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1957-08-13 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会海外同胞引揚に関する小委員会 第2号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
三十二年八月十三日(火曜日) 午前十一時二十九分
開議
出席小委員
小
委員長
廣瀬
正雄
君 中馬 辰猪君 中山 マサ君 櫻井 奎夫君
戸叶
里子君
出席国務大臣
外 務 大 臣
藤山愛一郎
君 厚 生 大 臣 堀木 鎌三君 小
委員外
の
出席者
議 員 受田 新吉君 議 員 小林 信一君
外務政務次官
松本
瀧藏
君
外務事務官
(
アジア局長
) 板垣 修君
外務事務官
(
欧亜局長
) 金山 政英君
厚生政務次官
米田 吉盛君
厚生事務官
(
引揚援護局
長) 河野 鎭雄君
厚生事務官
(未
帰還調査部
長) 吉田 元久君 ————————————— 本日の
会議
に付した案件
海外
同
胞引揚促進
に関する件 —————————————
廣瀬正雄
1
○
廣瀬
小
委員長
これより
会議
を開きます。 本日は、
海外
同
胞引揚促進
に関する件について、
調査
を進めることといたします。 この際、お諮りいたします。小
委員外
の
委員
より
発言
の
申し出
があれば、
随時小委員外
の
発言
を許すことといたしたいと
思い
ますが、これに御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
廣瀬正雄
2
○
廣瀬
小
委員長
御
異議
がなければ、さよう取り計らうことといたします。 この際、
委員各位
に対し、私より御報告いたしたいことがございます。それは、かねて
懸案
になっております
中共
における未
帰還者問題解決
その他の
目的
をもって当
委員会
より
与野党一致
の
意見
によって
与野党合同
の数名の
委員
が
中共
におもむき、
周恩来総理
を初め、
関係政府機関
と直接
虚心たん
かいに話し合って、相互の理解を深め、よき
隣人
としての一そうの
協力援助
を懇請し、
日本国民
の
悲願
を
達成
したいと
考え
、
中共訪問
を企て、
中共側
と折衝いたしました経緯及びその結末についてであります。今日までの推移につきましては、そのつど
理事会
において御報告いたして参りましたが、先般
中共側
からの返電があり、その
内容
は全く当を失しているとは
思い
ますが、にべなく私
ども
の
申し出
を拒否して参りまして、私
ども
といたしましては、この際一応これ以上
交渉
の余地なく、最終的なものと思われますので、ここであらためて皆様に御報告申し上げる次第であります。ご
承知
のように、
中共地域
の未
帰還者
問題につきましては、ここであらためて云々するまでもなく、今なお
幾多
の問題が残されておるのであります。幸いに
昭和
二十八年以来
中国紅
十字会の好意ある
協力
のもとに、今まで前後十六回にわたって、
残留邦人
の
引き揚げ
が行われ、この間三万一千三百余名の
同胞
が
無事故国
に帰ることができましたことは、
感謝
にたえないところでありますが、
中共
における未
帰還者
の数は、
日本政府
の作成した
名簿
によれば、今なお、三万六千名近くに及び、その中には戦後十二年間にわたる絶えざる
調査
にもかかわらず、今なお
生死
すら判然としない状態にあるものが非常に多いのであります。さらにはまた、
死亡者
の確認の問題、
遺骨収集
の問題、 いわゆる
戦犯者
の
釈放
の問題、
残留希望骨
ないし一時
帰国者
の問題等々、
彼我双方
の間にはぜひとも早急に明らかにしなければならない問題が山積しておるのでありまして、これらの問題は、もはや
民間団体
の手によって
解決
さるべき問題ではなく、当然に
政府
の
責任
において処理されねばならない問題なのであります。とは申しましても、不幸にして
日中両国
の
国交
はいまだ正常化してはおらないのであります。従って、このままに推移いたしますならば、いつの日に
日中両国
間にこれらの
問題解決
のための
話し合い
が可能となるかは、何人にも見通し得ない
現状
であります。そこで、当
委員会
における今日までの
調査検討
の結果として、これらの問題が
政治
や
外交
以前の純粋の
人道
問題であるとの本質に立脚して、この際私
ども
が
中共
を親しく
訪問
して、胸襟を開いて談じ、私
ども
の所見を率直に申し述べ、この問題について伏在していると思われる
中共側
の
誤解
を解くとともに、この際この問題に関して
両国政府
間において円滑な
話し合い
がすみやかに
実現
し、
国民
多年の
懸案
がスムーズに
解決
するよう、いわば
橋渡し
の役目を果すことが最も適当であろうということに
意見
の
一致
を見た次第であります。そこで、このことは、ただに
全国
の
関係留守家族
に多大の喜悦と満足とを与えるのみならず、ひいては
日中同国
の
友好親善
の増進に必ずや大きく寄与するであろうと確信したのであります。 かくして、
中共訪問
をきめ、
理事会
においてしばしば案を練り、自由民主党及び
日本社会党合同
の数名からなる
議員団
を組織し、また
関係政府当局
とも協議の上、
政府職員
をも数名同行することといたしたのであります。
中共側
に対しましては、私からその
意思表示
をすることにいたしました。もっとも、これにつきましては、
昭和
二十九年十月
中国紅
十字会から
李徳
全
女史
、廖承志氏
寺一行
が来日せられた際、
日本
の
国会議員
が
引き揚げ
問題について
中国
を
訪問
することを歓迎すると言明いたしておることも事実であります。 そこで、私
ども
が
中国
を
訪問
しようとしました
目的
は何であったかを要約いたしまして申し上げますれば、まず第一には、未
帰還者
の
消息
を明らかにしたいということでありました。戦後十二年を経過した今日におきましても、なお
中共地域
には三万五千七百余名の未
帰還者
があり、
わが国
の未
帰還者総数
の大半を占めているのであります。しかもその大部分は、過去十年にわたる当
委員会
の絶えざる
鞭撻督励
にもかかわらず、依然として
消息
を明らかにすることができず、
国内
における
調査究明
は事実上行き詰まり、もはや
海外調査
、すなわち
中共側
の好意ある
協力
を求めてその結果を知る以外には、打つべき手がないというのが偽わりのない
現状
であります。そこで、
日中両国
の
国交
はいまだ正常化してはおりませんが、
事柄
の性質が
人道
問題でもあり、かつはまた
中共側
が従来しばしば
具体的資料
を提出するならば、困難ではあるが、できるだけ
消息調査
を行うということを言明いたしたことでもありますので、
政府
は総計三万五千七百六十七名に及ぶ
ケース別
に分類した詳細かつ具体的な
名簿
を作成して、本年五月在
ジュネーヴ総領事
を通じ、
中共側
に提示して、これについて
調査
を依頼したのは御
承知
の
通り
であります。しかしながら、過去の経験からしますれば、これにはあまり大きな期待はできないのであります。どうしても
日本政府
の係官が
北京
に出向し、駐在して、
名簿
の
内容
について詳細なる説明を行い、
中共
の
調査
に随伴して、いつにても質問に応ずるという直接にして積極的な作業が必要であります。しかるに、不幸にして
中共
とは今直ちにそのような
機会
を持ち得る
関係
にはありませんので、私
ども
が
中共
に参り、その
了解
を取りつける必要がある、その
橋渡し
となる必要があるのであります。これがいわば私
ども
の任務の第一でありました。 第二に、
中共地域
における
遺骨収集
に関する
国民的願望
の
達成
についてであります。たとえば
満州地域
における終戦時の
混乱
から、十数万に上る
同胞
が、
ハルピン
、長春、瀋陽その他の
各地
に
集団
仮埋葬されたまま今日に及んでいることは、
周知
の事実であります。あるいはまた
中国大陸
のここかしこで兵火に倒れた者や、避難の途中むなしく悲命の最期を遂げた者が、残骸を風、雨にさらしたまま今日に及んでいる者もきわめて多数おられるのであります。このように、
中共各地
には少くとも二十万人に及ぶ
同胞
が
地下
に眠り、十三回忌を迎えた今日まで弔う者もなく放置されていることは、
関係遺族
はもとより、
国民
たれ一人として忍び得ることではありません。何とかして現地を訪れ、
地下
に眠る精霊を弔うとともに、可能な限り
遺骨
を収集してこれを故山にお迎えして、
国民的敬弔
の誠を捧げたいという運動が各
方面
から提唱されつつあることは、理の当然であろうと思うのでございます。このような多数に上る御
遺骨
をことごとく収集することは事実上不可能なことでもありますが、戦後南方に北方にあるいはビルマその他にわが
政府
の手によって派遣せられました
遺骨収集慰霊団
の例にならい、
中共側
の理解ある
了解
を得て、
官民一体
の
遺骨収集慰霊団
を何とかして今年中には
中共
に派遣できるよう
中共
に懇請したいというのが、
中共訪問
の
目的
の第二でありました。もっともこの際、
戦争
中
わが国
において死没しました
中国人俘虜
、労務者の
遺骨
の問題もありますから、これは
中共
の意のあるところを十分尊重したいと思っておったのであります。第三には、
中共
におけるいわゆる
日本人戦犯
の
慰問等早期釈放
、
送還
について、全
国民
にかわって
周恩来総理
に懇請することでありました。従来
中共
は
日本人戦犯
の累次にわたる
釈放
、
送還
によって現在わずかに三十八名を残すのみとなりましたが、戦後すでに十数年を経過し、しかも各国ほとんど全面的に
釈放
を行なっている今日、
両国親善
のためにも
中共
にぜひともこれを懇願したかったのであります。 第四に、
中共側
がしばしば表明しております六千名といわれる
残留希望者
の
名簿
を取得することと、
帰国
を
希望
する者の
引き揚げ
についてであります。もしも
残留邦人
が本人の
意思
に基いて
中国
に
残留
を
希望
する限り、これらの
人々
は当然
引き揚げ
の対象からはずさなければなりません。従って、
生存者
中現に
中国
に
残留
することを
希望
しておる
人々
の
名簿
を
中国側
から提示してもらうことは、未
帰還者問題整理
の上から絶対に必要なことは言うまでもないことであります。それと同時に、これらの
人々
が一時
帰国
を
希望
する限り、問題は
引き揚げ
問題とは別個に、どう処理していくかということがむしろ今後の主要な問題となるであろうとも
考え
られるのであります。すでに昨年来一千七十一名に及ぶ一時
帰国者
が
引揚船
に便乗
帰国
し、また
日本
からは過去四年間に三千七百二十二名の華人が
中国
に渡っており、遺憾ながらそのためしばしば
混乱
を生じ、
引揚船
のスケジュールに
影響
を及ぼすに至っておるのでありまして、最近では、
中国
との間の
引揚船
は
日中両国
間の
連絡船
の様相を呈するに至ったと批評されるありさまであります。このまま放置しておくならば、遠からずして
引き揚げ
業務に重大な
影響
を及ぼすであろうことが憂えられるのであります。 私
