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1957-03-15 第26回国会 衆議院 法務委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年三月十五日(金曜日)    午前十一時三十三分開議  出席委員    委員長 三田村武夫君    理事 池田 清志君 理事 椎名  隆君    理事 福井 盛太君 理事 横井 太郎君    理事 猪俣 浩三君 理事 菊地養之輔君       清瀬 一郎君    馬場 元治君       林   博君    松永  東君       山口 好一君    神近 市子君       佐竹 晴記君    坂本 泰良君       田中幾三郎君    古屋 貞雄君       志賀 義雄君  出席国務大臣         法 務 大 臣 中村 梅吉君        国 務 大 臣 大久保留次郎君  出席政府委員         警察庁長官   石井 榮三君         警  視  監         (警察庁警備部         長)      山口 喜雄君         検     事         (大臣官房調査         課長)     位野木益雄君         検     事         (刑事局長)  井本 臺吉君  委員外出席者         判     事         (最高裁判所事         務総局総務局総         務課長)    海部 安昌君         判     事         (最高裁判所事         務総局人事局         長)      鈴木 忠一君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 三月十五日  委員小島徹三君及び吉田賢一君辞任につき、そ  の補欠として清瀬一郎君及び西村彰一君が議長  の指名で委員に選任された。     ————————————— 三月十三日  下級裁判所設立及び管轄区域に関する法律の  一部を改正する法律案内閣提出第七一号)(  参議院送付) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  下級裁判所設立及び管轄区域に関する法律の  一部を改正する法律案内閣提出第七一号)(  参議院送付)  裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する  法律案内閣提出第八六号)  検察官俸給等に関する法律の一部を改正する  法律案内閣提出第八七号)  法務行政に関する件     —————————————
  2. 三田村武夫

    三田委員長 これより法務委員会を開会いたします。  下級裁判所設立及び管轄区域に関する法律の一部を改正する法律案議題とし、政府当局より提案理由説明を聴取することといたします。中村法務大臣
  3. 中村梅吉

    中村国務大臣 下級裁判所設立及び管轄区域に関する法律の一部を改正する法律案について、その趣旨を御説明いたします。  この法律案は、最近における市町村廃置分合等に伴いまして、下級裁判所設立及び管轄区域に関する法律に所要の改正を加えようとするものであります。以下簡単に今回の改正の要点を申し上げます。  第一は簡易裁判所名称変更であります。すなわち、簡易裁判所名称で所在地の市町村名称を冠しておるものは、市町村廃置分合またはその名称変更に伴い、これを改める必要がありますので、三重県多気郡三瀬谷町の廃止、大台町の設置に伴い、三瀬谷簡易裁判所名称大台簡易裁判所変更し、青森県三本木市を十和田市とする名称変更に伴い、三本木簡易裁判所名称十和田簡易裁判所変更しようとするものであります。  第二は簡易裁判所管轄区域変更であります。すなわち、裁判所管轄区域は、行政区画またはこれに準ずべき区域を基準として定められておりますが、町村廃置分合等に伴い、二つ簡易裁判所管轄に分属することになった新設町村区域を一体として単一の簡易裁判所管轄に属させることとする等の必要がありますので、埼玉県入間郡富士見村の設置に伴い、浦和簡易裁判所管轄に属する同県北足立郡旧水谷村の区域川越簡易裁判所管轄変更するほか、二十八簡易裁判所管轄区域変更し、また、土地の状況、交通の利便等にかんがみ、有川簡易裁判所管轄に属する長崎県北松浦郡小値賀町及び宇久町の区域佐世保簡易裁判所管轄変更しようとするものであります。  第三は下級裁判所設立及び管轄区域に関する法律別表整理であります。すなわち、市町村廃置分合名称変更等に伴い、同法の別表第四表及び第五表について当然必要とされる整理を行おうとするものであります。  なお、以上説明いたしました簡易裁判所名称及び管轄区域変更につきましては、いずれも、地元市町村関係官公署弁護士会等意見を十分しんしゃくし、最高裁判所とも協議の上決定したものであります。  以上がこの法律案趣旨でございます。何とぞよろしく御審議のほどをお願い申し上げます。
  4. 三田村武夫

    三田委員長 以上で提案理由説明は終りました。  本法律案に対する質疑は次回に譲ることといたします。     —————————————
  5. 三田村武夫

    三田委員長 裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案一括議題とし、審査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。福井盛太君。
  6. 福井盛太

    福井(盛)委員 このたびの裁判官及び検察官報酬等に関してその額を改訂する法律案につきまして、まず私から二、三質問をいたしたいと存じます。  その第一は、一般政府職員との権衡を考慮して適正な報酬または俸給の各月額を定めることにしたというのでありまするが、この点につきましては、私どもまことに異議はないのであります。そこで、お尋ねしたいのは、その月額増額の割合はいかなる程度に相なっておりまするか、御説明を願いたいと思います。
  7. 位野木益雄

    ○位野木政府委員 大体四%程度増額になっております。
  8. 福井盛太

    福井(盛)委員 これは、四%と申しますと、一般俸給額のいかんにかかわらず四%、——きまっておるのですか。一律に四%くらいになっておるのですか。
  9. 位野木益雄

    ○位野木政府委員 平均して四%ということであります。一般の公務員の方は平均六・二%ということになっておりますが、裁判官検察官の方は上級者になっておりますので、一般の方も上級者は上り方が比較的少くなっております。そういう関係であります。
  10. 福井盛太

    福井(盛)委員 ただいまの点はわかりました。  第二といたしまして、先ほど申しました通り、適正な増額という点には私どもといたしましては決して異議はないのであります。ただ、これは、認証官もこれに応じて認証官にあらざる他の一般の職業と同様に増額をしたということに相なりますれば問題がないのでありますが、一般の今度増額されるものと認証官とを別に使い分けて考えられたという点についての御説明をいただきたいのであります。
  11. 位野木益雄

    ○位野木政府委員 認証官につきましては、一般政府職員と申しますか、行政関係職員につきましてもこのたびは給与改訂がなかった。御承知のように、今度の給与改訂は、いわゆるベースアップということでなくして、給与体系の改善ということを目的といたしておるのでありまして、その観点から、一般職につきましても、最高の七万二千円という俸給月額がございますが、それは据え置きになっております。それから上は給与月額改訂はいたしておりません。裁判官検察官たる認証官につきましても、今まで、行政の職に従事しておられる認証官と同じような給与取扱いをいたしておりましたので、それとの均衡上、このたびは裁判官検察官につきましても認証官につきましては改訂をいたさなかったという次第であります。
  12. 福井盛太

    福井(盛)委員 ただいまの御説明によりまして認証官は今度はそのままにしておくということに相なっておりますが、この法律案の通過によりまして、認証官と、たとえて言うならば高等裁判所長官とかあるいは検事長とかの下に列しておる判事並びに検事との額の相違というものは当然に生じますか、おわかりでしたら御説明願いたい。
  13. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 お答えいたします。裁判官について申し上げますと、現在、改正前の俸給表によりましても、判事の一番上の判事一号の俸給をもらっておる者と、東京高裁長官を除いたその他の高等裁判所長官とを比べますと、一年のいろいろな手当を通算いたしまして、月額に直しますとほとんど四百円も違っておらない状態でございます。つまり、判事の一番上の者と、東京を除いた高裁長官とを比べますと、四百円足らずしか間差がないわけでございます。従って、今度も給与改訂によりまして判事の一号と高裁長官は額が少しも変化がございませんから、今申し上げましたような四百円足らず差額相違というものは依然として同じことになるわけであります。ただ、東京高裁長官は、東京以外の高裁長官よりも本俸において四千円違っておりますので、その結果一号の判事との間においてはなお四千円ばかりの違いが保たれておるわけでございますけれども東京以外の高裁長官の間では、ただいま申し上げた通りでございます。なお、最高裁判所裁判官と、判事の一番トップの一号とを比べますと、その間の月額の手取りの金額は大体において九千円程度差額になっております。でありますから、一号判事と一号判事の上におります高裁長官最高裁判所長官との相違は、今度の給与によっても、ほとんどといいますか、何にも変らないわけであります。従って、二号以下の判事給与が少しずつ、さいぜん法務省の方から申し上げましたように上げられるのですから、普通の裁判官認証官との報酬上の相違というものは非常に接近してくるわけでございます。これは大体検事長特号検事、一号の検事というようなものを比べましても同様なことが言えるのではないかと考えます。
  14. 福井盛太

    福井(盛)委員 数字のことでなかなかむずかしいのですが、ただいまの御説明によりまして、一号官とか裁判所長の問題ですが、認証官との差はあまりないけれども、一号官の方が上だということになりますか。
  15. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 ただいま申し上げましたのは、本俸について、それから現在認められております諸手当を合計した際のことを申し上げたのでありますが、今度大蔵省の方と裁判所検察庁といろいろ折衝した結果、従来問題になっておりました一般職上級者について認められておる管理職手当というものを、裁判官検察官についても一二%の管理職手当裁判官検察官のきわめて古参者に対して、しかもその数を限って、裁判所側に対しては百二十名、検察官に対しては七十九名、その範囲において一二%の管理職手当をつけてもよいという了解ができておるわけです。これは、事務的には了解ができておりますので、私どもの方としては確実につくものと信じておりますが、その一二%が判事の一号にかりにつくといたしますと、本俸が八万六面四十円になります。八万六百四十円という額は、東京を除いた高裁長官の七万八千円というのを凌駕してしまう。それから、東京長官は八万二千円でありますから、それに対して八万六百四十円ということになりますれば、一号の判事が千五百円足らず間差に迫る、こういうことになります。
  16. 福井盛太

    福井(盛)委員 この管理職手当の一二%というのは、必ずそれを付与しなければならぬものか、付与しなくても済むものであるか、これはあるいは最高裁判所長官考えによって決定さるべきものですか。一二%というものを付与せられる相手を見出すこと、これはやはり最高裁判所長官のお考えできまるのですか。
  17. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 その点は、どういう官職につけるかということを最高裁判所のルールできめて、その官職についた者には一二%が本俸以外に与えられるということになるだろうと考えております。
  18. 福井盛太

    福井(盛)委員 それでは法務大臣にお尋ねしますが、検察庁においても今の趣旨と同じように取り扱われるということは間違いないのですね。
  19. 中村梅吉

    中村国務大臣 法務関係検察官につきましても、ただいま裁判所側から説明がありましたように、今回一三%の管理職手当をつけてもらうことに大蔵省との間に了解が成立いたしております。この実施の方法は、追って法務大臣大蔵大臣の同意を得て定める準則によって正式にきまるわけでありますが、そういたしますと、先ほど裁判所側から御説明がありましたように、検察官関係につきましては一号というのがございます。さらにその次に特号というのがございますが、これらに管理職手当がつきますと、ちょうど高裁長官と同じように、一般検事長俸給七万三千円を実質的には給与額が追い越す、こういう格好になってくるのであります。
  20. 福井盛太

    福井(盛)委員 私どもは、適当の額を何かの方法によって増額するということは、もとよりそう考えており、いいことだと存ずるのでありますが、ただ、法律上の給与に入らなくても、とにかく収入というものが何かの形において次席なり下の者が自分の長官である認証官地位におる者より多くなっているというようなアンバランスについては、私は、はなはだ好ましくない、実は遺憾にたえないのであります。従って、政府といたしましても、おそらくはその点について十分御考慮もし、また御心配に相なっておる点だと思いますが、小さな問題のようでありまするけれども、組織の上から見て、また一般の上から見て、これはゆゆしき問題になり、また議論の焦点になるのじゃないかと実は心配しておるので、今までお尋ねしてきたのでありますが、その点につきましては、予算上の関係もあることではあろうと存じまするが、司法当局といたしましては大蔵省と十分の折衝をなされたのでありましょうか、またその結果大蔵省あたりはどういう考えを持っておられるのでありましょうか。来たるべき問題を考慮する上におきまして、この点を御質問いたしたいと思います。
  21. 中村梅吉

    中村国務大臣 御指摘のような状況給与アンバランスを生じて、検事長高裁長官よりも行政的には下級の者が実質給与が上回るというアンバランスを生じますので、実は、私どもといたしましては、高裁長官検事長等認証官につきましてやはり同様の給与改訂をいたしたいという希望を持っておったのでありますが、いろいろ政府部内で協議いたしました結果、認証官給与を異動することになりますと、他にもたくさんの認証官がございましてこれらの関係についてなかなか短時日をもってしては調整が困難な事情もありますので、今回は認証官給与については手をつけないという大体の方針になりましたので、かような提案をすることになったのでありまするが、私どもといたしましては、今のアンバランスの点を今後できるだけ調整のできる方法実現いたしたい、かように考えておる次第でございます。できるだけ今後努力いたしまして、さようなアンバランスを解消するように努めたいと思っております。
  22. 福井盛太

    福井(盛)委員 ただいまの御説明によりまして、政府の御苦心のある点、また努力された点も了承できるのであります。ただ、いかにも、この形のままでは、アンバランスと言ってしまえばそれまでですが、アンバランスだけでは済まないようなことが起りはしないかということを憂慮するのであります。でありますから、私といたしましては、一日も早くその調整できる道を講じてもらわなかったならば困るわけです。そこで、このままこの案が通過されてしまうということは一むろんあとでいろいろまた質疑も出ることでありましょうが、何とか認証官が満足し得るような、また給与法一般の立場から見て、これならばというような案が将来一日も早くできるような、附帯といいますか、そういう一つ希望をそこにつなぐのでなければ、公平を欠くようなことが起りはしないかということが実は考えられるのでありまして、その点について政府はどんな考えを持っておられますか、一つ考えをお聞きしたいと思います。
  23. 中村梅吉

    中村国務大臣 御意見の点は十分尊重いたしまして私どもといたしましては、その実現のために最善努力をいたしたいと思います。御承知通り、今回の給与法改正におきましては、本俸それ自体についてはやはり検事長に次ぐ特号俸あるいは一号俸、二号俸、それぞれ順位はついておるのでありますが、先刻実態を申し上げましたように、これらの検事長を除く一般検事、あるいは高裁長官を除く一般判事について、一定の範囲内においては管理職手当を付することになりましたので、本俸でない手当ではありますが、とにかく実質給与アンバランスになりますので、御指摘の点につきましては、今後十分御意見を尊重いたしまして、その実現最善を尽したいと思います。福井(盛)委員 ぜひそうやっていただきたいと同時に、ある人の考えなどを聞いてみましても、認証官というものは、特別名誉ある官職であるから俸給なんか少くてもいいのではないかという考えを持っておる人も一、二あった。しかしながら、認証官といえども単なる名誉職ではない。全くりっぱな名誉ある官職である以上、これに対して粗末な取扱いをすることはよくないことであろうと思います。そこで、私は、希望といたしまして、これはぜひ一日も早く名実ともに全からしむるところの、——認証官地位を保つためにしてできないことはないという個人としての考えを持っておりますけれども、これはなかなか容易でないことと存じますが、大蔵省はこれらの点についてどういう考えを持っておるか、大蔵省の人がおれば聞いてみたいのですが、これは大事な点であるのでありまして、私はぜひそういうことを実現してもらいたいという希望を漏らしまして、今の法務大臣説明に実は賛成するのであります。どうぞ一つその点を十分効力あらしめるように御努力願いたいと存ずる次第でございます。  ひとまず私の質疑はこれをもって終っておきます。
  24. 三田村武夫

