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1956-02-15 第24回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年二月十五日(水曜日)    午前十時二十八分開議  出席委員    委員長 三浦 一雄君    理事 稻葉  修君 理事 川崎 秀二君    理事 重政 誠之君 理事 西村 直己君    理事 小平  忠君 理事 柳田 秀一君       相川 勝六君    赤城 宗徳君       井出一太郎君    今井  耕君       植木庚子郎君    小川 半次君       北澤 直吉君    北村徳太郎君       河野 金昇君    河本 敏夫君       周東 英雄君    須磨彌吉郎君       竹山祐太郎君    橋本 龍伍君       藤本 捨助君    古井 喜實君       松浦周太郎君    眞崎 勝次君       宮澤 胤勇君   山口喜久一郎君       山本 勝市君    山本 猛夫君       井手 以誠君    今澄  勇君       川俣 清音君    久保田鶴松君       小松  幹君    河野  密君       田中幾三郎君    田原 春次君       成田 知巳君    西村 榮一君       古屋 貞雄君    矢尾喜三郎君       八百板 正君  出席政府委員         大蔵事務官         (主計局長)  森永貞一郎君         大蔵事務官         (主税局長)  渡邊喜久造君  出席公述人         東京銀行常務取         締役      伊原  隆君         法政大学講師  吉田 秀夫君         静岡大学教授  鈴木 安蔵君         慶応大学教授  千種 義人君  委員外出席者         専  門  員 岡林 清英君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和三十一年度総予算について     ―――――――――――――
  2. 三浦一雄

    三浦委員長 これより昭和三十一年度総予算につきまして、公聴会を開催いたします。  開会に当りまして、御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙のところ貴重なるお時間をさいて御出席をいただきましたことに対しまして、委員長といたしまして厚く御礼を申し上げます。  申すまでもなく本公聴会を開きますのは、目下本委員会において審査中の昭和三十一年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算案の審議を一層権威あらしめようとするものであります。各位の忌憚のない御意見を承わることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考となるかと存ずる次第であります。一言ごあいさつを申し上げた次第であります。  なお議事の順序を申し上げますと、公述人各位の御意見を述べられる時間は、大体二十分程度にお願いいたしまして、御一名ずつ順次御意見の開陳及びその質疑を済ましていくことといたしたいと存じます。  なお念のために申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言の内容は、意見を聞こうとする案件の範囲をこえてはならないことになっております。なお委員公述人質疑することができますが、公述人委員に対し質疑をすることはできませんから、さよう御了承をお願い申し上げます。  それではまず東京銀行常務取締役伊原隆君より御意見をお聞きすることといたします。伊原隆君。
  3. 伊原隆

    伊原公述人 東京銀行伊原でございます。私に与えられました課題は、貿易並びに為替ということでございますので、三十一年度の予算案に関連いたしまして、いささか卑見を申し上げたいと存じます。御参考になりましたならば、私にとりましてまことに光栄に存じます。  予算為替並びに貿易との関係と申しますと、なかなか直接の問題はむずかしいと思うのでございますが、まず第一に予算の全体と申しますか、この予算編成の背景となっております財政政策並びに予算の規模、それからその性格というふうなものが一番問題であると存ずるのでございます。また第二には、貿易及び為林と直接関係のございます費目を組んでおります外国為替資金特別会計そのほかの問題があると存じます。この二つを私は念頭に置きながら、時間もございませんのでありますが、第一にごく簡単に世界経済見通しとその日本貿易に対する影響をどう考えておるかということを申し上げます。それから第二に、貿易為替の総合的結果でございます日本外貨手持というものを、どういうふうに考えたらいいかということも申し上げたいと思います。第三には、外貨の手持が非常に充実をいたして参りました現在におきまして、日本としてとるべき対内、対外経済政策というものを、一体どういうふうに見たらいいかということを申し上げたいと思います。  第一に三十一年度の予算でございますが、これは財政演説でも承知いたします通り通貨価値安定確保を第一義にしておる。対外価値といたしましては一ドル三百六十円を堅持し、対内価値といたしましては国内の物価を安定させていくという基本方針によって編成をせられたということにつきましては、貿易並びに為替政策観点からは、非常に私は敬意を表する次第でございます。こういう基本方針から問題になりますのは、財政総額ということであると思うのでありますが、この総額につきましても、前年度に比べて増加はいたしておりますけれども、国民所得の比率から申しますと一四・八%ということでありまして、昨年と大体同様である。一体幾ら財政規模が適当かというふうなことにつきましては、これはなかなか割り切った数字は出てこないと思うのでありますが、各国例等に徴しましても、この程度のことが非常に穏当であると私は思うのであります。それからことに財政性格収支均衡である、いわゆる赤字公債というふうなものを出さないで、経常収入によって歳出をまかなっていくというこの性格が非常に大事だと思うのでありまして、いわゆる健全財政基本方針というものが確立されておると存じます。そしてこの健全財政を基調として、あと国民経済活動によりまして輸出を伸ばして、日本経済をだんだんに拡大していこう。政府としては民間経済が拡大していく基盤を作っていく。拡大の方は民間の責任において、民間活動によってやっていけというお考えにつきましては、私はこれも非常に正しいのであると思うのであります。実は私も最近まで長くロンドンにおりまして、諸外国様子等をいささか見て参ったのでありますが、私の参りました当時のロンドン英国というものは、非常に耐乏経済でございました。