これら地域に対する外交活動に万全を期することは不可能でありますので、わが国にとり重要な関係を有するソ連、最近新しい動きを見せている東欧諸国、また国際政局に近来とみに重要性を加えている中近東諸国等を含む欧亜地域は、独立の一局に担当せしめることとし、このため現在の欧米局アメリカ局欧亜局二つに分けることとしたい所存であります。  次に、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部設置について説明いたします。  ジュネーヴには、国連欧州事務局を初め、国際労働機関世界保健機関国際電気通信連合世界気象機関等国連専門機関や、ガット、赤十字その他多くの国際機関があり、また、この都市の特殊性にかんがみ、常時頻繁に各種の重要な国際会議が開かれております。  現在ジュネーヴには、わが方の在外公館としては、総領事館が置かれていますが、右のような事情のもとにあって、同総領事館が処理しております事務は、従来すでに領事事務の範囲を越え、国際機関ないし国際会議に関する外交事務が大半を占めている実情であります。  今後は、わが国国際連合加盟に伴い、わが方の国際機関関係事務は益々増大し、かつ、重要度を加えることが予想されますので、世界主要国はすべてジュネーヴ外交機関として政府代表部を置いて居ることにもかんがみ、わが国といたしましても、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部法律設置することといたしたい所存であります。  以上が本法律案提案理由説明であります。  次に、本法律案内容説明をいたします。  まず、欧米局廃止並びにアメリカ局及び欧亜局設置につきましては、外務省設置法第五条に本省内部部局として欧米局にかえてアメリカ局及び欧亜局を設け、同時に第九条の欧米局所掌事務に関する規定アメリカ局所掌事務に関する規定に改め、また、新たに第九条の二といたしまして、欧亜局所掌事務規定いたしました。  次に、在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部設置につきましては、まず第二十二条第二項に在外公館の一として同代表部設置規定し、次に第二十四条第四項においてその位置を定め、最後に第二十五条第二項において同代表部の長を特命全権公使とする旨を規定することとした次第であります。  以上をもちまして、本法律案提案理由及び内容概要説明を終ります。  何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御採択あらんことをお願いいたします。
  13. 亀田得治

    委員長亀田得治君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止
  14. 亀田得治

  15. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 次に、労働省設置法の一部を改正する法律案議題に供します。まず、提案理由説明をお願いいたします。
  16. 松浦周太郎

    国務大臣松浦周太郎君) ただいま議題になりました労働省設置法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由を御説明申し上げます。  労働行政におきましては、省内部局を通じ総合調整を要する事項が少くないのでありますが、特に最近は、経済政策社会政策等との関連で総合的角度から検討を要する事項が増大し、従って省内部局にわたり調整を要する事項も量的質的に増大いたして参りましたので、他のほとんどの省に官房長が置かれている例にも徴しまして、今回労働省においても官房長を置きたいと存ずるものであります。  以上が今回この改正案提案するに至りました理由であります。何とぞ御審議の上、すみやかに御可決を賜わらんことをお願い申し上げます。
  17. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 雇用審議会設置法案関係資料提出していただきたい。
  18. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 速記をやめて。    〔速記中止
  19. 亀田得治

  20. 亀田得治

    委員長亀田得治君) それでは次に、国家行政組織に関する調査のうち、宮内庁の業務運営の一環として、正倉院の観光道路に関する件を議題に供します。本件に関し、御質疑のおありの方は、御発言を願います。
  21. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 文化財保護委員会の事務当局の方にお伺いいたしますが、宮内庁の所管である正倉院の御物の汚染の問題に関連いたしまして、若草山からのドライブ・ウェーの問題について、従来の経過及び今後の対策等につきましてお伺いいたしたいと思います。  ここに、宮内庁並びに文化財保護委員会からちょうだいしました資料があるのでありますが、奈良で日本肥鉄土開発株式会社が、昭和二十六年の末から、新若草山の山上から東大寺裏に通ずる肥鉄土の運搬専用道路を作った、こういう事実があるわけでありますが、その道路は史跡の中を通っておるのでありまして、史跡の現状変更には、文化財保護委員会の同意と申しますか、許可が必要であるかのように伺っておるのですが、いかがでありますか。
  22. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 史跡の現状変更につきましては、文化財保護委員会の許可が必要でございます。
  23. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 二十六年末にすでに運搬を開始しているということは、むろん無許可であったように伺うのですが、いつこれに対して御同意をお与えになったのですか。
  24. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) これは、今お話しの肥鉄土株式会社が、従来からありましたところの林道を改修いたしまして、そうして肥鉄土を運搬する道路にいたしたい、あわせて観光道路にいたしたい、こういうことで、昭和二十八年の十月に現状変更の許可の書類が参ったのであります。その前に、お話しの通り、無許可でもって工事を始めた事実がありまして、それは、奈良県教育委員会報告によりまして、それを知りましたので、直ちに会社を呼びまして、厳重な注意を加えましたところ、それは、史跡であるということを知らずに工事をいたしておったということでありましたので、その旨は厳重に手続の必要なことを通告いたしましたところ、今申しましたように、書類を出して参りました。そこで、この書類につきましては、文化財専門審議会で慎重に審議いたしましたのでありますが、会社側の申請いたしました路線を変更せしめまして、そして史跡に最も影響の少いと思われる路線に変更させ、ちょうど、奈良県知事があっせんをいたしまして、その案ならば条件付きでもって許可して差しつかえないだろうから、ぜひとも許可してもらいたいという奈良県知事の申請もあり、関係者と打ち合せまして、昭和二十九年の六月の二十六日でこの現状変更をいたしたのであります。
  25. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 宮内庁から出ました書類によりますと、昭和二十六年末にすでにその道路が完成しておる、今のお話ですと、二十八年の五月十五日ですかに、ドライブ・ウェーの事業免許の申請が出ておるわけであります。まる一年半あまりは、あの大きな道路が開設されておるのに、会社としては、史跡であったことを知らなかったということは、そういうことは言えるかもしれませんが、文化財保護委員会としては、一年半もあんな大きな道路ができているのに、申請のあるまで知らなかったということは、どうもはなはだ、何といいますか、怠慢であると思うのですが、いかがでございましょう。
  26. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 二十六年末というふうに宮内庁の方でおっしゃっておりますが、そのはっきりした期日は、ちょっとわかりませんでございますが、いずれにいたしましても、ある期間の間、県教育委員会自身もその事実を知らなかったというのでございまして、私ども、教育委員会の方の報告によりまして、なお、そのころに新聞記事が出まして、初めてその事実を知り、それから厳重に会社を呼んで注意し、県と打ち合せをするということにいたしたのであります。その一定の期間知らなかったということにつきましては、これは、まことに私ども遺憾であったと存じております。
  27. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 そのドライブ・ウェーの長さと幅員ほどれくらいでございますか。
  28. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 史跡指定地内は、道路の長さは約四キロ、それから幅は五メーターというふうに聞いております。
  29. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 その史跡の中で、肥鉄土を採掘しておる場所は何カ所ありますか。
  30. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 肥鉄土は、史跡の中では採掘させないのが、これがもちろん建前でございまして、肥鉄土の採掘は、史跡の外の、山の上の方の、史跡の外にあったわけでございます。ただ、その後におきまして、昨年でございますか、史跡の中を何カ所か採掘いたした事実がございまして、それにつきましては、厳重なる警告を発し、また、その原状回復等につきましても、県の教育委員会と打ち合せまして、ただいま指示いたしておるところでございます。
  31. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 ちょっとはっきりしなかったのですが、何カ所でございますか。
  32. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 史跡の外では一カ所と存じております。ただ、史跡の中で数カ所、これは五カ所ぐらいかと存じますが、史跡の中で採掘した事実があったのであります。
  33. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 私も、この間現場をちょっと一見して来たのでございますが、その史跡内の採掘個所が、いまだにまだ赤土が出たままになっておりますが、あれは、原状回復という意味からいえば、何か新しく芝をはるといったような指示があったように思うのですが、その通り実行されてないということを御存じですか。
  34. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 史跡の中で採掘いたしました個所につきましては、できるだけすみやかにその整地をいたして、できるだけ元通りに近いようにせよということは、厳重にたびたび警告いたしておりますが、その整地の方法といたしましては、土を持って参りまして、それをまた元通り埋めるということも一つの方法でございますけれども相当大きく掘っておりますので、そういたしますと、かえってまたあとが、土地が柔かでありますので、固まらない、むしろそれよりは、切り取りましたところを少しならしまして、そうしてその付近にずっと適当な木を植えまして、その環境をできるだけ整備する、それから、山の切りました所にも、その付近に芝等を植えまして、できるだけ元の状態に近いようにするということで、県の植林課の指導によりまして、一定のプランを立てさせまして、そのプランによりまして、ただいまその整備の工事を始めております。まだ始めたばかりでございまして、完了いたしておりませんが、会社の方は、県の指示によりまして、ぜひそれは、その工事をいたすということを確約いたしております。
  35. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 これは、建設省、それから運輸省とも関係があるので、これは、あるいは文化財保護委員会に伺うのは適当でないかもしれませんが、昭和二十八年の十一月十二日付で「自動車道事業経営の免許指令書」というものが運輸大臣と建設大臣から出ております。これは、日本肥鉄土開発株式会社に対して、自動車道営業の免許をしているのでありますが、それが条件がついておりまして、「道路運送法第五十条第一項の規定による工事施行の認可申請書は文化財保護法の規定による許可書の写を添えて昭和二十九年十一月十一日までにこれをなすこと。」こういうことなんでありますが、一体道をつけて、自動車道の営業をしようというのに、文化財保護委員会の許可書が要るのであれば、先に文化財保護委員会の許可を受けてから後に、自動車道営業の免許をするのが順序と思いますが、それが逆になっておりますが、従来もこういう慣例ですか。もし文化財保護委員会が、自動車道路を作っちゃ困るという意見を付したときには、この免許は、ただ権利を取るだけの話で、実際の仕事はしないということになるのですか。従来もこういう慣例ですか。
  36. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) これは、運輸、建設の方で道路の設置認可を受けなければなりませんし、また、文化財保護委員会の方外現状変更の許可を受けなければ、いずれも違法の状態になりますので、そういう場合には、両方の省でよく打ち合せまして、そうして許可するものは許可するというふうにいたすべきものでありますし、これも、他の事例につきましては、そういうようにいたしているのでありますが、この事件につきましては、運輸、建設の方で、私どもの方で意思表示をしないうちに先に認可をされてしまった。そうして今のお話のように、文化財委員会の認可書を付けて工事を施行するように、こういうことになったわけであります。これはきわめて、私どもの方から申しますれば、遺憾な例でありまして、その他の事例では、そういうことはないはずであります。
  37. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 この認可のあったことに対して、文化財保護委員会から、今仰せのような抗議を運輸、建設両者になさいましたか。
  38. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) つまり文化財委員会が認可しない前に、先に認可してしまったということに対しては、私の方からは抗議といいますか、要するにこういうことは非常に行政上おもしろくないということば厳重に申しました。ただ、その後におきまして、いろいろと、これは運輸、建設省、宮内庁、私どもと、四省の関係におきまして、随時打ち合せをいたしまして、できる限り四省が一つ、共同歩調をとってやるようにしようということで、打合会議を開いて、今後の方針などをいろいろ打ち合せをしておる次第でございます。
  39. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 そこで、この二十九年に、そのあと文化財保護委員会で許可をお与えになった、その条件があるはずなんですが、その条件はどういうのでございますか。
  40. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 条件は、正倉院の御物に道路が影響があってはいけないというのが、これが一番大事な問題でございますので、主として正倉院に対する影響を考えまして、宮内庁といろいろ打ち合せの上、宮内庁からの要望もございまして、それを条件にいたしたのであります。で、正倉院の北側、西側の道路を舗装することが一つであります。それから道路を作りました、その道路の両側に植樹をすることが一つでございます。それから、いまの舗装に至るまでは、道路を舗装するまでは散水するというような条件がございます。その他芝張り——芝張りと申しまして、切り取りによって露出した山はだを、できるだけ芝を張って、それを緑化するようにというような、大体四つの条件でもって許可いたしたのでございます。
  41. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 今仰せになりましたその条件は、何か書類にございますか。
  42. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) それは、お手元にたしかあると思いますが、二十九年四月二十日付の許可書に大体書いてございます。なお、これには、念証というのがございまして、会社から出しました念証の記載事項計画通りに執行するという条件がございますので、この許可書と、それから会社の念証を、両方ごらんになればわかるわけであります。
  43. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 その舗装は、正倉院の北側だけですか。
  44. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 北側と西側でございます。これは、北側の方は、一応舗装を終了いたしました。もちろんこれは、不完全でありますので、これは、会社に対しては、たとえば舗装の痛んだようなところは、できるだけすみやかに修繕するようにということは、警告を発しております。西側の方は、これはまだ実施いたしておりません。これは、許可後三年以内という条件でございましたので、まだその期限が来ておりません関係もありましょうし、まだいたしておりません。
  45. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 北側の道路は、これは公道ではないのですか。私有道路ではないのではないですか。
  46. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 北側と西側は公道でございまして、私有道路ではありませんので、条件といたしましては、やや酷に過ぎるのでございますが、しかしながら、正倉院に影響があっては大へんであるということで、この条件は履行いたしますという誓約をいたしましたので、さような条件をつけたのでございます。
  47. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 この観光道路そのものを全部に舗装させるという意味ではないのでございますか。
  48. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 許可の条件といたしましては、その北側と西側を鋪装することを条件にいたしたのでございまして、従って、山の上の方の道路は、舗装することは条件にいたしておりません。ただ、会社の方では、こればすぐにとはいきませんが、なるたけ早い機会において、下の方から順次に舗装をするということを申しております。
  49. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 正倉院御物の関係なんですが、私は、この間行って伺ったところでは、年間三万台、多い月には五千台の自動車が通る。正倉院の近くの道もさようでありますけれども、今仰せになりましたように、幅も五メートルであり、ずいぶん高いあそこへ五千台ものバスや自動車が通って、風向きからいえば、何も正倉院に近接の公道であるなしにかかわらず、観光道路そのものの塵埃というものは、相当正倉院には影響があると、こう私はしろうと考えに思うのでございますが、それがあるがために、道路の両側に木を植えるとかいったような条件もおつけになったのだと思うのですが、どうもこの観光道路に対して、文化財保護委員会の考え方というものは非常に弱い。普通の史跡じゃない、正倉院という世界的の宝物に対して、それの保管に当っておる当局としては、考え方が非常に弱い。この運搬の道路を既成事実としてお認めになったあとから、それに対して追随していくというような考え方は、どうも私は感心しないと思うのでございますが、いかがでございますか。
  50. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 許可いたします際には、宮内庁と十分打ち合せの上、それくらいの条件ならば、まず被害はなかろうというようなことでありましたので、許可いたしたいのでございますが、その後におきまして、これが相当地方でもやかましくなり、あるいはこの道路によりまして、自動車のほこり、あるいはまた排気ガス等が御物に影響を及ぼしはせぬだろうかというような疑念をその後において持ちましたので、その点につきましては、宮内庁におきましても、以前から正倉院の環境の研究を始めておられましたので、文化財保護委員会といたしましても、念のために、これほどほど重要な問題であるからというので、東京文化財研究所に命じまして、正倉院付近の環境の研究を現在いたしておるのであります。昨年の五月から研究を始め、ただいますと続けておりますが、要するに正倉院の環境の、空気の汚染の状況はどうであるか、ほこり並びに排気ガスが正倉院の御物に影響を及ぼすかどうかというようなことを主として目的として研究したのでございますが、環境は、確かにこれは、ある程度の空気汚染はあるということが判明いたしましたが、それが正倉院の御物の、中に現在保存されております物に対して直接の影響があるかどうかということは、ただいまの試験では、まだ断定はできない。おそらく現在の校舎の中に、ケースまたは箱の中に納められておる御物に対しては、直接に影響はまずあるまいというような中間的な結論でございますが、これはしかし、なかなか重要な問題でございますので、将来ずっと研究を続けていきたい、かように考えております。
  51. 亀田得治

