運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1957-04-23 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第33号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年四月二十三日(火曜日)     午前十時二十六分開議  出席委員    委員長 相川 勝六君    理事 大平 正芳君 理事 床次 徳二君    理事 福井 順一君 理事 保科善四郎君    理事 山本 正一君 理事 石橋 政嗣君    理事 受田 新吉君       逢澤  寛君    宇都宮徳馬君       大坪 保雄君    大村 清一君       北 れい吉君    田村  元君       辻  政信君    船田  中君       眞崎 勝次君    町村 金五君       粟山  博君   茜ヶ久保重光君       淡谷 悠藏君    稻村 隆一君       木原津與志君    中村 高一君       西村 力弥君  出席国務大臣         国 務 大 臣 松浦周太郎君  出席政府委員         総理府事務官         (恩給局長)  八巻淳之輔君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田邊 繁雄君  委員外出席者         議     員 小川 半次君         議     員 纐纈 彌三君         専  門  員 安倍 三郎君     ————————————— 四月二十三日  委員山本粂吉君及び稻村隆一君辞任につき、そ  の補欠として逢澤寛君及び河野密君が議長の  指名で委員に選任された。 同 日  委員逢澤寛君及び河野密辞任につき、その補  欠として山本粂吉君及び稻村隆一君が議長の指  名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  公聴会開会承認要求に関する件  臨時恩給等調査会設置法案内閣提出第一四  三号)  国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律  案(纐纈彌三君外三十七名提出衆法第一号)     —————————————
  2. 相川勝六

    相川委員長 これより会議を開きます。  臨時恩給等調査会設置法案議題とし、質疑を続けます。淡谷悠蔵君。
  3. 淡谷悠藏

    淡谷委員 調査会委員選定の方法ですが、恩給などにつきましても、旧軍人の中の上級幹部重点を置くか、あるいは一般の旧兵士諸君重点を置くか、将来の問題で、大きな恩給法上の考え方の相違が出てきます。こういう点につきまして、委員の構成をどういうふうにお考えになっておるか、お答えを願いたいと思います。
  4. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 この法案によりますと、委員の総数は二十五名となっております。その内訳といたしましては、国会議員関係行政機関職員学識経験者となっておりまして、それぞれの内訳につきましては、現在のところ国会議員九名、関係行政機関職員五角、学識経験者十一名というふうな腹つもりでおります。なお、この学識経験者関係におきましては、広く各界のこの問題について造詣の深い方々に御委嘱を願う、こういうふうな考え方でおりまして、御指摘上級幹部重点を置くか、旧兵士重点を置くかということについて、特にそういうふうな選び方ということは、ここで考えておりません。
  5. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それなら学識経験者の任命の仕方ですが、これは一体どこで任命いたしますか。
  6. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 この法律案で見ますと、内閣総理大臣がこれを委嘱する、こういうことになっております。
  7. 淡谷悠藏

    淡谷委員 内閣総理大臣委嘱するといたしましても、大体今のように、基本的なお考えがはっきりしておりませんと、学識経験者といっても、大へん広うございますから、なかなか選び方問題になろうと思う。その場合に、恩給法改正の基礎になる考え方がはっきりきまっておりませんと、非常に選ばれた学識経験者性格が変ってくると思う、これはやはり、旧軍隊の復活という思想ではなくて、あの戦争による犠牲者を救い上げ、同時ににまた生活困難を感じております人に重点を置いていかなければ、新しい時代の恩給とならない、そういう点につきまして、基本的な考え方をもう一応明示していただきたい。
  8. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 委員選び方につきましては、できるだけ公正な意見がこの調査会に反映いたしますように、方向におきまして、学識経験者といたしましても、学界とかあるいは経済界とか言論界とか、その他の方面から選考して参りたい、こう思っております。この恩給問題につきましての根本的な考え方と申しますと、これはやはり昭和二十八年の法律百五十五号で軍人恩給がいわゆる復活をいたしたわけでございますけれども、そのときの考え方というものは、乏しい国家財政ワクの中で、できるだけ遺族傷痍軍人、それから老齢者という方々重点を置いていきたいという考え方が出ております。しかもまたその考え方の中では、上薄下厚というふうな考え方が盛り込まれております。そういうふうな考え方は、当然この調査会においても引き続いて踏襲されて行われていくものだ、こう考えております。
  9. 淡谷悠藏

    淡谷委員 この委員選定の場合に、基本的に横たわっておるその考えを変えるようなお含みはございませんか。やはりその線をどこまでも堅持していくという基本方針を堅持されますか。
  10. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 昭和二十八年の法律百五十五号ができましたときの精神というものは、恩給法ワクの中での問題を処理していくこの調査会任務であります以上は、やはり同じような考え方が踏襲されていくものだ、こう思っております。
  11. 淡谷悠藏

    淡谷委員 それでは、大体それでいいと思いますが、内閣総理大臣にこの委員委嘱をしてもらう、その場合に、大臣推薦するような何か推薦母体といったようなものを考えておりますか、総理大臣一人できめるというわけにもいかぬ、その場合に、この委員推薦委嘱するような機関を設けるような含みは中にございますか。
  12. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 ただいま御指摘のような、そういう推薦母体というものから、いわゆるその代表者というふうな形のものは、この法律におきましても予定しておりませんし、また選考に当ってもそういうものに拘束されるというようなことは考えておりません
  13. 淡谷悠藏

    淡谷委員 選ばれました委員について何らか問題があり、また意見守があった場合に、これを具申するような道は開かれておりますか。
  14. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 選びます際には、慎重に考慮いたしまして、各方面からの公正な意見が反映するように慎重を期して参りたい、こう思っております、一たん選びまして後にそれをどうこうするというようなことは、今までの例から申しましてもなかなかむずかしい問題だろうと思いますので、それまでに慎重に検討して選びたい、こう思っております。
  15. 淡谷悠藏

    淡谷委員 法律ができました場合には、公正な立場をとっておりましても、長い間にはこの精神がだんだん変っていくようなおそれがしばしば出て参ります。今度の調査会の発足に当りましても、その点は十分に注意して、本来の目的を逸脱しないように、特に遺族傷痍軍人等、大きな犠牲を受けております人たちに対する配属が十分なされるように、私から意見を付しまして質問を終ります。
  16. 相川勝六

  17. 受田新吉

    受田委員 この法律案の第二条に調査審議事項が列挙されておるのでございますが、この第一号の旧軍人と第二号のそれ以外の関係事項との問題でありますけれども、第二号の「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」というのは、どれどれを考えておられるのでございますか。
  18. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 第二条の一号は軍人恩給に関することでございます。「旧軍人公務傷病恩給、旧軍人遺族公務扶助料その他旧軍人又はその遺族恩給」ということは、普通扶助料なり普通恩給のことをさしておるの百であります。第二号に「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」というのは、文官恩給に関することでございます。文官恩給という言葉法律的に熟しておりませんから、そこで、「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」ということで、文官恩給をさしておるわけでございます。文官恩給につきましても、御承知通り陳情請願等に現われる問題といたしましても、すでに一万五千円ベースへのベース・アップの問題、あるいは昨年文官恩給の不均衡是正をいたしましたけれども、その際設けられました制限を撤廃するというふうな問題であるとか、その他追放公務員恩給に関する問題とか、裁判官の恩給についての問題であるとか、いろいろな陳情請願に現われておりますところの要望等がございます。これらのものはやはり文官恩給における問題点としてこの調査会衣調査対象になる、こういうふうに考え場ております。
  19. 受田新吉

    受田委員 文官の双方にまたがる問題は、このいずれに考えておられるわけですか。
  20. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 第二条の一号と二号にまたがる問題は、一号、二号の共通の問題としてそれは取り上げていきたいと思っております。
  21. 受田新吉

    受田委員 三号のこれに掲げてある事項となりますると、例の援護法関係に充当すべき関係事項ということでございますか、それともそのほかの問題をあわせて考えておられるのでございますか。
  22. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 第三号は、この言葉通り戦傷病者戦傷病者または戦没者の、遺族等援護法関係の、援護に関することを議題にしよう、こういうことでございます。すなわち恩給問題関連いたしまして、たとえば公務扶助料の額が上る、こういうことになりますと、当然これは遺族年金の額の修正に及ぶわけであります。また傷病恩給の額が上る、こういうことになりますと、当然傷害年金傷害一時金、こういうふうな問題にも発展するわけでございます、さらに援護独自の問題といたしましても、昨年の内地等軍人遺族に対する公務扶助料特例という場合におきましての法律案が可決になりました際、附帯決議でありましたか、附帯意見が出ましたように、動員学彼等の死没者に対する処遇というふうな問題援護法上の問題として考えられなければならなし、そういう援護法上の問題でいまだ未解決になっておる問題、こういうものがこの三号の関係において取り上げられる、こういうふうに考えております。
  23. 受田新吉

    受田委員 この三号に該当する事項については、海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会で小委員会ができておりまして、その方で特に勅員学徒、その他の当面直ちに措置すべき援護措置について、援護法改正案を用意されつつあることは局長御存じ通りだと思うのです。そうしますと、ここでもその問題をやる、また国会内の委員会の小委員会でもこれをやっていくわけです。これは別に両方で研究していただくことはけっこうでございますが、局長政府委員とされて、そうした国会内の効きがあることは御承知でございましたでしょうか。
  24. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 その問題につきましては、実は厚生省所管でございますから、私十分熟知しておりませんけれども、いずれにいたしましても、政府といたしまして、その問題委員会の御意見もあるし、また附帯決議等における御意見もあるし、陳情請願等にも現われておりますというような関係で、これが将来における取扱いというものについて広く御意見を伺っていく、そうしてそれによって措置していくということが大切であろう、こういう考え方でこの調査会において、さらにその問題を確認していくというふうなことは差しつかえないのじゃないかと思っております。
  25. 受田新吉

    受田委員 昨年の臨時国会における、例の恩給特例関係法律の制定の際に附帯決議に出されたものは、すみやかに措置すべきであるということであって、こういう恩給等調査会に諮って、しかる後決定するというような、なまぬるい考え方附帯法蔵がついていたの百ではないのであります。従って今国会のうちに成立させるという含みを持って当時の委員諸君は了承をして、附帯決議をつけたことは、その当時関係したここにおられる委員諸君は皆知っておられるいそれをここに新しく総理府附属機関でさらに検討し直してやるという問題は、いささかおそきに過ぎる感なしとせず、こう断定せざるを得ないの、でありますが、その問題はここで一緒に、ゆっくりこの末までに検討して、来国会にでもやってよかろうというように結論を、この法案庶務最高主任といいますか、最高責任者である恩給局長さんはお考えになられたのでございますか。
  26. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 この調査会任務といたしましても、できるだけ早くその調査審議結論内閣総理大臣答申するというような意味で、この秋の十一月十五日までに報告するようになっております。従ってこの答申の結果というものは、来年度の予算編成に当然影響していく、こういうことになるわけでございます、御指摘動員学徒死没者に対する援護法上の所遇につきましても、これは早急にこの問題についての調査審議を経まして、それによって来年度予算措置できるものはしていく、こういうことになるであろうと思うのでありまして決してだらだらとこの調査会にかけて責任を回避するということは毛頭ない、こう考えております。
  27. 受田新吉

    受田委員 だらだらとこの調査会に持ち込むという意味ではないというお気持のようでもありますが、今まで全然恩典に浴していない方々が、今指摘したような方々にも、今まで非常な身体の障害を受け、苦痛にあえぎながら、毎年いかなる年金もいただいていない不幸な動員学徒その他の方々を、この際大急ぎで援護すべきではないか。こういうことは、昨年の恩給臨時特例法律を制定する際に、同時にこの中に入れてはどうかというので、あの際、修正案を出そうというところまできておった、ところが政府としても近く何とかするという御意向のようだし、この内閣委員会委員諸君も、次の国会では何とかするという見通しであれば、附帯決議でがまんしようというので、国会の意思を附帯決議に盛りまして、法案を通過せしめたような次第でございます、今まで毎年当然いただくべき公務障害方々と同等な立場にある方々に、一文の年金もいってないようなこの実例、これはなくなった方々障害方々も同様でございます。そういう方々には次の機会を待つまでもなく、とにかく急いで今国会のうちにちゃんとした法案を作って差し上げる力が、私は親切ではないかと思う。この恩給調査会に持ち込んで来国会で何とかするという形にするよりは、今国会で何とかするという形の力が筋が通る問題ではなかったかと思うのですが、この調査会庶務恩給局長が処理されることが、この法案の第七条にも響いてありますので、当面の最高責任者でいらっしゃる恩給局長さんの御見解を明らかに願いたいのであります。
  28. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 厚生省所管でございますけれども、実は厚生省との連絡におきまして聞く範囲におきましては、まだその問題についての結論的なものを得ておらぬと思っております。従いましてこの調査会議題としてそれが及ぶ範囲もございましょうから、調査審議をいたして、そうしてその答申によって適当な措置をするということが政府としても望ましいのじゃなかろうか、こう思っております。
  29. 受田新吉

