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1956-05-07 第24回国会 参議院 内閣委員会 第38号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月七日(月曜日)    午前十時三十三分開会     —————————————    委員の異動 五月四日委員亀田得治辞任につき、 その補欠として小林亦治君を議長にお いて指名した。 五月七日委員伊能芳雄君、藤野繁雄 君、菊田七平君及び小林亦治君辞任に つき、青柳秀夫君、佐藤清一郎君、木 村篤太郎君及び田畑金光君を議長にお いて指名した。     —————————————  出席者は左の通り。    委員長     青木 一男君    理事            野本 品吉君            宮田 重文君            千葉  信君    委員            青柳 秀夫君            井上 知治君            井上 清一君            木村篤太郎君            西郷吉之助君            佐藤清一郎君            田畑 金光君            永岡 光治君            松浦 清一君            吉田 法晴君            梶原 茂嘉君            高瀬荘太郎君            廣瀬 久忠君            堀  眞琴君   衆議院議員            山崎  巖君            古井 喜實君   国務大臣    国 務 大 臣 吉野 信次君   事務局側    常任委員会専門    員       杉田正三郎君   参考人    元幣原内閣総理    大臣秘書官   岸  倉松君    早稲田大学教授 大西 邦敏君    一橋大学教授  田上 穰治君    元衆議院帝国憲    法改正案特別委    員会委員    (衆議院議員) 鈴木 義男君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○憲法調査会法案衆議院提出)     —————————————
  2. 青木一男

    委員長青木一男君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  委員変更についてお知らせいたします。五月四日、亀田得治君が辞任せられまして、その補欠小林亦治君が選任せられました。     —————————————
  3. 青木一男

    委員長青木一男君) 本日は憲法調査会法案につきまして、学識経験者であられる方々おいでを願って御意見を伺う次第でございますが、皆様にはお忙しいところわざわざ御出席下さいましてありがとうございました。一言ごあいさつを申し上げます。  まず元幣原内閣総理大臣秘書官崇岸松君の御陳述を願います。大体時間は二、三十分以内においてお述べを願いたいと思います。岸君、どうぞ。
  4. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 特に何を申し上げていいのか、何をお聞きなさろうとするのか、一向存じないで私来たのでありますが……。この書類は拝見しましたけれども、どういうことを御参考に申し上げればよいのか、何の予備知識もなしに来たのですが、何か御質問でもなさる方がおありですか。
  5. 青木一男

    委員長青木一男君) それではちょっと委員長から申し上げますが、本日お述べを願いまする関係法案は、憲法調査会法案でございます。それについて実は社会党の方面から御推薦をいただいておいでを願ったわけでございまして、十分お述べを願いまする内容等についても御理解いただいておることと思いますが、ただいま申し上げました通り憲法調査会法案の審議の参考として御意見を伺うのでございますから、それに関係する事項について、今申し上げました時間の以内において適当にお述べを願って、それからあとあるいは質問があろうかと思います。どうぞお述べを願います。
  6. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 憲法第九条の戦争放棄の問題に関しまして、よくあれは当時の幣原総理からマッカーサー元帥に建議したのだ、あるいはそうでないと、いろいろな論議がありました。ところが私どもも実は前総理から直接に、こういうことを話に言ったのだということをはっきり伺ってはいないのであります。ただマッカーサー元帥が一九五一年のたしか五月四日と思いますが、アメリカの上院の外交並びに軍事委員会の席上におきましてはっきり言われたことがある。あの日本戦争放棄憲法に関する問題というのは、その当時の総理であられる幣原が私のところにこられて、そうしてもう戦争というものが実に悲惨な結果を来たすから、これからもう戦争というものを全然廃止しなければならないということを自分のところにはっきり言ったということが、その合同委員会の席上で証明されておる。ところが、それは新聞に出ていましたけれども、私ども全然それがわからない。国会図書館に行って私調べてみました。向う議事録がついております。それからその議事録によって見ましたら、新聞に出ておる通りはっきり同じような意味のことが議事録に出ておる。それで実は幣原がその前の年の十二月の二十九日に発病しまして、肺炎にかかって、それからそれがちょうど一月の十五日にほぼ全快した。それからいろいろの何でお礼のために、宮中に第一お礼言上に上りまして、それからマッカーサー元帥のところにも上った。それがたしか一月の二十四日なのです。そのときは十二時に上りまして約三時間、三時まで話をして、そのとき今の話が  これは推察でありますのでわかりませんが、そのときに今の憲法九条の問題の話がそこに出たのではないかと推察されるのであります。それでそれが、幣原総理からその戦争放棄に関する話をマッカーサー元帥に話したということは、その合同委員会におけるマッカーサー元帥証言によってはっきりしたことと、それからその当時司令部に、民政部におりましたいろいろな方がある。それはたしかリゾーというのがある。ホイットニー民政局局長代理なんかをした方ですが、それらも話し、その後になって幣原提言によるのだということを話しておられました。それからワイルズという人がやはり著書の中に書いております。それがやっぱり幣原提言である。そのワイルズという人はやはり民政局におった人でありますが、書いております。それからホイットニー民政局長自身で、それはロスアンゼルスのマッカーサー元帥誕生日記念会があった。その後よっぽどあとのことですけれども、そのときにも同じようなことを言っていますが、それは主として、やはりホイットニーという局長がいろいろ書いたものであって、そういうことで一月の二十四日の会見のときにそういう話をしたということが、そういう人たちのいろいろな話によって私推察して、そうだろうというまあことに推察しておるわけですが、直接聞いたのじゃないのですから——幣自身が私にそう言ったのじゃないから、その点だけははっきり御承知を願いたいのです。  それから憲法に関して枢密院に三月の何日かに政府が説明されたことがあります。そのときに幣原総理総理としてまあいろいろ憲法の説明なすった。そのときに九条の問題に入ったときに、自分がかたい信念を持ってこれこれの内容を言ったんだということを幣原が説明したということが何の中に書いてあります。それは毎日新聞の何か局長をやっておる人で、何とかいう本を書きまして、それをあとでその本によって私見たのですが、まあそういう点ですね。それから、まあ大体そういうようなことで、直接に総理が私に、自分が言ったんだということはそれはおっしゃらなかったけれども、今のマッカーサー元帥証言とか、それから民政局におった人たちのいろいろなお話などによって、それから幣原先生総理になられてから、もちろん私毎日、朝夕自動車に同じく乗り合っておりましたが、東京のいろいろな町やなんか通過するときに、まだ焼け跡が方々に残っておった。それを見るたびにもう悲痛な何をされて、戦争のひどいことをもう非常に何している、痛感されている。またそういう意味で話もしておられる。それからどういう場合でもですね、戦争というものはもうこんな悲惨な何を来たすから、絶対にもうこれはやめなければならない。ほんとうに原子爆弾や何か戦争に使われる今日は、日本などではどうしたってこれを製造するということは財政上絶対不可能だから、だからこの戦争というものをどこまでもなくさなければいけないということをもうしょっちゅう言っておられた。それやこれやでマッカーサー元帥証言というものは、確かに、あれは幣原が少くともああいうことを言ったんだ、それから得てそうしてああいうことになったのじゃないかと思われる節があるのであります。もちろん何ですね、日本憲法草案というものは申すまでもなく、司令部の方で起草して、司令部の方から全部やってきたものです。だからあの条項そのものがむろん司令部の起草したものに多くはかかっております。それから日本政府の方ではいろいろそれを選考し、研究し、相当修正した点もあります。しかし結局日本政府憲法草案になったものでありますけれども、九条の今の戦争放棄動機というものは、幣原が言ったということも確かに一つの何をなしている。あるいは幣原が言って、マッカーサー元帥が全然考えていないことを言ったのじゃそれはないかもしれません。マッカーサー元帥もそういうことを思っておったかもしれませんが、少くともあれは、幣原総理があれを提案したことが少くともあの動機一つになっているのじゃないか、これは裏面の動機、そういうふうに私は考えさせられます。まあ大体……。
  7. 青木一男

    委員長青木一男君) ただいまの御発言に対して御質疑のある方はどうぞ。
  8. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 岸さんにお伺いいたしますが、はっきりと直接にお聞きになったことはないというふうに伺うのですが、それはさようでございましょうか。
  9. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 私は実は二十一年の一月の二十四日に総理のお供をしてマッカーサー元帥のところに上って、十二時から三時までお待ちして、そうして一緒に帰ってきたんですけれども、そのときは私は、どういうことをあなたお話しになったということを聞きませなんだ。というのは非常に長い間お話しになっておられるし、非常に疲れておられるから、車中ではそういうことを、事情を、私は特にそういうことを聞いて総理に御苦労をかけるというようなことをせなかったのです。ですから従って私はそのときに、元帥にこういうことを言ったんだということは伺いもしませんし、お話しもありませんでした。
  10. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 なお一、二点お伺いしたいと思いますが、そうすると直接にお聞きになったことはないが、二十一年の一月二十四日に肺炎がおなおりになったお礼司令部をおたずねになった。その際に長時間御会談があったんだから、その際にお話があったんだろう、こういうように御推定をなさるわけだと思うんですが、そこで、それでありますと、ちょっとなおお伺いしたいのでありますが、マッカーサー元帥証言及びこの司令部の何とかいう、リゾーとかいう方並びにワイルズですか、それからホイットニー、これらの諸君が、あるいは何か書いてあるようですな。あるいは証言が、外交委員会証言された。そういう際に、いつどこでというようなことが何か書いてありましょうか。ただ幣原総理戦争放棄最初発言をしたんだということを示すに足る時と場所というようなものを何か書いたものがありましょうか。
  11. 岸倉松

    参考人岸倉松君) それはマッカーサー元帥証言以外には、時と場所は全然書いたものはありません。
  12. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 そのマッカーサー元帥証言の中には、いつどこでと書いてありますか、それをちょっと御記憶ありますか。
  13. 岸倉松

    参考人岸倉松君) それは証言の中にはいつどこにということは書いてないようですけれども、その九条の戦争放棄に関することは、幣原さんが自分にそれを申し出たということをはっきり言っております。申し出るについては、前には病気しておりますから申し出る機会がないのです。あとになると、憲法に関する草案向うから出てきたあとですから申し出る機会がないのです。ただ唯一の機会というのは、一月二十四日に会っただけですから、その場所と日はそれによって推測しただけです。はっきりマッカーサー元帥も一月の二十四日に云々ということは言っておりません。
  14. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 そこでお伺いしたいんですが、非常に大切なことは、二十一年の二月の二日に、大体、ホイットニーに対してマッカーサーノートが出ておる、御承知のように。そのマッカーサーノートの中には何が書いてありますね、憲法を作ることについてのいわゆる基本原則というようなものをホイットニーに対して指示しておる。そのときの第一項は天皇のことで、第二が戦争放棄のこと、そこでですね、非常に大切なことは、その戦争放棄についてマッカーサーホイットニー指示したその指示は、ポリティカル・リオリエンテーションの中に書いてある。その動機幣原総理動機であったのか、発言によるものかどうかということが、非常な一つ問題点であると思う。そうすれば二月三日以前ということに会ったのであれば、あるいはそういう疑いも起きると思う。このお話によるというと一月二十四日というのですね。ですから一月二十四日というと二月三日の前、それが前であれば、あるいはそういうことがあるのかもわからぬという感じもする。ところでとにかくそういうヒントがあったかなかったか、それは別問題だが、今日公けの文書としてポリティカル・リオリエンテーションの中には、マッカーサー元帥指示としてこれはもうはっきりと公文で出ておる。その結びつきがどうかと、こういうことが大切なんです。ところで私が場所と時を伺ったんだが、場所はまあ司令部であるということは今の言葉でわかる。しかし時は、マッカーサー外交委員会における証言においてもはっきりしない。非常にそれが困ったことで、一つの重大な問題、そこでまだお伺いしたい。マッカーサー元帥とお会いになったことは、二十四日以後は憲法草案が突きつけられて、十八日かあのころに会ったわけですが、その間は会いませんか。
  15. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 私が大体あの当時の日誌をつけておるのですが、その以後は、三月のあの何が出てくる前は会っていないように思います。
  16. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 それからなおお伺いしますが、この問題は、日本の最も大きな文書として現われているのはたしか外交五十年史なんですね。あれは外交五十年史の中に書き入れてあるが、これはどういうような根拠か、推定をあのままお書きになったものですか、どういうものですか、これは非常に重大な問題です。
  17. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 外交五十年史に書いてあることは、今ちょっと事実を記憶しておりませんけれども、やっぱり私今申し上げた以外には事実がないようですから……。
  18. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 それでは一つ、そういうお話であると非常にはっきりしないので、いつどこでおっしゃったかということがはっきりしないと、あの推定だけは、御推定になっておるのですが、非常に困ったことは、重大なことは、当時の閣僚のある人の意見、並びにことに憲法担当であった松本国務大臣自由党憲法調査会において発言されておる。その言葉を見ますというと、全く自分は一ぺんも幣原さんからはそういうことを伺ったことはないと、これは自由党調査会の仕事でありますが、そのときにここにおる青木委員長が、やはり憲法調査会の席上において松木国務大臣に対して、幣原さんがその第九条についてヒントを与えたということをいうが、どうかということを言ったら、これに対して松本烝治氏はこういうことを言った。私が書いた小さい説明書、これは憲法説明書、これは司令部に提出した説明書ですが、私が書いた小さい説明書を出すときには、幣原さんはもちろん賛成して出せというので出しておると、そのときにそういう考えを持たれる道理はないのです。でありますから後日、つまりマッカーサー憲法が出てから後で、おせじか何かに、軍隊のことは自分最初から考えていたというぐらいのことは言ったかもわからないが、しかしそれはおせじであって、決してそういうことは幣原さんはマッカーサーに言ったとは思われないということを、幣原総理が最も信任しておって、そして憲法を担当するところの松本国務大臣がこういうように、幣原さんはそういうことは自分にも一度も言ったことはないし、そんなことは考えておらなかった、こういうことを言っておる。そればかりでなく、もう一つここに芦田均君、現在衆議院芦田均君ですが、これは当時の閣僚です。当時の閣僚が中央公論に出しておるのを見ましても、やはり幣原さんはそういうことを言っておったんではないかと、こういうことを考えておったんではないということをはっきり書いておるのであります。そこで幣原さんが向う憲法草案を受け取って、そしてそれに対する幣原さんの言が、言葉が書いてあるのですが、二月十八日に、白洲君がホイットニーから二月十八日に受けた言葉政府に伝えておる。そのときに幣原総理は、こんな案を直ちに受諾することはできないと言って非常に憤慨しておられた。で、そのときにやはり三土内務大臣岩田司法大臣総理同一意見であるということを言っておった。それからなおこういうことも言っておるのですよ。マッカーサー日本軍備を廃止しろということを言うた。そのときに幣原さんはたしか十八日に会いにいっておるようですが、そのときにマッカーサー日本軍備は廃止しろ、そうして日本道義的指導権を握るべきだと思うということを言ったことに対して、幣原さんは、そんなリーダー・シップというけれども指導権を握れというけれども、どの国も日本についてこないというようなことを言っておる。それから大体当時の閣僚諸公の話をわれわれが聞くところでも、閣僚諸公は一度も総理からさようなことを聞いたことはないというようなことを言っておる。そうすると幣原さんはマッカーサーには戦争放棄を主張することを言うたが、しかし閣僚には言わなかった。のみならず、御自分が信任せられておる憲法担当松本国務大臣にも一度も言わなかったということは、どうしてもわれわれには信じられない。そこでこれはどうも間違いじゃないかと私どもは思うのです。その点についてはあなたはどういう工合にそこの関係を御解釈になるか。ことに私が特にお伺いしたのは、幣原総理外交五十年史の中に堂々とこの問題が入っておる。今私きょう持ってきませんでしたが、してみればこの問題についてはどういう工合にそこを、つまり閣議並びに憲法担当大臣に対しても一度もおっしゃったことはないということは、これはいかがなものであろうか。それなのにマッカーサーには話しをした。そのほかに憲法五十年史に書いてあるということは、私にはどういうわけかよくわからない。これらの点はどういう工合に解釈せられるのか。外交五十年史の問題も私は重要だと思うのですが、その間のいきさつをどういう工合にあなたはお考えになりますか、非常にむずかしい。
  19. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 今、廣瀬さんのお話の、関係大臣や何かのお述べになったことは、それは全部事実だと思います。その関係大臣などがそう信じておられてそう申したのだと思います。ところがそれが事実にしても、一方マッカーサー元帥の言われた、この九条というものが、幣原総理が私にそういうことを言ったので、自分がそういうふうにしたのだというふうに、第九条をこしらえ上げる前にそれを、私の推測ですよ。こしらえ上げる前に、ちょうど一月の二十四日に総理マッカーサーに会ったときに、戦争の惨害の非常なことを言った。もうこれじゃ、日本国民がこの戦争のためにどんなに重大な被害を受けておるか、その戦争被害の甚大なることを言っておる。それでことに原子爆弾や何かが武器として発明された今日では、しかも敗戦の日本でそういうものを作るなんていうことは絶対不可能なんです。だから戦争というものは、これから絶対もうなくしなければならぬ。従って日本国際法上のいろいろな問題が起ってきた場合に、戦争によって解決するなんということは絶対にやめなければいかんという信念を、それもマッカーサーのところへ行って初めて言ったのじゃなしに、そういうかたい信念はもう行く前からずっと、組閣のときから持っておられた。だからそれをマッカーサーに会ったときに、一般自分の所信を述べたということは、私何も不思議じゃないと思う。だからそのときに憲法問題が出ないのですから、憲法九条にこういうことを書きなさいと言ったわけじゃないのですけれども日本国民として戦争被害の甚大なることによって、これからの戦争というものはやめたいということは、それは一人じゃないのです。もういかなる人といえども、そういうことは思っておったに違いないのですよ。だからそれをマッカーサーに会ったときに言ったということは、何も不思議はない。  それで、それからもう一つは、廣瀬さんのおっしゃった関係閣僚がそういうことを知らなかったのは、それはもっともでしょう。しかし自分一般論としてマッカーサーにそういうことを、かたく自分信念を、言っただけで、これは何本憲法の問題のときに閣僚に話さなかったのじゃないのです。だからそこは閣僚諸君の言ったことも事実だろうと思うのです。
  20. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 その心持は、私も幣原さんとは非常に懇意だしよくわかるので、幣原さんが平和主義者だということもよく知っておるわけですが、要するに今のお話を承わると、幣原さんは平和主義信念を持っておる、で戦争のおそろしさを強調した。それをマッカーサーは解釈して、戦争放棄に持っていっちゃったのだ、戦争放棄という第九条と、今の幣原氏の信念との間には、そこには憲法としての関係はないのだ、こういうことであろうと私は思うのです。ただ、そういうことであろうと思うのですが、しかし非常にわれわれが解しにくいのは、むろんだれだって戦争はいやなんですよ。いやなんですが、しかしその考え方を、第九条の問題がマッカーサーの方から指示されたときは非常に強いもので、修正される前の第九条のマッカーサーの条文というものは非常に、戦争の絶対放棄を書いておるわけなんだ。そういう問題があって、この問題については閣議においても、やはり自衛権までの放棄のような形になるので因るという議論もあったようにも私は聞くのですが、そういうときに幣原先生のお心持を少しも強調せられたものがないというのは実に遺憾だと思うのですね。そこで私は幣原さんのお心持は、やはり今あなたのおっしゃったように国際法上の、国際紛争があった、そういう場合においてこれを戦争で解決しようというようなことはいけない。つまりこれは別の言葉でもっていえば、侵略戦車というようなことは絶対にいけないのだ、こういうことであるのであって、私は独立国家としてのつまり自衛の権利まで放棄しようというような心持はむろんなかったのだ。従って私はやはりこの自衛権行使までも否認するのだというような考えはむろんなかったのだ、こう私は思うのです。ただそれがとかく非常に強く解釈されて、戦争絶対放棄自衛戦車まで放棄だということが幣原さんの主張なるもののごとくに解されることは、あるいは御本人のお考えじゃなかったのだろうと、こう私は思う。その点はどうお考えですか。
  21. 岸倉松

    参考人岸倉松君) その前にもう一言ちょっとつけ加えて申し上げたいのは、一月の二十四日に幣原総理がお会いしたときのマッカーサー元帥の心情ですね、それは今申し上げた通り幣原総理から今のような気持で申し上げた。ところが一方マッカーサー——これは書いたもので読んだから事実かどうかわかりません。マッカーサーが、自分は今まではずっと軍人で、戦争ばかりやってきた、戦争戦争でやってきた。ところがどうも戦争の悲惨なることというものは自分はしみじみ何した。だから何かそれ以外に一つ何かとらなければいかんという考えを持っておるところに、幣原さんがそれを述べたものですから、そこで戦争放棄ということまで憲法に掲げるようになったのじゃないかと思うのです。  それからもう一つは何ですかね、あとの方は……。
  22. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 今、私が伺ったのは、つまり自衛戦争自衛権行使というものはいい、侵略戦争というものは、これは絶対にいけない、つまり国際紛争の解決の手段としてはいけないのだ、それは幣原さんもわれわれもそうだ、ところがこの問題がいつでも問題になるので、自衛権放棄にまでいくのだ、そういうところまで幣原さんはヒントを与えたかのごとく考えられる点があるから、この点はあなたはどうお考えになるか。
  23. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 幣原総理方々で演説したものによりますと、それは戦争放棄のことをはっきり言っておるのです。演説の中で、戦争はもうやっちゃいかんということを言ったのです。しかしそれは、ことに原子爆弾や何かの発明された今日、日本はどうしてもそういうものを作り得ないじゃないか、ことに終戦の今日は財政的にもそんなことはとても作り得ないから、戦争というものはこれから絶対にもう……しかし国内にいろいろな治安を乱すようなものや何か、その当時よく国内革命をやるなんという風説が方々にあったのです。だからそういう国内の秩序を乱すようなものを防ぐために必要な自衛隊といいますか、警察隊といいますか、そういうものはそれは必要だ。従ってそれが使用する武器といいますか、今まではピストルだけでやっておったのでしょうけれども、これからなかなか国内の治安維持にも相当の武器が要る。それは必要だということは、各所における演説の中に公然と言っております。
  24. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 それで今の治安維持ということに力を入れておっしゃるが、要するにその言葉は、別の言葉で言えば、わが国を安全に守るということはやらなければならぬのだということに私は帰するのだと、こう解釈するのですが、それはそういう意味でありますか。
  25. 岸倉松

    参考人岸倉松君) そういうことをはっきり言いませんが、戦争はとにかく、国内の秩序維持のために警察隊のようなものはそれは必要だ、それから……。
  26. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 もう一言だけ。こういうことを最後に言っておられます。これはいよいよ向う司令部草案を受諾しなければならぬということにきまったときに、閣議の終る直前に、幣原さんはすこぶる沈痛な顔をしてこういうことを言っておる。これは芦田君の書いたものですが、「「かような憲法草案を受諾することはきわめて重大な責任であり、恐らく子々孫々にわたるまで責任は残る。この案を発表すれば一部の者は喝采するであろうが、また一部の者は沈黙を守りつつ心中深くわれわれの態度に憤激するに違いない。しかし今日の場合大局の上から見て外に行くべき途はない」」と言われた。「これを聞いて閣僚一同は暗然とした。」、これは三月の初め、最後のものです。ここで一つあなたに幣原さんの心境を、あなたが常にそばにおって幣原さんを見ておられて、どういう工合にこの幣原さんの、一部の者はかっさいするが、他の者は心中深く沈黙を守りつつ憤激するであろうと言われたその心持ですね、あなたはどんな工合にお考えになりますか。
  27. 岸倉松

    参考人岸倉松君) どうもその点は意味深長で、はっきり私の考えを申し上げかねます。
  28. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 私の質問はこれで……。
  29. 千葉信

