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1956-11-16 第25回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年十一月十二日  原健三郎君が委員長に、臼井莊一君木村文男  君、中馬辰猪君、中山マサ君、堀内一雄君、  櫻井奎夫君及び戸叶里子君が理事に当選した。     ————————————— 昭和三十一年十一月十六日(金曜日)    午前十時五十分開議  出席委員    委員長 原 健三郎君    理事 臼井 莊一君 理事 木村 文男君    理事 中山 マサ君 理事 堀内 一雄君    理事 櫻井 奎夫君 理事 戸叶 里子君       大橋 忠一君    田中 龍夫君       高岡 大輔君    辻  政信君       仲川房次郎君    保科善四郎君       眞崎 勝次君    井岡 大治君       受田 新吉君    河野  正君       中井徳次郎君    三鍋 義三君  出席政府委員         厚生政務次官  山下 春江君         厚生事務官         (引揚援護局         長)      田邊 繁雄君  委員外出席者         外務事務官         (欧米局第六課         長)      山下 重明君         大蔵事務官         (主計官)   小熊 考次君         厚生事務官         (引揚援護局未         帰還調査部長) 吉田 元久君     ————————————— 十一月十六日  委員石野久男君辞任につき、その補欠として小  林信一君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  中共地区よりの一時帰国者に関する件  ソ連地区抑留胞引揚に関する件     —————————————
  2. 原健三郎

    原委員長 これより会議を開きます。  本日は、中共地区よりの一時帰国者に関する件及びソ連地区抑留胞引揚に関する件を一括して調査を進めます。  初めに、中共よりの一時帰国者に関する件について、厚生省当局より発言を求められておりますので、これを許します。山下政務次官
  3. 山下春江

    山下政府委員 ただいま委員長よりお話のありました一時帰国者問題につきましては、当委員会におかれましては、二回にわたりまして、これに対して政府当局として責任を持って善処するようにという御決議がございました。この御決議を尊重いたしますことはもちろんのこと、私ども当局といたしましても、この問題は、皆様御承知のように、そもそもの起りは、日本引き揚げ団体中国紅十字会との北京会談によってなされたものでありまして、その協定の一時帰国希望する人の資格というものは、来る旅費滞在費、帰る旅費等を持っておる者に限るということになっておりました。しかしながら、私ちょうどこの一時帰国者が最初に日本へ着きました八月一日に舞鶴へ迎えに参りました。そのときすでに一銭も持っていない世帯がおることを確認いたしておりました。従いまして、それから今日まで日本国内に滞在している間の生活につきましても、帰って肉親を尋ねてみたところが、やはり戦争あとのことでございますから、必ずしも生活が豊かでないというような家庭が多うございましたために、非常に苦労をいたしたようでございます。しかしながら、各県におきましても、あるいは婦人団体等におきましても、いろいろこの問題に御協力を願いまして、今日までとにもかくにも参ったのでありますが、さてあの夏の暑いとき、着の身着のままで帰りました者が、この寒い年末を控えまして、同時にまた彼女らの子供の教育の問題もあり、いろいろ家庭生活上の問題もありまして、どうしてもすみやかに帰したいと考えて、いろいろ努力をして参りました。従来のような興安丸集団帰国の方をお迎えに行くという船便があれば、非常に幸いと思いまして、再三中国にお問い合せをいたしましたけれども、十月一ぱい集団帰国はないという回答に接しましたので、それでは別な方途を講じなければならないということで、事務当局がいろいろ努力をいたしました結果、ごく近い将来に全員まとめてお帰しをするという運びに大体完了いたしそうな段階でございます。本委員会の御決議を尊重して、その御決議を実際に現わすということが辛うじてできましたことを、事務当局としては非常に幸いに思っておるのでございますが、なお一そうの御協力、御支持を賜わりまして、これを完成いたしたいと思っております。要しまするのに、近い将来、全員まとめて、帰り旅費がなくて船に乗れないというようなことがないように、国の方で旅費等も調達いたしまして帰すことになりましたので、その点御報告を申し上げて、御安心を賜わりたいと存ずる次第でございます。
  4. 原健三郎

    原委員長 これにて政府当局説明は終りました。  直ちに、本件並びにソ連地区抑留胞引揚に関する件を一括して、質疑を許します。中山マサ君。
  5. 中山マサ

    中山(マ)委員 非常に、みずからも貧しい、帰ってみたら家庭も貧しいということでございますが、今はどういうふうな状態でその人たち生活をしておられるのでございましょうか。その帰る日程は、大体いつごろにお定めになりましたでございましょうか。
  6. 山下春江

    山下政府委員 ただいま御報告を申し落しまして恐縮でございますが、ただいままでの生活は、厚生省におきまして、万一たどりつきました肉親の家が非常に困窮家庭でございますれば、とりあえず生活保護等措置をもってこれを救済するように、各県に通達しておきました。しかしながら、幸いなことに、各県からの報告では、そこまで窮迫した者は今のところないようでございます。  それから、帰ります便船といたしましては、事務当局努力いたしまして、御案内の英国の船でございますバタフィールド会社安京号というのが十二月の四日に神戸を出港いたします。そこで、六日に門司に寄港いたしまして、十二月の十日に青島に入港する予定でございますので、この船に一時帰国者全員を乗せまして、この船には一等船室等もございますが、それは船会社の方で非常にこの事情を御同情願い、御協力願いまして、一切の船室を開放して、約二百名の一時帰国者を全員乗せて、青島まで送り込んでいただくということに交渉がついております。
  7. 中山マサ

    中山(マ)委員 その費用は幾らぐらいになりますでございましょうか。前に、興安丸を出すとすれば非常な費用がかかるというお話でございましたが、今度バタフィールドの船を利用するということになって、どれだけぐらいの全体としての費用がかかるか伺いたい。
  8. 田邊繁雄

    田邊政府委員 約二百万円でございます。
  9. 中山マサ

    中山(マ)委員 幸いにして当局のいろいろなる御奔走によりまして、こういう人たちが国へ帰れるということになりました。私ども婦人立場といたしまして、またこの前の委員会において戸叶委員もおっしゃいましたように、男性ならとにかく、家庭婦人として、もし長く家庭をはずせば、向うへ帰って、あるいは家庭的にまたいろいろ不幸なことが起るのじゃないかという心配があるという御発言でございましたが、私もほんとうにそうであろうと思います。ことに民族的に異にしている人たち生活、また戦後のああいう状態における結婚生活というもので、いろいろめんどうなことも起るかと思いまして、当局の御努力を多とするものでございます。この問題はこれで終りましたが、いつぞや局長さんのお話に、そのあとに残った四千人ばかりの人も、希望をすれば、これの里帰りを拒否することはできない、その場合に当局としては、今度の場合、帰る旅費はあるという了解のもとにこの人たちをお連れしたのだというお話を伺ったように覚えておりますが、今後の当局態度としては、どういう態度をおとりになるのでございましょうか。向うからこちらへ渡って来るときに、そういうふうなことを調査してその条件に合う人だけを連れてお帰りになるおつもりか、または、お金はなくても、ああいう混乱の時代に、日本人が帰りたくても帰れなかったのだから、またこういうことがあってもやむを得ないという態度でそういう人をお迎えになるおつもりか、今後もあることでございますから伺っておきたいと思います。
  10. 田邊繁雄

    田邊政府委員 今回の措置は、まだこの二百万円という経費については最終的な了解を受けているわけではございませんが、ぜひ御了解を得たいと思っておる次第でございます。これは現実に帰ってきておられて帰ることができないという人でございますので、いわば緊急措置でございます。ただいまのお話は、この緊急事態ができてしまったことでございますので、今回の措置は、この緊急事態に対処してとらなければならない、こういうふうに考えております。今後の考え方といたしましては、これは引揚者でありませんで、一時帰国者でございますので、従来と同じように、帰りの船賃は自弁という建前でやっております。
  11. 中山マサ

