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1957-05-06 第26回国会 衆議院 決算委員会 第32号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年五月六日(月曜日)     午後一時五十一分開議  出席委員    委員長 青野 武一君    理事 奧村又十郎君 理事 關谷 勝利君    理事 床次 徳二君 理事 本名  武君    理事 吉田 賢一君       生田 宏一君    臼井 莊一君       山本 正一君    淡谷 悠藏君       神田 大作君    細田 綱吉君       山田 長司君  出席政府委員         検     事         (刑事局長)  井本 臺吉君         農林事務官         (農林経済局         長)      渡部 伍良君         農林事務官         (農林経済局参         事官)     森  茂雄君         農林事務官         (振興局長)  大坪 藤市君         食糧庁長官   小倉 武一君  委員外出席者         農林事務官   檜垣徳太郎君         通商産業事務官         (通商局次長) 樋詰 誠明君         会計検査院事務         官         (第四局長)  中川  薫君         専  門  員 黒田 久太君     ————————————— 五月六日  委員楢橋渡辞任につき、その補欠として臼井  莊一君が議長の指名で委員に選任された。 同日  理事薄田美朝君委員辞任につき、その補欠とし  て關谷勝利君が理事に当選した。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事の互選  歳入歳出実況に関する件(全国購買農業協同  組合連合会に対する補助金等会計経理に関す  る問題)     —————————————
  2. 青野武一

    青野委員長 これより会議を開きます。  この際お諮りをいたします。すなわち理事でありました薄田美朝君が去る四月三十日に委員辞任されましたので、理事が一名欠員になっております。そこでこれが補欠選任を行わねばなりませんが、選挙の手続を省略して委員長において指名するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 青野武一

    青野委員長 御異議なしと認めます。それでは理事關谷勝利君を指名いたします。     —————————————
  4. 青野武一

    青野委員長 歳入歳出実況に関する件(全国購買農業協同組合連合会に対する補助金等会計経理に関する問題)につきまして調査を進めます。発言の申し出がありますので順次これを許します。細田綱吉君。
  5. 細田綱吉

    細田委員 大臣が来てから私の質問をしたいと思うので、吉田委員の方でほかの質問があるそうですから……。
  6. 青野武一

    青野委員長 そうですが、それでは吉田賢一君。
  7. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 過日の委員会におきまして東独カリ輸入経緯について相当質疑応答があったのでありますけれども、なお明らかでない点もあると思いますので、少し東独カリ輸入問題交渉等経過を聞いてみたいと思うのであります。  そこできょうは特に檜垣肥料課長の御出席を求めておりましたので、一つお答えを願いたいと思います。檜垣さんが農林省肥料課長に就任せられたのはいつからいつまででありまして、またその前職は何でありましたか、それをまずお伺いいたします。
  8. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 私が農林省農林経済局肥料課長を拝命いたしましたのは昭和三十年一月七日でありまして、肥料課長の職を解かれましたのは去る五月一日付でございます。前職は農林大臣官房調査官をいたしておったのでございます。
  9. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこでまず御説明願いたいことは、あなたの御就任の前後、すなわち昭和二十九年ごろから三十年にかけてのカリ需給問題をめぐりまして、東独との間の問題の前に、その当時及びその以前のカリ需給状況をめぐっての概況を御説明願いたいと思います。
  10. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 私が就任いたします以前、昭和二十九年の当時におきますカリの、需給事情ということを御説明を申し上げたいと思いますが、そのための御参考になる資料さきに御提出を申しておいたつもりでいるのでありますが、終戦後カリ国内におきます、需要は年々増大の一途をたどって参りまして、昭和二十九年当時におきましては、輸入いたしましたカリが農家に供給せられました数量がおおむね年間カリ成分一〇〇%といたしまして大体四十万トン前後需要されておったのであります。このようなカリは申すまでもなく輸入に依存をいたしておったのでありまして外貨予算によりまして必要なカリ輸入量に対する予算の編成をいたし、それに基いて輸入の実行をはかっておったのでありますが、当時の外貨事情は今日に比べますと、必ずしも楽ではなかったように記憶をいたしているのでありますが、そのような事情から需要増大に対して輸入の量が必ずしも十二分ではなかった。要するにランニング・ストック等の量が十分でなかったというような事情がございましたために、カリ国内における市況はかなり強気であったように記憶をいたしているのであります。その年間カリ成分約四十万トンに当りますカリ輸入ソースは主として東独西独フランス及びスペインから輸入をいたしておったのであります。そのほかに若干の量がイスラエル等からも輸入をされておったのでございます。大体東独西独フランスの三カ国が主たる輸入ソースであったのでありますが、その比率は大体におきまして東独西独フランスが全体の八〇%以上を占めていたと記憶をいたしておりますが、それが三国大体において同じ程度の量を日本輸出をしておったというような事情になっておったのでございます。これらの量は先般御提出をいたしました資料の中にございますので、ただいま概観的に申し上げた御説明で一応終らしていただきたいと思います。
  11. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 カリ日本に戦後入ることになりましたのは、これは年度からいえば二十五年度からでありますか。
  12. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 そのように記憶をいたしております。
  13. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 政府提出資料に上れば、二十五会計年度においては日商が九千七百トン、それから通産省が五万トン、これ以外にはないのでありますか。
  14. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 ただいま御質問がございました量は東独だけの輸入でございますが、その他からも輸入があったはずでございます。
  15. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうですね。そうしますとカリは二十五会計再度に戦後初めて輸入されたのである。東独においては日商通産省のみが同年輸入しておる、ただし西独フランスなどは他の商社輸入しておる、こういうことになるわけですか。
  16. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 二十五肥料年度の当時には、まだ肥料配給公団が存続をしておった当時と思われるのであります、従って肥料配給公団がどのような商社等を使って輸入をいたしましたか、ただいま明らかでないのでございますが、当時の事情はそういう事情にあったと存じております。
  17. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、二十五会計年度というのは、資料によれば東独からは日商並びに通産省のみが輸入したようになっておるけれども、当時はなお肥料配給公団があったので、これ以外にも輸入があったかもわからぬ、こういう御説明でありますね。  二十六会計年度におきましては、問題を東独に限定いたしますと、資料によれば東京食品が五千トン、日商が五千トン、南貿易が三千トン、啓明交易が二千トン、合せて一万五千トンということになっておるが、その通りですか。
  18. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 その通りでございます。
  19. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それから二十七会計年度は、岩井産業が九千五百三十トン、東西交易が一万二千七百七十七トン、日綿実業が一万二千三百六十三トン、片倉肥料が八千三百十六トン、相互貿易が八千三百六十トン、合せて五万二千四百九十トンということらしいですね。この通りですか。
  20. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 その通りでございます。
  21. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで二十八会計年度になりましては、今度は九社になって、岩井産犬が一万二千八百四十七トン、東京食品が三千六百九十六トン、東西交易が一万五千十トン、日綿実業が五万三千八百八十トン、伊藤忠が三千三百七十トン、片倉肥料が六千百十四トン、相互貿易が二千七百二十二トン、日東物産二千七百六十二トン、光興業が三千九百三十九トン、合せて十万四千三百四十トン、合計九社、以上の通りの数字、これはもう間違いありませんね。
  22. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 その通りでございます。
  23. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで檜垣課長に伺いますが、今お述べになりました二十九年、三十年ごろの、つまりさき需給状況を御説明になりました当時の——主としてこの場合東独に限りますが、東独からのカリ輸入商社はどこどこであったわけですか。
  24. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 二十九会計年度及び三十会計年度当時におきます東独カリ取扱い商社は、これも先般御提出をいたしました。ただいまおそらくその資料をごらん願ったのであると思いますが、その表にございますように、二十九会計年度岩井産業東京食品東西交易日綿実業伊藤忠商事、片倉肥料相互貿易日東物産光興業の九社でございます。翌三十会計年度には東西交易輸入をやめておりまして、残る八社が取り扱っておったのでございます。
  25. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 三十一会計年度は……。
  26. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 三十一会計年度になりましてから、片倉肥料日東物産と、それから光興業とが輸入取扱いをやめましたので、岩井産業東京食品日綿実業伊藤忠相互貿易の五社が取扱い商社となっております。
  27. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで、その五社が取り扱う以前のことでありますが、大体輸入の経典は、東独につきましてはどういうふうになっておったのですか。  それから、ちょっと御答弁の前に申し上げておきますが、前会のこれらの経緯についての速記録を沈んでみますと、どうも個人的な御記憶をたどって——個人的というと語弊がありますけれども、何か農林省肥料担当官としての御答弁の印象が薄いような感じを受けるのであります。これは文章から来るのか存じません。そこでやはりここは人ごとのようにおっしゃらずに、主管庁としてそれぞれの事務の対象になっておる事実のみでありますから、できるだけ一つ客観性のあるような趣旨の御答弁を願いたいのです。これは御希望を申し上げておきます。
  28. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 三十会計年度の前半、すなわち昭和三十年四月から九月までの上期外貨予算カリ輸入までは、東独カリ輸出元は、これは東独政府機関でありますところのカリ輸出公団というものが担当をいたしておったのでありますが、その日本に対します代理店は、アメリカ法人国際鉱石——通称インター・オアーと称しております商社が勤めておったのでありますが、当時決済関係で、国際鉱石会社スイスをスイッチとした決済をとる必要があったためのようでありますが、スイスサディという会社を通じて日本への代理店の仕事を扱っていたようであります。日本輸入商社は、ただいま申しましたアメリカ法人でありますインター・オアー——国際鉱石会社から輸入をいたしておったという事情にあったのでございます。
  29. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その関係は、東独の、これは略称してDWVといっておるそれのことなのですね。ところで、それとスイス商社SADI——サディというものとの関係はどうなっているのですか。
  30. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 国際鉱石会社日本代理業務をやっておったということは、これは確実でございますが、インター・オアースイスサディとの関係がどういうものであるかは、おそらく当事者の私法上の契約に基く関係と思われるのでありまして私どもとしてはうかがい知ることができなかったのであります。ただ私どもが聞いておりますことは、インター・オアー東ドイツマルクに対して直接の決済をとることができないので、スイスサディを通じて決済をしておったというふうに聞いております。
  31. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと東独カリ輸出公団に向ってはスイスサディ決済関係に立つ、そこでインター・オアーは、これは日本に対して東独カリ販売の権利を持っておる。このインター・オアーが表に出た販売名義人じゃなしに、日本輸入商社が受けるのはサディから受けるというのが、形においてはそういう順序になっておるのではないのでしょうか。つまり青いかえますると、東独カリ販売公団から実質的にはインター・オアーが買って東独との決済並びに日本に対する販売はすべてサディがやる、こういう関係にあったのではないのでしょうか。この点は商社間の内情であるから詳しくは知らないということは一応は言えるといたしましても、東独との関係日本はかなり関係が深いのでありますから、あなたの方、農林省といたしましてもその辺は相当確実なものをおつかみになっておるのではないかと思いますが……。
  32. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 当時の日本商社に対する東独カリオファー名義がどうなっておったかということでこれは判然とする問題だと思われるのであります。これは通商産業省がそのオファーの受付をいたしますわけで、当然通商産業省では書類上明らかになっておるはずでありますが、私どもの理解いたしますところでは、東独カリオファーをいたしましたのは国際鉱石全社と理解をいたしております。
  33. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 東独カリオファー関係につきましてあなたの方に何か文書あるいは報告あるいはその後の交換の書類等によって明確になっておりませんか。今のような単に御記憶かけでなしに。
  34. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 カリ輸入のための外貨割当正式申請書はすべて通産省に保存をされておるはずでありまして、私どもの方へはそれの写しとかあるいはそういう類似の書類提出をされても参りませんので、記録的には私の方には何も残っておりません。
  35. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 横にそれるようですけれどもカリ輸入について外貨割当を決定する機関はどこにあるのでありましょうか。
  36. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 カリ輸入のための外貨割当申請は、ただいま申しました通り通商産業省に対して輸入商から提出されるわけでございまして、その輸入に対して外貨を割り当てることが一定基準等に合うかどうかというような審査を行うわけでありますが、その審査通商産業省内部に、これは法制上のものではないと思いますが、カリ輸入外貨割当審議会といいますか、審査会といいますか、それをわれわれは通称スクリーン・コミッティという言葉を使っておるのですが、そういう機関通商産業省内部に置かれておるのであります。
  37. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 通産省内部にあるそのカリ輸入外貨割当審議会はどういうメンバー構成されておりますか。
  38. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 その委員会構成メンバーは七、八名の委員によって構成をされておるのでありますが、大部分通商産業省通商局関係各課担当官であります。農林省からも形式的には肥料課ということで一名の委員を出しておったのであります。
  39. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その一名の委員はどういう地位の何という人ですか。
  40. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 ただいま申しました通り形式的には農林経済局肥料課ということでありまして、別段特別な発令はございませんでしたが、その委員会出席し、事務担当いたしておりましたものは私の課の業務班長をいたしておりました海内藤作技官でありました。
  41. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、このスクリーン・コミッティというところでカリ輸入につきましてどの商社に幾ら割り当てるか、こういうことまで具体的に審査するのでありますか。
  42. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 先ほどもちょっと触れましたが、そのスクリーン・コミッティにおきましては、あらかじめ通商産業省カリ輸入のための外貨割当公表をいたすわけでありますが、その公表の際に一定輸入資格等を発表いたしておるわけであります。その輸入発表基準に合っておるかどうかというような審査、それからカリの買い付けのための割当方式は、これはグローバル予算をとっておりますので、日本指定港着のいわゆる輸入価格、CIFの価格の最も安いものから予算の満額に至るまで外貨割当——割当という用語を使っておりますが、実質的には私ども外貨使用許可であると思いますが、そういうことの案をスクリーン・コミッティできめておったのであります。
  43. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで東独との間にカリ輸入について相当交渉が開始されたように前に承わったのでありますが、東独との間に最初——東独というのは東独カリ輸出公団でありますか、つまり政府筋もしくはそういう公共団体でありますが、つまり商社間という意味じゃなしに、最初にありましたのはいつごろでありますか。
  44. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 東独カリ輸出公団と初めて日本側交渉をした時期という御質問でありますが、日本政府側東独カリ輸出公団代表者あるいはその有権的なやはり代表者といった方がいいかとも思いますが、そういう交渉が初めて行われたのはいつかということは非常に私どもとしてもわからない部分があるのでございます。と申しますのは私が知っておる限り、要するに農林省関係において初めて東独カリ輸入関係いたしまして、東独カリ輸出機構と直接の折衝がありましたのは昭和三十年の八月に、先ほど申しました海内技官東独へ派遣をされましたときが初めてでありますが、果してそれ以前に、たとえば外務省関係とか政府機関いろいろありますので、そういう折衝があったかどうかということは判然といたさないのでございます。
  45. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところが一方におきまして、今のスイスサディスイス商社一種代理権といいますか、代理店関係でありますか、そういうつまり東独公団立場からみれば一種代理店関係にあるかのように思うのでありますが、そういう法律上の経済行為をなし得る資格が三十年の六月ごろには終了するというようなことがあって、そういうことがあるので、その以前に、二十九年の秋ごろにはすでに政府間におきまして相当今後の輸出入関係交渉せられたということも聞き及んでおるのでありますが、あるいはそういうことが私どもはあり得ると思いますが、つまりサディ立場期間が満了になるのは三十年の六月とすれば、二十九年の九月ごろには翌年の上期の母の決定ですか、そういう関係もありましょうし、三十年の関係も目前に迫っておりますから、やはり相当な折衝がある時期だろう、こう思うのでありますが、そういうような直接の話し合いはなかったのでありますか。もっともまだ通商協定などのない国との関係でありますので、表立ってそういうことはなかったかもしれませんけれども、しかしそれにいたしましても、領事館等を通じまして便宜事実上の交渉はなし得るのでありますから、東独政府日本政府との間に、前年二十九年の秋ごろでもそういう話はあったのではないでしょうか。
  46. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 ただいまお話がありましたように、三十年のたしか春ごろには国際鉱石代理店契約が切れるという話を私も着任の当時聞いたことがありますが、それ以前に政府機関東独カリ輸出関係機関輸入に関して折衝があったという話は私は全く聞いておりません。
  47. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで政府におきましては、むしろこの政府間における交渉よりも民間交渉がいいということで、民間の業者と東独方面との間の話し合いがあって、それを事実上認めると言うと語弊もありますけれども民間交渉にゆだねておったというような、そういうのが実情ではないのでありますか。
  48. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 ただいまお尋ねのありましたような時期におきます問題は、これは外国の商社であります国際鉱石代理権が消滅をいたす時期を前にした時期であったと思われるのでありまして、そういう期間におきます東独カリ公団との折衝は、これは商社みずから努力をすべき問題であって、その問題についてはおそらく私の兼任以前においても、政府が関与あるいは関心を持つほどの問題ではないということで、商社自由活動にまかせられておったものだと理解いたしております。
  49. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 商社がこの場合東独輸出公団と直接取引をするということがありましたならば、それは事実上どういう決済になるのですか。
  50. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 大へんぶしつけなあれなんですが、決済という意味がわかりかねますので……。
  51. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 バーター関係取引するということが普通考えられるのですが、その辺についてはどういうことなんですか。
  52. 青野武一