    委員長亀田得治君) ちょっと速記をやめて。    〔速記中止
  52. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 速記を始めて。
  53. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 知足院の北側のすでに許可された路線——あとで地主が売買契約を取り消したために無許可路線ができたわけですが、その許可路線を仮に通っても、正倉院の御物に影響ないというお認めで、許可されたのですか。
  54. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 許可の当時は、先ほど申し上げました、会社に対する条件を会社が履行しまするならば、まず差しつかえないだろうということで許可いたしたのでございます。
  55. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 その許可路線に対して、後に取り消された許可路線に対しては、舗装は条件になっていないのですか。
  56. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) それはなっておりません。
  57. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 無許可路線が、今すでに無許可であるにかかわらず、自動車が通っておることに対して、文化財保護委員会としては、どういうふうにお考えでありますか。
  58. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) それは、最初の路線のごく一部が、正倉院のすぐ北側から山へこれから上るというところの一部分でございますが、約四百メートル、その一部が土地の所有者が売らない。その土地を売らない。初め売ることになっておったのでありますが、売買契約を解除したということによりまして、やむなく路線をその北側の方に変更してきたものでありますが、その変更の路線につきましても、ちょっと先ほど言い忘れましたが、やはり運輸、建設省は認可いたしたのでございます。文化財委員会の方でいろいろまあ慎重に考えております間に、運輸、建設省は認可してしまった。従って、事実において自動車が通っておるという現状になってしまったのだと、これはまあ、非常に遺憾なことでございますが、私どもといたしましては、その新しい路線を、これを認可すべきかどうかということについて、できるだけ早く結論を出す、出して、許可すべきものは許可するように、そういうふうにいたしたいと思っておったのでありますが、いろいろと、先ほど申しました、研究のある程度の見通しもつける必要があると思いましたし、それからまた、その後におきまして、宮内庁、運輸省、建設省とも、なお念を入れまして、いろいろと打ち合せをしておったというような関係で、御承知のように、まだ新しい路線の変更は認可いたしておりませんが、実際の状態におきましては、すでにまあ道路は開通しておるということでございまして、はなはだ遺憾なことに思いますので、すみやかにこの問題は解決したい、かように考えております。
  59. 松岡平市

    ○松岡平市君 ちょっとお聞きしますが、さっき運輸省、建設省があなたの方の同意を得ずに認可したことは、はなはだ遺憾であるといって、あなたの方は厳重に注意した、最初。ところが、今度は前の道路でない、今昔われた無許可道路というものも、今度またあなたの方の同意なしに運輸省は許可してしまった、こういうふうな御説明ですが、その通りでございますか。そうすると、あなたの方の最初の運輸省に対する抗議というものは、何らの効果がなかった。その程度の抗議しかできないものか、しなかったものか、われわれちょっと、こう二度にわたって文化財保護委員会というものは全く無視されて、運輸省なりあるいは建設省も関与したならば、建設省なりが路線の認可をしてしまった、こういう、まことに容易ならない事態があるように思うのですが、この点を一つはっきりして下さい。
  60. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) おっしゃる通りその二度目におきましても、文化財委員会が路線の変更を認可する以前に、運輸省、建設省が認可した、まことに遺憾でございますが、非常にその間、期間が長くたちましたのが一つの原因かとも思いますが、私どもといたしましては、非常にこれは遺憾なことで、先ほど言いましたように、その後におきまして、十分一つ両省で連絡をとって、現状におきましては、各省の間に何ら意見の相違がございませんが、その二回にわたって、私どもの許可前に他省が許可したということは、実に遺憾でございます。事実はそういう状態でございます。
  61. 松岡平市

    ○松岡平市君 現状におきましては、話し合いをしておりますとおっしゃるが、二度にわたって、初めの場合は知らなかったものか。初めの場合は、先ほどの八木先生の質問に対して、あなたの方は十分遺憾であるという意を表した。その同じ場所で、二度目にやられたときには、一体文化財保護委員会は、運輸省なら運輸省に向ってどういうことを警告されたのか。そしてまあ何か長い期間にわたっておったからとおっしゃるが、それは、文化財保護委員会がそれに対して態度決定することが非常に長かったために、運輸省がしびれを切らして、そうしてもう文化財保護委員会を無視して認可をしたのか、その辺のところが事情一つもわからぬ。非常に重大なることは、将来の文化財保護についての少くとも運輸省の態度、あるいは建設省の態度というものは、容易ならぬものがあると私は思うのだが、その辺のところを一つよく御説明を願いたい。
  62. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 事実はただいま申し上げた通り、要するに結果としてまだ私ども態度を決しない以前に、他省が認可したということになりますが、それはやはり、一つは非常に長い問題であったからやったことでございますが、もう一つは、最初の路線と今度変更になります路線とは、きわめてわずか距離も隔たっておるということだけでありまして、路線全体から見ますならば、まずそう大した違いはない、こういうような状態もありまして、運輸省としては、おそらく相当期間もたっておりますし、文化財委員会も許可をするであろうというような予想のもとに、許可したのではなかろうかと思っております。
  63. 秋山長造

    秋山長造君 今の松岡さんの質問は、これは法律的な扱いがどうなっておるのかという質問だと思うのです。こういう場合の許可不許可の扱いをする場合に、あなたの方と、それから運輸省の方との合意を必要とするのか、それとも合意はなくても、勝手に運輸省だけで許可できるのかどうかということを聞いておられるので、ところが、あなたの御答弁は、その点はどうもあいまいで、ただ結果として、そうされたのは、あなた方の立場としては不都合には思うけれども、結果的にはまあ大したこともないので、まあ我慢できぬこともないというような、便宜論みたいな御答弁があったのですけれども、まあそれはちょっと受け取り方が違っているのじゃないかと、法律的に、こういうものの扱いをする場合に、あなたの方と運輸省あるいは宮内庁との三者の合意を必要としておるのかどうか、合意がなくても、運輸省単独で、勝手にどんどん許可したり、あるいは却下したりすることができるのかどうかということを私は聞いておられるのだと思うのですよ。私らも、その点ははっきりしておきたい。
  64. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 法律上は、これは別個の、道路運送法と文化財保護法は別な法律でございますから、別個の権限でそれぞれの許可を主管庁がするというふうになっておりまして、特にそういう場合に、お互いに協議せよというようなことは、法律には書いてございません。ただそれでは、国家意思が二つに分れて非常に困りますので、そういう場合には、事前に打ち合せをやりまして、そうして双方の意思の食い違いのないようにいたさなければならぬ、また、すべてそういうような方針でやっておる次第でございます。
  65. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 さきの御説明のうちに、運輸、建設省で許可しました際に、その条件の一つとして、文化財委員会ですか、その方で許可になれば、建設の方は許可するということになっておるという御説明であったように聞きましたが、そうでございますか。
  66. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) そうではございませんで、運輸、建設では先に許可をいたしまして、そうしてその許可書にこう書いてあるのです。文化財保護委員会の許可を受けて、そうして工事を始めるようにというふうに書いてあるのです。
  67. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 そうだとすると、あなたの方が二十八年の何月かに許可された、その前には工事に着手することはできない、許可書ですね。運輸、建設省、あなたの方の許可を条件として許可書が出ておるわけでしょう、運輸、建設省から。だから、その前に着工することはできないわけなんです。もう一ぺん言いかえますというと、運輸、建設の許可書というものは絶対的なものではなくして、あなたの方の許可を条件とした許可書である。その条件が満たされない前に着工するということはできないわけじゃありませんか。非常にどうも今の御説明ではそういうふうに解釈すべきではないかと思うのですが。
  68. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 工事施行の認可申請は、文化財保護委員会の許可書の写しを添えて、二十九年の十一月十一日までにこれを出すことというふうになっております。
  69. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 その前に工事に着工するということはできないわけじゃありませんか。あなたの方で許可される前は。二十八年に許可書が出たのですか。
  70. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 二十八年の十一月に運輸建設の許可が出まして、私どもは二十九年の六月に認可しておるのであります。
  71. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 あなたの方の許可書の出るまでは着工することはできないわけですね。そういう条件を無視して、それに着工してやってしまったと、こういうことですか。
  72. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) そういうことでございます。
  73. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 そうすると運輸省、建設省の言いわけとしては……。
  74. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 平間課長から申し上げさせます。
  75. 平間修

