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1957-02-21 第26回国会 衆議院 法務委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年二月二十一日(木曜日)     午前十一時二十七分開議  出席委員    委員長 三田村武夫君    理事 池田 清志君 理事 椎名  隆君    理事 横井 太郎君 理事 菊地養之輔君       小林かなえ君    世耕 弘一君       馬場 元治君    花村 四郎君       林   博君    山口 好一君       横川 重次君    坂本 泰良君       田中幾三郎君    吉田 賢一君  出席国務大臣         法 務 大 臣 中村 梅吉君  出席政府委員         防衛庁参事官         (人事局長)  加藤 陽三君         警  視  長         (警察庁刑事部         長)      中川 董治君         検     事         (刑事局長)  井本 臺吉君  委員外出席者         判     事         (最高裁判所事         務総局経理局         長)      岸上 康夫君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 二月二十一日  委員西村力弥君辞任につき、その補欠として坂  本泰良君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  法務行政に関する件     —————————————
  2. 三田村武夫

    ○三田村委員長 これより法務委員会を開会いたします。  法務行政及び裁判所司法行政について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。横井太郎君。
  3. 横井太郎

    横井委員 最初自衛隊関係の問題について御質疑をいたしたいと思います。  陸上自衛隊の第三管区対抗行進競技会が過般ありまして、それで二人の隊員が死んだ、同時に、この行軍では青竹でなぐったりくつでけったりしたというような暴行事件もあったというように新聞で見受けるのでございます。その結果は防衛庁の方で係官を現地に派遣をして実際に調査をなすった、そういうことを聞いておるのでございますが、その結果につきまして、一つ真相発表していただきたいと思います。ことに、この二人の隊員が死にましたことについては、どういう原因であったかということを詳細にお漏らし願いたいと思います。
  4. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 お尋ねの点につきましてお答え申し上げたいと思います。  まず最初にこの演習概要から申し上げますが、この演習は、陸上自衛隊管区車両編成をとってあります関係上、徒歩行進能力がとかく不十分になりがちである、そこで、徒歩行進能力を低下させないようにしようではないか、これを増強しようではないかというふうな趣旨から計画をせられたものでございます。この演習は、われわれの内部で申し上げますと、まず隊員が入りましてから最初共通基本訓練というものを二カ月半いたします。この間には一日に約二十キロメートルの徒歩行進をいたしまして、その後に露営が可能であるという程度訓練を第一次にやるのであります。その次に本校基本訓練というのをやります。これは、一日に三十二キロの行進をいたしまして、その後において露営行動が可能であるということを目的といたしております。この二つが済みますと、部隊訓練に移りまして、分隊訓練小隊訓練中隊訓練大隊訓練野外機動訓練というのをいたします。この最後野外機動訓練につきましては、相当長距離の徒歩行進をいたすのでございます。この二つ段階を終りました隊員対象として神術訓練段階における訓練として計画をした今回の訓練は、広島県の原村演習場付近七十七キロメートルの徒歩行進競技であります。装備等の重量は約三十キログラム、第三管区内の三つの普通科連隊からの選抜大隊によって行われました。この選抜予選により決定をいたしまして、その予選をもって管区競技会予備訓練にするという計画でございます。  この計画は、一つ問題があるのでございますが、なぜこういうふうな計画をきめたかということについて御説明いたしたいと思います。第三管区隊は、昭和三十年度の訓練計画一つといたしまして、昭和三十年の十月の末から十一月の初めにかけて、滋賀県の饗庭野演習場において管下の各連隊野外訓練実施いたしました。その際において、饗庭野から比叡山に至ります約七十二キロメートルの徒歩行進競技実施いたしたのでございます。この演習におきましては、全普通科連隊約二千九百名が参加をいたしまして、小雨の中を決行いたしましたけれども落後者は二十六人でございました。その落後者につきましても、いずれも自後の訓練には支障を生ずる程度に至らなかったということでございます。  今回の計画は三十一年度の計画として第三管区で立てたものでございます。第三管区におきましては、当初秋季計画として考えておったのでございますけれども、たまたま昨年は秋季において第三管区が検閲を受けた等の事情がございましたので、これを第四期に回して、第四期の特殊訓練として一月から三月の間に実施をするということにいたし、その期日も二月の五、六日と定めたわけでございます。こういう事情からいたしまして、場所につきましても、廠舎の利用が可能であり、天候の比較的安定しておると認められますところの広島県の加茂郡原村演習場付近とし、今回は各連隊の全員ではないのでありまして、各連隊からの選抜大隊によってこれを行なったのでございます。