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1957-02-16 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十二年二月十六日(土曜日)     午前十時四十八分開議  出席委員    委員長 廣瀬 正雄君    理事 堀内 一雄君 理事 山下 春江君       逢澤  寛君    臼井 莊一君       楢橋  渡君    西村 直己君       船田  中君    眞崎 勝次君       山本 勝市君    石橋 政嗣君       受田 新吉君    中井徳次郎君      茜ケ久保重光君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 神田  博君  出席政府委員         総理府事務官         (恩給局長)  八巻淳之助君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田邊 繁雄君  委員外出席者         総理府事務官         (恩給局審議         官)      青谷 和夫君         大蔵事務官         (主計官)   小熊 孝次君         厚生事務官         (引揚援護局引         揚課長)    石塚 冨雄君         厚生事務官   田島 俊康君         厚生事務官         (未帰還調査部         長)      吉田 元久君     ————————————— 二月十六日  委員大橋忠一君、木村俊夫君、辻政信君及び仲  川房次郎君辞任につき、その補欠として西村直  己君、楢橋渡君、船田中君及び山本勝市君が議  長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  海外同胞引揚及び遺家族援護に関する件     —————————————
  2. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 これより会議を開きます。  この際、厚生大臣より発言の申し出がありますので、これを許します。神田厚生大臣
  3. 神田博

    神田国務大臣 本日当委員会の御審議が行われますに先だちまして、一言ごあいさつ申し上げます。  終戦に伴いまして、引き揚げに関する諸問題は、積極的な経済の復興、祖国の再建と並んで、広く全国民からそのすみやかな解決を要望されてきました。事はきわめて重要な課題であり、歴代内閣は、困難な国際情勢にもかかわらず、関係各位の御協力はもとより、国民あげての御支援のもとに、日夜その解決に腐心して参ったのでございます。幸いにして昨年末日ソ国交の回復に伴い、最も大きな国民的宿願であったソ連地域からの集団引き揚げが実現され、多数の抑留者が帰還いたしまして、本問題はその解決に大きく一歩を進めたことになり、まことに御同慶にたえないところでございます。しかしながら、このことによって未帰還問題がすべて最終的に解決されたわけではないのでありまして、帰国希望者引き揚げ促進のほか、いまだ多数に上る消息不明者調査究明の問題は、なお依然としてその解決を今後に残しており、またこれら未帰還着留守家族援護につきましても、さらに研究を要する問題であるのでございます。政府といたしましては、できる限りこれら諸問題の解決に努力して参りたいと考えておりますが、そのためには、従来以上に当委員会の御指導を仰がなければならないことが多々あることと存じますので、何とぞ今後とも一そうの御協力を賜わりますようお願いいたしまして、簡単ではございますが、私のごあいさつを終ることにいたしたいと思います。(拍手)
  4. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 前会に引き続き、海外同胞引揚及び遺家族援護に関する件について、調査を進めます。  本件について質疑を行います。質疑通告順によってこれを許します。堀内一雄君。
  5. 堀内一雄

    堀内委員 この際、新大臣に対しまして少しお伺いいたしたいと思うのでございます。それは無名戦没者の墓の問題でございます。この無名戦没者の墓の趣旨について、当委員会において、前の内閣時代における大臣政務次官答弁が食い違いがあるのでございます。そこで、その経過がどうなっているかということをまず第一にお伺いしたい。それは、政務次官回答によりますれば、この無名戦士の墓は、終戦直後陛下が新宿御苑においでなさったが、戦没者の全般の慰霊という意味において、その延長としての趣旨において全戦没者の精神的な慰霊をするのだというふうに答弁されており、われわれもそれを納得しておったのでございますが、大臣答弁の中には、それは靖国神社にお祭りしてある旧軍人納骨堂的な意味が強いのだというふうに私は了解しておるのでございます。もとより無名と申しますか、引き取り手のない遺骨という中にも、一般の人の遺骨も入っておるのでございますが、そういうような点から、ここに若干の疑問があるのでございます。もちろん引き取り手のない旧軍人の御遺骨もそこに奉安しましょうし、同時に私は、いろいろな立場から戦争犠牲になって戦没された方々の全慰霊というような意味において、これを設けますことが至当であると考えておるのでございます。これに対する大臣のお考えを伺いたい。
  6. 神田博

    神田国務大臣 堀内委員お尋ねにお答え申し上げます。千鳥ケ淵無名戦没者の墓と申しましょうか、この敷地は決定いたしております。それから、これに要する費用も、五千万円予算に計上いたしております。そこで、ただいま前の大臣政務次官の間で所見が違っておるように思われるというようなお尋ねでございますが、私の承知いたしております範囲内では、御承知のように、南方その他各地におきまして戦没された方々遺骨を収容して参っております。これらに無名遺骨が多い。それからもう一つは、名前がわかりましても引き取り手がない。名前がわかっても姓のわからぬ者もあるし、姓がわかっても名のわからぬ者もある。名前はわかるのだが、遺家族の連絡がなくて引き取り手がない。こういうような方々遺骨が今現に厚生省の中にも安置してあるといったような実情でございまして、全国各地にこういう安置しております相当多数に上る遺骨がございますので、これを一つまとめまして、国民感情として、戦争でなくなられた無名戦没者の方に、どこかで安らかに眠っていただきたい。これに対して長くこの英霊に敬意をささげて参りたい。そこでいろいろ場所等も選定いたしたのでございますが、ただいまでは千鳥ケ淵ということに決定いたしまして、この予算は五千万円計上いたしてある。でございますから、靖国神社は、御承知のように、あくまでも戦死者英霊をお祭り申しておる。これは全戦没者英霊をお祭り申し上げておるということに相なっておりまして、今度千鳥ケ淵に建立されるこれら無名戦没者の墓と申しましょうか、この名称については研究をして、ふさわしい名前をとりたいと考えておりますが、以上がただいま厚生省として考えておる戦没者英霊に対する最後の措置としてやって参りたいということでございますから、御了承願いたいと思います。
  7. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 ちょっと御注意申し上げておきますが、大臣の御答弁を希望せられておる方が三、四あるようでございますが、大臣予算委員会関係で御退席を急がれるようでございますので、まことに恐縮でございますけれども大臣への御質問を先にしていただきまして、しかも簡潔に一つお願いいたしたいと思います。
  8. 堀内一雄

    堀内委員 今の大臣答弁は、事務当局から出ているこれまでの大臣答弁と同じなのです。当委員会から要望したのは、当時の記録をごらんになっていただければよくわかりますが、単に旧軍人引き取り手のない遺骨ばかりでなく、戦争犠牲になった、いうなれば動員学徒もありましょうし、空襲でなくなった方もありましょうし、原爆でなくなった方もありましょうし、そういう全犠牲者精神的慰霊のためにそういう施設を必要とするということでこの問題があがったのでございまして、前の閣議決定に基くものとはだいぶ内容が違ってきておる。それをこの委員会でもって論議されまして、それに対して、当時の政務次官は、その通りのものであります、ということであります。この点については、一つよく御検討いただきまして、せっかくここで新しくこの問題が取り上げられておるのでございますから、私どもの当委員会の今までの論議から申せば、旧軍人引き取り手のない遺骨だけでなく、全戦争犠牲者をお祭りする。もし旧軍人引き取り手のない遺骨であるというならば、われわれの当時の話では、むしろ納骨堂といった意味において、靖国神社に施設した方がふさわしいものではないかという意見がありますので、この点についてはぜひさらに御研究を願いたいと思います。
  9. 神田博

    神田国務大臣 ただいま堀内委員からの重ねての御発言でございましたが、私承知しておる限りにおいては、私の今申し上げたような考え方閣議決定だと思うのでございます。しかし、なおそれらが当委員会とのいろいろな折衝過程において、私の申し上げたことと違っておる、別な方にそれが置かれておるのだということでありますならば、これはまだ何も手をつけておらぬわけでありまして、そういう考えでやっておるということを申し上げておるのでございますから、なお十分調査研究をいたしたいと存じます。
  10. 逢澤寛

