○
加藤(陽)
政府委員 お尋ねの点につきましてお答え申し上げたいと思います。
まず
最初にこの
演習の
概要から申し上げますが、この
演習は、
陸上自衛隊の
管区が
車両編成をとってあります
関係上、
徒歩行進能力がとかく不十分になりがちである、そこで、
徒歩行進の
能力を低下させないようにしようではないか、これを増強しようではないかというふうな趣旨から
計画をせられたものでございます。この
演習は、われわれの内部で申し上げますと、まず
隊員が入りましてから
最初に
共通基本訓練というものを二カ月半いたします。この間には一日に約二十キロメートルの
徒歩行進をいたしまして、その後に
露営が可能であるという
程度の
訓練を第一次にやるのであります。その次に
本校基本訓練というのをやります。これは、一日に三十二キロの
行進をいたしまして、その後において
露営行動が可能であるということを
目的といたしております。この
二つが済みますと、
部隊訓練に移りまして、
分隊訓練、
小隊訓練、
中隊訓練、
大隊訓練、
野外機動訓練というのをいたします。この
最後の
野外機動訓練につきましては、相当長距離の
徒歩行進をいたすのでございます。この
二つの
段階を終りました
隊員を
対象として
神術訓練の
段階における
訓練として
計画をした今回の
訓練は、
広島県の
原村演習場付近七十七キロメートルの
徒歩行進競技であります。
装備等の重量は約三十キログラム、第三
管区内の三つの
普通科連隊からの
選抜の
大隊によって行われました。この
選抜は
予選により決定をいたしまして、その
予選をもって
管区競技会の
予備訓練にするという
計画でございます。
この
計画は、
一つ問題があるのでございますが、なぜこういうふうな
計画をきめたかということについて御説明いたしたいと思います。第三
管区隊は、
昭和三十年度の
訓練の
計画の
一つといたしまして、
昭和三十年の十月の末から十一月の初めにかけて、滋賀県の
饗庭野演習場において管下の各
連隊の
野外訓練を
実施いたしました。その際において、
饗庭野から
比叡山に至ります約七十二キロメートルの
徒歩行進競技を
実施いたしたのでございます。この
演習におきましては、全
普通科連隊約二千九百名が
参加をいたしまして、
小雨の中を決行いたしましたけれ
ども、
落後者は二十六人でございました。その
落後者につきましても、いずれも自後の
訓練には支障を生ずる
程度に至らなかったということでございます。
今回の
計画は三十一年度の
計画として第三
管区で立てたものでございます。第三
管区におきましては、当初
秋季の
計画として考えておったのでございますけれ
ども、たまたま昨年は
秋季において第三
管区が検閲を受けた等の
事情がございましたので、これを第四期に回して、第四期の
特殊訓練として一月から三月の間に
実施をするということにいたし、その期日も二月の五、六日と定めたわけでございます。こういう
事情からいたしまして、場所につきましても、廠舎の利用が可能であり、天候の比較的安定しておると認められますところの
広島県の加茂郡
原村演習場付近とし、今回は各
連隊の全員ではないのでありまして、各
連隊からの
選抜の
大隊によってこれを行なったのでございます。
競技の形をとったのでございますが、この
競技はどういうふうなものを
基準として優劣を決定するかと申しますと、
一つには規律の維持、その
部隊が
隊伍正々として
行進をするかどうかということ、
一つには
参加率、
大隊のうちで何名が
参加するかということ、
一つには
行進の
速度、
一つには
落後者の率、こういうものを審判の
基準として
競技を
実施いたしました。
計画を実行に移します際においては、第三
管区総監部の
担当部局といたしましては相当に配慮をいたしております。まず
現地の
状況を反復細密に
調査いたしまして、
夜間の
行進に備えて
道路の補修をやるとか、あるいは
石灰等によって危険な
個所の標識を設定するというようなことをいたしております。また、先ほど申し上げましたごとく、事前の
予行演習を
実施いたしまして、逐次体力を増進して、不
適格者を除くということをやっております。それから、
隊員の
健康状況の
調査につきましては、昨年の十一月に定期の
健康診断を全
隊員について
実施いたしております。それから、問題になりました第七
連隊について申し上げますと、一月二十一日にその前の
予行の際の
激務休の
調査をいたしております。一月二十九日には不
適格者を診断いたし、一月三十日には
隊長が
医官を伴いまして全
隊員の
問診と視診をいたしておるのでございます。二月五日当日におきましても
隊長が
問診をいたしております。
救護所の設置につきましては、七十七キロの
行程のうち二カ所に
