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1957-03-22 第26回国会 参議院 地方行政委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年三月二十二日(金曜日)    午前十時五十四分開会   —————————————   委員異動 三月二十日委員館哲二君辞任につき、 その補欠として草葉隆圓君を議長にお いて指名した。 本日委員草葉隆圓君及び成瀬幡治君辞 任につき、その補欠として館哲二君及 び矢嶋三義君を議長において指名し た。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     本多 市郎君    理事            大沢 雄一君            加瀬  完君    委員            伊能繁次郎君            小柳 牧衞君            久保  等君            鈴木  壽君            矢嶋 三義君            岸  良一君            白木義一郎君   国務大臣   国 務 大 臣 大久保留次郎君   政府委員    警察庁警備部長 山口 喜雄君   事務局側    常任委員会専門    員       福永與一郎君   説明員    法務省刑事局公    安課長     勝田 成治君   —————————————  本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○地方行政改革に関する調査の件  (警察行政に関する件)   —————————————
  2. 本多市郎

    委員長本多市郎君) これより委員会を開きます。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る二十日館哲二君が辞任されまして、草葉隆圓君が補欠選任されました。さらに、本日草葉君が辞任され、館君が再び委員になられました。また、同じく本日成瀬幡治君が辞任されまして、矢嶋三義君が補欠選任されました。  以上、御報告いたします。   —————————————
  3. 本多市郎

    委員長本多市郎君) 次に、参考人出席要求についてお諮りいたします。本件は、委員長及び理事打合会においても協議いたしましたところでございますが、地方税法の一部を改正する法律案並びに地方交付税関係法律案、すなわち、昭和三十一年度分として交付すべき地方交付税に関する特例に関する法律案及び地方交付税法の一部を改正する法律案の両案について、参考人出席を求めたいと思います。参考人の数、人選、意見聴取日時等につきましては、便宜その取り扱いを委員長におまかせ願うこととして、参考人出席を求め、意見を聴取いたすことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 本多市郎

    委員長本多市郎君) 御異議ないと認めて、さよう決定いたします。   —————————————
  5. 本多市郎

    委員長本多市郎君) 本日は、地方行政改革に関する調査として、警察行政に関する件を議題に供します。本件について質疑のおありの方は、順次御発言願います。
  6. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 質疑を始める前に、ただいま出席している政府委員をお教え願いたいと思います。
  7. 本多市郎

  8. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 私は、この際、いわゆる菅生事件について、若干関係者にお尋ねいたしたいと思います。  私があえてお伺いするゆえんは、私は、事件発生地住居を持つもので、人情風俗等をよく知っておりまするし、事件発生以来一国民とし、また、立法府に議席を置く一人として、その推移をこまかに重大関心を持って見守って参ったものでございます。今日の段階になりまして、ぜひとも国会を通じてこれを鮮明し、さらに、国会を通じて、国民に安心させなければならない点が多々あると思いますので、それらの点にしぼってお伺いいたすつもりでございます。この事件は、ただいま裁判中でございますから、それらの点については、公正なる裁判を期待するわけでございまして、私は、先刻申し上げた角度から伺って参りたいと思います。  まず、事件当初、大分警察に服務されておりました、現在新潟県の警察本部に勤務されています小林君と山口警備部長は、最近お会いになったことがございますか。  また、この件について、いつごろどういうお話をされましたか、お伺いいたします。
  9. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 昨年の暮でありましたか、衆議院の法務委員会で、この件について御質問がございまして、詳細に事情承知しておりませんでしたので、すぐに東京に出てきて、事情を話すように連絡したのであります。当時、ちょうど年末闘争あるいは年末の警戒等もございまして、年内に出てくるわけには参らんというわけで、そこで、ことしの上旬、ちょっと日にちは今記憶しておりませんが、本人東京に出て参りまして、私に、いろいろ当時の事情を話してくれました。
  10. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 この事件概要については、同僚委員諸君も十分御承知と思いますので、そういう説明めいたことは、私はここで発言しないで、具体的に伺って参りますので、具体的にお答えを願いたいと思います。その際に、小林君はどういうことを話されておられましたか。概要をお聞かせ願いたい。
  11. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) その際に、私の方から、当時の事情について、いろいろ聞きました結論を端的に申し上げますと、当時菅生村の情勢が非常に悪かったので、自分戸高という巡査部長に、党に接近をして、情報を収集するように命じた。こういう話でございます。
  12. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そうだとすれば、あなた並びに石井警察庁長官が、市木なる人物戸高なる人物が同一人物だということを承知したのは、一月初旬だということでございますか。
  13. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) さようでございます。
  14. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それまでは全く知らなかったですか、どうですか。
  15. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) いろいろと国会等においても議論されますし、われわれとしても、明確な点につきましては存じておりませんでしたので、本人を呼びまして、はっきりと事情を聞いたのであります。
  16. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その後、現在この事件公判中の福岡高裁においても証人を喚問し、さらに、現在竹田市に出張されて、現地公判までされていることは、御承知通りです。最後の現地公判は、二月二十五日大分竹田市で行われております。その福岡並び竹田における裁判証人喚問焦点は、市木戸高なる人物は同一人物であるか、しからざるかという、この一点に焦点を合せて行われたわけです。しかるにあなた方は、そういうことを知っておられながら、どういうわけで本日まで、それらについて発表しなかったのかですね。大分県民は、大分警察当局に対して、真相発表をしろという、ほとんど全県民的な要望がきわめて強く、何か警察は暗い影がさしたと県民は言っているわけなんです。知っておられながら何がゆえに、なんですか、本日までこれを隠しておかれたか。その理由を承わりたい。
