○
渡辺(惣)
委員 きょうは
決算委員長の解任問題にからんで、わが党は一切の
委員会開会を反対して、停止の指令が出ているのでありますが、実はきょう
鹿島新
大臣が午後五時から
大臣就任のごあいさつを催されるそうでありますので、その前に、特に、せっかく
就任されたのでありますから、あらかじめ順序としても、
所信の
表明があるべきだと思います。従いまして、その
所信表明に対しまして、一、二の点につきましてその見解、御
決意のほどをお伺いしておきたい、こう
考える次第であります。時間がありませんので、ごく、要約いたしまして、簡潔に申し述べたいと思います。
実はこの
国会は、
北海道開発に関する問題、
国土開発全体の問題につきまして非常に重要な
論議がされた、かつてない重要な
論議が
国会として行われたわけであります。しかるに、この
国会の
開会中に、実は
大臣がかわられること三度であります。率直に申しますと、一人は
大臣代理ということであますけれども、
川村北海道長官が本
委員会にたった一ぺん出て病気になられました以降というものは、一切の
国会審議の
責任を負われましたのは、
長官代理としての
石井光次郎国務大臣であったわけでありますから、実質上この一
国会は
石井さんがしょわれたわけであります。従いまして、この
国会中に三人目に登場されました
鹿島さんは、不幸にして
国会の
審議がほとんど全部と申していいほど終了した後に登場されましたので、
鹿島大臣のもっていらっしゃる抱負その他を十分お伺いする
機会を逸したわけであります。
大臣も、せっかく
大臣になられてこういう状態では、多分
手持ちぶさたで遺憾しごく、脾肉し嘆にたえないところがあるだろうとお察申上げるわけであります。
それで、私どもも実は非常に心配をいたしておりますのは、あなたで、私の計算によると、
北海道開発長官が十四代目になるわけであります。この間も
岸総理にも申し上げたのでありますが、一番
短かい人は二十七日間でやめた
大臣もあるわけです。最もはなはだしいのは、今
国会における三人交代したという事例などは、
国会開会中であるだけに、最も問題が残されてくると思うわけであります。こういう点につきまして、岸さんはやがて五月二十日に外遊されて、東南アジアから
アメリカを回って七月一日に帰国する、七月十五日前後に
内閣改造をやる、こういうことが報道されておりますので、その時期にまた
鹿島大臣が交代されるというようなことになりますと、これは大へんなことでありますから、
鹿島さんも出られた以上は、
一つ十分ふんどしを締められて、
改造後の
内閣におきましても、
責任を持って
大臣として執行される
決意と、たくましい
政治力を発揮していただきたいと思うわけであります。
そこで、
今新大臣が登場されまして、この
国会の終了後次の
国会に至るまでのあなたの最大の問題は、決定された
予算の執行その他によって、
北海道開発の
事業がどういうように正しく
推進されるかという問題であります。これは
行政長官としての当然の責務でありますが、それ以外に、一番特にあなたに課せられた、十四代目のあなたに果していただかなければならぬもう
一つの大きな
課題があるわけであります。それは、私はこまかなことは申しません。すでに長い間、
岸総理、
石井副
総理、
池田蔵相、
宇田国務大臣、その他の人にも十分話してあるわけでありますから、ここで蒸し返す
気持はありませんけれども、問題の中心としては、何と申しましても、
昭和二十七年に策定された第一次五カ年
計画が本年の三月三十一日に終った、そして第二次五カ年
計画が
国策として確立される以前に、すでに第二次五カ年
計画の初年度の
予算が組まれ、通過をして、第二次五カ年
計画にすべり込んでおる、こういう
一つの特殊な
事情があるわけであります。従いまして、この第二次五カ年
計画というものを
閣議に正式にかけるという
一つの
言明を得たいわけであります。これは必ず
閣議決定として
実施をする、しかもそれは早急に行うという
決意の
表明であります。
石井国務大臣や
宇田国務大臣は、大体
経済五カ年
計画の修正と相待って、少くとも九月には
北海道開発計画もそれとマッチして固まるから、その
機会にかけると
言明しておるのであります。にもかかわらず、特に私が
鹿島新
大臣に重ねてこういうことを申しますのは、実は第一次五カ年
計画が
閣議決定なしに
計画されてしまったからであります。そこで、果してこれが
国策としてほんとうに取り上げられたのかどうかという
政治上の
責任が非常に不明確になってきているわけであります。あなたも四月三十日に
大臣に
就任されまして、非常に勉強なさったそうでありますが、もともと学者であられる
鹿島さんのことでありますから、非常にお勉強なさって、いろいろ
