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1957-03-25 第26回国会 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年三月二十五日(月曜日)    午前十時三十七分開会   ―――――――――――――  出席者は左の通り。    委員長     千葉  信君    理事            高野 一夫君            榊原  亨君            山本 經勝君    委員            勝俣  稔君            草葉 隆圓君            紅露 みつ君            田中 茂穂君            寺本 広作君            横山 フク君            吉江 勝保君            片岡 文重君            木下 友敬君            藤田藤太郎君            坂本  昭君            山下 義信君            竹中 恒夫君   政府委員    厚生省保険局長 高田 正巳君   公述人    東京歯科大学講    師       鹿島 俊雄君    早稲田大学教授 平田富太郎君    日本患者同盟常    任書記局員   沢田 栄一君    労災協会会長  清水  玄君    法政大学講師  吉田 秀夫君    大阪市立大学教    授       近藤 文二君    大阪府医師会理    事       桑原 康則君    健康保険連合会    理事      清水  潔君    医     師 大塚謙一郎君    日本経営者連盟    理事      宮尾 武男君   ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○健康保険法等の一部を改正する法律  案(内閣提出衆議院送付)   ―――――――――――――
  2. 千葉信

    委員長千葉信君) ただいまから社会労働委員会公聴会を開会いたします。  委員会を代表して、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様にはお忙しいところ出席下さいまして、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。御承知通り、当委員会におきましては、目下健康保険法の一部を改正する法律案審査中でございまして、その審査に資するために、本日公聴会を開きまして、広く各方面の御意見を拝聴することとなった次第でございます。この際、それぞれのお立場から、隔意ない御意見を御発表いただきまして、公聴会を開きました趣旨を貫きたいと存ずる次第でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、これより公述人の御意見をお述べ願うのでありますが、時間の都合もございますので、公述人お一人の御意見発表時間は約二十分以内とし、後刻委員質問にお答え願うことにいたしたいと存じます。この点あらかじめ御了承をお願いいたします。  次に、委員各位にお諮りいたします。時間の都合上・午前中の公述人意見発表が全部終了しましてから御質疑を願うことにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 千葉信

    委員長千葉信君) 御異議ないと認めます。  それでは、東京歯科大学付属市川病院顧問鹿島俊雄さんからお願いいたします。
  4. 鹿島俊雄

    公述人鹿島俊雄君) 私は東京歯科大学評議員並び付属市川病院顧問であります。病院関係統括指導もいたしておりまして、この角度から私は公述をいたします。  今回の御審議中になっております健康保険法あるいは関係諸法の一部改正に対しまして、われわれ医育機関関係ある立場の者といたしましても、今回の改正案につきましては反対意思表示をせざるを得ないわけであります。その理由といたしまして御承知のごとく、全国の医師歯科医師諸君も今回のこの法律案改正に関しましては、すべてこれに対して反対意思を表しております。われわれも立場上、これを見ました場合に、この考え方あるいは反対理由はまことにうなずけるものがあるのであります。その理由といたしましては、現在の社会保険機構というものは非常に何と申しまするか、不合理性蓄積ともいうべき点が多いのであります。創立当初の健康保険法精神は次第に没却せられまして、最近においては、長期療養給付がその大きな幅を占めるというような段階に達しておりまして、従いまして、目的短期疾病療養というものにつきましては、はなはだ欠けるところが多いのであります。また、一面に経済上の理由あるいは多年の何と申しまするか、不合理性蓄積によりまして著しく医療担当者側犠牲が課せられておる。かようなことが放置せられておるといっても過言でないと考えられます。従いまして、これらの総合的な改革を行うことによって初めて政府の企図せられるような社会保険機構の改善ができるものと確信いたしておるものでありまして、これらの点を放置して、糊塗的な改革が行われる、しかも今回の改正法律案を見ますると、多分に医療担当者側に対しまする圧力あるいは医師歯科医師といたしましての立場の最も重要である人格というものも多くじゅうりんせられるというようなきらいがあるのであります。また、一面には医療内容低下を来たすような面がどうもあることが看取せられるのでありまして、これらの点を具体的に二、三列挙してみますると、まず、最近におきまして発生しておりまする健康保険経済上におきます赤字、これらは当然国が医療保障の一環といたしまして、この健康保険経済に対しては当然定率の国庫負担をなすべきである、かようなことが医療給付の中に何ら行われておらない。かようなことをまず行うことが義務であり、先決であると私は信ずるものであります。これらがまず放置せられておる。続いて、単価等の問題でありまするが、これまた、昭和二十六年以来六年間以上にわたってこれが放置せられたままになっております。あらゆる角度からこれを考えまして、はなはだ不合理と言わざるを得ないのでありまして、これでは完全な医療が安んじて医療担当者において行い得ないということに尽きるかと考えるのであります。とにかく、これらの医療担当者犠牲において今日までやってきておる、経済の一部を医療担当者犠牲においてまかなっておるといっても過言でないのであります。また、医療内容の問題について申し上げますると、少くとも歯科医療に関しては、現在治療回数制限があるのであります。少くとも医療実態から見まして、治療回数制限があるということは当然考えられないのでありまして、世界各国から見ましても、はなはだこれは奇怪なことであるというようなそしりまで受けております。私はアジア歯科会議の副議長も勤めておりまするが、東南アジア圏におきましてもかような話を申し上げますると、はなはだおかしいということを皆申しております。少くとも列強に伍しまして発達いたしました日本歯科医学医療の面におきまして、治療回数制限がある、疾病に対して治療回数制限を行うということは当然考えられないことであります。現在歯科治療におきましては、大体根管等治療に関しては五回を限度とする、特別の場合に七回を認める、従って、それ以上の診療を行いました場合には、当然担当歯科医師犠牲によるものでありまして、診療のいわゆる請求権を放棄しておるのであります。かようなことが長い間行われております。かようなことによって完全な治療が果して行い得るかどうか。また、これをわれわれ医療人立場から見ますと、回数制限があるという建前からこの診療を打ち切るということはできないのでありまして、はなはだしき場合には十回、二十回にわたって治療が行われる、これも大きな犠牲であります。かようなことは特に大学等医育機関におきましては、特に学生指導あるいは高度の医学実施の殿堂といたしましてはまことに不合理を痛感するところでありまして、大学等におきましては、はなはだしい場合、三十回、四十回の治療を行い、そうして完全な治療をするという方針をとっております建前から、かような制限診療ということは大きな問題であろうと考えております。  続いて、保険医個人差の問題でありますが、現在学校で試験を通りました新しい開業医担当者も、二十年、三十年の経験を有します老練家も同じである。しかも、大学等におきましても、相当の権威ある教授級診療を行なっても単価が同じである、かようなことは、実際今後保険医としましての立場から申しましても、勉強する意欲もなくなってくる。ひいては何と申しますか、医療低下、日進月歩に進歩いたします歯科技術についていけないというような現象も招来するのでありまして、この点何といたしましても個人差をまず認めるというような線が痛切に感ぜられる次第であります。  続いて、大学等におきまする医育関係建前上、現在歯科補綴に関しては特異な面がございます。というのは、歯科補綴に関します特異な点と申しますのは、資材の性質によって多少この補綴実質内容が変ってくる。この辺を簡単に申し上げますと、銀、金パラジゥム合金、金というような歯科金属がございますが、これらの金属使用差によって内容も少し変ってくる。しかしながら、大体補綴目的は達し得るものでありますが、高度の歯科補綴の要求する点は、何といたしましても物理化学的に完全な性状を持っております金を使用することが最も理想的である、また、かようなことが本体であります。また、これが大学教育の本質であります。従いまして、かような面も何とか調整をしていただかなければならぬ。そうでありませんと、大学院の設置までに至ります歯科医学教育の進歩に対しましても何らついていけない。将来、皆保険というようなことが前提となります現代におきましては、特にこの点を深く考えなければいけない。そこでこの際、歯科補綴に関しましては、差額徴収をどうしても認めていただかなければならぬ。この点につきましては、社会保障制度審議会等におきましても、歯科補綴に関しては差額徴収を認めるべきであるというような答申すらなされておるのであります。これによって、高度の歯科医学技術が施し得る。また、差額徴収実施は決して患者に対する強制でございません。これは被保険者の選択によるものでありますので、何らこれを実施いたしましても弊害はないと存ずるのであります。現在の被保険者層を見ますと、給仕さんから大会社の社長さんまでがこの被保険者の対象になっておる。従って、ある意味におきまして、この差額徴収を認めることは、被保険者受診権の自由を認めるという形にもなり、また、一方におきましては、いわゆる高度の歯科技術実施し得る道が開けるのでありまして、この点特に歯科補綴に関しましては、差額徴収を認められなければならぬ、かように考えるわけであります。この点は大学等医育機関は特にこれを要求し、私も顧問といたしまして日常これを特に痛感するところのものであります。  次に、現在の監査検査等の状況でありますが、大学等におきましても随時、監査検査を行う。また、現在の方式で何らわれわれは欠陥がないと信じております。しかるに、今回この検査権監査権を非常に強化して、場合によっては出頭に応じない、あるいは質問に応じない場合は指定を取り消すというようなことすら考えられておられます。かようなことは、将来学校を巣立ちまして保険医として立つ学生に対しまする立場から見ましても、非常に歯科医師を容疑者的な立場にどうも置かれるような気分が濃厚でありまして、さようなことは非常に重大であります。従って、われわれの人格主体といたしまする歯科医師にとってはこれは非常な屈辱である、かような事柄につきましては、歯科医師人格を信じ、その自主性にまつものを多く認めていただかなければならぬ、かように考えるわけであります。従って、これをより一そう強化するというようなことは、将来の運営上何らプラスの線を招来せられないのではないかということを申し上げた次第でございます。  そのほか、現行単価の低さの問題であるとか、いろいろ欠陥がございます。しかも、そのほかに点数の問題になって参りますと、非常にアンバランスな点がありまして、特に歯科医師に関しましては、一般医科に対し非常に低率な線にこの点数が置かれております。大体平均的に概略申しますと、一般医療に比較いたしまして、歯科医師は大体平均三〇%程度低いということがはっきりいたしております。厚生省の過般発表いたしました新医療費体系実施に伴いまする案としての際の資料に、これがはっきりと出ておるのでございます。さような事柄も大いに考えていただきませんと、完全な医術教育もできない。被保険者主体といたしまする関係上これに支障を生ずるのであります。参考にこの点数について申し上げますと、これは引例のはなはだ不適当な線かとも考えられますが、獣医師諸君現行点数を調べてみますと、要するに、馬等の場合、皮下注射を行いますると八点である。先般厚生省の新医療費体系実施に伴いまする考え方を見ますると、われわれの場合は一点である。馬が八点で人間は一点であるというような、はなはだ不合理な線が現われております。これは獣医師諸君といたしましても、おそらく現行点数においても、なおかつ賛成しておられぬだろうと、かように考えております。かような獣医師歯科医師の大きな開きのあることについては多少の議論もあろうと思いますが、少くとも注射技術においては、馬であろうと人間であろうと、実態はかわらない、この点が技術上どうしてそういう差があるのかということも大きな一つの矛盾の現われでありまして、こういうことも十分各委員におかれまして御認識をいただきたい。抜歯等に例をとってみますと、われわれの場合におきましては、先般の発表では大体十点を厚生省は考えておる、馬の場合は三十二点であるというふうに言うのでありまして、かようなことも大きな点数構成上の不合理を露呈しておる。まあ、この監督官庁の所管が違うということはわかっておりますが、かようなことも大いに不満とするところであります。そこで、今回実施せられます一部負担のいわゆる拡大徴収増大徴収等につきまして申し上げますと、とにかくわれわれの歯科医師関係のあるものとしては、早期治療ということが最も重大であるのであります。初診時における負担率増大によって、あるいは一部の受診率低下を来たす、支払いの不可能というような階層が現にあるということははっきりいたしております。どうもおおい得ない事実であります。かような場合が起りました場合には、当然早期診療というものが妨げられまして、これは将来逆に社会保険経済の上にあるいは大きな赤字を発生させるものではないか、いわゆる歯科治療におきましては、特に早期治療というものは非常に治療効果が上るものでありまして、この点から考えましてもこれは逆行である。また、この一部負担徴収は、医療担当者に対しまする保険料代理取り立てと言っても過言ではないのであります。われわれが代理取り立てをする、一部の誤まった世論によりますると、この百円――今回の案でありまする百円が医師歯科医師に対する特別のこれは何と申しまするか、収入になるというような誤まりさえ伝えられております。この点ははなはだ遺憾でありまして、われわれは代理取り立てをさせられる。しかももし、この徴収が不能の場合には、われわれの負担となってかかってくるものであります。また一部に、もしこの百円の受診時におきまする負担がし得ない患者があった場合にこれをどうするか。この場合は、これを診療いたしますと担当規程違反になるのであります。しかし、われわれ医療人といたましては、この場合に被保険者立場を考えてみますと、この負担がし得ないという理由によって診療を拒否し得るものかどうか。今のところ、拒否しなければ担当規程違反である。かようなことははなはだ不合理であります。われわれといたしましては、勢いこの場合は診療をして差し上げなければならぬ。また、被保険者は一面受診権を持つものでありまして、この点も大きな不合理性をはらむものであります。従いまして、われわれはこの際には、当然診療をする。従って、一面におきましては担当規程違反を犯すというようなことにもなるのであります。この場合に、もしこれを拒否した場合はどうするか、また、監督官庁あたりの話を聞いてみますと、当然これは断わっていいのだというようなことも言っております。かようなことはわれわれ医療担当者といたしまして、われわれ医育担当者といたしましてはなかなか重大な問題だろうと考えております。  なお、一部負担拡大実施に関しては、受益者負担というような考え方が表われるように聞いております。これはわれわれといたしましては全く納得のいかないところでありまして、少くとも疾病にかかった者は、この疾病治療のほかに、なお一般状態の何と申しまするか、回復に努力をする、非常に負担のかかるものであります。従って、疾病にかかった者は、受益者負担であるというような考え方につきましては、全く納得のいかないところでありまして、かようなことをもし強行するということになりますれば、むしろすっきりとこの保険の成り立ち、相互扶助という精神からいきましても、これは保険料料率引き上げを行う方がまだ妥当性があるのじゃないかという考えすら持つものであります。もちろんわれわれは、私は保険料料率引き上げに賛成するものではございません。むげに賛成するものではございませんが、さような理論さえ成り立つわけであります。以上が一部負担拡大実施に関しまする点の私の考え方であります。  続いて、機関指定に関しましては、大体今後学校を出て参りまする学生諸君保険医となり、自己資本によって医院を開設し、相当犠牲を払って参ります。しかしながら、今回のようなこの機関指定が制定せられますると、何といたしましても三年ごとの更改契約期間がある。しかも先ほど申し上げましたような検査あるいは質問出頭に応じないというような理由によって直ちにこの指定を取り消されてしまうというようなことは、まことにわれわれが開業いたしましても不安定な線に追い込まれ、しかも、現行におきまして個人開業医保険業務を行なっておりますが、何らこれに対しては支障がないはずであります。特に私ども歯科医療面に関しましては、大多数が個人開業医である。従って、これに二重指定をする理由がはなはだ薄弱である。むしろ必要ないという見解を持つものであります。従いまして、この点はわれわれに、私は何といたしましても納得のいかぬところである。今回衆議院におきまする付帯決議によりますると、個人に関しては何分の措置が講ぜられるというようなことが言われておりまするが、この内容については、はなはだまだ不明瞭である、不分明でありまするので、この点現段階におきましては、特に個人開業医に関しては十分にわれわれは考慮を練らなくちゃならないと考える次第であります。  続いて、再三触れて恐縮でありまするが、この検査権等に関しての強化でありまするが、少くとも人格をわれわれの主体とする医療人として非常にこれは屈辱である。また、今回の改正がもし乱用せられますると、非常にわれわれは圧迫と、また、危険にさらされるわけでありまして、とにかく出頭に応じないで、また、質問に応じないという理由をもって直ちに指定を取り消すというようなことはあり得ないのでありまして、他のいかなる世界を見ましてもあまりにこれは苛酷である、こういうようなことは、医療機関関係いたしまする私たちといたしましても、はなはだ納得のいかないところでありまして、むしろ一部におきまする不心得な医療担当者に関しては現行の規定によりましても十分にこれは取締りができるはずでありまして、かようなことも大いに考えていただかなければならない点であろうと考える次第であります。以上が具体的な点でございます。  結論といたしましては、少くともこれから国民保険に突入する段階におきましては、医療担当者は今後ともある程度の犠牲はやはり忍ばなければならない段階にあることは明瞭であります。従って、国も、被保険者医療担当者も、真にお互いにその立場を自覚し、そうしてこの保険機構を盛り立てるというところになければならないと考えるのでありまして、従って、もっと一歩進めまして、先ほど申し上げましたような不合理の線を総合的にこの際十分に検討し、医療担当者側意見も十分に徴されまして、あらためて根本的な方策を立てられることが、私ども医療保険の百年の大計を立てるゆえんであると考えるのであります。従いまして、この際、この参議院の良識におかれまして、今回の法律案が一応これはたな上げせられまして、あらためて総合的施策のもとに出発をせられるよう、格別なお取り計らいを私はこいねがうものでありまして、また、さような線が出まする際には、医療機関はもちろん、全医療担当者におきましても、必ずこの総合施策に関してはきん然御協力をするであろうということも私は申し上げる次第であります。  以上をもって公述を終ります。
  5. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労様でした。   ―――――――――――――
  6. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に、早稲田大学教授平田富太郎君にお願いいたし
  7. 平田富太郎

    公述人平田富太郎君) 突然出席を求められましたので、十分準備もできずまかり出た次第でありますが、時間の許す限り、若干の見解を述べさしていただきます。  御承知通り、今日の社会保障には二本の柱があると思うのでありまして、その一つ所得保障であり、もう一つ医療保障であろうというふうに考えるものであります。  所得保障は申すまでもなく、傷病や失業による所得の一時的中断または老齢とか、死亡等による所得喪失、永久的な喪失が見られました場合に、最低生活の維持のために必要な所得を全国民に対して保障するということでありまして、これは各種の社会保険なり、生活保護に該当するような制度によって実施されておるのであります。  一方、医療保障は、これは傷病の場合に、それが治癒のために必要にして十分な医療を提供するということでありまして、この所得保障医療保障というものが緊密に一体をなして初めて今日の社会における社会保障体系が確立され、その目的が有効に実現され得るものと考えるのであります。  今回問題になっておりますのは、特に医療保障に関しましての問題だと思うのでありますが、医療保障のこの医療の提供の仕方は御承知通り、国によって非常にばらばらでございます。わが国におきましては、今日、国民保険ということが唱えられているのでありますが、しかし、国民保険それ自体が決して医療保障と考えるわけにはいかないと思うのでありまして、国民保険というものは、単に医療保障実現一つ手段でしかない、こういうふうに考えなければならないと思うのであります。  現在わが国で、医療保険のらち外に置かれている者が二千七百万いると言われておりますが、そのうち五人未満関連の者が約三百万というふうに推計されておるのでありまして、従って、医療保障実現の一手段としての国民保険実現するだけでも、取りあえず国民健康保険の普及とか、あるいは五人未満事業者従業員の包括という問題が、まずもって取り上げられなければならない問題だろうと考えるのであります。しかし、今日言われております皆保険の実効をあげるためには、どうしても結核対策の確立が必要であると私は考えるものであります。今日、結核患者が二百九十万をこえる、即時入院しなければならぬものも百三十万をこえる、発病のおそれあるものが二百五、六十万もあるというのに対しまして、病床数が二十万をちょっとこえるぐらいにしかなっておらないという状態では、どんなに国民保険を唱え、医療保障実現しょうといたしましても、これでは、しり抜けになっていると思うのでありまして、私は国家が医療保障なり、また、その保障実現のための手段といたしまして国民保険を唱えるからには、どうしてもその目的実現のために必要ないろいろの条件を確立しておくことが必要であると考えるのでありまして、結核対策もその最も必要なものの一つであるというふうに考えるものであります。従って、国家が直接かつ全面的に責任を持って徹底的な結核対策を講ずることが必要であろうと考えるものであります。  御承知通り、大企業では健康管理が比較的徹底しておりますために、一般に虚弱な者はもちろん採用いたしませんし、結核の既往症ある者あるいは発病のおそれある者等も採用しておりません。これは自然中小企業に流れていく、しかもそこは低賃金であり、労働条件が比較的悪いために、どうしても中小企業に結核患者が多くなる、こういうことから中小企業を対象とした政府管掌健康保険におきましては、御承知のように、昭和二十八年以来今日まで収支の不均衡が出てきておりまして、保険経済はきわめて困難になってきていると見受けられるものであります。もちろん、最近の経済界の好況によりまして、政管健保の保険料の収納率は向上し、標準報酬も若干上ってきておりまして、政管健保の財政というものは好転をしていると思われるのでありますが、しかし、被保険者が約一割、五十万あまり増加してきておるのでありまして、いましばらくしまするというと、おそらく受診率も高まり、給付費も増大するものと考えなければならないと思うのであります。そのために、現状のまま放置いたしまする場合には、今後やはり相当赤字が生まれるものとみなければならないと思うのであります。そこで、政管健保の財政を確立し、その健全化をはかるということとともに、制度自体もできるだけ合理化をはかるという、こういう必要は当然発生するものと考えるのであります。もちろん標準報酬の引き上げとか、あるいは一部負担等は、あとう限り避けることが社会保障の見地から、私はどうしても望ましいと思うものであります。元来、国民対象の、この健康の保持、増進のためのサービスというものは、私は一般健康サービス、いわゆるゼネラル・ヘルス・サービスというものと、メディカル・ケア・サービス――医療保障サービスと、この二つができるだけ単一の健康保持のサービスとして統合されて展開されていくということが理想形態だと思うのであります。かりに医療保護サービスが公的な医療保護サービス――イギリスのような公的医療保護サービスを中心として展開される場合におきましても、そうではなしに、社会保険医療保護サービスを中心として展開される場合におきましても、いずれの場合にも、医療保護サービスも健康保持のために一般的に実施されていくことが理想であります。この一般保護サービスというものとできるだけ統合された形で展開されていくということが一つの理想形態だと考えるものであります。ところが、わが国におきましては、医療保護サービスが、まだイギリスのような公的医療保護サービスの形態をとっておらない。しかも統一的な完全な社会保険医療保護サービスの形態もとっておらない。社会的な各種の医療保険というものが、相互にいろいろな不均衡な状態で、ばらばらに実施されておるのであります。のみならず先ほど申上しげましたように、医療保険の未包括者が二千七百万もいるという状態であります。従って、理想的な医療保障の観点からする政管健保の財政の確立を企図するということは、わが国の現状からいたしましては、非常に困難ではなかろうかというふうに考えるのであります。どうしても、一応この医療保険経済の見地から、政管健保の財政確立が企図される、いわばこの保険原理から抜け出られないというような、そういう状態に置かれているのではないかというふうに考えるのであります。もちろん貧困の社会化が見られている今日の社会におきまして考えられる社会保障というものは、これは所得の再分配を通しまして、国家が、すべての国民最低生活を国家の責任において保障するというふうに考えることができると思うのであります。従って、医療保障、その一環としての社会的な医療保険も、すべて国家の財政的な負担ないしは補助でもってまかなわるべきであると私は考えております。しかし、そういうことが当面困難な事情に置かれているといたしますれば、政管健保の財政確立というものは、まずもって保険の原理に従い、醵出と給付との関連に基く保険財政の角度から、どうしても企図されざるを得ないのじゃないかというふうに考えるものであります。従って、標準報酬の等級区分の若干の改訂とか、あるいは初診の際の百円以内の負担等は、わが国のおくれた、かつ不統一な医療保障または医療保険の財政からしては、どうしてもやむを得ない方法ではないかとも考えられるのであります。また、わが国医療保障状態、特に在宅患者と入院患者負担の不均衡を考えますると、入院一日三十円三カ月くらい負担するということになれば、将来は何らかの方法を考えるといたしましても、今のところやむを得ないものではないかというふうにも考えられるのであります。イギリスのように、全国民対象の医療保障が無償で行われることがもとより理想でありまするけれども、今日のわが国のような不均衡な医療保険実施しておるところにおきましては、保険の原則上、今回の改正案のような負担問題がやむを得ず出くることになるというふうにも考えられるのであります。しかし、この際、社会保障の重要な柱であります医療保障に対しましては、国家もできるだけ責任を持つことが私は福祉国家の実現を意図しますからには当然であろうと、こういうふうに考えるものであります。特に、社会保障の必要な前提としての完全雇用政策とか、最低賃金の制度とか、家族手当の制度とか、そういうものが全然欠けている、しかも医療保障の前提条件たるべき医療施設の適正な配置あるいは予防措置等の公衆衛生の完備とか、結核対策の確立等に対する責任を十分感ずるといたしまするならば、私は国庫も当然予算の範囲内において政管健保の保険、いわゆるこの保険事業の執行に要する費用の一部というものは当然負担すべきものであるというふうに考えておるものであります。そうして、そういうことを契機といたしまして、医師の待遇改善等も考慮しながら、政管健保の健全な発展を企図するということが私は望ましいと考えております。しかし、政管健保に対する国庫負担をやるからには、これは政管健保関連の保険医療機関あるいは保険医保険薬剤師等の指定制度や監督をできるだけ合理的にやるというのが、これは当然次に出てくる問題であろうと考えるのであります。今回の改正案は、個人登録制と保険医療機関指定制の併用によるいわば二重指定制度が取り上げられておるようであります。被保険者ないしその被扶養者たる家族の便宜を考えまするというと、病院とか、診療所などの指定取り消しは慎重にすべきことは論を待たないのでありますが、しかし、病院などの医療機関の責任を問う制度があってしかるべきであるとも考えられると思うのであります。すなわち、医療行為はどこまでも医師の責任でありますが、しかし、病院の事務上の不正なり、また、一定カロリーを必要とする食事等についての不正などは、これは医師の責任というより、病院経営者の責任とみなされるべきが妥当である場合もあろうと考えられるのであります。こういう場合には、保険医療機関指定制に基きまして、かかる不正な病院などの指定を取り消し、一応保険の組織から排除するということが合理的であるとも考えられるのであります。三十年前、健康保険実施されました当時には、個人開業医本位で健保が運営されてちっとも支障がなかった。従って、個人登録制で済んでおったというふうに考えられるのでありまするけれども、先ほど鹿島さんから、歯科医はちょっと違うというお話がございましたが、今日では病院、診療所等が多くなっておりますので、そういう機関指定制も当然今日では考えてしかるべきものだろうと思うのであります。また、保険医療機関指定制では、その指定の有効期間は三年と限られておりますが、こういうような有期の指定というものは、現代の医学の進歩に対応する適切な医療設備を病院等が持つことに対する要請の、いわば一つの発露と見ることもできるのでありまして、もし病院設備、医療設備について十分である、適切であるというならば、これは問題なしに指定が更新され、継続されるというふうに考えるのでありまして、この点はさして問題はないと考えられるのであります。むしろ指定の有効期間の三年というのは、現代医学の発展に比すれば、ちょっと長いではないかとさえ考えれると思うのであります。従って、こういうふうな保険医療機関指定制と個人登録制の二重指定制というものは、今日の政管健保の運営の合理化のための一つの方法というふうにも考えられると思うのであります。  また、改正案は、監査に関する事項をいろいろ含んでおるようでありますが、これは政管健保の有効な運営のために考えられたことだろうと推察されるのでありまして、従来も規定はあったのでありますが、あまり明確ではなかった。そこで、改正案では、監査に関する点をかなり具体的に規定していると私は見ております。従って、こういうようなことも政管健保の制度それ自体を合理化しまして、政管健保財政の確立を期するためには当然そこに考えられた方法であるというふうに私は見ております。  以上は、私の今回の健康保険法一部改正に関する見解でありますが、最後に、国民保険医療保障実現のために本気で考えていくというからには、今日、国民健康保険の普及のためにとられております方法というものは、私はきわめて不十分であると思うのでありまして、四カ年計画でもって果して二千七百万の医療保障外におかれております国民が、全部そのワクの中に包括されるというふうには私は考えられないと思うのであります。同時に、五人未満の事業所等におきます従業員の包括の問題、さらに結核対策の確立、こういうことを順次本格的に国家が責任をもって取り上げて実施していくのでなければ、私は健保の単に一部改正というものであっては、国民の皆保険はもちろん、医療保障の大目標というものは実現できないと考えるものでありまして、今後そういう大眼目に対しまして国家が責任をもって邁進せられんことを私は切望いたしまして、私の公述を終りたいと思います。
  8. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さまでございました。   ―――――――――――――
  9. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に、日本患者同盟常任書記局員、沢田栄一君にお願いいたします。
  10. 沢田栄一

