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1957-08-13 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会海外同胞引揚に関する小委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年八月十三日(火曜日)     午前十一時二十九分開議  出席小委員    小委員長 廣瀬 正雄君       中馬 辰猪君    中山 マサ君       櫻井 奎夫君    戸叶 里子君  出席国務大臣         外 務 大 臣 藤山愛一郎君         厚 生 大 臣 堀木 鎌三君  小委員外出席者         議     員 受田 新吉君         議     員 小林 信一君         外務政務次官  松本 瀧藏君         外務事務官         (アジア局長) 板垣  修君         外務事務官         (欧亜局長)  金山 政英君         厚生政務次官  米田 吉盛君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      河野 鎭雄君         厚生事務官         (未帰還調査部         長)      吉田 元久君     ————————————— 本日の会議に付した案件  海外胞引揚促進に関する件     —————————————
  2. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 これより会議を開きます。  本日は、海外胞引揚促進に関する件について、調査を進めることといたします。  この際、お諮りいたします。小委員外委員より発言申し出があれば、随時小委員外発言を許すことといたしたいと思いますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 御異議がなければ、さよう取り計らうことといたします。  この際、委員各位に対し、私より御報告いたしたいことがございます。それは、かねて懸案になっております中共における未帰還者問題解決その他の目的をもって当委員会より与野党一致意見によって与野党合同の数名の委員中共におもむき、周恩来総理を初め、関係政府機関と直接虚心たんかいに話し合って、相互の理解を深め、よき隣人としての一そうの協力援助を懇請し、日本国民悲願達成したいと考え中共訪問を企て、中共側と折衝いたしました経緯及びその結末についてであります。今日までの推移につきましては、そのつど理事会において御報告いたして参りましたが、先般中共側からの返電があり、その内容は全く当を失しているとは思いますが、にべなく私ども申し出を拒否して参りまして、私どもといたしましては、この際一応これ以上交渉の余地なく、最終的なものと思われますので、ここであらためて皆様に御報告申し上げる次第であります。ご承知のように、中共地域の未帰還者問題につきましては、ここであらためて云々するまでもなく、今なお幾多の問題が残されておるのであります。幸いに昭和二十八年以来中国紅十字会の好意ある協力のもとに、今まで前後十六回にわたって、残留邦人引き揚げが行われ、この間三万一千三百余名の同胞無事故国に帰ることができましたことは、感謝にたえないところでありますが、中共における未帰還者の数は、日本政府の作成した名簿によれば、今なお、三万六千名近くに及び、その中には戦後十二年間にわたる絶えざる調査にもかかわらず、今なお生死すら判然としない状態にあるものが非常に多いのであります。さらにはまた、死亡者の確認の問題、遺骨収集の問題、 いわゆる戦犯者釈放の問題、残留希望骨ないし一時帰国者の問題等々、彼我双方の間にはぜひとも早急に明らかにしなければならない問題が山積しておるのでありまして、これらの問題は、もはや民間団体の手によって解決さるべき問題ではなく、当然に政府責任において処理されねばならない問題なのであります。とは申しましても、不幸にして日中両国国交はいまだ正常化してはおらないのであります。従って、このままに推移いたしますならば、いつの日に日中両国間にこれらの問題解決のための話し合いが可能となるかは、何人にも見通し得ない現状であります。そこで、当委員会における今日までの調査検討の結果として、これらの問題が政治外交以前の純粋の人道問題であるとの本質に立脚して、この際私ども中共を親しく訪問して、胸襟を開いて談じ、私どもの所見を率直に申し述べ、この問題について伏在していると思われる中共側誤解を解くとともに、この際この問題に関して両国政府間において円滑な話し合いがすみやかに実現し、国民多年の懸案がスムーズに解決するよう、いわば橋渡しの役目を果すことが最も適当であろうということに意見一致を見た次第であります。そこで、このことは、ただに全国関係留守家族に多大の喜悦と満足とを与えるのみならず、ひいては日中同国友好親善の増進に必ずや大きく寄与するであろうと確信したのであります。  かくして、中共訪問をきめ、理事会においてしばしば案を練り、自由民主党及び日本社会党合同の数名からなる議員団を組織し、また関係政府当局とも協議の上、政府職員をも数名同行することといたしたのであります。中共側に対しましては、私からその意思表示をすることにいたしました。もっとも、これにつきましては、昭和二十九年十月中国紅十字会から李徳女史、廖承志氏寺一行が来日せられた際、日本国会議員引き揚げ問題について中国訪問することを歓迎すると言明いたしておることも事実であります。  そこで、私ども中国訪問しようとしました目的は何であったかを要約いたしまして申し上げますれば、まず第一には、未帰還者消息を明らかにしたいということでありました。戦後十二年を経過した今日におきましても、なお中共地域には三万五千七百余名の未帰還者があり、わが国の未帰還者総数の大半を占めているのであります。しかもその大部分は、過去十年にわたる当委員会の絶えざる鞭撻督励にもかかわらず、依然として消息を明らかにすることができず、国内における調査究明は事実上行き詰まり、もはや海外調査、すなわち中共側の好意ある協力を求めてその結果を知る以外には、打つべき手がないというのが偽わりのない現状であります。そこで、日中両国国交はいまだ正常化してはおりませんが、事柄の性質が人道問題でもあり、かつはまた中共側が従来しばしば具体的資料を提出するならば、困難ではあるが、できるだけ消息調査を行うということを言明いたしたことでもありますので、政府は総計三万五千七百六十七名に及ぶケース別に分類した詳細かつ具体的な名簿を作成して、本年五月在ジュネーヴ総領事を通じ、中共側に提示して、これについて調査を依頼したのは御承知通りであります。しかしながら、過去の経験からしますれば、これにはあまり大きな期待はできないのであります。どうしても日本政府の係官が北京に出向し、駐在して、名簿内容について詳細なる説明を行い、中共調査に随伴して、いつにても質問に応ずるという直接にして積極的な作業が必要であります。しかるに、不幸にして中共とは今直ちにそのような機会を持ち得る関係にはありませんので、私ども中共に参り、その了解を取りつける必要がある、その橋渡しとなる必要があるのであります。これがいわば私どもの任務の第一でありました。   第二に、中共地域における遺骨収集に関する国民的願望達成についてであります。たとえば満州地域における終戦時の混乱から、十数万に上る同胞が、ハルピン、長春、瀋陽その他の各地集団仮埋葬されたまま今日に及んでいることは、周知の事実であります。あるいはまた中国大陸のここかしこで兵火に倒れた者や、避難の途中むなしく悲命の最期を遂げた者が、残骸を風、雨にさらしたまま今日に及んでいる者もきわめて多数おられるのであります。このように、中共各地には少くとも二十万人に及ぶ同胞地下に眠り、十三回忌を迎えた今日まで弔う者もなく放置されていることは、関係遺族はもとより、国民たれ一人として忍び得ることではありません。何とかして現地を訪れ、地下に眠る精霊を弔うとともに、可能な限り遺骨を収集してこれを故山にお迎えして、国民的敬弔の誠を捧げたいという運動が各方面から提唱されつつあることは、理の当然であろうと思うのでございます。このような多数に上る御遺骨をことごとく収集することは事実上不可能なことでもありますが、戦後南方に北方にあるいはビルマその他にわが政府の手によって派遣せられました遺骨収集慰霊団の例にならい、中共側の理解ある了解を得て、官民一体遺骨収集慰霊団を何とかして今年中には中共に派遣できるよう中共に懇請したいというのが、中共訪問目的の第二でありました。もっともこの際、戦争わが国において死没しました中国人俘虜、労務者の遺骨の問題もありますから、これは中共の意のあるところを十分尊重したいと思っておったのであります。第三には、中共におけるいわゆる日本人戦犯慰問等早期釈放送還について、全国民にかわって周恩来総理に懇請することでありました。従来中共日本人戦犯の累次にわたる釈放送還によって現在わずかに三十八名を残すのみとなりましたが、戦後すでに十数年を経過し、しかも各国ほとんど全面的に釈放を行なっている今日、両国親善のためにも中共にぜひともこれを懇願したかったのであります。  第四に、中共側がしばしば表明しております六千名といわれる残留希望者名簿を取得することと、帰国希望する者の引き揚げについてであります。もしも残留邦人が本人の意思に基いて中国残留希望する限り、これらの人々は当然引き揚げの対象からはずさなければなりません。従って、生存者中現に中国残留することを希望しておる人々名簿中国側から提示してもらうことは、未帰還者問題整理の上から絶対に必要なことは言うまでもないことであります。それと同時に、これらの人々が一時帰国希望する限り、問題は引き揚げ問題とは別個に、どう処理していくかということがむしろ今後の主要な問題となるであろうとも考えられるのであります。すでに昨年来一千七十一名に及ぶ一時帰国者引揚船に便乗帰国し、また日本からは過去四年間に三千七百二十二名の華人が中国に渡っており、遺憾ながらそのためしばしば混乱を生じ、引揚船のスケジュールに影響を及ぼすに至っておるのでありまして、最近では、中国との間の引揚船日中両国間の連絡船の様相を呈するに至ったと批評されるありさまであります。このまま放置しておくならば、遠からずして引き揚げ業務に重大な影響を及ぼすであろうことが憂えられるのであります。  私どもは、昭和二十八年以来今日まで、中共からの邦人引き揚げに多大の功績をおさめられた民間団体に対し心から感謝いたしておりますが、このように中共からの引き揚げ問題には、今後において幾多の困難を残し、もはや事態はかねて民間団体から政府意思表明されたように、竹本政府責任において直接処理さるべき段階に来ておるばかりでなく、従来とはその事情内容も当然に異なって参ることでもありますから、この辺で問題を両国政府の手に移して、最後の締めくくりをつけてもらうことが最善の方法であろうと考えられますので、これらの事柄について中共側と十分に話し合って、原則的了解を取りつけたいというのもまた使命の一つであったのであります。  以上、私ども使命とするところを大略申し述べましたが、もしも私ども北京訪問計画中共側によって受け入れられましたならば、誠心誠意あらゆる努力を傾注いたしまして、使命達成をはかり、未帰還者問題その他これに関係あるすべての両国間の懸案解決一転機を招来すべく、場合によっては双方で協定を結び、共同宣言でも発表したいと考えていたのであります。その成功を心から期待していた次第であります。  このようにして、大かたの準備も整いましたので、正式の人選はあと回しにしまして、とりあえず私から去る六月五日周恩来総理にあてて長文の電報をもって訪問を申し入れると同時に、李徳中国紅十字会会長に対しても、これが実現方についてあっせん依頼電報を送った次第であります。  私といたしましては、われわれが、未帰還者行方不明者調査に行くという内政干渉がましい誤解を受けないよう、そして中共人道的な協力を懇願するよう真情を吐露したつもりであります。  その電文は次の通りであります。(発信)  (昭和三十一年六月五日打電)   北京中華人民共和国務院    周恩来総理閣下      衆議院議員 廣瀬正雄  突然閣下に対し直接電報を以て御願い申し上げる非礼をお許し下さい。日本国国会に於ては、第二次大戦により海外残留した日本人帰国並びに遺家族援護に万全を期するため昭和二十一年七月以来衆議院に「海外胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会」を設けて、これらの問題の解決努力してきました。幸に残留している国々のご協力により、現在までにこの問題は概ね解決に近づいていることを国民と共に喜んでおります。  貴国においても、昨年度は戦犯として抑留されていましたものを大量に釈放送還され、また、一般帰国希望者についても、中国紅十字会のご援助により、帰国実現されてきましたことは感謝にたえません。  現在貴国には、一般残留者の他、少数の戦犯者が残っておりますが、この他に戦争以来行方不明となつて、現存の生死の状況が日本側に判明していないものがあります。  これにつきましては、先般日本政府からジュネーヴの貴総領事を通じて名簿をお送りし、できる限りの調査をお願いしましたことは既にご承知のことと存じます。この問題が貴国政府の好意あるご協力によつて漸次解決されて行けば、日本国民としてこれに過ぎる喜びはありません。前述のように、貴国における日本人の問題は、貴国政府のご協力によつて概ね解決に向いつつありますが、細かい問題について、まだいろいろとご尽力を仰ぐ必要のあることがございます。  更にまた、行方不明の人々について云えば、単に生死不明のまま十数年を経過したというだけで、一率に死亡したものと断定することもできず、それまでには出来うる限り、あらゆる手を尽さねばならないことは貴国においても全く同様であろうと存じます。  このように未帰還者問題と申しましても、その内容は極めて複雑微妙なものがあり、ともすればお互い真意誤解され易いので、何んとしても直接お会いして、虚心坦懐に話合わなければお互いの気持は通じ難いものであります。  そこで、本問題について、貴国が従来示されたご好意を感謝すると共に、今後一層のご援助を得て、困難な問題が速かに解決し、両国友好親善を増進するため、国民代表として、私どもが直接閣下並びに関係政府当局及び中国紅十字会の方々をお訪ねしてご懇談申し上げ、種々ご尽力をお願いいたしたいと存じ、今度私(前述特別委員会委員長)を団長として国会議員三名いずれも前述委員会委員)の他、関係政府職員等、三名程度を同行して貴国訪問したいと存じます。  つきましては、これが入国の許可並びに貴国において閣下並びに関係当局方々とご懇談申上げる機会を与えて下さるようここにご依頼いたします。  渡航並びに滞在に関する経費は一切当方において負抗することとし、旅行予定は六月中旬より約一ケ月を希望いたします。  一行の氏名は右原則的ご了解を得次第に追報いたします。本件に関し、なるべく早い機会閣下のご同意を得たく存じます。  閣下のご健勝を祈ります。               敬具同時打電)  北京中国紅十字会   会長 李徳女史     衆議院議員 廣瀬 正雄  日本国民悲願とも云うべき残留同胞の引揚について常に高い人道的見地から、今日まで積極的に好意あるご取計らいを受け、極めて多数の日本人がそれぞれ無事故国に帰ることができましたことについて、私どもは心から感謝しております。  しかしながら、未帰還者の問題は極めて複雑で、すべてを早急に解決することの困難であることは、私共もよく承知いたしておりますが、一方、関係家族立場から申しますならば、生死に関する問題でありますだけに、あらゆる手段、方法を尽して解明してもらいたいと要望いたしますのも亦当然のこととご諒承いただけることと存じます。  私共は日本国国会に於て、十年にわたつてこの困難な問題に真剣に取組んで参りまたが、結局、この問題の解決には、私共が貴国に参上して、直接貴国関係政府当局並びに貫会長及び貴会に対し、隔意なく詳細事情をご説明申上げ、ご了解願つて、今後一層のご協力、ご援助を仰ぐ以外にはないとの結論に達しましたので、本日別電の通り貴国周恩来総理閣下に対し、懇請の電報を発した次第であります。  なにとぞ、私共の真意を諒とせられ、私共が貴国訪問して、それぞれ関係機関方々とご懇談できますよう、貴会長の格別のご高配、ご斡旋をお願いいたします。               敬具  その後九日間を待ちました後、私どもの意図するところにつき、さらに敷衍徹底せしめようと考えまして、理事各位とも相はかり、六月十四日に、重ねて周恩来総理にあてて次のような電報を送つたのであります。   北京中華人民共和国国務院    周恩来総理閣下      衆議院議員廣瀬 正雄  去る六月五日付弊電は滞りなく閣下のお手許に届いていることと存じます。  未帰還者問題について私共が貴国訪問し、閣下並びに関係当局方々と直接日本国民の心からの念願をお伝え申上げ、今後より一層のご協力援助を得て、困難且つ憂欝なこの問題を解決し、両国友好親善の基礎を固めたいとの私共の真意については先電によつて十分ご諒承下されたものと思います。  私共はこの問題の解決貴国に押付けようとするのでもなければ、貴国において私共が自ら調査しようなどと考えているのでもありません。純粋な人道上の立場から、私共の力だけでは到底解決し得ないこの問題について、良き隣人としての貴国のご援助を仰ぎたいという以外には全く他意はないのであります。この点について、私共の岸総理考えも全く同様であることは、日本国国会においてしばしば表明されている通りであります。  だが、両国国交が未だに正常化されていないということが大きな障害となっていることは私共も十分に承知しております。従つてまた、私共が一種の使命を帯びて正式に貴国を訪れることについて、日本国内に於ても、いろいろな異論があつたことも事実であります。  しかし、私共はそうしたいろいろな制約を克服し、異例ではあれますが、政府職員を同行して貴国訪問問題解決の緒を開こうというところまで漸く漕ぎつけたのであります。  両国の将来について、またこの問題について、閣下と私共の考えはいささかも喰い違うものではないと確信しております。こうした問題を通じて、両国政府間の現実の交渉や接触が実現し、積み重ねられて行くならば、両国民の希望実現する日は決して遠くないであろうと信ずるのであります。  何卒、日本国民の切なる願いをお聞き入れ賜り、なるべく速かに私共にその機会を与えて下さるよう重ねて閣下のご裁可を仰ぐ次第であります。               敬具  このようにいたしまして、再度にわたって礼を厚うして交渉いたしたのでありますが、日を経ても何らの応答もなく、三たび懇請するのもいかがかと思い、手控えておりましたところ、七月二十五日突如として北京放送を通じて、周恩来総理の談話が送られて参りますとともに、同夜李徳全紅十字会会長より、次のような二通の至急電報が送られてきました。そのうち一通は、三団体連絡事務局あての写しとはなっていますが、実はそのあて名には私の名前も書いてあります。   日本衆議院    廣瀬正雄先生      中国紅十字会会長李徳全  六月五日および六月十四日貴下から周恩来総理に送った二つの電報の写を収受しました。  七月二十五日中国紅十字会から日本団体連絡事務局に送つた電報の厚を送ります。  われわれは、貴下日本衆議院引揚委員会委員長」の名義をもつて提出した、わが国を来訪していわゆる「行方不明」の日本人の問題を交渉するとの、要求に同意することはできません。  この問題は決して存在しないものでありますから、従つて貴下要求も接受できないものでもります。  甚だ遺憾ながら、私には貴下に助力致しようがありません。           中国紅十字会   日本衆議院    廣瀬正雄殿   日本団体連絡事務局御中  最近われわれは、日本衆議院廣瀬正雄氏から、衆議院引揚委員会名義で、いわゆる「行方不明」の日本人問題について折衝のため北京代表団を派遣したい旨の六月五日および同十四日付申入れに接した。  貴我双方が在華日本居留民帰国問題をすでにスムーズに解決した後に、このような電報を受取つたことは、われわれの不可解とするところである。周知の如く、中華人民共和国の成立当初在華日本居留民は約三万五千名程度で、その中三万九千余名は、当会人道主義および中日両国人民友好的精神に則り、一九五三年貴我双方申合せにもとづいて、すでに帰国することに協力した。現在、中国に居住する日本人は、いずれも長期又は暫時わが国に居住することを願つているもので、その中には数年間に華僑の妻子として、華僑に随伴帰国した元日本籍の婦人が含まれている。  これらの人々で、もし日本への帰国希望する者があれば、中国紅十字会は引続き援助を与えることを願つているものである。  中華人民共和国には「行方不明」というような日本人問題は存在していない。これまで貴方から提出されている個々の日本人近況調査の問題については、当会は貴我双方取極めの一九五四年十一月三日付備忘録第十九条の精神に基いて、引続きできるだけ協力したいと思つている。  日本の某方面が、もしこれに藉口して一再ならず中国にいるいわゆる「行方不明の日本人」の問題を提議しよう企図しているならば、われわれは断じてこれを許すことはできない。わが国外交部スポークスマンは一九五五年八月十六日の声明の中で、すでに次のように指摘している。  即ち、「過去において日本軍国主義政府に駆使されて、わが国に来て侵略戦争に参加させられたために行方不明となつ日本人の問題は当然日本政府日本人民に釈明しなけれ、ばならない。」と。中国人民はこれに対して何らの責任を負うものではない。  しかし現在日本の某方面では日本政府の慫慂の下に一再となくいわゆる「行方不明」の日本人の問題を提出しているが、これは明らかに日本人民の視聴を混乱させ、過去において貴我双方によりなしとげた成果を抹殺しようとするものであり、特に中国紅十字会と中国政府とが数年来在華日本人居留民帰国援助して来た努力を抹殺しようとするものである。  さらに注意せざるを得ないことは、最近日本首相岸信介氏は台湾に赴き、中国の唾棄した蒋介石集団と会談し、なおかつ米国の調子と一致した中国人民共和国を敵視する一連の言論を発表した。  これから見て日本政府が最近とつている各種の措置は殊更に中日両国人民の間に日ましに発展している友好関係を破壊しようとしているものであり、なお米国に追随し、日本人民中日国交回復の迅速な実現を願うことを阻げている。  これは中国人民に対して非常に非友好的な表現であるばかりでなく、日本人民願望、利益にも背くものである。  どうか上述の情況を貴国団体に通知して下さい。               敬具  こうしてついに私どもの申し入れば拒否せられたのであります。私ども中共側立場を尊重しつつ、全く政治的立場を離れて、与野党委員一致して、純粋に人道的立場から民族の悲願ともいうべき未帰還者その他の問題をでき得る限りすみやかに抜本的に解決しようとしたものでありますが、その企ては全面的に拒否されてしまったのであります。今なお肉親の生存を信じつつ、ひたすら帰還の日を一日千秋の思いで待ちわびている留守家族、せめても生死の別だけでも明らかにしたいとこいねがう留守家族、こうした全国幾千、幾万の留守家族方々の悲痛な境遇を思うとき、うたた断腸の思いがするのであります。しかも、私の最も遺憾と思いますことは、誠意を披瀝した私どもの懇請をいれられないばかりでなく、中国には断じて行方不明は存在しないと強弁し、私ども真意をことさらに曲解し、今もってこのような問題を提議しようとすることは許しがたい非礼であると非難して参ったことであります。私どもはこの際この問題をめぐって中国側と論争しようとは思いませんが、このような状態の続く限り、両国友好親善の道はほど遠いものがあると感ぜざるを得ないのであります。いずれにもせよ、私どもの誠意が通ぜず、関係留守家族を初め、熾烈な期待を寄せられた国民各位に対し、何らの光明ももたらし得なかったことを衷心から相済まなく思う次第でございます。  これをもって私からの御報告を終ります。  では、本件について質疑を行います。  それではまず私から中共地区からの引き揚げ問題につきまして、二、三、政府に所信をお伺い申したい思うのでございます。両大臣が大へんお急ぎのようでございますから、簡単に要点のみ申し上げたいと思うのでございます。  私ども中共訪問いたしたいと考えておりましたことが拒否されましたことにつきましては、ただいま私から委員会に報告いたした通りでございますが、日本政府はことしの五月十三日にジュネーヴにおきまして佐藤総領事から、同地区の沈平中共総領事に対しまして、日本政府の作りました未帰還者名簿を渡して調査方を依頼いたしたと承わっておりますが、その結果はどうなりましたか、承わりたいと思います。
  4. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 五月十三日ジュネーヴ総領事を通じまして中共側に未帰還者調査の依頼をいたしたわけであります。そういたしまして、七月二十五日に回答が寄せられて参りました。その回答の要旨を申し上げますと、一九五三年日赤等三団体との話し合い引き揚げを行い、三万五千の在外邦人中二万九千がすでに帰還しているが、現在の在留者は約六千名である。このほかに行方不明日本人というものはない、日本政府が、その国民に説明できないことを中共政府責任に転嫁せんとするものだ、これが同等の要旨であります。
  5. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 ただいまの大臣のお話による中共からの回答にいたしましても、先刻私から報告いたしました私への中共からの同等にいたしましても、中共政府は、中共には日本人の行方不明という問題は全く存在しないと言っているのでございます。中共政府ができたときに日本の居留民は三万五千であった。それを二万九千帰国さした。残りは六千名である。これらの人々は長くあるいは暫時中国にとどまることを希望している。従って行方不明という問題は全然ない、かように申しておるわけでございます。そこで中共政府は二万九千名を帰国さしたと申しておりますけれども、私の調査によりますれば、日本引き揚げて参りました数は三万一千三百名ということになっておりまして、これだけでも二万九千と数字が違っております。それからまた昭和三十年の七月にジュネーヴ日本総領事から中共総領事に、今回と同様な未帰還者消息調査の依頼をいたしておるのでございますが、それはやはり今回同様に拒否されております。そのときも中共残留者は六千名と言っておるのであります。ところがそのときからすでに二カ年たっておりまして、その後私の調査によりますれば約二千八百名が中共から引き揚げて参ってきております。これだけは減っていなければならないわけでございますけれども、今回も依然として六千名と言っておるわけであります。中共の言っておりますこうした数字が果して事実であるかどうか、このことにつきまして政府はどんなふうにお考えになるか、これをまずお尋ねいたしたいと思います。  それから第二に、昭和三十年の七月には先刻申しましたように本年の五月同様にジュネーヴにおきまして総領事を通じまして調査方を依頼しておりますが、同様に中共から行方不明はないと拒否されておるわけでございますが、今回もただいま大臣のお話によりますと、全く同じ方法で断わられておるわけであります。そこで日本政府はこうした中共の言い分をそのまま認めて泣き寝入りされるつもりであるか、そのことを承わりたいと思うのであります。  次に、国民政府から中共に八年前の一九四九年に政権が移ったわけでございますが、それ以前のことにつきましては、中共政府は全然知らないという建前をとっておりますようでございます。先ほどの三万五千と申しますのも、中共政府ができましたときの数字なんでありまして、それ以前のことには全然触れていないのであります。ところが、こういうような中共政府の態度は、国際法的に、あるいは国際慣例から申しまして許されることであるかどうか、これをお伺いいたしたいと思うのであります。  次にもう一つは、中共日本居留民六千名が残っておる、かように申しておりますが、この六千名というのは日本政府調査とほぼ一致しておるというように日本政府は申しております。ということは、夫婦選者を三つに分類いたしまして、第一類といたしましては、昭和二十四年以降生存の資料のあるもの、これが中共に五千七百名おりまして、これが中共の申しております生存居留民に当ると考えておるのだろうと存じますけれども、これが第一類。それから第二類といたしましては、終戦時以降昭和二十三年末まで生存の資料のあるものが一般者が九千三百名、国際結婚をしましたのが二千七百名、合せて一万二千名ということになっております。それから第三類といたしましては、終戦以降消息のないもの、これが一万八千名でございます。この第一類、第二類、第三類の三つを合わせまして、総計三万五千七百名ということになっております。そこでこの弟一類につきましては、中共から生存しておりますと申しております約六千石の氏名、現状等の通報を政府として受け取っておるかどうか、またその通報を入手しようと努力なさっておるかどうか、これを承わりたいと思うのであります。それからいま一つ、第二類、第三類を合せて三万名でありますが、これは今後どんな方法調査しようとなさっておりますか。中共は当方から具体的な資料を提供すれば喜んで調査してやるというように申しております。これは常に中共政府の言っておるところなんでありまして、今度も私の聞いておりますところによりますれば、政府ジュネーヴで渡しました未帰還者名簿はきわめて詳細をきわめたものでありまして、各人ごとにその姓名、生年月日、性別、本籍、現地からの通信、帰還者の証言等による最終の消息などこまかに詳しく書いてあるのだそうでごさいますが、こういうようなものを渡したにもかかわりませず、調査してくれない、そこでこの調査につきましては、今後どういうやり方をやっていきたいと考えていらっしゃるかどうか、側とか国際的な方法で進めていく方法はないか、たとえば国際連合の力によるとか、あるいは国際連合には中共が加盟していないからだめであるということでございますれば、国連に加盟して中共を承認しておりますイギリスなどのあっせんによるとか、あるいはまた万国赤十字社の連合の力によるとか、そういうような国際的な方法によって何らかの従来の方式にかわるような対策が、この第二類、第三類の消息調査につきましてはないものか、政府はどのようにお考えになっていらっしゃるか、承わりたいのであります。
  6. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 数字につきましては、説明員から答弁させます。
  7. 河野鎭雄