    ○千葉信君 岸さんにお尋ねをいたしますが、先ほど委員長からもちょっと触れられましたようですが、岸さんに来ていただきましたのは、社会党の推薦によって来ていただくことになりました。さっきもあなたは一体何を聞かれるのか、どういう問題についてお話をすればいいのか、実はあらかじめ自分としては用意もしてこなかったのでと、こう言われました。全くその通りだと思うのです。私どもももし親切なやり方をするとすれば、もしかまた自分たちの希望を率直にぶちまけるとすれば、これはもとより当然私どもの方から事前にあなたに御連絡を申し上げ、そうして今日の参考意見等について十分御用意を願う筋合のことですが、実は私どもとしてはなるべくあなたにその思い通りの正直なお話を伺いたい、それがやはり最も客観的な立場から判断するものにとって公平な結論を出すことができるのじゃないか、まあこういう考え方から事前に何らの御連絡を申し上げなかった次第です。その点は一つ御了承を願いたい次第です。  ところが先ほどの参考意見なり、それからまた今廣瀬委員の方からいろいろな角度からの質問がありましたが、全体を通じて私どもは全く期待した通りにあなたはりっぱな参考意見を出されましたので、私は非常にその点については心強いものを感じております。ただ若干真相をはっきりつかむために少しお尋ねをしたいことは、幣原さんが軍備放棄あるいはまた戦争放棄ということについてまあ当時のマッカーサー司令官との会談なり、もしくはまた憲法問題についてのお話し合いのときに、どうも私どもの知っているところでは、そういう会談の内容について若干津さんにお漏らしになられたような印象を従来持っておりました。どういう点からといいますと、毎日新聞に笠井重治さんという方がおられます。この方がマッカーサー元帥に、一体あなたはほんとうに第九条を示唆するときに幣原首相の方から話があって、自分もそれに賛成したのだということだが、その通りでございますかという文書マッカーサーに送ったわけです。ところがそれに対してマッカーサーはその通りだという返事をよこしたのです。ところがその文書を笠井さんが出される前に、岸さんに会われて、その事実についてあなたに聞いていることになっているのです。それに対してあなたはその通りだということをおっしゃったということになっているが、この点について御記憶がないかどうか……。  それからもう一つの点は、幣原さんが病気のときにペニシリンをいただいたので、そのお礼のために総司令部でお会いになった。そのときの会談は非常に長いもので、あなたはちょうどその会談は三時間ぐらいということを言っておられますが、ホイットニーの立ち会っていたそのときの経験からいうと、ホイットニーは、そのときはまあ二時間半ということで、時間は若干食に違っているが、時間の食い違いは大したことはありませんけれども、その第九条の関係の問題で、マッカーサー幣原さんが会われた日は一月の二日の正午だと、こう書いておる。岸さんはその点については、今までずっと日記をつけておられて、その日記には一月の二十四日と、こういうことにただいまお話がありました。実はその一月二日正午、幣原首相とマッカーサーとが会談をしたということについては、ホイットニーはアメリカのライフ誌にこうはっきりと書いております。一九四六年一月二日正午、時の幣原首相が、マ元帥に病気のときペニシリンをもらった礼を述べにきて、マ元帥と二人で二時間半にわたり会談をした。そのすぐあとホイットニー少将がその席に入っていくと、新憲法の話が出て、幣原首相は、ぜひとも戦争否定の条項と軍備をしない条項を入れて、二度と再び軍国政治や恐怖政治にあと戻りしないようにせねばならない云々と信念を披瀝したので、元帥は思わず立ち上って、この老人の手を握り締めた。この老人というのは幣原首相です。こう具体的に内容についてもホイットニーは書いておられる。まあこの内容については、あなたが先ほど来証言された、参考意見として述べられた事実と全く符合する。ですからあなたが推測だということにかりになっても、私はこれはもう否定できない事実だと考えざるを得ない。そこで第一問の、前に笠井さんとのお話のときには、あなたはそういう事実はあったという証言をしておられますが、それは一体あっただろうという証言だったのか、笠井さんの言っているように、その通りあったということを言われたのか、それから第二の点については、ホイットニー少将の言っておられるこの……内容はいいのです、内容はあなたの言っておられる通り、ただその日付が少し違うものですから、当時御病気なんかを幣原首相されておりましたので、日付の点では、どうも病気の関係等からいっても食い違ってくるはずがないと思うのですが、その点どうですか。
  30. 岸倉松

    参考人岸倉松君) ただいまの御質問の第一点の、笠井君に対してのお話ですが、これは私がさっき申し上げた以外には全然言っておりません。なぜならば、そういうことはなかったのですから、私がさっき申し上げたことは事実なんで、それ以外には笠井君に何も申しておりません。  第二点の、一月二日の話は、これは幣原総理の病気は肺炎で、一月二日はまだ熱があって苦しんでいる時代です。まだ病床にあって苦しんでいる時代です。一切の人は面会謝絶です。十二月の二十五日の夜病床につきまして、そうして二十六日にたしかマ元帥からお見舞のためにケンドリックという人が来た。そこへペニシリンを持ってきまして、わざわざ来たものですから、私の方の侍医は聖路加病院の橋本院長です。それが来ておりまして、私と相談しまして、せっかくケンドリック侍医が来られた。そのままただ帰すのもどうかと思うから、総理に伺って、もし差しつかえなければ一つ病気をみてもらおうということで相談しまして、総理に伺ったところが、いや、それはぜひそうしてもらいたいということで、それでケンドリック大佐がみたわけです。その結果、たしかにペニシリンを打った方がいいということで、それは聖路加病院の副院長の日野原という人、それがペニシリンを打ったんです。その当時は、非常に性能の高い、日本にはない、三十万単位の何でありましたけれども、二時間置きにやったんです。それで最初は非常に白血球が多くて、赤血球が非常に少かった。その注射の結果非常によくなりまして、だんだんよくなってはおりましたけれども、一月二日にはまだ病気が重い、それで病床にずっとあったのですから、ほかの人は絶対に面会謝絶、だからホイットニー准将のお話は記憶違いだろうと思います。
  31. 千葉信

    ○千葉信君 大体この日にちの食い違いについては、あなたが始終そばについておられたのですから、それはまああなたのおっしゃる通りで、従ってホイットニー少将は日にちの関係についてはおそらく勘違いをしておられたのだろうと思います。  そこで、次にお尋ねしたいことは、先ほど廣瀬さんの質問にお答えになられて、当時幣原首相は、憲法制定後においても、所々方々を講演して歩かれて、その講演の際にも、やはり当時のまだ騒然たる国内状態を見て、国内の治安という立場からまあ警察予備隊といいますか、あくまでも国内の治安という立場からの一つの権力といいますか、実力といいますか、そういうものは持つべきだという意見ははっきりと表明されておったけれども、それ以上の、たとえば戦争とか……もちろん戦争となれば、これは侵略戦争自衛戦争戦争というものに差別はないわけですから、戦争をやらぬということになれば、これはどっちも同じである。従って、そういう戦争をもうわれわれはやってはいかぬという考え方は、原子爆弾の経験をしてみて、しかも日進月歩の形でそういう戦力が想像も及ばないような状態に発展していく段階においては、なおさら戦争なんぞということはやるべきじゃないという信念幣原さんがお持ちになっておられた……、この点もう一度はっきりとお答えを願いたい。
  32. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 戦争はもう絶対にやるべきじゃないという信念は、日本の終戦以後に特に深くそれを持っておられたようですけれども、御承知通り幣原さんは外交官として長い経歴の間、たとえば外務大臣として、先生の対支方針や何かにしても、戦争ということに全然訴えないという建前で初めからきておる。だから大使としても外務大臣としても、外交問題の解決のためには戦争に全然よらぬという建前でした。ことにそういうことを、平和主義の人であるということを固く信じておられたのは米国の方面です。これはあまり世間は知っておられないようですけれども、一体外国人であれほど信頼を博した人はおらないだろうと私が思う一つの例は、アメリカとドイツが、これはむろん大戦争の前ですが、もし戦争になったら世界戦争になる、だから絶対これを防止しなければならぬ、だからそういう場合にどんな問題でもアービトレーションにかけてきめなければならない、そのアービトレーションにかけてきめる場合には、第三国の人が要るのだ、だからアメリカとドイツが戦争をしちやいかぬというのでアービトレーターになるのがドイツから二人、アメリカから二人、その委員長になる人を第三国から選ぶのにだれをしようというので幣原先生に頼んだ、ああいう世界最大国のいろいろな問題を仲裁にかけてやるという場合、その委員長幣原先生に委嘱したということは、いかに先生平和主義に徹底しておったか、しかもそれがアメリカの上下に非常に信頼されておった消息だろうと思います。だから外交官としても、政治家としても、その平和ということは先生の非常な信念です。  それからあとの警察力とかあるいはそういう点ははっきり先生はどういうことをとおっしゃいませんでしたけれども、国内秩序の維持のためにはどうしても警察力が必要だ、だから警察力というのは昔の警察力じゃいかぬ、やっぱり適当な新しい兵器は要るだろうということは言っておられましたけれども、どの程度かはっきり私もつきとめておりませんでしたからどうぞ……。
  33. 木村篤太郎

    木村篤太郎君 岸さん、松本草案できたこと御存じでしょうね。あれに対して幣原さんどういう感じを持っておられましたか、賛成されていましたか。
  34. 岸倉松

    参考人岸倉松君) 実はそういう点について伺ったことはないのでございます。それでこれは大体の戦争に関する被害の甚大から戦争というものはもうやめた方がいいということは何しておっただけであります。それでああいう憲法に規定になって出ることは、それはもう予期していなかった……。
  35. 木村篤太郎

    木村篤太郎君 私のお聞きしたいのは、非常に私も幣原さんかわいがって下さっていたのでよく知っているのですが、気持はわかっているのですが、松本草案ができましたね。その松本草案に対して幣原さんが反対であったか、また賛成されておったかということを聞きたいのです。
  36. 岸倉松

    参考人岸倉松君) それはもう賛成です。
  37. 木村篤太郎

    木村篤太郎君 そこでもう一点お聞きしたいんですが、あの現在の憲法ですね。あれは御承知通りリゾーが作ったんです。リゾー草案を出してきたときに、幣原さんがどういう気持でおられたか、賛成されておりましたか、反対されておりましたか。
  38. 岸倉松

    参考人岸倉松君) どうも私はその点ははっきりしませんが、賛成も反対もなく、いやおうなしに受け取られたんじゃないかと思いますが……。
  39. 木村篤太郎

    木村篤太郎君 それでけっこうなんです、いやおうなしに受け入れたということですね、わかりました。
  40. 青木一男

    委員長青木一男君) 質疑は予定の時間の約倍かかっておりますから、この程度にしておきます。今度の質疑はみんな済んでおりますから、二、三十分程度に質疑をとどめるという——非常に超過しておりますから質疑はこの程度にとどめます。(「委員長委員長」と呼ぶ者あり)あなたの方の代表者が質問されておるんですから、質問はこの程度にいたします。岸さん、どうもありがとうございました。(「誰が質問しておる」「質問させたらどうか」と呼ぶ者あり)質問の時間は委員長におまかせをいただいておりますから……。(「代表質問ということをだれがきめた」「私の質問をなぜ許さないんだ、あと一言質問するのを」「よけいなことを言わなくてもいい」「ちょっとやらせなさいよ」と呼ぶ者あり)     —————————————
  41. 青木一男

    委員長青木一男君) 大西さんに……(「そんな一方的な運用はいかんよ」と呼ぶ者あり)初めから委員長におまかせをいただいております、時間が超過しておりますから……。大西邦敏君、お願いします。大体二、三十分以内にとどめていただきたいと思います。
  42. 大西邦敏

    参考人(大西邦敏君) 私は憲法改正の緊急に必要であることを痛感しておりますので、憲法調査会法案が通過して、実際にすみやかに憲法の改正の調査がなされることをは私は期待しております。  で、私が強く憲法改正を考えておりますのは、皆様のお手元にすでに衆議院と参議院の法制局、国会図書館の立法考査局及び内閣の法制局のこの四者の協力になる諸外国の主要な憲法三十ばかりの日本訳がすでに完成されまして、皆様のお手元に行っていると私は拝察しております。でこれらの諸外国の三十の憲法をごらんになりますというと、いずれもそれは民主国家の憲法でございます。しかしながら同じく民主国家の憲法でございますところのわが国の現行憲法と御比較になりまするならば、そこに非常に相違のあることを御発見になると考えます。すなわちこれは一体何を意味するかと申しますと、民主主義という目的は一つでありましても、これを実現する方法は実にあまたあるのであります。だから各国において民主主義をば理想としながらも、これを実現する方法にはいろいろな方法をとっておるのであります。で、私が強く申し上げたいのは、方法は幾つもあるが、しかしその方法のどれでも採用しても民主政治が成功的に運用されるものではないんだということであります。民主政治が成功的に運用されるためには最もよい方法が選択されなければならないのであります。もしもよい方法を選択するでなければ、すなわち誤まった方法が採用せられるならば、民主政治を実現しようとする理想が実は達成されないのであります。私は幾ら繰り返しても繰り返しすぎるということはないと考えておる外国の事例を、ここにごく簡単に申し上げて皆さんの御参考に供したいと思いますが、第一次世界大戦後、今日と同じように世界的に民主政治が最善の政治形態であるという声が非常に高まって来たのでありますが、そのときに、ヨーロッパだけに例をとりましても、実に十一カ国の多きにおきまして民主的な新憲法が制定されたのであります。はっきり私は証拠を申し上げてみますというと、一九一九年にはポルトガルで民主的な憲法が制定されました。次には一九一九年、御承知のようにドイツでワイマール憲法が制定され、二〇年にはオーストリアとエストニアで新憲法が制定され、二一年にはポーランドとユーゴスラヴィアで新憲法が制定され、二二年にはラトヴィアとリトワニアで民主的な憲法が制定された。二三年には従前の非民主的な憲法が廃止されましてルーマニアで民主的な新らしい憲法が制定されたのであります。翌々年の一九二五年にはアルバニアでこれまた民主的な憲法が制定されました。二七年にはギリシャで従前の憲法が廃止されて新らしい憲法が制定された。すなわち以上十一九国において民主的な新憲法が制定されたのであります。  で、民主的な憲法でありますから、その趣旨はすなわち言うまでもなく、民主政治を成功せしめよう、これが最善の政治形態だから、この民主政治を採用して国民を幸福にしようというので、民主的な新憲法まで制定したのであります。ところが第二次世界大戦に入るまでに、この十一カ国におきましては全部民主政治が崩壊を来たしたのであります。私はこの事実は皆さんに十分に慎重にお考えを願いたいと思います。すなわち一九二二年にはイタリアで御承知のようにムソリーニ政権が現われて民主政治が崩壊した、翌年の二三年にはスペインで民主政治が崩壊した、二六年にはリトワニアとポーランドとポルトガルで民主政治が崩壊した、二八年にはアルバニアで民主的な憲法が捨てられた、二九年にはユーゴスラヴィアで民主政治が崩壊して、民主憲法そのものも廃棄されてしまったのであります。三三年にはドイツとオーストリアで民主政治が崩壊した。三四年にはブルガリアとラトヴィアとエストニアで民主政治が崩壊した、三七年にはギリシアで民主政治が崩壊した、三七年にはルーマニアで民主的な憲法が廃止されて、これまた民主政治が崩壊を来たした。これは一体何を意味するかというと、申すまでもなく、これらの国家は民主的な憲法は作ったのでありますけれども、しかしながらこの民主政治を成功的に運用せしめるに足るような、そういういい規定を憲法は実は規定していなかったのであります。民主的な憲法を採用したからといって規定が悪ければ、とうてい民主政治は成功するものではないのであります。  実は民主政治が成功するのには非常に重要な条件があるのでありますが、一つ国民が非常に民主的な国民でなくちゃならない。国が富んでいなくちゃならない。その富が国民の間に平均して分配されていなくちゃならない。こういうきわめて重要な条件が必要なのであります。また民主政治は最善の政治形態ではありますけれども、自由と平等を両立せしめることは困難であるという欠点があるのであります。第二番目には、民主政治はややともすると衆愚政治に陥るという欠点があるのであります。第三には、民主政治におきましては国政の能率が著しく低下を来たすという欠点があげられております。第四番目には、民主政治には浪費がなされる、国費の浪費がなされる。第五番目におきましては、民主政治にはボスとかあるいはデマゴーグとか、あるいはアジテーターとか、あるいはフラッターというやからがおのれをたくましゅうするという欠点がある。それから第六番目には、民主政治におきましては、民主的な国民があって民主政治が成功するのでありますからして、教育ということがきわめて必要なんでありますけれども、民主政治におきましては国民が腹のふくれるということに走るがために、重要な次代の青少年をば教育するというこの教育が軽視されるという欠点があるのであります。従って民主国家におきましては、その憲法で実はこの必要な三つの条件を与えるような規定をしなければならない。また民主国家におきましては、その憲法で民主政治に内在するところの今あげました六つの欠陥をば除去するような規定を実はしなければならないのであります。  ところが、今あげました十数九国の憲法を私は持っておりますが、これを見てみますというと、この民主政治の成功に必要な条件を与えるべき憲法は何らの規定をしていない。かつまたそれらの憲法はすべて民主政治に内在する欠陥をば未然に防止するという企てを何らしていない。ですからいかに民主政治が最善の政治形態であると考えて民主的な憲法を作りましても、その方法が誤っておりましたら、民主政治は実を結ぶはずがないのであります。国民は民主政治のもとにおいて幸福になると期待しておったのでありますが、案に相違して国民のこの大なる期待は裏切られてしまった。そこに右あるいは左の独裁政治が国民に訴えた。国民はわけもなくそれにつられていって、ここにこれらの国家におきまして全部民主政治が崩壊をしたのであります。  で、私は今の日本憲法を皆さんに十分に御検討願いたいと思いますが、果して今の憲法、この民主政治を成功に導くような、すなわち民主政治の成功に必要な前提条件を与えるべき考慮を払っておるかどうか、また民主政治に内在するところの欠点をば除去すべき考慮を払っておるかどうか、私は不幸にしてそのような規定が今の憲法になされていることを発見することができないのであります。  じゃ一体なぜこんな憲法が制定されたのか。これは言うまでもなく御承知のように、今の憲法の原案を作る場合、アメリカでほんとうに憲法の専門家がこれに参加したという実事をわれわれは不幸にして知ることができない。またほんとうにいい憲法を作るというのであるならば、十分に時間をかけなくちゃならないのでありますけれども、実に短日月の間に今の草案が作成された。しかも御承知のように、言うまでもなくその当時は世界的に対日悪感情がびまんしていたときである。また世界の各国は日本に対して大なる警戒心を持っていたときでありますからして、何とかして日本をば無害な国家、無力な国家にしようとする意識が強かったことは、これはもう想像するにかたくないのであります。それらが全部結合いたしまして今日のこの憲法が制定された。従って今日のこの憲法にほんとうに民主政治を成功せしめる条件が備わっていないことは言うまでもなく、また民主政治に内在する欠陥を防止することに何らの配慮もなされていないことは当然であると考えるのであります。またわれわれがもしこの民主政治が最善の政治形態であると考えるならば、われわれはすみやかにこの憲法を改正いたしまして、この民主政治を成功に導くところの条件をすみやかに日本に与える、そしてこの民主政治に内在するところの欠陥をすみやかに防止するようにしなければならないと思います。そうでなければ、われわれはあとに待っているのは、すなわち民主政治がもしも日本において崩壊するならば、私は先ほどの十数カ国におきまして——一カ国や二カ国で民主政治が崩壊いたしたのでありまするならば、私はそれは例外として看過することができたでありましょう。しかしながらその十数カ国の国においてせっかく民主政治を採用しながら、すべての国家においてこの民主政治が崩壊したということは、同じ原因があるならば、日本においても同じ結果が生ずるということを私はおそれているものである。それはもはや歴史的な一つの法則となっていると考えるのであります。従って今日の日本憲法を私は長く維持する限りにおきましては、日本において遠からず民主政治が崩壊するのじゃないかと私は憂慮に堪えない。もしも日本において民主政治が崩壊したら一体どうなるか。あとにくるものは、これは近代的な政治形態としては右か左の独裁政治しかない。右の独裁政治も左の独裁政治も実は国防を重要視しております。それらの国家におきましては、兵役の義務は名誉ある神聖な義務とされております。従ってもしも日本が独裁国家になるならば、大軍備の強制、大徴兵制の実施は私は必至の運命だろうと思います。従ってわれわれがほんとうに平和主義をとろうとするならば、むしろ民主政治を維持して独裁政治になることを私は防止しなければならぬ。ところが今の憲法を維持する限りにおきましては、民主政治は維持することができないとするならば、何としてもすみやかに日本において早く今の憲法を改正せしめなければならぬと私は強く確信をいたすものであります。  これが実は私が強くこの憲法改正を主張いたしております理由でございますが、御参考になりましたかどうか、この点はしかしながら諸外国の多くの国家の事実が教えているところでありますから、十分に御検討をお願いしたいと存ずるのであります。
  43. 青木一男

    委員長青木一男君) 質疑のおありの方は……。
  44. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 ただいまヨーロッパの民主的な憲法が制定された、その憲法が第二次大戦までの間にほとんど全部崩壊してしまった、その崩壊の事由についてきわめて要約的にお話があったのでありますが、たしかにおっしゃる通りドイツを初めとして、ヨーロッパの国々で新しく民主的な憲法が作られたことも私ども承知しております。たとえば私ドイツの場合をここで考えてみたいと思います。ワイマール憲法が一九一九年に成立して、そしてあれがヒットラーの実現した一九三三年には、ほとんど事実上なくなってしまった。今のお話ですと民生政治が成立する条件として、三つの条件をあげておる、ドイツその他の憲法にはこれらの条件について何ら考慮するところがなかった、そこへもって来て民主政治に伴ういろいろな欠陥がある、そのために崩壊した。こういうお話であったのであります。私はワイマール憲法を今持っておりませんが、ワイマール憲法の中には経済的な問題に関する規定が、もちろん具体的な規定ではありません。経済生活に関する規定が何カ条かあそこにあげられておって、そしておっしゃる通りの富の分配等についても、一応の方針は出されておったと思う。従って条件として考えられておる富の問題、あるいは民主的な国民がその根底になければならぬというお話ですが、民主的な国民の基準というものはどういうものかよくわかりませんが、とにかく一応ヨーロッパ的な民主主義の教養を持った国民であったということは私言えると思います。ことに社会的に一八三二年御承知のような変革の中に生きて来たドイツ国民ですから、他方ではドイツチュトゥームというものもありますけれども、しかし国民そのものとしては民主的な教養を持っておったと思うのです。ことに社会民主党が成立して以後のドイツにおいては、御承知のような状態になって来たと思います。民主政治の条件として三つの条件が私も必要と思いますけれども、しかしワイマール憲法の中には、私はその点はかなり考慮されておるのではないか、憲法の条文を一々申し上げるといいと思いますが、手元にないものですから申し上げることはできません。そうすると、民主政治に伴うところの欠陥はあったでありましょうが、私はむしろ、ワイマール憲法が崩壊したのは、そういう憲法を実現すべき条件というような、もちろんあなたのあげられておる条件ですが、条件ということのほかに国際的な国内的な別の事情、たとえば社会構造上における事情であるとか、あるいは国際的な、ことに御承知のような賠償問題をめぐってのドイツ国内の事情であるとかいったようなもの、それと社会構造上のたとえば階級的な問題というようなものが、むしろ私はドイツのワイマール民主政治を崩壊せしめる原因になったんではないかと思いますが、その点はいかがでしょう。
  45. 大西邦敏