    受田委員 これは当然所管大臣厚生省です。従って厚生省責任者の方に御一緒に御審議を願わなければならぬので、これをお願いしておきます。同時に、せっかくおいでの機会恩給局長さんに、第四号の「その他前三号に関連する事項」というのはどういうものがあるのでございますか、お示し願いたい。
  30. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 この第一号、二号、三号というものは恩給法上の問題あるいは援護法上の問題というワクの中の問題でありますけれども、第四号、これに関する事項として考えられるものは、そのワクの外にはみ出しておるけれどもそのワクの中で処理できるかどうか。たとえば援護法関係におきましても、開拓団員であるとか、それから旧日赤の救護員でございますか、そういうふうな援護法対象に現在はなっておらないという方々についても、援護法ワクの中に入れるかどうか、こういうような問題。また、たとえば恩給関係で申しますと、満州国の官吏として在職された方、こういう方々につきまして、満州国の解体に伴って、その満州国における退職給与制度上決済を受けておらない、こういう方々について、恩給法上何らかの処遇をせよ、こういうような要望が出ております、これなどは、元来恩給法ワクの中の問題ではございませんけれども、しかしこの問題恩給として何らかの措置をしろという要望も出ておりますので、果してこのまま恩給法上の例に載せるのがいいのかどうかということの前提の問題がございますけれども、そういうような問題も、これに関連した事項として調査会審議対象にする、こういうことを考えておるのでございます。
  31. 受田新吉

    受田委員 今国会で緊急上程された法案に、引揚者給付全等支給法案というのがあります。この引揚者給付金等支給法案なるものの中身に、今あなたが御指摘されたような満州開拓民、その他満州国軍人、蒙古の軍人であった人々に対して、遺族給付金というものが支給される規定が掲げられてあります。これはこちらの援護法に該当するものでない人々を、引揚者に対する給付金を支給する法案の中へ取り入れたものでございます。これはすでに衆議院を通過して、今参議院で審議いただいておる法案でございますけれども、この法案に盛られた例の遺族給付金を支給される対象になる方々と、この調査会設置法の第二条第四号に該当する方々とが競合する問題だと判定してよろしゅうございますか。
  32. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 実は私はまだ十分そちらの方を勉強しておりませんので、わかりませんけれども、少くとも恩給上の処遇をせよという陳情請願等も出ておりますから、それについてその他の方面ですでに処遇済みであるというようなことであれば、それはまたその調査会審議の過程において、これはこうでなければならぬとか、その方面において処理済みである、そういうような結論が下されるわけでありまして、一応はその陳情請願等に現われて、この恩給上の処遇問題についてのいろいろな問題となっておるわけでございますが、それがいろいろな各方面調査研究の結果、どういうふうな結論が出ますか、わかりませんけれども、いずれにせよそういうような問題もあるという意味合いにおきましては、やはりこの調査会審議対象になるものである、こう思っております。
  33. 受田新吉

    受田委員 この第二条の調査審議対象になる事項は、第一号、第二号が恩給法、第三号が援護法、第四号が引揚者給付金支給に関する法案対象者その他を含むというような、それぞれの法の対象別考えて、調査審議事項を列挙したと見てよろしいかどうか。
  34. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 一号、二号は恩給法上の問題、それから三号は援護法上の問題であります。しかしながら、四号はその他の給付金法案に盛られた問題とか、そういうような限定的な意味ではございませんで、一号、二号、三号をいろいろと審議している際に、それとの均衡援護法上の問題あるいは恩給法上の問題として扱うべき問題があればそれを考えていくという程度の意味でございまして、具体的に四号に上ってくる事項がどういうものであるかということをはっきりとはしておりません。いずれにしましても、調査会審議内容をあまりに拘束してしまうということでもまずいという危惧から、多少の弾力性を持たして四号というものを置いてございます。
  35. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、四号は非常に広範な立場から関連事項調査審議するということになるわけですね。そういうことになりますと、たとえば戦災者空襲死亡したというような問題、これは普通の公務障害をした人々関連する立場で、たとえば学校に勤務していた人が生徒を連れて空襲下において子供の待避のために非常に苦労してきたが、しかしついにそのためにやむなく逃げる道を失って死亡したというような場合は、公務に準じられた人もあるし、公務に準じられないでそのまま泣き寝入りになっている人もある。こういうような場合は、戦災等によって死亡した人々の中でこうした公務性格を帯びているものがあるとするならば、これも拾い出すというような考えも、四号の中へ入れられてありますか。
  36. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 この調査会審議内容はできるだけしぼっていきませんと、その調査結論を得ますにいたしましても非常に期間を要するし、またその任務というものは幅の広いものになってしまう、それでこの趣旨と申しますのは、あくまでも恩給問題援護法問題、こういうワク内の問題についてのいろいろな問題をまず整理してかかろうじゃないかというところから出ておりますので、それから逸脱いたしまして、あまりにもかけ離れた全般の問題に入りますと、調査会目的がだんだんとぼけてしまうという意味もございます、そういう意味で、四号の「前三号に関連する事項」ということにつきましてはできるだけ限定して、直接関連と申しますか、すぐに身近にそれと関連していくというふうな問題にしぼっていくべきじゃなかろうか、こう思っております。
  37. 受田新吉

    受田委員 私の今申し上げておるのは関連するような一つの実例ですが、たとえば子供を待避させるために先生教育公務に従事する最中において、子供を引率して防空壕へ入るというような場合に空襲でなくなられた、これは学校先生たちがなくなられた例は非常に多い。そういう場合に、公務取扱いを受けてない。これは明らかに恩給法上の公務死に該当すべきものであるが、たまたまそれが敵の空襲下にあって、公務執行中であったにかかわらず面接公務のように見えないので、恩給法上の公務扶助料対象になっていないというような場合、こういうのは私はこの際十分拾い上げて疎漏なきを期さなければならぬと思うのです。あまりかけ離れた問題でなくして、きわめて近接して、むしろ一号か二号かに入るような性格方々が放置されておる、これをこの際徹底的に考え直す、たとえば戦災等公務に準ずる死亡と認めらるべき教職員恩給扶助料等臨時特例に関する法律とか、そういう名前でもつけてやるべき性格のもんですがね、そういう方々に対してどういうふうにお考えになられるか。いかがでしょう。
  38. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 ただいま例としておあげになったのは、教職員とかそういう公務員に関することであれば、当然その方の死亡についての問題恩給法上の問題になり、あるいはそれが恩給法以外の国の使用人の問題であれば援護法問題になる、こういうわけであります。一般のそうした恩給法対象になりあるいは援護法対象ワクに入っておらない方々の、この戦争犠牲者に対する処遇と申しましょうか、それに対する対策というものはこの表題にもございます臨時恩給等調査会というものからだんだんとはずれてくるのじゃなかろうか。それはその問題だけを考えるならば、別に戦争犠牲者対策調査会というようなものを考えるべきなんであって、やはりあくまで本質は恩給法援護法ワク内の問題に限定して考えていくべきではないか、こういうふうに考えております。
  39. 受田新吉

    受田委員 そうすると第四号というのは恩給法援護法関連があるわけでありまして、直接今まで救われてない人々であるからその人々をどういうふうにこれに救い入れるかという規定である。だからそれ以外のものは戦争犠牲者の何か審議会みたいなものを作るということでやったらいいということでございますが、そうしますと恩給局長はこの臨時恩給等調査会設置法ということで総理府付属機関を設けるとともに、さらに戦争犠牲者臨時調査会設置法なるものを別に設ける御計画があるのかどうか。ちょっと今お言葉の片りんに窺えましたので、そういうものを付属機関にもう一つ置かれる御用意があるかどうかお伺いしたいのです。
  40. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 そういうものを置くかどうかということは私は何も申し上げたわけじゃないのであります。少くともこの恩給等調査会対象としてはできるだけ恩給法ワク内の問題援護法ワク内の問題というふうに対象をしぼって参りたい、またそうすべきである、こう考えております。
  41. 受田新吉

    受田委員 恩給局長の御所管事項立場から言えばきわめて限定された意味でこれをお考えになられると思うのですが、しかし調査会調査を進めようとするならば、そういう広範な戦争犠牲者の中で当然国家が何らかの形で補償しなければならない性格のものは、全部その調査会審議対象にしなければ、これは実際は問題が解決しないのです。私はそう思う。つまりその中で漏れたものはないか、その漏れそうな分については、今回救おうとする人々と比較検討してどういう関係にあるのかということを広く研究して、しかる後に焦点をしぼって調査審議した結果が出る、こういう形に私はなると思います。これに拾い上げるものはないかということを非常に限定してから調査にかかったならば、この調査会はまことにセクト的な調査会になってしまうので、広範な戦争犠牲者人々の中から国家責任を持って補償すべき立場のものはどれどれかを考え、漏れるものはないか、手落ちはないか、ゆっくり研究してこの審議会で片づけないと、これは今申し上げたような方方を取り残すおそれがある、従って今局長が仰せられた戦争犠牲者の広範な国家補償の調査会を設置するというような御計画があるならば、それはその方へ譲られていい向きがありますが、大体今度出されたこの調査会なるものは、戦争犠牲を受けた人々の中で国家が何かの形で補償しなければならないという性格のものはできるだけこれに拾おうとするならば、非常に広い対象の中から検討を加えて結論を出すという形に私は持っていかなければいけないのじゃないかと思いますが、いかがでしょう。
  42. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 受田先生承知通り、もちろんこの恩給法上の問題あるいは援護法上の問題調査審議するにいたしましても、将来の国の財政なりあるいはほかの諸制度の現状なりを、頭に置きながら調査審議をしていかなければならぬという点につきましては、全くその通りだと思っております。しかしながらその他の事項につきまして結論を出すというのじゃなくて、あくまでそういうことを念頭に置きながら、この恩給法上の問題あるいは援護法上の問題というものについてその結論を出していただくということを規定している、こういうふうに考えております。
  43. 受田新吉

    受田委員 調査参会が発足したならは、おそらく関連する調査審議対象について広範な資料を政府から提供させて、それを中心にして関連事項をつかみ出すという形にいかなければこの調査会目的は達成されないと私は思う。きわめて狭い限界の中から拾い上げるということになるなら、は、それは今あらためてこういうものを作らなくても、現在において政府が努力せられ国会内部で努力せられれはいい、一般学識経験者までもかり集めて、広い意味意見を聞こうということになれば、従って広範にわたるところの調査審議対象を求めて、その中から万遺漏なきを期するところの結論を出して、政府答申するという形でなければ用をなさないと思う。ということになれば、四の「その他前三号に関連する事項、」などというような広範な対象関連は、広い意味戦争犠牲、たとえば戦争でなくなられた方は一応公務でなくなられたと認めるとか、前提において調べなければならぬものが非常に広範囲にわたるので、そういうこともあわせ考えるべきものじゃないかと思うのです。そこで二条の第一号と第二号との関連ですが、第二号は文官恩給であるということでございます。文官恩給対象にするということに考えられたことは、従来の文官対象にされるのか、あるいは現在これから後に恩給を新たに支給を受けようとするものを対象にされるのか、それを両方含むのか、いかがでありますか。
  44. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 この第二条の二号に響いてございます文官に関する恩給のことでございますけれども、調査会対象として考えていきたいというものは、やはり現在すでに退職して恩給を受けている方々を主として対象とする。そういう恩給を受けている方々の中でいろいろな問題がある。そこでそれをどうするかというふうにしぼって参りたい、現在在職している方々が将来恩給を受ける場合にどうあるべきかというような問題につきましては、これは将来の退職年金制度の問題にもからんで参りますから、そういうふうな現在の恩給制度というものを将来の新退職年金制度というものに持っていくために、どういうふうに漸次改善していくかというような問題にまで発展して参りますと、やはりそれは新退職年金制度のあり方というものを拘束することにもなりますので、やはり問題は現在今までの恩給法でもらっておった退職者という方々重点を置いて考える、こういうふうにして参るべきじゃないだろうか、こう思っております。
  45. 受田新吉