    ○河野説明員 今、委員長から御指摘がございましたように、向うで発表しております数字と、私どもの手元で調べております数字と食い違いがあるようでございます。かつて昭和二十七年に中国側の発表した数字によりますと、日本に帰りたい者が三万人おるというふうなことを言うております。その翌年、すなわち二十八年に向うで集団引き揚げがこれで終ったというふうな趣旨のことを言うて参ったのでございますが、そのときの数字によりますと、日本に帰った者の数が二万六千二十六人であるといえふうなことを言うておったようでございます。この帰還者の数は当時の日本の資料と大体一致をいたしておるようでございます。日本側の資料によりますと二万六千十九人で、数のとり方に若干の食い違いがございますが、ほとんどこれは一致をしておるようでございます。それから二十九年に中国側の発表によります残留日本人の数がございますが、それによりますと、残留日本人が八千名、そのほかに戦犯者の数が千六十四人おるというふうな発表がなされておるのでございます。その後二十九年から三十二年、ことしの五月までに帰ってきた者が、日本の資料によりますと、三千八百一名でございます。今回中国で発表いたしました残留日本人が六千名という数字でございますが、今申し上げました差引の数字と若干食い違いがございますが、この限りにおいては、そう大きな開きではないのではないか、かように考えるわけでございます。それから現在日本で、どのくらい残っておるかというふうな資料、これも正確な資料があるわけではございませんが、ただいま委員長からいろいろ数字をお示しいただきましたように、ジュネーヴにおいてこちらから名簿を渡して御調査をお願いしたわけでございます。そういった資料から考えまして、大体七、八千名くらいはいるのではなかろうかというふうな見当をつけておるわけでございます。そういたしますと、ただいまの六千名と若干食い違いがあるわけであります。この点は善意に解釈すれば、あるいは中国における把握と申しますか、たとえば登録しておる数が六千名であって、そのほかにも若干把握していない数字があるというふうなことも考えますれば、そう大きな開きではないのではないか、かように考えられる次第であります。それから行方不明の問題と申しますか、向うが行方不明の問題と言うておるわけでございますが、この間、中国の方にジュネーヴの在外公館を通じましてお渡ししました数字三万五千何がし、この数字は、実はこのときも誤解を生じないように丁寧な注釈をつけてお渡ししたわけでございます。これが全部生きておるということではなしに、むしろそのうちの大部分のものは死亡しておるであろう、しかし古いものであれば調査がむずかしいだろうけれども、何か手がかりが得られれば一つ教えていただきたい、そういうふうな趣旨で調査を依頼したわけであります。この数字は、現在中国残留しておるという数字とは非常に縁の遠い数字であろうかと思います。以上で終りまして、また御質問がございますればお答え申し上げます。
  8. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 ただいま局長から御答弁がありましたけれども中共の未帰還者消息調査の問題を今後どうしようかという大きな問題について御答弁がなかったのですが、一つ大臣の方から、はっきりした御所見をお述べ願いたいと思います。
  9. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 今大体の数字については申し上げたわけでございますが、ともかく中共側としてはなお六千名の日本人が残っておるということを回答いたしておりますから、向うがこの六千名の詳細な名簿をくれれば、それを手がかりとして、さらに調査が進められるのではなかろうか、こういうふうに考えておる次第であります。
  10. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 そこで、まず政府はその六千名の名簿をぜひ向うの方に要請いたしまして、入手したいとお考えになっていらっしゃるかどうか。
  11. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 ぜひそうなくてはならない、こう思っております。
  12. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 それでは、ただいまの御質問に対してお答えをいたしたいと思います。政府は、先般ジュネーヴ総領事を通じて得た中共側の回答をそのままうのみにいたすという気持は毛頭ないのであります。特に責任転嫁というような誤解もあるようでありますから、今後在ジュネーヴ総領事を通じて、できるだけその誤解を解くようにいたして参りたい、こう考えております。  なお御質問の第三点ですが、国際法違反ではないかというお話があったわけであります。この問題の解決に当りましては、私ども法律論をいろいろ論議することは、必ずしも解決を促進する適当な方法とは考えておりませんので、従って、できるだけ中共首脳部の高邁な政治的識見に訴えまして、そうして人道的行為によって、協力によってできるだけこれを解決してもらいたい、こう思っておる次第であります。なおさらに国連、赤十字等を通じての解決方法はないかという御質問かと思います。国連に加盟いたしました今日、国連を通じ、あるいは万国赤十字社を通じてこの問題を解決することも、一つの御意見として私ども十分考えて参りたいと思っております。しかし、中共側がそういう方法を受諾するかいなか、予断し得ないと思います。そういうことを考えますと、やはりわれわれとしては、前段に申し上げたように、この問題は人道問題でありますので、できるだけその趣旨を体して、そうして現実にはジュネーヴ総領事その他を通じて、十分に日本側の意向を伝え、誤解のないように解明をしていただく方が、かえって適切ではないかというふうに考えます。
  13. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 それでは中共の未帰還者調査がこれ以上急には進まない、つまり長期化してくるというようなことにもなりますれば、留守家族援護ということにつきましては、何とか対策を別に考えなくちゃならないというように考えるわけでございます。つまり、中共に対する折衝を放棄せよと申すわけではございませんけれども、そういうことを努力しますとともに、二面国内的に法律の改正とか、あるいは新しい立法をやるということをいたしまして、留守家族援護しなくちゃならない、かように私は考えておるわけでございます。そうしたことにつきまして、国内的に恩給法、あるいは二つの援護法の改正の問題でありますとか、あるいは新しい何らかの立法をするとかというようなことについて、政府はお考えがあるかどうか、お伺いいたしたいと思います。
  14. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 今の段階で、私ども外交交渉その他を通じて、未帰還者の分を判明させるという努力は、どうしても続けなければならぬ事柄である、こうまず第一に考えるのであります。今回、委員長が非常に委曲を尽した御書面でありますにかかわらず、こういう回答が参りましたことは、大へん遺憾でございます。しかしながら、今の段階ではもっと私どもはこの未帰還者調査し、その確実さを期する段階でなかろうかと脅えております。しかしながら、一方におきまして、問題の解決はともかくといたしまして、われわれは国内における調査も進めて参らなければなりませんし、また今委員長のお話のように、前段に申し上げた問題とは別個に、何と申しましても、現在未帰還者留守家族援護法の期限の問題もありますので、それらを考え合せまして、今言われるような事柄について、いかなる具体策を構ずべきかということをせっかく研究いたしておる段階でございます。まだ具体的にどうするかという問題につきましては、今のところ研究段階であるというふうに御了承願いたいと思います。
  15. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 次に、中共で、日本人戦犯は現在三十八名残っておるということを言っておるようであります。ところが、これはどんな種類のもので刑期は何年ごろということになっておりますか。戦後すでに十二年を経過しました今日、しかも各国はすでにほとんど全面的に釈放いたしておるわけでございますから、そのすみやかなる釈放政府として要請するお考えがあるかどうか。また刑期が満了しまして、日本に帰ってこられる方々につきましての取扱い——船に乗せるとか、飛行機に乗せるとかというような事柄につきましてのお考えを承わりたいと思います。
  16. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 内容については、政府委員から答弁させます。
  17. 河野鎭雄