  17. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 御指摘のように、二月二十五日に現地証人尋問が行われたのであります。私の方は、一月上旬にそういう事情を知りまして、当時の警備部長小林君を証人として、二月二十五日の竹田における公判といいますか、証人尋問の際に尋問していただきたいということを検察庁を通じ、検察庁から裁判所に印し出をしたのであります。これは、たしか一月中であったと記憶いたしております。あるいはこの点は、記憶違いかと思いますが、いずれにしましても、事情が明らかになりました後でございます。ところが、どういう理由か、私は存じませんが、被告人弁護団側小林君の証人尋問について不賛成の意を表されたのであります。そういうわけで、二月二十五日の証人尋問の際にすべての事情を、小林君が証人として呼ばれた際には、明らかにされるものと、われわれは期待をいたしておったのであります。ついに小林君は証人として呼び出しを受けなかったのであります。その後、なぜ適当な機会を見て、われわれの方から発表しないかという御意見かと存じますが、この点は、現在公判中の事件に関する問題でありまして、従いまして、われわれとしましては、公判においてすべてを明らかにするのが一番よいと、かように考えたのであります。また、検察当局の方の御意見も、さようであったと思います。
  18. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その小林君を二月二十五日の現地公判証人として喚問してほしいという検察庁に対する申し入れというのは、書面でなされましたか。
  19. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) これは、私の方から、書面でしたかどうかは、実際は現地警察がやることでありますから、確かめておりませんが、少くも係検事書面をもって裁判所に申請をし、裁判所がそれに基いて弁護団側に協議されたことは間違いないと聞いております。
  20. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ただいまのあなたの発言の中には、納得できないものがあるのです。ということは、第一審をやる際に、被告並びに弁護団は、市木なる人物が登場していると、この人物のなぞを解くことが本問題究明キー・ポイントだと、そういうことを力説いたしております。さらに、若干の時間的経過を得た後に、市木なる人物と、当時大分警察に籍を置いておった戸高なる人物は同一人物である。従って、これを究明してほしいということを強く要望いたしております。ところが、一審の段階において、裁判所当局並びに検察当局は、それらを追及されなかった。この点は、国民はどうしても納得できないわけです。追及してくれなかったわけですね。そうして、その後藤——私は後藤被告に会ったことはないのですが——後藤被告に対して十五年の求刑、判決をしている。第一審の終結がなされた。そうして、第二審に移っておるわけですね。そういう経過があるわけですね。それはまあ御承知のはずですね。そうして今度、その後、市木戸高なる人物が同一人物かということは明確になって参ったにかかわらず、今度は、ただいま公判進行中であるから、一切公判の適正な措置に待つと言って、黙しているというのは、どうしてもその点は納得できないのですが、それは、どういうふうに弁明いたしますか。
  21. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 第一審におきまして、私が承知いたしておりますのは、当時市木という男がわれわれのグループにいた。ところが、それがどうも姿が見えない。どうもおかしいじゃないかというようなことは、確かに被告団から話が出たように私は聞いております。ただ、そのときすでに、市木というのは戸高であるというようなことは、被告団からは出ていなかった。市木がどうも戸高らしいということを被告団側がいろいろ調査をして、調べるようになったのはきわめて最近のことであるように私は承知いたしております。一審当時においては、そういう話は出ておらなかったというように承知いたしております。
  22. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 一審の終結前にそういう声は出ております。だから、私さっき時間的経過を得てと言ったんですが、その出る前に、市木というのはこの事件キー・ポイントであるということは繰り返し繰り返し力説し、弁護団も、市木という人物が出てこない以上は、判決を下してもらっては困ると、こういう主張までしているのであります。ところが、その解明をすることなく、第一審を下されたわけです。この点については、勝田公安課長の方から御答弁いただきたいと思います。
  23. 勝田成治

    説明員勝田成治君) 私も一審のこまかい経過はまだはっきり知っていないのでありますが、当時は少くとも違憲の審判につきましては、おそらく市木というものの所在もわかりませんし、また伝えられております被告人たち審判には差しつかえないという範囲で裁判が行なわれたのではないか、かように考えております。
  24. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その点はあなた方の答弁は非常に不明確ですが、次に一応質問を進めて参って、またあとに返ります。  次に伺いますが、大分県の大分警察西垣本部長と最近お会いになられましたか。
  25. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 三月に入ってだと思いますが、上京してきたとき会いました。
  26. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 西垣本部長はどういう要件をもって上京されたのですか。
  27. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) ほかに予算の問題その他あったと思いますが、この問題についてもおそらく私に会って話をしたいということで上京してきた。それも一つ理由であろうと思うのです。
  28. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その西垣本部長との本事件に関するお話し合いの要点は、どういうことでございましたか。
  29. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 西垣君としましても当時の事情を詳しく調べたい点もあったと思います。また、私の方からもいろいろと当時の事情をお聞きもしまして、そして戸高君が、前に戻りますが、三月の初めころ自分公判廷に出てすべての真相を明らかにしたいと言っておりましたので、そういう問題についても、私から西垣君に話をしておりました。
  30. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなた方は相当前からこれを知っておられたと思われてならないのです。今度の戸高君の出現というのは、あなた方が真相発表しようと決意されたことと、共同通信記者を通じて追及していったのが偶然に一致したのですか、どうですかその点は。
  31. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) この点は共同の記者をお呼びになってお聞きを願いたい。われわれは実は非常に当日心配をいたしました。新聞記者でない者から持っていかれるというか、連れて行かれたのではないかということで、ある場所を家宅捜索までする決意であった。その寸前に新聞記者であることがわかったのであります。この点は、もし私のお答えすることに信頼がおけないとおっしゃるならば、共同通信社のその関係記者をお呼び願えればわかると思います。