競技の形をとったのでございますが、この競技はどういうふうなものを基準として優劣を決定するかと申しますと、一つには規律の維持、その部隊隊伍正々として行進をするかどうかということ、一つには参加率大隊のうちで何名が参加するかということ、一つには行進速度一つには落後者の率、こういうものを審判の基準として競技実施いたしました。  計画を実行に移します際においては、第三管区総監部担当部局といたしましては相当に配慮をいたしております。まず現地状況を反復細密に調査いたしまして、夜間行進に備えて道路の補修をやるとか、あるいは石灰等によって危険な個所の標識を設定するというようなことをいたしております。また、先ほど申し上げましたごとく、事前の予行演習実施いたしまして、逐次体力を増進して、不適格者を除くということをやっております。それから、隊員健康状況調査につきましては、昨年の十一月に定期の健康診断を全隊員について実施いたしております。それから、問題になりました第七連隊について申し上げますと、一月二十一日にその前の予行の際の激務休調査をいたしております。一月二十九日には不適格者を診断いたし、一月三十日には隊長医官を伴いまして全隊員問診と視診をいたしておるのでございます。二月五日当日におきましても隊長問診をいたしております。救護所の設置につきましては、七十七キロの行程のうち二カ所に救護所を設置いたし、それぞれの救護所医官一名、救護員六名、ジープ一両、救急車二両を配置いたしております。それから、各大隊後尾収容班をつけておりまして、この収容班には、医官一名、救護員二名が搭乗いたしておりまして、ジープ一両、救急車一両をもちまして各大隊後尾行進いたしております。食事の点につきましては、夕食時に氷砂糖と大福もちを特別に給食し、さらに二十三時三十分ごろ暖かい牛乳一本とあんパン三個を特別に配給いたしている次第であります。  次に、演習実施状況について申し上げます。気象の状況は、二月五日は午前中薄曇りでございましたが、午後の二時ごろから小雨になりました。夜間は雨、ときどき風やや強く、屋外では寒けを感ずる程度でございましたが、温度は七度から八度の間でございます。二月六日は、午前中小雨、やや寒い、午後は降ったりやんだりでありまして、温度は、明け方は七度から八度、十時以降は六度に下っております。五日、六日を通じて雨量の合計は約二十ミリというふうに報告されております。行進を開始いたしました当時の道路状況でありますが、道路は雨にぬれておりましたけれども、水たまりを生ずるという状態ではなかったようであります。但し、一部戸坂峠付近及び苗代、本郷間には若干のぬかるみを呈する部分があったということであります。統裁部措置といたしましては、開始前におきまして、雨が降りましたので経路を変更いたしております。それは、標高八百メートルの野路山を通る予定でありましたものを、平坦路に変えております。それから、雨が降りましたので、管理支援要員休憩点に先行させまして、採暖設備及び喫食の準備をさせました。また、出発に当りましては、事故の防止につきまして細密な注意を与えております。その際に申しておりましたことは、事故を出しては元も子もないんだということ、絶対に無理押しするな、各人の状態装備を再点検し、身体の不調な者は排除しておけ、危険な個所注意し、自分部隊能力に合せて歩き、そのペースを守り、他の部隊に牽制されるようなことがあってはならない、速度にとらわれてはならない。おそくとも堅実で最後まで団結を維持し、正々と歩く部隊がいいんだというような注意を与えて行進を開始しております。  行進状況について申し上げますると、三個大隊が出たわけでございますが、最初に出ましたのは善通寺所在の第十五普通科連隊でございます。これが十六時三十五分に出発点を出ております。そして翌日の十二時二十四分に終着点到着いたしております。所要時間は十九時間四十九分。この部隊におきましては、参加者が三百三名でございましたけれども落後者はございませんでした。第二番目に出ましたのが、広島県の海田市に所在いたしまする第八普通科連隊でございます。この部隊は十七時五十九分に出発いたしまして、翌日の十三時三十七分に到着をいたしております。所要時間は十九時間三十八分。参加者は二百五十一名に対しまして、落後者が十名出ております。問題の第七普通科連隊最後部隊といたしまして十九時三十一分に出発いたしておりまして、翌日の十三時四十三分に到着をいたしております。所要時間は十八時間十二分。参加者二百三十三名のうち落後者四名ということになっております。出発当時の雨の状況は先ほど申し上げましたが、出発後におきましては、降雨量を増しまして、水越、安登、約半分をちょっと越えたところで雨が最も激しかったのでございます。統裁部におきましては、さらに雨が激化いたしますれば、それより数キロ進みました岡郷付近行進を打ち切る方針のもとに、到着点までの輸送の準備を進めたのでございましたが、夜が明けましてから雨が小降りになりましたので、計画通り部隊到着後直ちに集結をいたさせまして、行進終了身体衰弱の者を点検し、十一名を収容いたしました。この十一名のうち一名の者が虫垂炎で国立西条療養所に今とどまっておりますけれども、他の十名の者はそれぞれ原隊に復帰をいたしております。この行進競技の結果、優勝いたしましたのは、所要時間の一番長かった第十五普通科連隊であります。  次に、問題になりました死亡いたしました千頭曹及び岸上士長の死亡に至るまでの状況を御説明申し上げます。  まず千頭君でありますが、千頭君は十一月の身体検査当時は異状はございませんでした。十一月以降今回の行進に至るまでの間三回の予行演習をいたしておりますが、この三回の予行演習にも全部参加をいたしまして、無事に終了をいたしております。今回の演習に際しましては、五日の夕方出発点を出たのでございまするが、六日の午前三時三十分ごろ、宮原付近——約まん中辺でございますが、宮原付近におきまして、身体異状を訴えました。右足全部が重く、足が前に出ないということを小隊長に申し出まして、小隊長からジープに乗ることを命ぜられております。