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1957-02-27 第26回国会 衆議院 本会議 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年二月二十七日(水曜日)     ━━━━━━━━━━━━━ 議事日程 第十号  昭和三十二年二月二十七日   午後一時開議 一 国務大臣演説     ————————————— 第一 議員請暇の件     ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件  日程第一 議員請暇の件  岸内閣総理大臣所信についての演説  国務大臣演説に対する質疑    午後一時八分開議
  2. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) これより会議を開きます。      ————◇—————  日程第一 議員請暇の件
  3. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 日程第一につきお諮りいたします。議員本名武君より、スカンジナビア航空会社北極圏航路開設記念飛行参加及び欧米の政治経済事情等視察のため、本日から三月二十七日まで二十九日間請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって許可するに決しました。      ————◇—————
  5. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって許可するに決しました。  国務大臣演説
  6. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 内閣総理大臣から所信について発言を求められております。これを許します。内閣総理大臣岸信介君。   〔国務大臣岸信介登壇
  7. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 私は、去る二月四日、内閣総理大臣臨時代理としてこの壇上におきまして、石橋内閣施政方針を申し述べたのでありますが、当時病気静養中でありました石橋首相は、今回、その政治的信念に従われまして辞意表明されたのであります。その結果、はからずも、不肖私が、国会指名により、内閣総理大臣の重責をになうことになりました。(拍手)  私は、その責任の重かつ大なることを痛感するものであります。しかし、指名を受けました以上、私としては全力を尽してこの大任に当るかたい覚悟と決意を有するものであります。(拍手)  新内閣におきましては、石橋内閣施政方針を継承するものであります。ことに、昭和三十二年度予算案につきましては、政府は、これを引き継ぎ、責任をもってその実施に当りたいと考えております。(拍手)この予算案国民経済国民生活に重大な影響を持つものであることに思いをいたされ、引き続き審議を継続し、一日もすみやかに成立するよう御協力あらんことをお願いいたします。(拍手)  私は、また、石橋首相と同じく、何よりもまず国会運営正常化に寄与したいと存ずるのであります。(拍手)各党間においてできるだけ多く話し合いの場を作り、もって国会運営民主主義原則に従って円滑に行うことは、国会に対する国民の信頼を高めるゆえんでありまして、また、国民がひとしく期待するところであります。(拍手)  今や、わが国は、経済自立基盤を整え、また、国際連合に加入して、その国際的役割に重きを加え、ここに新日本を建設し、世界の平和に寄与する歴史的段階に立つに至ったのであります。今こそ、国民は、民族的団結を固め、自信と希望をもって立ち上るべきであります。(拍手)とりわけ、私は、わが国の将来をになう青年諸君が、真に国家建設の理想に燃え、純真な情熱を傾けてその使命を達成されるよう、切に奮起を望みたいのであります。(拍手)また、私は、国民の福祉と繁栄をはかるとともに、政治に清新はつらつとした機運を作り上げたいと思うものであります。(拍手)  私は、国民大衆理解納得の上に立つ政治こそ民主政治の正しい姿であると信じますがゆえに、常に国民大衆と相携えて民族の発展と世界平和への貢献を期したいと念願してやまないものであります。(拍手)  ここに、所信を申し述べて各位の御支援をお願いする次第であります。      ————◇—————
  8. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) この際暫時休憩いたします。    午後一時十四分休憩      ————◇—————    午後二時十二分開議
  9. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 休憩前に引き続き会議を開きます。      ————◇—————  国務大臣演説に対する質疑
