○田畑金光君 私は
日本社会党を代表いたしまして、ただいま提案されております内閣
委員長青木一男君の不信任案動議の趣旨
説明をいたします。
二十四
国会以来、本内閣
委員会は前小柳
委員長のもとに法案
審議の促進をはかって参ったわけです。参議院の良識と権威を発輝いたしまして、この
委員会が円滑に運営されてきたことは議事録等によっても明らかであるわけであります。ことに問題の多いと見られております
防衛二法案についても、四月十三日には円満に採決を終了して参ったわけであります。
委員会の連帯がうまく行くかどうかということは、もちろん法案の内容にもよることでありまするが、より大きくは
委員長にその人を得るかどうか、これが問題のかぎだと思います。院全体の運営について議長、副議長の人格、識見が立派であるかどうかということが、院全体の運営の根本につながる問題でありまして、この
委員会がうまく運営されるかどうかということは、一に
委員長の人のいかんというものが大きく左右すると言わなければなりません。内閣
委員会は小柳
委員長のもとにおきまして、先ほど申し上げましたように、非常に円満に終始して参ったのでありまして、ことに四月二十日に小柳前
委員長は次のようなあいさつをいたしておるわけであります。「私は先般来一個人の
理由によりまして辞任を申し入れておったのでありますが、幸いに本日皆さんの御承認を得ましてまことにありがとうございました。私が
委員長を引き受けて以来、常に皆さん方の格別の御支援によりまして、常に内容のきわめて充実いたしました
会議を続けることができまして、私としましては、自分の良心に従い、所信によって
会議を進めていくことができまして、心から喜んでおった次第であります。かくのごとくいたしまして、本
委員会が参議院のあるべき姿によりまして、大へん権威のある
委員会として、その誇りを維持することができましたことは、一に皆さん方の御支援のたまものと厚く御礼を申し上げる次第でございます。しかし、私はきわめてこういうことは不なれでありまして、いろいろ手違いも多かったようでありまするが、大したおしかりもなく、かばっていただきましたことを顧みて厚くお礼を申し上げる次第であります。幸い今度練達堪能の名
委員長を迎えまして」
云々と、あいさつがあるわけでありまするが、この名
委員長がとんでもない
委員長になってしまったわけであります。(「ノーノーと」呼ぶ者あり)
具体的な
事例について簡単に顧みてみますると、
青木委員長は四月二十日に就任し、四月二十三日にはすでに
委員長職権による
委員会開催を強行されているわけであります。重要法案、憲法調査会法案は、
最初の
委員会、しかも鳩山総理出席の
最初の
委員会でありましたが、社会党の
委員が全部欠席しているところで強行されたわけであります。私たちは翌四月二十四日、内閣
委員会開催の初めにおきまして、
吉田法晴君や私から、
委員長の措置を激しく糾弾したわけであります。そうして
委員長は、今後の
委員会運営については、理事会の運営を尊重して参りたい、こういうような
説明も答弁もなされたわけでありまするが、しかし、それはまた日がたつとともに
無視されて参ったわけであります。憲法調査会法案の
審議に当りまして、当然われわれは公聴会を開くべしという
主張であったわけでありまするが、五月四日の内閣
委員会等においては、これまた公聴会を開くという理の当然な
主張すらも抹殺されて、参考人を呼ぶというような決議が多数によって強行されて参ったわけであります。さらに五月十日の内閣
委員会の運営はどうであったでありましょうか。
質問はしごく平静に、しかも建設的な
意見が次々に進められて参ったわけであります。緑風会の梶原茂嘉君が、傾聴に値する
質問を展開されて参ったのでありまするが、ようやくその
質問が一段落しようといたしましたときに、
質疑打ち切りでは専売特許的存在である井上