しかし、ジープに乗りまして間もなく、四時から四時二十分の間に部隊朝食をとったのでございますが、その際には千頭君も一緒朝食をとりまして、食後、元気が回復したからと申しまして、部隊に帰り、歩行を続けておりますが、途中数回ジープに乗っております。そうして、全行程の約三分の二くらいになります中畑付近通行中、疲労を感じまして、隊員からあと押しをされて進み、岡郷付近から再びジープ乗車しております。十時四十分ごろ樋詰付近介添えを受けまして、統制点通過——統制点というのは、五カ所にチェック・ポイントを設けまして、そこを歩いて通らないと落後ということになっておるのであります。その統制点を通過して、十一時ごろジープ乗車、その後ジープに乗っておりましたけれども樋詰北方一キロメーター付近容態が急激におかしくなりましたので、救護員応急処置をいたしまするとともに、医官に急報し、医官が急いで参りまして、連続強心剤の注射をするとともに、これはかなり容態が重いと判断をいたしまして、西条町の国立広島療養所に向う途中、十一時二十五分、西条町の宇田口道路の東側の救急車中急性心臓衰弱で死亡せられたということになっております。  岸上士長の方について申し上げます。岸上士長は、十一月の身体検査当時は異状はございませんでした。その後の三回の予行演習のうち、初めの二回は参加いたしませんでしたが、最後に一月に実施いたしました予行演習には参加いたしております。その際は落後はいたしませんでしたけれども、途中約四キロほどジープに乗った事実がございます。今回の演習に当りましては、五日の夕刻出発いたしまして、六日の午前四時四十分ごろ川尻付近岸上君の容態が少し悪くなりました。宮原から少し先でございますが、川尻付近の川岸の道を通行中、石につまづいて転倒いたしました。その後ジープ乗車いたしまして行進をいたし、安登岡郷樋詰統制点——先ほど申しました統制点では同僚の援助によりまして歩行して通っております。十時五十五分ごろから十一時三十分まで部隊昼食をとったのでございますが、この際は、岸上君も他の隊員とともに一緒に普通の昼食をとりましたほか、鶏卵二個をとっております。その後再びジープ乗車いたしまして行進を続け、中郷の統制点でも他の統制点と同様に同僚介添えを受けまして通過いたしました。十二時二十分再びジープ乗車のまま目的地に午後一時四十三分に到着をいたしております。目的地におきましては同僚に抱かれてジープを降りましたけれども、そこにおりました医官容態が異常であるというので診断いたしましたところが、かなり重態でありました。そこで、直ちに救護所に収容し、手当を加えますと同時に、西条町の広島国立療養所に送る措置をとったのでありますが、八本松町の同救護所におきまして十四時十分に急性心臓麻痺によって死去されたというのがその概要であります。  いわゆる暴行事件なるものにつきまして、私の方では目撃者の言、その他によりまして目下調査を続けております。これはある程度——けったとか、押したとか、突いたとかいうある程度の事実は確認をいたしておりますけれども、その他今調査対象となっております十件の事件の全部につきまして、まだ最後的な判定を下すまでに参っおりません。これは物証というふうなものもあまりないのでありまして、ただ目撃者及び当人供述等をもとにして調査いたしておりますので、それらの供述がだんだんと食い違ってきたりしまして、非常に微妙な点がございまして、判定には困難を感じております。ただいま判明いたしました点につきましても、事実としては、押したとか、あるいは引っぱったとかいうふうなことはございます。しかし、これがいわゆる部下の虐待である、暴行であるとかいうふうに見るかどうかということは、非常に問題であると思います。私ども判断では、虐待したり暴行したりする意思をもってやったものではないことは明瞭でございますが、こういうふうな行進でございますので、隊伍を離れようとする者を無理に引っぱって入れた、あるいは落ちそうな者を引っぱった、あるいは眠けを催しております者をゆり動かしたということはあるのでございます。その辺の、これは暴行であるかどうかということの認定が非常にむずかしいので苦慮いたしておりますが、鋭意調査を続けております。  大体の状況は以上のようなものでございます。
  5. 横井太郎

    横井委員 ただいましいろいろ承わりましたが、要は、たとえば予行演習をやったとか、健康診断をやったとか、救護施設を十分にしてやった、しかも、その予行演習では、これまでの中でも、たとえば比叡山に登ったときは小雨の中でも決行した、今回の演習でもやはり小雨であったけれども、前にも小雨の中でやった経験があるんじゃないか、要するに万全一の措置を講じて、しかも事故を防止するような措置を講じて十分に注意をしてやったんだ、こういうことをおっしゃって、しかも、死んだりあるいは暴行事件のことにつきましては、あまり多くを語っておられなかったのでありますが、私のお聞きしたいところは、これほど万全の借間を講じても、しかも予行演習をたびたびやっても、そしてかつて予行演習のときにはそういう事故がなかったにもかかわらず、今回に関する限りは二人の死者が一挙にして出た、どうして一挙にして出たか、こういう点をお聞きしたいのでございます。  そこで、これは新聞の報道でございますが、すでにあなたの方の警務隊長調べに行った結果、また防衛庁内でいろいろ検討せられた結果、こういうことを書いておるのでございます。川本士長に対する暴行事件につきましては、大隊長岡崎二佐がけったと認められる事実がある、訓練主任河津三佐が訓練の度を過してなぐったと認められる事実がある、中隊長代理の谷口二尉が青竹ヘルメットを突っついたと認められる事実がある、なお川本士長右ももうっ血があり、これが何によるか調査中である、こういうことも書いてございますし、もう一人の死んだ千頭三曹のことにつきましては、岡崎二佐が胸ぐらをとってほおを二、三回たたいたと見られる事実がある、大隊人事主任八幡二尉がけったかどうかわからないが、足がさわった事実がある、——これは、昔の軍隊用語で、足にさわるということはけるということです。