○
井藤公述人 一橋大学長の
井藤半弥であります。お招きにあずかりまして、
昭和三十二
年度の
政府提出の
予算案について
意見を申し上げます。
私に与えられました題目は主として租税及び地方財政、この二つの問題を中心に
意見を述べろというお話でありますが、実はそれ以外にも関連がございますので、それ以外の問題につきましてもきわめて簡単に触れさしていただきます。
それからもう
一つお断わりしておきたいことは、申すまでもないことでございますが、
予算というものは種々雑多の角度から問題にすることができるのでありまして、昔は国防ということが中心になっておりました。あるいは治安こいうこと、社会保障であるとか、あるいは
生産力の向上であるとか等々、いろいろな角度から論議することができるのでありますが、私は主として
経済中心の立場で申し上げることといたします。従って私の申しますことが偏
経済的であるという、いい
意味あるいは悪い
意味においての特性のあることは私自身がよく
承知するところであります。
それからもう
一つ申し上げたいことは、何分私は学校の教員で申すことがきわめて大まかでございますので、話が多少学校の講義風になることもやむを得ませんので、この点どうか
一つ御了承を願います。むしろお前は教員だから、教員らしく講義風にやれというような御命令もあると思いますので、やはり教員の本性を現わしまして、皆さんを生徒扱いにいたしますから、どうぞ失言がありましたらお許しをいただきます。
そこで中身に入りますが、きわめて簡単に要点だけを申し上げます。私実は三十分の予定で参りましたが、二十分にせよという
委員長のお話ですが、多少超過することも御了承願います。
そこでまず第一に最近、前からでもそうでございますが、
予算の規模が問題になっております。それでこの
予算の規模が大き過ぎるか、小さ過ぎるかということにつきまして、経費の総額を国民所得で割り算をやりまして、去年と比較して多いとか少いとかいうことが問題になっております。計数を申しますことは省きますが、その
計算をいたしますと、
予算の説明の第二ページに出ておりますように、
昭和三十二
年度の
一般会計の経費は国民所得の一四%に当るということであります。これは
予算の説明には出ておりませんが、
一般会計及び特別会計を総合いたしました純計について
計算いたしますと三一%であります。最近数年間の趨勢を見ますと、純計によって
計算した場合と
一般会計だけによって
計算した場合とあまり変りません。それからまた純計によることにつきましてはいろいろ問題がございますので、
一般会計だけについて申しますと一四%になっておるのであります。それで
昭和三十一
年度はどうだったかというと、当初
予算について申しますと同じく一四%。そこで今度は、国民所得がいわば国の
経済力を代表するものなんだから、国民所得もふえたのだから
予算の規模がふえてもいいだろう、こういう
議論が
一般に行われております。私はその
議論は間違いとは申しません。熱が少し出た場合に、からだに多少異常があるのと同じでございまして、確かにその点は正しいのでございますが、きわめて粗野な
議論であることは申すまでもないことでございます。それではどの点が問題か、これも結論を申しますと、そんなことはわかり切ったことだとおっしゃるにきまっているのですが、しかし一応結論を申しますと、国の
経済力を表わすものといたしまして国民所得をとるということは、これは不正確であります。国民所得のほかに、過去から蓄積されました国民財産があります。それから外国の
経済力であって、自分の国が利用するものがあるのであります。経費の
数量を国民所得で割って、それをもって財政の規模の標準といたしますと、たとえば
昭和十九
年度などはとんでもない
数字が出まして、
一般会計及び戦費の純計を国民所得で割りますと、一七三%という
数字が出るのであります。なぜそういう
数字が出るかと申しますと、御案内の
通り昭和十九
年度は、これは
井藤の推算でございますので少し怪しいのでございますけれ
ども、
昭和十九
年度は
一般会計及び戦費の純計のおよそ四三%が外地の
経済力を軍が徴用いたしまして戦争に使ったのであります。そこで
昭和三十二
年度の
日本の国民財産の規模はどれだけかという問題でございますが、御案内の
通り日本の国民財産につきましては、
昭和五年末及び
昭和十年末についての精密な