    ○河野説明員 戦犯の数時字につきまして、お答えを申し上げたいと思います。ただいま委員長からお話がありましたように、合計三十八名でございます。名簿も私どもの手上にございますが、ひっくるめて申しまして、罪状と申しますか、戦犯になった理由というのは、中華民国を侵したという侵華という刑になっておるようであります。刑期は十年から二十年にわたって区々でございます。内訳を簡単でございますから申し上げておきますが、十年が一人、十一年が一人、十二年が六人、十三年が五人、十四年が二人、十五年が六人、十六年が六人、十八年が九人、二十年二人、計三十八名でございます。  それから、戦犯に対する引き揚げの方式として、飛行機を利用することはどうかというふうなお尋ねでございますが、戦犯方々は、長年にわたっていろいろ御苦労された方でございますし、また国民の感情というものもあろうかと思いまするが、その辺も十分考えまして、検討してみたい、かように考えております。
  18. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 次に、中共地域からの今後の引き揚げの実施をどうするかということについてお尋ねいたしたいのでありますが、興安丸はすでに用船を解除してしまったのでありますし、中共政府では、私への回答にありますように、さしあたり純粋の意味における引き揚げ希望者はないということになっております。引き揚げという仕事は、一応そういう意味においてはなくなったような気もしますけれども日本にあちらの方から参っております留守家族への悲痛な、また熱烈な帰還希望の通信あたりからいたしますれば、まだ相当たくさんな希望者が向うに残っている、帰還をいたしたいという考えのものがいるということが想像されるわけでございます。こういうような人々に対しまして、今後引き揚げを実施する場合に、どんな取扱いをなさるつもりでありますか。乗船の手配であるとかいうような問題でございますが、そういうこと。それから、いわゆる一時帰国者の取扱いは今後どうするつもりでございますか。最近これが非常にふえまして、先刻も報告で申しましたように、このごろでは、引揚船連絡船のような様相を呈しているというように世間から批判されているような状況でございます。この一時帰国者の取扱いをどうするか。さらにまた先般の中共引き揚げにおいて起ったような、終戦後の日本から中国に渡りました華僑夫人の日本女性、こういう人々は、私はこの前はすでに天津に集結したという事実がありましたために、やむを得ずああいうことにわれわれも了承したわけでございますけれども、こういう人々に対しましては、今後日本への帰還について特に援護する必要はないと私ども考えているわけでございます。政府考えを承りたいと思うわけであります。
  19. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 先ほど委員長から御報告が詳しくありました紅十字会会長李徳全からの御報告がありますにかかわらず、八月八日付中国紅十字会から三団体あてに八名の日本人戦争犯罪者が近く釈放されるから、九月十五日から二十日までの間に太沽に配船されたいという電報が参っております。その際に今御質問になりました帰国を申請する日本人居留民及び里帰り婦人を日本船で帰す予定であるということも、つけ加えてあるのであります。委員長の御報告のように、前の第十六次引き揚げの状況を見ますと、約手五百名の乗船者がありましたが、その中に純然たる引揚者は戦犯六名を含めまして百六名にすぎないのであります。他は里帰り婦人である一時帰国者及び戦後さらに向うに帰国をしたような——戦後向うに渡航し、さらに帰ってきたいというふうな状況でございますが、今回の問題に関しましても、実は電報内容がまだ判然いたしませんけれども、十六次の引き揚げに関連して考えられましたような事柄が、再度混乱をすると困ると思いまして、向うの方に、今回の引き揚げに当っては特別に配船をしない、従来の定期の船が使われるように考えておるがどうかというふうなことを、目下照会いたしておるような次第でございます。  なお、一時引き揚げの問題についてお尋ねでございますが、これらのうちでいわゆる引き揚げの本旨と違いましたものについて、特別の待遇をするということは考えないでいきたい、こう考えておるような次第でございます。
  20. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 それで、私は遺骨収集の問題、その他二、三まだお尋ねしたいことがございますけれども、両大臣の御時間の関係もございますし、質問の通告もありますので、一応私の質問はこの程度で打ち切りたいと思います。  次に、櫻井奎夫君。
  21. 櫻井奎夫

