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参考人(
今野源八郎君) ただいま御
指名をいただきました
今野でございます。私は東大において
交道政策を担当いたしておりますものでございます。従いまして、本日私が申し上げますことは、
条文の
一つ一つに関するものよりも、この
二つの
法律の底を流れております
有料道路の可否の問題、それらの点につきまして、いささか
意見を述べさしていただきたいと存ずる次第でございます。
お
手元に御
参考までにプリントしたものが届けられてあると思いますが、それに従いまして申し上げさしていただきたいと存じます。こういうことを申し上げますことは釈迦に説法でございまして、恐縮でございますけれども、一応申し上げることを許していただきたいと思います。
道路が
無料であるべきか
有料であるべきかという問題は、長い間議論された問題でございます。元来
無料であることが伝統的な
考え方でありますことは明らかでございますけれども、それが
有料制として
発達するようになりましたことは、
資本主義の
発達に伴うものであります。つまり
交通網が
資本主義的な
企業のために利用されるようになりますと、
道路もまた
無料であり得なくなってきたということは、やむを得ない
資本主義発達の必然の魔物であります。
その点は、私、この第二というところに書いてございますのでありますけれども、ここに
道路の商業的な概念と申しますか、コマーシャル・コンセプト・オブ・ロードという
考え方が
発達して参りましたのは、大体
初期資本主義時代、
イギリスで申しますと一六〇〇年代で、
郵便道路の
発達によるものであります。その以前におきましては、封建的な
地方経済のもとにおきましては、
農民は各自の道を作るということは当然のこととして
考えて参ったのでありまして、
道路を作るということが当然であるという
考え方は、
ローマ法以来の伝統的な
考え方でございます。
しかし
商人がその
道路を
自分の
利益のために利用するようになりますと、
農民はその
商人の
利益のための道を作ることを拒否するようになりまして、
反対運動を起します。
政府は、
道路がこわれますので、
馬車の重さを制限いたしましたり、
馬車の車輪の幅、タイヤの幅を制限いたしましたりいたしますが、
商人の方では、そういう無理なことをいたしますと、運賃にこれが転嫁されるということからしまして、むしろ
有料道路にして、そして
道路を
整備して、しかも
道路の
交通制限をしないことが望ましいというような
運動をするようになりましたのが
産業革命ころでございます。従いまして、突然
有料道路制というものがただいま現われましたものではなくして、すでに
産業革命、つまり
交通革命の当時現われたものでございます。
そのようにいたしまして、
イギリスの
交通革命、
鉄道が現われます前の
道路、約十二万マイルございますが、そのうちの二万マイルという
幹線道路のほとんどが
有料道路化されたことが歴史の教えるところでございまして、やむを得ない処置であったと思います。
道路の
技術革命を呼びました
マカダム道路が
発達いたしましたのも、そういったような式のもとであの
技術が取り入れられまして、近代的な
道路の糸口がつけられたのでございます。
しかし、それがまた弊害もございまして、
道路の伝統的な
自由使用というものを非常に制限することはけしからぬ。また一々
料金を払うことの繁雑さということが問題になりましたので、反
有料道路運動という
運動すら起ったことがございます。しかし、その後
鉄道ができますときに、
鉄道の
料金をとるかとらないかという問題がございまして、
鉄道も
有料道路として初め
発達したものでありまして、レールロード・アズ・ターンパイクということが言われたのでありまして、つまりレールロード・アズ・トールロード、高価な
鉄道を作った場合に、その代価をだれが支払うかというときに、
利用者が支払うという
考え方、
有料道路の
考えが
鉄道に移されたものと言われている。
そのようにいたしまして、
イギリスに起りました
有料道路というものが
アメリカにも移りまして、
アメリカの独立後におきまして、
アメリカの
幹線道路のかなり多くの
部分が、約二万マイル
程度が
有料道路化されたのでございます。で、これは従来の馬路、馬道、馬の通っております道から
馬車道に発展するときに起った問題でございまして、
アメリカの
有料道路はその後大
部分無料の
道路になりましたのでございますが、依然として、最近の
自動車道路まで続いておったものも若干あるようなことでございます。問題は、
道路の
利用者負担を大衆に転嫁することが公平であるかどうかという問題でございまして、結局
自分の足代は
自分で払うという
考え方が強い
資本主義社会におきましては、当然として
利用者負担という
考え方になったことだと思われます。
で、最近の
自動車の
時代になりまして、また高価な
道路を作る必要が生じましたときに、だれがその
道路を作るんだ、
道路費を払うんだという問題が起きたわけでございまするが、そのとき