  32. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 共同通信記者の方が非常に関心を持たれ、努力され、追及されていかれたことは承知しております。それで、この点は偶然に一致したのだと思いますが、総合判断してみますと、大分西垣本部長は近く真相を公表したい、公表しなければ大分県民が納得しない。また警察に対する信頼感を喪失する。そういう決意西垣木部長みずから決意をして、あなたの方にその連絡に参ったか、あるいはあなたの方からその真相をこちらから積極的に発表したい。ついてはそれの打ち合せその他のために西垣本部長東京に招致したか、いずれですか、どうですか。
  33. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) あとの方でございます。西垣君が上京しましたのは三月十日過ぎだったと思います。
  34. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そうですが。
  35. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) ええ。
  36. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなたの方で真相発表しようと決意されたのはどういうことが動機になって発表を四年数カ月後に決意されたのですか。
  37. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 私の方とおっしゃいましたが、これは実は本人がそういう決意をしたのであります。二月二十五日に先ほどお話証人訊問が行われました。二月二十六日であったと思いますが、ある放送で、現地関係者の録音をとりまして、これを相当長時間にわたって放送いたしたのであります。その放送戸高君が聞きまして、非常に真相といいますか、事実をゆがめて、一方的な宣伝になっておるというので、これでは自分としてもいけない。自分公判廷に出て真相を明らかにすべきであるという考えになりまして、私の方のある者に、本人がそういうことを、自分は出たいと思うということを、申して参ったのであります。それが三月の上旬の早い方であったと記憶いたしております。そのラジオの放送がありました何日かあとだったと思います。
  38. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 戸高君があなたの方のある者に話されたというのですが、そのある者とはどなたですか。またその人は市木戸高関係を十分知っておられたと考えられるのですが、その点はどうですか。
  39. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 名前は……これは警備部のある者でございます。
  40. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 名前は言われませんか。
  41. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 御遠慮申し上げたいと思います。
  42. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 遠慮して名前を言われない理由は、どういうことですか。それと、またこのある方は市木なる人物戸高なる人物とが同一人物であったということを知っておったはずです。それをどうあなたは判断されましたか。またそれをどう確かめましたか。
  43. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 私は本人がそういうことを知っておったとは思いません。  それから御遠慮申し上げたいと言いましたのは、この問題につきましては、まあ警備部長といたしまして私がお答え申し上げておりますので、部内のいろいろな事情は、十分私が聞きました上でお答えいたしておるわけであります。従いまして名前を申し上げることは差し控えたいと、かように考えます。
  44. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 お二人に御答弁をいただきたいと思いますが、それは戸高君の出現する場合と出現せざる場合とにおいて、裁判経過並びに結果に相違を生ずるとお考えになられますか。あるいは変化はないと、かようにお考えになりますか。お答え願いたいと思います。
  45. 勝田成治

    説明員勝田成治君) 裁判がどう変るかということにつきましては、予測めいたことになるのでありまして……。
  46. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなたの良識をもってお答え願いたい。
  47. 勝田成治

    説明員勝田成治君) ちょっとその点は判断いたしかねると思います。
  48. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 一良識人としてお伺いしているわけです。お考えを持たれていると思うのです。これはおかしくないです。重要なことです。
  49. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 裁判の結果について私どもはどうこう予測するわけには参りませんが、ただ、私は本人が出て参りまして真相を明らかにすることによって、現在問題になっております被告人等犯罪事実そのものには、何ら変更はないものと私は信じております。
  50. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 そういうことはまあ裁判でやるわけですから、私それを掘り下げて質疑応答しようというわけではないんですが、良識をもって判断した場合、この戸高なる人物が出てくる場合と出てこない場合においては、私は裁判進行過程においても十分相違を生ずるし、またその決審においても相当変化があるであろう、これはまあ公正なる裁判をやってみないとわかりませんけれども、事の経過を知っている良識ある人だったら、だれでもそれを私は考えられることだと思うのです。これを反駁は私はできぬと思うのです。そこで私が伺いたいのは、戸高本人態度ですね。本日に至るまで自分で隠れたのかあるいはかくまわれたのか、ともかくも姿を現わさないで、そしてそのまま裁判が進んでいって、五人の被告が十五年以下の刑を受けたそのときには、お静かに身を隠しておられて、しかも御承知のように転々と住居を変えられ、愛する妻子とも別居されるような、そういう手段さえ講じられております。そうして本日の段階になって、二月二十五日現地公判があった。あの人のお母さんは病気といって証人に出られなかったことは御承知通りです。奥様のお母様は出られまして、話が非常にちぐはぐになって、公判廷では爆笑が起ったことさえあったわけなんですから、それらが二十六日放送されましてね、これではどうも自分は歩が悪いというので、あなた方に相談をされて、姿を出して公判に出ようという、こういう御態度ですね。かつては社会の秩序、さらに国民の生命、財産を守る警察官の職にあった方が、こういう御態度でいいのかどうかですね。この態度をどうお考えになりますか。警備部長お答え願います。
  51. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) これはいろいろ見方によりまして御意見も違ってくると思うのであります。一番初めに申しましたように、本人は当時の菅生村を中心とする中核自衛隊情報を取るために、もちろん党に接近することを命ぜられたのであります。犯罪行為そのものには関係をいたしておらない。従いまして事件がありましたあと、じゃなぜ身を隠したか、これは当時の状況といたしまして、御承知のようにいろいろの問題が起っておりますし、本人の、おそらく身辺の安全ということもやはり考えたものと思うのであります。先ほど申しましたように、本人証人として出る出ないにかかわらず、現在の被告人たち犯罪行為そのものには、何らの関係はないものと、これは御承知のように、爆破事件が起りまして直後、その現場で直ちに取り押えたのであります。と申しますのは、事前にそういう計画があるということを戸高君からの連絡によって、当時の警備部長が知っておりました。そうしてそういうこともあるかもしれないというので、必要な所に警察官を配置しておった、そうして事件が起りまして、現場現行犯逮捕を直ちにやったのであります。私ども事件そのものの事実はそうめんどうな問題ではないと、かように考えております。従いまして本人がどうしても出て行かなければ、現在問題になっております公判審理に非常な影響があるというようにも考えられなかったものと思っております。