    青野委員長 吉田委員に申し上げますが、通産省から樋詰通商局次長が御出席になっております。
  53. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 では通商局樋詰さんから説明して下さい。
  54. 樋詰誠明

    樋詰説明員 大へん申しわけございませんが、おくれて参りましたので、あるいは先ほどからのお話とつじつまが合わないかもわかりませんが、東独とわが国との決済につきましては、これはすべてバーターということで、日本が千万ドル買えば必ず日本のものを千万ドル向うにも買わせるというバーター契約決済をいたしております。
  55. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういたしますと、農林省におきましても、もちろん通産省もそうであろうが、カリ輸入に重要な関係のあるバーター取引のいかんということは、やはり相当大きな関心を持ってごらんになっておるべき筋だと思うのだが、民間交渉にいたしましても政府交渉にいたしましても、その経過、成り行きというものは相当重要なことになるのじゃないかと思うのでありますが、それでもなお三十年の六月以前、二十九年の秋からとかりに限定いたしましてその間における東独とのカリ輸入関係交渉状況政府はおつかみになっておりませんか。これは課長でなくてもどなたからでも……。局長おわかりでしたら……。だれも知らぬのですか。
  56. 樋詰誠明

    樋詰説明員 当時、各商社東独との間に具体的にどういう話が進んでおったかということは、私ただいまここで申し上げるだけの知識を実は持ち合せておらないのでございますが、通産省といたしましては、先ほど申し上げましたように、必ずバーターでやる。ストレート輸出であればもちろんけっこうでありますが、少くとも向うから買っただけは向うにも買わせるということで、ストレート輸入は認めないという方針は従来からずっと堅持してきたはずでございます。
  57. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それでは樋詰次長に伺います。カリ輸入そのもの農林省の重要な問題であります。あなたの方はさして重大な関心を持っておいでにならぬと思いますが、しかし貿易所管省といたしましては、東独との貿易は非常に重大な御関心があるべきはずであります。このカリ肥料輸入をめくりまして——めくってというと語弊がありますけれども、かなり顕著ないろいろな交渉が輻湊して行われたことは、これは当委員会におきまして明らかになっておるのであります。そこであなたの方に対しましては、たとえばこういう交渉が行われる、この交渉については、日本から、それならどういうものを見返りに輸出するとか、そういうことのためにはどういう手続をするとか、何かその過程におきまして、通産当局に対してどの方面からでも適当なときに適当な報告がなければなるまいと思います。そうしないと貿易省としましては何かとお困りだろうと思うのです。やはりその都度もしくは適当な時期に、時を移さず適当な報告があって、また必要ならばあなたの思う指示、介入をする、こういうことが常識だと思うのですが、その点はどうです。
  58. 樋詰誠明

    樋詰説明員 東独カリ輸入につきましては、現在もそうでございますが、数年来日綿実業向うシッパーとの間に総代理店契約を締結しておりました。そうして日綿実業向うシッパーとの間で、カリ輸入定数量に対して繊維、雑貨のどういうものをどれだけ出すかといったような輸出計画契約が取りかわされまして、それに基いて輸出並びに輸入ということが行われてきておりますので、われわれも日綿から大体こういうことでバーターでいきたいがということの報告はただいままで受けております。ただその際におきまして、ストレート決済は認めないから必ずバーターでいくのだというふうにして、バーター契約に対する賛意を表するということをやっております。
  59. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 日綿実業東独カリ日本への輸入について総代理店資格をとったというのは、三十年の六月ではありませんか。
  60. 樋詰誠明

    樋詰説明員 正確には覚えておりませんが、近く二年間契約が切れるということでございますので、ただいまの御質問通りだ、そういうふうに考えます。
  61. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 農林当局に伺いますが、今の日綿実業代理店資格契約を締結したのは三十年六月、つまり二年間期間が満了した月ではないのですか。
  62. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 ただいま通産省の方からも御説明がございました通りでございまして、私ども確かに六月であるというような報告を受けたのではございませんが、たしか春の終りごろに日綿実業代理店になったという話を聞いております。
  63. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところで農林省肥料課海内技官が、西独から東独への話か、もしくは東独へ行ったのか、場所は存じませんが、ともかく東独政府か、もしくはそういう公団との間にか存じませんが、いずれにいたしましても、カリ輸入の問題について話し合いに行きましたのはいつで、そしてそれは一体だれと話してきたのか、その経緯を一つ御説明願いたいのであります。以前の委員会におきまして概略の御説明はあったのでありますけれども、どうも経過がはっきりいたしませんので、要点だけでよろしいから一つ御説明を願いたい。
  64. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 海内技官東独へ参りましたのは、昭和三十年八月のことでございます。折衝いたしました相手方は東独政府貿易省並びに東独カリ輸出公団で、その両者に対して折衝したという報告を受けております。折衝いたしました内容は、それ以前に農林省としてカリ輸入の合理化をはかるための要点を検討しておったのでありますが、なるべくカリ輸入価格を安くするように努力をいたしたいというう見地から、従来C&F建の取引で全量を買い付けておったのでございますが、FOB建の取引を開設いたしたい、それからFOBの価格自体もできるだけ引き下げてもらいたいというその二つを中心に交渉してきたという報告を受けております。
  65. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 この海内技官を派遣するのは、これはいつごろどういう順序を経て決定したものですか。省内だけでおきめになったのか、通産省とも適当に御連絡になったのか、その点いかがですか。
  66. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 この御説明はあるいは私では不適当かとも思われるのでありますが、私の知っておりますことは、河野農林大臣が要務を帯びられて渡欧するに当りまして、肥料関係に通暁している職員を随員として加えてはどうかという省内の意見があったようでございますので、たしかその人選といいますか、どういう随員をつけるかということについては省議で選考されたやに記憶いたしておるのでございます。
  67. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 渡部局長に伺いますが、あなたはその当時の事情は御承知ですか。
  68. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 私はその当時はほかの局におりましたから、つまびらかには当時の事情は承知しておりませんので、あとで調査をして申し上げたいと思いますが、ただいまのように、農林大臣がそのときは主としてロンドンの日ソ交渉の松本大使との打ち合せがある、そのついでにマグロのカン詰の輸出とかそのほかの問題も一緒に片づけたい、こういうふうなお話がありまして、肥料関係といたしましては、カリの問題を一つ片づけよう、こういうことが重点だったように思います。このカリの問題と申しますと、大部分を占めます西独及びフランスカリ、それからまだ正式の国交は開かれていないけれども東独カリ、この二つがあります。あとからの報告を調べてのお答えでありますが、西独及び仏国については大臣みずから代表者と会談して先ほど肥料課長が申し上げましたようなFOB建の契約、それから価格の引き下げという点について交渉された。その同じ趣旨を同行させた海内技官東独に行ってやってこいということで、日程によりますと、三十年の八月二十日から二十三日までベルリンにおりまして三日間で東独カリのFOB建の取引の開始、価格の引き下げということを交渉したのでありますが、そのときはうまくいかなかった、こういう事情であります。
  69. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そのときに、通産省貿易の所管庁として、さきにも通商局次長の御説明通りに、非常に重大な関心を持つ官庁であり、また主管庁でありますが、この方と御連絡なしに行くというのは、私は少しどうかと思うのです。やはり相当話し合いがあって行ったというのがわれわれの常識なんですが、そういうことは全然なしに行かれたのでございますか。その点はいかがですか。
  70. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 当然そのときに、通産省にもこういう用務で行く……。いうことは話があったと考えます。しかし問題は、農林省立場といたしましては、肥料の量を確保することと価格をできるだけ安くすること、価格を安くすることについては農林省関心が一番深いわけでありますから、これは農林省の方で相当積極的なイニシアチブをとった、こういうふうに私は考えます。
  71. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 農林省でイニシアをおとりになって交渉された、そういうことであると、一そう農林省は、前後の民間交渉のいきさつも、あるいは情勢の推移の事情も、何もかも十分御承知でなければならぬと思うのです。民間の方の話し合いはよくわからぬ、しかし官庁が交渉するときは多少差し抜いてやっていく、その多少というのは、何ぞ貿易主管庁である。それはだれが偉い、いかぬというのではなしに、やはりそういうものはそれぞれの権限がお互いにあって、お互いに協議、協定をして交渉するというのが筋ではないかと思うのでありますが、どうもあなたのお話では、通産省と話の合ったものと思うけれども、イニシアチブを農林省がとっておったから、あるいはそうでないかもわからぬ、こういうことになるようですが、事実通産当局は、この東独カリについて農林省が代表を派遣して交渉するということについて事前打ち合せば何ら受けておらぬのですか。
  72. 樋詰誠明