    受田委員 そうしますと「前号に掲げる者以外の者の恩給」ということの中には、すでに裁定された人々恩給あるいはまだ未裁定であるが当然恩給を支給すべき対象になっている人ということに限定されたのであって、一般的な意味恩給問題という意味じゃなくして、過去の恩給という意味に限定した解釈ということですね。
  46. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 そうであります。
  47. 受田新吉

    受田委員 そうしますとここで一つ問題が起るわけですが、この設置法案文官というものはつけたりで、目的は第一号にあると判定してよろしゅうございますか。
  48. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 一号、二号という順序にはなっておりますけれども、決して一号の方が重くて二号の方が軽いという意味ではございません。この法規上の表現の仕方として、文官恩給というふうにぶっつけに書くことがなかなかむずかしいものでありますから、旧軍人のこういうふうなものを書き、その以外の者を書いた、こういうことだけでございます、特に文官恩給についてはウエートが低いのだというふうには考えておりません。
  49. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、これはなくなられた「旧軍人公務傷病恩給、旧軍人遺族公務扶助料」、そこで第一号を打ち切って、今生きておられる人の場合の旧軍人とか公務扶助料でない立場人々は第二号に一括してまとめる、公務扶助料を支給すべき対象になっている人を第一号に一括して、それ以外の生きた人の場合は第二号に二折するというように書き改める方が筋として通るのではございませんか。
  50. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 これも表現の問題でありまして、一号は平たくいえば旧軍人恩給のことであります。二号は文官恩給のことであります。こういうことを法律的な表現としてこういうふうにしたということだけであります。
  51. 受田新吉

    受田委員 われわれは、少くとも国家の至上命令で動いてなくなられた人人の問題を当面取り上げる問題として考えておるわけであります。そういうことになれば、戦傷病者公務扶助料というものを第一義に考えて、それを第一号に置く。それから、その他の生存者の場合は第二号に一括してまとめるというようにして、これを書き改める方が筋が通るのではないか。第一号は軍人恩給、第二号は文官恩給というふうな書き方でなくして、公務扶助料対象になる人々と、生きた軍人の場合及び普通扶助料対象となる人々というような形に、これを改めて調査研究する方が筋が通るのではないかと思います。これは第一号の中に旧軍人の生きた人が入ってきますから、そうすると、公務扶助料対象となる人々と生きた軍人とはやはり別に考えていくべきである。そうしないと、大体恩給亡国論の対象になってきておるのは、この六百八十億に及ぶところの戦死者の公務扶助料である。その公務扶助料は英霊に対する扶助料であるにかかわらず、それが恩給亡国論の対象となって批判されてくるということになっては、これは非常に問題になるわけであります。一応こうして号を分けて調査研究されるということになれば、われわれは少くとも生きた軍人となくなった人々との研究対象は分類して、公務扶助料と、それからそれ以外のものということにすれば、「その他」以下は第二号へ入れて分けて考えるという方がいいのではないでしょうか。
  52. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 これは書き方の問題でありますけれども、そういう受田先生の御趣旨は、この書き方の表現の中でも、公務偏病恩給公務扶助料という言葉を出しまして、そういう点に重点があるのだという精神がここに出ておると思います。現在生きている方々と死んだ方々というふうにまた号を分けることはかえって表現がむずかしくなりますので、こういうふうな表現で、しかもなお傷病恩給公務扶助料というものをはっきりと響いておくという意味において、受田先生の御意思の存するところは表現できているのではなかろうかと考えているわけであります。
  53. 受田新吉

    受田委員 私の精神がある程度表現できているという御指摘でございますが、そうしますならば、「旧軍人公務傷病恩給、旧軍人遺族公務扶助料」として打ち切ってしまう。そうして二の中で、「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」とやって、第一号の「その他旧軍人又は」以下を削除して、この「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」でぴしっと一括しておけば、軍人恩給とか文官恩給とかいう分類的な考えがなくなって、この臨時恩給等調査会設置法案の第二条第一号を尊重する意味にもなるのじゃないかと私は思うのですが、どうでしょうか。「その他旧軍人」と、わざわざ旧軍人恩給ということをここにうたい上げており、第二号で、それ以外の者ということで文官が含まれているというような、そういう分類主義を改めて、私が今指摘した形でこの認否会を設置するということになれば、理由がきわめて明瞭になって、旧軍人恩給をわざわざ取り上げるような事項を削除する方が印象的にもいいのじゃないかと思うのですが、私の見解に御賛成願えるでしょうか。
  54. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 いろいろ先生からの御注意がございますけれども、「その他旧軍人又はその遺族恩給に関する事項、」それから「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」ということで、結局はっきりと対象名をあげておりません。そういう意味におきましても、はっきりと対象名をクローズ・アップさせた公務傷病恩給公務扶助料という方に問題の中心があるということはこの表現からも読み取れるのではないかと思います。これをいろいろといじくりますと、表現が法律的にはなかなかむずかしくなりますので、この程度で、先生の御意思もあるということで御了承いただきたいと思います。
  55. 受田新吉

    受田委員 第二条第一号が「旧軍人又はその遺族恩給に関する事項」、それから二号の「前号に掲げる者以外」ということは、文官またはその遺族に関する事項ということになるわけなんですから、そういうことになれば、軍人文官を分けないで、公務扶助料の方を第一義としてこの第一号に置き、文官恩給受給者と旧軍人の生ている軍人及びその遺族恩給事項というものは一括して第二号として掲げる方がこの調査会設置の趣旨にも合致していいのじゃないか。第一号を、「旧軍人公務傷病恩給、旧軍人遺族公務扶助料」とぴしっと打ち切るのです。そうして第二号の方で、「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」の中に、「旧軍人又はその遺族恩給に関する事項」を含むことにして、別にそれを書き上げなくてもいいから、そういうことにしておけばいい。これはそう改めても、法律文革としてはちっとも不当なところがないですね。立法技術の上に変なところがありますか。百をひねらないで、一つお答え願いたいです。
  56. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 たとえばこれを「旧軍人公務傷病恩給、旧軍人遺族公務扶助料」で打ち切って、二号のところへ持っていって、「前号に掲げる者以外の旧軍人又はその遺族恩給に関する事項」と、それからこれは「文官の」と響けないものですから従いまして、これを表現するときにどうなりますか、「旧軍人以外の者の」というふうになりますか、その辺の表現の仕方を即座にここで申し上げることはちょっとできないのでありますが、なかなかむずかしいのじゃなかろうかと思います。
  57. 受田新吉

    受田委員 第一号の「その他」以下を削って、第二号の「前号に掲げる者以外」の範疇に入れることは、立法技術上別に変な規定ではないと私は思うのですが、それをわざわざ「その他旧軍人又はその遺族恩給」ということをここに書かなければ満ち足りない条件になるのですか。それを書かなくても、松浦先生もおいでになったのですが、第二号の「別号に掲げる者以外」という中には生きた軍人と生きた文官一緒にして、別に軍人文官と分けぬでもいい。そうすれば第一号を公務扶助料の項でぴしっと切って、第二号に今の生きた軍人と生きた文官を一括して「前号に掲げる者以外の者の恩給に関する事項」と、これで十分条件は充足しておると思うのですが、いかがですか。そういう書き方の方が筋が通っていいのじゃないですか。
  58. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 この書き方は技術的にいろいろあると思いますけれども、ここでも苦心いたしておりますように、公務傷病恩給とか公務扶助料という言葉を、恩給の種類として特にあげてその意味をそこに言い表わそうというところに苦心が存していると思うのでありまして、公務扶助料というところで打ち切らないとその辺が非常にぼけるのじゃないかという点は、考え方の若干の違いで、そういう受田先生の御趣旨はやはりこれでも読みとれるのじゃなかろうかと思っております。
  59. 受田新吉

    受田委員 これは臨時恩給等調査会設置の根本精神から考えても、またこの立法技術の上から考えても、生きた恩給受給者というものは一括して二号にしておく、あるいは公務傷病恩給を受けておるとか公務扶助料を受けておるという方を第一号に抜いて、そのほかは全部一括して第二号に入れるという形の方が法の文章を整える体裁の上から、対象を色分けする土から意義があるのじゃないかと思うのです。これから見ると、旧軍人恩給の方を第一号で取り扱い、第二号で旧文官を取り扱うという形になるわけです。従ってその印象をまとめるためにも、調査事項対象を整理する方法としては第一号に公務でなくなった人々あるいは公務傷害を受けた人々だけを抜き、第二号に生きた軍人文官とをあわせて掲げる、こういう解釈の方が立法技術の上から、また調査会設置の目的考えた場合はなはだ明瞭で整然としておりますが、どうですか。政府三首脳の間で御意見を交換していただいて、お答えをに願いたい。
  60. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 受田先生のようなお考え方もあると思いますが、これでも十分先生のお考えというのが反映しておよるわけで、この「その他旧軍人又はその遺族恩給に関する事項」ということをこの第一号に掲げたために、非常に重点的に取り上げられるのだろうというふうなことじゃないわけであります。その点調査会の運営においては、この問題が提起された成り立ちからいたしまして、こういう公務傷病恩給とか公務扶助料というような問題重点であるし、また昭和二十八年の法律第百五十五号の精神においても、遺族、傷癖軍人老齢者というものに重点を置いて考えるのだという精神はこの調査会においても反映してくるものであろうと思いますから、そういう実質論におきましては、決して先生考え方がこの法律の書き方によってゆがめられるということはないと思っております。その点は一つ御了承願いたいと思います。
  61. 受田新吉

    受田委員 ゆがめられていないという御説明でありますが、大体この調査会を設けた根本的な理由は、公務でなくなられた方々を広範に根本的に検討を加えて、国家責任を果すべきであるという趣旨が私は動機ではなかったかと思うのです。そういうことと、もう一つは、旧軍人またはその遺族恩給事項をわざわざ第一号で取り上げなくてもいいと私は思うのです文官またはその遺族恩給が第二号で、生きた武官だけを第一号におくということは、法律の文書を作る上においてはなはだへんぱと思うのです。生きた人々は文武官として取り扱っていいのであって、第二号で生きた軍人と生きた文官対象にする。この趣旨はまたこちらで皆さんにお諮りしていいのですが、あなたの方は十分相談されてこの法案を作られたのかどうかということにもなるわけです。この分け方は私はやはり相当問題だと思うし、こういうときにはすっきりした線で法案をお出しになっておく必要があると思うのですが、今からでもおそくはないですからお出しになって、政府が御賛成していただければ私はその方が筋が通って委員の人は賛成されると思うのです。  それともう一つ、例の恩給法の二十八年の附則で改正されました未帰還公務員死亡遡及事項、これはこの中でやるのですか、今国会で行われるのですか。死亡の日にさかのぼって公務扶助料を支給するというあの規定をどうするかはこの国会で別にやられるのですか、あるいはこの調査会でおやりになるのでしょうか。
  62. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 未帰還公務員公務扶助料取扱い方につきましては、引揚委員会におきましても遡及して支給するという方向で今後技術的な検討をいたして参りたい、こう申し上げているわけでありますが、その問題だけでございますれば他に波及しない問題でもございますので、特に調査会対象にするというほど大きないろいろ広範な影響を及ぼす問題ではないと考えておりますので、適当な時期を見てこれが必要な措置を講じて参りたい、こう思っております。
  63. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、この未帰還公務員公務死死亡判明の日にさかのぼって支給する規定の改正は、この調再会の答申を待つまでもなく、これに潜る前に片づけるということになっておるわけですか。
  64. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 その時期期はまだわからないのでありますが、調査会に特に付議して御検討いただかなければ結論が出ないというふうな問題ではないという意味におきまして、この調査会答申の時期以後になりますかまたその以前になりますか、その時期はわかりませんけれども、適当な機会措置するという考えでございます。
  65. 受田新吉

    受田委員 はなはだぼけておられるようですが、これに諮らなくても済むのなら今国会のうちに恩給法改正案をお出しになるということになるのじゃないかと思うのですが、いかがでしよう。
  66. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 ただこの問題公務扶助料の遡及の問題にいたしましても、それだけでございますればまああまりほかに響かないという問題もありますけれども、その際に御要望のございました若年停止の排除というふうな問題、そういうふうな問題になって参りますと、やはりいろいろなそのほかの制度への波及というような問題考えなくちゃならぬというようなことにもなりますので、そういうふうなものも一挙に解決していくのだということであれば、広く御意見を伺って、そうして参考にいたして参らなければならぬ、こういうふうに考えております。
  67. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、今の公務死亡の日にさかのぼって支給するという恩給法附則の改正の分でしたら、それだけならすぐにでも今国会にでもお出しになるのですか。
  68. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 その問題は、この前の引揚委員会でも申し上げましたように、その時期については十分検討さしていただきたい、こう思っております。
  69. 受田新吉