計算がございます。それから
昭和二十年の八月十五日現在資本的富についての概算があるくらいでございまして、終戦後今日まで国民財産についての
計算はございません。何でもあと一両年の間に総理府の統計局で国民財産の推算をやるそうでありますが、しかしわれわれの
感じから申しますと、戦争前に比べまして一人当りの国民財産は減っておるのではないかと思われるのであります。そこで、そういう点が無視されておるということと、それからその次に経費を国民所得で割って何パーセントだという結論が出ましても、経費の内容がどうか、経費がうまく使われておるかどうかということがまた当然問題になります。それからその経費をまかなうための収入調達のやり方がどうか、これもまた問題になるのでありまして、これらのものを総合して問題にしなければならない。簡単に申しますと、
予算を問題にする場合は、すべて総合しなければならないのだという、きわめて平凡なる結論になるのであります。
そこで経費の内容についてきわめて簡単に申しますと、現在わが
日本におきましては、私の言うところの消極的経費が非常に多いのであります。
経費を積極的経費と消極的経費に分けまして、これは
経済という立場から申しまして、作用の消極的なものを消極的経費、具体的に言ってどういうものを消極的経費と言うかというと、防衛
関係費、それから恩給の経費、国債の経費——公債の元金、利子であるとか国債費であるとか、社会保障の経費、賠償の経費等々、こういうものはみな消極的経費になるのであります。何でも私は
経済中心の立場から見ておりますので……。そこでそういうような立場から見ますと、現在
日本では消極的経費が非常に多い。私は消極的経費がむだとは申しません。しかしながらあくまでも一番最初に申しましたように
経済中心の眼から見ますと、たとえばこれは失言になるかもしれませんが、恩給をもらうような者は早く死ねということになるのであります。(笑声)これは
経済中心の立場から言えば当然そうであります。それじゃお前は恩給はもらわない方がいいのかというと、私は来年停年でありまして、恩給が廃止されては困るのですが、(笑声)しかし恩給をもらうようになった場合は、早く死ぬ方が足手まといが減る、こういうような非人情的な立場で
計算いたしましたものが、累計されましたのが消極的経費であります。
そこで消極的経費、積極的経費を国の
一般会計について区分いたしますと、
昭和三十二
年度は消極的経費が五三%であります。残りの四七%が積極的経費であります。
昭和三十一
年度は幾らかと申しますと消極的経費が五四%、一%消極的経費が増しております。過去にさかのぼりますと、
昭和十年は消極的経費が七二%、これは非常に多かった。なぜかというと、当時軍事費が非常に多かったからであります。軍事費は
一般会計では約半分を占めております。それに比べますと現在の五三%というのは、消極的経費は少いのであります。終戦後の趨勢を見ますと、消極的経費の多かったのは、
昭和二十二年の六四%であります。これは当時終戦処理費が多かったり、
価格補給金が多かったり等々、そういう事情で消極的経費が六四%、これが非常に多かった。ところがそれから後終戦処理費が減ったり、
価格補給金が減ったりいたしまして、消極的経費がだんだん減って参りました。
昭和二十二
年度六四%であったものが、一番減った底はいつかと申しますと、
アメリカが
日本を占領しておりました最後の年の
昭和二十六
年度で、
昭和二十六
年度の
一般会計における消極的経費のパーセンテージは四一%、非常に減っております。ところがそれから後また徐々にふえて参りまして、昨今ではどうしても五三%、五四%、半分以上になっておるのであります。将来はどうかといいますと、やはり賠償費がどうしてもふえる見込みでございます。それから恩給費の増額、防衛
関係の経費も、いい悪いは別といたしまして、ふえるような
情勢になっております。それからガリオア、イロアを返さなければならない等々で、
日本の財政という点から申しますと、しかも
経済中心の立場から見ますと、消極的経費がふえる
傾向がある。この点大いに問題があるのではないかと思うのであります。
今度は収入の方面に入ります。申すまでもなく現在
日本の
一般会計の収入の中心は税金であるということは申すまでもないこと、そこでしばらく税制問題について卑見を申し述べさせていただきたいと思います。この場合、私は国税、地方税を合計いたしまして問題にいたします。国税、地方税を合計いたしますと、