ども
は、
昭和
二十八年以来今日まで、
中共
からの
邦人引き揚げ
に多大の功績をおさめられた
民間
三
団体
に対し心から
感謝
いたしておりますが、このように
中共
からの
引き揚げ
問題には、今後において
幾多
の困難を残し、もはや事態はかねて
民間
三
団体
から
政府
に
意思
表明されたように、
竹本政府
の
責任
において直接処理さるべき段階に来ておるばかりでなく、従来とはその
事情
も
内容
も当然に異なって参ることでもありますから、この辺で問題を
両国政府
の手に移して、最後の締めくくりをつけてもらうことが最善の
方法
であろうと
考え
られますので、これらの
事柄
について
中共側
と十分に話し合って、
原則的了解
を取りつけたいというのもまた
使命
の一つであったのであります。 以上、私
ども
の
使命
とするところを大略申し述べましたが、もしも私
ども
の
北京訪問計画
が
中共側
によって受け入れられましたならば、
誠心誠意
あらゆる
努力
を傾注いたしまして、
使命
の
達成
をはかり、未
帰還者
問題その他これに
関係
あるすべての
両国
間の
懸案
の
解決
に
一転機
を招来すべく、場合によっては
双方
で協定を結び、
共同宣言
でも発表したいと
考え
ていたのであります。その成功を心から期待していた次第であります。 このようにして、
大かた
の準備も整いましたので、正式の人選は
あと回し
にしまして、とりあえず私から去る六月五日
周恩来総理
にあてて長文の
電報
をもって
訪問
を申し入れると同時に、
李徳
全
中国紅
十字
会会長
に対しても、これが
実現方
について
あっせん依頼
の
電報
を送った次第であります。 私といたしましては、われわれが、未
帰還者
、
行方不明者
の
調査
に行くという
内政干渉
がましい
誤解
を受けないよう、そして
中共
の
人道
的な
協力
を懇願するよう真情を吐露したつもりであります。 その電文は次の
通り
であります。(発信) (
昭和
三十一年六月五日
打電
)
北京中華人民共和国
々
務院
周恩来総理閣下
衆議院議員
廣瀬正雄
突然
閣下
に対し直接
電報
を以て御願い申し上げる非礼をお許し下さい。
日本国国会
に於ては、第二次大戦により
海外
に
残留
した
日本人
の
帰国
並びに
遺家族
の
援護
に万全を期するため
昭和
二十一年七月以来
衆議院
に「
海外
同
胞引揚
及び
遺家族援護
に関する
調査特別委員会
」を設けて、これらの問題の
解決
に
努力
してきました。幸に
残留
している国々のご
協力
により、現在までにこの問題は概ね
解決
に近づいていることを
国民
と共に喜んでおります。
貴国
においても、昨年度は
戦犯
として抑留されていましたものを大量に
釈放
送還
され、また、
一般帰国希望者
についても、
中国紅
十字会のご
援助
により、
帰国
が
実現
されてきましたことは
感謝
にたえません。 現在
貴国
には、
一般残留者
の他、少数の
戦犯者
が残っておりますが、この他に
戦争
以来行方不明と
なつ
て、現存の
生死
の状況が
日本側
に判明していないものがあります。 これにつきましては、先般
日本政府
から
ジュネーヴ
の貴
総領事
を通じて
名簿
をお送りし、できる限りの
調査
をお願いしましたことは既にご
承知
のことと存じます。この問題が
貴国政府
の好意あるご
協力
によつて漸次
解決
されて行けば、
日本国民
としてこれに過ぎる喜びはありません。
前述
のように、
貴国
における
日本人
の問題は、
貴国政府
のご
協力
によつて概ね
解決
に向いつつありますが、細かい問題について、まだいろいろとご
尽力
を仰ぐ必要のあることがございます。 更にまた、行方不明の
人々
について云えば、単に
生死
不明のまま十数年を経過したというだけで、一率に死亡したものと断定することもできず、それまでには出来うる限り、あらゆる手を尽さねばならないことは
貴国
においても全く同様であろうと存じます。 このように未
帰還者
問題と申しましても、その
内容
は極めて複雑微妙なものがあり、ともすれば
お互い
の
真意
が
誤解
され易いので、何んとしても直接お会いして、虚心坦懐に話合わなければ
お互い
の気持は通じ難いものであります。 そこで、本問題について、
貴国
が従来示されたご好意を
感謝
すると共に、今後一層のご
援助
を得て、困難な問題が速かに
解決
し、
両国
の
友好親善
を増進するため、
国民
の
代表
として、私
ども
が直接
閣下
並びに
関係政府当局
及び
中国紅
十字会の
方々
をお訪ねしてご懇談申し上げ、種々ご
尽力
をお願いいたしたいと存じ、今度私(
前述
の
特別委員会委員長
)を団長として
国会議員
三名いずれも
前述
の
委員会
の
委員
)の他、
関係政府職員等
、三名
程度
を同行して
貴国
を
訪問
したいと存じます。 つきましては、これが入国の許可並びに
貴国
において
閣下
並びに
関係当局
の
方々
とご懇談申上げる
機会
を与えて下さるようここにご依頼いたします。 渡航並びに滞在に関する経費は一切当方において負抗することとし、
旅行予定
は六月中旬より約一ケ月を
希望
いたします。
一行
の氏名は右原則的ご
了解
を得次第に追報いたします。本件に関し、なるべく早い
機会
に
閣下
のご同意を得たく存じます。
閣下
のご健勝を祈ります。
敬具
(
同時打電
)
北京中国紅
十字会
会長
李徳
全
女史
衆議院議員
廣瀬
正雄
日本国民
の
悲願
とも云うべき
残留同胞
の引揚について常に高い
人道的見地
から、今日まで積極的に好意あるご取計らいを受け、極めて多数の
日本人
がそれぞれ
無事故国
に帰ることができましたことについて、私
ども
は心から
感謝
しております。 しかしながら、未
帰還者
の問題は極めて複雑で、すべてを早急に
解決
することの困難であることは、私共もよく
承知
いたしておりますが、一方、
関係家族
の
立場
から申しますならば、
生死
に関する問題でありますだけに、あらゆる手段、
方法
を尽して解明してもらいたいと要望いたしますのも亦当然のこととご諒承いただけることと存じます。 私共は
日本国国会
に於て、十年にわたつてこの困難な問題に真剣に取組んで参りまたが、結局、この問題の
解決
には、私共が
貴国
に参上して、直接
貴国関係政府当局
並びに
貫会長
及び貴会に対し、隔意なく
詳細事情
をご説明申上げ、ご
了解願つて
、今後一層のご
協力
、ご
援助
を仰ぐ以外にはないとの結論に達しましたので、本日別電の
通り貴国周恩来総理閣下
に対し、懇請の
電報
を発した次第であります。 なにとぞ、私共の
真意
を諒とせられ、私共が
貴国
を
訪問
して、それぞれ
関係機関
の
方々
とご懇談できますよう、貴
会長
の格別のご高配、ご斡旋をお願いいたします。
敬具
その後九日間を待ちました後、私
ども
の意図するところにつき、さらに敷衍徹底せしめようと
考え
まして、
理事各位
とも相はかり、六月十四日に、重ねて
周恩来総理
にあてて次のような
電報
を送つたのであります。
北京中華人民共和国国務院
周恩来総理閣下
衆議院議員廣瀬
正雄
去る六月五日
付弊電
は滞りなく
閣下
のお手許に届いていることと存じます。 未
帰還者
問題について私共が
貴国
を
訪問
し、
閣下
並びに
関係当局
の
方々
と直接
日本国民
の心からの念願をお伝え申上げ、今後より一層のご
協力
ご
援助
を得て、困難且つ
憂欝
なこの問題を
解決
し、
両国
の
友好親善
の基礎を固めたいとの私共の
真意
については
先電
によつて十分ご諒承下されたものと
思い
ます。 私共はこの問題の
解決
を
貴国
に押付けようとするのでもなければ、
貴国
において私共が自ら
調査
しようなどと
考え
ているのでもありません。純粋な
人道
上の
立場
から、私共の力だけでは到底
解決
し得ないこの問題について、良き
隣人
としての
貴国
のご
援助
を仰ぎたいという以外には全く他意はないのであります。この点について、私共の
岸総理
の
考え
も全く同様であることは、
日本国国会
においてしばしば表明されている
通り
であります。 だが、
両国
の
国交
が未だに正常化されていないということが大きな障害となっていることは私共も十分に
承知
しております。
従つて
また、私共が一種の
使命
を帯びて正式に
貴国
を訪れることについて、
日本国内
に於ても、いろいろな異論があつたことも事実であります。 しかし、私共はそうしたいろいろな制約を克服し、異例ではあれますが、
政府職員
を同行して
貴国
を
訪問
し
問題解決
の緒を開こうというところまで漸く漕ぎつけたのであります。
両国
の将来について、またこの問題について、
閣下
と私共の
考え
はいささかも喰い違うものではないと確信しております。こうした問題を通じて、
両国政府
間の現実の
交渉
や接触が
実現
し、積み重ねられて行くならば、
両国
民の
希望
の
実現
する日は決して遠くないであろうと信ずるのであります。 何卒、
日本国民
の切なる願いをお聞き入れ賜り、なるべく速かに私共にその
機会
を与えて下さるよう重ねて
閣下
のご裁可を仰ぐ次第であります。
敬具
このようにいたしまして、再度にわたって礼を厚うして
交渉
いたしたのでありますが、日を経ても何らの応答もなく、三たび懇請するのもいかがかと
思い
、手控えておりましたところ、七月二十五日突如として
北京放送
を通じて、
周恩来総理
の談話が送られて参りますとともに、同夜
李徳
全紅十字
会会長
より、次のような二通の
至急電報
が送られてきました。そのうち一通は、三
団体連絡事務局あて
の写しとはなっていますが、実はそのあて名には私の名前も書いてあります。
日本衆議院
廣瀬正雄先生
中国紅
十字
会会長李徳
全 六月五日および六月十四日
貴下
から
周恩来総理
に送った二つの
電報
の写を収受しました。 七月二十五日
中国紅
十字会から
日本
三
団体連絡事務局
に送つた
電報
の厚を送ります。 われわれは、
貴下
が
日本
「
衆議院引揚委員会委員長
」の
名義
をもつて提出した、
わが国
を来訪していわゆる「行方不明」の
日本人
の問題を
交渉
するとの、
要求
に同意することはできません。 この問題は決して存在しないものでありますから、
従つて貴下
の
要求
も接受できないものでもります。 甚だ遺憾ながら、私には
貴下
に助力致しようがありません。
中国紅
十字会
日本衆議院
廣瀬正雄
殿
日本
三
団体連絡事務局御中
最近われわれは、
日本衆議院廣瀬正雄
氏から、
衆議院引揚委員会
の
名義
で、いわゆる「行方不明」の
日本人
問題について折衝のため
北京
へ
代表団
を派遣したい旨の六月五日および同十四日
付申入れ
に接した。 貴
我双方
が在
華日本居留民
の
帰国
問題をすでにスムーズに
解決
した後に、このような
電報
を受取つたことは、われわれの不可解とするところである。
周知
の如く、
中華人民共和国
の成立当初在
華日本居留民
は約三万五千名
程度
で、その中三万九千余名は、
当会
が
人道主義
および
中日両国人民
の
友好的精神
に則り、一九五三年貴
我双方
の
申合せ
にもとづいて、すでに
帰国
することに
協力
した。現在、