    中山(マ)委員 また、どうしても里帰りをしたいということで、こういう緊急事態が次々に出た場合のことをお考えになっていらっしゃるでしょうか。こういう緊急な場合が起らないようにする措置として、どういうことを考えていらっしゃるでしょうか。
  12. 田邊繁雄

    田邊政府委員 今後の措置がどうだから、今回はしないということには参りませんが、今後の問題といたしましては、先ほどお話し申し上げましたように、従来の方針をよく一時帰国者周知徹底をさせる。今後一時帰国者があるというチャンスは絶無ではないと思いますが、その場合におきましても三団体を通じまして、従来の趣旨を十分各人に徹底するように努力したい、こう考えております。
  13. 中山マサ

    中山(マ)委員 ちょっとこれは少しこの問題とはそれると思いますが、ついでながら伺わせていただきたいと思います。昨日の新聞に、二十二日に神戸に四人の人が帰る、いわゆる投降した人——フィリピンミンドロであるかと思いますが、こういう人たちがまだほかにあるという御見当は——大体みんな帰ったということになっておるようでございますが、そういう人たちがおりそうな地域がまだございますでしょうか。今回の国会でも、この特別委員会ができたのでございますが、中共ソ連からの引き揚げが完了いたしますと、この委員会というものが、あるいは不要なものになるかもしれないということをおっしゃる人もございますし、そうなって参りますと、そういう人たちがもし他地区にあるといたしますれば、帰られるすべがなくなるのではないか。引揚者がないのだということになって参りますと、また困難な事情が起らないとも限らないと思いますが、当局において、そういうことは建前としてもうないということを考えていらっしゃるのでしょうか、まだどこかにおるかもしれないというように考えていらっしゃいますか。それを伺っておきたいと思います。
  14. 吉田元久

    吉田説明員 ただいま、南方地域における現存なお終戦を知らないで残っておる者の状況につきましては、的確なことはわかりませんけれど、少数人員はなおあり得ると考えております。ことに、その地域といたしましては、今回四名が帰還をいたします比島南方諸島——今回帰って参りますのはミンドロでございますが、ミンドロのさらに南にミンダナオ諸島がございます。こういう付近には、ごく少数人員が残っておるかと思います。ただこれらの的確な人買とか人名がつかめませんのは、この付近の島嶼は、比島の現政権の及ばない地域でありまして、従来から外務省を通じましてこれらの資料の確認を求めておりますけれども現地国自作行政権が及ばない関係で、その情報がなかなかあがらないという実情でございます。ただ昨年モロタイから帰りました帰還者の言によりますと、帰還者自身の体験からもってして、多数の人員が生存し得る状況ではない、ことにモロタイについては、先月ですかの帰還者が、二個中隊くらいおるかもしれないということを新聞に語っておりますけれども、このモロタイにつきましては、昨年モロタイから帰って参りました人の証言によると、自分たちが帰る前に島内を相当歩いたが、ほかに生存者がいるような形跡はなかった、こういう状況でございます。これらを総合いたしますと、少数人員があるいはいることもあるかと思いますが、多数の人員がまだ米投降でいるということは、考えられない状十でございます。
  15. 原健三郎

    原委員長 次に、戸叶里子君。
  16. 戸叶里子

    戸叶委員 中国からの一時帰国者方々について委員会での決議の成果を上げるような結果にするために大へ一ん御努力願ったことを、私どもとしてもほんとうに喜んでいるわけでございます。これについての質問は、ただいま中山委員から詳しくなさいましたが、私も一点ただしておきたいことは、これまで政務次官のお考えとしては、できるならば、まだ残っていられる方で、日本帰りたいというお気持の方は四千人足らずであるから、この際船を出して今いられる方を送ると一同時に、その帰りに乗せてきてあげて一もいいというお気持であったと思うのです。しかし、今いらっしゃる方が急いで帰らなければならないというせつぱ詰まった時期まで追いやられたものですから、緊急の考慮をお払いになって、こういう措置をおとりになったと思うのですが、いまだに政務次官のお気持としては、向うに残っている人も、できれば帰らせてあげたいというお考えじゃないかと思いますが、この点についてどうお考えになりますか。
  17. 山下春江

    山下政府委員 日本の母という立場から考えまして、今残っております四千人余りの人、李徳全女史の言葉によれば四千九百人、そのうち、かりに二百人帰りましても、四千七百人というものは中国妻になっておるのでありますが、このケースは、多分私どもの想像の通りであろうと思います。みな国家要請によって渡満し、国家要請によってその職場についておった人たちの生きるための一つの道であるということは、私は今でも考えが変らないのであります。こういうことから考、えますれば、まだ何人かの帰国希望する集団引き揚げがあるものと私の方では思えてならないのでありますが、今のところ十一月一ぱい集団帰国はないという返事が参っております。しからは、一体興安丸というものをいつまで係留しておくかということになりますと、国家財政上、そういつまでもこれをつないでおくということは不可能なことであろうと考えられます。私は、親心として、ぜひ復興した祖国を一度見せてやる、肉親とも相抱いてその苦労を語り合い、将来を励まし合うような機会を与えてやりたい、しかしながら、そうだからと申しまして、どうしても集団帰国がないということになりますれば、あの興要丸の性格は、日本へ集団的に連れて帰ることが目的でいろいろな諸般の手続ができておりますので、この一時帰国とは非常に性質の違うものでございますから、従って、心にはそう思っておりますが、興安丸というような便船を使うことがいつまで許されるかということは、私ではちょっとここで言明をいたしかねますので、必ずそうするということは申し上げられませんが、心持は変っておりません。しかし、日中の国交回復ということもそう遠い将来ではございますまいから、そうなれば、隣国のことでございますので、非常に気楽に行ったり来たりできる機会が遠からずくるのではなかろうか、もし万一私の思いがかなわなければ、そこに期待をかけているような次第でございます。
  18. 戸叶里子

    戸叶委員 まだお帰りになりたい方も、私はおそらくいると思うのです。與安丸のことにつきましては、今おっしゃった通りだと思うのですが、今度日本里帰りされて、そうして、再び向うへ帰られた方々お話などを聞いてみますと、やはり祖国へ行ってみたいという気持になる方もいらっしゃるのではないかと思のです。そういった場合に、そういうふうな希望者が出てきたときには、興安丸でないまでも、何らかの考慮を払っていただけるかどうかをお伺いいたします。
  19. 山下春江

    山下政府委員 そういう新たな事態に対しましては、国会も、これは超党派的な人道問題でございますし、政府もまたこういったような人道問題に対しては、新たな観点で新たな決意をきめて、そういう人道上の観点からなしてあげたいと思うこと、これも一種の戦争犠牲の跡始末の大きな一つの残された問題だと思いますから、そういう観点から覚悟を新たにして、新たな方法によって行われるべきであると考えます。
  20. 戸叶里子

    戸叶委員 政務次官のお考えもよくわかりましたが、多分そういうふうな人たちが出るというようなことも私聞いておりますので、今からでもそのようなことをお考えおき願いたいと思います。  そこで、今度帰りますバタフィールド会社安京号ですか、それで帰れることになって大へん喜んでいらっしゃいますが、その船に、今中国人の戦没者のお骨が三百二十柱ほどそのままになっているそうでございますが、これを一緒に乗せていっていただくようなお考えはございませんでしょうか。
  21. 山下春江