清一君から(「その
通り」と呼ぶ者あり)突如、
質疑打ち切りの動議が
提出されて、約束の慎重な
審議というものも全くじゅうりんされて参ったわけであります。後日明らかにされたところによりますと、この
質疑打ち切りの動議は、緑風会の理事はもちろん、与党の理事諸君も全然相談にあずからなかった、まことに独善的な運営であったと言わなければなりません。こういうような重要な法案を
審議するに当りまして、議事日程その他について、最終段階においては、当然鳩山総理に対する総括
質問等が行われるべきであるにかかわらず、しかも、その当時においては、会期が大幅に延長されるという情勢をよく
承知しておりながら、このような暴挙をあえて
青木委員長は試みて参ったわけであります。このために、五月十一日から内閣
委員会は紛糾を始めまして、五月十四日まで、事実上
委員会の
審議は停止し、ひいては参議院全体の運営の渋滞を来たしたことは、各位御
承知の
通りであり、
委員長よく御
承知のはずであります。こういうような態度というものは、東条内閣時代の軍閥的な、権力主義的な行き方を、まだまだわが
青木委員長は抜け切れないという証左でありまして、われわれはまことに院の今後の運営のために悲しむ次第であります。
今、
国防会議構成法案が
審議されて、この
法律案に対し国民は非常な注目を集めておりますことは、周知の事実であります。私たちはこの
法律案というものが、まことに今日の時代から申しますると、逆行する法律でありまするし、憲法に違反し、そうして従来のなしくずしの軍備体制というものをさらに堂々と押し進めようとする反動的な法律の頂点に立つものでありますゆえに、聞くべきは聞き、ただすべきはただし、国民の不安に思うことは、その真相を明らかにして、私たちはこの法案の慎重
審議を要求して参ったわけであります。
質問時間もなお二時間有余残されていたはずであります。ところが、また私たちも内々不安には思っておりましたが、しかし約束でありまするから、党と党との約束であるし、理事会の約束は尊重する、そういう態度で臨んでおられましたから、まさか、このようなことはあるまいと期待しておりましたが、本日重要な
質疑を残して打ち切りに至ったわけであります。
今
政府の考えておる再軍備の体制、これはちょうど憲法改正の
意図とうらはらでありまするが、要するに
アメリカに押しつけられた傭兵的な軍備をさらに進めようとするものであります。今日
政府与党の諸君は、現行憲法をマッカーサー憲法と呼び、あるいは翻訳憲法と呼び、そうして独立
国家には独立
国家にふさわしい自主憲法を持たねばならぬ、こう
主張しておるのでありまするが、一体、自主憲法制定の
意図はどこから来ておるのか、申すまでもなく
アメリカの要請によってきておることは明らかであります。今日の
自衛隊のできるまでの経過を見ましても、一九五〇年にマッカーサーの指令に基いて警察予備隊ができた、さらに昭和二十七年四月サンフランシスコ平和
条約が効力を発生しますると、その年の十月には警察予備隊は保安隊に発展的解消を遂げているわけであります。かくて
軍隊的な色彩は一そう濃厚を加えて参ったわけであります。昭和二十八年すなわち一九五三年十一月には例のニクソン副大統領が
日本にやってきて、
日本に
軍隊否定の平和憲法を持たしめたということは占領政策の最大の失敗である。これで保守党の諸君は勇気百倍して憲法改正と再軍備を押し進める段階に拍車をかけて参ったわけであります。かくて昭和二十九年法律百六十五号によりまして保安隊は
自衛隊に発展し、質的にも量的にも一大躍進を遂げて参りました。かくて間接侵略に対処する
任務を持つに過ぎなかった保安隊が第一義的に直接侵略に対処するというようなことになって参ったわけであります。当時の
吉田内閣は、これを
軍隊と呼ぶのは自由であるが、戦力のない
