○田中(織)
委員 委員長初め各
委員の諸君並びに
法務大臣等に、午前中から引き続いて長いこと
委員会が開かれておるので、はなただ恐縮なのですが、事人権問題に関連して、ことに最高裁の判決が近ついている
関係がありますので、ぜひこの
委員会で
法務大臣並びに
刑事局長、
人権擁護局長等に御答弁を煩わしたいと思います。
その問題は、やはり人権問題の一瞬重要な問題になっておる部落問題でございます。未解放部落に対する差別問題に端を発した問題でありますが、ただいま問題になりました栃木県のヤマイモ
事件とは対照的なんですが、実は、栃木県において、ヤマイモ
事件は警察並びに検察庁が非常に厳重にやったために人命を失うということまでなったわけでありますが、これは足利市で起こった問題でありますけれども、女浅間山の美人少女毒死
事件ということで新聞等にも出た
事件であります。矢菅妙子という部落の娘さんが、恋愛
関係にあって結婚を求められておった男に数日間監禁をせられておって、そのあと実は女浅間山で毒死体になって現われたという
事件なんです。この問題については足利警察並びに検察庁にこの問題を告発をいたしました。ところが、その女の子の相手方が一度も取り調べられないままに、検察庁も取り上げない。そして検察
審議会の問題になった問題でもありますので、この点は足利警察並びに検察庁の
関係から次回にでも報告を願いたいと思うのですけれども、この問題は、毒死体となって発見をされる直前に、毒殺したかあるいは自殺幇助であるかは問題ですけれども、相手の男の母親がその遺体のそばにおったということを目撃しておることも明白なのであります。ところが、警察及び検察庁の方では、一応
関係者と目される相手の青年を一度も警察及び検察庁に喚問する等の事実がなくて、現在も行方不明になっておる。ところが、われわれの解放同盟の
調査によりますると、ことしの一月には足利市に姿を現わしておるんであるけれども、警察が取り調べてもいないという
関係なんです。この相手の死んだ子はたまた衣部落の出身の女の子であるからということで、そういうえこひいきな
取扱いをいたしておるとは私は思わないのでありますけれども、少くとも、一人の人命に関する問題で、そういう片一方ではその数日前に結婚を求めてその女の子を自分の家に閉じ込めておったというような事実
関係までが明白になっておるのに、当の相手の青年を、
関係者の話によると警察の了解のもとに逃がしておるんだ、こういうようなことすら言われておるのです。この問題は足利警察並びに検察庁及び検察
審議会で相当期間にわたって調べた問題でありますから、私は一応あなた方の
立場から調べた経過を報告していただきたいと思います。そういうのがあるかと思うと、今
山田委員等から指摘したような問題があるというような形で、これはやっぱり栃木県警察の扱い方にしても一貫性を欠くと私は思うのです。その意味から見て、これは重大な人権問題でありますから、お調べを願って、報告を願いたいと思のです。
私が特に
法務大臣等にこれから伺おうという問題は、広島県の福山市に起りました問題で、一口に言えば、部落の青年が、部落外の一般の娘さんと、部落民であるということを隠して結婚した。結婚するために見合いからすぐとんとんと話が進んだ形になっておるのでおりますが、それが結婚誘拐罪で、同時に三日間同棲しておるわけなんでありますが、それにもかかわらず、それは三日間は不法監禁であるということで、一審は、福山の裁判所で、和田利明という結婚の相手の男が懲役一年、それから、それの仲人をしました高田久夫夫婦が結婚誘拐の幇助罪でそれぞれ懲役一年、高田久夫の奥さんは執行猶予になっておるのであります。判決は、結婚誘拐だけが有罪で、不法監禁は無罪となっておりますが、広島の高裁ではこれが控訴棄却になって、現在上告審にかかっておるわけでありますが、近く判決が下るわけであります。この問題については、これはずっと前の
事件でありまして、昭和二十九年の九月の二十六日に起った問題でございます。昭和三十年の十一月の二十四日の二十一回
国会で、参議院の
法務委員会において社会党の吉田法晴
委員がこの問題を取り上げまして、当時の
人権擁護局長の戸田さんと、今おいでになる
刑事局長の
井本さんから、それぞれ答弁があった問題でありますが、そのときにも、まだ事情かよくわかりませんので取調べを進めてみようということを、
刑事局長並びに当時の
人権擁護局長は答弁されておるのであります。その後の
調査も遊んでおるかと思うのでありますが、それにもかかわらず、事態は実は進行いたしまして、現在上告審にかかっておる問題であります。たまたま、私、現在部落解放全国同盟の書記長をいたしておりまする
関係から、この
事件を同盟の
立場で
考えると、部落民であるということを相手に告げず、あるいは部落民が一般の部落外の人たちとの結婚が困難であるからということで、その事情を隠して結婚するということが結婚誘拐罪で罪になるのだというようなことでは、これは、全国に六千部落、三百万の未解放部落の人たちが現在生活をしておるわけなんでございますが、非常にゆゆしい問題だと思うのであります。その意味で、私は、この点について、裁判にかかっておる問題でありまするから、裁判所の決定についてはとやかく言いません。上告審においてもわれわれは争うつもりでございますけれども、問題は、この
