○
参考人(
小柳勇君) わかりました。では、初めに二十三日のいきさつを述べまして、あとで春闘全体について私
どものとりましたいろいろの
立場なり、
考え方なりを表明いたしたいと思います。
二十三日あのようになりまして、結果的に国民の皆さんの足を奪ったことについては、私でも当事者として、労働者として、心から国民の皆さんにおわび申し上げておるところであります。一昨日の
中央委員会でも満場一致声明書を発表いたしまして、理由のいかんにかかわらず、土曜の楽しい行楽の皆さんの足をとめてお騒がせしたことにつきましては、私
どもとしては、その
責任はまた別途追及する道はあると思いますが、結果につきまして、非常に心からおわび申し上げておる次第であります。この点は、この
委員会を通じまして、国民の皆さんに謝意を表明したいと存ずる次第であります。
私は二十二日の十三時ごろ
小倉副
総裁から電話を受けまして、実はあした支給する業績手当か支給できなくなったという電話を受けました。とりあえず給対部長を伴いまして副
総裁に会いまして話を聞きましたところ、まあ
政府にいろいろ交渉しているけれ
ども、君たちが二十六日に最低賃金制確立のために実力行使をやるそうであるから、これを撤回しないと、
政府が業績ら手当を二十三日に支払うなと言っておる、だから二十六日のやつを何とかこれは、撤回できないかというような話がありました。私は、二十六日のこの最低賃金制確立のための実力行使というものは、
国鉄労働組合だけが指令を出しておるのではなくて、昨年の暮れに総評大会で、自分たちの周囲の労働者の生活を安定させるためには、どうしても総評が中心になって最低賃金制確立のために戦ってやらなければならぬから、三百四十万の組織をあげて
一つやってやろうではないかということをきめた。私
どもは傘下
組合としてその決議に対しては義務があります。これが
労働運動の大きな
一つの根本的なな筋でありますが、それを確認して帰りまして、春にももう一回大会をやりまして、二十六日に一齊にできるだけの力を結集して最低賃金制度
決定のために強力に
国会にお願いしよう、こういう
立場をきめた次第であります。だから三月の二十六日の問題は、
国鉄独自ではいかんともしがたい
労働運動本質の問題であるし、全
日本の低賃金労働者全体の問題であるから、二十六日のそれと二十三日の業績手当の支給とすりかえるということは筋違いではないか。二十三日の業績手当というものは、十六日の日にあなたと
労働協約を結んで、ちゃんと業績手当については、二十三日に支給いたします、という協約を結んでおるのであるから、この協約を無視して、二十六日の実力行使をやめさせるということとは別である、二十六日までにはまだ三日もあるから、この問題は、
政府の方で
考え、また
国会の方で
考えさえすれば自然に解決する問題であるから、あしたの問題については全然別個に
考えてくれと言って、そうして直接に
団体交渉を頼んで帰りました。それでもなお問題は解決しませんので、夕方、私外七名の中央
闘争委員を連れて
——まあ残留中闘委全部でありましたが、連れて、夕方から再度交渉に入りまして、おのおのの
立場を述べてると私は副
総裁に話しました。しかも、そのときに私の言ったことは、もうあしたが給料日であるから、給料袋の中に業績手当もすでに入っておる、だからこれをもしとめるというと、給料も支払われぬことになろう、一晩おいたら非常に事態が紛糾するから、今晩のうちに支払われるように
努力してもらわぬと困るぞ、
責任を負えないぞ、ということで、一たん休憩いたしまして、私はその夕方、
国会議員
——私
どもから出ております
国会議員の諸君と
お話しもしましたし、総評にも参りまして、副
総裁からこういう話があったから、どうしたらよいだろうかということを相談いたしまして、この間、諸君は
運輸大臣にも会い、その他関係筋にいろいろ
折衝した模様であります。私は休憩時間中に参議院と衆議院に出ております二人の顧問といろいろ話しましたところが、
