○小林かなえ君 私は、ただいま
議題となりました
裁判所法等の一部を改正する
法律案に対し、自由民主党を代表して、数点の
質疑を行わんとするものであります。
今や、わが国は国際連合に加盟し、自由諸国家群のみならず、共産圏の諸国とも国交を回復することとなり、ソビエト・ロシヤ、ポーランド等との間にも国交が正常化されつつあることは、まことに喜ばしいことであります。しかし、その反面におきまして、国家体制の異なる国家からの思想は、わが国を谷間のようにして押し寄せ、資本主義と共産主義との二つの世界観の対立は、やがて
政治犯罪、公安犯罪の方面において、不気味な機運をはらんでおるのでございます。翻って、国内においては、過去数年間、松川事件、平事件、大阪吹田事件、宮城前のメーデー事件などの天下の耳目を震骸せしめたところの騒擾事件は、いずれも今なお裁判所に係属し、その審理を受けておる次第であります。治安状況は決して安心を許しません。最近の砂川基地事件、原水爆禁止運動など、いずれもその根底において二つの世界観の相違からきておるものであります。従って、この根源は深く、前途の爆発はおそるべきものがあるといわなければなりません。しかも、これらの事件は、ある
国民はこれを合法であるとし、正当であるといい、他の
国民は非合法であり邪悪であるという。ここに、国家全体の立場から最後の断頭に立って、何が合法であるか非合法であるかを決定し、何が正義であるか何が邪悪であるかを峻別するものは、実に司法官署であります。その中心は裁判所にほかならぬのでありまして、私は、三権分立の一翼をになっておるところの司法問題について、総理大臣並びに法務大臣の御
意見をお伺いしたいのでございます。
第一、近来、順法精神が弛緩しておるのではないか。総理は、総理就任に当りまして、民主
政治家として大成される覚悟を述べられたのでありますが、私はこれに対しては衷心敬意を表するものでございます。およそ、民主
政治下においては、
国民は自己の投票権の行使によって作られたところの自己の代表者を通じて立法に参加しております。従って、立法機関によって作られた法律、命令、規則等に従うべきことは当然の事理たるのみならず、これによってのみ最低限度の秩序を維持し、治安が保たれることは申すまでもないことでございます。また、一方、基本的人権の尊重は民主
政治の要諦でありますが、これを終局的に保障するものは実に司法裁判でございます。すなわち、司法裁判こそは人権擁護のための最後のとりでであると申さなければなりません。たとい
経済、
財政等のりっぱな
政策が立てられましても、この順法の実があがらないならば、よき
政治はとうてい実現されるものではございません。しかるに、今や世上を見ると、凶悪なる犯罪が日に
増加し、特に青少年の犯罪においては、その年令層の低下、その行為の残虐性等から見ても、順法精神は地に落ちたるやの感なきを得ないのであります。しかるに、新憲法実施後十年を経過する今日、なお順法精神高揚の必要が叫ばれているのであります。これは民主
政治の
発展を願う者にとってはまことに憂うべきことといわねばなりません。現在、
国民の生活と法律とは必ずしも全部融合しているとばかりは言い得ないのではないかという疑いなきを得ないのであります。法律専門家さえ知らないほどのおびただしい法律が次々と制定されております。一般
国民は新法律の応接にいとまないというような状態でございます。行政権に委任してもよいではないかと思われるような事項までが一々法律をもって定められていくということは、この際一考を要する問題ではないかと思うのであります。
さらに、また、順法精神の低下と表裏するがごとく、ときどき起るところの裁判所の誤判事件等のために、裁判の権威も次第に失われつつあるのではないかということを疑わざるを得ないのであります。一たび裁判がなされた以上は、この裁判に権威あらしめることが、裁判と裁判所に対するところの
国民の信頼を高める上に必要であると思います。これらの憂うべき事態の正常な立て直しのためには種々の方策も
考えられるのでありましょうが、なかんずく青少年について、特に学校教育、社会教育等の面において善導、是正の方途を講じ、一般的には官報へ公示するというのみにとどまらず、法を知らしめるために、適当な啓蒙運動によって順法精神の高揚をはかるべきであると
考えますが、この点に対する総理の御所見を承わりたいのであります。
第二、
内閣に司法制度に関するところの調査機関を設ける御意思はないかという点であります。戦後、司法権の地位が憲法上一段と躍進したことはまことに喜ばしいことではございますが、あまりにも
アメリカナイズされまして、占領法規の是正には、たとえば警察法とか、
経済法規とかは、ある
程度是正が実現されておるのでありますけれ
ども、司法制度においては、まだたくさんの残滓があるのであります。たとえば、司法の民主化という立場から参審制度を置いてはどうか、あるいは陪審制度を置くことの可否等々の司法制度の改善進歩について、広く良識ある
国民の協力と衆知を集める
趣旨におきまして、ともすれば専門家に偏するところのおそれなしとしない、法務省内に設置してあります法制
審議会とは別個に、
内閣に大所高所より検討する
審議会のごときものを設けるところの御意思はないか。また、かつての予備隊令違憲事件のごとき法令自体の違憲、いわゆる抽象的違憲審査権を有するところの憲法裁判所設置の可否、ないしは、最高裁にその権限を有せしめることの可否等について、どのようにお
考えになっておられるか、これらの問題もまた、この
審議会にかけて、その
審議をすべき重要な案件たるを失わないと思うのであります。総理大臣並びに法務大臣の御所見を承わりたいと思います。
第三、最高裁小法廷の法律上の性格の問題でございます。今回御
提出になりまして、ただいま御
説明になりました、最高裁内に小法廷を置いて、非常にたまっておるところの事件をさばこうというのでありまするが、これは、憲法第七十九条、第八十一条についての問題でありまして、この点につきましては、
政府は十分なる御調査が済んでおることとは思うのでありますけれ
ども、私は、占領
政策の行き過ぎ是正の
見地からも、憲法上のこれらの条項について、この際新たに見直す必要があるのではないかと思うのでございます。
新憲法において新しく設けられました最高裁判所の機構は、
アメリカの連邦最高裁判所にならったものであるか、あるいは
アメリカの州の最高裁判所にならって作ったものであるか、この新憲法制定の際における真意は、はなはだ明確を欠いておったようであります。
昭和二十九年の九月の裁判官
会議における最高裁の機構改革に関する
意見に徴しますれば、憲法第七十六条、第七十九条、第八十一条等の解釈上、
日本国憲法下の最高裁の性格を、憲法裁判のほかに、通常の民事、刑事の裁判についても、終審裁判所ではなく、ただ終審としての違憲審査、すなわち、憲法
違反のみを審査することにあるとなし、この根本的な命題に基いて、違憲審査に関与しない判事を構成員に持つことは違憲であるという結論に基いて、すなわち、憲法第八十一条の解釈をかくいたしまして、一般の法令
違反の上告事件を取り扱わしめるために増員するという論に対して、憲法裁判所なるがゆえに、むしろ九名に減員すべしとして、小法廷は最高裁ではないとするようであります。
御承知のごとく、米国の最高裁制度を見ますと、連邦の最高裁判所は、連邦憲法に列挙せられた事項、すなわち、憲法
違反及び各州の権限争議等の問題を裁判することになっておるのであります。御承知のごとく、
アメリカは四十八州でございますが、この各州は、連邦憲法の制抑のもとに、各自法律を作っておるのであります。従って、各州の作った法律が憲法
違反であるかどうかということを審判するところの裁判機関が重要であります。これに当るものが、いわゆる連邦の最高裁判所であります。同時に、各州に最高裁判所がありまして、この州における最高裁判所は、民事、刑事の裁判と同時に、憲法
違反の裁判をも扱っておるのであります。
そこで、新憲法において取り扱われたる
日本における最高裁判所の機構は、一体どれをモデルとしたものであるか、これははっきりいたしませんが、私は、これは州の最高裁判所をモデルとして作ったものだと
考えるのであります。最高裁の裁判官諸公は、ただ最高裁は憲法裁判だけをすればいいのである、すなわち、憲法の番人であって、民事、刑事というような、下の裁判所でやるべきものを、われわれ最高裁判所がやるべきものではない、こういう高いプライドを持って、ただ憲法
違反の裁判のみを審判すればいいという立場に立って裁判をしてきたのであります。しかしながら、御承知のごとく、わが国は、かつては大審院という裁判所がありまして、第一審、第二審、第三審と控訴、上告を経ても、できるだけの裁判
手続をやって後初めて満足をし、あるいはあきらめるというのが、わが
国民の従来の裁判歴史であります。しかるに、一方は、最高裁がわずかに十五人の判事を持って、憲法
違反しか受けつけぬ、こういうのでありますから、
国民性としてこれに満足するわけにいかないので、そこで、当事者や弁護士らが種々研究をして、何ごともみな憲法
違反という問題にこじつけて普通の事件までも憲法
違反というふうに片寄った名目のもとに、最高裁の裁判を仰ぐというのが、今日までの状態でありました。しかるに、十五人の裁判官は、「憲法の番人」であるから、憲法の裁判さえすればよろしいということで、高い地位におって裁判をやってきたのである。ここに、