救護所を設置いたし、それぞれの
救護所に
医官一名、
救護員六名、
ジープ一両、
救急車二両を配置いたしております。それから、各
大隊の
後尾に
収容班をつけておりまして、この
収容班には、
医官一名、
救護員二名が搭乗いたしておりまして、
ジープ一両、
救急車一両をもちまして各
大隊の
後尾を
行進いたしております。食事の点につきましては、夕食時に氷砂糖と大福もちを特別に給食し、さらに二十三時三十分ごろ暖かい牛乳一本とあんパン三個を特別に配給いたしている次第であります。
次に、
演習実施の
状況について申し上げます。気象の
状況は、二月五日は午前中薄曇りでございましたが、午後の二時ごろから
小雨になりました。
夜間は雨、ときどき風やや強く、屋外では寒けを感ずる
程度でございましたが、
温度は七度から八度の間でございます。二月六日は、午前
中小雨、やや寒い、午後は降ったりやんだりでありまして、
温度は、明け方は七度から八度、十時以降は六度に下っております。五日、六日を通じて雨量の合計は約二十ミリというふうに報告されております。
行進を開始いたしました当時の
道路状況でありますが、
道路は雨にぬれておりましたけれ
ども、水たまりを生ずるという
状態ではなかったようであります。但し、一部
戸坂峠付近及び苗代、本郷間には若干のぬかるみを呈する部分があったということであります。
統裁部の
措置といたしましては、開始前におきまして、雨が降りましたので経路を変更いたしております。それは、標高八百メートルの野路山を通る予定でありましたものを、
平坦路に変えております。それから、雨が降りましたので、
管理支援要員を
休憩点に先行させまして、採
暖設備及び喫食の
準備をさせました。また、
出発に当りましては、
事故の防止につきまして細密な
注意を与えております。その際に申しておりましたことは、
事故を出しては元も子もないんだということ、絶対に無理押しするな、各人の
状態、
装備を再点検し、
身体の不調な者は排除しておけ、危険な
個所は
注意し、
自分の
部隊の
能力に合せて歩き、そのペースを守り、他の
部隊に牽制されるようなことがあってはならない、
速度にとらわれてはならない。おそくとも堅実で
最後まで団結を維持し、正々と歩く
部隊がいいんだというような
注意を与えて
行進を開始しております。
行進の
状況について申し上げますると、三個
大隊が出たわけでございますが、
最初に出ましたのは
善通寺所在の第十五
普通科連隊でございます。これが十六時三十五分に
出発点を出ております。そして翌日の十二時二十四分に
終着点に
到着いたしております。
所要時間は十九時間四十九分。この
部隊におきましては、
参加者が三百三名でございましたけれ
ども、
落後者はございませんでした。第二番目に出ましたのが、
広島県の海田市に所在いたしまする第八
普通科連隊でございます。この
部隊は十七時五十九分に
出発いたしまして、翌日の十三時三十七分に
到着をいたしております。
所要時間は十九時間三十八分。
参加者は二百五十一名に対しまして、
落後者が十名出ております。問題の第七
普通科連隊は
最後の
部隊といたしまして十九時三十一分に
出発いたしておりまして、翌日の十三時四十三分に
到着をいたしております。
所要時間は十八時間十二分。
参加者二百三十三名のうち
落後者四名ということになっております。
出発当時の雨の
状況は先ほど申し上げましたが、
出発後におきましては、
降雨量を増しまして、水越、
安登、約半分をちょっと越えたところで雨が最も激しかったのでございます。
統裁部におきましては、さらに雨が激化いたしますれば、それより数キロ進みました
岡郷付近で
行進を打ち切る
方針のもとに、
到着点までの輸送の
準備を進めたのでございましたが、夜が明けましてから雨が小降りになりましたので、
計画通り、
部隊の
到着後直ちに集結をいたさせまして、
行進終了後
身体衰弱の者を点検し、十一名を収容いたしました。この十一名のうち一名の者が虫垂炎で
国立の
西条療養所に今とどまっておりますけれ
ども、他の十名の者はそれぞれ原隊に復帰をいたしております。この
行進競技の結果、優勝いたしましたのは、
所要時間の一番長かった第十五
普通科連隊であります。
次に、問題になりました死亡いたしました
千頭三
曹及び岸上士長の死亡に至るまでの
状況を御説明申し上げます。
まず
千頭君でありますが、
千頭君は十一月の
身体検査当時は
異状はございませんでした。十一月以降今回の
行進に至るまでの間三回の
予行演習をいたしておりますが、この三回の
予行演習にも全部
参加をいたしまして、無事に
終了をいたしております。今回の
演習に際しましては、五日の夕方
出発点を出たのでございまするが、六日の午前三時三十分ごろ、
宮原付近——約まん中辺でございますが、