    逢澤委員 関連。ただいま堀内委員の方から、仮称無名戦士の墓についての基本的な考え方についてお話がありましたが、これは私は非常に意外に思うのです。一体無名戦没者の墓という仮称ではありますけれども無名戦没者の墓としての構想で現在千鳥ケ淵が云々ということで、数次にわたってこれを本委員会でも論議された。また別にあの設置については、諮問委員会の方で、厚生大臣の名において二回も三回にもわたってやったが、これはいわゆる仮称戦没者の墓として論議されたのです。従って、一般戦災者の人をそれに祭るなどということは、もってのほかだと思うのです。そこで申し上げておきまするが、一般戦災者に対しては、この委員会では論議されておりませんが、全国戦災都市連盟におきましては、全国的にこの議が上りまして、すでにやっておるのじゃありませんか。一般戦災者に対しましては、兵庫県の姫路市の郊外に莫大な費用を投じて慰霊塔というものを建設してやっておる。それをまたあらためて東京に持ってきてやる必要は全然ない。別にこしらえてやるとすればまた別の問題でありまするが、国の費用を投じてまでそこに何をしてやるかということになる。それともう一つは、無名戦士の墓に対しても、いろいろ意見があるのです。けれども、これは厚生省の長きにわたるいろいろの御心労と、それから今、厚生大臣お話になりましたように、海外から引き揚げてきておるところの御遺骨が市ヶ谷のあの一つの部屋でいつまでもああしておるということは情において忍びぬ、この取扱いについてもいろいろ意見がある、あるけれども実情においてはあれをあまりほっておくということは、まことに不敬にも当るし、また不本意のことであるから、この処理として一応招致しよう、こういうことになっておる。それを一般戦災者とあわせてやるということは、これは根本的に問題が複雑になってくるところなのです。そこで、今、神田厚生大臣お話で私どもこれは了承したのでありますが、それともまぜてやるということは、絶対に反対であることを私は強く申し上げておきます。
  11. 堀内一雄

    堀内委員 ただいまの逢澤委員からの御意見もありますし、この問題につきましては、さらに検討の後、当委員会としても意見をまとめる必要もありますので、私は保留しておきたいと思いますから、御承知おき願います。
  12. 廣瀬正雄

  13. 中井徳次郎

    中井委員 私は大体満州からの引揚者の問題について伺っておきたいと思います。今まだ生死不明、消息不明のメンバーは、ソ連をも含めて全員で何名くらいあるのでございますか。
  14. 田邊繁雄

    田邊政府委員 ソ連中共地域におりまする未帰還者の数は、現在生存しておる者及び死亡しておると思われる者、いわゆる状況不明者でございますが、含めまして、五万余名と相なっております。
  15. 中井徳次郎

    中井委員 そのうち、中共地区人々は何万名くらいございますか。
  16. 田邊繁雄

    田邊政府委員 約三万七千名でございます。
  17. 中井徳次郎

    中井委員 そのうち、満州地区のものは何万名くらいございますか。
  18. 田邊繁雄

    田邊政府委員 私の方で、調査上、把握している数字につきましては、その人の最後の生存しておった場所によってそれを把握しておりますから、現在満州に何名いるかということは、確認できないわけでございます。しかし三万七千名といった方々のうち、大部分満州地区だと考えておる次第であります。
  19. 中井徳次郎

    中井委員 今伺いましたら、まだ三万数千名という膨大な数字であります。私はこれまで当委員会に出ておりまして、いろいろな議論を伺っておるのでありますが、満州地区消息不明という点につきましては、およそ大東亜戦争中の他の地区とだいぶ事情が違う。その事情の違うことを、どうも政府の皆さんがはっきりと把握されておらぬのではないかという考え方を持つのであります。そういう観点から私は大臣お尋ねしたいのであるが、少しその当時の状況お話いたしますと、満州では、昭和二十年の八月九日の午前二時ごろ、ソ連軍が一斉に進撃を開始いたしまして、そうして八月十五日の正午に天皇の詔勅があるまで、具体的な陸上における戦闘行為が非常に猛烈にやられたわけであります。従いまして、地図で言いますと、満鉄沿線から西の方、熱河省から内蒙古一帯、それからハルピンから北、黒龍江その他——このごろもう省の名前がすっかり変っておりますが、ハルピン以北と大体考えていいと思います。東はさらに吉林から鏡泊湖、旧間島省全域にわたりまして、猛烈な陸上戦闘が開始されたのであります。そして、その間にありまして、御承知のように関東軍は資材だけは残しておきましたが、人員はほとんど南方に転進をしておるという状態でございましたので、その地区におりまする約百万の日本人は、老若男女を問わず、全部その戦闘参加いたしておるのであります。内地におきましても、猛烈な空襲もありましたけれども、そういうものと比較になりません。個々の日本人が全部銃をとってやる、銃のない者は何でもいい、手当り次第こん棒でも刃物でも持ってやるというような猛烈な戦いでありました。そしてなお八月十五日に終戦になったけれども関東軍がこれを確認いたしましたのは二、三日後である。また蒋介石がその当時、八月十八日であましたか、「全中国人に告ぐ」ということで、もう戦争はなくなって平和になったのであるから、昔の非情非道なことは忘れてしまって、日本人にあまりひどいことをしてはいけないという、有名な蒋介石の布告が、これは重慶から放送でやられました。私はその放送を聞いた一人でありますが、御案内の通り蒋介石南方人でありまして、南方語だから、満州の人にはその放送がわかりません。それでまた二、三日たって、われわれがそれを北方語に翻訳して出したというような状態でございます。従いまして、今申し上げましたような地区における開拓団人たち、あるいは一般邦人、旧満州国の官吏、旧特殊会社社員等は、全部戦闘参加をいたしておる。ところが政府は、いまだにこれらの人たちに対して、消息がわかりましても、三千円の弔慰金ではいさようならというような状態であるように伺っております。これは私はまことに遺憾であります。この点について、政府はどのような考え方をいたしておるのであるか。三万名になんなんとするこの消息不明者、そのうちの大部分を占めておりますのは、今私が言いました地区日本人であろうと私は考えておる。その人たちについて、現実戦闘参加しておるが、おそらく政府は、だれだれはどこで戦闘をしたか、それがはっきりわかったら出そうということを言うかもしれませんが、そんな状態じゃありません。全地域にわたってこれは行われておる。これはだれが見てもはっきりいたしております。調査を要するというふうな段階ではございません。にもかかわらず、いまだにどうも伺いますと、はっきりと死亡ということがわからないと三千円だ、まあ一般のその当時応召になりました兵隊さんだとかあるいは公務員であるということがはっきりいたしておる人たちについてはもちろん処遇はありましょうけれども一般法人について、最も戦争には関係の薄い、しかしながら戦闘参加をせざるを得なかったという非常に気の毒な人たちに対して、相も変らず三千円というのはまことにあこぎだと私は思うのであります。この点について大臣の率直な御意見を伺っておきたいと思います。
  20. 神田博

    神田国務大臣 ただいま中井委員のお述べになりましたお気持といいましょうか御要望といいましょうか、これは私全く同感でございまして、今お述べになられたように、特に満州地区におられた方々が、戦争終末時に非常な苦難におあいになった、しかも、文字通りの総力戦をやって、そして悲壮の最後を遂げられたということは、私もよくこれは承知いたしております。そこで、これらの方々に対する戦争始末を、どういう処遇をしておるかということでございますが、一部につきましては、戦死者として判明しておる者についての処遇は、これはもう当然一般の何でやっておることは申し上げますまでもございませんが、そうした戦闘参加されて、非業の最期を遂げられた——当時これは開拓民なんかも相当含まれておるようでございまするが、私どもの計算によりますと、約十四、五万というような人数に相なっておるようでございます。そこで、これは今度の引揚者処遇と申しましょうか、引揚者から海外財産補償をしろというようなことをいわれておりまするが、海外財産補償は、政府といたしましては、しない、しかし、生活の基盤を失ったという関係等を勘案いたしまして、引揚者等に対する処遇審議会がございますことは御承知通りでございますが、その審議会の答申の線によって、何らか一つ解決をいたしたい。こういうことを申し上げて参ったわけでございまするが、これとあわせましてその処遇をいたしたい。海外同胞引揚者処遇をする際に、ただいまお述べになりました方々処遇を同時にやる、こういうふうに考えておりますので、さよう御了承願いたいと思います。
  21. 中井徳次郎

    中井委員 今のお話で、お気持もわからぬわけではないのでありますが、引揚者処遇につきましては、これは戦闘行為が具体的に行われなかった場所におきましても、これは全引揚者についていわれることでありますが、問題の性格はおのずから別でございます。私が申し上げたいのは、先ほど言いましたような満州西部地帯、それから北部地帯、東部の一部、こういうものは、地区別にはっきりと指定を願って、そして、その間少くとも八月十五日までになくなった人、あるいは実際に法的にはいろいろな議論がありますが、八月十五日で全世界に戦いがなくなったというのですが、具体的には、満州におきましては、翌年の三月二十三日にソ連兵が一斉に撤退をいたしました。だんだんとゆるやかにはなったが、九月から十月ころまで、日本におきましては東久邇内閣が崩壊をいたしまして、ごたごたをいたしておりましたその当時まで、絶えず小ぜり合いが行われておったのであります。従って、私は今の引揚者問題とは別に、そういうことでなくなられた人々に対する処遇は、いわゆる戦死とか戦病死とかという概念にはっきりと入るものであるというように考えておりますので、その点における法的な考え方をこの際できればはっきりといたしておきたい、かように思いましてお尋ねを申し上げる次第であります。
  22. 田邊繁雄