    公述人(沢田栄一君) 私ども日本患者同盟は、今回の健保改正案に対しまして今まで反対立場をとって参りました。すでに国会に対しましても、数十万の署名、数十通の請願、また、数千の投書が行われておるはずでございます。さらに、二月十八日には私ども代表千三百名が、ハスで国会にお願いに上っております。全国の患者はそのために五円、十円の金を集め、ボロくずを売り払ってこの資金を作り、この陳情に参加したのでございます。なぜ、被保険者である患者がこのように反対するのか、以下その理由について申し上げたいと思います。  今回の改正案の提案の理由の説明の中に、保険財政の建て直しと制度合理化をはかり、また、国民保険実現の地固めをやるというふうに書かれております。保険財政の建て直しの問題につきましては、すでに三十年度当初十数億の赤字が出ると言われておりましたが、決算の上ではこれは四億二千万円の黒字になったというふうに私は聞いております。また、三十一年度におきましては、六十六億の赤字が四十七億、あるいは三十六億というふうに、数字の面では少くなってきているというふうにも聞いておるわけでございまして、今日ではこのような保険財政の問題よりも、後者の理由の方が大きいのではないかと考えるわけです。合理化と称して、他の制度、他の部面とのバランスをとるために給付の内容を切り下げることがあってはならないのではないかと、私はこのように考える次第でございます。たとえば一部負担の問題について、在宅患者については給食がない、だから一部負担は当然だという論拠が一部にございます。しかし、それならばなぜ、このような在宅患者に対しても給食にかわる現金給付がされないのか、社会保障国家の建設を願うならば、もっと社会保障制度の充実に力を入れてほしい、私は率直にそう考える次第でございます。保険財政逼迫の大きな原因として七人委員会が出された分析の中に、結核患者の正体があげられております。しかし、この結核対策については、審議会の勧告の線はもちろん、結核予防法の公費負担率、国庫補助率さえも数年来の厚生省の要求にもかかわらず、全然考えられておりません。生活保護は基準額は上げられても対象人員は減るという矛盾した状態にあります。社会保障制度の幹としての健康保険が改悪されるならば、他の諸制度の改悪されるのは必至で、地固めどころか、大きな地すべりが起きようとしていると私は考えるわけです。このようなこの低い線に向っての圧迫の方向は、他の制度との関連ばかりではなく、現在の健康保険改正案のワク内においても、たとえば標準報酬や継続給付の資格期間の延長など、零細企業の被保険者への強い圧迫となって現われております。このような方向に対しては、私どもはあくまでも反対いたしたいと考える次第でございます。  次に問題の各点について申し上げたいと思います。  まず一部負担について、政府健康保険の標準報酬の平均額は一万二千円というふうに聞いております。この被保険者がもし発病した場合の傷病手当金はその六割の六千円、入院すれば当然小ずかいや補食費が必要になって参ります。二十六年に厚生省が施設内結核患者実態調査として統計をとられておりますが、これによりますと、本人の場合は月三千六百円、家族の場合には三千五百七十円の小づかいを使っておるわけです。これを差し引くならば、残すところ三千円、これで家族の生活をささえなければならない。乳飲み子をかかえて内職をしながら、主人の療養の陰の働きをしておるというような実例も私は多数承知しております。厚生省の厚生行政基礎調査で、低所得層ほど発病率が高いという事実があげられております。この点もあわせて考えていただきたいと思うのであります。実際九百円ぐらいの一部負担は払えるのではないだろうか、このようなお考えをなさる方があるかもしれませんが、私は今ここに一つの実例を申し上げたいと思うのであります。これは東京都下の某療養所に入所しておるKという現在二十四歳になる女子の患者の場合であります。この人は、父母は結核で死亡し、家には七十九歳の祖母と十四歳の妹と六歳の弟をかかえて、小石川戸崎町にある三十人ばかりで本の表紙を作る工場で働いておりました。しかも給料は低賃金で、時間給で月に三千円、二十五年の九月に過労がたたって発病いたしましたが、当時新制中を出たばかりの本人は無理をしながらも家計をささえて働き続けたわけです。一年ばかりでついに立つことができず倒れて、三カ月ほど健康保険で入院をいたしましたが、家の生活が心配で入院を続けていくことができず、わずかに三カ月で退院してしまいました。近所の医師が見かねて心配したのがきっかけとなってNHKの歳末助け合い運動の中で取り上げられ、全国にラジオ放送され、多くの人々の同情をかいまして、やっと二十七年の二月に再び入院することができたのですが、この人の傷病手当金はわずかに千八百円、これもそっくり家に仕送りしていた実情です。本人は現在すでに健保も切れ、生活保護法で療養しておりますが、一部負担になった場合、この人のようにどうして払うことができるでしょう。これは単にこの一患者の問題ばかりでなく、多くの被保険者の問題だろうと私は考えます。厚生省の資料でも三千円の標準報酬にあるものは全国で十二万という数字があげられております。標準報酬平均の一万二千円以下の者は、三十年十月の実績で三百四十三万五千六百八十四名、全体の政管被保険者の六七%に達しております。このような一部負担や初診料の増額がやられるならば、医者への足がますます遠のき、買い薬にたよる結果、悪性の疾患の発見をおくらせ、病気自体の悪化を招くこともあるいは考えられると思うのであります。また、標準報酬につきましても従来の最低三千円から最高三万六千円が、四千円から五万二千円になっております。しかし、この三千円のものは四千円の割で保険料を納めねばならず、月に三十二円五十銭の増額になるわけです。わずか三十二円五十銭ではありますが、これらの人人の少い賃金の中から取られる保険料は実に痛いということをお考えいただきたいと思います。  次に、継続給付の資格期間延長でありますが、現在のところは六カ月被保険者としての資格があればよかったのが、今回は一年に期間が延ばされております。先ほど平田先生もおっしゃっておられましたが、現在大会社で就職時の厳重な身体検査、あるいは年間の定期検診で、からだの弱い者は除外され、また、発病してもなおる者はなおし、なおらない者はどしどし整理するという方向が出ております。結局こうした人々は採用条件のゆるやかな中小企業に流れ込んでいっておる。しかし、中小企業の賃金は大企業の約六割に過ぎず、労働強化は激しく、基準法を無視した十時間、十一時間の労働がやられております。こうして病に倒れた被保険者は大企業の場合には、二年ないし三年の休職期間があるわけでございますが、中小企業の場合にはおそらく二カ月ないし三カ月で首を切られております。中小企業ではこうした休職定員のワクをかかえて操業を続けていくことができない実情です。結局この資格期間の延長は低賃金、重労働の零細企業者に最も大きな圧迫となり、これらの人々から療養の道を奪うことになると私は思います。また、今まで任意継続被保険者制度があり、二カ月間の資格期間があれば、資格を失った場合、本人が全額の保険料負担することによって六カ月間期間を認められるという制度がありました。今までであるならば、こういうふうにして首を切られた人も二カ月プラス六カ月、すなわち、八カ月という形で継続給付資格要件の六カ月を満たし、引き続いて三年間の給付を満了することができたわけでございますが、今回の一年延長によってこれらの人々の道もふさがれるわけで、任意継続被保険者制度の持つ一つの実際的な意義が失われるというふうに考えられるわけでございます。  次に、監査権の強化でございます。今まで医師に対する監査権の強化は国会の中におきましても非常に強調されてきたかに思います。しかし、患者に対する監査も決して医師に対するものに劣らないものだと私は考えるわけです。六十五条では従来診断を必要ありと認めた場合できることになっていたのが、文書物件の提出、提示を行わせようと、また、第九条の二で被保険者に対し診療または調剤の内容に関して報告を命じたり、質問をすることができる。また、八十八条の二ではゆえなく答えなかったり、虚偽の陳述をなしたる場合は、一万円以下の罰金ということが規定されております。しろうとの患者に自分の受けた投薬の調剤の内容までが一体わかるでしょうか。記憶の点についてもすでに日本医師会での調査がはっきり示しているように、非常にあやふやなものであります。もし間違って答えた場合にも偽わったと認められれば一万円の罰金です。このような一方的なやり方について私どもは絶体納得ができません。医師に対する監査権の強化や二重指定についても同様反対いたします。監査は非常に現在でもきついため各種の診療制限がすでに行われております。たとえばレントゲンは四つ切りフィルムしか使えない。大陸版はいかぬということ、あるいは連続培養検査の点でやかましいというようなことがすでに出ておる。ある施設に私が聞きましたところ、頓服を月に四十服使用したが、これを請求しても認められない。認められないことがわかっているから二十服で申請すると、こう施設では言っております。お医者さんには請求した報酬がそのまま受け取られるように請求用の虎の巻ができ上り、こんな病状には、こんな薬を、このくらい請求すればパスするというひな形ができ上っており、お医者さんの中では、それに従って請求されているという実情もあります。このようなやり方がやられてゆくならば、お医者さんの創意ある治療や、診療の自由は全く制限されてしまい、また、現在においてもこうした診療制限が行われているというふうに考えられるのであります。昨年末、三百人の調査員が全国に配置されて以来、被扶養者の認定が非常にやかましくなり、また、就職と発病期間の短かい者については資格が疑わしいから調査をするということで、傷病手当金は二カ月も三カ月もおくらせるという実情があります。ある社会保険出張所のごときは、こうした摘発件数のグラフを作り成績をあげているという実例もあります。  私たちは法改正と同時に考えられ、また、行われようとしている数々のこれら行政措置、入院の事前審査制とか、完全寝具制度の廃止、受診票の制度などにも反対するものであります。  以上いろいろと申し述べましたが、これら多くの改悪点を含む法案を参議院において撤回し、社会保障的な理念から国庫負担の二割給付をもって保険財政を建て直し、他の未適用者三千万人に対しても適用拡大を行うと同時に、その給付内容を充実したものとすることこそ全被保険者、全国民のほんとうに要望するところであろうと私は確信いたすものであります。以上簡単でございますが、公述といたします。
  11. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労様でした。   ―――――――――――――
  12. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは次に、労災協会会長清水玄君にお願いいたします。
  13. 清水玄

    公述人清水玄君) それではこれから私はこのたびの改正案に賛成でありますので、賛成の趣旨を簡単に申し述べたいと思います。  御承知のように、国民保険ということが非常に問題になっておりまして、近くそういう方向に進んで行くということでありますと、この健康保険というのが大体この国民保険の一番大きな支柱になる、中心になるものだと思います。これと国民健康保険とが一緒になりまして、医療保障の方はその大宗ができ上る、こういうことになると思います。従って、健康保険というものができるだけ早い機会にその基礎が確固となって、安心して経営なり運営というものができるというようになることは、将来の医療保障ないしは社会保障体系からいっても非常に大事なことだと考えております。従いまして、そういう方向にいくように努力する。今回の改正案は、もちろんこれは万全のものということになりますと、これは非常にむずかしいことになります。万全ということにはいかぬと思いますが、少くとも現状においては、ある程度時宜に適したものである。こういうことを言わなければならぬと思うのであります。この点は先に厚生省にありまして、七人委員会というのができまして、その後、社会保険審議会、社会保障制度審議会において、それぞれ十分に審議を尽した結果、大体改正案の線のようなものがよかろうということに、これはごく大体でありますが、大体なっておりますので、従って、いろいろ審議をしてみても、さしあたりこれ以上のことは、健康保険はどうもできないということに一応なるのだと思います。この点は船員保険も同じでありますが、船員保険法の改正においても同じことが言えると思いますが、そういうような意味で、一応方向といたしましては、なるべく早い機会に健康保険というものが、確固たる基礎に立つと同時に、従って、国民保険の基礎というものが、なるべく早い機会にこれによって確立されていく、こういうことが非常に必要なことであり、そうなる方向にいくべきだと思っております。御承知のように、健康保険赤字であり、船員保険医療部門において赤字であります。その赤字というものを解消する方法として、今回の改正案が主たる目的をそれに持っておると思うのですが、目的を持って立案され、提案されておるわけです。そのためには、どうしてもこの改正案によって赤字をまず解消していくということが、まず第一歩の確立の方向だと思うのであります。たまたま現状におきましては、健康保険の方はだいぶ赤字が減ったようでありまして、だんだん黒字になるような傾向もあるのでありますが、船員保険は必じしもそうでないようであります。従って、そういう点からみますと、もう少しのんびりやってもいいのではないかということも考えられると思います。御承知のように、健康保険の歴史を振り返ってみますと、常に隆替がありまして、あるときには金が余るが、あるときには非常に足らない、こういうことでありますので、これを平準化するためには、ある程度の、何と申しますか、チェックというと語弊がありますが、ある程度の規制というものが、やはり必要である。たまたま少し黒字になってきたから、もうそれじゃ野放しでよろしいというわけにはいかぬということは、この健康保険の歴史を見ればわかることだと思います。従いまして、向上的に何とか確立していくような方向にするためには、今回のような改正案というものは、どうしても必要だということは、今申し上げましたように、各種の審議会、委員会等におきまして、一応是認されたところなんであります。私は実はそれに関係がありまして、よく事情を聞きましてやむを得ないものと考えておるわけであります。大体論といたしまして、そういうようなわけで、一応必要だと思うのでありますが、少しこまかいことを申してみますと、問題になっておりますのは、大体保険医関係の問題、いわゆる一部負担という問題、それから国庫負担の問題、こういうふうに大体なるのであります。保険医関係の問題といいますのは、要するに、保険医指定とか、あるいは取り消しとか、あるいは監査とかという問題がおもな問題でありますか、これは保険医の方々に、いわゆる不当というようなことをやる人が全部でないが……神様のような方でありましたら、もっと話も簡単にいくでありましょうし、こういうことも心要でないのかもしれませんけれども、少くとも少数の不当な人がありますから、どうしても保険を正当に運営していくためには、自衛的にもある程度のことが必要である。また、制度としましても、保険医というものを作る以上は、保険医に関するある程度の制度が必要であろう、従いまして、今回のような改正案も出たのでありますが、よく読んでみますと、実は従来のやり方と大して変っておらぬのであります。声を大にして反対する、文句を言うほどのことは実はないのであります。むしろ、ある部分においては、現在の実情によってやっておるものよりは、むしろ法律的に公正化されておる部分もあるように思います。と同時に、今申しましたように、ごく少数でありますが、不正不当の保険医というのがあることは事実なんでありまして、この人たちのために、そうでない人が迷惑をこうむることは、非常に遺憾なんでありますが、しかし、そういう人が実はあるのでありまして、例をとってみますと、今二重指定というようなことも、どうしても必要になってくる、早い話が、ある人が、あるお医者さんを雇って診療所をやっている、そうしますと、そのお医者さんが悪かったために、この人は指定を取り消しになる、そうすると、経営者はやはり別のお医者さんを連れてきて、同じような経営方針でやれと、こう言う、お医者さんも雇われているのですから、それでやる。ところが、そのお医者さんは指定を取り消されておらぬし、不正の行為をしておらぬ、こういうことで保険医としてやっていける、そうなりますと、何のために指定の取り消しをしたのか、わからぬことになる、こういったようなことも一例であります。こういうことも、私は実は神奈川の方におりまして、医療協議会の方の仕事もやっておりますので、ときどきそういう実例に接するのでありますが、こういう実例をみますと、やはり二重指定ということも必要なんだ、こういうことを痛感をいたすわけなんであります。これは結局、不正な保険医を除いて、正当なる保険医を守るための健康保険法としての、一種の自衛手段だと考えるわけであります。  それから次に、一部負担でありますが、これは一部負担ということは、従来そういう言葉を使われておりますけれども、いわゆる本人が負担をする、こういうことなんでありまして、これはずっと昔から、初診料については負担があったわけであります。今回の改正で、非常に負担がふえたというほどでは実はない、ごくわずかなんでありますが、これもやはり、保険医として経営していく以上、非常に浪費をされる、乱費がある部分を除くという意味においては必要だ、もともと、いわゆる一部負担といいまして、初診料その他を負担きせることは、早期診断を妨げる、あるいは早期の治療を妨げるというような意味で、あまり感心ができぬという議論もあります。事実そうなんだと思います。従って、それを妨げる程度の本人負担をきせることは、よくないと思うのでありますが、ある程度はやむや得ぬと思います。それと同時に、一方におきまして国民保険になりますと、国民保険健康保険とが二本建てになる、その際に、国民健康保険は、御承知のように、大体五割本人が負担しております。将来の方向としては、七割程度は保険が持つ、三割程度が本人が持つ、こういう方向になると思うのでありますが、しかし、まあ三割持つというやはり原則が国民健康保険にありますと、将来この保険というものが、健康保険国民健康保険でやっていきます場合に、やはり多少の本人負担というものが、どうしても残ってくる、全国的にみまして、健康保険も、全然何も負担せぬ、国民健康保険はいつまでも負担をするのだ、こういう二本建てのやり方は、将来あまり感心ができぬので、ある程度、どこらかに近付けていかなければならぬと思うのでありますが、その際に、国民健康保険は全然無料にできないとすれば、健康保険にも、ある程度の本人負担は必要ではないか、まあこういうことも考えるのでありまして、将来の体系にだんだん進んで行く方向からいいますと、やはりそういうことも、本人の非常な負担にならぬ限度に、早期診断を妨げぬ限度においては、けっこうではないか、こういうふうに考えます。同時に、また一方本案にあります、入院に対して一カ月か、ある程度の負担があるということは、これは実は七人委員会でも、そういう必要があるのではないかという議論で、そういう報告になっておりますが、これは一方から言いますと、非常に生活上困るのじゃないかという議論があります。と同時に、一方から言いますと、これは非常に入院した人は不当――不当と言うと語弊がありますが、入院した人間は入院をせぬ外来の人間に比べまして非常な利益を受けておる。食費から何からすべてその本人が支弁してもらう。うちにいれば食事は自分で食べなければならぬ。そうすれば不公平でありますから、むしろ入院した場合にはある程度負担はそれはやむを得ぬのじゃないか、こういうことも考えられますので、実は私なんぞも一カ月で負担を切るというのははなはだ不賛成で、あるいはもっとずっと負担をさしてもよろしい、もっとも額の限度はありますが、負担をさしてよろしいのではないかと実は考えております。これについては、実は実例を申し上げれば、これはどうしても多少の負担がある方がいいのだという感じがするのでありますが、時間の関係でこれは省略しますが、そういうふうな感じも受けるわけであります。  それから国庫負担につきましては、これは申し上げるまでもなく、現にもう健康保険については三十億円、船員保険については一億円出す予算になっておりますが、これは今年度の予算でありますので、もし年度内にこの法案が成立しませんと、これは実は使えぬことになるのであります。そういう意味でも、これは早く成立することを希望するわけでありますが、それは別といたしましても、将来の体系としてもある程度国庫がこの医療保障制度負担をするという原則は非常に必要だと思いますので、この点については一つよろしくお願いしたいと考えております。まあそんなことで、大体私としましては、全般的に申し上げまして、この案自体は万全ではないが、現状において健康保険を一歩前進させ、確立させ、同時に、医療保障制度を一歩前進させるという一つ段階としてやむを得ないものであり、まあなるべく早くこの案が成立することを希望するわけなんであります。  なお先刻ちょっと触れましたが、船員保険についてもやはり同様でありますが、ことに、船員保険は財政の状況は健康保険よりも一そうおもしろくないのだと思います。そういう意味におきまして、一そう今申し上げましたことが強く適用されるのだろうと考えます。と同時に、一部負担等につきましては、健康保険と違いまして、船員保険については特別の配慮が払われておるようであります。さらに、その点については一そうこの案が早く成立することが希望されるわけなんであります。  はなはだ簡単でありますが、一応申し上げた次第であります。   ―――――――――――――
  14. 千葉信

    委員長千葉信君) 以上をもって午前中に予定されました公述人の御意見発表は終りました。これから公述人に対する質疑を行います。質疑のある方は順次発言をお願いいたします。
  15. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 清水さんに質問をしたいのです。清水先生は労災協会の会長であり、労働者災害保険の中心的な役割をしてこられたりっぱな方だと私は思うのですが、そこでお尋ねしたいのですが、今お話の中に、入院している者と入院していない者とが不公平になる、そういうことからいってもこの入院の一部負担というのは必要なんだ、むしろ永久にということを言われました。私はそういうお考えの基礎にどういうものがあるのかということをお聞かせ願いたいのであります。私は何といっても、今日の貧困や病弱というものが、個人の責任やその他で生まれているとは思わないのであります。社会が進むに応じて個人の責任じゃなしに、社会の仕組みの中からそういう貧困や病弱というものが、そればかりとは言いませんけれども、そういう傾向がある、私はあると思います。そういう人たちに対する救いの手というものは、たとえば生活保護の手もありましょう。また、その他の医療施設、設備もありましょう。しかし、今問題になっている政府管掌というのは、先ほどの公述人がお述べになりましたように、組合健康保険では健康診断をしていて、病弱の人は中小企業に流れていく、こういう格好で十分に働かない。収入も中小企業は今日の日本経済の中においての犠牲的な存在にある、そういうことになってくると、その働いている人が非常な生活困窮にあるということも私は理解ができると思う。そういう関係からいって、これこそ医療というものは、たとえばイギリスがとっておりますような仕組みによって、その国の施政の中、政策の中で救っていくということを考えなければならない。個人関係からいえば、入院して保険療養を受けている者は得で、健康で働いている者が受けないから損するというような考え方を持つというような時代から、今日はもうずんと進んでいるのではないかと私はそういう工合に思うわけであります。そういう工合に思いますと、単に保険という仕組みがあって、その保険の中の経済だけを考えていくというような、独立して考えていくというような物の考え方に立って、社会保障というようなものは私は進んでいかないと思うのです。何といっても、全体的な施策の中で、国の保護、全体の国の政策の保護の中においてそういう人を助けていくということにならなければならない。一方国民も健康維持できるものは、健康の悪いものを一人でもやはり救っていくという考えの上に立って、社会保障というようなものは私は進んでいくと思うのです。そういうことになりますと、今の一部負担というような、私は今でも相当な高い保険料を出している、その上にまだよく受益負担云々という問題が出てくるわけですけれども、私はどうしてもそういうことが納得できないのであります。だから、そういう点について清水先生のお話を聞いておりますと、どうもその保険そのもの、保険経済そのものをとらえて物をお考えになっているような感じがするのです。だから私はそういうものじゃないんじゃないかと思うのですが、そこらの辺を少し御説明をいただきたい。
  16. 清水玄

    公述人清水玄君) ただいまの藤田さんのお話、原則論として全然御同感なんであります。ただこの一般的に申しまして、一部負担というのでありますが、この部分が要るか要らぬかという議論でありますと、多少は現状においてはある方がいいと、こういう現状論なのでありまして、現状として必要なんだというのが第一点なんであります。  第二点は、保険の場合でありますと、保険としてはこれは一つ保険団体がやはりありますので、いわゆる総合的の扶助といいますか、何といいますか、総合的のものでありますので、従って、どうしてもお互いに金を出し合っているという感じでありますから、ある程度出し合っている以上は、公正な出し合い方でないと困るのではないか。従って、入院のようなふうに、ある人は家にいて自分で食べている、ある人は病院で入院の費用の中で食べている。こういうことになると、そこに多少の公正さの違いが出てきはしないか、こういう感じが多少するのであります。なぜそういうことを申すかというと、実は先刻申し上げなかったのですが、実際なんでありますが、たとえば現在結核で何年間か健康保険で入っている、そうしますと、そのうちにだんだん小づかいといいますか、何といっているんでしょうか知りませんが、要するに、ラジオを買う人が出てくる、テレビを買う人が出てくる、洋服を作る人が出てくる、中には最近聞いたのでありますが入院していたおかげで家が建った、こういう人がある。そういうことになりますと、これは原則論を離れて、ある程度やはり実際論で多少これはやはり不公平ではないか、こういう、これは理屈ではないのであります。実際論として私はそういうことが起るのではないか、こういうことが考えられるのであります。  それから第二の問題は、先ほどおっしゃいました英国のようになることは私も理想だと思っておりますが、そういうことになりますと、これはつまり国家全体のものでありまして、いわゆる保険団体ではないのであります。従って、ある人間だけが得をしたとか、ある人間だけが損をしたという問題は非常に少くなって、そういうことはあまりなくなるのじゃないか。そうなりますと、今度はそういう場合には、保険団体として一部を本人が負担するということではなしに、今度は国家の財政の考え方から立ってこれを全部守る、本人に負担をさせないで全部国が持ってしまう、こういうことは、これは少し財政的に無理じゃないか、現に英国のようにやってみまして、だんだん本人負担をふやしているということは結局限度があるので、結局そういう時勢になりました場合に、健康保険国民健康保険みたいなものが同じになるか、あるいは二本でいくか知りませんが、そういう際に、やはり国民健康保険式の三割なら三割本人が持つということを考えるとすれば、それに釣り合いをとるような健康保険も多少色がついてくるのではないか、こういう、これはまあ半分理屈で、半分実際なのであります。まあそういうことになりはしないか、こういう考えで、まあ現状において一部負担というものがいいのではないかもしれませんが、やむを得ぬのじゃないか、こういうふうに考えております。おっしゃった通りの原則論については、全然御同感なのであります。
  17. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 今清水先生のお話なんですけれども、私は一番先に病院に入院してテレビが買える、家が建つ、私はそれはどうもこれは発言は自由でございましょうけれども、どういうものを基礎にしてそういう御発言をなさったかということについて私たちは明確にしてほしいのです。これはまあおいておきますが、そこで私の先ほど申し上げました考え方には賛成だ、こうおつしやった。そこで問題になるのは、これは政治論かわかりませんけれども、今その保険経済保険財政という問題をおっしやいました。しかし、今の政府が何と言っても九千万の国民に訴えていることは、社会保障制度の確立である。国民保険である。で、私はこういうものを国民に広く強く訴えるというものの考え方の中には、何と言っても、政治の中で、病弱者その他を保護管理していくというものの考え方に立たなきゃならぬと思う。それがまず第一の問題だと思います。だから、私たちの立場から申し上げますれば、もっともっと保護管理をよくして、改善して、少くとも今の健康保険においては二割の国家負担にして改善をすべきである。こういうものの考え方に立っている。厚生省の答弁なんかを議事録なんかで見こみますと、少くとも今日一割負担を目標に国家負担をすべきだ、ところが、現状においては事務費だけしか出していないということ、そういうワク内だけで公平である、不公平であるという、ものの考え方が出てくるというのは、実際に担当されている方の立場から、そのものだけをつかまえておっしゃるのかもわかりませんけれども、どうもそこのところは感心しない、だから政治の仕組みの中で、みんなを守っていくということになれば、個人が入院して治療を受けたら得である、治療を受けないから、かけたから損であるというようなことの、その部分だけをもって、バランスをとって、負担もやむを得ないという議論には、なかなかこれは納得はできない。だから私は今のお話でございますけれども、そういうことで社会保障を見ていただきたくない。日本の、これからの進歩していく近代社会における社会保障考え方をそう見ていただきたくないという考え方を、一つ申し上げておきたいのです。それで関連いたしまして沢田さんにお尋ねするのですけれども、今清水さんが、たとえばラジオを買う、テレビを買う、家が建つということをおっしゃったのですけれども、特にまあ患者同盟の代表としておいでになっておるんで、そういう実態についての御意見一つお伺いしたい。
  18. 沢田栄一

    公述人(沢田栄一君) ただいま清水さんが、実際論として考えられるということをまず一つおっしゃられたわけです。現在の標準報酬三千円から三万六千円、この天井をはずして五万二千円、さらにその上の八万円とか十万円出せというようなところまで押し広げていくならば、あるいはその傷病手当金をもってテレビを買えるというような時代もできるかと思う。しかし、先ほども私申し上げました通り、現在の政府管掌標準報酬の平均は一万二千円、その六割六千円で家族を養うという実情です。テレビなどが買える道理はどうしても私には考えられない。私も十年も全国の各療養所を回っておりますが、このようなテレビを買っているところもあります。しかし、これは施設として準備したテレビであるということです。  次に保険財政の中で考えれば、というふうにもおっしゃられたわけですが、先ほど私が申し上げましたように、現在の保険財政を危機に落し込んでいる問題の一つには、結核という社会病の増大があるわけです。これは社会保険のワクの中で、保険経済という問題だけで見るべきではないのではないか。もっと社会保障的な見地からこれに対する十分な予算措置を行うべきじゃないか。こういうふうに考えている。社会保険としての過去の姿は、現在質的に変りつつあるということを私は申し上げたいと思う。  また、第三番目の問題といたしまして、他の制度、他の面ではこうした給食は受けられない。だから不公平だという論拠がある。しかし、今ここに生活保護法の場合があります。生活保護法では、在宅の結核患者の場合には一カ月七百二十五円の自宅栄養費というのが加算されることになっておる。常常厚生省も言われておりますように、最低の医療、最低の給付と言われている生活保護法においてもしかりであります。ましてや保険の場合には、こうした点より以上のものが望まれなければならないのではないか。こういうふうに私は考えるわけです。現在、国民健康保険ではこの食費の負担があるために、給付の中から食費分が除外されておるために多くの患者が苦しんでいるという実情があるということを、さらにつけ加えておきたいと思うわけでございます。
  19. 片岡文重