運輸大臣と話したらあした支払われるように
努力すると言っておられるから、大丈夫だと思うから、さらに副
総裁と
団体交渉を続けるように、という話がありましたので、重ねて
団体交渉いたしました。そうして何度も何度も二十六日の問題とは別個であるということを強調いたしまして、晩の十時半には、一応あした支払いができると私は予想いたしました。そういうようなことでなごやかに別れました。ところが、現場からどんどん電話が入って参りまして、六時ごろ電報が来ておる。現場には全部電報が入った。その電報は、ここに写しを持って参りましたが、年度末手当を、「三月十六日電報五百三十号による年度末特別手当等は指示するまで支払いを見合せられたい。なお銀行より受領する個所は銀行と連絡の上引き出しを見合せること。また派出払いにより現金を受領する個所は一たん支給出納員が受領し指示するまで厳重に保管されたい。」、こういう電報が現場に入った。これが現場に到達したのは、晩の六時から八時ごろまでの間に現場に到達しておるのでありますが、
国鉄では全部一昼夜交代制でありますから、これを徹夜労働者が全部見ておるわけです。しかも、自分たちの給料は、晩の五時には日勤の庶務係が給料袋に入れて、金庫に保管して帰った。帰ったあとで支払い停止の命令が来たので、日勤の者が出ても、給料と業績手当が分けられるというので、晩のうちに現場は紛糾しているという報告をどんどん受けました。私は自宅に帰らないで、
闘争委員全部と一緒に私
どものいつも使う宿舎に泊って、その
情勢を見て、現場とも連絡し、かつ
国会の顧問団諸君、あるいは
当局君とも電話でいろいろ
折衝いたしました。私は翌日の九時には必ず支払える
状態ができるものだと実は楽観しておりました。ところが、朝九時半に本部に参りましたところが、私の方の中闘
委員の言うことには、どうも
運輸省と大蔵省の
折衝が間に合わないので、一時間待ってくれという話だ、そういう話を聞きました。それから一時間待ちまして十一時になりましたから、どうしてもきょうは、今運輸次官と大蔵次官と会っているようだけれ
ども、話がつかないで、支払いはまだできない、そういう話である。現場では非常に紛糾しましてきょう給料がもらえないなら、おれたちは非番だけれ
ども、まだ帰らないでいる
——で、給料はもらえないでいる。工場には三千名からおりますから、給料と業績手当と二つに分けなければならないから、給料をもらえないということで、どんどん憤激した電話情報が入ってくるわけであります。私は十一時半まで待ちましたけれ
ども、どうしても
当局の方から支払い命令が出る模様がありませんので、中央
闘争委員を招集いたしまして、この問題を一体どうするかということを協議いたしました。そのときに非常に過激な
意見もありましたけれ
ども、とにかく十四時まで待とうじゃないか、十四時までに支払い命令が出れば、まあ半ドンであるけれ
ども、給料をもらって帰れるというので、十四時まで待って、どうしても十四時まで待っても支払い命令が出ない場合には、きょうは間に合わないから、現場の方としても紛糾している事態を収拾しなければならないので、中闘指令を出そうというのできめて、私は十二時に副
総裁に会いました。副
委員長と書記長を入れて三人で副
総裁に中闘
委員会で
決定した指令を持っていって、あと二時間あるので、とにかく
一つ、あなた方
当局の
責任において支払わなければ、おれたちはもう
責任を持てない、ということをるると述べまして、十二時過ぎに別れました。そのときに副
総裁が言われたことは、どうしても
運輸省と大蔵省との話し合いがつかないので、二十五日まで待ってくれないか、こういう話であります。二十五日というのは月曜であります。その日は土曜でありますから
——私
どもの職員は非常にひどい生活をしておりまして、実際給料日の前、五日間は百円の金も自由にならないのであります。