    山下政府委員 御承知のように、この二百人の一時帰国という先ほど中山委員からも御発言がありましたが、あまり長く日本におりますことにおいて夫婦間の生活にまたひびが入るとか、あるいは子弟の教育とか、いろいろ差し迫っておりますので、その事情をよく船会社事務当局は何十回となくかけ合いまして、御了解を得たごとでございます。その他のことをこの船にお頼みするということは、しょせん私は可能性のないことと考えられます。
  22. 戸叶里子

    戸叶委員 私がここで申し上げましたのは、一時帰国者の方の中で、自分たちのおみやげとして、そういうふうなことができたらばと希望をおっしゃったものですから、ちょっと伺ってみたのです。このことも御考慮の中に入れておいて、なるべく早く解決してあけるようにしていただきたいと思います。  そこで、もうじきお帰りになることですからいいようなものでございますけれども、やはり夏のワンピースなどでいらっしゃった方が多うございまして、非常に寒さに向っておりまして、帰るときにはあまりひどい風をして帰られるというのもお気の毒だと思うのです。さきごろの委員会田邊局長お話によりますと、非常に生活に困っていられる方に対して、生活保護適用を受けるようにしてあげるということを各県に通達したというお話でございました。今、山下政務次官お話で、幸いにして、親御さんたちでそう困っていられる方がないようであったということでございまして、そう伺いますと私も安心するのですが、実は個々ケースを聞いておりますと、なかなかそういう場合だけでもないようでして、たとえば、生活保護適用を受けられる線というものがぎりぎりの線であるということであったり、それからまたなかなかボーダー・ラインにあっても受けられないという家庭があるわけなんですが、そうした場合に、非常に生活がぎりぎりである。自分たちだけならば何とかやっていけるというところに帰ってきたために、十分なこともしてやれないというような場合が非常に多いようでございます。それは個々ケースによって違っているようです。そこで、この間そういうふうな場合をも考慮して、毛布シャツを一枚ずつあげるようにしたというふうな御発言がございました。そこで、その次の新聞だったかと思いますが、中国から帰ってきた人が幾らか寄付をして、そしてその方の寄付によって毛布シャツが配られたというようなことも私は新聞に出ていたと思うのです。それは一体政府からお出しになったのですか、それとも寄付の方からお出しになったのですか、それとも両方から差し上げたのでしょうか、その点を伺いたいと思います。
  23. 田邊繁雄

    田邊政府委員 この前の委員会で私が申し上げましたのは、政府がしたのでなしに、赤十字がそういう措置をとるはずであると、これは済んでおりますが、申し上げたわけであります。おそらく寄付の問題はそれと関連しての問題だろうと思います。赤十字自体が、自分寄付を受けた財源等をもちまして、毛布シャツを一時帰国の方に差し上げた、こういうことでございます。
  24. 戸叶里子

    戸叶委員 政府として、今度の船を出してあげるということ以外に、何らかの品物なり、あるいは何らかの形で援助したということは全然ございませんか、あるいはまたこれからもそういうことをなさらないか。
  25. 田邊繁雄

    田邊政府委員 国内生活困窮者の方に対しまする政府の態勢といたしましては、生活保護法という法律によってやっておるわけであります。生活保護によって緊急処置もできるわけでございます。目々の生活扶助のほかに、一時扶助と申しますか、衣類等に関する援助もできるはずでございます。そういうことも含めまして、都道府県に、実情に即した措置をとるように指示してあるわけでございます。その場合、一時帰国者なるがゆえに、他の一般生活困窮者と特別の措置をとるということは、生活保護建前上いたしかねるわけでございます。これは当然現在の法律で一時帰国者といえども生活保護適用を受け得るわけでございますから、その点十分注意を喚起して、遺漏のないように処置をいたしたいと思います。
  26. 山下春江

    山下政府委員 戸叶先生の御心配に対して、私もちょっと補足いたしておきます。各県の知事から直接に、私は県がとっておる措置についての御回答も得ております。自分の県に帰りました者に対して、決して中央で御心配をなさるようなことのないようにいたしておりますという知事直接の回答がございます。それから、最近までの間に、何件か婦人団体あるいは社会事業団体から、一時帰国者がお気の毒なので、衣類とかあるいは若干の寄付金等を集めたが、どこへ持っていったらよろしいか、これは日赤へお届け下さいというような件数も相当ございました。そういうところから考えましても、それはいろいろ大へんいいことをお考えになってお帰りになった方には、多少失望された方もあるかもしれませんが、決して人道上見ていられないというような事態は、起っていないというのが実情のようでございます。
  27. 戸叶里子

    戸叶委員 厚生政務次官の御努力は確かにいろいろしていただいたと思うのですが、私どもも、寒さに向って非常に困るというような御相談も受けましたので、私どもの方といたしましても、各議員が何らかの誠意を表わすという形をとったようなわけでございます。また今伺いますと、各社会事業団体等もいろいろ寄付をして下すったというようなことで、まあ何とか暖くして、気持よくお帰しできるのじゃないかと思って、私も喜んでおるわけであります。  次に伺いたいのですが、この間の新聞で、ソ連地区から二十名のからだの悪い方たちが帰されるというような大へん喜ばしいニュースがあったと思うのですが、これに対して迎えられる方法はどういうふうにお考えになっていらっしゃるか、船を出されるのですか、どうでしょうか。
  28. 田邊繁雄

    田邊政府委員 目下運輸省配船の手配を依頼して、研究してもらっております。練習船のあいているのがないかと思って、いろいろ当ってもらっておりますが、今全部出ているようでございます。運輸省でも一生懸命研究しておりまして近いうちに結論を出していただけるものと思っております。私ども考え方といたしましては、この前赤十字から病人の名前まであげまして、早く帰してもらいたいということを向う要請したわけでございます。それにこたえまして、帰すという返事があったわけでございます。国交回復の問題が終ったあと集団帰国があるときを待たずに、その前に引き取りたいということで、せっかく努力いたしておるわけでございます。
  29. 戸叶里子

    戸叶委員 もう間もなく集団帰国があることを私ども予想しておりますけれども、その前に、せっかく帰されるのですから、ぜひ早く帰してあげていただきたいと思います。運輸省の船を待つのも一つの手かもしれませんが、あまり手間取るのもどうかと思いますし、飛行機で帰してあげるというようなことは、どんなものなのでございますか。
  30. 田邊繁雄

    田邊政府委員 飛行機の問題もいろいろ研究しておりますが、これはいろいろ政府間のこまかい協定が要るようでございまして、それがない場合は、簡単に出せない状態でございます。もっとも、向うから飛行機で送って下さった例も二度ばかりあるわけでございます。これは向うの好意によって実現したわけでございましてこちらから飛行機向うに出すがどうだという問題はなかなかむずかしい問題であるようでございます。これも結局それをやっておりますと手間を取りますので、早く配船の準備を進めたい、こう考えている次第でございます。
  31. 戸叶里子

    戸叶委員 その配船のことの方が早いとなれば、それでけっこうなんでございますけれども、大体いつごろまでの見通しでございましょうか。といいますのは、もうじきおそらく集団帰国がある。と思いますが、この問題がいつごろ、どういうふうに解決されるか、伺っておきたいと思います。
  32. 田邊繁雄

    田邊政府委員 今明日中に運輸省の方で結論を出していただくように、お願いしてございます。
  33. 戸叶里子

    戸叶委員 これは日ソ共同宣言を審議するときに問題になるかと思いますけれども、今この宣言が批准されますと、一応はっきりしている方たちが集団的に帰国されると思うのであります。一日も早く帰ってきていただくようにするためには、やはりある場所に集結なり何なりしているということが必要ではないかと思うのでありますが、もうすでにそういうふうなことが始まっているかどうか、何かその情報が入っておりますでしょうか。
  34. 山下重明