    田邊政府委員 ただいま中井委員がお述べになりました問題につきましては、戦傷病者戦没者遺族等援護法の中に規定を設けまして、弔慰金を差し上げておる次第でございます。三十四条でございますが、陸海軍要請に基いて戦闘参加されて、戦死その他戦時傷害によっておなくなりになりました方につきましては、弔慰金を差し上げる、こういうことになっております。開拓団等その他の方でこれに該当する方々には、相当数弔慰金を差し上げた次第であります。しかし、満州等におきましては、これに該当しないで非命に倒れられた方が、先ほど大臣がお述べになりましたように多数ございます。引き揚げを待っている間に、収容所において、流行病栄養失調等によって悲惨な最期を遂げられた方々がたくさんございます。これは今日まで未解決でございましたが、先ほどお述べになりましたように、今度この問題を全面的に解決したいということで、目下検討をいたしておる次第でございます。
  23. 中井徳次郎

    中井委員 今の回答の中で、私は根底に大きな間違いがあると思うのです。やはりあなた方は具体的な事情に立って判断をしないから……。陸海軍要請によって戦闘参加した者ということであり、これが一つの大きな条件になっておると思うが、その当時の満州実情は、陸海軍要請なんていう、そういう余地も何もあったもんじゃありません。直ちに通信が寸断されるという状態でありまして、全日本人は一斉に立ち上って抵抗せい、こういうことでありますから、陸海軍要請が具体的にどの部隊のどの地区はどうだというふうなことではございません。いよいよ来たというのでありまして、従って、陸海軍要請ならば、婦人も立てなんということは、おそらく言わぬでありましょうし、少年も立てなんというふうなことも言わぬでありましょうが、現実事態は全部立ってやらざるを得なかった。こういうことでありますから、この点に非常に私は今の御答弁、不満足であります。もっと突っ込んだ御研究を願いたい。きょうは大臣も時間がないそうでありまするから、私は詳しくは言いませんが、この点はもっと突っ込んだ御研究の上に立った判断をぜひお願いしたい。そうでないことには、ほんとうに戦闘参加しましたのに、法律的に出てくると、開拓団のうちの義勇軍というふうなものにだんだんと制約されていっておりますが、現実はそんなものではございません。全部立って抵抗せざるを得なかったということであります。このことに対する認識がはなはだ浅いと思いまするので、さらに一つ突っ込んで、大臣のお気持だけでもお聞かせいただきたいと思います。
  24. 神田博

    神田国務大臣 ただいま中井委員の重ね重ねの御質問でありますが、気持といたしまして、私も全く同感でございます。そこで、これは戦争の跡始末を今度全部つけたい、こういう気持調査を急いでおる際でございますので、いろいろ従来の行きがかりもあったようでございまするが、お述べになりましたお気持十分一つ参考といたしまして研究いたして参りたい、かように考えます。
  25. 中井徳次郎

    中井委員 これはもう研究もけっこうですが、私の言いましたような方向に大いに努力してもらいたいと思うのです。その点重ねて伺いたいと思います。
  26. 田邊繁雄

    田邊政府委員 先ほど私が申し上げたことで言葉が足りませんので御不満かと思いますが、陸海空軍要請に基いて戦闘参加したという言葉は、具体的にどうこうというこまかいことまで追及してやっているわけではございません。たとえば、開拓団等現地において、あるいは現地から引き揚げる途上において、銃をとって戦わなければならなかったという事態は、随所に起っております。その場合、具体的に陸海空軍がその方々に対して戦闘参加要請したという事一実はございません。しかし、私ども全体をながめまして、陸海空軍要請に基いて戦闘参加したと解釈し得るものはできるだけその線で解釈し、現在法律を運用しているような次第でございます。
  27. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 逢澤寛君。
  28. 逢澤寛

    逢澤委員 大臣が非常にお急ぎらしいから、ごく簡単に話をしておきたいと思います。ただいま中井委員の方からお話になりましたように、あの戦争の末期の状態は、御指摘のような通りであります。そこで、私がお尋ねし、また要望しておきたいことは、国家総動員法に基いて徴用したとか、あるいは動員をしたとか、こういうような種類のものがたくさんあります。国家要請によって拘束されて、この戦争協力した人の始末が、形はつけたかもしれないけれども、その実質がついていない。といいますのは、三万円の弔慰金を五年払いとか十年払いでもらった、こういうようなほんの形をつけただけというものがあるのであります。そこで今大臣お話になりましたように、この際戦争の跡始末はやりたいというお話がある。またそういうような形に向っておる。在外資産の整理の問題についても、すでにいろいろお骨折りができておるようであります。そこで自由に海外において活動しておった人についても、これは何とか国家がその戦争の惨禍に対しては始末をしなければいかぬ。それに加えて、国家総動員法要請に基いていろいろ仕事をした者の始末が、きわめて不明確なことになっておる。そこで、これに対しては、事務当局とされましても、いろいろ研究はできておると思いまするが、この際これら残された問題はぜひ一つ片づけていただきたいということです。  それからもう一点は、これはあなたの方の所管ではありませんが、現政府としてぜひこれを解決せねばならぬ問題がある。これは関連しておる事項でありまするから申し上げますが、今ここへ恩給局長も見えておりまするが、今の政府としても、また歴代の政府としても、こんな不公平なことを犯しております。それは、一口に言いますると、文官に対しては四つやるという。しかるに軍人に対しては二つ半しかやらぬという不公平を犯している。この不公平に対しては、ぜひ修正させねばなりません。国会の諸先生も——国会のほとんど全部といってよろしい。社会党を含めて、ほとんど全部の方々がこの不公平は是正せなければならぬと言っておる。閣僚を除いた党の執行部も、社会党の方々も、ほんの一部の方の賛成を得ていないだけで、大体もう全部の人の賛成を得ておるのであります。従いまして、これに関係して、援護局とかいわゆる本委員会関係のあるものがたくさんあります。七、八つあるのであります。具体的なことは時間がありませんから申し上げませんが、これらを含めて、ぜひこの機会に解決する、こういうことに御努力がお願い申し上げたいと思います。
  29. 神田博

    神田国務大臣 逢澤委員のお述べになられました前段の問題でございます。非常にむずかしい問題でございまして、実は頭を悩めておるのでございます。慎重に検討いたしておりますが、今度の引揚者等の問題を解決する際に、弔慰金の増額等をして解決いたしたい、こういうような線で今検討いたしております。検討いたしております途上でございますので、気持を申し上げたわけでございますが、御了承願いたいと思います。  それからあとの問題でございますが、文官の方と軍人の方の恩給年金等に相当差がある。これははなはだ好ましくないから、これは十分配慮して是正を要する、こういう御発言のようでございまして、これは御指摘の通り内閣の所管でございまするが、政府一体といたしまして、ただいま御要望の点につきましては、これはよく承知しておる問題でできておらぬことなのであります。なお一そう政府全体として検討いたしたい、こういうふうに考えております。
  30. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 山下春江君。
  31. 山下春江

    ○山下(春)委員 大臣も非常にお急ぎの時間で恐縮でございますが、非常に重大な問題でございますので、ぜひ大臣の御決意を承わりたいと存じます。大臣承知のように、この間全国留守家族団体が十三、十四と大会をいたしまして、そのあと岸臨時首相代理あるいは厚生大臣、大蔵大臣等に御陳情をいたしたのであります。その際に、総理大臣代理及び外務大臣としての岸先生から、非常に重大な発言がございました。これは、引き揚げ問題といたしましては、私ども留守家族ばかりでなく、この問題に非常に関心を持っておる者といたしましても、重大な発言であるだけに、非常に大きな期待もかけておりますので、この際確認をいたしたいと思うのです。引き揚げ問題につきましては、外務省も非常にお骨折りいただいておりますけれども、何といたしましても、この問題を十年間扱ってきた厚生省援護局というものが、日本での一番のエキスパートであると思います。そこで、第一次の日ソ交渉におきましても、ロンドンにおける会談に、特に要請いたしまして、田邊局長に御苦労をわずらわしました。それが今日の調査究明の非常に難解な問題を解きほごすのに、非常に役立ったと私どもは確信いたしておるのであります。そういうことで、今度の岸外務大臣からのその際の御答弁が、われわれの希望いたすことと全く一致をいたしておりますので、それが確実に実行されるものかどうか、大臣から御決意を伺いたいのであります。それは、モスクワに対しては、大使館の開設と同時に、厚生省から専門の職員を派遣して、一年くらい滞在せしめて、この調査究明に当らせる。これは留守家族も、われわれ長い間引き揚げ問題をやってきました者からいっても、もうほんとうにこのことが確実に実行されるならば、非常にいい結果をもたらすと私は思うのでございます。政府といたしましては、外務大臣は今御不在でございますが、確実に御実行願える問題でございましょうか、承わりたいと思います。
  32. 神田博