なでるということはなぐるということです。あいつ一つ頭をなでてやれということは、頭をたたいてやれということです。足にさわるということは足をけってやれということですが、今あるかどうか知りません。こういうことがこれまで詳しく書いてございます。そのほかに、先ほど十件とおっしゃったのでございますが、そのほかに山口士長とか延原士長とか、たくさんございます。これもやはり、ヘルメットをたたいたとか、足にさわったとか、頭をなでたとか、そんなようなことが書いてあるのでございます。そういう調べは相当ついておるように報道されておるのでございますが、まだきょうのところは発表程度に至らぬということでございますか。とにもかくにも、こういうような行軍をされるには、この情景から見ても、あなたのおっしゃったことから見ても、相当一生懸命にやり、二人の死んだ人は全くその状況は気息えんえんたるものがあった。そこへもっていって、頭をけったり、なぐったりするということは、これはどの程度あったか知りませんけれども、もしそうであるとするならば、まことにゆゆしき問題である、かように考えるのでありますが、きょうはわかっておってもまだ言えぬのか。この新聞の記事を見ると、私は切り抜きをずっととってあるのですが、何回も何回もやっておるのですから、大体わかっておりそうだと思うのです。事がほんとうに発表程度に至らないのか、その程度一つ伺ってみたいと思います。
  6. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 最後のところを少し簡略に申し過ぎましたのでお尋ねがあったかと思います。大体において私どもは厳正に慎重に調査を続けておりまして、十件のうちにある程度のものにつきましては事実を認めております。しかし、他の件につきましては、先ほど申し上げました通り、非常にむずかしい点がございますので、私は先般調査をして帰りました警務隊長から直接話を聞いたのでございますけれども、まだその報告だけでは私の心証を固めるに至りませんので、さらに昨日警務隊長現地に派遣したような状況でございます。その辺は御了解を願いたいと思うのであります。  今までわかりましたところを申し上げてみますと、新聞に出ておりました川本士長でございます。これは死亡した者ではありません。死亡いたしました者は千頭君と岸上君で、川本君は死亡したのではございません。この川本君の関係につきまして、足でけったという点が調査項目の十項目のうちの第一項目であります。これは内ももにうっ血がある。このうっ血が、本人が途中でみぞに倒れたということを言う者も出ておる。ただ、しかし、けったと言う者も出ておる。けられてできたうっ血か、あるいはみぞに倒れたときにできたうっ血かという点につきましては、私どもはさらに権威者鑑定等を求めて調査を進めたいと思います。ただ、けったかどうかという点につきましても、某幹部が、この者を自分はけったつもりはないけれども、足がさわったような気もするという程度供述もあります。そこで、私は、まだその供述だけではけったという断定はできませんけれども、今あなたが新聞でお読みになりましたような程度のことは認定できるのではないかということをお話ししたのでございます。  それから、逐一申し上げていきますと時間がかかりますが、第二の河津——河津君というのは副大隊長でありますが、これが川本君のほおを平手でなぐったということであります。この点は目撃者は二人ございます。ただし、この目撃者の二人の証言が必ずしも一致しないのであります。大体近いような事実はありますけれども、必ずしも一致しないのであります。本人がどう言っているかといいますと、自分はそういう方針であるから、途中から隊員眠けを催しておる者を元気づけるために、うしろからつついたり、あるいは手を引っぱってやったり、いろいろなことをしている、しかしこの川本君を自分がなぐったという事実については記憶がないというのであります。目撃者が他にしっかりした者がありますと、私は認定するにやぶさかでないのでありますけれども、こういう状況でございますので、まだこの点につきましても、私は確信を持って川本士長ほおをなぐったというところまでは言い得ません。しかし、当人が、行進の途中におきまして、その記憶がないけれども隊員を元気づけるためにいろいろなことをやったと申しておりますから、目撃者は必ずしも二人の証言が一致はいたしませんけれども、ある程度近いものがありまするから、これは事実に近いものがあるのではなかろうかというふうに考えておるのであります。  その次に、川本君のヘルメット中隊長代理がたたいたということであります。これも、円盤者がございますけれども、その目撃者証言だけでは、今のところ私の心証は固まりません。本人は、青竹でなぐってしっかりせいと言ったということを認めていないのでありますけれども、弱っておったので激励する意味でうしろの方からこずいたという程度のことは認めております。しかし、その程度のことでありますから、明白でありますけれどもヘルメットをたたいたというのと、腰をつついたというのとは、だいぶ違うのであります。私はこの点につきましてもまだ事実はこうだという認定はでき得ない状況でございます。  その次に千頭三曹の件でございます。これはなくなった一人であります。これは胸ぐらをとってゆすぶってほおをたたいたという件でございます。これは目撃者が二人おりますけれども、このなぐったと言われる本人は、肩の辺をしっかりせいとゆすったという事実までは認めております。しかし、ほおをなぐったという事実は認めておりません。この程度では私はまだ断定するには早いと思っております。  その次に、同じく千頭君のほおをたたいたという件であります。これは目撃者がありますけれども、この目撃者証言を私は必ずしも正確ではないように思います。なぐったと言われる本人は、全然覚えがないと言っておりますが、さらに調査をしなければ何とも申し上げられない状況でございます。  それから、千頭君の右ももうっ血という件でございます。