    ○片岡文重君 清水先生にちょっとお伺いしたいのですが、保険財政が今日赤字状態にはあるけれども、次第に好転しつつあって黒字になる傾向である。しかし、保険財政の過去の歴史から見れば、しばしば隆替がある。従って、今好転をしておるからといって一部負担をやめるということは好ましくない、むしろ他日の赤字のためにもこの取り立てば必要である、こういう御意見のように伺ったのでございますが、まあ保険の大家でいらっしゃる清水先生に、あまり釈迦に説法になるようなことで恐縮でありますけれども、今問題になっておる患者一部負担の問題は、先ほど藤田委員からもちょっと発言があったようでありますけれども、通常、たとえば交通機関その他国家施設によって利益を受ける受益者負担等の観念的な原則論と同じ考え方に立ってみるということは、私どもとしては、少し了解しにくい点もあるのですが、特に患者の一部負担によって将来起るであろう赤字を埋めるということ、そのための準備ということになりますと、この点はなはだ了解しにくくなるのでありますが、現に黒字になりつつあるということは、被保険者負担による、全部被保険者負担とばかりと言いきれますまい、いろいろな客観的な事情もありましたが、とにかく、被保険者負担によって黒字になりつつあるのですから、言いかえれば、今黒字になりつつある以前の赤字をカバーして、なお黒字になるような傾向にあるということも一面考えられるわけですから、現に被保険者になっている諸君は、その以前の赤字負担しているような面もないではないと考えられます。また、同じような言い方からすれば、将来の受益者のために、今の被保険者が、特に療養中の被保険者が、この将来の赤字をなくせないためにこれを負担をしていくというようなことにもなるのじゃないかと思われるのですけれども、そういうことになっても、なお現在の患者の一部負担というものはやらなければならない状態にあるとお考えになられるのでしょうか、その点もう少し御説明いただきたいと思います。
  20. 清水玄

    公述人清水玄君) 私が、本人が一部負担することが必要だと申し上げましたのは、今の赤字があるから負担をせい、こういうことでは、これは本旨としてはないのでありまして、それは片岡さんおっしゃる通りであると思います。私が考えておりますのは、要するに、この健康保険の財政基礎を確立するためにはいろいろの方策が必要で、それの一つとして一部負担ということも必要だと、これはつまりその金を取るから必要だというのではなしに、そういうことによる多少の効果も必要なんだ、こういうことであると思うのです。同時に、先刻申しましたように、国民健康保険と将来バランスをとっていく点から考えますと、そういう意味からしても、ある程度のことが健康保険になければならぬのじゃないかというような意味でありまして、今赤字を埋めるために一部負担が必要だという考え方ではないつもりなんであります。同時に、それは一種の何と言いますか、手数料的に多少のことはあってもいいじゃないかというくらいの意味でありまして、これが本来の目的としての、つまり財政的に効果のあるものとしての一部負担ということは、私は考えておらぬわけなんであります。この点は七人委員会でもいろいろ議論をいたしまして、そういうふうなみんなの意見もあったように思っております。同時に、今お話がありましたように、財政の問題としては、やはり国庫負担というものが相当程度あってしかるべきものだと考えております。国民健康保険は二割とか三割とかの負担にだんだんなりつつある。健康保険も事業主が半分負担するからこっちはやらぬでもよろしいという議論にはならぬと思うのでありまして、やはり同じような、ある程度健康保険にも国庫負担が必要だ、財政的の裏づけはむしろそっちの方でやっていくというふうに私としては考えております。  それからなお、先刻藤田さんからのお話でありましたが、ラジオとか何とか云々というお話がありましたが、これは実は私は聞いた話でありますので、私が実際に見たのではないのでありますから、もしそれが不謹慎でありましたら、その点は取り消しておきます。
  21. 坂本昭

    ○坂本昭君 四人の方にそれぞれ簡潔にお尋ねいたします。必要があればお返事は詳細でけっこうでございます。  まず、鹿島さんに医療担当者の人権じゅうりんのこと、それから監査の強化のこと、特に監査の強化とその乱用の危険についてお述べになられましたが、鹿島さんの経験しておられる実例について、一つほんとうにそんな監査があるのだか、そしてまた、そういう乱用の危険があるのだか、何か御承知のことがありましたら一つお話し下さい。
  22. 鹿島俊雄

    公述人鹿島俊雄君) ただいまの御質問に対しましてお答えいたします。  現行監査形態はいろいろございますが、まず実態監査につきまして実態調査を行い、これから監査が始まるわけなのであります。最近の傾向を見ますると、どうもこの対象が非常に過大である。ある例を見ますると、ある担当者に対して四十五、六件の実態監査をやっているわけなのであります。こうなりますと、非常に過重な負担のもとに事務的措置をしている担当者にとって、これでは私は納得できない。要するに、何と申しまするか、完全に重箱のすみをほじくるというようなことなども見えてくる。また、態度等におきましても、厚生当局におかれましては、決してそういう御指示はないと思います。しかしながら、末端に参りますると、非常にこの監査態度が、何と申しますか、医療担当者に対しまして容疑者的な態度をもってくる、はなはだしい場合には、事務官でありまするので、治療実態をなかなか把握しにくい、あるいは診療部位を誤まったり、また、監査に対しても何らか担当者が不正を働いているという前提のような形で監査を行い、実態調査を行われるというようなことがあるのであります。従って、現行においてすらこういう傾向があるこの状況下におきまして、今回の監査強化が行われますると、とにかく質問に答えなければ取り消すというようなこともでき得るわけであります。この間の限界というものは非常にむずかしくなってくる。とにかくわれわれといたしましては、医療担当者人格というものの点からいきましても、はなはだ行き過ぎである。現行においても拡大解釈によりますると、相当高度に取締規制はできるはずであります。従いまして、これ以上強化するについては、絶対反対だ、こういうような考えをもっております。
  23. 坂本昭

    ○坂本昭君 ありがとうございました。現在では監査の態度が非常に不良で犯人扱いをして、重箱のすみをつつくというような事実、これはまたお尋ねすればいろいろあると思いますが、また、別の機会に私もお聞きしたいと思います。  そこで、鹿島さんは歯科の担当をしておられますが、もしこの法案が施行のときには、行われるようになった場合には、鹿島さんとしては、教育上の面もいろいろと訴えもございましたが、どういうふうにお考えになられるか、どういうふうな御態度をとられるか、場合によっては、決意と申しますか、ちょっと伺っておきたいのです。
  24. 鹿島俊雄

    公述人鹿島俊雄君) 実は私はこのほかに、日本歯科医師会の専務理事も勤めております関係上、さような御質問があったと存ずるのであります。とにかくこの問題につきましては、全国大会を開き、全会員の総意として御陳情を申し上げておるような現況でありまするので、われわれといたしましては、これが通過いたしますることは、非常に重大な問題であります。従って、まあ歯科医師会等の立場から考えますれば、緊急開催をいたしまして、直ちに適正なる御意見による方途を講じなければならないことになるのじゃないか。しかし、これにつきましては、医療担当者といたしまして、まあ軽挙盲動、われわれの立場というものにさわるようなことのないように、ということを前提といたしまして、しなければならぬとは考えております。
  25. 坂本昭

    ○坂本昭君 ありがとうございました。  それでは、次に平田さんにお尋ねいたしとうございます。平田さんのお説をお伺いいたしますると、国民保険ということは、医療保障実現の単なる手段である。なかなかいいお話を聞かしていただきまして、まことにありがとうございました。ところで、まあ当面の問題につきまして、現在の政府管掌の健康保険が、経済の面から抜け出られない状態にある。それで、国家の財政的な負担を必要とする実情である。それで当面それをどうすることもできないならば、標準報酬を上げたり、一部負担はやむを得ないと考えるというふうに述べられました。ところが、最後にお断わりになられて、国民保険のためには、その普及計画が現在きわめて不十分だという点を主張せられて、特に五人未満の事業所と、結核対策の問題、これらのことを考えなければ、目下の健康保険改正、これについてはどうも少し異論があるように私ども最後のところを拝聴いたしたのでございますが、一番その最後の結論ですね、こういう、政府が五人未満の事業所や結核対策については十分なことはしていない、こういう現在の状況で、この健康保険改正を行うことはどうかという立場が、目下審議しなければならないという最大の問題である、これについての一つ明確な御答弁をいただきたい。
  26. 平田富太郎

    公述人平田富太郎君) ごもっともな御意見で、実はこの問題が非常にむずかしい問題でありますので、一部負担の問題をどういうふうに考えるかというようなことが、まあ全部そこに集中するような従来からの傾向があったと思うのでありますが、実は、この社会保障の重要な柱であります医療保障というようなものを実施するために必要な前提条件といいますか、不可欠の条件というものが、わが国においては大体要するに欠けているわけであります。特に社会保障の前提条件というものは、単に傷病に必要だとか、老齢に必要な場合に、一定の所得を保障するとか、あるいは現実給付としての医療を保障するというだけでは、私はこれは実現できないという考え方を実は持っているのですが、やはり働いても働いても生活に困るというような、こういう実情は、ことに零細企業などにおける労働者にとってはあるのでありまして、そういう社会的な危険に遭遇して、生活に困るという人を考えるなら、まずもって日々働いている人の最低生活を考えるというようなことは、これはまつ先にやらなければいかぬし、欧米諸国はもちろん、今日四十何カ国が最低賃金制を実施しているのに、日本においてはまだその制度すらない。完全雇用政策を現実の政策として打ち出しているかというと、これもやっておらない。あるいは児童手当など、そういう部分に対しまして、国家が責任をもって児童手当を実施しているかというと、これもやっておらない。今日の少くとも自由主義経済を前提とする場合におきましても、社会保障を考える場合に不可欠の前提条件というべきものがほとんど欠けておる。私は全部とは言いませんが、ほとんどが欠けておる。そういう実情を前提としてわれわれは社会保障をやろうというわけであります。それで、まあそれもやらないよりはいいわけでして、やろうとするわけですが、そうすると何をやるか、まず医療保障という問題、これはやはり傷病というものは国民的な広がり、社会的な危険の中においての国民的な広がりを持ち、頻度においても高い。従って、傷病を契機として発生する貧困、また、貧困というものはさらに傷病を発生するという悪循環が御承知通り日本においてはあるわけです。そこで、こういう社会的な問題を、われわれが社会保障の名のもとに、特に社会保障の重要な柱の医療保障のもとに解決しようという場合には、いろいろな政策が打ち出されなければならぬわけですが、ところが、当面わが国におきましては、国民保険という、こういうスローガンを掲げて、従来五カ年計画、四カ年計画でやろうというふん切りをつけたわけです。見てみますと、国保をやろう、行政化するというようなところまで行くことについては徹底した普及政策だと思うのですが、今日、第一年度において、五百万を吸収して、順次いって、だんだん未加入者の二千七百万か、三千万に近いものを包括しようとかかるわけです。ところが、実際国保運用上の必要な事務費、実際にかかる百数円の事務費すら国庫が負担しない。九十円足らずの事務費しか国庫が負担しないということで、一体そういう未加入の者を包括するための、医療保障の柱を建てる意味でふん切りをつけた国保一つだけとってもそういう状態です。おそらく四年かかっても、私は現在の三千万近い未加入の者を医療保障のワクの中に吸収することができるとは、実は私はそういう楽観は決してしていないのです。現に、五人未満従業員のいる事業所の実情の調査に対する信頼すべき資料というものも今までなかった。そういう関係で、一体この五人未満をどういうふうに吸収するかということは、これはいろいろの機会に論議されて、現にわれわれが委員会でも討議しましたが、社会保障制度審議会でもやった。五人委員会でもやっている。日経連は日経連でやっている。ほかでも……。とにかく五人未満の問題は相当に重要な問題として考えているが、これは何ら軌道に乗った解決の方法がとられていない。かてて加えて結核対策、これが抜けているために、全部、いわゆる医療保険の財政の赤字の原因、主たる原因が未決問題として放置されているために、われわれが見ますと、いわば枝葉末節のこういう健保の一部改正という問題が出てきていると思うのです。そういう主たる原因をわれわれは本格的に取り上げることなしに、なぜしからば、こういう健保の一部改正なんかを順次取り上げなければならぬかというところに、この問題があると思うのですね。そういう問題が出てくるというところは、私から見ますというと、やはりまずもってわれわれがまっ先に、国家が全面的に、徹底的に、責任をもって、個人の責任なり、経済の限界をこえて解決しなければならぬ大問題をたな上げしてと言いますか、それを未決問題として、そうしていわゆる国民保険というような、そういう形式的な問題に踏み込んでいるというところに私は大きな間違いがありはしないかというふうに見ているわけです。従って、私はこれはこの大問題が解決されない限りは、健保のいじくり方に対しては、原則的には私は不満であり、反対意見を持っているのです。しかし、国家なり、あるいは厚生省なり、また、議員さん方がこの大問題を今日まで取り上げることなしに、こういういわばむしろ当面の問題の解決をしようと思えばできる問題、この解決できる問題だけに、なぜこういうイージー・ゴーイングをしているかということに、私は大きな不満を持っている一人です。もしそういうことが急にできないとすれば、やはり中小企業対象の政管健保の、いわゆる財政的な安定というものが、これは健保関連のすべての人にとりまして、どうしても重要な事柄でありますから、国保の補助なり……それができなければですね、やはり何らかの打開策というものを緊急の課題としてわれわれが取り上げなければいかぬのじゃないか、そういうふうに考えた場合に、今度のような、あれがかなり相当の紆余曲折を経てここまできているのですから、もし他によろしき方法がないとすれば、私はやむを得ないのじゃないかということが、まあさっきの私の意見の一端なわけであります。(山下義信君「私は承服ができない」と述ぶ)ですから、その点が、いわゆる私の非常に今度のは原則的には私は賛成できないところです。しかし、そういうことが、他に方法がなければ、私はこれもやむを得ないのじゃないかという考え方を実は持っているのであります。
  27. 山下義信

    ○山下義信君 今の坂本委員質問に対する平田教授のお答えの中に、国会の審議が、健康保険改正のその問題点の審議のみに終始されて、そうして国の責任制についての基本的な問題になぜ論及され、審議しないかという御所見がありましたが、これは一つ平田教授の誤解を私は解いておかなければならぬ。今日までわれわれが論議して参りまして、足かけ両三年――この内容は非常に変化して参っておりますが、この両三年この健康保険改正案を国会は審議して参りましたが、枝葉末節だけをやってはおりません。それは一部負担の理非曲直、あるいはその他の部分につきましての問題も、もとより取り上げて、掘り下げて論議しておりまするが、その奥にひそんでおりまする、われわれ国会の審議いたしまするわれわれの基本的な態度というものは、先ほど初っぱなに同僚藤田委員質問いたしましたように、この健康保険改正案を通じて、国はいかなる方針を持つか。基本的を理念は、どういう方向に持っているかということを、これをたたいているのでありまして、これを論議いたしているのでありまして、ただ単に五十円が安くて、百円が高いからというような、そういうその枝葉末節のことを論議はいたしておりません。その点につきまして、政府が持っておりまする方針が非常にあいまいなので、私どもはこの健康保険改正案内容の具体的な諸点を通じつつ、基本的な問題を論議しているのでありまして、私は多くを申し上げませんが、平田教授といい、清水先生といい、あなた方は厚生省顧問である。厚生省のアドヴァイザー、ブレーンでおいでになる。この本案の改正については、政府提案については御責任のあるお立場の方々であります。従って、本日の公述人において、原案を御支持なさる方向の御論議は御当然でありまして、私どもが伺いまするというと、あなた方の御答申、あなた方の御意見の中で、枝葉末節の御勧告はあるけれども、基本的に、国が、いかなる社会保障制度の、どういう性格のものを、医療保障についてはどういう立場を国がとるべきであるか、その見解はどうであるかということについての明確な御所見を私どもは承わることができないのがむしろ遺憾であります。国会の審議を御批判あそばすよりも、あなた方が、せっかく厚生省から御依頼を受けられて、あるいは七人委員会といい、あるいは社会保障制度審議会に熱心に御尽力下さるのならば、わが国社会保障制度はどういう基本方針で、また、医療保障制度はどういう根本的な性格、方針で行くべきだという明確な御所見をお示し下さらなければなりません。先ほどからのまことにけっこうな御意見を伺いましたが、すべて前提をお立てになりまして、現在の健康保険の財政でならばとか、あるいは国の負担の財政の状況では仕方がないからこうであるとか、すべてどちらかと言えば、現実に……それは現実に即する議論はまことにその面におきましては貴重でございますが、しかしながら、諸先生のその前提条件というものは、今日の一年か二年の前提条件をおつけあそばされて……、しかるに、この法案は三回も変化しております。三回のつどに、この程度ならば仕方がない、去年の案でもこの程度ならば仕方がない。今年こう変っても、この程度は仕方がないだろうと、どう案が変っても是認をあそばすのでは、これは御都合主義の御議論と言わなきゃなりません。この点、健康保険の財政でも、国の財政でも、非常に大きにここ一両年変化したではございませんか。神武以来の好景気と言い、非常に大きな変化をいたしまして、ごらんなさいませ、在外資産の補償に五百億を出そうというのじゃありませんか。皆さん方がおきらいになりまする軍人恩給でも、四百億を出そうというのじゃありませんか。しかるに、せっかく社会保障制度の諮問をお受けあそばす先生が、なぜ数百億の国家投資を必要とする議論を、この両三年の動勢を達観せられまして、お立て下さらぬのでありましょうか。あなた方が、政府顧問であられるあなた方が、非常な消極な見解をお持ちになって、常に現状丸々に立脚して、この程度、この程度とおっしゃっていただいたのでは、日本社会保障制度が飛躍することはできません。どうか一つ、先生方におかれましては、この国の責任制をどうするか。健康保険制度におきましても、国営的なにおいの部分があるかと思いますると、保険制度の相互保険の部分が非常に……、それもありまして、現在の政管の健保の制度の上だけでも、何と申しまするか、どの方式を用いてやるのかという筋がちっとも立っておりません。ある意味においての国営と言いますか、国営という言葉が悪ければ、政府公営と申しましょうか、そういう点がございます。ある面におきましては、保険主義か、相互主義でやれという面もありますが、筋が立っておりません。従って、保険制度に対しましても、一部負担に対しましても、監査審査、その他に関しましても、保険の経営全体を通じまして、理念が分裂している。なぜそういう点を筋の立つように先生方が政府に御忠告下さらぬのでありましょうか。私はそう感じておる一人でございます。決して国会は、両三年これに費しておりまするが、百円がどうの、七十円がどうの、さような金目の枝葉末節のみを言っているのじゃございません。この改正案を出します政府の根本理念が非常にあいまいである、無方針である、確固とした国の基本方針がない点を、私どもは少くとも――先ほど藤田委員が言われましたように、将来の日本の政治のあり方とにらみ合せまして、ただ単に半年や、一年のことでやってはいけない。半年や一年のことならば、しばらく目をつぶりまして、私は政府の改悪案といえども、一面の理を認めることにやぶさかではございません。しかしながら、少くとも五年、十年の将来の日本のあり方、日本の政治のあり方を考えまして、そこで政府と論争いたしておるのでございまして、決して国会は枝葉末節のことのみの審議に終始いたしておりませんので、その点どうぞ誤解をして下さらぬように、先生のせっかくの御説明でございましたが、一言こちらの側の所信を申し上げておきたいと思います。
  28. 平田富太郎

    公述人平田富太郎君) よくわかりました。ただ私は、七人委員会厚生省と関連がありましたが、今度の改正案については何ら実は意見を述べたことも、これまでなかったのでありまして、その点は釈明しておきたいと思います。  なお、重要な問題につきまして、これまで全然国会等で取り上げなかったというようなことではなしに、そういう重要な問題が国の政策として確立するところまでいっておらないという点についての私の考えを先ほど申し上げたのでありまして、決してこれまで全然審議しておらないとか、そういうことではないのでありまして、その点は一つ誤解のないようにお願いしたいと思います。
  29. 千葉信

    委員長千葉信君) 坂本君に申し上げますが、質疑の時間は大体予定をこえておりますので、御意見はなるべく必要の限度内にしてやっていただきたいと思います。
  30. 坂本昭

    ○坂本昭君 私は今までも意見を述べていないつもりであります。ただ平田先生はりっぱな学者だと思いますけれども、今ここでその社会保障学論を論じておるひまはありませんから、次の沢田さんに一つお聞きしたいと思います。  なかなかその地固めでなくして、地すべりというような名言を吐かれましたが、一つお聞きしたいことは、継続給付の資格期間の延長が六カ月から一年になりましたが、それで一体この困られる人、実際にこういう方があなたの周囲にこまかい計算はできぬと思いますが、何%おられるでしょう。
  31. 沢田栄一

    公述人(沢田栄一君) この数字の問題につきまして、実は私不肖にしてそのはっきりした実数をつかんでおりません。ただ私の知っておりまする範囲でも、あちこちにそういうふうな実例を見ておりまして、一つの病院、これはかりに百人の健保患者がおるところではおそらく二人や三人、あるいは四、五人程度の該当者は出てくるのではないかというふうに思うのでございますが、はっきりとした実数は現在のところ承知いたしておりません。
  32. 坂本昭

    ○坂本昭君 これはぜひお調べ願いたいと思います。
  33. 沢田栄一

    公述人(沢田栄一君) かしこまりました。
  34. 坂本昭

    ○坂本昭君 それから次に、沢田さんは東京都に住んでおられると思いますが、都下の結核療養所の入院患者さんの中で、政府管掌で入院されている方、これはもうおそらく今と同じようなことだと思いますが、大体どれくらいですか。
  35. 沢田栄一

    公述人(沢田栄一君) 現在の東京都の結核療養所のベッド数が大体一万ちょっとこえるくらいだと存じますが、その約四〇%程度は健康保健の患者でございまして、そのうちの政府管掌と組合管掌との比率は、大体三分の二くらいが政府管掌ではないか、こんなふうに思うのでございますが。
  36. 坂本昭

    ○坂本昭君 ありがとうございました。それらの点また実は実情をお調べ願いたいと思います。  次に、あなたの知っておられる療養所のあきベッドの状態ですね。これは先ほどから論じられましたが、あきベッドはかなりあるのじゃないかと思いますが、そのあきベッドの状態と、それについてずいぶんあいておる、先ほども家におって療養を受けている人が食費の点で入院している人よりも非常に不利だというような話がありましたが、一体あきベッドがかなりあると思うのだが、それについてのあなたの簡潔な御意見を聞かして下さい。
  37. 沢田栄一

    公述人(沢田栄一君) 昭和二十九年に生活保護法による入退所基準というものが実施されて以来、生活保護法の患者についてはきわめて減少の傾向をたどっております。その反対に、健康保険患者が一時増加いたしましたが、私の見る範囲では、この増加も頭打ちの状態にきている、そうして現在のところ、各施設の中で相当数のあきベッド出がてきております。全国の国立療養所でも約六千から七千くらいのあきベッドではないかといわれておるわけでございますが、この例として、たとえば国立の京都療養所では現在百五十ベッドがある、また福島、岩手ですね、非常に多く、百五十から二百のベッドがあいておる状態であります。このあきベッドの原因の一つに、私は現在の患者医療費の負担が非常に過重であるという点があげられると思うのです。また、健康保険の問題につきましては、特に先ほど申し上げました中小企業の患者が、休職期間を確保されないために首を切られる心配から、十分、なおりきらないままに、進んで退院していくという実情、これが非常に私はあると思うのです。こういう点でも、健康保険の一部負担がさらにやられるならば、ますますこのあきベッドの増大が考えられ、ひいては先ほどおっしゃられました日本医療保障の問題で大きな問題が浮び上ってくるのではないか、こういうふうに思うわけです。
  38. 坂本昭

    ○坂本昭君 それでは最後に一つ患者さんの立場でお聞きしたいことは、単価引き上げということと、それから沢田さんは健康保険で入院していられる患者さんの立場について、どうお考えになりますか。
  39. 沢田栄一

    公述人(沢田栄一君) 現在の一点単価昭和二十六年に作られたままで、いまだに変えられていないということを私は承知いたしております。そのために、現在の入院点数、あるいはいろいろな診療点数のきめ方に非常に不合理な面が出てきていると思うわけです。たとえば、現在国立の療養所の給食費は九十六円十銭という状態にとどまり、また、国立病院の方は、九十四円十銭という状態にとどまっておりますが、これがなぜ改訂されていないか。その基礎となる保険局の点数計算自体が、二十八年の十一月と承知いたしますが――を最後に依然としてやられていないということ。で、そのために国立の給食費の方も全然前進をしておりません。私はそういうような点から一点単価、また、合理的な点数というものが早急に考えられなければならないのではないか。私どもは十分な医療を受けるために、ほんとうにお医者さんに良心的な医療をしていただくために、この一点単価の検討に賛成いたすものであります。  同時に、この一点単価の検討は、ある面では、入院料の増加というような現象を生み出すと思うのですが、これについてはまた、被保険者立場から、家族給付の給付率の引き上げであるとか、あるいは生活保護法の基準額の引き上げであるとかいうような点で考えていけばよいのではないか、私はこのように考えるわけです。
  40. 坂本昭

    ○坂本昭君 今の問題、もう少し沢田さんにお尋ねしたいのですけれども、時間の都合上で一応これで打ち切りまして、最後に、清水さんにお尋ねいたします。  先ほどのお言葉で、一番最初に、安心して経営運営のできる方向への今回の改正法案は時宜に適している、そういうことを言われました。ところで、私は清水さんにお尋ねいたしたいことは、社会保障ということについて、清水さん、一体あなたは何を求めておられるか、これはちょっと質問が悪いかもしれませんが、一体清水さんは、経営運営の黒字になることを望んでおられるのか、それとも国民の、働く人々の健康で仕合せに生きていくということを望んでおられるのか。今の最初のお話を聞きますと、何かわれわれは、経営運営がうまくいって……拝見いたしますと、清水さんは労災協会の会長さんでございますから、赤字になったんではボーナスが出ないだろうと思う。そこで、どこをねらっておられるか、求めておられるか、その点一つお聞きしたいと思います。
  41. 清水玄

    公述人清水玄君) もちろん社会保障である以上は、国民の福祉ということが目的であることは当然なことなのであります。ただし、その目的を達するためには、すべての機構というものが最も円滑に動かなければならない。従って、そういう、つまり安全確実なる保険の運営ということも必要だ、こういう意味でありまして、もちろんおっしゃる通り、全体の関係者の福祉ということが先決問題ということは申すまでもないことだと思います。  そういう意味であなたのお話を伺って感じたのですが、たとえば一部負担にはそれでは反対かとおっしゃれば、そういうことではない、一部負担ということは、やはり運営をやっていく上の一つ手段、方法として、ある程度そういうこともあって円滑な運営の一部分の資料になっている、こういう意味で申し上げたのです。
  42. 坂本昭

    ○坂本昭君 きょうはだいぶ前提条件が落っこちまして、平田さんの前提条件が落ちておられ、清水さんも一番大事な前提条件を省かれたので私ちょっと誤解いたしました。  次に、お伺いいたしたいのは、今回の改正案は、各種の審議会や委員会で是認されたものであると、私もその一員であったということを述べられましたが、各種の審議会、委員会内容、それからその是認は満場一致であったかどうか、簡単に一つ
  43. 清水玄

    公述人清水玄君) 私が申し上げましたのは、社会保険審議会、社会保障制度審議会、七人委員会でそれぞれ論議があったのであります。大体の方向として是認されたと申し上げたんですが、たとえば一部負担につきましては、社会保険審議会においては一部の人の反対がありました。がしかし、多数の方の人は賛成でありましたが、ただし、これは審議会の性質上、決をとってやるなんということがありませんので、答申には一部の人は賛成であるし、一部の人は反対である、こういう工合に出ておるわけです。
  44. 千葉信

    委員長千葉信君) 午前中の公述人に対する質疑は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  45. 千葉信

    委員長千葉信君) 御異議ないと認めます。  午前中おいで願いました公述人の方方には、長時間にわたりまして、貴重な御意見の御発表をいただきましたことを厚くお札を申し上げる次第でございます。  午後一時五十分まで休憩することにいたします。    午後零時五十二分休憩    ―――――・―――――    午後二時十三分開会
  46. 千葉信

    委員長千葉信君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。  午前中と同様に、公述人全部の意見発表が済んでから御質疑を願うこととし、まず最初、法政大学講師吉田秀夫君からお願いいたします。
  47. 吉田秀夫