    ○櫻井小委員 両大臣は時間がないそうでありますし、またほかの委員からも大別に対する質問が種々あると思いますので、私は委員長とそれから外務大臣、厚生大臣に、それぞれ簡潔にお尋ねいたしたいと思います。  まず委員長への質問であります。これは本委員会北京に派遣団を出して、永らく懸案になっておった諸問題を解決したい、これが留守家族悲願にこたえる唯一の道であるというようなことで、委員会として決議をいたしまして、これが具体的な段階に移ったわけでありますが、私どもはこの委員会考え方そのものは、これは全く同じような考え方をしておったのでありまして、全面的に賛成をし、また委員長のその後の御努力に対しても、及ばずながら御協力を申し上げてきたわけであります。しかし、この問題を具体的に処理するに当っては、委員長と私どもとの考え方にはっきり相違があったということを、私はこの席上ではっきりしておかねばならないと思うのであります。私どもが終始一貫委員長と同じ意見で最後までやってきたのではないのであって、実際は委員長電報を打たれるというようなときに当って、私ども意見が対立をした、このことははっきり委員長にも申し上げておったはずであります。そのことは、私ども考え方といたしましては、このような問題はやはり委員会だけの問題でなく、広く国論を結集していかねばならないという立場から、これは今までこの問題にあずかってこられたところの民間の三団体、こういうものとも十分協議を遂げて、その上で向うの政府と折衝をしたらどうかというのが、私どもの終始一貫したところの主張であったわけであります。委員長の方のお考えは、これは引き揚げだけの問題でなく、本委員会から委員を派遣するのは、ほかにもっと広範な、遺骨の収集であるとか、あるいは戦犯釈放の問題であるとか、あるいは残留者の名簿の問題、あるいは向うにおける供養の問題、こういう広い問題があるので、あくまでも民間団体とは、事がきまったあとで相談する機会はあっても、事前に相談をする必要はない、こういう御意見であったと思うのであります。しかし、私どもは、これはたとい引揚三団体以上の広い視野に立っておるとはいいながら、中共とは日本は正常なる国交が途絶されておるのであって、引き揚げ問題に関して向うの国とわずかに開いておった窓が、引揚三団体という民間団体を通じて窓が開いておったのであるから、やはりそのような団体との協力あるいは打ち合せ等が必要でないか、こういうことを強く申し上げた。この問題は平行線のまま委員長は、委員長の資格において打電をされた。私ども社会党としては、これを未解決のままで委員長打電されるということを了承したわけではないのであります。そういう点を私はここではっきりいたしておきたいと思うのであります。しかるところ、向うの政府から、きょう拒否の回答をちょうだいしたということは、まことに私どもとしては残念千万でございます。しかし、いずれにしても、留守家族数千数万の悲願というのは、今日依然として残っておるのであり、われわれは今後この問題をいかに処理するかということについて、やはり最善の努力を続けていかなくちゃならないと思うのであります。そこで、委員長に私は、私どもの主張した点がその後の中共政府からの返事等に徴して間違っておった間間違っておったと言うと語弊がありますが、今までのこの成立しなかった点について、委員長としては十分反省しておられると私ども思うのでありますが、どういう反省をしておられるか、この点を一点お伺いしたい。
  22. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 お答え申し上げます。御指摘のように、中共に折衝するに当りましては、従来引き揚げの実施を直接やっておりました民間の三団体を通じてやってはどうかというようなお話があったことは、事実であると思います。ところが私は、ただいま櫻井委員が申されましたように、三団体引き揚げの仕事はやっておりますけれども、われわれが今回中共に行こうとしておりますのは、その問題よりもむしろ、未帰還者消息を明らかにしたいという問題、あるいはまた遺骨の収集の問題、戦犯釈放の問題というようなことで、民間のやっております引き揚げ業務以外のことが仕事の大部分であるから、あながち三団体の手を経て交渉しなくてもよかろう、国会議員という立場で参りますわけでありますから、国会議員という立場で直接折衝することが妥当であろうという考えでやったのでございます。そこで、そのことがよかったかどうか、どんな反省をしているかというお尋ねでございますが、私はこれは今でも間違っておるとは思っておりません。やはりその方法以外にはなかったと思っておるわけであります。そこで、民間の三団体を通じて向うに交渉いたしたにいたしましても、中共が申しておりますこと、二、三年前から言い続けておりますことは、行方不明という問題は全然中国にはない、かように申しておりますわけでありますから、その点で根本的に違うわけでありまして、これはどういうルートでいきましても、そういうことを考えております以上、なかなか話が進みにくいんじゃないかと思っております。従って、今後この中共との折衝は、これで放棄してしまうということであってはならないと思いますけれども、その折衝の方法といたしまして、三団体を通じて今後やることが効果的であろう、そういうことによってやれば、こちらの希望がかなえられるであろうというふうには、現在も考えておりませんわけであります。
  23. 櫻井奎夫