    説明員(平間修君) 今言われた通りでございまして、こちらの許可は二十九年の六月二十六日、従って観光道路といたしましては、こちらの許可のある前に着工しております。ただ、その前に私鉄道の、運搬だけの道路だけは大体できておった、こういうことでございます。
  76. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 観光道路であろうが、運搬道路であろうがですね、史跡内の現状を変更したということは同じことなので、つまり許可の前にどんどんやっているということには間違いないのですね。
  77. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 許可する前にやっているのですね。
  78. 平間修

    説明員(平間修君) 会社の私鉄道の開始と、その運搬は許可なしにやったことは事実でございます。
  79. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 規則違反でやった場合に、あなたの方の権限としてはどういう権限があるのですか。ただ見ていて、やっちゃってしまったから仕方がないということですか。それとも何か強い権限でも、法律でも持っておられますか。
  80. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 規則違反の場合には、あるいは罰則の適用もございますし、また原状回復の命令等もいたします。この場合は非常に長い問題でございまして、もうすでに四、五年も前からの問題でございますけれども、とにかく文化財保護委員会の許可前に工事したことは事実でございますから、その点は強く会社側に反省を求めて、今後そういうようなことは絶対ないようにというように、厳重な警告を加えたのでございますが、その場合に会社といたしましては、最初に申し上げましたように、史跡であることを知らなかった、これは確かに事実のようでございます。そういうようなこともございまして、今後必ず保護法に違反しないようにいたしますし、また許可の条件等も必ず実行する、こういうかたい誓約がございまして、県知事、県の教育委員会等といろいろ打ち合せの上、奈良県知事が先ほど言いましたように、これは県知事のあっせんの道路でございまして、路線につきましてはいろいろ案があったのでございますけれども、奈良県知事がこの案でもって解決したい、こういうような意見の申し出があり、また上申書がございましたので、それらの事情をすべて総合いたしまして認可したというような事実でございます。
  81. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 史跡であることを知っていたか知らないかということ以前に、許可なくしてやってしまったということが根本的に悪いのです。どういう事情知事が中に入ったか、それがまたおかしい。それをまたそのままにお認めになるのがおかしい。こういうことになっていくのです。何か妙なことがあったのではないかという疑惑を受けないとも限りませんよ。
  82. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) これは文化財保護委員会といたしましては、史跡の保存をどこまでも本旨とするということは申すまでもございませんが、しかしながら、同時に、たとえば私鉄道の問題、これは食糧増産というようなこともございます。そういうふうに産業資源の開発とか食糧問題であるとか、あるいは観光の問題であるとか、電源の開発とか、いろいろございますが、そういう他の公益の問題との調整もやはり考慮していかなければならないと思います。非常にいろいろな事件がございますが、できるだけ史跡の本質を守りながら、やはり他の問題もあわせて考えて、個々の問題として解決をいたしております。これもやはりその一つの問題かと存じまして、いろいろ問題はございましょうけれども、それらのいろいろな事情を考えあわせて、影響がないように解決していきたい。史跡といたしましては、これは旧東大寺の境内、こういうことで史跡になっております。史跡そのものの本質的な価値は、道路によりましては影響を受けることはさほどないであろう。むしろ正倉院の方にどういう影響を与えるかということになっております。
  83. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 何研究所でしたかね、今被害があるかどうかを研究する……、まだ結果が発表にならないが、これが被害があるということがはっきりした場合には、あなたの方としてはどういう措置をおとりになることができますか。
  84. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) この被害は先ほど言いましたように、環境の調査といたしましては、やはり空気が汚染しているということは事実でございますが、正倉院の中の御物にどういう影響があるかどうかという問題であります。ただ正倉院側で非常に研究され、その保存方法のことにつきまして、あらゆる工夫をされておる。しかもその保存方法の改善ということも相当考えなければならぬ、また結論といたしましても、道路に付帯いたしました許可の条件ですが、たとえば舗装するとか、木を植えるとか、水をまく、そういうふうに状況をよくするならば、おそらく正倉院の御物に与える被害もあるまい。いろいろそういう条件の履行と正倉院側のいろいろな保存方法の改善というようなことも、あわせて考えていかなければならぬ。
  85. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 許可の条件をつけて許可されているわけですね。あなたの方としては、その許可をやる以上、この条件を追加することが法律上できますか。
  86. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 新しい条件を加えることは、法律上はできるかと存じますが、実際問題として非常に困難だろうと存じます。
  87. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 法律でできる、それはどういう条項がありますか。普通の条件が満たされた場合に、その次に条件をまた出されたのでは、許可を受けたものは困る。何のための条件かということになってしまうことが多い。どういうふうになっておりますか。おそらくあなたの方は、不満の場合に、条件を満たした場合でも、さらにこれだけのことをしてくれということをおっしゃる、そのおっしゃることに服従するであろうと想像されますけれども、がんばった場合にどうすることができるかということを法律的にお尋ねしているわけです。どなたでもけっこうです。
  88. 平間修

    説明員(平間修君) それは条件の中に、われわれとしては、これは普通どの場合でもございますが、その地方の教育委員会の指示に従え、こういう一項が必ず入っているわけであります。ですからつけ加えるような条件がございますならば、その指示の上においてやることができると思います。従いまして、その指示に従わなかった場合は、会社は条件に従わなかった——条件違反、こういう結果になると思います。
  89. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 その教育委員会の指示を新たに何べんでも出せるということになりますか。
  90. 平間修

    説明員(平間修君) 包括的な教育委員会の指示、こういう条件でございますので、その史跡の保存上必要と思えば、そういう指示はできるわけであります。
  91. 竹下豐次

    ○竹下豐次君 私ここに申し上げておりますのは、法律上の権限をあなたの方でしっかり把握しておられますれば、押しがしっかりきくということなんです。そういうことを考えておるから、こういうしつこいお尋ねをしておるわけです。ところが今言うようにしておりますと、向うは営利会社です。あなた方がお考えになるほど文化財を貴重に考えておるかどうか、それは大いに疑問を持たなければならないわけです。だからよほどふんどしを締めておかかりになりませんと、あとで研究の結果、弊害があるという場合に、それをほんとうに防止することができるかどうか心配せざるを得ない、かように思いますので、こういうふうにきつい御質問をするわけであります。
  92. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 ほかにはあまり例がない。文化財保護委員会と、運輸省、建設省とが三者がよく連絡をしてからこの史跡の現状変更等を従来やっておったのに、この場合では、二十八年度のときでも、文化財保護委員会にはあとで相談があった。また新しい後の許可路線の場合も同様なことが繰り返されておる。今松岡委員秋山委員また竹下委員からもお話しがありました通り、これは相当重大な問題だと私は思います。そこで運輸大臣、建設大臣官房長官、あるいは文部大臣といったような関係各省の大臣においでを願って、この問題を継続審議で、次の委員会、適当なときにもう一ぺんあらためて時間をゆっくりとって究明したい、かように考えますので、その点を委員長にお取り計らい願いたいと思いますのと、もう一つは、未許可の路線はまだ許可になっておりませんでしょうね。この点を確めておきたい。
  93. 岡田孝平

    政府委員(岡田孝平君) 本日現在でまだ許可いたしておりませんが、ただちょっと申し上げますが、文化財保護委員長が先般更迭がございまして、そして新しい河井委員長が最近実地視察をして参った。実はこれは衆議院の方の文教委員会でもいろいろ問題があったわけでございますが、衆議院の方の意向といたしましても、新しい河井委員長実地視察いたしまして、その責任においてこの問題を早く処理していただきたい、こういうことでございます。先般視察されまして、その結果部内でいろいろただいま協議をいたし、さらに専門審議会でも審議いたしておりますが、前に許可いたしました路線と今度の路線とでは、本質上大差はないのでありますから、やはりこれは新しい路線を、この際厳重な新しい条件を付しまして、そうして許可したらどうだろうか、かような大体の結論になります。ただし、きょう現在でまだ許可書は出しておりません。
  94. 八木幸吉

    ○八木幸吉君 文化財保護委員委員長がおかわりになりましたので、河井委員長直接の御意見も私どもとしては聞きたいですし、前に許可されて運輸省の方面から取り消された許可路線にもすでに問題があるし、この許可路線に近いからまあよかろうといったようなことは、私どもは納得ができないのです。私どもが見ればこれは雑司町と申しますか、あの方のはるか北の方の国道線の方へ新しい路線をつければ、正倉院に対する影響が割合に少い。私は現地を見て、今問題になっている前の許可路線、未許可路線なんか問題なくこれは取り消すべきものだという私は考えを固めて実は帰ってきているのです。ですから私は文化財保護委員会に対しての希望といたしましては、前の許可路線に近いから今度もよかろうといったような、そういうごく既成事実をもとにした判断でなしに、もっと大きな見地から、世界的のこの正倉院の御物をいかにして保護するか、一営利会社の営利と天びんにかけてどうだという……、もう少し文化財保護という本来の使命に徹した対策を私は希望しているのです。でありますから、今河井委員長が御病気であれば、何も一刻も争ってやるべき問題でなくて、現に厳重な条件がついておっても条件は、こう実行されていないというくらいな不誠意の会社を相手にして、何も委員長が病気で休んでおるのに大体それにきめるというようなことは、文化財保護委員会の本来の使命から考えて納得ができないのであります。でありますから、どうかそういう点も御考慮になりまして、当委員会でもいろいろと御審議いただくことと思いますので、軽々にこのことをきめないようにということを特に強く要望いたしておきまして、次の機会にあらためてこれを御審議下さるように委員長にお願いいたしておきます。
  95. 亀田得治

