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参考人(
青木秀夫君) 今回の
朝日新聞社並びに
厚生文化事業団の「この
子たちの親を探そう」という親探し
運動につきましては、私
ども社会福祉関係者といたしましては、心からその企画とその御功績に対しまして
感謝をいたしておるものであります。
戦争が終ってからすでに十年にもなっているにもかかわりませず、
肉親と
離れ離れになった
子供の問題がなお解決されずにおるのでありますが、これらの問題は、
社会福祉の面から見て、非常に重要な問題でありますが、このような
子供をお預かりしておる
児童福祉施設、
養護施設を
中心とした幾つかの
施設が作られておりますが、その運営あるいは管理というようなことに没頭しておって、この大事なことがないがしろにされておったようなことは、私
ども大へん申しわけないというふうに考えておるわけでございます。
戦争後の孤児あるいは
浮浪児等の
対策のために、
養護施設その他の
児童福祉施設の必要が痛感されまして、こういう
施設が増設、充実されてきまして、現在では五百二十八ヵ所の
養護施設ができており、その中に三万三千人に及ぶ
子供が養育されておるわけでございますが、これらの
養護施設におきましては、親にかわって
家庭的雰囲気の中で
子供を養育するということを目標にして運営されておるのでございます。親がなくなってしまったというような
子供は別といたしまして、
肉親と
離れ離れになっていなければならない
事情が解消いたしましたならば、一日も早くその親元にお返ししなければならない、それまでお預かりしておるのだというのが、この
養護施設の使命でございますが、この
子供の健全な育成というものは、
両親のもとで養育されなければならない、これが最も自然であり、また最も望ましいものであるということは、だれしも知っておることなのでございまして、
児童福祉関係のものとしては、いかにしてこの
家庭的の
環境を作り出すかということに心を砕いておるわけでございます。
養護施設の人々はこの親の
愛情をもって、
家庭的環境を作り出すことに渾身の
努力を払って
子供をお預かりしておるわけでございます。しかしながら、
ほんとうの血のつながり、
親子の
愛情にまさる何ものもないのでございます。こういうような意味合いにおきまして、いろいろな
事情で
離れ離れになっておる
親子が再び一緒になりたいという、その
気持をつなぎ合せようという今回の
朝日新聞の企ては、まさしく
児童福祉の核心を突いたものと私
ども敬意を表しておる次第でございます。
この
朝日新聞の企画をお伺いいたしましたときに、実は私は二つのことを直観いたしたのでございます。その
一つは、ただいま申し上げましたように、
ほんとうの
児童福祉の本質から見まして、こういうようなことは、われわれ
社会福祉関係者自身でやらなければならないことなのではなかろうかということでございます。われわれはそのことをやらずに、これを怠っておったのではないか、まことに申しわけのない恥かしいような
気持になったのでございます。私
どもは、養護の理論であるとか、あるいは養育の技術であるとか、あるいは
施設の管理であるとか、あるいは運営であるとかというような事柄、これらの事柄はもちろん大事なことなんでありますが、そういうような事柄に心を奪われておって、本当の
子供の第一の希望、親のもとに行きたい、母の手に抱かれたいのだというその切実な
願いに気がつかずにおった、いや気はついておったのであるが、これを実現させる熱と
努力とに欠けておったのではないかということを、深く反省させられたのでございます。
さらにもう
一つの事柄は、この企画はまことにりっぱな、まことにけっこうなことである。しかしながら、果してこれはうまくいくかどうか、先ほど
厚生省の御所見についての
お話もあったわけでございまするが、私
どもといたしましても、
児童福祉の面から見て、
子供の仕合せとしてこういう
運動がうまくいくかどうかということについては、やはり危惧の念があったのでございます。それはただいま
お話がありましたように、
施設の
子供たち、必ずしも全部が親を探しているというわけでもないのでございます。
施設の
子供の親を探すことにつきましては、種々な制約があり、
条件があるわけでございます。また、今直ちに親元に返すことが
ほんとうに
子供のために幸福であるかどうかということも考えなければならない問題もあるわけでございます。もし功をあせってこれらの制約を無視したり、あるいは用意が十分でないと、その結果はうまくいかないのではないか、あるいは
子供に恥かしい思いをさせ、肩身の狭い思いをさせたりするようなことがないとも限らない、その取り扱いは十分慎重にしなければならないというようなことが心配されたわけでございます。ところが、だんだん
お話を伺っておるうちに、実は
新聞社におきましても、その辺のことは十分配慮されておるのでございまして、直ちに