  52. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 事件の内容に関しましては、後刻私は若干お伺いするつもりでございますが、現在は、戸高君の態度についてお伺いしたわけですが、その程度にして。  それでは今新潟警察におられる小林君の態度ですね、これは命令を出した人です。それからそういう菅生村に潜入して松井製材所に住み込んだわけですが、戸高君の独創でそういう考えは出てくるはずはないのです。当時二十八才ですね、それから私もあの土地は生れた所なんですから、あの付近の人情風俗をよく知っているのです。非常にあの地域は保守的な純朴な所です。戸高君は緒方町におられた人ですが、私は会ったことはありません、被告にもあったことはありません。しかし想像されることは、戸高君にしてそういう独創でそういう行動をとられたはずはないと考えられます。そうなると、当時の小林君が戸高君に働きかけをしたわけです。そうしてその一切を承知されておるわけです。そしてその後二十七年の六月三十日に戸高君は病気ということでやめて、そして九月に上京されて、東京警察庁本部の方へお世話して就職されておるわけです。こういう時、大体相当取調べがあると思うのです。これは小林君の推薦で入ったのです。その後警視庁にちょっと派遣ということで出られた経緯をたどっておるのですが、一切これは小林君が世話されておる、従って、私は小林君は国警本部のどなたかにそういう事情を話したに違いないと思うのです。これは常識です。話したに違いないですよ。だからあなた自身は知っておられないとしても、その部下には知っておられた人がおるはずです。一切そういうことを話さないで、病気——警察官というのは健康が第一です。六月三十日病気でやめられた人を、九月大分県から連れてきて、そして本部に入れられるとすれば、一応事情は話しているに違いないです。だから知っておられた方がいるわけです。そして小林君は新潟県に赴任されておるわけですけれども、本日までこれを知らぬ顔しておったという態度は、どうも国民としてはまことに割り切れない感じがしてならないのですが、警察官というのはそういうことでいいのでしょうか、どういうわけでしょうかね。
  53. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 二十七年の秋に、お話のように小林君の紹介で警察庁警備部本人は勤務しております。それは資料を私の方ではたくさん持っております。資料を配付しておるのです。それには相当数——昔でいえば臨時雇い、今でいえば非常勤職員というのを相当雇っております。それに戸高君は入っておりました。もちろん警察官としてではなくであります。そして二十八年の九月ごろ東京本部に、今度は警察官として入っておるのであります。それからそういう問題を、話を、小林君が今日まで公けにしなかったということについては、これはいろいろ御不審をお持ちになることはごもっともなことだと思いますが、事柄がやはり何と申しますか、当時の切迫した情勢のもとに、党にいわば潜入していった事例なんです。これは情報活動としては、そういつでも、いかなる場合にも用うべき方法ではもちろんないと思います。あの当時の情勢下において、私はやむを得なかったものと思うのでありますが、しかしこういうことは、やはりきわめて少数の者が知っておりましても、それをそういろいろな方面に話すということは、われわれの警備活動におきましては、まあ一つの心がまえとして慎んでいくべきものと考えておるのであります。まあ小林君がどういうつもりでありましたか存じませんが、もちろん私どもが聞きましたときには、全部事情は明瞭に話してくれたのであります。そういう警備関係の仕事には、そうほかの人に、たとえ部内の人でありましても話さない方がいい、また話すべからざる事例というものがあることは一つ御了承をお願いしたいと思います。
  54. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 あなたのただいまの所論は、戸高君の警察官としての行動を是認する立場から話を進められているわけです。あなたの立場としては私はそれを認めましょう。ところが、事態がここまで参りますと、私はあなた方としては次のような態度をとらるべきだと思うのですね。それが国民に対して疑惑を解き、警察に対する国民信頼をつなぎとめる私は必須条件だとこう考える。それは事の真相を明確にして、戸高君は当時の情勢がかくかくであったから、警察で一部の者でこうしてかくまっておったのだということを私は言われたがいいと思うのです。これは総合判断したとき、そうなんですからね。それを、一切知らなかった、警察はかくまったんじゃないとかいうようなことを言うのは、こんな経過を調べると、納得できないですよ。たとえば警察の寮に入られておって、戸高君が警察寮から出られて、その後行方不明になっちゃったわけですね。それは福岡の裁判で結婚当時の写真が出されて、それらが新聞なんかに報じられてから、そのころから警察から出られて、それから先はわからなくなっておりたのですが、すべて時間かかりますから、そして皆さん御承知ですから私申し上げませんが、警察で一部の人は十分承知して連絡を持ってそうしてかくまっておられた、そうしてこういう事態になって、これはもうかくまっておくよりも表に出してはっきりした方がいいという立場から、あなた方も決意し、新潟におられる当時の小林君並びに現在の大分警察西垣本部長とも連絡をして、そうして本日の態度に出てきたのだというこのことを私は簡明率直に出されることが、警察に対する疑惑を解くことであり、また国民信頼をつなぐのに最も私は大事なことだと思うのですが、どうお考えになっておりますか。
  55. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) かくまっておったという意味をどういうようにお考えになっているか存じませんが、事実私も戸高君のいるところ等は存じませんでした。それから、警察大学の寮に住んでおったということ、これは確かに衆議院の法務委員会でそういう御質問もありましたが、学の寮に住んでおったことなどは全然ございません。これはお調べになってもけっこうです。何か大学の寮におった、おったということで、それだからかくまっておった、かくまっておったというように議論をされますが、警察大学、あるいはあの寮の中に住んでおった、あるいは大学の中に住んでおったということはありませんですから、その点は一つ御了承を願いたい、かように考えます。
  56. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 その次に、質疑していくと時間がかかりますが、あなたからせっかくそういう発言ですから、ちょっとお伺いしますが、現在住んでおられました寮ですね、あそこの管理人のひとが新聞記者に語ったのが新聞に出ておりましたが、あれによると、非常に上品な紳士の方が大学生を泊めてくれといって頼みに来た。そうして戸高君がアパートに入られたわけですね。昼はそこにおって夜はほかの所へ泊っておったらしいのですが、戸高君が出るときに僕に要件があればここに電話かけてくれというので、管理人が電話すると、こちらは警察大学です、こういう返事があるので、大学生といって預かったのにおかしいなと思っておったという、新聞記者への談が出ていますがね、こういう点でやはり割り切れませんね。それだけこれは言っておきます。  それだけ申し上げておいて、私の焦点は、あなたは部長さんとして御存じになっておられなかったと言われますが、そうかもしれません。しかし、少くとも警察相当クラスの、階級の方が、市木君、戸高君に便宜を与えて、そうして身を守るといいますか、されておったということは、これは間違いないと思うのですね、それも否定されますか。