    委員長亀田得治君) それじゃ時間の都合もありますので、本件に関しては理事会等で相談の上、あらためて審議することにいたしたいと思います。   —————————————
  96. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 引き続きまして国の防衛に関する調査のうち、昨日の自衛隊輸送機墜落事故に関する件を議題に供します。本件に関し、防衛庁当局からただいままでに把握された範囲内でけっこうですから、状況報告を一応お願いいたしたいと存じます。
  97. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) ただいま委員長のお言葉によりまして、昨日起りました航空自衛隊の事故につきまして御報告を申し上げます。  昨日午後六時半ごろ、航空自衛隊に属しまするC46という輸送機が美保の飛行場に着陸をいたしまする寸前事故を起しまして、塔乗者十七名でございまするが、現在のところ大体全部の人が殉難をされたと認められる事態が発生をいたしました。まことに申しわけなく、遺憾千万に存じます。事故の起りました概要を申し上げますると、このC46という飛行機は、航空自衛隊の美保の輸送隊が持っておるものでございます。もともと米国から相互防衛援助協定に基きまして供与をされた飛行機でございます。だんだん操縦訓練その他ができて参りまして、現在は訓練のために定期便を行いまして、主として定期便としては緊急輸送を要しまする部品類を送る、また定期便という形において必要な人を輸送する、あるいは陸の落下傘部隊の訓練に参加をするというふうなことをいたしておる飛行機でございます。昨日はこの定期便が美保を出まして立川に参りまして、そうしてまた美保に帰って参りました。最後の美保到着の場合に事故を生じましたわけでございます。午後六時半ごろに美保の上空に到着をいたしました。当日は雨が向うの方は降っておりました。御承知のように現在は日没が大体美保の方面で午後六時でございます。雨が降っておりました関係で、相当に暗く相なっておったのでございます。雲の高さは大体六百フィートくらいであったのであります。一応視界は、見えまする限りは約三マイルというふうな状況で入って参りました。美保の飛行場は盲目着陸誘導装置と申しまするか、電波誘導の着陸装置を持っておるわけでありまするが、通常美保の飛行場は多くの場合西風が恒風でございます。従って東の方から着陸をいたすというのが通常の事態でございまするが、当日は北東の風が吹いておりまして、大体逆の形になりましたのであります。そうして通常恒風の場合に東の方から着陸をしまする場合には、着陸装置が完全に最後まで作用ができるのでありまするが、西の方から入って参りまする場合には山がありまする関係で、着陸装置の効用は東のように参らないという事情のある所であるわけでございます。雲の高さは六百フィート、視界は約三マイルと申し上げましたが、当日の風は大体秒速六メートル余りというふうになっておったのでございます。そうして東の方から入って参りましたこのC46が、そのまま着陸が風の関係でできませんので、一度西の方へ回りまして、大体六千フィートばかりでずっと帰ってきましたが、飛行場が近くなりまして、GCAの誘導で五百フィートの雲の下へ出まして、そして風の方向を考えあわせまして西の方へ、中海の方へ入ったわけでございます。中海の方から回転をいたしまして、飛行場に着陸をしようとして五百フィートよりもさらに高度を下げたのでございまするが、この際は目撃者がおるわけでございまするが、北東の風に押されまして旋回をした場合に若干——旋回をして滑走路にまっすぐ入って着陸をしようとしたのでありまするが、若干風に押されて南の方へ下りましたので、そのまま着陸ができなくて、飛行場を通り抜けて東に出まして、北の方へ旋回をしまして、そうした場合の着陸の普通の型に従いまして、北の方から西へ旋回をいたしまして、さらに東へ回って着陸をしようとした際、海の中へ突っ込んだ、突っ込んだ状況は目撃者も見ておらなかった、見えなかったわけであります。初め東から参りまして、南の方から回って着陸しようとして少し押された際にも、飛行機についておる標識燈等を下で見張っております者が見失ったということが二、三度あったようであります。これは相当の驟雨性のシャワーが下りた場合と、下の方へ小さい断雲があってそれにさえぎられたというふうに認められるものであります。そうしてうまく滑走路に入りませんので、一応東に出て北へ回って、さらに東へ旋回をしようとしたところでも、やはり下の方で見張っておりました者が、この飛行機の標識その他を見失っております。その際に相当の驟雨があったものというふうに下の方では認めておるわけでございます。北の方から最後の形で回って参りましたときには、だんだん旋回しつつ高度を下げまして、百フィートぐらい、あるいはそれ以下にまで下っておったものと認められるのでありまするが、そこのところで、原因は今まだ申し上げることのできる段階に至りませんが、大体海に突っ込んだものである。落ちました所は、まだ基地の隊長が今参りまして報告を聞いたばかりでありまするが、水深は、あすこの中海は深い所で四メートルということでございまするが、四メートルよりも浅い所に突っ込んでおるものと思いまするが、旋回をした形のままで、従って左翼を下げまして頭を突っ込んで水の中に入っておる。右翼と尾翼が先に発見されたという形で、そこの海の底は粘土質のようであるということでありまするが、そこへ飛行機を突っ込んだままで入ったという状況で遭難をいたしたわけでございます。遭難をいたしますと同時に、見張りの者その他で遭難をした状況がわかりましたので、自衛隊の方からゴムボートその他を出し、海上保安庁から巡視艇を出していただき、消防団その他から漁船その他の応援を得まして、米軍の方からも機艇その他を出してくれまして、直ちに捜索をし、大体飛行場の端の所から八百メートル余りの所に突っ込んでおるのを発見をいたしたわけでございます。直ちに救助作業に当り、潜水夫等を入れまして、今朝三時頃までに五体の遺体を収容いたしましたが、この遺体は飛行機の外に出ておって、下の土の所にあったということを、今隊長の報告で聞いたのでございます。飛行機の窓などは開いておらないので、隊長の推測によりますると突っ込んだ際に機体がどこか裂けて、そこからこの五名の人は外に出たのではないか、五名のうち三名は全然水を飲んでおりません。二人は若干水を飲んでおるということで、やはり遭難としてはショック死ではないか、その後さらに四体ばかり遺体が上っておりまして、現在のところでは九体の遺体が上っておるわけであります。こうした現場の救助のほかに、防衛庁ではちょうど空幕の水町将補が防府の方に行っておりましたので、即夜この方へ派遣を命じまして現在参っております。今朝事故調査委員会を、こういう大なる事故がありますると、組織をいたすのでありまするが、航空幕僚副長秋山空将を長といたしまする事故調査委員会組織をいたしまして、関係者を今朝美保の方へ急派をいたしまして、現在その事故調査を徹底、綿密に行わせておるところでございます。この飛行機は先ほど申しましたように、アメリカから供与を受けたものでございますが、製造年月日は大体昭和十九年でございます。一、二年のズレはあるようでありますが、大体昭和十九年、一九四四年の製造にかかるものでございます。そうしてこれを使いまする使い方は、大体機体の方、ボディーの方は、三年に一回くらいの割合で、アイランと申しまするか、オーバーホールをいたします。その途中において不工合を発見しますれば、オーバーホールをいたすのでありまするが、通常の状態でいきますると、三年に一回ぐらいのオーバーホールをやるわけでございます。そうしてエンジンの方は、米国の方では新しいエンジンを基礎としてのオーバーホールの大体の基準は、千二百時間を飛びましたときにオーバーホールをいたすのでありまするが、わが方ではいろいろな意味で安全率をとりまして、七百時間でオーバーホールをいたすというふうにいたしておるのであります。この遭難をいたしました機体は、一度オーバーホールをいたしましてからの時間で考えるわけでございまするが、オーバーホールをいたしましてから千二百八十二時間を飛んでおるものでございます。オーバーホールをいたしました時期は、三十年の初頭でございます。そうして発動機の方は、左右違うわけでございまするが、七百時間で大体オーバーホールをいたしまするが、この場合のは、右発動機がオーバーホール後百十三時間、左エンジンがオーバーホール後五百九十七時間を経過をしておったわけでございます。C46は、一度いろいろ部品がうまく間に合わないで、整備が順調にいかないで、稼働機数が少いという御批判を受けたこともありました。現在ばこの機種は新しく製作はいたしておらない機種でございます。製作はもうとまっておる機種でございます。ただし、米国を初め、欧洲方面東洋方面においても、現に使用は至る所でされておる機種でございます。一度部品等も製作が中止されておりましたが、最近では、やはり相当機数が世界中で動いておる関係で、部品等もまた製造を再開をしたというふうなことになっておりまするが、昨年あたりは防衛庁においてもこの部品の入手が相当不円滑でございまして、相当機数が修理にいったまま動けないというふうな事態もあったのでございまするが、その後部品の入手に努めておりまして、現在は三十機、今度の遭難をしましたものを合せて三十機をもらっておるわけでありまするが、三十機のうちで十六機が現在稼働をいたしております。そして二機は整備学校の教材として使っております。残余のものは、部隊におきまする部隊整備と、その多少上の段階の部隊における野整備という段階で整備をいたしております。二十八機中二機は教材機でありまするが、二十八機中十六機が稼働をしておる。六〇%ちょっとたりませんが、大体その程度の稼働率を持っておりまして、整備運航の関係においては大体標準を保っておるものでございます。一九四四年の製作であるので、非常に古い、非常に、いわゆる端的にボロ飛行機だという批評もときどき受けたことのある飛行機でございまするが、米国初め諸外国においてももちろんなお使っておる飛行機でありまするし、機体のアイランを行い、エンジンのオーバーホールを適切に行なっていきまするならば、運航上もちろん支障のある飛行機ではございませんで、防衛庁において、落下傘部隊の使用なり、あるいは訓練の意味における定期便なりを支障なく遂行いたしておる、そういうふうな形に相なっておるものでございます。この遭難をいたしまするまでの基地のコントロール・タワーに対する通信は、ずっと最後の段階まで連絡がとれておりまして、機体なりあるいはエンジンなりに不工合があるという通信は基地のタワーは受けていなかったわけでありまするので、現在のところ、われわれとしても機体、エンジンのための事故でないのではないかというふうな想像をいたしておりまするが、まあ事故につきましては、厳重に調査をいたしまして、的確な真相を把握いたしまして、かような事故が再び絶対に起りませんように、あらゆる工夫と努力をいたしたいと考えておる次第でございます。  遭難をいたしました十七名は、美保飛行隊に属して、この飛行機の乗組員が六名でございます。主たるパイロットは佐藤と申しまする三佐、副パイロットは岩本と申す三佐でございます。主操縦者は操縦時間の経験としては三千百時間、これはもとの海軍において操縦経験を持った者であり、自衛隊に入りましてからさらに基本的な訓練から再訓練を受けまして、計器飛行——夜の盲目飛行の証明の第一級に属しまするグリーン票を持っている、操縦者としては腕のいい操縦者ということを空幕から報告をしております。副操縦士の岩木三佐は、もとの陸軍の操縦士経験者でありまして、千九百時間の経験者である。これもやはり自衛隊に入りましてからさらに基本訓練からの再教育を受けましてやっておったもので、これはまあ第二級に属しまする白票を与えられておる操縦者でございます。そのあとは整備員なりいろいろな者が四人、六人がこの乗組員でございます。そのあと七人自衛隊の者が乗っております。この乗っておりまする者は、美保におりまして、整備のために浜松の学校へ行っておりまして、業を終えて帰るためにこれに乗り合わしました者が二人、それからこの飛行機に乗りまして疲労度の検査をするというような仕事をやるために乗っておりますのが一人、パラシュートの整備の実習をするというために乗っておりました者が一人、それから機上における食物の研究のために乗り合わせておりました者が二人、今申し上げたのが六人、もう一人は陸軍の自衛隊の西部方面総監部の輸送機の三等陸佐でありまするが、これは飛行経験のため、及び打ち合せのためにこの飛行機に乗り合わしたものでございます。そのほかに航空情報の主幹と編集長二人、これは民間の方を乗せる場合には長官の承認を要するわけでありますが、基地めぐりをして取材をするということで、防衛庁としても広報活動の援助という意味で、この搭乗を承認をいたしまして、乗っておられた方が、まことに残念なことに遭難をされたのであります。そのほかに二人乗っておりまするが、これは米軍の中尉、ドナルド・E・デュベエ、三等軍曹のC・M・ボーンという二人であります。これは陸軍の自衛隊の業務関係にありますものは、お互いに私事にわたらない場合に航空機に搭乗を認め合うというやり方をしておりまして、この二人は立川から美保において勤務しておるものでございまして、搭乗を承認をして乗せましたところ、不幸、事故にあったということに相なっております。現在までのところは佐藤、岩本正副パイロット、二曹の野村、乗員ではこの三名、自衛隊で乗っておりました入山二曹、丸山三曹、古渡三曹、川井技手、この四人、それから航空情報の編集長の馬場さん、それから米軍の中尉のドナルド・E・デュベエ、この九人の遺体を先ほどのところで収容をいたしておるわけでございます。一挙十七名の遭難者を出すという、非常なる事故を出しまして、まことに遺憾しごくに存じます。  先ほど申しましたように、関係者、権威者を、私どもの方の権威者をすぐって、また技術研究所の権威者をすぐって参加をせしめ、この真相の究明を徹底的に行いまして、再びかような事故を生じないように万全の措置をいたしたいと懸命の努力をいたしておるのであります。
  98. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 本件に関し御質疑のある方は順次御発言を願います。
  99. 田畑金光