しかしこれを回復させた方法と申しますと、結局は非常に正統的な、常識的な手を打ったのでありまして、何も非常に奇妙きてれつな妙手を打ったわけではない。政府としましては非常に平凡なオーソドックスの財政経済政策をとり、国民もまたこれを支持していった。そこで数年間に耐乏経済というものが、私の帰りますころは繁栄経済に変ったのであります。最近はいろいろインフレだとかいわれておりますが、とにかく欧州諸国も非常に正統的な方法経済回復しておると思います。日本におきましても、昨年に引き続きまして、本年もいわゆる健全財政ということでありまして、ちょっと見ますと、いかにも派手なところがないというふうに見えるのでありますが、これこそが私は経済をまじめに拡大して繁栄に導く道であると思っておるのであります。  第二に、これは多少大げさになりますが、世界経済見通しと、日本経済にどういうような影響があるだろうかという問題でありますが、その前に、私は実は日本へ帰って見まして、外国から見ておりますと、どうも日本という国は、将来は非常に明るいと確信をいたしております。いろいろな議論があると思いますが、人口が多いからなかなか苦しいのだという議論が相当あるように思うのでありますが、私は、世界各国とも、相当工業の発達した国におきましては、むしろ今労働人口が少くて困っておる。日本は優秀な人々が非常にたくさんおるということは日本にとって一つの力である。むしろ日本経済の方を大きくしていけばみんなの国民生活も上っていくというふうに信じておるのであります。ただ残念なことには、貿易国家として立っておる日本が、戦争の前に比べましてその貿易が、輸出が昨年は非常に増加したとはいうものの、戦争前の半分であります。これはいろいろな理屈があると思うのでありますが、他の諸外国が、たとえばドイツは国が半分になってしまいましたけれども、貿易戦前の倍以上になっておる。フランスにいたしましても、カナダオランダ各国とも貿易戦前の倍以上になっておる。英国にしましても、ベルギー、イタリー、これらの国も戦前に比べて貿易が五割以上増しておるのであります。従って日本というものが、世界貿易増加していく正当な分け前にあずかっておらないような気がいたすのでありまして、その点から申しましても、日本貿易というものは今後ふえていくと思いますし、またふえていかなければならぬのじゃないかというふうに確信をいたしておるのであります。国内分配論につきましては、いろいろ議論があると思うのでありますが、国全体を富まして、そうしてみんなで生活を上げていくということについては異論はないと思うのであります。  世界経済見通しでありますが、これはもう雑誌とか新聞にたくさん出ておる通りであります。財政演説でもお触れになっておるのでありますが、相当用心深い人でも、アメリカとか欧州景気というものは今後相当続くであろうということについては、私は異論はないと思います。ことしは欧州等は相当調整段階に入っておるというのでありますが、これは一九二九年当時のように、好況があったらすぐあとに不況が続くというふうなことは、もう何人も考えておらないと思うのでありまして、用心深く調整をしながら、世界景気というものは相当繁栄していくと思うのであります。この欧米の景気のいいことが日本にどういう影響があるかということでありますが、これは来年度の国際収支関係をいたすと思います。この予算でも外国為替資金特別会計におきまして、千億円でありますかの外為証券発行限度を増額をいたしておる。これは結局来年度は輸出が相当にふるって、本年度が二十億ドルだったと思いますが、来年度は二十四億ドル程度貿易がふるうであろう、そうして外貨手持ち増加していくだろうという見方に立ったものだと思うのでございます。  そこで第二に貿易為替の総合の結果であります外貨資金日本外貨手持ちがどうなっているか、また一体どれくらいあったらいいかという問題であります。政府の御説明によりますと、昨年末で日本外貨は十三億一千万ドルということになっております。ただ十三億ドルと申しましてもインドネシアとか韓国に対する貸付債権だとかユーザンスだとか、いろいろなものを差し引きますと正味は八億八千万ドルくらいだろうといわれておりまして、一体日本経済外貨をどれくらい持ったらいいだろうかという問題につきましては、ずいぶん議論があると思います。それからまたこんなにたくさんあったってしょうがないのだから、使ってもいいじゃないかという御議論が確かにあると思うのでありますが、これは諸外国について見ますと、アメリカの二百十七億ドル、これは論外でありますけれども、最近ドイツは三十億ドル近くになっております。二十九億ドルの外貨を持っております。英国は、私のおりましたときは十五億ドルというふうに底をついたことがあるのですが、また増加をいたしまして一時三十億ドルになり、最近は二十一億ドルになっている。フランスが二十億ドル、カナダも十九億ドル、スイスが十七億ドルというふうに、各国とも相当たくさんの外貨を持っておるのでございます。そしてまたこの外貨のふえることを喜んでおるという状況にございます。もっともドイツは、国内がもしインフレ気味になれば、いつでも外貨を使って、幾らでも輸入を許すぞという体制をとっておるのでございます。日本はこれらの国に比べてやる仕事も非常に多いのでありますから、必ずしも他の国がどうだということにはならぬと思うのでありますが、私は一ぺん日本外貨をどの程度持ったらいいかということを研究をいたしたことがありますが、外貨を幾ら持つかということはその国により、またそのときにより、どういう目的のためにやるかということで違ってくると思います。しかし私は十五億ドル程度外貨は持つべきものである、そして円の交換性回復に備えるべきものであるというふうに考えておるのであります。詳しいことは時間もございませんので申し上げませんが、日本は食糧の輸入国であるということの過去の経験、並びに世界景気日本経済影響する1欧州ではアメリカがくしゃみをすれば欧州経済は肺炎になるといわれたことがあるのですが、日本でも一時アメリカとか欧州景気が悪くて、三億ドル以上が一ぺんになくなってしまったことがあるのであります。日本のような世界的には貿易上の地位が非常に弱い。何というか限界供給者というふうな国におきましては、日本として世界景気の変動から日本国民生活を守るに足る外貨というものは、持っていなければならぬと思うのであります。現在正味九億ドル程度外貨では、まだまだそう安心ができないと思うのであります。ただ最も大事なことは、外貨が幾らあるかというふうなことではなくして、国際収支が毎年輸出輸入も両方増大しながら、少しずつでも黒字が出ていくという状況にあることが、私は一番大事だと思うのでありまして、その点から国内経済政策というふうなものが、しっかりとられる必要があると思うのであります。  そこで第三に、一体こういうふうに外貨がだんだんふえてきたらどういう政策をとるべきかということであります。これは私は勇断をもって相当強い政策をこの機会にとった方がいいと思うのであります。その第一は、国内金融国際金融との調整の問題であります。