政府発表の資料によりますと、
昭和三十二
年度は一兆五千六百四十億。そこでこの一兆五千六百四十億という税金の総額が一体これでいいかどうかという問題、
日本の国民
経済その他の立場から見て、これでいいかどうかということについて、普通
一般に行われる方法は、この総額を
昭和三十二
年度国民所得で割り算いたしまして、大体の見当をつけるという方法であります。御案内の
通り昭和三十二
年度は一九%であります。この一九%というのは、ここ数年来は大体二〇%ないし一九%で、ほとんど変っておりません。シャウプが参りました年、すなわちメャウプ税制改革の前年であります
昭和二十四
年度は二六%、これは大へん重うございました。それでこれを戦争前と比較いたしますと、
昭和十
年度は租税の国民所得に対する割合は一四%であります。これに対して現在は一九%、
昭和十年と現在と比べまますと、現在は三割六分重いという。パーセンテージになります。ところが御案内の
通り国税、地方税を国民所得で割った比率だけによって、国の租税負担が重いか軽いかを判断することは、さっきも申しましたような
意味で、熱があるからからだが悪いとか、顔色によって、声の大きさによって健康状態を判断するのと同じでありまして、ある点は正しいけれ
ども、そう当てにならない。それで、どこが当てにならぬかということを六つ、七つ、八つ、学校の教員は教室で列挙いたしますが、ここではそういうような
数字は遠慮いたしまして、やはり計数で申し上げないといけません。私の今出し得る計数は、私が
公聴会などで絶えずやっておる方法でありまして、皆さん方の中には、またあれかとおっしゃる人があるかもしれませんが、ばかの
一つ覚えでこれはやむを得ないのであります。そこで、私がやっておりますのはどういうやり方かといいますと、分子には租税を置きまして、分母は国民所得から食費を引いたものをもってかりに負担能力の最大限を示すものとみなしまして、それをもって租税を割るとどうなるか。その
計算をいたしますと、
昭和三十二
年度は三四%であります。昨年は三六%であります。この
計算によりますと、昨年よりはさすがに今度は減税が行われておりますために、三六%が三四%に減っております。ところが日華事変の前の
昭和十
年度はどうであったかと申しますと、今の
計算をいたしますと一九%であります。さっき申しました、租税を国民所得で割った場合はどうかというと、さっきの計数に戻りますが、
昭和十
年度は一四%だったのが、
昭和三十二
年度は一九%でございますので、三割六分現在の方が事変前に比べて重いことになっております、ところか租税を今申しました負担能力の最大限によって割り算いたしますと、
昭和十
年度は一九%であったものが、現在三四%になっております。すなわち
昭和十年に比べますと現在は八割重い。租税を国民所得で割り算すると三割六分しか重くなっておりませんが、私が申し上げました、より精密と思われる
計算によりますと、八割重くなっておるのであります。これが租税総額であります。
今度は租税の内容であります。
一般普通にいわれていることは、租税の内容を大づかみに判断する場合には、直接税のパーセンテージが多いのが望ましい、何となれば直接税は累進課税が行われている。しかし間接税はとかく大衆課税の色彩が強い。私は大ざっぱに申しまして、大体そう言っていいと思います。これは御案内の
通り、
昭和三十二
年度は直接税が五〇%、それから残りの五〇%が間接税、これは国税だけです。地方税は入っておりません、それから
昭和三十一
年度、去年はどうだったかと申しますと、直接税は五一%であります。これは戦争前の直接税三五%に比べますと、直接税の比率が高まっておるということは言うまでもないことであります。しかしながら、
昭和三十二
年度は三十一
年度に比べますと、一%だけ直接税の比率が減っておる。しかしこの辺の一%ぐらいは大勢に影響ございません。そこで申し上げたいことは、これも私はいろいろな機会に言っておるのでありますが、直接税、間接税と分けましても、現在は直接税にはきわめて大衆課税の色彩が強いのであります。先ほど岩井さんの公述の中にもちょっと出ましたが、多分同じ資料ではないかと思うのでありますが、計数の扱い方がちょっと違います。私は、現在の