    ○田畑金光君 増原次長からお話承わりますと、この事故の原因は、飛行機のエンジンその他の故障によるものではないようにお聞きしたわけであります。ことに私自身といたしましても、一月二十七日に、内閣委員会で美保航空基地視察いたしました折に、伊丹の飛行場からこの美保飛行場の間を、C46に乗って現地を見て参りました関係上、特に今回の事件というものは非常に遺憾しごくに考えられるわけでありますが、先ほどのお話を承わりますと、事故の原因というものは、むしろ当時の天候等に原因するようにお聞きしたわけであります。非常に視界がきかなかったこと、あるいは雲が多かったこと、驟雨があったこと等、こういうようなところに原因があるかのようにお聞きしたわけでありますが、一方また操縦者等については、一級あるいは二級の優秀なパイロットだった、こういうことになって参りますと、原因というものは、そういう天候の関係によるもののようにお聞きするわけでありますが、その点ほどうでしょうか。
  100. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 先ほども申し上げましたように、原因につきましては、十分各般の事項を徹底的に究明いたしませんと、まだ申し上げる段階に至らないわけでありまするが、今一応現在まで事態を明らかにしましたところでは、機体、エンジンの故障ではないように思われるということをつけ加えたわけでございます。仰せの通り、当日は、事故の起きましたのは六時四十五分ころでございますが、六時が日没、雲が六百メートルのところにありまして、これが二層になっております。千百フィートのところにも次の層がある。そうして間歇的に驟雨がくるというような状態で、非常にもう暗くなっておりました。それと驟雨があったこと、もう一つは、ここの飛行場は恒風が西から吹いておりましたのが、当日は非常に残念なことに東北、大体逆に風がなって、逆に着陸をしておった。そういうふうなことがやはり事故の原因の一斑をなしておるのではないかというふうに考えておりまするが、原因につきましては、至急にあらゆる角度から徹底的に究明をして真相を報告いたしたいと存じます。
  101. 田畑金光

    ○田畑金光君 当日の天候のような、風速あるいは雨その他いろいろな航空気象の条件があるわけでありますが、当然その離着陸は困難である、そのような航空気象条件であるとするならば、基地相互の連絡等によって未然に事故の防止等もできるはずと考えるわけであります。にもかかわらず、美保から立川に飛び、立川から美保に帰ってきた、その着陸直前の事故であったわけでありますが、過去のこういうような事例等、特に過去において、こういうような気象条件のもとにおいて、天候の条件等においても再々航空訓練のために離着陸をしてきたのかどうか、この点はどうですか。
  102. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 着陸が適当でないということでございますれば、もとより連絡をいたすわけであります。下の方で見張りをして着陸を迎えておったものもあったわけでありますし、コントロール・タワーにも係のものがちゃんとおったわけでありますが、着陸不能もしくは困難とは判定をしませんで、着陸もとより可能と見ましたので、着陸をするなという合図はしなかったというふうに聞いております。
  103. 田畑金光

    ○田畑金光君 コントロール・タワーからの無電誘導等については遺憾なくとられていたのかどうか。特に着陸直前のコントロール・タワーからの無電誘導ですか、こういうような点等については遺憾なく措置されていたのかどうか、こういうようなところに問題が相当あるように見受けるわけでありますが、この点はどうですか。
  104. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 細部につきましては、なお詳細に調査をする必要がありまするが、大体のところは、この着陸装置によって誘導をされました以後、至近距離になって参りまして高度を下げましたあとは、こういう状態のときには、もう自分の目で見て着陸をするという段階に入っておったようでありまして、しかしコントロール・タワーとの連絡は最後の瞬間よりちょっと前まではあったようであります。その際には、故障があるというふうな意味の連絡はなかったということをコントロール・タワーでは申しておるわけでございます。
  105. 田畑金光

    ○田畑金光君 今までC46に関する事故等はあったのかなかったのか、あったとすればどのような程度の事故であったのか、私たちがついこの間乗りました節にも、この点についてはお尋ねをしたわけであります。われわれ自身、一月二十何日、伊丹から美保まで飛びましたとき、また帰るときも、相当雲があって非常にわれわれ自身乗っていて不安を感じたわけです。大丈夫だろうかと、実は乗っていてしょっちゅうそういうような気持で往復したわけでありますけれども現地の高橋隊長からいろいろお話を承わりましたが、訓練のために、遠くは北海道の千歳に飛ぶ、あるいは九州の方にも訓練しておるが、事故らしい事故はほとんどなかったという、こういう話等を聞きまして、そういうようなものだろうかと、こう実は思って聞いたわけでありますが、従前C46に伴う事故等があったのかなかったのか、これを一つお聞かせ願いたいと思います。
  106. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) あるいは新聞等で御記憶があるかと思いまするが、昨年の三月一日、築城の部隊を始めまする式をやりましたそのときに、東京からお客さんを乗せまして参りました飛行機が、帰りぎわ、大島上空あたりで右エンジンが発火をいたしまして、これはエンジンをストップすることによりまして火が消えたわけでありまするが、片肺になりまして、左エンジンだけで羽田空港に着陸をしたという事故がございます。この際には、報道関係の人々をこの飛行機に乗せておったわけでございます。これは右エンジンの故障であったわけでありますが、それ以外には、小さい故障はあると思いまするけれども、いわゆる故障、事故と申すようなものはないわけでございます。
  107. 田畑金光

    ○田畑金光君 承わりますと、一九四四年の製作で、しかもこの飛行機を製作したアメリカのカーチス会社等はすでになくなっておる、こういうような飛行機のようでありますが、部品等の整備についても、従って相当整備に困難な点があるようにも聞いておるわけであります。三十機のうち、整備学校に向けられておる二機を除くと二十八機であり、うも十六機が動いておる、こういうような話でありまするが、非常にこの製作年次等から申しましても、日に日に航空機というものは更新されて行くこの時期において、MSA供与兵器という形で、非常にわれわれとしては危険な飛行機が供与されておる、こういうような印象を受けまするが、この点については防衛庁としてどういうようにお考えになっておられるのか。
  108. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 仰せの通り、これは正式としましては、もう古いものでございまして新式ではございません。われわれの希望としては、新しい形式のものを作るか、あるいは米国から供与を受けるか、新しい形式のものをほしいことはやまやまでございます。しかしこの飛行機は、形式は古うございますが、輸送機として使用しまする場合に、その目的を達し得ないというものではございませんで、先ほども申しましたように、まだ米国でもこの古いものを一部使っておるし、欧州方面、その他東南ア方面でもこれを使っておる状態でございまして、もとより飛行機の日進月歩という点から考えますれば、新しい形式のものがさらにいい能力を持っておることはもとよりでございまするが、さらば新しいものを買うというわけにもなかなか参らぬ情勢でございまして、旧式でありましても、機体及びエンジンのアイランなり、オーバー・ホールを適切に行いまするならば、輸送の目的は十分達成することができるし、また古いもののために危険であるというようなことはほとんどない。これは技術者その他も明確に確信を持てるところでありまして、ただオーバー・ホールその他を適切にやる。部品の補給は、仰せのように新しいもののようにはなかなか円滑でございません。買うのには、相当苦心を要するものでございまするが、しかし苦心をしても部品を補給してやり、これを当分使って行くということは、現在の自衛隊としてはまあまあなすべきことであろうというふうに考えておるわけであります。
  109. 田畑金光

    ○田畑金光君 お話を承わっておりますと、自衛隊としては、今日までC46に伴う事故は割合に少なかった、昨年三月の事故と今回の事故、従って割合にこの飛行機は安全である。しかし現実にこの飛行機がこのような事故を起して十七名という尊い犠牲を払った、しかもこの飛行機は、お話の中にありますように古い型の飛行機である。しかも部品の整備等については相当の困難性がある。こういうふうなことがお話の中で明らかになっておるわけであります。ことにアメリカにおいては一部しか使用されていない。ヨーロッパあるいは東南アジア、日本、こういうアメリカの影響下にある東南アジア、東洋の諸国にこういう古い型の飛行機が供与されておるこの現実に対して、いつまでも、このような事故を考えたときに、旧態依然として防衛庁がそのような考え方であるということは、非常にわれわれとしては人命に対する軽視と申しますか、単に予算の面から、あるいは費用の面から、しかも製作された会社等もつぶれておる、そのような飛行機を温存しておるということは、何かしらん割り切れない感じを持つわけでありますが、防衛庁当局としては、このような事故の中から何か一つの教訓というものをくみ取って、今後の航空機の、あるいは航空部隊の整備等について、一つの反省というもの等が加えられてしかるべきだと、こう考えるわけでありますが、この点については、当局としては今後どういう考え方をもって、この事故の中から教訓をくみ取り、善処されようとするのか、承わりたいと思います。
  110. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) その点は、先ほども申し上げましたように、事故の原因を徹底的に究明をいたしまして、その原因を究明したところに従いまして適切な対策を講ずるということにいたしたいと考えておるわけであります。この飛行機は、先ほど申し上げましたように旧式でありまするが、しかしそれは、操縦、運航上危険ということを必ずしも意味するものではありませんで、新しい型の飛行機というのは、たとえばスピードが早いとか、早くてもなおかつ離着陸の距離があまり長くないとか、操縦が容易であるとか、高度を高く飛べるとか、いろいろの面で、航空機の持ついろいろの性能の上で、新しい、いい性能を持っておるということでありまして、この飛行機も古いもので、形式が古くて、もの自体として占いものではありまするけれども、航空をしまする場合の安全性について、古いから危険であるということは、技術的に申しましてもないわけでありまして、これは機体のアイランなり、エンジンのオーバー・ホールなりを適切にいたしますならば、そういう危険ということはなくて使える。その際にスピードが思うように出ないとか、積荷の工合が悪いとかいうようなことは、新形式のものに比べて、毫も飛行機の運航上、危険が古いがゆえにあるということではないということは、専門家にも十分確かめておるところでございます。しかしながら、この大事故を生じましたことはまことに遺憾千万でありまして、原因は先ほど来繰り返して申し上げましたように、徹底的に究明をいたしまして、再びかような事故のないように万全を尽したいと考えております。
  111. 田畑金光