    山下説明員 向うから特別に、ナホトカならナホトカにこういうふうに集めているという連絡はございませんけれども、私たちの方では、なるたけ早く批准ができるように準備を進めてくれ、もし必要ならば、ナホトカ以外の地域にでも別に配船してもいいというような項目を関係当局でよく打ち合せた上、近く適当な方法をもってソ連側に申し入れようというような準備は進めております。
  35. 戸叶里子

    戸叶委員 そうすると、まだそのことは何もこっちからは意思表示してないのですか。
  36. 山下重明

    山下説明員 代表団が帰ってきてからはまだやっておりませんけれども、今、大体原案ができて——一応先日法眼欧州参事官がチフヴィンスキー漁業代表とお会いしたときに、口頭で話し合いしたのですけれども、それで具体的にこまかい点を書きものにして、向う出して、連絡しようという手はずにしております。
  37. 戸叶里子

    戸叶委員 あなた自身が交渉にいらっしゃらないから、御存じないかもしれませんが、交渉にいらっしゃった方は、そういうことをお話にならなかったのでしょうか。一つところになるべく集結しておいてほしい、そうして一日でも早く帰れるようにしてほしいというようなことを全権がしたかのような放送か発言が、どこかにあったように私は覚えておりますが、そのことはどうでしょう。
  38. 山下重明

    山下説明員 モスクワにおいて全権が交渉されたことは、私も聞いております。ただ全権団が帰ってきてからのことについて御説明したわけであります。
  39. 戸叶里子

    戸叶委員 では、そのことをなるべく早くしていただきたいということを希望しておきます。
  40. 原健三郎

  41. 臼井莊一

    臼井委員 ただいま戸叶委員からも御質問があったのですが、ソ連から病弱者を二十名帰還させるという、これに対する配船の問題ですが、これは今明日中にきまるということでございますが、それは、場合によっては、他に適当な船がない場合には、興安丸でも出そうというお考えでありますか。
  42. 田邊繁雄

    田邊政府委員 人数は二十名という少人数でございますので、でき得れば興安丸以外の小さな船を配船できるようにお願いしておるわけであります。これは今明日中に結論を出していただくことになっております。
  43. 臼井莊一

    臼井委員 二十名の帰還の問題については、今も局長からお話があったように、たしか引き揚げの国民運動の本部からも、九十三名くらいの病弱者を至急帰してもらうように日赤の方にお願いしたわけでございます。そのうち九次で十四名帰ってきて、さらに今回二十名、他にまだ五、六十名くらいが、こちらで希望を申し入れたのに一残っておるはずでございます。弱い方でありますので、できるだけ早く内地へお迎えすることが必要である、こういう観点から、二十名程度だけであれば小さい船でよいのですが、むしろ費用は少しかかるけれども、この機会——どうせ今度の日ソ宣言の批准は近いうちにできる見込みなのでありますから、さらにこれに合わせて、もっと多数の人を帰してもらいたい、こういうような折衝をなすべきじゃないかと思うのです。こういう点についてどうお考えでありますか、一つお聞きしておきたいと思います。
  44. 田邊繁雄

    田邊政府委員 もちろん配船の通告に対する返事をいたします際に、もっとよけい帰してもらいたいという要求を日赤では当然なさるだろうと思います。従来の例によりましても、最初帰還の人数を知らした数よりは、実際帰る人数はふえておる状況でありますので、当然そういう場合にもこれは期待できると思います。
  45. 臼井莊一

    臼井委員 これは興安丸でもしお迎えするというような場合、あるいはその他の船でも余力がある場合は、できるだけ強く申し入れをお願いしたい、こう思うのであります。  なお、ただいまの局長お話で、日赤からこれを当然申し入れるであろう、こういうことでございます。今申し上げたように、もうすでに批准がほとんど確定的といってもよいくらいに間近にあるのでございますが、これはまだ批准が済まないうちは、日赤を通じなければできないのでございましょうか。ただいま法眼参事官もチフヴィーンスキーあたりに会っておるというお話なのですが、そうすると、政府が直接ソ連の方へ、そういう問題についても強く申し入れる、日赤にかわりに頼むというより、直接申し込むというような方法がとれないものであるかどうか。その点を一つお伺いしたい。
  46. 山下重明

    山下説明員 私どもの法眼欧州参事官がチフヴィンスキー氏と会ったときには、いろいろ話をして、引き揚げの問題についても話しておりますけれども、ただ国交回復前は一応正式には漁業代表ということになっておりますの一で、赤十字の方が一応正式のやりとりをして、われわれの方でも逐次具体的にはいろいろ話し始めて、批准後の場合には、外務省なり援護庁なりと打ち合わせて、正式に政府として取り上げたいと考えております。
  47. 臼井莊一

    臼井委員 その問題は、人命に関する人道上の大きな問題であることは、かねて世論となっているのです。これはあまり形式にとらわれて今日の段階においてまだ、批准ができている、できていないということでなく、実際に必要な緊急を要する問題ですから、私はチフヴィンスキー氏あたりに会う機会があれば、一つ今度もし興安丸等を出す、あるいはそれにかわる相当の船を出すという場合には、強く直接に申し入れていいのじゃないか、こう思うのであります。でありますから、それは形式的にいうと、批准が国会で済めば、すぐそれはそういうことを堂々とやるのでありますか、あるいは大使でも来なければ、そういうことはできないというお考えでございますか、そういうところはどうなんですか。
  48. 山下重明

    山下説明員 国交回復と大使の交換とは、一応別問題でございますから、国交が回復すれば、おそらく直ちに東京におけるソ連漁業代表部も大使館として、現在いるのが臨時大使なり何なりになると思うのでありまして、直ちに仕事が始まる。わが方も現在モスクワに数名在留しておりますから、この者が直ちに大使館に継続いたしまして、臨時に事務を遂行することになると思います。
  49. 臼井莊一

    臼井委員 批准は間違いないでしょうが、今の国会状態を見ると、いつ通るかはっきりわかりませんが、重要な問題でございますから、一つそれに関係なく、外務省は遠慮なく、せっかくチフヴィンスキーもおるのですから、遠慮なく一つやっていただきたいということを希望申し上げます。  それから、なお、ソ連のマリク名簿にもあるいは日赤名簿にもない、要するに消息不明者の問題、これがこれから大きな問題になると思うのです。これは大臣あたりからもお聞きすることが必要かもしれませんが、そういう場合に、日ソの合同調査委員会とでもいうようなもの——ソ連側に申し入れても、なかなかこれはこちらが希望するような報告がこないというようなこともわれわれ心配するのです。そこで、日本側からも行って、ソ連側と共同してこの調査に当る、こういうことがわれわれとしては必要だ、こう考えておりますし、その点についても、全権団が御交渉になったかどうですか。何かそういううわさも実は聞いておるのですが、それについて、今のところの経過がわかりましたならば、一つお知らせ願いたい。
  50. 山下重明

    山下説明員 今度のモスクワ交渉においては、いわゆるマリク名簿以外の者でも、日本人がいるということを大体向うも認めておりますし、こちらもわかっておりますから、調査して、不明な者を帰してくれということで、今のところは、とにかく批准が発効次第、直ちにわかった者は全部帰してもらう、向うでも調査するということを確約しておるわけです。もし、不幸にして講和発効後も帰れないような人が出た場合どうするかということを向うと話し合ったということは、私は聞いております。
  51. 中山マサ

    中山(マ)委員 この間全権団が向うに行っていらっしゃいます間に、この委員会決議をいたしまして、特に外務省を通じて電報を打ったことを覚えております。それには、この問題は領土問題と同じく、継続審議にするということを必ず向うと折衝してもらうようにということを、この委員会の名において電報を打ったはずでございます。その点は、今の御答弁でございますると、一向通じていないような感覚を受けるのでございますが、これは一体どうなっているのでございましょうか。
  52. 山下重明