  10. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) これより国務大臣演説に対する質疑に入ります。淺沼稻次郎君。   〔淺沼稻次郎登壇
  11. 淺沼稻次郎

    淺沼稻次郎君 私は、日本社会党を代表いたしまして岸内閣総理大臣に対し、その所信表明演説関連をいたしまして、わが国憲政運用に関し、その基本的な問題並びに外交方針に関しまして質問を行わんとするものであります。(拍手)  しかし、先ほど、岸内閣総理大臣から、総理大臣としての所信表明演説伺いましたが、その間四分であります。あまりに簡略であります。景色が全然出ておりません。岸総理大臣主導性が何ら現われておらないのであります。ちょうど総辞職せる石橋内閣に埋没をした形でありまして、はなはだ私は遺憾しごくに考えます。そこで、私は、質疑応答を通じまして、岸内閣性格を明らかにして参りたいと思うのであります。冒頭に申し上げますが、答弁のいかんによりましては再質問を許してもらいたいということを、あらかじめお願いしておきます。(拍手)  岸内閣石橋内閣を受けて成立したのであります。石橋内閣は昨年十二月成立したのでありまするが、石橋総理病気のために国会に出席することができず、岸外務大臣総理大臣臨時代理に任命されまして、国会運営並びに政務執行に当ってきたのであります。しかるに、病気予定通り回復を見ず、去る二十二日、医師団精密検査の結果、二カ月の静養を要するという診断の結果が出るに及び、石橋総理は、時の総理大臣臨時代理岸信介君並びに自由民主党幹事長三木武夫君に書簡を送り、その中で、「私は、新内閣の首班として、最も重要なる予算審議に一日も出席できないことが明らかになった以上、首相として進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従うほかはない。また、万一にも政局の不安が私の長期欠席のため生ずることがありましては、これ全く不本意とするところであります。私の総裁としてまた首相としての念願と決意は、自由民主党にありましては融和と派閥の解消であり、国会におきましては国会正常化であります。私の長期欠席がこの二大目的をかえって阻害することになりましては、私の耐え得るところではありません。どうか私の意のあるところをおくみ取り下さい」といって、その辞意表明されました。自己発言公約責任を持つ政治家として当然なことでありまするが、しかし、その態度はりっぱであります。(拍手)ある意味においては、辞職をもって国会正常化政党のあり方を説いたと言っても過言ではありません。  そこで、私は、まず石橋総理が身をもって警告した国会正常化、この問題に関連をいたしまして質問をしたいと存ずるものであります。(拍手)  また、このことは、岸総理大臣がその所信の中において明らかにしておるところであります。  第一は、政権移動ルールでございます。それは、国会運営正常化政権移動ルールの確立から始められなければなりません。(拍手岸総理所信表明演説におけるがごとく、民主政治の正しき姿は、国民大衆理解納得の上に行われなければなりません。しかるに、政権移動が、たらい回しというがごとき不明朗——国民納得と了解が得られなくして、国会運営にのみ協力を求めるということは非常な無理があるということを、私は申し上げなければなりません。(拍手政権移動は、総選挙を通じて、国民の意思によって行うことが当然であります。日本憲法主権在民の大原則は、日本国民が、みずから政治を行わんとして、みずから政府を作り上げるところにあります。そうして、その行為は、投票、選挙を通じ、議会を通じて行われるのであります。この原則は、朝野両党いずれも侵してはなりません。これを侵せば一党独裁を招来する結果になるのであります。しかるに、岸内閣は、昭和三十年二月総選挙のあと成立せる第二次鳩山内閣、第三次鳩山内閣石橋内閣岸内閣と、四たびの政変の結果生まれた内閣であります。その間、一昨年の十月十三日、日本社会党はその統一を完成いたしました。これに応ずるがごとく保守合同が行われ、自由民主党が生まれたのであります。三十年二月総選挙の際は、日本民主党は、鳩山総裁のもとに独自の政策を掲げ、自由党は、緒方総裁のもとに、これまた独自の政策を掲げて戦ったのであります。その後政権維持のために保守合同を行い、総選挙の結果を人為的に変えたのであります。(拍手政権は、日本民主党から自由民主党へと、そのよって立つ基盤が変更されたのであります。すなわち、衆議院を解散して信を国民に問うのはこのときであったと私は思うのであります。しかるに、政権日本民主党から自由民主党へとたらい回しをされ、民主主義ルールはじゅうりんされたのであります。第三次鳩山内閣の総辞職は、表面は鳩山総理病気のゆえをもって総裁引退と言っておりまするが、これは明らかに政策行き詰まりであります。