中国
に居住する
日本人
は、いずれも長期又は
暫時わが国
に居住することを願つているもので、その中には数年間に
華僑
の妻子として、
華僑
に随伴
帰国
した
元日本籍
の婦人が含まれている。 これらの
人々
で、もし
日本
への
帰国
を
希望
する者があれば、
中国紅
十字会は引続き
援助
を与えることを願つているものである。
中華人民共和国
には「行方不明」というような
日本人
問題は存在していない。これまで貴方から提出されている個々の
日本人
の
近況調査
の問題については、
当会
は貴
我双方
取極めの一九五四年十一月三日
付備忘録
第十九条の
精神
に基いて、引続きできるだけ
協力
したいと思つている。
日本
の某
方面
が、もしこれに藉口して一再ならず
中国
にいるいわゆる「行方不明の
日本人
」の問題を提議しよう企図しているならば、われわれは断じてこれを許すことはできない。
わが国
の
外交部スポークスマン
は一九五五年八月十六日の声明の中で、すでに次のように指摘している。 即ち、「過去において
日本
の
軍国主義
の
政府
に駆使されて、
わが国
に来て
侵略戦争
に参加させられたために行方不明と
なつ
た
日本人
の問題は当然
日本政府
が
日本人民
に釈明しなけれ、ばならない。」と。
中国人民
はこれに対して何らの
責任
を負うものではない。 しかし現在
日本
の某
方面
では
日本政府
の慫慂の下に一再となくいわゆる「行方不明」の
日本人
の問題を提出しているが、これは明らかに
日本人民
の視聴を
混乱
させ、過去において貴
我双方
によりなしとげた成果を抹殺しようとするものであり、特に
中国紅
十字会と
中国政府
とが数年来在
華日本人居留民
の
帰国
を
援助
して来た
努力
を抹殺しようとするものである。 さらに注意せざるを得ないことは、最近
日本
の
首相岸信介
氏は台湾に赴き、
中国
の唾棄した
蒋介石集団
と会談し、なおかつ
米国
の調子と
一致
した
中国人民共和国
を敵視する一連の言論を発表した。 これから見て
日本政府
が最近とつている各種の措置は殊更に
中日両国人民
の間に日ましに発展している
友好関係
を破壊しようとしているものであり、なお
米国
に追随し、
日本人民
の
中日国交回復
の迅速な
実現
を願うことを
阻げ
ている。 これは
中国人民
に対して非常に非友好的な表現であるばかりでなく、
日本人民
の
願望
、利益にも背くものである。 どうか上述の情況を
貴国
三
団体
に通知して下さい。
敬具
こうしてついに私
ども
の申し入れば拒否せられたのであります。私
ども
は
中共側
の
立場
を尊重しつつ、全く
政治的立場
を離れて、
与野党委員
が
一致
して、純粋に
人道的立場
から民族の
悲願
ともいうべき未
帰還者
その他の問題をでき得る限りすみやかに抜本的に
解決
しようとしたものでありますが、その企ては全面的に拒否されてしまったのであります。今なお肉親の
生存
を信じつつ、ひたすら
帰還
の日を一日千秋の
思い
で待ちわびている
留守家族
、せめても
生死
の別だけでも明らかにしたいとこいねがう
留守家族
、こうした
全国
幾千、幾万の
留守家族
の
方々
の悲痛な境遇を思うとき、うたた断腸の
思い
がするのであります。しかも、私の最も遺憾と
思い
ますことは、誠意を披瀝した私
ども
の懇請をいれられないばかりでなく、
中国
には断じて行方不明は存在しないと強弁し、私
ども
の
真意
をことさらに曲解し、今もってこのような問題を提議しようとすることは許しがたい非礼であると非難して参ったことであります。私
ども
はこの際この問題をめぐって
中国側
と論争しようとは
思い
ませんが、このような状態の続く限り、
両国
友好親善
の道はほど遠いものがあると感ぜざるを得ないのであります。いずれにもせよ、私
ども
の誠意が通ぜず、
関係留守家族
を初め、熾烈な期待を寄せられた
国民
各位に対し、何らの光明ももたらし得なかったことを衷心から相済まなく思う次第でございます。 これをもって私からの御報告を終ります。 では、本件について質疑を行います。 それではまず私から
中共
地区からの
引き揚げ
問題につきまして、二、三、
政府
に所信をお伺い申したい思うのでございます。両大臣が大へんお急ぎのようでございますから、簡単に要点のみ申し上げたいと思うのでございます。 私
ども
が
中共
を
訪問
いたしたいと
考え
ておりましたことが拒否されましたことにつきましては、ただいま私から
委員会
に報告いたした
通り
でございますが、
日本政府
はことしの五月十三日に
ジュネーヴ
におきまして佐藤
総領事
から、同地区の沈平
中共
総領事
に対しまして、
日本政府
の作りました未
帰還者
名簿
を渡して
調査
方を依頼いたしたと承わっておりますが、その結果はどうなりましたか、承わりたいと
思い
ます。
藤山愛一郎
3
○藤山国務大臣 五月十三日
ジュネーヴ
の
総領事
を通じまして
中共側
に未
帰還者
の
調査
の依頼をいたしたわけであります。そういたしまして、七月二十五日に回答が寄せられて参りました。その回答の要旨を申し上げますと、一九五三年日赤等三
団体
との
話し合い
で
引き揚げ
を行い、三万五千の在外邦人中二万九千がすでに
帰還
しているが、現在の在留者は約六千名である。このほかに行方不明
日本人
というものはない、
日本政府
が、その
国民
に説明できないことを
中共
政府
の
責任
に転嫁せんとするものだ、これが同等の要旨であります。
廣瀬正雄
4
○
廣瀬
小
委員長
ただいまの大臣のお話による
中共
からの回答にいたしましても、先刻私から報告いたしました私への
中共
からの同等にいたしましても、
中共
政府
は、
中共
には
日本人
の行方不明という問題は全く存在しないと言っているのでございます。
中共
政府
ができたときに
日本
の居留民は三万五千であった。それを二万九千
帰国
さした。残りは六千名である。これらの
人々
は長くあるいは暫時
中国
にとどまることを
希望
している。従って行方不明という問題は全然ない、かように申しておるわけでございます。そこで
中共
政府
は二万九千名を
帰国
さしたと申しておりますけれ
ども
、私の
調査
によりますれば、
日本
に
引き揚げ
て参りました数は三万一千三百名ということになっておりまして、これだけでも二万九千と数字が違っております。それからまた
昭和
三十年の七月に
ジュネーヴ
の
日本
総領事
から
中共
の
総領事
に、今回と同様な未
帰還者
消息
の
調査
の依頼をいたしておるのでございますが、それはやはり今回同様に拒否されております。そのときも
中共
は
残留
者は六千名と言っておるのであります。ところがそのときからすでに二カ年たっておりまして、その後私の
調査
によりますれば約二千八百名が
中共
から
引き揚げ
て参ってきております。これだけは減っていなければならないわけでございますけれ
ども
、今回も依然として六千名と言っておるわけであります。
中共
の言っておりますこうした数字が果して事実であるかどうか、このことにつきまして
政府
はどんなふうにお
考え
になるか、これをまずお尋ねいたしたいと
思い
ます。 それから第二に、
昭和
三十年の七月には先刻申しましたように本年の五月同様に
ジュネーヴ
におきまして
総領事
を通じまして
調査
方を依頼しておりますが、同様に
中共
から行方不明はないと拒否されておるわけでございますが、今回もただいま大臣のお話によりますと、全く同じ
方法
で断わられておるわけであります。そこで
日本政府
はこうした
中共
の言い分をそのまま認めて泣き寝入りされるつもりであるか、そのことを承わりたいと思うのであります。 次に、
国民
政府
から
中共
に八年前の一九四九年に政権が移ったわけでございますが、それ以前のことにつきましては、
中共
政府
は全然知らないという建前をとっておりますようでございます。先ほどの三万五千と申しますのも、
中共
政府
ができましたときの数字なんでありまして、それ以前のことには全然触れていないのであります。ところが、こういうような
中共
政府
の態度は、国際法的に、あるいは国際慣例から申しまして許されることであるかどうか、これをお伺いいたしたいと思うのであります。 次にもう一つは、
中共
は
日本
居留民六千名が残っておる、かように申しておりますが、この六千名というのは
日本政府
の
調査
とほぼ
一致
しておるというように
日本政府
は申しております。ということは、夫婦選者を三つに分類いたしまして、第一類といたしましては、
昭和
二十四年以降
生存
の資料のあるもの、これが
中共
に五千七百名おりまして、これが
中共
の申しております
生存
居留民に当ると
考え
ておるのだろうと存じますけれ
ども
、これが第一類。それから第二類といたしましては、終戦時以降
昭和
二十三年末まで
生存
の資料のあるものが一般者が九千三百名、国際結婚をしましたのが二千七百名、合せて一万二千名ということになっております。それから第三類といたしましては、終戦以降
消息
のないもの、これが一万八千名でございます。この第一類、第二類、第三類の三つを合わせまして、総計三万五千七百名ということになっております。そこでこの弟一類につきましては、
中共
から
生存
しておりますと申しております約六千石の氏名、
現状
等の通報を
政府
として受け取っておるかどうか、またその通報を入手しようと
努力
なさっておるかどうか、これを承わりたいと思うのであります。それからいま一つ、第二類、第三類を合せて三万名でありますが、これは今後どんな
方法
で
調査
しようとなさっておりますか。
中共
は当方から具体的な資料を提供すれば喜んで
調査
してやるというように申しております。これは常に
中共
政府
の言っておるところなんでありまして、今度も私の聞いておりますところによりますれば、
政府
が
ジュネーヴ
で渡しました未
帰還者
の
名簿
はきわめて詳細をきわめたものでありまして、各人ごとにその姓名、生年月日、性別、本籍、現地からの通信、
帰還者
の証言等による最終の
消息
などこまかに詳しく書いてあるのだそうでごさいますが、こういうようなものを渡したにもかかわりませず、
調査
してくれない、そこでこの
調査
につきましては、今後どういうやり方をやっていきたいと
考え
ていらっしゃるかどうか、側とか国際的な
方法
で進めていく
方法
はないか、たとえば国際連合の力によるとか、あるいは国際連合には
中共
が加盟していないからだめであるということでございますれば、国連に加盟して
中共
を承認しておりますイギリスなどのあっせんによるとか、あるいはまた万国赤十字社の連合の力によるとか、そういうような国際的な
方法
によって何らかの従来の方式にかわるような対策が、この第二類、第三類の
消息
の
調査
につきましてはないものか、
政府
はどのようにお
考え
になっていらっしゃるか、承わりたいのであります。
堀木鎌三
5
○堀木国務大臣 数字につきましては、説明員から答弁させます。
河野鎭雄
6
○河野説明員 今、
委員長
から御指摘がございましたように、向うで発表しております数字と、私
ども
の手元で調べております数字と食い違いがあるようでございます。かつて
昭和
二十七年に
中国側