    公述人(吉田秀夫君) 法政大学の吉田でございます。私は、今回の政府提出並びに衆議院で可決になりました健康保険の一部改正案に全面的に反対だという立場で、若干その理由を申し上げたいと思います。まず第一に、社会保障制度の中で医療保障制度がここ二、三年余り最大の比重をもって論ぜられ、また、非常に鋭い社会的な政治的な問題になって参りました。御承知のように、私の隣におります近藤先生を差しおいて言うのはおかしいですが、昭和三十年の十月に七人委員会の膨大な発表がありまして、さらに、最も権威を持っておるはずの内閣の社会保障制度審議会の昨年十一月の医療保障制度に関する勧告がございました。この二つとも、前者は約半年余り、後者は約一年半という非常に長い時間をかけてなされたものであります。さらに、昨年の秋ごろから、またあらためて、数多い医療保障に関する改革意見がいろんな団体から出されております。たとえば、日本経営者連盟、また、日本労働組合総評議会、また、日本医師会等々であります。これらすべては、まあそれぞれの立場により私え方も違っておりますし、また、長所も短所もありますし、私から言いますと若干批判もないわけではありませんが、いずれも、抜本的な医療保障改革を目ざして出されたものだということは、否定できないと思います。にもかかわらず、今回の政府提出並びに衆議院で修正を見ました健康保険の一部改正案は、こうした委員会あるいは審議会、あるいは諸団体の権威に対していきさかの配慮もなく、依然として旧態依然たるきわめて官僚的な、また、こそく的な手段で対処しようとするものであるということを言わざるを得ないわけであります。午前中の参考人であります清水玄先生のお話によりますと、今回の健康保険改正案は、社会保険審議会も社会保障制度審議会も多数をもって承認したということだそうであります。しかし、これはだいぶ前の話で、ここ二年余りの間に情勢はかなり変ってきたということを注意しなくちゃならないと思います。特に、今回の政府提出の健康保険法律改正案は、当然諮問さるべき社会保険審議会に正式に諮問を経ずして、ただ了解事項として国会に提出を見たというような、こういういきさつを持っております。  さらに、午前中平田あるいは沢田両氏からの指摘の通り、抜本的といいましても、社会保障制度全体からいいますと、一番大事な肝心な結核対策に対しての配慮がほとんどないこと、それから国庫負担に対して毎年の予算の範囲内で適当にやるというようなそういう法律改正案、こういう点がきわめて問題だろうと思います。大体これらの委員会審議会や及びいろいろな団体の意見の中に共通して見られますのは、何かいろいろな社会保障制度の危機がありますと、その当該の社会保険制度あるいは社会保障制度のワクの中で技術的に問題を解決しようというようなそういう傾向がございます。これは、私から言わせますと、根本的な解決にはならないという感じがいたします。なぜならば、現在の日本の置かれておる状態の中で、たとえば労働者階級を見ますと、一つは、一方に神武以来の景気をたたえる大企業及びその傘下の労働者がおります。もう一つは、神武以来の景気にほとんど日の当らない零細中小企業及び数百万人の労働者層がおります。ところで、この日の当らないそういう好景気の恩典にあまり浴さないという零細企業の場合には、実は大企業の労働者と比べまして、社会保険――といいますと、具体的に言いますと、健康保険なり厚生年金なり失業保険、あるいは労災保険というようなこういう社会保険の仕組みが唯一最大のカバー――労働者のいろいろな生活、労働条件その他をカバーする福利厚生施設的な役割を演じているということであります。まあこのうち、日常直接に一番関係の深い健康保険の問題に今度メスが入ったということであります。さらに、そういう大企業と零細企業及びその傘下の労働者の非常に大きな格差、みぞ、こういう問題、さらに完全雇用の問題、また、最低賃金制の問題というようなことに関連しまして、結論的に言いますと、勤労者全体の生活の向上ないし国民大衆全体の生活の向上ということが前提条件であります。こういう前提条件を無視して、単に制度のワクの中でこそく的な手段をやりましても、本質的な解決の道には非常に遠いということであります。従って今回の健康保険改正案につきましては、やはり根本的な出直しを要請せざるを得ないわけであります。これが第一の理由であります。  第二の理由としましては、これは率直に言いまして、第一次の健康保険改正案も、また昨年六月流産しました第二次健康保険改正案も、あの当時の情勢と現在の情勢とでは非常に大きく違っておるということであります。三十年度六十億という赤字の見通しが、実際には収支決算で四億二千六百万円の黒字を生んだというようなこと、これに対しては六十億円の大蔵省からの借金があるからそれも含めるという反論が出るかもしれませんが、とにかく現実には四億何千万円かの黒字になったということであります。また三十一年度も当初におきまして六十六億円という膨大な赤字政府当局は示しました。ところがだんだん減りまして、最近はたな上げの三十億を加えまして、さらに予備金等を操作しますと、とんとんの保険財政かあるいは逆に十億円くらいの黒字になる、こういうことであります。なぜこういう好転の状態を生んだかというようなことは、今までの参考人の意見にもございましたが、私は次のような点にあると思うのです。それは三十年の六月に社会保険診療報酬支払基金に医療担当者側の若干の反対を押し切りまして、相当多数の専任審査員が置かれました。それから同じ年の九月にいわゆる抗生物質等の点数を下げ、さらに結核の一点加算というようなこともやり、これで数億節約になったと思います。それから去年、三十一年の八月には約四十六の支払基金ほとんどに十万の歯科医師保険医審査録の整備がなされております。さらに九月にはこれも若干国会で問題になったようでありますが、三百数十名の保険調査員の設置などを見ました。これらの一連の行政措置によりまして、とにかく医療費はかなりきつく引き締められ、一方事業主並びに被保険者等に対するかなりきびしい調査の上で収入の増加も来たしたということ。さらに健康保険赤字だと、こういう声に有形無形の医療担当者の萎縮診療というような影響があったと思います。さらにもう一つ政府の謳歌する未曽有の好況、神武以来の景気ということも、若干は大企業あるいは大資本につながる下請けの中小企業その他に反映したに違いないと思うわけです。  こういうふうに非常に情勢の著しく違った中で、何を好んで昨年の六月に審議未了、流産しました健康保険改正案とほとんど内容の同じそういう法案をあえて強行しようというのであろうかということが、実は私は非常に疑問を持ちます。もしもたな上げになった当然いただけるはずの政府管掌に対する三十億の国庫補助がほしいのだと、それだけの理由であるならば、これは非常に不見識もはなはだしいと私は思うわけであります。もちろん三十億がほしければ、これは別に健康保険改正というような非常にこそく的な手段でなしに、これは別個に厚生保険特別会計の一部改正で三月末までにやれば十分出る話であります。それからもう一つ赤字対策ではない、これは政府の公約であります国民保険のための地ならし、まあいい言葉で言いますと、医療保険の健全な運営だ、あるいは不均衡の是正だというような言い分が通っているようでありますが、これは一部負担を含めて、あとから申し上げます一連の官僚統制を含む今回の改正案を見ますと、明らかな後退だと言わざるを得ません。特に政府管掌の健康保険の労働者の一年間に平均して保障された医療費は年額六千五百円だ、家族は二千円だ。それから日雇健康保険が本人が三千円で家族は千円だ。国民健康保険は年間にしますと千三百円くらいだ。全然未適用の国民は何と一年間に七百円、八百円だ。こういう医療費のアンバランスの姿を社会保険制度審議会の勧告は前文にうたっております。実はこれだけ数字を見ますと、確かに政府管掌の労働者が一番たっぷりした医療給付を受けておるというような感じを持ちます。しかし実際には御承知のように政府管掌の健康保険には、まともな法律による国庫補助の措置は全然ございません。自前で年間八千円。九千円あるいは一万円近い保険料を払って、その中で、自分の保険料の中で六千五百円程度の医療給付を受けることは当然のことであろうと思います。こういう点を全然触れないで、ただ政府管掌の労働者が一番ぜいたくだというような形でこの数字が実は悪用されておることを非常に残念だと思っておるわけであります。  ところで、問題は国民保険のことでありますが、これは先ほども平田先生から御指摘がありましたように、私はほんとうに皆保険をやるならば、もう少し日本の現状、特に肝心の国民健康保険の現在の姿を徹底的に究明してから始めてもらいたいと思うわけであります。これは最も権威のあるといわれております厚生省の去年十二月の厚生白書によりましても、まだ医療費の問題その他の問題が非常にうるさくない昭和二十九年度において全体の約四割、三千のうち約四割の国民健康保険赤字だ、あとの六割は辛うじて国庫補助二割五分、並びに市町村の一般会計からの補助一割二分というような補助を前提としてやっとやっておるのだ、こういうことであります。これは御承知のように三十年度を経まして三十一年度の場合には、地方財政整備、いわゆる地財法という法律の施行によりまして市町村の財政は極度に窮迫しております。従って四割という赤字は、私は五割ないし六割あるいは七割近い程度に今日の段階では増大しておるかとも思います。さらにことしに入りまして、政府から発表になりました国民健康保険実態調査を見ますと、現在国民健康保険の被保険者になっております人たちのうちで、一年間に七万円以内の収入きりないという世帯が二割七分もあるということであります。これは現在をもってしましても、まともな国民健康保険保険料負担には耐えきれないということであります。さらに御承知のように一部負担は標準としまして五割なんです。その五割の一部負担を払えないために、数多い貧農やあるいは低額所得国民層が実際保険料を払っても国民保険を利用できないという事情がございます。こういう点から見まして、大体二年や三年あるいは四年というようなことで年度を限って国民保険を作らなければ政府の奨励金や助成金は出さないというようなことまでかぶして、国民保険を強行するということには私は非常に疑問があると思いますが、国民健康保険の普及の地ならしだということでありますと、その地ならしは明らかに後退だということであります。さらにもう一つ問題にしたいと思いますのは、現在の国民健康保険の法的な規制によりましても、五人以上の事業所に働く労働者が、御承知のように行政管理庁の査察報告によりますと、平均しまして五割、東京の場合には七割適用外、大阪の場合には三割適用外、こういう報告でございます。そうしますと、実際には国民保険と言いながら、当然法律をもって強制的に適用になる事業所が相当数適用除外になっているということであります。  それからもう一つは任意包括という制度があるはずでありますが、これはあまりと言うよりも、ほとんどこれを認めない方針が当局にあるやに聞いております。事実私がタッチしたいろいろな事例によりましても、最近五人あるいは十人、二十人というような事業所におきましては、せめて健康保険くらいはほしいのだということで、末端の社会保険出張所の事務所に参りましても、保険料をもし半年かあるいは一年分、あるいはもっとさかのぼって三年分を払いますと、健康保険の適用を認めるという、ほとんどおどかしに近いような行政措置が末端にあるということを聞いております。こういう現在持っております矛盾を解決することが一番大事なことなのです。そういう前提の中で、五人未満の労働者にもまともな健康保険制度、さらにまともな国民保険制度という形でしなければならないと思うわけであります。  それから第三の理由としまして、これはおそらく国際的にもあまり前例のない、そして日本国憲法並びに国内の各種の法律との関係から言いましても、これに背馳するのじゃないかと思われるような一連の官僚統制的な措置が今回の法律改正案にあるということでございます。その代表的なものが検査権の強化であり、また保険医療機関のいわゆる二重指定という問題であります。このことは第二十四国会におきましても、また今次の国会においても、それぞれ専門委員会においてしばしば指摘せられているやに聞いております。たとえば検査権の強化につきましては、罰則を含めて本改正法案中の項目のうちで、随所にわたり最大の比重を持って詳しく規定されているところでありますが、これは事業主、被保険者医師歯科医師、薬剤師もしくはその医療の手当を行なった者すべてに共通のことでございます。役所の、特に末端の役所の当該の職員の質問に返事しなかった、あるいは虚偽の答弁をしたり、また報告や関係書類、物件の提出をしなかったりした場合、一万円以下の罰金ないし過料に処せられるということでございます。ただしこれらの質問検査は、身分証明書をその当該職員が持っておれば、第九条三項その他にもわざわざ断わってありますように「犯罪捜査ノ為認メラレタルモノト解スルコトヲ得ズ」とわざわざ断わり書きがございます。この断わり書きを見ましても、これは立案者である当局自身が国の憲法で保障されております基本的な国民の人権を侵害することを憂慮しての文句の投入ではないかとさえ思われます。すなわち質問の強制は、これはたとえば殺人罪というような犯罪を犯しましても黙秘権、否認権があります。さらに施設へ強制的に立ち入りますことは、国民の住居の自由を侵害するということになります。大体国民の福祉あるいは労働者の健康を保障するというような、こういう健康保険制度の中に、なぜ往年の治安維持法やあるいは特高警察的な捜査権の発動に近い、そういう法律強制権を入れる必要があろうかということであります。特に被保険者の場合には、――大体約十万の保険医指導し、あるいは監査する場合にいつも唯一の材料になりますのは、これは患者に対するいろいろな調べであります。ところが患者にとりましては、被保険者にとりましては、自分の受けた数カ月前の保険給付の中で注射を何本受けた、往診を何回してもらった、あるいはその他の諸種万般について正しい記憶があるはずがないわけです。大体そういうものを材料にして、まず指導あるいは監査の対象にするということにも一つの問題がございます。これはおそらく政府当局自身が、国民の被保険者もあるいは医療担当者もあまり信用できないというその意識から出ているのではないかと思います。これは不幸です。しかし社会保険制度は、一八八一年のドイツ、ビスマルクの近代社会で初めて作られたあの当時を振り返ってみてもわかりますように、これは社会不安あるいは労働争議、その他そういう社会的ないろいろな諸問題が激化して、その緩和剤として、そのあめとしての役割りが作られた当時から非常に強いということはこれは否定できません。しかるに今回の改正案によりますると、肝心のあめの中にさらにむちを入れる、そうして改悪しようというようなきらいすらも考えられるわけであります。  また二重指定にしましても、いかにその運営に万全を期しましても、またいかに付帯決議で適当にやれというようなことがありましても、これは有形無形のいわゆる官僚的な圧迫に対しまして、おそらくすべての私的医療機関には相当の影響を与えることはこれは必至でございます。すべての私的医療機関とは、改正法律案によりますると非常に巧妙に表現されております。たとえば第四十三条によりますと、医療機関は三つに分類されております。その一つは知事の指定する保険医療機関であり、二番目には特定の保険者の直営ないし指定医療機関であり、三番目は健康保険組合直営医療機関と三つに分れております。このうち三年の任期制を受けるのは第一の医療機関すなわち私的医療機関ないし開業医のみということであります。これは明らかに私的医療機関抑圧、あるいはだんだんに開業医制度を抹殺するという、そういう政策の具体化というふうに考えざるを得ないわけであります。特に全国民に対しまして医療保険をという皆保険政策が進行し、あるいは将来完了せんとする段階におきまして、もし指定からはずれるということになれば、これは一体どういうことになるのであろうかということであります。ある意味ではもし指定からはずされれば、実際には医者としての仕事ができなくなる、これは医師の免許状剥奪であるというような理解の仕方を持っている医療担当者もおるわけであります。  大体わが国の現在の保険医療機関のみじめな姿は次の諸点にあると思います。それは国際的に言いましても、あるいは国内の諸物価から言いましても、格安の保険診療報酬と、それから保険医のすべてをまるで不正請求者扱いにするがごとききびしい審査監査と、もう一つは繁雑きわまる事務手続と、最後に医学技術の進歩向上を絶えずはばむような、良心的な診療ができないようなそういう制限診療にあると私は思うわけであります。これに輪をかけてさらにみじめな統制下に置こうとするのが、今回の検査権の強化及び二重指定であろうかと思います。国会議員の中にはかなり諸外国の社会保障の事情を視察されてお帰りになられた方も少くないと思います。一体どの国にわが国のようなこういうみじめな姿があるのか、またどの国にこういう医療機関に対する、ことに被保険者その他に対するこのような統制の仕方があるのかということを逆にお伺いしたいぐらいだと思います。それは私がお伺いしましたある長老の参議院議員のお話によりましても、少くともヨーロッパ諸国にはあまりこういう非常にめんどうくさい事務的な手続や、あるいはこのような、医師が大体まともな品位のある人間として扱われないような、こういう統制はないというお話を聞いたことがございました。  最後に、こまかく言いますと、たとえば一部負担につきましても、家族の制限につきましても、あるいは標準報酬の最低を四千円にするということにつきましても、あるいは継続給付につきましても、それぞれ言い分がございます。まあいずれも率直に言いますと、最もみじめな零細企業の、政府管掌の労働者に対しましても、特に低収入と悪い労働条件であえぐ、そういう零細な企業の労働者に対しましても、その中でも病気になったという非常に不仕合せな患者に降りかかる問題でありますし、さらに保険財政的にはあまり大して努果もないだろうというようなことを考えあわせましても、これは人道上の問題でさえあろうかと思われます。これらすべては明らかに後退、改悪であると思います。  以上の指摘で私の立場は明らかなように、今回の健康保険改正案には全面的に反対であります。本来ならばこれを撤回して、政府当局自身、冒頭に述べましたような諸勧告、諸意見書、諸団体の意見等を謙虚にくみ入れて根本的な対策をはかり、出直すべきであるというふうに思いますが、すでに衆議院を通過した今日、参議院の良識を信頼する以外にはないということを非常に残念に思います。すなわち徹底的な慎重審議されるということであります。たとえば国民保険と今次健保改正案関係、健保財政好転の事情の分析と見通し、さらに改正各項目につきまして、実際の現状との関連とその影響、昨年発表されました行政管理庁の政府健康保険の行政査察の報告の検討、さらに諸外国の医療保険のあり方、特に手続、監査指定などは、実情などのほか、少くともこういう諸点を十分に国会で御審議を明らかになされまして、少くとも国民各層が納得するような審理を期待したいと思うわけであります。  最後に、参議院で過日イギリスの原水爆の実験禁止の要請をなさいました。ところが二、三日前の新聞によりますと、イギリスのある有名な、著名な哲学者ですら、今回のイギリスの原水爆の実験は愚かなる大国の虚飾だという、そういう表現だそうであります。こういう愚かなる多数党、あるいは愚かなる云々というようなこの言葉が文字通りそのまま私の方から提示をできないようなふうに、慎重な御審議を切にお願いしまして、私の公述を終る次第であります。
  48. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さまでした。   ―――――――――――――
  49. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に、大阪市立大学教授近藤文二君にお願いいたします。
  50. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) ただいま山下先生がお話になりました、きわめて筋の通った御意見には私といたしましても賛成いたしますところが多いのでございます。特に今回の健康保険法改正案には根本的な改革という考え方が欠けているのではないかという点は同感でございます。特に零細企業の労働者、すなわち五人未満の零細企業の労働者に関する健康保険の適用の問題等が全然考えられていないということは、これはまことに遺憾だと思います。ただ吉田さんのお話の中にありました五人以上の場合においての未適用の取り扱いについては、私の承わっておりますところでは、吉田先生のおっしゃったようなことは過去にあったようでございますが、最近はそういったような事柄が運営の改善によりまして非常に減っておる、そのことが最近加入者の数が増加して一つの原因になっているのではないかとも考えられるのであります。  元来、今度の改正案政府管掌健康保険赤字対策として出たというところにいろいろな誤解を世間に起しているのではないかと思います。たとえば一部負担制の改革につきましても、いたずらに赤字対策としてそれが考え出されたように一般の方の誤解を招きましたために、非常な非難をそういう意味において受けたのではないかと思います。私は一部負担制の改革は、赤字対策として考えるのであるならば反対でございます。むしろ今後あるべき健康保険医療保障制度そのものの前進のための一つの手がかりとして一部負担制の改革を主張すべきであり、そういう意味において今回の一部負担制の改革については賛成するものであります。すなわち私は一部負担制を今回五十円程度のものから百円といったような形に引き上げようと政府が考えられるその根拠といたしまして、家族の一部負担制、すなわち半額本人負担制とこれを結びつけて考えてみなければならないと思います。吉田先生のお話では、ドイツにおいて社会保険が生まれました当時、確かにそれはあめの役割をつとめたものでございますが、そうしてそのゆえに労働者の方々にとりましては、万全を期する形をとったわけでございますが、社会保険から社会保障という変化は労働者の保険というものを国民保険にする、つまり単に労働者階級だけを考えるのでなくて、広く国民一般を考えるという立場をとって初めて社会保障という内容を持つのでありまして、家族には半額の給付であり、本人が何ら一部負担がないというような形自体は、すでに時代おくれの形であると私は考えるのであります。そういう意味において、吉田先生の説は歴史的発展というものを十分観察しておられないきらいがあるのではないか、私は今日貧困なところの低賃金労働者の方々が、家族が病気にかかられたときに一体どうしておられるかということを非常に必配するものであります。その意味におきまして、家族の療養費は少くとも七割程度まで引き上げなければならない、こういう考えを持っておりますので、そのためには相当の財源が当然必要となるわけであり、この財源こそは国庫負担にこれを求めるのが筋が立っているのではないか、こういうふうに考えるものであります。  そこで一言国庫負担の問題についての私の考えを述べさせていただきたいと思うのでございますが、世には定率国庫負担説あるいは定額国庫負担説がございますけれども、その定率あるいは定額の理論的根拠は一体どこにあるのか、私自身もかつて社会保障制度審議会で昭和二十五年に吉田先生なん、かも御一緒になりまして、社会保障制度に関する勧告をいたしましたときに、二割という線が一応出ているのでございますが、その当時、その二割は一体どこから計算したのかというふうに突っ込まれて答弁に困った次第でございます。そこで現在の私は、国庫負担所得能力の低いもの、すなわち保険料率は同じでありましても、賃金が低い、標準報酬が低い、そのために金額としての保険料が低い、こういったような人々に対してこそ国庫負担をなすべきであるという考え方でありまして、現に国民健康保険国庫負担を得ております根拠は、農村の人たちの所得が平均的に低いということからきているというふうに私は解釈しているものであります。そういう意味におきまして、今回の改正案政府管掌健康保険についてのみ国庫負担を認められている点は、私の見解にそういう意味において一致するわけでございますが、もしそうであるならば、健康保険組合でありましても、たとえば紡績業におけるがごとく、女子の労働者が圧倒的に多い、そのために標準報酬が低いといったような組合に対しては、同じく国庫負担をいたしませんと筋が合いません。また私らが要望してやまない中小企業の総合組合、これは平均標準報酬が当然に低くなるわけでございます。そういったようなものにも国庫負担を考えるべきでありまして、その意味において今回の政府改正案における国庫負担の根拠ははなはだ遺憾であると思うのであります。しかしながら、そういうような国庫負担につきましての遺憾の意は私としては持っているわけでございますけれども、しかしながら給付に対する国庫負担の第一段階が、今回の改正案によって実現されるというのであったならば、何ゆえにこの改正反対されるのかという、反対論者に対して反問を出さざるを得ないのであります。先きほども申しました家族の多い家庭に対しますところの国庫負担論も、ちょうど今の話の逆でございまして、標準報酬が低いものと同じような事情がそこにあるのではないかと思います。なるほど家族のある者は、標準報酬の中に家族手当が含まれているではないかとおっしる方があるかもしれませんが、家族についてはまた療養費の半額しか給付していないではないかとおっしゃる方があるかもしれません。その人たちが出すところの保険料との割合におきまして、家族のある者はより多くの医療費を必要とするものであります。しかもかりに七割給付というようなことを問題にする場合は、ますますその点は大きな問題になるのでありまして、この点を国庫負担によって補うというのが筋合いのとれた国庫負担論ではないかと思うのであります。そのように計算して、その金額が幾らになるとか、給付費に対してそれが何パーセントになるとかいう意味において、何割国庫負担を主張するのであったならば、私はもちろん反対いたすものではございません。このように考えて参りますと、今後五人未満の零細企業の労働者を加入せしめるとか、あるいは家族の給付率を上げるとかいうことに対しまして、相当大きな国庫負担が必要となるのではないかと思います。しかもこの国庫負担は漸進的であるといたしましても、早急にこれを実現せなければならないのでありまして、そういう意味において、一部負担につきましては、よく世間で言われるように、国庫負担をすればそれで片がつくのではないかという議論に対して、むしろ私は反対せざるを得ないのでありまして、私は今すぐ本人の方に負担をしてもらう格好において、家族の給付率を引き上げ、零細企業の健康保険実現すべき一つの手がかりを得るべきではないか、そういう意味におきまして、今回の改正案に対して、いろいろな不満はございますけれども、賛成の意を表したいと思うものであります。もちろん一部負担制度そのものにつきましてはいろいろな議論があり、どういう形のものならばそれが認められるかどうかという議論もあるのでございますが、吉田先生も当時審議会の委員をしておられました社会保障制度審議会の昭和二十五年の勧告におきましては、手数料程度の一部負担はこれを被保険者から徴収することがよろしいというような意見を出しているのであります。そういうふうな事柄を考えて参りますと、さしあたって問題になるのは、その金額、そのやり方ということになるのでありますが、現在すでに一部負担制度というものは制度として行われているのであります。初診料の一部負担と申しますか、初診料の金額に相当する金額の一部負担というものが制度化されているのであります。もし一部負担がいかないというのであったならば、これを撤回するという議論の進め方をされるべきではないかと思うのでありますが、その点につきまして、私はあまり多くの議論を聞かないのは、いささか不思議ではないかとさえも考えるのであります。もしかりに現行制度が一応是認されるといたしますならば、近い将来、新医療費体系実施されまして、現行の四点が最初の案で見ますと十二点になります。その後変更された案によれば八点になるのでありまして、現在の法律をこのまま残していくならば、百円という金額が初診料として出てくるのであります。私は医薬分業を前提とする限りにおいて問題を論ずるならば、技術料としての内容を持つ初診料は、これは少くとも十二点くらいのものにしませんと、筋が合わないと思うのでありまして、そう考えて参りますと、現在の法律をそのまま残しておくということは、結局初診料の大都市における五十円を百五十円に上げるということを是認するということにもなりはしないかと懸念せざるを得ないのであります。最も理想的な姿を考えましたときには、一切一部負担を取らない方がいいということはこれは確かに考えられますし、国民全体が真に国民医療社会保障制度として受けるという場合には、一部負担のないのが理想的な形であるかもわかりません。しかしながら、現在の日本制度のように、非常にバランスのとれないところの制度を前提として現段階を考えます場合は、むしろ一部負担のある方が妥当ではないか。イギリスの社会保障制度は、現在のところ、処方箋料に対して一シリングの本人負担を課しておるのでありますが、これは処方箋を出すごとにそれだけの一部負担をするのでありますから、月に計算すれば、二回から四回くらいそういうものを払っておると考えなければなりません。また最近おそらくそう改正されたのではないかと思いますが、薬をもらうたんびに処方箋を出す。そのたびに一部負担を取るというような形にまでイギリスの場合はなってきておるのであります。イギリスは最も理想的な医療保障をやっておる国であるということは万人がこれを認めるところでございますが、その国において、しかも全国民に対して医療社会保障が行われておる国においても、こういった状態であることを見ます場合に、百円の一部負担というものが何ゆえにこれほど大きな問題になるのかという点は、私理解しがたいのでございます。もっともイギリスの場合は、この処方箋料の一部負担という形におきまして、薬に対する一部負担という考え方を一面はとっておるようでございます。わが国おきましても医薬分業が完全に実施されるとするならば、薬を中心の一部負担という考え方もでき得るかと思うのでございますが、現在のところでは手数料としての一部負担、かつての二十五年の勧告が指摘いたしたところの、手数料としての一部負担という考え方又、私は一部負担をとるべきだと主張したいのでございまして、昭和二十四牛当時の初診料が四点、単価十円あるいは十一円であったその時代から物価の動きを前提として計算いたしますと、大体六十円から六十五円程度の金額に、それは物価にスライドすればなるかと思うのでございますが、しかしながら昭和二十四年から現在に至りますまでの間の医療給付費の増は約二倍半になっております。そういたしますと、当時四十円であったものが百円になったといたしましても、医療費の比率においては何ら引き上げられたものではありません。つまり日本に現在存在しておる制度をそのまま生かして、その数字を現在に当てはめたのが百円という数字ではないかという解釈が私成り立つのではないかと思います。  もっとも、一部負担につきましては、これが給付外の負担か給付内の負担かということが問題になっておるようでございますし、健康保険法現行法におきましては、この点の解釈が必ずしも明確にされておりませんのみならず、今回の改正におきましても、この点がはっきりしていないのでございますが、私は手数料としてこれを徴収する場合は、給付外と考えるべきものではないかと思うのであります。そういうことを申しますと、特に開業しておられる先生方から、お前はそんなことを言うけれども、今日労働者の中で、その五十円の手数料に当る今日の初診料さえ払えない労働者がいるということを知らないのかと、こうおしかりを受けるかもわかりません。しかしこれはもし今日の労働者が五十円の初診料が払えないような状態にいるとするならば、問題はさらに根深く、それらの人たちの賃金があまりにも低いというところにあるのであって、そのことをそのまま是認するような形で五十円を国が負担するという格好は、私が望んでやまないところの最低賃金制度の確立をむしろ阻害する結果になりはしないかということをおそれるのであります。私はむしろこういう手数料程度のものは、はっきりと労働者の方が出して、その手数料が出し得るような賃金にまで引き上げるという方がむしろ筋が通っておるのではないかと思います。また今日初診料を払わないところの患者さんがときどき見出されるということでありますが、これはほんとうにお金がなくて払えないのか、あるいはお金はあるんだけれども、払う必要がないと誤解されておるのか、その点について疑義がないわけでありません。厚生省の方は一体どのくらいお医者さんの未収があるかということを調査をなさろうとしたそうでありますが、おそらくこの調査はむずかしいと思います。先生によっては一割くらい未収があるのだというようなことを言っておられる方もあるようでございますが、それはむしろ開業医の先生方が、患者さんをより多く自分のところに引きつけるために、初診料は別に払わずともよろしいというふうに披露されておるのではないかというような疑いさえを私は持つのでありまして、この際これを百円に引き上げることによって、初診料というものでない手数料というものとして、はっきりとしてそれだけのものを出すべきだということを患者の人に自覚せしめる必要があるのではないかと思います。もっともその場に百円の金がないということはあり得ることでありますから、一カ月なら一カ月の間にそれだけのものを出し得るということにするならば、それによって早期受診が妨げられるということはないと思うのであります。そういうものを払うのが建前であるということを御存じないために、いろいろな問題が起っているのではないかとさえ私は考えさせられるものであります。  三十円の入院患者の方についての一部負担につきましては、私は政府案について多少違った考え方を持っております。私は一カ月以内の入院患者にとりましては、この三十円は本人負担とすべきでないと思います。むしろ逆に一カ月以上入院しておられる方につきましては、傷病手当金給付期間内につては、三十円ずつ本人が負担するというやり方の方が、入院患者と在宅患者のアンバランスをなくするという考え方からは、むしろ妥当ではないかとすら考えるのであります。  それ以外の標準報酬の最高額及び最低額の引き上げにつきましては、むしろ賛成であります。これは最低額の引き上げにつきましては、保険料負担に対する不安という点、労働者にとって不利のように考えるのでありますが、これによって傷病手当金の金額が引き上げられるということを重視しなければならないと思うのであります。  また、保険医指定に関連いたしまして、いわゆる保険医療機関指定制を今回設けられたことにつきましても賛成であります。私はお隣りの桑原先生なんかと一緒に大阪の医療協議会に関係しておるものでございますが、現行制度個人指定制度であるか、機関指定制度であるか、はっきりしていないためにいろいろな運営上の困難を味わってきたのでありまして、今回の改正はそういう点において問題の焦点をはっきりさせるという意味において賛成でございます。ただどうも先生方のお話を聞いておりますと、この二重指定制についてはいろいろな誤解があるのではないかとすら思われるのであります。ことに吉田先生のお話を聞きますと、官僚というものは常に警察官僚である、ビスマルク時代のごとき官僚であるというお考えが頭の底の底までございまして、その考え方ですべてを律せられておるのではないか。私は今日の官僚は民主国家の官僚であるというので、そういうような不都合な官僚はおられないという正直者の前提で考えておるので、私の正直な考え方が間違っておるとすれば、何をかいわんやであります。そういう意味におきまして、今回二重指定制を設けられたことにつきましても賛成でございますし、その他の検査の問題につきましても、これは現在の制度、現在やっておる制度法律で明らかにしたという限りにおいて賛成でございます。もしその点が警察国家的な内容を持つものとするならば、私はそれは反対でありますが、そういうおそれはないと考えますが故に、改正案について賛成でありますとともに、衆議院においては議決になりましたけれども審査機構につきましても、民主的な方法で審査機構をもっとはっきりさせるという道もあり得ると考えるので、そういうようなこともぜひやっていただきたい。これは医師会その他の方とよく話し合いをつけていきますれば、大阪の場合は桑原先生のよく御承知通り、非常にうまくいっておると思いますので、やり方はいろいろあると思います。  法律を読みますときの読み方が問題で、私は悪人として法律を読まない、善人として法律を読むものですから、ついこういうような結論が出るのかもわかりませんが、継続給付の支給資格を六カ月から一カ年に延長するということは、私はこれを賛成いたしかねます。もし、継続給付を目当てに擬装的に雇用されるものがあるから、それを避けるために一年に延長するというならば、それは別の方法でもってこういったような措置がとり得るのではないかと考えるのであります。それから、すでに保険給付を受けたものに対する問題につきましても、これが妥当なる方法であるとすれば、これは吉田先生の御心配はないのではないかと思います。  被扶養者の範囲の明確化も、これは明確化という意味において反対すべき理由はないと思うのであります。で、もしこれをやりましたために、給付を従来受けておったもので、受けられないというような方が出たといたしましても、それは結局健康保険法や、国民健康保険法が不備であるから起ってくることなんでありまして、五人未満の方は、国民健康保険の拡充というようなことによってむしろ対処するのが筋が合っているのではないかと思います。  船員保険改正につきましても、大体右の趣旨において賛成でございますし、厚生年金保険法の改正については、反対すべき理由はないと思うのであります。  ただ最後に、私は政府原案に賛成という意見を申し上げたのでございますが、これは将来社会保障制度を前進させる意味において、健康保険一つの手がかりにして、医療の保障の前進を政府がお考えになっているということを条件にしての賛成でございまして、もし来年度国会にそういった根本的対策をなされる準備なくして今回これをお出しになったとしたならば、私賛成いたしかねるのでございます。すなわち、将来そういった吉田先生のおっしやるような方向に動くために、いろんな国の財政も膨大なる費用を必要とするであろう。ことに結核対策についてはそういうことが言えるのであって、そういったようなことをかれこれ考えまして、たとえば一部負担制度のごときものも賛成だということを申しているのでありまして、その点誤解のないように先生方には私の真意をおとらえ願いたいと思います。  簡単でございますが私の公述といたします。
  51. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さんでございました   ―――――――――――――
  52. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さんでございました
  53. 千葉信