    樋詰説明員 これは、出していいかどうかといったような趣旨でのお話というのではなしに、大臣がおいでになるという際に農林省の方で随行される、この随行される中にカリの非常なエキスパートがおられて、商社だけでは相手方に対して値下げということを要請してもまだ力が不十分であるというところを、需要者を管理される農林省立場からさらに商社の側面的な援助をするという意味で、強力に値下げの交渉をされるのだということで農林省から派遣される、こういう一応の既定の事実というふうにしてわれわれは承わっておるわけでございますが、それにつきまして、われわれの方といたしましても、現在別に東独通産省の人間が出ているわけでもございませんし、商社だけで力の足らないところを、最も肥料関心の深い農林省の方から行かれて商社と一緒にさらに値下げについて押されるということについて、別に通産省の所管を荒されては困るということを申し上げる必要もない、こういうふうに考えましたので、やるがどうだといったような御相談ではなしに、行かれるということを事実として承わり、われわれの方としては別にそれに対して困るということを申し上げたことはないわけでございます。
  73. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方の見解によると、農林省は業者の民間交渉に力を与え、それに協力するということが大体御理解の筋らしいが、これは私の意見になるのだけれども、幾ら海内という人が肥料通であっても、肥料通であるから何もかもやれるということはものの間違いのもとであります。肥料通でなくてもそれぞれの責任者もあろうし、たとえば西独には、ボンには大使館もあるし、どういう職員がおるか私は存じませんけれども、おそらくは通産省立場の仕事を行う職員もおるだろうと思う。これは私の所見にすぎませんけれども、どうも印象は、海内という人がエキスパートであるから、それを大臣につけてやっておれば何でもやれるということが何か前提になっておったのではないかという印象を受けます。そこで、そうすると海内という人をやることにしたのは、大臣に随行する——大臣は、ベルリンに当時滞在はしなかったのですか。
  74. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 大臣は、ベルリンにはおいでになっておりません。
  75. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ちょっと御参考にお伺いしておきたいのですが、一体大臣は、いつからいつまでどういうふうに回ってこられて、海内技官はどこをどうついて回ったということにあなたの方へは報告はなっているのですか。
  76. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 大臣は、八月八日に東京を出発されまして、十日にスイスに到着し、十一日にロンドンにおりまして、十五日にパリへ、十七日に西独のデュッセルドルフに、十九日にコペンハーゲンに、二十一日にコペンハーゲンを立って二十二日にニューヨークに着いて、あと南米それから北米を旅行されて、九月二十二日に東京に帰っております。
  77. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 海内技官はどうなんですか。
  78. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 海内は、ロンドンまでは大臣と一緒でありまして、ロンドンであと英国の肥料事情を残って調べまして、十四日にベルリンに行き、十四日から十七日までベルリンにおります。それからさらに十七日から十九日まで西独に行きまして、二十日から二十二日までベルリンにおりました。それから二十一日、二十四日と西独に帰って、もう一ぺん二十五日に立って二十六日にベルリンに着きまして、それから本格的交渉をやりまして、九月二日までベルリンにおりました。従いまして前後三回ベルリンに行っております。それから九月の二日にパリに行きまして、パリに六日までおりました。それからロンドンを経由して九月の九日にニューヨークに行っております。
  79. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、海内君も大臣とともに同年九月二十二日東京に帰着したということになるのですか。
  80. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 海内の帰着は二十三日になっております。あと、九日からアメリカに行きまして、フロリダの燐鉱石、それから北米のカリ産地、ニューメキシコあるいはトロナ等を回りました。アメリカは北米だけでありまして、大臣とは一緒でないようでございます。
  81. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで、海内技官は単独でやったのですか、あるいは商社の方々とも協議し、あるいは相談もしながらやったのですか。商社がいろいろと話し合っておるのに協力する立場にあるので、全然独自で行動したとも思えませんが、その点いかがですか。
  82. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 その点は、私が今持っておる報告書では明確でありません。商社と一緒という報告はありませんが、これはあとでよく調べましてお答えいたしたいと思います。
  83. 山田長司

    ○山田委員 その場合、東京食品の落合正夫さんという人は一緒に歩かれているように私たちは聞いておるのですが、その範疇に落合さんはおりませんか。
  84. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 ただいま私の手元の資料ではそれが出ておりませんから、もう一度よく調べましてお答えいたしたいと思います。
  85. 山田長司

    ○山田委員 なお、これは重要な個所であるのに、局長資料を持たないということでどうもらちがあかないのですが、その期間中に、東海硫安の営業部長の越田氏も、さらに大日本飼料の河田常務も、そのほか東京食品肥料部長の本多取締役も一緒にやはりそのころ行っておられるはずなんですが、これらについては全然何の資料もないのですか。
  86. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 大臣の随行者のリストとしましては、ただいまお話がありました東海硫安の越田、大日本飼料の河田師郎、農林省から斎藤秘書課長、それから伊藤忠の岩田、これらは終始行をともにしておったようでありますが、海内と水産庁から行った岡本君は——今日程を持っておりませんが、岡本君は、マグロの輸出問題で、行くときは大臣と一緒に行ったようであります。それでマグロの交渉はいろいろやられたようでありますが、その後の行動は必ずしも一緒でないようであります。先ほども申しましたように、海内は、これも行くときは一緒でありましたが、あとの行動はそれぞれの自分の担当の業務を処理し、随時落ち合って指揮を受けておる、こういうようになっておるようであります。
  87. 山田長司

    ○山田委員 これらの人たちが偶然に一緒にぶつつかったということは、世間の常識一般から推してみて想像で費ないことだと思います。やはり話し合った形で同じに行かれておるとしか考えられないわけです。これくらいまで明らかになっておるのでありますから、その点が行った先で行動がまちまちになったにいたしましても、話がついてからまちまちになったとしかわれわれには考えられないわけです。そういう点で行く期間中、それから向うへ行ってのまちまちになるまでの過程というものは、大体どのくらい日時がありますか。
  88. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 これは、先ほど申し上げましたように、大臣という一国の最高の農林水産業の権威者といいますか、責任者が参るのでありますから、従来の農林水産関係のいろいろの問題を解決しよう、こういう要務を帯びておるのであります。みずから陣頭に立って解決するところはする、そのあとの締めくくりといいますか、細目については同行の係を必要なところに残して跡始末をさせておる、こういうふうな関係になったのでありまして、お話のように、偶然に一緒になったのではありません。やはり初めからそれぞれの用務——自分が行ったら今度こういうことをやってこよう、それにはどういう人がいいかということを省内で相談いたしまして、つけたのであります。それぞれの担当者はそれぞれのところで自分の与えられた仕事をしてきたのであります。その関係は今の海内の仕事について申し上げますれば、先ほど申し上げたような日程でやってきておるのであります。
  89. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 すでに二カ月以前に日綿実業東独カリ輸入の総代理店となっておる。ところがその総代理店代表者たる店員はともに参加せずに、そうでない東京食品その他の、従来の実績のある業者の店員が大臣と行動をともにしということであれば、日綿はベルリンへ行ってないということになるんだが、海内技官とともにか、あるいは協議したかという、その状況がいかにも不自然に考えられるのです。やはりここは総代理店をやつておる日綿実業を加えるというのが筋じゃないかと思う。私は日綿実業と何の恩怨も利害もないのですけれども、冷静に客観的にこれを見まして、いかにも何か出し抜いて他の商社の激しい運動の中で海内技官が活躍しているように印象を受けるのですが、第一、日綿実業代表者を同行しないのは一体どういうわけだろう。日綿実業代表者が総代理店を引き受けているんじゃありませんか。三回もベルリンへ行って、正式の交渉もだんだんと東独との間にやっておる、こういうときに、一体どうして日綿実業は抜くのでございましょうか。その辺はあなたは報告を受けておらぬかもしれぬけれども、あなた並びに前肥料課長、それはどうなんですか。
  90. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 私が承わっておるところでは、業界の間で、代理店を受けるまで、相当代理店を受けたいという各商社の運動があった。その結果日綿実業に落ちた、ところがそういう関係を考慮して総エージェンシーの資格をとったのでありますから、これを連れていって交渉に参加さすということは、かえって代理店は、代表する本店といいますか、代理権を与えておるものの味方をするおそれがあるから、そういうものは連れていかない方がいいだろうということで日綿実業は連れていかなかった、こういうふうに報告を受けております。
  91. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 日綿実業を連れていけば先方の利益を代表する危険ありという、そういう判断は、どこでだれがそんなことを言うのですか。
  92. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 これは私どもの中でいろいろ交渉の相談をするときに衆知を集めて議論しますが、その結果だろうと思います。そのときに私直接担当いたしませんから、ただ報告を受けて聞いておるだけで、はなはだ答弁にならないのでありますが、そういうふうに承知しております。
  93. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その後事情の変化が伴っていなければこの点問題にならぬのです。けれども、その後いろいろと事情の変化が伴っておるので、私は少し理解しにくいのであります。あなたの方は代理店であろうと代理店でなかろうと、政府自身のお立場でよしとするところに進んでいかれる、その参考の意見としてこれらの商社から意見を徴す、また事情を聞くということはあろうけれども、あくまでもそれは政府の判断の資料にすぎないと私は思うのです。ことに前後の経過からかんがみても、代理片は除外してそうでないものを連れていく、そうでないものを連れていくのならば、そのそうでないものは、すべての輸入商社の協議の結果それがよかろうということにでもきまったのかどうか、その辺はどういうことになっておりますか。
  94. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 その間の詳しい事情につきましては、よく調べまして御報告いたしたいと思います。
  95. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 よく調べて御報告というような段階ではなしに、きょうはやはりあなたの方で可能な限り、かりに推測になってもよろしいですから述べてもらいたい。証文の出しおくれのような資料が何ぼきてもしようがないのであります。やはりこのところは私どもは一つ一つ検討を続けていきたいと思っております。すでに二十九年及び三十年のものは、二十九年には輸入商社が九社あるわけであります。三十年は東西交易は取り扱っておらぬけれども、九社あって、前年から九社もあるような場合に、一、二の商社だけを連れていって代理店は先方の利益を代表しはしないかと考える、そういう判断は、ほんとうに農林省内部局長会議というのか、省議というのか、あなたは省議に出席なさる一人ではないのですか。もしくは当時そういうようなお立場ではなかったのですか。それは内部できめたとこうおっしゃるけれども、やはり農林省全体の意向として、相当権威ある機関で御検討になったという趣旨なんですか、その点どうなんです。
  96. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 ただいま私のところにあります報告書には、そういう詳しいことが出ておりませんから、よく当時の事情を、帰ってさらに資料を見るなり、あるいは関係者に聞くなりして調ベてお答えしたいと思います。
  97. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 檜垣課長に伺いますが、当時そのように連れていく商社を選定したという経緯はどうなっておりますか。
  98. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 私ども関係いたします問題といたしては、肥料関係に明るい職員をだれにするかというお話だけは、これは私ども省議に推薦をする関係上承わっておりましたが、商社の代表としてだれを連れていくべきかというようなことについては御諮問はなかったのでございまして私どもはただいま局長お話に出ました方々がどういう事情で随員にきめられたかは存じないのでございます。
  99. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 たとえば東京食品株式会社というのは、農林省の役人、もしくは農林省の役人と最も近いような人々の中に、何か株主の関係とか特殊な取引関係とかあるような、そんな事情でもあるのですか。その点いかがです。
  100. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 私はそういう点は聞いておりません。
  101. 山田長司