    ○櫻井小委員 私は三団体を通じてやれと言ってるんじゃありません。三団体と十分協議をして——全然協議がないでしょう、一言のあいさつもない、そういうことを言ってるんで、何も国会議員が行くのに三団体に頭を下げて、三団体からよろしく頼みますというような手続を踏めというのじゃないです。
  24. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 それは先ほどお話もありましたように、私は行くということになりますれば、中共訪問するということになれば、三団体とじっくり相談いたしまして、そうしてこういうような要件を帯びて行って交渉してきたいと思っている、それについて何か御希望なり御意見はございませんかという熟議懇談はやるつもりであります。これは向うに行こうとしております与党の意見がことごとくそうであったというわけではございませんが、おそらく私は団長ということになろうかと思っていたわけでございますが、そういうことになって行くということになりますれば、当然三団体話し合いをいたしまして、その意向、希望は十分尊重したい、かようには考えておったのです。それはあなた方にお話しておった通りなんでございます。
  25. 櫻井奎夫

    ○櫻井小委員 時間がないようですから、その点はあとにいたしますが、これは、しかし返事が来たのはあなたには直接来てない、三団体を通じて来ている。こういう点も今後の折衝については、十分向うの立場というものも考えていかないと、こういう問題は解決がつかないと私は思うのです。時間がないそうでありまして、ほかの委員から非常に督促を受けておりますので、外務大臣にお尋ねします。  今回の不調に終った原因にはいろいろな問題があるでしょう。それは非常に複雑な問題でありますし、長い間この問題は時日をかけて努力してきておるわけでありますが、しかし先ほど委員長がお読みになり、またお手元にもあるかと思いますが、向うの周恩来首相からこちらにあてた手紙の中でも、総理大臣岸信介氏が台湾に行って、きわめて中共を誹謗するような発言を行なっておる。こういうことが向うの感情を刺激したということは、この返答にもはっきり書いてあるし、私はいなめない一つの事実であろうと思うのであります。そういう条件の中で、向うに置いております通商代表北京からこちらに帰すというように、中共日本に対する態度というのは、今日岸さんの東南アジア訪問以来非常に風当りが変ってきておるというふうに私どもには判断ができるわけでありますが、こういう情勢の中で、一体新しい外務大臣は、この引き揚げの問題をどのような構想で進めようとなさっておるのか。先ほどお伺いしますと、こういうものは、法律論議では解決できないし、もっと高い人道的な立場に立って向うの政治的指導者に了解をつけたいというようなお考えのようでありますが、私もそれ以外に方法はないと思うのであります。それについて、もっと突っ込んだ具体的な新しい外務大臣としての御所信をお聞きしたいのであります。
  26. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 今回の議会からの調査団が行けないということになりましたことも、まことに私ども遺憾と思っておりますが、また在ジュネーヴ総領事を通じての同等も、これもまた遺憾だと思っております。今後この問題を、先ほど申しましたように、私としてできるだけ人道的な高い立場から中共の指導者に訴えて参らなければならぬと思うのでありますが、ただ今回のこの拒絶が、岸総理の台湾における言動にのみ原因があるのではないかというふうにとられておる点は、私はいささか誤解があるのではないか、しかも報道の上においても誤解があるんじゃないか。岸総理はかねて人道問題としてこの問題を国交未回復であろうとぜひとも解決をしなければならぬという熱意に燃えておられるのでありまして、その面からしばしば議会等においても言明をされておると思うのであります。岸総理が何か中国国内問題に関与するような言説をしたということは、これは全くの誤解でありまして、先般の外務委員会における岸総理の説明でも、御了解いただけるのではないかと思うのであります。もししかしそういう点で理解を欠く点、誤解がありますれば、当然われわれとしても今後そういう誤解は打ち消していきたい、こう考えております。
  27. 櫻井奎夫