    ○田畑金光君 調査によりますと、美保の航空自衛隊、派遣隊ですか、総人員六百三十名おり、そのうち輸送機のパイロットが三十三名、整備員百五十名おるわけです。しかも輸送機は二十八機ありますが、そのうち十六機しか稼働できないということであります。これはどこにそういう整備状況にあるのか、整備人員が不足であるとか、あるいは部品その他の機材等の整備において欠けるところがあるのかどうか、この点について当局としてはどのように判断しておるわけですか。
  112. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 航空機は、船などでも似たようなものでありまするが、やはり時々点検をいたしまして、大きい不工合がなくても、小さい部分についての点検と整備をやるわけでありますが、部隊においても二段階の整備を、部隊整備と野整備と申しておりまするが、ごく手軽るな整備、多少重い整備という二段階の整備をいたしております。その次の段階になると、アイランとか、オーバー・ホールとかいうことになりますると、大体日本では民間の工場へ持ち込入まして、相当の期間をかけて整備するわけでありまして、どこの国の飛行機でも、百台あるという飛行機の場合に、毎日百機飛んでおるということはあり得ないわけでありまして、そういう整備のために、いわゆる稼働をしておらないというものがあるわけでございます。その稼働率が、二十八のうち十六と申しますると、六〇%をちょっと欠けるわけでございますが、六〇%程度の稼働率というものはさほど悪い、成績ではないということが、こうした方面の統計によりましては言えるのでありまして、特にこのC46の整備状況が悪いというふうには考えておらないわけでございます。
  113. 田畑金光

    ○田畑金光君 私は現地においてそのような説明は受けていないわけでありますが、あなたの方にきょう来て報告をされた隊長自身からも、現在の状況のもとにおいては、整備人員等についても非常に少い、特に現在の施設と能力をもってするならば、整備人員等についてはもう少しふやさなければ、この稼働率を上げることは不可能である、こういうようなこと等をも私は聞いたわけでありますが、この点について、こういう現地の隊長からあなたは報告を受けたと、こうおっしゃいますが、それらの点について何ら不備な点はないと現地からは報告なされ、あるいはそういうふうに言っているのかどうか。
  114. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) ただいまの御質問は基本的な問題でございます。これは現在のわが自衛隊は、まだ発足後二年半ぐらいでありまして、諸事みな整備充実の段階でございます。従いまして、毎年の予算で航空自衛隊の増員をお願いをいたしているわけであります。その場合に私どもの要望いたしまするものは、これはある意味において通常のことでありますが、要望通りにはなかなか大蔵省の査定を通るわけには参りませんで、相当に査定を受けるわけであります。われわれの要望といたしましては、整備におきましても、通信におきましても、現在お願いをしているものよりは、若干上回っているものを最初大蔵省へ頼み込むわけであります。これはしかしわれわれとして、いわゆる要らぬものを頼むわけではないので、われわれの考えではそういうものが要るというつもりで頼むわけでありまするが、若干の査定を受けている。そういう意味で、現地の諸君がやはり整備、通信等の人間が足りないという感じを持っていることは、私どもは大いにあり得ると思っております。そういうお訴えを、議員の特に内閣委員の皆様方に訴えたことは、きわめてあり得ることだと思います。しかしながら、われわれとしても、できるだけそれはがまんをして、最小限の人数で、力をふるってやろうというつもりで一生懸命努力をいたしている。そういう意味で、現地の諸君に聞きまするならば、人員というものはおおむね不足を訴える、まあ不足を訴えるところで、何とかがまんをしてやろうじゃないかというのが現在の態度であります。ことに整備の関係になりますと、今お話の中にも受けたのでありますが、現地のものとしては、これは昔の経験者を入れましても、そうたくさんの者を得ることができませんし、新しい諸君は二年半というふうな経験しか持っておりませんので、整備の段階では、普通七、五、三というふうな符号で呼ぶ七が一番熟練者でありますが、そうしたものを、おのおの必要なパーセンテージがありまして、たとえば七の者が二五%、五の者が三十五%残余が三であるとかいうような、一応の必要なパーセンテージを、外国の例等によって一応査定をして、それを得ることを目標として努力をいたしておりまするが、まだそこには及びません。人数全体としても足りない。またそうした熟練度においては、なおさら、三のところは相当にふえたが、五のところは少い、七に至るとさらに少いというふうなのが現在の実情でありまして、整備がそういう意味で、今十全を期し得ているとは残念ながら申し上げられないのでありますが、しかしそうした人員構成でありまするが、おのおの最善を尽して、整備には努力をしているというのが実情でございます。
  115. 田畑金光

    ○田畑金光君 事故調査特別委員会を設けられて、いろいろ事故の原因について検討される、あるいはまた科学的な調査の上に立って結論を出される、これはしごく当然のことだと考えますが、この防衛庁を中心とする最近の事件の続発をみましたときに、国民はこの事件でまたかという印象をまぎれもなく受けたのです。ついこの間は、例の、これは直接日本には関係ないかもしれんが、相馬ヶ原事件が世論の追及を浴び、あるいは引き続き例の死の行軍というようような問題で人命が失われている。また先般はある基地においては、プロペラの運転中、機関の中に巻き込まれたというような事故等も起きている。また優秀なパイロットが衝突して悲惨な最期を遂げておるという事故も起きておる。また今回のこういう事件なんです。これは非常に陰惨な気持を国民に植え付けておることは、増原さんも御承知だと思うのです。こういうような事故に対しまして、これは科学的にいろいろ検討されて、もっともらしい原因というものは、あるいは結論というものは出て参りましょうが、何かしらん、私は防衛庁全体に弛緩したものがあるように考えられるわけです。何かしらんが、筋の通らないものがあるような印象を強く受けるわけなんです。こういうような事故に対する調査の結果、一つの結論が出ることは明らかでありますが、責任という問題はどういうことになるのでしょうか。ことに私は先ほどの、十七名の人命が失われた。これは古びた飛行機でも、性能必ずしも劣っているわけじゃないが、そうすると、この飛行機にも問題はないのだ、なるほど先ほど来のお話を聞いていると、エンジンその他にも正規の整備をやっているから、原因はない。またコントロール・タワーにおいても、墜落寸前まで正規の連絡が続けられていたのだ、こういうことになって参りますと、どこにもこれは責任をとるところもない。とがめるところもないようなことになってこようと思うのですが、こういうような問題というものは、責任の所在というものはどうなるのか、その責任の所在が明らかならば、当然それに伴って、具体的なそういう事故から、あるいは今回の悲しい事件から一つの反省が生れ、具体的な手段方法がとらるべきだと思うのですが、この点はどうなんでしょう
  116. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 自衛隊関係でいろいろと事故を起しておりますることは、全く遺憾しごくに存じます。この事故につきましては、申し上げた通り、他の事故もでありますが、徹底的に原因を究明して、その原因に従いまして、自後の万全の措置をとるわけであります。原因のいかんによりまして、だれに責任があるかということも、また判明をして参るわけでございます。現在のところは、事故原因究明に全力をあげておりまして、その判明次第また御報告をいたすつもりでありますが、原因いかんによりまして、責任の所在もまた明らかにする、自後かようなことが起きないための万全の措置をとる、こういうふうにいたしたいと考えます。
  117. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 関連。今までのをお聞きしておりますと、責任の所在の点で、今、田畑委員から指摘があったわけで、すが、たとえば、こういう点に手落ちがあったように考えられるのです。大体日没後に、もう視界が暗くなって非常に条件が悪かったということであれば——立川基地から美保基地へこれは直行したわけですね。そういたしますれば、日没前に着陸できるような時間を選んでなぜ立川基地を出発しなかったか、そういうようなことも一つあげられるわけですね。それと、先ほど美保基地実情について、大体美保基地では通常西風が多く吹く。従って束へ回っていつも着陸する。ところが、天候ですから、時に今回のような東北風もまた東風も吹くということも、一応も二応も考えられるわけです。そういう場合に、西から入ろうとすると山があって、地勢の関係で入りにくい。そういうことになると、美保の基地は、そういう点から考えると適当でないということも言えるわけです。なぜそういう点について考慮をしなかったか、そういう点も一応考えられるわけですね。この点についてどういうふうにお考えですか。
  118. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 今仰せのような点も、もとよりこの際は広くいろいろな点を考えるつもりでございます。日没前に着くことを必要とするという判断が、事前にあったかどうか、口没前に着くことを必要と判断して、なおかつ飛び出したかどうかというようなことは、もとより検討をしてみる必要があると思いまするが、しかし、今までに一応聞いておりまするところは、着陸をするために、視界に入ってきてから、ここでは着陸は困難であるというような状況は、下にいる者としては見ておらない、従ってほかの方へ行って着陸をしろというふうなことはやっておらないというふうにあれしているのであります。今申し上げましたもう一つの西風、東風の問題は、西の方はすぐ前にちょっとした大根島という島があるわけであります。しかしそれは飛行のじゃまになる、航空のじゃまになるという程度のものではないようでありまして、そのためにこの飛行場を別の所に持って行った方がいいということは、今までまだ聞いておりませんけれども、この点はやはりこの際はさらに検討の一項目として考えてみるという問題になろうと思います。
  119. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 今の説明によりますと、着陸後、そういうふうな暗さにも関係ない、エンジン、機体にも故障は考えられない、しかもパイロットはグリーン・カードを受けた最高の技能者である。そういう最高技能者であろう者が、どうしてこの風の方向等が、視界が暗かったというようなことで失敗があったか、やはり世間で言われているように、C46は非常にボロ飛行機であるというような点が、一応も二応もここで再検討されてしかるべきだと思うのですが、こういう点についていかがですか。
  120. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 私が先ほど来申し上げましたのは、一応の今の推定を申し上げただけでありまして、申し上げているように、原因究明はこれから徹底をしていたすわけでございます。まだどこに原因があるということを申し上げられない段階でございます。
  121. 伊藤顕道

    伊藤顕道君 そうしますと、先ほど、現在までの調査の段階では、機体、エンジンに故障はないかと思われるということも、まだ行き過ぎだということですね。まだ実際真相はわからないんでしょう。そうしますと、それはまだ最終的な結論が出ていないのに、先ほど次長は、機体、エンジンには故障はないものと考えられる、そういう結論を出すそのこと自体がまだ早計ではないか、そういうふうに考えられるが、その点ほどうですか。
  122. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 私の申し上げ方が不十分であったかと思いますが、一応現在の推定ではというふうに申し上げたわけでありますが、機体も海の中へ沈んでおじましても、おそらく引き揚げ可能と思われます。機体、エンジン等についての事後の検査も十分できるわけであります。そういった点を十分調査の上、原因、真相を究明する、こういうことでございます。
  123. 田畑金光

    ○田畑金光君 増原次長御承知のように、この美保基地には米軍がおりますね。米軍がどの程度いて、この米軍は何をやっているか、そしてこの日本の航空自衛隊美保派遣隊との関係はどうなっているのか、この点一つ説明願いたいと思います。
  124. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 美保におりまする米軍は、今正確に人数を覚えませんが、輸送隊の、最初は操縦その他についても教育を受けた、先生でありまするが、現在も航空輸送についての教育を受けるための者が若干残っておる。そのほかはこれは向うのいわゆる空軍であります。通信関係で向うの陸軍関係者が若干おる。これは私どもの方と直接関係はありませんで、向うの空軍の者が教育訓練のために若干名おるという状態でございます。
  125. 田畑金光