    山下説明員 引き続き調査するということで、はっきり共同宣言に載っているわけでありますが、その場合に、不幸にして残った者はどういう具体的な手続をしてやるかということを話し合ったということは、私は聞いておらないのであります。私が聞いている範囲では、とにかく現在わからない者も調査して、全部帰すようにしてくれという態度であったと思います。
  53. 中山マサ

    中山(マ)委員 それならば、いずれはこれが批准になりますれば、大使の交換ということもございましょうから、それを通じて、外務省はおやりになるお考えでいらっしゃいますか。
  54. 山下重明

    山下説明員 大使館ができて、その場合に、もし不幸にして、今度のすべての引き揚げのときに解決しないということがはっきりしたら、もちろんすぐやるつもりでおりますが、今のところは全部帰してくれ、わからない者も調査して全部帰してくれということで、強くソ連側に申し入れておりますという方向であります。
  55. 中山マサ

    中山(マ)委員 この間、ここに参考人としてお呼びいたしました北海道の函館の、水上さんというお名前であったかと思いますが、この方は、無国籍者にされております。それは、日本人だということがはっきりした場合に、不幸にして残されている人はそういうふうに出てきますでしょうけれども、無国籍者として残された人は、外務省としてはどういうふうになさいますか。
  56. 山下重明

    山下説明員 無国籍者ということになっても、日本側としては、日本の国籍がどこまでもあるので、たまたまソ連においてはソ連として無国籍者として取り扱っているわけでありまして、私の方としましては、要するに、国交回復後も、向う側だけでいわゆる無国籍者にして取り扱われておる日本人が  いる、しかも、その日本人が帰りたい意思を持っておるということがわかったならば、もちろん大いに折衝して、すぐ帰るように努力したいと思います。
  57. 臼井莊一

    臼井委員 大使の交換でもできれば、そういう具体的な問題についてもいろいろ取りきめると思いますが、われわれの非常に心配するところは、たとえば国籍問題にしても、ソ連側と日本側の解釈というものは違う、またあちらにいたいという意思表示をしているといっても、この間の引揚者お話を聞いても、意思に反して署名を強要されるというような場合もあるので、やはりでき得べくんば、そういう人についても、直接政府の機関があって、それで確かめるくらいの根強いあれをやらないと、どうも本人の意思というものがほんとうにわからぬ場合が多いのじゃないか。そこでこれはソ連側はあまり希望しないけれども、根本的に納得のいくまでやる上においては、やはりこちらからじかに現地に行って調査するくらいにして、従って、この調査についても日ソと共同して委員会でも作ってやるくらいの、よほど腹を据えてやらないと、またあとに長く問題を残すようなことがあるといかぬと思う。われわれは、国交が回復する以上は、ソ連側を信用しなければならぬのでしょうけれども、最近中西正枝という方が、これは日赤の名簿にもマリク一名簿にも載っている人だそうですが、ハバロフスクに五月末まではいたけれども、その後、翌六月の上旬になると、北京の方に移された、中共の方に移されたというような手紙が本人かち来ているそうです。現在のように引き揚げ問題についても、あるいは日ソの交渉も妥結しようという際に、これを目の前にして、すでに日赤名簿にも出ているような人を北京に引き渡すということについて、どうも納得がいかないのです。そこで、これは一例でございますが、そういうような人がまだほかにもあるのじゃないか、こういう点を心配するのですが、何か政府の方に、そういうような様子のおわかりの点があれば、一つお伺いしたいのです。
  58. 山下重明

    山下説明員 中西さんの件につきましては、私の方でさっそく数日前ですが、チフヴィンスキー公使が法眼参事官のところに来られた際に、了解できない、どういう理由であるかということ、このほかにはこういう例がないかどうかということ、さらに今度は全部が帰る機会があるのだから、今たまたま何かの名目で向うに行っていても、引き揚げるときは帰れるようにしてもらいたいというこの三点を問い合せたのですけれども、先方は、自分はそのケースは具体的に知らないので、ここで答えられない、調べてから返事をするということでした。その回答を待っているわけです。
  59. 臼井莊一

    臼井委員 一人だけそういうふうにしたという真意が、どうもわれわれ了解できないので、そのほかにも一緒に何名かいるのじゃないかと思う。ですから、そういうことを一つソ連の方へ聞く機会に、その点もよく確かめていただいて、こういう点の疑念を一つよく晴らすようにしていただきたいと存じます。
  60. 原健三郎

  61. 櫻井奎夫

    櫻井委員 一時帰国の問題につきましては、当委員会の再三にわたる決議をおそまきながら政府の方では御尽力いただきまして、この解決のめどがついたということについて、私ども政府努力を多とするものでございます。  私は、本日は少し問題をそらしまして恐縮ですが、引き揚げ軍人軍属の処理規定の中の、太原あるいは南方地区に残っておりますいわゆる現地除隊の問題、これが私は非常に不当な取扱いをなされておると思うのであります。特に、太原の帰国者の問題につきましては、帰ってきた人たちは、当時軍の命令であそこに残ったのだ、こういうことをはっきり申しております。なおまた当時の第三方面軍ですか、その司令官も現在軍命令を出したのだということを確認しておるようでありますが、そういう人たちは、現地除隊とか、逃亡とかいら形で、この処理規定によっては復員軍人として取り扱われていない。これは明らかに不当なことであって、特に戦犯としてとらえられて今度帰ってこられた人もあるのですから、これはやはり一般の復員耳人軍属として取り扱うべきが至当であると考えるわけです。この点についての政府の御所見を承わりたいと思います。
  62. 田邊繁雄

    田邊政府委員 終戦のときに、復員軍人はポツダム宣言によって全部日本に帰ることになったのであります。多数の現地部隊の中には、どうしても現田地にとどまりたいという意思を表明する者があり、中には部隊を離れて、いわゆる逃亡した者もあったのでございます。かようなことは、当時の軍の方針に従いまして、現地で本人の希望によって除隊をしたという形式をとったわけであります。ただいま御指摘になりました山西の問題でございますが、二十八年の中共からの集団引き揚げが行われました際に、一部山西で戦犯者として扱われておった人と思われますが、帰ってきたときに、その問題が出たのであります。それ以来、私の方では、一人々々について詳細な調査をいたしております。常識的に考えまして、当時の軍の司令官が、自分の預かっている兵隊に対して、現地へ残れという命令を出したということは考えられないことであります。まあそういう常識は別といたしまして、いろいろの事情があったようでございますが、結局現地軍といたしましては、一人残らず連れて帰るという方針のもとに、部隊に復帰せよということを強く各方面に周知徹底をはかっておったようであります。従って、私の方の方針としては、その命令が徹底しないために残ったという事情があるならば、復員をしたということが妥当ではないか。しかし、一人々々に徹底しておるにかかわらず、どうしても帰るのはいやだといって残った者は、これはやむを得ない、こういう観点から、一人々々について調べております。それは当時の軍の司令官その他幹部であった人のみならず、同僚その他にわたって調べておりますが、その面から申しまして、もしも私の方の考え通りに、僻阪の地にあったために、帰るのだという命令の趣旨が徹底しないために、現地に残ったということの結果、現地除隊という形になったのであれば、それを直ちに取り消すという方針であります。軍の命令で現地に残さしたというととがあれば、大へんなことでありますが、そういう事例は、今までのところ、私の方では当時の軍の関係者について調べておりますけれども、確認していない実情になっております。
  63. 櫻井奎夫