時間もありませんので非常に端折って申し上げますけれども、何か輸出がふるうとインフレになるというので、輸出をこわがるような気分がないではないと思いますけれども、これは間違いであると思うのであります。昨年は、御存じ通り、非常に輸出増加をし、それから豊作もあったのでありますが、これによって政府から出たお金の二千九百億円というふうなものは日本銀行貸し出しがそれに見合った程度減少いたしまして、結局インフレにならないで済んだ。しかしことしは日本銀行貸し出しはわずか二百億円程度になってしまいましたので、輸出増加すればインフレになるじゃないかという議論が相当あるようであります。しかしこれは予算にもあります通り外為証券の一千億円というのを予想しておりますが、外為証券を発行することによりまして民間銀行がこれを引き受けていくということになれば、別に輸出に伴うインフレ的効果というものは排除できると思うのであります。英国の例で申して恐縮ですが、英国あたりでは輸出とか輸入国内金融に及ぼす影響というものは、大蔵省証券の発行によってすっかり遮断をいたしております。と申しますのは、輸出が非常にふるう場合には大蔵省証券を出してドルを買い取る。ところが輸出増加によって出たポンド資金によって、民間銀行大蔵省証券を買い取るということによりまして、輸出増加国内インフレになることを防いでおる。逆に輸入増加した場合には、大蔵省証券政府が償還して民間に金が入っていきますからデフレにもならない。戦争前のような金本位制影響が発生して輸出輸入影響国内に及ぶということは、最近の欧州等では極力避けて、むしろ輸出入国内金融に及ぼす影響というものを中立化と申しますか、中性化する方法をとっておるのであります。わが国におきましても、ことしこそは相当輸出がふるいましても外為証券というものを発行しまして、これによって銀行がこれを保有するということになれば別にインフレにはならないし、また銀行資産状態から申しましても、流動性がついて非常にいいのじゃないかと思うのであります。  第二に、この外貨が充実してきたことに関連しまして対外投資をどうするか、外資導入方針をどうするかということが非常に大きな問題であろうと思います。この対外投資につきましては予算案でも輸出入銀行資金を二十五億円増しておられるのでありますが、こういう機会に今後の輸出市場を培養していくということが大切であると思います。  それからまた最近制定を予定しておられます輸出保険でありますか、この輸出保険につきましても非常にけっこうなことと思うのでありまして、何とかして相当広範囲のものをやっていただきたいと私どもは考えております。外資導入方針につきましては、私は外国で見ておりまして、外貨がふえたから特に方針を変えるとか、そんなことをいわないで、やはり新技術をどんどん導入して日本の産業を興して雇用を増大していくということは、長い方策として、日本外貨の増減にかかわらず、とっていくべきものというふうに私は考えております。  第三に、外貨充実に関連しましてなすべき一番大きな仕事は、輸入自由化為替自由化ということであると思います。これは日本はガットの一員として、またIMFの一員といたしまして、輸入をだんだん自由化していかなければならぬということは当然でありますが、そういうふうな人に縛られた感じ以外に、日本自体としましても何とかして輸入自由化していく。まあ輸出々々と申しますけれども、物を買うために輸出があるので、人間が息を吐くのは吸うためにあるようなものでありますから、私は輸入の方が結局は国民生活にとって大事であると思うのであります。従いまして外貨が相当たまって参りました場合には、輸入を何とかして自由にしていく。ところが今の外貨予算を見ますと、まだいわゆる自由な輸入というのは一割五分程度でありまして、これを何とか思い切って輸入を自由にしていくような処置をとられることを望んでおるのであります。  ただ輸入自由化ということにつきましては、むしろ国際収支観点ではなく、国内産業保護ということからいろいろ政治上のむずかしい問題があると思うのでありますけれども、やはりだんだんに輸入を自由にして、国際価格国内価格をさや寄せしていくということはどうしてもとらなければならない方法ではないかと思うのでございます。為替管理というものは、大体国際収支の維持のためにできておったのでありますが、最近ではだんだんに国内産業保護というふうに実は変ってきておるのです。ある程度やむを得ないことと思うのでありますけれども、輸入自由化ということはやっていただきたいと考えております。  次に為替自由化の問題でございますが、これは私は為替業務に従事する者といたしまして、いろいろ申し上げたいこともあるのでありますが、あまり技術的になりますので、ごくはしょって申し上げますと、今後銀行とか商社の機能の活発化活動自由化、それから自主体制の確立ということが必要であるということは大蔵大臣の満説にもあったのでありますが、何とかしてやはりこれも強力にかつ迅速に勇断をもってやっていただきたいと思うのであります。今日の為替制度というのは、実は私も役所にいるころこれに関与した一員でありますが、正直に由して占領当時の遺物が多いのでありまして、いろんな制限がありまして、占領当時はよかったのでありますが、心ではこれをゆるめていかなければならないと思うのであります。たとえば為替取引の面に限って申しましても、多少技術的でありますが、外国銀行との為替取引というものは主としてLUAというような国家の保護によって行われておる。それからこういう点については政府でもだんだんこれを撤廃することに向っておりますが、この点も促進をしていただく。それから為替取引につきましても、欧米等でやっておりますような、ある程度制限つき為替市場というものを作っていただくことか、この段階では必要だと思うのであります。  時間もないのでありますが、結局外貨が相当たまっておりますので、自信のある経済政策をとっていただく。いわゆるコンヴァーティビリティという問題があるのでありますが、通貨交換性回復ということは、英国並びドイツあたりで一時ずいぶん言われておりましたけれども、最近は遠のいたということは事実でございます。しかしながら私の見るところでは、英国にいたしましても、ことにドイツオランダなどという国では、もうほとんど用意ができておりまして、着々とその準備を進め、従って今後そっちの方に進んでいこうということを考えておると思います。しかも事実上のコンヴァーティビリティでありますところの輸入自由化ということにつきましては、欧州諸国間では、御存じ通り、もう八割五分まで輸入を自由にしておる。日本は一割五分でありますが、欧州ではもう八割五分まで輸入を自由にしておる。それから対米輸入についても、オランダとかドイツなどはもうほとんど自由にしてしまっておるということであります。それじゃ日本の円のコンヴァーティビリティということは一体どういうことかということでありまして、私は英国におります当時、どうも欧州諸国コンヴァーティビリティ回復してしまった場合に、日本あとに残されるのじゃないか。