○
田邊政府委員 未
帰還者問題についての最終的な、きわめて困難で、しかも本質的な問題にお触れになったと思うのであります。
一般的に
戦争犠牲者の問題は、そろそろこの辺でケリにしたらいいではないかという御議論がたびたび出るわけでございます。
一般的には私も同感でございますが、ただこの未
帰還者問題については、そう簡単にいかないところに、未
帰還者問題の
特殊性があるわけであります。何となれば、留守家族というものはここにおるわけでございます。そして留守家族の納得のいく
措置をするということが、やはり未帰還問題の解決の場合に一番大事なことであります。人の生命に関することでございますので。そこで
考え方といたしましては、先ほど
滝井委員のおっしゃるように、いつまでもだらだらしておるわけにはいかぬ、こういう
考え方については全く同感でございます。御
承知の
通り未
帰還者留守家族援護法におきましては、この留守家族手当を支給する期間について年限を切っております。これは最初
昭和二十八年八月に立法いたしました際は、
昭和三十一年八月まで、つまりこの
留守家族援護法が
制定になってから三年間たっても、その間いろいろ
調査、究明しても、なおかつ生存の資料の得られないものについては留守家族手当を打ち切るという条件をつけましたけれ
ども、三年の間にできるだけ努力し、未
帰還者の消息を究明して、そうして何とかこの間にケリをつけたいという
気持を現わしている、つまり努力目標をそこに現わしたのでありますが、何分にも
調査がそこまでいき得なかった
関係から、さらに昨年国会の御審議を得まして、その期限をもう三年延長したわけでございます。三十四年の八月まで延長になったわけであります。
そこで未帰還問題について一番大事なことは何かと申しますと、われわれの方で氏名を把握している未
帰還者個個人についての現在の生死の
状態がどうなっているかということを、できるだけ的確に把握したいということでございます。そのために国内でもずいぶん手を伸ばして
調査したのでございますが、国内
調査には
限界がございます。そこでどうしても
関係相手国の協力を受けるということが絶対必要になってくるわけであります。たとえば
ソ連に
抑留されておった、あるいは現在おる人も含めまして、
抑留されておった
方々の名前というものは、全部把握しております。その中から、帰った人、死亡処理された人を引いて、現在約一万名の未
帰還者があるわけでございますが、それの
実態は、現在生きているか死んでいるか、どちらかでございます。生きている人については、現在帰国を希望しているか、希望しないか、どちらかでございますが、それがわれわれの国内
調査では、やはり一定の壁を隔てて見ているわけでございまして、上からのぞいて見たように的確にいかないわけでございます。そこで
ソ連当局に対しまして、
ソ連当局の情報の提供を求めているわけでございますが、
ソ連もわれわれの要望の正当であることを自認いたしまして、日ソ共同宣言にああいう
調査継続の条項を入れたわけでございます。ただし、
ソ連といえ
ども現在どうなっているかということを全部的確に把握しているわけではないのでございます。
実態からある
程度の距離を持っているわけでございます。ただし
日本側よりは
実情について一そう詳しく知り得る立場にあるということはこれは当然でございます。何となれば拉致連行し、
抑留したのは
ソ連自身でございますので、
ソ連が知っているべきはずの立場にあるわけでございます。しかし遺憾ながら
終戦直後から翌年の
昭和二十一年の春ごろまでの間におきましては、国際法できめられておりまする捕虜名簿等も
ソ連で必ずしも完備しておらなかったのではないかと思われる節がございます。現在
樺太を含めまして約一万足らずの未
帰還者がございますが、その大
部分は
終戦直後の生存資料しかなかった
方々でございます。実体的にはおそらく死亡したのではないかと思われる
方々でございますが、留守家族といたしましては可能な一切の手段を尽してなおかつわからないという場合にはあきらめるけれ
ども、その前にできるだけの手を尽してもらいたい、こういうのが留守家族の心情でございますので、私
どもといたしましては可能な一切の手段を尽したいということで、
ソ連当局に
実情をよく話しまして協力を求めたわけでございます。われわれの
ソ連に対する要請の仕方はこういう要請の仕方でございます。
ソ連側では捕虜である以上名簿を作っているはずである、しかし先ほど申し上げたように全部名簿を作っているかどうかわからない、しかし名簿を作っている限りにおいては、われわれの方で出した未
帰還者の名簿に載っている人は、その名簿に現在生きているかあるいは死亡したかみんな書いてあるはずでございます。死んだ人については、いつどこでどういう病気で死んだかということが必ず書いてあるはずでございます。これは向うで作った名簿等を手伝っておった
抑留者が帰ってきたということもございますので、そういうことで名簿にある限りわかるはずでございます。名簿がない場合はいたし方がないわけでございますが、名簿がある限りにおいては、資料がある限りにおいては、生存あるいは死亡ということを回答をしてもらいたい、こういうことを向うに要請しているわけであります。先般ようやく
樺太地区につきましては——と申しますのは先般発表になりました数字はおそらく
樺太に
終戦当時おった人に関する情報の提供であると思いますが、いまだに
ソ連本土には
昭和二十五年以降現在という資料に載っている人が二百名以上ございます。その中に
内地へすぐ帰りたいといって手紙をよこしている人がございますので、こういった資料を外務省を通じまして
ソ連側に提供して、なるべくすみやかに
内地へ還送してくれるように要請いたしております。何分にも広い
地域でございまするから中には
内地へ帰れるということを知らぬ人もあるということを聞いておりますので、少くともすぐ
内地へ帰れるのだという趣旨が普及徹底いたしまして、手続の簡素化につきましても
ソ連当局に要望している次第でございます。手はかかりますが、詰めるだけ詰めましてこれ以上どうしてもわからないという段階にいきますれば——またその時期がくることをできるだけ早くしたいとわれわれ念願しておりますが、そういう手段を尽した上で最終的な処置を講ずるようにして参りたい、こう考えている次第であります。