    ○山田委員 いや知らぬと言っても、私は全然知らぬことはないと思うのですよ。河野さんの秘書が落合正夫さんであったということは、幾ら何でも知らぬことはないでしょう、どうです。
  102. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 私が承知いたしておりますのは、先ほど申し上げました何人かの人、そのほかの人については記憶がありませんからよく調べましてお答え申し上げたいと思います。落合という名前は私の頭に残っておりません。私が先ほどお答えしました名前は、名前と顔がずっと合っておりますから、これは間違いないと思いますが、随行された方は、今落合さんという名前が出ましたが、私はよく知りません。
  103. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうするとこの問題といいますか、商社の代表を人選するに当っては、あなた御自身は省議の決定に参加しなかった……。
  104. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 商社を、どういうものを連れていくかということは省議には出なかったと思います。
  105. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これは内部で選考なさった経過お話もありましたので、内部とは何か、省議かあるいは局の内部か、あるいは大臣がきめるのか、次官がきめるのか、だれがきめるのかというのが私にわからぬから伺っておるのであります。あなたも相当な地位におありになるのだから、従ってこれにも関係なさったのじゃないかと思われるのです。今承わるところによりますと、あなたも知らなければ肥料課長も知らないし、また報告もないし報告書にも書いてない、ただ現象だけはあったのだというのでは、前後の事態を明らかにするのにはあまりに不十分であります。私どもがこれをいろいろと聞いておりますのは、一つは全購連事件につきまして農林省のとられた各般の行政上の行為について相当反省してもらわなければならぬものがあるというふうに考えておりますので、こういう意味において、済んだことであるから是否曲直はどうあろうにかかわらず、できるだけ筋を明らかにし、ここはそれではいけなかった、これはこうすべきだというような資料を私どもはつかみたいのです。にもかかわらずそれに沿わないような、ひょうたんなまずのような答弁ばかりせられたら、農林省は全く今度の事件についても、口ではどういうことを言っておられても態度としては極力責任を回避し、事実を隠蔽して、そうしてむしろ国会を欺くというのが真意じゃないか、こういうふうに誤解をされます。でありますから、それは御承知でないことを知っておろうということは無理ですけれども、やはり何とかそこはもっと良識で理解できるように言ってもらわぬと、これはどこがきめたのやらわからぬことになってしまう。それは大臣がああいう性格の人ですから、ツルの一声でだれをどこそこへつれていけと言ったのならそれでもいいのですけれども、やはり重要なあなたのお立場からいって、そういった経緯について何ら解明するような答弁ができないということは、私は実に残念に思います。それでいろいろとくどくこんなことを聞くのです。  そこで次に、そうしますと海内技官からは、この交渉は要するに失敗したという報告があったように前会もお述べになっておりますが、失敗とはどういうことを意味するのですか。
  106. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 交渉の目標は、一点はFOB建取引にしようということ、それからもう一点は、FOB価格を引き下げろ、この二点になっておるわけであります。それがFOB建にしようということも結論に到達せず、価格を引き下げるということも結論に到達しなかった、すなわち成功しなかった、失敗した、こういうことでございます。
  107. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そういうことであれば一体何が原因で失敗したのか。交渉の仕方が悪かったのか、かりにも東独は一つの貿易公団というものを作って、そして日本輸出する機関をもって総代理店というものを法律上設定しておる。しかるにそれをさしおいて亡者のように業者が役人を取り巻いて、そして交渉しておる。そういうようなことに失敗の原因があったのか。一体何が原因かというようなことについて、あなたは報告を受けて検討しましたか、どうですか。
  108. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 これはどの商品でも同じでありますが、買手の数が多いと売手に乗ぜられる、これは理の当然であります。従ってカリにしても買手がばらばらに相手側と交渉するというのでは日本側にとって有利な結果をもたらすことができないのは当然であります。その歴史を繰り返しておったわけであります。そこで、一方においては特別の輸入商社をきめると同時に、その商社で相談して一本で交渉をする、代表幹事をきめて一本で交渉するというような方針に切りかえていったのであります。この東独カリ交渉で海内君が行ったごろは、まだその国内態勢も十分できておらなかった、そういうことが一つの大きい失敗の原因じゃないか、こういうふうに考えます。
  109. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 通産当局は、海内君が多大な日子というと語弊があるが、相当な努力をしてそして商社の代表とも協議をして東独折衝した経緯、その失敗した原因等について報告を受け、かつ検討あるいは協議したような事実がありますか。
  110. 樋詰誠明

    樋詰説明員 交渉の過程において、こういうふうな実情で難航しておるといったような報告と申しますか連絡は別に受けなかったわけでございますが、ただいま経済局長から御答弁ありましたように、結果的にFOB建にしたいということあるいは値を下げさせたいということが不成功に終った、結局その前に商社間できめられておるもので日本が買わざるを得なかったという結果の報告は承わっております。
  111. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで少しデリケートなところへ入るのですが、商社の利害にも関係するようなこと、もちろんそれは日本の農林行政上の重要な問題であるけれども肥料の値下げ交渉に行く場合、肥料のみに限らぬが、農林省の役人を外国へ派遣するようなときに、やはり関係商社からせんべつをもらったりするようなことが普通になっておるのでありますかどうですか。この点は一つ可能な範囲で説明願ったらいいと思います。これは何も農林省だけの問題じゃありません。それは通産省もあるいはその他建設省も、あっちこっち共通した今日の社会現象かもわかりませんけれども、その点はどういうものでありますか。それとも特別な場合がそうであるということなのか。まあ日本人はすべての冠婚葬祭などに特別に親しみを見せるというような、これは長い間の習慣であります。従って外国へ行く場合には、羽田にたくさん送りに来、外国から帰った場合にはたくさん出迎えに来る、こういうことはずいぶんあることで、外国よりも日本は一そう盛んだというふうにも聞くのでありますが、その点はどういうものでありましょうか。まず一般的に相当せんべつを受けるというのが普通になっておるのですかどうなんですか。
  112. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 つまびらかにいたしませんが、私の知る範囲では、金品を受け取るときにはそれが見舞金でろうがあるいはせんべつであろうが、上司の許可を受けなければならないということが役人の常識でないかと思います。ですから反対にいえば、一般的にはそういうものは受け取らないのが原則であります。どうしてもそういうものを受け取るということであれば、それぞれ上司の許可を得なければならないということになっておると思います。
  113. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それは原則か例外か知りませんけれども、ここは今事件になっておるときですから、あなたとしても、人に関係することでもありますし、言えること、言えないことがあって、ちょっとデリケートな立場ですが、一般論として申せば、一体せんべつを持ってきたときに、これをいかがしましょうと言って、上司にそんな許可を受けた例はありますか。第一、あなたの御経験はどうですか。日本政府でそんなことをやっている役所が一つでもあるのですか、私は寡聞にして知らぬのですが、それはどうでしょう。
  114. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 この前の前の次官で東畑四郎という人がおりましたが、先生が吉田総理について第一回の余剰農産物を受けにアメリカへ行った。そのときに私の承わったのは、せんべつを持ってきたのはみんな返しちゃったよ、これでさっぱりして行けるよ、こういう話であります。これは先生が暗黙のうちに、こういう場合はこうやれということを示したものと思い、私はそれをしょっちゅうみんなに言って聞かしておるのであります。
  115. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これは学校の何とかみたいになってしまうようですけれども、戦後は税務署の署長さんが転任するときには、つづら一ぱいお札をもらったという舌さえ実はあるのです。そこで東畑氏にそういうふうに大へんきれいな行為があったということは、これは実に珍しいこととしておそらく話題になるのだろう。今日御承知の通り、料亭、旅館、待合などで、個人が自分の月給、自分の財産だけで飲み食いしておるという実例はおそらくないと思います。やはり自分のふところが痛まぬし、細君に報告せぬでもいい場合にやっておるのであります。飲み食いにもやはり金が要りますし、ことに飲み食いは場合によったら一晩数万金というのが飛ぶのですから、それを紙に包んで出すのも同じことです。そういう事例があるかないかをあなたに聞くのはちょっと無理だと思うから、それはやめにしておきますが、実際には、わけのわからぬのが束になってくるというのがほんとうじゃないかと思うのです。もしそういうことであるならば、これは何とかしなければなるまいと私ども考えております。事件があるときで、あなたも言いにくいだろうから、しいて問いませんけれども、そういうことについての感じくらいは、あなたも言わなければいくまいと思う。この際事実は言わぬでもいいとしまして、ともかくないものならもう論ずる必要もないわけなので、実に農林省はきれいなところなのです。だから善良な方が迷惑するのです。農林省の中にりっぱな職員がたくさんおありなのだが、たまたまつまらぬことをやるのでみんなが迷惑してしまう、社会は九割九分までがこうじゃないかと疑いますので聞くのであります。まあそれはいいとしましょう、この点はまた責任者に伺いましょう。  そこで話は元に戻りますけれども、九月二十二日でありましたか、大臣が東京にお帰りになりましたときには、今度は相当新しい構想が発表されたはずでありますね。当時新聞にも伝わっておりましたようですが、カリ輸入の方式について相当従来と変った方式が発表されたと私も記憶しておるのでありまするが、その点はいかがですか。
  116. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 十月十八日ですか、カリ輸入方式の合理化についてという基本方針を決定いたしました。それに基きまして国別輸入協議会というものを作って、先ほど申し上げました生産国に対して統一ある交渉をすることにいたしたように思っております。
  117. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたはよく御承知でないです。それなら檜垣さんに伺いますが、河野さんが日本に帰ってくるや直ちに新しい方式の話があり、あなたの方では何回も会合をやって、この十月十八日でありますか、それに至ったのであろうと思いますが、少しこの間の経緯を話して下さい。
  118. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 ただいまお話がありました通り、九月に河野農林大臣が欧米の旅行を終えてお帰りになりましたときに、たしか羽田の空港における新聞記者会見で、自分の欧州渡航中に先方のそれぞれのカリ輸出代表者等と会談をした結果、日本側の要請に対して基本的には了承をするという約束を得てきたので、これを実現するために国内輸入態勢の整備をした上で、全般的の肥料価格安定の一環としてそういう目的を達成するようにいたしたいという趣旨のことを発言せられたことを私も記憶いたしております。
  119. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それからあとにカリ輸入の協議会ができるまでの間に、やはり政府としてしばしば業者も招きあるいはひざを交えて協議なさった事実はあるのじゃありませんか。
  120. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 それ以前からカリ輸入についてはなるべくわが国に有利に買いつけたいという努力はいたしておったわけでありますが、ただいま申しましたような基本的な考え方から、対外的に外国の独占的なカリ輸出機構というものに対抗して、統一的な交渉ができるような態勢をとりたいという考え方は初めてのことでありましたので、そういう趣旨についての了解を求め、業界の協力及び業界の自主的な解決策への道を考えてもらいたいということで、農林省と業界あるいは業界内部においてしばしば相談あるいは懇談等があったことは事実でございます。
  121. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 樋詰通商局次長に伺いますがカリなどの輸入業者を選定いたしますについて、大体資格基準というのはどういうことになるのですか。
  122. 樋詰誠明

    樋詰説明員 従来は外国のカリ輸入業者からのオファーを取ってきた人間に対して割当をしておったわけでございますが、ただいまのお話にございました三十年の秋、これはよく御承知の通りでございますが、カリ東独におきましてもあるいは西独フランスあるいはスペイン等におきましても非常に供給者が強い。ことに西独フランスあるいはスペイン等におきましては完全にカルテル化しているといったような事情もございまして、そこに日本のたくさんの業者が何とかして自分の方にオファーをほしいということで買い向うということで、運転市場として独占的な商品ということから、とかく日本側の不利な値段その他を押しつけられやすいといったようなことから、たまたまカリ輸入業界の方々皆さん相談の上で、農林省の御指導等もあったわけでございますが、その上でできるだけ過当競争の弊を避けて買付の一木化をはかり、具体的の取引については大体代表者あるいは当番幹事といったようなものがきめた条件で個々の商社取引をするということは、これは通商政策の面から申しましても、現在日本で一番悪い過当競争というものの弊がなくなるということでもございまして、通産省といたしましてもそういうふうに向うが一本で出るときには、こちらもできるだけ態勢を一本化して買い向うという方針はけっこうな方針ではないか、こういうことから三十年の秋、たまたま業界でそういうふうな気運が醸成され、受入れ態勢も整ったという以後は、一応それまでの輸入実績が二千五百トン以上あった方、大体それらの方々が継続してカリ輸入し、また実際にカリを扱うに最も適した方というふうに認定いたしまして、二千五百トン以上の実績をお持ちの方々に対して割当をするという発表をいたしております。
  123. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 その発表は三十年の何月でありますか。
  124. 樋詰誠明