軍隊である、こういうような奇妙な言葉で逃げていたわけであります。しかるに、鳩山内閣になりましてからどうでありましょうか。ことに鳩山現内閣の総理大臣は、かつては警察予備隊すら憲法違反である、こう申して
吉田前総理を激しく糾弾していた一人でありまするが、一たび政権の座につきますると、昨日までの言葉を全く忘れてしまって、
政治家としての節操等は全く放棄してしまって、そうして現行憲法の下においても
自衛の
軍隊を持てる、現行憲法の下においても
自衛のためなら
戦争は可能である、
交戦権は
否定されておるが、
国際法上の
交戦権が
否定されておるに過ぎないのであって、事実上の
交戦権は許されておる、まことに得手勝手な解釈を下し、今日の憲法をじゅうりんし、法律をじゅうりんする態度をとって参ったことは明らかであります。
こういうような
わが国の
政治において最も問題があり、国の将来を最も危うからしめる内容を持つ
国防会議構成法案でありまするがゆえに、私たちは当然慎重
審議がなされるべきものであると信じて参ったわけであります。しかるにこの
法律案の
審議のさなかにおきまして、先ほど私が
指摘いたしましたように
青木委員長の古い思想と、古い
戦前の
性格と申しますか、人間的なあくの強さというものがこの
委員会を再び混乱の中に陥れて参ったわけであります。
さらに私たちはこの法案についてたださなければならぬ大きな問題は、
国防会議の
構成の問題であったわけであります。本
法律案が第二十二
国会に提案された当初はいわゆる
民間人を加えるということになっていたわけであります。文民優先とか、
軍事に対する
政治優先の
原則とかは言葉の上では
論議されて参りましたが、さらにその前に、言葉の前に考えなければならぬことは、軍の政党化やあるいは軍が党利党略の具に供される
危険性をどう排除するか、こういう問題であろうと思うわけであります。第二十二
国会においては当時の民主党内閣はこの
法律案に関し民自共同提案を考えて参りましたが、これが不可能と見るや、
政府提案といたしまして、しかも
政府原案の中には
民間人の五名以内を加えるというようなことになっていたわけであります。ところが自由党との妥協をはかるために、遂にこれは削除されたわけであります。本
国会に提案されるに当りましても、この点は最後の瞬間まで
政府部内、与党内において
論議を重ねて参っているわけであります。二月十日の五者会談——岸幹事長、石井総務会長、芦田均、
木村篤太郎、根本官房長官の間では、二十二
国会修正案
通り民間人は加えない、こういう
方針であったのでありますが、その後自民党の政調会の
国防部会においては参議を
諮問機関として入れる、こういう
方針に変ったわけであります。ところがまた参議という名称がおかしいというので、二月二十一日の自民党総務会は顧問を置くということにきめ、この趣旨に基き法案を作成することを
政府に申し入れいたしておるわけであります。しかるに
政府部内は顧問設置に反対を表明し、二月二十五日に鳩山総理の裁断を仰ぐということになり、鳩山総理は顧問制度を
認めない、こういう
結論を下しているのであります。ところが鳩山総理のこの決断こそわれわれは不可解至極な決断と言わなければならぬわけであります。二十二
国会の折、
衆議院の修正案が送付されて、七月の二十九日に当内閣
委員会において
審議をされました節に、緑風会の豊田
委員から、なぜ
民間人を削除したか、こう
質問したところが鳩山総理は自分としては
民間人を入れておくべきであると今日でも考えておるが、自由党の妥協上やむなく一日でも早く本
法律案を通すためにやむなく削除するに譲歩したわけである。ところがその総理が今回はみずから
民間人を加えることを削除することに断を下しておるわけであります。私たちの
心配することは、政党内閣による
政治的中立性を侵されはしないか、
自衛隊が政党化される、あるいは
政治的な干渉によって、ほんとうに国の