    受田委員 そういうことになれば、すぐ改正案もお出しになる用意もあるということであります。はしから片づけていく意味においてはそれは非常にいいことだと思います。一つ一つ急いで、やれるものはやっていただきたいと思います。  そこで援護局長おいでになりましたが、私はこの調査会を設置された趣旨が、その「次の事項調査審議する。」という第二条の調査目的に明らかにされていると思うのですが、その中で援護局長所管は第三号と第四号、かように了解してよろしゅうございますか。
  70. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 さように思います。
  71. 受田新吉

    受田委員 そうすると第三号に漏れた人々を第四号で救済するという趣旨に了解してよろしゅうございますか。
  72. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 条文の建前はそうなっておると考えております。
  73. 受田新吉

    受田委員 この間通りました引揚者に対する例の納付金を支給する法案でございますが、その中に盛られておりました開拓民等に対する遺族給付金、こういうものも当然この第四号でさらに検討する対象になりますかどうですか。
  74. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 お答えいたします。現在戦傷病者戦没者遺族援護法対象になっておりまする方々は、御承知通り軍人及び旧軍属のほかに、いわゆる準軍属と申しますか、動員学徒、業務動員による者あるいは徴用工あるいは陸海軍の要請に基いて戦闘に参加して戦没された方々、あるいは特別未帰還者、ソ連抑留中死亡された方方、いわゆるこういった準軍属を対象にしているわけでございますが、これらの方々一般邦人ではありまするが、同時に国家の要請に応じてその業務に従事中なくなった方々でございます。開拓団の場合におきましては、特別未帰還者あるいは戦闘参加者としてなくなった方は、この戦傷病者戦没者遺族援護法対象になるのでありますが、それ以外、一般開拓団の方々一般人としてなくなった数が相当多いのでございます。こういった方々は今度の引揚者給付金におきまして遺族給付金を差し上げることにいたしているわけでございます。ただいま考えておりますところでは、この国家の要請に応じてなくなった開拓団の方々につきましては、今回のこの法律調査会の今後の審議対象になるものと考えております。
  75. 受田新吉

    受田委員 審議対象に包含してあるということですから、一応了承します。そうしますと、もう一つ、昨年の末に臨時国会で旧軍人等の遺族に対する恩給特例法律ができたわけです。そのときにこっちで附帯決議をした問題をさっき私取り上げたのですが、これは当然二条三号において審議対象になるわけでございますね。大体大半がそれに入るのです。それはこの調査会の設置を待つまでもなく、大急ぎでやるべき問題であった。ところが今政府案の中には、これがこの調査会調査審議対象の中に包含されて、一国会ほどずつて考えられることになったわけです。これをこの際念いで、今国会のうちに何とか附帯決議のどの一部分かでも取り上げてやろうという意思が政府側にはなかったのか、たとえば動員学徒の中で傷病の身にある人々に対する何らかの傷害年金を支給する形のごときものは、これは一例ですが、これは抜いて直ちに実施すべき問題であったと思うのです。これはしばしばわれわれから要求して、政府がやらなければ、国会法案提出しようというところまで特別委員会は腹をきめておったことも局長よく御存じの通りなのです。これは今国会ではやる気がないのかどうか、一つ。
  76. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 旧軍人等の遺族に対する恩給等特例に関する法律が成立されます際に、附帯決議があったことに対しましては、その後におきましても私どもの方で鋭意また慎重に検討したつもりでございます。御説の通りできるだけすみやかに措置すべきものは措置したいという念願でやって参りましたのでございますが、何分にも影響するところが相当大きいのでございまして、いまだ結論を得るに至っていない状態でございます。問題の性質から考えまして、今回設置されようといたしまする調査会におきまして十分御審議をいただくことが適当な問題ではないかと考えます。
  77. 西村力弥

    ○西村(力)委員 受田委員の御承認をいただきましたので七関連して質問申し上げます。  松浦担当大臣にお尋ねいたしますが、今受田委員の質問している一つの事項として、連鎖反応が将来において絶対に起きないという、そういう考え方に立って調査審議対象を広範に全面的にやられる、こういう態度を一つはっきり御確認願いたい、こう思うわけでございます。   〔委員長退席、山本(正)委員長代   理着席〕
  78. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 ただいまのお問いでありますが、連鎖反応の起らないように、この委員会において総合的に公正に取り扱いたいと思います。
  79. 西村力弥

    ○西村(力)委員 政府側としましては、この法案が成立しまして、審議会がその仕事をやり、それを政府答申をする。その結果、政府はそれにこたえなければならぬわけですが、その場合の大体の予算の見積りはどのくらいに考えていらっしゃるのか、それをお尋ねしたい。
  80. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 これは審議検討していただかなければわからないのでありますから、今からあらかじめ幾らになるということを申し上げることはどうかと思いますので、これは一つ十分御審議いただいて、その答申を尊重するという方が合理的かと思います。
  81. 西村力弥

    ○西村(力)委員 そういうお答えが今の今としてはあるいは認められるかもしれませんけれども、いやしくも政府としましては、国家予算の中において恩給費は、この審議会答申の結果に基いて、将来どの程度までが許容限度であるかというような、そういう大体の方針というものはあるべきはずだと私は思う。そういうことも考えずにこの法案を出してきても、一体審議会というものはどのくらいのめどをもって努力すべきか、やってみたところが、政府では全然それを尊重しなかった、ごく小手先のわずかの点しか尊重しなかったということになったのでは、審議会に参画した、あるいは努力した人人も、一般関係者も非常に裏切られた気持が出てくるだろうと思うのです。こういう法案を出す場合においては、政府としてはその予算的な腹も大体のところがなければならない供はそう思うのです。政府としては、こういう恩給関係予算の許容限度というものをどのくらいに考えているか、これをお尋ねしておるのです。
  82. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 今日、国費全体から見れば大体八%ぐらい恩給費が出ておりますが、そういうお問いであるとするならばいろいろな観点はありましょうけれども、一割以上に上るということは、財政経済上どうかと私は思うのであります。けれども、今度この調査会が出しました以上は、できるだけ財政事情を勘案いたしまして、調査会からの答申を尊重いたしたいと思うのです。それた今財政当局にも聞かずに担当大臣が幾らにしますということを言う方が、かえってあとでそれがじゃまになって、御要求も入れられないようなことになりますから、財政事情を勘案して善処いたしたいと申し上げておきます。
  83. 西村力弥

    ○西村(力)委員 私が心配するのは、せっかくいろいろ努力してみても、最後的には政府側において相当さいふのひもを締めてしまって、結局何か大山鳴動というようになって、その結果はどうだというような工合になるのではないか、こういうように考えられるので、政府側としては、最大努力してどのくらいまでいくか。もちろん今までの分は既得権として全部侵害できないのだから、不均衡是正というのは、下のものた上に上げて均衡をはかるというふうにいかなければならぬのだから、政府としても相当腹を締めてこの財政支出の努力というものをこの際やはり十分に準備してかかっていかなければならぬのじゃないか、かように思っておる。大体今の御答弁では、一割程度を限度と考えておるというような工合に受け取られましたが、次にこの審議会国会議員委員として入るという問題については、私は非常に疑問を持つ。それはどういうことかといえば、申し上げなくてもおわかりと思いますが、国会議員がその中に入っていろいろ審議に参画する場合において、公正なるというか、自由なるというか、そういう立場を堅持するには、あまりにも日本の現在の国会議員は、そういう点自己批判されなければならぬ点があるのではないだろうか。(笑声)これは自己卑下のような、自己否定のような発言で非常に工合が悪いのですけれども、そういう観点を私は持っておるのです。そういう憂いは、ただ単に笑ってだけでは過ごされないことじゃないかと思うのです。それに対する対策大臣はどう考えておられるか、それをお尋ねしたい。
  84. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 私はやはり国会議員の方がお入りになって、公正妥当な意見を十分反映さしていただくことの方が、かえってよい結果を得ると思うのです。それを財政上の負担におきましても、また受けようとする遺家族並びに恩給を受くべき人の立場も両方お考えになりまして、公正に考えられる。ところが遺家族なら遺家族の代表ばかりでありましたならば、国家財政というものをお考えにならない面も多少あると思いますが、国会議員ならば、かりに俗に言う、今お話しになったような選挙その他の関係で公正を欠くというような場合がありましても、その面もあるし、また国家財政の将来を考えるという両面をお考えになりますから、かえって国会議員の人がお入りになる方が公正妥当な意見になると思いますから、私はそれを提案いたした次第であります。
  85. 受田新吉

    受田委員 これは両党の国会運営の正常化の意味で、午前中の審議で討論採決という約束ができておりますから、それを尊重して私は発言します。  もう一つ、松浦さん、あなたは先般この給与法案の質問の際に、公務員制度調査室において、今秋までに国家公務員の退職年金制度について、人事院勧告を尊重した線で何らかの形のものを打ち立てたい、公務員制度の問題もその際にあわせて考えたいという発言をされたと私は聞いているのですが、この恩給等調査会審議される問題は、今後の恩給問題をどうすべきかは対象になっていないと、今恩給局長が言われたわけです。そうすると、今後の恩給問題に当然関連するのは公務員退職年金制度です。これは政府では、この臨時恩給等調査会ではやらないということになるならば、別に民間の学識経験者意見をまとめるというようなこともなくして、公務員退職年金制を政府自身の手において、公務員制度調査会答申等も考慮し、人事院の勧告を尊重してこれを実施するという形で今後の恩給問題について考えていこうという御用意があるのですか。
  86. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 退職職員年金制度の問題については、公務員制度調査会の方から答申がありまして、今それに基いて検討中でありますが、なるだけ早く仕上がることを望んでおります。
  87. 受田新吉

    受田委員 大体この秋ごろまでにはその結論が出ると、この間おっしゃったのですが、公務員退職年金制については、人事院勧告後すでに満四年になんなんとするという意味からも、大急ぎでこの恩給等調査会調査と並行してこれができ上るのが十一月十五日、この間のお説では、国家公務員退職年金制度も今秋までにと私が指摘したところが、その通り今秋までと言われたのです。十一月というとちょうど秋の末ですが、この答申の出る前後に退職年金綱の政府案も御用意できるという、双方めでたし、めでたしということになりそうですが、どうですか。
  88. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 先般もお答えいたしましたように、それを目途として鋭意努力いたします。
  89. 受田新吉

    受田委員 公務員の退職年金制度を今秋を目途として政府は努力しているということであります。そういたしますと、公務員恩給というも、新しい退職年金制度の一環としてこれが生まれかわってくる、また国家公務員の共済組合法もあるわけですが、そういうものも一括してまとまってくる公算が非常に大になってきたと思うのです。この恩給制度の将来に関して政府が人事院勧告を尊重して、国家公務員退職年金制度なるものを今秋を目途としてやると、今給与担当大臣から言明されたので、私は一応祝意を表したいわけです。ところが、この調査会は従来恩給法上の禍根であった問題をこの際全部一括してこれで救済して、将来にわたってはこの恩給法及び援護法関係では問題が全然残らぬように徹底的に根絶やしして、戦争の痛手をこの際全面的に埋める、こういう腹が政府にありますか、どうですか。
  90. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 先ほどからいろいろ質疑応答されました第二条の項目を総合的にやりたいと思っておりますし
  91. 受田新吉

    受田委員 先ほど恩給局長さんから、たとえば戦災などでなくなった人の中には、公務と認められている学校先生子供を連れて退避中に空襲でやられた場合がある。そういう問題などもこの際これでやろう、広範な対象にしてもらおうという御意見のようですが、その際、戦争犠牲者の処理のための機関があれば、なおいいんじゃないかという口吻がちょっと漏れたのじゃないかと思うのですが、あれは間違いですか。
  92. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 戦争犠牲者対策について別のそういうものがあればということは、そういうものがあってほしいという意味じゃないのであります。この調査会はあくまで恩給法上の問題援護法上の問題を取り上げるのでありまして、受田先生指摘のような一般戦争犠牲者問題をやるとすれば、ほかの面考えるべきであって、この調査会任務ではない、そういう意味で、申し上げたのであります。
  93. 受田新吉