  57. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 初めの方の、これもどうも新聞記事で私ども非常に迷惑を受けているのであります。その点は、この前衆議院の法務委員会でも御質問を受けましたので、警視庁から係の警部が行きまして、本人事情を聞いてみた。ところが、新聞記事に出ているような事実はどうもない。そして、その新聞について記事の訂正方を、どうも本人は、その何日か前に社の方へ行って申し込みをしているような事情を伺って参りました。これはもし何か私の方でかくまっておったというようにお考えになる、それを前提として考えてみますならば、本人自分の留守中にここに電話かけてくれということで、自分が行く先が警察大学である、行く先の警察大学の電話番号を教えていくということは、ちょっと常識としては考えられないことじゃないかと、私どもはそう思います。事実は、もし何ならそのアパートの御主人をお呼びになってお調べになってもけっこうだと思います。そういう記事が出ていることは、私あと承知いたしましたが、それで、これはどういうことだろうかと思って調べてもらったのであります。
  58. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今私は第一点の質問をしているので、長くなると恐縮ですから進みたいのですが、もう少し率直に答弁をいただかぬと、これは大きな影響があると思うのですね。当時の指揮者である大分警察の桑原さんなんか、これは知っておったはずなんです。新潟にいらっしゃる小林さんにも連絡があっているはずです。また家族の方々も相当、うすうす知っておられたに違いないのです。だから私が言いたいことは、警察としてはこういう見解でこういうふうに命じて、こうして、そしてあとこういうふうに警察としては態度をとったのだということを率直に表明されないと、警察に対する信頼感を失うと同時に、被告はもちろんのこと戸高君の家族にも気の毒です。戸高君のお母さんは一人で老令の方が緒方町というところに住んでいらっしゃる。この問題が起ってから半狂乱状態になっております。二十五日の現地公判もおいでにならなかった。おいでになればやはり困るのですよ。戸高君の奥さんは大分に住んでいらっしゃるが、この方はちょっとお若いから現地公判に出られました。そうしていろいろと質問されて、たとえば妻が帰った、それで妻が大分に帰って会った。そのときに御主人はどこに住んで何をしているか、お母さんはお聞きになりましたか、と聞かれて、いや、聞かなかった、知らない、こう言ってみんなから笑われているのです。自分の娘が嫁に行って、それで東京に行っておるので生活費が要るわけですから、自分の夫が生きているか生きていないか、どこに住んでいるか、職は何かということを奥さんが知らないはずがないわけですね、また奥さんとして聞かぬはずがないわけですよ。ところがそういう点答えられたのは全く普通の親としては想像できないような、聞かなかった、知らないという答えをしているわけです。だから公判廷では爆笑が起ったわけですね、非常に戸高君の奥さんも、それから戸高君の実母も私苦しんでいると思うのですよ。だから戸高君がどういうことをされたかということはあとで伺ってみたいと思いますが、それはそれとして、警察はこうこう、こうしてこうしたのだということをこの際私は国民の前に率直に発表して、そして国民の批判を仰ぐべきだと思うのです。これを警察が命じたということまで言っているのですが、あと戸高君をかばって身の安全を守るというのですか、あるいはかくまったと申すのですか、相当階級の人が承知しておってそういうふうにやって本日まできておったのだ、これを認めなければ、なおそれを認められないのですか。それを認められなければ家族にも気の毒だし、それから国民警察というものに対して信頼することができませんよ、もう一回重ねてお伺いいたします。
  59. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 二十五日に小林君が公判証人として出廷することになっております。そのときに事態は相当はっきりするだろうと私も期待いたしております。それから警察としてかくまっただろうというようにおっしゃいますが、私ども警備部の者でそういうようにかくまっておったという事実は全くございません。この点は私はっきり申し上げておきます。ただそれは本人が、たとえば自分が世話になっておる者とか、そういう者はあったかもしれません。これはしかし本人に聞いてみなければわからないと思います。そういう者はあったかと思いますけれども警察として戸高君について、たとえば身辺の保護のためにいろいろな措置を講じ、その他いわゆるかくまうというような措置をとったことはございません。
  60. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それじゃこの点はこの程度にしましょう。しかしこれは疑惑はあるのですよ、戸高君が現われるちょっと前、その大分西垣本部長があなたの招致によって東京に上京された、その留守に大分県に議会が開かれたのですが、そのときに大分県議会で近く公表しますということを言っているわけです。だから当時の指揮者である桑原君とか、それから西垣新潟小林、こういう方々は少くとも十分に知っておられるわけです、経緯を。警察庁長官が関与されておらなくてもそういうクラスの人がみんな承知連絡をとって就職をあっせんし、宿舎をあっせんしておったとなれば、これは警察の手でやはり身を守ってやる、かくまっておったとこれは認定するのは、私は常識だと思います。しかしこれは時間が経過すると他の質疑ができませんので、次へ移ります。  次におとり捜査の件ですが、おとり捜査は今後もやられますか。その点どうですか。
  61. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) ちょっと前に戻りますが、西垣君が近く公表すると言ったのはおそらく二十五日に小林君が証人に出ることは前からきまっておったものですから、そのときに小林君が自分の知っていることを明らかにするという意味で私言ったと思います。それは当時……。
  62. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 おとり捜査のことを言って下さい、時間がありませんから。
  63. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) おとり捜査というそういう言葉は確かにございますが、私どもは別におとり捜査というようには私このことを考えておりません。それじゃこのことをどういうふうに考えているかと申しますと、当時の火焔びん闘争をはげしくやった日共が九州あるいは大分県、その中でも御承知のように菅生村を中心として解放地区を設けようというので、いろいろな事件があのときに現地で起っております。そのときに三月十七日というふうに聞いておりますが、菅生村の中で中核自衛隊員の一人を不審尋問しましたところが、本人がダイナマイトを持っておった。それでこれは何か計画があるに違いないというので、普通の場合にはこれは御承知と思いますが、私の方は党の関係者に協力者を得ようという努力をいたします。これははっきり申し上げます。ところがそれも御承知のように地下の強固な軍事組織でありますので、十分にいかない。一方において中核自衛隊員がダイナマイトを持っているという事実を知りまして、そして何とか情報を収集しなければならないというので、当時の警備課員の戸高君に党に接近して情報を収集するように命じたのであります。従って私どもはおとり捜査という言葉、そういうものに該当するかどうかは別といたしまして、おとり捜査というふうには私ども考えておりませんが、そういうしからば情報収集の方法を今でもとるのか、あるいはその他の犯罪についてもとるのかという御質問でございますならば、私は一般の刑事犯罪についてかような捜査情報の収集をやることは適当でないと思っております。またかりに共産党関係事件でございましても、共産党の関係であればいかなる場合にもこういう捜査をしてよろしいと私は考えておりません。しかし当時のあの情勢の下においては私はこれはもうやむを得なかった措置である、こういうように考えております。従ってこの点については国民の方々にも御理解をいただけるものと、私はさように考えておりますし、またそういう努力もいたしたい、かように考えております。