  25. 椎名隆

    椎名(隆)委員 管理職手当昭和二十七年の十二月に大体政府職員給与せられることになったのでありますけれども判事管理職手当というのはことしようやく一二%だけ認められるようになったのですが、何でそんなにおくれたのでしょうか。
  26. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 これは、沿革を申し上げませんと実情がきわめておわかりにならないと思いますが、最初の国会で裁判官検察官給与をおきめになったときに、一般職に対しては超過勤務手当というものが本俸以外にあったわけであります。ところが、裁判官検察官に対しては、勤務時間以外にわたってやった場合に超過勤務手当をつけるというのは適当でないだろう、一般職員とも仕事の内容が違うし、その地位から言っても超過勤務手当というものをつけるのはおかしい、従って超過勤務手当裁判官検察官本俸の中に繰り入れて、繰り入れた上にある程度のプラスをつけて裁判官検察官報酬額を決定しよう、こういうので決定されたらしいのでございます。これは議会の速記録等を見ましてもそういう趣旨政府当局等によって言明されておるわけであります。ところが、今御指摘になりました二十七年の末になって、従来超過勤務手当をもらっておった者で、しかも管理、監督の位地にある者に対しては、超過勤務手当を廃して、そのかわりに管理職手当というものをつけよう、こういうことになって、管理職手当を新たに受ける者は従来もらっておった超過勤務手当をもらわない、こういうことで新たに管理職手当というものを一般政府職員については設けたわけであります。そのときに、大蔵省といたしましては、裁判官検察官については従来超過勤務手当というものはつけてなかった、それは本俸に繰り入れて額をきめた考えである、従って、超過勤務手当の変形であるところの管理職手当というものは、もともと超過勤務手当をもらわなかった裁判官検察官に対してはつけ得られないのだ、だからつけるということはないものと了承するというようなことで、当時の主計局長から最高裁判所人事局長あてにそういう書面が参りました。おそらく法務省に対しても同様の書面が参ったのじゃないかと想像いたします。これに対して、私ども最高裁判所の方としては、沿革から言えばまさに大蔵省が言った通りだ、しかし、一体従来超過勤務手当としてもらっておったその額がそのまま管理職手当の額に引き直されて支給をされるものかどうか、それから、もう一つ、従来超過勤務手当をもらった者に必ず管理職手当をつけるのであって、超過勤務手当をもらわなかった者に対して新たに管理職手当をつけるというようなことはないだろう、もし今申し上げた二つの点について異るような場合には、われわれとしては裁判官全員について管理職手当を要求する、つまり、額が従来の超過勤務手当を越え、かつ、その管理職手当をつける範囲が、従来の超過勤務手当をもらっておった者の範囲を越えたならば、われわれとしては当然の権利として主張するからということを答えておったのであります。私どもとしては、実態がわかりませんので、しばらく静観しておりましたけれども、その後いろいろ調査してみますと、平均としては大体において従来超過勤務手当をもらった額以上のものを一般職管理者管理職手当という名前でもらっておる、また、従来超過勤務手当をもらっていなかった者が管理職手当をもらわないかというともらっているというような実態がわかりましたものですから二、三年前から、この点は検察庁の方とも法務省の方とも連絡いたしまして、裁判官検察官にも管理職手当をつけべきものだ、それは必ずしも対等の率でつけるかっけないかは別問題として、つけべきものだということを交渉して参ったのでありますけれども予算管理職手当というものを裁判官検察官についてつけようと思って計上しまして、一次、二次、三次までと交渉いたしましても、いつも成就いたしませんでした。というのは、大蔵省は、今申し上げましたような、管理職手当超過勤務手当沿革を固執しておって、裁判官検察官にはつけられないのだということを強硬に主張して参ったのでありますが、今度の事務当局折衝の結果、検事特号判事の一号、二号、このあたり給与実態を見ますと、確かに経験年数というようなものに比して一般行政官に比べて必ずしも有利でないということが計数上はっきり出ておりますものですから、大蔵省もそれを認め、それならば、人数を限って、全員というわけにいかないけれども人数を限って認めようということで、さいぜん申し上げました数を限って一二%の管理職手当をつけるということになったわけでございます。
  27. 椎名隆

    椎名(隆)委員 昭和二十三年七月裁判官俸給表が制定された当時にあっては、裁判官報酬というものはよかったのですが、昭和二十七年以降二十八年にわたってから、裁判官並びに検察官報酬がだんだんと他の行政官に追っつかなくなってきたのですね。その当時他の一般行政官と同一に引き上げてもらうように努力はしなかったのでしょうか。
  28. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 お説の通り管理職手当がつきましてから、裁判官検察官対等本俸をもらっている管理職手当のついている行政官と比べますと、本俸は同じでありながら、今申し上げました管理職手当二五%、二三%というようなものがつきます結果、その実収入は相当な開きがあることは申すまでもないわけです。これに対して、私どもの方としては、裁判官検察官俸給月額、つまり本俸の額を上ぐべきだということは一応主張いたしましたけれども、これは、従来裁判官検察官本俸というものは一般職ベースアップの率に応じ、額に応じて上げるというプリンシプルを立てておりましたものですから、その点で大蔵省はなかなかわれわれの主張を聞かないわけでございます。一般職の率がこうだから裁判官検察官本俸の率はこうだ、俸給上昇率はこうなるべきだということで、本俸の額を一般職に比して上げるということを私どもは主張しましたけれども大蔵省は聞かない。それならば、せめて管理職手当一般行政官並みにつけて、それによって一般行政官と同率に金額をすべきだということで、これはさいぜん申し上げましたように機会あるごとに主張し、あるいは予算折衝をいたしましたのですが、結局今日までそれが実現しなかったのであります。
  29. 椎名隆

    椎名(隆)委員 今度の改正によって、判事の一号、判事の二号、並びに検事特号検事の一号、それらに一二%の管理職手当をつけると、先ほどからたびたび話されておったのですが、東京を除いた高等裁判所長官は七万八千円、判事一号に一二%の管理職手当をつけると八万六百四十円、そうすると、判事一号の方が上になって、東京を除いた他の高裁長官の給料が下になるのです。そうなってくると、お互いに私たちも同じこと、やはり地位、身分に応じて報酬というものは与えられなければならないと思うが、下の方の人間が多くて上の方の人間が少いということは、一つの変則なんです。これは、東京高等裁判所長官並びにその他の高等裁判所長官にも一八%程度管理職手当は当然支給すべきだというふうに考える。それで初めて均衡が得られると思う。  そこで、先ほど大臣の説明によりますると、認証官俸給は動かさない、他にも多くの認証官があるというふうな話であったのでありますが、司法官の認証官行政官認証官とはその俸給が同じではないというふうに考えるのですが、その点いかがですか。
  30. 中村梅吉

    中村国務大臣 御指摘通り認証官はそれぞれその官職ごとに定められておりますので、同一でございません。いろいろな差異があるわけであります。
  31. 椎名隆

    椎名(隆)委員 これは、最高裁判所長官並びに最高裁判所判事に対しては二五%の管理職手当、それから検事総長、次長検事には二五%の管理職手当、それから東京高等検察庁検事長には一八%の管理職手当をつけるように、さらに一段と最高裁判所なりあるいは大臣から大蔵省に交渉して、それで何とか平均にいわゆる均衡を保つような方法にはできないでしょうか。なるほど裁判官俸給等のことについてはあまり口に出しませんけれども、乏しきを憂えず、ひとしからざるを憂うるといって腹の中では私はおもしろくないと思う。これは何とか大臣の力、あるいは最高裁判所長官の方から厳重に大蔵省の方に交渉して、そうして各裁判官俸給検察官俸給は均衡を保つような努力一つしてもらいたいと思うのですが、いかがなものでしょう。
  32. 中村梅吉

    中村国務大臣 お説の通り不合理な点も生じて参りますので、この是正にはわれわれは最善を尽したいと思いますが、是正の方法についてはいろいろ考えられるわけでありまして、認証官である特別職の給与に関する法律改正でその給与額改正するか、あるいは、今お話しのように、特別職には法制上管理職手当はつけられないことになっておりますが、特別職に対しても管理職手当の制度を拡張いたしましてつけるようにするか、いろいろな方法考えられるわけであります。いずれか最も適切な方法を今後選びまして不合理のないような解決をつけるように、われわれといたしましては一つ大いに最善努力をいたしたいと考えます。
  33. 三田村武夫

    三田委員長 池田清志君。
  34. 池田清志

    ○池田(清)委員 今回判事検事につきまして管理職手当の支給ができることに相なりましたことは、まことにけっこうなことでありまして、先ほど来指摘しておられますように、これがおそきに失したものであると思うのであります。私、ちょっとお尋ねいたしたいと思いますることは、管理職手当と称するからには、その性格と申しますものは、これは属人的なものではなく職務についたものである、属職的なものであるというふうに考えるのでありますが、法務当局あるいは司法当局はいかにお考えか、お尋ねいたしたい。
  35. 中村梅吉

    中村国務大臣 もちろん、私どもも、池田委員お説の通り考えております。
  36. 池田清志

    ○池田(清)委員 さすれば、職務についておる手当でありまするから、その職務を何人が襲うかによって区別されるべきでないと思います。従いまして、司法判事あるいは法務検事の間におきまして、そのいすについたものには必ずこれを支給するということになるのでありますが、今回、予算関係におきまして、その計画が、司法当局、法務当局で計画しておられるところのすべてのいすについてこの支給ができるかどうかを一つお尋ねいたしたい。
  37. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 裁判所の方について申し上げますと、結局、ただいま予定しております、さいぜん申し上げましたルール、規則で官職を定めなければなりませんけれども、その予定しておりますルールの内容といたしましては、地方裁判所長、家庭裁判所長及び部の総括者、こういうことを予定しております。従いまして、部の総括者を加えますと、百二十名ではまかないきれないと存じます。今申し上げました地方裁判所長、家庭裁判所長と部の総括者の中で最高裁判所が指定する者、こういうことに実際上はならざるを得ないと思います。
  38. 池田清志

    ○池田(清)委員 今の御答弁によりますと、管理職手当であって、その手当を支給する職務というものはきめるのだ−。ところが、そのきめただけの職務について手当を支給するだけの予算が今日とれなかった。従って、同じ職務にありながら司法部内において管理職手当を受ける判事と受けない判事が当然に出てくるわけであります。さすれば、そのことは、司法部内だけにおきましてもいわゆる不均衡、不合理であるわけであります。法務当局の間におかれましても同様ではないかと想像するわけでありますが、そういうようなことは、同じ司法部内、法務部内の中における平和及び秩序を維持するためには、私は感心しないやり方であると思いますから、管理職手当を支給すべきものなりときめるところの職務については一人漏れなくこれが支給できるように一つ努力をお願い申し上げたいのでありますが、これにつきましてどういうお考えでありますか、お尋ねいたしたい。
  39. 中村梅吉

    中村国務大臣 法務省所管の検事関係といたしまして管理職手当を予想いたしておりますものは、最高検察庁検事、高等検察庁の次席検事、高等検察庁の支部長、地方検察庁検事正、これらを予定いたしておるのであります。裁判所側の方は、先ほど説明のございましたように、大体百二十人を予定いたしまして、高等裁判所総括裁判官高等裁判所支部長、地方裁判所長、家庭裁判所長、大体この範囲に行きわたるものと思います。若干池田委員の御指摘のような点もあり得ると考えますので、今後、御指摘のように均衡のとれるような方法について、その実現を期したいと思います。
  40. 池田清志

    ○池田(清)委員 ただいま中村法務大臣からの御説明によりましてよく御方針を伺い、その御努力をお願いいたすのでありますが、さて今回おきめになります管理職手当を支給する職務と、一般官吏の管理職手当を受けておる職務とを比較いたしまして、果して、第三者から見て、あるいは神様から見て、不均衡はないのかどうか、これをお尋ね申し上げます。
  41. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 裁判所について申し上げますと、御承知のように、裁判官というものは、一般行政官の組織と違いまして、その個々の人がみな自己の責任において裁判の仕事に当っておるわけで、上命下服の関係において裁判をしておるわけではございません。従いまして、裁判官管理職手当をつけるということは、一般行政官に対して管理職手当をつけるという意味とは若干本質が異なるものができはしないかということが考えられるわけでございます。そこはおそらくただいま御質問の中に当然予定されておることだと存じますが、私どもも、純粋に理論的に考えますと、裁判官管理職手当というような名目をつけていいかどうかということは、とことんのことを論じますと、疑問がないわけではございません。ただ、さいぜんから申し上げておるように、本俸は同じでありながら、一方には管理職手当というものがあって、裁判官にはついていない。そのために実際の手取り額というものは非常に差等を設けられておる。しかも、その設け方が、私どもの方から言えば、立法の変革ということに名を借りておりますけれども、その実は、むしろ行政官から司法官に対する水平運動が起き、水平運動の結果実質が高められたのだ、こう理解いたしますと、現実の問題としては、その純粋な理論にこだわらないで、とにかくつけ得べき範囲においては実際問題としてつけるべきではないか。そうしておいて、それならば理論的にそれを将来どういうように解決するかということは、第二、第三の問題として、現実の不均衡を是正するためには、とにかく大蔵省が承諾をしたのだから、ある範囲においてつけるべきではないか。いわば現実論に立って管理職手当というものを事務当局としてはつけるべきだということに結論をいたしたわけであります。
  42. 池田清志