    受田委員 そういう戦争犠牲者の全面的な処理をする機関総理府付属機関として設ける腹はありませんか。
  94. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 戦争犠牲と申しましても、過般の大戦は御承知のような状態でございますので、その及ぶ範囲は非常に広範でございまして、極端に申しますれば、国民全部が戦争犠牲者ともいえるわけでございます。そのうちで特に戦争犠牲のはなはだしかったものにつきましては、恩給局あるいは私の方で、今日まで処置をして参ったのでございますが、今度の引揚者納付金の際にできるだけ広範に取り上げておりますので、問題は大かた処置せられてしまったのではないかと考えております。多少アンバランスがございますが、その点は今後の調査会において十分検討して参りたいと思います。
  95. 受田新吉

    受田委員 第八条の政令に委任された事項にはどういうものが予定されているか、お答え願いたい。
  96. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 政令で書きますことは、議事の運営について必要なことを書くのでございまして、ほとんどこれは設置法の方で書いてございますから、もしも必要であれば、たとえば調査会に部会を置くとか、あるいは小委員会を置くとか、こういうふうなことができるというようなことを書くとか、議事の運営に必要なことは調査会の会長が調査会に諮ってきめるとか、そういうふうな会長のなし得る根拠規定を置く、そういうふうなことが予想されるわけであります。
  97. 山本正一

    山本(正)委員長代理 辻君。
  98. 辻政信

    ○辻委員 簡単に二、三伺います。  この前の戦争で、新聞社関係の報道班員が軍に徴用されまして、その俸給は新聞社からもらって、そして、かなり戦死をしております。それから、鉄道、船舶、航空等でも同様な人が相当あるのでありますが、これらは無給嘱託というので、残念ながら現行法の援護対象になっておらぬ。それを今度の法令ではぜひ一つ是正をしていただきたいと思いますが、いかがですか。   〔山木(正)委員長代理退席、委員   長着席〕
  99. 田邊繁雄

    ○田邊政府委員 現在の援護法においては、お説の通りの処置であります。ただし、陸海軍の要請に応じて戦闘に参加された場合におきましては、弔慰金を差し上げておるわけであります。この弔慰金を差し上げる対象につきましては、法文の趣旨に従ってできるだけ広く差し上げるようにいたしておる次第であります。年金にするかどうかという問題は、検討を要する問題だと思います。
  100. 辻政信

    ○辻委員 私はしばしばその現場に立ち会った一人であります。報道班員、船舶、鉄道員、航空等第一線の将兵に劣らぬ勇敢な行動で倒れている。今日これらの遺族はどこからも救われない状態ですから、ぜひ過去の例にこだわらないで審議対象にしてもらいたい。  次に満州国の日系官吏ですが、満州岡に勤務した官吏は、その満州国の在勤年数を文官恩給に通産されているかどうか、恩給局長に伺いたい。
  101. 八巻淳之輔

    ○八巻政府委員 満州国の日系官吏の在職年の通算につきましては、日本政府職員満州国の招聘によりまして満州国の官吏となり、さらに内地へ帰って参りまして、公務員に再就職し、また日本国政府恩給法上の対象になる場合におきましては、その人の満州国官吏の在職年を通算するような措置が講じられております。しかしながら最初から満州国の官吏になっておやめになった、あるいは最初から満州国の官吏になっておなくなりになった、あるいは引き揚げてこられて日本国政府のお役人になった、こういう場合には通算措置あるいはその在職年に対する恩給法上の措置は行われておりません。これらの問題につきまして恩給法上の措置を講じてもらいたい。こういうような要望陳情請願等に出ているのでございます。この問題につきましても、満州国政府なり、あるいは蒙疆政府なり、その他の外国政府の日系官吏として在職せられました方が、そういう機関の解体に伴いまして、当然請求できる恩給権と申しましょうか、その在職給付に対する請求権というものがなくなったということをどういうふうに措置したらいいか、それを恩給考えるべきか、あるいはその他の問題考えるべきか、その他の問題としては、あるいは引揚者に関する給付金というような措置が講ぜられているから、それでいいのかどうかというような、いろいろな問題があると思います。これらの問題につきましても、先ほど申し上げましたように、第二条の四号というところで調査審議対象になるのではなかろうかと考えております。
  102. 辻政信

    ○辻委員 わかりやすい例をとって申し上げますと、岸総理大臣文官恩給満州国におられたのが通算されたそうです。途中からまた通産省に帰っておられますから、三年か四年入っているそうです。これに反して内地の官庁から満州に行かれた人で、再び本省に帰らないまま満州で終戦を迎えた人がいる。八年なり十年なり勤めたのが入っていない。三、三年勤務して古単へ帰った者が恩給法上優遇されていて、最後までがんばった者が見捨てられることは、国家の法令上だれが考え、ても許されるべきでない。これは過去にこだわらず、また満州国にこだわらないで、ぜひともこれをつけ加えていただきたいということを要望いたします。大臣はこの点お忘れないようにお願いしておきます。
  103. 相川勝六

    相川委員長 他に質疑の通告もありませんので、これにて質疑は終了いたしました。  これより討論に入るのでありまが、別に討論の通告もありませんので、直ちに採決いたします。本法律案に賛成の諸君の御起立を求めます。   〔総員起立〕
  104. 相川勝六

    相川委員長 起立総員、よって本法律案は全会一致をもって原案の通り可決いたしました。  この際本法律案に対する自由民主党及び社会党委員共同提出附帯決議について床次徳二委員より発言を求められております、これを許します。床次穂二君。
  105. 床次徳二

    ○床次委員 自由民主党並びに社会党委員共同提案の附帯決議案につきまして、まず決議案文を朗読いたしたいと思います。    附帯決議   この法律により設置される臨時恩給等調査会においては、戦没者遺家族並びに傷痍軍人等処遇の改善を目途として、現行恩給法上存する各種の不均衡不合理に関し速かに、調査審議を遂げ、政府はその答申により昭和三十三年一月一日から実施し、おそくとも昭和三十四年度内に完全実施するよう措置すべきである。   又、政府はこれに伴う戦傷病者戦没者遺族援護法の改正をなすとともに、昭和三十一年法律第一七七号「旧軍人等の遺族に対する恩給等特例に関する法律」について本院において付した附帯決議に則り速かに旧国家総動員法等による徴用者、動員学徒等の戦没者遺族に対しても、遺族年金を支給するよう措置すべきである。   右決議する。  すでに提案理由並びに各委員の質疑応答によりましておわかりであると思いますが、ぜひ総合的な恩給対策をこの委員会において考えられんことを要望するものでありますが、特に申し添えたいのは、戦没者遺家族並びに傷痍軍人の所遇改善の問題でありまして、この点に関しましては、旧軍人戦没者遺族公務扶助料の倍率引き上げ、あるいは昭和二十八年末以前に公務により死亡しました文官遺族に対する公務扶助料の倍率と同等にすること等の不均衡是正問題が強く取り上げられておるのでありますが、この点に関しましては十分当委員会の趣旨を尊重していただきたいと思います。  なお第六条におきまして、十一月十五日までに本調査会答申することになっておるのでありますが、ここに特に申し添えてあるのでありますが、三十三年一月から実施、三十四年度内において完全実施ができるようにいたしたいというところに配意せられておると思うのでありまして、特にこの点も当委員会要望に沿うように遺憾なき処置をお願いいたしたいのであります。  なおこれに伴いまして、戦傷病者戦没者遺族援護法の改正をなすことは当然でありますが、特に本院におきまして、過般の旧軍人等の遺族に対する恩給等特例に関する法律に対する附帯決議があるのであります。これにつきましては徴用者あるいは学徒動員、徴用船舶あるいは航空輸送の嘱託あるいは軍報道員の人たちのなお残されておる問題があるのでありますが、これらの戦没者に対しては、すでに附帯決議において遺族年金等を支給することを要望せられておるのでありますが、かかることにも十分一つ意見を尊重せられまして、調査会において適正な結論を出されるよう特に要望するものであります。これを決議の形によりまして提出する次第であります。各位の御賛成を願う次第でございます。
  106. 相川勝六

    相川委員長 これより自由民主党及び社会党委員共同提出附帯決議について採決いたします。本附帯決議に賛成の諸君の御起立を求めます。   〔総員起立〕
  107. 相川勝六

    相川委員長 起立総員。よって本附帯決議は全会一致をもって可決いたしました。  この際政府側より御意見があるようであります。松浦国務大臣
  108. 松浦周太郎

    ○松浦国務大臣 ただいま御決議によりました趣旨を体しまして、その目的達成のために鋭意努力いたしますが、末尾に、「遺族年金を支給するよう措置すべきである。」とありますが、この点は援護局の方で相一議論があるようであります。そこで、これに適切なる措置を講ずるという意味においてわれわれは了承いたします。
  109. 相川勝六

    相川委員長 なお本法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  110. 相川勝六

    相川委員長 御異議なしと認めます。よってさよう決しました。  午後一時より再開することとして、これにて休憩いたします。    午後零時六分休憩      ————◇—————    午後二時五十六分開議
  111. 相川勝六

    相川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案議題とし、これより質疑に入ります。稻村隆一君、
  112. 稻村隆一

    ○稻村委員 建国記念日を制定しようとする国民感情も私どもよくわかるのです。また提案者のお気持もよく理解できます。国の誇り、あるいは民族の誇り、そういうものはどんな民族でも持っておりますから、それがほんとうのものであり、真善美のものであるならば、これを記念することは、私は人間社会に正義を打ち立てるために必要なことだと思っております。特に私は日本の古代文化が非常に偉大なものであり、特に皇室文化というものはりっぱなものであると思っております。そういう意味から私どもは日本の古代文化、皇室文化を非常に誇りとしておりますから、何らかの形においてこれを記念することは必要であると思っております。しかし支配者というものは、往々にして、自分の支配を永遠ならしめんがために、虚偽の歴史を作り、国民を誤まり、国を滅ぼした例はたくさんあります。今ここで提案者の方が引き合いに出されました古事記、日本書紀等は、これはもとより貴重な文献であり、尊重さるべきであります。しかし日本の国史というものは、大体明治になってから、明治の官僚、軍閥等が、自分の支配を永久たらしめんがために、これらの古典を自分に都合のいいように利用した。そして根本的に間違った思想を自分の利益のために都合よく取り上げ、御用学者とともに虚偽の歴史を作り上げたのであります。神武天皇の東征から橿原宮の即位までに至る古代史というものは、日本が剣をもって誇ったことを表現するものであります。そしてこれは軍国主義の建設に多分に利用されたのであります。そしてこの日本の古代史をプロシア的な神権国家主義思想に結びつけて、その御用学者によって作られた国史に対して批判をする者があれば、大逆罪、不敬罪等によってこれをおどかして、国民の人権と学問の自由を抑圧したのが最近までの日本でありました。また他面、外に対しましては、八紘一宇の名において帝国主義と侵略主義を合理化し、ついには剣をもって崩壊したというのが日本の敗戦だったのであります。こういうふうな、官僚、軍閥、反動的な国学者に利用された神武東征を記念する建国記念日がそのまま祝日となるようなことは、私は日本歴史を恥かしめることであると思います。再び軍国的日本を官僚国家に復元せしめる危険がないとはいえないのであります。こういう点を提案者の方はよく御考慮の上提案されたのであるかどうか、提案者の真意を承わりたいと思うのであります。
  113. 小川半次

    ○小川半次君 このたび提出いたしました建国の記念日を二月十一日としたのは、過去において、あなたの説で申し上げれば御用学者がでっち上げたところの、いわば軍国主義と結びつけた二月十一日である、そういうことを意識して提案したものではないかという御説のようでございますが、われわれは毛頭そういう考えはないのでございます。軍国主義と結びつけるとか、そういう意図で出したものではなくして、これはわれわれが純粋な気持の上に立って提出したものであるということを申し上げます。
  114. 稻村隆一

    ○稻村委員 この趣旨の説明の一番終りの方の「真の祖国復興は、国民精神の覚醒伝統の恢弘によらねばなりません。」こういうふうな軍国時代にしばしば使われた言葉が使われておりますが、国民精神の覚醒とはどういうものであるか、伝統の恢弘とはどういうものであるか、この点を具体的に私お聞きしたいのであります。
  115. 小川半次