アメリカで、
道路改良の
資金をどうするかという問題につきまして、
有料制、
無料制の議論が一九三〇年代の議会の論争としまして、十年間論争を続けられたわけでございますが、結局
アメリカの例で申しますと、決定的な結論が出ないというままに、それでは
無料の公道と
有料の
道路と、二本建で行く方がよろしいというような結論に落ちついたように思われます。
元来
アメリカには、そのようにしまして、
有料の橋、トンネルがおのおの数十ございます。橋やトンネルが
有料でありますならば、
道路もまた
有料であるという
考え方は、英米におきましては、
自動車の
時代におきましても容易にとられた政策でございます。
そのようにしまして、歴史的に見ましても、また
経済学的に見ましても、高価な
道路の
建設費、維持費を
利用者が負担するという
考え方は、ある
程度当然だと思われるのであります。そうでありませんと、一般大衆の負担に結局転嫁されて、交通資本というものが一般大衆の作った
道路を無償で利用するということが、著しく不公平でないかという問題が生じてきたのであります。
もう
一つは、
鉄道との釣り合いの
関係でございまして、
鉄道が
有料であるのに、
道路が
無料であるということは、それも
程度問題だと思われますけれども、これも不公平であるということであろうと思います。最近の
自動車のための
道路と申しますか、広く申しまして
自動車道路の必要が増すにつけまして、そういったほとんど
鉄道と同じ
建設費を要する
道路を
無料で利用する。ことにそれを営業として利用する場合、あるいは
自動車を持ち得るような有産階級が
無料でそれを
通り、大衆課税にそれを転嫁することの不公平ということからいたしまして、やむを得ず
有料制というものが、この
自動車時代になりまして、大
規模な
資本主義国において採用されようとしているわけでございます。
しかし、おそれ入りますが、プリントの二ページ目の4というところに参りますが、そうような
有料制ももちろん限界があるわけでございまして、すべての
道路が
有料制になることは決して望ましいのではない。理想としては
無料であるべきだと思っておるのでありますが、負担の公平ということから、
利用者負担主義という
考え方から、やむを得ずとる制度でありますので、それはおのずから限界があるということであります。で、国家の作ります交通路におきましても、みずからその費用を支弁しなければならないという、何と申しますか、セルフ・サポーテング・システムとか、セルフ・リクイテング・システムという
考え方が非常に強いのでございまして、その
利用者負担主義と交通路の独立採算主義という
考え方は、
道路のいかなる
部分においても原則的にはとられることが、国家負担を少くするという意味においては、望ましいと
考えられるのであります。従って、
有料制はやむを得ない場合に限るということと、この
法律の
条文にもありますように、ほかの人々が
通り得る普通の
道路があるということを
条件にしておられるのは適当だと思われます。
それからまた、費用が、元本が償却された後においてはその
有料制を廃止するということも当然のことでございまして、先ほど
橋本参考人から話がありましたように、何年かの期限ということはいろいろなケースによって違うのでありまして、その次の
有料道路の史的考察というところに、ターンパイク・チャターということをちょっと触れたのでございますが、
アメリカにいろいろのターンパイク・チャターがございまして、ターンパイクの特許許可証でございます。州によりましていろいろまちまちでございまして、永久的にそれを
有料道路にするという
道路、あるいは三十年、四十年、あるいは可及的すみやかにそれを
無料の公道にするという例もございまして、約十種類ほど違ったチャターができておったわけでございます。で、
イギリスのターンパイクの場合におきましては、ターンパイク・トラステイ、受託者という形をとりまして、非営利的な団体として経営されたのでありますが、
アメリカの場合におきましては、ターンパイク・コーポレーション、ターンパイク会社という形をとりまして、株式を募集し、あるいは社債を発行いたしまして作られた例が多いのでございます。それで、歴史的に申しますと、そういった
産業革命期から
自動車交通
発達前のターンパイクが二万マイルも
発達したわけでございますが、それが廃止されていく形が、ディス・ターンパイク・ムーブメント、ターンパイクが成り立たなくなりまして、そうして廃止されていくという例を私たち見ておるのでございますが、その後、ターンパイクが再び
自動車の
時代になって復活してきておることは、御存じのような
状態であります。
わが国におきましても、明治四年、太政官布告におきまして、川崎の六郷橋その他の橋につきまして、あるいは
道路の一部を
有料制にするという布告が出たことがございますが、外国のように大
規模には
発達せず、公道主義が貫かれてきておるわけでございます。
最近、
鉄道の
建設費以上のりっぱな
道路が
アメリカに
発達するようになりますと、これを
有料制にするということが当然として
アメリカに