  64. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 当時この菅生村に共産党員何名おりましたか。それをお答え願うと同時に大分県でも直入郡というところは最も保守的なところなんです。これは私は社会党なんですが、社会党と言ってもいやがるところなんです。まして共産党云々と言ったらとても郡民は相手にしませんよ。ああいう所を拠点にして交番を爆破するとか、演習をやるということは実際考えられないのですよ。それはあの地にあって情勢を見、その人情をみればわかるのですが、答弁あとで求めますが、私はもう少し申し上げて質疑とするのですから、この命令されて戸高は入ったわけですが、これは気の毒だが戸高君はやはり教唆罪の疑いがあるのじゃないかと思いますね。たとえばよく言われますが、また衆議院でも答えられたようですが、麻薬を売買している人間をあげようという場合に、私が中毒患者になってそれに近づいて行って売ってくれんかと言って、そして麻薬を持っておった、それを私は買うようになって、ははあこいつは麻薬売買を常習としているということがわかってあげようという、これは持っているのだからいいと思うのですね。ところがこの場合入って行っておそらく暗示な与えているでしょう。そしてこういう計画だという話があった場合に、それをやはり盛り上げるような空気を作っているに違いないのですよ。これはあの直入郡のあの地域のところで交番を爆破しようという話があれば、そういうやる意思があり、何でなかったらそんなことはやめておきな、こういう言葉でとめるはずです。戸高君はとめたということが全くない。とめなかったのですね。そしてそういう暗示を与え盛り上げることをやっている。そして実際爆破しているのは戸高君か、あるいは後藤君以下五人か私はこれはここで触れませんが、それは計画に参加しているのですね、そういう何があれば計画したらとめるはずです。計画を見るところまででいいじゃないですか。どうも爆破のときに駐在所の奥さんは知っておった形跡がある。でなければ、ほんとうに知ってなかったら、奥さんとも小さな交番ですから死にますよ。それを知っておって戸高君はとめもしなければ何にもしないとすれば、計画に参与したのだ、そういう空気を盛り上げたというのは教唆の疑いがありゃしないですか。ぼくは情報収集の範囲を越えていると思う。おとり捜査にしても限度を越えていると思うのです。そういうことを今後やられたらこれはたまらぬと思うのです。この点お答え願いたいと思うのです。
  65. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 菅生村が、御承知のように山村地帯と言いますか、そういう地帯で、非常に保守的な色彩が濃いところであるということはそうでございましょう。しかし当時の党のやり方は、そういう農山村にゲリラの拠点を作るということを一つの大きな方針にして、全国各地にそういうものを設けたのであります。たとえば東京都下でございますと、小河内の工作隊というのは事件も起しておりますし、有名な活動をしたのであります。それから神奈川県で言いますと、津久井の山とか、当時の東芝のレッド・パージを受けました者があすここにもりまして、そうして要するに山の中のそういういなかに革命のときのバックになる拠点を作る、それを解放地区と、こう言っているのです。そういうことでやっておったのです。それで菅生村も、これは上地の党員ではなくて、近辺から優秀な党員を送り込んで、あすここに中核自衛隊を作ってそうして活動をしておったのであります。むしろ当時の県の警察としましては、党の活動としましては、もちろん大分市等も相当やりましたが、この山村工作隊と言いますか、解放地区における中核自衛隊の活躍というものを非常に重要視しておったということは、これは間違いございません。従って一般の空気がそういう保守的なところであるということは、これはお話通りだと思いますけれども、当時の党の方針というものは、そういうところに解放拠点を作る、要するに革命のときのバックになるヒンター・ランド作る、ちょうど中共の遊撃戦術を当時取り入れてやっておった。そういうやり方をやっておったということを御了承願いたいと思います。それから戸高君が教唆をしたというようなお話をされたのでありますが、これは公判廷戸高君が明らかにすると思いますから、私からいろいろ申し上げることは差し控えるのが当然だと思います。ただ、この点は一つ御了承願いたい。と言いますのは、党員になるには非常に厳格な、何と言いますか、テストをする、しかも党員になりましても六カ月間は党員候補なんですね。そして当時の軍事組織というものは、いわゆる上命下従ということで、上の命令には一方的に従わなければならない厳格な規律を当時党は持っておった。これは潜入しましたのが三月の終りか四月の初めだと思いますが、二カ月足らずの者がその党内において主導権を持っていろいろなことを計画し、引っぱって行くということは、これは党の実情を知っておりますれば、そういうことは私どもとしてはもう考えられない。しかし当時、戸高君がどういうような行動をしたかは、これは公判廷本人が明らかにすると思います。なお一点、防止しなかったではないかという点につきましては、これは確かにそういう事実があることを私聞いております。というのは、あれはもっと早く行われるのを、あすこまで延ばしてきたというようなことを聞いております。しかしこれも公判廷小林君あるいは戸高君が明らかにするだろうと思います。ただ、ここで申し上げたいのは、党のあの軍事組織のもとにおいて、入って一カ月や二カ月足らずの者が党内をリードして行く、あるいは何か計画をしてみんなを引っぱって行くというようなことは、これはとうてい当時の党内の事情としては考えられないところではないか、私はかように考えております。
  66. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 今までの警察発表では、牛どろぼうがあるから、牛どろぼうの警戒というので相当に警官が出ておったのです。あの地域は当時国警の管轄下であり、竹田町に自治警があったのですが、菅生というところは人口密度が少く、久住高原に連なるところで、駐在所が一つあるだけで、めったに警官の姿が見られないところなのです。ところが牛どろぼう検挙というのでたくさんの警官が来ておった、その交番の附近に来ておった。そういう状況下に、ダイナマイトを交番にぶち込んでどうだということは常識からよほどこれは被告はばかだと思う、考えられないことだと思う。あの地域に行ったら、距離が三里くらいあっても、村の端でだれか死んだとすれば、数時間すれば全村に知れわたる、というのは、ほかにニュースがないのですから。それが何十人の警官が牛どろぼうの検挙に来ておるという状況下に、交番にダイナマイトをぶち込むということは実際考えられないことだと思うのですけれども、これは裁判官がどういう判断をするか、ここであなたとその認定はやりませんが、そこで私は伺うのは、駐在所爆破ということを戸高君が知っておりたとすれば、小さい駐在所ですから、おそらくその巡査と奥さん、豪族は死ぬということを考えなければならぬ。だから戸高君としては、きょうやられるぞということを伝えているのでしょうね、駐在所に。また伝えてないとすれば、警官というのは、ある犯罪を計画をしておると知っておって、そしてそれを検挙する目的があるわけですが、同僚が家族とともに爆破されて死ぬということを知っておりながら通報しないでも、それほど人命を尊重しなくても、検挙というものに重点を置くように下部を指導しているのでしょうか、その点を一つ