    参考人(大西邦敏君) ワイマール憲法は、堀さんが御存じのように世界的にまことにいい憲法であるとして、民主的の憲法であるとして、その当時は絶讃された憲法であります。しかしながら、今日御承知のように西ドイツのボン憲法が制定されておりますが、ボン憲法とワイマール憲法を比較した研究が今ドイツでは盛んに行われております。この新しい今のドイツの憲法の根本思想をなすものは、これはワイマール憲法に対する批判でありますが、従ってワイマール憲法は実は非常に絶讃された憲法でありますけれども、今にして考えれば、ドイツ人自身も反省しておるわけですが、今にして考えれば、あまたの重大なる欠陥を含んでいた。たとえば民主国家の国民に必要な性格でありますが、非常に国民は勤勉であるということを要求される。あるいは国民が理性的でなければならぬということがやはり要求されておりまするが、こういう点を見てみますと、私もヒットラーが政権を取りましたその直後にあちらにたまたま行ったのでありますが、実際に見まして、やはりその当時のドイツ人というものはわれわれの目からはとても勤勉な国民であるとは実は考えられなかったのであります。それから理性というような点も、それがイギリス人とかあるいはスイス人とかいうようなものと比較しますと、やはり理性において非常に欠くるところがあった。非常に感情に動く要素があった。まあヒットラー政権がドイツにおいて容易に生まれたということは、ドイツ人が理性的でない、多分に理性的でなくして感情的であったということがやはり言えるのではないかと思うのでありますが、そういう点からしまして実はドイツ人は必要な民主国家の国民たるの適格性を持たなかった。それから言うまでもなく、天文学的数字に上る損害賠償を押しつけられたドイツには、実際には富がなかった。この富を蓄積するためにますます貧乏になった。また一方において国民に自制力がないというのでありますから、とてもドイツは立ち直ることができない。憲法は、今第二次世界大戦後、世界で六十ばかりの憲法が制定されておりますが、非常に憲法で自発的に自分を富ますため、国を富ますために働らけということが非常に強調されておりますが、しかしながらドイツのワイマール憲法は、この富を作る原動力でありますところの勤勉さというもの、勤労の重要性というものは実は強調していない。ドイツは第一次世界大戦後初めて民主政治を採用したものでありますから、今まで国民に課していた義務、拘束というものを一足飛びになくしてしまった。そこで国民は非常に憲法上では広範な自由というものが与えられた。そうしますというと、国民はすぐに自由というものは何でも自分の思うことをなし得るものだと誤解してしまった。そういうわけで民主的国民たる自分がないわけでありますから、必要な富もできない。富がありませんからして、この平均化された富というものは国民の間になかなかできない。そこに民主政治の社会的な条件が備わらぬ。こういうことで社会的な条件がなかった。それからまたドイツの憲法はデモクラシーの理想に走ったものですから、従って民主政治に一体どんな欠陥があるかということは十分に調べてもおりませんし、従ってその欠陥をば防止するような規定というものは、これはまあ全然見当らない。今の第二次世界大戦後の憲法を見ますというと、実に国家の憲法、二十四カ国の多きにおきまして憲法で教育の基本方針なんかを示しておりますけれども、しかしながらドイツの憲法はそういうものはなかった。また議会の権限は実に野放しの状態であったし、それから国民は与えられた自由というものを、あるいは集会、結社の自由というものを非常に乱用した。これが実はワイマール憲法のもとにおいてナチスは、ひさしを借りておもやを取ったという結果になったのであります。そういう点で非常に憲法では実は必要なデモクラシーの欠陥を除くという点においてやはり配慮がなかったと私は考えております。
  46. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 私は議論をするつもりはありませんから質問だけ申し上げます。今の御説明なんですが、まだちょっと、私が主としてお尋ねしたかったのはですね、国内の事情もありましょう。しかし国際的な事情もワイマール憲法の崩壊の点においては非常な大きな影響を与えて崩壊せしめた。たとえばヒットラーの運動とか、ヒットラーはおっしゃる通り感情に訴えた面があると思います。賠償問題であるとかそれからドイッチュトゥムというものを復活するといったような意味においては非常に感情に訴えておりますが、しかしもっと大きな国際的な観点から申しますと、今おあげになったドイツその他の国々、ドイツとオーストリアは、従来の国家です。あとの国家は大体において新興国家ですね。ちょうど経済的な危険の段階に入っている。そういう国々ばかりでなくて、ファッシズムというのは当時においてはフランスにおいても、あるいはスペインやポルトガルにおいても、その他の国においても一様に起ってきたわけです。しかしフランスでは一九三四年から六年でのフロン・ポピュール運動がそれを阻止した。それからスペインでもアザニや政権ができて、一時これを阻止することができた。しかしあとでフランコの政権に倒されてしまいましたけれども、国家の基礎の固かったところでは一応ファッシズムを食いとめることができた。しかし基礎の弱い国では、民主憲法を持っておったにしろ、必ずしも十分にファッシズムに対する抵抗を持つことができなかった。イギリスにもあったし、アメリカにもあったことは御承知だと思います。私はそういうファッシズムがとにかく民主的な憲法を崩壊せしめたのだ、こう見ていいのじゃないかと思いますが、その点が一つ。  それからファッシズムが単にドイツとかあるいはオーストリアとかあるいはその他の新興国家においては成功しましたが、しかしその他の国々でも一様に起ってきたのではないだろうかということと、それからファッシズムが起った根底といいますか、社会的な基礎というか、そういうものについてはどのような御見解を持っておられるか、それをお尋ねいたします。
  47. 大西邦敏

    参考人(大西邦敏君) ドイツ、イタリア等におきましては、ファッシズムが出たということは、やはり憲法でこの民主政治を成功せしめるような規定をしていなかった。それで民主政治は実はそのもとにおいて国民が期待したように幸福にならない。従って国民は民主政治にいや気がさした、そこへ私はファッシズムが乗じたのであろうと考えます。ところがファッシズムの運動が起きましたけれども、たとえば、イギリスのように、フランスのように、アメリカのように起きましたけれども、しかしながらこのファッシズムによって乗ぜられることなくて済んだことはやはりこの民主政治の成長に必要な条件を持っているとか、あるいは憲法、または憲法でなくても、今までの長い間の法律によってこの民主政治の欠陥を防ぐようないろいろの努力をしておった。そのために国民が民主政治に満足しておった。だから、また国民は理性的であった。ですからそれらの国家におきましてはファッシズムがいかに宣伝してもこれが成功しなかった。私はむしろ憲法、少くとも憲法を体する限りにおいてはそうだと思います。もちろんやはりいろいろのお説のような国際的な客観情勢もいろいろあったと思いますが、憲法を中心として考えますというと、私はやはりそういう原因がやはり憲法にあったと、こう解していいのじゃないかと思います。
  48. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 重ねてお尋ねしたいのですが、ドイツのワイマール憲法をとってみますと、私は民主政治を実現するための規定が決してないとは申されないと思うのです。むしろワイマール憲法の中にはかなり詳細な民主政治を実現するための規定が存在しておったと思います。しかも先ほど申し上げましたように、経済生活に関する民主化というものを実現するための規定までがあすこの中に含まれております。従ってその点から申せば、民主政治を実現せしめるところの規定がなかった、それがファッシズムの乗ずることになったのだ、少くとも憲法の面から言えばこういうお話でありますが、その点どうも私は納得ができないから、もう少し詳しく御説明を願いたいと思います。
  49. 大西邦敏

    参考人(大西邦敏君) たとえば非常に重要なことはまず第一に、国民が民主的な国民たるの適格性を持たなかったと思う。それは日本の現在と同じようなんで、日本も新憲法になると急速にとにかく今までの拘束された自由というものが全部解放されてしまった。だから国民は羽目をはずしてしまった。やはりドイツなんかにおいても、初めて第一次世界大戦後デモクラシーを採用したものですから、法律で制約という留保がついておりましたけれども憲法を見ますというと、やはり法律の定めるところにより自由を許すというような表現で、今までドイツ人はそういう表現すら知らなかった。そこを憲法で法律で定める範囲内で自由を許すという規定が表われますというと、やはり国民は自由を乱用するようになった。それからもう社会的な条件あるいは経済的な条件はここでは申しませんが、民主政治の欠陥を防止するような規定がなかったということは、たとえばこの日本でも今までしばしば新聞でも問題になりましたことでありますけれども、議会の予算の増額修正、こういうことはイギリスのような、アメリカのような富んでいる国家でも議会には許しておりませんけれども、ワイマール憲法は増額修正は禁止はしておりません。また日本で問題になっております予算を伴う議員立法というものは、アメリカもイギリスもしておりません。しかしドイツワイマール憲法は、やはりこれを禁止しておりません。それからたとえば私もここに持っておりませんが、大体間違いないと思いますが、臨時議会の召集の要求権は、たしか総議員の五分の一にあったと思います。わが国は四分の一でありますが、五分の一というようなことでありましたから、とにかく臨時議会の召集というものはきわめて容易であった。それからその他議員の歳費の点、今の西ドイツの憲法のもとにおいては、実に議員の歳費というものは厳格な規定が、憲法にはありませんが、憲法に従って制定された歳費を見ますと、きわめて厳格な規定になっておりますが、ワイマール憲法のもとにおきましては、そういうような規定がやはりなかった。そういうことで、実は国政は苦しく能率の低下を来たすとか、あるいは国費の乱費がなされるとか、第一、ドイツではヒットラーの政権をとる直前、共産党とナチスとのかの左右両極政党の激突で、議会は両政党の政争の場所になってしまった。ほんとうにまじめに国政は維持されないというような状態で、これに対しては憲法はこれを阻止すべきやはり何らの規定を含んでいなかった。常にこういうようなことで民主政治は滅びたのだと思います。なるほどお説のように、共同生活というような章もありまして、そこでは経済生活につきまして相当いわゆる社会正義を実現するような憲法の規定は持っておりましたけれども、しかしながら何さまあの天文学的数字に上る損害賠償を取り立てるというようなことで、憲法の規定の上ではあったけれども、社会正義というものは実現されない、こういうことでやはり私はドイツでデモクラシーが滅びざるを得なかったのではないかと、こう考えております。
  50. 堀眞琴

    ○堀眞琴君 ちょうどヒットラー政権のできる二、三年前から、ブリューニングが御承知のように大統領令によってワイマール憲法をかなり無視したようなやり方になって参りましたね。あの段階では、おっしゃるように左右の論争がものすごくなったことも知っておられるでしょう。しかしあそこまで行く二七年か八年に選挙がありまして、ヒットラー政党が確か三十名くらいに伸びた。一九三〇年ごろの選挙では七十名に伸びた。それから百何名、二百何名と伸びていった。もちろんおっしゃるように国民の側にもあれを大きくするような要素はあったと思うのです。決して私はそんなにドイツの国民が言う通り理性的であったとは思いませんが、しかしドイツ民族というのは、ほかの民族に比べればかなり理性的なことも、これも事実だと思うのです。民主政治が崩壊した原因というのは、ワイマール憲法の中に、何が規定された、何が規定されなかったという問題もありましょうけれども、それよりももっと憲法以外の問題の方が大きいのではないか。それは私は二七、八年、ことにブリューニング内閣ができて以後の、それからまたヒットラー政権ができる直前の何とかいう将軍が内閣を取って参りました、忘れましたが。ああいう段階を見てみますと、ワイマール憲法そのものの規定がファッシズムを導いたのでなくて、ワイマール憲法以外の力が、たとえばファッシズムをあくまでも強行しよう、それをさせようという力ですね、そういうものがヒットラーの政権を成立せしめたのではないかということを感ずるのですが、その点はどうですか。
  51. 大西邦敏

    参考人(大西邦敏君) もちろんおっしゃる通り、いろいろな原因が輻湊していることは、私はもちろん否定するものではありませんけれども、しかしやはりデモクラシーに成功している国家と比較いたしますというと、やはりデモクラシーを成功に導いたような規定を憲法が含んでいなかったということも、これは無視すべからざる原因ではないか。実は一昨日も日本公法学会で、西ドイツの憲法制定についてのその根本理念についての報告があったのでありますが、それを伺いますと、やはりワイマール・デモクラシーでは、法の前の平等ということだけうたっておったけれども、実際には社会保障も完全ではないし、社会正義の実現も不完全であった。そのためにいわゆる実質的な平等、先ほど申し上げました富の平均化された状態というようなものがうまくできない。そこにやはりデモクラシーが崩壊した原因があるので、だからそうするとやはり憲法にも無視すべからざるデモクラシー崩壊の原因があったとも私はこう見ていいと考えております。
  52. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 簡単に伺いたいと思いますが、先ほどの大西さんのお話を伺っておりますと、民主主義が崩壊して、右の独裁を実現するにしても左の独裁を実現するにしても、大軍隊を持ち、あるいは国民皆兵というようなことならば、日本の今の憲法九条は置いておいた方がいいのではないか、こういう感じがいたしますが、その点を一つ。それから民主政治を成立せしめる条件がなければならぬ、あるいは民主主義の弊害を大分あげられたのです。民主主義の弊害を私強くとったせいもあるかと思いますが、それにはどういうことを考えておられるのか、実はお書きになったものを直接読まないので、自主憲法研究会というものですか、そういうようなものを拝見し、あるいは、自主憲法研究会の御意見が、自由党憲法調査会に相当反映していると、こういう工合に私ども考えて参りました。それに表われました意見しか知らぬのですが、伺っておりますと、日本憲法も、あるいはワイマール憲法等についても、民主的であり過ぎた。そこで先など基本的人権についても、法律に定める範囲内においてといったように限定をした方がいいのではないか、こういうお話、そうすると、今の日本憲法は、お話のような民主政治が成功する条件が足らぬ、あるいは不成功に終らしめる条件を防ぐ措置が足らぬ、こういうお話ですが、それではどういう意味合いのものを考えておられるのか、あるいは民主的過ぎたということであるならば、調整者としての天皇というものを考えるとき、あるいは天皇を元首にするという御意見だろうと思いますが、前の憲法のような民主主義と君主制度と調和するというようなことでお考えになっておられますのか、その辺を少し承わりたいと思います。
  53. 大西邦敏

    参考人(大西邦敏君) 第一のお尋ねの点でございますが、右の独裁制になっても左の独裁制になっても、それは大軍備が強制され、大規模な強制徴兵制が強制されるようになる。だからわれわれはそのような独裁制は持つべきじゃない。しかし私はそのような独裁制というのは一体何から生じてくるかというと、まあドイツの例を見ましても、実際はデモクラシーのもとにおいてナチスが軍事組織を持った、こういうことが実は放置されておった。そうして事実上内乱に等しい結果が生まれて、ここにナチス政権が出た。われわれはこの独裁制が悪いというなら、実はこの内乱というようなものを有効に阻止する体制を国家は持たなくちゃならぬ。ところが日本は、今見ますと、この体制派整っていない。で私はこの第九条に関しましては、実は日本から軍備を奪ったということは、外国は日本の侵略から安全であるかもしらぬけれども、しかし日本は外国からの直接あるいは間接の侵略には少しも安全でない。こんな片手落ちの平和主義というものは私はあり得べからざるものである、そうも考えておりますし、この間接侵略というようなものは、これは今日国際的に厳然としてやはり一方的なとにかくイデオロギーをば世界的に押し広げようとする勢力というものが現存している限りは、われわれはやはりこの間接侵略というものに対しては、どうしても防壁を作らなくちゃならぬ。そうするためにはやはり第九条を改正して、とにかく最小限度の軍備を私は持つことが必要であると、こう考えておるのでありまして、私の考え方は決して第九条を改正して自衛軍を正式に持つというようなこととは矛盾するものではないと考えております。  それでは次に、じゃ一体具体的に大西はどういう憲法改正を考えているのかと、これはまあお話をしていると、実は相当長時間を必要と考えるのであります。従って全部にお話することはとうていこの時間ではできませんが、今最後に御質問があったこと、すなわち大西は天皇を元首にすることを考えているのかと、こう考えたことのお尋ねでございますが、私は一時は天皇を元首にするというようなことを考えてしかるべきじゃないかと、何となれば国家には国体がある。どこの国だって国体はある。共和国体か君主国体か。ところがどうも日本の学界においては、天皇がありながら日本は共和国だというような説すらもある。こんな説は実は世界的に学問的に私は通用しない。こういう君主がありながら共和国であるというような表現は、これは何としても日本自身として避けなくちゃならぬ。そのために私は憲法改正をすると、正式に天皇をば元首にすることによっておのずから日本は君主国体であるというようなことが明白になるのじゃないか、こう一応考えたのであります。また私は外国だって、たとえばイギリスにいたしましても、イギリスは成文憲法はありませんが、しかしイギリスのキングが国家の元首であることは何人も疑わない。その他今日君主国の十一カ国の憲法で明白に君主が元首であることを規定しております。その他の君主国もこれも十数カ国ありますが、それらの国家におきましては、憲法においては君主が元首であるということは明記しておりませんけれども、たとえば法律の再確認をするとか、あるいは条約の締結権を有するとか、あるいは軍の統帥権を有するとか、あるいは対外的に君主はその国家を代表するとかいうことを憲法に規定することによって、おのずから君主が元首であるという解釈ができるような建前をとっております。また学説もこれらの国家におきましては君主が元首であることは何人も疑わないのであります。ですから私は天皇の権限を現在の日本の権限と同じような類似なものにする限りは、名目上天皇を元首にしたって何にも私はそれが旧憲法に逆戻りするというような結果を生ずるものじゃないじゃないか、そういう見地から私は一応は天皇を元首にしたらどうかというような考えを持って発表したこともございますが、しかしその後は、やはりわれわれは慎重に事を考えなければなりませんので、世論の動向も十分に参照いたしまして、また来たるべき憲法改正の機会がありますならば、まあ国民が天皇を元首にすることによって明治憲法に逆戻りするというような危惧感を持つならば、そう無理に天皇を元首にする必要はないと、ただ外国の上で、天皇が日本国を対外的に代表するとか、あるいは内閣が締結した条約を天皇が批准するとかいうことによって天皇が事実上日本国を対外的に代表することになれば、何人も天皇は国家元首であるという解釈をして、そして日本は君主国であるという私は解釈がおのずから生れてくると期待しておるので、今は私は天皇を元首にする必要はないんではないかと考えております。その他国民の自由でありますが、しかしこれを私は自由を制限しようというような考えは持っていないのでありまして、自由の名目からするならば、あるいは権利の名目からするならば、あえて私はますます一段とこれを増加したいと考えております。諸外国では、第二次世界大戦後に六十カ国の多くの国におきまして新しい憲法が制定されておりますが、それらを見ますと、自由なり権利というものは日本憲法よりも一段と増加せしめております。私はこれはやはり世界的な傾向でありますから、日本もむしろその世界的な傾向に従った方がいいと思っております。大正十四年に普通選挙が採用されましたが、あれだってあの当時世界的な傾向が普通選挙にあったから、その影響が日本に及んできたのであります。従って諸外国、多くの国家でとっておる傾向は、この際、憲法改正の機会があるならば、われわれは取り入れるべきであると、こう考えております。そうかといって、それが西ドイツで新憲法を作るについて非常な反省が起きたということでありますが、それは国民の自由なり権利は一段と強化してこれを保障するがもしかしこの自由なり権利を乱用することはどうしてもやはり禁止しなければならぬと考えておるのであります。実は、第二次世界大戦後できた憲法も実はその点が非常に強く現われております。自由や権利はますますこれを伸張するが、いやしくも自由及び権利を乱用することはこれを阻止しようと、これは自由及び権利が乱用されたことが非常に多くの国家においてデモクラシーが滅びた原因をなしておるんだと、こう考えて、自由及び権利の制限ということも憲法で明白に規定しておりますが、こういう点からいえば、日本で自由は必要だと考えております。  その他議会や内閣のことで、議会でいえば、議会の万能ということがデモクラシーが崩壊した原因になっています。また多くの国家において内閣が非常に不安定であったということが崩壊の原因になっています。従って第二次世界大戦後の議会を見ますと、議会の権限を抑制する、何でも乱用することはいけない、議会が権限を乱用するということは抑制しよう、そして議会の権限が乱用されなければ内閣もおのずからここに安定性が得られるということで、各国は議会の権限の乱用を防ぐことによって、おのずから内閣が安定できるような規定を注意して作ることに心がけておるのであります。私はこういう点を非常に参考にすべきだと思います。
  54. 青木一男

    委員長青木一男君) 暫時休憩して、一時半より再開いたします。    午後零時三十一分休憩      —————・—————    午後一時四十五分開会
  55. 青木一男

    委員長青木一男君) 休憩前に引き続き、委員会を開きます。  委員変更についてお知らせいたします。五月七日、小林亦治君、伊能芳雄君、藤野繁雄君、菊田七平君が辞任せられ、その補欠田畑金光君、青柳秀夫君、佐藤清一郎君、木村篤太郎君が選任されました。     —————————————
  56. 青木一男

    委員長青木一男君) 憲法調査会法案について参考人意見を聴取いたします。  一橋大学教授田上穣治君陳述を願います。二、三十分以内において願います。
  57. 田上穰治