すなわち、鳩山総裁政策行き詰まり自由民主党総裁としての統率力を失った結果といわなければなりません。(拍手)従って、二大政党現実にかんがみ、政権は当然社会党に引き渡し、社会党内閣選挙管理内閣として衆議院を解散し、政権移動を行うことが、政権移動ルールであるべきであったと思うのであります。(拍手)ところが、保守政権鳩山内閣から石橋内閣へとたらい回しをいたしました。しかし、石橋総理は、政権移動は総選挙を通じて行うという原則は認められ、総選挙は自分の精神的用意ができてからやると言明をされ、本年一月の初め、三木幹事長石田官房長官も、これに応ずるがごとく、解散近しと思わしめるがごとき談話を発表されました。その後、二月四日の本会議におけるわが党の鈴木委員長質問に対して当時の岸総理大臣臨時代理は、答えて、「私は政権移動は必ずしも総選挙をやらなければならないという原則に拘泥するものではありません」と、政権移動ルールを否定したような答弁を行なっておるのであります。これは重大なる問題でありまして、ここに岸総理大臣憲法軽視の姿が現われておると言っても過言ではないと思うのであります。(拍手選挙の結果を勝手に変え、政策が行き詰まっても、また、政府並びに与党に事故が起きても、一党の中において政権たらい回ししてやることは、一党の独裁べの道であります。また、三たび政権たらい回しというその基本の中には保守独裁の姿が現われておるということをわれわれは考えて、まことに憂慮にたえません。そこで、岸内閣総理大臣政権移動ルールについてどう考えておるか、お伺いをしたい。また、岸内閣は、石橋内閣閣僚はそのまま、予算案法律案はそのまま受け継いでおるのでありますが、これは明らかに政権たらい回し世論に対する煙幕を張った作戦であると言っても断じて過言ではないと思うのであります。(拍手)そこで、私は、あらためて信を国民に問うために衆議院を解散し、新たなる国会の構成、新たなる政権のもとに国会運営正常化を確立すべきであると考えますが、まずこの点についてお伺いをしたいと思うのであります。(拍手)  第二は、現実国会運営の問題であります。現実国会運営を円滑にするということは、朝野両党が共通広場を持つことであると思います。また、国会審議に対し政府干渉をしないということであります。共通広場とは何であるかといえば、朝野両党が日本憲法お互いに守るということであり、議会主義に徹することでなければならないと思うのであります。(拍手)もちろん、民主主義原則に従わなければならない。少数が多数の決定に従い、多数は少数意見を尊重するということが民主主義原則である。この民主主義原則は尊重されなければなりません。しかるに、従来の国会運営混乱はどこからきておるかと申し上げますならば、これはお互い反省をしなければならぬ点でありまするが、第二十四国会におけるがごとく、憲法改正とか小選挙区制といったような国の基本法、国の組織法議会制度の根本に触れた法案を、反対党理解なくして多数の力をもって押しつけようとしたところに問題があるということを指摘しなければなりません。(拍手)多数の力で、共通広場わが国憲政運用基本を変えようとしたところに問題があったと思うのであります。また、国会における混乱原因の多くは、多数の力をもって強引に少数意見を押えて議会運営をしようとしたところにあったことも指摘しなければなりません。(拍手)しかも、私がここで声を大にして申し上げておかなければならぬことは、昨年、二十四国会において、参議院警官が導入をされました。参議院の本会議は、警察官がその周囲を包囲して、議場にも警官を動員いたしまして、権力を背景に議決が行われたのであります。これはもはや議会政治の姿ではありません。これは、権力政治であり、フアッショへの移行であると言っても、断じて過言ではないのであります。(拍手)これらの点について、お互いは大いに反省をされなければならぬと思うのであります。しかも、私は、あえて議会混乱原因与党のみに負わせようとは考えておりません。われわれも反省すべきものは反省をして参らなければならぬと思うのであります。しかし、国会運営責任は、議長を持ち、運営委員長を持ち、多数の議員を持つ与党それ自体に大きな責任があるということは、看過してはならないと思うのであります。(拍手)そこで、岸総理国会運営についていかなる考えを具体的に持っておるか。すなわち、国会運営正常化と言っておるのでありまするが、民主主義原則に従いまして、そうして、国会運営をどういう工合にやったら一番いいのであるかということを、よく私はこの会議を通じてその態度を明らかにしていただきたいと思うのであります。  第三に、第二の質問関連をいたしましてお伺いしたいのは、日本国憲法に関する岸総理考え方であります。日本国憲法は、わが国基本法であり、組織法であります。わが国国家活動の源泉であります。