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三鍋委員 衆議院を代表しまして、去る八月一日から一週間、
薩摩委員長を団長といたしまして、
中村寅太君、
中馬辰猪君、
山田長司君及び私の五人をもちまして、
佐賀、
長崎、
熊本、
鹿児島の各県の
水害地を
慰問調査して参りました。この機会に、皆様のお許しを得て、ごく簡単にその概要を御
報告申し上げたいと存じます。
九州地方水害調査慰問団は、八月一日午前
東京を立ち、
福岡を経て
佐賀に至り、
佐賀県庁において、今回の
水害の
被害状況、
災害対策等の
説明を聴取した後、鹿島、北方、
伊万里等、
県内災害現地を視察いたしました。続いて
長崎県に入りまして、今回の
水害の最もはなはだしかった
諫早市、大村市一帯を初めとし、愛野町、千々石町、島原市等、
水害中心地をくまなく
慰問調査をいたしました。なお
長崎県におきましては、
交通通信途絶のため、
被害現地へ行くことが不可能な場所が
相当ありましたが、
海上自衛隊の好意によりまして、飛行機にて上空よりすみずみまで視察することができたのであります。
熊本県に入りましては、三角町、網田村より
河内芳野村、
天水村、宇土町、植木町、三名市、
熊本市と、ほとんど
水害地全部を視察
調査いたしまして、
鹿児島県、
川内川流域の
被害地に向い、川内市、東郷町及び
串木野周辺を
調査いたしまして、日程全部を終了いたしたのであります。
さて
豪雨災害の実情について申し上げますが、このたびの
豪雨の特徴はきわめて短かい時間に、集中して多量な雨が降ったことであり、しかも夜半不意をつかれたために、避難するいとまがなく、予想以上の大
被害をこうむり、尊い人命を多く失いましたことは、まことに胸迫る思いで、団員一同心よりお悔み申し上げるとともに、復旧の一日も早からんことを熱望いたした次第であります。
まず
長崎県におきましては、七月二十四日夜半より二十六日朝にかけて各地を襲った
豪雨は、大村、諫早
地区が特にひどく、十二時間に七百五十二ミリにも達し、実に一年間の雨量の三分の一に当ったのであります。一時間百四十ミリの雨量ということは世界の新記録であるとさえ言われているのであります。そのために電気はとまり、電話、電信は
不通、バスは全線にわたってストップ、
鉄道もまた各地で寸断され、全県下
連絡の道が全く途絶されてしまったのであります。三十日午後までに判明した人的物的損害はおよそ次の
通りでありました。
死者六百二十六名、行方不明四百六十七名、重傷六百十二名、軽傷二千九百三十八名、
住宅全壊流失が二千二百三十二戸、半壊が六百九十三戸、一部破損が四千六百七十九戸、
床上浸水一万二千二十戸、
床下浸水が二万八千五百八十戸、また物的損害は、土木建設関係百一億六千万円、耕地関係は三十一億円、農産関係十八億七千万円、商工関係二十七億六千万円、民生関係四十億円等、その総額は実に二百三十七億円にも達したのであります。
次に
熊本県について申し上げますと、当県の雨量は
熊本市五百三ミリ、三名市四百八十ミリ、山鹿市三百二十七ミリに達し、このために坪井川、井芹川、加勢川、菊池川のはんらんと金峯山
周辺の
山津波による
熊本市、三名市、及び飽託、宇土、鹿本、下益城の各郡など、主として県の西北部に多大の
被害を及ぼし、その
状況は
死者が百五十五名、行方不明二十四名、重軽傷二百九十七名、
住宅全壊流失が二百七十七戸、半壊が三百三十三戸、
床上浸水が一万一千八百七十九戸、
床下浸水一万七千六百八十二戸、田畑冠水が二万九百四十五
町歩でありまして、その
被害の金額は土木関係が十六億三百万円、民生関係は三億五千三百万円、耕地及び開拓関係は八億一千万円、農水産関係は十七億九千万円、商工関係では八億四千万円等、総額は六十六億二千二百万円であります。なお当県における
災害救助法適用市町村は次の二市二町七カ村であります。
熊本市、三名市、宇土町、植木町、
天水村、玉東村、岱明村、横島村、
河内芳野村、北部村、網田村、以上であります。
次に
佐賀県におきましては、七月二十五日の
降雨は未曽有の時間
降雨量を示し、わずか一、二時間に、二十八年六月に西日本一帯を襲った大
水害に匹敵する惨禍を与え、
長崎、
熊本の両県に次いで
佐賀県もまた大きな
被害を受けたのであります。
六月二十七日から七月二十六日まで一カ月の間に
死者六名、行方不明六名、重傷五名、軽傷九名、
住宅全壊十一戸、
流失一戸、埋没十二戸、半壊二十九戸、
床上浸水一千八百十九戸、
床下浸水が一万百五十九戸、田畑
流失埋没が百
町歩、耕地冠水が一万一千百八十
町歩、
河川の
被害は四百二十三カ所、
道路三百八カ所、橋梁四カ所、以上の
通りでありまして、