日本の直接税、ことに所得税というものが非常に大衆課税の色彩が濃厚であるということを計数で申し上げます。これは三十一
年度の
予算について大蔵省主税局が発表した
数字でございまして、半年ほど前でちょっと古いのでありますが、しかし私の入手し得る一番新しい
数字であります。
昭和三十一
年度の所得税の申告納税だけについて見ますと、申告納税者総数は百八十八万人であります。このうち一年の所得五十万円以下の者が何人占めているかというと、その。パーセンテージは八七形であります。申告納税者のうち、人数から申しまして八七%の者が五十万円以下であります。それから申告所得総額は幾らかというと七千百三十億円でありますが、このうち五十万円以下の者の合計は全体の六八%であります。大体申告納税は金持ちがやるのだ——金持だけじゃなく農商
工業者もおりますが、申告納税はまあまあ金持ちがやるのだと常識で考え得ないこともないのでありますが、今申しましたように、人数から申しまして八七%であります。それから所得
金額から申しまして、六八%は五十万円以下の者です。現在五十万円以下といえば、これは大衆とみなすべき階級に属することは言うまでもないことであります。それから課税の対象となる給与所得者はどれだけかというと、八百四十七万人、このうち五十万円以下の者は九二%、これはわれわれの常識であります。大部分は五十万円以下であります。
それから課税の対象になる給与所得総額は幾らかというと、二兆四千億円であります。このうち五十万円以下の者は八〇%であります。そこで、給与所得並びに申告納税両者についてみますと、大部分が、ぼんやりした言葉で言うと七割ないし九割であるが、このぼんやりした言葉で言うと七割ないし九割に当るものが五十万円以下の階級である。五十万円というのは
昭和十年ごろの貨幣価値に換算いたしますと千四百円でございますので、
昭和十年ごろの千四百円といえば大した金持ちではありません。そういう人たちが現在
日本の所得税の大部分を負担しているのであります。
それで納税者の数でありますが、これは先ほど岩井さんが申しましたように、
昭和十年までは所得税の納税者の数が百万人をこえるということはほとんどなかったのでありますが、
昭和三十一年では一千万人になっている。これを見ても、いかに現在所得税が大衆の負担になっているかということがわかる。
それからもう
一つほかの
数字を申しますと、現在
日本におきまして——これは
昭和二十九
年度でありますが、たとえば所得税を払う人のうち百万円以上の人はどれだけか、五十万円以上の人はどれだけおるかということを所得税のかかる所得の階層別の分布表によって
計算いたしますと、
昭和二十九
年度において二百万円をこえる所得は全体の何%を占めておるかというと、驚くなかれ、わずかに二%しか占めておらぬのであります。二百万円をこえる課税所得というものは、所得税の対象となる所得のうちわずかに二%しか占めておらないのであります。ところが、
昭和十年ごろはどうであったかと申しますと、二百万円を
昭和十年ごろの貨幣価値に換算いたしますと大体六千円です。これは大ざっぱな
計算でありますが、
昭和十年ごろは六千円である。ところが、六千円以上の所得のある人が所得税を払う人の中で何割占めてをったかというと、三九%、四割に近いのであります。すなわち現在はどうかというと、二百万円以上、すなわち
昭和十年ごろの貨幣価値で申しますと六千円の人が、課税の対象になる所得総額のうち占める割合はわずかに二%である。ところが
昭和十年ごろは四九%であった。これを見ても、現在わが
日本におきまして富の分配
関係がいかに平等になっているか、その平等になっているのも、さっきの小川さんのお話のように上の方に平等になったらいいのでありますが、下の方に国民皆貧という形で平等になってきたのであります。
そこでなぜこうなったかと申しますと、これも申すまでもなく、次に述べますような一連の事実並びに終戦後の
政策の結果によるのでありまして、それは具体的に申しますと、まず戦災、戦災は持てる者が失うことが大きいのであります。裸の者は何も失いません。それから農地改革、それから臨時の財産税、財閥解体、集中排除、
インフレーション等々、そういう高いものがずっと切られたという事実、もちろん最近はこの
情勢がだいぶ変って参りましたが、こういう事実がありましたために、国民皆貧という方向になってきたのであります。ここに
日本の租税