の発表した数字によりますと、
日本
に帰りたい者が三万人おるというふうなことを言うております。その翌年、すなわち二十八年に向うで
集団
引き揚げ
がこれで終ったというふうな趣旨のことを言うて参ったのでございますが、そのときの数字によりますと、
日本
に帰った者の数が二万六千二十六人であるといえふうなことを言うておったようでございます。この
帰還者
の数は当時の
日本
の資料と大体
一致
をいたしておるようでございます。
日本側
の資料によりますと二万六千十九人で、数のとり方に若干の食い違いがございますが、ほとんどこれは
一致
をしておるようでございます。それから二十九年に
中国側
の発表によります
残留
日本人
の数がございますが、それによりますと、
残留
日本人
が八千名、そのほかに
戦犯者
の数が千六十四人おるというふうな発表がなされておるのでございます。その後二十九年から三十二年、ことしの五月までに帰ってきた者が、
日本
の資料によりますと、三千八百一名でございます。今回
中国
で発表いたしました
残留
日本人
が六千名という数字でございますが、今申し上げました差引の数字と若干食い違いがございますが、この限りにおいては、そう大きな開きではないのではないか、かように
考え
るわけでございます。それから現在
日本
で、どのくらい残っておるかというふうな資料、これも正確な資料があるわけではございませんが、ただいま
委員長
からいろいろ数字をお示しいただきましたように、
ジュネーヴ
においてこちらから
名簿
を渡して御
調査
をお願いしたわけでございます。そういった資料から
考え
まして、大体七、八千名くらいはいるのではなかろうかというふうな見当をつけておるわけでございます。そういたしますと、ただいまの六千名と若干食い違いがあるわけであります。この点は善意に解釈すれば、あるいは
中国
における把握と申しますか、たとえば登録しておる数が六千名であって、そのほかにも若干把握していない数字があるというふうなことも
考え
ますれば、そう大きな開きではないのではないか、かように
考え
られる次第であります。それから行方不明の問題と申しますか、向うが行方不明の問題と言うておるわけでございますが、この間、
中国
の方に
ジュネーヴ
の在外公館を通じましてお渡ししました数字三万五千何がし、この数字は、実はこのときも
誤解
を生じないように丁寧な注釈をつけてお渡ししたわけでございます。これが全部生きておるということではなしに、むしろそのうちの大部分のものは死亡しておるであろう、しかし古いものであれば
調査
がむずかしいだろうけれ
ども
、何か手がかりが得られれば一つ教えていただきたい、そういうふうな趣旨で
調査
を依頼したわけであります。この数字は、現在
中国
に
残留
しておるという数字とは非常に縁の遠い数字であろうかと
思い
ます。以上で終りまして、また御質問がございますればお答え申し上げます。
廣瀬正雄
7
○
廣瀬
小
委員長
ただいま局長から御答弁がありましたけれ
ども
、
中共
の未
帰還者
の
消息
の
調査
の問題を今後どうしようかという大きな問題について御答弁がなかったのですが、一つ大臣の方から、はっきりした御所見をお述べ願いたいと
思い
ます。
堀木鎌三
8
○堀木国務大臣 今大体の数字については申し上げたわけでございますが、ともかく
中共側
としてはなお六千名の
日本人
が残っておるということを回答いたしておりますから、向うがこの六千名の詳細な
名簿
をくれれば、それを手がかりとして、さらに
調査
が進められるのではなかろうか、こういうふうに
考え
ておる次第であります。
廣瀬正雄
9
○
廣瀬
小
委員長
そこで、まず
政府
はその六千名の
名簿
をぜひ向うの方に要請いたしまして、入手したいとお
考え
になっていらっしゃるかどうか。
堀木鎌三
10
○堀木国務大臣 ぜひそうなくてはならない、こう思っております。
藤山愛一郎
11
○藤山国務大臣 それでは、ただいまの御質問に対してお答えをいたしたいと
思い
ます。
政府
は、先般
ジュネーヴ
の
総領事
を通じて得た
中共側
の回答をそのままうのみにいたすという気持は毛頭ないのであります。特に
責任
転嫁というような
誤解
もあるようでありますから、今後在
ジュネーヴ
の
総領事
を通じて、できるだけその
誤解
を解くようにいたして参りたい、こう
考え
ております。 なお御質問の第三点ですが、国際法違反ではないかというお話があったわけであります。この問題の
解決
に当りましては、私
ども
法律論をいろいろ論議することは、必ずしも
解決
を促進する適当な
方法
とは
考え
ておりませんので、従って、できるだけ
中共
首脳部の高邁な
政治
的識見に訴えまして、そうして
人道
的行為によって、
協力
によってできるだけこれを
解決
してもらいたい、こう思っておる次第であります。なおさらに国連、赤十字等を通じての
解決
の
方法
はないかという御質問かと
思い
ます。国連に加盟いたしました今日、国連を通じ、あるいは万国赤十字社を通じてこの問題を
解決
することも、一つの御
意見
として私
ども
十分
考え
て参りたいと思っております。しかし、
中共側
がそういう
方法
を受諾するかいなか、予断し得ないと
思い
ます。そういうことを
考え
ますと、やはりわれわれとしては、前段に申し上げたように、この問題は
人道
問題でありますので、できるだけその趣旨を体して、そうして現実には
ジュネーヴ
の
総領事
その他を通じて、十分に
日本側
の意向を伝え、
誤解
のないように解明をしていただく方が、かえって適切ではないかというふうに
考え
ます。
廣瀬正雄
12
○
廣瀬
小
委員長
それでは
中共
の未
帰還者
の
調査
がこれ以上急には進まない、つまり長期化してくるというようなことにもなりますれば、
留守家族
の
援護
ということにつきましては、何とか対策を別に
考え
なくちゃならないというように
考え
るわけでございます。つまり、
中共
に対する折衝を放棄せよと申すわけではございませんけれ
ども
、そういうことを
努力
しますとともに、二面
国内
的に法律の改正とか、あるいは新しい立法をやるということをいたしまして、
留守家族
を
援護
しなくちゃならない、かように私は
考え
ておるわけでございます。そうしたことにつきまして、
国内
的に恩給法、あるいは二つの
援護
法の改正の問題でありますとか、あるいは新しい何らかの立法をするとかというようなことについて、
政府
はお
考え
があるかどうか、お伺いいたしたいと
思い
ます。
堀木鎌三
13
○堀木国務大臣 今の段階で、私
ども
が
外交
交渉
その他を通じて、未
帰還者
の分を判明させるという
努力
は、どうしても続けなければならぬ
事柄
である、こうまず第一に
考え
るのであります。今回、
委員長
が非常に委曲を尽した御書面でありますにかかわらず、こういう回答が参りましたことは、大へん遺憾でございます。しかしながら、今の段階ではもっと私
ども
はこの未
帰還者
を
調査
し、その確実さを期する段階でなかろうかと脅えております。しかしながら、一方におきまして、問題の
解決
はともかくといたしまして、われわれは
国内
における
調査
も進めて参らなければなりませんし、また今
委員長
のお話のように、前段に申し上げた問題とは別個に、何と申しましても、現在未
帰還者
留守家族
援護
法の期限の問題もありますので、それらを
考え
合せまして、今言われるような
事柄
について、いかなる具体策を構ずべきかということをせっかく研究いたしておる段階でございます。まだ具体的にどうするかという問題につきましては、今のところ研究段階であるというふうに御了承願いたいと
思い
ます。
廣瀬正雄
14
○
廣瀬
小
委員長
次に、
中共
で、
日本人
の
戦犯
は現在三十八名残っておるということを言っておるようであります。ところが、これはどんな種類のもので刑期は何年ごろということになっておりますか。戦後すでに十二年を経過しました今日、しかも各国はすでにほとんど全面的に
釈放
いたしておるわけでございますから、そのすみやかなる
釈放
を
政府
として要請するお
考え
があるかどうか。また刑期が満了しまして、
日本
に帰ってこられる
方々
につきましての取扱い——船に乗せるとか、飛行機に乗せるとかというような
事柄
につきましてのお
考え
を承わりたいと
思い
ます。
堀木鎌三
15
○堀木国務大臣
内容
については、
政府
委員
から答弁させます。
河野鎭雄
16
○河野説明員
戦犯
の数時字につきまして、お答えを申し上げたいと
思い
ます。ただいま
委員長
からお話がありましたように、合計三十八名でございます。
名簿
も私
ども
の手上にございますが、ひっくるめて申しまして、罪状と申しますか、
戦犯
になった理由というのは、中華民国を侵したという侵華という刑になっておるようであります。刑期は十年から二十年にわたって区々でございます。内訳を簡単でございますから申し上げておきますが、十年が一人、十一年が一人、十二年が六人、十三年が五人、十四年が二人、十五年が六人、十六年が六人、十八年が九人、二十年二人、計三十八名でございます。 それから、
戦犯
に対する
引き揚げ
の方式として、飛行機を利用することはどうかというふうなお尋ねでございますが、
戦犯
の
方々
は、長年にわたっていろいろ御苦労された方でございますし、また
国民
の感情というものもあろうかと
思い
まするが、その辺も十分
考え
まして、検討してみたい、かように
考え
ております。
廣瀬正雄
17
○
廣瀬
小
委員長
次に、
中共地域
からの今後の
引き揚げ
の実施をどうするかということについてお尋ねいたしたいのでありますが、興安丸はすでに用船を解除してしまったのでありますし、
中共
政府
では、私への回答にありますように、さしあたり純粋の意味における
引き揚げ
の
希望
者はないということになっております。
引き揚げ
という仕事は、一応そういう意味においてはなくなったような気もしますけれ
ども
、
日本
にあちらの方から参っております
留守家族
への悲痛な、また熱烈な
帰還
の
希望
の通信あたりからいたしますれば、まだ相当たくさんな
希望
者が向うに残っている、
帰還
をいたしたいという
考え
のものがいるということが想像されるわけでございます。こういうような
人々
に対しまして、今後
引き揚げ
を実施する場合に、どんな取扱いをなさるつもりでありますか。乗船の手配であるとかいうような問題でございますが、そういうこと。それから、いわゆる一時
帰国者
の取扱いは今後どうするつもりでございますか。最近これが非常にふえまして、先刻も報告で申しましたように、このごろでは、
引揚船
が
連絡船
のような様相を呈しているというように世間から批判されているような状況でございます。この一時
帰国者
の取扱いをどうするか。さらにまた先般の
中共
引き揚げ
において起ったような、終戦後の
日本
から
中国
に渡りました
華僑
夫人の
日本
女性、こういう
人々
は、私はこの前はすでに天津に集結したという事実がありましたために、やむを得ずああいうことにわれわれも了承したわけでございますけれ
ども
、こういう
人々
に対しましては、今後
日本
への
帰還
について特に
援護
する必要はないと私
ども
考え
ているわけでございます。