防衛のためであるのか、党の私兵に堕しはしないか。これを私たちはおそれておる一人なのであります。ことに現内閣のように、自民党という名の保守政党のように、目的のためには手段を選ばない。政権維持のためには世論がどうであろうと、国民の批判がどのように激しかろうと、数が正義であり、数が真実であると、こういう前世紀的な政党内閣のもとにおいて、私たちは
国防会議というものの
性格と
構成、これをしっかりとした土台に据えなければまことに危険である、こういう感じを強く持って参っているわけであります。なるほど現行の憲法あるいは
自衛隊法等の法律制度のもとにおきまして、政党内閣の行き過ぎた行動は
軍事面においても
国会の規制を受ける、こういうことにはなっておりますが、しかし
国会によってさえもこの規制をはかることは困難であり、ことに機動力あるいは時間、こういう面を必要とする
軍事行動等は、
国会の規制を受けると申しましても、限界があることを知らなければなりません。
自衛隊法七十六条、すなわち
防衛出動等の場合におきましては
国会の承認を求める、こういうことになっておるわけでありますが、緊急の場合はその例外とされておるのでありまするが、この例外こそ普通の場合になり得るということを私たちは不安に思いますがゆえに、
国防会議の
構成等についてさらに鳩山総理に——たよりない鳩山総理でありますが、いやしくも総理として責任の地位にある以上は、われわれはさらに総理に対してただすべきはただしたい、こういう正当な私たちの今朝ほど来の
主張というものが、与党の諸君には理解できなかったのか、
委員長はこの
主張に対しどういう解釈をされたかしらぬが、突如として
質疑打ち切りを提案されて参ったわけであります。まことに遺憾きわまる態度と申さなければなりません。
われわれは今日の情勢を考えましたときに、一体今日の
日本は
政府与党の諸君の考えるがごとく再軍備をしなければならぬ情勢にあるのかどうか、このことを深く反省願いたいと思うわけであります。昨一年間の
国際政局の動き等は、保守党各位もよく御
承知の
通り、あるいはバンドン
会議、あるいはジュネーヴ
会議、こういう
会議等を経て
国際緊張が緩和の方向に進んで参ったということは
否定できないと考えるわけであります。
昨年の十二月、
わが国は国民の心からの念願であった
国際連合へ加盟するということもとうとうできなかったわけでありまするが、なぜこれができなかったか。すなわち今日の
国際連合を
構成する中小
国家群の支持を
わが国は受けることができなかった。ここに
国際連合加盟の失敗があったということをわれわれは反省する必要があろうと思うわけであります。ことに今回日ソ漁業
条約あるいは海難救助
協定等が締結されたのでありまするが、しかもその内容等については国民はいろいろな考えを持っておるのでありましょう。昨年の六月一日から始まったロンドンの平和
条約交渉が結局与党内の内紛のために、
意見の衝突のために、二十数回
会議が持たれたにかかわらず、ついに決裂するに至った。もし平和
条約が、あるいはロンドン交渉が軌道に乗って、誠意ある交渉が進んでいたと仮定しますならば、今回のようなああいう周章ろうばいして、あわてて河野全権を派遣しなければならない、しかも内容において幾多の問題を包蔵する漁業
協定、漁業
条約、あるいは海難救助
協定の締結等は未然に阻止できたものとわれわれは考えるわけであります。
私は参考までに読み上げたいのでありますが、中央公論の五月号に愛知大学の教授の入江啓四郎氏が次のようなことを述べておられるわけであります。
結論だけを簡単に申し上げますが、(「了解々々」と呼ぶ者あり)よくその点は
政府与党の諸君、耳を傾けて聞いてもらいたいと思うわけであります。(「簡単々々」「ゆっくりやれ」と呼ぶ者あり)
第一に、「
戦争放棄条項は廃棄すべきか」、こういう題で掲げておる論文でありまするが、その