ある意味で金解禁みたいなものでありますから、残ってしまうと非常にやりにくくなるのでありますけれども、まあやむを得ないじゃないかと思っておったのであります。最近の事情から申しますと、欧州諸国の方は非常に経済がおくれてきておる。日本の方は、ただいま申し上げましたように、外貨相当蓄積をしてきておる。そうして日本国際経済における地位も非常に上りまして、二、二年前までは円の切り下げがあるのじゃないかとか何とかいううわさがあったりいたしたのでありますが、最近はそういうことは全然ない。香港だとかニューヨークとかサンフランシスコ等におきます円のやみ相場、これは円の自主性をちっとも現わしていないのですか、とにかく相当上ってきております。それから日本の外債の相場というものが、これは日本外貨手持ちが減るたびにずいぶん下っておったのですが、最近では非常に上がってきておる。日本国際経済における地位は非常に高まっておるのでございますので、この点から考えましても、円のコンヴァーティビリティという問題について考え得る状態になっておるのじゃないかと思います。もっとも円は今国際通貨としてほとんど使われておりませんので、ほかの国がいいます通貨コンヴァーティビリティと、日本コンヴァーティビリティの問題というのは違うのでありますけれども、この問題は主として輸入自由化ということ自体が、円のコンヴァーティビリティということになるように思うのでありますけれども、他の諸外国コンヴァーティビリティ回復いたします段階において、日本といたしましても、ときを合わせてこういうことをやり得るという自信を、もうつけてもいいのじゃないかと私は思っておるのであります。  時間がたちますので、最後に簡単に、最近日本に来ました米国人で、いわゆるエコノミストといいますか、経済研究家でありますが、世界経済は律動的に繁栄に向っておる。これが全世界に伝播していくと自分は思うのだ、ただ二つ条件がある、その一つは大戦争がないこと、あと一つ各国とも通貨価値をしっかりと維持して、インフレによって自分の国の経済を破壊してしまって、ひいては他の国の経済影響を及ぼすということかない、この二つ条件が満たされれば、世界経済というものは有史始まって以来の繁栄に向って進んでいるものだと思うのだ、ということを言っておるのであります。そうしてこの人は、この三つの条件というものは満たされ得るというふうに考えておるようであります。この見解は多くの人によって私は支持されておると思います。  ついででありますが、この人は日本の統計を見まして、日本は完全就業だ、こう思ったらしいのであります。と申しますのは、失業者の数字が六十万くらいだったと思いますか、就業人口四千四百万、一・五%の失業率というのは――ロンドンロンドンといって恐縮ですが、私はロンドンにおりましたが、三%の失業率をもって完全雇用というふうにいっておりまして、興国あたりが一%以下になってしまったために非常に人手が不足して困っておる。この人はアメリカとか欧州とか相当進んだ工業国が、人手が少くて困っておることを見ておったものでありますから、日本のように高度の工業国で今どき失業者があって、また過剰設備かあるというふうなことは、ちょっと来て見るまで知らなかったらしいのであります。これは余談でありますが、彼の結論としましても、世界経済というものは律動的に伝播的に動いておるのであるから、世界経済繁栄というものが日本経済に及ぶということは、確信をいたしておったのでございます。  以上申し上げましたように、世界経済につきましては、それぞれの国の政治家が全力を尽して、繁栄を継続していくということについて努力をいたしております。日本でも政府が扇のかなめのようであります通貨価値の維持、この一点さえしっかりと握っており、あとは非常な自信のある経済政策を行なっていかれますならば、世界経済循環の原理といたしまして、末広がりに日本経済繁栄への道をたどるということを私は確信をいたします。もちろん毎月々々とか半期ごととかいう短かい期間にものをとってみますと、あるいはこれに反した現象が起るかもしれないと思うのであります。実は正直に言って日本人は――私どももそうですが、とかく悲観論の方が好きな国民のように思います。従ってときどきの現象をとってみますと、悲観的の現象が今後とも、日本経済の上にも世界経済の上にも、起るかとも思うのでありますけれども、もっと長い目で見まして、少くともたとえばここ三年以内というふうなことをとった場合には、私は日本経済というものは見違えるほどの繁栄を亨受するということについて、確信をいたしておるものでございます。  はなはだ粗雑なことを申し上げまして、御清聴をわずらわしまして、深く光栄に存じます。ありがとうございました。(拍手)
  4. 三浦一雄

    三浦委員長 ただいまの公述に対しまして御質疑がございましたら御発言を願います。   〔委員長退席、稻葉委員長代理着席〕
  5. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 今のお話の中で、今の日本経済状態に照らして、外貨手持ちをどのくらい持っておるのがよろしいかということは、大体あなたのお説ならば十五億ドル程度は持っていることがいいんじゃないか、現在八億八千万ドルで、もう少し持つ方がいいんじゃないかという、最適基準というものを示されたように拝聴しておったのでありますけれども、一方においてまた輸入の自由性というようなことを非常に強調されて、輸入の増大ということを言われておりますけれども、そのこととどういう関連になって進むのでありましょうか。また政府の立てておる経済五カ年計画における外貨の今後の見通しというものに対して、あなたのお考えではもう少しふくらみをつけた力がいいということなのでございましょうか。この点についてもう少し掘り下げた御議論をいただきたいと思っております。
  6. 伊原隆

    伊原公述人 お答え申し上げます。外貨の問題につきましては、実は時間かないのでごく簡単に端折って申し上げたのでありますが、一体外貨をどの程度持っていたらいいかということは、その国の慕情と、それからどういうことを目的にするか、それから時によって違うと存じます。これは戦前あたりは、英国のような世界経済を動かしていた国で、自由金二千万ポンドというようなものしか持っていなかった、今は英国は五十億ドル持たなければ交換性回復しない。自分は三十、あと二十でやろうというふうに考えておるくらいでございます。日本経済では一体どうするかという問題でございますが、ただいまお示しのように日本経済で現在は正味八億八千万ドルでございますか、私の申しました、これはちょっと誤解といいますか、分析を要するのですが、私はこう考えておるのであります。日本輸入規模が三十億ドルといたしまして、運転資金に要する量は大体三億ドル見当あればいいのではないか。それから先ほど申しましたように、食糧の輸入国でございますので、昨年は非常な豊作だったのですが、過去の凶作のときに三億ドル以上の外貨を失ったのであります。