政府
の
考え
を承りたいと思うわけであります。
堀木鎌三
18
○堀木国務大臣 先ほど
委員長
から御報告が詳しくありました紅十字
会会長
の
李徳
全からの御報告がありますにかかわらず、八月八日付
中国紅
十字会から三
団体
あてに八名の
日本人
戦争
犯罪者が近く
釈放
されるから、九月十五日から二十日までの間に太沽に配船されたいという
電報
が参っております。その際に今御質問になりました
帰国
を申請する
日本人
居留民及び里帰り婦人を
日本
船で帰す予定であるということも、つけ加えてあるのであります。
委員長
の御報告のように、前の第十六次
引き揚げ
の状況を見ますと、約手五百名の乗船者がありましたが、その中に純然たる引揚者は
戦犯
六名を含めまして百六名にすぎないのであります。他は里帰り婦人である一時
帰国者
及び戦後さらに向うに
帰国
をしたような——戦後向うに渡航し、さらに帰ってきたいというふうな状況でございますが、今回の問題に関しましても、実は
電報
の
内容
がまだ判然いたしませんけれ
ども
、十六次の
引き揚げ
に関連して
考え
られましたような
事柄
が、再度
混乱
をすると困ると
思い
まして、向うの方に、今回の
引き揚げ
に当っては特別に配船をしない、従来の定期の船が使われるように
考え
ておるがどうかというふうなことを、目下照会いたしておるような次第でございます。 なお、一時
引き揚げ
の問題についてお尋ねでございますが、これらのうちでいわゆる
引き揚げ
の本旨と違いましたものについて、特別の待遇をするということは
考え
ないでいきたい、こう
考え
ておるような次第でございます。
廣瀬正雄
19
○
廣瀬
小
委員長
それで、私は
遺骨収集
の問題、その他二、三まだお尋ねしたいことがございますけれ
ども
、両大臣の御時間の
関係
もございますし、質問の通告もありますので、一応私の質問はこの
程度
で打ち切りたいと
思い
ます。 次に、櫻井奎夫君。
櫻井奎夫
20
○櫻井小
委員
両大臣は時間がないそうでありますし、またほかの
委員
からも大別に対する質問が種々あると
思い
ますので、私は
委員長
とそれから外務大臣、厚生大臣に、それぞれ簡潔にお尋ねいたしたいと
思い
ます。 まず
委員長
への質問であります。これは本
委員会
が
北京
に派遣団を出して、永らく
懸案
になっておった諸問題を
解決
したい、これが
留守家族
の
悲願
にこたえる唯一の道であるというようなことで、
委員会
として決議をいたしまして、これが具体的な段階に移ったわけでありますが、私
ども
はこの
委員会
の
考え
方そのものは、これは全く同じような
考え
方をしておったのでありまして、全面的に賛成をし、また
委員長
のその後の御
努力
に対しても、及ばずながら御
協力
を申し上げてきたわけであります。しかし、この問題を具体的に処理するに当っては、
委員長
と私
ども
との
考え
方にはっきり相違があったということを、私はこの席上ではっきりしておかねばならないと思うのであります。私
ども
が終始一貫
委員長
と同じ
意見
で最後までやってきたのではないのであって、実際は
委員長
が
電報
を打たれるというようなときに当って、私
ども
と
意見
が対立をした、このことははっきり
委員長
にも申し上げておったはずであります。そのことは、私
ども
の
考え
方といたしましては、このような問題はやはり
委員会
だけの問題でなく、広く国論を結集していかねばならないという
立場
から、これは今までこの問題にあずかってこられたところの
民間
の三
団体
、こういうものとも十分協議を遂げて、その上で向うの
政府
と折衝をしたらどうかというのが、私
ども
の終始一貫したところの主張であったわけであります。
委員長
の方のお
考え
は、これは
引き揚げ
だけの問題でなく、本
委員会
から
委員
を派遣するのは、ほかにもっと広範な、
遺骨
の収集であるとか、あるいは
戦犯
釈放
の問題であるとか、あるいは
残留
者の
名簿
の問題、あるいは向うにおける供養の問題、こういう広い問題があるので、あくまでも
民間
三
団体
とは、事がきまったあとで相談する
機会
はあっても、事前に相談をする必要はない、こういう御
意見
であったと思うのであります。しかし、私
ども
は、これはたとい引揚三
団体
以上の広い視野に立っておるとはいいながら、
中共
とは
日本
は正常なる
国交
が途絶されておるのであって、
引き揚げ
問題に関して向うの国とわずかに開いておった窓が、引揚三
団体
という
民間団体
を通じて窓が開いておったのであるから、やはりそのような
団体
との
協力
あるいは打ち合せ等が必要でないか、こういうことを強く申し上げた。この問題は平行線のまま
委員長
は、
委員長
の資格において
打電
をされた。私
ども
社会党としては、これを未
解決
のままで
委員長
が
打電
されるということを了承したわけではないのであります。そういう点を私はここではっきりいたしておきたいと思うのであります。しかるところ、向うの
政府
から、きょう拒否の回答をちょうだいしたということは、まことに私
ども
としては残念千万でございます。しかし、いずれにしても、
留守家族
数千数万の
悲願
というのは、今日依然として残っておるのであり、われわれは今後この問題をいかに処理するかということについて、やはり最善の
努力
を続けていかなくちゃならないと思うのであります。そこで、
委員長
に私は、私
ども
の主張した点がその後の
中共
の
政府
からの返事等に徴して間違っておった間間違っておったと言うと語弊がありますが、今までのこの成立しなかった点について、
委員長
としては十分反省しておられると私
ども
思うのでありますが、どういう反省をしておられるか、この点を一点お伺いしたい。
廣瀬正雄
21
○
廣瀬
小
委員長
お答え申し上げます。御指摘のように、
中共
に折衝するに当りましては、従来
引き揚げ
の実施を直接やっておりました
民間
の三
団体
を通じてやってはどうかというようなお話があったことは、事実であると
思い
ます。ところが私は、ただいま櫻井
委員
が申されましたように、三
団体
は
引き揚げ
の仕事はやっておりますけれ
ども
、われわれが今回
中共
に行こうとしておりますのは、その問題よりもむしろ、未
帰還者
の
消息
を明らかにしたいという問題、あるいはまた
遺骨
の収集の問題、
戦犯
の
釈放
の問題というようなことで、
民間
のやっております
引き揚げ
業務以外のことが仕事の大部分であるから、あながち三
団体
の手を経て
交渉
しなくてもよかろう、
国会議員
という
立場
で参りますわけでありますから、
国会議員
という
立場
で直接折衝することが妥当であろうという
考え
でやったのでございます。そこで、そのことがよかったかどうか、どんな反省をしているかというお尋ねでございますが、私はこれは今でも間違っておるとは思っておりません。やはりその
方法
以外にはなかったと思っておるわけであります。そこで、
民間
の三
団体
を通じて向うに
交渉
いたしたにいたしましても、
中共
が申しておりますこと、二、三年前から言い続けておりますことは、行方不明という問題は全然
中国
にはない、かように申しておりますわけでありますから、その点で根本的に違うわけでありまして、これはどういうルートでいきましても、そういうことを
考え
ております以上、なかなか話が進みにくいんじゃないかと思っております。従って、今後この
中共
との折衝は、これで放棄してしまうということであってはならないと
思い
ますけれ
ども
、その折衝の
方法
といたしまして、三
団体
を通じて今後やることが効果的であろう、そういうことによってやれば、こちらの
希望
がかなえられるであろうというふうには、現在も
考え
ておりませんわけであります。
櫻井奎夫
22
○櫻井小
委員
私は三
団体
を通じてやれと言ってるんじゃありません。三
団体
と十分協議をして——全然協議がないでしょう、一言のあいさつもない、そういうことを言ってるんで、何も
国会議員
が行くのに三
団体
に頭を下げて、三
団体
からよろしく頼みますというような手続を踏めというのじゃないです。
廣瀬正雄
23
○
廣瀬
小
委員長
それは先ほどお話もありましたように、私は行くということになりますれば、
中共
を
訪問
するということになれば、三
団体
とじっくり相談いたしまして、そうしてこういうような要件を帯びて行って
交渉
してきたいと思っている、それについて何か御
希望
なり御
意見
はございませんかという熟議懇談はやるつもりであります。これは向うに行こうとしております与党の
意見
がことごとくそうであったというわけではございませんが、おそらく私は団長ということになろうかと思っていたわけでございますが、そういうことになって行くということになりますれば、当然三
団体
と
話し合い
をいたしまして、その意向、
希望
は十分尊重したい、かようには
考え
ておったのです。それはあなた方にお話しておった
通り
なんでございます。
櫻井奎夫
24
○櫻井小
委員
時間がないようですから、その点はあとにいたしますが、これは、しかし返事が来たのはあなたには直接来てない、三
団体
を通じて来ている。こういう点も今後の折衝については、十分向うの
立場
というものも
考え
ていかないと、こういう問題は
解決
がつかないと私は思うのです。時間がないそうでありまして、ほかの
委員
から非常に督促を受けておりますので、外務大臣にお尋ねします。 今回の不調に終った原因にはいろいろな問題があるでしょう。それは非常に複雑な問題でありますし、長い間この問題は時日をかけて
努力
してきておるわけでありますが、しかし先ほど
委員長
がお読みになり、またお手元にもあるかと
思い
ますが、向うの周恩来首相からこちらにあてた手紙の中でも、総理大臣岸信介氏が台湾に行って、きわめて
中共
を誹謗するような
発言
を行なっておる。こういうことが向うの感情を刺激したということは、この返答にもはっきり書いてあるし、私はいなめない一つの事実であろうと思うのであります。そういう条件の中で、向うに置いております通商
代表
も
北京
からこちらに帰すというように、
中共
の
日本
に対する態度というのは、今日岸さんの東南アジア
訪問
以来非常に風当りが変ってきておるというふうに私
ども
には判断ができるわけでありますが、こういう情勢の中で、一体新しい外務大臣は、この
引き揚げ
の問題をどのような構想で進めようとなさっておるのか。先ほどお伺いしますと、こういうものは、法律論議では
解決
できないし、もっと高い
人道
的な
立場
に立って向うの
政治
的指導者に
了解
をつけたいというようなお
考え
のようでありますが、私もそれ以外に
方法
はないと思うのであります。それについて、もっと突っ込んだ具体的な新しい外務大臣としての御所信をお聞きしたいのであります。
藤山愛一郎
25
○藤山国務大臣 今回の議会からの
調査
団が行けないということになりましたことも、まことに私
ども
遺憾と思っておりますが、また在
ジュネーヴ総領事
を通じての同等も、これもまた遺憾だと思っております。今後この問題を、先ほど申しましたように、私としてできるだけ
人道
的な高い
立場
から
中共