朝にあると野にあるとを問わず、憲法を守るという立場で、わが国憲政運用をして参らなければならぬと思うのであります。憲法第九十九条には、「天皇または摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護しなければならない」と明確に規定をしております。ところが、岸総理は、在野時代には、憲法改正の急先鋒でありました。すなわち、かつての自由党憲法調査会長、さらに第二十三国会には、鳩山内閣に、与党幹事長として三大公約一つとして憲法改正公約せしめ、第二十四国会には、憲法調査会法案、小選挙法案等、これが通過のために、与党幹事長としてその陣頭に立って戦われたのであります。しかしながら、選挙法案世論の前に審議未了となり、また、昨年の参議院選挙の結果は、社会党中心とする革新勢力参議院において三分の一を占め、現に衆議院においてはわれわれの勢力は三分の一を持っておるのでありますから、憲法改正は事実上不可能になったのであります。そこで、私は、岸総理大臣が、憲法重大性思いを寄せられ、憲法改正の意図を中止し、憲法条章に基き憲法を守る立場をとられ、憲法調査会のごときは廃止をすべきだと思うのでありまするが、これに対する所見を伺っておきたいと思うのであります。(拍手)また、憲法の重大なる条章一つに、政府国民責任を負うということを明確にしております。また、政党並びに政治家にとって最も必要なことは、その発言、声明、行動公約について責任をとることであります。また、内閣国民に対して責任を忘れるような結果になりまするならば、民主主義原則は崩壊するという結果を招来いたします。今、私は、この席上で岸総理大臣戦争責任を追及しょうとはいたしません。しかしながら、国民大衆の中に、また政府与党の内部でさえも、岸総理は、東条内閣閣僚であり、大東亜戦争宣戦布告署名者であり、官僚統制実践者として中小企業者からその企業を収奪して大資本に奉仕した者である、こういう考え国民の中には相当浸透しております。(拍手)加えて、戦後、憲法改正、再軍備の主張を持ってその先頭に立たれておりましたから、岸内閣の出現はわが国に力の政治を再来するのではなかろうかという心配を持っておるのであります。従いまして、私は、この民主主義への危険に対する国民の危惧を岸総理大臣はいかように弁明されるか、ここにおいて伺っておきたいと存ずるものであります。(拍手)すなわち、内閣責任制政治家としての自己信念自己行動公約、これに対していかなる信念を持っておるか、お伺いをしたいと存ずるものであります。  第四にお伺いしたいのは、岸内閣性格であります。岸内閣は、石橋内閣の跡を受けてでき上った内閣でありまするが、閣僚は新たに石井光次郎君を加えただけであります。全部閣僚は居残り、予算案及び法律案はそのまま引き継ぐのだといっておるのであります。すなわち、石橋内閣遺産を引き継ぐ石橋遺産内閣とも称すべきものであると私は思うのであります。岸さんは、総理大臣になられましたけれども、自由民主党総裁ではございません。一時といえども、総理総裁分離の形が現われたのであります。鳩山第三次内閣の来期に、岸さんは総理総裁分離ということを言われたことがございます。しかしながら、政党政治考えなければならぬことは、言うまでもなく、政党政治責任政治であり、責任政治には政党主管者がだれであるかということが一番大切な問題であると私は思うのであります。(拍手)これを不明確にしておることは、政党政治の将来のために一つの汚点を残すものであると言っても過言ではございません。そこで、私は、完全なる政党内閣として整備を終るのはいつであるかということを伺っておきたいと思うのであります。  次に、昭和二十九年十二月第一次鳩山内閣ができて以来現在に至るまでの政変考えてみまするならば、すべて暫定政権であります。すなわち、吉田内閣の跡を受けてでき上った鳩山第一次政権は、選挙をやるまでの暫定政権であります。しかも、その次にできた第二次鳩山内閣は、百八十五名の少数をもって政権を作ったのでありましてこれまた過半数を持たざる暫定政権であったのであります。自由民主党ができ上りましても、総裁がきまるまで、さらに加えて、日ソ交渉成立をするまでの暫定政権であったと思うのであります。石橋内閣の手によって、あるいは長く続くのではなかろうかと存じたのでありますが、中道において石橋総理が倒れて、これまた暫定政権に終らざるを得ませんでした。今、岸さんの総理大臣としての演説伺いますと、岸内閣も、結果においては、予算案成立するまでの暫定政権ということに私はなろうかと存ずるのであります。これは非常に問題でありまして、保守政党側において大いに責任を持たなければならぬと思うのであります。すなわち、二年三カ月の間に保守政党間において五回も政変が行われるということは、保守政党それ自体動揺の姿をよく現わしておるものと言っても過言ではないと私は思うのであります。