    神田国務大臣 引き揚げの問題は、政府といたしまして非常に重要な、一日も早く完結いたしたい熱意でございまして、この問題はもう組閣の最初のときに総理からもそういう発言がございまして、また先般ソ連地区から集団引き揚げの際にお戻りになられた方々からも、益谷議長を通じて、ぜひ国交回復に伴って引き揚げ関係調査のために、日ソ外交の正常化した今日、大使館を置かれる際には、厚生省からやってくれぬか、こういう強い御要望もございまして、私どもこれはまことに、要望けっこうなことであり、要望がなくとも一つやりたいということでございまして、その通り手続が運んでおります。厚生省から一名外務省へ派遣して、そして、その調査の完璧を期したい。その通り今運んでおる最中でございます。
  33. 山下春江

    ○山下(春)委員 運んでおりますことは大へんありがたいのでございますが、それをぜひとも御実行を願いたいと思います。なおこれは、私どもこの委員会としては、外務大臣あるいは岸総理大臣臨時代理にも強く要請をいたしたい問題でございますが、大臣が御努力ならば、その御努力におまかせいたしまして、ぜひとも御実行願いたい。  もう一点、津外務大臣からの御発言で、これはなお重大だと思うのでございますが、中共の消息不明の調査に当りまして、これは非常に人数も多いことだし、国交回復以前でございますので、非常に困難を私ども感じておりましたが、そこでジュネーヴの機関を通ずると同時に、政府としては相当の政府職員を北京に派遣して、この調査究明に相当の時日を費して当らせたいという、これは外務大臣は、私個人の意見としてはそういうふうに考えるが、新聞発表によっても、そういうふうな文字に出ておるのでございます。それにつきましても、これはもし可能ならば、そのことが非常によろしいのでございますが、可能なお見通しであるか、厚生大臣としてはそれをぜひ実行したいとお考えになっておるのか。私はこれは非常に重大な問題であるだけに、ぜひ大臣の御決意と、その後政府部内において、そのことについてどのような御検討をあそばしたかを伺いたいのでございます。
  34. 神田博

    神田国務大臣 ソ連にただいま引き揚げ関係者を派遣することは、閣議でもきまりまして、それから派遣する予算化も大蔵省が了承しておりますから、これは先方の了解を得次第、内部的の手続がいつでも完了できまして、出発させることができます。できるだけ急いで、外務省を通じまして交渉しております。そう日はかからぬと思います。  それから、ただいまの中共地区の問題でございます。ソ連には外交正常化に伴って正式に行くわけでございまするが、中共地区は、今お述べになられましたように、外交が正常化しておりません。国交がお話通りのような状態でございますので、こういう派遣の方法ができるかどうか、これはおそらく問題だと思っております。しかし、気持といたしましては、何とか一つ公けの了解を得、このことだけでも一つ調査のために所要の人を差し向けたい、こういう気持をいろいろの機会に話し合っております。これは外務大臣が踏み切れば前進する問題でございまして、今、岸さんが個人としてはということを述べられたように伺っておりますが、これはもう個人でなく、岸さんが公けとして踏み切らぬ限りは、はなはだむずかしいと思います。しかし、だんだん中共関係も、貿易とか文化ということについては一つうんと交流しようというような相互関係にあることは御了承の通りでございますので、戦争犠牲者特に在留邦人の調査等は、もう貿易の再開あるいは文化の交流以前の処置事項だと私は思う。一つなお一そうそういう気持を強めて、閣内において推進して参りたい。幾多障害もあって、そう簡単に具体化されるとは考えておりませんが、その気持のあることを申し上げまして、御了承を得たいと思います。
  35. 山下春江

    ○山下(春)委員 よくわかりました。この引き揚げ問題も、中共の場合は、ただいま大臣がそのことに非常な熱意を傾けいただいておるお心持を拝聴いたしまして、大へんありがたいと思うのでありますが、御案内のように、十一年間民間の団体としては尽すべきあらゆる手段を尽したあとでございまして、今後残されている問題は、どうしても政府政府でやっていただく以外に方法がないと実は考えておりましたやさきに、岸外務大臣からそういう御発言があったことは、私ども全くわが意を得たりと思うものでございまして、ぜひとも厚生省といたしましても十分に外務大臣を御鞭撻願って、このことは御実行を願いたいと思います。その政府職員の問題に至難があれば、それに類似したものでも、ぜひ政府の名においてこれをお進めいただくように、厚生省からも一段の御鞭撻を願って、このことが実施されますことが、私、十二年目の中共問題の解決としては、これよりほかに方法がないと実は決心いたしておりますがゆえに、大臣の御決心を聞いたのであります。なお一そう大臣は確信を持って、この線をお進めあらんことを切にお願い申し上げまして、時間がございませんのでこれで終りますが、どうぞぜひよろしくお願いいたします。
  36. 中井徳次郎

    中井委員 先ほどのお話で大体お気持はわからぬわけではないのでありますが、何といたしましても、戦闘参加しながら消息がはっきりせぬ、またはっきりしてもいろいろな手続を経まして、そうして認定やなんかの経過を経まして戦死ということになる。そういうことで、私のお願いいたしたいのは、満州のそういう特殊事情をお認めいただいて、先ほどから言いましたように、旧満鉄線の西、ハルピンから北あるいは吉林あたりから東というようなところであの期間になくなられたことがはっきりした者については、もうこれは戦死とみなすというように、一歩前進した判断をぜひやっていただけないものかどうか。それで、今承わりますと、何でも戦後十年も消息不明であって、そうして死亡ということが確定をすれば、一般邦人は三千円だけでおしまいということについては、どうも納得できないのであります。この点について一つ重ねて伺いたい。先ほどのお話は、どうも引揚者についてお考えのようでありますが、それとこれとはずいぶん性格が違うと私は思います。そうして、引揚者につきましては、今の政府の案は、やはり引き揚げて参りまして生活の安定を得ておる人たちには考えないというふうなことでありますから、どうも性格がだいぶん違うと思いますので、この方面について重ねて私は、さらに突っ込んだお気持なり、また御研究なさるということでありますけれども、これ等につきましても、もっと積極的な御判断を伺いたい。かように考えて、さらにお尋ねを申し上げます。
  37. 神田博

    神田国務大臣 ただいま中井委員の御心配の点、未引揚者同胞、何といいますか生死確認の不明な者、これはいつまでに一体確認できなかったならば、最終の処置をつけるかという問題と関連するのだろうと思います。私どもこの点は非常に苦慮しておるのでございまして、そこで今、山下委員にもお答えいたしましたように、また山下委員から要望がありましたように、ソ連地区にも一つ引き揚げ調査に担当員を出そう、また中共地区にも何か一つ調査の最善を期するために適当な方途を講じよう、こういうことでございまして、これらの措置が行われまして、そうしてついに生死がわからない、こういうことに相なりますれば、これはいつの日かやはり最終の処置をとらなければならない。これはやむを得ないことじゃないかと思います。その前に十分一つ最善の努力をいたしまして、最後最後まで調査をいたしまして、そして一人でも終末を明瞭にいたしたいと考えております。しかしあの際のことを考えますれば、気持はそうであっても、いつの日かは終末の処理をしなければならぬ段階が出てくるだろうと思います。そこで、それならば、そういう場合には一体どう考えているかということに相なるわけでございまするが、これは私どもまだ具体的に、この処置をこうだ、ああするというふうなことには参っておりませんが、この処置をするということになる場合におきましては、今、中井委員のおっしゃったように、これはやはり何といいますか、生死不明の方々の行方というものは、ああいった混乱の際に不明になっておるということは、これは戦争犠牲であることは間違いないのでございまするから、それらにつきまして適当な弔慰の方法を考える。決して今お述べになられましたような、そういうようなものは三千円で済ませるのだというような考えは持っておりません。今の引揚者等処遇をも見合いまして、それからまた内地の戦死者、また外地で倒れました方々の例を十分とりまして、均衡のとれたと申しましょうか、見合った処置をすることは、私は政府としては当然の処置であると考えております。最終段階になって終結をする場合においては、今申し上げたような趣旨でやらなければならないということは、いつも、この処理に当りましては、そういう気持で事務を進めておりますることを、御了承願いたいと思います。
  38. 中井徳次郎