これは目撃者がございますが、そのけったと言われる本人の言い分を見ますと、千頭君が倒れておったので、自分はしっかりしろと言いながら右腕を持ち上げ、自分の右足のすねで千頭君の右外ももをゆすぶるようにして起した、これが外見上けったというように見られたのではないかということを言うておるのであります。その状況等につきましても、私は直接当人調べた者からよく聞きまして今の私の心証では、大体これに近いような事実ではなかろうかと思いますけれども、事は重大でございますので、私といたしましてはその断定をするまでには至っておりません。  その次に、延原士長関係であります。これは背中を突かれて前へよろめいてころぶところだった、こういう申し出であり、目撃者もございます。これは私は大体事実だと思います。本人も、元気がなかったので、しっかりせぬか、もっと歩けと言って、からだをうしろから強く押したという事実は認めております。  山口士長関係ヘルメットをたたいたという件でございますが、たたいたと言われる本人は、隊員が一人隊列から離れ前進が非常におくれておったのを見たので、自分ヘルメットに勢いよく右手をかけて、だれかと言いながら声をかけて、かかえ込むようにしてほおを寄せた、その程度は認めております。これは大体事実と近づいてきておりますけれども、やっぱりなぐったのと力を入れてヘルメットを回したというのでは逢いますので、私はこれも断定するに至ってはおりません。  その次、衣笠一士でありますが、これは青竹でたたいたという点でございます。この点につきましては目撃者もございまするけれども、たたいたと言われる本人は全然これる否定いたしております。これはさらに他の目撃者を求める等の方法によりましてこれを調査しなければならないと思っております。  さらに、大橋三曹のほおを幹部がなぐったという点でございますが、これは私は事実があると思います。本人証言も、なぐったと言われる本人もこれを認めております。これは事実でございます。  十件につきまして概略申し上げますと、こういうことになります。
  7. 横井太郎

    横井委員 今いろいろお話がございましたが、要するに、加藤人事局長といたしましても、今回のこの行軍には非常な無理があったんだ、あるいは刑法上の問題に触れるかもしれぬような事態もあったんだとお認めになるのかどうかということ、しかも、私がお尋ねしたいのは、この中に、そういう暴行と申しましょうか、事件を起した人は、旧軍人に多かったのじゃないかと思うのだが、その点の調べをお聞かせ願いたいと思います。私どもは、旧軍隊のあのやり方というものは、私自身も老兵でございましたが、骨身にこたえて反感を持っております。何もしないのにたたかれたこともしばしばございましたので、ああいうような訓練の方法は、まことに訓練でなくしてほんとうの暴行でございますので、そういうような昔はやった蛮行が再びきざしてきたのじゃないか、こうも取り得る面があるのでございます。この点はどうお考えになりますか。今申しましたその中には、暴行でないか暴行であるか知りませんが、とにかくそういうものの加害者と申しましょうか、そういう訓練をした幹部の中には旧百人が多かったか、多くなかったか、今のあなたの調べ一つ聞かせていただきたい。
  8. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 初めに長々と経過等について申し上げましたけれども関係者が十分に慎重に計画をしたことは認めます。しかしながら、結果におきまして二人の死亡者が出たのでありますから、私はやはり計画段階と実行の段階のどこかに、——あるいは双方でありますが、無理があったのではないかというような大局的な判断をしております。原因等につきましても、私個人といたしましては、相当功利的なことでやったのではないかと思うことはございますけれども防衛庁の見解として申し上げるまでには参っておりません。  それから、旧軍人が多かったかどうかということでございますが、これは旧軍人ということのとり方が非常にむずかしい。陸士、海兵を出たという人だけを言うのか、あるいはそういう経験でなしに応召をして旧軍隊に服した経験のある人まで言うのかということでいろいろ違うのでありますが、旧陸士を出た方は今関係の七人の幹部の中には二人しかおりません。あとは陸士、海兵の出身者じゃございません。
  9. 横井太郎

    横井委員 そういたしますると、現在の段階ではまだ検察当局にゆだねるまでにはなっておらぬのだというお話でございますが、さようでございますか。
  10. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 御承知と思いまするが、自衛隊の警務官は特別司法警察職員としての職務を行うわけでございます。これは検事の一般的な指揮のもとにあるわけでございます。私ども調査を続けながら検察庁の方にも連絡をとりながらやっております。われわれの方の意見として送検するとかなんとかという段階までには至っておりません。
  11. 横井太郎

    横井委員 そういたしますと、検察当局とも連絡をとっておられる、こういうことでございますか。
  12. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 さようでございます。
  13. 横井太郎