(拍手)しかし、岸内閣は、自由民主党政権といい、石橋内閣延長内閣といっておりまするが、岸総理自由民主党総裁を兼務しておるわけでありませんから、完全なる自由民主党内閣とは言えないと思うのであります。しかも、岸、石橋両氏は、ともに総裁を争ったのであり、しかも、政見必ずしも一致をしておりません。外交政策のごときは二重外交が指摘されておりまして、さきの石橋内閣は、自由民主党政権であるといっても、党内の支持勢力の関係からいって、一つ勢力から他の勢力へ移ったのであり、明らかに政権移動であり、岸内閣成立によって、この勢力はまた再び変らんとしておるのであって、この実際から申し上げまするならば、形は同じであるけれども、実体は変った政権であるということを、私はいわなければならぬと思うのであります。(拍手)  総理大臣がかわれば、同じ政党政策が変らなくても、総理大臣考え方、判断によって重点の置きどころ、序列、実行の方法が異なることは当然であると私は思うのであります。従って、岸総理は、当然、岸構想を発表し、石橋内閣によって提出された予算案はこれを一度撤回をして、岸構想によりまするところの予算大綱を示し、それに基いて施政方針演説をやり、また、われわれが、われわれの政策を掲げて質疑応答をして、ここで与党反対党立場を明らかにして議会を解散して国民世論に問うのが岸内閣のとるべき任務であったと思うのでありますが、この任務をとらざるところはどこにあったかということを、私はお聞きしたいのであります。  そこで、この際、私は、岸総理大臣は、石橋内閣の提出をいたしましたところの予算案を撤回いたしまして、そして、新たに岸構想によるところの、いな、岸総理大臣主導性を持った予算案を出して国民に問うという考えはないか、 この際あらためてお伺いをしておきたいと思うのであります。(拍手)ことに、議会慣例から申し上げましても、従来の慣例において、予算審議中に内閣がかわった場合においては、一たん出した予算案を撤回いたしまして出し直しをしておるというのが慣例でもあると私どもは心得ておるのであります。  さらに、第五点として、最後にお伺いをしたいことは、外交方針に関する総理大臣考え方構想であります。岸総理は、総理大臣就任後の記者会見において、アメリカに行きたいと言明をされております。石橋内閣外務大臣としては、アジアアフリカの地域を訪問したいと言い、今また、総理大臣になったから、石橋さんがやらんとしておりましたアメリカに行くということも、私は当然であろうと思うので。ありますが、何の目的をもって、いっ行かれるか、これを明らかにせられたいと思うのであります。  私は最近の国際状況の中に見るのでありますが、自由主義国家群責任者がそれぞれワシントンをたずねております。また、共産主義国家群代表者がそれぞれモスクワをたずねております。ちょうど、徳川時代における、江戸を中心とした参観交代国際的分野において行われるような気がするのであります。(拍手)もし何らの目的を持たず日本総理大臣アメリカを訪問することは、一種の私は屈辱であろうと存ずるのであります。(拍手発言する者多し)国民がこれを許しません。日本外交は、日ソ交渉成立国際連合への加盟承認、さらにポーランド、チェコとの国交回復等、われらの主張してきた通り全面講和へと進みつつあるのであります。かくて、日本は東四両陣営にまたがって生存することになったのであります。わが国外交は、中国との国交回復アジアアフリカ諸国との提携強化とともに、東西両陣営へかけ橋をやるべき段階にきておろうと思うのであります。(拍手)そこで、私は、そういうような情勢の中に、お互い日本人はいま一度あらためて日本独立の姿をながめてみる必要があろうと思うのであります。  先ほど、岸総理民族団結を説きました。その民族団結を説いた岸総理に、一日本人として、もう一ぺん祖国日本の姿をながめていただきたいと私は思うのであります。(拍手)  日本独立は、砂川におけるがごとく、アメリカ基地拡大のために日本人同士が血を流さなければならぬという矛盾を含んだ独立であります。群馬の相馬ケ原の事件におけるがごとく、アメリカ兵のために農婦が射殺されるという矛盾を含んだ独立であります。特に第二次鳩山内閣閣僚は経験をしておるはずでありますが、防衛分担金制度によって、日本との交渉成立をしなければ日本予算は組めないということになっておる。鳩山内閣防衛分担金の減額を行なったが、その要求では、相手方から倍額の防衛費拡大を要求され、飛行場の五つの拡大を要求されておるのであります。(拍手)明らかに防衛分担金制度の中にはアメリカ日本干渉の余地を残しておるということを知らなければなりません。(拍手)すなわち、その結果、今や日本の現状を考えてみまするならば、軍事基地の拡張も、日本の自衛隊も、全くアメリカの原水爆新戦略体制の一環に入れられて、これに即応せしめられ、一歩誤まれば、アメリカの防衛戦略のために、日本国民全体はその最前線の役割を果すような危険にさらされておるのであります。(拍手)この問題は深刻に考えなければなりません。