一つの例を申し上げますと、子供が病気をしたから病院に入れたい、車を雇いましたが、その車代五百円がないので、奥さんが近所を五軒回ってやっと五百円の車代を作って子供を入院させたという例もありますから、今の大多数の勤労者というものは、給料日前四、五日は百円の金も大事であるというのが勤労者の生活じゃないかと思うのであります。ちょうど入学期を控えまして、土曜、日曜でありますから、業績手当が平均五千円ありますから、これと給料をもらって、入学用のいろいろな品物を買おうという職員の気持をいろいろ
考えますと、まことに憤慨いたしまして、失礼でありますけれ
ども、あなたは無能力者だと、副
総裁を目の前でしかりました事実もあります。それほど、私はほんとうに、まあ平素あまり怒ったことはありませんが、怒りました。それは私が前の一時から、少くとも二十四時間
団体交渉続けまして、
誠意を尽して話したから、しかも、現場の
組合員の苦しみを
考えますというと、ほんとうに怒らざるを得なかったところであります。
それで、十二時に帰りました。私は、
国会の方にも、どんどん顧問団にも連絡しておりましたので
——しかし、まあ十四時までに支払い命令は出るものと実は楽観いたしました。これは、私の今振り返りますと失敗であったと思います。もっと積極的に、大蔵
大臣なり、あるいは
官房長官なり、総理
大臣に自分で会って、私の事情を話した方がよかったと、今、後悔しておりますけれ
ども、私
どもには当事者は
総裁であります。私
どもの
労働運動は、
公労法によって、
総裁と話すことになっておりますから、私はそういう横道はいたしませんでした。しかし、私
どもから出ております顧問団も九名いますし、あるいは社会党も共産党も一生懸命に院内で戦ってくれておりますので、私
どもの意思は十分わかっていると思いまして、私は直接その関係
大臣に会いませんでした。そのことが、今非常に後悔されてならぬのであります。で、私は、十五時に副
総裁が単独私
どもの本部に参りまして
——そうして、十五時はもうすでに指令が実行されて一時間目であります。単独に参りまして、今まで関係方面回ってきたけれ
ども、
予算半分しかまだ見当がつかぬ、とにかく五時まで待ってくれ
——そのときに五時までという話がありました。しかし、私はそのときも怒りあげました。業績手当と給料と一緒に入っているから、給料すらもらってないところがあるが、あなた知っているかと言いました。ところが、いや、それは、給料までまだもらってないということはけしからぬから、今すぐ帰って関係者に出させようということで、副
総裁は倉卒として帰られました。私はそのとき、まあ副
総裁が単独本部にこられたその気持をはかりまして、
努力しておられる、その
努力に対して心から敬意を表しましたとともに、
国鉄の幹部諸君が、副
総裁一人にこの問題をまかせて放任しているのではないかという憤りを感じました。たった一人の者の
努力ではいかんともしがたい問題である。そういう問題であるならば、幹部はたくさんいますから、
理事も局長もいますから、みんなが打って一丸となって、るるとして事情を
説明するならば、いかにわからぬ大蔵省でも、いかに頑迷な
大臣でもわかってくれるはずだ、なぜそれができなかったかということで、怒りました。そうして、三時五十分に副
総裁から直接電話がありまして、三時五十五分に支払い電報を出したからという話がありましたので、すぐ私は本社に行きまして、
団体交渉をやりまして、支払い命令が出たということを確認して、きょうの一切の
責任は
当局にあるので、
責任者の
処分はしないということを確認して下さいということで詰め寄りました。一たん休憩の後に、
当局は話し合いまして、出て参りまして、
責任を追及しないということを
約束いたしました。それで、私
どもはすぐ中闘指令を解除いたしました。そのときに、私は、今まで十数年の
労働運動で、心から怒って
団体交渉したことはありませんが、心から怒りまして、
総裁、
理事、局長全部集まれ、私は言うことがあると言いました。それは、きょうのこの事態に、私
自身が二十四時間直接
誠意を尽して
団体交渉している。しかも、たった一人、副