の指導者に訴えて参らなければならぬと思うのでありますが、ただ今回のこの拒絶が、
岸総理
の台湾における言動にのみ原因があるのではないかというふうにとられておる点は、私はいささか
誤解
があるのではないか、しかも報道の上においても
誤解
があるんじゃないか。
岸総理
はかねて
人道
問題としてこの問題を
国交
未回復であろうとぜひとも
解決
をしなければならぬという熱意に燃えておられるのでありまして、その面からしばしば議会等においても言明をされておると思うのであります。
岸総理
が何か
中国
の
国内
問題に関与するような言説をしたということは、これは全くの
誤解
でありまして、先般の外務
委員会
における
岸総理
の説明でも、御
了解
いただけるのではないかと思うのであります。もししかしそういう点で理解を欠く点、
誤解
がありますれば、当然われわれとしても今後そういう
誤解
は打ち消していきたい、こう
考え
ております。
櫻井奎夫
26
○櫻井小
委員
それで、どのような観点に立ってこの問題を処理していかれようとするのか。
人道
的な
立場
に立ってといっておられますが、向うの総理なりそういう指導者に、この問題の
解決
をあなたは外務大臣として何とか打開するような
努力
を払われるのかどうか。きわめて抽象的なことでは、これは私
ども
だけでなく、
留守家族
がたくさんいるわけです。こういう人たちが非常な不安をもってながめているわけで、どうかそういう人たちに納得のいくような御説明をこの場所を通じてお願いしたい。
藤山愛一郎
27
○藤山国務大臣 御
承知
のように、この問題は極力
政府
としても
解決
を進めていかなければならない問題と私は
考え
ているわけであります。そこで、まず第一は、
誤解
の上に立っていろいろ
話し合い
をしても無理だと思うのでありまして、やはり今回起っておりますような
誤解
がもしあるとすれば、総理の言動その他について、報道の不備、その他から
誤解
があるとすれば、そういう点はまず十分に
誤解
を解いていく、
誤解
が解かれた上で具体的に
話し合い
の
方法
をつけていくということでなければならないと
思い
ます。
櫻井奎夫
28
○櫻井小
委員
次に、それでは厚生大臣にお伺いいたしますが、これは先ほど
委員長
からもお話がございましたように、
留守家族
の問題は早急な
解決
の曙光を認めておったわけでありますが、このような事態になってなかなか長引くというようなことも一応
考え
られる。従って、この
留守家族
の
援護
ということについては、今後さらに強化していかねばならぬということは当然だと思うのであります。その強化の具体策は、ただいま鋭意研究中であるという大臣の御答弁でありましたが、これは私は非常にふに落ちない。なぜかなれば、この
留守家族
の
援護
をいかに強化するかということは、当
委員会
としては特別に専門の小
委員会
を設けまして、三法——いろいろな
援護
法あるいは恩給法等の関連法律におけるいろいろな矛盾あるいは不合理、そういう点につきまして十分
調査
研究をし、それらの問題の未
解決
のものはただいま開かれている恩給制度
調査
会の方に
意見
をつけて送り込んであるわけであります。従って、このことはもう
調査
研究は十分済んでいるのであって、厚生省としては、ここらで、この
委員会
でいろいろな
方面
の
意見
を聞いて、答申したところの具体策を鋭意具体的に恩給制度の上に生きるように御
努力
なさるのが、私は当面の厚生省の
責任
だと思う。ところがまだ具体策を研究中だというようなことでは、はなはだ私
ども
は納得できないのでありますが、その点一つ大臣の御所信をお伺いしたいと思う。
堀木鎌三
29
○堀木国務大臣 お話ごもっともだと思うのでありますが、しかし、まず第一に、こういう未
帰還者
の問題につきまして前提となるこの未
帰還者
の実際の
内容
でございます。
生死
不明の状態にある、あるいは判然した人もその中から出て参る、こういうような状況でございますから、私
ども
としてはまずこの未
帰還者
の
内容
を
調査
し、そうして幸い向うが六千名の
日本人
がいるのだと言うならば、それを手がかりにして実態を把握いたしたい、これが第一である、こういうふうに
考え
ているのであります。なお、現在の
留守家族
援護
法の問題につきましても、期限が参りますまでに、われわれがそれらの問題についていろいろ具体的に
解決
すれば間に合う問題でなかろうか、こういうように私は
考え
ているのでありますが、各種の
委員会
及び
調査
会等におきます御
意見
につきましては、むろん私
ども
十分尊重して参るつもりでいるわけでございます。
廣瀬正雄
30
○
廣瀬
小
委員長
中山マサ君。
中山マサ
31
○中山(マ)小
委員
私は少し
方面
を変えまして、ソ連の方の問題、樺太の問題をお尋ねいたしたいと思うのでありますが、今次のソ連
引き揚げ
は、門脇モスクワ大使に
引き揚げ
の
名簿
を渡されましたのは二百五十八名ということになっておりますが、実際に
引き揚げ
てきた人は二百十九名ということになっております。この食い違いは、先方といたしましてはどういうふうに説明をしておるのでございましょうか。私一時半に汽車に乗らなければなりませんので、一時には出なければなりませんから、どうぞ一つスピード・アップでお願いいたします。
河野鎭雄
32
○河野説明員 ただいま御指摘になりましたように、最初二百五十八名という
名簿
が参ったのでありますが、現実には二百十九名、その二百十九名が全部二百五十八名の中に入っておる人ばかりじゃございませんので、二百五十八名に入っておらない者も含めて二百十九名ですから、二百五十八名との開きがそれだけ大きいわけです。この点につきましては、
中共
地区と違いまして、ソ連とは
国交
が開けておりますので、今度の
引き揚げ
に当りましても、
政府職員
が乗って向うに参ったのであります。その点何とかはっきりさせたいものということで問い合せをしたのでございますが、向うの方では、現在帰りたい者はこれだけであるということ一点張りで、その食い違いを正式に教えてもらうことができなかった。この点につきましては、今後も在外公館もあることでございますから、いろいろの手段を講じまして明らかにして参りたい、かように思っておるわけであります。ただ、帰って来た人たちの話を聞いてみますと、たとえば財産処理が間に合わなくて乗らなかった、あるいは朝鮮人の夫について許可がおりなかったために断念をした、あるいは事務上のミスで乗れなかったというふうなことがございますが、この点も間接でごさいますので、さらに……。
中山マサ
33
○中山(マ)小
委員
わかりました。簡単に……。
河野鎭雄
34
○河野説明員 先ほど申し上げましたような
方法
を通じまして、明らかにして参りたいものと存じます。
廣瀬正雄
35
○
廣瀬
小
委員長
皆さんお時間があるようでございますから、一つ簡明にお願いいたしたいと
思い
ます。
中山マサ
36
○中山(マ)小
委員
その次の問題は、樺太からの
引き揚げ
ですが、これは第一次だということを聞かされておるように
思い
まするが、第一次があれば第二次、それに続くものがあるのではなかろうかと思うのでございますが、この点はどういうふうにお聞き込みになっていらっしゃいますか。
堀木鎌三
37
○堀木国務大臣 樺太にはまだ
帰還
を
希望
しておる者が現にあるわけでございます。そのほかに、われわれの
調査
によってなお相当の人がいるということから推定いたしますと、今後第二次の
帰還者
があってしかるべきものである、こう
考え
ております。
中山マサ
38
○中山(マ)小
委員
この問題につきまして、外務大臣にお尋ねをしたいと思うのでございます。樺太から帰って参りました吉田参考人の話を聞きますと、
引き揚げ
に関しては、
引き揚げ
て帰れるということ自体すらも山の奥の方にいる人には通じていない、こういうことではなかなか
引き揚げ
も迅速にいかないんだというお話でございます。幸いにして、ソ連とは国際的にもおつき合いができるような
立場
になっておるのでございます。モスクワに大使館というものがおありになりまするが、ほかの国との交際の行き方を見ておりますると、大使館あるいは公使館があれば、領事館の設置も可能であるように
思い
ます。しかし向うの
事情
が私にははっきりわかりませんので、外務大臣にお尋ねをしたいのでございますが、樺太にそういうふうな出張所と申しますか、領事館というようなものがございますれば、やはり血は水よりも濃いのでありますから、もうちょっとらしい伝達というものが可能であるのではなかろうか、こういうような気がいたします。その領事館の設置の要請を門脇大使を通じてソ連へなされる御
意思
があおりなのかどうか、またそういうことが可能であるかどうか、お尋ねいたします。
藤山愛一郎
39
○藤山国務大臣 ソ連に領事館を将来設置することについては、
考え
ておるわけでありますが、この問題に関連してばかりでなく、一般の通商
関係
の問題とも関連して、今後の問題になると
思い
ますので、現在まだ
要求
はいたしておりませんが、外務省といたしましては、在モスクワ大使館の職員をだれか樺太に派遣したい、こう思って、折衝をいたしたいと思っております。
中山マサ
40
○中山(マ)小
委員
新聞紙上で見ますると、留守民族から非常なる、要望が
政府
に対して出ておる。私も国連へオブザーバーとしてこの問題をひっさげて参りました体験者といたしまして、その時分からいたしますと、だいぶ
引き揚げ
ができて参りました。
引き揚げ
が促進され、留守民族の数が減って参りますと、逆に
留守家族
というものの心配は深刻になって参るのでございます。
政府
におきまして、あるいは自分たちは少数
団体
になったから、もう大して自分たちのことを
考え
ていないのではないかというような気持を起す、悪い言葉で申しますと、ひがみが出るということも言い得られるのではないかと思って、私も非常にこの問題については心配をいたしております。どうぞ一つ迅速にこういうことを御要請賜わりまして、新しい感覚で外務大臣に御就任いただいたということを新聞紙上でお心意気を私も聞かせていただいて非常に意を強くしておるわけでございますが、どうぞ一つしろうと大臣の腕前をここで発揮していただきましたら、非常にけっこうであろうかと思うのでございます。 それにつけましても、私はこの九名の——これは少しまた
方面
が急転換して参るのでございますが、との九名の拿捕された漁夫を指定された海上に迎えに来れば、こちらから船を出して渡してやるということを向うが公約をいたしまして、わが
政府
におきましては、言われました
通り
に船を出して、九人の漁夫を受け取るべく指定地へ参りました。ところが待てど暮らせど向うの船は来ない。とうとう九人の漁夫を引き取り得ずして帰ってきたという報道を聞いたのでございますが、いわゆる
名簿
に載っていない人を帰したり、
名簿
に載っている人も帰さなんだり、私もこの十年余り
引き揚げ
の問題に関連いたしておりますが、一向約束が果されない。言うこととすることは、だいぶんに違うということは、もう痛いほど知っているのでございます。これに対して外務大臣はどういうふうな措置をおとりになりましたか、またおとりになるおつもりでいらっしゃいますか。これは
引き揚げ
、いわゆる
戦争
に関しての抑留者ではございませんけれ
ども
、やはり