事件の
捜査の過程において、私は重大な差別がひそんでおると思うのです。
一つの問題は、起訴状にこういうようになっているのです。「
被告人和田利明はかねてから芦品郡服部村大字服部本郷一〇六番地高橋早子(当二〇才)に対し私かに思を寄せて居たが
被告人方が、同郷近田村字昭和にあるため俗に昭利部落と世人よりひそかに蔑称せられ一般社会との交際疎遠である所謂特殊部落内の一家であるとの観念のもとに尋常の手段
方法では倒底同女との結婚は至難であると思念し之が方策に苦慮して居ったが偶々同部落高田清子か前記、早子と以前懇意であったことを知り之を寄貨に右清子及同女の夫、久夫等と計り虚言を用いて前記早子を自宅に伴い以って結婚を強要するに如くはなしと思考しここに
被告人和田利明同高田久夫同高田清子の三名は共謀の上昭和二十九年九月二十六日右高田清子に於いて前記服部村に赴き」この早子を連れてきた、こういうようになっておるのであります。ところが、これに基いて、結局、第一の事実に対しては、営利誘拐、刑法二百二十五条、第二の事実に対しては、不法監禁で二百二十条の罪名のもとに起訴いたしたのでありますが、それからあとで、
検事の方から、実はこの控訴事実第一中、「
被告人方が」以下「観念のもとに」迄削除し、「方策」を「求婚」に改め、「同部落」を削除する、こういうように起訴状の訂正をいたしております。しかし、いかにその起訴状を訂.正いたしましても、私は、やはり、この
事件につきましては、検察当局が明らかにいわゆる昔の特殊部落民というものは心常の手段では結婚できないのだからということをきめてかかっていること自体が、これはきわめて憲法第十四条の精神からいたしまして今日の民主主義のもとにおいては許されないことだと思うのであります。この点については、裁判の上では、明らかにいわゆる裁判官に予断を与えるものだとして、弁護人たちで抗告をいたしましたが、裁判所の方ではその抗告は却下いたしております。しかし、これは、起訴状にたとい訂正しようとも一たん載せた事実でありますから、私はまがうことない事実であろうと思うのであります。
それから、この
事件についてその後取り調べられておりまする
関係もありましょうから、私がこの
事件について問題をあらかじめ全部あげてみますから、それについて、逐次お答えなり、まだ
調査ができていなければ次回にも一つ取り調べた結果を報告順いたいと思うのでありますが、この
事件で重要な点は、やはり告訴の問題が出ております。ところが、後に至って、高橋早子という女の子のお父さんから、和解が成立したということで、結婚はしないという約束で話がついたということで実は告訴を二取り下げておるのであります。公判の調書の
関係からは、その告訴取り下げのときの調書も出ております。ところが、不可解なことに、その告訴状の日付が警察の方で
便宜的に、口頭で告訴が出たときの日付にスタンプの口付をくるくる回し、さかのぼって判を押したということを、井上という取調べの警察官が公判の法廷で述べておるのです。これいは、その告訴の日付が
事件にどういう
関係を持つかということも
法律的には問題であろうと思いまするけれども、一つはそういう問題がございます。それから、奇怪なことに、この点は先ほどから
検事等の取調べについてのことが問題になっておるのでありますけれども、この
事件は裁判の過程で裁判長からも質問しているのですけれ、ども、
関係者の取調べに当ったのは石井という検察
事務官なんです。調書はそれぞれ内山
検事以下五、六名の
検事の名前が出ております。それで、一つの
事件にどうしてこういうように
検察官がくるくる変ったかということを一審の法廷では裁判官から石井という検察専務官に尋問されているような事情なんです。ところが、石井という検察
事務官がきわめて偏見を持っておったということが、やはり
関係者の供述の中から現われておるのです。たまたま、仲人した高田久夫の奥さんの清子さんというのは、部落外の人なんです。それで、高田清子に対して、君が結婚するときもおやじから無理やり強姦同様でやられたんだろうということで、こういうことを、取調べに当って石井検察
事務官が言っているということです。それから、これは
本人たちの供述書のいわゆる
証拠力の問題になるのでありますけれども、ここに一審の第十一回の公判記録を持ってきておるのでありますが、警察の調書、検察庁の調書というものは、一貫して、やはり部落民がそういう身分を隠さなければ結婚できないのだから、無理やりに、やったという一つの前提の上にすべての調書ができておるということが一つです。しかも、
本人たちに読み聞かせをして捺印をしたという形にはなっていますけれども、
本人たちは、その石井という検察
事務官が、取調べに当って、事実は違う、こういうことを言っても、全然それを取り上げずに、訂正もしておらないし、それから、検察