総裁がどういうように
考えたかわかりません。顧問団も
一生懸命奔走して、夜を徹して
折衝している。それがしかも、十六日に協約を結んで一週間である。その問題をここまで追い込んでくるとは一体どういうことかということであります。副
総裁一人にまかして、ほかの者が知らぬ顔をして見ているのじゃないか、そういうことを
考えまして、
国鉄再建とか
経営合理化とかいろいろ言うけれ
ども、たった一人の力でそういうことができるか。みんなが一体となって、
総裁、副
総裁を中心にして
理事諸君が一体にならぬことには、たとえ運賃値上げが通って原資ができても、五カ年計画とか何とかはナンセンスじゃないか、そういうことで強力にしかりあげました。それは私は、
国鉄職員の国民の皆さんに与えた御迷惑をわびる心と、それに追い込まれた私
どもの不明さ、追い込んだ
政府並びに
当局に対する憎しみであります。あのような事態を、私は今その
責任を
組合側にだけ追及されるならば、断じて受けません。私は、ほかの問題で私の
責任を追及されるならば、いろいろ
考える余地はあると思います。しかし、二十三日の問題で
国鉄労働組合の
責任を追及するならば、私は
政府並びに
当局と断固として戦う決意であります。それは、私
どもは、国民に対しては申しわけないが、それは結果であります。時計がとまったから、動かぬからたたくのか、ネジをかければ動くのであります。ネジをかけた者の
責任を
——ネジをかけ忘れた者の
責任をなぜ追求しないか。時計のネジをかけ忘れた者の
責任を追及しないで、時計が動かないから時計をたたく、そういう結果を招くならば、私は
労働運動としては、民主主義の
法治国家の国民として許せぬと思います。私は、二十三日の問題については、まだいろいろ申し上げたいのでありますが、あと春闘全体について申し上げてみたいと思います。
私
どもが、その
仲裁委員会にかけました
——さっきちょっと触れましたように、昨年の二月に
調停案が出た。第一項によりますというと、
国鉄職員の賃金は、ほかの
組合よりも低いから、
経理の
状態がよくなり、あるいは何か操作できるならば、
団体交渉によって
ベース・
アップをしようという
調停案が出たのであります。だから、私
どもはその当時の
情勢としては、非常に不満でありましたけれ
ども、まあしかし、
調停案が出たのだから、これで
団体交渉しようと思って、
仲裁にかけませんでした。そうして、その春の
闘争と夏の
闘争それから秋の
闘争、冬の
闘争で、四回、あれだけかまえて
団体交渉をいたしました。
団体交渉の結果は、一回として話にならぬのであります。夏の
闘争では、これももう公然の秘密でありますから言いますけれ
ども、副
総裁が、
努力するとたった一言言われたその
言葉を信じて、私
どもは
闘争態勢を解きました。非常に現場の全
組合員からふんまんを受けました。副
総裁が
努力すると言ったってなぜ解いた、しかし、それも当時の
情勢としては、
経営状態が悪いし、運賃値上げをしなければ何ともならぬといって奔走している
当局の苦しみを
考えて、これもやむを得ぬと思いました。今度は年末
闘争になりました。年末
闘争でも、電通はすでにあのように十月から
実施いたしました。だから私たちとしては、副
総裁が覚書を出そうが出すまいが、できると思いました。ところが、副
総裁は、あとで聞きますというと、個人という話でありますけれ
ども、
経理の
情勢を待って、とにかく来年の春までには一号俸程度の
ベース・
アップを
努力する、それは一月からさかのぼって払う、こういう覚書を私はもらいました。で、それを、非常にまあ批判はありましたけれ
ども、それによって年末
闘争は妥結いたしました。ところが、明けまして、ことしの二月になりました。ところが、ついにもうあの覚書は
実施できなくなったという話を受けました。現場の職員も非常に怒りましたし、私
ども自体非常に遺憾でありました。今回千二百円の
調停案が今出ましたので、それをいろいろ