    樋詰説明員 三十年の十二月でございます。
  125. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで伺うのでありまするが、東独カリ輸入協議会は三十年の十月にできましたことは、これは農林経済局資料によって明らかでありますが、この東独カリ輸入協議会のメンバーはどこどこですか。
  126. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 輸入カリの協議会は日綿実業岩井産業伊藤忠商事、東京食品相互貿易の五社であります。
  127. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところが二十九年にはそのほかに四社あります。三十会計年度にはそのほかに三社入り、これを除外して五つの会社によって協議会が設立されておる。今通商当局の御説明によると二千五百トンの輸入実績のあるものが入り得るようであります。以前にはオファーをとってきたものを選ばれたようであります。ところがこの政府提出資料によると、またさきに御説明答弁になった趣旨に徴しましても、このうちで東西交易は二十七年で一万二千七百七十七トン二十八年に一万五千余トン、二十九年に千三百余トン、片倉は、二十七年で八千三百余トン、二十八年は六千百余トン、二十九年で八千五百余トン、三十年三千五百余トン、日東物産は二十八年が二千七百余トン、二十九年が四千四百余トン、三十年が千八百余トンなどなどであります。こういうような非常に大きな実績を持っておるものが全部除外されたのは一体どういうわけなんです。
  128. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 これは先ほど来申し上げますように、FOB建の取引をしよう、こういうことをやっておりますので、FOB建の取引をいたしますと、現地に支店等がありまして向うで配船その他をやらなければいけませんから、現地に支店あるいは出張所のないところはこの際そういう協議会の中へ入らぬ方がいいだろうということで、自発的にこの三社は協議会から抜けていった、こういうようなことになっております。
  129. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 前の委員会のときにはあなたの方で、支店を持っておらぬからという御説明が実はあったのであります。ところがすでに御説明がだんだんあるごとく、商社が一本になって代表者を派遣して交渉する、こういうようなことも言われておる。それからまた過去の実績が、ことに何万トンも入れたような会社もあるわけであります。その会社を先方に機関がないから、また将来作る可能性の有無は別として、ないからこれを除外するのがいいだろうということになったというのですが、一体それを入れないということは、だれとだれとの御協議によって決定したことですか。
  130. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 御承知のようにカリ取引は大体一年間をどうする、そのうち上期と下期をどうする、こういうふうに基本的な問題についての交渉があるわけです。これにつきましては協議会の代表が一本で協議する。それに基きましてそれぞれの協議会のメンバー取扱い数量はどうするかということは、また協議会の中できまる。その数量がきまりますれば具体的に何丸で何トンどこから積み出す、こういうことをやるわけです。そういういろいろな手続をやらなければいかぬ、その場合に商社として現地に支店または出張所がなければ、そういうこまかい手続は困難であろうということから、現地に支店、出張所のないものを除外する、こういうことになったのであります。これは結局FOB建をするという政府の慫慂に応じて、業界の中で議論を重ねた結果、結局理の当然といいますか、理屈負けしたと申しますか、現地に支店がなければそういうことはできないということで、三社が辞退した、こういうことになっております。
  131. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 半面から見れば、だんだん御説明のごとくに、激しい競争の経過をたどっておるとわれわれは判断しておるのであります。現に日綿実業が総代理店を獲得したけれども、実際においていわばけ落されたことになっておる。政府が役人を派遣して交渉する際も除外されておるという事実がある。そこでそういうような経過にかんがみるときには、かりに支店がなくてもまた出張所がなくても出張員というものはあろうと思うのです。また派遣し得ると思うのです。かりに東独になくてもフランスにおるかもわからぬ、ロンドンにおるかもわからぬ、ニューヨークにおるかもわからぬ、あるいはカナダにおるかもわからぬ、そういうものがかりにおらない場合でも、連係する会社間の横の連係によって協力することも可能であるかもわからぬ。そういうような辺についてあなたの方は一体十分に検討したのかどうか。むしろそうじゃなしに、これはおっかぶせでこの選別をやって、そうして三社を除外するというふうにしたのがほんとうじゃないだろうか。私はそういうような決定をなさるというのは少しどうも行き過ぎじゃないかという印象を受けるのです。それは何ですか、懲悪をして理論負けして辞退したというのは、ちょっと表向き筋が通るようでありますけれども、そんな慫慂をすることを一体どこできめてどういう方法でそれぞれの商社に向って慫慂したのですか。
  132. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 十月十八日の基本方針によりますと、結局今申し上げた片倉、光興業日東物産、こういうのはおそらくこれは主として国内販売会社であります。外国貿易まで手を出すか出さないかということとは相当議論があったところだと思います。しかしこのそれぞれの会社では外国貿易をやるだけの能力、今後そこまで手を伸ばす意図もなかったように承知しておりますが、そこでその代償としまして、輸入協議会の結成に際して、従来の輸入業者で直接参加をしない業者の措置については、協議会の自主的調整によるものとするとか、従来取り扱った数量程度相当の条件のもとに優先的に内販をし得るように措置する、こういう一項が入っておりますから、そこで妥協ができたものと考えております。
  133. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 私は利益を交換して妥協したという点を伺うのじゃないのであります。通産省の方針によっても、二千五百トンの輸入実績のあるものは、一応その線に入れるというお話なんであります。これは私はわかると思う。現に、たとえば片倉肥料にしても、二十七年も八千トンをこえ、二十八年も六千トンをこえ、二十九年も八千トンをこえ、三十年も三千トンをこえておる。ところが一方東京食品というのは、二十七年はゼロ、二十八年は三千六百トン、二十九年は三千二百トン、三十年になると一躍一万トンにふえておる、こういうことになっておるのであります。だから主として国内販売店かなにか知りませんけれども、一万トン近いカリ輸入をしておったものを、主として口内販売店というようにけなしてしまうというようなことは、少し行政庁として行き過ぎじゃないのでしょうか。これは何も片倉というのが、どこに店があるか私は何も知りませんけれども、あなたの方の出している表から見ると、いかにもこれは奇怪ですよ。やはりこれは商社の利害が輻湊しておるときに少し行き過ぎだという印象をどうも受けますが、こんなものまでも引っ込めてしまえ、一体五つの会社と八つの会社の場合にどれだけ違うのです。メンバーが五つであろうと八つであろうと、それが一本の協議会になって一体どれだけ違うのですか。第一日本肥料貿易の上に一体どんな影響をするのでしょうか。もし向うに店がないというなら、せっかく相当なこういうのは犠牲も払っておるのだろうと思うから、特に過去における大きな実績があるのでありますから、むしろ慫慂するなら助長する慫慂がしかるべきだと思うのです。首切ってしまうとは一体何ごとですか。ここの委員会におきましてもこれは去年からだんだんと検討しておるのだが、米の輸入においても、昭和三十年に四十何社あったのを河野農林大臣が二十八社に限定してしまったのです。そうして去年の二月でしたか、実績のないものは今後の輸入資格を与えないのです。あなたは御承知かどうか知らぬけれども、今食糧庁が見えておったらよく御承知なんです。輸入をそう独占するという傾向を助長することは国民は不可解すでよ。だからこの際の慫慂は、むしろ大きな輸入の実績を持っておるものを生かしてやるようにしたらどうなんです。これも百も二百もあるなら別ですよ。群小競争なら別ですよ。アメリカあたりの過当競争とは実態が全く違いますよ。そこで五つや六つの商社の間でも実に醜い競争があるのですから、八つを五つにしなければならぬとは一体どういうわけだ。過当競争の弊をためる。言葉はわかりますよ。言葉はわかるけれども、この場合どうも大きな実績を持っておるものに煮え湯を飲ますとか、首を切ってしまうというやり方が少し私は行き過ぎだと思うのです。国内問題であるからあとで何か入れ合せをして利益を与えてやったということはいらぬことですよ。そんなことまで一体肥料行政というものは干渉するのですか、国内販売についてまで一体あなたの方はあちらへ利益を与えてやれ、こちらへ利益を与えてやれというような、そんな指導までもやっておるのですか、それをはっきりしましょう。
  134. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 これは先ほど来申し上げますように、C&F取引でありますれば、海外に支店あるいは出張を持たなくても別に差しつかえないのでありますが、FOB建にするとなりますれば、やはり向うで配船の手配でありますとか、その他の手配は現地の仕事になりますから、どうしても現地にそういうものがなければ不可能でございます。お話がありますように、それはどこかにまた代理店を頼んだらいいじゃないかということもあるいは言えるかもしれませんが、そういう点はこの三社におきましては十分検討した上でおそらく、もめたとは書いておりませんが、八社の中で相当議論がかわされた、当然かわされたと思います。その末結局FOB建にしてできるだけ日本の国に有利にカリを買い付けたいという趣旨は認めなければなりませんから、そうなれば私は先ほど申し上げましたように、やはり支店、出張所を置くからおれもこの中に残せという主張をすれば、あるいはこの三社のうち何社かは残ったかもしれませんけれども、結局そういう協議を重ねた結果、三社が輸入協議会から出ていった。こういうことが実態と私は承知しております。
  135. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 もう一つ答弁して下さい。今の答弁、まだ残っておるのですが、一体相手が一本になって、貿易。パイプが一つなんだから、なるべくこちらもまとめて一本の態勢を整えにゃいかぬ。それはわかるのですよ。そこまではわかります。そこまではわかるのだが、そこまで配慮して肥料輸入行政をやっていくのならば、せっかく八つ、これは十ばかりあったやつが八つになっておりますが、せっかく八社あるのなら八社を生かすということについてなぜ考慮しないのか。それも海内技官という人が今世上伝えられるようないろいろな疑獄を起しておらぬときなら、それもいいかもわかりません。起しておることにもかんがみて、過去の事実は一応批判を加えてみなければいかぬのであります。八社を生かす方法をなぜしないのですか。代理店がなければFOBにしないという場合に、何かほかの方法をもってその貿易の結果を来たらす方法はないかということも、これはやはり行政庁としてほんとうに助長するのなら、私はそういうことの方が主眼じゃないだろうか。自分の懇意で、あるいは政府の慫慂で業界のことを考えないというやり方は、これはやはりフアッショですね。そういう考え方があったんじゃないだろうか。ちっともあなたの方は首尾一貫しません。それからもう一つ、後日この三社のために国内の商売が都合よいように話がついたらしいと言うが、一体そういうところまで介入するということをやるのだろうか、どうだろうか。一体農林省肥料課というのは国内の商売のやりとりにまで干渉していくというような、そういうことが実情なんでありますか。
  136. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 私の説明が少し足りないのか——私は今の三社が輸入協議会に残るか、あるいは今の政府のFOB建の建前から、支店あるいは出張所、あるいはそれにかわる方法をやるならば、とてもついていけないから協議会に入らなかった。その間には相当議論があったはずだと思います。簡単にCIF建、FOB建、それはいいことだ、これはもう反対はできないと思います。しかし幾ら建前を変えても、輸入実績がある。その実績を無視する。中で輸入業者相互間で協議をし、それに政府がそうだそうだと言って味方を簡単にするというようなことは、できなかったはずじゃなかったかと思います。相当もんだ末、結局先ほど申し上げますように、やはり海外に支店、出張所あるいはそれにかわる方法を設けることができなかった。従って輸入協議会には入らなかった。しかしそのかわり実績があったということは尊重せいということで、先ほど申し上げましたようなその実績尊重の趣旨を国内販で生かす、こういう話し合いができた。それを基本方針として政府が取り上げた、こういうことでありますので、政府の方で無理々々押しつけた、こういうことではないのであります。またそういうことは今の時世では簡単にできることでないのでありますから、法律でも作ってそういうことをやればまた別でありますけれども、一方的に政府が押しつける、こういうふうには私は聞いておらないのであります。ずいぶん協議を重ねられた結果、そういうふうに落ちついた、こういうふうに聞いております。
  137. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 ところがそうではなしに、やはり今の時世ではなかなかできないことをおやりになるので、今度のような事件が起ってくるわけなのであります。そこで、これはずっと前からの交渉経過あるいは大臣の声明等々、いろいろな経緯にかんがみまして、あなたの方でむしろ積極的にそうあるべきだというのが実を結んだので、やはり業者間の議論で自発的に結論が出たというよりも、あなたの方で原則を示して、方針を示して、その方針によってたとえば整理するという方針が打ち出されておったので、向うに店のないようなものはのいてもらわなければいかぬということを、あなたの方で言っておったに違いないのであります。前回の委員会における質疑応答を読んでみましても、やはりあなたが御答弁になっておる趣旨は、支店がなかった、海外に店がなかったという一本であります。きょうも大体類似でありますが、これは便、不便の問題は業者の自主性にまかすべき限界が多いのでありましてあなたの方は、支店を持っておらぬ、人間が少い、資本が少い、多い、これは要するに選別の基準というもので、選別の基準政府の意思で、その政府の意思が要するに除外してしまった。だから、政府が支店も持っておらぬようなものはやめてもらわなければいかぬという一つの原則を示したから、それによって議論が沸騰するのはやむを得ないですよ。通産省は二千五百トンの実績があるものを認めたいという方針をいっているじゃありませんか。どうして一体そういうことを尊重しないのか。一年に何回運んでくるのか知りませんけれども、常時持っていき、常時とってくるのではないのです。かえってそうではなしに、裏には見返り品を向うに運んでいく膨大な利益がついておるということも見のがしがたい一つの要因ではありませんか。そういうことも要因になっておるのではないでしょうか。そういうところへ政府が一つの方針を示す、向うに支店のない、店のないものは整理してしまった方がいいというような方針を示しますから、それは渡りに船ですよ。そこへ集中していきますよ。そういうことは一体行き過ぎじゃないだろうかと私は思うのです。そこまでいくのは行き過ぎじゃないだろうか。十分に議論するということであるならば、店がないものはのけというのではなしに、店がない場合に、何か手がないか、お前さんの方は毎年年間八千トンも入れよる、それをのけてしまうのは気の毒だから、何か手がないかどうか、それがあたたかい政府ですよ。前後の経過を見るとこのやり方はちっともあたたかみがないのです。あなたを責めるのではないのですよ。大臣が来ないからしようがない。また大臣も、私の就任前ということになってしまう。だからあなたを責めるのは筋じゃないのだけれども、ものの道理は同じことですよ。もしあなたが立場をかえてその地位になってごらんなさい。毎年八千トンの輸入というのは大へんですよ。ことにその三社は向うに店がないのです。支店がないのです。東独といったら共産圏の国でしょう。その国に入って年間八千トンのカリ日本に運んでくるという努力は、並々ならぬものだろうと思う。それをぼやっと、喜んで返上します、そんなものは日本じゅうに商社としてありませんよ。あなた御自身がその立場になってみなさい。あなた御自身がその立場になりましたら、ほんとうに悲憤やる方なく、憤死しますよ。暴政をのろいますよ。もしその地位にある社長が国会に席がありましたら、国会で爆弾的な議論になりますよ。そういうものは何もなかったに違いない。また商売人は弱いものですよ。今おっしゃるように、いろいろな立場で制肘を受けるような弱い立場にあるから、そういった人々は涙をのんだかもしれぬ。おそらくあなたも感をひとしゅうするだろうと思う。きょうはあなたは冷静にものを言われていいのです。いたずらに過去を弁解する必要はないのです。いけないのならいけないと堂々と言ったらいいと思う。それがほんとうの日本の役人ですよ。河野さんといえどもだれといえども、あなたは不覊独立の立場できょうははっきりと言うていただいたらいいと思う。私はどう考えてもこの経過にかんがみて納付できませんよ。一万トン近いものを入れよったものを首切ってしまって喜んで、主として国内販売業者でありました。そんなことを言われたら、気の小さい人だったらほんとうに憤死しますよ。首をつりますよ。私は小さい貿易業者の苦しい立場なんかを現実に知っておるものもたくさんあります。貿易業者が物を入れて、物を出す苦心はなかなか大へんなものです。大へんなもので、ことに共産圏の国から入れてくるというのは、やはり相当の努力があったろうと私は思う。それを八つのうち三つ切ってしまう。その三つを、大きなところは切ってしまって、小さいのは残しておる。たとえば東京食品は三千二百トンや三千六百トンじゃないですか。二十八年、九年は。そうですよ。片一方は二十八年は六千トン以上、二十九年は八千トン以上なんだ。それが三十年になると一躍して東京食品は一万トンをこえておる。こういうことになるのでありますから、こういうことを見ましたら、この数字の並んでおりますことが事実を雄弁に証明しておると私は思います。これは非常な行き過ぎじゃなかったかと思うのです。農林省肥料行政の相当な行き過ぎがあったのではないかと思う。これは海内君がやったのか、それともあなたの方の前の農林大臣がやったのかそれは知りません。知りませんけれども、いずれにしても得たり賢しで、ある業者に利益を与え、ある業者の利益を奪う、そうしてこういうゆがめられた結果になる。そしていわく、相手が一本だからこちらも一本の態勢を整えなければいかぬ、ごもっともなようで、裏を引っくり返しますと実にこれは見るにたえぬ、私はこう思います。あなたは自分がやったことじゃないのだから、一々実際記録でも読んで答弁せなければならぬ苦しい立場はわかりますが、あなたがほんとうに業者の立場であるか私の立場であってごらんなさい、感じをひとしゅうしますよ。私はこれらの業者にだれも聞いておりませんけれども、純粋に考えまして私はこれが当っておると思うのです。ことに日綿実業にしましても、日綿実業のその後の実績はどっと減っておりますね。日綿実業もこれは一手販売権をとって、総代理店の権利をとって、そして三十年から三十一年で漸減していっておりますね。三十一年になりますと二万三千トン、多いときは七万トンから入れておりました。そうして東京食品が一万トンをこえておる、岩井産業は一万トンをこえておる、こういうことになっておるのであります。こういう点から見まして、相当なこれは行き過ぎじゃないかと思うのです。まあ私の意見ですけれどもあなたはどう思いますか。
  138. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 ただいまお話がありましたように、C&F建でありますればこちらの店だけで処置ができるわけであります。港へ荒いたものだけを買えばいいわけであります。FOB建になりますと、向うでシッピングの一切の世話をやらなければいかぬのでありますから、そこの間が非常に違うので、その建て方に反対するのであればこれはまた一つの議論ができるだろうと思います。その建て方を了承すれば——これはC&F建をFOB建に建てるのをのむ限りは、向うに支店あるいは出張所がない者は、それはお話のように非常に腹が立ち、自分の権利を奪われる、こういうふうな言い分もあると思いますけれども、大前提を変えることを了承すれば、新たに支店、出張所あるいはそれにかわる何らかの方法を考える以外には議論として太刀打ちできないんじゃないかと思います。従いまして今のC&F建をFOB建に建てることは悪いのだという議論に立たない限りはやむを得ないんじゃないか、しかしやむを得ないで泣き寝入りはできないから、先ほど申し上げましたような内販によって——従来のC&Fで買うということは内販とあまり変りませんから、その実績を尊重する、こういうことになっておる、こういうふうに考えます。
  139. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 たとえばかりに八千トン入れましてどのくらい純利益がありますか。概算でよろしゅうございますが……。
  140. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 大体C&F建の場合には一%ぐらいの利益を見込んでおったようであります。しかしこれは価格の指示がない場合には相場に応じてその利益の見込みが変ってくると思うのであります。
  141. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 前の肥料課長に聞きますが、当時一体八千トンぐらい入れてどのくらいもうけておったのですか。あなたの勘でもよろしい。
  142. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 当時の輸入業者が取りましたマージンは必ずしも明確ではありませんが、大体総額の一%程度であったのであります。指示価格の場合に元卸価格を含めまして二・五%ぐらいを見込んでおったのでありますが、大体インポーター・マージンというのは一%ぐらいというふうに推測いたしておったのであります。そういたしますと、八千トンの輸入をいたしますと、単位を間違えていないと思いますが、トン当り約八十ドルとしまして六十四万ドルぐらいになりますので、一%は大体六千四百ドル程度のマージンになると思います。ただしこの中には輸入のための連絡の諸経費でありますとか、われわれが明確につかむことのできない経費、連絡費のようなものが含まれてこのマージンを取っておったというふうに考えております。
  143. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうすると、六千四百ドルというのは円に換算しますと幾らになりますか。
  144. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 概算でございますが、二百二、三十万円程度になると思います。
  145. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これでは一つ問題の前提がはっきりしないのであります。一年に二百万円ももうけておったというのはちょっと考えられませんが、それはともかくといたしまして、そうするとFOB建に取引の方式を変えるということで政府の措置によって各商社に売り渡す、商社はそれによって整理をせざるを得なくなってくるのです。しかし元来が許された貿易をやっておった。それを政府貿易ができなくなるという一つの方式を打ち出して、それに従わしめるというような場合には、これは一つの法律論のようでありますけれども商社はもし向う代理店あるいは代理人あるいはいろいろな関係者を持っておった場合は大へんな損害になりますね。またこの八千トンにしても、八千トン入れるためにいろいろな施設があっただろうと思う。これは抽象的な問題でありますけれども、そういうように政府が一方的にああしろこうしろということによって商売ができなくなってしまうという場合には、これは一体国民の営業権を侵害することになるのじゃないか、国民の正当な貿易上の業務を侵害することになるのではないかと思うのですが、こういうことは一体お考えになったことはあるのですか。
  146. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 先ほど来申し上げますように、この片倉、光、日東物産というのは、日本に着いたものを買うわけであります。インター・オアーならインター・オアーの店がこちらにありまして、それと取引しておるわけであります。ですから、こちらの工場で買うのと同じ条件になっておるわけです。従いまして、今度はFOB建にするということになれば、そうはいかないので、向うに人をやって、向うで船積みから一切の世話をやらなければいけないわけです。そこのところが非常に違うわけであります。そこで、先ほどから申し上げましたように、C&F建をやめてFOB建にすることが、今までC&F値段で買っておったのを買えないようにする結果になるから、営業権の侵害になりはしないか、こういうお話になるのでありますが、そこのところは、日本のFOBで安く買うという利益とのにらみ合いになるのではないか、こういうふうに思います。
  147. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 しかし、他の商社東独取引するために——取引するためというのではないでしょうけれども、それぞれ先方の国などに店を持っておる、人も派遣しておるということである限りは、これらの除外された業者にしても、日本の港以外には全然何らの機関もなかった、こういうことになるというのですか。
  148. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 東独カリは原則としてハンブルグから出すわけであります。ですから、ハンブルグか、パリか、ボンか、その辺にやはり出張所なり支店がなければ、向うの世話はできないことになります。この三社については、そういうものはなかったのであります。
  149. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 私が聞くのは、全く店はないにいたしましても、やはり東独カリを入れるというときには、いろいろな経緯があっただろうと思うのです。その経緯があった場合には、ハンブルグならハンブルグにしろ、あるいはその他にしましても、何らかの関係する者がおるとか、あるいはおらないまでも、関係先があるとか、何かそこに一種のお互いのつながりになるものがあるのではないだろうか、こういう点なんです。
  150. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 それは先ほどから繰り返して御説明いたしますように、向うの売り手の方から日本に持ってきて売っておるわけですから、向うには何にもなくていいわけです。こちらで取引ができたわけです。現に何もなかったのであります。
  151. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 それであなたの方におきまして、これらの商社に対して、そういう設備を持っておらなかったというので、これを除外してしまったということは、いろいろな角度から見まして、これは少し意見の違いになるかもわかりませんけれども、私は相当な行き過ぎがあったと判断せざるを得ません。そこで、農林省といたしまして、これらの各商社関係が整理をされ、あるいは日綿実業も総代理店資格を失った、こういうような場合に、その間に、今問題になっておる海内君につきまして、いろいろと伝えられているところがあるわけなんであります。あなたの方にいたしましても、これは庁内のことであるから、相当事件は明確にせられたものと思うのだが、三十年の八月の当時に、業者から相当な金品を受け取っておった、そういう事実はお調べになったのですか、なりませんか。
  152. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 海内が逮捕されましてから新同等でいろいろなことを見ておるのであります。その前にそういうことは全然承知しなかったのであります。
  153. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 あなたの方はその後課長その他を他へ転じております。職を転じております。いろいろな措置を講じておられるのだが、犯罪になるかならぬかは別といたしまして、ともかく東独カリ輸入等に対する交渉経緯をめぐりまして、海外に旅行いたしましたこの海内技官が、商社から相当な金品を受けたということは、新聞以外にはあなたの方では全然調べもしてないのですか。これが犯罪になるかならぬかは別といたしまして、やはり少くとも庁内の綱紀を維持する上におきまして、そういう報道があれば私は調査をすべきだと思う。それとも司法権に遠慮してしないのであるのかどうか。その方へまかしておいてそういうことは全然しないというのが農林省の習慣であるかどうか。それならばその以外の人についてもあなたの方では何ら取り調べもしなかったのかどうか、全然他人のすることにまかしておるのかどうか、これらについてはどうなんです。
  154. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 私昨年の六月に経済局長になったのでありますが、経済局の仕事は業界と非常に関係が多いのでありますから、就任早々そういう点について注意をするように課長会議でも申しましたし、常日ごろそういうふうに気を使ってきておったのであります。事の性質上どちらかからそういうことがひそかに耳打ちされるとか、どこかで見つけるとかしない限りなかなかむずかしいのでありまして、私の方で注意を与えておりますけれども、具体的にだれそれはどうやっているのだ、だからどう直せ、こういう点は海内に関してはやっておりません。ということは、そういう事実があるということを不幸にしてようつかまなかったのであります。
  155. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 これは事後のことでありまするので、あなたの方でお調べになってもちっとも悪くないと思う。やはり事実がないのに世上に伝えられたら、本人まことに迷惑です。しかし、事実がありとするならば、あなたの方は事実はありならありとして適当に処置をなさるべきだと思う。ただし本人が今捜査の段階にあるのか、起訴されたか、それは存じませんけれども、そういう容疑の対象になっておるのであるから、それは調べたけれども、ここで申し上げにくいというのなら、われわれもそれはわかります。そういうことはよくわかりますが、しかし今のお話によれば、新聞に書いてあるのを見たけれども知らない、調べもしていないというのでは、一体そういうことで私はいいのだろうかと思う。それならば全然手をこまぬいて待つということになるのであろうか、どうであろうか、それならば、内部の職員をそれぞれ他に転じろというようなことを一体どうしてやるのか、非常に迷惑じゃないか、こう思うのであります。一切が、もう何もかもが最終判決があるか、あるいは起訴しないことが確定するというときを待ってするならば、それならばそれでよろしい。けれどもそうじゃなしに、もう過日それぞれ異動が行われておる、こういうこともあるのであります。これはやはりお調べにならなければならぬ、それならば海内についてお調べになるのが当然であろうと私は思うのであります。けれども繰り返して言うておきますが、海内が数百万円の金を甲乙丙丁の商社から取ったということは、すでに世上伝えられておる。そこでそういうことについての真否は、調査はしたけれども結果はここで申し上げにくいというのなら、われわれはそれは了承します。そこまで私どもはついていこうとは思わぬけれども、ともかく東独カリのこの輸入問題をめぐっていろいろな変遷の跡というものは、行き過ぎだとか無理だとか、われわれ常識で考えにくいことが幾つも散見するのであります。そういう印象を受けるのです。そこで不幸にしてまた商社から金を取ったということが伝えられる、これはきわめて重大なこととして、あなた方の方は調査すべきだと思う。それでもなおあなたの方はしないというのであるなら、私は農林省怠慢だと思う。それなら怠慢ですよ。当然私はなすべきだと思うのです。司法権は司法権、捜査は捜査、あなたの方はあなたの方、あなたの方としては当然行政上の監督の責任もあるのです。いろいろなことをうわさされておっても私の方は知らないのだ、そんなことは通りませんよ。個人じゃないのですから、会社じゃないのですから。あなたの方は農林省なんです、政府なんです、行政府なんです。当然あなたの方はそれぞれ上司として、部下に対する監督の責任もあると思うのです。どうでございますか。
  156. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 お話の点は海内が逮捕される前のこととあとのことと二つに分れるのではないかと思うのです。先ほど申し上げましたのは前の方のことであります。前の方のことにつきましては、役人としてすべからざることは厳重に戒めておったのでありますが、海内についてはそのことがわからなかったのであります。その後につきましては、ただいま、先月の終りに海内が起訴されまして調べがだんだん進行しておりますので、私の方でとやかく言う筋ではないというので、そう深くあれしておりません。
  157. 細田綱吉