戦争
から派生したところの抑留問題であると私は見ておりますので、ことに遠海へ出て漁業をする人たちの妻子というものは、非常に生活に困難をするであろうと
思い
ます。たとえば商家の人が行っておるのと違って、そのあとの仕事を自分が引ま受けてやるという腕もないと
思い
ます。漁夫は私はまことに気の毒な家庭であると
思い
ますが、この点どういうふうにしていただけますか、お伺いいたします。
藤山愛一郎
41
○藤山国務大臣 九人の漁夫の引き取りに関しましては、八月二日にソ連大使館から連絡がございまして、外務省としては
交渉
をいたしまして、その後、八月十二日に引き取る、ただし、当日が荒天の場合には八月十二日から五昼夜後に引き渡しをするという約束になっておるわけであります。十二日になりまして海上保安庁から連絡をソ連の方にいたしたのでありますが、連絡がないのでありまして、その日が船を出せないような荒天であったかどうかということはまだ確実にわかっておりませんけれ
ども
、しかし最初は、もし荒天とすれば、五昼夜後の十七日に渡すという約束になっておりますので、その期間を見ました上で、さらに適当な処置をとりたいと
思い
ます。
中山マサ
42
○中山(マ)小
委員
もっとお尋ねしたいのでございますが、時間がございませんので……。こういうふうにいたしまして、ピーター大帝湾のああいうふうな向うの処置とか、あるいは李ラインだとか、国際法の慣例にないところのいろいろなる問題がひんぴんとして起きて参りまして、
わが国
の業界も非常に困難をきわめておるようでございます。こういうふうにわが漁船を拿捕しておる国、そうしてその拿捕された漁夫の数、おわかりでございましたら——私はこれで終らしていただきたいと
思い
ます。
板垣修
43
○板垣説明員 韓国の方についてお答えいたします。韓国の
関係
で現在拿捕されている船は百三十八隻、未
帰還者
は九百四十人でございます。
金山政英
44
○金山説明員 ソ連の方を申し上げます。未
帰還
の拿捕漁夫は七十四名、拿捕漁船は百十八隻であります。
廣瀬正雄
45
○
廣瀬
小
委員長
戸叶
里子君。
戸叶里子
46
○
戸叶
小
委員
時間がないようでございますから、一、二点だけ伺いたいと
思い
ます。
戦争
というものは、勝った国も血けた国も非常に悲惨な目にあわせるとある人が言っておりましたが、全くその
通り
で、
引き揚げ
の問題などはその犠牲の最大たるものだと思うのです。従って、この問題を早く
解決
することが必要だと
思い
ます。先ほど
中国
との賢き揚げ問題につきましても、外務大臣ははっきりと、いろいろな
誤解
があってはなかなか
解決
がつかないから、あらゆる
誤解
をといた上で
引き揚げ
問題を
解決
したい、こういうことをおっしゃいました。まことにその
通り
だと思うのです。そこで私
ども
は、
中国側
から言われたことに対しても、それがどんなに
日本
にとっていやなことでも目をおおわずに、やはり率直に悪いことは悪いこととして謝罪し、そして
日本
の言うこともはっきり聞いてもらう、こういうことが必要だと思うのです。そこで、この
引き揚げ
問題について、
ジュネーヴ
でしばしば
中国側
から提出せられていることで、
戦争
中、東条内閣の時代に、
中国大陸
からずいぶん人を連れてきて、その人たちに非常によからぬ苦労をかけたというようなことが言われていたわけです。これに対して何ら
日本
の
政府
が謝罪するような態度がなかったかのようにも聞き、またそのことが大へん
中国側
の感情を刺激しているようにも伺います。こういう点も、もしもそういうふうであるならば、謝罪すべきことは謝罪し、はっりきりさせるべきことははっきりさせて、さらに
日本
の国の
政府
も認めておられるように、一応なくなられたかもしれないといわれている三万何千かの
方々
のことに対しても、
留守家族
の人たちに何らかのけじめをつけてあげなければ、不安な気持でならない、こういうふうな態度をもって
解決
さるべきであろうと
思い
ます。これに対して外務大臣はどうお
考え
になりますか。
藤山愛一郎
47
○藤山国務大臣 この問題は、先ほどから申し上げております
通り
、
人道
的な問題でありまして、私
ども
としては、十分
中共側
の指導者の
方々
の理解と同情に訴えて、いろいろ
政治
的問題による
誤解
から離れて問題を
考え
ていただきたい、こう
考え
ております。従いまして、
人道
上の問題その他でわれわれが
考え
なければならぬ点については、それは十分考慮していく必要があると
思い
ます。そういう点もできるだけやっていきたい。従って、
遺骨収集
等につきましても、今まで
民間団体
がやっておられたのですが、そういうものも限界が来ておるような感じがしてきておりますので、
政府
も
日本
における
中国
人の
人々
の
遺骨収集
等についてはさらに磁極的に
考え
ていきたい、そういうもの全般を通じてやはり
日本
の真摯な
意思
を表わしていきたい、こう
考え
ております。
戸叶里子
48
○
戸叶
小
委員
ただいまの御
意見
を伺いまして、ぜひそういうふうにしていただいて、そうして
お互い
にざっくばらんに話し合って、
人道
上の問題として私はやはり
解決
していかなければならない、こう
考え
るわけでございます。
委員長
の報告については、いろいろ質問もありますけれ
ども
、時間がございませんから、これはあとの
機会
に、それに関連して大臣に伺いたいと
思い
ます。 もう一つ、先ほど厚生大臣が、今回の
戦犯
並びに
帰国
希望
者のために、船を塘沽に来月配船してほしいという申し入れがあったのに対して、特別な配船はしないというふうなことを先方に知らせたというような御答弁がございました。これはどういう
方法
でどこからお出しになったのか、お伺いいたします。
堀木鎌三
49
○堀木国務大臣 その点に関しましては、御
承知
の
通り
、従来特別の配船をいたしておったのでございますが、興安丸自体の用船も契約が満了になりまして返しました。その他の船の都合も
考え
たのでございますが、外務、運輸、厚生の三省の事務当局が相談いたしました結果、今度の
戦犯
も、実はまず第一に
戦犯
八名その他の
帰国
希望
者がどの
程度
ありますか、その点はまだ判明いたしておりません。ただ十六次の経験によりますと、本来この引揚
団体
に入るべき性格のものでない
方々
があって、乗船まぎわに両方の間の
意思
の疎通がなくて
混乱
を起したようでございます。それらにつきまして
混乱
を再び繰り返さないように、現在すでに定期、不定期の船が就航いたしておるようでございますから、これらの便船を利用するというふうな
方法
を向うに打診して、あらかじめトラブルを起さないようにという配慮で、向うに
電報
で照会いたしたような次第でございます。
戸叶里子
50
○
戸叶
小
委員
そういたしますと、結局今までいろいろ骨を折られましたが、いわゆる
戦争
前に向うで結婚された
日本
婦人の里帰りの問題ももう
考え
ないで、それから居留民の人たちもどの
程度
であるかわからないから、大体
戦犯
で返される八人だけを対象にして船を
考え
る。——船を
考え
るというよりも、便船を利用するようにしたらいいのじゃないか、こういうお
考え
でございますか。
堀木鎌三
51
○堀木国務大臣 まだ今照会中でございますので、はっきりその点についてはどういう
内容
の引揚者が来るかわからないのでございます。ただ十六次の経験からだけ推定して心配いたしまして、向うに照会いたしておるような次第でございます。率直に申しまして、非常に数が少い引揚者の場合には、便船を利用すれば、常時こっちに帰ってくるような道も開けるのじゃなかろうか、そういう道を開くことが、特別の措置をしないで帰ってこられるような状態を作る方が、かえってお帰りになるのにも便宜ではなかろうか、こういうことが一つのねらいでございまして、それから帰ってこられる人の
内容
につきましては、これはいろいろあると
思い
ますが、今言われました一時
帰国
を
希望
される
方々
の中には、戦後
日本
にお帰りになって、そうして向うへ永住する
目的
で行かれて、そうしてこっちへ帰ってこられる一特車帰りみたいにしたいという形の
方々
は、普通の旅行者と
考え
ていいのじゃなかろうか、こういうふうな
考え
方もあるわけでございます。
戸叶里子
52
○
戸叶
小
委員
今のいわゆる戦後に向うへ行かれた
日本
の婦人に対してはそう
考え
られますが、まだ終戦前に結婚した
日本
の婦人たちで、いわゆる一時
帰国
を
希望
される人も多いと
思い
ます。この人たちに対しては、どういうふうにお
考え
になられるかをお伺いしたいと
思い
ます。
河野鎭雄
53
○河野説明員 従来里帰り婦人の扱い方といたしましては、たまたま便船に余裕があった場合にお乗せするというような扱い方をして参ったのでございます。だんだん帰る人も少くなって参りましたことは、ただいま大臣からお答え申し上げた
通り
でございます。一方興安丸も解除になり、他に適当な配船も困難であるというふうなこと、それからむしろ常時
引き揚げ
態勢を作っておいた方が、かえって引揚者のためになる場合もあるのではないか、と申しますのは、たとえば集結をいたしますれば、そのときに何かの事故で帰れない人は、次の
機会
を待たなければならないというふうなことにもなりますので、いつでも逐次帰れるというふうな態勢にしておいた方が、かえって引揚者のためにもなるというふうなことも
考え
られます。また一方、財政的な面を
考え
てみましても、配船いたしますとかなり多額の経費を要するわけでございます。今申し上げましたような方式によりますれば、その点も非常に経済的にできる。それで
引き揚げ
の
目的
を達しないということであればこれはまた別問題でございますが、常時
引き揚げ
態勢をとっていて、便船を利用して帰るという道を開いておけば、
引き揚げ
には支障がないのではないかというようなことで、今回二
団体
を通じて
政府
の意向を
中共
の方に伝えてもらうというふうなことにいたしたわけでございます。こういうふうなことになりますれば、本来の引揚者以外の里帰りというふうなものは、原則にかえって旅行者というふうな扱いになるのではなかろうか、かように
考え
る次第でございます。
戸叶里子
54
○
戸叶
小
委員
大へん懇切丁寧にして下さるのですけれ
ども
、少し私の質問よりもずれているようなきらいがあるのです。と申しますのは、私が単刀直入に結論だけ伺いたかったのは、戦前から
日本
の婦人で向うの人と結婚した人の一時
帰国
に対しては、どういう
思い
やりをお持ちになるかということだったのです。これを一つ。 それから時間をセーブいたしますために、もう一つ伺いたいのは、厚生大臣は今度の
政府
のお
考え
というようなものは、これは三
団体
の
意見
と必ずしも
一致
していないと私は
思い
ますが、この点はいかがでございましょうか。
堀木鎌三
55
○堀木国務大臣 今私がこちらで結婚されてお帰りになって、そうしてまた時里帰りの例をあげましたが、説明員から答弁しましたのは少し全体的になり過ぎているのですが、御質問の、向うで結婚してこっちへお帰りになる、実はこの
内容
についてもいろいろあるようでございます。しかし、いずれにしても、こっちへ帰ってこられて永住されるという
目的