    ○池田(清)委員 判事につきましては、裁判そのものは判事おのおの独立にやるわけでありまして、上命下従でないことはお説の通りであります。しかしながら一方、判事そのものも、そのポストによりましては、司法行政を担当しておるやはり官吏であります。そういう意味におきまして、今回の管理職手当というようなことが生まれて参ります論点も、その辺にも置かれたと思うのでありますが、さすれば、一般行政機関におけるところの管理職手当と、司法部内、法務部内におけるそれと不均衡があってはならない、こういう立論のもとに私は申し上げておるのでありますが、せっかくこういうようなりっぱな手当ができました以上は、一般官吏のことども考えあわせられまして、司法部内、法務部内において不均衡がないようにお願い申し上げたいと思います。  さて、その給与の性質につきましては、なかなか話は時間がかかりますが、あるいは生活給であると言うたり、能率給であると言うたり、あるいは職務給であると言うたり、いろいろなる説明があろうかと思いますけれども、官界におきまして、あるいは司法界においても同様でありますが、秩序を維持するために、給与というものの間に不均衡があってはならない、こういうふうに私は考えます。もちろん職階制度によりまして官界の秩序が維持されることに相なっておりまするけれども、個人々々の受けまするところの給与の多寡によっても、やはりそういう秩序が維持せらるべきであることは当然であります。こういう意味から申しまして、先ほど来質問がありましたように、いわゆる認証官と今回管理職手当を受けられるところの判事検事との間において、不均衡と申しますか不合理があるということは、やはりその社会秩序を維持するために障害になる、こういうふうに考えるのでありますから、これも、先ほど来要望のありましたように、認証官の方々につきましても、しかるべき処置によりまして、この不合理、不均衡がないように、一つ法務大臣においてお骨折りをお願い申し上げます。  もう一点お願いを申し上げまするのは、この裁判官報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官俸給等に関する法律の一部を改正する法律案の要綱に出ており、これが立法化されようとしておりますところの、寒冷地に在勤する高等裁判所長及び検事長に対しまして、寒冷地手当、石炭手当、薪炭手当、これを支給するということに相なるわけなのでありますが、これらも、先ほど来指摘がありますように、一般官吏にはずっと前から支給されておるのでありますが、これがなぜ今日まで取り残されておくれてきたかということを疑問に考えるのでありますから、これにつきまして一言御回答をお願いします。
  43. 位野木益雄

    ○位野木政府委員 当初は寒冷地に在勤する高裁長及び検事長につきましても寒冷地手当等が支給されておったのでありますが、途中で制度が変りました際に、どういう都合か、高裁長、検事長の部分が法文上この手当が落ちまして現在に至っておるわけでありまして、今までは、事実上支給しないで、気がつかずにいた、こういうようなわけであります。
  44. 池田清志

    ○池田(清)委員 先般私が判事検事の補充の問題及び教養の問題につきましてお尋ねをいたしたのでありますが、その際のお答えといたしましては、補充に非常な苦労があるようなお話であります。また、教養につきましても細心の努力をしておるという御答弁をいただいておるのであります。補充の給源といたしまして、すでにお気づきの通り、そしてまた実行しておられますように、いわゆる法曹一元化というような考え方からいたしまして、弁護士から判事検事に登用するという道も開かれており、実現をされておるのでありますが、その成績がいまだなかなか十分なところまで到達していないと思うのであります。すなわち、弁護士から判事検事にかわろうという方が少いようであります。一たび判事検事になられましても、すぐまた転出せられて弁護士に返るという方が多いようでありますが、これは一体どういうわけなのでございましょうか、一つお尋ねを申し上げます。
  45. 鈴木忠一

    鈴木最高裁判所説明員 新しい裁判所が発足いたしました昭和二十一年、三年、四年あたりには、在野の弁護士から相当数の人数が、少くとも裁判所に入られて裁判官になられたわけであります。ところが、二十五年あたりを頂点にいたしまして、それ以後は、裁判所判事になろうという人はほとんどないと言ってもいいくらいに少いのであります。希望してこられる方は、大てい簡易裁判所判事希望して参ります。判事として地方裁判所で大いに働いていただけるというような在野の方はほとんど志望して参りません。これはいろいろ原因があろうかと存じますが、私ども考えとしては、最大の原因は、やはり裁判官給与というものと弁護士の収入というものの実際がつり合っておらない。私どもから裁判官報酬が低過ぎるということを申し上げますことは、国家の財政、一般官吏との比較がありましょうから、必ずしも裁判官報酬が低い低いということを強調いたすのもどうかと思いますので、その点はあえて主張をいたさないといたしましても、少くとも、在野の法曹として相当に活動をしておられる人の実収入裁判官報酬というものを比べてみますると、これはおそらくお話にならない程度のものではないかと存じます。そして、御承知のように、在野法曹として弁護士として活動なさる面と、裁判官として裁判をする面とは、きわめて近接はしておりますし、共通の面がございますけれども、やはり裁判官となれば弁護士とは別個の神経を使いましょうし、そういう神経の使い方を御存じの在野の人が、収入を比べた上で、それでは裁判官になろうと言われる方はほとんどないというのが、現実の問題として、私どもとしてはこれを肯定せざるを得ない。私どもも、友人の弁護士をやっておる仲間に対して、裁判所に来てくれということは、今の給与では実際申せない。そこがやはり最大の原因はないか、こう私は存じます。
  46. 池田清志

    ○池田(清)委員 弁護士から判事に移りかわることの困難な理由といたしまして判事の方の給与というものが弁護士の収入に比較してお話にならぬほど少いという御指摘があったのでありますが、私も同感するものであります。現在の判事検事給与というものが、一般官吏の給与と同じワクの中に作られておるように思うのであります。判事検事の方には、いわゆる年令の最高限度が法定せられておりまして、そこまで勤務せられるということを建前としまして、三十年も四十年もお勤めになると思うのです。一般の官吏におきましては、そういう最高限の年令の限度がございませんのでありまして、実際の慣例上退官することになりますが、早い話が、一般の官吏の方は勤務年数が短かいのです。たとえて申しますと、一般各省の次官になるのに二十年かかる。ところが、法務省の次官になるには三十年かかるというふうに、ざっと考えましてもそういうような違いがあるのです。一方は二十年で次官になり、一方は三十年で次官になる。ところが、なった結果は俸給は同じだ、こういうのでありますから、年々の上り方が遅々たるものであるということが想像せられるのであります。しかしながら、人間といたしましては、結婚をそれだけおくらせるというわけにいきません。子供を産むことをそれだけおくらせろということも、判事検事に向って言うわけにはいかないのです。ですから、これは、生活給というような観点から見ましても、判事検事の方々が一般の官吏に比較いたしまして劣っておることに想像せられるのであります。こういうことでは、判事検事にいい人を求めようとしても、来る道理がないと思うのです。そこで、私が考えますに、判事検事給与制度というものは、在勤されるところの最高年齢が高いのでありますから、その一般官吏よりも上っておる高い限度に応じて 一般官吏のたとえば次官級なら次官級以上に勤められるような年代があるのでありますから、それに応じてほかの給与制度というものを考えて、それを支給するようにいたすべきである、こう思うのであります。下も上も制限されたワクの中で操作をするということは、これは無理があるのでありまして、給与制度全体について、判事検事については特別の給与考えるべきである、こういうふうに思うのでありますが、理想論と申しますか、あるいはとっぴなことかも存じませんが、法務大臣のお気持はいかがでありましょう。
  47. 中村梅吉

    中村国務大臣 判検事につきましては、下級者の給与及びその昇進の工合は一般職の公務員に比較いたしまして優遇をされておるのでありますが、上級者になりますと、結局だんだんつかえまして、一定の最高限度で頭打ちをする、こういうのが現状かと思います。従いまして、一般職の方から言わせますと、判検事は特別の待遇を受けておる、こういうように見られるのでありますが、判検事の場合には、優遇を受けておるようでありますが、結局は頭打ちをする、こういうのが現状かと思います。  なお、先ほどお話のございました在野法曹がなかなか判検事希望しないようになってきているではないか、こういう点は、俸給と在野法曹としての収入との関係も大いに手伝っておると思います。同時にまた、当初から判検事希望いたしました者は、給与収入は少いけれども、それだけの年限をやはり積み重ねて参りますから、恩給の待遇を受けますけれども、在野法曹からなりました場合には、在野法曹の収入よりも判検事になった場合の収入が少いのみならず、相当年間おりましても、これは恩給年限に達しませんから、そういうような事情もあると思います。また、先ほど最高裁の鈴本人事局長からお話がありましたように、判検事の仕事というものは、非常に責任の重い、特別の神経を使いますから、これらの点から、当初、二十二年、二十三年、二十四年ごろは相当在野法曹から判検事を志望して就任をいたしました方々も割合に多かったのでありますが、さてこれらの人たちが就任をしてみますと、在野法曹として執務をいたしましたときとは、裁判官として判決を書かなければならない、あるいは検事として起訴状を書き、今のめんどうは刑事訴訟法に基いて証拠論争もしなければならない、こういうようなことで、仕事の実態の面からもしっくりしない点があったことが、私は、昭和二十五年ごろから下り坂になりまして志望者が減少いたしました理由ではないか。いろいろその他にも、そういうような趨勢にありますことについては原因があろうかと思いますが、法曹一元化で、在野法曹であり、あるいはときに裁判官になり、ときに検察官になっていろいろな角度から事件を見ていただくということは、理想論として私どもは非常に必要でありけっこうなことだと思うのでありますが、そのような事情から、法曹一元化の理想がなかなか達成できない現状にありますことについては、今後いろいろな角度から一つ研究をいたしてみたい、かように考えております。
  48. 三田村武夫

    三田委員長 これにて暫時休憩し、午後一時半再開いたします。    午後零時四十分休憩      ————◇—————    午後二時十二分開議
  49. 三田村武夫

    三田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  法務行政に関し調査を進めます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。古屋貞雄君。
  50. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それでは法務大臣にお尋ねいたしますが、まず第一に、昨日の毎日新聞、本日は東京タイムスその他に非常に大きな記事として載せられております大分県の菅生事件でありますが、この菅生事件につきましては、昨年、一昨年以来すでに、真犯人は、今福岡の高等裁判所で審理を受けております後藤外四名ではなくして、当時の現職警察官である市木春秋こと戸高公徳、この人間が真犯人であるというような申し出をいたしまして九州地方におきましては相当世間の疑惑を招いておる事件であります。従いましてその事件につきましては、昨年二十国会、二十四国会、二十五国会と、私どもは当法務委員会でも御質問申し上げた事件でありますが、これに対するその後の真相についての御調査をされた事実があるかどうか。当然に御調査がされておらなければならぬと私どもは確信を持ちます。と申しますのは、最も重要な被告後藤に対する反証としての、かつて検察庁で押収をいたしました押第七号といたしまして、戸高公徳がみずからしたためて菅生駐在所に投書いたしました脅迫状の問題について、押収はしておったけれども、一審には出ておったのだけれども二審には送致してこないというようなことがございまして同僚志賀委員か質問されました。それに対して井本刑事局長が答弁をされておりますが、さような日本の司法に関する重要な問題でございましたので、その真相を御調査されたかどうか、された事実がございましたらば、一つ委員会に御報告を願いたいと考える次第であります。このことは、現職警官だという関係がございますので法務大臣並びに公安委員長の大久保さんからも御報告を承わりまして、その上で続けて御質問をしたいと考えております。その押第七号の問題はあとからでよろしゅうございますが、全体として調査をされた報告がありましたら伺っておきたい。重要な問題でありますから、大臣から伺いたい。
  51. 中村梅吉

    中村国務大臣 私が就任の際に、いろいろ問題になっております事件の説明の書類がございますが、これをずっと精読いたしました際に、この菅生事件がございましたので、その書類にあります範囲のことはよく承知をいたしております。ただ、目下刑事裁判として事件が係属中でございますから、——今までは、捜査当局といたしましては、警察から送致されました事件を、その真偽のほどを確かめまして起訴をいたし、裁判になっておる事件でございますから、われわれは裁判の進行過程において真相を明らかにすることが最も大切なことであります。かような見地に立ちまして、被告側からは、お話のように、戸高公徳という警察官が市木何がしという名前で、むしろこれがこの犯罪の本家なんだ、主犯である、真犯人なんだという主張を被告側がされておるようでありますから、この真相を明らかにすることがわれわれ検察当局の任務であろう、こういう見地に立ちまして私どもは進めて参りました。従って、最近になりまして、検察官側から積極的に戸高公徳を証人として申請をし、次の公判においてこの人が証人として公式に裁判所において取調べをされる段階になっております。私どもといたしましては、事の真相はやはり公判の審理を通して明瞭にするのが妥当である、かように考えております。
  52. 大久保留次郎

    ○大久保国務大臣 脅迫文について云々のことでございますが、今聞いてみましたところが、やはり検察庁に送りましたのは間違いないようであります。その後はどうなっておりますか、こちらではよくわからないのであります。
  53. 古屋貞雄

    ○古屋委員 その後どうなっておるかわからぬというような御答弁でございますが、それではあとから聞きますけれども、その御答弁でありまするから承わりたいと思いますが、戸高公徳が警察大学に籍を置いて学んだ事実、警視庁の巡査部長として職員録に載っておりまする事実がありまするから承わりますが、勤務した事実はあるかないか、その点の御答弁を承わりたいと思います。
  54. 大久保留次郎

    ○大久保国務大臣 ただいまお尋ねの警視庁に勤務した事実は、あるように思います。なお、こまかいことにつきましては、私よりも警察庁長官がこまかく知っておりますから、同長官から御説明申し上げたいと存じます。
  55. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それはあとから承わりましてそれでは法務大臣並びに公安委員長にお尋ねしますが、日本ではおとり捜査というものがしばしば行われておるのですが、このおとり捜査は、私どもから考えますならば、これは違憲である、重大なる人権じゅうりんであり、職権の乱用である、こう考えておりますが、法務大臣並びに公安委員長のこれに対するお考えを承わりたいと思います。
  56. 中村梅吉

    中村国務大臣 おとり捜査の問題につきましては、覚醒剤等の事犯について相当数多くの判例等もあるようであります。従って、おとり捜査それ自体は、判例の上から言いましても、特に他の犯罪を伴いあるいは犯罪を誘発するような行為がない限りは差しつかえないようであります。私どもといたしましても、非常に至難な犯罪捜査をそういうような手段によって犯罪のあり方を明瞭にするということは、やはり犯罪捜査の徹底を期する上からは、ことごとくしてならないこととは考えておりません。しかしながら、行き過ぎのないようにすることは、これは十分注意すべき事項でありまして、厳に戒めなければならない、かように考えております。
  57. 大久保留次郎

    ○大久保国務大臣 おとり捜査云々の問題につきましては、法務大臣と全く考えは同じであります。その菅生事件の検挙当時の様子を聞いてみますと、これを検挙されましたのは全く現行犯であります。現行犯として逮捕されたのでありますからして、犯人はもちろんのこと、事犯に関係する物的証拠もおそらくある程度完備して裁判に臨んでおることと思うのであります。ですから、なるべくこの真相がはっきりいたしまするように、私ども今においても念願しておる次第でございます。
  58. 古屋貞雄

