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政府委員(
佐藤健輔君) ただいま御
質問のありました点に関して、
最初現状を申し上げ、それから将来のわれわれの
見方について申し上げたいと思います。実は
ポーランドと
日本の
貿易と申しますのは非常に小さな額でありまして、はなはだ恐縮ですが数字を申し上げますと、一九五〇年はほとんどゼロにひとしかった。
輸出はゼロにひとしかった。それが五一年には二千ドル、五二年には一万七千ドルとこういうふうな
格好で、さらに五三年にはほとんどゼロ、ただ五四年になりまして約百十五万ドルに上り、五五年もやはり百十二万、こういうふうに、五四年、五五年に百万ドルを少し超過いたしましたが、これは主として
ポーランドに
銅線が出た。こういう
関係で、ただいま申し上げました五四年の百十五万ドルのうちのほとんど全部が
銅線の
輸出であった。また、五五年も百十二万ドルのうち百九万ドルは
銅線であったというような調子でございます。五六年の詳細な
品目の
内訳はまだわかっておりませんが、総額は十万ドルしかなかった。さらに
輸入におきましては五一年に四十万ドル、五三年に一万六千ドル、ほかの年はいずれも千ドル台の小さなものでございます。このうち五一年の四十万ドルを詳細に申し上げますと、四十万七千でございますが、その全部が
カリを
輸入した、こういう
格好になっております。これをもちましてもおわかりになると思いますが、ほとんど
ポーランドと
日本との間には、少くとも
現状におきましては、交易し得る
物資がないのではないか。ただいま申し上げましたように、
輸出におきましては五四年と五五年の両年におきまして、
銅線がこの二年に限って出た。また
輸入につきましては、五一年にわずかに
塩化カリを四十万ドル入れられたということでございまして、将来われわれも
両国間の
貿易を大いに増大するという点につきましては、
ポーランドと
同様熱意を持っておりますが、果して
ポーランドと相当な規模における
貿易協定ができるかいなかにつきましては、ただいま申し上げましたような実情でございますので、早急にそういう
協定ができるかどうか、今後相当研究してみないとわからない、こういうことでございます。ただ
ポーランドといたしましては、最近
日本から大型の船をほしいという申し込みもございますが、
一つは
日本の
造船所が相当
腹一ぱい船を注文されております
関係上、
向うは納期を非常に急いでおるようでありますので、なかなか話はできない。またもしできるにいたしましても、
向うが
現金で買ってくれればいざしらず、もし
現金でないといたしますと、先方からどのようなものが買えるかという点もございまして、むずかしい問題になってくると思いますので、今後
両国間の
貿易を発展させたいという
希望は大いにあるわけでございますが、果してその
希望通り今後発展し得るかどうかということについては、なお多少検討してみなければわからない、こういう
状況でございます。また
チェッコにつきましては、
ポーランドよりなお
貿易の実際の
状況は
現状においては少いわけでございまして、五〇年、五一年、五二年、五三年と
日本からの
輸出実績はゼロでございます。ただ五四年に至りまして約百三十五万ドル
輸出がございましたが、これも
ポーランドと同様にほとんど大部分、と申し上げるよりむしろ一〇〇%が
銅線であったわけでございます。また五五年はさらに飛躍いたしまして、四百五十二万ドル出ておりますが、その中の四百三十五万ドルはこれまた
銅線という工合でございます。五六年に至りましては、
銅線の
輸出ができなかったために、約二十万ドル弱に減少しておる
状況でございます。また
輸入につきましては五〇年には七十一万ドル、五一年には二十二万ドル、それ以後の年におきましてはいずれも二、三万ドルという程度でございまして、その
内訳もほとんど雑品というくらいな
状況でございます。これをもちましてもやはり
ポーランドと同様に、今後
チェッコは
日本に対して非常な
貿易の拡大の
希望は持っておるようでございますが、果して
ポーランドと同じような
事情から、これを急速に増加し得るかどうか、
品目の
関係とそのほかの
状況から見まして、なかなかむずかしいのではないかと、こういうふうに考えております。