政策のむずかしさがあるのであります。たとえば累進税を金持ちには九九・九%にしよう、これは私は制度として非常にいいことだと思います。しかしながら、それから一体どれだけの税収があがるかというと、二百万円以上の人が二%しか占めておらないのでありますので、どうしても大衆課税をやらざるを得ない宿命的な——だからといって大衆課税がいいというのではもちろんございません。こんなことはもちろんよくないのでございますけれ
ども、ここに
日本の租税
政策のむずかしいところがあるのではないかと思うのであります。
そこでそれに関連して私が申し上げたいことは、現在
日本におきましては、今のような客観的な事実がございますので、間接税もやはり
意味があるんだ。間接税がどんな場合でもいいというのではありませんが、現在の
日本では間接税も存在理由がある。なぜ存在理由があるかと申しますと、間接税は選択の余地がある。たとえば
井藤の月給が五万円あるとすると、いやおうなしに直接税は取られますけれ
ども、
井藤は遊興飲食税を払いたくなければ遊興飲食をやらなければいいんだ等々、間接税は選択の余地があること、それから分割払いをしてもらえる、それから納税の苦痛が少い。これは間接税がいいということではありません。納税者の苦痛が少いということはいい面も欠点もあるのであります。知らぬ間に、興奮しておるうちに徴収されるという面もあるのであります。それから課税の便宜等々、今のはどちらかというと末梢的なものが多いのでありますが、それよも理論的に申しますと、間接税というものは奢侈の重課ができる、直接税は非常に評判がいいので、私も直接税はいいと思うのでありますが、直接税だけですとどうしてもいけません。と申しますのは、たとえば一年の所得が十万円の独身者の勤労者といえば、その人の金の使い方いかんにかかわらず所得税の
金額が均一であります。ところが同じ十万円の所得のある人でも、その人の金の硬い方が社会的にいい面に使う人もあれば悪い面に使う人もある。それを税金の方で差別するということになると、どうしても
消費税、間接税でかけざるを得ないのであります。それには奢侈重課という建前をとらなければならぬことは言うまでもないことであります。
そこで今度は税制の内容に入りますが、御案内の
通り税制調査会の答申書が出ております。これについて、私どうも世間に誤解というと少しえらそうなものの言い方でございますが、税制調査会の今度の答申書は
日本の税制の根本的改革だというような印象を一部に与えておるのでありますが、私をして率直に申し上げますと、制度としては根本的改革と私思いません。部分的改革でございます。何をもって根本的改革か部分的改革かということが問題ですが、それよりももっと
意味があるのは、大規模な所得税の減税をやったこと、これは大きな
意味があるのであります。しかし税制としては私は根本的な改革と思っておりません。そこでこの税制調査会、それから地方制度調査会、私も
委員として参加さしていただいたのでありますが、私がこれから申しますことは税制調査会、地方制度調査会の
意見ではもちろんなくて、あくまでも
井藤一個の
意見であることは申すまでもないのでありますが、あの税制調査会がいろいろこの問題を取り扱いましたときに、去年の九月ごろでございましたか、自然増収は大体千二百億、それを前提として
議論をしていったのであります。ところが答申書のまとめ上るまぎわになりますと、これは別に大蔵省がこういうことをやったのではありません。これは
情勢の変化によって判断が変ってきたのでありますが、十二月になりますと自然増収が千五百億、それから
予算の説明を児ますと二千億以上の自然増収となっております。そこでわれわれ税制調査会で考えた場合には、千二百億を前提として考えた、二千億の自然増収があったのだったら私は税制調査会の答申の内容は、非常に違ったものとならざるを得ないのじゃないかと思います。私はそういう自然増収がふえたということをも念頭に置きまして、
政府の今度の租税
政策について一応申し上げておきたいと思います。
そこで税制調査会の建前は、皆さん御案内の
通りに三本足からなっておりまして、第一、番の足は、普通の所得税についておよそ千億円の減税をやる。それからもう
一つは租税の特別措置を廃止する、これは減税をやめるということですから増税になる、それからもう