    ○櫻井小委員 それで、どのような観点に立ってこの問題を処理していかれようとするのか。人道的な立場に立ってといっておられますが、向うの総理なりそういう指導者に、この問題の解決をあなたは外務大臣として何とか打開するような努力を払われるのかどうか。きわめて抽象的なことでは、これは私どもだけでなく、留守家族がたくさんいるわけです。こういう人たちが非常な不安をもってながめているわけで、どうかそういう人たちに納得のいくような御説明をこの場所を通じてお願いしたい。
  28. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 御承知のように、この問題は極力政府としても解決を進めていかなければならない問題と私は考えているわけであります。そこで、まず第一は、誤解の上に立っていろいろ話し合いをしても無理だと思うのでありまして、やはり今回起っておりますような誤解がもしあるとすれば、総理の言動その他について、報道の不備、その他から誤解があるとすれば、そういう点はまず十分に誤解を解いていく、誤解が解かれた上で具体的に話し合い方法をつけていくということでなければならないと思います。
  29. 櫻井奎夫

    ○櫻井小委員 次に、それでは厚生大臣にお伺いいたしますが、これは先ほど委員長からもお話がございましたように、留守家族の問題は早急な解決の曙光を認めておったわけでありますが、このような事態になってなかなか長引くというようなことも一応考えられる。従って、この留守家族援護ということについては、今後さらに強化していかねばならぬということは当然だと思うのであります。その強化の具体策は、ただいま鋭意研究中であるという大臣の御答弁でありましたが、これは私は非常にふに落ちない。なぜかなれば、この留守家族援護をいかに強化するかということは、当委員会としては特別に専門の小委員会を設けまして、三法——いろいろな援護法あるいは恩給法等の関連法律におけるいろいろな矛盾あるいは不合理、そういう点につきまして十分調査研究をし、それらの問題の未解決のものはただいま開かれている恩給制度調査会の方に意見をつけて送り込んであるわけであります。従って、このことはもう調査研究は十分済んでいるのであって、厚生省としては、ここらで、この委員会でいろいろな方面意見を聞いて、答申したところの具体策を鋭意具体的に恩給制度の上に生きるように御努力なさるのが、私は当面の厚生省の責任だと思う。ところがまだ具体策を研究中だというようなことでは、はなはだ私どもは納得できないのでありますが、その点一つ大臣の御所信をお伺いしたいと思う。
  30. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 お話ごもっともだと思うのでありますが、しかし、まず第一に、こういう未帰還者の問題につきまして前提となるこの未帰還者の実際の内容でございます。生死不明の状態にある、あるいは判然した人もその中から出て参る、こういうような状況でございますから、私どもとしてはまずこの未帰還者内容調査し、そうして幸い向うが六千名の日本人がいるのだと言うならば、それを手がかりにして実態を把握いたしたい、これが第一である、こういうふうに考えているのであります。なお、現在の留守家族援護法の問題につきましても、期限が参りますまでに、われわれがそれらの問題についていろいろ具体的に解決すれば間に合う問題でなかろうか、こういうように私は考えているのでありますが、各種の委員会及び調査会等におきます御意見につきましては、むろん私ども十分尊重して参るつもりでいるわけでございます。
  31. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 中山マサ君。
  32. 中山マサ

    ○中山(マ)小委員 私は少し方面を変えまして、ソ連の方の問題、樺太の問題をお尋ねいたしたいと思うのでありますが、今次のソ連引き揚げは、門脇モスクワ大使に引き揚げ名簿を渡されましたのは二百五十八名ということになっておりますが、実際に引き揚げてきた人は二百十九名ということになっております。この食い違いは、先方といたしましてはどういうふうに説明をしておるのでございましょうか。私一時半に汽車に乗らなければなりませんので、一時には出なければなりませんから、どうぞ一つスピード・アップでお願いいたします。
  33. 河野鎭雄

    ○河野説明員 ただいま御指摘になりましたように、最初二百五十八名という名簿が参ったのでありますが、現実には二百十九名、その二百十九名が全部二百五十八名の中に入っておる人ばかりじゃございませんので、二百五十八名に入っておらない者も含めて二百十九名ですから、二百五十八名との開きがそれだけ大きいわけです。この点につきましては、中共地区と違いまして、ソ連とは国交が開けておりますので、今度の引き揚げに当りましても、政府職員が乗って向うに参ったのであります。その点何とかはっきりさせたいものということで問い合せをしたのでございますが、向うの方では、現在帰りたい者はこれだけであるということ一点張りで、その食い違いを正式に教えてもらうことができなかった。この点につきましては、今後も在外公館もあることでございますから、いろいろの手段を講じまして明らかにして参りたい、かように思っておるわけであります。ただ、帰って来た人たちの話を聞いてみますと、たとえば財産処理が間に合わなくて乗らなかった、あるいは朝鮮人の夫について許可がおりなかったために断念をした、あるいは事務上のミスで乗れなかったというふうなことがございますが、この点も間接でごさいますので、さらに……。
  34. 中山マサ

    ○中山(マ)小委員 わかりました。簡単に……。
  35. 河野鎭雄

    ○河野説明員 先ほど申し上げましたような方法を通じまして、明らかにして参りたいものと存じます。
  36. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 皆さんお時間があるようでございますから、一つ簡明にお願いいたしたいと思います。
  37. 中山マサ

    ○中山(マ)小委員 その次の問題は、樺太からの引き揚げですが、これは第一次だということを聞かされておるように思いまするが、第一次があれば第二次、それに続くものがあるのではなかろうかと思うのでございますが、この点はどういうふうにお聞き込みになっていらっしゃいますか。
  38. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 樺太にはまだ帰還希望しておる者が現にあるわけでございます。そのほかに、われわれの調査によってなお相当の人がいるということから推定いたしますと、今後第二次の帰還者があってしかるべきものである、こう考えております。
  39. 中山マサ

    ○中山(マ)小委員 この問題につきまして、外務大臣にお尋ねをしたいと思うのでございます。樺太から帰って参りました吉田参考人の話を聞きますと、引き揚げに関しては、引き揚げて帰れるということ自体すらも山の奥の方にいる人には通じていない、こういうことではなかなか引き揚げも迅速にいかないんだというお話でございます。幸いにして、ソ連とは国際的にもおつき合いができるような立場になっておるのでございます。モスクワに大使館というものがおありになりまするが、ほかの国との交際の行き方を見ておりますると、大使館あるいは公使館があれば、領事館の設置も可能であるように思います。しかし向うの事情が私にははっきりわかりませんので、外務大臣にお尋ねをしたいのでございますが、樺太にそういうふうな出張所と申しますか、領事館というようなものがございますれば、やはり血は水よりも濃いのでありますから、もうちょっとらしい伝達というものが可能であるのではなかろうか、こういうような気がいたします。その領事館の設置の要請を門脇大使を通じてソ連へなされる御意思があおりなのかどうか、またそういうことが可能であるかどうか、お尋ねいたします。
  40. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 ソ連に領事館を将来設置することについては、考えておるわけでありますが、この問題に関連してばかりでなく、一般の通商関係の問題とも関連して、今後の問題になると思いますので、現在まだ要求はいたしておりませんが、外務省といたしましては、在モスクワ大使館の職員をだれか樺太に派遣したい、こう思って、折衝をいたしたいと思っております。
  41. 中山マサ

    ○中山(マ)小委員 新聞紙上で見ますると、留守民族から非常なる、要望が政府に対して出ておる。私も国連へオブザーバーとしてこの問題をひっさげて参りました体験者といたしまして、その時分からいたしますと、だいぶ引き揚げができて参りました。引き揚げが促進され、留守民族の数が減って参りますと、逆に留守家族というものの心配は深刻になって参るのでございます。政府におきまして、あるいは自分たちは少数団体になったから、もう大して自分たちのことを考えていないのではないかというような気持を起す、悪い言葉で申しますと、ひがみが出るということも言い得られるのではないかと思って、私も非常にこの問題については心配をいたしております。どうぞ一つ迅速にこういうことを御要請賜わりまして、新しい感覚で外務大臣に御就任いただいたということを新聞紙上でお心意気を私も聞かせていただいて非常に意を強くしておるわけでございますが、どうぞ一つしろうと大臣の腕前をここで発揮していただきましたら、非常にけっこうであろうかと思うのでございます。  それにつけましても、私はこの九名の——これは少しまた方面が急転換して参るのでございますが、との九名の拿捕された漁夫を指定された海上に迎えに来れば、こちらから船を出して渡してやるということを向うが公約をいたしまして、わが政府におきましては、言われました通りに船を出して、九人の漁夫を受け取るべく指定地へ参りました。ところが待てど暮らせど向うの船は来ない。とうとう九人の漁夫を引き取り得ずして帰ってきたという報道を聞いたのでございますが、いわゆる名簿に載っていない人を帰したり、名簿に載っている人も帰さなんだり、私もこの十年余り引き揚げの問題に関連いたしておりますが、一向約束が果されない。言うこととすることは、だいぶんに違うということは、もう痛いほど知っているのでございます。これに対して外務大臣はどういうふうな措置をおとりになりましたか、またおとりになるおつもりでいらっしゃいますか。これは引き揚げ、いわゆる戦争に関しての抑留者ではございませんけれども、やはり戦争から派生したところの抑留問題であると私は見ておりますので、ことに遠海へ出て漁業をする人たちの妻子というものは、非常に生活に困難をするであろうと思います。たとえば商家の人が行っておるのと違って、そのあとの仕事を自分が引ま受けてやるという腕もないと思います。漁夫は私はまことに気の毒な家庭であると思いますが、この点どういうふうにしていただけますか、お伺いいたします。
  42. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 九人の漁夫の引き取りに関しましては、八月二日にソ連大使館から連絡がございまして、外務省としては交渉をいたしまして、その後、八月十二日に引き取る、ただし、当日が荒天の場合には八月十二日から五昼夜後に引き渡しをするという約束になっておるわけであります。十二日になりまして海上保安庁から連絡をソ連の方にいたしたのでありますが、連絡がないのでありまして、その日が船を出せないような荒天であったかどうかということはまだ確実にわかっておりませんけれども、しかし最初は、もし荒天とすれば、五昼夜後の十七日に渡すという約束になっておりますので、その期間を見ました上で、さらに適当な処置をとりたいと思います。
  43. 中山マサ