    横井委員 私はこの際特に人事局長に申し上げておきたいことは、現在の段階における防衛庁訓練、自衛隊の訓練の方法は非常にむずかしかろうと思います。それはわかります。わかりますけれども、いやしくも人命に関するような、人権を侵害するような訓練の方法は厳に慎しまなければならぬと思います。従って、あなた方が調べられてなるほど暴行に値するものであるとするならば、敢然たる処置をとっていただきたい、かように考えるものでございます。しかし、私どもは、現在の自衛隊としては厳に過ぐれば今のような人権問題が起るし、あるいは寛に過ぎれば世間の非難を受ける、この自衛隊のあり方については十分承知はいたしておりまするけれども、さればといって、今申しましたような人命に関する点とか、人権を侵害するような行為は断固として取り締っていただきたい、こういうことを申し上げておきます。  それから、法務当局にお開きしたいのでございますが、こういう事件は、従来でもいろいろ自衛隊の事件というものが次から次に起りまして、ことに今月のごときは、ほとんど北は北海道から南は九州まで、きょうはどろぼうをやったかと思えばあしたは詐欺をやっておるというように、自衛隊員の犯行ばかりが新聞に、これはことさらに新聞が書くのかどうか知りませんが、実にたくさん出るのでございますが、こういう事件はやはり自衛隊だけにまかしておかれるものか、特別警察のみにまかしておかれるものか、普通の取締りの関係はどうなっておりまするか、その点をお聞きしたいと思います。
  14. 井本臺吉

    ○井本政府委員 事件の性質によりましていろいろの手続をいたしております。事件が刑事事件として明瞭なものにつきましては、これは直ちに検事が出動いたしまして処置をしたものもございます。たとえば大分県におきまする上官の刺殺事件というものは、これは傷害致死事件といたしまして、検事が現場に出張いたしまして、検証並びに解剖などをやって取調べを進めております。それから、北海道における廃弾の窃盗事件というものは、これは所轄の千歳の警察署が取り調べまして、それについては検事もそのつど関与いたしまして、その処置を急いでおります。今回の行軍中における二人の事故死の事件につきましては、これはなくなられた二人の方には非常にお気の毒なことでもあり、われわれといたしましても十分注意しておりまするが、行軍の際における事故でありまして、どのような状況のもとに行軍が続けられて、どのような点に問題があるかという点につきましては、検察庁もそう手がないのでありまして、防衛庁の司法警察権を持っておりまする警務官の方々に調べをしていただきまして、その調べの結果をそのつど中央並びに地方で御連絡を願って、私の方でも検討して、その結論が間違いのないようにいたしたいというので、現在の段階では、一応防衛庁の警務官の方々にお調べを願っておるという状況でございます。
  15. 横井太郎

    横井委員 大分ほかの委員がお急ぎのようでございますから、ただ一点だけお尋ねをいたしておきますが、最近に防衛庁関係でいろいろな事件が起りますし、防衛庁方面の、これは一部でございましょうが、昔のように特別刑法でも作ったらどうかというような話がぼつぼつあるやに聞いておるのですが、そんな考えはありますかどうか、防衛当局と法務当局と両方から一つ承わりたいと思います。  これで私の質問は終ります。
  16. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 特別刑法と申しますものはどういうふうな内容のものであるかということでございまするが、私ども、一応現在の自衛隊法に罰則の規定があるわけでございます。今直ちにこれを改正しようというふうなことは考えておりません。
  17. 井本臺吉

    ○井本政府委員 お尋ねの趣旨が、元の旧陸軍刑法、海軍刑法のようなものを作るかどうかというようなことでございますれば、現在さようなことは考えておりません。自衛隊にはもちろん一般の刑法の適用がありますし、そのほか自衛隊法にもいろいろな罰則がありまして、罰則の点については一応整備されておるというように考えております。
  18. 三田村武夫

    ○三田村委員長 吉田賢一君。
  19. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私は、岸上士長千頭三曹の死亡事件についていろいろな角度から質疑をいたしたいのでありまするが、これは防衛庁といたしましては長官以下各係官の御出席を必要といたしまするので、本日のところはごく簡単に一、二を伺って、次に留保さしていただきたいと思います。なお、今の加藤局長の御答弁、御説明がありました事実調査の結果及び暴行事件をあわせて事実関係概要一つ書面として当委員会の資料に出していただくと大へん便利だと思いますから、お取り計らいを願います。  加藤局長に伺いまするが、この両君の死亡の事件につきまして、その行軍をいたしました競技演習でありますか、これについては、要するに指揮監督はだれが責任者であったということになるのですか。
  20. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 最初の資料の点でございますが、先ほども申し上げます通り、今まで私どもが逐次調べて参りますと、若干ずつ変って参ります。今私が申し述べました速記録にありますこと以外には今のところ何とも申し上げられません。その点は御了承願いたいと思います。  今回の演習は、実施いたしましたのは第三管区総監の指揮において実施したのでございます。
  21. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 私の聞きたいのは、演習実施は何の何がしが責任者であるか、それから、さらに、部隊の行動についてはだれが責任者であるか、その具体的な事柄について懲戒その他の角度から責任があるかないかの意味ではなしに、この行動につきまして最高の責任はだれであるか、現在に至りまするまでの一応調べがあると思いますので、それを一つあげていただきたい。