一つは間接税を増徴する。こういうようなものを差し引きして、数百億円の減税をやろうというのが税制調査会の案であります。ところが今度の
政府の案を見ますと、三本の足のうちの第一番の、所得税を一千億円余り減税するということは、
政府の案と税制調査会の案とは違いますが、大体その方針は貫かれておりまして、私はこれは非常にけっこうなことだと思います。ところがあとの二本の足については、私と
政府の今度の原案とは
意見が違うのであります。
まず租税の特別措置の整理の問題でありますが、これにつきまてしは
政府の案は大体税制調査会の案を尊重されておりますけれ
ども、次の三つの点につきまして私は
政府の案に賛成することはできないのであります。それはまず米穀所得課税の特例です。米の所得課税の場合に予約売り渡し米穀代金の一部を非課税とするということが現在租税の特別措置で行われております。これにつきまして非常に恩恵をこうむるのは大農であります。これは農家が
一般に恩恵をこうむるようでありますが、事実これによって恩恵をこうむるのは大農であります。この制度は税制調査会ではやめるようにという答申だったのでありますが、
政府はこれを存続されるようであります。それから社会保険料の診療報酬の課税の特例として、社会保険料診療報酬の七二%を経費とみなすということでありますが、これも社会保険料の報酬の単価が安過ぎるというので、そのしわが税金の方に寄ったのでありますが、やはりこれによって負担が非常に不合理になっておることは言うまでもないことであります。それからまた利子免税をやめるようにすることが税制調査会の考えであったのですが、これは一部しかいれられないで、一年以上の定期預金について利子は課税を免税とする、もっとも二年間に限る。これは貯蓄奨励とか理屈はあるのでありますが、私は貯蓄奨励はやはり税金が安いということよりも、通貨に関する国民の信頼の
程度ということが貯蓄に一番影響するものだと思っております。それから負担の均衡その他から申しまして、利子免税というものを全部やめなかったということは、これは私はどうかと思うのであります。
結論を申しますと、租税の特別措置につきまして、
政府が今度とろうとする案のうち、今申しました三つの点はむしろ税制調査会の案の方がよくて、
政府案がよくないと私は考えております。
それから今度は第三番目の足の、間接税の増徴の問題でありますが、
政府の案で原糸課税は中止されたのであります。私は率直に申しますと、原糸課税中止は私は賛成なのです。というのは、税制調査会の案における原糸課税におきまして、やはり大衆課税を防止するために多少免税
品目を作りましたけれ
ども、しかしながら大衆課税の要素はある
程度まであったのであります。それをやめたということは、これは自然増収が千二百億の予定が二千億になったということから、これは当然だと思います。ただ遺憾なことには奢侈重課を目的としたところの物品税の重課というもの、税制調査会では物品税の重課を答申しておったのでありますが、それが行われなかったということは、私は税制調査会の案がよくて
政府案は賛成できないのであります。具体的に申しますと、物品税のうちテープレコーダーや観光バスなどは新たに物品税をかけるように追加しようとか、あるいは電気洗たく機などの課税の最低限を
引き下げて税金を少し重くしようとか、そういう奢侈性——まあ電気洗たく機なんか
井藤のうちにもありますので、これが一体奢侈のものかどうかわかりませんけれ
ども、しかしながらとにかくやや奢侈性の大なるものの税金を重くするということは、間接税の負担を重くするというならばやはり物品税の方をふやすよりほかに道がない。私は取引高税は反対です。私はやはり広く浅く税金をかけるということは反対です。間接税を重課するのだったら、物品税の奢侈性の大なるものを重課する以外に道がないのではないかと思っております。そういう建前から見ますと、今度の物品税の改正が見送られたということは私は遺憾であると思うのであります。これが税制調査会と
政府の案との比較に関する私の考えです。
それから今度は税制の内容について申しますと、現在
日本の税制のうち、理論的に申しまして一番問題が多くて一番整理されておらないのは、それは税制調査会の答申においても整理されておりませんが、それは何かと申しますと法人所得の課税制度であります。これは具体的に申しますいとまもございませんのでやめますけれ