    ○田畑金光君 通信施設の部隊がおることは承知いたしておりまするが、この飛行場の中には駐留軍が約百四十名おって、日本の駐留軍労務者だけでも五百名ここで働いておるのです。しかも大体美保の飛行場は実際は日本の航空自衛隊が使用しておるけれども、留軍があの飛行場を管理しておるのですね。この点御存じですか。
  126. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 美保の基地はまだいわゆる米軍の使用飛行場でありまして、わが方はこれを共同使用で使っておるということであります。
  127. 田畑金光

    ○田畑金光君 こういうことなんです、私のお話しておるのは。実際この飛行場を使用しておるのは、日本の航空自衛隊が主として使用しておるわけなんです。それでこれはゆくゆくは日本に返還されるという一つ基地にもなっているわけなんです。ところが現実にはアメリカの駐留軍がこちらにいて航空飛行場の管理権はアメリカが実際これを持っておる。しかしその主たる使用は日本のC46が使用しておる、こういうことなんです。であるからたとえば先ほどお話のコントロール・タワーなんかにいたしましても、陸上施設なんかにいたしましても米軍が管理してれるのですね。米軍の管理のもとにあるのです。だからやはりどうもこの誘導等の場合において、この施設その他が地上は米軍の管理下にあるのだと、そういうようなところに私は一つの大きな連絡等の点において欠ける点、問題点があるだろうと見ておるのです。実際陸上から、空の飛行機等に対していろいろ連絡をする、これはすべて英語でしょう、英語でやっておるわけですね。非常にこれはまあそういうような問題もあるし、陸上の施設管理等が一切アメリカがにぎっておると、こういうようなところにやはり私は今回の場合の事故等の面、着陸等について十分連絡のとれないような、あるいは欠けているような、こういうような点がありはせぬかと、こう見ておるのですが、この点について検討されたのかどうか。現地の隊長が来て御報告なされたとするならば、こういうような問題等についても十分御承知だと私は考えるから質問しておるのですが、この点どうですか。
  128. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) ただいま申された点は、現在日本の航空管制は日本政府が米軍に委託をしたという形において米軍が行なっておりますることは、御指摘の通りでございます。われわれの自衛隊の諸君が飛びまする際に、いわゆる連絡というものが英語で行われるということも事実でございます。これはしかしだんだんと日本側でそうした技術者その他を訓練をし、施設を整えて、なるべく早く日本側へこれを譲り受ける。航空管制等については先般運輸大臣が当委員会でお話をされておったのを承わりますると、たしか三十五年度を目途として、それまでにだんだんと部分的にこちらで引き受けていくのだが三十五年度を目途として全部航空管制は日本で行うというふうに答弁をせられておったように考えるのでありまするが、現在のところは仰せの通りのことでありまして、その点は私どもはなるべく早く日本人の手で航空管制が行われるようになりたい。従いまして今度美保の場合におきましても、コントロール・タワー等は、これは米国人のみではありません、航空局の人たち及び自衛隊の者、そういうものが、サイド・バイ・サイドでやってはおりまするけれども、いわゆる管理者は米国側というふうな建前になっていることは仰せの通りであります。これはなるべく早く日本人の手でそうした管理を行うようになりたいということは、私どもの切願しておるところでございます。
  129. 田畑金光

    ○田畑金光君 航空管制を将来日本の手に取り戻すとかどうとかいうことを質問しているのではなくて、今回の事故の原因等については、そういうふうな点に大きな原因がありやせんかと私は考えるわけですが、その点について現地の方から隊長等も来て、いろいろ話をなさったという先ほどの報告でありますが、この点についてどうお考えになるか。この事故に関連して今回そのような点に何か欠けるところがなかったものか、これを私はお尋ねしているのです。
  130. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) そうした点ももとより事故原因探求の項目として探求すべきものと考えておりまするが、隊長が来て報告しましたのは、さっき着いて、昨日の事故の起きましたときの状態報告をまだ受けただけでありまして、まだ隊長自体も事故原因を究明するという措置をとっておるわけではありませんので、これは事故調査委員の者が帰って参りまして徹底をした調査をし、その結果に基きまして措置をする、こういうことにするつもりであります。
  131. 田畑金光

    ○田畑金光君 この事故調査委員会というのは、先ほど一応構成等については説明がありましたが、一体どれくらいの見通しで調査をし、結論を得るまでにはどの程度かかるのか、事故の原因を究明して、その暁には当局としてはどういう対策を立てようとなさっておるのか、この点はどうでしょうか。
  132. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) ただいまのところ何日間、あるいは何週間で事故原因を究明できるかということを見通しをつけることは困難でございます。なるべく早く原因を究明するように取り急いで手を尽してやるつもりでございまするが、見通しを申し上げることはまだ困難でございます。原因の究明されましたところに従いまして、事後の再び事故を起さないための措置の万全を期する、こういうことにいたしたい所存であります。
  133. 田畑金光

    ○田畑金光君 美保の飛行基地は延長する計画があるわけです。ことに昨年の八月、防衛庁は美保基地を拡張して、ジェット機の基地にする、ここに第五戦闘航空団を置いて、五十機以上のF86ジェット戦闘機を置いて隊員二千名をここに置こう、こういう考え方で今滑走路の延長というものを考えているわけです。たまたまこの滑走路の延長というものが今度墜落した中海の方に約千メートルぐらい延びてこよう、こういう計画のもとに置かれているわけです。厳密に申しますと、現地調査によれば、滑走路は中海の方に幅三百四十メートル、長さ九百メートル、海上二・五メートルの高さに埋め立てて延長しようとする計画ができているわけですね。現実にこの点については地元の市当局等とも話を進めておる段階にあるわけです。ことに私たち痛感したことは、美保の基地というものは、非常に何と申しますか、危険な所である、危険というのは、一般の民家その他に対しまして非常に条件の悪い所である。たとえば東からこうおりてくるすぐ飛行場の前に鉄道の停車場、その施設があるのです。いやもう現地を見まして、まことにこれは危険しごくな話で、実際国鉄の人方も当初は仕事をすることもできなかったという危険な個所にあるわけです。この東の鉄道沿線のすぐ前に滑走路がきているのですね。それでこういうふうな危険な所であるから、東から西に向っておりる。そこで今度は中海の方に延長しよう。これが今の滑走路の延長計画でありますが、この点については地元民と激突をしておる。こういうふうないろいろこの場所は離着陸に非常に困難な条件下に置かれておるのです。この点はどのように判断されておるのか。これは滑走路自体に、飛行機の基地の立地条件そのものに困難性があるわけで、これは私たちは現地で隊長以下関係者に聞きましたが実に困難なんだと、そういう条件下にこの飛行場というのはあるのですね。この点はどういうふうに判断されているのですか。これはまだ知らないでしょう、あなたのさっきからの答弁を聞いていると、どうも私はよそ事みたいな感じを持たれながら答弁しているように見受けるのですが、この点どうですか。
  134. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 防衛庁としましては航空自衛隊のジェット航空機の基地を山陰の方面に一カ所ほしい。美保の現在の航空基地というものも一つの候補として考えており、地元の承諾を得ることができれば滑走路を延長する方法によってそういうものをやりたいという考え方は持っております。しかし、これは地元の承諾を得てやるわけでありまして、何でもかんでも強行するということの性質のものではございません。美保の土地が航空基地として非常に条件の悪い所であるというふうにお話がありましたが、その点は私専門家でありませんので、自分で判断をするわけではありませんが、関係の係の者からの話を伺って、特にあそこが航空基地として条件の悪い所であるというふうには考えておりません。これはいろいろ前に大根島があるとか、西方に相当の距離に行った所に山があるとかいうふうなことがありまするが、現在日本で航空基地を求める場合に、付近に少しも山がないというふうな所は実際問題としてなかなかないのでありまして、あそこは中海と東の方も海岸にすぐ出るというところでありますので、航空基地としては必ずしも条件の悪い所ではないというふうに私は関係者からの報告を聞いておるわけでございます。
  135. 田畑金光

    ○田畑金光君 中海からさらに大根鳥の方にこう向っては、それは私は今の現在ある飛行場基地のよしあしの問題ですが、それは今の大根島とか中海との関係でよしあしを言っておるのじゃないのです。そうじゃなくて、先ほどあなたが東から西の方におりていく、着陸すると、こういうお話がありましたが、その東から山を出て、いよいよ飛行場に着陸をしようと、その東の方ですね、滑走路の東の延長はすぐ国鉄の線路の前にあるのです。そうしてそこには国鉄の施設があるんです。すぐ離れて民家があるんですね。だからこれは着陸するときは、どうしてもそのような障害物を考えたときに、相当それを越えて滑走路を中間あたりからこう着陸をしなければ危険な所なんです。だから、この国鉄の施設あるいは民家の施設この付近を考えたときですね、実にそれは航空の利用度、着陸の面から申しますと、非常に危険な所で、勢い私はそれが視界がきかないで、そのような点がさらに海の方の八百メートル先に、九百メートル先に突っ込んだ、こういうようなことに私はなっているように見受けるわけなんです。現地に参りますと、実際それは今お聞きのようなあの夕方視野のきかない雨が降る、そういうような条件の所では当然予測されるところなんです。この飛行場の立地条件のこの問題ですね。この点が私はこのたびの事故の一つの大きな原因になっているように考えるのですが、これは現にわれわれと同行してくれた航空幕僚監部の加納空将補、加納さんも同行していろいろ説明をしてくれましたが、また現地の隊長等からいろいろ聞きましたが、あの飛行場にはこういう根本的な問題があるんです。これは朝鮮事変が起きてあわててそこに延長してきたんです。当時は非常に民心というものは動揺したんです。だが朝鮮戦争という、朝鮮事変というのっぴきならないその当時の情勢、またアメリカの要請に基いて泣く泣くあの航空基地というのはああいう形で置かれているんです。私はここに問題があると考えているんですが、あなたのお話を聞いていると、さっぱりどうも現地の情勢を見ておられないように見受けるんですが、次長はあそこへ行かれたことがあるんですか。
  136. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 私は現地をまだ見ておりません。まあ地図その他で説明を受けているだけであります。仰せの通り何といいますか、飛行場の東側に線路があり、駅があり、人家があるということはよく承知をしており、それが地元のまあ御承諾を得てからの問題でありますが、得て、滑走路を作る場合に、きわめて重要に考えなければならない要素であることは十分承知をしているんです。従いまして、私ども計画は、現地の御承諾を得ることができるならば、中海の方へ滑走路を延長し、現在の滑走路を若干振りまして、そうした線路、民家等に悪影響の少い形においてこれをまあ使いたい、こういうことで、これはもう私自身は参りませんでも、関係者はみんな参りまして、よく現地について調査をし、案を立てるわけであります。そうした点については十分御配慮の上最も悪影響の少い形においてやりたい、こういうふうに考えているわけであります。
  137. 田畑金光

