○春日
委員 この問題は、わが国の
金融制度全般にまたがって、なかんずく特に
相互銀行の
金融のあり方について、折しも全国的にいろいろと問題になっておるケースが続出をいたしておりますから、本
委員会において問題を明らかにしていかなければならないので、奧村君の
質問が終りましたら、わが党の
立場からさらに広範な、全面的な諸問題についての
質問をしなければならぬと思いますが、ただ一つ伺っておきたいことは、ただいまの
質疑応答を聞いておりますと、
法律が、なかんずく
銀行法というものが的確に履行されていない。
預金者と
銀行との関係は、
銀行法以外にないのです。
銀行法が最も優先するものです。
大蔵省の管理だとか、監督だとか、あるいは行政指導だとか、あるいはまた
銀行当事者の懇請、あっせんだとかいうようなことにもおのずから限界があるべきであって、
銀行法が
規定をしておることを厳粛に、かつ第二義的に履行せしめていくというところに、あなた方の指導、監督のポイントがなければならぬ。ところが、今聞いておりますと、
銀行法の各条章、なかんずく十九条といいましょうか、一番のメーン・ポイントでありまする預けた金を
払い戻してもらうというこの関係が、行政指導によって非常にぼやかされておる。
預金者の権利が大幅に制限されておる。しかもあなたの方がそういうことを黙認するというか、むしろ奨励するというか、多数の
預金者の安全を確保するという名において、少数の基本的権利が犠牲に供せられておるのです。これは、私は非常にデリケートな問題であると思うのです。公共の福祉というものはむろん守らなければならないが、公共の福祉を守らなければならぬからといって、
特定の個人を虐殺するようなことは、これは見のがされない。少くとも命の次であります金であります。これをほしい人がもらえなくなる。肝心の
法律に基いて
銀行を指導監督しております大蔵当局が、そういう事柄を黙認し、むしろこれを是認している。こういうことは、重大な結果を招きはしないか。どういう形になるかというと、一つは、
預金者の利益というものは、これを前例として非常に怪しいものになってくる。ぼやけたものになってくる。多数の
預金者の利益の名において、個人の
預金者の権利というものは、
銀行があらゆる手を使って
支払い制限の申し出を行なった場合においては、応諾することがあり得る。応諾することがよろしいというような一つの前例と、それから
銀行がでたらめをやった場合、前に言ったのは一つの大きな例外でありますが、
あとの場合は、
銀行の運営全般にわたって、これはむしろ悪い影響を残しはしないか。たとえば本件の場合なんか、警視庁が調査をしており、身柄まで拘束している。背任罪でありますか、あるいは
銀行法違反でありますか、いずれにしても、刑事罰に問われる被疑
事件として今調査が進められておるわけであります。
銀行というものは、受信機関として信用を最も大事にしなければならぬ。従って、その運営については厳粛な
規定が設けられておる。それに
違反をした場合は——これは経営者の
責任態勢というものが明確でなければならぬ。すなわち、自分が処罰を受けて、かつ
銀行がつぶされる。悪い運用をしたものはつぶされる。私は、この際第一
相互をつぶすべしというわけではないけれども、でたらめをやって、本件のごとくむちゃくちゃな焦げつきを作って、不正融資をやっても
銀行はちっともつぶれない、そして本人たちのやった事柄についての善後措置は、
大蔵省の指示によって、あるいは黙認によって、協力によって問題が糊塗されている。こういうようなことでは、他の多くの
金融機関に対してそういうような前例を、また運営に対する安易な
考え方を植え付けて、わが国の
金融機関のあり方を大きくあやまたしめていく危険なしとはしない。私はこのことを最も重視するわけであります。こういう問題については、いずれ系統的に
質問をしなければならぬと
考えております。あなた方は、この第一
相互の問題については、いろいろな
金融全般的な配慮から相当の考慮を加えられたことではあろうと思いますけれども、しかし、悪い
銀行家に対してはやはり懲罰が加えられて、そうしてむちゃくちゃをやったものに対しては、あなたの方には監督機関があるのだから、これを早期に発見して、早期治療の
方法が講じられなければならぬということが一つ。そうして、なおかつその治療が講じられない場合は、その
銀行をつぶす、悪い運営をしたものは処罰を受け、そういう悪い
金融機関がつぶれていく。そうしてよいものだけが残っていく。一殺多生の剣をふるっていく。そういうのが監督の
責任にあるものの任務ではないかと思うのです。しかるところが、
銀行の検査官は、過去二カ年間において、実に十数名の
諸君がこの
相互銀行の重役になって、巷間大蔵当局と
相互銀行とは八百長的な関係にあるのではないか、言うならば共同謀議とうか——共同謀議というほどではないけれども、ほとんど監督の威令というものが至り得ない。すなわち、お互いに友だち同士だから、まあま
あというようなことで問題が糊塗されて、いいことと悪いこととが明確に浮び出てこない。この結果こういうような形になってき、た。ただ一つ第
相互だけを今問題にされておりまするけれども、問題は第一
相互だけに限られていないわけです。それだから、私ま今
質問を聞いておってたよりないので、関連
質問をしたわけであります。あなた方は、
銀行法を守るという
立場を国民の前に示すべきだ。国民はとにかく
銀行法だけがたよりです。また国民は、国会を通じて
銀行のあり方と
銀行の監督のあり方というものの基準を
政府に与えておるのであって、それ以外の配慮だとか裁量とかというものは、実際の話国民は知らない。だから
法律第一主義に監督しないと、むちゃくちゃになってしまうじゃないですか。どろぼうにも三分の理屈があるのですよ。だから、今度の場合なんかでも、多数
預金者の名において、
銀行法の各条章がゆがめられてしまってきておる。そんなことになりますと、何をやっても、どろぼうにも三分の理屈があるのだから、みんな卑属がついてしまって、多数の名において万事が宥恕されていくことになれば、
法律というものはほとんど有名無実になってきてしまう。
金融機関に対する信用というものは、つかみどころのない形になってしまう。ヒョウタンナマズのようなことになってしまう。ああ言えばこう、こう言えばあ
あと言いのがれてしまって、
銀行法違反も十九条
違反も出てこないじゃないですか。この際いいことはいい、悪いことは悪いと、やはり
法律に対する厳粛なる態度が、監督の
責任にある、国民からその
責任を負うておるあなたの職責を通じてここで
答弁されるのでないと、まるで示談で問題を解決するというような形では、これでは国民は了承できないと思う。私は、そういう
意味で、もう少し
責任的な
答弁をされることを強く望んでおきたいと思います。私どもの本格的な
質問は、奥村君の
質問が終りましてから冒頭から系統立てて伺わなければなりません。今聞いておると、まるで
銀行法なんてものはどうでもいいと、
銀行の破綻を防ぐということだけで
答弁されておる。そんなことを、するならば、
銀行の破綻を防ぐため、一切の
預金者の権利というものは犠牲にされてもやむを得ぬという形になるではないか。これを、一つもう少し
立場をかえて御
答弁願わないと、聞いてはおれぬと思う。私の要望は以上の
通りでありますから、そういう
立場で、もう少し明確に御
答弁願っておきます。