ども、法人擬制説的な課税の要素と実在説的な課税の要素が非常に混在しておるということだけを申し上げたいのであります。
そこで、私は
日本の財政の理想といたしましては、やはり歳出の膨張をできるだけ抑制して、そうしてできるだけ余裕を減税、ことに小所得者の減税に充てるのがいいのじゃないかと思います。
それから地方財政の問題でありますが、地方財政の問題は国家財政の問題と違いまして、皆さん御案内のことでありますが非常に複雑で、金持ちの地方団体もあれば貧乏な地方団体もございます。現在このことは一口で申し上げにくい問題がございまして、非常に複雑なのでございますが、現在の
日本の地方財政の特性は私は次の二つにあるだろうと思っております。
昭和三十一
年度は、地方財政再建整備促進法ですか、あれによりましてだいぶ
日本の地方財政は再建に向っておりましたけれ
ども、現在なお地方財政において大きな問題があります。それは次の二つであります。
一つは、公債費が累増しておるということ、それから二番目は地方の独立税が地方財政の歳入において占めておるパーセンテージが低いということであります。
昭和三十
年度の決算の見込みについて申しますと、地方独立税が地方団体の歳入において占めておる地位は、全国平均いたしますと二二%であります。国家の場合は、専売益金を加えましておよそ九二%までは税金であります。地方公共団体では三三%、ことに府県にあきましてはわずかに二四%だけが税金でありまして、残りの七六%は税金以外のもの、それから町村は四五%が税金であります。申すまでもなく、資本主義社会における代表的な収入形態は何かといいますと、税金であります。税金の地位が、現在
日本の地方財政においてきわめて低いということは、何といっても変態であります。
そこで私は、この点ちょっと一部の方々とは
意見が違うのでありますが、今度の税制改革で、国税については減税をやったが、地方税については減税のやり方が少いという点について不満がありますが、私は不満ではないのです。私は、これはやむを得ぬと思っております。というのは、現在の地方団体において税金の地位があまりにも低いということは変態でございますので、この変態を画すということは、地方団体の健全なる発展のために必要じゃないかと思うのであります。しかしながら私は、国税は減税すべし、地方税は増税すべしというのではございません。もちろん地方団体の中にも富裕な団体がございます。これは大いに減税すべきでありますが、減税をやろうと思ってもできないものがあるという点、それから租税の地位が低いという点は、これは何といっても変態でありまして、税制改革、財政改革によってこれは何とか直さなければならないのじゃないかと思います。
そこで、よくこういうことを言われます。地方自治ということは非常に望ましいのだ。ところが現在の
日本の地方団体を見ると、どうも身分不相応の金を使っておる、貧乏なくせにいろいろなぜいたくをやっておる、そうだからして地方財政に赤字ができるのだ、何とかして自分の資力相応の行政規模を持つようにしたらどうか、こういうような
議論がかなり強いのでありますが、私、結論を申しますと、現在の
日本では——これは
日本だけではありません、外国でも同様でありますが、こういうことは言うべくして行うことができないのじゃないかと思います。私は身分相応の生活をやるということ、かりに名づけまして孤立的地方自治ということ、すなわち自分の資力で自分の財政をまかなうということは、言うべくして行うことができない。
なぜかと申しますと、資本主義発達下の現在の諸国の地方団体におきましては、次に述べる二つの特性が現われております。そのうちの一番の特性は、各地方向の違いがなくなったということであります。昔は地方間にいろいろな差異がございましたが、現在では通信交通の発達、それから大
企業の国民
経済における支配力が強くなりまして、全国の
経済がとかく同じ条件によって左右される。そういう事情で、各地方のローカル・カラーがいろいろな
意味においてなくなったということが