    参考人(田上穰治君) 私は、実はこの四日に突然電話で参考人として出頭するようにという御下命でありまして、実はどういう関係で私がこの委員会に伺うことになりましたのか、よく事情を伺ってなかったのでありますが、本日午前に、他の参考人意見並びに質疑応答を伺っておりまして、私のそれに関連する意見を申し上げさせていただきたいと思います。  憲法調査会法案につきましては、私は二点につきまして大体賛成の考えでございます。  第一点は、この調査会が内閣に設置されるということでございますが、もちろんこの点で、国会の方に調査会を置くのがより適当ではないかという見方もあるかと存じます。ただ私はこの調査会委員でありますが、これが主として国会議員の方であって、外部の議員外の者はあまり加わらないということでありますというと、あるいは国会の中に置く方が適当であるかと存じますが、相当数議員外の委員が予想されるといたしますと、これは内閣の方に置くことが適当であると存ずるのであります。もちろんこれはかりに憲法改正案を作るということになりましたときに、それを国会が発議すると憲法にございますから、従って最初の案は国会議員が国会において、衆議院なり参議院において発議すべきであるという御議論もあると存じますが、私はこの点は内閣の方にも最初のもとの案を国会に出すことができるというふうに考えるのでありまして、その意でも内閣に憲法調査会を置くことは不都合はないと考えております。この御質問があるかと存じますが、私ども考えは、大体日本は現在議院内閣制をとっている。言いかえますと、大臣の過半数は国会議員であり、また内閣総理大臣はもとより国会議員でなければならないのでありまして、かりに内閣として発議、提案ができなくても、その場合にはイギリスの例などにならいまして、大臣が議員の資格において発議することもできるわけでありますから、これはただ名目の違いだけであって、結果において特に内閣側のそういった一種の広い意味の提案でありますが、これを否認する根拠はなかろう、こういうわけでございます。それからもう一つの点は、一体このような調査会を設ける、ことに現在設ける必要があるのかどうかという点でございますが、これは私の考えでは、一応提案の理由の説明に出ておりまするように、必ずしもこの調査会最初から憲法を改正しなければならないということをきめて、その基本方針のもとにスタートを切るということでありますと、これは相当議論があるかと存じます。けれども、とにかくこの提案者の方では、立場といたしましては全面的に検討を加えてみる必要があるのではないかという御趣旨のようでありまして、その意味において私は無条件に賛成すべきであろうと存じます。それはこの現行憲法は、申すまでもなく明治憲法と違いまして、不磨大典あるいは欽定憲法というようなものではなくて、国民憲法である。そういたしますというと、政治に特に携わっている者だけでなくて、一般国民、職業のいかんを問わず、あるいは家庭の主婦でありましても、一般国民が絶えず憲法をよくわきまえ、そしてまたそれについての批判も加えることができるはずでありまして、明治憲法一つの大きな失敗は、国民が必ずしもその憲法を知っていなかった。そして専門的な政治家に政治をまかせておった、これがほんとうに国民の政治、民主政治にならなかった一つの、といいますか、理由である、そういうふうに私どもはその明治憲法下におけるわが国の政治を考えることができるのでありまして、国民の名によるあるいは少くとも民主的と申しましたけれども、実際は大多数の国民が無自覚であった。今日はその意味一般国民憲法に親しみを持ち、のみならずむしろ憲法を動かす責任のある立場でありますから、当然に国民を代表する国会なりあるいは内閣におきましても、また現在の憲法について十分に検討を加えるということは必要であり、そしてまた抽象的な議論といたしましては、初めから絶対に変えられないと、こうきめてしまうことがこれはどうも私にはあまり理由がない。もちろん政治的に考えまして、現在これを動かすことがいいか悪いか、そういう点はもちろん議論がございましょう。けれども一般的に考えまして、人の作った法はこれは完全無欠とは言えない。現在の憲法に限りません。一般の法が常に社会の情勢の変化、ことに時勢の進運と申しますか、こういうものに即応して徐々に変えていくことが予想される、むしろそういう場合が普通であります。憲法の場合はしかしながら普通の法律のように容易に変えるべきではない、むしろこの憲法改正手続に示されますように、国民の間によほど改正しようという意向が強いあるいは圧倒的な多数で改正を望む、現行憲法は国会議員の方では三分の二というふうにございますが、通常の過半数ではなくて、そういった特別な多数の意見によって改正が希望されるならば、改正することは決して不合理とは言えない。その意味におきまして、初めから結論を出し、調査会を設ける前から結論を出して、そしてただそれに格好をつけるというのでありますと、この調査会を設置する趣旨、少くとも表面に現われております提案の理由とは違うと思いますが、しかしそうでなくて、検討を加えて、そうして改正すべきか否かということは検討の結果出てくることがある。またいわんやどの程度にどういうふうに改正するかということは、慎重に検討した後に出てくるのであって、最初から一定の案を押しつける、改正案を調査会に押しつけて、調査会の名において、いわばそこに責任を転嫁するような形、そういうことがあってはもちろん困るのでありますが、私は、提案理由の文章を見ますというと、そういうふうにはとれない、またそう解釈いたしますと、調査会を設置するということは何ら不都合がないと考えるものであります。  以上、簡単に賛成の意見を申し上げましたが、おそらく午前の御議論では、その程度の私の申し上げたところでは不十分であろうと存じます。あるいは御諮問いただきました範囲からはずれるかもわかりませんけれども一言付け加えまして、この内容に入りまして、憲法改正が必要かどうかというふうなことにつきまして申し上げておきたいと存じます。  私は、憲法を講義している立場でございますから、現在の憲法が根本から無効であるとか、あるいはそれに近いような見方、これは立場上とれないのでありまして、現行憲法が初めから重大なきずを持っているのでありますというと、憲法を解釈し、その説明をする大学におきます私どもの本務、職務は、履行することが不可能になって参ります。また、これもいろいろ御議論があるところでありますが、法律の解釈につきまして、かつて古くからいわれております自由法論的な立場に従いますというと、条文の字句の解釈、これは必ずしも条文の文字にこだわらない。文字は変らなくても法律の意味は相当解釈をする立場によって変化する。しかも、それは必ずしも法を誤まるものではなくして、むしろ法というものは生きた社会に適用するものでありますから、社会の現実を離れて存在するものではない。だから、現実の社会が変れば法の意味も変る、そういうふうに、これは大体私どももそういう気持でございますが、そうなって参りますと、しいて憲法を変えなくても、ある程度は解釈によってその憲法意味をその当初、二十二年制定されましたときと今日と違う結論、違った意味に解釈をすることが、ものによっては可能だと考えているものであります。その意味におきまして、しいて改正しなくても何とか不都合なく解釈できるのではないかというふうにも思うのでありますが、しかし、これはただ法律学者としての議論でございまして、今日の憲法一般民衆にわかりやすい憲法でなくてはいけないということから考えますというと、専門的なこまかい法律の議論をしなくても、条文を見れば大体すなおにそのほんとうの意味がわかるというふうにならなければよろしくない、わかりにくい憲法ということでは適当でないように思うのであります。これが一つであります。憲法の条文の中に相当むずかしい解釈上の議論がある、解釈上疑義のある規定も少くない、そういう点は丁々申し上げませんけれども、相当やはり研究を要するのではないか、もしできるならばこれをわかりやすい文章に書きなおすということが必要ではないか、これが一つでございますが、なおそのほかに、提案理由にもちょっと指摘されておりますように、憲法の立案が比較的短期間に行われたために十分な用意が欠けておるところがあるのではないか。これはもちろん私の個人的な意見もございますから、必ずしも客観性のあることでもないかと思いますが、たとえば普通あまり指摘されませんけれども憲法第七章の財政の規定のごときははなはだ不得要上領でありまして、たとえば予算の問題なんかにつきましても、果して憲法八十五条と八十六条の関連、一体、国会の財政に関する議決と、それから特に予算の議決とがどういう関係にあるのかというふうなところなどを考えましても、外国の憲法とかあるいは明治憲法などには相当はっきりとした規定があったのでございますが、現在ではたとえば法律できめたこと、法律を執行するために必要な経費は予算の審議に当ってこれを削除することができるかどうか、そういうふうな点。一体法律と予算との効力の点でいずれが優先するか、というようなきわめて根本的な問題につきましても、どうも現在の憲法ははっきりしていない。もちろん私どもは法律を解釈する立場におきましてわからないというのでは責任が果せませんから、現在の憲法のままでも何とかそこを妥当と思われる結論を出す。そういうためにはいろいろ工夫をするのでありますが、しかしそのような手の込んだ議論になりますというと、一般国民にはわかりにくいのでありまして、特に第七章の規定のごときは相当工夫を要すると思うのであります。  そのほか問題になって、おりまする九条、戦争放棄、こういう規定につきましても、これもいろいろ御意見があると存じますが、私は現在の憲法の規定でもある程度やっていけないことはないと思うのでありますけれども、しかしそれにしてはあまりに不明瞭な規定である、もっと明確にすべきであると思うのであります。その場合どういうふうな方向へ持っていったらよろしいか、これはこの機会に私が申し上げるのは少し僣越でありますし、また参考人の立場から離れてしまいますから簡単にいたしますと、私は、戦力であるとかあるいは軍備というふうなこと、これは言葉が非常にまあ誤解を生じやすいと思うのでありまして、昔の日露戦争などのことを考えますと、軍隊、戦争というふうにその考えが今日も残っておりますが、とにかく戦争の形態は複雑になり、ことに原子力、原子兵器を用いるようになりますと、従来の戦争ということではとうてい割り切れないものがある。また、言葉が不明確でありますが、直接侵略、間接侵略というようなことも盛んに諭ぜられますが、間接侵略というごとなんていうことも、これも非常にむずかしいつかみにくい言葉でありまして、将来もし何を、どういう場合を戦争と言うのか、これは日本のみならず外国の学者におきましても定義をすることが非常に困難になっている。また攻撃的な戦争とかあるいは自衛戦争とかいうような区別、これも将来は非常にむずかしくなる、区別がほとんどもう不可能になるのではないかというふうに思うのであります。そこで一体私といたしまして、それではこの問題についてどういうふうに考えるかと申しますと、先ほどもちょっと御発言があったようでありますが、治安維持、社会秩序を維持していくという、これは本来警察の作用と言われるのでありますが、これは法の目的、本質から考えましてその最小限度においては当然に必要である。秩序を破壊する動き、どういうものをそう考えるかということはむずかしいことでありますが、しかしわれわれの常識で考えて、明らかに一般の公衆の社会治安を脅かすような行動につきましては、最小限度必要な規制を加えるということは、国内法と申しますか、国内の問題として警察が当然考えなければならない。同じことが九条のような国際社会においても私は考えられると思うのであります。つまり国際社会における一種の警察的な力、これは一体どこの国が持つかということは別問題といたしまして、とにかく必要である、存在しなければならない。もしそういうものがなければ、たとい国内においては基本的人権が保障され、個人の生命、財産が保障されるといたしましても、これを国際社会に持ってきますと保障されない結果になると思うのであります。もちろんこの点でも、ちょうど国内におきまして私どもがめいめい武器を持つ必要はない、国の警察力によってわれわれは安心して生活ができる。同様に国際社会においても国々がみな武力を持つ必要はないのであって、国際的な中央の権力によって警察の使命を果すことができるならば、国と国の間の秩序の破壊を防ぐことができるならばよろしいではないかという議論がございます。この問題になりますと、もちろんこれはそういった意味日本の国だけのこととして考えることはむずかしい。外国あるいは国際連合とかその他の国際平和機構との関連において十分考えなければならないと思いますが、ただそういう点で従って結論は非常にむずかしくなると思います。簡単に申し上げますと、戦争放棄、現行憲法で規定しておりますることは、国際的な警察力による安全保障を条件として戦力を放棄したのであって、本質的に国の自衛権というのも、自衛戦争というところまで持っていくためには、これは戦力が当然必要になりますけれども、国の自衛権は現在においても当然には否定されていないというふうに私は考えるのであります。その意味で国家の存立を全うする、あるいは国民の基本的人権を国際関係においても国家が保障する責任があるということになりますと、その国際的な警察の機能を考えますと、国際的な平和機構に協力するその限度において、一種の警察力は私は必要であろうと思うのであります。ただ軍隊とか戦争という意味になって参りますと、国内におきましても警察以上に、また従来から軍隊と庁は考えておりましたが、そういう国際社会におきましても、秩序を維持していく最小限度の実力以上に原子力をもって相手方を、よその国を鎮圧する、これを征服するというふうな、そういう侵略の可能性のあるような実力、これはとうていわが国において持つことは必要でないし、またわれわれはこれを欲しない。その点でもちろんそういうのを再軍備と言えるかどうかわかりませんけれども、私は大体現在の自衛隊のようなもの、あれがどの程度将来増強されるか、それによってもちろんその限界を越える場合も出てくると思いますが、自衛隊の機能もよく存じませんが、しかし最小限度外国との関係において国民の生命、財産を保護していく、そのために実力を持つことは必要である。けれども、それはもちろん、将来のほんとうの意味戦争、国家が滅びるかあるいは残るかというそういう戦争になって参りますと、これは当然原子兵器なども予想されますから、そこまで日本が実力を持つということは必要がないし、むしろ害がある、このように考えるのでございます。従って現在の九条の範囲で説明をすれば、先ほどのように、多少無理をすれば説明ができる程度でございますけれども、しかしそうなると、もうすでに議論がございますように非常にわかりにくい、しろうとには何のことかよくわからない、その意味で幾分条文を明確にする程度の修正はあるいは必要ではなかろうか。もっともしかし、私も最初からこの調査会のようなものの審議、結論を見ないで、最初からそういうふうにきめてしまうつもりはないのでございますが、もし、ほかの方の意見はしばらくおいて、お前の意見はどうであるという御質問でございますならば、大体今申しましたような考えでございます。  時間を少しとりましたが、以上をもって一応私の意見を終らせていただきます。
  58. 青木一男

    委員長青木一男君) 質問のある方は……。
  59. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 憲法調査会について二つの観点から御賛成の御意見があったのであります。前段の理由ですね、内閣に置くことについて議員以外の者が相当数あるということと、それから議院内閣制をとっておるから内閣に置くことが是認されるという二つの理由に承知したのであります。議院内閣制の観点から内閣に置くことを合理的だと考える点ですね。もし憲法調査会に国会議員が参加して、それが何と申しますか、与党といいますか、内閣を作り上げておる政党の議員だけであれば、その点はきわめてすっきりするのであります。しかし政府の説明によってもそれは与党議員だけに限るのでなくて、反対党といいますか、反対党の議員も網羅するのだということが言われておるのであります。そうなってくると、議院内閣制だからどうこうという考え方は必ずしもこれは当らないのじゃないか、こう思うのであります。現在の国会議員というものは、議員個人じゃなしに、国会における役割から見れば政党というものをバックにしております。それが内閣における調査会に参加するということになりますと、それを考えていけば、むしろ国会においては国会に一つ調査会を設けて、それから内閣においては必要があれば調査会を設けることは、これは内閣としてできるんです。議員以外のですね、学識経験者等をもって一つ調査会をやるということをも考え得るのであります。そのことの方が憲法における行政府及び国へ会の関係日本の議院内閣制の実体等から見て合理的じゃなかろうか。政治的問題を離れて、憲法の審議等から見て、そういうふうにも考えられるんですけれども、その点はどうでしょうか。
  60. 田上穰治

    参考人(田上穰治君) 今の御意見私もそのように考えましたのでありますが、ただ国会に、これは国政調査権もございますし、ことに議案につきましては、当然憲法改正案というようなものを用意するにつきましては、国会が調査権を持っておられることは言うまでもないと存じます。ただ国会に置きますと、どうしてもこれは国会議員の方がやはり責任を持たれ、そうして指導的な立場にあって、そうして外部の一般国民意見をも参考にしながら立案するということになると存じます。そういう形の調査会を国会にお置きになることは、これも一つ考え方でありまして、もちろんおできになることであり、またわれわれが反対する理由はないと思います。ただかりに憲法調査会というものについて、必ずしも国会があるいは国会議員の方が中心になり責任をおとりになるのではなくて、もっと広い角度から、国会議員も加わりますけれども、しかし一般国民考えのもとに、その観点から研究し調査をする、もちろんその結論に対しましては、かりにそこに一つの成案が用意されたといたしまして、それを内閣の方から出すか、あるいはそうではなくて議員の方からお出しになるか、そういうお取扱いは、これはもう別のことでありまして、ただ案を用意する場合に、その国会議員の方よりももう少し広い国民的な立場から立案をする、研究するということでありますと、これは国会の直接のお仕事というよりは、むしろ内閣の方に置くことが適当であろう。ただしかしその場合に内閣の方に調査会を置くといたしましても、内閣、時の与党とか政府が立案の準備、調査をするというのではおかしいのでありまして、その政府からは一応独自な立場において立案する、しかしその調査会の機構は内閣、ことに実際この法案では総理府……内閣総理大臣が主任の大臣でございますけれども総理府ではございませんでしょうが、内閣の方でそういう事務的なことは処理するというふうに私は考えていたのでございまして、これは調査会の性格によってきまると思いますが、ただどうも私の考えでは、この法案が、時の内閣あるいは政府与党の調査機関というのであってはいけない、それでは提案の理由は、全くわれわれとしては、もしそういうふうに解釈するといたしますと、結論は私は反対なのであります。
  61. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 田上先生にお尋ねいたしますが、実は先ほど来の御陳述を聞いておりまして、私まあ疑問を持つのですが、というのは、数年前に田上先生の書かれましたもの、行政法関係あるいは地方自治なんかにについて書かれたものを読ましていただいて、大へん教えられるところがありました。民主的な行政制度あるいは地方制度等について教えを受けていて、自主憲法研究会というのですか、その研究会に先生の名前を拝見して実は多少意外に思いながらあれして参りましたけれども、陳述を伺っておって、そういう点からも正直に申し上げまして頭を傾けながら実は聞いておるのですが、そこで今の点も多少疑問を持ちます。疑問を持ちますが、自主憲法研究会というのですか、その中で議論をせられておりました議論について、果して先生も同じような意見なのかどうかということをまずお尋ねをいたしたいと思います。で、中には明治憲法が、まあ前の憲法を明治憲法と言いますから、明治憲法という言葉でするのですが、それがあの憲法の改正手続きをそのまま踏んでおらぬ、あるいは全く違った憲法になったという点もあろうかと思いますが、そこで今の憲法が無効だ、全面的に無効だというので、明治憲法復元に関する詔書というようなものを出して、そしてやっていったらという意見があったということでありますが、そういう御議論をお聞きになったかどうか知りませんが、そういう考え方について、どういう工合にお考えになりますのですか。今の憲法は、講義をしている者からすると、一応適法に成立をしたものだとしてそれを説明しなければならぬというお言葉がございましたけれども、根本的に今の憲法というものについて、まあ自主憲法研究会というのですか、そういうところであった議論のようでありますから、そういうものについてどういうふうにお考えになりますかという点が一つ。  それから、これはまあ御指摘になりましたような点もございましょう。が、それを全面的に否定をする、あるいは軍隊を解体をした、あるいは軍隊を持つことができなくなった、戦争ができなくなった、そういう条文なり、あるいは家族制度がなくなった、家族制度が否定せられる、こういうことによって、日本が弱体化されたのだ、そこでもとに戻さなければいかぬ、こういうことになりますと、逆コースと申しますか、それは、民主主義は持続するけれどもという言葉がありましょうとも、民主主義はやはり逆の指導原理というものが支配的になっていくのじゃないか、こういうことを感じますので、そういう点についてどういう工合にお考えになりますか。  それから、今の述べられました点から言いますというと、これは根本的な点になると思いますが、憲法改正の提案権がどこにあるかという場合に、憲法を制定する権限、あるいはそれから改正する権限というものが出てくると思いますけれども国民にのみそれがあるのだという考え方になりますと、憲法改正原案というものを作るというのは、あるいは世論の中から出てきて、それを国会が取り上げてやる。その国会が国民の意思を反映するという手続きも必要になりましょうけれども、それはとにかくとして、国民の中から出てきて初めて憲法改正というのはでき得るのだと、これは民主主義をとる限り間違いないと思います。そうすると、まあそれが内閣から独立をしているかしておらぬかということ、多少お触れになりましたのですけれども、何といっても内閣に置くということは。やはり内閣で憲法改正原案を作るということになるのじゃないでしょうか。それはあるいは野党も入れる云々ということがありますけれども、内閣に置く。しかも、それは改正するかせぬかも検討するということですけれども、あるいは自民党においても、あるいはその前の自由党、民主党においても、改正原案は、これだけできているわけであります。従って問題点としてあげられておりますけれども、その問題点がやはり案になるだろうということは、これは間違いないだろうと思います。そうすると、政府で、内閣で憲法改正原案を作るということになる。そこが国民主権という建前をとっておる今の憲法からするならば、その精神に違反するのではないか、こういう議論も出てくるのだと思うのでありますけれども、その辺の憲法原則に関連をして、どういう工合にお考えになりますか。
  62. 田上穰治

    参考人(田上穰治君) いろいろ問題を御指摘いただきまして、十分にお答えができるかどうか存じませんが、まず自主憲法と申しますか、この現在の憲法が効力をもつかどうかという根本の問題でございますが、これは私は、従来から自分の簡単な書物にも繰り返し述べておりますが、この明治憲法あるいは旧憲法の普通の意味の改正手続によって現在の憲法が生れたとは考えられない。旧憲法の第七十二条の帝国憲法改正手続によって現行憲法が生れたとは見ないのであります。言いかえますと、現行憲法はまさに新しい憲法であって、この従来の憲法とは継続性がない。本質において同じものとは見られない。改正等も、われわれが考えますのは、これは根本を変えてしまうという意味ではなくて、基本原則は動かさない。そうしてただごく簡単に、平たく申しますと、枝葉の部分と申しますか、本質を動かさない範囲において新しい時勢に合うように条文を変えていく、これが改正であろうと思うのであります。これは今度の、将来におけるもし改正ということが議論されますならば、その場合にも私は同じ理屈が当てはまると思うのでありまして、現行憲法の基本原期を変えることは、もはや単純な改正ではない。改正の限界を越えるものであって、それは言葉が強過ぎるかもわかりませんが、一種の革命になる。まあ革命というのは、必ずしも暴力、血を流すという意味ではなくて、私どもが使いますのは、あるいは誤解を抱かれるかと存じますが、憲法の本質を変えるものであり、従来の憲法を一応御破算にして、そうして新しい、それとは無関係憲法を作る。これが私どもの申すところの革命でありますが、その意味においては、この二十年に旧憲法が御破算になって、そうして新しい憲法が生れた。こういうふうに、一種のその点は革命、平和的革命と申しますか、そういうふうに私どもは従来から考えているのでございます。ただ、もちろん日本憲法が制定されますときには、天皇のお言葉にあったと思いますが、明治憲法、帝国憲法第七十三条の規定によって改正するというふうに書かれております。これは、当時の政府並びにマッカーサー司令部の方で、できるだけ国民の不審というか、精神的な動揺あるいは衝撃を与えないようにという気持があったと思うのでありまして、私と申しますか、むしろ今日の学界の比較的多数の意見は、これは一種の革命である。単なる憲法改正ではないというふうに考えております。  ところでそれならば、現行憲法の効力はどうであるか。明治憲法の立場から見ると、確かに現在の憲法は説明ができない。これは明らかに明治憲法違反である。単なる改正というふうなことで説明はできない。けれども、こういった新しい憲法ができる場合には、これは従来の憲法から説明しようということは元来無理なんでありまして、これは、やはり別個の憲法だという立場でありますから、私はその意味において、まあこれは全然従来の憲法とは無関係に効力を持っておると考えるのでございます。  ただ、もちろんその場合にも、その内容につきまして、確かに二十一年の初めの制定当時の事情を見ると、アメリカの司令部の方の意向が強く出されておりまして、それに対する日本側の十分考える時間的な余裕がなかった。だからもう少し慎重に時間をかければ、あるいは条文の内容も相当変っていたのではないかと思われるのであります。たとえば、参議院の組織などにつきましても、ただ一院制を両院制に途中で日本側の主張で変えたというだけでありまして、この組織については、全く衆議院の、一院制の被選挙権、選挙権の規定が残っている。でありますから、参議院の特色は組織の上ではほとんど出せない状況であります。それでは、果して両院制が適当であるかどうか、必要かどうか、その存在理由も私は疑われると思うのであります。本来、両院制の特色は、これはどうしても組織の上で、議員の選挙とか任期とか、そういった上で、かなり衆議院とは違った規定を設けるべきである。任期につきましては、現在憲法に特別な脱走がございますけれども、特に現行憲法四十四条などでは、この選挙権、被選挙権につきまして、両院共通なワクをきめておりますから、公職選挙法の上で参議院の特色を出すことがほとんど望めない。こういう点は、たしかに日本側の準備が不十分であった、あるいは当時余裕がなかったことによるものと存じます。その意味で、私は、答弁はなはだ不手ぎわでございますが、現行憲法は効力を持っておる。これは憲法学者の立場としても当然だと思うのでありますがこれを政治的にみますと言うと御議論はあるでありましょうが、おそらく憲法学者の間では、大体異論がないと存じます。ただしかし、そのことが直ちに現行憲法を将来もこのまま何ら、手をつけずに引き続き維持していくべきであるか。もちろん正当な手続を経ないで憲法を変えることは許されない。現行憲法が改正されない限りは、これを誠実に順応しなければならないのでございますが、しかし、批判を加える自由は国民にあるはずであり、その点で申しますと、どうも私は、適当でないと思われる規定もあるように考えるのであります。効力の点では、そのように考えております。  それから次に、家族制度とか、いろいろお話しになりましたが、これは個別的な問題になりますけれども、私自身は、特に現在の憲法二十四条の規定、そこにまあ従来の家族制度が一変したようになっておりますが、これを特に、たとえば戸主権を復活するとか、あるいは家督相続の制度を認めるとかいうふうな点については、あまり研究しておりませんが、現行憲法のままであるいはよろしいのではないかと存じます。ただ、軍隊とか、そのほかいろいろお言葉があったようでありますが、私の考えは、国内における公共の福祉の問題、われわれが社会生活を営むときに、一般公衆の利益を著しく害するという場合には、その少数の、あるいは一部の国民の行き過ぎに対しては、ある最小限度の規制を加えるということはやむを得ない。もしそれができなければ、つまり社会の秩序をどのようにしても維持することができなければ、もはやこれは無政府状態であり、また、これは法の本質に反するというふうに思うのでありまして、もし公共の福祉という——この言葉もばく然としておりますが、それを今中しましたような意味において、つまり消極的な治安の維持、警察目的——学者の申します警察目的でございますが、そういうふうに解釈いたしますというと、これは特に憲法に書かなくても当然の事柄であって、言論の自由とか、集会の自由とか申しますけれども、それは単純な、物理的な自由あるいは心理学的な自由ではない。考えようと思えば何でも考えられる。あるいは手を動かせば何にぶつかってもかまわない、なぐり飛ばしてもかまわないというふうな物理的な自由は、これは法律の規定による自由ではないのでありまして、当然憲法も法でありますから、法の目的、つまり、社会秩序の維持という、これを前提として、個人の自由が認められている。これはもう御議論がないと思うのであります。その意味において、もしそういった法の目的に明らかに反する行為に対しては、国家が必要最小限度においてこれを制限する、規制するということ、これを私どもは厳密な意味で警察の作用と考えるのでありますが、これは最小限度必要であって、基本的人権として保障されておりまする場合でも、やはりその意味の公共の福祉による制限は当然できる、もちろん、これは国家が法律でまず根本をきめなければならないと思うのでありますが、しかし、そういう点も、先ほど申しましたが、現行憲法はきわめて不明確であり、第一、公共の福祉という言葉が非常にばく然としておりますから、これを広く解釈することによって、時の政府が権力を濫用するおそれが多分にある。だからといって、何ら制限を加えない、個人の側の自由の濫用に対しまして、全く国家は手をむなしくして見ておるということでありますと、それはもはや国家としての存在、存立の理由はなくなるのでありますから、そういう点で、最小限度の規制を加えることは認めるべきである。しかし、そのためには、現行憲法の規定をさらに明確にする必要がある。要するに、具体的になりますが、公共の福祉というような言葉をもっとはっきりと、わかりやすい言葉、濫用されない、政府が勝手に拡張解釈のできないような明確な規定にし、しかし、他方におきまして、その限度においては個人の自由も一応限界があるということをはっきりすべきであろうと思うのでありますが、これなんかは、第三章の国民の権利の全体に通ずる重大な問題であり、また規定の仕方によっては、非常な、あるいは極端な間違った結果にもなるかと思いますが、そういう点は、慎重にやはり検討する必要があると思うのであります。  それから、いろいろ御質問がございましたが、もう一つ憲法改正の発議と申しますか、あるいは提案、発案権という、これにつきまして一言申し上げますと、私の考えでは、憲法を制定する、これは国民主権でありますから、国民が持っておる。ただ、憲法を改正することは、私は制定とは少し違うと思うのでありまして、先ほど明治憲法と現行憲法関係で申し上げましたが、将来かりに憲法を改正するといたしましても、新しい憲法を作るほどの大がかりなものであってはならない。それではもはや現行憲法九十六条のワクをすでに越えてしまうのであって、九十六条の規定に従って憲法を改正するということは、当然に現行憲法百三カ条の少くともその本質、基本原理は残っておる、将来も残るということを前提にしなければならないのでありますから、そうなりますと、新しい憲法を制定するのと非常な遣いがあると思うのであります。その場合に、憲法改正は常に国民が直接行わなければならないかと申しますと、国会が発議される、そのことは、国民を代表する立場で行うわけでありまして、国民の直接発案という、直接民主制の形態とは少し違っている。表決、投票できめるという、国民表決という点では直接民主制でありますが、発案の方は、一応国会が発議することになっておりますから、必ずしも国民直接とは言えない。その場合に問題になりますのは、内閣の方からまず原稿を作って、案を作って、それを衆議院なり参議院に出す方式は間違いではないかという御質問のようでありますが、私は先ほどもちょっと申し上げましたように、これはかりにと申しますか、そういう解釈をとるといたしましても、政府はおそらく、もし改正案を出そうというならば、その場合には大臣が議員の資格において、その属する衆議院なり、参議院において発議されることになると思うのでありまして、これはどうも形式的には違うようでありますが、実際は五十歩百歩と申しますか、内閣が発案できないという意見をとりましても、大して実際には違いがないことになるのではないかと思うのであります。ただ御質問にございましたが、憲法調査会を内閣に置くということになれば、どうしても憲法改正案は内閣を通してのみ出されるのであって、国会議員の方から、あるいは野党の方からは提案できなくなるのじゃないかというような、ちょっと御質問、私そういうふうに伺ったのでありますが、私は実は憲法調査会ができましても、もっぱら調査の結果によってのみ、あるいはその結論によってのみ改正が考えられるというのではなくて、もちろん国会が最高機関の立場におきまして、この調査会の答申を待たず、あるいはその結論が出ましても、それとは一応別個の立場で、議員の方から発議されるということは、当然できることであって、それを禁止し、もっぱら憲法調査会の答申の線によってのみ考えるというものではあるまい。これは調査会法案の解釈でありますが、私は調査会法案を拝見いたしますというと、そこまでつまりイニシアティブをここでもって制限するという趣旨には考えられないものでありますから、先ほど一応賛成の意見を申し上げたのであります。
  63. 田畑金光