    中井委員 今のお話でありますと、結末をつけるときには何とかしたいということでありますが、現在は田邊君、三千円ですね。
  39. 田邊繁雄

    田邊政府委員 未帰還者の死亡が知らされました場合には、軍人である場合と軍人でない場合とは違っております。軍人でない場合におきましては、先ほど申し上げました戦闘参加者だとかあるいは特別未帰還者であるとか、そういうものに該当した方々には同様に三万円差し上げております。それ以外の方には、先ほどお話しになりましたように、葬祭料として三千円差し上げております。この点につきましては、先ほど大臣からお話がありました通り、死亡が判明した者、これは過去においてすでに死亡が判明したものがたくさんあるわけでございますが、また今後判明する方もあるわけでございますが、そういった方を含めまして、今回何らかの処置を講じたい、こう考えております。
  40. 中井徳次郎

    中井委員 今、大臣の御答弁で、いつの日にか線を引かなければならぬ、その時期が来ているという御意見であります。私も同感でありまして、何かやはり結末をつける時期がもう来ているように思いますが、それにつきましては、先ほど山下委員から御質問のありましたように、やはり中共に行って調べるというようなこと、これはきわめて重要なことであろうかと思うし、さらに、そのことは私はそうむずかしいことでもないと思います。ただ日本国内のいろいろな事情にかかっている。中共の方に正式に政府として申し入れがあれば、まあ少しの条件はもちろんつくかもしれませんが、必ずやできることであろうかと思いますので、これはもう山下さんと同感でありまして、ぜひ近い機会にその派遣その他の行動に出ていただきたいものであると思います。それから、私はさらに予言のようなことを申し上げるのですが、出ていって調べても、皆さんが日本国内でお考えになっているように、簡単にはわからないと私は思う。中国におきましては、その当時は戸籍も何もございません。特に日本人は別でありますから、そんなものは残っておらぬ。それからまた、日本人が大部分引き揚げましてからあとで、中国においては、御案内の通り国民党から中共政府への非常な内乱がありました。今ようやく人口の総数がわかっているというようなことでありまして、なかなかそれは現実としてはむずかしいことであろうと思う。そこで、行かれましても、何の太郎兵衛がいつ幾日どこでというようなことは、非常にむずかしいであろうということを申し上げておきたい。それで、その資料等については、今からやはり準備をして、大体どの程度で線を引くというような基本的なことは、もう日本で十分御研究になって行かないと、中共へ行っても一向手伝いをしてくれなかった、行って調べても非常に冷淡であった……冷淡もくそもない、わからないだろうと思うのです。そういうようなことについての今の政府の御認識を、ちょっと伺っておきたいと思います。
  41. 神田博

    神田国務大臣 中井委員から重ね重ねのお尋ねでございますが、戦争の終末に現われた満州地区における戦争の様相、またその後中国が中共にかわったというような革命、そういったような大きな変化と申しましょうか、動乱と申しましょうか、いろいろの事態が発生いたしまして、調査の困難であるということについては、これは私ども中井委員がお述べになられたような実情であろう、おっしゃった通りであろうということについては、私もその通り了承いたしておるものでございます。そこで、今、政府中共地区にあえてなお生死確認をしよう、未帰還者の帰還を努力しようということで、現在までに調査いたしております名簿に現われた数字を申し上げますと、三万六千名前後に上っておるのでございます。これは今印刷をいたしておりますが、中共にも一つ申し入れをして、生死の調査をお願いいたしたいということでございますが、そのうち少くとも、七、八千人は生存しているのではないか、こういうような見方をしているわけでございます。そこで、何といいましても、死亡確認といっても、今お述べになられたように、これはむずかしい問題だと思う。むしろ生存者の調査を早く完了して、そして、これは帰還されるか、あるいは中共に残られるならそれも当人の事情でございますから、それはそれとして、生存者の確認、その内地帰還ということを大柱といたしまして、あとは今お述べになりましたような最後の処置をする以外に方法はないと私は思っております。あきらめていただく。要するに終結の段取りをつける。そこで、そういう方にはどうするかということであろうと思います。それは先ほど申し上げましたように、戦争直後の騒動でなくなったのであるか、あるいはその後ずっと生存されておってなくなったのであるか、それがわかればけっこうでありますが、わからないとすれば、これは戦争の終末時、あるいはその後の混乱でおなくなりになった、やはり戦争犠牲者なんだということで私は一律に考えまして、政府としてできるだけの、他との均衡のとれた処置をする、これ以外に考えようけないのじゃないかと考えております。やがてはそういう方向に善処して参らなければならないのじゃないかと考えておりますので、きょうは率直にお答え申し上げた次第でございます。御了承願いたいと思います。
  42. 中井徳次郎

    中井委員 これで終りますが、そういたしますと、大臣としては、一刻も早く中共方面とも連絡をとって、その調査をしたいというのでございましょうが、大体のお見通しとしては今年中にそれができますか、どうですか。
  43. 神田博

    神田国務大臣 最終期限ということになりますと、そこまで実は突き詰めてまだしぼっておりません。と申しますことは、中共に政府の方の調査を担当する人が行けるのか行けぬのかという問題、それから、行けるとしても、出発の時期がいつになるかという問題もございますし、それから、現地に参りましても、何としてもこれは非常に広い国でございます。満州だけでも容易じゃないと思います。大体満州が多いのでございますが、満州から中支、南支、蒙疆というふうに考えますと、相当広大な地域でありますので、年内にやれるかという応答を今ここに直ちに、それだけの考えだということもお答えとしては乱暴過ぎることになりますので、十分調査をいたしまして、その最後の結果はいつかということについては、ちょっとお答え申し上げかねるのでございます。
  44. 中井徳次郎

    中井委員 そういう御答弁では、さらにお尋ねしたくなったのですが、そういうことになれば、やはり政府の代表という、何らかの形である国家公務員ということになってくると思うのだが、そうなってくると、今向うの方でも指紋の問題は相当問題になっております。そういう問題にもひっかかってくると思う。その辺のところをどういうふうに解決しながらお進みになっていくのであろうか。今の御答弁とも関連して、今の政府のお考えではそういうお気持があっても、具体化するということになると、非常に困難性が出てくるのじゃないか、かように考えます。通商代表がこちらに来るのに、指紋の問題だけで引っかかって一年近くになっておるのでありますが、そういう点について何か政府ももっと思い切った、あっさりとした考え方ができないのでありましょうか。これはあるいはあなたの所管外になるかもしれませんが、私は去年中国に参りまして、いろいろと指紋の問題や何かで懇談をしたこともあるのでございます。向うの今、中国政府の要路にある人たちは、かつて日本に来られたような人がたくさんおられます。その人たちとの笑い話で、中井さん、あんたはそういうことを言うけれども、われわれは子供のときに三高にも入っておる、東大にも行った、早稲田にも行った、慶応にも行った。毎年夏には神戸から船に乗って二十円ばかりで帰った。長崎から上海に簡単に行けた。自分たちはビザだとか指紋だとか、そういうものは要求されたこともないし、あなたもずいぶん中国に来られたことがあるが、そういう査証のようなものを持ったことがありますか、ということで大笑いをしたのであります。どうもこういう点につきましては、向うの人たちの方が、日本というものに対して非常な近親感を持っております。何というか、思想の問題だというのを離れまして——また私は見方をかえますと、指紋だ何だと騒いで、日本の事情がどうのこうのと言いましても、日本国内の事情のごときは、中共の人たちは、失礼ながらしりの穴まで知っております。私たち日本人も何百万と中国におったことがあるのでありますから、十年や十五年行き来がとだえましても、中国のことはよく知っておる。そういう関係の中にああいう事務的のことでこだわっているという考え方は、同じ東洋民族としてどうもよくわからないのですが、この点どうですか、今のお気持で中共に行って調べる、もっとあっさりお考えになっていただいたらどうかと思うのですが、お気持最後に伺っておきます。
  45. 神田博

    神田国務大臣 中共の未帰還者調査のことでだんだん話が進んで参ったわけでございますが、先ほど山下さんにもお答え申し上げましたように、岸外務大臣が個人として派遣いたしたいということから話が出て参りまして、外務大臣が個人としてもそういう気持になっておられるということは、この問題を解決する一つの糸口ができておるように考えられる。厚生省といたしまして、また担当大臣といたしまして、全くこの問題は寸刻も忘れることのできない重要なことでございます。何とか一つ障害を乗り越えてやりたいという気持からここまで話が参ったわけでございまして、私といたしましては、行けるか行けないか、そこが問題なんであって、行けるとしても、一体いつ行けるかというようなことを申し上げておるわけでございます。行けるか行けないかが今のところなかなかむずかしい問題でございまして、何とかそれを解決いたしたいということで苦慮いたしておるわけでございます。未帰還者三万六千名前後の名簿がもうじきにまとまりますので、私どもといたしましては、もし中共に行き得ないというようなことでありますれば、この名簿で、一つ適当な方法によって中共代表にお願いいたしたい、こういう気持をもってやっておるのであります。行けるようになりますればけっこうでございますが、行けない場合はどうするか、それは一つジュネーヴでこの名簿を中共に届くようにして、政府代表にお願いいたしたい、こういう考えでございます。これは外務省もその考えでおることは申し上げるまでもないことでございまして、政府一体としてそういうふうに考えております。  そこで、中共との経済交流あるいは文化交流の問題について、今の指紋の問題は閣議にもよく出ております。これは始終公私の機会に言われておる問題でございますが、これは法務大臣研究中でございます。どうも今のままでありますと、中井委員のお説の通りであることは、両国民の識者は知っておりまして、まことに不便であるということについては同感なのでございますが、今現実の問題として、それをどうやって乗り越えるかということになりますと、ただいまお答えしかねることになろうかと思うのでございます。また担当も違っておりますので、私からお答え申し上げることもどうかと思っております。しかし、中井委員のお述べになりましたお気持につきましては、私も十分了承できることでございますから、本日は承わりまして、また他の機会等にも、この問題につきましては十分考えて参りたい、こういうふうに考えております。
  46. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 受田新吉君。
  47. 受田新吉

