○松浦清一君 私は、ただいま
議題となりました
憲法調査会法案に対し、
日本社会党を代表して
反対の
立場を明らかにいたしたいと存じます。
この
法案に
反対する第一の理由は、本案提案の理由として、現行憲法が
昭和二十一年、占領の初期において、連合国最高司令官の
要請に基き、きわめて短期間に制定されたものであって、
国民の自由意思によるものではないということ、さらにまた、現行憲法が実施されてから今日までの経験にかんがみ、わが国情に照らして検討を要すべき点があるとの二点をあげております。この提案理由の説明によって明らかなように、現行憲法を否定して、
改正の要あることを認め、これを強行しようとするその目的を先決して提案された
法案であるにかかわらず、提案の当初の質疑の過程においては、
国民の反撃
世論をおそれ、
改正の要否を調べるための調査会であると強弁をいたしておりましたが、だんだん問い詰められて参りまして、最後の段階に入ってからは、
政府からも、提案者からも、
改正を目的とした調査会であるということが明瞭となったのであります。しかも本月十日の内閣
委員会におきましては、提案者を代表して山崎巖君から、現在
自民党の憲法調査会で策定した十一項目にわたる
改正基本方針は、なお、さらに検討されて、調査会が設置されますると、この
委員会に、
委員として
自民党から入れば、その中のだれかが、
自民党の
改正案を持ち込むということを明らかにいたしたのであります。
政府を代表しての吉野国務
大臣も、これを肯定されたのであります。このことは、四月三十日の内閣
委員会において
鳩山総理の、「
政府は案を作って
国民に問う
責任がある」、そういう暴論と相一致しているのであります。すなわち、憲法調査会を設置するということは、
政府も
自民党も、憲法
改正の方針をきめて、しかも
改正案を作り、そうしてこれを押し通そうとされることがわかり切っておりますので、私どもは本案に
賛成することができないのであります。
第二に、本案自体の内容についてであります。憲法第九十九条において、これを尊重し擁護することを義務づけられた国務
大臣によって組織されております内閣に、憲法を
改正することを目的とした調査会を設置することが適法かどうかということについては、多くの疑問があるのであります。さらに第九十六条では、憲法
改正の発議権は
国会であることが明記され、内閣に発議権のあることはどこにも認められてはおらぬのであります。
鳩山総理の、
政府が
改正案をもってこれを
国民に問う
責任があると言うがごときは、まことに許しがたき憲法のじゅうりんであります。現行憲法をじゅうりんして、あえて恥じない
総理大臣を主管として調査会が設立されれば、どのような結果になるかはきわめて明瞭であるのであります。その
内閣総理大臣に五十人の
委員が任命されるのであります。ネコに食われるネズミが、そのネコから食われるために任命されるのと同じことであります。(
拍手)二十人の学識経験者は、憲法
改正論者たる
政府御用学者の中から任命される危険があります。
国会議員の三十人は、公平に各党議席比率に按分して任命するといたしましても、三対一の割合となり、五十人は四対一の比率において、調査会の結論は、その
審議を待たずして、この
法案成立の瞬間においてすでに明瞭となっているのであります。ただ衆知を集めて
改正案を作ったという格好をしようという魂胆が見えすいているのであります。
政府と
自民党の
諸君は、これが
国民投票に付された際の、何のことはない、事前運動をやっているにすぎないのであります。だからわれわれは、
賛成ができないのであります。(
拍手)
第三の理由は、すでに着々として進められております
改正案の内容についてであります。本年の四月二十七日に、
自民党の憲法調査会から資料として発表された憲法
改正案によりますと、その前文から始まって、天皇制の問題、戦争放棄に関する問題、家族制度の問題、
国民の権利義務の問題等、現行憲法のほとんど重要部分の条章にわたって
改正を加えようとしているのであります。そうしてその
改正案は、発表されるごとに、だんだん反動的な傾向を濃化しつつあるのであります。
一部の閣僚
諸君や
国会議員、憲法学者の
諸君のグループが、調査会が設置されれば、これに提案しようという目的で研究を進められておられるそうでございますが、その
諸君が、
日本国憲法期成同盟案として本年二月二十六日に発表した草案によりますると、たとえば天皇制の問題について、そのときは、「天皇は、
日本国民の総意に基いて、
国民統合の象徴たる皇位を擁し、外国に対して
日本国を代表する。主権は
国民に存し、その権力は全
国民に由来する。」、こういう程度であったのが、四月二十七日の
自民党の案になりますと、現行憲法の「象徴」という表現は、いかにも翻訳的であって、意味も分明を欠いているので、これを「元首」に戻したいという天皇元首制の積極的な意見に飛躍をいたしておるのであります。この一点についてだけでも、もしこの
法案が成立すれば、再び君が代を歌い、日の丸の下で最敬礼が号令され、不敬罪が復活するおそれのあることを
国民はひとしく憂慮をいたしておるのであります。私ども
国民が、さらにそれにもまして警戒をしておりまするのは、この元首たる天皇の名をかり、世に神の権力が横行して、
日本民族の上にさらに大きな残虐が再来するであろうということをおそれておるのであります。
政府にしても、
自民党の
諸君にしても、それほど政治上の大きな権力を天皇に持たせようというような、そんなばかげたことは断じてないと信じます。信じたいのであります。しかしながら、問題は、現行憲法のもとに・おいて、天皇と内閣との間に、少しの不自由も、少しの不都合もなかったということであります。天皇と
国民との関係においても、何の不自由もなかったのであります。天皇の
地方行幸などに際して、老いの目に涙をためて天皇に会いたいと念願する老婆が、
警官にせきとめられるというような、天皇と
国民との間には、今まででさえ、むしろ権力の障害が強過ぎたくらいの感があるのであります。昔、天皇の権力を最大限に利用した東条にいたしましても、
日本人である前に、まず東条という人間であったのであります。人間にその権力を利用される天皇にしてはならぬのであります。
私は第四番目の
反対理由として、再軍備の問題を論じたい。
鳩山内閣も、
自民党の
諸君も御記憶であろうと思います。
昭和二十年七月二十六日、ベルリン近郊のポツダムにおいて、英、米、中華の代表者が
日本の降伏条件を起草して、これを
日本に送ってよこした日であります。これをポツダム宣言と申します。私は
日本の憲法
改正論議がいよいよ真剣になり始めましてから、私は私なりに現行憲法の制定されるまでの事情について、できるだけ努力を払って調べて参りました。実はこのポツダム宣言を十年ぶりに、三度、四度読み返して、そのときのわが国が言語に絶する状態に置かれておったことを痛感させられたのであります。思い出させられたのであります。独立国は当然自衛力を持つべきであるということ、このことだけに限定をして考えてみますると、この理論に合理性がなくはございません。しかしながら、力のバランスだけで国を自衛しようということは、現実の
日本の問題としては、きわめて困難であります。太平洋戦争の緒戦、当時の帝国海軍がハワイを奇襲いたしました際、
日本のハワイ派遣の艦隊と
アメリカのハワイ派遣の艦隊との対比は、わが方の奇襲による戦略上の勝利であって、実力差による勝利ではなかったことは、
諸君も御承知の通りであります。戦争の勝敗は、その国の資源と生産力、兵器の科学性と兵の精神力と戦略巧拙の総合戦力差によって決定することは申し上げるまでもないのであります。
日本と
アメリカの戦争は、
日本にとって神風以外に勝算のあろうはずはなかったのであります。私ども
日本人は、そのことを敗戦の日に痛切に考えさせられたはずであります。
日本の再軍備論者は、どこのどの国が
日本を侵略したとき、それを自衛しようと考えているのか、それは言明の限りではございませんが、もしも北方大陸方面を予想するなら、それはあの大戦の前に、
日本海軍の好戦家の
諸君が、
アメリカを仮想敵国として八八艦隊の計画を立て、多額の国費を乱費して惨敗へのコースを直進をじたことと同じコースであります。他国を相手として考える戦力は、相対的な原理を判断する理性を失ってはならぬと思います。他国の侵略を想定して
日本の自衛力を考える場合、
日本の持つ資源、生産、経済の総合力が、昔の八八艦隊にならないことを十分考える必要があるのであります。私どもは、再びポツダム宣言のごとき悲惨な
国民の血涙を見てはならぬのであります。これが第九条を
改正して、再軍備を合法化しようとする憲法
改正論に
反対する理由の一つであります。
私は、六年の長きにわたって、内閣の主権を掌握した吉田さんに二つだけ感心したことがございます。その一つは、あのずうずうしい心臓であります。さらにもう一つは、
昭和二十一年六月二十五日、第九十議会に憲法
改正案が提案され、吉田
総理の趣旨説明に対して、各党代表の
質問の最後に、共産党の野坂参三君が
質問に立っておる。野坂君は、「侵略戦争に対して自国を防衛する戦争は正義の戦争である、わが国もすべての戦争を放棄する必要はない、」、今の共産党から見れば、まことに不思議な
質問をしております。これに対して吉田
総理は、「近年の戦争は、多くは国家防衛権の名において行われたことは顕著な事実である、
ゆえに正当防衛を認めることが、たまたま戦争を誘発する
ゆえんであると思う、
ゆえに正当防衛、国家の防衛権による戦争を認めよというがごとき御意見は有害無益の御論議と私は考えます」と答えております。まことに当時の吉田さんは、りっぱな答えをしたと思います。これこそ、まことにもっともな御意見でありまして、不幸にして私はその情景を目撃をいたしておりませんが、あの吉田さんの
態度から想像しますと、おそらく厳然として野坂君をしかり飛ばしたと思うのであります。ところがその吉田さんが、ちょうど四年目の
昭和二十五年、七万五千の警察予備隊を創設してから、がぜんとして心境の変化を来たして、自衛合憲論を主張するようになり、警察予備隊はその名も保安隊と変り、自衛隊と変貌して、数もまた十一万となり、十三万となり、十六万となり、さすがに自衛合憲論も、
国民の
反対世論の前に倒れて
鳩山内閣となったのであります。
鳩山内閣の
選挙公約の中で、社会保障制度の拡充強化は、ついに一朝の夢と消えて、四十二万戸住宅建設はかけ声だけで消え去りましたが、公約以上に実行をしていただいたのは自衛隊五万の増強であったのであります。オネストジョンの持ち込みであり、F86ジェット戦闘機使用のための航空
基地の
拡張であったのであります。吉田さんは、自衛合憲論で六年終始しましたが、今の
鳩山総理は、あるときには自衛合憲論を主張され、またあるときには自衛違憲説となるなど、たびたびの豹変の結果、ついにたどりついたのが憲法
改正の序論としての憲法調査会法を
自民党の
諸君をして
提出せしめたのであります。
私は、今ここで防衛六ヵ年計画の有無については、とかくの議論をしようとは思いません。しかし、今日までのように一年に二万二千平均で自衛隊を増強して行くといたしまするならば、これから十年すれば、
日本の軍隊は四十三万の堂々たる軍隊となるのであります。私のこの
反対討論は記録に残され、十年先きも残されて行くのであります。従って私は、
憲法調査会法案反対討論をするに当って、いいかげんなことを言うわけには参らぬのであります。第九条が提案者が欲するがごとくに
改正されまするならば、このことは必ずその方向をたどって、志願採用では間に合わなくなり、徴兵制度がとられ、また世の母
たちを泣かせることになるのであります。水素爆弾の谷間で、
日本の民族は滅亡するのであります。これが第九条
改正反対の二つ目の理由であります。(
拍手)その三には、最近の防衛庁の予算の乱費ぶりはまことに目にあまるものがございます。
立川基地の米空軍が七万二千円のスクラップ価格で東京通産局に払い下げた中古パッカード・エンジンを、いろいろのブローカーの手を通って千二百五十万円で防衛庁が買い取っております。これはどんなしろうと考えで判断をいたしましても、くず箱の中から宝石を拾った話とは全然わけが違うのであります。
昭和二十六年の二千五百万円の医療器具事件、二十七年の事務職員が数字を書き間違えたと称する七千三百八十八台の野戦用ベッド事件、二十八年の鉄かぶと事件、二十九年の軍服事件、憲法では認められておらない自衛隊という名の軍隊が、
国民に対して遠慮しがちでやっていてさえ、現状御承知の通りであります。それがもし憲法で保障された軍隊ともなれば、心理的に、どのような自衛隊の
諸君に変化が起るかを考えれば、まことにりつ然たらざるを得ないのであります。
自民党の
諸君は、第九十議会における変心前の吉田さんの所信を想起すべきであります。
反対討論の第五点として、私どもは民主主義の擁護、平和主義の徹底、基本的人権をあくまでも尊重する
立場を堅持するのであります。社会公共の福祉と調和をはかるのには、個人としての人権を相互に尊重し、認め合い、相互の信頼と愛情の上にこそ社会のよき結合体は維持せられ、進歩するのであります。家族制度の問題にいたしましても、家長の権限が法によって強化されるだけでは家庭の平和は断じて保たれないのであります。妻や次男、三男坊が、すべて法の上で平等の
立場に置かれ、その安心と信頼と愛情の結合が家庭の平和を保つのであります。働く者の人権がはなはだしく法によって抑制せられ、不当な資本主義の搾取が再現して、天皇が神の座に着き、町に兵隊が横行しても、それでは国は栄えないのであります。
国民に相ひとしき人権を保障し、生活に必要な経済条件を満たし、軍備よりも、荒廃した国土の再建をはかること五、政治を行う者に課せられた重大な任務だと思うのであります。憲法の
改正は、この
日本民族悲願の理想をじゅうりんするものであります。
私は、以上申し上げました理由をもちまして、
憲法調査会法案に
反対をいたします。
自民党の
諸君の深き御反省を願えるならば・まことに幸いであります。(
拍手)