    ○古屋委員 おとり捜査に対する意見は、お二人とも、覚醒剤などにおかれては適法である、しかし他の犯罪が伴う場合においてはこれは違法であるという御答弁を承わりましたが、他の犯罪が伴ったような場合には、従来これに対してどういう御処置をおとりになったか、具体的な例がございますならば、これを御説明いただきたいと思うのです。
  59. 中村梅吉

    中村国務大臣 そういうような具体的な点につきましては、むしろ政府委員からお答え申し上げた方が的確だろうと思いますから、私の方の刑事局長が出席いたしておりますから、刑事局長から……。
  60. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それでは、刑事局長から、それに対する意見並びに前の押第七号に関する捜査の結果の御報告を賜わりたいと思います。
  61. 井本臺吉

    ○井本政府委員 いわゆるおとり捜査に関する見解につきましては、ただいま法務大臣がお答えになりましたが、私も同じように考えております。ただし、実際のこの判例が覚醒剤とか麻薬関係だけにしか見当りませんので、ほかの事犯につきましてどういうような扱いをするか、その点についての判例がないのでございますが、私は、他の犯罪についても同じように解釈すべきであるというように考えるので参あります。  それから、昨年の暮れに御質問をいただきました、俗に市木春秋と称する者の書きました脅迫文が、その後ないではないかということでありまして、この点につきましては、大分地方検察庁並びに福岡高等検察庁の監督官に厳重に取調べ方を請求いたしまして何回も調べたのでございます。当時の調書に出ております広石正雄検事につきましても詳細取調べをしたのでございますが、その菅忠愛の調書のうちにさような脅迫文を示したということが出ておるだけで、その現実に示したものが見当りません。この事件は昭和二十七年六月の事件でありまして、かなり古くなっておりますので、当時の関係者を調べましてもはっきりしたことがわからないので、実際のところなお極力調べをしておるという状況で、現実にその脅迫文はまだわれわれの手にいたしておりません。さような状況でございます。
  62. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そこで私は承わりますが、果して戸高公徳であるか、後藤外数名の被告がやったのであるかどうかというかぎは、この脅迫文でわかるわけであります。その脅迫文を書いたのは、戸高が書いたのは明確になっております。従って、戸高の筆蹟と戸高が別に書いております筆蹟とを鑑定いたしますならば明確になるわけであります。重要なこの証拠物件が押収されておるにかかわらず、なくなるということは絶対にあり得ないことと私は思うのです。何十年間の弁護士の経験から言っていやしくも検察庁の押収帳簿に載っておるものが途中でなくなるということはない。しかもそれは本件のかぎを握っている重要な証拠なんです。これは、ずっと前、一審ですから、もう一年以上もかかりまして、一審であったものが二審に来ない。今ごろになりましてこれがなくなったということなら、故意に破棄したか隠匿しておるということを考えられても、僕は弁明の余地がないと思うのですが、どうなんですか。
  63. 井本臺吉

    ○井本政府委員 一審の時代に証拠書類としてあったということでございますが、さようなことはありません。(「それじゃ、押収第七号は、文書を示したということはどうなんだ」、「それは検事が示したんじゃないか」と呼ぶ者あり)それは、捜査の段階におきまして、とにかくいろいろな人が関係しておりますので、関係者の一人の菅忠愛に検事が示して調べた事実はございますが、それが調書として法廷に出ただけでありまして、脅迫文は犯罪事実に入っておりません。従って、一審時代におきましては何ら問題になっていなかったのでございます。二審になりまして、裁判所の方から取り寄せ申請命令があって、鋭意探したところが、当時の事情がすでに三、四年たっておってわからなかったというのが実情でございますが、なおこの点につきましては鋭意調べを続けておるわけでございます。
  64. 古屋貞雄

    ○古屋委員 検事は公益を代表いたしまして裁判所に向って法の公正なる判断をさせるための職責を持っておるのじゃないですか。職責を持っておるのです。それを、一番重要な証拠をなくすということは、故意である、こういうことを考える以外にわれわれは想像つかないんですよ。一番大事な証拠なんです。派出所に対する爆破するぞという脅迫状です。これに基いて何十人、何百人の警察官がそこに張っておってつかまえた。新聞記者もこれは知っておる。証人になる人がたくさんあります。従いまして、これはかぎなんです。ほんとうに真心があって検事が本件の真相を裁判所に訴えて真実の判断を受けようという職責を果すためには、重要なこれはかぎなんです。その物件が今になってないということは、どうも私は納得いかない。これはあに後藤被告外関係の弁護士ばかりではない。おそらく日本中の国民が納得いかない。検察官は公益を代表し裁判所に向って法の正当なる判断を要求する一つの義務を持っているわけです。これに対して、どうしてもないとおっしゃるのですか。おそらく、今日まで調べて、ないと言うならないのですが、それに対して、それでは局長は現地へ乗り込んで真実の捜査をした事実がありますか。
  65. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 関連して……。  その答弁の前に、さっきのあなたの答弁で何かちょっとあいまいなんですが、質問者は検察官の押収第七号という指定までしてある。今あなたのおっしゃるのは、そういうものがないようなあるような、はっきりしないんだが、一体検事は、今質問者が質問したような、そういう押収はしていないのであるということであるか、そのもの自体が初めからなかったというのであるか、あったのだけれども今見つからぬというのであるか、そこは少しあいまいだと思うんだが、ないのなら、またそれに対するわれわれの質問の事項もあるわけだ。だから、そういう押収第七号、すなわち市木春秋なる者の脅迫文なる重要なる書類を検察官が押収したことがあるのかないのか、それから一つ御答弁を願いたい。
  66. 井本臺吉

    ○井本政府委員 どうも私の調べがはっきりいたさなかったのでありますが、私どもが今まで調べておりました状況では、問題の脅迫文と考えられますものは何ら押収の手続はとっておりません。従って、押収第七号とおっしゃいましたが、どの文書であるか、私の申し上げたのと違った文書かもしれませんので、問題の私の申し上げました文書は、菅忠愛の調書の中に検事が示して調べたということが書いてあります文書だと思いますが、その示した文書でございますれば、それは押収番号をまだ打ってない文書でございます。この証拠物件につきましては、警察の方から他の証拠物件と同時に検事の方に目録の送致がありまして、調べの経過で、かようなものをだれが書いたかということをいろいろ検討しておったようでございます。従って、一応関係の被告の一人にかように示した事実があるのでありますが、大分地方検察庁といたしましては、その脅迫事件を一件刑事事件として立てまして普通の事件のように証拠品の扱いなどはしていなかったようでございます。その理由は、当時この市木春秋なる男の正体がよくわからず、この脅迫事件が果して成立するかしないか、事件一件として調べをするほどの事情になかったやに聞いておりますので、多分さような正式な押収目録に入れなかったというように聞いております。
  67. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そうおっしゃいますが、それでは承わりましょう。あなたの昨年の十二月十三日の志賀委員に対する答弁をごらん下されば一番よくわかると思うのですが、その中に、「所轄の大分地方検察庁に取調べを命じてございます。現在までわかりましたところでは、検察官の領置証書があるので、確かに一度抑えたことははっきりしておりますが、その後この文書がどこに行っておるかはっきりしておりませんので、その文書の所在につきまして目下厳重に取調べ中でございます。」と言っておりまするから、領置された事実はあり、あなたも、はっきりいたしましたということを言っておりますから、きょうの答弁とは少し違うのですよ。それはどうですか。
  68. 井本臺吉

    ○井本政府委員 私は検察官の証書というように申し上げたつもりはありません。警察官の領置証書がございます。それはその控えが現在でもあります。従って、さようなことを申し上げたと存じます。ただいま申し上げたように、この事件は検事の方で正式に一件として事件の受理をいたして立っておるのではないので、便宜警察からさような書類を取り寄せまして、当時係の検事がもっと大きな事件の爆破事件の方を調べておったというのが実情でございます。
  69. 古屋貞雄

    ○古屋委員 これは爆破事件の脅迫の手紙ですよ。爆破事件があるということは、これで初めてわかっている。爆破事件の脅迫の手紙ですよ。だから、これを調べるときは、本件の証拠なんか初めからありっこない。お前のところを爆破するぞという脅迫が行って、だから、爆破されるかもしれぬからというので、配置して、踏み込んでいけというのでやった事件でしょう。これが根本なんだ。根本になるものがなくなるということはないじゃないか。これは常識で考えられない。この投書がなければ、本件の真相はわからないじゃないか。
  70. 井本臺吉

    ○井本政府委員 ただいま申し上げたように、警察の方から便宜取り寄せまして、係の検事が調べをしておったのでございます。その警察の方から取り寄せます際に、この脅迫文と、そのほか、この脅迫文を出した関係者の任意提出書等の書類があるので、確かに検察庁でさようなものを扱ったということはわかるということをこの前申し上げたと思います。また、この脅迫文は、現在では確かにできるなら見つけて調べたいと私ども考えておりますが、当時の状況では、この脅迫事件を事件として立てるほどの状況ではなかったように思っております。従って、さようなことで、確かに検察庁ではさような書類を扱ったということにつきましては私どもも認めておりますので、引き続きなお大分地方検察庁に調べさせているのでございます。現在ではまだ発見しておりませんが、まだ全然望みを捨てているようなわけではございませんので、あるいは見つかってくるかもしれぬというふうに考えております。
  71. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私は、誠意があるなら、あなた方自身が乗り込んでこれははっきりしなければならぬほどの事件であると思うのです。お前を爆破するという脅迫をしているのですから、その脅迫状に基いて爆破しているのですから、爆破事件の途中だけを検挙して、前の原因はほうっておくというはずはないのですから、あなた方が忠実なら、昨年の十二月十三日ですから、少くともあなた方は出かけて行って、向うも隠しているだろうから、その隠したなら隠したという真相を調べて、この法務委員会に報告する義務がある。その点を私はまずお願い申し上げます。  そこで、警察に承わりますが、警察が領置してなければ検察が領置したはずがない。警察で領置した事実があるかどうか。
  72. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 私の聞いている範囲におきましては、脅迫文は証拠物件として検察庁の方に送った、こういうふうに聞いているのでございます。しかし、事柄がきわめて重要な問題でありますので、先ほど井本刑事局長の御答弁を伺っておりますと、なかなか複雑な事情にあったやに思いますので、さらに、私ども警察の立場におきましても、この点につきましては十分に調査をいたして参りたい、かように考えております。
  73. 古屋貞雄

