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田中一君 これはあとで審議するという
ダムの
特別会計と同じようなケースなんですね、伸びる伸びるといって、ほんとうは伸びていないのですよ。
一般財源で出せばいいのです。特別にこういうものを作って、それでもって一応確保して、
促進には多少なるかもしれませんけれども、われわれの通念からいって
大蔵省というのは、真摯に
自分の行政範囲の積算に基く
事業費というものを要求しても、常にちょん切るというような先入観が
割合にあるのです。がむしゃらに
大蔵省がちょん切るのだという先入観があるものですから申し上げるのですが、あなた方の方でもって全部、総額千億の要求があった、そのうちざっと百億にへずった、そしてそれを
決定しているうちに、この残余
財産というものが隠してあったとかりにすれば、それが出てきたから百二十億になればいいのですが、そうではない、こんなものをやろうが何しようが、見込んでやっていますよ、今年このくらい剰余
財産があるだろうというので
繰り入れるのですね。
もう
一つ、
立体化の問題をあなたはおっしゃったけれども、
立体化することによって国が利益になるのです。何も決して特別に
立体化するためにこれは
財源が必要だというのではないのです。平面的なものを
立体化することによって国が利益になるのです。それを売ったり買ったりすることは何もないのです。売らなければならないほど
財源というものは、これは外国人に売るのはいいでしょう、高く……。けれども日本の
土地は寸土たりとも外国に売ったらいかぬ、そうしたら
国民に売るのは国内経済では同じことなのです。そして副産物としては地価を高騰さす手段になるのです。地価というものはだんだん上ってくるのですよ、売ったり買ったりすれば。国が
土地を売ったり買ったりするたびに上ってくるのです。交換ならいいのですが、私どもは
土地や
建物を売ったり買ったりすることによって、必ず絶対量が足りないのですから高くなるのです。必ず周辺の値が上ってくるのです。たとえば
先ほど言っているように
中野のもとの刑務所、今の警察ですか、あそこのあとのところをかりに解放したとすると、なるほど幾らで売ろうともそれの二倍や三倍には周辺の
土地は上ってくるのです。これは現在常識です。これはもう、
中野のあそこの駅前のいい
土地ですから、あれを解放してごらんなさい、すぐに上っていく。どこへ売るか知らんけれども、売る必要は何もないのです。あれを高度に利用すればいい。
土地というものは皆国が持って、利用権だけを
国民に与えてやればいいのです。利用することによってのみ地価というものは生産と余剰価値を生むのです。そうして売ることによって周辺の
土地が上ってくるのです。
国民経済にマイナスになるのです。こういうことをよくお考えにならなければいかぬですよ。今日自由経済の時代ですから
国有財産も値上りした方がもうかるのだという考えを持っては大きな間違いです。そういう考えを持つのではなくて、売らないで、利用する者に対して高度に利用させるということにのみ日本の国土というもの、ことに日本の国有地というものは利用さすべきであって、今言う
立体化というものは
土地によるのじゃないのです。
立体化すれば
国有財産がふえるのです。百坪に十階
建てれば千坪の利用になるのです。従って売ったり買ったりできるところの
財源というものを売るということになりますと、これはもう
国民経済にひびが入り、やはりインフレになる傾向がずいぶんあるのですよ、私は信念として申し上げたいのは、
国有財産というものは寸土たりとも売ってはならぬ、
土地の所有によるところの価値というものはなるべく認めるようにしなければならない。しかし
土地の利用によって生まれる価値というものは、十分にこれは尊重しなければならぬ、その傾向にいかなければならぬという基本的な
土地に対する態度を私は持っておるのです。それを
中野を売っちゃって云々というようなことになると、これはとんでもないことになるのですよ。こういう点について私はもう
土地の売買、国有地の売買という点について、もう少し真剣にお考えにならないと、日本の経済は破綻します。積極的にそういう方法をとる、所有よりも利用によってのみ価値づけられるということを国は考えなければならぬのですよ。農地にしてもそうです。百姓はもし永代耕作権というものをもらえるならば、農地を持ってそれに対する税金とか災害の場合のいろいろな
負担をするよりも、永代耕作権をもらうことになれば、
土地は喜んで提供する、国に提供するという政治こそ、一番いい政治のはずです。あえて私は農地の国有なんて申しません。申しませんが、その傾向に移ることが今日の日本の場合に、制約された
土地というものを考える場合には、これは一番いい政治なんです。所有権よりも利用権の方が日本の経済の面から見ても、実態から見てもその方が価値づけられる、尊いのだという考え方を持ちたいと思うのです。こういう傾向にいくことが、われわれがよく考えておるような、社会主義の
一つの改良的な方針なんです。それをどこまでも不要なる
土地、国が持っておるところの
建物でも
土地でも不要なものは
一つもございません。残さず国が所有してよろしいのです。利用する面だけは
国民に与えるということを考えなければならぬ。そういうことを考えてもらいたいのです。この点について局長はどうお考えになりますか。