事務官は
検事が聞いて、おることを記録をとるのが検察
事務官の職務だと私は思うのでありますけれども、この公判の進行過程に出て参りました
関係におきましては、石井
事務官が自分で尋問をして、あとででき上った訓告にただ
検事の署名をもらっている、こういうような痕跡が裁判所の記録の
関係の中から実は明白に出ておるのであります。それから、問題は、当初は不法監禁ということであったのでありますが、その後検察庁、特に石井検察
事務官の見解に基いて警察の方が告訴状を出させたということを、井上という担当の警察官がやはり公判廷で述べています。これは、「どうしてそれを二十九日にスタンプを押したのか、証人は承知しているか」といって証言を求めたことでありますが、「その後何かの用事で検察庁に来たとき、石井さんに誘拐になると思うかと相談してその折にそれはなると云うことで告訴状を出させてくれというので私が告訴状を受けたのです。日は九月二十九日に口頭で告訴しているので、当吟は不法監禁と云うことで告訴を受けたので誘拐の事実の方は頭が廻らなかったが、その後そう云う事実が出たので別にどうということなしに軽い気持ちで最初口頭告訴を受けた二十九日にしたらよいだろうと思って二十九日にした様な訳です。」、告訴状の受付のスタンプの日付は、これは十月の何日かのことに入ってからのことでありますけれども、くるくる回してスタンプを変えた。その点が、「警察の受付のスタンプは誰が押したのか」、「私ではありません」、「あれを押すのは受付が押すのか」、「はい受付です」、「署の窓口の受付か」、「いや司法室の受付です」、「誰が押したのか」、「そいつを記憶していないのです」、「スタンプは日をぐるぐる廻す様になっているか特に日を戻して押したのか」、「それですが自分はスタンプを押していないがおそらく返して押したのでしょう自分は判らんです」、こういうことで、警察、検察庁の段階において、この問題はやはり、部落民が自分が部落民だということがわかったのでは一般の娘さんと結婚できない、現在そういう偏見がまだ残っていることは、これは事実です。事実ですけれども、少くとも新憲法のもとにおきましては——これは例の高松
事件、これもやはり部落民であるということを告げなかったことはいけないということで、結婚詐欺罪で有罪の判決が下った
事件でありますけれども、われわれ、全国水平社当時に、この問題は中央の請願闘争にまで発展しまして、ついに無罪の判決をもらった。俗に高松
事件と言われておりますけれども、今日部落民であるという身分を明らかにしなければならないという義務は私は何らないと思うのであります。それにもかかわらず、これは近くのことで、通常そういうように言われて今日なお蔑視観念が一般にあることはあります。だからといって、この事態については、女の子もどういう事情であったか、その点はよくわかりませんけれども、見合いをした晩から一緒に泊って三日間にわたって夫婦
関係を結んでおるのです。ことに、女の子のにいさんというのは警察官で、その翌日から、妹が前の晩にいなくなって、たまたま近田の和田のうちにおるということで、もよりの警察に勤務しておったのを、退庁時に引き揚げてきてから、自分の父その他と、妹に、結婚の話は一たん帰ってから内輪でよく相談してからきめようじゃないかということで、警察官のにいさんがお父さんたちと一緒に和田のうちへいわばかけ合いに行っているのです。ところが、その晩は、当事者同士で話もあるからということで自分は帰った、その翌日も行ったのだけれども、話がうまくいかなかった、こういうような事情を法廷では述べております。述べておりますけれども、その点については、ある意味から見れば、翌日には——女の子のうちは男のうちよりは貧乏なんです。そういう意味で、洋服だとかあるいはたんすだとか、そういう一応結婚に要る世帯の道具等も二人で倉敷まで出かけて買ったいとう事実もあるわけなんです。
そういうような問題が、今日実は有罪の判決が下って、最高裁にかかっておるというような
実情なんですけれども、問題は、これは裁判の結果によらなければなりませんし、裁判所の判断についてとやかくは申しません。申しませんけれども、少くともこの一審の裁判所に現われた記録の上から見ますると、私はやはり、検察庁がこの
事件を起訴するまでの過程において明らかに一つの偏見のもとにこの
事件を取り扱ってきておる。こういうことではこれはきわめてゆゆしい問題だと思いますので、この点について
法務当局としてはどういうようにお
考えになるか。また、この問題は、先ほど申しましたように、昭和三十年の十一月に参議院で一応取り上げた問題であります。それから、
人権擁護局長は戸田さんから鈴木さんにかわっておりますけれども、私の伺ったところによると、法務局の福山の出張所と申しますか、そこから、本省からの指示に従ってこの問題について果して人権侵害の問題があるかどうかということについての報告書が本省あてに出ているということも私らの方で伺っております。できれば、そういう報告がどういう
内容になっているかというようなことについても、この際お聞かせを願いたいと思います。