    ○古屋委員 井本刑事局長、今お聞きのようでございまして、あなたに渡したという重要な証拠だ。この点を今裁判中の被告の方から利益援用のために出してもらいたいと言われて、困ったらしい。これはあなたが出かけて行かれて真相をよく調べていただきたい。これは当然あなたは義務がある。そうしてこの法務委員会に後日御報告願いたいと思います。この点は水かけ論でありますから、先に進みます。  そこで、今度は戸高公徳の問題でありますが、警察の方の公安委員長に伺いますが、公安委員長はわからぬとおっしゃっております。前に、昨年の十二月十三日に、志賀委員の御質問に対して、戸高公徳という者は警察大学には籍はない、そうして二十七年の六月三十日まで警察官であったけれども、それから後はやめられている、こういう御答弁をしております。それから、自分の方で警察大学を調べたけれども、全然心当りはありませんという答弁をしておりますけれども、昨日の新聞、本日の新聞によりますと、本人が、市木春秋は戸高公徳だということを新聞記者に発表されております。証人として出ますと言っております。そこで、私の方で調べたのによりますと、昭和三十一年五月三十一日は、中野区囲町二の一、これは警察大学の地番ですが、そこにおって、公徳の妻クリ子由起子、長男の央公、その四人が、警察大学の関係の地番に配給をしておりまするところの桃園の米の配給所から配給を受けておるという事実がある。その原簿の写しを私どもで持っておるのですが、これは警察大学の地番じゃないでしょうか。警察大学におったんじゃないでしょうか。この点どうですか。それから、二十九年の警視庁の職員録を見ますると、原籍大分県、戸高公徳というのが載っております。二十九年の八月二十五日現在の職員録に載っておるのですが、この戸高公徳は東京におらなかったでしょうか。警視庁に勤めておらなかったでしょうか。もっとはっきり申しますると、本日の新聞を拝見いたしますると、二十七年の十月ごろから国警の警察本部の人事院ビルの五階のバラック建の部屋の中の警備第五係に勤務しておったということを新聞記者諸君が前に調べておりまする事実と、それから、本人もさようなことを言っておるのですが、こういう事実はないとおっしゃるのですか。御答弁を願いたいと思います。
  74. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 第一点の、戸高君並びにその家族が昭和三十一年の五月三十一日に中野の囲町に住まっておったかどうかという点でございますが、それを明らかにお答えする前に、戸高君が今日まで東京に住まっておったかどうかという問題からお答えをしたいと思うのであります。つまり、二十七年九月ごろから当時の国警本部に勤めておったのではないかという第三点のお尋ねないしは第二点の二十九年度の警視庁の職員録に名前が載っておるではないかというすべてのお答えをする便宜上、この機会に戸高君についてその後私どもの調査の結果わかりました事情をお答え申し上げたいと思うのであります。  昨年の十二月十三日の当委員会におきまして、たしか志賀委員よりお尋ねを受けました当時、私はこの問題につきましてはその日は寝耳に水というわけではございません。十二月四日にアカハタ紙上に掲載されたこともありましたので、それによりまして初めて私はいわゆる菅生事件というものに現職の警察官が何らかの形において関係があったのではないかという疑惑を持たされたのであります。自来私は、この問題の真相を究明しなければならぬということは当時から考えておったのでございますが、たまたま昨年の十二月十三日の当委員会において御指摘をいただきましたのを契機といたしまして、鋭意この真相を究明すべく努力をいたしたのでございます。そうして、当時の大分県の県本部の警備部長をいたしておりました小林末喜君、これは現在新潟県警察本部の警備部長をいたしておる者でございます。この人間について当時の状況を詳細聞くことがまず最も必要であろう、こういうふうに考えて、新潟県小林警備部長の上京、報告を促したのでございます。時あたかも年末多忙の際でございましたので、ついに昨年暮れまでにはその機会を得なかったのでございます。本年に入りまして、一月の、日は忘れましたけれども、本年の一月になりましてから、小林新潟県警備部長の上京を求めまして、当時の事情を詳しく聞くことができたのでございます。その結果、今お尋ねの点にお答えできる材料を私どもそのときに初めて入手することができたのでございます。当時の大分県戸高巡査部長は、問題の菅生事件の発生いたしました昭和二十七年六月三十日付をもちまして大分県警察官を依願退職をいたしておるのでございます。この点は、昨年の当委員会においても、私どもはその程度承知をいたしておりましたので、あるいはそのときにお答えをいたしたかとも思いますが、その後の状況は、先ほど申しました通り、本年一月新潟県小林警備部長から詳細状況を聴取して初めて知り得たところなのでございますが、二十七年六月末に健康の理由によりまして依願退職いたしました戸高君は、しばらく郷里において静養をいたしておったのでございます。その期間はおおむね二、三カ月であるやに聞いております。そうして、同年の九月ごろ、健康も回復いたしましたので何らかの職につきたいというので、今申します、当時の大分県警備部長であった小林君の援助によりまして、東京において何か格好な仕事につきたいということで上京して参ったのであります。何分にも、突然東京に出て参りましても、いかに縁故者があるとしましても、そうやすやすと格好な仕事が見つかるような時世でもございませんので、先ほどお尋ねのありました、もともと大分県において警備の仕事を担当しておりました関係もありまして、当時の国警本部の警備課におきまして、それでは資料整備等の仕事でも臨時雇的な立場で手伝ってもらおうじゃないかということで、昭和二十七年の九月からしばらくの間そうした仕事に携わっておったのでございます。その後、その翌年の二十八年の九月に、本人は、健康も回復いたしましたし、再び警察官として復職をしたい、こういう希望を持ちまして、当時の国警東京都本部に採用を申し出たのでございます。それが二十八年の九月で、二十八年の九月に国警の東京都本部に採用されたのでございます。それが、御承知通り、その翌年の昭和二十九年の七月に、警察制度の改正によりまして、旧二十三区を管轄しておりました自治体警察と警視庁とが一本化されまして、現在の東京都全体を管轄する警視庁になったわけでございます。従いまして、その当時旧国警都本部の職員であった者は必然的に警視庁の職員として引き継がれたわけでございます。従いまして、先ほど古屋委員のお尋ねのありました昭和二十九年度の警視庁の職員録に当然名前が載るのはちっとも不思議ではない、こういうことになるのでございます。そうして、その後警察官として勤務を続けまして、三十一年の四月に一身上の理由によりまして退職をいたしております。  従いまして、先ほどお尋ねの第一点の昭和三十一年五月三十一日という時期は、戸高君が警察官の現職を退いた後の時期のことでございます。従いまして、私ども、警察官で在職しておる間のことは、これを身分上の監督もございますので、本人がどこに住んでおるかというようなことはもとより明らかにいたしておりますが、やめたあとにおきましてどこに住まっておるかというところまでは、必要もないことでありますし、個人の自由なことでございますので、あれこれ調査する必要もありませんし、またすべきでもないということで、従いまして、三十一年の五月三十一日、つまりその前月に警察官を退職いたしております戸高君がその時期に果して中野の囲町に住んでおったかどうかということにつきましては、私は承知をいたしておらないのでございます。  以上三点、お尋ねに対してお答えしたつもりでございます。
  75. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そこで、私は確認をしていただきたいと思うのですが、そうしますと、戸高公徳が国警の本部にお勤めになりました一番最初は二十七年の九月ですか。
  76. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 二十七年の九月中旬以降であるというふうに聞いております。
  77. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そうしますと、三十一年十二月十三日の山口説明員の答弁はでたらめのうそを言ったということになるわけですね、御自分の部下のことを、警備部長が、警備第五係におったというのを、さような人は二十七年の六月三十日からあとわからない、警察大学にも、調べたところ全然心当りがない、こういうことを言っておりますので、御自分の足元におる人を、当法務委員会にうそを言って、当法務委員会をごまかしたということになるのですが、これはどうですか。今の石井長官の御説明によりますと、当時は国警に勤めておった、国警の職員なんだ。ところが、三十一年十二月十三日の当法務委員会における志賀委員に対する答弁におきましては、「二十七年の六月三十日まで警察官であったのでありまそれから、第二点の、警察大学校の中に住んでおったとかいうことにつきましては、そういこうとをおっしゃったということで私の方も調べましたら、全然心当りはございません。」−。これは、菅生事件の問題について、市木春秋とは戸高公徳である、現職の警察官である、こういうことの質問に対して、今の石井さんの御答弁と山口警備部長の答弁は全然違っておるのですが、そうしますと、山口警備部長は当委員会において全部うそを言ってごまかしたということになるが、これはどうですか。自分の第五係におった人を当時の警備部長は全然知らぬのですか。
  78. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 先ほどもお答えいたしました通り、昨年の十二月十三日の当委員会が開かれました当時におきましては、私はもとより、主管部長である警備部長も、こうしたことについては詳細のことは何も知らなかったわけであります。警備部長も同様に、本年の一月に入りましてから新潟県の小林警備部長の上京を求めて、一緒に詳細の報告を聞いて、初めて戸高君の二十七年六月に退職した後の情勢というものが把握できたのでございます。従いまして、昨年の十二月の当委員会において、警備部長が先ほど古屋委員が御指摘になったような答弁をいたしましたのは、まことに無理からぬことであると思うのでございまして、警備部の職員も数多くおることでございまして、警備部長が一々末端の職員まで、特に臨時的にほんの一時的にお手伝いに来ておるような職員まですべてを承知するということは、できればそれが理想でありましょうが、そうしたことは実際問題として不可能であろうと思うのでありまして、警備部長が当時お答えいたしましたことは、事情の関係上やむを得ないことでありまして、今日その事情の変化いたしております現状におきましては、警備部長としましてもそういう答弁はいたさないだろうと思います。
  79. 古屋貞雄

    ○古屋委員 これは、調査をしたけれどもという前提で答弁をしておるわけです。このくらいのことがわからぬで、一体警備部長の仕事が勤まりますか。しかも、こういう重大な問題になった法務委員会の答弁が、わからなかったのは当然だという今の石井さんの御答弁は、納得いかぬですね。あなたは、日本全国の部下を指揮するときに、どこにだれがいるぐらいわかるでしょう。もしわからぬにしても、こういう重大な問題が質問されて、それで調査したのでしょう。調査してわからぬというのはどうなんです。これは、私どもに言わせると、おそらくこの人を故意に隠しておったのだということになる。それで、真実を明らかにしようとしている委員会をごまかしておるというのでは、私は断じて引き下りませんよ。本件のような重大な問題について、どうです、その点は。調査したと書いてあるじゃないですか。
  80. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 ただいま長官からお答えいたしましたように、私は、当時、戸高君が二十七年から警備部の資料の整理に臨時の職員として勤務をしておったことは、まことに遺憾でありますが、存じませんでした。私の部には、いろいろな資料を整理いたしますために特に臨時の職員を多数使用いたしております。従って、その全部につきまして、私は残念ながら氏名等も覚えてない場合もあるのでございます。御質問を受けましてから、小林君を至急呼んで調査をしたいと思いましたが、当時年末の闘争もあり、あるいは年末のいろいろな警戒もありますし、出てくるのが困難な状況でありましたので、本年早々東京に上京を求めまして、当時のいきさつを詳しく聞いたのであります。これは後ほどお話に出ると思いますが、当時の状況につきましては、警備部長である小林君が、戸高君のことについては一切承知はしておりましたが、事柄の性質上、これは他の者にはあまり話してなかったという事実はございます。
  81. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 関連して……。臨時雇と言われますが、いつからいつまで臨時雇だったのですか。昭和二十九年八月現在の警視庁職員録、警視庁人事課庶務係に、戸高公徳、カッコして大分と書いてあります。いつから臨時雇をやめてこういうふうに採用したのですか、巡査部長として。
  82. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 先ほどお答えしたつもりでございますが、繰り返してお答えいたします。二十七年の九月から、臨時雇として当時の国警本部の警備の方の資料の整理の仕事に携わっておったのでございます。その翌年の九月に、つまり二十八年の九月に、当時の国警東京都本部に、警察官として再び復職したいという希望に燃えて採用願を出し、採用になったのでございます。従って警察官に復職いたしましたのは二十八年の九月からでございます。
  83. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 そこで、伺いますが、市木春秋という人物がいるということ、それが問題になっておることは、もうすでに前からわかっておるのです。警視庁に採用するときに、経歴調べはしなかったのですか。臨時雇にしろ、巡査部長に復職の希望が熱烈であったというときに、その人の前歴というものは調べないのですか。何か彼の履歴書に記載がありましたか。
  84. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 先ほどお答えしました通り昭和二十八年の九月に当時の国警東京都本部に採用になるときは、もとより東京都本部としましては、いわゆる身元調査と申しますか、前歴がどういうものであったか——特に最近まで大分県で警察官をやっておったという関係から、大分県の方には照会をいたしたものと思います。(志賀(義)委員「照会したその結果はどうでした」と呼ぶ)戸高君は大分県においてもきわめて優秀な警備警察官であったという報告が必ずあったものと思うのでありまして、東京都本部におきましては、従ってこれを警察官として採用するのが適当であろうという結論を出したものと想像しております。
  85. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 あとはまた古屋委員にやってもらいますが、昭和三十一年の四月ですか五月ですか、退職するときに、戸高公徳なる人物は警官としてどういう地位にありましたか。
  86. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 はっきり私記憶いたしておりませんが、優秀な巡査部長であり、警部補昇任試験も受けて、あるいは合格しておったので、警部補にそろそろなる時期であったから、あるいは警部補になっておったかもしれませんが、そこのところは今はっきりと記憶しておりませんので、まことに恐縮でございますが、調べまして……。
  87. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 彼はどうしてやめたのですか。また、あなたは、十二月十三日に私から質問を受ける前に、十二月五日のアカハタで戸高公徳という名前が出ておるのを見たと言われた。これはあなた方としては重大問題でしょう。なぜ、小林という当時の警備部長を調べる前に、——戸高公徳という人物は現に山口警備部長の下にいた人物です。なぜそれを直接お調べにならなかったのか。なぜ警部補になるほどの優秀な成績の者がやめたのか、また、アカハタを見られてからここで答弁をするまでに、なぜ戸高を調べられなかったのか、その点について御答弁が願いたい。
  88. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 警察官は全国に十何万と数がきわめて多いのでございます。それをシラミつぶしに調べれば別でございますが、まさか戸高君が、いわゆる灯台もと暗しと申しますか、自分のおひざもとにおろうとは夢にも考えませんでございました。従って、そうした調査をすることに気がつかなかったのであります。今から申しますならば、まことに手抜かりではないかと言われれば、私もまさに残念であったと思うのでございますが、戸高君がどこにおるかということは、当時は簡単には調査はできないと思いました。東京におることがわかれば、それは警視庁の警察官をシラミつぶしに、いるかいないかということを確かめたと思います。  それから、どういう理由で退職したかというお尋ねでございますが、私の聞いておるところでは、家事の都合というふうに聞いております。
  89. 古屋貞雄

    ○古屋委員 今御答弁を承わりますと、こういう重大な事件を今日までほうっておいたのですか。本日の新聞を拝見しますと、新聞記者の諸君の、警察があなたを隠していたかという質問に対して、こういうように答えておりますが、この点はどうでしょう。私としては早く出て世の誤解を解きたかった、私から警察庁の某幹部に出る時期を相談し、指示を受けていた、こういうことがあります。本人が言っておるのですが、これはどうなんです。この点は、一問一答だから、新聞記者がうそを言っていないと思う。おとといの晩に、自分も早く出て事実を明らかにしたいのだ、そうして出る時期を幹部に相談した、——おそらく幹部と申し上げますならばあなた方が警察庁の幹部でしょう。それから、前から当委員会で答弁しているし、これについては関心を持たなければならないはずです。のみならず、九州の新聞をごらんなさい。昨年から今日までみんな五段抜きでこの問題を、警察官がやったのだということを堂々とやっておりますから、あなた方の方ヘアカハタ以外にこの新聞が来ているはずなんです。報告が来ているはずなんです。何も小林末喜さんを新潟から呼ばないでも、電話一本で、日本じゅう電話がかかるでしょう。去年の十二月からやっているじゃないですか。これはどうですか。これを某幹部に相談したら時期を待てと言われた、こう書いてある。これでも、今言ったように、やめるときは知らなかったし、おったのも知らなかった、こういう御答弁では、だれが聞いても納得いかないのですが、さらに、御答弁願いたいと思うのは、たとい雇であろうと、警察の重要なる書類を扱わせる者に、警察の幹部がうっかり知らずに何も調べなくて採用いたしますか。どこかの走り使いをする番頭を頼むような、中小企業の商店で頼むような場合と違うのではないですか。重要な国家警察が自分のところの職員を採用するときに、たとい雇といえども、使うときに、この人の身分、この人の性格、従来やってきました経歴、これを調べなかったということは、私どもは断じて承服できませんが、この点はどうなんです。調べておったのではないですか。知っておってそういうことをやっておったのではないですか。
  90. 三田村武夫

    三田委員長 この際委員長から一言申し上げますが、前国会以来この案件は当委員会の調査対象になっている重要な事件であります。先刻来各委員からの質疑、それに対する御答弁を伺っておりましても、どうも解けがたいなぞがあるような気がいたします。この機会に一つ事の真相を明らかにしていただきたいと思います。石井警察庁長官から今まで御調査になりました事の次第をこの機会に明らかにしておいていただきたい。委員長から求めます。
  91. 古屋貞雄

    ○古屋委員 なお、その前に、参考にもう一つだけ委員長につけ加えて申し上げたいと思います。それは、本件の起きました菅生駐在所の爆音の起きたすぐ直後に、戸高は警察につかまっているのです。そうしてジープに乗せられて連れていかれたのです。そのときに、——これは新聞記者が宣誓をして証言しております。毎日の新聞記者はそこで写真をとった。そのときにその写真をとって、警察がそれを押収して持っていっている。検察庁に行っているか行っておらぬか、この点は私どもは自信を持ちませんが、警察へ持っていっている。そうして、市木を、戸高をつかまえたのです。写真までとっているのですから、この点について、あなた方は、今委員長のおっしゃられたように重大問題で、電話一本でわかるのですから、捜査されたはずだと思いますが、その点もつけ加えて御答弁していただきたい。
  92. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 戸高君を私の方の資料の整理に採用しますときは、先ほど長官からお答えいたしましたように、当時の大分県の小林警備部長から話がありまして採用をいたしたのであります。従って、そのときに身元の調べ等をいたしていることは当然であります。  それから、きょうの新聞に出ております戸高君の談話の内容について御質問がありましたが、私もその新聞の記事によって承知をいたしたのであります。それについて私が思い当ることがございますので、それを申し上げたいと思います。  それは、二月の二十五日に公判がありまして、証人調べが行われ、二十六日にラジオ東京がこの事件の現地の録音をしたのであります。主として被告の人々、あるいはその関係者の方々のお話を編集をいたしまして、夜間約四十五分間にわたって放送されたように記憶をいたしております。この放送を本人が聞きまして、きわめて真相を曲げて放送されておることに非常に憤慨をいたしたのであります。そして、事態がこういうようになるからには、自分が公判廷に名乗って出て堂々と証言をいたしたいということを、三月の初めのときに私の方のある人間に連絡をいたしてきたのであります。そこで、私どもは、いろいろと相談いたしまして、それはその方がよろしい、これは非常に事態を曲げられて故意に宣伝をされておる部面がありますので、本人が堂々と公判廷に出て、対決の上、はっきりした方がよいと思いまして、直ちに裁判所に対しましては検察庁を通じて証人に申請をしていただくようにお願いをしております。従って、もし戸高君のその談話がそういうことであるとしますならば、おそらくそのことを私は言っておると思う。要するに、君がそういう気持ならば証人に出なさいということを言った、そのことをさしておるものと私は思います。
  93. 古屋貞雄