事情も理論的にはおわかりになっていると思いますけれども、最近の
産業計画会議の
調査勧告書にいたしましても、
公共事業特別調査委員の
行政管理長官に対する答申にいたしましても、ことごとく
北海道開発第一次
計画の
推進の度合い、
効果の問題が
論議されているわけであります。この中には、反対せんがための反対の意見ではない、よりいいものがございますから、
一つ大臣もすなおな
気持で、この点についてもう一ぺん目を開いて、
十分検討を加えられますとともに、あなたが出られた以上は、
今の
国土開発の
パンフレットのように、
選挙向けに作られた。
パンフレットを持ち込んできて、ここで宣伝なさるというような安易な
気持でなしに、しっかりした
気持で、この第二次五カ年
計画は、必ず
閣議において議決を求め、
国策としてこれを策定するという大自信、大信念をもってぶち当っていただきたい。このことの
言明を期待するわけであります。
最後に、
一つだけ簡単に申し上げますが、それはあなた個人と
大臣とにつながる問題であります。実は新
大臣は、五月二十三日に
北海道に
視察にお出かけになると承わっております。
日程は、二十三日から二十六日まで四日間
札幌におられ、三十七日は層雲峡、二十八日は登別、二十九日は洞爺、三十日は湯川、三十一日に離れて郷里の岩手に向われる、こういう
スケジュールだそうであります。非常にけっこうであります。われわれも
北海道を旅行いたしますと、適当なところに宿泊いたしますが、私は、別に、あなたの宿泊の個所が
温泉地帯だなんというけちなことは決して言いません。なるべく楽しんで旅行された方がいいのでありますが、ただこの
スケジュールを見ますと、
天北原野であるとか、
根川原野であるとかいう、問題の、
北海道開発の上において二番困っておる地点が、この
大臣の公式の初旅から除かれておって、非常に回りいいところだけを回られる。しかも四日間も
札幌に時間をとられる。現地の
視察で一番重要なところが取り除かれておる。
新聞記者等の情報によると、この
プランを組むには、
開発庁等が非常に苦労した。なぜならば、
鹿島組の支店の
人たちや
関係の
人たちが、それぞれ
大臣のこの
北海道視察の
プランに口を入れて、これがきまるのに三日も四日もかかって、ようやくこれがまとまったということが、もっ
ばらうわさになっておるわけであります。あなたはそんなことは
みじんも御存じない、あなたは公明な
政治家でありますから、すでにあなた
自身そんなけちな
考えは
みじんもないということは私確信いたしますが、えてして親の
心子知らず、
周囲の者が
ひいきの引き倒しにばかなまねをして、せっかくのおやじの初旅を妨げて、公的な
視察であるか、
会社の宣伝であるか、接待であるか、わけのわからないような旅に出られますと、これは結果が重大なことになります。あなたのあずかり知るところではないと私は確信をいたしますけれども、えてして
周囲というものは、
ひいきの引き倒しで、親の
心子知らずで、そういうことに陥りがちであります。特に今度の初旅につきましては、公的なものでありますから
——いやしくも奥さんが
重役であったり、令息や弟さんが
重役であるという
一族会社であるから、実際上あなたの
指導、いう兼職をしておるとか、いないとかいう
形式論ではなしに、事実上の
指導力、
影響力を持っていらっしゃるのですから、こういう点につきましては、
一つ会社側の方に十分言っていただきたいと思います。うちの
会社は
北海道で年間二百億も二百五十億も
工事をやっておるので、
北海道開発庁よりもわしの方が大きいのだ、そういうようなことを
会社の人が言ったとか、言わないとかいうことが漏れてきますと、これは
日本における最高の地位を占められる
鹿島組の
実権者でありますから、
北海道等におきましての
地元土建業界はふるえ上っておるわけであります。そういうことをあなた以外の者が放送いたしますから、やぼな話で、そういう点はこの際
一つ……。私は、
大臣の
就任中は、
鹿島組は
北海道の
開発工事から一切手を引けというような、そういうむちゃくちゃなことをここで言おうとはいたしません。これはあなたの
良識に待たなければなりませんけれども、あなたという聡明な、りっぱな方に、親の
心子知らずで、そういう
誤解がつきまといますと、せっかくあなたが堂々たる所見を述べられたり、りっぱな人格を持たれておりましても、その
政治的効果が削限される危険が出て参りますから、この点につきましては、
一つあなた
自身の
良識をもちまして、十二分に
誤解のないように、そうして
北海道開発のために
最善の
努力をしていただきたい、このことをお願いを申し上げまして、私の
質疑を終るわけであります。