がない以上は、これは普通の引揚者とは私
ども
は
考え
られない、こういうふうな
考え
方で進めて参っておるのであります。 それから、第二段の三
団体
との関連につきましては、私は今後こういう方式で行くことについて、そう御反対じゃない——何らその点についてまだ事務的に行き届いた打ち合せがしてないようでございます。それらについても、今後折衝を重ねて参りたい、こう思っております。
戸叶里子
56
○
戸叶
小
委員
三
団体
が大して反対ではないということは、私はちょっと
了解
に苦しむのです。と申しますのは、この
引き揚げ
の問題については、二十八年に
北京
との間に
北京
協定が結ばれていて、そのときには、
北京
の先方から場所と日時が指定されれば船を出すということが協定されており、当時日赤の島津社長な
ども
その署名をされておると思うのです。そういうふうな
立場
から
考え
るならば、船を出さないということでは非常に困られるのではないか、こういうことを
考え
るわけです。さらにもう一つは、この里帰りの問題にいたしましても、永住する人でなければ帰さないといいますが、
中国
人と結婚した婦人を帰すというような天津協定というものがかつて結ばれているわけでございまして、その線に沿うてこれまでの一時
帰国
なり、あるいは
引き揚げ
の問題が行われていたのじゃないかと思うのです。そこで、そうやって
考え
てみますと、必ずしも三
団体
が今回の
政府
の意向に満腔の賛意を表しているかどうかということは、私は全く疑問だと思うのです。この点も伺いたいと
思い
ます。
堀木鎌三
57
○堀木国務大臣 三
団体
と、私の前言を翻えした点がはっきりしていなかったと
思い
ますが、一
団体
とはまだほんとうの打ち合せができていないようであります。三
団体
との打ち合せについては、今後の問題だと
思い
ます。それから
北京
協定やその他によっての御趣旨の御注意がございましたが、実は先ほど申し上げましたように、急な話たったものですから、一応そういう意向を向うにお伝えすることが将来の紛争を避ける意味でいいのじゃなかろうかと思って、とりあえずそういう照会を出したというのが
現状
でございます。御注意の点は今後十分注意して、遺憾なきを期したい、こう
考え
ております。
戸叶里子
58
○
戸叶
小
委員
ただいまの厚生大臣の御答弁によりまして、今
中国
に一応問い合わせて、そうして
中国
からの返事を待ち、さらに三
団体
との協議をする余裕があるということを私は大体了承いたしましたので、今後の進展によって、再び質問をしたいと
思い
ます。きょうはこれでやめます。
廣瀬正雄
59
○
廣瀬
小
委員長
受田新吉君。
受田新吉
60
○受田新吉君 外務大臣は民主的なしろうと
外交
をなさる手腕家という期待のもとに御登場になったのでございますが、私は去る二月総理になられたばかりの総理に、こういうことをお尋ねしたことがありました。外務大臣を兼摂供しておられる総理の御
意思
はどこにあるかとお尋ねしたことに対して、総理は、従来も外務大臣と総理との見解が不
一致
で非常に困ったことがある。だからやはり一人がやっている方がいいと思う。信頼する外相候補が得られるまではわしがやると
発言
されました。あなたはその意味で非常に信頼された外務大臣ということで、おめでたいことでございますけれ
ども
、しかしここで先般の周総理が
岸総理
の
中共
を敵視する
発言
に対して、今回このような思わぬ問題が発生したわけでございます。総理の
発言
されたという
内容
については、世間でいろいろ取りざたされておりまするが、
誤解
を生むようなことがあったらこれは改めると言うておられますが、どういう
発言
をされたのか、周総理を怒らせたその最も大きな敵視的な
発言
はどういう言葉であったのかを、外務大臣、あなたから御発表願いたいと
思い
ます。
藤山愛一郎
61
○藤山国務大臣 私は、
岸総理
につきましては、台湾に参ったわけでないのでありまして、その席でどういう
発言
をされたかを聞いたわけではないのでありますが、先般外務
委員会
で総理がお話になりましたし、またわれわれの聞いておりますところでも、総理自身が
中国
の内政問題に関して
意見
を言われたことはない。ただ総理に対して、蒋介石総統が、自分の盛んな
意思
を言われたということは聞いておりますが、しかしそれを賛成であるとか何とか言われたことは、全然ないように
思い
ます。そういうふうに
承知
しております。
受田新吉
62
○受田新吉君
誤解
を招いたということを
解決
するために
努力
して、そうして
懸案
の
解決
にさらに一歩踏み出したいという今ごあいさつがあったわけでございますが、
誤解
を解いて、同時に
中共側
が
残留
者問題についてこうしたきびしい回答をしておることに対して
解決
しようとするならば、どういう
方法
があるのでございますか。
政府
が今描いておられるその
誤解
を解くための、
残留
者の
問題解決
に対する具体的な方策、構想だけでけっこうですが、お示し願いたいと
思い
ます。
藤山愛一郎
63
○藤山国務大臣 先ほど申しましたように、
誤解
の上に立ってこういう問題が扱われますと、
解決
がすべて困難になります。ですから、そういう意味での
誤解
はできるだけ解かれることが前提だと思うのであります。その
誤解
を解くのもなかなか困難な場合もあろうかと
思い
ますけれ
ども
、しかし、まずそういう
誤解
のない
立場
に立って
話し合い
をしていく。そこで今後こういう問題をどうして扱っていくかという御質問であるのでありますが、国連を通じて
考え
て参りますことも一つの
方法
だと
思い
ます、あるいは国際赤十字を通じて
話し合い
をしていくのも、一つの
方法
かと
思い
ます。またジュネーブの
日本
総領事
を通じて
話し合い
をしていくのも、一つの
方法
かと
思い
ます。それらいろいろな場合を想定しながら、この問題の
解決
をはかりたい、こう
考え
ております。
受田新吉
64
○受田新吉君 私は先ほど
委員長
から申されたことの中に、たとえば
遺骨
引き取りに関しての
代表
を送るとか、あるいは別な意味で親善を兼ねて、従来の
引き揚げ
に
協力
してもらったことを
感謝
しながら、一方でいろいろな
話し合い
をしようというようなやり方、こういうようなやり方はまだ残されておると思う。そういうこれからの
努力
の方向というものを御検討いただかなければならぬと思うのでございます。その意味におきましては、
政府
の
代表
を親善の意味で——まだ条約は結ばれておらない、平和は回復していないけれ
ども
、何かの形で
政府
の
意思
を
代表
するようなものを親善的に向うへ派遣するというような
考え
はないか。
藤山愛一郎
65
○藤山国務大臣 今私が御答弁申し上げた前提として、先ほど来
委員長
から経過の御報告のありましたような
国会議員
の
方々
が
中共
に行かれるということも、一つの
方法
だろうと思っております。あるいは、親善使節等を出すことも一つの
方法
であろうと思っております。これは
民間
、
国民
の総意を
代表
される
国会議員
の
方々
あるいは
留守家族
を
代表
される
方々
に
中共
に行っていただくということも、私は
解決
の一つの
方法
ではないかというふうに
考え
ておるわけなのであります。ただ、この時期にそれをすぐ持ち出しましても、若干の
誤解
のありますときに、かえって拒絶されるというようなことがありますと、そういう手を打ちにくくなります。いましばらくそういう問題については、
誤解
の解消するのを待ちつつ、そういう
考え
でいきたいと
考え
ております。むろん最終的には、
政府
も先ほど申し上げたような国連その他で話し合うということも
考え
て参りますが、その以前に、親善使節を出すというようなことも必要なことだと
思い
ます。むろん
考え
て一おります。
受田新吉
66
○受田新吉君 親善使節を国連を通じた
交渉
以前にでも
考え
てみたいという御
意思
を伺ったわけでありますが、とにかく何か
誤解
を受けているという
現状
をほどく
努力
をしなければ、今、
留守家族
についてみますならば、三十四年の七月末をもつて、
留守家族
手当は打ち切られる、留守豪族としての処遇を受けることができないというりっぱな法律ができておるのですから、そういうことから
考え
ましても、大急ぎで
努力
しなければならない。そして留守民族
援護
法の二十九条には、未
帰還者
の
調査究明
と
引き揚げ
促進は、
政府
においてなすべき
責任
が法律的に規定されておるのです。その意味からもあまりのんびりとかまえて、この問題を放置するわけにいかないと
思い
ますので、引き続き外務大臣におかれて、今、申されたような線で
努力
を続けられんことを
希望
します。 重ねてもう一つ。今
日本
で
戦犯
——これは
中共
でも
戦犯
と言っておるわけですが、今、巣鴨におる
戦犯者
は、事もあろうに、アメリカ
関係
だけです。アメリカ
関係
だけが残っておる。
中共
の
戦犯
の
釈放
を
要求
し、ソ連のも
要求
しておるこの際に、せめて
日本
と特に親しく交際をしおるアメリカに対しては、外務大臣として率先して
米国
関係
の
戦犯
をなぜ早く帰さないかと言わないのか。あなたがアメリカに行かれる前にでも、向うに行って
話し合い
をするのではなくて、即座にでも
解決
すべきではないかと
思い
ます。
中共
責めるに急にして、アメリカを責めるにゆるやかなる現外務大臣の見解を御表明願いたいと
思い
ます。
藤山愛一郎
67
○藤山国務大臣 私は正しいことであれば、アメリカに対しても
要求
することをいたしますし、正しくないことでありますれば、
中共
に対しても拒絶せざるを得ないこともあり得ると
思い
ます。正しいことであれば
中共
に対しても
要求
する、こういうことを
考え
ておるので、決してとらわれた
立場
でなく、
日本国民
の
立場
でやって参りたいと
思い
ます。
受田新吉
68
○受田新吉君 最後に。外務大臣は非常に親しみ深い面持をされております。愛される外相であるという素質を持っておられるように思う。しかもあなたは大臣になられるまでは、アジア協会の
会長
をしておられたと私は思っておる。そうしたアジアの国々と手を握っていくためには、あなたは非常な
努力
をされてこられた方だし、その方が今、外務大臣になられて、しかも民主的な自主
外交
を推進しようとしておられる。昔の官僚
外交
を打破して、こうした民主的な外務大臣が生まれたということだけでも、私はその選ばれた動機がたといとのような偏見があろうとも、その現われた結果は、とにかく不幸中の幸いであった、こういうふうに
考え
ておるのです。その意味において、一つアジア協
会長
として
努力
された、アジア人との提携という高い理想を、外務大臣御在任中にどうぞ発揮していただくように御
努力
を願いたいと
思い
ます。最後にお答えをいただいて、質問を終ります。
藤山愛一郎
69
○藤山国務大臣 ただいまの御説の
通り
、アジア人とともに手を握っていくことに、全力を尽して参りたいと
思い
ます。
廣瀬正雄
70
○
廣瀬
小
委員長
ほかに御質疑はございませんか。——ほかに御質疑がなければ、本件についてはこの
程度
にいたし、これにて散会いたします。 午後一時二十八分散会