これは何分食べものでありますから、なくなっちゃったというわけにいかないのでありまして、やはり三億ドル程度は食糧の輸入ということのためにいつも考えておかなければならない。それから日本世界貿易における地位というものが非常に弱いものだと思います。これはイタリアと同じでございまして、ほかの国が景気が悪くなるとまっ先に輸入制限を食うような物が多いと思います。繊維品でございますとか――イタリアがそうなんですが、他の国の景気、不景気が非常に影響する。この間のポンド地域の輸入制限によりまして、私もロンドンにいてひどい目にあったのですが、このときも三億ドル以上の外貨が流出をいたしております。日本国民生活というものを外国景気から守るためには、やはり三億ドル程度外貨を持っていなければならない。合計いたしますと九億ドルになります。しかしそのほかさっき申しましたように、意味は違いますが、世界各国と同じように何とかして円のコンヴァーティビリティ、円の交換性回復ということを、やらなければいかぬ。それには、日本国内にある外国人の円というものは割合に少いのでありますけれども、それにしましても一億ドルぐらいの余裕は持っていなければいけない。合計いたしまして正味十一億ドル見当持つことが必要である。今の十三億一千万ドル、ああいう基準によれば、私の言う十一億ドルは、公称十五億ドル、正味十一億ドルというふうに実は考えております。そうすれば、一方輸入は増大しろ、外貨はためろというのはずいぶんむずかしいじゃないかと思いますが、さっき申しましたように、日本輸出というものが、世界貿易の拡大において正当なる分け前に私はどうもあずかっていないように思うのです。世界中の国が倍になる。世界中の国というと語弊がありますが、相当の工業国が大ていは戦前に比べて倍になり、五割増になる、日本だけが半分だ、こういうのはどうもおかしいのでありまして、どうしても輸出はふえると思います。輸出がふえれば輸入もふやしていく、そうして年々少しずつでも黙って十五億ドル見当を維持していくということが可能であると私は思っているわけでございます。
  7. 松浦周太郎

    ○松浦(周)委員 今のに関連いたしまして、輸入がふえることは、輸出をふやすために原料を入れなければなりませんから当然だと思います。また輸入をふやすことによって、製品を売る市場も獲得できると思いますから、それはいいと思うのです。けさの新聞にもありましたが、イギリスは輸出入百九十億ぐらいやっているようであります。この間までは百七十億ドルぐらいだったと思いますが、そういう現状になっておりまして、輸出入のバランスから見るならば、イギリスは比較的手持ち外貨が少くてもできるということは、長い間金融市場をイギリスが掌握しておった信用もあるからだと思うのでありますけれども、そういう面から見て、ようやく四十億ドルそこそこの輸出入しかできない日本が、御説明になったようなことから考えればそうも考えられますが、これをもっと活用してドル以上の値打ちのあるものにした方が国の信用が増しはしないか、つまり輸出入貿易の交換の信用の程度というものは、おっしゃったような大きな数字でなくてもいいんじゃないか。それはむしろ生産にかわった設備にかえていく方がドルよりも信用が高くなりはしないかと思うのですが、どうですか。
  8. 伊原隆

    伊原公述人 お答え申し上げます。私も言葉の言い回しになりますが、御同感なんであります。さっき申しました外貨幾らあればいいかということは、積み上げ的な数字としては正味十一億ドル、現在のやり方で、政府の十三億一千万ドルというやり方でいくと十五億ドルくらいと申し上げたのですが、今度は世界各国貿易の量と外貨手持ちとの比較ということになりますと、これは輸入と比べるのがいいだろうというのが大体の議論であります。輸入の二割五分あればいいという人もあるし、それから日本の例なんかでは一割だって運転資金だけならいいと思うのでありますが、現実に世界各国の例は、英国ではおっしゃった通り輸出総額は年額にしまして七十七億ドルから八十億、九十億ドル見当であります。今英国が目標にしておりますのは、自分は三十億ドルくらいまでしたい、あとポンドの交換性回復する場合にはフェデラル・リザーヴとIMFから借りて五十億ドルくらいにしたいと言っておる。ただ英国輸出を少し分析すると、厄介なのは英国本国だけでなく、植民地と自治領全体の金ドル準備の銀行みたいなものですから、しかもお互いの間はポンドで流通しておる。ですから英国で問題にしておるのはドルなんでありまして、少し比率をとるのがややこしいのでありますが、ほかの国の例をとってみますと、これは一九五四年の例ですが、ドイツが比率からいうと六割か七割くらいになっておると思います。五十二億ドルの輸出に対して三十億ドルですから六、七割、それからスイスが一六〇%、カナダが四割、オランダが五割、フランスが三割、ベルギーが四割、イタリアが四割五分。私は日本輸入というものはさっき申し上げたように、今の数字は少な過ぎるので、三十億ドル・ベースもっとにならなければいかぬと思うのですが、その場合はやはり現在の世界水準から申しますと、十五億ドルくらいある方が望ましい、もっともこれについてはいろいろな研究がありまして、日本なんかのようにこれから開発を要する国については外貨をため込んでおいたってしょうがないのです。むしろ早く入れて今後に備える方がいいということは非常にもっともなんでありまして、その点ももう相当自信を持ってやっていいんじゃないか、ただあんまりふえたり減ったり、がたぴしするのは国際経済上おもしろくない、こういうふうに考えておるわけであります。
  9. 成田知巳

    ○成田委員 今貿易自由化の問題で、外貨予算自由化ということをお取り上げになったのですが、政府としても、たとえば自動承認制とか、あるいはグローバル地域の品目の拡大であるとか、自由化の方向を志しておると思うのですが、一方MSA援助で相当輸入をやっておる。これは政治的な問題を別にいたしまして、純貿易の問題にのみ限ってみたら、貿易自由化と逆行しておるのではないか、相当ブレーキをかけておるのではないかと感ずるのですが、いかがですか。
  10. 伊原隆

    伊原公述人 MSAによります輸入というのは経済援助のことだと思いますが、日本としても自力で相当貿易自由化ができて参っておるのでありまして、その意味でももちろん援助によって国の生活水準が上っていくということもあわせてけっこうなんではないかと存じます。
  11. 稻葉修

    ○稻葉委員長代理 他に御質疑はありませんか。――なければ伊原公述人に対する質疑は終了いたしました。伊原さん、どうもありがとうございました。(拍手)  それでは次に法政大学講師吉田秀夫君。
  12. 吉田秀夫