  67. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) これは当時のいろいろな事情をよくお話申し上げないと……初めからずっと系統的に私ども申し上げておりませんので、そういう御疑問が出るのはごもっともなことだと思います。実際はこういうことなのです。当時牛どろぼうの事件がありまして、これが中核自衛隊関係者がやったという証拠があがってきたわけです。そこで確かにこれはその事件で検挙するべく令状をもらいました。令状は二、三日前にもらっておるわけであります。ところが戸高君から、私の聞いたのでは、小林君に、こういう計画があって今晩どうもやりそうだという報告を受けたのは一口の昼ごろなのです。事件は二日のたしか午前一時ころだと思います。そこで当時の警備部長は、これは大へんなことになるというので、若干人も増しましたり、警察官の配置をかえたわけです。そのときに。ただし、これは当時の現場に行った責任者にだけ話してあるというように私聞いております。これは一般のものにはそういうことを、まあ、あるかないか、それもまだはっきりわかりませんし、これは事前にやっぱりいろいろ警察が動くとすれば、新聞社が目をつけておりますから、当時としては。だから情報が漏れますから、現場の責任者が知ってそれは行っております、確かに。そしてその交番や何かのところに、初め全然考えていないところに配置をしてやったことは間違いないのです。当時、それじゃ交番の巡査に戸高君が連絡をしたかという御質問ですが、おそらくこれはしていなかった、というのは、戸高君は警備部長から命令を受けて潜入しておるわけですけれども、これは駐在の巡査も知りません、もちろん。知っておれば、もうそれは当時の党内に入って活動するなんということはとうてい不可能です。これは身分を隠して入っておりますから、駐在の巡査に連絡するというようなことは、とうてい私としちゃ考えられない。ただ、当時あの付近はいろいろな事件が起りまして、これはお聞き及びと思いますが、消防団が夜警をしたり、また警察としましても、やはり近所の駐在をあげてあの菅生村に臨時に勤務をやらしたこともあったくらいに、いろいろな問題が起った。警察が夜になりまして、これはおそらくひそかに配置したと思いますので、村の人や何かに目立っていれば、これは警察としてきわめてまずいことだと思います。おそらく気がつかないようにして当時配置につけた、かように私は思います。従ってその点については、お話しのように非常に目立って何か警察がやりそうだという情勢のもとに行われたという事件ではない。私はそういうふうに思います。
  68. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 ではまあ何ですね、戸高君は、今晩、駐在所の御夫妻はやられるな、気の毒だがやられるということは想像しておったんでしょうね。通報しないとすれば。
  69. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) もちろん動勢を見ておって、そういう事件が起りそうになれば、これは未然に、行って検挙するつもりで私はいたと思います。ところがそれは夜中のことですから、人が来て瞬間的にぽっと事件を起されれば、これは事後に検挙せざるを得ないことにもなる。その辺のかね合いが非常にむずかしいところです、事件現場で押える場合には。事前に下手にやって押えれば、全くこれは否認されてしまうということにもなるので……。
  70. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 それ、納得できぬのですよ、納得ができない。こういうことは、もう相当に、八、九時ごろから警官が出ておったのですからね。そこで私は新聞で見たのですが、それによると、自由法曹団とか、被告の言うのには、戸高君はその夕刻外出しておった、そして事件が起った後に、戸高君に間違いない人物警察のジープに乗って行ったというようなことを目撃したとか言っているのですね。ところが戸高君は、当日はアリバイが成り立っている、自分松井製材所に入って休んでおった、こういうのですが、松井製材所に入っておるのだったら、あなた今おっしゃるように、八時ごろ警察が来て、緊迫した状態にあった。これは松井製材所の中に寝ておったのでは、いざ放り込まれたときに、駐在所の家族を救うことはできないのではないでしょうか。もし救おうと思えば、戸高君が松井製材所に寝ておったというのはおかしい。だから戸高君は松井製材所に寝ておったのではなくて、外に出ておったと考えられる、この点非常に不明確です。  時間が参りましたから最後に聞きたいのですが、これは占領政策終結と私は関係があるのではないかと思われる。私これは大臣に聞きたいところですが、あなたに一応伺いますが、その点私は、それならそれで、占領政策の最後段階における遺物なら遺物だとはっきりすれば問題は解明されると思う。こういうことは、ちょうどこれは破防法審議のまっ最中で、衆議院で破防法は五月十五日に上っている、参議院では七月三日に上りました。この事件の起ったころは、破壊活動防止法と公安調査庁設置法の参議院における審議の最もクライマックスした時代です。これらの法律案というのは、日本が占領政策当時に立案したものなんです。御承知のように、平和条約と安保条約は四月二十入口に発効しているわけです。だからその発効以前に破防法と公安調査庁設置法というものが立法に移っているわけです。これに対しては、当時の占領軍関係から何らかのサゼスチョンがあったに違いないわけです。そうすると、国会にああいう騒ぎがあって、こうしたときに菅生にこういう事件があったと聞いて、私自身、ばかなことをやったものだ、あの山の中で交番一つこわして何になるのだ、共産党は不利に追い込まれるし、何の練習にもなりゃしない。何で共産党があんなところでそんなばかなことをやったのだ、なるほど公安調査庁設置法だとか、破防法とかいうようなものは、やはり考えなければならぬなあということを、私はその当時考えを持ったのを思い出すのですよ。だから私は当時は御承知のように、国家警察と自治体警察なんです。これは国家警察のルートでやっておるわけです。自治体警察は牛どろぼうで手先に使われただけなんです。そしてその後、第十五国会で、二十八年二月十五日、年が明けたときに、あの警察法改正が出ているわけです。だから占領政策と、独立と破防法と、それから公安調査庁設置法と、自治体警察と国家警察を通して国家警察にするというのが、全部時間的に結びついているのです。今日の段階になって翻ってみますと、何かそこに関連がある。これは将来さらに時間が経過すると、私は識者、歴史家というものが適正な判断を下すと思うのですが、私はそういう気がしてならないのですよ。確かに私は国会における破防法、公安調査庁設置法の何が影響しておると思う。だから何か私はそういうものがあったのじゃないか、これは私だけじゃなくて、ちょっと経過を知っている国民はそういう疑惑を持っているのですよ。それを国民がやはり納得するところまで行かなければ、これは私は国民に対する影響は大きいし、それから警察に対する不信の念もわくと思う。さらに第一審において、市木なる人物の追及がなされずにああいう公判が行われたことを考え合せるときに、司法の権威にも関してくるわけで、私は被告がどういうことをしたかどうかということは私は申しません。しかし家族も気の毒です。大体、戸高君は命をもって入ったのですが、戸高君の家族も気の毒ですよ。それはほんとうにお母さんあたりは気の毒だと思うのです。これは当時その命令をした小林君あたりも私は一半の責任を負わなくちゃならぬと思うのですね。だから私が言いたいことは、事の次第を明確にするということです。せざる限り国民は納得しないですよ。だからあえて私は伺っておるのですよ。私の疑点を解明して下さい。
  71. 山口喜雄