    櫻井委員 一応常識的には、終戦になった後において一軍司令官が兵に対して命令を出すということは考えられないことなんです。ところが、御承知のように非常な混乱のときでございますし、多分に軍の指揮系統というのは混乱しておるし、今回帰ってこられた太原地区の人々の話を聞きますと、いろいろデータをあげてありますが、やはり一般の下の兵の方には、ここに残れという命令が出ておるのだということで、閻錫山軍の方に入った、事実こういうことがあるわけなんです。いろいろデータが出ておりますし、なお当時の軍司令官であった人もこちらに引き揚げてきておられるのですから、そういうことを私どもはっきりするために、これは委員長にお願いするのですが、ここに参考人として、当時の軍司令官と、なお今度引き揚げてこられた人を呼んでいただいてはっきりその間の現地における当時の状況をここで皆さん方に聞いていただいて、引揚委員会としてはりっぱな判定を下したい。混乱の途次でありますので、いろいろな点があったと思うのでありますが、しかし、真相が明瞭になりまするならば、ただいま援護局長お話通りほんとうに徹底せずに、知らずに軍の命令だと思って残留した。その結果、今まで長い間抑留されておったという人は、非常に不幸なことでありまして、やはり一般の復員軍人軍属としてお迎えするのが、当然政府のとるべき処置であると考えますので、真相が明らかになったら、ぜひそういうふうな御処置を決定していただきたい。これは次の委員会でもよろしゅうございますが、私強く要望しておきます。ぜひ参考人を当委員会に召喚されまして、当時の真相を明瞭にしていただきたい。
  64. 田邊繁雄

    田邊政府委員 この問題につきましては、ただいまの御意見ごもっともでございます。私の方でも、太原の現地除隊軍につきまして詳細調査しておりますので、皆様方に調査報告書をお目にかけて、御判断をいただきたいと思います。
  65. 原健三郎

    原委員長 次に、受田新吉君。
  66. 受田新吉

    ○受田委員 目下ソ連地区の大量帰還の喜びを前にして、政府がいろいろと御尽力いただいていることを多とするものでありますが、ここでごく最近の未帰還者留守家族の援護法の対象となっている法の適用を受ける残留者の数、ソ連地区及び中国地区の生存確認の残留者の数、及び生死不明ではありますけれども、未帰還者として取り扱われている者の数を、軍人、政府職員及び一般邦人の分類による御報告を願いたいと思います。
  67. 田邊繁雄

    田邊政府委員 ただいま概数の数字は持っておりますけれども、軍人軍属、一般邦人、政府職員、こうした内訳の数字は持っておりませんので、調査した上、御報告申し上げたいと思います。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 今ぜひ政府緊急措置をしてもらいたい問題があるわけなんです。そのためには、その数字が基礎になるのであります。実は、未帰還者というものは、これは軍人、政府職員は国家の公務に従事している人である。従って、私はその身分が国家公務員と断定できると思うのでありますが、政府委員はいかがお考えでございましようか。
  69. 田邊繁雄

    田邊政府委員 御承知通り、恩給法には、未帰還公務員という一つの制度と申しますか、条文がありまして、その結果、恩給法上、未帰還公務員として扱われております。
  70. 受田新吉

    ○受田委員 国家公務員に対する法的措置は、未帰還公務員を除いては、全部国家の規定する給与法による俸給の適用を受けておる。ただし、未帰還公務員だけは、その俸給表の適用を受けていない、援護法の中にちょっぴり押し込められて、悲惨なる姿に置かれているということは、御存じでございましょうか。
  71. 田邊繁雄

    田邊政府委員 受田委員もよく御承知通り、この問題は、未帰還者留守家族等援護法を作るときに、割り切った問題でございます。国会にも御審議をいただきまして、一般邦人と軍人軍族と区別なしに、留守家族援護という観点から、同一に扱った方がよいという方針で、御審議をいただきまして、成立したわけでございます。御意見は一つの御意見であると思いますが、現在俸給という形ではなしに、留守家族援護という形で処遇しているわけでございます。
  72. 受田新吉

    ○受田委員 それは非常に片手落ちであるということを、最近政府はお考えではないか。国家の公務に従事しておる人を援護法の中に押し込めて、国家公務員はすべて国家が規定する給与法の適用を受けているにかかわらず、援護法の対象にしているというのは、手落ちではないかという反省はないのかと思うのであります。同時に、年末を控えて、一般公務員にはすべて年末手当というものがある。ところが、未帰還公務員は援護法の中に押し込められたために、一般公務員がいただく期末手当の恩典に浴することができない。しかしながら、ソ連その他で、この寒一空で十年以上も吾労された国家公務員一が、この冬をまた越そう——年内にはお帰りになるように努力していただけると思いますが、とにかく十二月十五日の一般公務員がいただく期末手当の支給百に間に合うか間に合わぬかが問題である。そういうときに、十年以上も外国で非常な苦痛の中で耐えてきた人々に、年越しのもち代を出すというあたたかい心が政府には必要だと思います。それを待たれる家族の身の上にしても、一般公務員と同じ公務員でありながら、一方の人は、期末手当でもち代をいただいておる、自分の夫や子供はその恩典に浴さないというこの片手落ちは、帰らざる人やあるいは待たれる家族に対しては、非常に国の誠意がないことを物語るものだと思うのです。この際政府としては、われらのために苦労していただいている同胞国家公務員の未帰還者に対してその数は大した数ではないと思うのですが、その人々に何らかの行政措置による期末手当に当るところの越冬資金、あるいはもち代をその家族に贈る、また御本人に贈って、御苦労をおわびするというあたたかい心が必要だと思うのでありますが、いかがでございましょうか。
  73. 田邊繁雄

    田邊政府委員 受田委員もよく御承知になっている通り、未帰還者の家族の問題につきまして、軍人軍属、あるいは未帰還公務員、その他の一般の抑留者を区別して扱うことが果して適当であるかどうかという問題もあろうと思うのであります。俸給ということになりますれば、当然階級別という問題が起ってきます。多い少いが問題になる。同じ抑留されている家族の立場から見て、そういった差別待遇をするということは、果してどうかという反省も一方必要ではないかと思います。ただし、ただいま申されました通り、未帰還公務員の問題につきましては、お話通りギャップができております。そのギャップを何らかの形で埋めようという努力は、私今日まで微力にして実現しておりませんけれども、確かにそのギャップを埋める努力はしなければならぬと思います。目下関係当局と折衝をいたしておりますが、恩給法等に関係のある問題でございますので、私どもだけの考えだけでも実現しかねる問題でございます。この問題は、当委員会の小委員会でも御検討になっておるはずだと伺っております。御趣旨の点は、なまのまま、そのものずばりで実現は困難かもしれませんが、何らかの形でそのギャップを埋めるように努力したい、こういうふうに考、えております。  それから、年末のもち代の問題でございますが、私どもは、年内にはぜひソ連抑留者の国内帰還の問題は実現したいものである、こう念願いたしまして、いろいろ準備を進めておるわけでございますが、ただいま御発言のありました通り、十年以上も抑留されて帰ってくる方々に対して、政府として何らかの対策はないかというお尋ねでございます。もっともでございます。大へんわずかではございますが、今年の予算の中から流用いたしまして、軍人、軍属あるいは未帰還公務員であるといなとにかかわらず、十年以上抑留されておった方々の心身の労苦にいささかでも報いたいという気持から、一般の帰還手当のほかに、特別の帰還手当というものを組みまして、一万円ずつ差し上げるようにいたしておる次第でございます。予算が窮屈なものでございますので、それ以上差し上げられないことをまことに遺憾に思うのでございますが、ただいま御指摘になりましたような気持だけは、そういう形で措置いたしておることを御了解願いたいと思います。
  74. 櫻井奎夫