    ○受田委員 御多忙な大臣のお身の上でありますから、率直にお尋ねいたします。  神田厚生大臣は、昭和二十三年芦田内閣当時、あなたが、野党の代表として本会議で炭鉱国家管理案に対して反対演説をされて、時間が来ても降壇されず、引き続き演説をされようとした、そこで議長が演説中止を命じた、それでもまだ下らぬ、そこで降壇を命じた、しかもなおがんばっているので、ついに衛視に引きずりおろされたという当時の活躍ぶりを私はよく知っております。それほど強引な、信念の前には断じて屈しないという熱情を持った人が、今度はしなくも戦争処理の重大な段階における厚生大臣になられたということは、非常に意義が深いと思います。あなたはこの国会の開会早々、大臣就任とともに、戦争犠牲を受けた人々をこの国会のうちに何とか全面的に援助したいという大信念を吐露されたことを、私は直接あなたから伺っております。従って、戦死者の御遺族の補償及び傷病者の補償並びにまだ未処理である学徒動員、徴用工等に至るまで、この際国家の命令で動いたすべての人々に、戦後十二年のこの苦しみを完全に払拭するために自分は大臣になったような気もするのだというあなたの御信念を、一つこの際りっぱに実現していただく段階に来ておると思います。ことにこの委員会は、海外同胞引き揚げと、もう一つ遺家族援護という重大な任務を持った特別委員会であって、この委員会存立の意義を全うせしめるために、あなたの責任は重大であると思います。  そこで二点だけあなたに御信念のほどを吐露していただきたいと思う点があります。第一は、まだ帰らざる人々引き揚げ処理に当って、あなたのかつてのあの熱情を傾けて当るならば、中共、ソ連に代表者を派遣するくらいのことは、完全にできると思う。外交上の熱情も外務大臣にまかせるのみでなく、あなた自身が乗り込んで、外務大臣協力して戦うという道もある。留守家族気持、わけても生死不明者の留守家族気持はきわめてデリケートで、われわれは断腸の思いがするのであります。留守家族の代表を含めた現地調査団というものを、あなたはお考えになられなければならぬと思うのです。留守家族をして、現地で帰らざる人々調査に当らしめる、また外交上の民間外交をさせる、こういうことを一つこの際実現していただきたい。私はそうしたことを含めて、単に厚生省調査官のみでなく、十二年間の悲惨な生活を繰り返している生死不明者の留守家族を、何かの形で納得させるように、調査団の一員に加えていただく御努力をしていただけるかどうか。それにあわせ、第一の質問に対する関連事項でございますが、この調査団の中に、そうした人々を含めるとともに、まだ帰らざる人々の家族に対する処遇において、生死不明者すなわち特別未帰還者留守家族を含むところの人々に対する処遇が、二男、三男という生計上の主体でない人であるとか、あるいは親がまだ六十才に達しないという人は除外されているのです。五万人以上の生死不明者のうちで、留守家族援護法の適用を受ける人々は、二万二千人にしか及んでおらない。三万人という人は、何ら国家の恩典に浴することなく、戦後十二年、いまだ帰らざる人々を待ちわびて、苦しい生活をしておられるのです。この際、思い切って、未帰還者留守家族援護法の未適用の方々に、全面的に、国民留守家族をいたわるやさしい心を何かの形で表わしてもらえる措置をとっていただけるかどうか、これが質問の第一点であります。
  48. 神田博

    神田国務大臣 受田委員質問は、未帰還者引き揚げ促進、また調査の十分な正確を期すために熱意をどの程度傾けるかという御趣旨考えております。これは、私の前任者、その前ずっとそうであろうと思っておりますが、日本人である限り、どなたであっても、この未帰還者引き揚げの処置につきましては心を痛めておられると同時に、勇気を持って事に当って参ったと考えております。私もこれら前任者の方々に決して劣らない情熱を傾けまして、成果を上げ、完了を期したい、かように決意いたしております。  そこで、この方法といたしまして、先ほど来申し上げておるのでありますが、厚生省からソ連における日本大使館に人を派遣するということについてはいろいろ議論があったのでございますが、これは重要であるということを申し上げまして、閣議でもしばしばこの問題を取り上げていただき、大蔵省の予算措置もしていただいて、そうして駐在員を一名置こう、こういうことになったわけでございます。実はもう一つ問題があるわけでございまして、ソ連と国交調整ができて、貿易の促進、文化の交流をするということになりまして、将来シベリアのどこかに領事館の開設もあろうかと思っております。この際には、大使館ばかりでなく、抑留地がシベリア地区に多い関係もございまして、領事館にも一つ厚生省から人を出したい、こういうような話も進めておるような実情でございます。調査の完璧と引き揚げの促進を一日も早く完了したいという趣旨でございます。この予算はこっち持ちで、大蔵省からとるわけでございますから、この点につきましては他の省から派遣される方々よりもよくわかっていただきまして、これは当然なことだというので話が進んでおるようなわけでございます。  そこで、中共の問題でございますが、これは先ほど来、山下委員中井委員からの質疑応答の際にるる申し上げましたようなわけでございまして、諸般の準備を整えて、すみやかに完了したいということを申し上げておるのでございます。なお今それに関連いたしまして、政府のそうした措置もけっこうだが、民間からの調査団も受け入れて、共同調査というか、もっと大々的に調査する考えはないかという意味の御要望と承わりましたが、その困難のあることも私承知いたしております。民間と共同調査をする、また国会とも一つ共同調査をしたならどうかという非常な熱望のあるところも承知いたしておりまするが、今は、こちらの方から入ること自体が解決するのに容易でない段階もございまして、そこまで政府と一体になってやっていくということについては、なお時日を要するのではないか、こんなふうに考えておるわけでございます。しかし、中共地底、ソ連地区あたりは、受田さん御承知のように、むしろ民間の方が先においでになられて、政府の方があとになっているという格好なんでございまして、そういう意味からいたしますれば、政府と民間が一体調査というよりも、民間と政府が一体調査という格好だろうかと思うのでございます。いずれにいたしましても、調査の完璧を期したいということと、すみやかな結論を得たいという意味からいきまして、適当な方法があれば、相手国の問題もございまするが、それぞれの機関の援護なりあるいは了解を得まして、措置をいたしたいという気持は、厚生省としては十分考えておるわけでございますが、一体調査をどういうふうにやることが一番いいかということか、私は先決問題だろうと思います。受田委員の今の御要望と申しましょうか、御発言につきましては、十分検討いたして参りたい、かように考える次第でございます。  それから、留守家族の今の援護状態が不十分というか、あるいは皆無だという例もございますので、これは一体このままでいいかどうかということでございます。これもごもっともなことでございまして、厚生省といたしましては、今、軍人恩給等の問題もございますので、いろいろ援護の問題を、もう処理したものの例をも考えまして、そこにどういうふうに並行させるかというようなことを今調査中でございます、おくれておりまして御不満のあることも了承できますが、根本は、具体的な事実が明瞭でなかったためにおくれておることでございまして、これを一つ割り切って踏み切るということがこれからの問題だろうと思います。その点につきましても、今検討中でございます。そう長く検討中だからという意味でなく、今、調査をいたしておるようなわけでございまして、御了承願いたいと思います。
  49. 受田新吉