    ○吉田公述人 申すまでもないことなのですが、どの国でもその国の国家予算の仕組みは、その国の運命を左右するものだと思っております。またその国家予算がどういうことに、どういうふうに使われるかということにつきましても、非常に国民大衆の生活に多大の影響を持つことは当然なことであります。私、今度の予算を見まして、その点で二つの点を非常に心配しております。今度の内閣によります三十一年度の国家予算は、大体この人なら国会に出しましても、国政をゆだねても大丈夫だろうとみんな信頼し、支持をしまして投票しました幾千万の国民大衆か、政府が公約通り非常に誠実に国家予算を組んでおるかどうかということに対しまして、多大の期待と不安とを持って見守っておるわけです。この予算委員会はその国民審判の俎上にあると思っております。率直に申しますと、少くとも社会保障の拡充とか、あるいは鳩山総理の言う福祉国家の建設という点になりますと、これはあまりにも縁の遠い、非常に再軍備に偏重した予算ではないかと思っております。大体私の注文は、社会保障分野について意見を述べろということでありますので、以下主要点だけについて申し上げたいと思います。  予算を見まして非常にふつり合いの点と思われますのは、やはり防衛関係費の予算千四百七億円と社会保障関係費の千百三十四億円であり、さらにある特定の少数の人たちに対して支給されております旧軍人恩給費の八百九十九億円と社会保障関係予算のアンバランスの問題だと思います。確かに社会保障関係予算の千百三十四億円という金額は、前年度から見ますと百二十二億円ふえております。これは歳出総額の中に占めるパーセンテージからいいますと〇・八%ふえたことになるそうですか、その内容を検討してみますと、これは前年度よりはむしろ後退しておるのではないかと思っております。たとえば非常に卑近な例で恐縮なんですか、人口増加率が約一%といわれております今日、この程度増加では、人口の自然増加分に伴います当然の経費の増加という金額にも及ばないというような感じがいたします。  それでまず第一に問題にしたいと思いますのは、現在非常に大きく、社会的なあるいは政治問題になっております健康保険の問題であります。ところかこの問題は、これに関連しまして非常に密接な関連のあります、あるいは実際に四月一日実施の医薬分業というような問題の前提条件とされてきました新医療費体系の問題もあるわけです。ところが新聞紙上や、あるいは仄聞しますと、この分業に関係しました新医療費体系の問題は、全面的な実施は当分延期だという措置を講ずるかごとき話を聞いております。もしこれがほんとうだといたしますと、これは参議院選挙を前にしまして約十二万人の医師、歯科医師をあまり刺激しては、あるいは損ではないかという御判断のもとで、非常に賢明な措置をおとりになるのではないかと推察されますが、このことは私も実は賛成なんであります。なぜかと申しますと、大体同じ社会保障の医療費のワクの中で操作をしまして、医療費という特別な一つの対象を物と技術とに分けまして、その中で医師と歯科医師の技術料をまともに評価していくというようなことは、日本の現状におきましてはほとんど不可能なことだろうと思います。その意味で去年の十二月の末に発表されました新しい社会保険の点数改正案によりますと、これは全国十二万人の医師、歯科医師、あるいは病院、療養所の大部分が当てはめ作業をやっていたようでありますが、これをいろいろな新聞や雑誌で拝見をいたしますと、軒並みに非常に減収するというようなことでありまして、これは必然的に社会保険の持つ医療内容、これがきわめて劣悪な低いものになるのではないかということをおそれるからであります。ところが健康保険の問題につきましては、一部負担するすなわち被保険者本人が病気になって医師あるいは医療施設に行くたびに三十円ずつとられるというようなこと、あるいは入院の場合には一口三十円、これは米代だという話がありますが、これを半年間徴収する、こういう一部負担を、政府管掌の健康保険に対する国庫一時補給金、この金額約三十億と引きかえにどうも必ず政府は実行するというふうな態度があるのではないかと思います。もちろん権威ある衆議院のこの予算委員会におきましては、健康保険がなぜ赤字になったか、あるいは三十年度の赤字の実績はどうだ、あるいは一子一年度の赤字の見通しはどうだというようなことにつきましては、十分に審議を重ねまして、その所在や、ほんとうの数字等もすでに検討し、把握されていると思うのであります。  私はこの点が一番大事なことだと存じております。これらの点につきまして詳しく申し上げる時間がないことは非常に残念でありますが、二、三触れますと、たとえば赤字の原因というのは、政府のいろいろな経済政策その他の施策のゆえでありまして、たとえば経済政策の貧困のために現在日本の数十万と言われますいろいろな中小企業が非常に不景気で困っておりますし、またそこに働いております、特に政府管掌の零細事業所に働いております五百万人の労働者が非常に安い賃金で働きながら、最近は給料の遅配、欠配というような状態は普通のことになっております。大体そういう零細企業の労働者の保険料一本に依存しましてやつておる政府管掌の健康保険の財政が、非常に貧弱なものにならざるを得ないということは当然なことでありまして、そのことによりまして、低賃金と労働強化によりまして当然病気も非常に増大します。そのことは去年の十月十日のいわゆる川崎前厚生大臣の諮問委員会であります七人委員会の分析の通り、病気になって医者にかかる率が非常にふえたということであります。ところが一方昨年は九月に、一昨年は四月に、はしなくも厚生省前すわり込みというような非常にゆゆしい事態を引き起しましたが、社会保険の点数の引き下げやあるいは薬の値段のかなり大幅な引き下げというようなことを上たにもかかわらず、ストマイ、ペニシリン等の一抗生物質の全面的な適用によりまして、外来の場合も入院の場合も一件当りの点数が上っております。特に入院料の引き上げとともに、この健康保険の赤字は結核患者にある、その中でも入院患者にあるということは、七人委員会の報告書にもあります。それから非常に安い賃金の被保険者の適用を相当また拡大しまして保険に入れたこと、さらに今までの給付期間二年を一年延長して三年にしたこと、こういった政府のいろいろな施策によりまして収支のバランスがとれずに、とうとう昭和二年に健康保険ができて以来初めて赤字という事態になったわけであります。もっとはっきり申し上げますと、昨年の三月ころの政府の資料によりますと、大体平均二十一人前後の非常に零細な政府管掌の対象になっておる事業所二十三万カ所、ここに働いておる労働者四百九十四万人、約五百万人、この五百万人の労働者の標準報酬が、御承知のように最低三千円から最高三万六千円の十九階級に分れておりますが、その中で標準報酬一万円以下という労働者の数が六〇・七%もあるということです。ところが一方大会社、銀行あるいは大産業等の約九百の健康保険組合、ここに働いておる労働者が約三百二十八万人ということでありますが、この大企業に働いておる労働者の標準報酬は、二万円以下というのが二九・三%きりないわけです。これでは零細企業対象の政府管掌の健康保険が赤字になるのは当然であります。