    細田委員 関連して。先ほど来渡部局長の御答弁を伺っておると、片倉肥料光興業日東物産等の諸貿易商の除外された原因が、C&FからFOBに移った、だからこれらの商社が除外されたと、こういうお話ですが、C&FからFOBに移った経過を前の檜垣肥料課長から一つ御説明を願いたい。
  158. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 C&F建からFOB建にかえて新しい形の取引形態を打ち立てたいという考え方及びそのための国内態勢の問題は、渡部局長から御説明申し上げた通りでございますが、海内技官が渡欧しました際に、東独に対してFOB建の取引を開始することを要請をいたしましたところが不調に終ったことも、ただいままで御説明通りでございます。その後国内態勢の整備もできましたので、東独カリ公団日本代理店であります日綿実業と、それから東独カリ輸入協議会の代表との間にFOB取引の開設及びFOB取引折衝が、三十年の十月の半ばからおおよそ一ヵ月半にわたりまして行われたのでありますが、これも東独本国における態度の反映としまして東京でのそのような折衝は成功を見たかったのであります。そこで、概略を御説明のつもりで資料でも提出をいたしておりますが、十一月の下旬になりまして春肥の手当も差し迫っておりますし、また日本としてはそういう新しい取引形態の開設、値下げ交渉ということを始めた終末をつけなければならないという差し迫った事情になりましたために農林省として私にその問題解決のために渡欧を命ぜられたのでおります。結局私も十二月の初めに日本を立って渡欧いたしまして、東独政府貿易商及びカリ公団と、ただいま申しました二点についての交渉を約一週間行なったのでありますが、その結果につきましても御説明資料として提出をしてありますが、東独側としましてはFOB取引の開設という点については原則的には了承をするということであったのであります。ただ、すでに昭和三十年下期の予算としては十月—三月の予算でありまして、かれこれ一ヵ月に近いおくれがありましたために、向うとしてはすでに配船の手配も終っておるということであるから、会期はC&F建でやってもらいたい、ただ原則的には了承をする、次の期からFOB建の実行について協力をするから、具体的にはそのときに相談をしようということに相なったわけでございます。その次の期すなわち三十一年の上期から東独カリにつきましては全量FOB建の取引を行うことになった次第でございます。
  159. 細田綱吉

    細田委員 そうするとFOBになってからの配船状態は日本の船で運んでいるのですか、あるいは他国の船で運んでいるのですか。
  160. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 FOB建になりましても、御承知の通りカリの春肥の輸入だけで約六万トン以上というような数量でございましてこれは船腹トンに直しますればかれこれ十万トンに近い船腹を要するわけであります。そのために欧州航路につきましては日本の船はそれほど多くないわけであります。従って邦船の利用率はせいぜい二、三割の程度にとどまりまして、他は外国の船舶を利用いたしております。邦船の手配につきましては、従前は全く日本側商社は手は出なかったのでありますが、邦船については日本商社側において配船の手配をする、外国船につきましては一部日本商社が配船手配をすることが現状においても可能でありますが、大部分は今の商社の力ではなかなか困難な事情にありますので、先方に配船を依頼したような格好になっておる部分があるわけでございます。
  161. 細田綱吉

    細田委員 そうすると、私には農林省がC&FからFOBに移してくれという東独政府に対する請求の根拠というか、必要性がどこにあったか、ちょっとのみ込めないのですが、あるいは経済局長答弁しておったかもしれませんが、あなたからもう一度、なぜFOBに直さなくちゃならなかったかという原因というか、理由をお述べ願いたい。
  162. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 これは通産省の方が、そういう全般的な事情についてはよく御承知でもありますし、適当かとも思いますが、私どもの知る限りにおきましては、元来対等の貿易をいたします限りにおいては、FOB建の取引をし、船については買手が用意をするというのが、普通の姿ではないかと思うのであります。ただ従来は先ほどからも申し上げております通りカリについては輸出国側が、世界の市場に君臨をするような格好になっておりますために、日本も何十年にわたる長い間C&F建の取引をして参ったわけであります。そういたしますと、海上運賃が高騰をし、あるいは変動をしておりますような場合には、向う側がC&F建でオファーを出します際には、安全を見込んで常に高めのフレート、海上運賃にくっつけてオファーを出してくるわけであります。その際に日本側としては、より安い船を見つけることは可能であるということがありましても、そういう船の配船は不可能になって参ります。それでちょうど昭和三十年の初頭、大体当時ハンブルグー横浜間は十ドル前後のフレートであったのでありますが、国際景気の上昇と、それから欧州における異常寒波の襲来のために、国際フレートの急激な上昇が見込めるような事情にありましたために、この際日本としてはできるだけ安い船を見つけたならば、それをみずから使用することにいたしたい。そのことによってカリ輸入価格の引き下げに資したいという考え方から、C&FからFOBに切りかえたい。その点が一点と、それからこれは通産省とも御相談申し上げ、通産の行政にも適合するというお話であったのでありますが、貿易商としましては、日本の指定港へ着いたものを輸入するということでは、貿易業務の強化という点には役立たない。できるだけFOB買付を行なって、配船の手配、いわゆる貿易業務の内容をなしますチャーターの仕事、配船の仕事というものを行うことによって、カリ貿易の業務の拡充にも資したい、そういう点から、われわれはFOB取引の開設をいたしたいと考えたわけであります。
  163. 細田綱吉

    細田委員 なるほど檜垣課長お話は一応の理由はあると思うけれども、いま一点、輸入商社を縮小してしまって五社に限定しておる。五社に限定してしまうと、あなたの今おっしゃったような点は、確かにそういうこともあると思うのだが、今度は原価で、ネットはこれでございました。ただ五社で言い合せればいいのだから、ネットはこれでございました。従って運賃はこうで保険料はこうでございまして、この関係があなた方には見られない大きな幅が出てきて、日本貿易の本来の姿はFOBだとかなんとかいったって、それよりもむしろ商社の方をもうけさせる率の方が多くなるのじゃないか。今言ったように五社に限定している。われわれが今までの説明を聞いていると、FOBに移した、そして輸入商社を限定してしまっておる。縮小してというか、減らしてしまうということは、ごく少数の人たちを独占的な関係に置いて、そうして東独のネットはこうでございましたといっても、わかりはしない。御承知のように、東独は共産圏としてカリ政府の仕事ですから、C&Fで持ってきたって、国の貿易ですから、そうむちゃなからくりは私はないと思います。ところが五社に限定してくると、今度はネットがこうであった、運賃はこうであった、保険料はこうであったと勝手に計算されてもどうにもならない。こういう点は、どういうふうにしてあなたの方でチェックしておったのでありますか。
  164. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 御質問を受けました御真意を確実に理解いたしておりますかどうか、ちょっと自信がないのでございますが、五社が三十年下期の予算から東独カリ輸入を扱うようになりました経緯については、経済局長から申し上げた通りでございますが、五社になりましたから、それがたとえばFOB建になりましても、その独占的な位のために、どういうふうな値段を言われるかわからない。国内への輸入コストがどうなるかわからないという点は、通産省に対して提出されます公式の外貨割当申請書によって明瞭になるわけでございます。FOB建価格幾ら、それに対してはオファー——正式には何というたか知りませんが、オファー・シートでございますか、向う側がサインをした、幾ら幾らで出すことを契約するという正式の文書をもって申請されるはずでありますし、また船舶の用船のための経費につきましても、チャーター・パーティをつけて証明を出した上で外貨申請をいたしますわけでございますから、その間のコストは通産省で明らかになるはずでございます。  それから国内におきます価格につきましても、私どもがそういうふうにカリの値段をできるだけ安く輸入をいたしたいという希望は、先ほども申しましたように、海上運賃の高騰によって放置いたしますれば、末端におけるカリ価格が上昇することは明らかであるというふうに当時考えておりましたので、従って安くなったFOB価格あるいは有利な配船をいたしました結果は、政府が当時指導的にとっておりました指示価格に織り込みまして積算をやり直して、元卸以下の冬段階の指導価格を作ったのであります。従ってそういう方式の改訂による利益がインポーターに全く帰せられるというようなことは、私どもとしては考えてもおりませんでしたし、また実行でもそういうことはなかったのでございます。
  165. 細田綱吉

    細田委員 それではFOBになってからC&Fの当時と——スエズ問題が起きてからはこれは別ですが、その前には数字的にどれだけの値下りがあったか、御説明を願いたい。
  166. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 非常にお答えに困難な御質問でございますが、カリ輸入合理化のための交渉の結果としまして、FOB価格としては、東独では低度品についてトン当り約三ドル、高度品については一ドルの値下げをいたしたわけでございます。従いましてFOB自身のところでくくりますれば、これは全体として約十二万トン程度のものが一年間に入ったのでございますから、全額にしまして十五、六万ドル程度下ったと私は推算をいたしております。だから、あとC&F建にしたから、日本のC&F価格でどれだけ下ったかという御質問は、非常に説明に困難でございます。と申しますのは、一定のそのときにFOB建にしなかったならば一体幾らで入っただろうかということは、比べようがないわけでございます。ですから船賃は御承知のように三十年当初から今日といいますか、スエズのときをピークにしまして、一路上昇をたどって約十ドル程度の船賃から最高二十四ドル程度まで上ってきたわけであります。従いまして、これをもしC&F建で買ったならばどうなるだろう、それを比べてみろといわれましても、ちょっと困難でございまして、数字をもってお答えいたしかねるのでございます。
  167. 細田綱吉