    委員長千葉信君) それでは次に、大阪府医師会理事、桑原康則君にお願いいたします。
  54. 桑原康則

    公述人(桑原康則君) 今、医師会は、全国的に今度の健康保険法改正案に全面的な反対を唱えております。そのうちすべてにわたって述べる余裕はございませんので、三つの点について反対している理由を述べさしていただきたいと思います。  第一には、患者の一部負担金の増額の件でございますが、これはやはり当初は保険財政が非常に破綻に頻した、これを合理化するための一つ手段というふうに言われておりますが、何と言ってもやはり財政破綻を直接の動機として、こういうことが生れているということはいなめないことでございますが、しかしこの一部負担の増額によって、直接浮いてきますところの金額はわずか三、四億にしか過ぎません。むしろこのねらいは、一部負担をさせることによって患者受診制限しようとすることにある。これは各要路の方にお話を聞いても、ここに大きなねらいがあるということを私は承わっております。すなわち、現在患者は何でもないのに、やたらに医者にかかりたがる、一部負担をきせることによってこういう乱診を防ぐのだ、こういうことをよく言っておられます。しかもこの一部負担によって受診制限をして浮くところの金はどのくらいか、その計算は大へんむずかしゅうございますが、ある要路の方々は五、六十億と……。この際こういうことも言っておる、要するに一部負担の本当のねらいは患者受診制限することにあると……。このように私たちも考えております。ただいまも申し上げましたが、患者が何でもないのに医者にかかるという議論、これには非常に誤解がございます。われわれ開業医のところに患者が来ます場合に、何にも苦痛がない、何にも不安がないというのに医者のところへわざわざ時間をつぶしてくる物好きはまずないと考えてよろしいのでございます。医師の門をたたく以上、何らかの苦痛、何らかの不安があって初めてたたくのでございまして、決してこれがおもしろ半分に来ているというふうな考え方自体に問題があるのじゃないか。むしろそういう軽い不安のときに治療するということが、医学の本当じゃないかと思いますので、そういう乱診というものがあるという考え方に立ってのこの一部負担には、まつ向から私たちは反対せざるを得ないのでございます。  なお、この一部負担金にいたしましても、現在の健康保険制度には組合、あるいは共済組合、政府管掌といろいろございますが、一番零細な層を集めているところの政府管掌においては、これはどうしても患者が自腹を切って払わなければならぬ。しかし組合などのように保険財政の豊かなところでは、たとえそのときに出してもあとから組合から返してもらえる。一部給付の付加給付の形で返してもらえる、ほんとうは患者の腹はいたまない。結局一部負担をしなければならないのは被保険者の中でも一番零細な層を集めた政府管掌の被保険者だけだということが第一。第二には、そういう被保険者の中にありましても、先ほど近藤先生が言われましたように、一日百円程度がなぜ払えないかと言われる。この百円程度を払えないような零細な患者だけが受診制限されることになります。要するにこの一部負担というのは被保険者の中でも裕福な層にはちっとも影響はない。零細な層が非常に被害を受けるのだというところに私は問題があると思います。結局そういう考え方に立ちますと、社会保障というものはこういう零細な層の医療をどのようにして行うか、この人たちの医療を保障するということが眼目であるとしましたならば、このような一部負担制度というものは明らかに医療保障に逆行するものであると断ぜざるを得ないのでございます。  なお、このようにして一部負担実施すると、健康保険の財政が健全になる、いわば黒字になる。従ってこのような方法で保険財政を健全化した上で諸君のかねての要望であるところの単価引き上げをやってやろう、こういうこともよく聞くのでございます。もちろん私たちは単価引き上げをどうしてもやってもらわなければいけません。しかしこの単価引き上げるために、ただいま申し上げましたような一部負担の増額ということで零細な被保険者犠牲をかけることによって、その見返りとして私たちの単価引き上げをしようということにはどうしても納得ができない。単価引き上げていただきたいが、しかしそういう方法でやるのでありましたならば、私たち医師はごめんこうむりたいのでございます。このことははっきりと申し上げておきたいと思います。なおいろいろな審議会でこのことが論議されておりますが、ここに出ておられる方々はほんとうを言いますと、初診のときの百円の負担は苦痛でない方が多い。まだそういう組合関係の代表者の方々が多い。ところが現実に私たちが毎日診療しておりますところの患者層というものは、非常に零細な層が多うございまして、私たちはこの方々から現金を取るということに忍びないような実情を日々実見、毎日この目で見ておるのでございます。で、私たち医師といたしましては、どうしても直接こういう患者と接触しております関係上、何の組織もない、何の発言権もないこのような患者さんたちの言葉を代弁して、こういう制度には反対しなければならないと、かたく心に誓っておる次第でございます。もちろん保険財政を今のままで放置しておいてよいということはありませんが、しかしこういう方法によらずして、他にもっと基本的な解決策がいろいろあるのではないか、たとえば現在健康保険は組合と政府管掌というふうに分れておりますが、組合は御承知のように大企業の労働者で、平均賃金が非常に高い。政府管掌はこれよりも五割以上も平均賃金が低い。もし健康保険というものが被用者の相互扶助という立場をとるといたしましたならば、このように被保険者を裕福な層と零細な層の二つに分けて、裕福な層は裕福な層だけで相互扶助をやれ、零細層は零細層だけで相互扶助をやれという建前には納得しがたい。これをたとえば一本化して相互扶助を徹底いたしましたならば、現在の赤字はもちろん生まれるはずはございませんし、一昨年の資料によりましても、もしこれを一本化したならば、健康保険診療単価は現在十二円五十銭を十五円に上げてもやっていけるところの数字が出ておるわけでございます。と申しまして、私は何も現在これを直ちに一本化せよということを主張したいとは思いません。これは組合にいたしましても賃金の水準というものは非常に低いのでございまして、非常に努力の結果、そこまで獲得しておる。これを切り取って低いところに地ならしするということは果して適当かどうかといえば、私はこれは適当ではない、むしろこの二つを平均化するためには、この政府管掌に対して国が差額を負担して組合管掌の程度まで引き上げるということこそが、本当の医療保障制度を推進させる基本命題ではないかと考えております。  今政府管掌のことについて申し上げましたが、言うまでもなく、現在五人未満の事業所、あるいは何らの保険にも入っていない国民層が多いということは存じております。至急これに対する対策も立てなければならないし、これに対しても国庫の負担を導入しなければならないことは十分存じておりますが、これに対してももちろん政府管掌に対すると同様に、被保険者一名あての補助をもちろんやってもらいたいのでございまして、これをやるために政府管掌に当然出さなければならないところの金額を引き下げる手段として今度の改正が行われているのだというふうに感ぜられますので、この点は非常に反対せざるを得ないのでございます。で、私たちが政府管掌の健康保険をなぜこんなに重大な問題にするかといいますと、現在の日本医療、これは健康保険だけに限らず、現在ではいわゆる自由診療までがそうでございますが、政府管掌の健康保険の給付水準というものが、国民の給付水準の基準になっている。この健康保険の給付の水準が上るか下るかということは、直ちに日本医療の基準が上るか下るかということに通じるのでございます。でこれを切り下げるということは、日本医療のレベルをそれだけ切り下げるということになりますので、そういう意味でどうしてもこの政府管掌のレベルだけは下げてはいけない、こういう立場から政府管掌を非常に大切に取扱っているのでございます。いわば政府管掌というのは非常に零細な労働者の層の財政を基礎にいたしまして、はじき出されたところの診療報酬であり、あるいは診療内容でございます。私たちは零細な人々に対しては犠牲を忍んでも幾らでもサービスをする覚悟はございます。しかし負担力のある層に対してはどうか適正な報酬、適正な治療ができるような方式を立ててもらいたいと思っております。政府管掌という非常に貧困層の財政を基準にした現在の医療が、国民医療の基準に組立てられているところに不満を持っておりますし、なおそれさえが切り下げられようとしておるところの現在のこの一部負担制度には、どうしても賛成できないのでございます。  第二には、保険医の登録と医療機関指定の二重制度でございますが、この点について一つ例を申し上げたいと思うのでございますが、これは地方農村ではあまり顕著ではございませんが、大都市で非常に起っていることで、いわゆる労災指定病院、診療所のことでございます。労災とは結局業務上の災害による傷病に対して給付を行うところの保険でございますが、これは保険医指定ではなく機関指定になっております。この機関指定のために約二年ほど前まで私の区で、約開業医が百五十おるところにおいて、この指定を受けておるところの診療所、病院はわずかに二軒という状況で、非常にこの指定を締めてきております。この理由を基準局で聞きますと、基準局の課長はこう言っております。指定をする場合には、その地域における労働者の数、災害の発生率、この発生率に対して何人のお医者さんが要るかという、こういう基準によって指定の数をきめている、従っていかにそこに優秀な医師が新たに開業しても、また設備のいいのができても、それ以上労災事故が増加しなければ、新たには指定しないのだ。はっきり適正配置といいますか、地域制限といいますか、こういうことが現在の労災病院指定では行われているのでございます、これがもし健康保険というものの制度の上にこういうことが行われたら、どういうことになるか、現在国民保険をしいております。この指定を受けるか受けないかということは、ただちに医業がやれるかやれないかという、医師の死活にかかわる重大問題でございますが、機関指定ということが行われますと、このような役人によるところの指定の自由裁量が大きく働いてきます。これは開業医の、いわゆる保険医指定ということになりますと、医師個人の身分になりますので、なかなか制限は加えがたい、ただし、機関指定ということになりますと、保険医の身分というものには直接触れずに、機関を指定するのだ、適正配置だということで、このように地域等による制限が、やすやすと行われ得るような前提を作ることにもなる。もちろん現在医師が都市に集中して農村に少い、この適正配置ということは、われわれも非常に大事な問題だと考えておりますが、それは結局、農村では経済的に成立しない、あるいは文化的に離れておって非常に困る、こういう経済的、社会的の理由によりまして、当然医師の都市集中ということが行われているのでございまして、これは今の経済法則から言えば当然なことだと思うのですが、これを現在の機関指定というものは、強権によって都市における医師の開業を制限する、そうして、強権によって農村に追っ払う、こういう形がおそらく出てくるのではないかということを非常に心配しております。  先ほど近藤先生がおっしゃいましたように、大阪の医療協議会においても、保険医があまり多いから、医師会の同意さへあれば、何とかこれを制限しようじゃないかということが、たえず話題に上っている。こういうことから考えましても、将来機関指定ということがそういうことに利用されるのではないかということを非常におそれているものでございます。もちろん、指定及び指定の取消しは、医療協議会に諮ってやるので、官僚の独断ではいかないのだ、こういうふうに言われるかもしれませんが、現在の医療協議会の構成というものは、保険者側の意見が一方的に通り得るような構成になっております。で、結局医療協議会というものが決して療養担当者の意見を十分に発表できるものではないということは言えるのでありまして、医療協議会が改組されない限り、そういうことは医療協議会にそこまでの信頼を寄せることは大へんむずかしいと思います。  なお、この二重指定を推進しますに当って、いろいろなことが言われております。たとえば理論的に言われているのは、赤い診療所、先ほど午前中もどなたか触れたと思うのでありますが、赤い診療所、こういうものを征伐するのだ、こういっておりますが、赤い診療所というものがどういうことか知りませんが、われわれが知っております限りにおいては、こういうところはいわゆるその地域の住民の支持を得て、地区の方々の出資によって構成しているところの診療所でございまして、こういう診療所の指定厚生省が取り消そうといったって、なかなかそう簡単に取り消せるものではないのでございまして、結局この二重指定というものによって被害を受けるのは、零細の開業医だけということになると思います。なお午前中平田先生がおっしやいました医療機関の開設者に責任を負わせなければならないということ、これは当然なことでございますが、だからといって、ただちに機関指定が正しいということの結論は少し飛躍ではないかと思います。もし医療機関の開設者に責任を負わせようといたしまするならば、それは、こういう制度によらなくても、保険医でない者が開設する診療所は許可制度にすれば、それでよろしいのでございます。これは現在の医療法にありますように、医師は、医師診療所を開設するときは届けっぱなし、医師でない者が開設するのは許可制度ということになっております。それと同じように、保険医でない者が開設する診療所に対しては許可制度をとれば、この開設者に対するところの規制は十分できるのではないか、このように考えております。  第三に、時間がないのでこれは詳しく申し上げかねますが、監査の強化ということでございます。これは、時間のないために非常に比喩的になって恐縮なんでございますが、結局現在の検察庁が犯罪捜査をする場合に黙秘権がある、あるいは立ち入り検査をする場合にいろいろ手続きをふまなければならぬ、そういう手続きや黙秘権、その他のことのために自由自在に犯罪捜査ができないから、一応こういうものは一切御破算にして、自由自在に検察局がやれるようにしたならば、犯罪捜査はもっと十分できるであろう、こういうような考え方に立って組まれているのが今度の監査制度でございます。現在すでに一つ監査制度があって、ルールがございます。これによってやれば何ら支障がないのでございまして、ただこれを推し進めます道程でいろいろ理由にされておりますことに、大阪におけるかつての監査拒否事件がよく引例されております。ところがこの大阪におけるいわゆる監査拒否事件というものは、当局が所定のルールに従わずやったからああうう混乱が起った。その証拠には、時の小島保険課長はあの騒動のあとで新しい監査要綱に対する私の認識が足りなかったためにこういうことになった、従ってこの監査は中止いたしますということをはっきり言明されて、中止されたのがあの監査事件でございます。なおその後、課長がかわりましてから、大阪では再三監査指導が行われておりますが、その後、一度もああいうトラブルは起っておりません。しかも医師会の幹部もあの当時の幹部で、われわれも変っておりませんし、私もあの当時かち医師会の社会保険の担当主任理事としてずっとおるのでありまして、医師会には変りがないが、その後はスムースに行われておる。なぜかといえば、その後の監査一つのルールに従ってやられておるから何ら混乱は起らなかったのでございます。従って大阪の監査事件のごときああいうことがあったかち、今度はこうするのだということは、全く牽強付会の理論だと、私は考えておるのでございます。  そのほかにもいろいろ反対理由はございますが、時間がございませんので、以上三点だけ公述させていただきました。
  55. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労様でございました。   ―――――――――――――
  56. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に健康保険連合会理事情水潔君にお願いいたします。
  57. 清水潔

    公述人清水潔君) ただいま委員長から御紹介にあずかりました健康保険連合会理事をやっております清水でございます。私京都におりまして、多年健康保険の事業をやっておった関係で突然お呼び出しになったのではないかと思うのでございます。従って本日お呼び出しになるについて、どういう立場で御招致になったのか、実はよくわからなかったのでございますけれども、本日参りまして、ここで健康保険連合会理事という立場でお呼び出しになっておるということを初めて実は知ったようなわけでございます。その点、私自身うかつであったことをおわびしておきます。それで突然のお申し出でありましたので、こまかいことについての準備は何らいたしておりません。その点でこれから申し上げる私の意見があるいはまとまりのないものになるかと思いますが、この点もあらかじめお許しを得ておきたいと思っております。  健康保険法改正、その他、監査法規の改正をめぐって一応私の考え方を申し上げたいと思うのでございますが、まず第一に、健康保険法改正ということに対する一般的な考え方をまず申し上げて、そして法律の個々の問題について二、三意見を申し上げてみたいというふうに考えております。  まず第一に、健康保険法が施行されまして、今日をもちまして三十年になるわけでございます。その間、幾たびかの法改正を行いまして、現在の状況になっておるのでございますが、現在の健康保険法考え方のもとをなしておりますのは、先ほど吉田先生の御発言もありましたように、おそらく労働者保護という社会政策的な考え方に立っての法の立て方でございまして、現在のように憲法で国民の基本的人権である生存権を保障していくという立場からなされておるとは考えておらないのであります。しかし、今日の状況におきましては、すでにいわゆる労働者保護という社会政策的な考え方のみでなくて、いわゆる憲法に言う基本的人権を保障していく、国が国民の一人一人に憲法に規定しておる基本的人権を保障するという憲法的な立場に立って、一応この健康保険法その他関連医療保険等全般を一応考え直してみる段階に今日立ち至っておるのではないかということを考えるのであります。そういうふうな考え方からいたしますと、今次の法改正ということの考え方の中に、一部当面の健康保険赤字を処理するというふうな考え方から今次の改正がなされておるということに対しては、考え方として私実は不満でございます。しかし、先ほどの近藤先生のお話しにもありましたように、近い将来においてわが国社会保障の中心をなす医療保険の、いわゆる医療保険という形の大きな飛躍がなされるための一時的な足がためというふうな意味においては、今次の改正は一応基本的には不満でありますけれども、やむを得ないのじゃないかという立場を私とっておるわけでございます。そういう意味においてこれからの個々の意見についてお聞き取り願いたいと思うのでございます。二、三の点について意見を申し上げたいのでございますが、特別に意見を申し上げない点については、一応政府の原案について考え方として一応賛成であるというふうに御理解願いたいと思います。  まず第一点申し上げたいのは、標準報酬の改正の問題でございます。標準報酬の改正の点については、いわゆるフラット制をとるか、あるいは報酬比例制をとるかというふうな考え方から、いろいろの意見もあるかと存じますが、現在のわが国国民生活水準がアメリカあるいはイギリスあるいはドイツあたりに比較しましてきわめて低い現状におきまして、さらにまた最低賃金制すら確立されておらないような現在の状況下におきましては、一応フラット制をとるということは無理だという考え方でございます。従って報酬比例制が妥当であるという考え方に立ちます。従って報酬比例制をとるということであれば、現在の、現行の標準報酬と現在の国民の賃金較差というふうな点から見まして、多分に矛盾した点がある。そういう意味におきましてこの矛盾した点を是正するという形において、今回の標準報酬比例制については、賛成いたしておるのであります。  第二点は、国庫負担の問題についてでございます。国庫負担の問題についてまず問題にいたしたいと思いますのは、国庫負担を一応政府管掌の保険事業についてのみ国庫負担を行うという規定でございますが、この点についての考え方に対して多分に不満であります。むしろ、この点は反対いたしたいと思うのでございます。と申しますのは、この国庫負担の一応の考え方の基礎がどういうところにあるかという点について、これまで私聞きましたところでは、あるいは大蔵省あたりは、当面の赤字を補てんするための一時的な措置だというふうなことも聞いております。しかし、厚生省当局の方ではそうでなくて、やはりわが国健康保険の将来の発展のために、国庫が給付費に対して国庫負担を行うのだという説明もなされておるのでございます。果していずれが正しいか、その点わからないのでございますが、かりにもし大蔵省の言われるように、赤字補てんのための一時的な措置であるということで考えますならば、現在政府赤字を出している、健康保険組合の方は黒字だ、黒字だからやらんでいいということを考えられているようでありますが、しかし、現在の健康保険組合の中には、非常に裕福であるものもあるかもわかりません。しかし、その中の多くのものは、現在の政府管掌の標準報酬以下の被保険者を抱えている健康保険組合というものが二百余りあるのでございます。被保険者にいたしまして約七十七万ある。家族を入れますと二百万余りの者が、この政府管掌の標準報酬以下の組合でございます。そういうところが現在赤字ではございません。何とか経営的な努力をやりまして、特定のものを除きまして一応黒字ではありますけれども、これは組合方式という経営的に非常に能率のいい方式をとって、組合に従事している担当者の血の出るような努力によりまして、黒字になっておるのでございます。そういうふうな努力をした組合においては国庫の補助がなくて、現在の政府の、私から申しますと、現在政府において行われている経営のやり方というものに対して、多分に非能率的なところがあると私は考えております。そういうような点から、赤字が出ているところには国庫負担がもらえるのだというふうなことは、考え方として、また国の行政活動としては、きわめてまずい措置ではないかと思うのでございます。また、国庫負担が厚相の言われるように、将来の健康保険の発展のために、給付費に対して国庫負担を獲得するのだという御説明でありますならば、同じ健康保険法のもとに立つ組合に対してなぜ国庫負担が許されないのか、これは筋が通りません。現在国民健康保険、あるいは共済組合、市町村共済組合、日雇健康保険等におきましても、それぞれ国家支出というものがなされているのでございます。このたびさらに健康保険法改正によって、政府の管掌する事業にのみ国庫負担というものがなされるということでありますならば、私たち健康保険組合のみが、何ら国から給付費に対して補助を受けないという片手落ちのことになるのでございます。こういったことに対して、私たちは絶対に許されないのでございます。どうしてもわれわれ組合のものにも、組合の管掌する保険事業にも、国庫負担がもらえるという規定をぜひ挿入してもらいたいと思います。また、そうすることが健康保険法の理念並びに現在の制度立場から見まして、当然の措置であると考えるのでございます。最近大蔵大臣が衆議院の社労委において、何も政府管掌にのみ出している国庫負担というものは、赤字だから出すのではない、やはり健康保険の発展のために、黒字になっても国庫負担を行うのだという御答弁をなすったようでございますが、そういうようなお考えでありますならば、なぜ健康保険組合に国庫負担が行われないのかということに対しては、われわれは納得いかないのでございます。どうしてもわれわれの方にも国庫負担をいただきたい。かりにまた、政府と同じ組合の全部に対してもらえないのであれば、予算的措置からもらえないのであれば、せめて政府管掌の保険事業の標準報酬以下の組合に対しては、どうしても政府と同じように国庫負担をいただくべきであるというふうに私は考えております。この点特に参議院の皆さん方に、ぜひお願いしていただきたいと思うのでございます。  それから次に申し上げたいのは、一部負担制度の点でございます。一部負担制度の点については、先ほど来吉田先生近藤先生等それぞれいろいろ意見もございましたが、私はまた多少変った意見も持っておりまして、今桑原先生の御意見がありましたように、現在の一部負担制度というものは、どういうふうな説明をなさるにしても、現行の一部負担制度というものは、やはり被保険者の乱診乱療というものを制約する、防止するという考え方からなされておると私は考えておるのであります。わが国社会保障を確立するという建前からいたしますと、やはり被保険者の給付水準を少しずつでも高めていって、そして労働者の生活福祉を高めていくという方向に、社会保障の確立をやらなくちゃならぬという考え方からいたしますと、この一部負担制度を強化していくということが、私は時代に逆行するものである、従って考え方としては不満であるというふうに考えるのでございます。しかし、当面の赤字の原因が被保険考証の不正使用だとか、あるいは先ほど来いろいろそういうことはないんだという御意見がございましたけれども、被保険者の乱診というようなことによって、赤字の原因の一部がなされておるということであるならば、これを防止するという立場において、やむを得ず一部負担の強化ということも認めなきゃならないのじゃないかと思います。しかし、保険財政というもののはっきりした今後の見通しというものが立つのであれば、私はこれはやはり元に返して、少しでも一部負担というものを少くしていただく方向に、考え方を進めていただきたいとこう思うのでございます。改正案の原案の中にあります一部負担の中で、特に入院に対する一日三十円の負担という点につきましては、むしろ近藤先生のお考えのように、給付の不均衡を是正するという形において、三十円程度の負担を被保険者が当面するということは、これはやむを得ぬのじゃないか、先ほど申し上げたような考え方において、やむを得ないのではないかというふうに、実は考えておるのでございます。  それと先ほど桑原先生もお話がありましたように、一部負担というものを実施して、そして赤字を克服しておいて、さらに診療報酬の一点単価引き上げていくという考え方政府にある。そういうことにおいての一部負担だったら、絶対反対するというお話を、今桑原先生もなさったのでございますが、私もそういう点において、今の一部負担という形においてしいておいて、そして片一方で一点単価を大幅に上げていくということは、私はこれは納得できないのであります。そういう考え方に立っての一部負担ということであれば、これは絶対に反対いたしたいと思います。なぜかと申しますと、健康保険法というものは、労働者の福祉の向上のためになされておる制度でありまして、労働者の犠牲において医療担当者の方々の収入増をはかるという考え方に対しては、絶対反対いたしたいと思っております。  それから最後の点は、いわゆる先ほど来問題になっております機関指定の問題、機関指定並びに保険医の登録の、いわゆる二重指定の点についての私の考え方でございます。この点について吉田先生は官僚統制の強化だというお話で絶対反対なすっております。近藤先生はこれは別に官僚統制とは思わぬ、これは自分は賛成だという御意見でございます。私はこの点につきましては、近藤先生の御意見のように、別に官僚統制だという考え方を持たないのでございます。と申しますが、社会保障社会保険という形で医療をなしていくといった場合に、当然こういう行政措置としての指定ということは、当然なされることであって、これが官僚統制だという考え方は、私はとらないのであります。むしろ、私は原案にありますような機関指定の方法あるいは機関指定あるいは保険医の登録の抹消というふうなことに対して、診療担当者のみの一方的な意思によって指定もあるいは辞任もなし得るというふうな考え方に対して、多分に疑問を持つのでございます。先ほど桑原先生は機関指定ということは、おそらく都市に集中しておる医者を、いなかの方に追いやる手段じゃないかというふうなことを申されたのでありますが、私はむしろ健康保険というもの、あるいは社会保障というものの立場から、国民保険ということが将来なされるものだという段階におきますときは、むしろ現在のような先生方の自由な一方的な意思によってのみ、こういう保険医指定だとか、あるいは取り消しということがなされるということが、私にはわからないのでございます。当然先生方が健康保険事業に参加していただくための行政措置としてなされる場合には、もう少しこの保険医指定というものの行政措置の性格を明らかにしていただきたいものだと私は思います。現在のように行政措置といいながら、一体どこに公共性があるのかわからぬような状態指定ということに対しては、反対なのでございます。私はむしろ現在の保険医という姿を、もう少し公共性を持たす意味において、さらにまた現在の先生方の、保険医の方々の都市集中という考え方、都市集中という点、さらに他面においては農村においては無医村がまだたくさんあるというふうな現状等から見まして、単に医療担当者の一方的な意思によってのみ保険医保険機関の指定がなされるということでなくて、やはり保険事業を国が実施し、そしてこれに協力していただくという場合には、その分布状況、あるいは被保険者の数に対する医療担当者の比率というふうなことも考えながら、当然指定をなされるべきではないかと思います。私はこの点について非常に大きな疑問を持っておるのでございます。と申しますのは、この点については特に近く政府国民保険ということを打ち出すということを国民に声明されておる現在の状況下におきまして、おそらく今後の医療のあり方というものが、従来のような自由診療というような形でなく、ほとんどの大部分というものが社会保険医療という形において行われるという姿でありますのに、この医療を担当する先生方の身分というものが自由開業という形に、自由開業医制という基盤の上に立っておるというところに、非常に大きな問題があるのではないかと思います。現在の健康保険の過去の三十年の歴史を見てみまして、これはいろいろ批判もあると思いますけれども、やはり医療担当者との間に、非常に多くの問題を持ってきたのでございます。こういう点をそのまま放っておいて、そうして国民保険という形を念願するということは、私は致命的な問題だと思います。ほんとうに医療保険国民全体に保障するという段階に参りますときには、この医療を担当する医療担当者の性格というものを、もう少しはっきりした形にすべきじゃないかと思います。極端な例をもって言えば、私はむしろこれは社会主義社会における医療の国営というところまでいきたいというのが、私の考え方でございます。昨年国際社会保障協会の執行委員会がスイスで開かれたときに、そのときに世界各国のほとんどの国において、保険事業を担当する者と、そして医療担当者との間に非常に大きな問題があるということを聞いたのです。世界各国とも、この問題については共通の悩みだということを聞いたのでございます。これはどこに問題があるかといえば、結局健康保険という性格の制度と、現在の医療組織が自由開業医という商業的な自由開業医という形において、しかも、国からも、社会からも何ら先生方の生活というものが保障されずに、ただ自分たちの医療行為によってかせぎ上げていく金によって、みずからの生活を保障していかなければ、たれからも保障されていないという形に医療担当者の方々をおいているという政府に対して、私ははっきり責任を追及いたしたいのでございます。わが国が近く国民保険ということを宣言しておる現在の段階におきましては、どうしても医療を担当する先生方の身分というものをはっきり国が保障し、そして先生方の生活は国が保障をしていくという形をとらない限り、今政府の考え、また国民の念願しております国民保険という形の理想的な発展ということは、期待し得ないのではないかと思います。このことは先般の社会保障制度審議会の第一次勧告案のときにも、医療組織の点について審議会が理想の姿として、一応英国的ないわゆる医療国家管理の、ああいった英国式の行き方に対して一応意見を出されております。その後すでに六、七年も経過している今日、方向としてそういう英国式の医療組織の行き方が正しいという考え方を表明しておりながら、その後何ら正しい方向に一歩具体的に手をつけていくという努力がなされておらないというところに、私は非常に大きな不満を持つのでございます。何といっても、政府自身が医療担当者の生活を保障し、そして身分を保障していくという形に、そして先生方の仕事というものに対してはっきりした公共性を持たしていくという方向に踏み切っていただく勇気を持っていただきたいのでございます。また、医療担当者の方々も、今までのように商業主義的な自由開業という立場をいつまでも固執せずに、自分で自分のかせぎによって生活を立てなければならぬというような不安定な形でなくて、国によって生活を保障され、あるいは身分を保障されていくという形に、みずからが進んでいくという一つ英知を持っていただきたいと、こういうふうに思います。  大へん取りとめのない意見を申し上げましたけれども、そういう四点につきましては、特に希望意見として申し上げておきます。特別に意見を申し上げなかった点につきましては、私は大体先ほど申し上げましたように、考え方としては政府原案やむを得ないという立場をとっております。
  58. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さんでした。   ―――――――――――――
  59. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に、医師大塚謙一郎君にお願いいたします。
  60. 大塚謙一郎