もともと医療保険というものは、日進月歩の法学技術あるいは薬学の進歩に合せてその医療内容が規定されますから、従ってしばしば保険財政のアンバランスをもたらすということは、これは他の社会保険にあまり見られない宿命的な特別な姿ではないかと思います。だからといいまして、たとえば七人委員会のように、診療の内容を少し抑えて、規格診療だとかあるいは言われますように制限診療だとかいうことで科学の進歩を押えるというわけにはいかないと私は思います。  さらに三十年度の政府管掌の健康保険の赤字は、どうもいろいろなものを相殺しましてわずかに六億円程度の赤字になるだろうということを発表しましたのは、去年の十二月です。しかるに三十一年度の赤字見通しになりますと、政府の昨年十二月に公表した資料によりますと、九十五億円だと言ったり、また仄聞しますと、衆議院の社労委員会では八十億円だというように答弁があったということや、大蔵省との予算折衝におきましては七十一億であると言われたり、最近は少し答弁を統一したかどうかしりませんが、六十七億五千六百万円というふうに言われていたり、私のような部外者で、非常に関心の深い立場にある者にとりましては、一体肝心の三十一年度の赤字がどれくらいな数字なのだか、それがどういう理由でくるのか、さっぱり見当がつかないような状態であります。ことに社会保障の碩学大阪市大の近藤文二先生のある雑誌の巻頭論文を拝見いたしますと、大蔵省は三十一年度の正味の赤字は四十億円だと踏んだから、国庫負担あるいは国庫補助は全然要らないと当初計算したということであります。もしこの程度のことでありますれば、参議院選挙を控えております今日、何を好んで、健康保険の一部負担を含めましたいろいろな改正案を強行に実施しなければならないのか、そういう理由は私はないのではないかと思っております。  それからもう一つ昭和二年から今日まで、特に終戦後七人委員会の報告によりますと、年々保険給付の二割前後を余してきたということであります。大企業の健康保険組合の財政状態はどうかと見ますと、ここ一、二年あるいは三年の間に医療費をいかに節約するかということにいろいろと非常に抑止的な対策を講じてきましたので、どうやら健全財政だということだと私は思います。ところが最近の様子を見ますと、ある工場で労働基準法通り集団検診をしますと、相当結核患者が出るわけです。そうしますと、その結核患者に対しましてまたいろいろな給付やあるいは対策をしなければなりませんので、非常に金がかかるというのであります。まともに法律通り健康診断すらもできないので、なるべくさぼってやろうという組合もあることを聞いております。この点からいいますと、非常に健全なという健康保険組合でもほんとうの台所は相当苦しいのではないかとさえ考えられます。従ってこの際二十五年以来の社会保障制度審議会の勧告の線であります最小限度保険給付の二割程度の国庫負担はどうしても定率化して、社会保障制度の一環として健康保険の確立をいたすべき時期ではないかと思っております。  少し健康保険の問題に触れすぎたきらいがございますが、このことはすでに御承知のように、健康保険改悪反対という目標やスローガンのもとに現在まで、あるいは現在も全国各地で、あるいは中央の場合でも医師、歯科医師会の大会が持たれたり、さらには被保険者、労働団体などとの提携によりますいろいろな運動がかなり台頭し高揚しております。また伺いますと、あくまでも健康保険改悪に反対するのだというので、このような事態は社会的にも政治的にもまた社会保障の歴史からいいましても、非常に好ましいことではないのでありますが、保険医が集団的に辞退をしようという動きさえもあるということを聞いております。もし近代的なあるいは聰明な為政者あるいは政治家ならば、このような外国にも全く例のないような最近の動きにつきまして適切な処置、すなわち二十三億や二十五億程度の赤字補てんは全部国か責任を持つべきであるというような感じがします。この程度の金額はジェット機二十機くらいの生産を節約しますと十分に出る金だと私は思っております。  さて次に、生活保護費の予算にしましても三百六十二億円であり、昨年に比べますと十四億千二百万円ふえておりますが、三十年度の予算を組む場合には、要保護人員を前年度に比べまして五%ふえるということにしまして、百九十五万人と見積ったというふうに聞いております。ところが三十一年度の場合には、要保護者の対象人員が前年度に比べまして増加比率が二・五%、半分にしまして百九十九万八千人と見積っているにすぎないわけです。これは周知のことですが、厚生省の調査によりましても生活保護を、要するボーダー・ラインの階層いわゆる低消費水準の世帯人員千百七十万人といわれているのに、年々人口に対する保護率が減少の傾向にあるというのは一体どういうわけであろうかということであります。これは貧乏人が非常に減ったということではなくて、ここ二、三年来のあらゆる次々の行政措置等によりまして、たとえば生活保護関係の扶助の打ち切りあるいは一部負担の増大、監査の強化あるいはおととしは入退所基準の実施ということで患者のすわり込みがございました、またつき添い婦の制限ということのために、人口に合わした貧乏人の適用者の保護率が非常に減少している、そういうことだと思うわけです。  さらに今一番問題になっておりますのは、生活保護費の金額の問題ですが、これは農村地帯では御承知のように五人家族月五千八百円程度、大都市では約九千円を若干上回っているというような低さにありましても、もう少し保護費を上げてもらいたいという要請が絶えず各種団体、特に貧困者から出ているわけであります。そういう中で、生活扶助と医療扶助との関係でありますが、御承知のように一九五一年、五三年ころまでは大体生活扶助と医療扶助は生活扶助の方が多かった。ところが五一年以降、生活扶助と医療扶助のバランスが変りまして、医療扶助の方が多くなっております。これはどんなに貧乏でも生活扶助を受けるということではなしに、病気にでもならなければ実は生活扶助も医療扶助も受けられないというような状態になってきておると思うのです。大体病気と貧困の密接な関係につきましては申すまでもないことでありますし、結核のように非常に長期の療養と多額の療養費のかかるような病気が大きな原因であるということは、これは厚生省の統計にもはっきり出ております。たとえば生活保護を適用されております原因の中で、生計の中心者になっております人の病気によるのが全体の被保護者の中で三八%、家族の病気のためにやむを得ず生活保護を受けなければならないというのが二二・八%、これはいずれも一昨年の三月現在の調査でありますが、そのようなことを示しております。それほど最近は医療扶助の占める比重が多くなっているのであります。  それから最も恵まれない社会福祉事業関係におきましては、側々の項目につきましては私は毎年々々の予算を拝見しまして、あまり零細な金額でありますので、いつも一体どういう気持なのだろうかと思わざるを得ませんでした。この制度は一種の社会的な悪に対して個人的なあるいは団体の責任でそれを救うのではなしに、公けの、特に国家の責任でそういうものを救護し、援助するものであるというふうに社会福祉関係のいろいろな法律はなっておるはずであります。