考えられるようになりまして、そのプリントの二枚目に現代米国の
有料道路制と
道路公社というところに、ちょっと名前だけ書いてございますように、ほとんどニューイングランドから国道第一号線に沿いましてフロリダに行く東部の
幹線道路に沿った
道路、及び東部からシカゴ方面に抜けます
幹線道路が、
有料道路として経営されるような形をとりつつございまして、私たちに非常に
考えさせるのでございますが、
わが国の今回の
法案を拝見いたしますと、
アメリカにとられておるペンシルバニア・ターンパイク、一番先に書いてございますが、ちょっとプリントがはっきりしませんが、このターンパイクを州が直接ペンシルバニア・ターンパイク・コミッション、
委員会を通じまして経常するやり方と、ニューヨーク州が、ニューヨーク・ステイト・スルーウエイ・オーソリティ、ニューヨーク州
有料道路公社——オーソリテイと申しましても実際には公社でございますが、公社を通じてやるやり方の中間をとられているように思われるのでございます。
従来の
道路のやり方に対しまして、
有料制をとることが特に必要であるかどうかという問題に対しまして、間接的ではございますけれども、流れとして世界的に見まして、特に英米
資本主義国の
考え方としまして、やむを得ないとり方であるというふうなことが
考えられると思います。
なお、後進国としての
日本におきます
道路整備計画において、この
有料制を利用することが有利であるということについて申し上げますならば、四というところでございますけれども、後進国と世界では
日本を最近申しておりますが、その後進国の交通
条件の改良ということが農業、工業の近代化の基本
条件として必要があるということも、英米の学者、各国の学者が共通して指摘しているところでございまして、古くはマーシャルが述べているところでございます。
その後進国の特徴といたしましては、資本の供給が慢性的に不足であるということが
一つ。これは資本の蓄積が少いということ、資本の蓄積が少いということは所得が少いということであり、所得が少いということは
産業の近代化がおくれているという、つまり悪循環から来ておりますから、それらの悪循環を断ち切るためには、やはり
道路を含む交通
条件を同時に解決することが必要である。この同時改良ということが必要であることは、学者の最近非常にやかましく言っているところでありまして、ただ
鉄道を作る、あるいは船だけを作る、改良すればいいのだということではなくして、
一つだけ改良しても、それが何といいますか、失業者が多いとか、あるいはその他の
理由からしまして、その
効果が現われない。現われ方が非常に弱いのでございまして、同時に、全面的に改良したときに初めてその
効果が顕著に現われるということは、
産業の連関論その他からりしても、乗数の
効果からしても、言えるところでございます。そういう意味から申しましても、
道路の改良も
鉄道の改良も並んでやっていただきたいということと、
道路の改良におきましても、国道だけを、国道の従来のやり方だけじゃなくして、こういう
有料制による改良政策が望ましいということになると思われます。
有料制の
効果といたしましては、ただいま申しましたように、交通路改良に対する同時投資の
効果が現われるということであると思います。もう
一つは、
道路の
建設金融策としても、
経済的に恵まれている交通
利用者、
自動車を持っている人が大
部分だと思いますが、この場合におきましては、そういう
人たちの
資金を利用いたしまして交通路を
建設させるということになるわけでありまして、その点で
道路金融政策として近代的な
一つの政策である。もう
一つは、フォアヒナンツと申しますか、あす必要な
道路をきょう作る、ツモロウズ・ハイウェイ・ビルト・ツデイということでございまして、その点でも
効果を持っておると思われるのであります。
このようにいたしまして、基本的な
考え方といたしまして、私はこの両
法案はまことに時宜に適したものだと存ずるものであります。ただ心配いたしますのは、
規模が大きくなるようでありますけれども、小さく終ってしまうような心配もございますので、これをむしろ育てていくということが、
日本の非常におくれております
道路の
発達上必要であろうと思われるのでありまして、八十億の
資金と申しましても、実際に使う、新規事業に使われますのは二十億ということが、いかにも少いというふうにも
考えられるのでありますし、それから副業を認めるか認めないかということもございますけれども、外国の例から見ましても、ある
程度の付帯した副業と申しますか、関連の事業は認めざるを得ない、認めるべきではないか。そうでありませんと、どうも独立採算性がとれないような心配もあるのであります。
なお、関連的に申しますならば、土地の収用法をもう少し近代的にしていただきたいということと、この
二つの
法律との
関係からしまして、
道路法の改正をすることによって、
道路の改良に関する、あるいは
道路に関します
法律の法的な体系を
整備していただきますならば、非常に一
国民として幸いだと存ずる次第であります。
御清聴、ありがとうございました。