    公述人大塚謙一郎君) 今まで健康保険法等の一部改正に対する賛否両論を承わりましたが、私はただいま世田谷の井福病院におります。これは浅草の日本堤にあります井福病院の分院でありまして、日本堤の方はあの山谷部落を中心とした貧民を相手とする診療所でございます。この三宿の方の診断所も、おそらく資本家を相手とした診療所ではないのでございます。そのために毎日自分が患者を見まして、今度の健康保険法の一部改正には反対せざるを得ないと思いますので、今日出て参りました。  政府の提案の健康保険法等の一部改正法律案は、国民全部の要望である国民保険実施するに当り、その一心同体というべき健康保険制度の基礎的な地固めである、そのためにこの法案を通過させるという趣旨のように承わっておりますが、全国の医師及び歯科医師は、この法案に対し絶対に反対いたしております。その反対の声が、その議会の中に響いていないように私は思います。なぜならば、私たちが去る二月二十七日に、国技館で東京都の医師会あるいは歯科医師会が総決起大会をやりました。そのときにこの法案に対する絶対反対の叫び声をあげたのでございます。その叫び声をあげた三日前に、この法案が衆議院を通過したということにつきまして、私たちは医師としてはなはだ遺憾に思うのでございます。反対するには反対する理由があるのです。何にも反対をする必要がないものに反対をしないのでございます。ここにお集まりの皆さんは、りっぱな方々のように思います。先ほどからいろいろ承わっておりますと、いろいろ学理的に、あるいは論理的にりっぱなお説も承わっておりますが、実際診療費の払えないというような患者相当おるのでございます。  私はかつて新潟県の山の中の町立の病院長をいたしておりましたが、ここは大へん雪が深い、その往診の範囲が四里ないし五里ございます。雪が十尺も積っている。そこを往診を頼まれましたら、行かぬというわけには参りません。そのときは行きますが、二時間ないし三時間雪の中を徒歩でいかなければならない。そうして行ってみますと、すわるところもないような貧困の家庭でございます。それで料金の支払いというのは、むしろ現金で払わないで役場に米で払うというような状態におかれる方が、まだ相当山間にはあるようでございます。こういう方々に、より医療費の値上げをするということは、ちょっと私たちとしては賛成ができないのでございます。  全国各地でも、この医師会の総会を開きまして、この法案に対しては、かなり反対の叫び声をあげておりますが、この叫び声がどうして政府の方におわかり下さらぬのか。よく聞きますが、医者の生活はかなり水準が高い、われわれ俸給取りよりよっぽどいいじゃないかという話も承わるのであります。しかし公務員の官舎に住み、電灯代から水道代に至るまで国家から受け持ってもらう厚生省のえらい方と、それから看護婦の俸給から便所のくみ取り費まで自分の腕で働かなければならぬ医者と、どうして比較対照ができるかと私は申し上げたいのです。今小供を五人持っておりますと、おやじはなかなかえらい、それでそれかといって高利貸しをやっているわけじゃありませんから、無理に滞納した料金を徴収には参れません、医者である限り絶対にそれはできないことでございます。そうして見て参りますれば、やたらに料金を値上げするということもどうかと思います。また、医師自身の実際の生活がそれまで潤沢じゃないのでございます。それを思いますときに、今度のこの改正法律案に対しては、少しく私は行き過ぎな点があるのじゃないか。しかも、一たび廃案になった法案を再度上程されて、二回も三回もやり直すというような法案は、もうごめんこうむりたい。われわれ医師は総決起大会をやりますが、決してだてや酔狂じゃやりません。北は北海道から南は九州から、わさわざ東京まで出て参らなければならぬ。その間は本日休診でございます。本日休診をやって、お前たちがそういうことをやる、これははなはだけしからぬじゃないかというおしかりもございます。中には、お前たちは烏合の衆じゃないか、何にも医師会なんて政治性はないのだ、そんな者の意見を聞くことはないというふうにお考えになる方があるとしますれば、今度の医師会長及び理事の辞任についても、御反省がいただきたい。なぜあの日本医師会長、あるいはその間理事が全部やめなければならなくなったか、これはおそらく全国の医師が、この法案に反対しておる結果であると私は思います。で、そういうことは少しも何か反映がないようでございます。先ほどもこの二重指定のことに関して、いろいろ御論議がございましたが、近藤先生は、官僚は善良であるから審査規定は十分である。そうすると医者は不善良であるから、審査を受けなければならぬという結果になりはしないか。そうすると官僚だけはりっぱであって、医者はりっぱでない、これはおそらく私としては、はなはだおもしろくなく思います。今日まで六百六十名の違反者が罰せられております。現行法規でさえも、すでに六百六十名の違反者を罰する法律があるとすれば、保険医指定を取り消すという処分を受けておる者があるといたしますれば、私は現在の法規で十分取り締れるのじゃないかと思います。これを検察官の代理、あるいは警察官の代理、裁判官の代理も官僚がやって医者を取り締るとすれば、医者はもうおそらく何にもできないのでございます。この中には、医者で議員をなさっている方もあると思いますが、実際開業してみますと、そう簡単にはいかないと思います。で、このうちには資本があり、自家用車を乗り回すというようなりっぱな資本家がいろいろ理論を唱えられますけれども、実際貧民を扱っておる私たち担当医は、こういう法律は非常に困るのでございます。  また、この二重指定のことにつきましても、一つの病院に全科がございます。そうすると、一人の外科医が、何か不純な行為があって取り消しを受けるということになりますと、内科も、婦人科も、耳鼻科も咽喉科も全部指定を取り消されて、やることができないという結果になるのじゃないか。そういたしますと、病院の運営というものは非常に困ることになる。また良医、名医という人は、かなり大学で十年も十五年も研究なさった方は、非常に優秀な技術を持っていらっしゃいます。そういう方が外科の手術をする場合、簡単にわれわれやぶ医者が包帯をするのとは違うのでございます。そうすると点数が非常に高くなります。そういう場合に、一々これを監査されておったら、良医としての腕前を十分に発揮することができないという結果になりやしないかと思います。こういうことで、私たちはこの二重指定に対しては反対をいたしております。何かやはり医者の中には、先ほども申しましたように、水増し請求や、あるいは不純な請求をしまして、いろいろ罰せられておる方もあるようでございますが、こういう方を対象として取り締る規則でございますれば、現行の取締法規でも十分でございましょう。第一の、支払基金の方の審査の方法でも、公立病院や大学病院には非常に緩慢である。で、われわれ個人開業医が非常に厳密にされるのでございます。そうした意味からおきまして、どうしてもまあ官僚統制をいたしまして、官僚独善の監査機関なんかを設けられましたら、一そうわれわれは窮屈になって、仕事はできないという結果になりはしないか、自分はこういうふうに思います。  それから、これはまあ少し話が政治的になりますが、市井の開業医、またわれわれ開業医諸君は、思想的にかなり保守的であり、政党的には保守政党、自由民主党の支持者がかなり多いようでございます。そうしてみますと、今度の法案を通過させられた自由民主党の方々は、私たちがこれを選挙いたしました議員さんたちでございますが、よしんばその議員さんたちに、自分たちが最も反対している、最もきらっておる法案をつきつけられて承諾させられるという結果になるのでございますが、ここにも少し私に疑念があるのでございます。今度の医師会でも、どなたですか、何か衆議院の労働委員長だったと思います。国技館で何か自分の御意見をお述べになられようとしましたけれども、一言も言うことができませんでした。それだけ自由民主党に対する皆さんの感情が悪化しておるということは何を意味するか、これは私たちが、自分が選出した議員によって、自分たちに不利な法案を押しつけられたというところに原因があるんではないか、こう考えます。で、われわれは生活権の擁護ということに対してこの反対をいたしておるのでございますが、一面、自由診療制度を許可されておる政府が、その自由診療で生活ができないような法律を作るということは、もう私たちに言わせれば、人権のじゅうりんではないか。すなわち、基本的な人権の享有を妨げられるものではないか。これは憲法の十一条に規定されておることでありますし、また十三条の、個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を尊重するとは認められないという結果になっておるように思います。  もう時間もありませんし、あまりくどくどしく御説明申し上げるまでもありません。こういう法案は絶対に撤回していただきたい。私たち医師は、ことに貧乏な医師は叫んでおるのであります。この点どうぞ了としていただきたいと思います。
  61. 千葉信

    委員長千葉信君)御苦労さんでした。   ―――――――――――――
  62. 千葉信

    委員長千葉信君) 次に、日経連理事の宮尾武男君にお願いいたします。
  63. 宮尾武男

    公述人(宮尾武男君) 私、宮尾でございます。日経連の理事として、主として政府管掌のことについて、一、二意見を申し上げたいと思います。諸先生から、いろいろ貴重な御意見が出ておりますので、私、蛇足をつけるのも何だと思いますので、一、二の点について見解を申し上げたいと思います。  政府管掌の健康保険赤字を出しまして、非常に経営上困った事態になって、それで法律案がここたびたび出て参ったわけでありまするが、私ども赤字対策としての法律案には、第一次のときに反対をいたしました。第二次の場合におきましても、これが社会保障制度に発展するための段階ならば賛成すべき向きもあるんだという態度をとって参ったのでありまするが、第三回目の場合におきましては、私どもこういう政治情勢が続くとなれば、同じような法案をたびたび出しても、それはむだになるんじゃないか。どうぞこの際政府は、抜本的な、もう少し根本的な再建対策になる法案を出すのが望ましいということを申しておったのでありまするが、三次の健康保険改正案が、こうやって審議されておる状況なんでありまして、私どもは、そういう改正案が、何とか早くきりがつきまして、そうしていわゆる国民が待望しております国民保険の形になることを望んでおるのであります。  私は、政府管掌がこうやった赤字を出してきてはおりまするけれども、その間に国民経済に及ぼした影響、あるいは国民生活の非常にそれがささえになっておる。昨年来、国民経済が非常に伸びまして、神武以来の何とかだということをいわれておりまするが、その背景には、赤字は出しておるけれども、私はこの健康保険制度が、国民生活の上に一大支柱をなしておる、ただそのやり方、経営の仕方が悪かったんだというふうに考えておりますので、そういう点について、この法案に盛られておる点については、私はその方法や程度が、非常に適切妥当であるとは思いませんけれども、この段階においてこの程度の改正をとにかくやって、それで政府が言うように、これで一応スタートができるということでありますれば、スタートしていただきたい。これではすっかり根本的な再建対策になるとは思いませんが、その対策は、重ねて急速に考えていただかなければならないと思うのであります。それでいろいろ先生方から言われておりますので、私は費用の負担について一言申し上げたいと思うのであります。  国民保険という形で、今の日本国民社会全体が国民保険を目標にして皆保険という形で医療保障日本国民に与えよう、こういうような世論になって参りました場合に、やはり私はこの日本社会医療に関する社会保障制度が、保険という形で進められていくことが妥当であると思っておるのであります。  そういう意味におきまして、保険の仕組みでやるといたしますれば、その費用をどうして出すかということになるのでありまするが、ここに私は従来、政府特に大蔵省方面の方々のお考え方に非常にあきたらない点があるのでありますが、それは保険でやるのだから、それは保険関係者の間で足りなかったら金を出せばいいじゃないか、こういう言い方をされておるのでありまして、これでは全く私保険考え方でありまして、私ども社会保障制度保険という形で普及されていくならば、そこに関係者が集まって費用を分担していく、そうして相互扶助をしていくという考え方が基盤にならなければならないと思うのであります。そういう意味において、われわれ経営者の仲間で、公式には文書にはしておりませんけれども、五者五泣きという言葉を使っておるのであります。これは事業主と被保険者、それから患者医療担当者、それから国家ですか、政府と申しますよりも国と思うのでありますが、そういう五者でこの保険の費用を分担していこう、そういうことが私はこの保険というシステムをやっていくには必要であろうと思うのであります。それでそういう関係者の間で、私は大蔵省云々を申しましたが、国が負担する理由がないではないかということだろうと思うのでありますが、社会保障制度として、国もこういうふうに責任を持つのだということになりますれば、これはやはり費用を出すわれわれのみなの仲間でも非常にはっきりする、そこに私は社会保障制度としての保険というものが存在していくのじゃないか、そう思うので、この国の負担ということはこれはどうしても私はほしい。  今度の法律案におきまして、組合管掌には抜けておりまするが、こういうことについても、私は大企業であるからといって、社会保障立場から国が補助して助成するということは、少しも私は不公平になることじゃないと思います。いろいろな分け方もあります。ことに、最近いろいろ健康保険組合が批判されております中に、大企業の労務管理に役立つのじゃないか、あるいはいろいろその経営者との間において、いろいろなそんたくが行われておりまするが、私は社会保障制度としての健康保険を企業と労働者とが一緒になってやっていく上には、やはり国が負担するということによって、経営者の自覚、あるいは労働者の自覚を促す一つの契機になる、そういう意味において私は国の負担ということが先決条件である、国民保険になる場合には、先決条件であると思うのであります。しかし、国家財政のいろいろな考え方から、第一次においては低額層にするとか、あるいはいろいろなことが、方法があると思いますが、とにかくそういうことが前提でなければ、保険社会保障制度として私は取り上げていくことはどうかと考えるのであります。従いまして標準報酬の改訂というようなことも、ある程度のものは是認せざるを得ないのであります。  また、一部負担の問題につきましても、これもいろいろ議論があるのでありまするが、私は一部負担というものを、やはり費用の負担の公平化という点から考えますると、やはり制度としては置いておきたい気がするのであります。標準報酬に応じた保険料を取るという形だけでこれを伸ばしてみますというと、高額所得者と低額所得者との間で、非常に取られるものの方から考えますというと、不公平だという感じを持つのであります。また、病人と健康者との関係を考えてみましても、十年間も健康保険は掛け捨てにしておる被保険者もあるわけであります。そういう人と、しょっちゅう病気をしている人との間にはやはり不均衡感というものが、職場で同じように働いておりますというと、そういう感じを受けるのであります。そういうことが、これは相互扶助だからかまわないじゃないか、あるいは国が所得の再配分はできないのだから、税金では所得の再配分ができないのだから、保険料という形でもってその企業の中、あるいはその勤労者の中で所得の再配分をすればいいじゃないか、こういうようなことが非常に強く出されますというと、私は社会保険といえども、なかなかいろいろな不平不満が起るのじゃないか、そういう点において私はお医者さんにも、医療担当者にも、やはりがまんをしていただく、進んで金を出していただくことはできなくても、多少乏しきには耐えていくという感じも私は必要じゃないか。長い間単価の問題が据置になっているという話でありますが、私ども医療費総額が上って参りまするし、あるいは点数表の改訂によりまして、医者の所得というものはやはり総体にふえてきているというふうに見ておりますので、少くもいろいろな点に御不満はあっても、やはり消極的な協力をしていただかなければならぬ。それから患者におきましても、先ほど申しましたように、いろいろ個々の事例をあげますと、いろいろな問題がありますけれども、要するに健康者と病人との間、病人でも家族持ちの病人と、あるいは単身者の病人、そういうような点につきまして、いろいろ同じ職場で働いておりますというと、やはりそういう不均衡感というものは、これは賃金の問題を考えていただくとよく  わかるのでありますが、やはりそういう感じはするのであります。私は約三十年来健康保険組合のお世話をして参りましたけれども健康保険組合の組合外の議員さんたちが集まって参りまする会議で、そういうようなことはあるけれども、それはやはりみなお互いのためなんだから、一つそれでこうやっていこうじゃないかということで、いつも了承を願っておるのであります。  それから健康保険組合では、大体医療費が増高して参りまするというと、そのつど大体被保険者とも相談をしまして、保険料を若干上げるとかというようなことをして乗り切って参ったのであります。ここのところ三、四年の間の推移を見ましても、おのおの自主性を尊びながら、いろいろな施策を講じて保険料を上げたのもあるのであります。私はこういう負担の仕方を保険という形でやっていくならば、結局疾病保険というものは、短期給付の、短期保険なんだ、でありますから、やはりそういう費用の出し方は、これは一つの慣行として、もしも足りなくなったらみんなで出し合う、しかし余ったら保険料も下げようじゃないか、一部負担もまたやめようじゃないかというような、私はもう少し融通性のある費用の出し方というものが考えられないかと思うのであります。こういう点につきましては、ただ世間で、何でも費用を出すことについては経営者は不賛成だというようにお考えだと思いまするが、賃金の理論とはまた少し違いまして、この従業員の厚生施設、あるいは社会保障施設というものに対する協力をしようということは、相当私は経営者でも考えられているのじゃないか、これはある産業の大手の会社と中小企業の会社との差でありますが、賃金以外の厚生施設費というものを大手の方では毎月三千四、五百円の厚生施設費を出している、中小の工場では千二百円ぐらいの賃金以外の厚生施設費を出しておる、いわゆる実質賃金になっておるのでありまして、そういうような点についてもう少し合理的に考えれば、これは私は賃金の問題と考えずにそのワク内でも操作ができるのじゃないかと考えておるのでありますが、そういうような意味でその保険料の費用の分担ということを、もう少しいわゆる五者が話し合って私は上げたり下げたりも、割合に融通性を持たせるようなシステムの慣行に持っていくことが私は望ましいのじゃないか。これは賃金と違いまして、こういうことなら私はそう絶対的に不可能な問題じゃないと思うのであります。そういう意味において、私は費用の点をそう考えております。  それからもう一つ申し上げたいのは、医療機関の問題でありまするが、医療機関医療担当者とのトラブルというものが、健康保険の創設以来若干ずつ多い少いあるいは強い弱いの程度はありまするが行われてきております。これは世界各国もそういう例が多ということは言われておるのでありまするが、私どもはそういう医療担当者とのトラブルを何とかなくす方法を考えなければ、この医療保険というものは、私は正しい軌道へ乗っかっていかないのじゃないか。しかしお前はそう言うけれども、どうして直すのだという御質問があるとは思いまするが、とにかく私はそういう信念を持っております。健康保険ができましてから協力し得る医者とは協力をしていこうということは、一昔も二昔も変らない考え方を持っておるのでありまするが、この最近の医療担当者の動き方を私はじっと見ておりますると、医療担当者が自分の公益性というものを主張して、そして待遇の改善を要求するのではなくして、公益性というものによって社会不安を起させるというような考え方で、この待遇の問題を改善していこう、あるいはそういう公益性を強調しながら、一面自分の商業利潤を上げていこうというような考え方で、私はもしも医療担当者が進んでいらっしゃるならば、私はこれは結局この医療保障制度というものは、ほんとうの軌道に乗らないうちに、何か方向が転換されるんじゃないかという気がするのであります。一昨日の国鉄のストのごときも、あれはストじゃない、法律的にはストじゃないというんですが、やはりストと同じような効果をあげること  によって何物かを得ようとすることが、あるいは経営者の方にも、あるい  は労働組合の方にも私は見えるのであります。そういう点について、もしも医療担当者も、総辞退というような事態は、これはストライキじゃないでしょう。しかしストライキと同じような、国鉄と同じような効果をあげることによって、何がしかの目的を達しよう、こういうことであるならば、私はこれは絶対に賛成できない。きょうもここにおいでになりまする先生、桑原先生も、もう一人のお医者の先生も、一部負担をすることによって医者の一点単価の問題を解決しようとは絶対に思わないというようなお話でありますので、私は安心いたしたのでありますが、その医療担当者が、いろいろ、まあこれは私が医者じゃありませんから、よくわからないのでありまするが、何か医業というものを中心にして動いていらっしゃるといたしまするならば、開業医の方と、勤務されている医者との関係がはっきりして、そうして一つの約束に通ずる、あるいは何かそういったような、もう少し今までのような一本調子の契約でなくやれることができれば、私はまた一つの打開の策があるんじゃないか。私ども健康保険組合あるいは大企業の関係ではやっぱりこういうふうに医療担当者のトラブルが進んで参りますれば、やはり結局自分の自己診療機関というものを、やはりもっと確立していかなければ、これはいつか被保険者に対して迷惑をかけるような事態が起るんじゃないか、そういうような心配をいたしておりますので、これは健康保険が始まりました当時から、自己診療機関を保険者は持てということは識者に言われておったことでありまするが、何とかして開業医師と協力して、この社会保険というものを育てていくべきじゃないかという信念のもとに、三十年を歩んで参りましたのですが、しかし、なかなかむずかしいとすれば、ここでやはり医療機関の問題というものを根本的に考え直さなければ、私は国民保険に進むことは非常に危険じゃないか。もしも皆保険に進むことが国民の世論であり、政府の方針であるとするならば、この法律通りましたならば、重ねて抜本的な考え方を打ち出していただきたいと思うのであります。
  64. 千葉信

    委員長千葉信君) 御苦労さんでした。   ―――――――――――――
  65. 千葉信

    委員長千葉信君) 以上で公述される方々の御意見発表は全部終了いたしました。これから午後公述された方方に対する質問に入ります。
  66. 高野一夫

    ○高野一夫君 私は近藤さんと清水さんと大塚さんに、すでに時間もございませんので、一点ずつ、きわめて簡単にお伺いいたしますので、お三方からもきわめて簡単に要点だけ御説明をお聞かせ願いたいと思います。  まず近藤教授にお伺い申し上げたいのでありますが、あなたが先ほど一部負担の問題にお触れになったときに、昭和二十五年になされた社会保障制度審議会の勧告並びに現行制度についてお触れになったと思うのでありますが、その点について私も同感でありまして、当時私もあなたたちと一緒に委員をしておった。そこで当時の審議会の様子を見ますと、労組の代表、あるいは船員組合の代表、そのほか医師会、歯科医師会の代表、政党各代表の国会議員、あるいは学識有識者を集めた審議会であったわけです。そこで十分、足かけ三年かかったと思いまするが、十分慎重に審議した結果、ほとんど一人の異論もなく、その勧告には、教授が御説明になったように、一部負担の説を採択したわけであります。それが先ほどもおっしゃった通りに、その後、  一部負担にそれら御賛成になった各方面の方々も、最近非常に御反対になっている。どういうわけであろうかと  いうふうに私も不思議にたえないわけなんであります。それで、まあ二十五年と今日と、情勢が変っているといえばそれまででありますけれども、その基本の理屈には私はあまり変化はないんじゃないか、こういうふうに思うんです。  それからもう一つは、すでに一部負担現行制度である、こういうお話である。それで現行制度であって、五十円にするか百円にするかというのが今日論議されるならばまだいいのであるけれども、今度の政府改正案によって初めて一部負担制度が新設されるようなふうに議論がされて、反対運動が起る、これは私も教授と全く同じ考え方を持っておるのでありまして、これを一つの不思議なる現象だと考える。  そこで、この勧告で当時みんなが賛成して、あまり反対のなかった一部負担、それが最近に非常にその同じ方面から反対が出てきた。現行制度であるにかかわらず、今度の改正案において初めて新設される一部負担制度であるかのごとく論議される。これは一体、どういうわけでこういうふうになったんだろうと、こういうふうに私は思うわけでありますが、教授は何かこの辺について御観察といいますか、こうこういうわけでそういうふうになっちゃったんじゃないだろうか、こういうふうな何かお考えでもあれば、簡単でけっこうでありますから、伺っておきたいと思います。
  67. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 残念ながら、私も実は理解に苦しむのでございます。それで当時の勧告の正文では「療養に当っては軽少の一部負担を本人に課することができる。」とございまして、公認されました勧告の解説のところには「「勧告」は現在の初診療の本人負担はこれをやめる。しかし濫受診をさけるため、療養ごとに手数料程度の軽少の負担を本人に課することは望ましいと考えた。この点は、もし医薬分業が行われるとすれば、初診料は高くなるという見通しからである。」、こういうふうに解説しておりまして、問題はその軽少の負担という、軽少というのがどの程度かということなんでございますが、私は、先ほど申しました医療費の増高等の関係から見まして、百円というのが必ずしもこの軽少でないというふうに解釈いたしませんので、今回の訂正案に賛成したのでございますが、金額の問題が一つの問題だと思うのであります。  ところが、この勧告を詳しく皆さんお読みになっていないというところから、簡単に、一部負担は現在やっていないというような印象を一般国民に与えまして、そして今先生のおっしゃったように、新たにこういう負担がふえるんだという考え方なんでありますが、私は、形は変りますけれども、現在のものをばペース、アップするんだという解釈で、大体反対される方の御意見をむしろ承わりたいと存じておる次第でございます。
  68. 高野一夫