    ○田畑金光君 どうもお尋ねしましてもね、増原次長の御答弁は聞きたい点もなかなか正確に答弁できないんです。これは現地を見ておられないし、単に聞かれただけで答弁なされようとすること自体が、これは無理な点があることはよくわかるんです。結局この問題の私は事故の原因は、ああいう立地条件のもとにあのような形の滑走路飛行場を置かれたというところに私はあると見ているんです。でありますから、これは現地の責任というよりもあなた方の責任です。この責任問題はもう少し調査をなさって、その調査報告に基いてさらに私はこの飛行場問題等について、今後の計画なり、地元民の気持なり、それに対する当局の今日までの話合いの問題、こういう点等については次回に私は質問保留いたしますが、一体いつごろまでもう少し具体的に、この内閣委員会にその事故原因について調査の結果の御報告が願えるのか。これを一つはっきりこの際承わっておきたいと思うんです。
  138. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 繰り返すようで恐縮でありますが、いつごろまでということは今まだ申し上げられない段階でありまするが、しかし中間報告は申し上げることができまするので、相当事故原因調査が長引くようでありまするならば、中間報告を適当に申し上げるということにいたしたいと思います。
  139. 秋山長造

    秋山長造君 私はちょっと一、二点尋ねてみますが、今の特別調査委員会ですね、このメンバーは防衛庁部内の人だけで構成されておるのですか。
  140. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 防衛庁としては部内でありまして、航空自衛隊それから技術研究所その他の者であります。ただし部外の人も必要に応じてその意見を聞くということにしたいというふうに考えておりまするが、現在のところ調査委員会としては防衛庁部内の者で組織をするというように考えております。
  141. 秋山長造

    秋山長造君 じゃまだ正式には組織されていないわけですね、これからですか。
  142. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 組織をいたしましてそうして空幕の連中がまず先に現地へ出かけたということでございます。
  143. 秋山長造

    秋山長造君 私はこういう大きな問題、おそらく自衛隊の航空事故としては最大の問題であろうと思います。こういう事故の徹底的調査という場合に自衛隊の内部だけの人で構成して、果してあらゆる面からの徹底的な調査ということができるだろうかと思うのです。いわんや今、田畑君がるる質問しておりましたように、あの飛行場自体の立地条件というような問題にまで及ばなければこれは徹底的な原因の究明ということは、これは困難じゃないか。そういうことになりますとやはり部内だけの方でなしに、部外におけるこういう問題についてのいろいろな角度からの専門家というものをお加えになって、あらゆる面から総合的なやっぱり調査をなさることが、おっしゃるような徹底的調査という効果を期し得られるのじゃないかというように考えるのです。この点はいかがですか。
  144. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 仰せの点は十分拝聴いたしまして考えて参りたいと思います。
  145. 秋山長造

    秋山長造君 これは戦前に、たとえば旧陸軍時代、あるいは旧海軍時代なんかにちょいちょい潜水艦が沈むというような事故がありましたね。ああいう時代に私の記憶ではやはり潜水艦が沈没するというような大きな事故の場合は、単に海軍部内だけでなしに、たとえば大学あたりの造船学の学者だとかその他の専門家を入れた、これは相当総合的なやっぱり調査団を作って、そうして徹底的な究明がやられたと思うのです。そのまねをしろというわけじゃないけれども、やはりしろうと考えに考えてみても、これは今のようないろいろな問題が累積してたまたま起った事故と考えられるんです。だからぜひとも一つ今、次長の御言明の通りにあらゆる広くこの構成メンバーを広げる、あるいは部外者を入れる、あるいは部外のあらゆる知識、知能をこの問題の究明に動員される、そうして徹底的な究明をやられて、それを国会へももちろん報告していただかなければなりませんが、同時に国民の前にも一つ明らかにされたいと思うのです。その点は特に私、次長に要望しておきたいのですが、その点はいいですね。
  146. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 御趣旨はわれわれも考えておるところでありまするから実行方法については長官に申し上げてやりたいと思います。
  147. 秋山長造

    秋山長造君 それでこの事故そのものについてのわれわれの質問は、いずれ後日中間報告なり、あるいは最終報告なりがありましたときにあらためて続行することにして、一応その点は保留しておきますが、最後にもう一つお尋ねしたいのは、十七人というこれは多数の犠牲者を出しておる、この犠牲者に対する対策はどのようにお考えになっておるのでしょうか。特にこの中には自衛官じゃない、民間人も含まれておるわけですが、こういうものの扱いはどうなるのか、その点お伺いしておきます。
  148. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 自衛隊員につきましては、公務による死亡ということで国家公務員災害補償法と恩給法による措置をいたすつもりでございます。米国の軍人につきましては行政協定第十八条第一項に請求権放棄の規定がありまするので、わが国に対する補償の請求はないものと考えます。民間の方に対しましては現在のところ法規の上で直ちに適用があるものが、ただいままで研究をしたところではちょつと見当らないのでありまするが、これは法規はなくとも防衛庁としてできるだけの慰謝を行いたいというふうに考えております。
  149. 秋山長造

    秋山長造君 その法規がなくてもできるだけの慰謝ということですがね、そのできるだけの慰謝といっても、やはり具体的な手をお打ちになるためには、何か一つ基準というものがなければいかぬと思うのですが、そうでないと結局これはその場当りな対策になってしまいますしね、それから特にこういう事故が起って、しかもこれに対する何らの法的な根拠がないということになると。これはあらためてやはり民間人をむやみに飛行機に乗せるということも、よほどこれはお考えにならなければいかぬのじゃないかと思います。先ほど次長の御説明では、特に長官の許可を得た場合に初めて乗せておるのだというような御説明があったけれども、どうもしかし私の感じでは、それはまあ正式には一応そうなっておるのでございましょうけれども、実際にはおい乗せてくれ、まあ席があいておれば乗せてやろうというような、このくらいで乗せておられるのじゃないでしょうか。そこまでおっしゃる通り慎重な手続をふんで、先の先までお考えになってこういう問題を扱われておるのかどうか、その点一つ
  150. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 民間人を航空機に乗せまする場合には、たとえば基地の付近をちょっと飛んでもらうというときでありましても、必ず長官の承認をとらしております。とらないでもしやっておりますれば、それは長官の訓令違反でありまして相当の処置をしなければならぬのでありまして、必ず長官の承認をとっております。先般内閣委員の皆様がおいでになる場合でも、手続はどこでされましたかしりませんが、ちゃんとやりまして長官承認で乗っていただいておるわけでありまして、これは厳重に民間の方を乗せる場合には、十五分、二十分乗ってもらうときでも長官承認の措置をとるようにいたしております。もしそういうことをやっておりませんでしたら、これは私どもの手落ちでありまするが、さようなことはないようにこれは厳重にやっております。
  151. 秋山長造

    秋山長造君 新聞によりますと、航空情報の編集長の馬場さんという方の奥さんの談話の中で、たびたび飛行機で飛び回っているのでまあ別に大した変ったこともなしに軽い気持で送り出したというような談話が載っているのですがね。航空情報あたりの関係の方はそのつど長官の許可をはっきりとって、慎重な扱いで乗せておられるのか。それともまあ航空パスのような格好で、大体「航空情報」の人だったら基地めぐりというようなことで、手軽に乗せるというようなやり方をしておられるのじゃないかというようにも思うのですが、いかがですか。
  152. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 現在までのところは、実は航空機搭乗の希望者は民間の方がだんだんとふえて参りまして、多くは基地の付近を三十分とか一時間とか体験飛行というようなことで、市町村長さんであるとか、学校の先生であるとかというふうな方が地方で非常に多いわけですが、さらに報道関係の方が非常に多いわけであります。しかし必ず一件々々一回々々長官の承認を得てやるという措置をとっております。
  153. 秋山長造

    秋山長造君 さっきの補償問題ですね。これはまあ防衛庁としてできるだけのことをおやりになるだろうが、大体どういう手続でいつごろおやりになるのですか。
  154. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) その点まだちょっと今お答えする用意がございませんが、なるべく早く取り急いで今おっしゃいましたように、いろいろの類似と申しますか事例をよく見まして、当てずっぽうにやるわけにも参りませんので慎重に、しかしなるべくすみやかにやりたいと存じます。
  155. 秋山長造

    秋山長造君 そういう点につきましても、これは事故の原因とあわせまして、われわれの方へぜひ御報告願いたいと思います。どうぞお願いいたします。
  156. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 私からちょっと二、三質問いたしますが、飛行機が海へ突っ込んだのは、海岸から何メートルくらいの所なんですか。
  157. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 八百メートルくらいの所であります。
  158. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 事故の原因はまだ明確じゃないのでこれから調査するということですが、私どもしろうとのこれは感じですがね、飛行場に非常に近接した、すぐ海岸の所で早くおり過ぎて突っ込んだということなら、腕にちょっと狂いができたんだという感じもするのですがね。そうじゃなしに、相当遠距離の所でしかも腕のいい人が海に突っ込んじゃった。しかも事故の起る直前までは地上との電波の連絡があった。こういうこと等を考えると、そして事故が起きたときには大体百フィートくらいの高さだったというのですね。だから百フィートであれば八百メートルくらいならば大体滑走路にうまく着陸するような位置に来ておったのじゃないかと思うのですがね。それが急にぽたっと下へおっこちたような感じをさっきから受けているのですが、そうなるとやはりあまりないことかもしれませぬが、ちょうど運悪くそのときにエンジンの故障等が突発的に起きたのじゃないかというような感じもするのです。だからその辺のところはどうもこの飛行機は決してそんなに心配のものではないから、エンジンの故障等はないというふうな感じを強調されておるのですが、あまりそういうことにとらわれないでいろいろな角度から一つ検討してもらいたいと思いますね。
  159. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 私の御説明が大へん不行き届きでありましたが、仰せの通り、事故原因については、予断を持たないで徹底的に究明をいたすつもりでありまして、幸いにエンジン、機体とも引き揚げ可能と思われますので、エンジンなどは現物について事故調査が可能でありますから、事故があってストップしておったというようなことはわかることと思います。予断を持たず、徹底的に調査をいたしたいと思います。  なお旋回をして参りますときに、百フィートぐらいというような話をしましたが、最後に事故の起きまする前後は地上におりました者は見ておらなかったのであります。突っ込むところを見たという報告ではございません。その点は先ほどの話を補足しておきます。
  160. 亀田得治

    委員長亀田得治君) それからもう一つ。部品などは一時は非常に手に入らなかったが、最近は何とかまた間に合うようになっているという報告でしたが、そういう部品はどこで作っているわけでしょう。どこから仕入れるわけですか、防衛庁としては。
  161. 増原恵吉

    政府委員(増原恵吉君) 大体米国の市場から買うより手はありません。簡単なものは日本で作る、自衛隊の部隊でも若干簡単なものは作る。最近はこの飛行機は製造が中止になって、製造をやめてから長いのですが、部品についてはまだ世界の各国で相当に使っている関係上、部品の製造はまた若干始めたというふうなこともありまして、現役のと申しますか、どんどん作っている飛行機の部品を入手するようにはやはり参りませんけれども、しかしまだこの飛行機を捨ててしまうというわけには参りませんので、苦労をしてでもアメリカ市場から部品を集めているというふうな措置をとっております。
  162. 亀田得治

    委員長亀田得治君) ちょっと速記をとめて。    〔速記中止
  163. 亀田得治

    委員長亀田得治君) 速記を始めて。本件に関しては、いずれ防衛庁の方から詳細な原因の調査等が終ったあとで、適当な機会に改めて報告を受けることにしまして、本日のところはこれをもって打ち切りたいと思います。  これをもって散会いたします。    午後四時四十六分散会