宮原付近におきまして、
身体の
異状を訴えました。右足全部が重く、足が前に出ないということを
小隊長に申し出まして、
小隊長から
ジープに乗ることを命ぜられております。しかし、
ジープに乗りまして間もなく、四時から四時二十分の間に
部隊が
朝食をとったのでございますが、その際には
千頭君も
一緒に
朝食をとりまして、食後、元気が回復したからと申しまして、
部隊に帰り、歩行を続けておりますが、途中数回
ジープに乗っております。そうして、全
行程の約三分の二くらいになります
中畑付近を
通行中、疲労を感じまして、
隊員から
あと押しをされて進み、
岡郷付近から再び
ジープに
乗車しております。十時四十分ごろ
樋詰付近で
介添えを受けまして、
統制点を
通過——統制点というのは、五カ所にチェック・ポイントを設けまして、そこを歩いて通らないと
落後ということになっておるのであります。その
統制点を通過して、十一時ごろ
ジープに
乗車、その後
ジープに乗っておりましたけれ
ども、
樋詰北方一キロ
メーター付近で
容態が急激におかしくなりましたので、
救護員が
応急処置をいたしまするとともに、
医官に急報し、
医官が急いで参りまして、
連続強心剤の注射をするとともに、これはかなり
容態が重いと
判断をいたしまして、
西条町の
国立広島療養所に向う途中、十一時二十五分、
西条町の
宇田口、
道路の東側の
救急車中で
急性心臓衰弱で死亡せられたということになっております。
岸上士長の方について申し上げます。
岸上士長は、十一月の
身体検査当時は
異状はございませんでした。その後の三回の
予行演習のうち、初めの二回は
参加いたしませんでしたが、
最後に一月に
実施いたしました
予行演習には
参加いたしております。その際は
落後はいたしませんでしたけれ
ども、途中約四キロほど
ジープに乗った事実がございます。今回の
演習に当りましては、五日の夕刻
出発いたしまして、六日の午前四時四十分ごろ
川尻付近で
岸上君の
容態が少し悪くなりました。
宮原から少し先でございますが、
川尻付近の川岸の道を
通行中、石につまづいて転倒いたしました。その後
ジープに
乗車いたしまして
行進をいたし、
安登、
岡郷、
樋詰統制点——先ほど申しました
統制点では
同僚の援助によりまして歩行して通っております。十時五十五分ごろから十一時三十分まで
部隊は
昼食をとったのでございますが、この際は、
岸上君も他の
隊員とともに
一緒に普通の
昼食をとりましたほか、鶏卵二個をとっております。その後再び
ジープに
乗車いたしまして
行進を続け、中郷の
統制点でも他の
統制点と同様に
同僚の
介添えを受けまして通過いたしました。十二時二十分再び
ジープに
乗車のまま
目的地に午後一時四十三分に
到着をいたしております。
目的地におきましては
同僚に抱かれて
ジープを降りましたけれ
ども、そこにおりました
医官が
容態が異常であるというので診断いたしましたところが、かなり重態でありました。そこで、直ちに
救護所に収容し、手当を加えますと同時に、
西条町の
広島国立療養所に送る
措置をとったのでありますが、八本松町の同
救護所におきまして十四時十分に
急性心臓麻痺によって死去されたというのがその
概要であります。
いわゆる
暴行事件なるものにつきまして、私の方では
目撃者の言、その他によりまして目下
調査を続けております。これはある
程度の
——けったとか、押したとか、突いたとかいうある
程度の事実は確認をいたしておりますけれ
ども、その他今
調査の
対象となっております十件の
事件の全部につきまして、まだ
最後的な
判定を下すまでに参っおりません。これは物証というふうなものもあまりないのでありまして、ただ
目撃者及び
当人の
供述等をもとにして
調査いたしておりますので、それらの
供述がだんだんと食い違ってきたりしまして、非常に微妙な点がございまして、
判定には困難を感じております。ただいま判明いたしました点につきましても、事実としては、押したとか、あるいは引っぱったとかいうふうなことはございます。しかし、これがいわゆる部下の虐待である、
暴行であるとかいうふうに見るかどうかということは、非常に問題であると思います。私
どもの
判断では、虐待したり
暴行したりする意思をもってやったものではないことは明瞭でございますが、こういうふうな
行進でございますので、
隊伍を離れようとする者を無理に引っぱって入れた、あるいは落ちそうな者を引っぱった、あるいは
眠けを催しております者をゆり動かしたということはあるのでございます。その辺の、これは
暴行であるかどうかということの
認定が非常にむずかしいので苦慮いたしておりますが、鋭意
調査を続けております。
大体の
状況は以上のようなものでございます。