○竹谷委員 一体過払いと言うけれども、払う根拠の全くないものに払うということは過払い以上のものなんです。そういうものが許されて、今
法律解釈のことを言うのではありませんけれども、
法律より前に、条文以上の確定した事項があるわけですが、そういうものをたてにとって処分ができないなどということは、大蔵省みずからがやる意思がないからです。一体世論からいいましても常識からいいましても、こうした最も唾棄すべき知能犯をやった役職員を、ことにその
責任者を処分するに当って、やめたらよかろうくらいでごまかしてしまうということでは、とうてい大蔵省に保険業者の監督をまかしておくわけにいかぬ、これは国民感情であろうと思う。安心して保険には加入できません。そういうような考えで監督をしており、そういうつもりで行政をやっておるという根本問題に私は触れたいのであるが、そのようなことで簡単に始末をつけていくという基本観念では、私はあなた方の公務員としての良識を疑う。もう少しがっちりした、真に国民の公僕として国民の委託にそむかないように、たとい相手方が非常な有力者であり、あるいはその有力な
資本家には有力な政治的バックがついておるとしても、たとい政治家が多少いろんな政治的の
関係で紆余曲折あることを申したりやったりするとしても、国家の官僚が良心に従って正義を行いますならば、政党政治というものは腐敗しないのです。
外国の例でも、たといあしたに甲の党派、タベには乙の党派が政権を握っても、官僚さえ正しい良心的政治を行うならば国民の
利益は守られる。しかるに公務員みずから政治的な考えで法令を
解釈し、そうして国民に重大な利害
関係のある
金融業者、あるいは保険業者、信託業者等を監督するというのでは、とうていわれわれはまかしておく気にはなれない。今とうとうとして汚職疑獄が世の中をおおっておる。
日本の政治の第一義は、これの改革になければならぬと思うのである。若い、将来のある、理想の高い官僚諸君が、そのような理想と正義のある立場に立つて行政を執行せられるように私は念願してやまない。ところが、われわれのそういう希望と全く相反した態度で事務官僚の皆さんがおやりになられたのでは、まことに残念なんです。あなたにこれ以上
質問してもしょうがないが、一体そのような行政上の処分——刑事罰は別です。それは検察庁なり裁判官が最後の締めくくりを行うものであって、このような
事業は、
政府みずからが行政執行において監督するという独自の立場においてあなた方に執行してもらわなければならぬ。それを、何もかも
責任を司法権の方になすりつけるというのでは、行政監督というものは不必要なことになる。今そういうことを言ってあなた一人に申し上げてもしょうがないけれども、それに対して、あなたとしてどういうお考えを持っておられるか。私の言うことが聞違っておるかどうか、お尋ねしたい。