  22. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 演習実施の責任者は第三管区総監の金山陸将でございます。ただ、今回の演習実施に際しましては、金山陸将は病気のために現地に参っておりません。第三管区総監部の幕僚長でございます橋詰一等陸佐が現地における統裁官としてこの演習を実行いたしております。演習参加いたしましたのは第十五連隊、第七連隊、第八連隊の三個連隊からのそれぞれ選抜の一個大隊でございまするが、今回の死亡者を出しました件につきましては、第七連隊長の吉田一等陸佐及び第七連隊の第二大隊長岡崎二等陸佐、それから副大隊長河津三等陸佐。問題の岸上君と千頭君は、岸上君が重火器中隊の所属、千頭君が第四中隊の所属でございます。第四中隊長は三宅二等陸尉でございますが、この人も病気で演習参加しておりません。中隊長代理として職務を行いました者は谷口三等陸尉でございます。重火器中隊の方につきましては、中隊長は中村二等陸尉であります。
  23. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 その場合に、この中隊の隊員につきましては、自衛隊法の規定による幕僚長の責任の関係はないのですか。
  24. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 その点を申し上げますると、訓練の最高の責任者は長官でございます。長官が幕僚長にこういう趣旨の訓練をしろという指示をするわけです。その指示に基きまして、幕僚長が各管区を通じましての訓練計画というものを立てることになっております。その訓練計画を幕僚長が各管区総監に流しまして、管区総監は幕僚長からの訓練の通達に基きましてそれぞれの実施計画を立てるわけでございます。今回の件につきましては、この種の演習を行うという報告は幕僚長に参っております。しかし、具体的に何キロ、どういう条件で訓練をやるのかという詳細なことは幕僚長には参っておりません。第三管区総監が責任を持って計画を立て、実行しておるのであります。
  25. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 人命を尊重するということは、申すまでもなく新しい憲法の基本的人権の最も重要なものであります。そこで、自衛隊におきましても、人命の尊重は他のいかなる事項よりも優先して、最も重大視して守らねばならぬことは、これまた申し上げるまでもないことであります。そこで、この問題につきまして、あなたの方ではいろいろ御調査になったでありましょうが、たとえば、二月二日に隊長問診したというようなことをお述べになっております。やはり強行徒歩と申しますか、非常に激烈な行為を求めるらしかったので、われわれも聞いておりまして種々と思わせられる点があるのですが、このような場合に、たとえば隊長は医学の経験とかそういうものはなかろうと思うのでありますが、ただ口で問診するというようなことはかなり形式的なことのようにも考えられるのであります。私は一つ一つのことを伺いたいので、きょうは時間もないのですが、要するに、食事の点だとか、問診したとか視診したとか、そういう点につきましては、終局において人命にかかわるある行動、そういったことの関連におきまして相当慎重にされるべきものだろうと思うのだが、そういう角度からの御調査はあるのですか。
  26. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 自衛隊の訓練におきまして人命の尊重が重視されなければならないことは当然でございます。私どもは、訓練自体につきまして、計画そのものも非常に慎重に用意し、決して隊員を死亡に達せしめるようなことがあってはならぬと思うのでございます。今回の点につきましては、先ほども少し申し上げましたが、私どもまずピンときましたのは、健康診断等についてどの程度注意を払っておったかということでございます。この点をしさいに調べてみたのでありますが、十一月に全員の健康診断、レントゲンをもってする健康診断をやっております。第七普通科連隊について申しますと、一月二十一日に、その前に予行演習をやりましたときの激務休後の調査、どういう者がどういう状況で休んでいるかということを調査し、疲労回復のための具体的な指示をしております。それから、一月の二十九日には、一応この行進参加すると予定せられておりまする者のうちで参加の不適格者——平素比較的身体虚弱な者であります。これは自分で申し出た者が多いのでありますが、この者を全員医官の診断を受けさせるように各隊に指示をいたしております。この指示の結果、第二大隊におきましては、第四中隊で二十名受診をいたしまして、十一名が不適格になっております。重火器中隊の方におきましては、四名受診をいたしまして、四名が不適格となっております。一月三十日には大隊長が各隊を巡装して見たのでありますが、−今の問診の点のお尋ねでありましたので申し上げたのですが、問診医官を帯同してやっておるのでございます。隊長もつき、医官も顔色を見ながらやっておるのであります。
  27. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 そこで、こういう点も聞いておきましょう。これはあとで伺うために必要でありますので……。あなたの方では、この事件は生命を維持するに耐えられない程度の徒歩その他の行為を求めたかどうか、こういうような点について御調査になっておるのかどうか、それから、いろいろと救護所の設置などもあったようであるが、どうも、聞いておると、あとで朝食をともにしたとか、元気を回復したとかいろいろ言っておられるのだが、どうもこれも常識的な御報告らしく聞えるのであります。元気をほんとうに回復したという検診でもして、医学的にからだでも見て、その上の断定の報告らしく今の内容は受け取りにくいのであります。従って、こういう点から見ると、この死亡というものが、やはり行軍に耐えられない者を行軍さしたのではないか、あるいは、とうてい生命を維持するに耐えられないほどの徒歩を求めたのではないだろうか、途中において身体の変化、相当病的ないしはその他の衰弱等の変化があったことに対する気づき、そういうことに対する措置、そういうものがなかったのではないだろうか、この辺も、命がなくなったという角度からしさいにわれわれは検討していかねばならぬと思うのだが、結局、あなたの方ではまだ終局の結論を得ておらぬらしいので、今私は最終の御答弁を求めようとは思いませんけれども、これがどこか、だれかのあやまちによって、あるいは本人か指揮者か計画者か、どこか知らぬけれども、どこかのあやまちによって生じた事件である。