被害金額は総計九億九千万円に達しております。なお
佐賀県における特徴ともいうべきものに
地すべりがあります。政府を初め各省、
地すべり対策につきましてはほとんど皆無にひとしい状態でありまして、今回の人形石山
地すべり等のごとく、多数の尊い人命を失う思わぬ
災害を惹起している現状であり、これが
対策の急務であることを痛感いたした次第であります。
最後に
鹿児島県について申し上げます。当県は二十七日二十三時ごろより驟雨性の
豪雨が降り、特に北部では二百ミリ以上四百ミリ
程度の
降雨量を示し、各地に甚大な
被害を引き起したのでありまして、その最もひどかったのは北薩、姶良地域で、中でも川内市、東郷町は、川内川の異常な
出水ではんらんし、全市街地が水浸しとなって
相当な
被害を引き起したのであります。
死者六名、重軽傷十名、
住宅浸水床下二千八百六十一戸、床上八千三百七十二戸、
住宅全壊二十四戸、半壊二十七戸、
流失四戸、田畑
流失埋没百十四
町歩、冠水千三百九十九
町歩、その
被害総額は五億四千四百万円余になっております。
以上
被害の概略を申し上げましたが、ここで
災害現地の人たちの
要望事項につきまして二、三御
報告いたしたいと存じます。
一、特別
立法措置を講ずること。
昭和二十八年六月及び七月の大
水害並びに九月の風
水害による公共土木の施設等についての
災害の復旧等に関する特別
措置等の例にならない、至急
特別立法の
措置を講じていただきたいというのでありまして、国家補助の
対象にならない小
災害は至るところにあり、これが
対策は絶対に必要であることを痛感した次第であります。
二、遺族に対し見舞金を支給すること。このたびの
災害は、人的
被害が非常に多く、遺族の窮状は見るにたえないものがあるのであります。この際思い切った処置をぜひ講ぜられたいというのであります。
第三には、その他
道路、橋梁等の恒久
復旧工事の早期施行
実施、
地すべり対策、地方分担金及び単独
工事費にも起債を認められたい等、幾多の
要望がなされたのでありますが、時間の関係もあり、
報告書を見ていただくこととし、ここでは省略させていただきます。
最後に、派遣団員一行は、八月一日より一週間、
九州地方
水害各地を熱心に
調査を行うとともに、衆議院の名においてそれぞれ
罹災者を慰問、激励し、議員各位より醵出されました見舞金二十二万七千五百円は、
被害各県に手交し、かつ慰問申し上げて参りましたことを申し添えまして、ここにつつしんで御
報告いたす次第であります。
以上によりまして大体
報告を終らせていただいたわけでありますが、私はこの与えられた機会を利用いたしまして若干新
根本建設大臣に、その他所管の関係政府
委員に御質問申し上げたいと思います。
このたびの
災害が発生いたしますや、とるものもとりあえず、
岸総理を初めといたしまして主管各関係
大臣が急遽
現地に行かれまして、つぶさに
調査をなし、あるいは慰問をなされ、今後の
対策を適切に講ぜられましたことは、その若さと情熱に私たち
国民一同心から感謝申し上げている点であります。しかしこの情熱と御好意というものは、その最大の
対策の裏づけがあって初めて実を結ぶものでありまして、この点につきましては
相当迅速にその対処をなされていることは先ほども
大臣より承わったのでありますが、私は
地元民の
要望を代表いたしまして、この際特別
立法措置によりましてこの
災害の復旧、そして民生の安定のための処置を当然講ぜられなければならないのではないかと考えるのであります。先ほど
報告の中でも申し上げたのでありますけれども、今度の一番問題点となっておりますのは、小さい、ふだん顧みられない
河川が異常の
豪雨ではんらんしたのであります。これをまた力強く助勢したと申しますか、その
災害を大きくなさしめた原因は
山津波、山くずれにあるのであります。
佐賀県の人形石山の問題にいたしましても、また
熊本の松尾、あるいは
天水村、これらについて考えましても、今度の
災害の特徴は小さい
河川がはんらんしたということ、それを助長したのが山くずれであるということ、この問題をしっかり私たちは見詰めて緊急
対策を講ずる必要があると強く感ずるのであります。
大臣は先ほど、現在の法律をできるだけ
活用してこの
対策を講じたいという御
意見でありましたけれども、現在の法律でこの完璧を期することができるならば、あの二十八年の特別
立法措置の必要もなかったのではないかと思うのであります。こういう点について
国民の
要望であり、
罹災者の切実なる願いであるところの
特別立法処置をどのように考えていられるか。もしその必要を是認されるならば、すみやかに臨時
国会を召集されるべきであると考えるのでありますが、これらにつきまして、
大臣の明快な御所信を承わりたいのであります。