    ○小川半次君 それは、自分たちの住む国土を守り、文化を守り、そして民族が相互いに協力し合って自分たちの発展のために、要するに自分たちの住む国の発展のために尽さねばならぬという意図をそうした文章でもって表わしたのでございます。
  116. 稻村隆一

    ○稻村委員 私は、建国記念日というものは、いま少し専門家の意見を聞いて、そうして古事記とか日本書紀というものをもっと検討してから決定してもおそくはないと思う。私は歴史学者ではありませんから、今ここで古事記のどこがほんとうとかうそとかというふうなことを論じようとは思わないのですが、大体はっきりわかっておることですが、二月十一日を建国記念日と指定する。ことしは皇紀二千六百十七年ですか、二月十一日を記念日にするということについては、約半歳にわたり慎重審議し、専門家の意見を徴したということをここで言われておりますが、どういう専門家の意見を徴したか、それから、古事記より出たところの材料が出ておる日本書紀、これは同じ人が書いたのですが、日本書紀によって神武天皇の即位が二月十一日であるということが、史実として間違いないかどうか、これをどういう人から確かめたか、これをお聞きしたいのであります。
  117. 小川半次

    ○小川半次君 この問題につきましては、昭和二十三年の芦田内閣時代であったかと思いますが、新しい祝日が制定されるに当りまして、国会の、当時ございました両院文化委員会におきまして、約半歳にわたって新しい祝日を制定することについて審議を行ったのでございますが、その半歳にわたっての審議期間中、ほとんどの時間はこの二月十一日を建国の記念日とするかどうかという問題に集中されたのでございます。私は、その当時参考人として御出席になった方あるいは学者の名前を、残念ながら今一々記憶しておりませんが、ともあれ当時の一応見識ある方々意見を徴したことは事実でございます。また、参考人も来て意見を拝聴したことも事実でございます。しかし、どの人の意見も、結局やはり日本国民として建国記念日を持たなければならぬということでしたが、しかし建国記念日をいつにするかということが問題になったのでございます。そこでやはり二月の十一日ということが問題になったのですが、多少正確でない点もある。それでは二月十一日以外に適当な日があるかといえば、これは全然ないのです。二月十一日以外になると全然問題にならぬのです。一番近いのはやはり二月十一日である、それは日本書紀等にも載っておることであるし、一つの民族的伝統と申しまするか、あるいは一つの伝説と申しまするか、そういう日本国民の歩み来たった長い歴史的過程において、二月十一日が日本の国のできた日として祝うことに最も適切な日であるという空気が圧倒的であったのでございまして、大体の結論として、やはり二月一日以外にはない、それならば二月一日にしようでないかという結論に離したのです。しかし、残念ながら当時は御承知のように占領下にありましたために、当時の司令部のハンスという宗教課長が——これはもちろん占領的な意図と主観の非常に強い方でございまして、占領中に二月十一日を建国記念日とすることはまかりならぬという命令でした。これは折衝に当ったのは私でございまするが、八回私は司令部に参りましたが、最後に、命令であるから二月十一日を建国の記念日として入れることはまかりならぬということであったので、残念ながらそのまま、いわば今日まで保留の形になっておるのでございます。そのときに私は宗教課長に、それでは、今は占領されておるけれども、日本が独立したときにわれわれは国会において二月十一日を建国の記念日とするかもしれぬと念を押したところ、それは独立後のことであるから、君たちが国民の意思において決定するとなればやむを得ないだろう、しかし今は占領中であるから許すことができないということでした。こういうことになっておった事情をもこの機会にお答え申し上げておきます。
  118. 稻村隆一

    ○稻村委員 いやしくも建国記念日というものを決定するときには、やはりほんとうの史実によらなければならぬと思うのです。どこの国でも記念日というものはありまして、アメリカもやはり独立戦争の記念日がありますし、フランスも、フランス革命の記念日があります。そういうふうに歴史的なはっきりしたものを一つの国の記念日とするということはいいことだと思うし、やらなければならぬと思うが、わからない史実によって明治政府が勝手に作り上げた、それを今どうしても建国記念念日としなければならぬという理由はない。特に日本は歴史の学問は非常に進んでいるのですが、古代史に触れると、すぐ不敬罪でやられたのです。私は今ここに材料を持ってきている。久米博士などは明治の偉大な歴史学者ですが、この人は非常に公正な議論を唱えた。むろんこの人は皇室中心の人なんであるが、公正な議論を唱えた。それで、日本の紀元というものは非常に間違っていること、日本書記の記録が間違っていること、迷信から出ていることをはっきり言っておる。ところが、それがだんだん圧迫をされてきた。何か言うと、不敬罪ということで、古代史の研究というものが日本では全然進んでおらなかった。今は、言論の自由で、古代史の研究は自由にできるし、いろいろな学問が発達しているんだから、発達した歴史学の観点から日本書紀とか古事記とかいうものをいま少し検討して、それから具体的な事実を引き出して建国祭をきめるべきであると私は思う。明治政府が勝手に作ったものを、今またすぐ復活しなければならぬという理由は少しもない。  その点で、明治政府がいかに勝手なことをやったかという事実を私は申し上げたいのですが、提案者は、日本書紀の巻の三から、二月十一日を記念日とすることが適当である、こういうことを一日われております。これは史実に何ら根拠がないのに、明治政府が勝手に二月十一日ときめた。それは、明治五年に、干支、つまりネ、ウシ、トラ、ウ、タツ、ミの暦によって、明治五年から逆算してこれをきめた。古事記、日本書記の書かれた奈良朝の時代というものは、暦がない時代なんです。干支のない時代に干支による二月十一日というものはあり得ない。しかるに、明治五年に、この干支に基いて逆算したのは何ら科学的根拠はない。これはでたらめなんです。  当時、官吏と学者との間に意見の相違があった。むろん当時の日本の国学者は、全部皇室中心の国学者ですから、皇室のことを誹謗しようと考えている学者はなかったはずなんです。ところが、その学者の多くが反対したのです。役人がむりにこれを通したのです。そして神武紀元というものを決定した。そのことは、東京帝国大学の史学の教授をしておりましたイギリスのチェンバレンが——これは有名な人です。御存じでしょうが、この人が本居宣長の古事記伝を翻訳した。その序文に響いてある。明治五年に二千五百何十年かの二月十一日が決定された、それが紀元節として決定されたという事情が書いてある。こういうことは、最近までわれわれは言うことができなかった。言えばすぐ不敬罪で引っぱられる危険性があった。それだから、そういうことを言えなかったのです。こういうことは、学問の自由の今日、もっと検討してきめるのが至当であると思う。無理に今これをきめなければならぬという理由は何もないと私は思う。しかも、今日は、考古学とか、民俗学とか、土俗学とかいうふうないろいろな学問が発達しておる。そういう立場から古事記、日本書紀というものを訂正する必要がある。これは訂正しなければならないのです。それが学問なんです。ところが、日本の官僚、軍閥というものは、こういうことを訂正すれば自分たちの政治的立場が悪くなるものだから、これを非常に弾圧した。従って学問の自由、思想の自由を奪った。そうして日本の古代史というものを人が聞いたならば、外国人が見たならば、実に憤慨に値する、笑うべき秘密のうちに閉ざしておった。こういうものをわれわれは解明して、真実の、正しい日本歴史を打ち立てねばならない。  津田左右吉博士は古事記に表われた支那思想というものを書いた。それを書いたんで不敬罪で引っぱられた。津田左右吉博士の書いたものは何でもないことなんです。あの人は特に進歩的な歴史学者というふうな人ではない、このごろはやっておる進歩的な人ではない、古い皇室中心の学者なんです。この人が古事記に表われた支那思想というものを書いたら直ちにこれは不敬罪で引っぱられたしまた日本書紀などというものは誤まりだらけなんです。  私は古事記、日本書記ができた時代のことを申し上げたいのですが、むろん当時これだけ貴重な文献は、りっぱな一つの学問であって、一つの大きな事業であった、これは今から見ても非常に貴重なものが多くあるけれども、ずいぶんでたらめなものが多い。一つの例を申し上げますと、古事記は奈良朝時代、四十四代の元正天皇のときに太安麻呂が書いて、天皇に奉った、これが日本に初めての歴史なんですが、当時、つまり文字ができた時代に文字のない時代の伝説を書いたのでしょう。  それから続いて日本書紀ですが、元正天皇の養老四年に舎人親王及び太安麻呂が日本書記を書いた。これも古事記やいろいろ古い文献を聞いて書いた、三十巻のもので、これは漢文で蓄いた。当時は、津田左右吉博士も書っておるが、支那の思想が入ってきたわけなんで、これはいろいろ編者の主観的な意思、りっぱなものを書こうと思って支那の思想とか事実を入れたものもたくさんあるのです。  要するに、当時の歴史は歴史であるが、同時に小説なんですから、日本外史だってあれは非常にりっぱな文革であるが、一つの歴史小説です。徳川時代のでもそうである、大日本史もしかり、非常に名文であるけれども、ずいぶんうそが多い、一つの歴史小説なんです。そういう支那思想が入って、その支那思想から神武東征というふうなものを作り上げた、そういうものなんです。だから実際上日本の古代というものはわかっておらないのです。大体わかっておるのは雄略天皇の三代くらい前までわかっておる。そういうふうなあいまいもこたるものの中から建国記念日というふうなものをどうしても見出さなければならぬということは、いやしくも文明国家としては笑われると思うのです。笑われるだけじゃない、こういうことが非常に日本の国民を誤まると思うのです。  なおいろいろ申し上げたいことがあります。ここに久米博士の書いた古代史がありますけれども、これを見ても日本の紀元なんというのはめちゃくちゃなんです。たとえば当時の天子様はみんな百何十才というふうな長命なんです。武内宿祢のごときは三百四十才まで生きておる、そんなばかなことはあり得ない。とにかくこれは一つの例として示すのであるが、いかに荒唐無稽なものであるか、これは文字のない時代の伝えだから。それを久米博士がちゃんと書いておる。神武天皇は七十六年在位しておられて、百何十歳生きておられる。綏靖天皇三十三年安寧天皇三十八年、懿徳天皇三十五年、孝昭天皇三十八年、これは天皇として在位された。孝安百二年、孝霊七十六年、孝元五十七年、開化六十年、崇神六十八年、垂仁九十九年、景行六十年、成務六十年、平均在位が六十五年なんですよ。こういうことを一々あげていれば実に日本の古代史というものは再検討しなければならぬのです。これはむろん国家の行事としてではなくして普通の民間でやるというならこれは私はどうでもいいと思う。それもあえていかぬとかなんとか否定することはないと思う。しかしいやしくも国家の行事としてやる紀元節が真実の史実の上にないものを無理にやろうとすることは、その真意がわからない。これは実におかしい。どうしてそういうことが許されるか。いつを一体日本の建国記念日にするかということはもう少し検討してみたらいいと思う。昔の占領軍がそれをどうしたからこうしたから、そういうふうなことは私は大した理由にはならぬと思う。  それから今の学界で通説になっておる問題ですが、記紀ですね。古事記、日本書記、これは日本の学名でもだいぶん研究している者がある。それから人代記と神代記というのがある。ところがこれはだんだん調べてみると、神代の記録は人の時代の記録よりもあとに書かれている。これは実にいいかげんなものなんです。皇紀が二千六百十七年あるかどうか、これははなはだ疑問なんで、西暦よりも先ではないというふうな学説さえこのごろ出ておるわけなんです。そういうときにどういうわけで、明治の官僚、政治家が無理に干支によって逆算していって作り上げたいいかげんなものをもって、二月十一日を国の記念日にしなければならないのか、その理由がわからない。もう少しこれは検討してこういうことを決定するのは延ばされたらどうですか。ずいぶん日本の歴史学も発達をし進歩もし学者もおるし、今は何を言っても罰せられることはないんだからもう少し待ってからやられたらいいんじゃないですか。どうしても無理にやらなければならぬという理由はないと思うのですがどうですか。
  119. 小川半次