    ○中山(マ)小委員 もっとお尋ねしたいのでございますが、時間がございませんので……。こういうふうにいたしまして、ピーター大帝湾のああいうふうな向うの処置とか、あるいは李ラインだとか、国際法の慣例にないところのいろいろなる問題がひんぴんとして起きて参りまして、わが国の業界も非常に困難をきわめておるようでございます。こういうふうにわが漁船を拿捕しておる国、そうしてその拿捕された漁夫の数、おわかりでございましたら——私はこれで終らしていただきたいと思います。
  44. 板垣修

    ○板垣説明員 韓国の方についてお答えいたします。韓国の関係で現在拿捕されている船は百三十八隻、未帰還者は九百四十人でございます。
  45. 金山政英

    ○金山説明員 ソ連の方を申し上げます。未帰還の拿捕漁夫は七十四名、拿捕漁船は百十八隻であります。
  46. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 戸叶里子君。
  47. 戸叶里子

    戸叶委員 時間がないようでございますから、一、二点だけ伺いたいと思います。  戦争というものは、勝った国も血けた国も非常に悲惨な目にあわせるとある人が言っておりましたが、全くその通りで、引き揚げの問題などはその犠牲の最大たるものだと思うのです。従って、この問題を早く解決することが必要だと思います。先ほど中国との賢き揚げ問題につきましても、外務大臣ははっきりと、いろいろな誤解があってはなかなか解決がつかないから、あらゆる誤解をといた上で引き揚げ問題を解決したい、こういうことをおっしゃいました。まことにその通りだと思うのです。そこで私どもは、中国側から言われたことに対しても、それがどんなに日本にとっていやなことでも目をおおわずに、やはり率直に悪いことは悪いこととして謝罪し、そして日本の言うこともはっきり聞いてもらう、こういうことが必要だと思うのです。そこで、この引き揚げ問題について、ジュネーヴでしばしば中国側から提出せられていることで、戦争中、東条内閣の時代に、中国大陸からずいぶん人を連れてきて、その人たちに非常によからぬ苦労をかけたというようなことが言われていたわけです。これに対して何ら日本政府が謝罪するような態度がなかったかのようにも聞き、またそのことが大へん中国側の感情を刺激しているようにも伺います。こういう点も、もしもそういうふうであるならば、謝罪すべきことは謝罪し、はっりきりさせるべきことははっきりさせて、さらに日本の国の政府も認めておられるように、一応なくなられたかもしれないといわれている三万何千かの方々のことに対しても、留守家族の人たちに何らかのけじめをつけてあげなければ、不安な気持でならない、こういうふうな態度をもって解決さるべきであろうと思います。これに対して外務大臣はどうお考えになりますか。
  48. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 この問題は、先ほどから申し上げております通り人道的な問題でありまして、私どもとしては、十分中共側の指導者の方々の理解と同情に訴えて、いろいろ政治的問題による誤解から離れて問題を考えていただきたい、こう考えております。従いまして、人道上の問題その他でわれわれが考えなければならぬ点については、それは十分考慮していく必要があると思います。そういう点もできるだけやっていきたい。従って、遺骨収集等につきましても、今まで民間団体がやっておられたのですが、そういうものも限界が来ておるような感じがしてきておりますので、政府日本における中国人の人々遺骨収集等についてはさらに磁極的に考えていきたい、そういうもの全般を通じてやはり日本の真摯な意思を表わしていきたい、こう考えております。
  49. 戸叶里子

    戸叶委員 ただいまの御意見を伺いまして、ぜひそういうふうにしていただいて、そうしてお互いにざっくばらんに話し合って、人道上の問題として私はやはり解決していかなければならない、こう考えるわけでございます。委員長の報告については、いろいろ質問もありますけれども、時間がございませんから、これはあとの機会に、それに関連して大臣に伺いたいと思います。  もう一つ、先ほど厚生大臣が、今回の戦犯並びに帰国希望者のために、船を塘沽に来月配船してほしいという申し入れがあったのに対して、特別な配船はしないというふうなことを先方に知らせたというような御答弁がございました。これはどういう方法でどこからお出しになったのか、お伺いいたします。
  50. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 その点に関しましては、御承知通り、従来特別の配船をいたしておったのでございますが、興安丸自体の用船も契約が満了になりまして返しました。その他の船の都合も考えたのでございますが、外務、運輸、厚生の三省の事務当局が相談いたしました結果、今度の戦犯も、実はまず第一に戦犯八名その他の帰国希望者がどの程度ありますか、その点はまだ判明いたしておりません。ただ十六次の経験によりますと、本来この引揚団体に入るべき性格のものでない方々があって、乗船まぎわに両方の間の意思の疎通がなくて混乱を起したようでございます。それらにつきまして混乱を再び繰り返さないように、現在すでに定期、不定期の船が就航いたしておるようでございますから、これらの便船を利用するというふうな方法を向うに打診して、あらかじめトラブルを起さないようにという配慮で、向うに電報で照会いたしたような次第でございます。
  51. 戸叶里子

    戸叶委員 そういたしますと、結局今までいろいろ骨を折られましたが、いわゆる戦争前に向うで結婚された日本婦人の里帰りの問題ももう考えないで、それから居留民の人たちもどの程度であるかわからないから、大体戦犯で返される八人だけを対象にして船を考える。——船を考えるというよりも、便船を利用するようにしたらいいのじゃないか、こういうお考えでございますか。
  52. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 まだ今照会中でございますので、はっきりその点についてはどういう内容の引揚者が来るかわからないのでございます。ただ十六次の経験からだけ推定して心配いたしまして、向うに照会いたしておるような次第でございます。率直に申しまして、非常に数が少い引揚者の場合には、便船を利用すれば、常時こっちに帰ってくるような道も開けるのじゃなかろうか、そういう道を開くことが、特別の措置をしないで帰ってこられるような状態を作る方が、かえってお帰りになるのにも便宜ではなかろうか、こういうことが一つのねらいでございまして、それから帰ってこられる人の内容につきましては、これはいろいろあると思いますが、今言われました一時帰国希望される方々の中には、戦後日本にお帰りになって、そうして向うへ永住する目的で行かれて、そうしてこっちへ帰ってこられる一特車帰りみたいにしたいという形の方々は、普通の旅行者と考えていいのじゃなかろうか、こういうふうな考え方もあるわけでございます。
  53. 戸叶里子

    戸叶委員 今のいわゆる戦後に向うへ行かれた日本の婦人に対してはそう考えられますが、まだ終戦前に結婚した日本の婦人たちで、いわゆる一時帰国希望される人も多いと思います。この人たちに対しては、どういうふうにお考えになられるかをお伺いしたいと思います。
  54. 河野鎭雄

    ○河野説明員 従来里帰り婦人の扱い方といたしましては、たまたま便船に余裕があった場合にお乗せするというような扱い方をして参ったのでございます。だんだん帰る人も少くなって参りましたことは、ただいま大臣からお答え申し上げた通りでございます。一方興安丸も解除になり、他に適当な配船も困難であるというふうなこと、それからむしろ常時引き揚げ態勢を作っておいた方が、かえって引揚者のためになる場合もあるのではないか、と申しますのは、たとえば集結をいたしますれば、そのときに何かの事故で帰れない人は、次の機会を待たなければならないというふうなことにもなりますので、いつでも逐次帰れるというふうな態勢にしておいた方が、かえって引揚者のためにもなるというふうなことも考えられます。また一方、財政的な面を考えてみましても、配船いたしますとかなり多額の経費を要するわけでございます。今申し上げましたような方式によりますれば、その点も非常に経済的にできる。それで引き揚げ目的を達しないということであればこれはまた別問題でございますが、常時引き揚げ態勢をとっていて、便船を利用して帰るという道を開いておけば、引き揚げには支障がないのではないかというようなことで、今回二団体を通じて政府の意向を中共の方に伝えてもらうというふうなことにいたしたわけでございます。こういうふうなことになりますれば、本来の引揚者以外の里帰りというふうなものは、原則にかえって旅行者というふうな扱いになるのではなかろうか、かように考える次第でございます。
  55. 戸叶里子

    戸叶委員 大へん懇切丁寧にして下さるのですけれども、少し私の質問よりもずれているようなきらいがあるのです。と申しますのは、私が単刀直入に結論だけ伺いたかったのは、戦前から日本の婦人で向うの人と結婚した人の一時帰国に対しては、どういう思いやりをお持ちになるかということだったのです。これを一つ。  それから時間をセーブいたしますために、もう一つ伺いたいのは、厚生大臣は今度の政府のお考えというようなものは、これは三団体意見と必ずしも一致していないと私は思いますが、この点はいかがでございましょうか。
  56. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 今私がこちらで結婚されてお帰りになって、そうしてまた時里帰りの例をあげましたが、説明員から答弁しましたのは少し全体的になり過ぎているのですが、御質問の、向うで結婚してこっちへお帰りになる、実はこの内容についてもいろいろあるようでございます。しかし、いずれにしても、こっちへ帰ってこられて永住されるという目的がない以上は、これは普通の引揚者とは私ども考えられない、こういうふうな考え方で進めて参っておるのであります。  それから、第二段の三団体との関連につきましては、私は今後こういう方式で行くことについて、そう御反対じゃない——何らその点についてまだ事務的に行き届いた打ち合せがしてないようでございます。それらについても、今後折衝を重ねて参りたい、こう思っております。
  57. 戸叶里子