    ○古屋委員 今御答弁を承わりますと、相当詳しく前から知っておられる。今ここにテープレコーダーがありまするから、お聞かせ申し上げてもいいが、あなたはきわめて曲げておると言われておるが、入っておるものが第三者の証人の証言です。ここにあるから、あとでかけてもよろしゅうございます。大臣も聞いてごらんなさい。  そこで、私が承わりたいのは、身元調査も当然にやったとおっしゃっている以上、あなたのさっきの御答弁とも矛盾するじゃありませんか。身元調べまでした人を、あなたと長官が知らぬとは何ですか。身元調べをしておる、小林さんから頼まれたということ自体で、最初あなたが答弁する前から知っているはずですよ。だれが聞いてもあなたの答弁じゃ納得できないじゃありませんか。委員長もあなたの答弁はまじめでないと言っておる。警察官はうそをいう、こういうふうに私どもは印象を受けますよ。あなたが、身元調べは当然いたしました、小林から聞きました、こう言っている以上、なぜ一体昨年の十二月十三日に、こうしたことがありません、知りませんと言っているのですか。委員会を愚弄するもはなはだしいですよ。委員の諸君も、ここにいらっしゃるから、これを公平に御判断願いたい。私が申し上げておることが無理か、あなたの答弁が合理的にだれでもわかるような答弁をしていらっしゃるのか。委員長は今もあなたの方の答弁はふまじめだと、こうおつしゃつておる。まじめにやって下さい。それが一つ。  それから、今日まで新聞記者諸君と被告側の弁護士諸君は血眼でこの人を探して歩いておった。それがあのラジオ放送でびっくりして出てくるなんというはずはございません。昨年の十月一日からあの人は行方不明なんですよ。家族四人は東京におる。その家族四人の行方というものは、最後には西荻窪におった。ところが、その調べはほとんどないのです。米の配給についても、移転の届についても、何もない。こういうことをあなた方が常識で考えたときに、何でもない、いつでも証人に出頭しようという意思のある方ならば、こういう隠れ方をする必要は私はないと思うのですが、その点はいかがでございましょうか。
  94. 三田村武夫

    三田委員長 この機会に重ねて一言申し上げます。本件は、委員諸君も政府関係者も御承知通り、裁判係属中の案件であります。従って、本委員会における調査は、この委員会の権威を尊重して国政調査の範囲を出ないように御留意賜わらんことを望んでおきます。  なお、政府当局におきましても、先ほど委員長が申し上げたことは、政府当局の御答弁の中にもう少し突っ込んで事の真相をお話しになる方が本案件の調査上便宜かと思いますから、その意味の御注意を申し上げたのであります。この機会に、そういう趣旨の、事の真相について一応の筋道を立てた御意見が承われますならば、本件の調査上非常に好都合だと思いますから、さらに重ねて申し上げておきます。
  95. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 今の御質問にお答え申し上げますが、小林君のそういう話で採用いたしたのでありますから、身元調査も、小林君の保証といいますか、そういうことで確実であるということですから、それは調査もいたしたと思います。従って、間違いないと思って採用いたしたのであります。臨時職員の採用につきましてはそれぞれの係がございますし、私は直接そういう採用にはタッチいたしておりませんし、先ほども申し上げましたように、私といたしましては存じておりませんでした。しかしこれははなはだ遺憾に存じますということを申し上げたのであります。
  96. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 菅生事件が二十七年の六月に起りましたその当時の社会的な背景と申しますか、全国的情勢、特に問題の起りました大分県の当時の情勢はどうであったかということからまず申し上げた方がいいかと思うのであります。  御承知通り昭和二十五年コミンフォルムによって日本共産党が批判を受けまして以来、日本共産党の戦術の転換と申しますか、そうしたことは志賀委員の前ではまことに釈迦に説法で申しわけないのでございますが、これは、コミンフォルムの批判を受けまして後の日本共産党が、非合法組織、地下組織の拡充強化、さらには二十六年のいわゆる第四回全回協議会において御採択になりました新しい方針、いわゆる軍事方針といわれるものを打ち出されて以来、軍事組織の確立拡大というようなことを中央から指示をされまして、全国的にそうした運動が強力に展開され、組織が拡大強化されてきたというふうに私ども伺っておるのであります。そうした中央の方針にのっとりまして、大分県におきましてもまさしく同じような傾向をとられたことは申すまでもないところであります。いわゆる火炎びん闘争といわれるようなものが続発いたしましたのもまさにその時期であるのでございます。昭和二十七年六月にこの事件が発生いたします前の半年ぐらいは、大分県におきましては、いわゆる解放地区設定、軍事組織の拡大強化、こういったことに県の党とされましては非常に力を入れて、重点的にいわゆる解放地区を指定されまして、いろいろと強力な運動を展開されたように拝見をいたしているのでございます。その重要解放地区、軍事拠点の一つとして選ばれたのが、問題の発生しました菅生村であるように思います。当時、菅生村におきまして、たしか二十六年の後半のころであったかと思うのでありますが、開拓農協の不正問題がありましたのをきっかけといたしまして、今回の事件の被告となっておられる後藤氏が特に選ばれまして菅生村に派遣をされ、菅生村を中心とするいわゆる軍事組織、中核自衛隊組織の中心となって活躍されたのであります。村の有力者、地主、いわゆるボスというような方々に対する排撃運動、村政批判運動といったようなものを強力に展開されまして、その間に、こうした村の有力者、地主等に対する暴行、傷害事犯、脅迫事犯といったようなものが続発をいたしておったのでございます。  かかる情勢にありましたので、当時の大分県の警備部長といたしましては、もしこれがますます激化いたしましていわゆる共産党の武力革命というものが実現するというようなことになっては大へんなことである、問題を未然に防止するために、そうした動きを十分に把握し、事故の未然防止をはかるのが警察の職責であるという観点に立ちまして、そうした動きを正確に把握できる処置をとる必要を感じたのでございます。ところが、なかなかそうした隠密の間に強力に潜行的に準備されておる動向については、簡単に協力していただける者はないのであります。そこで、必ずしも感心したやり方ではないかもしれませんが、いわゆる虎穴に入らずんば虎児を得ずのたとえのごとく、部下たる警察官をして党に接近せしめて、情報を正確に把握し、報告すると同時に、不法事案の未然防止のために最善を尽すようにと、こういう指令を当時の大分県警備部長たる小林君は戸高君に命じたのであります。そこで、戸高君がその上司の特命を受けまして問題の発生しました菅生村におもむいたのでございます。たしかそれが昭和二十七年の三月の下旬ごろであったかと思うのでございます。もちろん、警察官であるという身分を秘匿いたしまして、松井製材所の主人にお願いをしまして、職員に採用していただきまして、そこで働きつつ、村の人たちと接触をし党の関係の方々とも接触をするということによっていろいろ情報を収集するという、上司からの命ぜられた、任務を果すことになったのでございます。  その結果、たまたま今回発生をしました菅生事件というような駐在所を襲撃する計画のあることを耳にいたしまして、戸高君としましては、同僚の住む駐在所が爆撃され、襲撃されるというようなことはまことに遺憾なことである、何とかしてこれを防止しなければならぬということで、絶えず説得の側に回って努力をしたようであります。事件の発生をいたしましたのは二十七年の六月二日の未明でございます。その前日、つまり六月一日昼ごろであったかと思いますが、小林君のところに戸高君は報告をもたらしまして駐在所襲撃の計画はあるようである、実は、昨日、つまり五月三十一日に襲撃の計画があったのであるけれども、それは自分の力で何とか説得してこれを阻止することができた、今日以後そういうふうに自分の微力でもって防ぎ切れるかどうかわからないという意味の連絡があったのでございます。そこで、小林警備部長といたしましては、これは容易ならざることである、しかし何とかして最後までそうした不法事犯の発生を未然に防止するように最善を尽すようにということを戸高君に重ねて特命をいたしたのでございます。と同時に、万一不幸にして事件が発生した場合の警備措置をとらなければならぬことは申すまでもないのでございますので、小林君といたしましては、たまたま当時他の事件もありまして、それを表向きの理由といたしまして、警察官を菅生村の方に配置いたしまして捜査に当らせておりましたところ、たまたま駐在所の襲撃事件が発生いたしました。そこで、今日被告になっておられる方々が現場においていわゆる現行犯として逮捕されたというのがこの事件の概要でございます。  当時、全国的に、あるいは警視庁管下におきまして、印藤巡査殺し事件、あるいは岩の坂交番の襲撃事件、また皇居前のメーデー事件、こういった一連の事件が相次いで起っておった。そういう社会的環境におきまして、大分県においてもそういう状況にありましたので、当時の警備部長といたしましては、やむを得ざる処置として、特に部下のうちの優秀なる戸高巡査部長を選んで情報収集の特命を与えたもの、かように思うのでありまして、戸高巡査部長は、事件には直接何ら関係はなく、もっぱら情報の収集、また不法事案の未然防止という、上司から示された任務のために最善を尽した、かように聞いておるのであります。
  97. 古屋貞雄

    ○古屋委員 今国警長官の石井さんのお話を承わりますと、非常に詳しく存じておるのですが、この点を再確認してもらいたいのです。そうしますと、爆破されまする前に、あらかじめ共産党か何か知りませんが、爆弾を投げ込むことがわかっておって、そうしてたくさんの配置をして、これを検挙した。そこで、ミナ子さんという駐在所の奥さんが新聞記者に話しておりまする中に、こういうことがあるのですね。主人から聞かされた、共産党の者たちがここを爆破する、しかしお前はしんぼうしておれ、こう言われて、自分も警察官の女房であるし、妊娠五カ月ではあるし、これを世間に発表したり、どこかへ逃げてしまうということになると、警察官の妻としてまことに相済まぬことであるから、自分はふとんをかぶって、もう爆破されるかもう爆破されるかと、もう死ぬような思いで爆破されるのを待っておった、こういうことを言っておるのですが、そういう点についてあなた方はお調べになったのでありましょうか、どうでありましょうか。そういう事実について、あなたはご存じあるかどうか、この点どうですか。
  98. 石井榮三

    ○石井(榮)政府委員 先ほどもお答えいたしました通り、また御報告いたしました通り、当時の社会情勢、たとえば、東京の警視庁管下におきまして、岩の坂の交番の襲撃事件があった、あるいは印藤巡査殺しがあったといったように、事件が続発しておりましたので、当時大分県におきましても、いついかなる場合に駐在所が襲撃される、警察官がねらわれるということがあるかもしれない、十分警戒するように、特に共産党の方において軍事拠点としていろいろ強力に運動を展開しておられるような地帯においてはその危険性が特に大きいから、そういう地方の駐在所の警察官諸君は十分に警戒をするようにということは当時の大分県本部の幹部も指示をいたしておると思うのでございます。従いまして、そういう関係から、駐在巡査もそのことを自分の奥さんに対してよく注意を喚起したということは考えられることでございまして、そういう意味におきまして、いつどんなことがあるかもわからない、覚悟を十分しておくようにという意味であろうと私は解するのであります。
  99. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私の聞いているのはそういうような抽象的なことではないのです。私の承わりたいのは、今晩やられるんだ、妊娠しておる御婦人が爆破をされるかわからぬのに、太戸三郎という御主人公が、自分の女房に向って、共産党に爆破されるんだけれどもお前うちにおれよなんということを、夫であり人間であれば言わぬと私は思うのです。爆破されれば死んでしまうんですから。しかも妊娠しておる。その晩、六月二日の未明の前に、主人がくつをはいて上りばたで飛び出せるような態勢をしておった、自分は主人から言われて奥の座敷でふとんをかぶっていつやられるかいつやられるか、死んだような思いで生きた気持はなかったということをしゃべっておるわけなんです。でありまするから、そういう点について、あなた方は、今るる申し述べたような情勢を御存じでありまするのか。これはあなた方が知っていなければならぬ、調査してなければならぬはずなんです。自分の部下の生命の問題ですよ。今あなた方がおっしゃるように、共産党の諸君がここを爆破するということになれば、爆破されるまでお前そこで安閑と寝ているなんてことは言えないのではないか。初めからわかっているのに、共産党の諸君がやってくるのが初めからわかっているのに、妊娠しておる自分の女房に向って、お前奥の方でふとんをかぶって寝ていろなんということは、私が主人なら、どんなことがあろうとも、自分の女房にはそういうことは言いませんね。職務じゃないでしょう。そういう調査をしておるかどうかということなんです。そういう話を小林さんがあなたに報告してないかどうか。この点は抽象的な問題ではない。そういう事実を本人が新聞記者に述べておる。これは将来宣誓されて公判廷で述べるでしょう。こういうことがありますから、私、聞いているんですよ。こういう事実があったかなかったかということについて、あなたの方で捜査したか、まだ捜査してないのかどうか、こういう点について明確に言っていただきたい。事実を明確にしていただきたい。
  100. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 そういう新聞記事が出たことは私存じております。存じておりますが、そういう談話を果してその通りしたかどうか、これは、私、今のところ存じておりません。   〔「うそを言ったのか」と呼ぶ者あり〕
  101. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 いや、お聞きを願いたい。かりにその新聞記事の通りであるといたしますならば——私は存じませんので、今そう申し上げるのですが、かりにそういうことであるといたしましても、お話になりましたように直ちにもって警察官がやるからわかっておったというように結論を持っていかれることはいかがかと思います。といいますのは、先ほども申し上げておりますように、当時私の方は党の中核自衛隊の活動は正直に申し上げましてほとんど全部握っておりました。従って、そういう人々がどういう計画をしようとしておるかはわかっておったのであります。あるいは、駐在の巡査に注意をするように、具体的な話でなくても、注意をするようにということは言ってあったかもわかりません。これは、私は、ごく当りまえのことだろう、かように思うのであります。だから、知っておったからということで直ちにそれは警察官がやったから知っておったというように話を持っていかれることはいかがかと思います。
  102. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私は、そういうような疑いを持つではないかということを言ったのですよ。調査をしたのかしないのか、それを言って下さい。それでけっこうです。
  103. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 私は、しないとは申し上げません。それは当然したと思います。しかし……。
  104. 古屋貞雄

    ○古屋委員 あなたの方でやったかどうかということは重大問題だから、それを聞いている。
  105. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 私は、その点は存じません。そういう新聞が出たことは存じております。
  106. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それでは、あなた方がそういう新聞をごらんになったならば調査するのが当りまえじゃないですか。これは重大な問題ですから。どうなんです。私は、そういう事実があったとすればそういう疑いがあるじゃありませんかということを申し上げているのです。あったと断定したわけではない。その調査をしないというなら仕方がない。  もう一つ承わりましょう。その二、三ヵ月前に——本件の被告の後藤秀生が十年の懲役を受けた。今石井長官の御説明でありますと、村に協力者がなかったとおっしゃいましたね。そこで、仕方がなくて戸高をやったのだ、こう言う。協力者が大あり過ぎたから私聞くのですがね。後藤秀生を殺してしまうというので暴漢が数名で後藤のうちへ押しかけて、非常な暴行を働いた事実があります。それはあなた御承知でしょう。当時のあそこの治安の状況ですから。そしてしかも、そのおやじがおって、後藤秀生はおらなかったから助かった。後藤のおやじの彦馬という人はやられて今かたわになっているわけです。ここに田島敏行という医者の診断書がございますけれども、非常な鋭利なものでやられたり、鈍体でやられたりしておる。まっ暗だったので後藤秀生と思ってやったらしい。この事件は、警察が捜査した結果、十人くらいで行っているのに一人だけ処罰している。これも疑義があるからあとで聞きますが、こういうような大きな事件があったことをあなたは知っているかどうか。今石井さんが説明したような詳しい地方状況がわかるならば、共産党諸君のこともわかるなら、こんな大きな事件がわからぬはずがない。知っているか知らないか、答弁して下さい。捜査したかしないか。
  107. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 今お話がございましたような事件につきましては、当時捜査をいたしまして事件を処置いたしております。
  108. 古屋貞雄

    ○古屋委員 協力者は、共産党を襲撃した者、ここにあるでしょう。こういう暴力団が後藤秀生を殺すつもりでおやじをやったんですよ。そこで、私どもは、この捜査に疑問がある。これは当委員会で調査しなければならない。これは警察当局の問題になってくる。あなた方がやったのは一人だけです。そしてちゃらぽらんで済ましてしまった。この点を御存じないというのですね。内容を知っているか、どういう捜査をやったか。鋭利なもので切った、鈍体でやった打撲傷がある。これはかたわになっておりますよ。暴漢に襲撃されたんですよ。こういうような事案だった。共産党の話をするけれども、私どもは公平に見る。こういうようなことでは、人命保護をする警察が、共産党のことばかり考えて、こういう善良な人々がこんな大きなけがをさせられ、こんなにやられて捜査を十分にやらない。これは不平満々たるものでありまして、この問題は当委員会であとで調査してもらいたいと思っておりますからお尋ねしますが、捜査した事実があったかどうか、このあとの実情を調査した事実があるかどうか、調査した事実があればこの際報告してもらいたい。
  109. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 そういう事件がありまして、警察は捜査いたしまして事件を検挙し、きちっと処理をいたしております。  それから、なお、そういう協力者があったじゃないかというお話でございますが、私どもの申し上げております協力者というのは、共産党の内部の事情をよく知っておられる協力者であります。従って、はっきり申し上げれば、共産党の中におられる方に協力を求められれば、われわれは協力をいただくこともございます。しかし、そういうのは当時の事情では求め得られなかったということを先ほど申し上げたのであります。
  110. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それなら申し上げましょう。阿南房江という女がアジトで、よく調べみると、この公徳も関係しており、大戸三郎も関係しておる。こういうようなアジトがたくさんあって、協力者がたくさんあった事実が私どもの方にわかってあなたの方にはわかっておらぬのですか。そういうアジトがあって協力した事実、この点はどうです。
  111. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 今申し上げましたように、党の中の動きを詳細に知るための協力者を得られなかったという意味です。それ以外にいろいろな便宜を与えてくれる協力者はあったと思いますが、しかし、当時強固な地下組織を作っておりまして、党内の動きが十分につかめない。党内の人で協力をしてくれる人があればよろしいのですが、なかなかそうも参らない。そこでやむを得ず戸高君に党に接近するように命じた、そういう意味において協力者を得られなかった、こういうことを申し上げておるのであります。
  112. 古屋貞雄

    ○古屋委員 一体、日本の捜査に対する関係は、捜査の方法は規定されていますね。法律を越えてはなりませんね。やはり、われわれの自由、身体、言論、結社、こういうものは憲法で守られていますね。それじゃ、あなた方のおっしゃるような、そういう自由を奪うようなことをする協力者というものはあり得ないですよ。そういうことをあなた方が言うこと自体がおかしい。従って、変名をさせて松井という製材所に入れて、そして後藤などの共産党の諸君を引き出して、中を探ろうとしたか何か知りませんが、そういうことをやったことは事実ですね。これはあなた方も否定しませんね。そういうこと自体正しいやり方ですか。警察官を変名させて人の家へ預けて、そうしてでたらめの申し振りをして人をだましていろいろなことをやっておる。警察官が変名をして、人をだまして捜査をする。もっとほかに科学的な捜査の方法はあるでしょう。共産党なるがゆえにそういう非合法をやって、法律に許されないことをやってもいいというのですか。その点を承わりたいと思う。
  113. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 一般の刑事犯罪等についてそういう捜査をすることは、私は適当でないと思います。また、共産党であるからそういう捜査をすることがいいとも私は申し上げません。しかし、あの当時の日本の国内の情勢のもとにおいて、あの大分県の菅生村の状況のもとにおいて、強固な地下組織を持ち、軍事活動をやろうとする党の組織の実態を究明していくには、私は、あの場合ほかに方法がなかった、全くやむを得ない措置であったと思います。その意味において、当時の警察のとりました措置は、私は間違っていなかったと思っております。
  114. 古屋貞雄

    ○古屋委員 今の事実を認めた。合法であるとおっしゃったのですから、その点はそれで打ち切ります。  それでは、もう一つ聞いておきましょう。当時の市木、今の戸高に、本件の爆弾であるかどうかしりませんけれども、ダイナマイトを渡した人間を調査をいたしましたか。これももう半年前から新聞に載っております。田村克巳という人間が、自分は、当時の市木からダイナマイトを分けてくれというので、これを分けてやった、そして途中まで行ったところが、一つ落しちゃって、君、探せというので、自分は落した元来た方へ戻って探しておる間に市木はどっかへ行ってしまった、これで私は四十何日間警察にとめられ、職も奪われました、心外に堪えません、このことは公判廷ではっきり申し上げますと言ったということが当時の新聞に載っておるのです。これは重要な問題です。また、一昨日市木は、新聞記者に対して、ダイナマイトに関係のあることを認めますと言っております。これも新聞に載っておる。これに対してあなた方はどういう考えを持っておるか。市木は疑わしいですよ。一体、あなた方の御商売の鋭敏なる感覚でもって、これを疑うかどうか、しかも田村に対する処置をしたかどうか、その点を伺いたい。山口(喜)政府委員 その点につきましては、公判廷で問題になっております犯罪容疑事実の問題の中の一つでございます。従いまして、私がここでそれがどうであったこうであったということを申し上げますのは適当でないと思います。これは、本人が、先ほど私が申しましたように、公判廷において、どういうことによって、またどういう事情によってそういうことをしたのか、あるいは関係なかったのか、これははっきりいたすことだろうと私は思います。
  115. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私は、あなたが調査したかしないか、そういう事実があったかどうかを聞きたいのです。今のような新聞を見たときに、そういうけげんの点について警察では疑いを持ちませんか。それから、調査をしたかどうか、その点を伺っておるのです。
  116. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 それは、戸高君に当時の事情を聞きたいと私も思います。また、戸高君もこれを明らかにするだろうと私は思います。
  117. 古屋貞雄

    ○古屋委員 もう一つ伺いますが、深田定光という人です。これは戸高の親戚なんです。二十七年六月二日未明の菅生村の出来事から行方不明になって、自分の方へ帰って来ないし、連絡もない、ふるさとには年寄りの婆さんが一人残って家族も全部どっかへ行って音信がない、最近のような新聞やラジオの放送を聞くと、親族会を開いてこれは明らかにしなければならない、何がゆえに公徳はこんなに家に帰って来ないのか、何ゆえにこの事件に出てこないのか、親族会を開いて重大なる協議をしなければならないということが半年前の新聞に発表されておる。こういう新聞をあなた方ごらんになったかどうか、報告を受けておるかどうか、その点を伺いたい。
  118. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 その新聞が出たことは承知いたしております。そういう記事があったことは承知いたしております。
  119. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そこで、それほど親族が心配しておりますならば、あなたの方では、東京に戸高がおられるというのですから、探し出して——戸高に対して真実を聞こうと思っていると言っているでしょう。それを、そんなべらぼうなことで一体警察が勤まりますか。一方ではこれが真実の犯人だと言っている。私は裁判の審理内容に入りたくないけれども、警察がやっておる行動を申し上げておるのです。司法警察官といい、人命保護の警察官といい、これほど人権じゅうりんなものはないということになるじゃないか。われわれが考えてもそういうことになる。戸高自身をあなた方は使ったこともあるし、東京におったこともある。しかも、本日の新聞を拝見すると、戸高公徳は新宿番衆町の春風荘というところにアジトを持っておった。その春風荘の管理人である門永亮子さんという人の言を聞くと、ほとんどこの人は昼間はおって夜出かけていく、しかも、もし自分が昼間留守のときに電話があったり用事があったならば、こういう電話をかけてもらいたい、これは東大だと言って出かけた、あとで用事があったから電話をかけたならば、それは警察大学だったと言っておるのです。この事実から見ても、今日まで警察大学に出入りしていることは明らかじゃないですか。あなた方の方で今言ったような新聞をごらんになっておるならば、本人を探してその不審の点を調査しておくのが当然じゃありませんか。調査しておいて法務委員会に報告するのがあなた方の義務じゃないですか。この点はいかがですか。
  120. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 もちろん、調査をいたしまして、法務委員会で御質問があれば、私は私の知っておりますことを全部申し上げるつもりでおります。
  121. 古屋貞雄

    ○古屋委員 あなたは、昨年の十二月十三日に、知らぬと言って答弁をしているのですよ。それで良心に恥じないのですか。そのときは知らぬなら知らぬでもけっこうですが、きょうは、そんなでたらめな答弁ではなくて、知らなかったという答弁はうそであった、事実に反しておる、そういう反省をされて、こまかい報告をする義務があるのじゃないでしょうか。前にあなたのおっしゃったことは、事実と違っているのでしょう。東京におったのでしょう。あなたは前に知らぬと言ったのですよ。それが初めてわかった以上は、詳しい調査をしておいて、法務委員会に、前のは違っていましたと言って報告するのがあなたの義務じゃないですか。それをしないというのは、法務委員会を侮辱していることになりゃしませんか。あなたの心情はいかがですか。
  122. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 義務とおっしゃれば、あるいはすべきであったかと思いますけれども委員会にお呼び出しになり、事情を御質問になりまして、それに私どもがお答えをいたすというのが普通のならわしでございます。従いまして、私は、そういういろいろな御質問があれば、私の知っておる限りのことをいつでも申し上げるつもりでおります。
  123. 古屋貞雄

    ○古屋委員 それなら申し上げます。私はここで言いたくなかったのですが、戸高公徳が一昨日新聞記者につかまったときに、あなたは関係しておりませんか。あなたが関係しておるということを聞いておりますが、関係しておりませんか。これははっきり聞きましょう。
  124. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 私は良心に誓って申し上げます。全く関係はございません。
  125. 古屋貞雄

    ○古屋委員 あなたは、今おっしゃったような気持があるならば、ここにおりますという報告を受けたらすぐに戸高を呼びつけてその事情はすっかり聞けるはずなんですが、そういう機会はなかったのですか。あなたに連絡は全然ありませんか。
  126. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 関係ないかというのは、記者が会ったことについて関係ないかという御質問だと思って、そういうように答えました。しかしながら、新聞社の方が本人をどこかに連れていかれまして話を聞かれる段階になりましては、私はそういう事態になっておるという連絡は受けました。
  127. 古屋貞雄

    ○古屋委員 連絡があったのでしょう。連絡があったら、あなたはすぐ飛んでいって、あるいはだれかあなたの部下をやって、事の真相をはっきり把握して、ここに報告する義務があるのじゃないですか。私の言うことは無理ですか。この前言ったことはまるっきりうそになっているのだから、この神聖なる委員会において、あなたが前に言ったことは間違っておったと、これは明らかにお認めになるでしょう。あなたの良心がそういうことを知っておったか知らぬかは別ですよ。あなたの答弁は、その当時の事情と現在の事情とが違っておっただけなんでしょう。一昨日あなたにそういうような連絡があって、新聞社の諸君が本人をどこかに連れていくということについて連絡があったと言っているのでしょう。それならば、これほど重大な要件だから、新聞社から聞いて事情も知っておるはずです。なお、前に、私が質問し、細迫委員が質問し、志賀委員も質問しておるのです。それほど重大案件ですから、本人がおったらつかまえて、あなた方自身が、自分の職務上、一切のことを明らかにしておいて、この法務委員会に報告するという当然の処置をなすべきだと私は思うが、その点はいかがですか。
  128. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 先ほど申し上げましたことは、もう一度申し上げますが、新聞記者が本人と会ったことについて関係があるだろうとおっしゃいましたので、私は絶対に関係はございません、その意味は、会うことについて何らの関係がないということを申し上げたのであります。会ってから後に、そういう事態になったという連絡は私は受けました。そして極力その行方を探したのでありますが、不幸にしてその日はどうしてもわからなかったのであります。
  129. 古屋貞雄

    ○古屋委員 おかしいですね。新聞社の諸君が会っているのですよ。本人はどこにも逃げやしませんよ。新聞社の諸君がつかまえているのですから、そのときにあなたが行って、あるいはあなたの部下をやって、事情を詳しく調べるチャンスがあったのにかかわらず、あなたはやらなかった。こういうことについて私は承わっておるわけです。そういうようなことをおやりになればやれるような状況にあったのじゃないでしょうか。
  130. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 従いまして私の方では、至急に警察官を集めまして——すなわち、電話がかかってきましたその電話をもとにして、心当りのところを百方探しました。で、ここではなかろうかと思われるような場所もあったのでありまして、実際あの日は百方手を尽して私どもも調べたのであります。しかしわからなかった、これが真相でございます。
  131. 古屋貞雄