    ○小川半次君 稻村さんの真理をきわめようという真剣な御意見に敬意を表します。しかしあなたのお説を拝聴しておりますと、古事記も否定しなければならぬ、あるいは日本書紀も否定しなければならぬ、日本の過去のすべてを否定しなければならぬというようなところまで意見が拡大していくだろうと思うのです。そうすると結局日本国民はやっぱり一つの自己否定といいまするか、日本の過去のすべてを否定しなければならぬというような意味にもとれると思うのです。(「それは違うよ、冗談じゃない」と呼ぶ者あり)そこで私はある書物で見たんですが、どこの国も果して何年の幾日にその島に社会生活を営むようになったとかあるいはどこで何年の幾日から国作りをやったとか、そういう根拠というものはすべて薄弱であるそうでございます。もちろん近代国家である場合は、これは独立した日を記念日としているとか、文字ができてからの時代にできた国にはこれは、歴然とその国のできた記録というものはあるけれども、イギリスにおいてもあるいはフランスなどにおいても、やはり根拠というものは非常に薄弱だそうです。そこで結局国民の一つの伝説とかあるいは薄い根拠を根拠として、そうして建国の記念日と申しまするか、あるいは国の誕生日を作っているということを私は読んだことがあるのですが、日本の場合も、二月十一日に日本が国作りをやったかどうかということは、これは御承知のように文字のない時代なんですから……。しかしそれはそれを伝説として国民が受け継いできているんです。伝説として受け継いできたものを文中を知る時代に入ってそれを文字として、あるいは古事記とか日本書記として今日に伝わったものである。しかも過去においてわれわれがまたわれわれの先輩が七十年間にわたって紀元節というものをやはり日本の記念の日であるという信念のもとにきたんですから、もちろん一部にはただいま稻村さんの御指摘されたような、これの否定的な学者もいたことは事実でございます。しかしながらそれは日本国民のうちのごく少数のしかもほんとうにわずかな人たちがそういう意見を唱えておるのであって、大多数の国民がやはりそれを信念として信じて、そうして七十年間、ほとんどの国民がこれに否定的な態度をとらずにきたのですから、(「それはおかしい」と呼ぶ者あり)あるいはそういう否定的な意見を出せば不敬罪に問われたから、黙っておったんだろうと言われるが、これはしかし今日になってそういう意見を言うのは私はどうかと思うのです。ほんとうに間違っておるものであれば、いつの時代でも堂々と発表できることなんです。ですから私たちは七十年の間やはり国民が信念としてそれを受け継いできたというこの国民感情、そうして戦後の非常にこんとんとしておったときに世論調査をとったときでも、やはり圧倒的に二月十一日を国の建国の記念の日ということにみな賛成しておるのでございまするし、(「休みが一日ふえるから賛成するんだよ」と呼ぶ者あり、笑声)それは休みが一日ふえるということであれば、これはほかの日でもできるわけです。しかし二月十一日を制定してくれという世論調査の結果なんです。われわれは二月十一日を建国日であるというふうに断定するのではなくて、「建国の記念日」といたしまして、「建国」とそこに「の」が入っていることを特に稻村さんも御理解願いたいと思います。
  120. 稻村隆一

    ○稻村委員 私は決して討論するんじゃないんですが、過去の日本を否定するもんじゃないんです。先ほど申し上げた通り、文化というものは廃墟のうちから生まれるものではないから、過去の日本を否定するものではない。古事記や日本書紀の中に真実も私はあると思うのです。決して過去を否定するもんじゃないのです。たとえばさっき言った通り日本の皇室文化なんかは実に偉大なもんだと思うのです。たとえばここで例として申し上げるのですが、伊勢神宮のあの建築は世界最高の水準であって、これは最も自由なものである。日本の皇室文化は決して専制的なもんじゃないということをプルノー・タウトは言っております。東照宮なんというものは、見ればすぐ専制君主の建設したものだということがわかる、こういうことを言っておりますが、決して過去の日本の文化を否定するものじゃありません。しかしこういうふうな日本の偉大な文化というものを育てていく、これを子孫に永遠に残すということ、それを記念するということは絶対私どもも必要だと思うし否定もしません。けれども、神武東征というふうな、征略国家の侵略主義のために利用された——現に明治政府はこれを軍国主義や侵略主義のために利用した。大東亜戦争や支那事変においては、八紘一宇だなどといって、この神武東征を侵略主義、軍国主義に利用したのだから……。つまり古典のうちにはいろいろなものがある。間違いもあり、正しいものもある。そのうちの正しい部分を正しい人間生活のために利用していくのならよろしいのですけれども、その古典のうちの、いわゆる支那思想である——一つの、剣をもって相手を征服し、統一国家を作り上げるという、この支那思想からきておるらしい古事記や日本書紀の一節を持ってきて、そうしてわざわざこれを建国記念日にするなどということは、過去において失敗しておるのだ、これを軍国主義に利用し、そうして失敗してきておる。こういうものを検討もしないでまたさらに復活しようなんという話は、私はやめた方がよろしいと思う。もう少し、日本の建国はいつにすべきかということは、むろん歴史専門家の意見も聞き、政治家が政治的立場からこれを検討してきめるべきであって、こういうふうな、私がさっき申し上げた通り、でたらめな、二千何百年、干支によって明治五年から逆算していったそのものを、何で無理に建国記念日とする必要があるか。むろん建国の昔というふうな、神話というふうなものはどこの国にもあるのですよ。どこの国がいつ建国されたかというふうなことはわからない。しかしその神話等によって古代の日本民族あるいは他の民族の生活が大体わかるわけなんです。むろんわれわれはそういうことはすべて荒唐無稽であるといって否定するものではないけれども、国が行事として建国記念日とするときに当って、明治政府によって作り上げられた、こういうふうな間違いだらけの、しかも軍国主義に利用されたこういうものを、何で二月十一日をどうしても指定しなければならぬか。むろん、これは世論である、こう申しますけれども、明治教育の、忠君愛国の教育というものは徹底している。むろんわれわれは明治教育を全部否定しやしない。いい点もあるし悪い点もある。しかし悪い点、つまり過度の忠君愛国、偏狭な受国主義。日本のいわゆるこの忠君愛国思想に、ドイツの、プロシャの神権思想をくっつけて、そうしていわゆる国体論なるものをつくり上げた。それが日本を破滅さしたのです。私はここで歴史の議論をするわけではありませんが、大体勤皇論などというものは近世の産物なんです。これは昔はなかった。これは古事記、日本書紀の都合のいいところをとってきて、そうして水戸光国とか頼山陽とかいう学者が、この支那思想をもってきていわゆる近世勤皇論を作り上げたことはだれでも知っておることなんです。勤皇論というものは近世の産物なんです。それが明治革命のスローガンだった。実際はこれは民主革命にならなかった。人権擁護の革命にならなかった。尊皇攘夷というふうなイデオロギーでもって、ほかの国では人権擁護の革命が、尊皇攘夷の革命になってしまった。近世の産物なんです。今日の忠君愛国の思想とかなんとかいうものは、明治政府が作り上げた、明治政府の宣伝と教育なんです。その明治政府の宣伝と教育によって、紀元節というものは、これはやった方がよろしいというふうな、そういう考えが大衆の間にある。それは間違いである。もっと歴史を検討しなければならぬという世論が起れば、またその方を大衆は理解するかもしれない。それは間違った世論です。それを、間違った世論があるからといって、科学的な検討もしないで、そうしてわからない古代のことを建国の記念日にするなどということは、大体笑われると思う。私は決して日本の民族のりっぱな点を抹殺しようとするものではないのです。日本民族のりっぱな点はあくまでもこれを育てていかなければならない。日本にこれだけの偉大な文化を作り上げた祖先に対しては、私たちは無限の感謝をしなければならぬと思うのです。日本の文化というものは、これは精神文化においては世界最高の水準にあることは明らかでありますから、この最高の日本の精神文化というものをよりよく生かして、これを発展させなければならぬことはわかり切っております。決して過去を否定しません。しかしそれは事実から出発しなければならぬ。うそとそうした間違いから出たものを無理にまた復活させようなどというふうなことは、これは根本的に間違っておる。いま少し検討してからやっても決しておそくはないと思う。今ごろになって無理にこれを出そう— むろん建国記念日を決定するのはよろしいから、もう少し専門家を集めて討論し、日本歴史の再検討をやってからきめたらどうですかと私は申し上げる。もう少しこれをお待ちになったらどうですか。もう少し研究されたらどうかと思う。その点お考えをお聞きしたいと思います。
  121. 纐纈彌三

    纐纈彌三君 先ほど稻村先生からお話がありましたが、文字のないときにえとがなかったとおっしゃいますが、もちろんこれは日本では支那から渡ったものでありますが、少くとも古事記におきましても日本書記におきましても、えとが使われておるのであります。そしてそれを逆算したのがでたらめだとおっしゃるのでありますが、御承知のように、えとは六十年で一回りしてくるわけでございます。そしてその間においてうるう年というものが出てきて、また四百年目には一回うるう年がなくなる、こういうことでありますから、そういうことをすべて詳しくあれして逆算いたしたのでありますから、少くとも日本書記におきまして、辛酉の年とまた庚辰という日が出ております。年と日が出ておりまするから、これを二つとも六十年ごとに回ってきます勘定によって逆算いたしますれば、これは必ずしも私は全然でたらめであるということはいい得ないと思うのであります。なお私は古事記でも日本書記におきましても、全部が正しいとはいい切れません。しかし私は全部がでたらめだともいい切れないと思うのであります。ことに先ほど歴代の天皇の在位の年数をおっしゃいました。非常に長くやっていらっしゃる方もある。また年も百才以上生きておられる方もあるのでありますが、今新しい歴史学者が金科玉条としている、支那で一番早くできたいわゆる魏志でありますが、魏志等を見ましても、日本は非常にりっぱな国であるというようなことが——実際これは支那から日本に使してきた者が見聞して書いたものでありますが、それにはりっぱな国であるということもいっており、また同時に非常に長生きはしておる、八、九十才から百才が普通だというようなことをいっておるわけであります。今日の人間の寿命から申しますれば、百才以上長く生きておるということは考えられないのでありますが、必ずしも百才以上の人がないともいい切れないと思うのであります。ただ古事記にも彦火火出見尊が八百五十年から高干穂の峯におられたということですが、これは神武天皇が大和へ政府を作られますときに、神日本磐余彦尊といっておられたのですが、それまではやはり彦火火出見であったのであります。そのころから襲名というものが行われておったわけですから、古い間の文字のない時代から伝えてきましたところの、天皇の在位が非常に長かったとか、あるいは年が非常に長生きをされたというようなことは、今も古い家にはいわゆる襲名が行われておるわけでありますから、そういうこともこれは考えなければならぬわけでありまして、この天皇が必ず一人でそれだけの年代をやっておっただろうかどうかということも私は検討する必要があると思うのであります。そしてなお日本の歴史のことにつきましては、今久米先生の話が出たのでありますが、やはり日本書紀を——これは皇室から命ぜられて舎人親王と太安麻呂が編さんしたことはさきにもおっしゃった通りでありますが、太安麻呂が、稗田阿礼が語部として長い間伝えられたものを字に書いたものが古事記でありますから、それと同じ太安麻呂が作ったのでありますが、もちろんこの体裁はシナの方の体裁を学んだのでありまするから、いろいろそこには、私も間違いが絶対ないとは言い切れませんが、しかしそのためにはシナの文献等で日本のことを響いてあること等をつぶさに検討いたしておるのでありますから、私はこの日本の歴史が、歴史学者でないから言い切れませんが、必ずしも私はでたらめでないのだというふうに考える。現にその紀元の問題につきましても、那珂博士が六百年ばかりの日本の歴史には違いがあるということを唱えておられますが、その説もただいま申しましたように、在位が長過ぎるとかあるいはいわゆる寿命が長過ぎたということを一つの理由にされておる。またシナあるいは朝鮮におきまする文献と相当違った点を列挙されておるわけでありますが、ところがまた逆に、今の在位が長いとか寿命が長かったということは、ただいま私が簡単に申し上げましたようなことである種皮の理屈がつくのじゃないかとも考えるのでありますが、那珂博士、久米博士等が指摘されております点で、シナの歴史だとか朝鮮の歴史と食い違った点もあるのでありますが、また非常に合致した点もあるわけでありますから、この点は私は全くでたらめでないというふうに考えておる、しかも二千六百年の歴史というものを日本国が持っておった、ことに日本はほかの国と違いまして、ほんとうに大和民族一民族でずっと伝わってきた国でありまするから、ほかの革命があったり、お互いに争った国と違いまして、古い歴史を持っており、たまたま彦火火出見が九州から立たれて大和を平定されたということは、その当時といたしまして一つの国家的体制をとられて、そしてちょうど辛酉の一月一日に橿原宮において即位されたということがはっきり出ておるわけでありまして、そうしてこれを明治時代において、明治政府が勝手にきめたのだとおっしゃるのでありますが、やはり日本の歴史のあとを振り返りつつ今後新しい国家として日本が発展していくためにはどうするべきだというようなことを検討されつつ、その日本の古い歴史をたたえるというような意味合いからいたしまして、この紀元節というものをきめられて、三大節の一つとして祝ってきたわけでありますが、そのこと自体につきましては、私は紀元節が軍国主義に利用されたということは言い得るかもしれ幸せんけれども、紀元節それ自体が軍国主義あるいは天皇制と直接結びついておるものでない、ただ利用されて、そういうふうに不平にして大東亜戦争というものが起りまして、日本が負けたということになるのでありますが、しかし国民のいわゆる歴史を尊重し祖国を愛するといべ気持が、この古い歴史をとうとぶという国民感情によって日本が発展してきたということは事実だ、そういうふうに考えておるわけであります、そこで今お話のように、これももう少し学者の検討によりましてもっと先に建国の記念をきめたらいいじゃないかという御説、これもまことにもっともでありますが、何しろ二千六百年の昔の歴史は学者の間でなかなかそう簡単に結論論が出るものではない。幸いと申しますか、とにかく明治時代から七十年の間この紀元節を建国の口として国民が祝ってきた。その国民感性というものは、私はこれは尊重しなければならぬと思うのであります。独立後やはり紀元節の復活というものが非常に盛んに起ってきております。そうしてそれがだんだん盛んになりつつありますことが、今日の日本の状況でありまして、ほかの祝日につきましてもいろいろ議論があるようでありますが、国民がそれほど熱心に紀元節をお祝いしたいという気持が盛んであるのは、これほど紀元節を復活したいという気持が多いことは、ほかの祝祭日に比べまして数倍のものである。そういった国民感情をやはり私どもは尊重するということが民意を尊重して、民の声のもとにこの二月十一日を祝祭日にきめるのが必要ではないかというふうに考え、それを検討するということは、今後もちろん学者の研究に待つべきでありますが、少くともそういう国民感情を尊重しつつ、この際において二月十一日を建国の記念日とするということが、私は必要ではないかというふうに考えて提案をいたしたような次第であります。
  122. 稻村隆一

