○竹谷
委員 そこで、いろいろ聞いておりますと時間がかかりますから、まとめて資料を要求したい。第一は、旧朝鮮銀行に対する資料でありますが、石橋特殊清算人から星野特殊清算人に旧朝鮮銀行関係の引き継ぎが行われたわけでありますが、その引き継ぎのときの財産の状況を、その財産の種類、たとえば国債とかその他の有価証券、現金とかあるいは動産、不動産、種類別にその額面
金額、あるいは時価等によって価格を表にした、引き継ぎの資産の表をいただきたい。
第二は、横浜正金関係で、横浜正金が指定当時と現在の貸借対照表、及びその主要な項目に対する
内容の説明をした資料がほしい。
次は、横浜正金に関するもので、未払い送金為替及び預貯金の総額と、これに対する支払い済みの
金額、支払いの率、これは大体聞きましたが、もっと確定な詳細な数字がほしい。
最後に、同じく横浜正金関係で、ブラジルやスイスなどの返還財産の
内容、先ほど
金額については聞きましたが、その
内容、その処理状況、その処理状況は預金だということでありますが、その旨、並びに今後の北米なり仏印なりイタリアなり、その他各関係の諸国からの在外財産はどれだけあるか、また返還の見込みはどのようなものであるか、その資料がほしい。以上の資料をなるべく早く出していただきたいと思います。
次に、もう一つだけ伺っておきたい。それは、戦争中の
政府借入金の跡始末がどうなっているかという問題、これが閉鎖機関の処理に非常に影響があります。また、われわれ
国民としても非常に不可解で、どうなるのか、また今後外国から非常な金を要求されるのではないかというような心配もありますので、伺っておきたいのでありますが、戦争中に中国の中部なり南の方なり、いわゆる華中や華南においての軍費調達のための
政府借入金は、中央儲備銀行等によって行われておる。この借り入れ先は横浜正金であったわけです。すなわち
政府の貸上金収入というものは、正金銀行から中央儲備銀行券をもって日本銀行支払い代理店に納入された、この貸上金に必要な儲備券
資金というものを、横浜正金銀行は、横浜正金と中央儲備銀行との間のいわゆる預け合い契約によって調達したということであります。頂け合いというのは、申すまでもなく二つの銀行がお互いに同額の預金をし合う帳簿上の操作にすぎない。そういう預け合いの方法によって、横浜正金銀行上海支店では、この横浜正金上海支店に、中央儲備銀行から預けられたお金を貸記する、儲備銀行は、またそれに相当する儲備券のお金を正金銀行の預金として、自分の銀行の上海支店の勘定に貸記するという方法によって、横浜正金銀行は必要な儲備券
資金を調達しまして、この儲備券をもって
政府は借り入れをする。このようにして横浜正金銀行から
政府が借り入れた総額は、当時二百六億三千九百万円に達しておる。その後外
資金庫なる全額
政府出資の金庫ができた。これに伴いまして
昭和二十年の三月一日付をもって、この横浜正金銀行の
政府貸上金関係の債権は、外
資金庫に対して債権を持つ、外
資金庫は
政府にかわって承継をする、こうなっておったようであります。その後外
資金庫から
政府が借り入れをする、そうして軍費を調達する、このような方法でやっている。そうして終戦になったのでありますが、この横浜正金銀行から
政府が借りたお金につきましては、戦争中は一回も償還されなかった模様であります。そこでこの
政府の借入金、また外
資金庫が横浜正金銀行から借り入れたこのお金は、ともに
政府の借り入れなわけでありますが、これがどう処理されたものであるか。また処理されるのであるか。外
資金庫は全額
政府出資であり、これは
政府関係機関でありますから、
政府の債務になるわけなんです。これは一体どのように処理した例があるのか、するのか、それを承わりたい。さらにまた外
資金庫が肩がわりをした
政府貸上金の大部分は、終戦のときに行われた金の売却の代金で返済されたというようなことも伝えられておるが、この間の
事情はすこぶるあいまいでありますが、この際その真相を明らかに説明をしてもらいたい。また外
資金庫の設立の後も、やはり軍費調達のために預け合いをやりまして、そして儲備
資金を調達した。これもやはり預け合い方法によって、いわゆる正金銀行と外
資金庫が預け合いをし合い、そしてこれもまた調達した。そうして正金銀行から外
資金庫に金を融通した。正金銀行は正金銀行で、外
資金庫へ
資金を調達してやらなければならない。そのために中央儲備銀行とまた別個に預け合い契約を結ぶ、このようにいたしまして、外
資金庫ができる前には、儲備鉄行と横浜正金との預け合いによって、帳簿上にただ計上した金を儲備銀行から引き出してきて、それを正金銀行は
政府に貸した。外
資金庫ができてからは、儲備銀行から預け合いによって儲備券を調達し、これをまた外
資金庫と正金との間で預け合いをやって、儲備銀行から持ってきた儲備券を外
資金庫に渡す、外
資金庫はそれを
政府に渡して、
政府がこれを軍費に使う、こういうようなことで、華中や華南における正金銀行の外
資金庫に対する払い込みの金は四千二百九十八億円に達したといわれているのですが、この処理はどうなっておるか。かなり古いことでもありますが、非常に膨大な金であり、結局は儲備銀行から儲備券を引き出してきてぐるぐる回りをして
政府の軍費調達ということになった、一体これはどうなるのか、またどうしたのであるか、終戦のときに内地から金をたくさん持っていって、それを売り払ってそれを払ってしまったのかどうか、その間の
事情を御説明願いたいと思います。
なおついでに申し上げておきますが、正金銀行から
政府へ貸上金を提供した、そのときの条件は日本円建であり、利率は年三分五厘、五カ年間の貸付
期限である、ただし
期間は、適宜によって延長することができる、利払いは年二回、日本円をもって利払いをする、このような条件が定められてあったようでありますが、こういう膨大な
金額が
政府の債務として残るということになりますと、単に横浜正金だけの問題ではなく、対外関係もあり、また横浜正金としては、四千二百九十八億円というような債権を外
資金庫を通じて
政府に対して持つということになると、これは大ごとであります。これはどういう
事情になっておるか、その処理のてんまつをお伺いしたいのであります。