    櫻井委員 それに関連して。帰還特別手当ですか、これを出していただいておることは、中共からの引き揚げられた方々にも出していただいており、非常に感謝されておるわけですが、問題はこれではどうにもならないということなんです。非常に今窮状を訴えておる。この右へならえの、中共から引き揚げられた戦犯の方々と同じ程度の特別手当ということではなしに、受田委員の言っておられるのは、もっとそれよりももう少し配慮を願ったもち代というようなものを言っておられると思うのです。そういう点について努力されるお考えがあるかどうか。帰還手当と特別手当がついておりますが、今もらうのは、合計二万円ですが、これ以上いただけるかどうかということを言っておられると思います。
  75. 田邊繁雄

    田邊政府委員 気持におきましては櫻井委員と全く同じわけでございますが、何分にも予算がございませんので、ただいまのところ、そうするということをはっきり申し上げるわけには参りませんが、もし何らかの形で金でもふえるというチャンスがございますれば、当然そういう措置も講じて参りたいと思っております。
  76. 受田新吉

    ○受田委員 今のあなたのお説は、櫻井委員からも協力して質問をしていただいたわけでありますが、未帰還者に対して、全員一万円の越冬資金、もち代に当るものを今年新たに出すという御発言だと私は了解するのですが、いかがでございますか。
  77. 田邊繁雄

    田邊政府委員 先ほど私が申し上げました特別帰還手当と申しますのは、今年の帰還者の中の、抑留者でお帰りになった方に対しては特別に帰還手当を差し上げるように、年度半ばから実施した、こういうことを申し上げたのであります。
  78. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると、あなたの御発言は、中共の戦犯で、まだ抑留されておる人々には適用にならぬというように解釈できると思うんですが、ソ連から今度帰られる人の場合、そのものの特別手当のことですか。もう一ペん御答弁願います。
  79. 田邊繁雄

    田邊政府委員 十年以上抑留生活を送られて帰ってこられる方々に対しては、先ほど申し上げました通り、何らかお慰めの微意を表わしたい、こういうことでいろいろ研究いたしておりまして、乏しい予算の中から一万円だけを出すということにした、これは今年度に入ってからソ連中国からお帰りになった方々に出す、こういう趣旨の手当でございます。
  80. 受田新吉

    ○受田委員 それは帰られたときに出すということであって、この年末に、残留者の御本人及びその家族に対してお報いするというおもち代の意味じゃないのですね。
  81. 田邊繁雄

    田邊政府委員 残留者に対して出すという方法はございませんので、お帰りになったときに差し上げる、こういう趣旨であります。
  82. 受田新吉

    ○受田委員 それは、方法がないというのはいかぬ。そこを私は今申し上げておるので、今、櫻井委員から御協力してもらった点で、この点が一つあったのです。あなたの御発言は、今度帰ってくる人に対しての場合の特別手当というのでは、今ここであらためて御説明するまでもない。今私が申し上げておる趣旨は、向うにおかれる未帰還公務員の方々の御家族に対する越冬資金、おもち代という意味で、この年をまた異国で暮される方々の家族の御苦労を思うて、せめておもち代を差し上げて、ささやかな年末の食膳をにぎわして差し上げるというあたたかい心づかいが、残された人全員に及ぶかどうかを私はお伺いしたわけです。一般公務員には期末手当がある。それに類するものを行政措置でできればなおいいし、府県であれば、未帰還公務員に対して、現に、わずかではあるが、県の行政措置でおもち代を上げておる県もある。だから、国としてもその心づかいをしていただく必要がある。特に今年のこときは、国をあげて、未帰還公務員に対しては、非常なあたたかい心づかいをして、世論がまき起っているのだから、政府が行政措置をして不届きだと言う国民は一人もおりません。
  83. 田邊繁雄

    田邊政府委員 たびたび申し上げますが、未帰還公務員だけにそういう措置を講ずるということは、私はいかがかと考えております。それからたびたび申し上げるようですが、抑留者が、ソ連の場合、来年に持ち越されるということは、私は予想いたしておらないのです。
  84. 受田新吉

    ○受田委員 抑留者は、ソ連にだけ残っておるのではない。中国にもたくさん残っておる。その数字をあなたにお尋ねしたら、まだお答えにならぬ。ソ連のことばかりおっしゃっておられるが、ソ連方々もまだ現実に帰っておられない。十二月十五日に一般公務員が期末手当をいただく。われわれはそれまでに帰られれば喜びにたえないが、それよりも遅れた場合、あるいはそれの前に帰られた場合でも、少くとも期末手当に該当するものは——まだ未帰還方々の御苦労に対するわれわれのあたたかい心づかいとして、期末手当に当るものを差し上げてはどうかという提案をしているわけなんです。
  85. 田邊繁雄

    田邊政府委員 たびたび申し上げますが、中共にたくさん抑留者が残されておるという御発言でございますが、これは事実に反すると思います。中共では、戦犯として抑留されておる者は、現在四十四名でございます。なお、帰国希望する者はそのつど帰しておる、こういう建前でございまするし、われわれもそれは事実にそう遠くないことであろうと考えております。なお、年内に帰還が実現するという問題は、これはだれしも強く要望されることでございまして、ぜひ年内にソ連の抑留者が帰れるように、皆様にも御尽力をお願いいたします。
  86. 受田新吉

    ○受田委員 中国に戦犯が残っていることは、はっきりしておる。その方々が、今数字を明らかにして、四十四名とあなたは言われた。その四十四名という数字は、現実の数字である。それはわずかな数字ではない。われわれは残された方々を公平に守って上げるということが大事であるから、たとい一人でもそういう該当者がある場合には、その方に心づかいをして上げる。特に四十四名というはっきりした数字が出ておる以上は、その方に一万円ずつ別に上げたって四十四万円で済む。財政的にはごくわずかな措置で済むのですが、そういう点を政府として考えられるかどうか。私は、予算的には行政措置で済む、簡単な手続で済む方法だ、厚生省単独でできる措置だと思うので、提案しているのです。それを何か数字をはっきり示されないでお答えになったので、私お尋ねしたのですが、いかがですか。この残留者を一様に守って上げるという意味で、政府措置、それは四十四名のほかに、政府として、まだ中国にあり、ソ連にあると思われる、つまり名簿上の残留者及び生死不明者、それらを含めた、高い立場からの判断を私は願いたいと思うのです。
  87. 田邊繁雄

    田邊政府委員 未帰還者全体の数は、状況不明者を含めましての未帰還者の数は、相当多数に上っております。この全員の、今お話通り、留守家族という立場から、あたたかく、年末を控えての手当ということになりますれば、またこれは別問題でございまするが、その中で特に未帰還公務員だけを取り上げて、それだけの方に、一般の期末手当との均衡上出すべきではないかという御議論に対しては、どうも私納得できないのであります。やはり待つ者の立場はみな同じでございます。従って出すとすれば、未帰還者全員の家族に対して何らかの措置をとるということでなければ、やはり留守家族に対する措置としては均衡を失するのではないか、こういう考えを持っておるのであります。
  88. 受田新吉

    ○受田委員 それは私の精神と一致するのであって、私が未帰還公務員を指摘したので、それをお取り上げになっての御発言は、はなはだ言葉のあやをとられた御発言だと思う。私はまだ帰らざる、異国の空にある、政府の名簿の上に載っており、生死不明者として残されておる方々を含めた大きな立場で今指摘したのです。それを未帰還公務員と申し上げた節が一つ二つあった。それは一般公務員とのつながりの理由に一つ申し上げたのであって、私の申し上げたのは、広い意味の未帰還者ということを先ほどから幾回か繰り返し申し上げておる。それを丁、別問題で考慮すべきだという答えがあったのですが、それは考えていただけるのですか。
  89. 田邊繁雄