    ○受田委員 長くでなく、きわめて近くこれを処理するという信念を吐露されておりまするので、一応了といたします。  もう一つ、第二の質問点は、厚生省関係予算の中で、引揚援護事務のために、定員が、三十二年度の五月十六日以後になりますると、現行制度でいくと二百七十一名に減らされる、大幅に減らされる。これは年次計画で減らされてきておるわけでございますが、未帰還調査部の職員あるいは舞鶴引揚援護局の職員、こういうものをどんどん減らしてきたわけです。それに対して、厚生省は修正案を用意されて相当の復活を企図しておられることは、ここに五百四十名の修正案をお出しになっていることで了承できるのでございます。私はこの引揚援護業務に対しまして、政府が年次計画で人員を減らしていくということは、留守家族、未帰還者、生死不明者が五万人をこえているこの段階において——五万人をこえるという人数は非常に多数の人数であって、この人々のために厚生省の引揚援護業務の人員を減らすということは、留守家族に不安を与え、人道的立場からもこれは許せないことだとかねがね思っておった。ところが、厚生省はこの際大幅に修正案を用意されたということに敬意を表するのでございますが、未帰還調査部の職員の三十一年度から三十二年度に減る分を食いとめて、そして未帰還調査を徹底させるというこの原則を大臣は強硬に押しまくられる熱意を持つか、また舞鶴の引揚援護局は、長きにわたって引揚業務に従事された国民に親しまれた人道のセクションです。この役所を今後どうするかという問題も国民関心の的であるのでございますが、信ずるところに向っては、千万人といえどもわれ行かんという熱情を持つ、まれな実行力を持たれる神田厚生大臣が現われた今日、この問題について徹底的に、この引揚業務、未帰還調査という仕事に政府が誠意を示され、定員確保その他の問題について大臣の信念をこの場において明らかにしていただきたいと思います。
  50. 神田博

    神田国務大臣 引揚援護局の人員が、引揚事務の逐次減少に伴って減って参るということは、私は原則としてやむを得ないのじゃないかと思っております。そこで今、受田委員の御心配になられますことは、それ以上の減少があって、引き揚げを促進することにに逆行するようなことがあってはならない、こういう意味お尋ねだと私は了承いたします。なお、舞鶴の援護局の問題も、留守家族等が非常に親しみのある、しかもまた国家的な大きな役割を果しつつある機関でございまして、厚生省といたしましては、廃止するというような考えは持っておりません。未帰還者の帰還が完了するまで、あそこはお述べになられた重要な処理をしているところでございますので、今後も存置いたしまして、すみやかな完了をはかりたい、こういうふうに考えております。  なお、人員等の具体的なことにつきましては、担当いたします田邊政府委員からお答え申し上げることに相なりますが、私といたしましては、あくまで引き揚げを促進する、さらに遺家族援護につきまして今後もできるだけの処置を進めていきたい、これに必要な人員確保につきましては、大蔵当局と十分協議いたしまして、その支障のないことの程度にとどめて参りたい。なおまた引揚事務の促進に伴いまして、人員の縮小等がございますれば、その縮小される人員については、これまた十分考慮いたしまして、最善を期したい、こういうふうに考えております。
  51. 田邊繁雄

    田邊政府委員 引揚援護局の機構、人質の縮小の問題でございますが、大綱につきましてはただいま大臣がお述べになった通りでございます。こまかく申しますと、実は昭和二十九年度から行政整理が始まったわけでございまするが、引揚援護局の仕事の特殊性にかんがみまして、ほかの役所と違って、四回にわたって整理をするということに相なっておったわけです。各年次ごとに減員をする数字をあげまして、法律できまっておるわけであります。三十一年度まではどうにかその整理された、縮小された人員で業務に対応して参ったのでございますが、来年度におきましては、八百十一名から二百七十一名という大量の減員に相なりますので、これではとうてい現在私どもがかかえておりまする業務を処理するのに非常に支障を生ずることになったわけでございます。御承知通り、遺族等援護法等も逐次にわたって改正されております。また、調査にいたしましても、二十九年度以降におきまして、外務省から一般邦人調査を移管されたという件もございます。私ども今日まで当初予定された業務以上の成果を上げているつもりでございます。引揚援護局職員一体となりまして、非常に勉強いたしておるのでございます。決してこちらの方の怠慢であるとか、あるいは創意工夫が足りないために業務が渋滞したとは考えておりませんが、しかし、現在の状態ではこういうことに相なっておりまするので、形式といたしましては、新たな増員要求ということになるわけでございます。御承知通り政府全体として定員の増加は認めない、こういうきつい方針でございます。しかし、私ども財政当局に対しまして、私どもの仕事の特殊性ということを述べ、また現状も詳しく述べまして、いろいろ折衝いたしました結果、約三分の二減らされるところを三分の一程度でやっと食いとめたというのが実情でございます。もちろん私どもとして、多ければ多いほどこれに越したことはないのでございますが、この程度の人員でございますれば、今後さらに一そう勉強し、また創意工夫をこらしまして、互いに協力いたしまして、与えられた職務を遂行して参りたい、こういうように考えているわけでございます。  それから舞鶴でございますが、現在九十名定員がございます。しかし、今後の集団引き揚げということを考えました場合に、従来と違いまして、集団引き揚げが必ずいつあるという見通しはないのでございます。しかし、ソ連中共地域にはまだ相当数引き揚げ対象者を見込んでおりますので、集団引き揚げなしとは断定できないのでございます。断定できない以上、舞鶴引揚援護局を廃止することはできませんので、そこで一方、先ほど大臣もお述べになりましたように、引き揚げ促進にできるだけしんぼう強く努力いたしますと同時に、最小限度の人員を確保したいということで、舞鶴引揚援護局の規模は若干縮小いたしましたし人員も大幅に縮小いたすことになりますが、最小限度におきましてはどうしても確保したいということで、存置することにいたした次第でございます。
  52. 受田新吉

    ○受田委員 厚生省としては、相当な熱情をもってこの定員の確保をされたということを一応認めさしていただきます。同時に、この際、沖田さん、あなたは、あなたの部下に、この戦争犠牲者処理にまさしく戦後一貫してエキスパートとして鳴らされた田邊さんを持っておられる。そして影の形に添うごとく努力された調査部長の吉田さんや、またここにおられる田島さんのような誠意のある人を持っておられるのです。この際、あなたの熱情をもって、戦後十二年、戦争犠牲を受けた方々の救済措置はあなたの大臣在任中に必ずこれを全部処理して、祖国の再建に邁進するという信念を持たれるか、ここをお伺いいたしまして私の質問を終ります。
  53. 神田博

    神田国務大臣 受田委員の御質問は、引き揚げ完了と遺家族援護につきまして、最終段階まで一つ在任中にやる確信があるかどうかという意味に承わったのでございます。この引き揚げ促進の問題は、いわば相手のあることでございまして、当方だけの気持で参りましても必ずしもその通り参るとは考えませんが、しかし、当方が熱心で最善の手を打つ限りにおいては、相手方の心を打つものが当然あるわけでございまして、私は誠意を持って、また勇気を持って一つ処して参りたい。定員の問題につきましても、十分今申し上げました考え方、心組みをもって処して参りたいと思っております。在任中に全部やれということでございまして、私もその意気込みでございまするが、一体いつまで在任するのか、どうもこれもわからぬことでございます。しかし、お受けいたしたのでございますから、私のほんとうの気持を率直に申し上げますと、こういうことを早くやることによって日本が安定し、そして、そこから伸びていくんだ、こう考えております。大事なことを怠っておりますると、どうしても伸びることがそれだけ伸び切れないのでございます。ことに戦争犠牲者——もう十一年余でございますし、しかも、これは戦争犠牲者中でも特に悲惨な犠牲者、非常に犠牲の程度が高い側だと考えております。早くやれ、情熱を傾けてやれという受田委員の激励につきましては私全く感激いたしますが、御鞭撻を得まして、今申し上げたような心組みをもちまして善処いたして参りたい、処置の完了をはかりたい、かように考えておりますことを率直に申し上げまして、御了解を得たいと思います。
  54. 山下春江