すなわち、これはどこからくるかと申し上げまするならば、日米安全保障条約、行政協定というような不平等条約からきておることを知らなければなりません。  さらに、日本国民は沖繩に目を向ける必要があろうと思うのであります。沖繩は、平和条約第三条に基き、アメリカの信託統治になることになっておるのでありまするが、現在アメリカの軍政下にあるのであります。しかも、その大半はアメリカの軍事基地化せんとし、しかも、アメリカは、その借地料を一括払いによって永久に使用権を確立せんとしておるのであります。八十万民族は、われわれの同胞は、他民族の軍政下にあるということを忘れてはなりません。(拍手)この沖繩を解放し、さらに加えで不平等条約の改正をやることが、現在日本外交に与えられた大きな使命なりと私は断ぜざるを得ないのであります。しかも、十二月末、沖繩人民党の瀬長亀次郎君が沖繩市長に当選をしました。しかるに、アメリカ側において五一%の株を持っておる琉球銀行は、那覇市の預金を凍結して、那覇市の事業を不能に陥れておるので為ります。この財政的圧迫を加え、また、最近は人民党を非合法化して、地下に追いやろうとしております。また、過日瀬長市長がこの実情を日本に訴えんとしたときに、アメリカ軍においては、この渡航を禁止しておるのであります。しかも、われわれが知らなければならぬことは、選挙によって当然なる手続を踏んだものに対して、かくのごとき圧迫が民主主義の名において行われておるという事実を、われわれは知らなければなりません。(拍手)  しかも、東京は日本の首都でありますが、この東京都下にある小笠原諸島、硫黄島もアメリカの占領下にあるのであります。たしか一昨年と思いますが、米系日本人は帰ることができました。しかし、純粋日本人は帰ることはできないのであります。沖繩、小笠原、硫黄島、千島も日本固有の領土であり、これらの領土を日本に引き入れるために闘うことが、私は当然政府に与えられたる任務であろうと思うのであります。  また、次善の策として考えられることは、アメリカとの交渉において。沖繩における施政権の回復、さらに、小笠原におきましては、日本人の帰島ということが具体的に考えられてしかるべしと思うのでありますが、これに対する政府考え方を伺っておきたいと思うのであります。(拍手)  しかも、これらの問題は、先ほど申し上げました通り、対日平和条約の矛盾、日米安全保障条約、行政協定、MSA援助協定といったような不平等条約が災いをしておるのであります。従って、現在の段階においては、これら不平等条約に対しては再検討を加え、また、これを改廃に持っていくことが、政府外交の行き方ではないかと私は考えるのであります。ここで、政府岸総理大臣日本人的な答弁を私は要求したいと存ずるのであります。(拍手)  さらに、いま一点伺いたいのは、日本外交の路線であります。従来日本外交の失敗はどこにあったかと申し上げまするならば、明治の年代においては、遠くイギリスと結んで、イギリスの先兵的役割を東洋においては勤め、大東亜戦争中、いな、第二次世界戦争中においては、遠く西欧のドイツ、イタリアと結んで、そうして軍事同盟を結ぶことによって、近きアジアに帝国主義的発展を行わんとしたところに、日本外交の失敗があろうと私は思うのであります。(拍手)加えて、今また、日本保守政権は、遠きアメリカと結ぶことにまって、アメリカアジア侵略の媒介体の役割をやっておるということは、これは私はいなむことのできない事実であろうと思うのであります。(拍手)今や、日本外交路線というものは、アメリカに対するわれわれの屈辱的な立場を修正しつつある。中共の承認、加えて、東南アジア諸国、アジアアフリカ諸国との間において提携を強化することが、新たなる日本外交路線でなければならぬと私は思うのでありまするが、これに対しまするところの岸総理大臣のお考えを承わりたいと思うのであります。(拍手)  これで私の一段の質問は終りまするが、答弁のいかんによっては、重ねて申し上げるようでありますが、もう一へん壇上に上るということだけは御了承願いたいと思います。あるいは二度になるかもしれません。(拍手)   〔国務大臣岸信介登壇
  12. 岸信介