国民性と裁判所の
現実との間に非常なギャップを生じ、多いときには七千件、少い今日においてもなおかつ四千件くらいの未済事件を持って、能率上不可能といわれるほどの仕事をかかえて苦しんでおると
反対に、
国民はまた長い間裁判のために苦しみ、ことに刑事事件のごときスピーディにいかなければならぬ裁判が、ときには十年、十五年という長年月を経ても終末をつけ得ないでおるということは、皆さん御承知の
通りであります。
ゆえに、この状態を何とかして変えなければならぬということで、われわれ国会が中心になってこの改革に手をつけたのでありますから、この
法律案が今回出るということは、われわれはまことに喜びにたえないのでありますけれ
ども、しかし、私らの
考えからいえば、これまでの憲法によって見ても、最高裁判所は、憲法
違反のみならず、民事、刑事の裁判をも、終審裁判所として裁判ができるものであると
考えるのでありますから、最高小法廷というものは最高裁の一部であって、最高裁と別のものであるとするのは、憲法の解釈を誤まっておるものと信じます。しかるに、
政府提出案によれば、最高裁は憲法
違反審査を主とする裁判所であるから、民刑等の法令
違反を裁判する小法廷は最高裁の一部ではないという立場をとって、今回名は最高裁判所小法廷とつけますけれ
ども、最高裁判所を離れた下部の裁判所であるというふうな規定を置いておるのであります。私は、前述の意味において、最高裁判所小法廷はやはり最高裁の一部であるという見方をしていくのが正しいものであると思うのであります。すなわち、大法廷といい、小法廷というも、職務分配にすぎず、ともに最高裁であると解すべきだと信じます。従来も、最高裁判所は、数個の小法廷を置いて、渋滞した裁判を片づけてきたのであります。しかも、これは最高裁の一部として法曹も
国民もともに同一視してきたのに、突如として小法廷は最高裁の一部にあらずとなすがごときは、不合理もはなはだしいものといわなければなりません。すなわち、最高裁でもなく、また高等裁判所でもない、どこにも属しないところの、いわゆる中二階のごとき小法廷というものを置いたことは、いかにもすっきりしないものでありまして、憲法の解釈からいっても、私は正しくないと
考えるのであります。従って、現在の最高裁判所小法廷が五人の構成であって、幾つかの部を持っていると同じように、今回小法廷を作っても、やはり最高裁の一部として見るのが正しいのではないか、何ゆえに小法廷を最高裁の一部として見ない建前をとられたか、また、他方、小法廷の裁判に対して、従来のごとく憲法
違反として
異議申し立てが何千件という多数出て、現在のごとく上告事件が
増加し、実質上の四審級となるおそれはないかという点について、法務大臣にお伺いしたいのであります。
第四点は、下級審の、特に第一審の充実をいかにするかということであります。かりに最高裁の機構が改革されて事件の審理がはかどりましても、第一審、第二審という裁判で、当事者が信頼するに足るだけの裁判が行われなければ、やはり依然として未済事件がふえるのである。ことに、刑事事件のごときは、ほとんど第一審で事実が決定してしもうのでありますから、第一審にりっぱな裁判官を置くことが肝要であります。今日、
地方裁判所においては、ほとんど原則として単独判事が裁判をしておるのであります。合議制でもなく、まだ経験の浅いような一人きりの裁判官の裁判に対して、なかなか承服することができないのは当然であります。従って、ことに第一審の充実をはからなければならぬと思いますが、法務大臣はいかにして下級審の充実をはからんとされるか、御所見を伺いたい。
また、一方において、裁判官あるいは検事というものは、ややもすれば一方に偏しやすい仕事に従事しておるのでありますから、そこで、在野の法曹団弁護士、これらの経験を積んだ、ことにすぐれた弁護士を裁判官もしくは検事に採用して、そうしていわゆる法曹一元化の実をあげて、司法制度の改革をはかるということが最も大切だと思うのでありますが、法務大臣はいかなる
考えをもってこの問題に対処せられておりますか。
以上の数点につきまして、その大綱を申し上げたのでありますが、事はじみな司法問題でありますけれ
ども、これは一国の秩序のもとをなすところの重要なる基礎でありますから、どうかこの点を御考慮下さいまして、国家はこのために金がかかるからというような簡単な問題で片づけるべきことではないと思うのでありますから、何とぞ御親切なる御
答弁あらんことをお願い申し上げるとともに、切に御善処を請う次第であります。(
拍手)
〔国務大臣岸信介君
登壇〕