結論を申しますとこういう内容になっておるのであります。
「第一に独立立権国は、個別的及び集団的
自衛権の裏づけとして、当然に軍備を拡充しなければならぬというようなことは、あまりに素朴である。『文事アルモノハ、必ズ武備アリ』(孔子)といった教は、二国間
戦争時代のものである。今日では、もはや
戦争は、二国間に限定されない。
日本が侵略されるような
戦争は、必ず世界
戦争になる。しかも原水爆
戦争である。「原子爆弾というものの発見以来、
武力の問題についても、従来の
考え方というものに革命が起って来ている」とは、制憲
国会当時にも十分認識されていたことである。原爆
戦争に備えるなどということは、
日本の実力で間に合うことではない。児戯に類する軍備よりか、
日本は世界集団
安全保障体制のなかで、別途に寄与する工夫をすればよい。それは軍備にはかぎらない。第二に、
戦争不可避論を再検討する必要がある。第二十回ソ連邦共産党大会で、フルシチョフが、現在の事情では、平和的共存か、あるいは史上最大の破壊的な
戦争か、二つの道しかなく、第三の道はないといい、またミコヤンが、
戦争は勃発し得るが、しかも
戦争の開始を許さず、かつ強固な平和を確保する条件と可能性が備っているといって、ともに
戦争の宿命性を否認したのは、単に原水爆
戦争は避けられるというだけでなくて、絶対に避けねばならぬという見地からである。しかしこれは世界共通の課題であって、モスクワだけの
主張ではない。あまり好ましい論理ではないが、原水爆の発達、原水爆独占の終止は、世界
戦争の勃発をいちじるしく困難にし、ほとんど不可能にした」以下省略いたしまして、「第三に
日本は、
日本としての歴史的使命を再認識することである。第二次世界
戦争では、よかれ悪しかれ、
日本は世界史の上で、破天荒の役割を演じた。破壊の上で、あれほどの威力を発揮した
日本国民であれば、次は百八十度の転換をして、同じ偉力を世界平和の確立に寄与することである」、私はこういうような
考え方をもう少し保守派の諸君は勉強なされたらどうかと、こう考えるわけでありまして、まさにこのような傾向にそむいておるのが今回の
国防会議構成法案であるということをわれわれは申し上げたいのであります。
さらに私はもう一つ与党の諸君に、
政府の諸君に耳を傾けてもらいたいと思うのでありますが、これは東大の矢内原総長が、去る五月十九日に、東大の五月祭で講演をされておるわけであります。「世にもフシギな再軍備」こういう題であります。これは毎日新聞の記事を私は借用するわけでありますが、言わんとするところがよく尽きておるので、これもまた参考までに申し上げたいと思います。(「題だけでいいよ」と呼ぶ者あり)「最近の
国際情勢は二つの大きな変化をとげつつある。第一はソ連が政策を変更した結果、両陣営が話合いで軍縮しようという傾向、第二はアジア、アラブ、北アの植民地で民族独立運動が盛んに起りつつあることだ。国内に目を転ずると三つの顕著な動きがある。再軍備と憲法改正、言論、教育の
国家統制、追放者の復活である。世界の危機が去り、軍縮が行われる時、
日本が軍備するのは実に不思議だ。また民族独立運動が盛んな時に、
日本人が帝国主義に郷愁を感じるのもまさに「時代錯誤」だ。ヒットラーの暴挙により国を分割された
ドイツの悲劇をくり返そうという方向にあこがれるのはまことに危険千万な思想である。このように
日本の現状は
国際情勢と実にチグハグである。
日本は世界の大勢をよく認識してその流れに沿って進まねばならぬ。そうなれば再軍備は当分必要なく、平和への道を歩まねばならない。国の平和への大
方針を決めれば手段はおのずと開ける。限られた国費の使い方を再軍備に向けるか、教育、学問に注ぎ込むか、社会保障に向けるか、
経済復興に向けるかは
政治の問題であると同時に学問の問題で、学者の
意見を参考にして
政治を行うべきだ。平和によって国を建てるには