    ○古屋委員 承わりますが、昨年の十月十五日以降、東京に住んでおるのは公徳さん一人ではないのです。子供さんがお二人と奥さんと、家族四人ですから、この四人が隠れておることが不思議ですね。住所を明らかにしないのです。自分は堂々と米の配給を受けたり、住所を明らかにしておくのが当然ですけれども、私の方の調査したのでは、昨年の十月十五日以降西荻窪からどこへ行ったか、行ったところがわからなかった。春風荘におるということを私どもも知っておった。ところが、新聞社の諸君がそこで面会した。こういうのでしてあなた方の方も探すことによって今東京におるのはわかりませんか。あなた方の手でやれば易々たるものではないでしょうか。犯罪を犯した者でもなし、逃げる意思もなし、家族四人の生活費がどこから出ておるかということについても私どもは疑問を持っておるわけです。それから、あなたの前の答弁といい、きょうの答弁といい、どうも誠意のある、高いところから下へ水が流れていくようなたんたんとした御答弁ではないのです。石井さんは、共産党の二十七年当時の——長いことでありますが、菅生村の治安情勢だけはよく御存じです。ほかのことはみな私どもが納得いかない答弁をされておる。どうですか、お探しになって当委員会に一切の事情と真実を報告し得るお約束ができますか。この点はどうなんでしょうか。
  132. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 探してわからなかったかとおっしゃるのは、その新聞記者に会ったときに探してわからなかったかと、こういう御質問でありますか。
  133. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そうじゃないのです。戸高を呼び出してあなた方が真相を聞き得るのにかかわらず、聞かなかったから、私どもは聞き得られたじゃないかと言うのです。法務委員会に報告しようとすればできたじゃないかと言うのです。あなた方がお探しになって真相を尋ねて、それを今日まで委員会に報告すべき義務があったのじゃないかと言っておるのです。あなたが前に言ったことは、まるきりうそになっておりますね。結果から言えば、うそですね。正しいとは言えませんね。東京にはどこを見つけてもおらない。−今のように、警察大学の問題についても、戸高さんが留守にはここへ電話をかけてくれればおりますというところは警察大学であった、これは第三者である春風荘の管理人がはっきり言っておるのです。このことははっきりわかるじゃありませんか。当委員会に、前のことは違っておった、真相はこうであったという御報告ができませんか。あなた方は警察行政を公正に行われたかどうかということを知りたいわけです。世間では警察がかこまっておると言っておるわけです。警察が四年間人権じゅうりんをしておるのだ、証拠隠滅をしておるのだ、こういうことが新聞にみな出ておる。これをあなた方は見ておるはずです。これほど追い詰められておるのに、まだあなた方はほおかぶりするわけにはいかないと思いますが、どうですか。
  134. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 先ほどからお答えいたしましたように、一月の下旬でしたか、当時の小林警備部長を呼びまして、事情を詳しく聞いて、当時の模様はわかった、それから、戸高君がそういうように警備部の中で働いたこともあるということもわかったのであります。ただ、報告する義務があるにかかわらず、なぜすぐにそれを報告しなかったかという御質問でございましたが、今までのならわしと申しますか、私ども委員会に出席要求を受けまして、御質問に対してお答えをするというのが普通のならわしでございましたから、御質問があればいつでも申し上げよう、私はかように思っておりました。  それから、事の真相とおっしゃいましたが、先ほど私が申し上げましたように、ラジオ東京の放送を聞いて、本人が自分が出て事態をはっきりさせたいと言っておるということも申し上げたのであります。
  135. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 関連して……。  さっきから伺っておると、あなた方の言うことは全部矛盾しております。事は検察行政と警察行政に関することだから、大臣もよくお聞き取り願いたいと思いますが、当時の中核自衛隊のことは全部つかんでおったと言われましたね。それならば、こういう菅生事件のことも、当時から、山口警備課長、あなた方にはわかっておったはずです。しかるに、古屋委員の質問に対して、あなたは知らないと言う。石井長官は、小林君を呼んできて初めて知りましたと言っている。これは矛盾じゃないですか。答えられるならば答えて下さい。  そして、石井長官は、当時の情勢をるる述べて、共産党が今にも日本をひっくり返すような詳細な説明がありましたね。じゃ、私の方から言いましょう。当時はどういう情勢であったか。参議院で破壊活動防止法——当時は法案ですね。これを通そうと思って盛んに苦労しておったが、通らないときでしたね。いいですか。事件が起ったのは昭和二十七年六月二日。はっきり言えば、破壊活動防止法を通すために、政府を踊らせ、国会を踊らせ、盛んに国会に対して反対運動をしておった国民と世論、これを封じ込むために、全国の中核自衛隊をつかんでおったとあなたは言われるが、あそこでダイナマイトをポンとやったでしょう。これが事の真相ですよ。破壊活動防止法を通すためにこういう細工をやった、当時の状況について言えばこれが事の真相です。あなたは何もかも中核自衛隊をつかんでおったと言われる。しかし、ことしになって初めて戸高との連絡ができたという。つかんでおったなら、小林君がこの戸高を使ってやつておったことは、当時から警察の本部にはわかっておるはずです。それを警察の責任者であるお二人とも全く知らなかったと言われますね。  それから、山口さん、あなたは去年私に何と答えられた。警察法第一条を私が引用して質問したときに、警察というものは事件を未然に防止するためにやっておると言われたでしょう。事件が起ってこれをつかまえることを第一の目的とするものではないと言われた。菅生事件はどうです。警察法第一条に照らして、あなた方は職責を果されたことになりますか。それからしておかしいでしょう。まして、今古屋委員が質問したように、戸高公徳がダイナマイトをだましてとって、途中で一本足りなくなったというので、大へんだといって探しに帰っている間に、そのダイナマイトを持って逃げているでしょう。しかも、そのとき、ダイナマイトをポンとやったすぐあとに、いわゆる火炎ビンというようなビンがころがっておった。中に砂が入っておる。その砂は、地質学上見て菅生村のどこにもないものですよ。また菅生村付近にもないものです。どこにあったか、今度はにせの証言をしておる松井波津男という製材所の経営者が、土木建築業をやっておるから、そこに遠くから運んできた砂が入っていたのですよ。市木春秋はそこに勤めておった。そういう砂ですよ。こういう科学的捜査というものは、やれば幾らも方法はあるのだ。それをやらずにおいて、こういうふうに事件をでっち上げてくる。何もかも知っていたというあなたと長官の二人が、今になって、最近になって初めて戸高から連絡を受けたという。  じゃ、ついでに聞きますがね、戸高の細君と子供は今どこにいるのです。隠れ隠れ、あなた方が危険だからあっちに移れこっちに移れといって、年がら年じゅう移り歩いているでしょう。今どこにいますか。新聞社でさえこの戸高公徳の住所を突きとめました。まして、あらゆる権力を持っている国家の機関がわからぬはずはないでしょう。どこに家族を置いておるか。新聞を見ると、戸高はここへ帰ってきておったはずだ。家族と別居しておったそういう点をみな言って下さい。
  136. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 私は何も全国の中核自衛隊の状況を完全にわかっておったとは先ほど申し上げておりません。各地区における中核自衛隊の状態は十分にわかっておりました、……。
  137. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 それだけでもけっこうだ。
  138. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 それは、私にわかっておったというのではなしに、現地の大分県の警察としては、現地における中核自衛隊の状況は全部わかっておりました、従ってその動きに応じて警察側としても必要な措置を講じて参りました、かように申し上げたのであります。
  139. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 じゃ、警察法の第一条はどうですか。
  140. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 これは、未然に防止し得なかったことはわれわれとしてもまことに残念に思っております。
  141. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 未然に防止じゃなくて、戸高にやらしているじゃないか。
  142. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 そういう御質問に対しては、私はどうもお答えのいたしようがございません。初めから戸高がしたという前提のもとに御質問になりましても、これは公判に関係する問題でございますから、公判廷で明らかになると思いますので、私のお答えは差し控えたいと思います。  なお、家族のありかを知っておるかどうかというお話でございますが、先ほど申し上げましたように、三月の上旬に本人が人を介して連絡して参りまして、公判廷に出たいということを言って参りました。そのときに、私は現在別記のところにおりますという住所は、連絡は受けております。
  143. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 それはどこですか。
  144. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 これは、本人が希望いたしますので、私からお答えいたしかねます。なお、私はそれは存じておりません。
  145. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そこで、十三日の毎日新聞をごらんになったと思いますが、この十三日の新聞の中に写真がございますね。これはこのまま説明を読みますと、警察大学で行われた運動会のスナップ、これは戸高公徳のところが大きくあるわけですね。それから、下の方には戸高の写真がありますが、これを見ても、とにかく大学に関係されておることは明らかになると思うのですが、大学をお調べになったことはありますか。大学の方におるかどうか、学籍を置かなくても、出入りしたような事実があるかどうか、こういう点はどうなんです。
  146. 山口喜雄

    山口(喜)政府委員 その写真は、これは、先ほど申しましたように、戸高君が臨時職員としまして資料の整理に当っておりましたころ、警察庁には霞会という職員の親睦団体がございますが、その霞会の運動会が当時大学で開かれまして、その運動会に出ておるときの写真であると、私は報告を受けております。
  147. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そこで、こういうような新聞、並びにこういう事情がだんだん大きくなって参りまして、重要な問題になっていることはもう御承知通りであります。この問題の一切のなぞを解かなければ、司法の威信も警察の威信もゼロになり、暗黒の世界です。国民が疑っているような事実だとすれば、これは暗黒の世界です。幸いにして、あなた方のおっしゃるように、今の被告がやったということが明確になって国民が納得すればいいのですけれども、納得せずに、現職警官が共産党の諸君に弾圧を加えるためにこういうようなことを仕組んで、自分みずからを投げ込んで、そうしてほかの連中の検挙をなさしめた、こういうことにでも明らかに相なって参りまするならば、これは私は責任は重大だと思うのであります。従いまして、そのことについての判決を明確にしていただくような法の運用に対する適正を期する上においても、警察官も検察官も、これは協力すべき筋であると私は思います。まだ私は承わりたいことがございますけれども、時間が経過しましたからこれでやめたいと思いますけれども、すみやかにこの真相を御調査願って、当法務委員会に御報告を願うということのお約束ができるかどうか。私どももそれに対しましては持っておりまする資料を提出いたしまして御協力申し上げることにやぶさかではありません。  そこで、なお、ただいま山口警備部長のお話のように、事実を歪曲されておるんだと指摘されましたが、テープレコーダーをここへ持ってきております。電電公社の労働組合の諸君がこれを持っておりまして、複写したものがここにあるわけであります。お聞きを願うならば聞いてもらってもけっこうでありますが、その中には関係のない第三者がみんな証言しておるわけであります。私どもはこれを承わりました。しかも全国の日本の国民はこれを聞いておるわけであります。でありますから、この点は、私どもがいかにも意地の悪いしつこい質問をするようでございますけれども、そうではなくして、むしろわれわれは、法務委員会を通じて、日本の司法の威信を傷つけないように、日本の裁判の信用を国民に落さないようにという念慮、法の適用を正しくしたいという念慮からこう申し上げておるのでございます。どうかその点を十分くみ取られまして、この委員会は継続するでございましょうから、本日で打ち切ることはとうていできないでございましょうから、近いうちに報告することをお約束できるかどうか、それを承わって、私のきょうの質問を打ち切りたいと存じます。
  148. 大久保留次郎

    ○大久保国務大臣 長い間御熱心な御質問を承わっておりまして、私感じましたが、この事件は、今こそ国会の法務委員会に取り上げられて論議され大問題になりましたが、今日になるまでに、九州地方の一部では相当大きな問題になったのですけれども、それほど全国を動かした問題でもなかったようであります。ために、警察として調査すべき点があるいは不十分であったかもしれぬ。要するに、この事件を正しい公判に持っていこう、真実はどこにあるか、真実の発見に努めようとするのが、私はおそらくあなた方の御希望であろうと思う。私どももその希望は同じであります。要するに、できますならば、警察側としてこの点はどうかということを具体的に御指摘願ったならば、できるだけ誠意をもって私どもはこれを調査して、あなた方の方に御報告したいと思うのですが、いかがですか。
  149. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私の申し上げるのは具体的なことです。ダイナマイトを手に入れたという疑問があるじゃないか、警察がその前に爆破されることを予知しておってたくさん配置しておったじゃないか、そうして、これが配置した理由を承わりますと、牛どろぼうの配置に行ったんだ、最初は知ってなかったと言っておる。それから、関係者の諸君の証言を、今まで行われましたのを主任弁護人から私ども借りて拝見いたしますと、驚くべき疑問が多い。むしろ四年幾ばくかの間はこれは隠しておったんだという世論が非常に強いんです。しかも、被告後藤と坂木は四年幾ら保釈されなかった。やっと四年半たって、昨年の十月初めて後藤だけが保釈された。この写真が出てからですよ。そうして坂木がそのあとで保釈された。四年以上も置かれておった。そうして、置かれておる間に反対証拠の提出ができなかった。被告人自身は知らぬわけです。当夜の事情は当人が一番よく知っておる。自分が出てから、ああでもないこうでもないと、反対証拠を求められて今日に至った。ただいま私が申し上げたようなことに相なった。どうか、具体的なものですから、その点は十分警察の行政範囲内のお仕事としての報告をいただきたい、かように重ねて御要望申し上げます。
  150. 三田村武夫

    三田委員長 委員長からも重ねて申し上げておきますが、本件調査に当っては種々問題がございますので、本委員会といたしましても調査を続行いたしたいと存じております。従いまして本日の委員会で明らかになった点は、委員諸君も了承されると思いますが、たとえば戸高某と市木某が同一人である、前回の委員会までなぞに包まれておったこの問題は、きょうの委員会で明らかになったようであります。それに続いて警察行政の面、検察行政の面など調査を続けなければならない問題があるように感ぜられますから、どうぞ、政府当局におかれましては、その点十分精細な御調査の上、来たるべき委員会において御報告あらんことを重ねて要望いたしておきます。
  151. 古屋貞雄

    ○古屋委員 毎日新聞が、事件の発生した直後、市木がつかまってジープに乗せられたときにとった写真があるはずだ。それをなぜ出さぬか。委員長、それも提出させていただきたい。
  152. 三田村武夫

    三田委員長 了承いたしました。  他に御質疑もないようでございますから、本日はこの程度で散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。    午後四時十八分散会