○
井堀分科員 私は買いかぶっておりました。年金
制度をりっぱなものをお考えかと思ったら、そういうお考えであれば格別心配はいたしません。しかし
国民はどうも何か
福祉国家という看板をあげて、年金
制度をすぐやるというものだから、それは何も今すぐできるとは
国民は思しません。多少経過
措置を必要とするものですし、それは理解していると思う。しかし芽の出るものか、ほんの申しわけのものかということは、これは非常に大事なことです。どうも申しわけのような気がいたしておる者もあるだろうし、また私
どもはぜひやってもらいたいという熱に燃えているものですから、少しほれ過ぎた感じです。しかし学者に御依頼になることもけっこうですけれ
ども、御依頼になる方が、やはり意思を持たないで御依頼になるという場合もあるでしょうけれ
ども、こういう場合はやはりはっきり
予算を出すのですから、こうこうした
国民年金制度というものを考えてもらえぬかというぐらいのことは、私は
予算につけて出すべきものだ、こう思っていたのです。しかし今あなたの御
説明で、一部の
母子や、特別に限られた人のための年金をまずやってみよう、それならばそう大した問題はないようです。
それからちょっと前に戻りますけれ
ども、五人
未満の
事業場の問題は、あなたとは初めてお目にかかるのですけれ
ども、私
ども厚生省の中では何回か
議論してきているものですから、五人
未満の零細
事業場の
労働者に
健康保険が適用できぬようなことでは、それは医療
保険を
国民全体に適用するといってもいい方向にはならぬ、それはできるでしょう。やり方はいろいろあるでしょうけれ
ども、あなたの方もおっしゃられたように、
福祉国家を先に出しているのですから、社会保障とこう言っているのですから、
福祉国家、社会保障というからには前進の姿を示す、テンポがのろいかスピードがあるか、これはいろいろな条件によって左右されるでしょうけれ
ども、しかし後退することは絶対いけません。そういう点で私はただしたのです。これはまたあとで
議論する機会がたくさんあると思います。
なおきょう午前中何か
滝井さんの方から御
質問があるそうですが、私は全体の
予算に
関係してまだ
一つ二つぜひただしておきたいことがありますので、午前中にもうちょっと聞きたいのです。
それは、この
予算の中で消費生活協同組合
貸付金を、わずかではありますけれ
ども減額している。この問題は私はこういうところにあると思う。生活協同組合の問題はいろいろ問題になると思う。従来の生活協同組合法それ自身については、われわれももっと日本の諸条件に適合したものに改めたいという考えを持っておるのです。今日の法律によってもちろん満足はしているものではないのです。しかしこれを改正しない限りにおいては、現在のものに対する
厚生行政の中では相当重きを置く
一つの行政ではないか。と申しますのは、先ほ
ども健康保険や年金
制度の際にもお考えになられるように、非常に低額所得者が多くて、しかもそれが日本
経済の大事なところにふんばっている。日本の社会構成の中で非常に重要な役割をみな担当しておる。この問題はやはり
厚生行政としては一番力を入れなければならぬところだと思う。そこで一方賃金
給与が引き上げられない限りにおいては、いろいろな
厚生行政の面があると思うのですけれ
ども、その中で一番大事なのは生活の合理化と申しますが、日本人の生活にはもっと大きく
改善を要すべきものがある。しかし民主主義の筋を通す以上においては、
国民の自主的な意思に待つことがやはり一番賢明なことである。しかもそれはこういう近代国家における複雑な社会構成を作っているときには、組織の中にそういう私的な期待をかけるということ以外に、いずれの先進国においても
方法がないものとされておる。日本のいろいろな民主的な諸
制度というものが成長を遂げておりますけれ
ども、一番早く、しかも重要な成長を期待しなければならぬものは、消費者生活の中の組織ではないか。法律は悪くても、そういう組織がどんどんできてくることを助けることはできるのですから、これはすぐ小売商人との摩擦をよく問題にいたしますが、それはその持つ本質が悪いのではなく、やり方が悪いからだと思う。生活協同組合は何かすぐに小売商人と競争するような立場の仕事のみを考える。もちろん生活必需物資の供給も大きな任務ではありますけれ
ども、日本的なものがあると思う。ヨーロッパあるいは先進国の例をそのまま日本に持ってこなくてもいい。特にロッチデールの思想が世界的な
一つの指導精神になっておりますけれ
ども、あの中にもやはり日本的に消化していくべき型がたくさんあると思う。今当面している問題の中では、住宅の問題などはこの組織で成功している例がたくさんある。いなそのことが日本的なものじゃないかとすら私
どもは考える。これは
分科会が向うで出られませんでしたが、昨年の
予算の
分科会で建設大臣に
お尋ねしたのです。
政府の今やっております住宅政策の、直接的な
財政措置や
予算措置を講じているものの中で、住宅公団にいたしましても、住宅営団にいたしましても、金融公庫にいたしましても、それぞれ特徴があります。しかし今度の五十万戸を
予定している中に、やはり
民間の建設に多くを期待しておることは、私はいい
意味にとりたいと思う。責任を回避しているとは言いません。しかしその
民間の建設を促進するというからには、やはり
政府自身が政策的なものとの結びつきを持っていなければ、無責任きわまるというか、けしからん話だ。そういう
意味ではせっかくこういう生活協同組合のような
制度があってあなたの所管になっておる。なぜ住宅公団や営団のようなああいう組織ばかりにこだわるのだろう。私が
説明するまでもなく、今日すぐれた文化国家を作りあげている北欧の三カ国にいたしましても、スイスにいたしましても、コーペルによって住宅の八割ないし十割はいろいろ大きな
改善がなされ、偉大な成功が遂げられている。特に日本のように低額所得者の多いとごりで住宅公団を作っても、高額所得者は入れるけれ
ども、低額所得者は入れません。ですから、どこが重要度が高いかということを考えてみると、高いこころはあと回しになっている。だかり同じ苦しい
財政の中で、税の中から貝担するのでありますから、必要度の高いところへ金が流れていくという
予算の扱い方をしてもらわなければ、われわれは困るのです。こういう点からいえば、私は生活協同組合の持つ任務というものは非常に大きいと思う。何も小売商人と競合するような生活物資の小売をするというようなことのみをやらさなくても、住宅建設でありますとか、あるいは相互共済事業や、さっき
健康保険の運営などに悩んでおられるようでありますが、やはり
国民の協力を待って——抽象的ではいけません、組織的な協力を期待する。生協が全面的に成長を遂げていきますならば、私は
保険の
制度に対してはやはり偉大なバックになってくると思う。たとえば共済
制度をやらせようとしておりましょう。私は共済
制度のようなものをどんどん奨励されていかれることによって——
国民全体に重きを持ったそういうものに対してはみな
補助金を削ってきているわけです。だからこの意図がどこにあるかということは、
福祉国家でやることはぶちこわしのような感じを私は率直に受ける。その具体的なものは
金額にしてはわずかでありますけれ
ども、こういうものは増額するとか、こういうものが
予算の上にどんどん出てくるようにならなければ、
福祉国家なんということは縁が遠い話ではないか。こう非常に目につくものですから、この前川崎さんの場合もただしたのだけれ
ども、不得要領の答弁で、あなたは大へん勉強しているようですから、いいお答えをいただきたいと思います。