    国務大臣岸信介君) お答えをいたします。  第一点は、政権移動ルールに関する御質問考えます。私は、一つ内閣が辞任して、あとの内閣ができた場合におきまして、そのときの実質的な意義を十分に考えなければならぬ、ただ形式的に、そういう場合には、いつでも総選挙に問うてやれということは、あまりにも形式にとらわれ、実情に即さないものである、(拍手)今回の場合のごとく、単に石橋首相病気のゆえをもちまして、しかも、その次の首相指名された者が石橋内閣閣僚であるというような場合におきまして、私は総選挙をして民意に問うということは適当でないと、かように考えております。(拍手)  国会運営正常化の問題につきましては、私がかつて自由民主党の幹事長をいたしておりました当時、御質問されました淺沼君ともずいぶん話し合って、国会運営正常化しようと努力をいたしてきたことは、よく御承知の通りであります。私は、今日二木政党の対立しておる状況のもとにおきましては、与野党とも責任をもって国会運営正常化に当らなければならぬと思います。そうして、両党とも、民主主義政治を守るという見地を同じくして、これを認識し合って、話し合いをしていくことが最も大事であると、かように考えます。(拍手)  憲法に対する私の考えをお聞きになりましたが、私は個人として憲法改正論を抱いております。しかし、憲法が国の大本であり、これを改正するということは非常に重大な問題であることは、御指摘の通りであります。二十四国会におきまして、憲法調査会を設けて、憲法関連するあらゆる問題を検討して憲法に対する国論を定めていこうという趣旨のもとに、国会におきまして憲法調査会法というものが成立したことは御承知の通りでありまして、私は、やはり、この法律——国会の意思に従って、この憲法調査会を組織し、動かして参りたい、その本来の目的を達するようにしたい、かように考えております。(拍手)  第四に、戦時中における私の責任について言及をされました。私は、この前も国会におきまして、臨時代理として申し上げましたように、当時のことにつきましては十分反省をいたし、今日におきましては、民主主義政治家として、国民大衆とともに日本の建設に当りたい念願で一ぱいであります。(拍手)  第五に、岸内閣性格について御質問でありましたが、私は所信の中で明らかにしておりますごとく、岸内閣施政方針は、石橋内閣施政方針を継承するものであり、従って、この意味におきましては、あるいは岸内閣石橋内閣の延長と申しても差しつかえなかろう、かように考えております。(拍手)  予算案の撤回につきましては、御議論もありましたが、私どもは、十分法律及び先例を調べまして、撤回する意思は持ちません。  第七に、外交問題についての御質問でありましたが、私がアメリカをたずねるということを記者会見で申したことについてお話がありました。私は、今日の国際情勢から見ますると、あるいは日本立場から言えば、東南アジアや、あるいは西欧諸国、あるいは国交が回復した後におきましてはソビエト等との間におきましても、できるだけ、責任のある政治家が、時間の許す限り、また向うの都合のつく限り、これを互いに訪問し合うということは必要である、かような見地に立っております。(拍手)いつ訪米するかということは、まだきまっておりませんし、目的といたしましては、今、淺沼君は、いかにもここに参観交代するような意味ではないかというようなお話でありましたが、私は絶対にそういう考えではありません。あくまでも自主独立立場において——日米間に、いろいろと御指摘になりました諸問題があることは、私もよく承知しております。こういうような懸案を解決し、再調整するという必要に基いて、私は訪米いたしたいと考えております。(拍手
  13. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 淺沼君から再質疑の申し出がありますから、これを許します。淺沼稻次郎君。   〔淺沼稻次郎登壇
  14. 淺沼稻次郎

    淺沼稻次郎君 ただいま岸総理大臣答弁を伺ったのでありますが、まだ私の質問に対して完全なる答弁といえない点があります。この点を私はもう一度明白にしていただき、これが明白にならなければ、もう一ぺんだけ再登壇を私は許していただきたいと思うのであります。  第一には解散の問題でありまするが、解散は、私どもは、この際、岸内閣というものは、新しい構想の上に、岸構想を加えて予算大綱を出して、そうして、ここで朝野両党論議を尽した結果、その相違点を明らかにして解散をすべきではないかということを伺ったのでありまして、この点を明白にしていただきたいと思うのであります。  さらに第二点は、日本外交路線の変更について何ら言及をしておりません。参勤交代のつもりで行くのではないと、こういっておりますが、国民にその目的を明白にしていくということにならなければ、国民は迷わざるを得ないのであります。従って、行くとならば、いかなる目的をもって、かくのごとく自主独立立場は表現されておるのだということを、総理大臣は少くとも明らかにしなければなりません。(拍手)この点を私はお聞きしなければならぬと思うのであります。  さらに、石橋内閣そのものを引き継ぐのだと言われましたが、この所信演説の中に石橋内閣と異なるものがございます。それは何であるかと言えば、岸総理の説かれましたものの中に、民族の団結ということを説いております。(「当りまえだ」と呼び(その他発言する者多し)これは、当りまえといっても、石橋内閣方針にはなかったことであります。戦時中の閣僚でありました岸総理民族の団結を説くということは、何だかその言葉の中に戦時的においがするということを指摘しなければなりません。