    田畑金光君 田上先生に一、二お尋ねいたしますが、ただいまの御説明で大体理解できました。最初先生お話しの中に、要するに現行憲法国民の制定した憲法である。同時にまた国民の立場において当然改正ということも可能である。問題は憲法改正について改正すべき時期か、どうであるかという政治的な判断というものが大きな作用をもつのである、こういうふうなお話しもあったわけであります。それで憲法学者としての先生にお尋ねすることは、今憲法改正の問題がいろいろいろんな角度から論議されておりますが、今日の情勢において憲法を改正する、あるいは改正問題を取り上げる、このことは時期として妥当であるかどうか、この点について先生の御見解をまず第一に承りたいと思います。  それから第二にお尋ねしたいことは、先生お話しにあります通りに、現行憲法の改正が論議されても、それはあくまでも基本原則あるいは根本原則について云々すべきではなくして、単に枝葉の問題について改正というものは取り上げるべきである、こういうふうなお話しがあったわけであります。この点に関しましては、私たちも全く同感でありまするが、ただ具体的に、しからば根本原則というものは何であり、枝葉とはどの限界をいうのか。あるいはまた現行憲法の改正について広く学者の間においても一つの限界がある、憲法改正については限界がある、こういうことを述べられているわけであります。そういう点から見ますならば、先生お話しは、要するに憲法改正には限界があって、あくまでも改正というものは枝葉にとどむべきである、こういう御趣旨であろうと承わったわけであります。ただしかしそういうお言葉がありましたが、具体的に、しからば第七童の財政の問題等について不明確な点を改むべきである、この点はわれわれも不明確な点は改むべきだと考えます。九条の御説明になって参りますると、お話を承わりますると、非常に解釈というものがわれわれから言わせますると、飛躍しているような解釈のように見受けるわけであります。先生の解釈によりますると、これは聞き違いかもしれませんが、要するに原子力を持つ、こういうような高度な装備を持つようなことは行き過ぎと思うが、しかしそれ以前の段階において、国際的な協力、あるいはまた警察的な秩序維持のための力、こういうような点から判断した場合に、自衛隊の現在の程度はどういう内容であるかは自分もよくわからんが、大体現行憲法の九条で認められている範囲だと思う、こういうような御趣旨のように承わったわけであります。またお話しによりますると、国際協力という点からいうと、最低限度の秩序維持の力が必要である、こういうようなお話もありましたが、そのお話は国際協力という点は、たとえば国際連合に対する加盟の問題、あるいは国際連合加盟の場合の義務負担の問題等に関連してのお話考えますが、われわれの承知しておるところでは、現在の国際連合憲章の建前からいっても、連合に加盟するために日本が国内法、憲法を改めて軍備を持たなければ加盟できない、こういうことはどこにもないと承知いたしております。現実に昨年の国際連合総会において日本の加盟が認められなかったというのは、決して日本自衛力を持っているか、持っていないかという問題ではなくして、一つの政治的な情勢から日本の加盟が拒否された。これを見てもわれわれは明らかだと考えます。こういうような点につきまして、先生の御説明はどうも根本原則を守るべしと言われておりながら、そうしてまた枝葉の問題に限るべしと言われておりますが、どうも一歩内容を伺いますると、現行憲法の最も大事な本質問題に触れてくるように思いまするが、この点をさらに御説明願いたいと思います。  第三点としてお尋ねしたいことは、憲法調査会には御賛成のようでありまするが、ただあらかじめ政府与党が腹案をもって、単に政府与党の憲法改正案をカムフラージュする手段に使うということについては反対である、こういうような御趣旨かと承わりました。われわれとして不安に思いますことは、私たちといたしましては、大体憲法の九十六条あるいは七十二条あるいは内閣法第五条、こういう点からいいましても、われわれといたしましては、発案権にいたしましても、発議権にいたしましても、国会にあるということは、私は現行憲法あるいは法律の建前だとこう見るわけでありますが、この点は今の御説明にもありましたように、さておきまして、ただこの調査会が、御承知のように、内閣に置かれる。国会議員が三十名、学識経験者二十名で構成をする。これが先ほど御心配なさったように、政府与党の単なる改正案をカムフラージュするための機関にならんかどうかという不安でありますが、われわれはそういう不安にあるということです。むしろそのための単なる調査会という、世論を回避するための機関にすぎない、実際的にわれわれがこれを検討した場合にです。と申しますのは、今までの、われわれが政府あるいは提案者の質疑を通じて明らかにされたことは、国会議員といっても、御承知のように今日の国会においては、憲法改正に賛成する派と反対する党派とこう二つに分れております。また従いましてこの国会議員の三十名というものはそういう国会内における与野党の勢力分布によって構成される、これは明確であります。学識経験者と申しましてもおのずから二つに分れておるわけであります。で、われわれが選挙制度調査会等をふり返ってみましても、結局政府の意図する小選挙区制度に賛成する学識経験者というものが学識経験者の名において多数加わっておる、政府の一定の意図のもとに運営されておる、あるいは結果においてそうなっている、こういうことを私たちがふり返ってみましたとき、この憲法調査会もわれわれは同じ軌道を走るにすぎない。と申しますのは御承知のごとく自民党の中にも昨年暮に憲法調査特別委員会が発足した、これも相当に検討を進めていっておる、まあ自民党の中の特別委員会というものは、先生なんかも加わっておられる憲法研究会、こういう皆さん方の御意見も相当取り入れて研究を進めておるようでありますが、こういうようなことをわれわれはふり返ってみたとき、憲法調査会というものは先生の先ほど御心配されたように、時の政府与党の一定の意図のもとに動かされる危険が濃厚である、むしろ実際論としてはそれが事実である、こういうようなことを考えましたときに、こういうような憲法調査会を内閣に置くということが、現行憲法の建前から申して許されるかどうか、大いに私は疑問があると考えますが、この点に関しまして先生のさらにもう一度御説明をわずらわしたいと思います。
  64. 田上穰治

    参考人(田上穰治君) 第一点の改正の時期が現在適当であるかどうかというような御質問でございますが、私はこれはやはり非常にむずかしい問題でありまして、その改正するかしないかということもまずきめなければなりませんし、どういう内容の改正案であるかということについて、さらに意見が分れると存じます。従ってそういう問題はやはり憲法調査会が設置されますというと、そこで慎重にお考えになるべきであって、私といたしましては先ほどから申し上げましたように、現行憲法のあるいは条文を変えた方がよい部分が相当あると思うのでありますが、そうしてそれは現在変えては非常に不適当だと必ずしもそう思わないのでありますけれども、これはしかしやはり単純な法理論、法律学者の立場の考えではなくて、やはり国民憲法として一般国民がどう考えるかということ、もちろんその点が重要でございますから、その意味でこの改正の時期を今すぐときめてしまう、断定することはできないと思うのであります。ただ私の申し上げたいのは、元ほどちょっと不十分であったと思いますが、そしていろいろ意見の分れるところでありますが、明治憲法と現行憲法の関連につきまして、私は革命による新しい憲法と申しましたが、それは決して現在の憲法が完全無欠であるという意味ではなく、しからばといって全くその効力が否認さるべきであるという意味でもないのでございまして、言い換えますというと、新しい憲法が制定されます手続上のいろいろ不明確な点、ことに旧憲法の改正手続を踏んでいるようであって実はそれに従っていない。その形式的なきずの方から当然無効だという考えではないのでございますが、ただその内容の点でありまして、内容的にみてもし国民の多数が不適当であると考える部分があるならば、私は改正するのがよいのではないかという立場でございます。  それからもう一つの第二点を簡単に申し上げますと、基本原則は改正によっても、改正手続によっても変えることはできないと申し上げましたが、憲法九条につきましてこれを申し上げますというと、私は率直に現行憲法第九条の第一項、一項は国際紛争を解決する手段としての戦争放棄すると書いてございます。もちろんこれも英文の方の憲法と食い違いがあるわけでございますから、これを第一項がすでに全面的にあらゆる種類の戦争放棄したと見る見方もあるかと存じますが、私は一応日本憲法でありますから日本文に従いまして、第一項はもっぱら攻撃的な戦争放棄しているというふうに考えるわけでございます。もちろんだから自衛戦争は当然できるかと申しますと、これは攻撃的な戦争を、あるいはわかりやすく申しまして侵略戦争と申しますか、その戦争をしない、そのためには戦力が持てないということになりますと、実際に防衛のための戦争も不可能になってしまう、結果としてはほとんど不可能といって間違いないと思うのでありますが、そういう結論になる。けれども九条の中心はやはり自衛戦争放棄するということではなくて、根本はやはり侵略戦争あるいは攻撃的な戦争放棄するということにあるのは間違いないと思うのであります。ただ攻撃的な戦争放棄することを徹底させますというと、ことに自衛戦争の名でもって攻撃的な戦争を行うことは歴史上珍しくない、むしろたいていの戦争はみな自衛戦争という名前で行われているわけでありますから、そういう意味で非常に自衛戦争はできるということになりますと、侵略戦争放棄がきわめて不徹底になってしまう、そういう意味において自衛戦争放棄という議論が出てくるのでございますが、少くとも中心は攻撃戦争侵略戦争放棄にあると思うのであります。これが九条について私ども考えている憲法基本原則、つまり国内における社会の秩序を維持していく、公共の福祉に反する場合には国民の自由も制限を免れない、この議論と、国際関係におきましても侵略はいけない、国際的な秩序を破壊することは、これは広い意味の公共の福祉に反することであって、国としても許されないというこの両方とも、これは人類普遍の原理である、どこの国でも当然に守るべきであって、これが現在の憲法基本原則であると思うのであります。けれども九条の第二項の方の戦力を保持しない、また一切の戦争自衛戦争まで放棄するという議論になって参りますと、少くともこれは人類普遍の原理とは言いがたいのではないか。もちろんこれは侵略戦争放棄することに不可分の関係がある限度においては同様に現存現行憲法基本原則と言えるでありましょうが、しかししばしば普通言われますように、よその国、外国の憲法を見ると、実情はむしろ軍備、少くとも最小限度の軍備は持っておるのが普通なのである、それがよいか悪いかということはしばらくおきまして、少くとも軍備を全く持たないということは人類普通の原理とは言えない、そういう意味におきましてこれは基本原則そのものというふうに私は考えないのであります。九条の第一項、第二項に差をつけることはいろいろ御反対があると思いますが、私の一つ考えでは人数普遍の原理を日本憲法が確認した、当然のことをただ注意的に書いたのが第一項の規定であり、第二項の方の規定は創設的なものである、言いかえますと、第二項の規定によって初めて確立されたものでありまして、この第二項の規定がなければ、あるいはそういう規定を持たない外国においては結論が変っておる、そう考えますというと、ここに憲法改正の余地も第二項については出てくる。第一項は、これはもともと写真のようなものでありまして、実物は人類普遍の原理としてもうすでに憲法以前にあることでありますから、その写真を破ってしまっても、本人——実物は残るのでありまして、その意味で改正しようと思っても改正できない。第二項の方は日本の独特の規定である。独自の規定でありますから、これは国民の総意によってできたのであり、その総意のいかんによってはこれが動く余地がある。このように考えまして、私の先ほど言葉が足りませんでしたけれども、この戦争放棄についても、侵略戦争放棄する、そして侵略戦争の収集に必要な限度において戦力についても制限を加えるというふうなことは、これは将来も維持すべきでありますが、この基本原則を破らない範囲においては、警察力——国際的な警察力を考えることは不可能ではない。ただ、その警察力という言葉がはなはだ不明確でありますが、一言補足いたしますと、この国際平和機構というものを私どもは信頼し、それに原則として依存すべきでありますが、しかし、果してこれが局地的な衝突について、もちろん戦争というほどのものでないかと思いますが、応急の措置がこの国際的な平和機構によって期待できるかどうか。できない場合があるとすれば、まあ一種の狭い意味の正当防衛でありますが、そういった場合に最小限度の実力を考える必要があるんではないか。また、事柄の非常に軽微なもの、だから戦争に発展するようなものは、これは普通の警察という考えとは違ってくると思いますが、国と国との紛争でありましても、比較的軽微なものにつきましては、それが一々この国際平和機構というものの手をわずらわすことができないようなものもあるかと思いますが、そういう程度において具体的な例は私も申し上げられませんけれども、そういう程度についてはこれは何らかの対外的な実力——まあ実力という名にふさわしくないかもしれませんけれども、そういうものは一応憲法で認めてもよろしいのではないかというところでございまして、この国際平和機構に、十分それによって解決ができる、その程度の規模あるいは時間的な余裕がある場合には、もちろん日本の立場において無理をしてそういう実力を考える必要はないと存じます。  それから最後の第三点でございますが、調査会ができた場合に、結局これは政府なり与党の改正案を、それを国民に対して権威ずけることになるのではないかという御意見でございまして、これは私もそういうことは絶対にないという自信はもちろんないのでございまして、実際にいろいろな問題につきまして、調査会とか審議会とかいろいろ政府にございますが、そういうものを見ましても、とかく審議会がきめたとは言いながら、その答中の内容はすでに政府の方で事務当局の方で立案されておるという場合もあるかと存じます。これはしかし結局ふたをあけてみないとわからないのでありまして、要するに委員のまあ手腕といいますか、あるいは実力といいますか、指揮権というか、そういうものによって変ってくると思うのでございまして、私の議論はその点はなはだ甘い見方かと存じますけれども、もし憲法調査会というようなものが単純なそういったうわべだけを飾って、実際は政府の方から与えられた改正案に格好をつけるだけであるというのでありましたならば、これはおそらく良識ある国民が権威を認めないことになるのではないか、もし国民に対する、そういった国民がこれを信頼しないということでありましたならば、もちろん調査会を設置した当初の趣旨は没却されてしまいます。また先ほど申し上げましたように、調査会を作ったから、必ずこれを通さなければ改正の論議ができないかと申しますと、私はそうきめてしまっては、それこそ現行憲法の規定に反すると思うのでありまして、そういうふうにはこの法案を私は解釈できないと思うのであります。実際に法律学者の理屈であって、実際はそうはいかない。国民は大体この調査会ができるというと、これによって政府の案に引きずられてしまうという御懸念があるかと存じます。これは私自身はそう考えないのでありますけれども、しかし一般国民がどういうふうに考えるか、これは何とも私ははっきりしたことを申し上げる能力がございません。  それから最後に、なお先ほどから御質問の中に、自主憲法研究会でありましたか、これに私が参加しておって、結論は初めから大体出ておるじゃないかというお言葉のようでありましたが、これはいろいろな刷りものをお読みになればわかるのです。また私の書いた書物ではその点はっきりとここで申し上げますようなことは前から触れておるつもりでございますが、必ずしもこのあらゆる点において、みなその研究体の会員の意見が一致しておるというわけではないのでございまして、ただしかし本日申し上げておりますように、こういった憲法改正についても十分に研究を必要とする、だからみな一緒になって研究してみよう、そうしてその場合にまあ共通な結論が出るならばけっこうであるから、そういう点で苦労してみようという点は一致しておるのでございます。ただ具体的の案につきましては、これは午前にお話がありました大西教授の詳細な案がございますが、その案と他の研究会の会員がすべて一致しておるかと申しますと、一々につきましては相当に意見が分れているのであります。まあこれをしかし、私どもといたしましては、分れたままでよろしいというのではございませんけれども、現在もうすでに一致しているというふうにおとりになりますというと、実は私どもの方ははなはだおこがましいのでありますが、そこまではまだよく研究なり討論ができていない。けれども、一致する方向に向ってお互いに努力しているという程度のことは申し上げられると思います。
  65. 青木一男

    委員長青木一男君) ちょっと申し上げます。田上教授は三時から学校の御用があることを了承の上お願いしておりますから、質疑だけで一時間になっておりますから、これで質疑を終りたいと思います。
  66. 千葉信

    ○千葉信君 二点だけ。簡単に聞くから……。
  67. 青木一男

    委員長青木一男君) それじゃあもう五分以内に……。
  68. 千葉信

    ○千葉信君 田上さんにお尋ねいたしますが、ただいまの憲法第九条に関する解釈については、まあ政治家なんかの解釈としては私は一応黙って聞けるけれども、学者として、学究の徒としてああいう解釈をされるということについては私は断じて承服できない。しかし、まあ残念ながら時間もないし、やっているとずいぶん時間もかかりますから、私はこれは割愛して、あなたのおっしゃった次の二点についてあらためて御意見を承わりたい。  一つは、あなたのおっしゃるように、なるほどこの憲法調査会法案は、表面上は改正するということとは直接は結びついておらない。あなたのおっしゃる通り改正するかしないかは別問題だ。これはただ調査研究するということだ。だから自分としてはこれに賛成するのだと、あなたは賛成する第一の理由として後段にこれを言われた。ところが実際は私どもが心配していたように、総理大臣憲法第九条等については改正するんだということをはっきり言明しておる。しかもその言明は、この調査会法案そのものに表裏一体となって、そういう言明が行われている。そうなりますと、あなたが賛成すると言われたその根拠がくずれてきていると思います。そうなった場合に、あなたはこの法案に対して、それでもなおかつ賛成するとこうおっしゃるのか。  それから、これまたあなたがこの法案に賛成するに至ったもう一つの理由ですが、あなたは調査会が内閣に置かれるということについて、一つの理由は、議員以外の者がたくさん入るとすれば、やはりこれは国会外の、内閣の中に置かれることが正しい。それからもう一つは、先ほども委員がちょっと触れましたが、議院内閣制に伴って大臣が云々という理由が並べられた。私はこの二つの理由で内閣に置かれることについて賛成だということは、どうもあなたのおっしゃることとしては根拠が少し薄弱だと思うんです。  で、新憲法になってから、私は国会の運営なんかについてどうも釈然とできない二つの問題があるんです。  一つはどういうことかというと、国民の国会に訴えてくる請願に対しては、どうも前の憲法の習慣が残っていて、何でもかんでも採択したものは内閣に送り付ける習慣が抜け切っていない。国の唯一の立法機関としての国会がこれが是なりときめたことは、立法手続なり何なりを踏んで国会が処理してしかるべき問題じゃないか。それをどうも何でもかんでも内閣の方にこれを送り付けて、そうしてその処理については年一回国会に報告しろとか何とかというやり方をとっている。どうもこれは私は旧憲法時代の遺風が頭のどこかにしみついていて、そのためにこういうことがまだずうっと継続されているんじゃないかという疑念を持つのです。  それからもう一つは、憲法の第四十一条によりましても、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」、これが残念ながらこれまたどうもその唯一の立法機関の中で議員が法律を提案して、そうして、立法行動が行われていない場合が非常に多い。これはまあ非常にいろいろな研究を要するとか、いろいろな機関が輻湊しているということにもよるんでしょうけれども、やはり一面には、これまた昔の考えが完全に抜け切っていないで、どうも内閣を代表して総理大臣が提案してくる法律に依存している傾向が非常に強い。これはイギリスの例をみても、アメリカの例をみても、こういうことは全くないと思うんです。
  69. 青木一男

    委員長青木一男君) 千葉君、簡単に……。
  70. 千葉信

    ○千葉信君 そういう関係がやはりこういう重大な、他の予算に付随する法律案とか、あるいは予算案とか、そういうものに付随して政府の方から内閣総理大臣が出してくる場合は別として、その他の場合には、ほんとうは憲法の精神とするところは、この四十一条に基いて、どしどし国会議員が法律案を提案して、立法機関にかけて、ここで法律を立てるべきじゃないか、立法すべきじゃないか。(「その通り」と呼ぶ者あり)その点が通からの何というか、古い考え方、とらわれた考え方が今日のような状態を現出しているんじゃないか、ほんとうはそうあっちゃならない、この点についてあなたはどう考えるか。そうしてもしこの考えが正しいとすれば、これはやはり法律案の提出案等についても、四十一条に基いて国会が優位すべきものだ、行政府の方から法律案を出していくということについて、国会は優越した優位性を持っていなければならぬはずだ、それは慣習上今までどんどん内閣総理大臣が提案するというくせがついているために、今度の場合は憲法でも内閣総理大臣の方から出しても差しつかえないのだという考えが、その中から出てきているのじゃないか。  それからまたもう一つの理由は、あなたも御承知通り……。
  71. 青木一男

    委員長青木一男君) 千葉君、なるべく簡単に……。
  72. 千葉信

    ○千葉信君 国家行政組織法によりますと、内閣に設けられる憲法調査会そのものですね、行政機関の一つ、行政機関の中で一体憲法改正の問題を研究し調査するということ自体が、私は行政組織法上の建前からいっても、ここにもはっきり出ておりますが、「内閣の統轄の下における行政機関の組織の基準を定め、もって国の行政事務の能率的な遂行のために必要な国家行政組織を整えることを目的とする」、この目的のもとに設けられる一つの機関としてこの憲法調査会があるということじゃないのですか。ですから私はますます、内閣に設けられるということについては、どうも憲法なり国家行政組織法等の建前からいっても矛盾を持っているのじゃないか、この点についてあなたの御意見を承わりたい。
  73. 田上穰治

    参考人(田上穰治君) 最後の点から申し上げますが、私の考えといたしましては、国家行政組織法に規定する行政機関というのは非常に広いのであって、たとえば原子力の研究なんかについての機構、広く言って試験所であるとか研究所のようなものも当然入るわけでございまして、すべてが政府のために、あるいは内閣のためにやっている仕事とばかりはいえない、その内容におきましては……。けれどももちろん国家行政組織法のもとにおける機構は、形式的には政府とつながりがございますから、その関係の職員はもちろん政府職員であり、政府から給与が出る、いろんな意味において政府が事務的な世話はしなければいけない、そうしてまたごく名目的にせよ、とにかく内閣とつながりがあると申しますか、内閣の息がかかるということはいえると思うのであります。  ところで問題の憲法調査会でございますが、もし今の御指摘のように、内閣が調査会の仕事につきまして勧告できる、そうしてまた、ことに調査会の審議につきまして、原案のようなものを内閣の方から出して、それに賛成を求める同意を求めるというふうな形でありますと、私は、この法案にはそこまで出ておりませんが、本来の趣旨に反するように思うのであります。もし調査会がやはりその独自の立場において、つまり一応これは警察の場合にも国家公安委員会がございます。その他独立機関といいますか、仕事の上では政府から独立の立場で事務を処理していく、そういう機関が相当ございますが、そういうふうにこの調査会の仕事についても私はみるべきだと思うのであります。もっともそれでもなお一応、表面独立になっておっても、結局はやはり政府の息がかかっているのじゃないかという御懸念もございましょう。しかしこれは先ほどもちょっと申し上げましたが、たとえば私も現在関係しておりまする放送法の審議会などでも、必ずしも郵政省当局の原案のようなものが出て、それをできるだけその線に持っていくというふうな意向ではないようで、これは御存じかと思いますけれども、いろいろそういった政府意見には反対の強硬な意見も、委員の中に出ているわけでございます。まあやはり委員の顔ぶれによりましては、ものによってはやはり簡単に事務当局の方の案をのむという場合も相当あるかとも思いますが、しかしまた委員の選任の仕方によりましては、私は必ずしもそう簡単に政府の当初考えているような結論が出るという有名無実な調査会になってしまうとは思わないのでございます。  それから初めに戻りまして、憲法四十一条とかあるいは請願の処理の方法などについて御意見ございましたが、私の申し上げておりますのは、もちろんその御意見には賛成の点がございます。つまり国会があるいは議員が法律案を出すことを遠慮される必要は少しもない。けれども内閣の方からこの法律案が出せないとか、あるいは憲法改正につきましてのそういったごく初めの段階でございますが、衆議院なり参議院に対するそういう発議なり提案ができないかというと、私は国会の方からもできるし、内閣においてもできるという立場でございます。もちろん内閣と国会とが同等の立場で国民にいずれからでも発議できるというふうな意味ではございませんが、国会議員の方が衆議院なり参議院に提案されるのと同じような意味において、内閣の方から衆議院なり参議院に提案することもできる。こういう意味でございますが、この点は、(「優位性はどうです」と呼ぶ者あり)時間がございませんが、別の機会にも申し上げたこともあるのでございまして、私ども考えは法律案についての提案と、それから憲法改正の場合とはその点で根本は変っていないというふうに思うのでございます。法律案に関して政府の発案権は認めないというのであればまた別になりますが、私どもは同じように憲法改正についても議院内閣制のもとにおいて認めてよろしかろうと思うのでございます。  それからこの四十一条の規定は非常に厳格に御解釈になっておったようでありますが、この発案権が当然に立法権の中に含まれるかどうか、この意はアメリカのような立場をとれば、合衆国の憲法におきましてはもっぱら国会議員の中から法律案を提出するわけでございます。しかし一般のイギリス流のならわしとなっておるところではそう厳格に考えていないのでありまして、わが国におきましても、私は内閣の方の発案権を否認する理由はなかろうと存ずるのであります。
  74. 千葉信