考えました。ちょうどあの春闘の十日の日に私
どもは
調停案が出たので、これを受諾いたしました。実際、中身を見ますというと、
調停案千二百円というものの中身は、昨年の、その副
総裁が
約束いたしました昨年度の
調停案の第一項によるものが五百五十七円であります。千二百円から五百五十七円を引きまして、実際私
どもが今回
ベース・
アップに使う金は四百四十九円しかないのであります。きのうの
中央委員会でもずいぶん私
どもはたたかれまして、一体おれたちの
闘争というものは、
国鉄当局の借金を払ってやるようなものではないか、千二百円出たからと思って、やれやれと思っていたところが、実際ふたをあけてみたところが、折箱の底が底上げしてあって、四百四十九円しかないじゃないかといって、きのうずいぶんしかられました。しかし、それでも私
どもは十日の日に受諾いたしました。四囲の
情勢を見て、現在の
国鉄の
経理状態なり、
日本の経済
情勢を
考えて二千円の
ベース・
アップ要求ではあるが、百円やむを得ないということで
調停案を受諾いたしました。でき得べくんばその翌日の十一、十二の実力行使を避けたかったからであります。ところが、
政府当局はこれをけりました。従って、われわれはついに十一、十二の実力行使に追い込まれました。従って、私は十一、十二についても、これは
調停案を受諾した
立場から言いますならば、実力行使の
責任は
政府並びに
当局にあると断言してよろしいと思います。そして十六日に、これはもう黙っておったらまたこれは
仲裁にかかるかどうかわかりませんので、十九日に予定しておった実力行使を十六日に繰り上げて、
政府に
仲裁裁定の早く出ることを求めました。幸いにして
裁定にかかって、
裁定を
完全実施するという
約束を鈴木
委員長と岸総理
大臣がいたしましたので、十六日の実力行使は避けました。もし私
どもがストライキ・マンであって、何でもかんでも一実力行使をやる腹ならば、そのような処置はとらなくてもよかったと
考えています。しかし、汽車をとめるということは、国民のあのような憤激だけではなくて、やはり
日本の経済を阻害いたしますので、でき得べくんばあのような事態はなるべく避けたいという、
国鉄労働組合の結成以来の民主的
労働組合としての念願からとった処置であります。非常に不満があります。現場には不満がありました。なぜあのような形でやめたか、不満がありました。しかし、それは中央指導部としては、やはり四囲の
情勢を
考え、全体的な総評の足並みを
考えて、
国鉄労働組合だけがそしりを受けたくないために、あのような処置をとったところであります。ふたをあけてみましたところが、像かの
国鉄以外の公労協の
組合は取り残されておりました。また公務員の
給与体系についても、私は強力に鈴木
委員長から総理
大臣に話してもらって一挙に解決したかったのでありますが、何せ時間も短かかったために、下交渉ができなくて、結果的には公務員も取り残されましたので、労働者としては、
国鉄労働組合だけが早くやめてしまったという後悔が今非常に私の胸をかんでいます。もっと一緒に最後まで戦うべきであったという後悔をいたしておりますけれ
ども、公器を扱っておる
労働組合の指導者としては、やむを得なかったと、心でおわびしているところであります。
従って、春闘全体を通じまして、私は今世間で言われておるように、
国鉄労働組合が自分の力を過信して国民の迷惑を顧みないで、自分たちの業績手当や、自分たちの
ベース・
アップだけに狂奔しているというそしりについては、この際
一つ十分なる御理解をもって、釈然としてもらいたいと思うところであります。私
ども足らざるところは改めますが、まだ未熟でありますので、非常に足りない点もありましょうが、私
どもは全
日本の労働者階級と一緒にその生活と権利を守るために戦い、かつ自分の力でものを
考え、自分の手足で動いて、新しい
日本の
労働運動を進め、
日本の労働者の生活安定のために戦っているということは、ここでお誓いしてよろしいと思うところであります。