(拍手)先ほども私が申し上げましたが、日本民族は、団結せんとしても、不平等条約のために民族が団結することができない実情にあるということを知ってもらわなければなりません。(拍手)すなわち、岸総理は、この民族の団結を説く前に、日本民族の置かれておる不平等性をいかにして撤去するかということを言わなければならぬはずであります。(拍手)こう思うのでありまして、その点について私はお伺いをしておきたいと思うのであります。  さらに、この所信表明の最後のところに、「私は国民大衆理解納得の上に立つ政治こそ民主政治の正しい姿である」と言っております。これは、裏を返せば、世論の上に立つ政治をやるということであろうと私は思うのであります。そこで、今、岸内閣に対する世論はどこにあるかということを、岸総理大臣は明確に察知しなければならないはずだと思うのであります。どの新聞も、その社説において論議しておるのは、ほんとうなら、岸総理はまず総裁になり、総裁から総理になり、自己の色を出して議会を解散するのが当然であるが、それは第二の問題として、まず当面なさなければならない仕事は予算を通すことであるといっておるのであります。しかも、第二には、予算が通ったら解散をしろといっておるのであります。すなわち、このことは、まさに天下の世論であるといっても過言でありません。(拍手)従って、世論政治に従うというなら、予算が通ったら解散の意思があるかどうかということを、私はここで明確にしておいていただきたいと思うのであります。(拍手政治は口頭禅ではありません。身をもって自分に与えられたものに率直な回答を与え、行動もまたこれに沿って参らなければならぬと思うのであります。  以上の点につきまして御答弁を求めて、都合によってはもう一ぺん立ちまするが、御了承を願います。(拍手)   〔国務大臣岸信介登壇
  15. 岸信介

    国務大臣岸信介君) 重ねてお答えを申し上げます。  解散についての御質問でありますが、私は、先ほど申し上げました理由によりまして、今日解散する意思は持っておりません。また、予算につきましては、私が所信の中に明らかにしておるように、われわれは、これを引き継いで、これを実施したい方針でおります。従って、成立したら解散するというような考えを持っておりません。(拍手)  外交路線の問題につきましては、自主独立立場から、わが国の主張をあくまでも実現していくというのが外交基本であることは言うを待ちませんが、同時に、私がしばしば申し上げました通り、われわれは、自由を愛好する国々と手を握って、そして世界平和を作り上げるというのが日本の大きな外交の路線であると、私は信じております。この意味におきまして、あるいは、われわれが、アジアにおける諸国と、さらに緊密なる提携によって、その自由とその独立を完成することに協力することは、当然であると考えております。(拍手)  民族団結の問題につきましても、今私が申し上げましたように、あくまでも日本の自由と自主独立立場を堅持して、これを実現する上において支障となるものはこれを是正していくということがこの際必要である、かように思っております。(拍手
  16. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) これにて国務大臣演説に対する質疑は終了いたしました。      ————◇—————
  17. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) この際暫時休憩いたします。    午後二時五十九分休憩      ————◇—————   〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕      ————◇—————  出席国務大臣     内閣総理大臣     外務大臣        岸  信介君     法務大臣        中村 梅吉君     大蔵大臣        池田 勇人君     文部大臣        灘尾 弘吉君     厚生大臣        神田  博君     農林大臣        井出一太郎君     通商産業大臣      水田三喜男君     運輸大臣        宮澤 胤勇君     労働大臣        松浦周太郎君     建設大臣        南條 徳男君     国務大臣        石井光次郎君     国務大臣        宇田 耕一君     国務大臣       大久保留次郎君     国務大臣        川村 松助君     国務大臣        小滝  彬君     国務大臣        田中伊三次君  出席政府委員     内閣官房長官      石田 博英君     法制局長官       林  修三君      ————◇—————