    田邊政府委員 留守家族の援護という点につきましては、われわれ従来いろいな形で努力をしてきておるわけでございますが、一般の戦没された方々の遺族の処遇問題等々との均衡もございますので、毎月差し上げる手当額には一定の限度がついておりますが、いっこの未帰還問題が解決するようになるか、まだ相当の時日を要すると思うのであります。それまでの間、待っておられる方々立場は十分わかりますので、できるだけ処遇の改善なり援護の充実ということは、財政の許す限り、努力をいたしたいと思うのであります。
  90. 受田新吉

    ○受田委員 できるだけの措置というのではなく、年末に対する緊急措置を何とか考える必要はないか。府県によってはすでにそれを実行して場おるところがあるのだから、私が今申し上げるように、一般邦人と政府職員とそれから旧軍人であった人々、これらの数を示していただければ、総数に対して一人幾らと出しても、予算の総額はわずかで済むと私は判断するので、府県によっては幾多やっておる実例があるのであるから、国としてこの際お示しになってはどうかという提案をしたわけです。その提案に対してのお答えを願いたいと思うのです。
  91. 田邊繁雄

    田邊政府委員 たびたび申し上げます通り、受由委員の御発言は、何か軍人軍属、一般公務員だけに期末手当ということをお考えになっての御提案であるようにもとれるのでございますが、私はどうもそれには御賛成申し上げかねる、こう申し上げたわけでございます。一般の留守家族に対して、年末の何らかの措置ということは、これは私趣旨としてまことに気持の上で受田委員のおっしゃることに反対するわけじゃございませんが、これがやはり他に及ぼすいろいろの影響、財政その他を考えますと、御趣旨のままそうやりますとか、賛成だから実現いたしますと、こう申し上げられないことを御了承願います。
  92. 受田新吉

    ○受田委員 政府の意思は、今は申し上げられないということは、現在ではその意思がないということに断定してよろしゅうございますか。
  93. 田邊繁雄

    田邊政府委員 ただいまこれは将来の研究問題として考えられる程度でありまして、今その方向に向ってどうこうということは、申し上げられないことを御了承願いたいと思います。
  94. 受田新吉

    ○受田委員 厚生大臣に対して輔弼の責任にあるあなたとして、はなはだ不熱心な態度で、補佐役としてのあなたの立場——今ここに政務次官がおられるのですが、政務次官、あなたから、大臣にかわる副大臣と言われておる立場から、いささかこの問題に対する基本的考え方を表明していただけませんか。
  95. 山下春江

    山下政府委員 局長が繰り返し申し上げました通り、私も聞いていて、受田委員の御発言の中には、長くこの問題をお扱いになっておいでになったべテランの受田委員にしては、いささか受け取りにくい点があるように考えられます。御趣旨を取り違えておるかもしれませんけれども、この問題は、一般邦人と公務員と——それはなぜかと申しますと、公務員には年末手当が出るのではないかということを前提にしてお話しでございますから、どうもそう受け取れてならないのでございますが、特別に階級をつけたりあるいは差等をつけて扱いますことは、受田委員の御趣旨でもないだろうと思います。それはもう抑留されておられる苦しみは全く同じでございまして、いかなる人も同じ苦しみ、家族もまた同じ苦しみを味わっておられますので、差等をつけますことは、はなはだ私はおもしろくないことのように考えます。抑留されておられます方は、たびたびこの委員会で御報告申し上げましたように、今日まで国家が慰問品を送って、その体位が衰えないように、あるいは非常に御不自由をなさらないようにということを国がやることを長くいたしておりませんでしたが、本年度は、国が、抑留されておる方に対しては、小さな心づかいを含めまして、品物も送っておりますし、留守家族の方に対しましても、過般の国会でその処遇も改正いたしましたししますので、私といたしましても、局長が申しました通り、ただいまこれをすぐお受け取りしまして実行いたしますことは、お約束をいたしかねることではなかろうか、ということは、受田委員は公務員と他の者とを区別するような御発言にどうも受け取れてならないところから、私は区別すべきではないという立場で、そう考えております。
  96. 受田新吉

    ○受田委員 政府の責任者として、はなはだ不届きな発言をされる。私は、あなたがそんなつまらぬことにとらわれるような意識では、厚生副大臣の資格はないと思う。あなたの御発言は、公務員と一般邦人とを区別されるということで、田邊局長のあげ足をとるような言い方をしたと言われたのだが、私が広く残留者の全般の数字を聞いたら、政府はお答えにならない。私は、まだ残されておるのは、ソ連に一万と、中共その他に約四万近くある、かように了解しておるのだが、その数字すらもお示しにならぬ、その概数もお示しにならない。私がここでお尋ねしたのは、国家公務員の場合で、未帰還公務員だけは援護法の特別措置を受けておる、従って、援護法のワクにみな入れられてしまっている。援護法のワクにみな入れられてしまっている公務員の方々は、非常に不幸な立場にある。従って、普通であれば、公務員の人には期末手当が出るが、夫婦帰者の方はその中に入っていない。しかし、われわれがここで援護法の対象としている以上は、今度は、夫帰還公務員の人も一括して、夫帰還者留守家族等援護法の対象になる人々として考えなければならぬのですから、そういう場合に、未帰還者の留守家族を守る立場から、一括してこの方々におもち代を出してはどうか。期末手当というものが公務員にはあるのだから、そういうものに当る意味も含めて、とにかく残された全部の人におもち代を上げてはどうかという大きな前提を、私は何回か繰り返して申し上げているわけです。それを今区別してお答えになるところが、何か非常に変に聞えるのですが、とにかく今は理屈は抜きです。まだ帰らざる方々の一般の人、とにかくこの冬をまた寒空で越していただく人には、すべてを含めて何らかの形でおもち代を上げてはどうかと私は提案したのです。これは、委員の方には了解していただけると思う。そこを私はお尋ねしているので、一般邦人と公務員との区別ではなくて、広く大きな立場から最後に念を押してお尋ね申し上げているのですが、どうですか。
  97. 山下春江

    山下政府委員 御質問の一番最初の前提が、軍人軍属、国家公務員あるいは一般邦人の区別の数字を明らかにせよ、こういうことでございます。従いまして、その数字に基いての御議論であろうと考えられますので、数字は明らかでないけれどもということで、ずんずんお進めになりましたので、どうしてもわれわれ聞く方の立場では、そのように聞えてならないのでございます。従いまして、先ほど局長が申しましたように、御指摘の、ある部分のギッヤプがあるということに対しては、微力でまだ実行に移しておらないけれども、何らかの方法で埋めようということは、私は承知いたしております。聞いているうちに、局長はそのギャップを埋めたいという熱意を始終持っておりましてその点では、申し上げますように、微力で実行に移しておりませんことをはなはだ遺憾といたしますけれども、御趣旨に沿うような措置をとりたいと思っておりますので、多少お互いの聞き方、言い方に食い違いがあるかと思いますが、全般を通しましての受田委員のお気持はよくわかりますので、善処いたしたいと思います。
  98. 原健三郎

    原委員長 先ほどの山下第六課長の発言中、チフヴィンスキー公使と言われたのでありますが、われわれは漁業代表であると聞いておりますので、これはこれでよろしゅうございましょうか。
  99. 山下春江

    山下説明員 正式には漁業代表部でございます。先方では、自分で公使と言っておりますので、これは大将とか閣下とか、一般的な略称としては訂正しておきます。
  100. 臼井莊一

    臼井委員 日ソの引き揚げ問題に関しまして、なおもう少しお聞きしたいこともありますので、次回は法眼参事官にでも御出席いただいて、いろいろお尋ねしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  101. 原健三郎

    原委員長 この次は、日ソ交渉の批准にからんで、本問題をいろいろ研究いたしたいと思います。  次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこの程度にて散会いたします。    午後零時十九分散会