こういうことは自然に生ずるものというような角度から見ておるのか、あるいは、もっとつきつめて考えれば、自衛隊法その他の法律を無視してある行為を求めたというような角度から考えるべきではないか、こういうふうにもいろいろ思われるのであります。あなたの方といたしましては、この死が自然死なのか、他の強要によって生じたのか、過失によって生じたのか、それはどうかという点につきましては、大体どういう方向へおよそねらいをきめて、と言うと語弊がありますけれども、考えを持っていきつつあるのか、ただ漫然と事実を、どこで食事を与えた、牛乳を飲ました、パンを食わした、健康診断をしたそしてある距離を歩かした、ジープに乗った、元気が回復した、ところがあとで死んでしまった、そういう事実の羅列だけでは、私はあなたの力の調査目的が達せられないことはもちろんだと思いますが、大体そこはどうお考えになっておるのだろうか。もうすでに相当日数がたちますので、半月以上も経過しておるのでありますから、あなたの方としても、——ことにあなたは人事局長である。人事局長は服務、健康、衛生、懲戒等についての防衛庁内における内局の責任者でもあるので、この辺について大体の見当はついておらなければならないと思うのであります。その点はどういうものでありましょうか。
  28. 加藤陽三

    加藤(陽)政府委員 最初に繰り返して申し上げますけれども隊員を死亡させるような条件の演習訓練を行うべきでないことは申し上げるまでもないことでありまして、この点につきましては、私ども慎重に、この計画を検討いたします際にそれを頭に置いてやっておるのであります。  どういう方法で調査をしておるかというお尋ねでございますけれども、これは、お言葉にもありますように、私どもは先入観をもってやってはいけないと思っております。事実を明らかにいたしまして、ほんとうにこれは業務上の過失があったのかなかったのかという点を最後に結論を出したいのでありまして、今のところ、あったというような方向で調査するとか、あるいはなかったというふうな先入観をもって調査をするというふうなことは、私は隊に厳にやってはいけないと禁じております。全く事実を明瞭に摘出をして、大臣の御判断をいただくという方向に持っていきたいと思っておるのでございます。  健康状況の回復につきましても、やはり一つ調査点でございますので、私ども調査問題として研究いたしております。ただ、今までわかっておりまするところでは、やはり元気が回復したというのは本人の申出であるというふうなことでありまして、その際に医者を呼んだというふうな事実はございません。こういう場合につきましても、果して医者が呼び得ない状況にあったかどうかということは、私たちといたしましては今後なお究明を続けていかなければならないと考えておるのであります。
  29. 吉田賢一

    ○吉田(賢)委員 しかし、あなたの方は、こういうような死亡者を出すほど激烈な行動を計画したのでありますから、従ってまた、しばしばの健康診断身体状況調査どもなさったのである、あるいは救護施設なんかもしてあるのであるから、その際どういう個所でどういうときであろうにかかわらず、直ちに即刻生命身体の健全を維持するに必要な措置をとるべき設備等がなされており、これがなされなければならぬのは当然だと思う。医者、医官を呼ぶことができるかできぬかの状況であったかというようなことは、そんなことはもってのほかなんであります。どういう山の上であろうと、山間僻地であろうと、どういう気象の状況であろうにかかわらず、生命にかかわるという場合には即時必要な医官を派遣し得るような設備がなければ、これはほんとうの救護施設があったとは言えないだろうと思います。しかし、これは少し問題が具体的になりますので、一つ一つについては、ほかの方にも聞かねばいけませんから、私は今あなたに対してはやめておきますけれども、やはりこれはもっと広い角度から——事実を事実をとおっしゃいますけれども、また先入観をもってしてはいかぬということはわれわれもいいと思いますけれども、およそものの限界、それからもののあるべき状況とか、あるいはまた方針とかいうものにつきましては、終局の一番大事な生命ということを基準にして考えましても、いろいろとあなたの方は一つの基本的な限界線がなければならぬと思うのであります。でなければ計画は立ちませんよ。偶然死んでしまったというのでは事は済まぬのであります。だから、そういうことにつきましては、少しあなたの方にもいろいろな具体的資料によって問答してみないと、終局これの責任はどこにあるのか、どの限界において、範囲において責任者を出すべきかということははっきりして参りませんから、これは少しお互いに議論を展開することにしたいと思いますので、私はきょうはこの程度にしておきます。  次に、委員長、私は、この関与しました人をできるだけ多く、できれば、迷惑かもしれぬが幕僚関係の方も一ぺん出てもらって、質問したいと思いますので、これは一つ理事会に諮っていただいてもいいと思います。幕僚が出ることは御迷惑かと思いますけれども、やはりこれはあなただけの立場ではどうも事態の真相を究明することは不徹底のきらいがあると思います。今後生命の尊重、人権の尊重におきまして、どういうふうに持っていくかということは、このケースを一つの模範のものとしまして、われわれは十分に検討してみたいと思いますので、この点一つお計らいを願いたいと思います。  きょうはこの程度にしておきます。
  30. 三田村武夫

    ○三田村委員長 ただいまの吉田君の御希望は、関係当局とも協議いたしまして、善処いたします。  本日はこれにて散会いたします。次会は公報をもってお知らせいたします。    午後零時三十一分散会