    細田委員 それではあなたの言う十六、七万ドル、あなたの計算でいえば、FOBになったから安くなったというか、得をしているというか、下っているというが、その数字の根拠はどこから出たのか。
  168. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 これは三十年の八月、海内技官が渡欧いたしまして以来の交渉経過をたどり、私の東独へ参りました際に、当時これは資料にも御提出を申し上げておるのでありますが、FOB建価格で、たとえば三十会計年度におきます四—九月の低度品の価格では、FOB建四十九ドル四十五セントであったわけでございます。それを三十会計年度下期、つまり交渉妥結後の価格は、四十六ドル・ジャストということで、これは三ドル四十五セント、約束は三ドルであったのでありますが、実行上は向うが勉強したとみえまして、三ドル四十五セント下っております。それから高度品につきましては、三十会計年度の四月—九月の予算で、FOB五十一ドル二十一セントのものが、三十会計年度下半期につきましては、五十ドル十四セントになっておりまして、一ドル七セントの値下げになっておるわけであります。
  169. 細田綱吉

    細田委員 通産省説明員の方に伺いますが、ただいま前肥料課長が言ったような、チャーターか何か知らないが、船賃の証明あるいは先方の原価の証明、そういうものがあなたの方へ一々報告されておるのですか。
  170. 樋詰誠明

    樋詰説明員 これは買付の際に、全部業者から向うの確定のオファーの正式の書類を添付して参りますので、今檜垣課長から説明した通りの数字を、われわれも商社から、こういう値段で買います、FOBは幾らで、運賃は幾らということで、この書類に基きまして安いものから割り当てるという格好になっております。
  171. 細田綱吉

    細田委員 通産省の方のいろいろな割当だとかバランス等の関係で、そういうものは一応業者から整備されるということはよくわかるのですが、それらのものは絶対に確かな——従来の経験からですよ、絶対に確かなものであって、業者がその間いまだかつてそれをごまかしたというか、事実と相違した実例はないほどに確かなものなんですか、どうですか。
  172. 樋詰誠明

    樋詰説明員 一応向うの正式のサインのある、これだけで売りますという証明のある書類でございますので、われわれの方としては、それは絶対に確かなものであるということの前提のもとに、外貨割当をやっております。
  173. 細田綱吉

    細田委員 これは大臣に聞くことかもしれませんが、局長に聞くのですが、今吉田委員もあなたに伺っていたのだが、本件の問題が起きて、あなたのところをかなり転勤された。これはどこの官庁もそうさしているようだから、あなたをここで責めるという意味ではないが、転勤制度というもの、あなたが今度やられた転勤をさしたということについて、これはどうお考えになるのですか。私どもは、こういう問題は、お前の関係の仕事の中で起きたんだ、風当りが強いから、お前ちょっとこっちへ移れ——何のことはない、この転勤というのは本人を救済する策ですよ。最後まで責任を負えというのだったら、これは途中なんかで転勤さしてはいけないことなんです。この点どうです。あなたはまあ従来のしきたりでやったんだろうけれども、亘任体制を明確にするという意味において、お考えの余地がある制度じゃないのでしょうか。ちょっと御所感だけ承わっておきます。
  174. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 これは二つの考えがあるのであります。しかし今回の場合は、七月でこの肥料年度が過ぎまして来肥料年度が八月から始まるわけであります。それまでに肥料需給安定法の施行を法律通りにやるといたしますれば、需給計画を立て、硫安の最高価格をきめて肥料審議会に諮らなければいかぬのであります。それの準備は相当激しい労働になるのであります。事務を支障なくやるためには、何と申しますか、ざっくばらんに申し上げますと、これだけやかましい問題になっておりまして、各係も相当責任を感じておりまして、まあ落ちつかないというのが実情でありまして、気分一新して、従来の関係のなかった人があらためてやった方がいいじゃないか、こういうつもりで配置がえをやったのであります。
  175. 細田綱吉

    細田委員 そうすると、今度経済局の異動は、この問題とは全然関係なくして、今後七月、八月は非常に激務だから、まあ一つお前少し静かなところへ行って、また鋭気を養ってこい、こういうふうに、本人の慰労と言っては言い過ぎかもしれませんが、要するに本人救済の転勤であって本件というか、汚職事件には全然関係がない、こう伺っていいのですか。
  176. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 肥料の原価計算をやりますにつきましては、相当肥料界の業者の出した資料審査せねばいかぬわけです。そういう際に、やはり物事を正確につかみますためには、真偽は問題があるといたしましても、やかましい問題になっておるのでありますから、人情といいますか、質問をしますのにも、こちらは真剣でも、相手のとり方が違う場合もありますので、各係長、貞任のある者は全部入れかえた方が、事務の運営に好都合であると、こういうふうに考えたからやったのであります。
  177. 神田大作

    ○神田(大)委員 ちょっと関連……。渡部局長なりその他の方、前肥料課長の方がいいと思うのですが、吉田委員からも質問がありましたが、今度の問題について、東独カリ輸入が全購連事件と非常に関連しておるということが言われておる。その中で特に前農林大臣の河野一郎氏が大きな役割をしておるというようなことは、関係者はほとんど周知の事実のように言われておるのですが、この……。非常な重大問題だと私は思うのです。この東独カリ輸入に関して前河野農林大臣海内技官を伴って行った場合に、どこの業者をどういう関係で一緒につれて行ったか、あるいは向うで待ち合せをしたか、その点のいきさつを詳細に説明してもらいたいと思います。
  178. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 前農林大臣が帯同いたしましたのは、役人のほかは東海硫安の越田常務と、大日本飼料の河田専務、それから伊藤忠の岩田だったと思います。そのほかには前の斉藤文書課長、それから海内、それから岡本漁政部長、この三人の役人をつれて行ったのであります。先ほど申し上げます通り、岡本君は主としてマグロのカン詰の輸出の問題を片、つける、海内はカリ輸入について大臣を補佐する、斉藤君は文書課長でありますが、これは秘書の役目を勤めておったのであります。従いまして、それぞれの分担において事業をやったのであります。そのほか現地において商社の支店あるいは出張所がありますから、おそらく現地の事情説明したと思いますが、それ以上のことについてはこちらではよくわかりません。海内は大臣と分れまして、東独に三回行って東独交渉しておる、西独フランスの分は大臣がみずから向うの責任者と協議しておる、こういうふうになっておるのであります。
  179. 神田大作

    ○神田(大)委員 大日本飼料はどういう意味で同行したのですか。
  180. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 ですから大臣肥料だけの問題でありませんで、農林水産業全般について、こちらの輸出状況、それから輸入なら輸入をやる、あるいは新しい海外の事情を調べる、こういうことになっておるわけであります。各方面の人をそれぞれ選定した、こういうふうに承知しております。
  181. 神田大作

    ○神田(大)委員 大日本飼料と前河野農林大臣は、どういう関係になっておるか御存じですか。
  182. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 農林大臣に就任される前に、大日本飼料の社長を河野さんがやったのではないかと思います。いつまででしたか、正確には、今記憶いたしません。
  183. 神田大作

    ○神田(大)委員 実質的には大日本飼料の経営者が河野一郎氏であることは事実だろうと思いますが、自分の経営している大日本飼料の営業部長を伴って——ほかにも肥料会社がたくさんあります。何を好んで農林大臣が自分の経営しておる会社の重役を伴ってアメリカあるいはヨーロッパ、特に東独カリの問題につれていったか、こういうようなことについて大きな疑惑を持たれておると私は思うのですが、この点あなたたちはただ偶然に伴っていった、こう思っておるのですか。
  184. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 先ほど申し上げますように農林水産業各般にわたってそれぞれ専門家として適当な人を選んでいった、こういうふうに承知しております。ただ今お話のありましたように、東独カリ交渉には海内だけが行っておるのでありまして河田さん等は行っておりません。
  185. 神田大作

    ○神田(大)委員 大日本飼料と東京食品関係は御存じですか。
  186. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 よく存じませんです。
  187. 神田大作

    ○神田(大)委員 課長にちょっと……。
  188. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 私もその両社の関係については全く存じません。
  189. 神田大作

    ○神田(大)委員 これはいわば姉妹会社です。ところが東京食品会社が今度のカリ輸入のその後のあなたたちの分配において、大部分輸入賃を獲得しておる。今までは日綿が六〇%の輸入の数量を持っておったにかかわらず、今度はそれにとってかわって東京食品が相当進出しておるというようなことと、河野前良相が自分の会社の重役を伴って、各般の事情を知るためにというような、そういう勝手な理屈をつけて行っておる。しかも私はこの河野前農林大臣に対して東京食品から相当働きかけがあるというようなことを、これは有力な筋から数字をあげてわれわれの方へも情報が流れておる、こういうことを考えてみますと、全購連問題は、その喪に東独カリ輸入に関して河野前農相と東京食品あるいは大日本飼料会社を仲介として、非常な大きな疑惑に包まれておると思うのですが、あなたたちは専門家の立場に立って肥料行政をやっておりながら、この内面はわからないというわけはないと思う、こういう点について私は特に河野農相が業者を連れていく場合に、河野農相自体の発言によって指示によってこれらの業者を選んだと私は思うのでございますが、この点あなたたちは答弁を逃げておるようですが、一体だれが農相に随行する業者を選んだか。これをはっきりと答弁してもらいたい。
  190. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 農林省の職員のそういう問題は、農林省の中で、関係部局で相談して選定いたしました。これははっきりしておるのでありますが、部外からの関係におきましてはあるいは関係部局から推薦させた中から大臣が選ばれたのだろうと思いますが、その関係は私はつまびらかにいたさないのであります。しかしいずれを見ましても、それぞれの専門家でありますから、相当練られてきめられたことと思います。
  191. 神田大作

    ○神田(大)委員 大日本飼料の重役を伴った場合は、やはり関係課長の推薦によって伴って行ったのか、それとも農林大臣の指示によって伴って行ったのか、はっきりして下さい。
  192. 渡部伍良

    ○渡部(伍)政府委員 その関係は手元の資料ではつまびらかにいたしませんから、先ほど説明申し上げましたように、よく調べましてあとでお答えしたいと思います。
  193. 神田大作

    ○神田(大)委員 檜垣課長は十分に知っているだろうと思いますから、この点はっきり言って下さい。知らぬということではこっちでもっと資料を出します。
  194. 檜垣徳太郎

    檜垣説明員 大臣の随員の選定ということは、私ども肥料部門の一局所を担当しておるものがあずかり知らないことでございますので、全く存じません。
  195. 神田大作

    ○神田(大)委員 これは渡部局長も当時局長でなかったし、それから課長もそれは知らぬということになれば、これは河野前農林大臣を呼んで聞く以外に、その方法はないと思います。河野前農林大臣を呼んでもらうように、委員長の方で取り計らいを願いたいと思います。
  196. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 いつかお約束しておりますように、刑事局長に伺います。農林省の前の肥料課業務班長をやっておりました海内藤作、これを最近起訴したとか聞きますので、起訴事情を概況御説明願いたいと思います。
  197. 井本臺吉

    ○井本政府委員 先月二十七日の日付で東京地方検察庁から東京地方裁判所に海内藤作氏を起訴しております。起訴事実の概要を申し上げますと、昭和三十年の七月末ころに千代田区霞ケ関一丁目二番地の農林省内におきまして全購連の立岩順一氏から海内藤作氏に現金、二十万円が供与されたのでありましてこの事実は海内氏の肥料需給計画及び需給調整用保有肥料取扱いに対していろいろ便宜を受けたいという職務上の関係で交付された現金であるという嫌疑をもちまして、刑法の百九十七条、百九十八条に該当するということで、裁判所の審判を受けることになった次第でございます。
  198. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そこで海内はまだ保釈の請求なりがないのでしょうか。
  199. 井本臺吉

    ○井本政府委員 本人または弁護人から保釈請求が出ておるかどうか、ちょっとまだ取り調べておりませんが、私どもといたしましては、起訴いたしました事実以外にいろいろ取り調べる事情がございますので、引き続き取り調べを進めております。
  200. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 そうしますと、海内につきましては、まだ保釈出所になる時期などはこの際はちょっとはっきりしないということになりますか。
  201. 井本臺吉

    ○井本政府委員 われわれの方ではいろいろ調べることがございますので、現在では起訴された事実についての勾留を利用して調べをしておるわけでございますが、保釈にでもなればまた別途の考え方でいたさなければならないというようにも考えております。とにかくいろいろまだ調べるところが残っておりますので、鋭意調べを進めまして、できるだけ早く結論に達したいという考えております。
  202. 吉田賢一

    吉田(賢)委員 よろしゅうございます。
  203. 青野武一

    青野委員長 本件に関しまする調査は本日のところは一応この程度をもって散会いたします。次会は公報をもって御通知することといたします。     午後五時六分散会