    ○山下(春)委員 先ほど大臣に時間がないということで端折りましたが、もう二点ほど大臣に承わっておきたいと思うのであります。  その前に、今の受田委員の御要望、御質問に対して、私も重ねて大臣に特にお願いをいたしておきたいと思いますことは、考えてみますと、日本の敗戦の歴史の中で、引き揚げの業務は、世界各地に散在しておりました日本人、全く喪心、失望、落胆して世界各地から帰って参りました一千万人になんなんとする人々を処理いたしまして、受ける面からするいろいろの御不満はありましょうけれども、とにもかくにも秩序整然となされたことは、私は痛ましい歴史ではあるけれども、敗戦の歴史の中で特筆大書すべきことだと思います。そういうことであるにもかかわらず、援護局が内局になりましてから、ともすると定員その他のことに縛られて、それが縮小されようとすることは、はなはだ遺憾なことであります。この点では、今回定員の新たな獲得に非常な御努力をお傾けいただきましたことは、まことにありがたいことでございますが、私どもはこの問題の処理が完了いたしますまでの間、その定員問題で首が寒々とするようなことでは業務もはかどりませんので、安心してその業務に携わって、待ちわびている人たちにすみやかにこたえることのできるような事務体制を確保していただきたい。これは国民のみな知る者ぞ知る非常な大事業でございます。その足跡は涙なくしては考えられないことでございますから、これはぜひ受田委員にお答えになったような御決意で今後もお進めいただきたい。定員で縛られ、年次計画で定員を減らすということに対しては、国民側から、それでは年次計画通りに処理されたかと聞きたくなるぐらいでございまして、これはぜひ大臣のただいまの御決意の通りお進めいただきたいと思います。これは私の要望でございます。  それから一つ伺いたいことは、この間海外抑留同胞救出国民運動本部の総会がございまして、その席で決議事項になりました一つの問題として、数えてみますと、ことしは十三年目でございまして、民間ももう尽すべき手を尽しました上に、日ソ国交回復による昨年の十二月二十六日の集団引き揚げ国民に非常な喜びを与えたと同時に、ほっとさせまして、何か引き揚げが終ったという感じを与えましたので、非常に困難な重大問題のある今年になりましてからは、民間の団体の運動も容易でないと思います。そこでもう十三年目を迎えているような今年のことでございますので、今年は一つ政府も手伝うということで先頭に立っていただく、政府が非常な決意をお示しになることによって民間も燃え上るのであります。これまでともすれば民間団体でありますから、いろいろな運動方針、運動方法がございました。それをとにもかくにも、何か統一というとおかしいのですが、一つの方向に向って引っぱってきました国民運動の各県本部というものも、これは県から多少の支出をいたしましてやって参りましたが、地方財政のきびしい今日のことでございますから、もう各都道府県がこれに対して協力の支出をいたさないのであります。それで団体が非常に困っておりますので、この間、各都道府県に対して、この運動の一助にするために政府が一県十万円くらいを流して、そして民間にもそれに呼応した金額を醵出せしめて、この運動を今年は強力にやるということを決議いたした次第でございます。そこで、このことに対して、大てい四百五、六十万あればいいかと思いますが、それを厚生省ではどんな方法かで捻出していただくようにぜひ大臣が御奔走願いたいのでございます。これは各都道府県に対して流す金でございまして、団体にやる金ではございませんが、何とか一つ御決意のほどを承わりたいのであります。
  55. 神田博

    神田国務大臣 山下委員からいろいろ激励をちょうだいしたり、また御要望もあったわけでございますが、山下委員が困難な厚生行政を御担当されまして非常な成果を上げておられましたこと、私先般来厚生省を担当して参りまして承知いたしたのでございます。もちろん党にいても重々承知はいたしておったのでございますが、遠くから見ている以上に、厚生省に参りまして——非常な御健闘、御努力をなさって、しかも十分な成果を上げられましたことにつきまして、この機会に浮くお礼を申し上げると申しましょうか、感謝申し上げたいのでございます。  そこで、ただいまの御要望でございますが、お気持は十分わかるのでございます。しかし、何と申しましても、政府の支出というものは、やはり一定のワクと申しましょうか、会計法に基いて行われるわけでございまして、事柄はもうほんとうに私も承わりまして飛びつくくらい御協力と申しましょうか、政府が果せとおっしゃるのでありますから、先頭に立ってこのくらいのことはやっていいじゃないかという気持は重々ございますが、具体的の問題で、それならば一体金のやりくりがどうなるかということになりますと、ここに会計課長はおらぬようでございますが、引揚の田邊君からお答えしていただきましょうか、どういうことになっているのか私承知しておらないのでございます。しかし、これは金がなければやれないことでもございますが、これは予算にたよらぬでもまたやる方法がないとは言えない場合もございます。そのいずれになろうかはまだ時間もございますし、十分検討いたしまして、御要望ごもっともでございますので考えて参りたい、こう思っている次第でございます。突然の御要望でございますので、私から以上簡単でございますけれども、お答え申し上げます。
  56. 田邊繁雄

    田邊政府委員 率直に申し上げますと、来年度予算にはそういった経費は計上しておらないのでございます。将来の問題ということになるわけでございますが、ただ従来都道府県の自治体としてこういった運動に非常に協力して下さっている実情は、あくまでも確保してもらいたいという御要望ごもっともでございますので、その点につきましては、機会あるごとに都道府県になるべく話しまして、そういった線が確保できるように今後努力してみたい、こう思っております。
  57. 山下春江

    ○山下(春)委員 私ども、この委員会は、幸いにして非常な御熱意と御決意を持ってこの困難な引き揚げ問題の解決をはかろうと決心しておられます廣瀬委員長をいただいておりますので、厚生省の限られた予算の中からそういうものを捻出してもらうようにということをこの委員会が要望することも、いささか無理に近いこともあるようでございますが、本委員会といたしましては、委員長を中心に、社会党さんとも協同いたしまして——ぜひ今年度としては中共の引き揚げ政府がもう踏み切って、政府が先頭に立たなければならぬときがきた。同様に民間の運動に対しても、政府が何とか先頭に立っていただけるような方向に持って参りたいと思っております。それで、その点は私どもも今後努力いたしますから、厚生省におかれましても、一つ格段の御努力を願いたいと思います。  もう一点、先ほど受田委員からの御質問でもう十分足りておるとは思いますが、率直に受田委員がいろいろ御指摘になりましたように、援護三法、特に留守援の中には非常に不備な、納得ができない点がございますので、今国会でこれを御修正になる御意思がございましょうかどうでしょうか。
  58. 田邊繁雄

    田邊政府委員 予算の上では、実はそういう改正を予定はしておらないのでございますが、御指摘の通り、現在非常に不合理がございます。これは実は二年越しの問題でございますが、未解決に相なっておるのでございます。目下財政当局その他と十分折衝いたしまして、どうしたらいいかということについて、共同研究協議という形でやっておりますので、近く成案を得たいと思っております。できるだけ早く成案を得まして、できるだけの措置をとりたいと努力中でございます。
  59. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 今の問題には、大臣からも一つ答弁を……。
  60. 神田博

    神田国務大臣 お答えいたします。山下委員のただいまの御指摘はごもっともでございまして、政府でも是正をしたいという意味検討を加えております。
  61. 山下春江

    ○山下(春)委員 御意思はよくわかるのでありますが、今、田邊局長からもお話がありましたように、実は二年越しの問題で、われわれも非常に努力が足りなかったことを反省しておりますが、どうしても今国会でやらなければならぬ問題だと思いますので、政府の方で諸般の情勢上いろいろやりにくい点があれば、私ども委員会は、もう一致協力いたしまして、政府の御意思を伺いつつ、議員の方で立法してもよいと実は思っておるくらいでございます。できれば御調整を願って、政府の方で本国会に御提案を願えれば、本委員会は満場一致これに御協力申し上げると思うのでございます。その点についてのお見通しを伺っておくことができれば、私どもの心づもりもきまると思いますが。
  62. 神田博

    神田国務大臣 今これを解決するには、もちろん政治的な力が要るわけですが、実際均衡がとれてないということは、具体的な事実で明瞭になっておるのでありまして、事務的にその方法を作業中でございます。予算の面というよりもむしろ立法措置、その作業をどうするかという結論を早く得ることが大事でございます。この作業が完了いたしますれば、そこで政府提案がいいか、皆さん方の議員みずからの御提案を願った方がいいか、そのときに一つまた御相談申し上げる機会があろうかと思います。いずれにいたしましても、その作業を早く完了して、これで均衡がとれたという一つのめどをつけなければなりませんので、せっかく今急いでおるわけでございます。御了承願いたいと思います。
  63. 山下春江

    ○山下(春)委員 ですから、その点は私ども決して一方的に独走いたしませんから、政府の方の御調整の情勢といつも打ち合せをいたしますが、要は今国会にこれを提案するということをどうしてもしなければならぬ段階にございますので、どうか一つその点は政府の方の御都合も十分われわれにお聞かせ願いたい。今の御答弁で大体調整中ということでございますが、われわれ委員会としては、どうしても今国会に提案いたさなければならぬと考えておりますので、その点お含みの上、御調整を賜わりたいと思います。
  64. 田邊繁雄

    田邊政府委員 これは厚生省だけで処理できる問題ではありません。財政当局や恩給法に関連するもので、いずれをとるが一番ベターかという問題もからんでおります。そういう意味合いもありますので、当委員会の熱意を結集いたしました小委員会も存置されていると承知いたしておりますが、その方面とも十分連絡をとって、できるだけ早くその作業を終って、何らかの形で実現するようにいたしたいと思っております。
  65. 廣瀬正雄

    廣瀬委員長 ほかに御質疑はありませんか。——ほかに御質疑がなければ、本日はこの程度にいたしたいと思います。  次会は公報をもってお知らせすることとし、これにて散会いたします。    午後零時四十二分散会