一つ。それから二番目の特徴は、地方行政におきまして最低限の行政規模の確保の要求ということが、デモクラシーという立場から言われております。デモクラシーという立場から言うならば、金持ちのところであろうと貧乏なところであろうと、教育やその他文化施設については、国家として、また地方団体としてなすべき最小限度があるのだ、たとえば金持ちのところは六・三二二・四までやる、貧乏なところは六・三をやめて六・二にしておこう、こういうことをやるということは、国民全体の発展のためによくないのであります。これはほかの点についてもあります。そのために、地方行政におきまして最低限度の行うべき行政内容というものがあります。この二つ、これがあるために、これが地方財政にどういう影響を与えておるかと申しますと、まず経費について申しますれば、各地方の経費にあまり違いがないということです。それから二番目には、経費の
伸び縮みの弾力性が非常になくなったということであります。ところが経費をまかなう歳入、
経済力はどうかというと、これは
日本国内でも外国でも同様ですが、非常な違いがございまして、
昭和二十九
年度について申しますと、一人の所得の全国平均を一〇〇といたしますと、金持ちの多い東京都民の所得は一五五で、全国平均よりも五割五分多いのであります。大阪府は一五三であります。一番所得の少いのは鹿児島県でありしまて、全国平均の一〇〇に対しましてわずかに五四、岩手県が六八、こういうように富の力が大差がありますので、各地方団体が身分相応の生活をせよといってもとてもできません。そうしますと、どうしても中央
政府から金を出しまして財政の
調整をするということが必要なのでありまして、これが地方自治ということ、あるいは地方民の全体の発展のために必要なのであります。
ところが、現在の
日本の財政
調整制度について私申し上げたいことは、現在
日本には財政
調整制度の中心として交付税があります。ところがそれ以外に入場税譲与税があります。それから地方道路税があります。また今度は、今国会に出ております案によりますと、特別とん税譲与税というのがありまして、現在中央
政府による財政
調整財源ともいうべきものは四つありますが、もう
一つあるのであります。それは何かと申しますと、たばこ
消費税、これは地方独立税とは申しますけれ
ども、納税義務者は専売公社でありまして、私は、これは性質は譲与税と同じものでありまして、譲与税の方に入れる方がいいのじゃないかと思います。そういたしますと、中央
政府による財政の
調整のやり方は五つある、これは非常にややっこしいのであります。私は学校の講義をする際前夜下調べをしていかないと学生に講義ができない、ことほどさように複雑であります。私は、複雑ということが、制度が複雑にならざるを得ないために複雑になるのだったらこれはやむを得ませんけれ
ども、五つもあるためにこれはいろいろ不合理なことがあります。私は学校の教員ですから空論を申し上げますので御了承願いたいと思いますが、私はこの五つをやめてしまって、そうして交付税一本にしたらどうかと思うのであります。そのかわり交付税の内容につきましては修正を加えなくちゃいけません。
それから、私は交付税がいいと申しましたけれ
ども、交付税よりは
昭和二十八
年度までやられておった地方財政平衡交付金制度の方がよかったと思っております。なぜかと申しますと、交付税は御案内のように、所得税、法人税、酒税で、これは初めは二二%、現在は二五%、今度は二六%に上りますが、毎年々々交付の率を変える。建前からいいますと、変えないことになっておりますが、毎年変えますので、大蔵省と自治庁と地方団体の間に、もっとふやせ、ふやさないということが起るから、この三つの税金の割合にしておけば、そういう摩擦が少いだろうということが大きな理由になっておりました、ところが過去の経験によりますと、毎年あの税率をふやせ、ふやさないということが
議論になっております、これは当然のことなので、この三つの税金の二二%とか二五%とかいうふうに
機械的にきめるという制度自体に無理があるのでありまして、幾つも幾つも要素があって、地方団体の赤字といいますか、歳入の
不足ができる、それを埋める場合に今言った三つの税金の割合にしようとしても、これは制度自体に無理があるのでありまして、そういう
意味においては、平衡交付金制度の方がよかったということを、当時から言っております。それから過去三年間、四年間の経験からしますと、やはり私の考えがよかったように私は考えておるのであります。
それからもう
一つ、これを平衡交付金に統合するにつきましても、現在の交付金の配分の基準その他については修正を加えなければならないということは言うまでもないことであります。
いろいろまとまりありませんことを申しましたのですがこれをもって私の公述を終ります。(拍手)