    ○千葉信君 それからもう一点質問漏れ……。一番最初にお尋ねした調査会法案そのものと、憲法改正の問題が密着している関係がある。そうなればあなたの認識されていることと事実は違ってきているのだ。そうであってもあなたはこの憲法調査会法案に賛成されるかどうか、この点……。
  75. 田上穰治

    参考人(田上穰治君) この法案がどういうふうな形で実施されるか、これはやはり私は条文の表面に表われていることだけで一応判断しているのでありまして、かりに私ども調査会委員にもしなるといたしますと、必ずしも政府の出された案それに賛成するかどうか、これはその案を詳細に検討してみないとわからないのでありまして、現在の自民党の案とか、いろいろかつての自由党なり改進党の案がございますが、これはすでにその相互の間にも必ずしも一致していない部分がございますし、また私どもといたしましては賛成のところもあるし、また反対のところもあるのでございまして、将来かりにどういう案を政府の方から出すか出さないかそれもわかりませんが、その場合にも、それを無条件に初めから賛成するような意向の委員だけを集めるということならば、私はかりにそういう事実であるとすれば、それは調査会を設置することは無慮味だと思います。
  76. 青木一男

    委員長青木一男君) 田上君に対する質疑はこれで終ります。     —————————————
  77. 青木一男

    委員長青木一男君) 鈴木義男君お願いいたします。大体二、三十分程度以内にお述べを願います。
  78. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 私にどういう意見を徴されるのでありまするか、ただいまこの憲法調査会法案が本委員会で審議されておりまするので、憲法調査会を設けるのがよいかどうかということについて意見を求められるのであろうと思うのであります。しかし憲法調査会をなぜ設けるかといえば、現行憲法を再検討して改正すべき点があれば改正したいということにあるのでありまするから、結局調査会を設置する必要があるかどうかということは憲法を改正する必要があるかどうかということにかかると思うのであります。  そこで結論から先に申しますると、私は現行憲法にも技術的に改正、または修正した方がよいと思われる個条も二、三ないし四、五ないわけではないのであります、と思っているのであります。しかしこれは一刻を争うような問題ではない。今のままでもやっていける。改正論者のほんとうの目的とするところは、天皇制のある意味の復活、第九条の大改正、家族制度のある意味の復活、こういうふうなところにあると思うのでありまして、これらだけを持ち出すと抵抗があまりに強いので、カモフラージュするために項目をたくさん並べて、焦点を多岐にわたらせて、なるほどと思わせて、主たるねらいを完遂してしまおうというのでありまするから、最も警戒を要し、全面的に反対せざるを得ないのであります。いわゆる抱き合せ改正でありまするから反対をするわけであります。  大体法律の解釈、あるいは立法も同様でありまするが、幾らでも議論はできるのでありまするし、どうにでも解釈はできるのであります。それを法律学者の言うことを一々聞いて、これはこうした方がいいというのならば、毎日修正をしておっても切りがないくらいなのであります。御承知のように人の権利能力は出生に始まると民法第一条に書いてありまするが、出生とは何だというだけでもローマ法以来四つも学説があるのでありまして、一部露出説とか全部露出説であるとか、臍帯分離説だとか独立呼吸説だとか……。だから憲法なんかも一条をとっても学者が異なるがごとくまた異なった解釈をし、こうした方がいいという議論は幾らでも立つのであります。問題は根本的な点にあると思うのでありまして、この根本的な点と抱き合せる方は確かに警戒を要する。こういうやり方は選挙制度調査会の例を見るとよくわかるのでありまして、なぜ政府が選挙制度調査会を設けたかと申しますと、小選挙区制度というのはよいものだという結論だけを、あの調査会に出させるので、あそこに集まった学者諸君はまじめな人々ですから理論的に見て小選挙区がよいと答えた。そして公正な区割りをするということが大切であるとも答えた。ところが政府は、これこの通り公正な学識経験者が皆小選挙区に賛成だ、こう言ってこれを利用して調査会で夢にも考えない、自分たちに都合のよい区割り案をこれにくっつけて国会に提案したのです。抱き合せ提案の最もよき例であります。私は憲法でもこういうことが行われることを一番警戒しなければならぬと思うのでありまして、しからば私が何ゆえに現憲法でよいと言うのか。これを説明いたしまするのには、まずこの憲法が作られた当時の国民の気持、制定の事情などを回顧しなければならないと思うのであります。そしてそれとあわせて、この憲法内容を批判しなければならないと信ずるのであります。私の意見を求められますのは主としてこの点にあろうかと存じます。  私は終戦後いち早く民間の憲法研究団体でありまする憲法研究会、高野岩三郎先生を会長にしてわれわれが参加して、日本にどういう憲法を作ったらよかろうかということで研究に従事いたしたのであります。そして憲法は根本的に改正しなければならないということを提唱し、草案も作りました。またこれなら民主革命ができそうだと希望を持って国会にも出る気になったのであります。第九十議会の議員の一人となりまして、憲法改正特別委員にもなり、さらに修正を議しまするために十四人の特別小委員というものをこしらえましたが、その一人ともなりまして、この現行憲法の制定修正等に参加したものでありまするから、これを語る資格があろうかと存ずるのであります。  そこでいろいろのこの改正論者の御議論を承わってみますると、大体二つの根拠から出ているように思うのであります。一つは占領中に押しつけられた憲法であり、一つ内容がどうもおもしろくない。結局この二つの考えは、せんじ詰めれば一つに帰するのでありますが、占領下にできたものはいけない。本来占領下において独立の法律や憲法ができるものではないのだという説があります。またそれではいけないから暫定的に作っておいて、留保条件を付して、あとで正式なものを作るということにしよう、こういう説もあります。ドイツなんかではその説にのっとってやったようでありまするが、それはまた一つの行き方であります。しかし占領下において作ったからいけないというのならば、これは憲法無効論でなければならぬと私は思うのでありまして、憲法は一応認めるけれども、根本的には直したいのだというのは少しロジックが合わないのではないかと思うのであります。しかしそこまで言う人はあまりない。やはり現行憲法のよいところは、どんな改正論者でも認めておられるようであります。  わが国は終戦とともに一つの民主革命をなし遂げたのでありまして、これは田上教授も言われた通りであります。だれも一つの革命と考えておるのでありまして、決して部分的な修正とか、改正とかいうようなものではありません。そこで本来このポツダム宣言を受諾した以上は、従来の封建制度を打破し、従来の日本を誤まった軍国主義を破砕して新しい民主的日本を作るということがわれわれに課せられた義務であると同時に、われわれが条件を受諾したときの気持であったわけでありまして、当然最先に憲法を自主的に作るべきであったのであります。ところがどうも日本人にまかせておいたのでは、ことに当時の政府にまかせておいたのでは、とても約束したような民主的憲法が作られそうもないという見通しから、見本を示されることになったのであります。その経緯はあらゆる文献によって立証することができます。日本においても決してただおったわけではない。近衛公がみずから委託されたと信じて、佐々木博士をわずらわして草案を作った。それから幣原内閣では松本黒治国務大臣が主任大臣となって、御承知のように憲法問題調査会というものを作って、美濃部博士、野村博士、清水博士、河村氏、宮沢氏、清宮氏、いろいろな人を委員に委嘱して、そうして草案を作ったことも御承知通りであります。また自由党も当時草案を発表しておる。進歩党も発表しておる。社会党も発表いたしております。共産党も草案を作って発表いたしたのであります。また民間団体としては先ほど申し上げた憲法研究会、これは高野氏を会長として馬場恒吾氏でありますとか、森戸辰男氏でありまするとか、鈴木安蔵氏でありますとか蝋山政道氏でありますとか、いろいろな人が、私もその一人として参加して一緒にやったのであります。現に高野博士はまず第一に天皇をやめなければいけない、わが国を共和国にしなければ、わが国は救われないということを強く御主張になったのであります。われわれの間で天皇制を存置すべきかいなかということは、ずいぶんたびたび議論され、討議されたことでありまするが、当時司令部における天皇を温存しようという意向と相待って、今の日本で直ちに天皇をやめることは少しラディカル過ぎるであろう、こういうのでわれわれの間では、やはり天皇というのは、権力に携わらず、実際政治に携わらないものとして残そうじゃないかということがきまったが、高野博士一人は断固として承知しない。自分の少年時代は、天皇というものはもう少し当りまえの人であったのである。自分の長い生涯を通じてだんだん天皇は神様となり、ついにこの救うべからざるディストラクションに日本の国を導いてきた万悪のもとである。これをやめて大統領を上に置いて共和国にしなければ、日本は救われないし、また帯び不幸を見るぞ。どうか一つこの研究会案として一つにまとめたいから御譲歩願いたい。断じてこの点は譲ることはできぬ。それでは高野の意見として付記しておいてもらいたい。こう言うので、われわれがあの草案を発表するときに、高野は共和制を主張したというふうに付記して発表をいたした次第であります。それから尾崎氏を先頭とする憲法懇談会、これも草案を発表いたしました。あるいは大日本弁護士会連合会なども草案を発表いたしました。どれを見ても、あまり大したものはなかった、遺憾ながら。で、後に発表される司令部案というものに比して一番近いものは、手前みそのようでありますが、この憲法研究会の案であったわけであります。これは一つここに資料として配付になっているようでありますから、比較してごらん願えればわかっていただけると思うのであります。その他は松本案のごときは明治憲法にちょっと手を入れた程度のものであります。その他自由党の案も進歩党の案も同様であります。社会党の案も、私ども関与したのでありますが、はなはだ微温的であったことを恥かしく思う次第でありまして、当時日本を占領したものがソビエトであったり共産主義的な国であれば、どんなラディカルな憲法でも許されると思いましたけれども、アメリカだからして、あまりラディカルなものをやったところで、それは認められないだろうというような、多少思い過しもありまして、微温的な草案になったわけであります。司令部の方でも一々それらはみな英訳して読んでおったようであります。あとでわかったことでありますが、司令部の方でも一夜作りにやったということをよく申す人がありますが、私の知っているところでは、コルグローヴ教授その他の公法学者が顧問として参っておりまして、占領の当初から、日本はいかなる憲法を持つべきであるか、どういう民主政治をやらせるべきであるかということは、調査研究をしておったのでありまするから、その基本線においては決して一夜作りのものでなかったことは明らかなのでありま。これらをみな見たけれども、どうもこれではだめだ。これでは真に日本を民主化するゆえんでないし、近代的民主主義を行うゆえんでもないと、司令部では見たようでありまして、それでついに、あの通り極東委員会の空気も緊迫してきておるソビエトはもちろんとして、オーストラリア、ニュージーランド等は、天皇制をやめてしまえ、共和国にせよという指令が来そうである。天皇制をもし保存するならば、日本が先手を打って自主的に憲法草案を出してしまったということにしなければならぬというので、御承知のように非常に急いだわけであります。そういう意味において、待っておっても日本自身からいい案が出てこないから、やむを得ず、こういう見本を一つ出すから、これにのっとってやってみたらどうかということになったわけであります。私は押しつけられたとは思わないのでありますが、よりよい案があったのにそれを蹴って悪い案を与えたなら、これは押しつけであります。確かに押しつけでありますが、われわれの出したものよりもはるかによい案を持ってきたのでありますから、これは押しつけというべきでなくして、やはりむしろ与えられた憲法日本に示して作らせられた憲法であるというならば当っておる言葉であると思うのであります。そういう意味において、大体私は、その後、これじゃ一つ日本の民主化もやれるかな。——そのときまでは明治憲法のもとに国民大衆は非常な抑圧を受けており、私はその圧迫されて凌辱された人たちを弁護することに生涯を費しておったのでありますから、これはとてもたまらない。しかし幸いにこれから日本一つ明朗な民主国になるかもしれぬ。ただ見ているだけではいけない。自分も参加して一つこれを完成しなければならないという気持を起して、柄にもなく国会に出てくる気になったのであります。そうして第九十議会から私も出て参りまして、そうして親しく今度はこの憲法の制定に参加したわけであります。そのときこの憲法は、あちらから原案が示されておって、一カ条といえども、一字一句といえどもみだりに修正することは許さないんだというデマが飛んでおった。どうも金森さんなどは、御修正は自由でありますということはときどき言われたが、どうも別な方で伝わってくる言葉あるいは別なところで答えるというと、どうも手をつけてはいけないように擬えるようなことを言われる。そこで私は、いやしくも小委員となつて、これからほんとうにこれに手をつけるかっけないかという大事なせとぎわでありますから、私は司令部に行って、僣越であるけれども聞いた。それは、国会の憲法改正に従事しておる一人として、ぜひほんとうのことを聞いておきたい。そうでなければ私の仕事はできぬというので、行ってケーディスに幸いに会うことができました。これはむやみに修正しちゃいけないといううわさがあるが、ほんとうか。いや、そんなことはない。日本国民が、そして国会の代表者がほんとうに日本のためによいと思うところがあるならば、反動的に、封建的に直すのはどうも賛成できないが、直すことはけっこうなことなんである。少しも拒むつもりはない。ただ天皇の性格を象徴でないものに変えるということ、及び軍隊を再び持つということは、これは極東委員会及び司令部の方針として賛成ができないんだ、こういう話があって、大いに修正してよろしいと、こういうことでありまするから、私はさもありなん、安心して引き下ってきて、それから修正するつもりでよく読んだのであります。そうすると、まあ私の見地からいうと、いろいろありましたが、まだこれは改正論者が、神川博士などがよく言われる十八世紀から十九世紀の憲法じゃないか。基本的人権などは、たしかに私は、フランス人権宣言、アメリカの独立宣言及びフランスの今の憲法の流れを汲む個人主義的十九世紀的な基本的人権が多く網羅されておって、二十世紀的な社会主義的な、経済的、社会的権利の保障というものは乏しい。これは直さなければならぬと思ったのでありまするが、まあその他の点では、そんなにどうしても直さなければならぬ、というような点はあまり見つからないほどよくできておる憲法であったのであります。これはよく、当時、一つ総選挙でもこれを題目として戦ったのでありまして、私の知っておるところでは、当時よい憲法である。古い頭の人が、天皇を象徴にするということはどうか、どうもよくわからぬ、変だということを言った人はありまするが、軍隊を持たないなんということは、もう当時当然のこととしてだれ一人疑う者はなかった。どうか十年前のお気持に返って、一つよくお考えを願いたい。それから、その他の点もまことによい憲法である。これならば、われわれも少し息がつけるか、あの息詰まるような明治憲法の人民抑圧から脱却して、少しは自由の空気が吸えるかという声が野に山に満ちておったと申しても過言ではないのであります、あの当時の国民の空気から。でありますから、あの憲法が悪い憲法だというようなことを言って頭ごなしにしたような者はないのであります。寡聞にして、私の聞くところ、ないしその当時の文献を探してみても、あまり見当らない。しかし私は、やはり技術的にいろいろな点から不完全な点は直しておかなければならないと考えて、それで小委員になって、十四人の小委員会に臨みました。芦田さんが委員長でありました。いろいろな点を修正を希望し、ほとんど容れられたと申してよろしいのであります。  まず衆議院で修正した個所を申し上げますならば、前文並びに第一条に、主権という、英語の方ではソヴランティと書いてあるけれども日本語で読むと国民至高の総意と書いてあった。主権という言葉はどこにも出ていない。だから私は一番先に本会議でまず質問をし、ここにごまかしがあるんじゃないか、なぜ主権ということをはっきりいわないのか。これが司令部の方に聞えたようでありますが、この司令部から、ごまかしておるじゃないか、はっきりソヴランディということを憲法の中にうたわなければならないという注意が出て、小委員会の途中で、主権の存する国民、「主権が国民に存することを宣言し、」というふうに、はっきりうたうことに変ったのであります。  それから文字だけの修正のごときは略しまするが、第六条に、原案では内閣総理大臣だけが天皇によって任命されることになっておったのであります。マッカーサー草案というのをごらん下さればわかるのでありまするが、  このマッカーサー草案では、内閣総理大臣だけが天草に任命されるのであって、品高裁判所の長官も判事もすべて司法大臣の推薦によって内閣総理大臣によって任命されることになっておった。私は、これは三権分立の建前からいってよろしくない、おもしろくない、どうしても総理大臣と最高裁判所の長官というものは対等の地位におらなければならない、それでこそ初めて司法権の独立尊厳というものが維持されるのであるから、これは一つ直してもらいたいと言って提案をして、総理大臣とともに最高裁判所長官が天皇によって任命されるように直ったのであります。  それから第九条は、これは最も議論の多かった条文であります。しかし今日なされるような意味において当時議論は行われなかった。質問をいたしましても、御承知のように、共産党の野坂君が、自衛のために戦争ができないなんてべらぼうなことがあるかと言って、吉田茂総理大臣に詰め寄った。それが間違いのもとだ、戦争自衛のためといわずしてやった戦争はいまだかってないんだ、日支戦争しかり、大束亜戦争しかり、みな自衛の名においてやった戦争だ、だからこれからは自衛の名においても絶対に戦争は許されないと、こう然と答えた。私は今でも記憶しておるが、吉田氏は偉いなと思っておる。(笑声)それが何だか変になってきた。当時とにかくそのことに関連して、芦田委員長も答えていわく、今後は小国が軍隊などを持つ時代は去りつつあるんだ、集団安全保障に頼るべきであって、国家連合が国際警察機関として、侵略をする国があれば経済断交で制裁を加える。経済断交をやっても一カ月もてる国はアメリカとソビエトくらいしかない。あとはみんな参ってしまうから戦力を持つ必要はない。それできかなければ国際警察軍が陸海空から出て侵略国を制裁する。だんだんこういうふうに、国際警察が発達すれば小国が軍隊を持つ必要はなくなる。これに頼って、一つわれわれは軍備というものは持たない、丸腰でいこうということを説明をしておったのであります。そして本会議の委員長報告でもそれを述べておる。今忘れたようなことになっておりますが、(笑声)それは一つ御記憶を喚起していただきたいのである。ただ小委員会で、どうもこれは、いかにもいやいやながら軍備を撤廃するように見えるから、一つ高き理想を掲げて撤廃することに文章の上でもうたおうじゃないかと、われわれ及び芦田さんも仰せられまして、そこで、あそこに原案になかった「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」こういう言葉を入れたのです。これだと、理想を掲げて戦争をやらん、軍隊を持たない、こういうことになるからいいじゃないか。そうだ。われわれも全く共鳴して、大賛成でこれを入れた。そうすると、第一項と第二項を読んでみるというと、戦争は「永久にこれを放棄する。」と書いて、「陸海空軍その他の戦力はこれを一持たないというと、何だかうまくつながらないような感じがしたので、コンジャンクション、接続詞を芦田さんが、言い出されて、「前項の目的を達するため、」という言葉を入れようじゃないか、そうすると初めて一つのつながる文章になる。全くそうだ。コンジャンクションが必要であるというので、私ども賛成して、あれは入れたのでありまして、確かに芦田さんが提案されたことは覚えております。実はこの小委員会の速記録は、まだ非公開で、発表になっておりませんので、残念でありまするが、いずれ遠からざる将来に公開されると存じまするから、私がただいまここで申すようなことは皆明らかになるわけであります。とにかくここも私どもがもっともだというので入れたのであるが、あとで聞くと、これは芦田さんは深謀遠慮があって入れておいたのだ。この言葉を入れるというと、自衛のためには軍隊が持てることになるのだ。——こんなことは夢にも仰せられなかった。仰せられたらわれわれは反対した。ただ文章がつながらないから入れようじゃないかというお言葉であったのであります。  それから第十条は、われわれが入れた条文でありまして、日本国民の要件は法律の、定めるところによる。これはドイツの憲法にもありまするが、だんだん国際的に交流が激しくなりますると、日本国民たる要件ということが問題になります。私が現に扱っているのに、イギリス人であるか、日本人であるかという争いがありまして、まだ三年、四年かかっておるが解決しない。日本人だと思えば日本人と思われるし、イギリス人だと思えばイギリス人にも思われるという人がある。そういう人がふえるのです。それですから、私はやはり入れた方がいいというので、提案して入れたのであります。  それから第十七条も原案にはなかった。「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」これは私が長い間の訴訟上の経験から、官尊民卑のわが国においては、役所がやったことは、役人がやったことは、みな損害賠償も何もとれない。大体、知事とか内務大臣を相手にして訴訟を起すなんて不届き千万なやつだというようなことで、おどかされて、泣き寝入りになっておったことが多いのでありまするから、こういうことは憲法に入れておかなければだめだ。アメリカでは要らない規定だけれども日本では必要なんだということで、私が入れることを希望し、入れていただいた条文であります。  それから第二十五条第一項、これが原案になかったのでありますが、これは当時の社会党の森戸辰男さんと私とで相談をいたしまして、ぜひ一つこれも入れてもらいたい。これはドイツ憲法では、人間に値いする生活、メンシェンヴュルデイゲス・ダアザインという憲法の規定があって、実にわれわれをして感奮興起せしめたものでありますが、日本でも一つ、ああいう規定がなくちゃおもしろくないというので、人間に値いする生存を保障するというような言葉にしたいと思って、それじゃあまり直訳外国語を開いているような気がしますから、そこで考えた結果、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」こういう言葉に直したわけでありまするが、とにかくこれはわれわれが希望して入れていただいたわけであります。だから第一項はなかったのであります。そして節二項、これも議論がいろいろ出ましたけれども、第二項は、「国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」これは立法の大指針をうたったのであります。政治の大指針をここで立法の大指針とともにうたっておくことが、日本憲法をして光あらしめるゆえんではないか。それはあまり空想に近い理想をうたっても仕方がないじゃないかという御議論もありました。確かにありましたが、そうすると、この憲法はあっちもこっちも理想をうたっているところがありすぎるのでありますので、理想をうたうついでにうたっておこうじゃないかということで、われわれが熱心に主張したところが、幸いに、自由党さん、進歩党さんの御賛成を得て入れていただくことができたのであります。  それから第二十七条、これは勤労の権利だけを原案ではきめておったのであります。「勤労の権利を有する。」それでどうも日本国民は、権利だけを規定しておくと、これはたしか芦田さんの御主張もあり、われわれも賛成したのでありまするが、働く義務というものを怠る、軽視するという傾向があるから、これは権利とともに義務も一つ規定しておかなければいけない。こういうことで、働かざる者は食ろうべからず、これがわれわれのモットーでもありまするし、ソビエト憲法のごとき、それをそっくりそのまま憲法に入れた例もあるのでありまするから、そういう意味一つ勤労の義務を負うという言葉を入れよう、こういうことで入れた次第であります。それから就業時間とともに休息ということが、これは大切な労働者の労働条件であり権利でもありまするから、これも原案になかったが入れておかなければ、あとで労働法を作るときにいろいろ問題になるからというので、「休息」という言葉を入れていただいたわけであります。  それから第三十条の納税の義務、これもなかったのです。一体納税の義務だの教育の義務なんというものは、GHQの人にいわせると当りまえのことで、アメリカなんかにはないのだ。それをちゃんと国民は納税もしておるし、教育もしておる。そんなことを書かなければならんというのはどうかしているというような口ぶりであったのでありまするが、日本国民は、憲法に書いてないと、どうも軽視していいように考えるくせがあるから、入れておいたほうがいい、こういうことになって、やはり納税の義務を有す。——体、憲法は御承知のように人民の権利を国家に向って保障する規定であって、国家が人民に向って義務を命じたり強制する規定ではないのでありまするから、本来義務を規定することはこれは邪道であると私は思うのでありまするが、今度の改正案にだいぶ義務を御規定になりたがっている人がありますから、念のために申し上げておるのでありますが、義務は法律できめればいいことで、憲法で何もきめなくても、権利だけ憲法で保障しておけばいいのであります。とにかくそういうことで納税の義務ということも入れたのであります。  それから第四十条、これも私が入れていただいた。「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を、受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」これなどは刑事訴訟法にあるのでありますから、それでたくさんなのでありますけれども、それこそこういう規定がないと裁判官も検事もなかなかやらない。また憲法に規定があってこそ初めて刑事訴訟法が生きてくるのであって、どうしてもこれは憲法にこういうものを入れておいてもらわないと困るという法曹界からの強き要望もありまして、私がお願いをして、幸いに入れていただいたのであります。  それから第四章、第五章、第六章、第七章等には字句の修正が多少ありますけれども、省略をいたしまするが、第八十八条皇室財産の問題、これはずいぶん小委員会でもめたところであります。いわゆる皇室に世襲財産として相当のものを残そうという運動がありまして、小委員会を無視してGHQにかけ込んで行って訴えた衆議院議長その他の人があった。ほかの人がかけ込んで訴えるのはかまいませんが、衆議院議長が、今小委員会でしきりに修正を練っておるのに、小委員会の方へそれを持ってこず、司令部へ行って直接訴えるということは、あまりにも委員会の権能を無視したものであるというのがわれわれの不満であったわけでありまして、ついに樋貝議長不信任ということに発展して、樋貝議長が辞職したことは、御承知通りであります。それで司令部においても最初は皇室に世襲財産を残してもいいという気持であったようでありまして、 マッカーサー原案にあるのでありまするけれども、これがまた問題の種になる。木曾の御料林、北海道の御料林、いろいろ広いところの財産を、みな天皇の、皇室の財産として残すということは、ますます将来混迷を来たすとともに、問題になるからというので、思いきって天皇もやはり国会で議決した歳費を差し上げる、それで一つ生活を立てていくようにお願いをするということにいたしたのが、八十八条の規定に落ちついた理由であります。  それから第九十八条、これも修正を加えたことは御承知通りであります。また公侯伯子男爵は、一代だけは華族として認めるということであったのでありまするが、これも無用なことである、やめるならば、さっそくやめる方が、あとくされがなくてよろしいというので、これも小委員会において決定をしてやめることにいたしたのであります。  まあそういうふうな点が、私どもこれは修正したのでありまして、こういうあとをごらん下すっても、一字一句といえども変えることを許されなかった。泣きの涙でいやいやながら作った。——ほかの人はどうか存じませんが、私はきわめて自由な気分で、朗らかな気分でこの憲法制定に従事し、修正にも従事いたすつもりでおるのであります。当時の気持に一つ返って御了解を願いたいのであります。これは幸いに自由党及び進歩党さんが当時賛成して下すって修正ができた。しかしわれわれは出したけれども、それはどうも賛成できないといって、自由党さんも進歩党さんも小会派さんも賛成して下さらなかったために、修正ができないでしまったものが相当あるのであります。そのうち私どもは後に残したいと思って特別委員会に提案をいたしました。そうして私がその提案理由の説明をした条文が若干ありまするから、この機会にお耳に入れておきたいと思うのであります。  前文のうちに、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてみる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」という一節の中の「専制を隷従、圧迫と偏狭」という言葉の次に、搾取と窮乏とい丘、言葉を入れてほしいということを提案したが受け入れられなかったのであります。それは決してGHQに受け入れられなかったのでなくしては、自由党と進歩党に受け入れられなかったという意味であります。あそこさえ通れば、GHQは必ずこれは許したに相違ないと私は思っておる。  そこから第一章天皇の前に国権という一章を設けて、第一条として、国権は国民から発するという条文を入れろということを主張いたしたのであります。これは、主権在民の民主憲法であります以上は、第一章は天皇であるのはふさわしくない、第一章天皇で始まるのは。第一章国民から始まらなければならぬ、こういう考えから、私どもは国権という章を設けて、国権は国民から発する。ドイツ憲法にうたっているように、ああやるべきであるということを主張いたしたのでありますが、それもよろしくないということで退けられたわけであります、委員会でです。  それから天皇の行う国務のうち、原案は、第七条の第一号、「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。」とあるのを、「認証すること」と直して、第二号以下の国会の召集、衆議院の解散、国会議員総選挙の施行の告示というのは、天皇の国事行為の中にありまするが、これを削除しろ、これらは内閣の事務に移すべきである、天皇は象徴であり、政治には関与しない建前をとる以上は、これらを天皇の行為とすべきでないとわれわれは考えたから、その主張をいたしたのであります。今度のこの改正論者の意見には、もっともっと天皇の行為をふやせということになっておる。なお栄典の授与も天皇がするということになると、これは実権を伴わないようなものであるが、非常に封建的な遺制を伴う一つの特権を与える行為になるのであるから、国家のためによろしくないということの議論があったのでありまするが、まあ天皇の行為に栄典の授与ぐらい残しておかなければ、何もないじゃないかというようなことで、これは天皇の行為ということになったのであります。今度問題になっている特赦とか大赦というようなものを天皇の行為にするのは、もってのほかであります。これは政治上最も重大な政治行為でありまして、これは内閣総理大臣、法務大臣の責任においてやるべきことであるとわれわれは考えておる次第であります。  それから教育に関する原案第二十四条第三項に持っていって、才能あって資力なき青年の高等教育は国費でするという規定を加えろということを主張したのでありますが、これも退けられた。  それから財産権を定めた原案第二十七条、経済生活の秩序と公共の福祉を増進することを目的とする、これは今の社会的権利の保障であります。あまり個人主義的な権利の保障ばかりであるから、もっとこれを社会的な意義を持たせなければならないというので、われわれが主張したのがこれであります。「経済生活の秩序と公共の福祉を増進することを目的とする。この目的に反しない限りにおいて、財産権と経済的自由とは保障される。財産権の内容は法律で定める。私有財産は正当なる補償のもとにこれを公共のために用いることができる。ただし、やむを得ない場合には、国会の議決によって補償を給しないで用いることができる。」これを規定しておかなければ、社会主義政策は実行できない。それで司令部から来たマッカーサー草案には、土地及び天然資源の究極的所有権は国に属するというようになっておったのであります。これは松本国務大臣が、これだけは一つやめてもらいたい、あまりにもラジカルであるといって、一院制度とともに願い下げたそうでありますが、われわれが渡されたときには、こういう案にはなっていなかった。これは、このごろになって、最初マッカーサー草案なるものが歴史的資料としてわれわれに渡るようになったのでありますが、審議のときには、そういうものが削られておったものを渡されたのでありますから、そこでわれわれは、一つぜひこれを入れておいてもらわぬと、もろもろの重要産業の国家管理あるいは国有ということは実行できなくなるからして、自由党、進歩党が御賛成にはならない。これも退けられたわけであります。  それから憲法改正は、国民の承認を得たときは、内閣が国民の名においてこれを憲法と一体を成すものとして直ちに公布する。天皇が公布するという必要も理由もないではないか。天皇は象徴であるのであって、天皇が憲法改正を公布するということは一貫しておらない、こういう見地でわれわれは主張をいたした次第でありまして、これも遺憾ながら退けられた。  これらは当時、自由党と進歩党とが小委員会において御賛成にならないから、やむを得ず通らなかっただけの話で、これを御賛成下すってGHQに持っていったとすれば、私は百パーセントGHQはこれを容認したと信ずるのでありまして、持っていったもので一つも蹴られたものはないということで証明されるのであります。それは、日本のある部分の人々の頭よりは、GHQの諸君の頭の方が進歩的であり、民主的であったのでありまして、私はその後、交渉に当った結果、よくわかったのでありますが、ゆえに、マッカーサーが、自分日本によかれと思ってあらゆる施策をやったのである、もし誤まりがあったならば、ブレーン、頭脳の誤まりであって、ハートの誤まりでないことを了とされたいと、ある政治家に語ったそうでありますが、アメリカで。それはそうだろうと思うのであります。とにかくそういう意味においては、私は憲法を相当自由なる立場において作った、どうもハッタリをかける人は、銃剣を突きつけられて、やむを得ずこしらえた憲法であるなどということを、民衆を扇動するために言うのは御自由でありますけれども、少しうそが強過ぎると私は思っておる。それにもかかわらず、それは見本を示されて作らされたということならば、それは私も納得いたしますが、悪いものを作ったという意識がなかったということを御了解を願いたい。  そこでこの内容についても、最も問題となるのが、何といっても天皇の象徴を元首に直すかどうかというような問題、それから第九条を改正して、軍隊を正式に持つことにするかどうかという問題、それから個人、人格の尊重という問題でありまするが、これらは、今でこそ、そんなことをしきりに議論しますけれども、あのころはこれが実に一番いいところであった。司令部がわれわれに示したところでは、これが一番いいところで、これによって日本国民は救われる。少数の特権階級は非常な失望を感ずるけれども、これはやむを得ないことで、大部分の国民大衆は歓呼かっさいして、天皇を権力から離し、戦争放棄し、軍隊をやめるということは、当時非常な歓呼かっさいをもってこれを迎えたものだということを、よく御記憶を願いたいのであります。ですから、改正論のやはり底を流れるものは、どうも当時圏外にあって、これに関与しなかった人が、昔恋しい郷愁の念にかられて、再び逆戻しをしたいというのか、あるいはしぶしぶ受け入れたものがどうもそういう考え方をするように、私どもから見受けられるのでありまして、ことに東条内閣などで大いにお働きになった方がこの改正論の先頭を切っておられるのじゃないか。今、会長でないが、前の会長はそうです。そういうのはどうもこれは、元の特権の回復、復活、失地回復を願っておるものじゃないかと、こう言われてもやむを得ないじゃないかというふうに思うわけであります。  で、私は時間がありませんから簡単に結論づけまするが、改正論の内容を見ますると、世界観の相違からきておるものがあります。国策あるいは政治観の相違からくるといってもよろしいでありましょう。つまり憲法第九条をどうするかという問題は、これは軍隊などは要らない、戦争は絶対にやめるべきである、こういう考え方は、これは世界観の相違からくる。いや、軍隊を持たなければ、あすにも日本はやられそうだ、あすやられるか、やられないかということは、これは、われわれけ少くとも日本を今領土的に侵略しようという国がどこかにあるとは思えない。だから、そんなに軍備というようなことをふぐ必要はないと考えておるわけであります。軍備に使う金があったら一つ社会保障にでも使って、十年やったら相当よい国ができると思う。あまり早く再軍備に乗り出して惜しいことなしたと思っております。  世界の動き方がだんだん平和に向って動いておる。あのイスラエル、アラブの争いを見たって、戦争に持っていかすに何とか解決しようという形勢が見えておる。ソビエトとの四巨頭会談でも、平和の方に持っていこう、軍備縮小の方に持っていこうとしておる。ですから、急いでわが国がこの世界情勢のもとに軍隊を作る必要があろうかという、これは問題として論じなければならぬと思いますが、これは非常に長い時間論じなければならぬ問題でありまするから、私はこれに触れることは略しておきまするが、とにかくもう少し形勢を見て、今十年もゆっくり世界の形勢を見て、どうしても小国といえども軍隊を持たなければ安全が保てないという見通しがついたときに考えてもおそくないと、こう思っておるのであります。その前に内乱等の心配があるというなら、これは警察予備隊程度のものは置くことは、必要にして十分だということは、前からわれわれが主張しておるところであります。  それから第二の類型に属するものは、古い制度に郷愁を持っておるところからくるものである。これは人生観の相違とでも申すほかはない。天皇を今一度元首にしたい、これは言葉だけの取りかえだけだというのですけれども、私ども言葉だけの取りかえとは思わない。次に来たるべきものをおそれておるのであります。今はなるほど言葉だけの違いである。言葉だけの違いならば、なぜ象徴で不十分なのか。日本国を代表するものは象徴ということで何ら差しつかえない。イギリスのキングもクイーンも大英帝国のシンボルであるという憲法上のことわざがある。だれか成文がないと言った。神川博士ですか、そんな成文はイギリスにはない。イギリスの憲法は成文憲法でないのですから、ないことは当り前である。クラウンがシンボルであるということは、立派にイギリスのキングの地位を示しておるのであります。日本でもそうなっておる。ゆえに、もし外国の大公使が来たら一番先に天皇にお目にかかるのであります。大公使を接受するのであります。また大公使を認証をして辞令を渡して外国につかわすのであります。何が足りないのか。私は、元首にして天皇がみなそういうものを任命することにしないとおもしろくない、これは単に庁の制度に対する郷愁に過ぎないと思っておるのであります。  それから家族制度、これも決して封建的家族制度などを考えておるのでないと仰せられるが、家族の保護とか家族制度というものを守るということを憲法の上に規定することは、私はあまり反対はしないのですけれども、しかし必要はないことだ。個人の尊厳と男女の平等、そうして夫婦は真に自由意思の合致によって構成すべし。小さい家庭というものは、今の憲法でも守られておるのですから、それ以上、家族制度の保護を規定するというのは、どうも戸主の制度を持ってこよう、あるいは相続についての均分相続をやめようという下心が、法衣の陰によろいがほの見えておるのをおそれるのであります。基本的人権の制限等についても同様であり、権利の乱用は立派に第十二条で禁止されておるのであります。常に基本的人権は公共の福祉のために使わなければいけないというのが規定されておるのでありますから、これを適用して現実の問題として解決して、裁判所でも立派な方法で判決されておるのでありますから、もう少し立派にこの慣行が成長するのを待てばよろしいと、こう考えておるのであります。  それから第三は政治、行政の技術に関する問題であります。議会の運営、内閣制度、参議院の制度、裁判、財政とか地方自治、こういうものは、やり方をどうしたらいいかというので、先ほども一人……、学説は学者の顔ほど違っておるのであります。私もいろいろな説を持っております。こうやった方がもっといいというのをたくさん持っておりますけれども、抱き合せ改正をおそれることと、それから、今急いでやらなければ日本の政治がうまく運営できないというほど逼迫した問題でない。ベターであるというだけでありますから、もっと待ってもよろしい。私はどうも、今は憲法改正のときでない、わずかまだ九年しかたっていない。現にこれは制定されたときに、一年過ぎて二年の終りになる前に、極東委員会から、あまり急に日本の戦後の国民生活の混乱をルールに乗せるために急いで作らしたというきらいはあるから、もし不適当なところ、国民生活に合わないところがあったら遠慮なく申し出なさい、修正をしなさい、こういう指令をいただいたのであります。ちょうど私が法務総裁のときであります。それで吉田茂氏にもそのことは作るときに言っておいたのであるが、引き継ぎがなかったので、私は初めて聞いたのであります。帰って来て、衆議院議長、参議院議長等にお話をし、それから法制局でも、改正すべき点、どうしてもこの点は直しておかなければ困るという点があったら、一つ調査して出すようにといって命じましたが、そういうものは当時見当らなかった。そればこまかい技術的な点で直した方がいいという点はありましたけれども憲法改正をしてまでも直しておかなければならぬというのは、その当時はどちらにもなかった。ゆえにこの憲法で満足でありますという答えをしておる。それで今になって、これは押しつけられたのであって、泣き泣き作ったのであるから、どうしても根本的にやり直さなければならない——なぜそのときそういう議論をしなかったかということを私は遺憾に思うのでありますが、何と言っても私を初め古い時代の観念が頭にこびりついております。私自身もかなり進歩的なつもりで自分ではおるが、ほかのもっと若いジェネレーションからいくと、反動だ、保守だと言ってひやかされるのであります。ですから、よほど注意をしないと、もとのところに促っていくおそれがあるから、今のお互いに相当の年配の人は、これに手をつけるべきでない。今の子供が小学校で新憲法で育てられて、中学、大学を出て、一人前になったときに、その独立の新しい頭で批判したところで改正しようというならやらせていいと思っておりますが、今古い時代に権力をふるったような人が中心になって、また昔恋しということで憲法改正などとは、もってのほかである、こう考えておる次第であります。
  79. 青木一男