    ○稻村委員 これは幾ら議論しても——議論すれば何日でもかかりますからこれでやめておきますけれども、さっき申し上げました通り、日本紀元の間遠いは今ではもう学者の定説になっておるわけです、それから先ほど私が話したように、これは明治政府が干支によって逆算をしていったのですが、その事情をチェンバレンの本居宣長の古事記伝の翻訳の部分にも書いてある、繰り返すようですが、学者はみんな反対だった。役人がこれを通した、そういうふうな無理な事実があり、同時にその紀元の二千六百年が間違っておることもこれは事実なんです。これはもう学者の何人も否定する者はないのです。日本の紀元というものはそんなに長くないのです。そういうふうなことがわかっておるから、それを無理に国民感情だといって、どうしても国家の行事としてやらなければならぬという理由がわからない。特に私はさっき言った通り古事記でもこれはとるべきものはとるべきである、間違っておるような、少くとも政治的に悪用されるような神武東征、この東征によるいわゆる征服国家と誤解されるような、そういうふうなものを無理に建国記念日とするなんということは私はしなくてもいいと思うのです。少くとも今日の民主主義国会においてはです、たとえば古事記などではいかに古代の民族が民主的な生活をしておったかということが出ておる。やおよろずの神が天の安の河原に集まって、そうして乱暴な素戔鳴尊を衆議で追い出したわけです。これは古代の日本民族の生活が民主的であり、衆議によってすべて事を決定したということを現わしているのです。こういうものをとっていって古代の日本人の生活を持っていく、しかもそういう民主的な日本文化から生まれた日本のあらゆる芸術というふうなものは、非常に自然に合致した民主的なものである。かりに伊勢神宮とか橿原神宮とかいうものは、これは外国の学者も絶讃しているように非常に自然に合致した、自由な、圧迫感にとらわれないものである。こういうふうなギリシャの古代建築以上の建築が日本に生まれているということは日本民族の生活がいかな民主的なものであるかということを現わしておる。こういうものを引き合いを出して、そして古い日本文化の上に新しい日本文化を建設しようとする、こういう試みが私は絶対必要だと思うそのための国民記念日なら私はよろしいと思う。ところが何を好んでわざわざ神武東征というのです。これは全くわからない。日本書紀三十巻というものは、さっき言ったように盛んに支那思想からきているのです。これは多分に支那思想、支那歴史が入っておる。現に徳川時代、頼山陽があの日本外史を書くときですら、支那の歴史をいろいろ持ってきて、そしてあの日本外史に当てはめた事実があるのです。そういうふうなものを持ってきて、そして専制政治をもたらして人民を圧迫し、軍国主義に悪用され誤解されるような神武東征を建国記念日にしなければならぬ理由が一体どこにあるの、私はそう考える、これは何らの意義はないのです。これは誤解していただいたら困るのだが、社会党は何でも反対すると思われるかもしれないけれども、古事記の中にもわれわれがとるべきものがあるし私はこういうものを基礎として日本の過去の文化を研究し、そして日本の将来の新しい文明を築き上げるために建国記念日を——一つの建国記念日というか文化記念日というか、そういう記念日は絶対に必要であるというのである。けれどもこの神武東征のごときものは、これは私は日本の文化に何ら役立たないし、日本の将来の民主主義国家の建設のためら役立たないと思う。現に過去においてこれがいかに専制政治、プロシャ的な、ヨーロッパ的な神権国家思想と結びつけられて、そして日本の民衆がいかに自由をじゅうりんされたかというなまなましい事実を私どもは持っているんだ、それだから私は言う。これは体験から言うのです。これは日本の人民の自由を守る立場から言うのであって、そうしてこういいうものをただ反動的な復古主義によって復活しようとすることは、日本をまた反動政治に復帰させて、そして日本を時代の潮流から置き去りにさして日本を滅ぼすような結果になる。そんな重大な結果になるんだから私は——むろん神武の東征については、またいろいろな理論もあるでしょうが、少くとも政治的に悪用されたものなんだから、これを無理に建国記念日としてみんなが記念しなければならぬという理由はないと思う。これは悪い結果になると私は思うのです。そういうことに対して提案行の方は、失礼でありますけれども、御心配になって、そしていろいろ検討されて日本の将来を考えて提案されたかどうか。ただ過去に対する憧憬から、かつての大日本帝国の夢から、こういうものを提案されたとするならば、私はこれは大なる誤まりであると思うのです。そういう点に対してのお考えを聞きたいのです。  なお、いろいろ申し上げたいことがございますけれども、まあこういう議論は幾らしても尽きないのでありますが、とにかく間違った、うその立場に立って建国記念日をきめるということは、もうよくよくお考えになった方がよろしいと私は思うのです、
  123. 纐纈彌三

    纐纈彌三君 ただいま日本の紀元はでたらめだということが定説だとおっしゃいますが、これは二十七年すなわち占領行政になってから、進歩的の歴史学者の間においてそういう説がされておるのでありますけれども、これはやはりそういった同志の間だけでそういうことを言っただけで、決してまだ定説になっておりません、そうしてまた反対論も出ておるわけてありまして、一応那珂博士の説というものは、相当学者間には問題になっておったのでございますが、それに対する反発も出ており、またそれに対していわゆる進歩的な学者の方からの反対も出ておりますが、これはまた研究材料となっておりまして、絶対に紀元がでたらめだということが定説になっておるとは私は信じないのであります。  なお日本が大東亜戦争で負けまして、今日民主政治の行われる時代になっておるのでありまして、戦争のおそるべきこと、またこれを避くべきことはだれもが痛切に感じておることでございます。従いましてこの建国記念日を設けるということによって再び政治的に悪用されるというような不安は、古い時代ではそういうことはあるいは考えられたかもしれないのですけれども、今日においてはもはやそういうことは考えられないという意味におきまして、その点もいろいろ研究をいたしたのでありますが、そういう意味におきまして二月十一日を建国記念日としたいという気持で提案いたした次第でございます。
  124. 稻村隆一

    ○稻村委員 もうこれでやめますけれども、日本の紀元がでたらめだ、私はそういう強い言葉で言ったのですが、間違っているのです、これは間違っているということは、すべての学者が言っておりますよ。久米博士もちゃんとそう言っております、それからすべての古い歴史家も新しい歴史家も、日本の紀元というものはずいぶん誤算がある、こういうことはほとんど言っております、だからそれはでたらめだというふうな言葉は少し強いかもしれぬけれども、間違っておる。  それから神武東征というふうなものも事実あったかどうか、これも一つの桃太郎の鬼ヶ鳥征伐に似たようなものなんです、これは史実にこういうことがあったかどうかということは疑問なんです、幾多の検討の余地がある。こういうわからないものを、しかも戦争によって統一国家を作り上げていった神武の即位を紀元節として記念するということは間違いじゃないか、これは日本の文化史の上からいって間違いだけじゃない、害があるんじゃないか、私はそう考える。私は私のしろうとなりにいろいろな人の事例によって調べたのですが、大体古代の日本には統一国家というものはなかったのですよ。これは幾十の原始国家だ。大和勢力が畿内を支配したのは、大体西歴五世紀ごろと推定されるのです。天皇が統一国家としての、事実上の日本の盟主としての権力を持ったのは、大化改新の前六世紀ごろです、これは歴史を見てごらんなさい、こんなことはだれでもわかります。  また二千六百年前に天皇を中心の統一国家ということは、事実上考えられない。実際問題として、日本という国はいろいろな雑居民族、混血民族によって形成された国家です。こういうふうなことは、少しでも歴史をまじめに考えた者はわかるわけであります、その歴史のまじめな検討をしないで、かつて不敬罪とか大逆罪によって日本の歴史学の発展を妨げた、その限られた範囲における歴史によって、神武東征を中心として建国記念日を記念するということは、これは間違いですよ、日本の将来に害悪を残します。その点もう少し私は考えていただいた方がいいと思う、むろん提案者の方も、愛国心から信念を持って、日本文化を擁護する立場から提案されたものと思う、こういうふうな行事というものは、何も民間のいわゆる盆とかそういうふうな行事とは違うのであります。いやしくも国家がやる行事である以上は、一定の国家目的を持たなければならぬ、日本民族の文化の発展に貢献するというものでなければならない、そういう目的でなければならない。日本民族の生活をよりよくする、真善美たらしめるという二つのりっぱな正しい目的があって、この行事を行うのだと思う。ただ地方の人が盆踊りをやるというふうなものと違うので、厳粛なものでなければならぬと思う。いいかげんな冗談みたいな、お祭みたいなものじゃないと思う、そういう厳粛な目的をもつて、日本民族の将来のために偉大なる文化を作り上げる、日本民族をしてりっぱな民族たらしめるという建国紀念日であるに違いないのです。そういう建国記念日であるならば、ほんとうに歴史を検討して、もっと偉大な崇高な目的の上に建国記念日をきめなければならない。私が今申し上げた通り、そういう材料は幾らでもある。日本の文化史を見れば、日本の文化というものは、これはもうギリシャとかああいう古代国家と同一水準、あるいはそれ以上の水準であることは明瞭なんです。芸術とかあらゆるものが非常に日本は進んでいる国であることは、これは私は認めます。そういうふうな立場から、日本の偉大な文化というものを永遠に伝える立場から建国記念日をやるのだから、それを神武東征というふうな、天皇がほかの民族を征服して、そうして天皇中心の統一国家を作り上げたという、何と申しますか、戦争の剣をもって興った歴史から建国記念日にするというふうな理由は何もない。しかもそれは事実であるならばともかく、事実であるかどうかわからない。その点においては、提案者の方も愛国心と日本民族、日本文化を愛する立場から提案されたに違いないのであるが、事実上こういうことは日本の文化の発展のためには何の足しにもならないと私は思う。  私はそれだけを申し上げまして、きょうの質問を終りたいと思います。
  125. 相川勝六

    相川委員長 この際公聴会開会に関してお諮りいたします、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、公聴会を開くことといたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  126. 相川勝六

    相川委員長 御異議なしと認めます、よってさように決しました。  なお、公聴会開会に関する議長の承認申請、公聴会開会の日時、公述人の選定、その他公聴会開会に関する一切の手続は、委員長に御一任を願っておきたいと存じますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  127. 相川勝六

    相川委員長 御異議なしと認めます。よってさよう決しました。  次会は明二十四日水曜日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時三分散会