    ○高野一夫君 その点については、近藤教授も私も大体同じ考えのようでございます。どうも事態が今日まで、今日の事態に急変して、論議されている事態がどうしてものみ込めない、こういうわけでありますから、これは一応これで終りにします。  次に、清水さんに伺いますが、あなたの方で組合管掌の方にも国庫負担の必要があるというお話でございましたが、一般には、組合の方は相当豊かである、決して赤字でないという説が伝わっておるわけであります。そこで、それならば、豊かでなくとも、少くとも赤字にならない組合がどれくらいあって、赤字になるような困っている組合がどれくらいあるか、そういうような統計か何かをお持ちであるかどうか。  それで、組合にも大小いろいろありましょうから、組合の数で分けても、ただそれだけでは判定に苦しむので、赤字にならない組合の数と、その組合に所属する被保険者の総数、それから赤字に困っている組合の数とその組合に所属する被保険者の総数、こういうのが何か資料でもお持ちでございましょうか。
  69. 清水潔

    公述人清水潔君) 今のお尋ねでございますが、私は国庫負担というものを、赤字であるから赤字である所には国庫負担を出してくれということを申し上げたわけではないのでございます。赤字だから出すということでなくて、今の社会保険建前からして、健康保険に対して国が最終の責任を持つという立場において、給付金の一部を国が当然負担すべきであるという意味においての国庫負担を出していただきたいということを申し上げておるのであります。で、そういう意味におきまして申し上げたのでありまして、赤字だから出してくれということを申し上げたのではございません、私は。  で、当然国庫負担の理念からいたしまして、赤字だから、政府赤字だから出す、組合が赤字でないからやらなくていいのだということは、むしろ健康保険組合というものが、政府管掌の標準報酬以下の標準報酬を持っている健康保険組合というものが、約二百五ばかりあるのでございます。二百五ばかりあるのでございます。その被保険者が約七十万ございます。家族を含めますと、約二百万近い会員になるのでございます。そういう組合が、政府管掌以下のものでありまするけれども、しかし組合方式をとっておるという関係から、赤字を出す組合というものはほんの二、三の例にすぎないと思っております。大部分が法定給付のみを実施すれば、法定給付のみの場合でありますと、ほとんど赤字なしにやり得るという実は誇りを持っておるのでございます。これは組合方式というものが健康保険事業の経営主体として最も、計画的に見ても、好ましい姿であるということを実は主張いたしたいと思って、申し上げたのでございまして、で、先生のただいまの御質問のように、じゃ、赤字の組合が幾つであるかということは、正確には今資料を持っておりません。で、またわれわれの方にも基礎資料は持っておりますけれども、今日持ってきておりませんので、お答えをしかねると思いますが、ごく少数だと思っております、私は。
  70. 高野一夫

    ○高野一夫君 あなたのその国庫負担の必要の根本理由はよくわかりましたが、それはそれで私の質問理由を訂正いたしまして、とにかく十分の給付のできる組合と申しますか、もう一つは十分の給付ができない、あるいは法定なら法定ぎりぎりの給付しかできないと申しますか、その言い方はどうでもけっこうでありますが、一つの限界を引いて、そういう区別が一応できるのならば、それを承知したいと思いますので、他日でけっこうでありますから、資料があればお知らせいただきたいと思います。  大塚さんに一点だけお伺いしますが、これは私の聞き違いであったかもしれませんが、あなたの御公述の中に、自由診療ではいけないような方向になぜしむけるかと、こういうような意味のことをおっしゃったように私は受け取ったのでありますが、あるいは私の聞き違いであるかもしれませんが、どういう意味だったのか、その点をもっとはっきり一つ伺っておきたい。
  71. 大塚謙一郎

    公述人大塚謙一郎君) それは議員さんの聞き違いじゃないかと思います。自由診療制度というものが許されておって、われわれが開業の自由を認められておる。その開業の自由が認められておるのに、そうした中において実際に診療のできないような法律案を作るということが間違いじゃないかと申し上げたのでございます。
  72. 高野一夫

    ○高野一夫君 よくわかりました。私のお尋ねしたのは、われわれよく、自由診療と申しますれば、社会保険診療、自由診療といって、保険診療でないものを普通自由診療という言葉で言われているように思いますので、そういう意味で私は聞いたのでお尋ねしたわけで、よくわかりました。おっしゃることだけはよくわかりました。
  73. 木下友敬

    ○木下友敬君 近藤先生と清水先生にお尋ねをいたします。  近藤先生、私これは聞き違いがございましたら、どうぞ御指摘を願いますが、一部負担について近藤先生は、これが赤字対策であるならば自分は反対である、あるいは好ましくないと思う、これからの社会保障を推進していくためのものならば賛成だ、というようなことを初めにおっしゃったように思います。それからまた、たとえば初診時の百円にしましても、これは手数料として取れば給付外であるから差しつかえないように思う、こういうふうにおっしゃったように思うのです。それで、自分は一部負担には賛成であるというふうにおっしゃったように思うのです。またもう一つ、三十円の入院のあの費用のものは、一カ月以上の者からこそ取るのが当りまえだというように自分は思う、またさらに継続給付のあの問題、今回の継続給付について改正されようとしておることについては反対だ、こういうようなことをおっしゃったと思います。  今の政府考え方からいけば、この一部負担というものはもちろん赤字対策である。これはもう政府の既成の考え方であり、また手数料として取るのじゃない、それで給付外じゃないということも、これも明らかなことでありまして、給付内のものでこの百円を取るという考えは、これはもう実際の事実でございますから、こういうことからいきますと、先生は最後に、であるから今度の健康保険の一部改正には反対だという結論を、今あげました四つのどれから言っても反対だとおっしゃるかと思ったら、賛成だという結果が出ましたので、ちょっと私目がぐるっと回ったわけであります。ところが、最後に、であるけれども、これは社会保障をよくする前提のもとに賛成するのである。社会保障をよくするという前提のもとに賛成するというただし書きをおっしゃったので、もう一度目が回ってしまったわけなんですが、どうも私、ぐるぐる回ってしまったので困っておりますが、そうすれば先生は、具体的に政府が今度一年というような声も出ておりましたが、一年、あるいは非常に近い将来、どういうふうな具体的に社会保障制度をよくしていくということがあれば、その前提のもとに、ですから、どういうことを政府がしようとするならば賛成だという、そこを言っていただかぬと、どうもぐるぐる回りをしておって、聞いておる者には非常に迷いを起すようでございますが、これは私の愚鈍のいたすところで相済みませんが、どうも。
  74. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) どうも私の説明が、いつも学生相手に言っておる口調であったものですから、先生方の御理解を十分得るような説明にならなかった点、おわびいたします。  赤字対策としての一部負担ならば反対であるが、制度としての一部負担であるならば賛成である。今回の政府案もそういう意味に最近では変っておりますので、そういう意味において賛成いたしております。もし最初のような言い方であったならば、私は反対をいたします。  それから手数料という考え方は、政府の原案では初診時において取ることになっておりますし、百円に満たない分は取らないという建前になっておりますので、私の見解とはいささか違っておるのでございますけれども政府のようなやり方で百円を取るという取り方は、手数料とも現実においては考えられ得ると私は解釈をいたしておるのでございます。給付外であるか給付内であるかというのは、現在の法律建前では明確でございませんが、これは給付外と解釈すべきものではないか、そういうふうに解釈をして、私は賛成しておると、こう申し上げた。  三十円の場合は、三十円の食費説を出しましたのは、これは七人委員会の報告以来のことでございまして、私もその七人の一人でございます。この当時の考え方以後、私いろいろ考えたのでございますが、短期の入院の方は、どうしても入院しなければならないという方で入院されるわけなんですが、長期になりますと、在宅でもいいし入院してもいいというような患者さんも、中にはおありだろうと思うのです。そういう点を考慮いたしましたのと、それから傷病手当金というものとの関係、あるいは完全給食をやっていないところの病院というものとの関係等を考えまして、完全給食をやっていない、給食をやっていない病院に対しては当然、給食していないわけでありますから、本人が三十円以上一切の食費を負担するわけでございます。そういうような解釈からいきますと、三十円は給付外と解釈してしかるべきものじゃないか。政府は現在どう説明されているか知りませんけれども政府の説明は政治的な意味をもって説明されるでしょうが、私は学者としてまっ正面から解釈を申し上げているのでございますから、結論において一致したような格好でありますために、賛成と申し上げたのが、先生をぐるぐる回りさしたような格格になって、はなはだ相済まぬ。継続給付も、私はっきり申し上げましたように、この点は政府改正はあえて必要ないのじゃないかという意見でございます。  そういうわけでございますから、全般的に申しますと、結局賛成ということにならざるを得ないと私は解釈いたします。  同時に、その前提として、どういうことが将来行われるならば賛成であるかという御質問でございますが、その詳細は昨年十一月の社会保障制度審議会の医療保障に関する勧告に述べておりますように、先ほども申し上げました零細企業の労働者の方の健康保険の適用の問題、それからその健康保険の被保険者の家族給付率七割引き上げ、並びに国民健康保険も七割以上に引き上げてこれの全面実施をする、それから結核対策に十分なる国庫負担をするという、この四点を前提といたしまして、政府社会保障制度審議会の勧告を尊重して下さるという私の良心的なる信頼をもって、賛成という意見を申し上げたのでございますから、その点、御了承願いたいと思います。
  75. 坂本昭

    ○坂本昭君 関連。私も、木下先生と同じように目を回した方なんですけれども、私、ちょっともう一ぺんお尋ねしますけれども社会保障制度を前進するための手がかりとしてならば賛成……。私もう少しわかりやすく――今この政府の岸丸が出帆をしています。前に向って進む。南極へ行くか北極へ行くか知りませんよ。とにかく旗をあげて出帆のどらが鳴っておる。先生は、この船が前に向って進むならば賛成……。一体われわれの親愛なる全日本の、近藤教授の説明される岸丸は、一体これは前進しているのですか。前進の兆候がどこにありますか。
  76. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) えらいきつい御質問でございますが、前進するためには、やはり氷を割らなければいかぬという場合もございます。多少、一歩後退して、制度をまともなふちに戻しながら進む。つまり進むときに暗礁がありましたら、もとへ下げて進むという意味において、私は、後退したように一応見えるかもしれないが、それは前進のための後退であるというふうな解釈であります。
  77. 木下友敬

    ○木下友敬君 さっきの三十円の問題、重ねてお尋ねしますが、これも先生は、給付外と見ると、こうおっしゃいましたね。これは見るのは勝手でございますが、そうしてあとの質問に答えられまして、現在の一部負担というのがあるのだから、今までなかったものが誕生したのではない、それがベース・アップの形で現われてきたと考えられればいい。私はこのベース・アップというのが非常に必配でならないので、今まで五十円あるいは四十六円の一部負担が実際行われている。これは長年の間それ以上拡大されなかったということに、私は非常に意義を持っているものでございまして、これが今日、たとえば三十円の入院の費用とか、あるいは百円の初診時の手数料とかというようにして、次々と赤字に向ってベース・アップという形で拡大さていることが、むしろこわいわけなんで、そういうベース・アップの例を開いてもらわない方が仕合せと考えて、その点が先生とちょっと考えが違ってくるわけなんでございますが、この扇のかなめから、扇が開いたように、だんだん、だんだん開いていくということになると、大へんなことになるのでございまして、どうかここで食いとめたいというのが私の希望でございますが、先生はやっぱり末広がりに広がる方がめでたいようにお考えになるか、一つ……。
  78. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) もし賃金なり国民所得なりが減りましたら、ベース・ダウンという問題が起ってくるかもわかりませんが、私のベース・アップと、言うのは、必ずしもそういう賃金に比例してという考え方だけじゃなしに、医療費というものの割合が一つの手数料となって出てくるのじゃないか、だから全体の医療費がふえれば手数料もふえるという考え方なんで、もし医療費がふえなければ手数料もふやさなくてもいいのではないか、こういう考え方でございます。
  79. 榊原亨

    ○榊原亨君 私、清水さんにちょっと一言だけお伺いさしていただきたいと思います。私ども保守党といたしましては、この国民保険をいたしますためには、私的医療機関と公的医療機関が、ちょうどなわのように相助け合って、医療に協力するということと私ども承知しております。先ほど清水さんのお話によりますと、医師の適正配置その他、皆保険実施いたして参りますためには、どうしても医療国営ということまで発展しなければいかないと、私はそれは聞きそこないかもしれませんが、そういうようなお話があったと思うのでありますが、もしもそうでございますならば、それは清水さんのお考えでございますから、私はこれ以上申し上げませんが、そういうお考えは健康保険組合連合会としての全体としての代表的お考えでございますか、それとも清水さん個人のお考えでありますか、念のために承わっておきたい。
  80. 清水潔

    公述人清水潔君) 国民保険に進むために、私的医療機関と公的医療機関とが相助け合ってこれに協力していくという考え方をいただいたのでございますが、私、今までの長い健康保険の歴史から見まして、いろいろな問題の根本というものが、やはり自由開業医という形に日本医療担当者の基盤を置いているというところに、いろいろな問題があるということを実は申し上げておるわけでございます。で、今般の機関指定という形の点について、医療担当者の方々は強い不満を表明なすっておりますけれども、私は、社会保険というものが社会保障という段階において、すべての国民が国の医療保障という形に入っていくという段階におきましては、私的医療機関がしかも商業的な自由開業医という形で参加されるというところに、この皆保険の将来を考えますときに、非常な不安を持つのでございます。私は、医療担当者の方々が、これは私から申し上げるまでもなくよくおわかりのことと思いますが、医療というものの本質というものが、国民疾病による肉体的、精神的苦痛から国民を解放するということが医療の本質でなくちゃなりませんし、さらにまた、そういう疾病による精神的、肉体的苦痛を事前に防止するというふうなことが医療の本質であり、またそれを担当する医療担当者の方々の社会的な任務であり、またそれが社会的に非常に神聖なるお仕事であるというふうに考えておるのでございますが、現在のように、医療担当者の大部分の方が自由開業医制という形に依存しておりまして、しかもその自由開業医制というものが何ら国から生活も保障されておらない、自分のかせぎ高によって自分の生活をやっていかなきゃならぬというふうな形に先生方を置いておくということが、これは人間である以上、やはり先生方も少しでも生活を豊かにしてほしいという本能は、これはお持ちだろうと思います。そうすれば、患者を少しでもたくさん、しかもより長い期間見て収入を上げたいという考え方が、これは残念なことですけれども、やはり私は出てくるのじゃないかと、こういうように思うのでございます。むしろ疾病というものを事前に防止して、しかも疾病にかかった場合には、できるだけ早く疾病の苦痛から国民を解放しなきゃならぬという立場におる者が、やはり自分の生活を豊かにするためには、制度的に患者がたくさんふえるということを念願しなきゃならないような形に置いておくということに対して、実は本質的に反対するのでございます。  で、しかも、そういうふうな医療の本質、あるいは医療担当者社会的な任務等から見まして、しかも国民の生命を先生方に預ける仕事というものが、自由開業ということでなくて、やはり国から生活を保障され、身分を保障されるような形に持っていっていただきたい。そのためには、今のような形でなくて、やはり先生方の身分というものを、公益性を強く打ち出されるような形にやっていただきたいというのが、私の申し上げたい点でございます。
  81. 榊原亨

    ○榊原亨君 いろいろ、だいぶん意味ははっきりしてきたのでありますが、端的に申し上げまして、清水先生は、この国民保険をやるには医療国営でなければいかぬ、医療国営が望ましい姿だと、こういう御意見でございまするか。  国がいろいろ施策をやりまして、そうしてこの医師の、医療担当者の身分についていろいろ考慮することは当然でございまするが、そういう形は、何も無理にこの医療国営という線でなくても、できるのではないか。私、去年でございますが、イギリスへ参りまして、イギリスの社会保障制度――先ほど金科玉条のごとくおっしゃいましたイギリスの社会保障制度の専門医に聞いてみると、イギリスで社会保障のうまくいっているのは共同便所だけだ。なぜなら、共同便所はただで小便できる。あとは全部金を出さなければならぬのだ、そういうことを端的に申し上げると言いました。あなたは社会保障制度を研究したいなら、オーストラリアとかニュージランドの方がさらに上に行っているのだから、そこへ行ったらいいだろう、こういうことを私は聞いてきました。でございますから、その点をはっきり一つ。その意味は大体私わかったんでございまするが、医療国営でなければならぬという結論はいかがでございましょうか。その点と、並びに今お話しになりました国営というものが望ましい姿であるという御議論でございましても、私は健保連合会の総意であるかどうかということは、これは医療保険をいたします上に、私どもの心がまえといたしまして非常に大切なことでございますので、健保連合会のお考えが医療国営というお考えであるというならば、私どももそのつもりでなければならぬ。その点をはっきり一つ、端的にお話し願いたいと思います。
  82. 清水潔

    公述人清水潔君) 私、申し上げておりますのは、医療国営ということを今すぐどうこうということでなくて、国家管理という形に進むのが好ましいということを申し上げておるのであります。と申しますのは、先ほど申し上げましたように、自由開業医という形で、しかも医療機関指定ということが、現在の先生方の分布状況をそのまま前提とされましたときに、これはいろいろ論議されておりますので、ここで私が特に申し上げるまでもないことでございますが、特に一例を申し上げますと、京阪神地区、特にこれは尼崎地区等でございますけれども、あの地区の市民約三百人程度に対して一人の割合で医療担当者があるということを実は聞いておるのであります。そういうふうな分布状態において、すべての医療機関ということを保険医療機関指定されていかれるというところに、健康保険の他面、片っ方自由開業という形で日本医療組織というものが放任されておるということから考え合せてみて、きわめて被保険者の、国民の少い層を一人の医療担当者が持っておるというふうな、国民医療担当者の比率から見まして、これはどうしても先生方の生活が苦しくなるのは当然じゃないかと思うのであります。しかし、健康保険制度というものは国民のための医療保険でございまして、先生方の生活をこれのみで保障するのだというふうな考え方は、私は当らないのじゃないかと思います。だから、まずそういう分布状態をそのままに置いておくということでなくて、やはり国がそういう分布状態等についてもやはり制約をし得るという形、さらにまた新しく医業を開始するというふうなところにも、やはり英国のように開業指定権というもので制約して、他面無医村というものがあり、医療担当者のないために非常に国民が不幸を見ておるというふうな地域は、できるだけ慫慂して、そこで開業させるというようなことをもできるような形に一つ考えていただきたいということを申し上げておるのです。先ほど申し上げましたように、健康保険というものはどこまでも国民のための制度でありまして、医療担当者のための失業救済機関ではないと私は考えております。そういうふうな意味から気持として申し上げたのでございます。  それから今、医療国営ということをお話がありましたけれども、私が申し上げておるのはそういう形にいくことが、これは社会主義国家において何ら矛盾なしに医療サービスというものが行われておるという点からすれば、そういう形にいくことが一番理想の姿としていいかと思いますけれども、現在のわが国経済体制から見て、一挙にそこまでいくのが非常に困難であるから、国が管理していく、開業指定権の制約とかあるいは分布状況の再配置とか、そういうふうなことをなし得るように一つやっていただきたい、こういう形に持っていくことが好ましいということを申し上げておるのです。こういう意見は健保連合会の総意というわけではございません。特にこれは私個人の強い希望であります。
  83. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 近藤先生にお伺いしたいのですが、先ほど来大へん画期的なと申しますか、われわれ啓発された御意見を拝聴したわけでありますが、一部負担赤字対策であれば賛成しないのだと、こういうふうにおっしゃったのであります。そこで、お尋ね申し上げたいのですが、御承知のように、健康保険は現物給付の建前でおるわけです。ところが、先生はその一部負担は手数料として給付外の考えをもってきょうお話があったように思うわけなんですが、現行保険法なりあるいは今度の修正案を見ましても、やはり給付外として取り扱ってはおりません。そういたしますと、この一部負担は先生としては反対という御意見でなければならぬと思うのですが、政府の意図しておる今の一部負担反対ということになると思うのですが、いかがですか、まず第一点お聞きしたい。
  84. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 政府の提案しておりますのは、はっきりと給付内というふうに規定しておるのでございましたならば、それを給付外に改めていただきたい。私といたしましては赤字対策としてでなしに、制度として手数料程度の一部負担を取るべきであるという積極論なんです。給付外の問題は、国民健康保険の場合ははっきりと給付外ということになっておりまして、もし給付内ということになっておりますと、その一部負担保険者徴収すべき筋合いのものなんです。窓口で先生がお取りになるということは、そのことを代理しておられるだけなんで、国民健康保険の場合は、当然保険者が半額を徴収して回るべき筋合いなんです。それがいろいろな関係から何回か考え方が変えられたりしまして、窓口徴収であるところとないところが御承知のように国保の場合にはございます。ところが、家族の療養費というものは給付外でございます。健康保険の被保険者の家族の療養費というものは半額だけ給付する、あのような建前で私は手数料的な百円なら百円という一部負担制を積極的に設けるべきだ、それを今先生は今度の改正法案をはっきり給付外とおっしゃっておりますが、私の解釈ではそうはっきり読めないのです。現行法は議論がございまして、給付外か給付内か……。もし給付外だったら払わなかった場合には、結局だれが最終的に責任を持つのか、保険者か先生かという問題が起る。これはいろいろの法律、私は法律の専門家でございませんからわかりませんが、私の積極的意見はそうであって、そういうふうに政府の今度の改正案は解釈できると思うのです、あの法文の書き方は。だから必ずしも反対ではございません。
  85. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 実は衆議院で、社労委員会において政府委員との間の議事録を読みますると、給付内としての議論が進められておりますので私お伺いしたのですが、その点は一応それで打ち切りますが、続いてお聞きしたいのですが、先ほど、初診時に百円程度のものは今の貨幣価値からいって前の四十円から比べて持てるはずだというふうに仰せになったのですが、あるいはそうかもわかりませんが、その点について、私一つの疑問を持っておりまするのは、一級の三千円程度の被保険者も、二十級の数万円の収入がある方も、百円同様に持つということは、被保険者の公平を考えてこういうものを初診時に取るのだという議論からいいますと、負担能力と申しますか、負担による影響という点からいいますと、必ずしも公平でないと思うのですが、先生はそれについてどういう御意見を持っておられますか、教えていただきたい。
  86. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) もしその人の標準報酬の等級によって手数料の額を変えるということになりますと、今先生のおっしゃったようなやり方をしなければいけません。その段階は非常にむずかしいと思います。しかしながら、大体私先ほども申し上げましたように、今回四千円に引き上げられましたけれども、いやしくも健康保険の現在の被保険者の方で四千円というような低賃金でそのまま黙認されておるということ自体が私にはどうも納得いきかねる。現実にはそうであるのですから何とも申せませんけれども、そういう意味において暫定的に非常に低い賃金の方があればそれは特別の扱い方をしても差しつかえありません。暫定措置でやれるのじゃないか。しかし、原則は百円という線で押していくべきじゃないか。その点は最低賃金という制度実現されるまである程度その金額を減ずるということも考えられましょうし、また、百円というのが高過ぎれば幾分下げる、たとえば八十円なら八十円ということも考えられるかもわかりません。しかし、これは将来出てきます新医療費体系との関係もございまして、今ここで金額は論理的に幾らがいいかということを出しますことは非常に私らの能力ではできませんので、ですから、まず百円というふうに衆議院の方でお認めになった案が大体妥当じゃないかということを申し上げたのです。
  87. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 次に、入院料における一部負担も手数料的な考え方のように承わったのですが、なおそのときの御説明に、完全給食の病院あるいは完全給食でない病院といろいろある。ところが、給付内としての一部負担質問なんですが、この一部負担のあり方は療養費の額に決して比例しておらないと思う。と申しますことは、入院した場合には三十円ずつ取る、これが米代だとか、食事料ということも一応言われておるわけですが、実は入院外の通院の患者でありましても療養費がかなりかさむ人とかさまない人があるわけなんです。そういたしますと、完全給食の病院に入る入らないということは、患者の自由選択によってきめたわけなんでして、完全給食する病院と、しない病院ということの議論よりも、療養費の面から考えて、通院の患者療養費が幾ら上りましても百円でいい、そうすると、一部負担というものは療養費の一部負担であるが、その要する療養費に必ずしも正比例しないというところに実は一つの問題があろうと思うのですが、これはやはり簡単に手数料的にそういう療養費に比例すべきものでないというお考えでしょうか、あるいは先ほどお伺いしたような低額所得者と同様にそれも考えられるが、計算が非常にややこしいので、一応こういうふうなことでいいだろうという程度のお考えなんでしょうか。
  88. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 私、先ほどの説明の仕方があるいは間違っておったかわかりませんが、三十円というのは手数料と私考えておりません。これは実は在宅患者と入院患者のアンバランス、それから今おっしゃった完全給食病院と、そうでない病院とのアンバランス、この是正という点にむしろ重点を置いておるのでありまして、今先生がおっしゃったのでは、完全給食病院を選ぶということと、そうでない病院を選ぶということは愚考の自由だとおっしやいましたが、農村等におきましては自由選択ができない。それで、私はそういうところは、少くともお米代の程度は本人が持たれた方が筋合いが通るのじゃないかということで、七人委員会のときも三十円というのを出しましたので、ここの三十円というのは手数料という考えではございませんし、もし私の説明が間違っておりましたら訂正させていただきます。
  89. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 それから最後に、もう一つお尋ねしたいのですが、法律を読むのに、善意をもってあるいは善人として読むというような御意見でございました。先ほど大塚先生からですか、官吏は正直であって医者は不正なものばかりかという御意見があったのですが、実は先ほどいただきました大阪の方のデータによりますというと、ある法務次官が三年間在任中にあったことをおっしゃっておるわけなのですが、官吏の不正が二万数千件、三年間にあったということがここに書いてございます。これは相当驚くべき数字であろうと思うのですが、翻ってこのデータによりますと、一カ年間の保険支払件数から、不正によって処理されたものは一千万分の六しかない、こういうようなことも実はデータに出ておるわけです。そういたしますと、やはり法律、法文を読むのには、官吏も善人だが、医者も善人だという態度で読むといたしました場合において、今回の例の四十三条の十というものは、相当医師人格を無視し、あるいは憲法の三十五条なり、三十八条を乗りこえた行き方をわざわざ言いわけをして、しておられるわけですが、そうした必要性がやはりあるというようなことによってこの案に御賛成なんでしょうか。この点を一つお聞かせ願います。
  90. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 私官吏の方だけが善良であって、先生方が善良でないということは毛頭考えてはおりません。どちらも善良であるという前提のもとにものを考えて申し上げています。従いまして、実際上の取扱いとしては、桑原先生がおっしゃったように、大阪の例も――私はちょっと桑原先生と近しくおつき合いをしておりますので非常にわかっておるのですか、現状のままでけっこうです。しかし、それを法律ではっきり書いた方がいろいろな誤解が起りゃしないでかえっていいんじゃないか。ここに今おっしゃった四十三条の十のところに、特に断わりがそういうふうにしてあるというのは、やはり世間では誤解されるようなことがあってはいけないとお考えになったのだと私は善意に解釈しております。終戦以来の日本法律というものは、戦前の法律と違いまして、広く国民に知らしめるような法律になっておりますので、そういう意味でこれを設けても、現在のやり方がこれによって非常に先生方に不利に動くとは思わないがゆえに賛成しておるのでございまして、そういう意味でございますから一つ……。
  91. 竹中恒夫