    政府委員山口喜雄君) 私どもも同じように考えまして、小林君が証人として出、戸高君が証人として出て事の真相を明らかにしてくれることを私どもは期待しております。まあざっくばらんに申し上げますと、今日までわれわれ全くこれは一方的な受身で、何も発言せずに何カ月かの間来ております。片方においては、いろいろな広報宣伝活動を組織をあげてこれをやっておられる。国民の方々が、それはやはりそうかなと思われるのも無理もないと思います。これは私どもも事の真相をやはり明らかにしなければならぬ、まあ私どもも早く事の真相が明らかになることを希望をいたしております。そのつもりでやっております。  それから先ほどの占領政策との関係云々、これはざっくばらんに申し上げますと、これは何も当時の占領軍あるいは駐留軍と関係ございません。この事件はもうはっきり当時の中核自衛隊現場で起して、それを現場で逮捕したというに過ぎないのであります。で、お言葉を返すようで恐縮ですが、これは御承知のように、二十六年の暮に党があの軍事方針を作って、二十七年の二月から各地でいろいろな事件を起させておるのであります。たとえばメーデーの皇居前広場の事件、これは二十七年五月一日、それから京都に京都統一メーデー事件というのが起っております。二十七年の四月には都下の武蔵野警察署に対して火炎びんが投げられた。二十七年の四月十八日には渋川警察署を襲撃しておる事件が起っております。二十七年三月二十四日には小河内村の先ほど申し上げました工作隊の事件が起っておる。それから二十七年三月一日に特審局中国支局にデモ隊がなぐり込みをかけた事件が起っておる、あるいは吹田の操車場事件というものは六月二十五日、それから名古屋の大津事件というのが、これはあそこで大きな騒擾事件が起ったのですが、これは七月七日、さらに若干おくれておりますが、横川代議士が襲撃されましたのも、これは二十七年の八月のことであります。当時、党がそういう軍事方針を打ち出して、全国的にそういう事件を起しておったというのは、これはまあ事実だと思うのであります。それをもし破防法に結びつけてお考えになれば、こういう事件も全部それは関係当局がデッチ上げたということの方に、どうも行ってしまうような気がするのであります。当時各所にそういう事件を起しておる、それの一つの現われ、しかも御不審に思われましたでしょうが、保守的な色彩の強いそういう山村地区に解放地区を作るというのが、大きな一つのねらいであったということを御了承願いたい。それからなお御参考までに申し上げますが、当時、警察当局といたしまして、公安調査庁ができることを非常に支持しておったという事情でもなかったろうと、私は推察いたします。
  72. 矢嶋三義

    矢嶋三義君 最後に。お約束ですからこれで終ります。たしかにメーデー事件等、当時いろいろな事件があったということを私も記憶いたしております。それらはすべてそうだと私は申し上げているわけではないわけです。ただ、この事件の場合、牛どろぼう検挙といって、たくさんの警官の来ているあのいなかで、こういう事件を指示があったからといって、その日まで指示があったかどうか知らぬが、やるというようなことは、常識人としてちょっと考えられないし、また、その警察官はそこに潜入されておって、同僚が爆死するおそれがあるのに、自分の勤め先の製材所におったというのですから、未然防止にも努力しなかった、その後は愛する妻子とも別れて転々として居を移されて、表に出てこなかった。また、その裏には警察相当のクラスの人が関与されておったとか、それからまた法廷では市木なる人物戸高なる人物の究明ということを非常に関係者から強く要望されたのに、それがあまり取り上げられようとしない、それから検察当局にしても、捜査願を別に要求するというようなことはやっていませんし、ようやく民間側からずっと盛り上ってきて、事態がはっきりしかけてきたころに、今日表面に出てきたとなると、事情を知らない国民は、こういうような類似のものはたくさんほかにあるのだろうと、こういうように思ったからといって、これだけでほかに何にもないのだ、こういうように納得させる科学的、合理的な説法方はないと思うのですよ、そういう点非常に私は重大だと思っているわけです。だから私は最初の質問で申し上げましたように、たしかに警察の手落ちもあり、非難を受ける点のあることを私は認めざるを得ない。それはそれとして、今言った当時のメーデー、その他の事件もあった、こういう情勢下に、かくかくのことをやったと率直に真相発表すべきであります。もちろんそのやり方を肯定する人もあり、批判する人もありましょう。いろいろありましょう。それは国民の批判に待つとして、大多数の国民が、なるほどこういう経緯かと言って納得する程度の発表、解明は絶対にこれはやらなければならぬと思います。私自身それは新聞を読み、それからある情報があったからとしても、それだけで信じたりしませんよ。しかし私自身どうしても、これは経過をずっとたどって行くと納得できないのです。何か警察に非常に膜がかかっているような感じがしてならない、その鮮明をぜひ一つ早急にやってもらいたいということを要望しておきます。
  73. 本多市郎

    委員長本多市郎君) 本日はこれで散会いたします。    午後零時十四分散会 三月十九日予備審査のため、本委員会に左の案件を付託された。  地方財政法及び地方財政再建促進特別措置法の一部を改正する法律案  地方財政法及び地方財政再建促進  特別措置法の一部を改正する法律案  地方財政法及び地方財政再建促進特別措置法の一部を改正する法律第一条地方財政法(昭和二十三年法律第百九号)の一部を次のように改正する。  第四条の三を第四条の四とし、第四条の二を第四条の三とし、第四条の次に次の一条を加える。(地方公共団体における年度間の財政運営の考慮)  第四条の二 地方公共団体は、予算を編成し、若しくは執行し、又は予算をもって定めるもの以外の債務の負担の原因となる契約の締結その他支出の増加若しくは収入の減少の原因となる行為をしようとする場合においては、当該年度のみならず、翌年度以降における財政の状況をも考慮して、その健全な運営を子こなうことがないようにしなければならない。  第五条第三項中「第三百十三条第二項」を「第三百十三条第三項」に、「同法同条第三項」を「同法同条第五項」に改める。  第六条の見出し中「公営企業」を「公営企業等」に改め、同条に次の一項を加える。  2 前項の公営企業の外、地方公共団体が行う事業のうち、主としてその経費を当該事業の経営に伴う収入をもって充てるもので政令で定めるものについては、その経理は、特別会計を設けてこれを行わなければならない。  第七条第二項中「前条」を「前条第一項」に改める。  第十条第二十三号の次に次の一号を加える。  第二十三の二 内閣総理大臣が定める特定計画に基く地籍調査に要する経費   第十一条の二中「第十条の二四号」を「第十条第八号の二、第十条の二第四号」に改める。  第十七条の二第三項中「不服があるときは、」の下に「自治庁長官を経由して、」を加える。  第二十条の二第一項中「又は支出時期その他支出」を「、支出時期、支出金の交付に当って附された条件その他支出金の交付に当つてされた指示その他の行為」に改め、「地方公共団体は、」の下に「自治庁長官を経由して内閣に対し意見を申し出、又は」を加、える。第二条地方財政再建促進特別措置法(昭和三十年法律第百九十五号)の一部を次のように改正する。  附則第四項中「財政再建団体がその財政再建計画について第三条第一項の規定による自治庁長官の承認を受ける日前に」を「財政再建団体(財政再建債を起さない財政再建団体を除く。以下末項中同じ。)が」に、「当該承認を受け12た日以後においては、」を「当該財政再建団体の財政再建計画について第三条第一項の規宗一による自治庁長官の承認を受けた日以後(当該承認を受けた日以後において起された地方債については、当該起された日以後)においては、」に改め、「当該承認を受けた日以後の分」の下に「(当該承認を受けた日以後において起された地方債については、当該起された日以後の分)」を加える。  この法律は、公布の日から施行する。  改正後の地方財政再建促進特別措置法附則第四項の規定は、財政再建団体が、同法の施行の日以後この法律の施行の日の前日までの間において地方財政再建促進特別措置法第二十四条第一項の規定により起した地方債について承、適用する。