    委員長青木一男君) 質疑のおありの方は……。
  80. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 鈴木さんに二、三質問いたします。あなたは現行日本憲法マッカーサー草案をほとんど九〇%翻訳してできておるということはお認めになると思うが、それとともにマッカーサーホイットニー准将に憲法制定の基本原則として与えた、天皇及び軍備、それから貴族制度等に関する基本原則、これらのものはこの中に完全に順守されておる。そうしてマッカーサー草案のほとんど全部がこの中に入っておるということはお認めになると思うのです。その点からいうと、やはりこれは翻訳の憲法であり、マッカーサーの示唆によってできた憲法であるという点はお認めになると思う。  そこで一つお伺いしたいのですが、アメリカの初期の占領政策の第一にこういうことがあるはずであります。日本の占領政策は、日本をして再びアメリカの脅威になるようにさしてはならぬということが一番最初にある。私はその意味一つあなたはどういう工合に御解釈になるかお伺いをしたい。つまりアメリカの脅威に再びなさしてはならぬ、そういう占領政策をやれということが書いてある。それはどんな工合にお考えになりますか。
  81. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 私は、日本を誤まりたる方向に導いた軍国主義の勢力を破砕すべしというポツダム宣言の言葉、それに基いて日本の占領政策をきめられたことは承知しておりますが、アメリカの脅威ということは聞いたことがありません。しかし、とにかく日本が軍国主義で東洋及び世界の平和に偉大なる脅威を与えたことは、これは否定できてないのでありますから、再びそういう危険のないようにすることが、ポツダム宣言を受諾して降伏した日本のこれは至上命令であると私は考えておる。私だけでなく、当時の人は皆当然のことと考えておったと思うのであります。
  82. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 私はなおその点でお伺いしたいのですが、日本を最後に敗北に陥れた力、それについて最も大きな力であったのが具体的にあげるというと広島、長崎に原子爆弾を落したということ、これはやはり日本を敗北に、最後のとどめを刺す一つである、こう思います。それからもう一つは、日本と中立条約のあったソ連をして理由なき宣戦を日本に布告せしめたということ、そうしてソ連が日本に対して突如として攻撃を加えた、つまりヤルタ協定に基いてそういう行動に出た、この二つ。原子爆弾の投下並びにソ連をして日本に宣戦を布告し——これはルーズヴェルト、トルーマンがやったのは原子爆弾の投下、ヤルタ協定はルーズヴェルト、この二つのことは、これはあなたは正しいこととごらんになりますか。
  83. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) これは憲法改正とあまり関係のない問題でありますが、御質問でありますから喜んでお答えいたしますが、私は原子爆弾を広島、長崎に落したことは最大の罪悪だと思っております。アメリカでも現にそういうふうに反省している者が多いのであります。よいと思っている者は少い。トルーマン自身でも非常な良心的苦悶の後、これでなければ早く戦争を終らすことができない。あと考えると、なに原子爆弾など使わなくても日本は間もなく参ったのである。こういう見通しも立ったのでありますが、当時はそうでなかったから、しこうして国際条約等で原子爆弾を使っていけないという規定でもあるのにやったのならば、これはよろしくないのだ。問題は良心の問題であり、道徳の問題であって、まあ落したことは国際法違反であるとは言えないと思うのであります。しかしこれが最大の、史上最大の罪悪であることは、私は内外に宣言してはばからぬと思っております。  それからソビエトの参戦したこともはなはだ私は卑怯であり、けしからぬと思うが、ソビエトもまさか参戦して一週間で日本が降伏するとも思わなかったと思う。それから私はゾルゲ事件というものを担当して、事こまかに知っておりまするが、御前会議ではソビエトに兵を向けるか、南方に兵を向けるかということを当時日本の最高首脳部が相談をした結果、一つ中立条約はあったんですけれども日本の方でもソビエトへ一つ行こうかという話があって、いやソビエトの方はやめておいて、南方に行こうということにきまった、北守南進にきまったわけです。そういうことがつまびらかにソビエトに通報されておるのがゾルゲ事件であります。あちらに言わせれば、中立条約を破るというが、おれの方は鉄砲で破ったが、日本は御前会議で破っておるではないか、こういうふうなことを言い得たと思うのでありまして、これはどうもやはりあまりお互いにお前は中立違反だということを強く主張することはできない立場にあると思うのであります。
  84. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 私は今の問題が憲法改正に、マッカーサー草案関係がある、深く関係があると思うので、あなたにあなたの意見を聞いたのでありますが、とにかく日本に対してあれを、かような原子爆弾投下のごとき人道を無視した行為、それからヤルタ協定によってソ連を、日本に突如として戦争を布告させたそういうようなことまでして日本の最後のとどめを刺した。そのアメリカが日本を占領した。そういう場合において占領軍が占領政策を行うについては、やはりかくのごときことまでして日本を押えたのであるからして、そこに私はアメリカの心境というものがある。今日のアメリカの心境は違うでしょう。しかしながら、当初の占領政策におけるアメリカの心境は、先ほど私が申し上げましたのは決して間違っておらない。アメリカに対して日本を再び脅威の力にさしてはならぬという意味の占領政策の基本方針を、アメリカからマッカーサー司令部に出したものの第一にあるはずであります。その意味は、私は、やはり推定でありますが、私の推定するところでは、占領政策の基本というものはそこにある。すなわち非常な無理までして日本を押えた。そうしたらまず考えられることは、旧敵国に対する憎しみ、憎悪というものが当時においてはあるのが人情の当然である。それからもう一つは、私は、ああいう無理までして日本をたたき、それに対して再び力を得れば、再び復讐の心が起きるかもしれぬことは、これはどうしても人情の自然だ。そういうつまり復讐をおそれること、並びに憎悪の念、こういうものが何としてもその下に、腹の中にないということは私は言えない。そういうところが作用して、ポツダム宣言におけるいわゆる平和主義、民主主義を日本に履行せしむるというような、まありっぱな言葉のもとに、私はやはり日本を弱からしめる、すなわち日本を強からしめないという一つの根本的な精神作用が動いておるということを見なきゃならぬと思うが、その点についてはあなたはどういう工合にお考えになるか。
  85. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 日本の軍事力を全部なくして、一艦一兵といえども持たせないということは既定の方針であります。それだからそうやったと思います。それが憎悪から出たとは私は思わない。憎悪を持っていた人もあるでしょう。けれどもそれは当然なことであります。負けた国は……。負けたから救われたと思っている人はたくさんあった、当時、今でもありますが。ですからそれはどうも世界観の相違としか申し上げられません。私、司令部に行って交渉しているときに、アメリカにも軍国主義者がいるからねとケーディスが言った言葉、君方、十分区別して聞かなくちゃいけない、確かにそうだと私は思いました。
  86. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 これはあなたと私と見解がそこに違うのでありますが、憎悪ということはないのだということは……。
  87. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) なくはない、あるかもしれません。
  88. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 あるかもしれない。のみならず、今日の憎悪の継続が、今日においては市ケ谷の裁判で裁判せられた、まだ何百人かの人を出さないということは、やはり一種のそういう憎悪心の現われであると思います。いずれにせよ、憎悪並びに復讐の観念というものがどうしても占領政策の根本をなしておる。その占領政策の根本に基いてまず何をやるかということについては、マッカーサーは非常にいろいろ考えたでありましょうが、マッカーサーのワシントン政府に対する日本憲法の作成に関する報告書においても、非常にマッカーサーとしてはどうしようかと考えた。結局一挙に憲法を改正しようというので改正をしたということで、私はこの報告書を読んだ。おそらくそういうことであろうと思う。そこでですね、私は今日の日本憲法の根底が、やはり当時の日本弱体化の精神によって出発したのだということをまず認めなきゃならぬと私は思う。その後マッカーサーの毎年の年頭の辞などを見ておるというと、朝鮮事変がある前は、日本の軍事力問題についても何も触れておらぬ。日本を海のスイスのような国にするのだということを言っておるが、朝鮮事変後においては全くマッカーサーの言うことも違ってきて、第九条の解釈などもよほど変ってきたというわけで、当初の政策というものは日本の弱体化にあったということを、私はどうも否定することはできない。そういう心持からこの憲法ができておるから、私は先ほどあなたのいろいろなお話を承わって、いろいろな条文において御改正になった御苦心は了といたしますし、これはけっこうな点もあると思うが、根本において私はそういうような、つまり日本弱体化の精神が表われておる、流れておる。これは旧敵国に対する勝った方の国がこういう心持を持つのは当然だと思う。それがこの憲法の根底に流れておる。それがいろいろな点に表われておる。先ほどいろいろな改正せられた点をいろいろ伺ったが、私はそういう点から二、三あなたにお伺いしてみたいと思うのです。  まず一つお伺いしたいのは、この憲法はどういう工合にあなたお考えになりますか。憲法というものはやはり普遍的の、国際的の真理というだけでなしに、その国、その国の特色というものも私は入っておるべきものじゃないか。私はむしろその国の世界的立場における精神が打ち込まれておるところに憲法というものの意味があるのだと思うのですが、そういう点についてはどういう工合にお考えになりましょうか。
  89. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 私の方から逆にお尋ねしたいが、明治憲法日本独特のものとお考えになっておられましょうか。
  90. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 私から答弁を……。
  91. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 答弁というほどでなく、懇談でお願いいたします。
  92. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 私は明治憲法が全部が全部、日本の国情を表わしておるとは思わぬが、日本の特徴をも表わしておると思います。けれども、私の質問に対して、先の質問に対してお答え願いたい。
  93. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) それでつまり世界観のようなものが違うと困るからお尋ねしたのですが、たとえば明治憲法どもやはり日本独特のもので、明治天皇がお作りになったとかたく信じておった。われわれも長い間信じてきた。今歴史的事実となってみれば、御承知のように明治憲法は伊藤博文がドイツに留学して、ローレンス・フォン・シュタインに習って、グナイストにもアドバイスをもらって、大体プロシアの憲法をもらって帰ってきた。そしてこちらでもロイスレルその他が相談に乗ったのでありますが、大体プロシア憲法の直訳であります。万世一系の天皇というような言葉、カイゼルという言葉があって、多少違いますけれども、そういうところが違うだけであって、まああとは大てい同じことである。そういうのがやはり日本にはなかったのですから、憲法思想が、遺憾ながら。そこでやはり世界の他の国々の持っているものの中のよいものを学ぶほかはないと私は思うのでありまして、私は憲法を多少勉強して学校で教えておったこともありまするから、見たときに、これは比較的進歩的な、比較憲法学の上からいって、ただ十八世紀、十九世紀のにおいがだいぶしていることは先ほど申す通りで、だからもっとこれを社会主義的な要素を入れなければならぬと思いましたけれども、それはどうもアメリカの力ではだめだ。それこそわれわれのときに直すしかない、こう思ったわけであります。とにかく私はよい憲法だと思いました。当時日本で出した草案のうちのどれと比べても、マッカーサー草案の方が一番よかった。もし悪かったというなら、一つそこをお示し願いたい。私は憲法第九条だけ、あれをあんなふうにしておかなかったら、改正論もそう早く頭を持ち上げなかった、惜しいことをしたなと思う次第であります。
  94. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 私は日本憲法思想がなかったと断定するのは少し行き過ぎである。日本にもやはり民主主義もあり、日本らしい民主主義という非難を受けるかもしれぬが、日本にも民主主義もあり、(参考人鈴木義男君「それは聖徳太子のときにありました」と述ぶ、笑声)そこで日本にも民主主義の思想があったと思います。今度の日本憲法には、どういう日本国の精神といいますか、日本国だけでなくてもよろしいが、どういう点がこの中に入っているかといえば、おそらくおっしゃることは平和主義と民主主義であろうと思うのです。そうでしょう。
  95. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) そうです。
  96. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 そこで私は、しかしながら、それはいかにも何といいますか、普遍的世界的な民主主義、平和主義というのかしれませんが、日本にはふさわしくないものが非常に多いのである。それはなぜそういうことになったかといえば、私はやはり先ほど言った日本弱体化の根本思想から現われているものである。そこで私が第一にお伺いしたいのは平和主義であります。平和主義について、この憲法の前文に書いてあることは、いかにも他力本願の平和主義が書いてある。私は日本が孤立的独立を守れなどとは言いません。私は日本は独立であるとともに、世界の諸国と協調をしなければならぬと思う。思うが、しかしながらここにいわゆる平和主義というものを見るというと、これはあなた十分御承知の、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というに至っては、すべて外国に依存するのだ、われわれは自分のことは自分でやらんでいい、信頼してやればいいのだ、諸外国は平和を愛する国民なのだ、そしてそれは公正であり信義なのだということがここに書いてあるのでありますが、私はかくのごとき他国依存、他力本願平和主義というものを、われわれ日本国民が持つということについては、どうしても賛成ができない。現にソ連の問題、私は中立条約を侵したソ連は、いかなる理由があろうと、やはり信義ではない、公正ではない。それから現在の公海の自由に対してある制限を加えんとするがごとき態度またしかり、それから朝鮮の李承晩大統領の態度、これまた私は決して公正なりあるいは信義に値するものとは思わない。こういうものに対して、これを、われわれの安全と生存をこれに信頼することのみによっていいのだという平和主義憲法に打ち込むということは、私はいかがなものであるか、この点はどういう工合にお考えになりますか。
  97. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) それは、一部分はあなたの仰せられるごとくもっともだ、よくわかるのです、私には。ですから第九条をあのときにもう少し何とかしておけばよかったという気持はありますけれども、当時はしかし何人も日本は軍隊などを持つべきでないという考えに一致しておった。ごく小数の人を除いて……。ですからそういう議論も起らなかったし、抵抗もなかったのです。ですから新しくこれから一つ日本も軍隊を持つべきだというなら、それも一つの議論で、それならそのように一つ新しい問題としてわれわれは議論を進めることにやぶさかでない。ただし今の現状において日本が軍隊を持つことが適当であるかどうかということなら大いに議論があります。それで、あの憲法がおもしろくないから改正しろというのは、主としてそこからきていることは私も理解しているのですが、そう急がぬでもいいじゃないか、もう少し天下の大勢を見ようじゃないかというのが私の立場なんです。
  98. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 私は憲法が国の根本をなす基本法である。そういう基本法にかような平和主義を入れられるということは、日本国の将来のために一日も早くこういうものは改めなければならぬ。国民精神の問題、私はその点においてはなはだ急ぐ立場に立つのであります。もちろん、それは一年や二年のことを考えているのではない。ただ憲法というものが、その国の精神をぶち込んであるものでなければほんとうの憲法にならない。私はそういう点についてこういう書き方をするということに、非常にアメリカのつまり占領政策が初めから日本を弱体化しよう、また日本に対してある程度その当時はやはり憎悪というものが私はあったのだと思う。そういうものからこういう点が現われてきていると、私は思う。  それから、これは平和主義の問題でありますが、私は民主主義の問題についても、国民主権ということは、それはいいのでありますが、私は日本国民主権を守るについては、日本国民の権利というもの、この権利について非常に考えなければならぬ。日本国民の権利は、御承知のように第十条から四十条までの間に、大体このうちにまあ司法系統のこともだいぶ書いてありますが、基本的人権及び社会権、あるいは生活権といういろいろなものをあわせてこの中には基本的人権、もしくは生活権、あるいは社会権と称せられるところのものがたくさん入っておる。それは、私はけっこうだと思うのです。しかし午前中、大西教授のお話もありましたが、国民の、民主主義というものは国民主権であって、そうして内容的には国民が政権に参与するということと、それから基本的人権が尊重せられて、そうして国民の福祉が増進されるということがその内容になると思う。そうして国民の福祉の内容としての国民の権利が十分に満たされて、満足されるということのためには、この憲法のように個人のみの権利であってはいかんともならない。先ほどあなたは、こういうことを言われましたが、個人の義務を入れたものがいい。私は個人の義務というよりも、むしろ国家の権利を認めなければ、個人の基本的人権を満足に満たして上げることができないと思う。個人が自由と平等と文化的生活と、その他教育のこと、あらゆることを要求する、それは一体だれに要求するか、それは国家に要求する。先ほどあなたは、憲法は国家の国民に対する権利の保護を、国民の権利を国家が保護するという体制にあるのが憲法の本質だと言うのでありますが、私はその権利を満たすのには、国家に対して国民がいろいろな要求をするならば、国家が国民に対して自分の必要なるものを満たしてもらわなければ、すなわち権利を国家に認めなければならぬ。納税——税金を納めてもらう権利、勤労をしてもらう権利、こういうもの、そのほかに、私から言わせれば、やはり国を守ってもらう権利、これは当然じゃないか。それから国の秩序を守ってもらう、国に忠実であってもらう、これは国をなす以上当然である。私は個人が国家より上だとも思いません。同時に国家が個人より先だとも思いません。国家と個人とはやはり同時存在であると思うからして、私は個人の権利を尊重する、これを認める。先ほど秀才で学資がなかったらこれをやってもらうとか、その他いろいろな問題がありましょう。こういう個人の権利の足らざるものを認めていくということについては、私はもっと認めてもいいと思う。いいと思うが、だれが一体個人の権利をそれなら尊重して充足していくか、個人の自由、個人の平等をだれがやるか、それは国家がやるより仕方がない。それならば国家がやはりそれができるような態勢になっていかなければならぬと思う。先ほどあなたはアメリカでは税金の問題というものはない、何でもないでしょう。けれどもアメリカの憲法のまず劈頭を読んでいただきたいと思う。アメリカの憲法の劈頭の前文に何と書いてあるかというと、前文には実にアメリカというものは厳格な規定を持っておると思うのです、アメリカの憲法は。「われら合衆国の人民は、一層完全な連邦を形成し、」、連邦を形成するということをまず書いてある。次には何とあるかというと、「正義を樹立し、」と書いてある。「国内の静謐を保障し、」、国内の秩序安全を保持し、「国防に備え、」、正義、静謐、国防、しこうして後に「一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫の上に自由の祝福の続くことを確保する目的で、合衆国のために、この憲法を制定する。」と書いてある。私はこういう心持がほんとうの民主主義を樹立するものだと思うのです。正義がなければならぬし、国内の秩序がなければならぬ、国防がなければならぬ、こういうことがこの日本憲法の果してどこにありましょうか。私はマッカーサーのこの英文憲法を読んで驚いた。少しも義務の規定がない、ほとんどないんです。オブリゲーションというものは多少ありますけれども、大したものはありません。それでなお驚くことには、それはこういうことが書いてあります。これは善意であるか悪意であるか、私はわからぬですが、マッカーサー司令部がワシントン政府へ報告をしたこの日本憲法に関する報告書、この中にどういうことが書いてあるかというと、この日本憲法は、アメリカ国の憲法がアメリカ人に与えた権利より、より高い権利を日本憲法国民に与えておるということが書いてある。それは大いにけっこうです。時代の変化でけっこうでしょうが、しかしそれとともに考えるべきことは、やはり日本国の国の存在を考えるべきではないかと私は思うのです。それでアメリカの占領政策も先にこういうことが書いてある。日本国に占領政策を行うことについてはポツダム宣言に述べられておる事項をやればいい。すなわちその方法は、取りわけてカイロ宣言の遂行、日本の主権を四つの主要なる島及び連合国が決定する小島に限られた。あらゆる形態における軍国主義と国家主義の廃絶ということが書いてありますが、私はここで軍国主義の廃絶もこれもいいでありましょうが、しかしその行き方は私は同意をしないのでありますが、日本のような人口の多い国を四つの島に閉じ込めろということがいいんだと、こう書いて、そうして国家主義の廃絶を期するんだということを書くに至っては、そこに私は、アメリカには善意のみが占領政策の根底にあったんだ、日本をほんとうに将来無害の平和の国、民主主義の国にするということがあったのだとはどうも思えない。こういう点が先ほどの平和主義においても私は民主主義においても、非常にこの日本憲法というものは欠陥があると、こう私は思うのですが、だいぶ長く意見を言っちゃったから、まああなたの御見解もお伺いしたい。
  99. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 非常に有益な御意見を拝聴しまして、得るところ非常に多かったのでありますが、あなたの御意見は、マッカーサーが今アメリカにいて考えておることに似ておると思うのです。マッカーサーはこういうふうに言っておる。私は日本に勝利の将軍として——比島で敗れて豪州まで逃げたのだが、その私が勝利の将軍として日本に進駐することになったとき、どうすれば日本を平和で民主的な国にすることができるかについていろいろと考えた。その結論の一つとして、日本に再び軍隊を持たせぬことであった。それが日本のため、アジアのためであり、世界の平和にも役立つと信じた。そこで憲法改正に際してこれを織り込むことにした。もし日本が他国から侵略された場合は国連によって守れると思った。またそれは可能なことでもあった。しかし朝鮮動乱の勃発はあまりにも早くこの理想を打ち砕いたのである。私の日本統治には成功もあれば失敗もある。しかしその失敗は、日本にあしかれと思ってやった失敗ではないと言っている。それだから今は軍隊を持たすべきであるとマッカーサーが一番先に思った。ニクソン副大統領が来て、あの憲法を規定したのは間違いであると言ってから、がぜん憲法改正論が強力になってきた。私もそれは認めます。それですからそういう考え方は、その人のやはりおられる立場、思想の変化によって起ることでありまして、私などは、そういう動機で与えられたものであるが、まあもう十年か十五年はこのままでずっと見ていきたいと思っておる一人であります。急いでおやりになりないという方があれば、やはりそれも一つでしょう。理屈がある。  それからいろいろ義務を国民に与えるべきである、もっともであります。行政法を読んでみても、いろいろな義務が規定してある。ですから国家というものは非常に権利をもって国民に命令することができるから、何も憲法でまでそんな義務を規定しなくてもちやんと……、親孝行の義務を今度規定するそうですが、そんなことは刑法を見れば、親を捨てる者は遺棄罪で監獄にぶち込まれる。あるいは扶養の義務というものは民法で規定しておるのです。そのほかに何か憲法で規定する義務がありましょうか。親孝行をせよ、親孝行をした者には勲章をやるとか規定するのは変である。ところがこれがなかなか受けている。いなかの方へ行ってみると、今度親孝行の義務を規定するからそれで自由党に投票する、選挙政策としては非常にいいことですが、私は憲法論としてはナンセンスだと思います。そこで義務というものはあまり憲法の上にお考えにならぬでもいいはずなんです。ただここで国土防衛の義務というものは、それはやはり第九条と関連しているのですから、あれがああいう規定だった以上は、国土防衛の義務というものは規定したくてもできなかったわけです。だから九条を改正するときはそういうものも出てくる。それでそれを今やったらいいか、将来やったらいいか、また何がやったらいいかということは、これは見解の相違だと思います。
  100. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 親孝行の義務であるとか何とか将来のことはあまりきまっているものじゃない。私は自由党でも自民党でもないので……。
  101. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) それは存じております。
  102. 廣瀬久忠