    ○竹中恒夫君 次に、吉田先生にちょっと二点ばかりお伺いしたいのですが、先ほどこの改正案が国会に上程される手続として、関係審議会にかけておらぬのはけしからぬ、こういうような御意見ですが、その点は実は参議院でも問題になっておるわけなんですが、かりにその問題は別といたしましても、その前の両審議会の答申を見まするというと、社会保障制度審議会では、国庫負担の線と結核対策を根本対策として強く出しております。そうしてなお立ち入り検査というようなことはこれは好ましくない、反対だという御意見が出ておるわけです。また、社会保険審議会におきましては、国庫負担につきましては定率の国庫負担の線をお出しになると同時に、立ち入り検査はいけないというように出ております。従いまして、先ほどの先生の御意見も、審議会に諮問しなかったからけしからぬというような御意見のようでありましたが、同時に、その前に諮問した答申にも抜本的なものが今回載っておらぬということで御反対なのじゃないかということをお聞きしたいのと、それからもう一つ、皆保険の地ならしとして現状の究明が必要であるという御説でございましたが、実は私どもとして考えなければならないことは、現状の究明だけでなくして、昭和十三年国保ができまして以来、相当保険組合が財政的な理由、原因によって解散いたしておるわけでございます。そういたしますると、解散のつど報酬金が払えないので寄付の形、あるいは半額に負けるというような形、あるいは市町村税等の割引きというような非常に不自然なことで今までそういう破産した組合が一応処理されてきているわけです。ですから、国民保険の地ならしをする場合に、現状の究明ももちろん大切でございますが、また、現行法が基準になって国保がいくわけでありますから、そういう意味合いにおいての健保法の内容の検討というのもきわめて慎重を要するわけでございます。過去に対するそうした問題について、何かお考えになる資料でもお持ちならお示しを願いたい、この二点をお聞きいたします。
  92. 吉田秀夫

    公述人(吉田秀夫君) 前段のお話は、私竹中先生と同感です。大体社会保障制度審議会にしても、社会保険審議会にしても、政府は、特に厚生省はどういうふうに審議会を見ているのか非常に了解に苦しんでおります。特に半年も一年半も苦労さしてやっと結論を出したというのが簡単に――まあ近藤先生は非常に善意であられますので、来年か再来年実施になるとお思いになるかもしれませんが、私はそういう前進の方向にありそうもないと思っております。従って、いつもそういう勧告は一片のほご化するというのが今までの常例であります。その点はやはり審議会でも、国庫負担にしても、その他の問題にしましても、根本的な問題を出しているのですから、それに一片の考慮もしないというような今回の改正案は非常に困るということであります。特に二十四国会の場合には、はっきりと衆議院付帯決議として定率国庫負担があったはずなんでありますが、そういう点からいっても大体どういうふうに国会の権威や審議会の権威をお考えになっているのか私は全然わかりませんが、先生と御同感です。  それから国保の問題につきましては、これはやはり非常に重大問題でありますし、岸内閣の重大政策の一つでもありますし、これは過去、現在を問わず十分お調べを願いたいと思います。
  93. 木下友敬

    ○木下友敬君 清水先生にお伺いしますが、この健康保険なりあるいは社会保障と申しますか、これを推進していくためには、今の医療担当者の方を何とか規制していかなければいけないというようなお説、これも私は傾聴しておきます。ところで、おか目八目と申しますか、私らから言えば、今の組合保険の方にもいろいろ考えなければならぬところがあると思う。と申しますのは、非常に経営の豊かな組合においては豊かにやって、それから二百でしたか、二百のうちの幾らかは非常に貧しくやっている。これは一緒にやればおそらく工合よくいくのじゃないかと思う。もっとこれを広げれば政府管掌も一緒にしたならば、今のような苦しみは生じないのじゃないかというようなことさえ私は考えるのですが、この点は健康保険の連合会の理事長さんのお考えは、医者だけを規制していけばまあまあさしあたっては都合よくいくというようなお考えでしょうか。組合保険についても根本的な機構の問題で一つ考えていただくというようなことはございませんか。それから一つ……。
  94. 清水潔

    公述人清水潔君) 医者だけを規制したらやっていけるということで、そういう受け取り方でなくて、お医者さんの方もそういうふうに規制をしていただきたいということをるる申し上げているわけであります。それから連合会と健康保険組合の関係でございますが、先ほど申し上げましたように、これはたびたび申し上げるのでございますが、現在の政府管掌の平均標準報酬以下の健康保険組合というものが二百幾つばかりあるのでございます。もちろん個々の健康保険組合の実態を申し上げますと、非常に標準報酬の高い、二万四、五千円の標準報酬のところもありますれば、最低は六千七、八百円ぐらいにしかならない健康保険組合もあるのでございます。また、その形態自身が単一の企業を基盤に置いて単一組合としている、単一事業所を基盤にしている組合もございますれば、あるいは京都の西陣健康保険組合のごとく、政府管掌どころか、最下低の零細企業を何千というふうに集めて組織して総合組合という形で運営している組合もありまして、その内容というものは非常にまちまちでございます。まちまちでございますけれども、ともかく健康保険組合という形で健康保険事業を経営していきます場合には、現在の政府管掌という形で一本の形でやるというよりも、むしろ経営的には非常に能率化して赤字の出てくる度合いというものが非常に少くて済むということを申し上げておきたいと思います。これは先ほど来申し上げましたように、健康保険組合という方式をとるということは、すなわち被保険者の代表というものが半分出ております。健康保険組合を運営する機関としましては、現在の現行法では組合の会議員というものがありまして、組合会議員の半数というものは、被保険者の互選によって被保険者の代表として出ております。それでまた、半数は事業主の選定という形で出ておる議員でございます。そうしてそれぞれの選定の議員、あるいは議員の互選という中からまたお互いに執行機関としての理事をそれぞれ半数ずつ選定しあって、そうして健康保険組合を運営していくというところに、組合自身が被保険者意思を十分に民主的に反映し得る方式であると同時に、被保険者のお互いが、被保険者自身がお互いにいわゆる法をくぐっていくような気持を制約しつつやれる。それでまた、個々の被保険者診療内容にいたしましても、診療保険事項にいたしましても、常に被保険者と非常に密接な関係がありますので、その実情というものが非常に把握しやすいというふうなこともございます。そういうふうな経営的な非常な努力によりまして、赤字というものが非常に少くなっておるということを、私は先ほど来たびたび申し上げておるわけです。私は健康保険というものを、現在三百五十ばかり健康保険組合というものが全国にございますですが、これが一本でいくという形、さらに健康保険組合と政府が一本でいくというふうな形が果して保険行政を国として執行する場合に、よりよき方式であるかどうかということに対してはむしろ反対立場をとっております。これは最近イギリスにおきましても、また西ドイツ、その他の国におきまして、むしろこれは社会民主党的な行き方のグループにおいてすら事業一本で、政府が一本で直接執行するということがいいかどうかということに対しては、この点に疑問を持っておるのであります。むしろ行政という立場において一本でやるというのじゃなくて、責任は最終的に国家が持つけれども、それを非常に経済的な単位においてまかしてやらせるという方法をとろうという意見がかなり強く表面に出ておるということを私実は聞いておるのであります。そういう意味からいたしましても、健康保険組合連合会が一本で、経営主体として一本で単独にいくということよりか、むしろそれぞれの組合というものを自主的にやらせながら、さらにまた、今のわれわれが検討しておりますのは、健康保険組合の理事として今考えなくちゃならぬということを言っておりますのは、お互いに健康保険組合連合会自身が内部において非常に優秀な経済的に楽な組合もあれば、経済的にどっちかといえば比較的苦しい窮迫した組合もありますし、また、少数赤字の組合もございます。そういったものを何か健康保険組合連合会自身でいわゆる再保険的な形に何か資金のプールがなされて、そうしてお互いに再保険的な形で救済し得る道が講ぜられればいいのじゃないかということも実は内々研究しておるのであります。そういう点についての再保険的な考え方というものもありますが、健康保険組合連合会というもの一本でやる、さらにまた、健康保険組合連合会と政府とが一体になってやるということに対しては、むしろ反対立場をとっております。
  95. 木下友敬

    ○木下友敬君 わかりました。一本ではいけないということ、形は今のままであって、内部において、たとえば資金のプールをするというようなことは考えておる、そういうことで一つ前進していきたいという考えを持っておる、それはよろしゅうございます。  それから次に、医師の身分を保障するような形の方が望ましい、今のような商業的な自由開業の方は好ましくない。それの具体的にどうすれば医師の身分を保障して、商業的でなくていけるかということをちょっぴりでよろしいから、簡単でよろしゅうございますから、これを伺いたい。
  96. 清水潔

    公述人清水潔君) 先ほども申し上げましたように、社会保障制度審議会の第一次勧告案にそういう医療組織の理想の姿というものが一応考えられております。その目ざすところは、今、英国式の行き方というものを目ざしておるわけでございますが、私もそういった形のものがわが国経済社会体制から見まして、むしろよりよき行き方じゃないかというふうに実は考えるのであります。と申しますのは、先ほども申し上げましたように、国民の生命をあずかる医療という重大な仕事を、自由開業という形にまかすことがいいかどうかということに対しては、これは大いに考えなくちゃならぬと思います。現在、鉄道事業あるいは通信郵政事業、こういうふうなものがああいう形で国家が管理してやっております。そういうものと、国民の生命をあずかる医療というものと、果していずれが社会的に重大な仕事であるかという点から考えまして、私はむしろ現在の健保の立場からいたしますと、国民の生命をあずかるという医療の将来の理想的な姿というものは、やはり理想的には国が直接これを執行していくという形が好ましいけれども、当面、先ほど申し上げましたように、英国のようないわゆる開業指定権を制約するとか、あるいは医療担当者の生活を一部基本給的な形で国が保障していく、あるいは社会保険資金というものをプールして、その中からまた保障をしていくというような形の研究というものがもう一歩踏み出されていいのじゃないかということを先ほど来申し上げておるのであります。一つの理想的な姿として、六、七年前に打ち出されておりながら、政府といたしましても、何らそういった理想の姿に努力していこうとする具体的な踏み出し方がなされておらないというところに、私は政府に対して非常な不満を持っておるのであります。
  97. 木下友敬

    ○木下友敬君 わかりました。その理想の姿というので、はっきりしましたが、私は今の健康保険法の一部改正案がこの月中にでも通らなければ非常に困るという、非常に緊急の場合に公述人のおいでを願っていただいて意見を聞くのだから、お説は近々将来にでも実現できるお話を聞いているつもりでおりましたが、医療の将来の理想の姿であるということであれば、それはそれとしてお聞きしなければなりませんが、そうしますと、たとえばたくさん医療施設がございますね。私立のものなどあるが、これを政府が吸収でもして、そうして政府のものとしてやるというようなこと、これはなかなか近くはできませんですわね、実際問題としては。だからまああくまで今おっしゃったことは、これは非常に遠い先のことだと考えて受け取っておってもいいでしょうね。それでまあもしこれはそれにあなたの夢ではないけれども、そういうふうになくてはならないという理論的な上に立って作られた理想であるとすれば、私はそのまま受け取ってもいいが、今の健康保険の問題を早急に解決していかなくてはならないという熱意からすれば、ほど遠いお説のように考えるわけで、決してむだではないけれども、明日の役に立たないという考えを持つわけです。  なおこの際一つ、私は近藤先生とそれから清水先生に質問の形と申しますか、意見を述べておきますが、これは私非常にへそ曲りかもわかりませんから……。清水先生の御所論でいけば、私非常に残念な個所をときどき拝聴いたしたのですが、たどえばここで公述人の方がどういうことを御議論なさいましても、どういう用語をお使いになってもお差しつかえないことでございましょうが、医者が現在は商業主義であるから病気の長引くのを希望する、あるいは病人がたくさん出るのを希望しているというようなことを清水先生がお話しになりましたが、これは私は非常に遺憾に思うことでございますが、現在私どもは、病気の予防ということについて全力をあげて尽しておるこれはまた国の施策である。しかしながら、出た病気はよくしなければならない、たとえば一部負担をいやだと私が言うのは、一日も早く患者が医者の門をたたくことを希望しているわけで、早期診断、早期診療ということを私ども主張するわけです。その意味からいたしますと、仰せになりました長引くことを希望し、患者が多くなることを医者が希望しているというような、そういういわゆる商業主義的な医者だと言われることには非常に不満を感ずる。と同時に、医療担当者のための健康保険というものは、医療担当者のための失業対策じゃないかというようなお言葉ならば私は非常に悲しく感じます。私は不肖ではございますけれども、長年勉強して参りまして、わずかながらも医業を経営している一人でございますが、未だかつて私は失業対策の対象として医者の……あなたの仰せになったように、尊い生命を預かるわれわれが、失業対策の対象にされるということは夢だに考えたことはございません。しかし、私どもの日常のあり方が、もし失業対策の対象にでもなるようなふうに、私どもの態度がございますれば、これは私どもの不徳のいたすところでございまして、大いに省みたいと思うのでございます。この点についてまた御意見がございましたら、お聞きをしたいと思います。  なおまた、近藤先生は、三十円の問題でございますが、あれは食事を給与するところも、給与しないところも三十円を取るということに最近なっているようでございますが、以前はあれは、米も自分の家にも米はあるから、米代くらいは取ってもいいじゃないかという考えでございましたが、最近どうも食事を給与する病院でも、給与しなくても三十円は取るということになっておりますから、いなかならばどうじゃ、町ならばどうじゃというようなことはないように思います。この点は私の考えが正当だと思いますから、これを申し添えておきます。以上でございます。
  98. 千葉信

    委員長千葉信君) 清水君、御答弁ありますか。
  99. 清水潔

    公述人清水潔君) はあ。
  100. 千葉信

    委員長千葉信君) できるだけ簡単にお願いします。
  101. 清水潔

    公述人清水潔君) 三つの点で御質問があったわけなんですが、理想の姿ということを、遠い理想の姿ということを申されたので、その点に対してちょっと申し上げておきます。確かに理想の姿として審議会というものが一応考え方を提示いたしました。理想だという形でいつまでもほうっておくということに対して不満をもつということを先ほど来申し上げているのであります。もうぼつぼつ何か一歩そういう形の方に進み得る具体的なスタートを切る努力をしたらいいじゃないかということを申し上げているのでございます。  それから、商業主義という言葉に対して御不満がございましたけれども、私は、先ほど来申し上げましたように、現在の自由開業医という形に置いておって、国からもあるいは社会からも何ら生活の保障がなされておらないという現在の医療組織というものに対して実は申し上げているのであります。もちろんこれは先生方が患者がたくさん来ることを念願していない者は一人もおらぬというような御意見でございますけれども、ただそういう個人医療担当者の一人々々、個人考え方を私は申し上げているのではなくて、そういう自由開業医という組織にしているということが、そうして他面、片一方で診療報酬の支払方式というものがいわゆる稼働点数ということによって支払われていくという形に置いておることが、人間である以上できるだけ生活を豊かにしてゆきたいという、これはもう当然の本能があると思いますが、そういった点から見て、やはり自分の生活を豊かにするためには、現在のような自由開業医ということで置き、さらに診療報酬の支払方式というものも、いわゆる出来高払い方式のやり方でやっているようなことでは、政府として、それを担当する先生方が、そういう形にできるだけ収入を増すためには、患者が一人でも多くなることを念願していくという考え方として、そういう制度を置いておくということが間違っているということを実は申し上げているわけであります。  それから失業救済いかんということは、現在、先ほどから申し上げましたように、健康保険制度というものが国民の生活福祉を高めていくというための目的を持った制度でありながら、先ほど来申し上げておりますように、先生方の開業指定権というものが自由になされているということで、先ほど桑、原先生もおっしゃったように、都市集中というようなことが現われております。これは関西にもありますし、京都市内においてもある一定の地域というものが、非常に診療担当者の機関というものが密集している地域があるわけなんであります。そういった所を統計的に見ますと、やはりこれははっきり申し上げますと、実は京都の西陣地区でございます。西陣地区あたりの先生方の密集というものが比較的京都では率が多いのであります。そう申し上げますと、これはもちろんいろいろな原因もあるかと思いますけれども、西陣健康保険組合あたりの疾病一件当りの支払額でございますね、診療報酬の額というものが、他の健康保険組合、あるいは京都府の政府管掌の一件当りの平均額等に比べて相当高い診療報酬の支払いの現状でございます。まあそういうふうな点等から見まして、現在の分布状況というものを現在のままにしておいて、そうして全部の先生方の生活を健康保険制度という形において保障しなければならぬというところに、そういう失業救済機関のごとき錯覚を持たせるような考え方を持たせておるということを実は申し上げておるわけであります。
  102. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 先ほど御指摘になりました入院の場合の一日三十円でございますが、私、私の考え方を頭の中に入れてぼんやり読みましたので、この法文を拝見いたしますと、給食しているとしていないにかかわらずというふうに解釈ができると思いますが、もしそうでございましたら、私の意見といたしましては、給食をしている病院に限って一日三十円という解釈でないと賛成しがたい、こういう意見でございます。
  103. 木下友敬

    ○木下友敬君 さっきのあれは、やはり清水さんは自由開業の形にしておけば、病気が長びく、患者が一人でもふえることを喜ぶのが自由開業の本質だというようにお考えでございますが、これは重ねて申しておきますが、現在の医師にはそういうことはございません。たとえば台風が来れば堤防がこわれて、土建屋が喜ぶとか、あるいは戦争があれば船が沈んで鉄屋がもうかるとか、そういうようなふうな商業的な考えで医術というものはやれないということを私は重ねてこれは申し上げて誤解を解いておきたい、こういうふうに考えております。この点はむしろ質問するのでなくて、重ね重ねお願いをしておくわけで、そういう目で今の開業医を見られるのと、そうでないのとでは、保険の問題を解決する上においても、お互いの話をする上においても非常に違ってくると思うのです。どういう色めがねで見ておくか、あるいは普通の目で見ておくかということが大事な話し合いの場を作るときの大きな条件になるわけですが、初めからこれは病気の長引くのを喜んでいる医者だとか、そういう制度であるというように大まかにきめてしまっていかれると、私は非常にこれからの制度検討の上にも困ると思いますから、この点を私希望しまして、打ち切ることにいたします。
  104. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 私も近藤先生に一つお伺いしたいのですが、午前中も似たような御発言があって、私も非常に疑問に思った問題がある。先生のお話を承わっていると、どうも受益者負担的な要素が意見の中に非常に盛られているのじゃないか、これは私たちとしては非常に問題にしたい。特に社会保障の専門家としておいでになる近藤先生、言葉が、私が誤解を受けたというならばこれは一つお許し願いたいと思うのですけれども、そういう考えから出発した意見のように私は感じたのです。そこでまあ問題になるのは、社会保障制度審議会というのが主として近藤先生の言われたのは、最低賃金制もできてない、主として低額の所得者に対する擁護という立場から、社会保障制度審議会では二割の健康保険に対する国庫補助ということを打ち出しておられる、こういう工合に思うわけなんです。私は、ちょっとイギリスの話が先ほど出ましたけれども、イギリスは国民保険法とか、国民医療事業法とかいう関係において法律をきめて、そこで根本的に国民医療、健康を守るという基本的なものの考え方が順次年代によって進んで、最終的にはほとんど国の力で健康も、それから疾病医療も守っていくんだという制度があの国会において満場一致できまって、今の社会保障制度の出発点をなしておると思う。たとえば年代的に見まして、四八年には国家の補助が、国民保険、これは国民医療事業法の中に十ぺンス、八ぺンスという、保険料としてはつぎ込まれておりますけれども医療の問題はほとんど国庫負担でございます。国民保険法の総合的な問題を一つ見ましても、四八年には二六%、五八年には三五%、次には四九%という工合に、国庫補助、国庫負担というものによって、国の力によって、国民の健康、疾病を守っていく。この基礎は那辺にあるかというと、何といっても、近代社会における貧困や病弱というものは私は個人の責任ではない。自覚と申しましょうか、国の政治の中で、近代的に進む中におけるみんなの責任としてこれが守っていかなきゃならぬというところに社会保障の出発点があるように私は考えているわけです。そういう理論と、それから社会保障制度審議会でなされた二割という国庫負担という問題との関連において、先生は、最終的な最後のときに、私らの理想とする国の政策、総合的な社会政策というものが出てくるとの条件でこれに賛成するんだとおっしゃったと私は記憶するんです。ところが、そこまでいってですね、振り返ってみると、どうもかけている者とかけていない者、病気にかかった者とかからない者とのアンバランスがあるから、そこには、バランスをつけるために一部負担やむなし、たとえばスライド制といったような問題までその中に出てきたわけなんです。だから私は、社会保障制度審議会へ先生が参加されて、ほんとうに考えられた意見と、今のこの問題に対して取り組んでおられる意見との間において、私は少し理解に苦しむ。それからもう一つ私は申し上げたいりは、何といっても、今の政府を作っておるといいましょうか、与党といいましょうか、この自民党政府というのは、九千万の国民に、大きく社会保障制度の確立、それから最近では皆保険という、四年間でこれを確立するんだとお言いになっているんです。だから、少くとも今日の保険というか、社会保障制度という原則の上に立って、それを実現するために政策をお出しになっているんだと私は思う。そういうことになってくると、今この法案として出てきた問題には、私ら個人としてはなかなか納得できないと思うんです。できないんですけれども、先生は、そういう歴史的なものと比べて、ずうっと順序を並べてみて、今日の今出している問題については、一部負担やむを得ないという御結論になられるというところが、どうも私には、受益者負担的な、この健康保険のみの保険経済という問題にとらわれて、本来の、先生が主張されている社会保障確立という問題との関連について私は非常に理解に苦しむ。そこのところあたりを、一つ御理解をさしていただきたいと思うわけです。
  105. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 国庫負担の問題につきましては、イギリスのように、全部の国民がひとしく医療の保障を国から受けるという建前になりますればこれは何割出しましてもかまわない。つまり、問題は、保険料という形で負担するか、税金という形で負担するかの問題になると思うんです。イギリスの場合には、御承知のように、九割分までは税金でまかなっているような医療保障になっております。従って、国庫負担の点は、現段階におきましては、低賃金の方に対する国庫負担論で私は申し上げたんでございますが、理想的な場合は、必ずしもそういう考え方ではございません。  それから、一部負担の問題は、これは全部の医療が国で行えるようなイギリスのようなやり方になりましても、私はある程度本人に負担させるという考え方は出てくるんじゃないかと思うんです。ここがまあ藤田先生のなかなかお納得いけないところだと思うんですが、私は、厚生省が従来現物給付主義というものを打ち出しまして、健康保険では一文も要らぬのだということをあまり宣伝し過ぎたんじゃないか。この点にまあ少し問題があるんで、従って、もし藤田先生のお考えでいけば、現行の初診料の額相当の一部負担もこれは御反対であると思います。ましてや、将来全国民医療保障ができた場合には、そういうものは要らぬというふうにお考えになると思のでございますが、私はそういう場合におきましても、ある程度、本人に自覚を持たすために、手数料的なものは取っても社会保障としては差しつかえないんではないかという考え方なんです。つまり、何でもかんでもただであるというのが私は社会保障だと考えていない。まあ、ここらあたりがちょっとデリケートなところでございまして、説明しがたい、まあいわく言いがたしというところじゃないかと思います。
  106. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 そこがどうもたとえば先生のさきの前段の議論でいって、二割国庫負担をしようということ、今健康保険は千分の六十五ですかの保険料金で、何もただ、ただといっても、全部ただじゃない、ちゃんと保険料は払っている。払って、国民全体に国の施策において、病気になった人は、何といったって、安い賃金であっても、働いて食っているというのと、病気になって食おうというのと、ものすごく負担が違うわけです。だからそういう意味で、国の施策で、みんなに、病気になった人を守っていくという建前をとって私は当然じゃないか、それが社会保障制度の本来の姿になるのじゃないか。  もう一つ、前段のその二割国庫負担というのは、日本健康保険の千分の六十五、その状態保険料の問題、収支の問題、政府が事務費だけを負担してないという現状の問題は、御理解の上に立って、こういう結論が出されたと私は思うのです、二割負担という問題は。そうすると、二割負担というのは、私は保険の、要するに、医療内容をよくする、こういうものが、その審議会で作られた中に、審議会で討議された中に、十分盛られて二割国庫負担という問題が出てきたのじゃないかと思うのです。そういうことになってくると、少しまた先生の今おっしゃったことと理解が違うのじゃないかと思いますので……。
  107. 近藤文二

    公述人(近藤文二君) 藤田先生、前の二十五年の勧告のときは、全国民医療保障をやるという建前で二割が出ておるのです。それで今回の改正状態を見ますと、そういうところまでまだいっておりません。そこで現在の段階においては、標準報酬の低い方に国庫から金を出すという形で計算しまして、これが二割以上になると思います。もし零細企業の方々が入られたり、七割給付という問題を出しますと、とても二割では足らぬと思います。大ワクとして。そういう計算で、三割とかあるいは四割とかいうのを出すべきだという私の意見なんです。だから、ただ単に二割というのを出すなら、全国民にイギリス流にやって、すべての人が医療保障を受けるというときに至って初めてこれは八割でもかまわぬ。国民がその方で、税金でいこうというならそれで出しましょう、保険料でいこうというなら保険料でやっておいて、国庫負担を減らしましょう、それはそのときの話し合いで納得いくようにやればいいんじゃないかと、こういう意見なんです。その辺は御理解が得られると思うのですが、一部負担については、先生は、病気になったときに、それでは百円を出したら守れぬかという議論が出てくるので、私も何でもかんでもただだということになると、別に病気でないような方もお医者さんのところに行って、邪魔されるようなことが、イギリスの場合なんかでも実はあり得たのじゃないかと思うのです。そこで、多少百円くらいのちょっと自覚を持たした方がいい。それによって予防の点から受診制限されては困るので、私は必ず百円出さなければ見てもらえぬという制度では困ると思うのです。しかし、一カ月なら一カ月の間に百円を払う形で取られるという百円ならば、その方がむしろ妥当ではないかという気がいたします。この場合は、ちょっとけがをしたから赤チンをつけるということでお医者さんの手をわずらわすということになりますと、お医者さんもお忙しくなりますし、本人も手間がかかるというところから手数料的な問題を出しているわけで、これは常識で一つ御判断願うより仕方がないと思いますので、理論的にはここで論争できかねると思いますので……。
  108. 藤田藤太郎

    藤田藤太郎君 だから先生のお話を聞いていると、少し、病気にならない者までが医者を邪魔するというところまで飛躍したわけです。それからちょっとした病気の場合は、医者にかからないでもいいじゃないかというような、赤チンで直せばいいじゃないかというような問題までだんだん飛躍してきたわけなんですが、私はまあそういうことは一般の国の政治の中で、お互いにからだを守ろうという行政の中で私はできる問題だと思う。必ずしも医師の、保険の窓口の問題じゃないと思う。私の申し上げているのは、だから先生のあとほどの御意見、国家が三割持っても、五割持ってもいいのじゃないかという、そこのところまではわかるのだけれども、それで保険料を払って、個人が病気になったものは受益者負担だから百円持つとかなんとか、入院料三十円払うというようなことが、やむを得えないということが私にはわからない。そこのところが理解しにくい。社会保障制度の問題からいってですね。まあしかしよくこれは先生のお考えと私の考えですから、ここで議論をするところじゃありませんから、これでやめます。
  109. 坂本昭

    ○坂本昭君 今の一部負担の問題、先ほど高野委員から提出されてそのまま未解決になっております。近藤さんと吉田さんとはだいぶ考えが違いますし、また近藤さんは、吉田さんの説は歴史的発展の考え方の違いというような御意見でしたから、吉田さんの御意見一つ聞かして下さい。一部負担について……。
  110. 吉田秀夫

    公述人(吉田秀夫君) 大体私の過去の態度を近藤先生が問題にしたと思う。あれは二十五年です。二十五年当時はまだ一点単価が十円とか十一円で、初診料が四点程度だったと思う。私は大体その初診料は、本人の一部負担でやるという今の現状には反対です。特に初診料に含まれる医師歯科医師のいわゆる専門的な技術料というものがほとんど給付外に扱われるような形で全部本人負担という形はおかしい。当然給付内で、これはやはり無料だろうと思うのです。従って、二十五年当時賛成しましたのは、あくまでも手数料的な意味で、その当時四十円、初診料に該当する一部負担は四十円程度の、まあ手数料は医療機関に払うということをお願いした。今回の法案のように、医療機関医療担当者を通じて保険者に払うというようなのは、そういう手数料的な考え方は、あの当時は一つもなかったと思います。しかし、二十四年、二十五年当時と現在では、私は一番心配しますのは、やはり非常に大きな独占的な産業の非常に大きな国際的な好況、それからそれに反しまして非常に零細なもの、中小企業、あるいは零細企業は非常にみじめな経済状態及び医療状態もそういうことなんです。そういうギャップは少くとも二十五年当時はありませんでした。従って、いろいろな公述人及び先生方のお話のように、一番みじめな患者にたとえ百円でも現金負担させるということは、必ず大幅に健康保険受診率に影響すると思う。従って、政府のいろいろな資料によりますと、入院料と一部負担で月に三千円だった。そうしますと、わずかに年間三億六千万円です。こんな額では済まないほど私は受診率の大きな影響が、節約という形で出るのが一番こわい。そういうみじめな零細企業の病人、その本人をこんなにまでなぜいじめる必要があるかという点は、大体藤田先生と同意見であります。
  111. 千葉信

    委員長千葉信君) 公述人に対する質疑は、この程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  112. 千葉信

    委員長千葉信君) 御異議ないと認めます。  終りに臨みまして一言ごあいさつ申し上げます。  公述人各位には、きわめて長い時間貴重な御意見を御開陳いただきまして、まことにありがとうございました。当委員会を代表して、厚くお礼を申し上げます。  本日の社会労働委員会公聴会は、これをもって散会いたします。    午後五時五十四分散会