○石井(榮)
政府委員 第一点の、戸高君並びにその家族が
昭和三十一年の五月三十一日に中野の囲町に住まっておったかどうかという点でございますが、それを明らかにお答えする前に、戸高君が今日まで
東京に住まっておったかどうかという問題からお答えをしたいと思うのであります。つまり、二十七年九月ごろから当時の国警本部に勤めておったのではないかという第三点のお尋ねないしは第二点の二十九年度の警視庁の
職員録に名前が載っておるではないかというすべてのお答えをする便宜上、この機会に戸高君についてその後私
どもの調査の結果わかりました事情をお答え申し上げたいと思うのであります。
昨年の十二月十三日の当
委員会におきまして、たしか志賀
委員よりお尋ねを受けました当時、私はこの問題につきましてはその日は寝耳に水というわけではございません。十二月四日にアカハタ紙上に掲載されたこともありましたので、それによりまして初めて私はいわゆる菅生事件というものに現職の警察官が何らかの形において
関係があったのではないかという疑惑を持たされたのであります。自来私は、この問題の真相を究明しなければならぬということは当時から
考えておったのでございますが、たまたま昨年の十二月十三日の当
委員会において御
指摘をいただきましたのを契機といたしまして、鋭意この真相を究明すべく
努力をいたしたのでございます。そうして、当時の大分県の県本部の警備部長をいたしておりました小林末喜君、これは現在新潟県警察本部の警備部長をいたしておる者でございます。この人間について当時の
状況を詳細聞くことがまず最も必要であろう、こういうふうに
考えて、新潟県小林警備部長の上京、報告を促したのでございます。時あたかも年末多忙の際でございましたので、ついに昨年暮れまでにはその機会を得なかったのでございます。本年に入りまして、一月の、日は忘れましたけれ
ども、本年の一月になりましてから、小林新潟県警備部長の上京を求めまして、当時の事情を詳しく聞くことができたのでございます。その結果、今お尋ねの点にお答えできる材料を私
どもそのときに初めて入手することができたのでございます。当時の大分県戸高巡査部長は、問題の菅生事件の発生いたしました
昭和二十七年六月三十日付をもちまして大分県警察官を依願退職をいたしておるのでございます。この点は、昨年の当
委員会においても、私
どもはその
程度は
承知をいたしておりましたので、あるいはそのときにお答えをいたしたかとも思いますが、その後の
状況は、先ほど申しました
通り、本年一月新潟県小林警備部長から詳細
状況を聴取して初めて知り得たところなのでございますが、二十七年六月末に健康の理由によりまして依願退職いたしました戸高君は、しばらく郷里において静養をいたしておったのでございます。その期間はおおむね二、三カ月であるやに聞いております。そうして、同年の九月ごろ、健康も回復いたしましたので何らかの職につきたいというので、今申します、当時の大分県警備部長であった小林君の援助によりまして、
東京において何か格好な仕事につきたいということで上京して参ったのであります。何分にも、突然
東京に出て参りましても、いかに縁故者があるとしましても、そうやすやすと格好な仕事が見つかるような時世でもございませんので、先ほどお尋ねのありました、もともと大分県において警備の仕事を担当しておりました
関係もありまして、当時の国警本部の警備課におきまして、それでは資料整備等の仕事でも臨時雇的な立場で手伝ってもらおうじゃないかということで、
昭和二十七年の九月からしばらくの間そうした仕事に携わっておったのでございます。その後、その翌年の二十八年の九月に、本人は、健康も回復いたしましたし、再び警察官として復職をしたい、こういう
希望を持ちまして、当時の国警
東京都本部に採用を申し出たのでございます。それが二十八年の九月で、二十八年の九月に国警の
東京都本部に採用されたのでございます。それが、御
承知の
通り、その翌年の
昭和二十九年の七月に、警察制度の
改正によりまして、旧二十三区を
管轄しておりました自治体警察と警視庁とが一本化されまして、現在の
東京都全体を
管轄する警視庁になったわけでございます。従いまして、その当時旧国警都本部の
職員であった者は必然的に警視庁の
職員として引き継がれたわけでございます。従いまして、先ほど古屋
委員のお尋ねのありました
昭和二十九年度の警視庁の
職員録に当然名前が載るのはちっとも不思議ではない、こういうことになるのでございます。そうして、その後警察官として
勤務を続けまして、三十一年の四月に一身上の理由によりまして退職をいたしております。
従いまして、先ほどお尋ねの第一点の
昭和三十一年五月三十一日という時期は、戸高君が警察官の現職を退いた後の時期のことでございます。従いまして、私
ども、警察官で在職しておる間のことは、これを身分上の監督もございますので、本人がどこに住んでおるかというようなことはもとより明らかにいたしておりますが、やめたあとにおきましてどこに住まっておるかというところまでは、必要もないことでありますし、個人の自由なことでございますので、あれこれ調査する必要もありませんし、またすべきでもないということで、従いまして、三十一年の五月三十一日、つまりその前月に警察官を退職いたしております戸高君がその時期に果して中野の囲町に住んでおったかどうかということにつきましては、私は
承知をいたしておらないのでございます。
以上三点、お尋ねに対してお答えしたつもりでございます。