厚生省や
都道府県あるいは
児童相談所というような方面とも十分な
連絡をとられることはもちろん、
全国の
社会福祉協議会、また民生
委員、
児童委員の
方々とも十分
連絡をとって、その機能を活用するということに注意をされますことはもちろん、
児童福祉施設の管理者並びに
施設長の
意見や、また職員の
方々の
意見も十分これをお聞き取りになり、万全の措置を講ぜられておるのでございまするし、さらにただいま
お話を伺いますると、
子供自身についても、本人の意向を確かめるという周到な用意をもってこの企画を遂行せられたのでございまして、私
どもの杞憂を全くなくされましたことにつきまして、敬意と
感謝を表しておるような次第でございます。
先刻
お話のありましたように、担当記者の
方々の深い思いやりによりまして、童心をそこなうことなく、しかもその陰には何べんもむだ骨折りをせられたのでありまするが、そういう労苦を一向苦とせずに熱心に周到綿密に、しかも
新聞社一流の敏速さをもって事が運ばれたのでございまして、その
成果の偉大なことにつきましては、私
ども驚嘆をいたしておるような次第でございます。実は、本年は
児童憲章が制定されまして五周年になるわけでありますが、この昭和三十一年のトップを飾るこれは大
事業であったと思うのでございます。
実は
終戦直後の混乱をしておりましたときにも、やはり親をなくした、親を見失った、
肉親と離れたいわゆる孤児のために、親を探そうという
運動が同胞援護会の手によりまして行われたのでございます。孤児
写真展示会という名をつけまして、
全国の主要都市に
おいてこれを開催いたしまして相当の
成果をあげ多大の
感謝を捧げられたのでございまするが、経費の
関係などで途中でやめなければならぬというような
事情に立ち至ったことは、まことに残念なことでございました。しかしながら、よく考えてみますと、こういうことは単に経費だけでできる問題ではないと考えられるのでございます。国民のあらゆる階層の
方々の関心と御
協力とを盛りげなくては
効果があがらないのでございまするので、いわゆる国民
運動的な性格を持っておる
仕事だと思うのでございます。
朝日新聞社のごとく、
全国にわたって強い組織をお持ちの組織体が、その全力を動員して初めてできる
仕事でございます。貴重な紙面を惜しげもなく大々的に提供されまして、その有能なスタッフを動員して、報道力を十分に発揮されて初めておさめ得られる
成果ではなかろうかと存ずる次第でございまして、私
どもといたしましては、この
運動の発案、その企画の実施の主体そのものが
朝日新聞であったということが成功の最大の要素ではなかったかとさえ考えておるような次第でございます。
今回のこの
運動の展開によりまして、百数十名の
子供に真実の肉身を与え、数千名の親を求めておる
子供に、心に明るい希望をお与えいただいたのでありますが、私はさらにこの企ては、世の親に
子供の心持を教え、また
子供に親の
気持を教えたものであろうと存じます。社会の人々に忘れられた
子供の問題について、あるいは
児童福祉施設の存在とその働きとについてもよく教えられ、あるいはまだなさねばならぬ問題がたくさん残されておるということをお教えになったものでございまして、
社会福祉の重要性についての啓発、認識に多大の寄与、貢献をされたものと存じます。私
ども社会
事業関係者が、あるいは
児童福祉週間を展開するとか、
児童福祉大会をやるとかいうようなことをやって、いわゆるPR
運動ができるというようなことは、実はこれは自己満足に過ぎないとさえ考えるのでございます。実はこの五月の十六、十七、十八日の三日間にわたりまして、
全国の
児童関係者が長野市に集まって
児童福祉大会を開くことになっておるわけでございます。当面の問題といたしましては、ことしは
児童憲章が制定されて五周年になるが、その憲章もどうやら空文化しようとしておるではないか。いかにしてこの
児童憲章を生かすべきかというようなことがその主要議題とされておるわけでございますが、今回この親を探す
運動、
子供の心情を実現させるという具体的な切実な問題をとらえまして、これを
一つ一つ解決し、社会を啓発されました
朝日新聞社のこの
事業は、この
児童福祉大会の協議にも多大な、また貴重なサゼッションを与えるものと私
ども感謝にたえないところでございます。
朝日新聞社並びに
厚生文化事業団は、
社会福祉、
児童福祉の問題につきまして年来御貢献になっておるのでございまして、私
どもは平素からありがたく
感謝をいたしておるのでありますが、今回さらにこの大きな御功績でございまして、衷心からお礼を申し上げたいと存じます。
社会福祉につきましては、おかげさまで漸次社会の御認識をいただいて参ってはおりまするが、まだまだ大きな問題がたくさん残されておるのでございますので、今後とも
朝日新聞の指導的御活躍をお
願いすることのお許しをいただき、お礼を申しますとともに、ここに私の所見の開陳を終らせていただきたいと思う次第でございます。