    戸叶委員 三団体が大して反対ではないということは、私はちょっと了解に苦しむのです。と申しますのは、この引き揚げの問題については、二十八年に北京との間に北京協定が結ばれていて、そのときには、北京の先方から場所と日時が指定されれば船を出すということが協定されており、当時日赤の島津社長などもその署名をされておると思うのです。そういうふうな立場から考えるならば、船を出さないということでは非常に困られるのではないか、こういうことを考えるわけです。さらにもう一つは、この里帰りの問題にいたしましても、永住する人でなければ帰さないといいますが、中国人と結婚した婦人を帰すというような天津協定というものがかつて結ばれているわけでございまして、その線に沿うてこれまでの一時帰国なり、あるいは引き揚げの問題が行われていたのじゃないかと思うのです。そこで、そうやって考えてみますと、必ずしも三団体が今回の政府の意向に満腔の賛意を表しているかどうかということは、私は全く疑問だと思うのです。この点も伺いたいと思います。
  58. 堀木鎌三

    ○堀木国務大臣 三団体と、私の前言を翻えした点がはっきりしていなかったと思いますが、一団体とはまだほんとうの打ち合せができていないようであります。三団体との打ち合せについては、今後の問題だと思います。それから北京協定やその他によっての御趣旨の御注意がございましたが、実は先ほど申し上げましたように、急な話たったものですから、一応そういう意向を向うにお伝えすることが将来の紛争を避ける意味でいいのじゃなかろうかと思って、とりあえずそういう照会を出したというのが現状でございます。御注意の点は今後十分注意して、遺憾なきを期したい、こう考えております。
  59. 戸叶里子

    戸叶委員 ただいまの厚生大臣の御答弁によりまして、今中国に一応問い合わせて、そうして中国からの返事を待ち、さらに三団体との協議をする余裕があるということを私は大体了承いたしましたので、今後の進展によって、再び質問をしたいと思います。きょうはこれでやめます。
  60. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 受田新吉君。
  61. 受田新吉

    ○受田新吉君 外務大臣は民主的なしろうと外交をなさる手腕家という期待のもとに御登場になったのでございますが、私は去る二月総理になられたばかりの総理に、こういうことをお尋ねしたことがありました。外務大臣を兼摂供しておられる総理の御意思はどこにあるかとお尋ねしたことに対して、総理は、従来も外務大臣と総理との見解が不一致で非常に困ったことがある。だからやはり一人がやっている方がいいと思う。信頼する外相候補が得られるまではわしがやると発言されました。あなたはその意味で非常に信頼された外務大臣ということで、おめでたいことでございますけれども、しかしここで先般の周総理が岸総理中共を敵視する発言に対して、今回このような思わぬ問題が発生したわけでございます。総理の発言されたという内容については、世間でいろいろ取りざたされておりまするが、誤解を生むようなことがあったらこれは改めると言うておられますが、どういう発言をされたのか、周総理を怒らせたその最も大きな敵視的な発言はどういう言葉であったのかを、外務大臣、あなたから御発表願いたいと思います。
  62. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 私は、岸総理につきましては、台湾に参ったわけでないのでありまして、その席でどういう発言をされたかを聞いたわけではないのでありますが、先般外務委員会で総理がお話になりましたし、またわれわれの聞いておりますところでも、総理自身が中国の内政問題に関して意見を言われたことはない。ただ総理に対して、蒋介石総統が、自分の盛んな意思を言われたということは聞いておりますが、しかしそれを賛成であるとか何とか言われたことは、全然ないように思います。そういうふうに承知しております。
  63. 受田新吉

    ○受田新吉君 誤解を招いたということを解決するために努力して、そうして懸案解決にさらに一歩踏み出したいという今ごあいさつがあったわけでございますが、誤解を解いて、同時に中共側残留者問題についてこうしたきびしい回答をしておることに対して解決しようとするならば、どういう方法があるのでございますか。政府が今描いておられるその誤解を解くための、残留者の問題解決に対する具体的な方策、構想だけでけっこうですが、お示し願いたいと思います。
  64. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 先ほど申しましたように、誤解の上に立ってこういう問題が扱われますと、解決がすべて困難になります。ですから、そういう意味での誤解はできるだけ解かれることが前提だと思うのであります。その誤解を解くのもなかなか困難な場合もあろうかと思いますけれども、しかし、まずそういう誤解のない立場に立って話し合いをしていく。そこで今後こういう問題をどうして扱っていくかという御質問であるのでありますが、国連を通じて考えて参りますことも一つの方法だと思います、あるいは国際赤十字を通じて話し合いをしていくのも、一つの方法かと思います。またジュネーブの日本総領事を通じて話し合いをしていくのも、一つの方法かと思います。それらいろいろな場合を想定しながら、この問題の解決をはかりたい、こう考えております。
  65. 受田新吉

    ○受田新吉君 私は先ほど委員長から申されたことの中に、たとえば遺骨引き取りに関しての代表を送るとか、あるいは別な意味で親善を兼ねて、従来の引き揚げ協力してもらったことを感謝しながら、一方でいろいろな話し合いをしようというようなやり方、こういうようなやり方はまだ残されておると思う。そういうこれからの努力の方向というものを御検討いただかなければならぬと思うのでございます。その意味におきましては、政府代表を親善の意味で——まだ条約は結ばれておらない、平和は回復していないけれども、何かの形で政府意思代表するようなものを親善的に向うへ派遣するというような考えはないか。
  66. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 今私が御答弁申し上げた前提として、先ほど来委員長から経過の御報告のありましたような国会議員方々中共に行かれるということも、一つの方法だろうと思っております。あるいは、親善使節等を出すことも一つの方法であろうと思っております。これは民間国民の総意を代表される国会議員方々あるいは留守家族代表される方々中共に行っていただくということも、私は解決の一つの方法ではないかというふうに考えておるわけなのであります。ただ、この時期にそれをすぐ持ち出しましても、若干の誤解のありますときに、かえって拒絶されるというようなことがありますと、そういう手を打ちにくくなります。いましばらくそういう問題については、誤解の解消するのを待ちつつ、そういう考えでいきたいと考えております。むろん最終的には、政府も先ほど申し上げたような国連その他で話し合うということも考えて参りますが、その以前に、親善使節を出すというようなことも必要なことだと思います。むろん考えて一おります。
  67. 受田新吉

    ○受田新吉君 親善使節を国連を通じた交渉以前にでも考えてみたいという御意思を伺ったわけでありますが、とにかく何か誤解を受けているという現状をほどく努力をしなければ、今、留守家族についてみますならば、三十四年の七月末をもつて、留守家族手当は打ち切られる、留守豪族としての処遇を受けることができないというりっぱな法律ができておるのですから、そういうことから考えましても、大急ぎで努力しなければならない。そして留守民族援護法の二十九条には、未帰還者調査究明引き揚げ促進は、政府においてなすべき責任が法律的に規定されておるのです。その意味からもあまりのんびりとかまえて、この問題を放置するわけにいかないと思いますので、引き続き外務大臣におかれて、今、申されたような線で努力を続けられんことを希望します。  重ねてもう一つ。今日本戦犯——これは中共でも戦犯と言っておるわけですが、今、巣鴨におる戦犯者は、事もあろうに、アメリカ関係だけです。アメリカ関係だけが残っておる。中共戦犯釈放要求し、ソ連のも要求しておるこの際に、せめて日本と特に親しく交際をしおるアメリカに対しては、外務大臣として率先して米国関係戦犯をなぜ早く帰さないかと言わないのか。あなたがアメリカに行かれる前にでも、向うに行って話し合いをするのではなくて、即座にでも解決すべきではないかと思います。中共責めるに急にして、アメリカを責めるにゆるやかなる現外務大臣の見解を御表明願いたいと思います。
  68. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 私は正しいことであれば、アメリカに対しても要求することをいたしますし、正しくないことでありますれば、中共に対しても拒絶せざるを得ないこともあり得ると思います。正しいことであれば中共に対しても要求する、こういうことを考えておるので、決してとらわれた立場でなく、日本国民立場でやって参りたいと思います。
  69. 受田新吉

    ○受田新吉君 最後に。外務大臣は非常に親しみ深い面持をされております。愛される外相であるという素質を持っておられるように思う。しかもあなたは大臣になられるまでは、アジア協会の会長をしておられたと私は思っておる。そうしたアジアの国々と手を握っていくためには、あなたは非常な努力をされてこられた方だし、その方が今、外務大臣になられて、しかも民主的な自主外交を推進しようとしておられる。昔の官僚外交を打破して、こうした民主的な外務大臣が生まれたということだけでも、私はその選ばれた動機がたといとのような偏見があろうとも、その現われた結果は、とにかく不幸中の幸いであった、こういうふうに考えておるのです。その意味において、一つアジア協会長として努力された、アジア人との提携という高い理想を、外務大臣御在任中にどうぞ発揮していただくように御努力を願いたいと思います。最後にお答えをいただいて、質問を終ります。
  70. 藤山愛一郎

    ○藤山国務大臣 ただいまの御説の通り、アジア人とともに手を握っていくことに、全力を尽して参りたいと思います。
  71. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 ほかに御質疑はございませんか。——ほかに御質疑がなければ、本件についてはこの程度にいたし、これにて散会いたします。    午後一時二十八分散会