日本の民主化がぜひ必要だ。民主化がゆき過ぎという
主張は力による復興という思想に通じている。ヒットラーの政策は——
戦争を知らない若者の教育2
軍隊の再建3賠償の破棄だった。
日本の現在の再軍備、教育統制、
戦前への郷愁をならべてみると、関連性はあるし必然的に結びついている。独立したから自主的に諸制度を再検討せよとの
主張は一応もっともだ。しかしその内容と方法をよく考えよ。
日本人はいまこそ自分のハラの底で平和
国家の建設を考えるべきだ。平和と民主の子どもを育てるのが
日本の祖先に対して、また世界に対して果すべき義務である」。まことに私は今日の
日本の世相を洞察され、今日の
政治の方向を憂えられる精神がよくみなぎっておると思うわけであります。このようなことを考えて参りましたとき、私はいやしくも今日の
日本の良識あるいは知性あるいは国の良心を代表されたこういう先覚者の言葉に、教えに耳を傾ける、世論に率直に耳を傾けるところに議会
政治の姿があろうとこう考えているわけであります。
しかるに不幸にしてこの
委員会等におけるこの
国会となりまして取り扱われた憲法調査会法案、
国防会議構成法案等は、数の前に、聞かんとすること、国民の不安とすることが、すべて聞かれざるうちに葬り去られてしまったわけであります。まさにこれは
青木一男、わが
委員長の独断横暴な
性格のもたらすものと言わなければなりません。(「その
通り」と呼ぶ者あり)
「参議院要覧」を
拝見をいたしますと、「
青木一男全国選出自由党」という欄があるわけであります。実はどういう経歴の持ち主かと思って、これは
拝見をして見たわけでありますが、こういうことが書いてあります。「明治二十二年十一月二十八日長野県更級郡牧郷村に生れ、長野中学校、第一高等学校を経て大正五年東京帝国大学法科大学卒業、同年大蔵省に入り翌年ロンドン財務官事務所に赴任す、八年全権随員としてパリ講和
会議に参加す、講和
会議終了後賠償に関するブーロニュ
会議及びスパー
会議並びにブラッセル
国際経済会議に出席す、九年平和
条約実施
委員を命ぜられ、
ドイツ、オーストリー等へ出張す、十年帰朝理財局勤務、爾来預金部運用課長、大蔵大臣秘書官、理財局国庫課長」等々こういう経歴を経て、「十七年九月帰朝して
国務大臣、十一月大東亜大臣に就任す、十九年七月内閣総辞職により退官、二十年十二月戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収容さる、二十三年十二月釈放、現在弁護士(第一東京弁護士会所属)である。」私は
青木内閣
委員長の前歴を見まして、まことに多彩な経歴の持ち主であることを知り、敬意を表しますが、また私が
心配いたしますることは、その多彩な経歴、前歴を持っておられるがゆえにこそ、果して今日の平和憲法のもとにおける民主的な議会の運営に当られるべき内閣
委員長として、その任にふさわしいかどうか、非常に不安を持つわけでありまして、私は四月二十日に
青木現
委員長が当内閣
委員会の
委員長に就任され、今日までの議事運営を観察して参りましたときに、これは全くその任にあらず、不適性の
委員長である、もはや
青木委員長のお年ごろからいうと、もうあれだけ
戦争前に頭にしみ込んだものの
考え方やあるいは
政治に対する
考え方をもっていたしましては、今日の民主的な
政治の運用には不適当であり、ふさわしくないということを申し上げざるを得ないわけであります。
以上私は今日までの当
委員会の運営の不手ぎわ、
委員会運営における独善的な態度、重要法案に対しまして、野党の立場というものを頭から
無視してかかりましたところの
委員長の今日までの業績、これらの数々を
事例としてあげまして、
委員長不信任——
委員長は今後
委員長の席にとどまることはまことに不適当な人であるということを強く申し上げまして、私の
提案理由の
説明を終ることにいたします。