    廣瀬久忠君 しかし大体私は国家というものと個人の存在というものは相離れることはできないものである。個人の権利を主張するならば、国家の権利も認めるべきじゃないか。私はそういう点についてマッカーサー憲法なるものがほとんど無視しておる。これはマッカーサー心持自体というものだけがこの憲法に現われているのじゃない。司令部のやはりケーディスとかハッセーとかローウェルとかいうようなああいう連中が、アメリカを代表しておるまあ二流の弁護士が、そういう連中が書き上げたものが相当に動いておる。それからそういうものがこの憲法の中に出てきておるので、しかもそれが日本に対しては、私は憲法というものは、わが国の国民の精神というものを打ち込んでおること、そうして国民の中から沸いてきておるのだというものでなければならぬのに、先ほど一番最初お伺いしたように、これは翻訳憲法である、マッカーサー指示した憲法である。いいからいいじゃないかというようなわけにはいかぬのだ。それは現にマッカーサー自身も非常に悩んでいる。マッカーサーはこの憲法の報告書を出す中に、ハーグの陸戦法規の中に、占領国は被占領国の法律なんぞはまあいじってはならぬということがハーグの陸戦法規にある。これは原則です。しかしながら今度の戦争は無条件降伏、コンプリート・サレンダー、だからそういうことは抜きにして、憲法までも変えたんだ。しかしそのときに松本烝治先生は、憲法なんというものは、やはりその国その国のほんとうに根から生えるように持っていかなければならぬのだ。あなたが来て押しつけちゃだめです。私の憲法がそれは反動的だとあなた方の方はおっしゃるが、あなた方の憲法を押しつける前に、押しつけておるものより先に、自分の方の憲法一つ調べて、そうしてそれに対する意見を伺いたい、こうまあ言っているわけなんですね。先ほど来、その当時日本国の憲法はだめだった。マッカーサー憲法がよかったと一がいに断定されるが、これはあなたの御判定で自由であるが、私は日本国の長い将来を考えてみると、むしろ私はマッカーサー憲法よりも、それは松本烝治先生憲法を十分に司令部において親切に論議して、これを民主化するなり、何らかの方法によってこれを修正して持っていく方が、はるかに日本のためによかったのじゃないか。というのは、先ほど申し上げたように、この憲法の中には日本国民の真の精神が躍如として動いているということはどうしても言えない。それは外国人が作ったもので、翻訳のものであるということはどうしても否定できない。それではわれわれはやはり日本国民としてほんとうに沸き上る、日本国民のほんとうに盛り上る力にはならぬと私は思うのであります。そういう点について私は非常に意見を異にするわけであります。だからこれ以上お伺いするのは何でありますから……。
  103. 吉田法晴

    ○吉田法晴君 私は議論をいたしませんで、質問をいたしますが、先ほどまあ憲法審議の際の鈴木さんの社会党の修正のお話がございましたが、その中に芦田さんが云々というお話がありました。ところが当時の自由党、進歩党がどういう態度であったのか、これのお話はございませんでした。その当時あるいは巣鴨におられたり、追放でおられた人たちが、御意見がまあその当時なかったということはこれは当然かもしれません。その当時追放されておったからということで、復讐なり憎悪によって御意見を出されるのは別問題でありますが、今改正云々と言っておられる自由党あるいは当時の改進党が、党として修正案を御用意になったのか芦田さんの名前が出ましたから、党の態度を伺っておきたいと思います。
  104. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 当時小委員会では修正案を出すとき、一々党に持ち帰って党の承認を得て出てきてやっておったのです。私社会党の方でそうでありましたから、自由党も進歩党も同様であったと信じます。ですからその人個人の意見じゃなかった。党の意見として修正案を出し、またそれに賛成するのも党の意見として賛成せられた。ですから賛成できない、反対をされたのは党の意見として反対されたわけであります。芦田さん個人がというわけではありません。それは小委員会ではそのようにしてやっておりますから、発言されたのは芦田さんですけれども、その背後には党があったと考えているわけです。
  105. 田畑金光

    田畑金光君 関連して。鈴木先生にお伺いいたしますが、大へんまあマッカーサー憲法だの、翻訳憲法だの、あるいは国民の意思に沿わない憲法だの、最近議論、百出しておりますけれども、私たち第九十帝国議会の議事録等を読み、あるいは敗戦後の日本の当時の国民の心理状況を考えたとき、あの残虐きわまる戦争に対する反省、あるいは古い日本の権力支配階級の弾圧、こういうことを考えたとき、まあわれわれは松本私案等を見たとき、まことにあれが敗戦後の日本政府憲法草案であったか、恥かしく思う気持がするわけです。私はたまたま資料をいただきましたが、先ほどお話の中にありました憲法研究会の憲法草案要綱等は、基本的な原則において現行憲法とほとんど通じておる。こういうことを見ましたとき、国民の意思というものは自然とこういう憲法研究会等の中に盛られておると、こう見ておるわけで、むしろあのときの情勢が野放しである、あるいは占領下になかったとするなら、私はむしろ一歩進んで共和国憲法、あるいは高野岩三郎氏あたりの改正憲法、こういうようなところまで私は日本というものが行っていたのじゃなかろうか、こういう気持を持っておるわけですが、まあそれが占領下というようないろいろな制約もあって、憲法研究会の考え方等の線にとどまった。こう見ておりますけれども、まあ先生の先ほどの御説明でよくわかりましたが、この辺の事情についてもう一度伺いたい。  それから第二にお尋ねしたいことは、これは衆議院内閣委員会でも要求し、またこの内閣委員会でも要求いたしておるわけですが、総理大臣も善処をしよう、またこの憲法調査会法案の提案者を代表されて山崎巌氏も善処しよう、こういうようになっておりますが、例の第九十帝国議会における憲法改正小委員会のときの議事録、この議事録等が公開なされるならば、この辺の押しつけられたとか、自主的にやったとか、あるいは自発的な判断に基いて憲法審議をやったとか、こういうことの真相、経過というものが判断できると思いますけれども、この点について先生の御意見を承わりたい。  もう一つ簡単に、第三点ですが、一九四八年から四九年にかけて極東委員会の決定に基き、先ほど先生お話の中にもありましたが、もう一度現行憲法について日本の実情に沿わない点があるならば再検討をしてもよろしいぞ、こういう指令があったというお話でありました。ちょうど鈴木先生法務総裁のころのお話のようでありますが、われわれといたしましても、こういう機会があるならば、当然こういう機会にこそ現行憲法について、あるいは国情に沿わない、あるいは日本国民心理に沿わない、こういう点があるならば再検討をすべき時期だったと思うわけです。しかるにあの当時は政界あるいは国会等においては何ら反応がなく、ただ反応があったのは憲法学者の一部の中にあって、そういうようなところにおいて相当こういう極東委員会の決定が影響して憲法全般についての検討がなされた。こういうわれわれは歴史的な事実を見ておるわけですが、そういう極東委員会の決定に対して当時の国会あるいは各党はどういう動きをしたのか、この点をあわせて御説明願いたいと思う。
  106. 鈴木義男

    参考人(鈴木義男君) 第一に、当時もし日本で、この憲法研究会でも、高野さんが天皇制をやめるべきだと言い、共産党もやめるべきだと言い、それから諸外国でも、天皇制というものが日本の軍国主義のもとだと思っておったものですからやめるべきだ、そして明瞭にそういう意思表示をしておったのがソビエトとニュージランドとオーストラリアで、極東委員会を構成しておる主要メンバーです。どうしてもそういう指令が来そうだった。マッカーサー日本に来るまでは、天皇というものはやめてしまおうという気持であったと思われる。ところが来てみてやはり天皇というものは、日本一つの道徳的支柱をなしている。だからこれはやはり残しておく方が、日本統治の上にもいいというふうに考えられたらしい。ことに天皇に親しく会われてから、なおそういうふうな考えになつたと伝えられております。だから非常な好意から出ている。あれはあのまま抵抗したら、天皇制やめろ、共和国にしろという指令が出たでしょう。そういう憲法をそれこそ押しつけられたと思うのです。ですから、私はやはり天皇制を救ったものはマッカーサー憲法草案であり、またそれをすなおに取り入れたためである、こう見ております。  それから小委員会の速記録は、二年ほど前に芦田さんが、私に社会党の意向を徴してもらいたい。一つあれは公開したいから、学問的研究その他の研究の資料として必要なのであるから公開したいと思う。公開をするには、衆議院の本会議において議決しなければならぬのだが、各党がまちまちでも困るから、君もまとめてもらいたい、こういうお話がありましたので、私は当時の社会党の党議に諮りまして、それを発表することは、何かまた憲法改正にためにせんとするのではないか、いろいろ疑う者がありましたけれども動機がどうあろうと、歴史的事実であるのだからして、これはいつまでも隠しておくべきものじゃない、発表すべきものであり、公開して世の批判にゆだぬべきものである。だからしてわれわれは公開に賛成である。こういうお答えをしておいたのです。ところが一向お運びにならない。どうしたのかなと思って、このごろもどうですかねと言ったのですが、まあ憲法調査会でもできたらぜひあれは必要になるから、そのとき公開の要求をしよう——はっきりそう言ったのじゃありませんが、私の想像ではそういうふうに聞えるようなことを聞いております。ゆえに自由民主党は憲法調査会ができたら公開を迫る、こういうふうに思っていると思うのであります。  それから当時、画検討をせよ、修正したいところがあったら申し出よといったけれども、いやよくできている、修正するようなところはない。どこへ行って聞いてもそういう御意見であったのです。衆議院一つ委員会を設けてやろうじゃないか、再検討を。それで松岡議長が松平参議院議長に御相談になったのですが、いや、皆満足しているからそんなものをこしらえて再検討をする必要はない、こういうお答えであったのです。それから政府としても、私どもは今急いで修正しなければならぬほどの欠点も見出せなかったから、いや、これでけっこうであるという答えをしたわけです。
  107. 青木一男

    委員長青木一男君) 質疑はこれで終ります。  参考人の方、お忙しいところをおいでいただいてありがとうございました。  本日は、これにて散会いたします。    午後五時八分散会