にもかかわらず大体歴代政府、あるいは今度の本予算の内容を見ましても、この点は非常に少くなっております。最近のニュース映画を見ましても、一日一円何がしふやしたというみなしご、ことに保護児童の、非常に胸を打つような保護施設の給食風景と一緒に、大砲や飛行機を生産している再軍備の姿が非常に皮肉な形で出ております。またこの子供たちの食費が六十一円六十八銭だというのに、野犬狩りをした場合につかまった野犬の食費が五十七円で、たった四円六十八銭きり上っていないということか、もうすでに宣伝材料に使われております。社会保障制度の関連の中で、特に失業対策事業とか住宅対策に関係のあるいろいろな予算もありますが、これはおそらく他の参考人が意見を述べられることだろうと思いますので、ここで私は省略したいと思います。  最後にどうしてもつけ加えたいと思いますのは、結核の問題であります。御承知のように、結核の死亡率が半減したというので盛大な祭典を開きましたのは二十八年でございました。ところが二十九年の春、千年の、一月と厚生省は相次いで膨大な画期的な結核の実態調査あるいは動態調査なるものを公表しました。これも御承知のように医療を要する、あるいは監視をしないと結核になるというような人が五百五十三万人、即刻入院しなければならぬという患者が百五十万人ということが実態調査の場合に出ておりますし、また動態調査の場合には、一年間結核と診断されておりましても、一ぺんの医療をも受けなかったという人たちが調査の対象になりました中で六三%もある。そういう驚くべき事実をこの調査は物語っております。一体国が非常にたくさんの金を投じてやる調査というものは、その調査が把握しました実情に合わせましていろいろな政策を実施するということを予定しての調査だと思うわけであります。ところがこの画期的な調査は、結核対策に重点をおけということを要請しておるにもかかわらず、また今日の健康保険の赤字、あるいは医療扶助の増大による破綻やその他の社会保障の諸制度の危機といわれるものの大半は、実は結核によるという事実にもかかわらず、また結核になりますと、結核患者であるというので、いろいろな犯罪も起きておりますし、また一家心中というような非常に悲惨な事実も現われてきております。さらに昨年の三月に、内閣の社会保障審議会は、きわめて不十分でも結核の改善に関する勧告をなしております。またいわゆる七人委員会の六百七十七ページの膨大な報告書の中でも、健康保険の国庫負担を否定したり、あるいは明らかに改悪の方向だというような点につきましては、私は賛成できませんが、ただ結核が全国民、全階層に共通な問題でありますから、結核予防法強化のために、今まで四分の一の国の負担と四分の一の地方費の負担を、今度は五割国で負担しまして、そうして地方の負担は二〇%にしまして、合計七〇%を公費負担にしたらどうかということを七人委員会はきめました。その他おびただしい各団体が、結核対策の強化、あるいは結核の治療費は全額国で持てという要請さえも出ておるような昨今であります。このような世論に対しまして、今回の予算は全くこたえないばかりか、逆に私は後退の方向すらあると思うことであります。結核対策百二十三億六千万円、前年度より二億円しかふえておりません。その中で国家が当然持つべき四分の一の予防法の負担は、十四億円から十三億円に逆に減っております。おそらくこういう調子でやりますと、今までも地方財政は非常に破綻しておりますから、結核予防法というのは、全く有名無実な制度になってしまうのではないかと心配する次第であります。  一体政府は、そのような疾病といわれております結核の問題をどうしようというのであろうか、その点が非常に不安であり不満であります。死亡率が半減したというようなことは、パス、マイシンその他の新薬、抗生物質の効果が非常に大だということでありまして、現在こそ横木的な結核対策を大幅な国庫負担によりまして徹底的にやる絶好のチャンスだと思います。もしこれをやりますと、五年ないし十年の先には、結核の問題は好転して、そのことによって国費が相当電圧を受けるという状態は、相当改善されるのではないかと思います。ところが歴代政府におきましては、その絶好の機会を一年、二年、三年と延ばしておりまして、逆に患者をふやしているような政策、そういう予算の組み方をやっているのではないかとさえ思うわけであります。  大体社会保障制度そのものは、その内容の充実いかんによりましては、その国の文明社会のバロメーターだといわれておりますし、またいろいろな各種の現金給付あるいは生活保障のいろいろなそれぞれの制度によりまして、一応の最小限度の購買力を確保し、市場の一応の安定にも害与するというような問題もありますし、またもろもろの犯罪や社会悪に対しましてもこれを減らすという方向もあります。またいろいろな労働不安や社会不安を非常に緩和する、その他いろいろな意義があると思うわけです。ところがそれにしましても社会保障制度を完備することによって国民の貧乏がなくなったり、あるいは国民生活が確保されて全面的に向上するのだというような、そういう万能薬ではないと思います。これはどうしてもそれに関連する問題といたしまして、賃金の問題なり、雇用の問題なり、住宅の問題なり、その他もろもろのいろいろな広範な関連的社会政策がたくさんあるわけです。ところが現在の健康保険を初め、もろもろの制度の危機あるいは非常に困難だというような現状に対しまして、社会保障制度のワクの中で、個々のいろいろな制度のワクの中で、これを解決しようというような方向が最近非常に強いわけであります。そういうことでは絶対にいろいろな制度の危機は解決がつきませんし、あるいは打開もできないと思っております。  四、五年前にフランスは再軍備と社会保障の板ばさみにあいまして、再軍備強化、軍事力強化のために社会保障に非常に大なたをふるったということのために、一年間に数回フランス政府は倒れ、その都度あと政府を作るのに非常に苦労したというような例もあったわけであります。イギリスのチャーチル氏さえも、赤ん坊にミルクを飲ませるようなそういう気持を持った政治をしたいと言っております。そういう点で、来年度の国家予算につきましては、国民大衆に対する愛情が一体どこにあるか、非常に私は疑わしいと思っております。特に今回の予算は、憲法を改正しあるいは再軍備をもっと積極的に強化して、日本の運命に至大の関係を持つような、そういう行き道をする予算だというように考えざるを得ないわけであります。  以上をもちまして、私の公述の意見といたします。
  13. 稻葉修

    ○稻葉委員長代理 ただいまの公述人に対しまして御質疑はありませんか。
  14. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 私が吉田公述人に質問いたすのは、私も実は責任者の一人でありますからあべこべかもしれませんが、社会保障の施策につきましては、私も私なりに責任は負わなければならