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山下義信君 私はただいま議題になっておりまする三案並びに自由民主克から御提出になりました修正案一括いたしまして、
社会党は断固全面的の
反対をいたすものでございます。この討論におきまして、まず
反対意見を持っておりまするわれわれが
発言をいたしたいと存じたのでありますが、賛成されまする討論が先に行われましたので、若干の時間のズレは御了承を願いたいと思います。ただいま高野
委員が述べられましたように、まさにこの
健康保険法の
改正は多年の懸案でありました。この
改正が企てられまして足かけ三年になります。すなわち、昭和三年の第二十二国会に始まりましてここに五回分国会にわたり今日に至ったのであります。かく数国会に持ち越されました法案もまれでありますが、そのつど
内容が改変されたというのも珍しい例であります。しかもしばしば朝令暮改された法案をここにあくまで墨守しようとされる
態度もまた奇怪千万、不可解千万でありまして、その無定見、無方針振りと合せて嘲笑にたえざるものがあるのであります。
政治は生きものであります。もとよりその
通り、ことに経済は変化する、もとよりその
通り。
健康保険制度もまた、そのときの情勢によって変化してよろしい場合もある。私は変化してはならぬというのではない。変化することを責めるのではない。ただあまりにも変化がはなはだしいことを責めざるを得ないのであります。換言すれば、
保険行政はもとより自分自身、すなわちわが国の
政治経済の情勢の見通しについて全く盲目、無検討であったことを責めざるを得ないのであります。
内容につきましては、御
承知の
通りでありますから申し上げるまでもありませんが、その提案の理由が三たび変化し、初めは赤字対策と言い、次には赤字をかねて
制度の水漏れを阻むのであると言い、最後には赤字ということはあまり言わないで、ひたすら
国民皆
保険のために
合理化をはかるものだと口上を変えたのである。まるでアジサイの花のごとくであります。そのくせ口には
保険の
合理化を叫びながら、
政府の
態度は全く不合理という一言に尽きるのは実に皮肉である。第一に、法案提出につきまして
法律に定むる審議会に諮問しなかった不合理、第二には、本法案は従来と変らない案であると強弁する不合理、
神田厚生大臣は、鳩山、石橋、
岸内閣と三代相承である、政策もそのままである、
健保の
改正案もそのまま踏襲したのである、これはちっと無理な強弁である。もし同じような案であるというならば、一事不再議は
民主政治の原則である。第二十四国会の審議未了は、
事情はどうであろうと、おごそかなる
国民の審判であったのである。しかるに半歳を出でずして同一案を再度提出するということは、全く多数の威力を乱用して、この
民主政治の鉄則をじゅうりんするがごとき、国会軽視もはなはだしいと言わざるを得ないのである。不合理もまことにはなはだしい
態度であります。
政府は
国民皆
保険という誘惑的なスローガンを掲げて、本年がその四カ年計画の第一次年度であると称し、これを大的に吹聴いたしたのであります。その計画の
内容、これの批判はしばらく省略いたしますが、しかるに、いまだその出発さえしない今日、早くも先ほど同僚
委員の
質疑の中にありましたように、羊頭
狗肉の欺瞞性を暴露したのである。すなわち、三十二年度予算に何らその裏づけがなされていないということはすでに周知の事実であります。国保に対する国庫の補助が、五百万人増加分として、僅々七億五千五百万円が計上されてあるにすぎない。しかもそれが、大半は人件費に回っているのでありまして、
医療費に回るものはわずかに三億三千万円という少額である。
あとは
国民健康保険法の
改正によって、国あるいは地方
財政の援助を裏づけ、三十二年度で実現させるかのようににおわせておったのでありますが、結局これも春の淡雪と消えてしまい、去る二十八日当席において
厚生大臣は、
国民健康保険法改正法律案は提出を断念したと言明したではありませんか。論よりそれが証拠である。
政府の
国民皆
保険は売女の起請文のごとくまことがない。今、
健康保険法の
改正は、この起請文を額に張ってわれわれ
国民に臨んでおりまするが、何人もこれに信を置かないでありましょう。不合理であるというよりは、不都合きわまる一部
負担であります。
一部
負担のことに言及いたしますが、一部
負担というのはどういうことであるか、
病気になったら金を出せというのか、平生
保険料を払っている、どの
程度払っているかと言いますと、所得税免税点の二十六万円の勤労者で申しますと、一カ月八百四十五円、一カ年一万百四十円を払い込んでおるところで大体
平均いたしまして、一年に二回くらいお医者さんにかかるのが例でありますが、鼻かぜを引いてお医者さんに見てもらって百五十円の薬をもらおうといたしますと、そのうち百円あらためて金を出せというのであります。一万百四十円の
保険料を納めておいて、百五十円の薬をもらうと百円は自分で払わねばならぬというのは、どういうわけでこれが合理的なのでありましょう。歯医者さんとか何とかいうのはおおむねこれに入ります。ばかばかしくてお話になりません。それはお前が一番都合の悪い分の例を引くのだと、こう申されるでありましょう。しかし、
制度というのは一部分でも不合理のところがあれば、全体が不合理であります。機械の一部分に故障があってもその機械は不良品であり、不合格品であると同じであります。また、
健康保険の病人は受益者であるというが、何が受益者ですか、冗談じゃありません。病人は受難者です。この一部
負担は初めは再診の人が十円、投薬、注射の人が三十円、
入院は一日三十円で六カ月ということであったのです。これで二十三億五百万円の収入を企てられた。次は再診は十円、次の日から薬をもらわなければ十円、薬をもらえば二十円、
入院は三十円で三カ月、これで収入が初めの分に比べますと五億六千万円ほど減収になりますが、なお十八億円の収入をはかろうということにしたのが今回、すなわち、第三回目には初診の際は現行五十円を百円に増額した。これを
患者負担ということにしたのでありましてこの分でなおかつ十五億円の増収をもくろんでおるのであります。一体
政府が幾ばくの収入をはかろうとしたのかわけがわからぬ。目標というものが全然ない。そんなら赤字赤字というが、赤字はどうなったかと申しますと、去年の初めは六十七億円と一言っておったそれが暮れになりますというと五十億円以下になるということをわれわれが予言をしたが、その
通りでありますが、さらに今年に入りますというと、三十億円よりまだ少い、こういう状況になってきた。おそらくただいまの状況から推察いたしますと、将来、しかも近い将来黒字になるということは確信をもってここに断言することができるのであります。そこで、一部
負担は赤字のためということはもう義理にも言えなくなった。すなわち、このたびは口上を変えて、
制度の
合理化をはかるんだと言い出したゆえんであります。一部
負担は
合理化のためと言う、ただそれだけでありまして、そんなら
合理化とは何だということの説明は少しもしない。説明ができないのです。初めの案と次の案と、今度の案といずれが合理的であるか。これが合理的と言うならば、前の二案は不合理的なんです。前の案が合理的と言うならば今度の案は不合理なんです。こうくるくる変っては説明のできるはずがない。結局何であろうとかんであろうと、どこであろうとかしこで あろうと、幾らでもいい、結局は被
保険者から取れるだけ取りさえすればよいという
態度である。まことに無
責任、かつ乱暴きわまる話である。租税の苛斂誅求と全く同じであります。
負担とは一体何だ 人間
負担しやすいところはおのずからその場所がきまっておる。
負担の負というのは、背中でになうということなんです。担というのは片はだを脱いで肩脱ぎをしてかつぐということなんです。それでこそ
負担ということができるのである。首や腰や足の回りに重き荷物を縛りつけられたら、馬でも人間でも一歩も歩けるものではない。グラッドストンは、租税の要訣を説いて、人民の最も
負担しやすいところを探しで、重き荷物でもかつぎやすいようにするのが
政治家の任務であると喝破せられた。今の
政治家はこの逆を行こうとする。その上はついに及ぶべからざるのである。なぜかようなことをするかと申しますと、結局は労使折半を避けて、
労働者のみにしわ寄せをして、資本家には涼しい顔をさせる
考えであるから、もともと被
保険者の一部
負担は日経連の発案であって、執拗にその実行を
政府に迫ったことに基因するのである。実に
政府資本家の陰謀によるものであって、最も弱い、最も収入の低い、しかも最も悲惨なる病人の財布を奪わんとするものであって、極悪非道の所業と言わなければなりません。あるいはまた、乱療抑圧のためという下心があるかもわからぬ、水漏れを防ぐのであると漏らしたこともあります。しかるに、
厚生大臣は、この
委員会におきまして、一部
負担によってどのくらい受診に影響するかということがわからぬという、また、影響はあるまいと思うとも説明いたすのである。どのくらい影響があるかということがわからぬということはまことにむちゃな話で、別に影響はないだろうというに至りましては、まことにむちゃくちゃなことでございます。しろうとというものは何を言うてもこわくないのでありますから、これはまあこれくらい強
いものはない。しかし何と言おうと、受診の抑制である、あるいは善意に解すれば、今申したように、乱療の抑圧が本心であるのに間違いありますまい。もしそれ乱療抑圧のためなれば、それはすなわち
制度以前の問題なのである。こういう
改悪をしない以前になすべき問題がある。それは被
保険者の倫理の問題であると私は
考える。
社会保障の倫理性の問題である。われわれは第二十四国会においてさきの
改正案を廃案にしたのである。このおごそかなる国会の意思に対しては
関係者は粛然として反省しなければならないと思う。
政府も、われわれも、
医療担当者も、被
保険者も、それぞれの立場において、反省をしなければならな
いものがある。
政府は
反対者の言に耳を傾け、
医療担当者は自粛自戒し、被
保険者は自己の
保険を愛し、かっこれを守らなければならないのである。その反省の欠除はすなわち、
社会保険の倫理性がきわめて低調をきわめているということを露呈しておるのである。朝日新聞はこの点を指摘し、被
保険者の場合においては、
社会保険を維持するための必要な受診者の道義心を要請し、この道義心なくしては
社会保障制度は成立しないと指摘しておるのである。われわれ全くこの点は
同感いたすものであります。しからば、
社会保障関係者はおのおのの分野において
責任をもって
社会保障、この場合におきましては
社会保険の倫理性を発揮しなければならないのであります。そうすれば、問題は解決するのである。実は倫理高揚運動などというものは、
国民経済の不安定時代にはできるものではない。昔から衣食足りて礼節を知ると言っております。神武以来の景気のこの際、すなわち幸いにして罹病率の減少、受診率の減少をみようとするこの際こそ、
社会保障倫理の確立、受益者の道義心高揚の絶好の時期である。試みに、今回一部
負担によって増収をはかろうとする十五億円のその
負担させようとするその十分の一、一億五千万円を投じてこの運動を試みて見よ、優に十倍の効果をあげ、
医療費を減少させることができるのである。そのことを忘却してこのことを一部
負担によってはかろうとすることは、全く木によって魚を求むるようなものであって、愚の至りであると
考えるものであります。かくのごとき
改悪案を
考えましたのは実は禍根があるのです。それはすなわち、私が審議の過程において申し上げましたように、権威ある企画、
根本的の方針が欠除しておるからであります。一体
政府は
社会保障制度について、なかんずく
医療保障につきまして基本的性格をいかに
考えているのか。試みに民営主義、公営主義、国費中心主義あるいはさらに国営主義、それらの一体いかなる主義によらんとするものであるか。あるいは公私合体主義で行くというなら、その限界をどの
程度に置いていこうとするのか。そういう基本方針が全く
考えられていないのであります。そもそもスタートから目標がないというのでありますから、いずれに向って走っていくのか見当がつかないのは当りまえのことである。この基本的方針の欠如からくるその右往左往というものは、随所にこれが明瞭に現われておるのであります。そのおもなる点をあげてみますというと、第一は、国庫
負担の原則が確立されていない。いな、国庫
負担の可否論さえある。
健保の義務があり、国の
産業への協力のために、結核国策のためにも、
国民所得の低額の点からいたしましても、
保険料の
負担が
限度にきておるという点からいたしましても、国費を注入するということは当然である。それなくば
日本の
社会保障制度は成立しない、さらに、現在の
負担につきましては、その基本方針があいまいである。従って、金額もわずかである。本法の
改正案に対する、国庫
負担の条文のごときは、きわめてあいまいでありまして、われわれはこれに服することはできないのであります。
無方針の第二は
保険制度のあいまいさである。
保険医の性格をどうであるというのか。自由診療医をチャーターする主義であるか、強制的に
保険診療に参加させようとするのか、公私の性格が不明確なままで、これを規制していこうとするのでありますから、あるいは官僚統制だと言われ、あるいは
保険医圧迫だと言って騒がれなければならないことになる。登録は資格認定といい、指定は契約というのであって、別に
保険医としての義務も、権利も、協力の義務もない、あるものは監査に対する処分の規定のみである。これ実に
保険医圧迫のほかの何ものでもないのであります。指定や契約も、各種の
医療保障についても区々である。これは詳細ここで論評は避けますが実にかくのごとき無方針である。ただいま賛成されました高野
委員の議論を聞いておりますと、衆議院の付帯決議につきましてこの
医療担当者が
関係団体の法制化のための望みを託しておられるようでありますが、しかし、私
どもいささかその趣旨を異にいたしますが、とにかくよほどの当局の努力がなくば、われわれはこの法制化は困難であろうと観測いたしているのであります。第三のあいまいな点は、五人未満加入の問題であります。六十九万
事業所の百五十万従業員、零細企業の
低額所得者、すなわち、日の当らないこれらの人々の
医療保障は、急務中の急務でありますが、
政府は一向これをやろうとはしない、いかなるその方針すらもきめかねているという
状態であります。
政府もし勇気をふるってやるならば、断の一字をやるならば、立ちどころにこれは解決する問題である。
健保が五人以上をカバーしているのは、五人以下を見捨てるという
意味じゃない、
健康保険法の中に今五人以上しか被
保険者と認めないというのは、あながち五人以下を見捨てるという
意味じゃない、五人以上という、たった四文字を削りさへすれば、しかもわずかに五十億か七十億これに投ずるというならば、これらの多年の懸案を解決することができるのでありますが、これが無方針のために、きめかねているという
状態である。
次に、最も必要で、最も当局が忌避しておりますることは、
医療保障体系の整備の問題である。私はあえて統合とは申しませんが、少くともこれを公平統一に整備して、冗費を省いて、そうして能率をあげ、すっきりしたものにしなければならないということは言うまでもない。なお、不統一、不公干、不均衡ぶりははなはだし
いものでありますが、これをあえて推進しようという
考えがないのであります。また、各種の
医療保障体系の
保険料のばらばらというものは、もう今日この段階においてはならぬという状況に立ち至っておりますが、さらにこれを強力に、何らかの対策を講じようという
考えを持っている。さしあたっては組合管掌の
健保をどうするかという問題がある。組合管掌の
健康保険の性格も、明確に踏み切っていかなければならぬ段階に来ている。すなわち、労務管理的性格から
社会保障的性格への転換である。われわれはもとよりこれに
反対するいわれはない。共済相合が国家公務員法の労務管理である
健康保険組合のいわゆる相合管掌の
健康保険がただ単に労働基準法の労務管理であってはならないのです。労務管理と
社会保障とは質が異なっておる、異質である。
恩恵と権利は似て非である。異質のものが同じ
健康保険法の中に同居しておるということ自体がおかしいのであって、すっきりした形にしなければならぬという点においては異論がないのでありますが、しかしながら、今回、
保険局長がこの組合管掌
健保に対して通牒を発しておりまするその趣旨には大いに異論の点が、
異議があるのであります。他日これは当
委員会におきまして問題として、その真意をたださねばならぬということをここに申しておきたいと思うのであります。
さらに、今回の
改正案の幾多具体的の点について申し上げたいと思いますが、遺憾ながら時間の点で私も省略せざるを得ませんが、たとえば被扶養者の単位を制限するという。直系尊属と、子供と配偶者、あるいはいろいろな点におきまして制約を加えておる。この三等親の親族に限ったということは、これは一面におきましては、現在の民法の親族と平仄を合わしたという点もあるかもわからぬ。果して当局はそういうような深い
考えでこの
改正を企てたのか、ただ被扶養者、
家族の範囲を縮小して、そうしていわゆる
保険給付の額を節約しようと試みたのか、その真意はただすにいとまなしでありますが、もし
社会保障全般にわたって従来の雑然たる
家族主義を排して、真に
社会保障制度の本質である個人主義に立脚するがごとき遠大なる
考え方を持っていくというならば大いに検討の価値がありまするが、私はその真意が明らかならずして、今にわかにこの被扶養者の範囲をみだりに制肘いたしますということにつきましては
納得しがたい一人でございます。
継続
給付の資格が制限されたということにつきましても
反対であります。一体資格喪失後の被
保険者の
医療保障をどうしようとするのか。なお、
給付の期間が満了したものの
医療給付をどうしようとするのか。これらの資格喪失をいたしました者、また、
医療保障の
制度のワクの外にはみ出されざるを得なかった対象者に対しての心あたたまる対策こそ望ましいのに、これに逆行するような本
改正案に対しましては、私は
反対せざるを得ないのであります。
健康保険の
根本対策は多くの問題が残されております。なかんずく結核対策がそのままたな上げ放置せられまして、何ぞ、
国民皆
保険を進めることができましょう。それらの
根本問題はことごとくほおかぶりであります。近年同僚諸君も声をそろえ、
健康保険制度の
根本的対策を解決しなければいけないということを力説せられたにかかわらず、今日なおそれらのことが放置せられてあって、ただ当面何と申しますか、行き当りばったりの
改正を企てられたという本案のごとき粗雑な、粗悪な
改正に対しましては、私
どもは断固
反対せざるを得ないのでございます。
本
改正案はまことにわが国
医療保障を破壊するものでありまして、
国民皆
保険の美名のもとにいわゆるレベル・ダウンをはかり、かえって
医療保障制度を
根本的から崩壊し去るものでありまして、わが党といたしましては断じてこれを許容し得な
いものでございます。
これに反しまして、わが党の政策は、十分
国民の信頼と期待に沿うものであることを信じまして、この席であわせて御披露申し上げたいと思いますが時間の
関係でこれまた遺憾ながら省略をいたします。
なお、修正案につきましては、ただ単に千分の一か、万分の一を修正いたしまして、一部に対する緩和策の手段にすぎないのでありまして、あわせてわれわれは全面的にこれに賛成しがた
いものでございます。
以上の諸点をもちまして、
政府原案並びに修正案に対し、わが
社会党は
反対の意をここに表明いたすものでございます。
〔
委員長退席、
理事山本經勝君着席〕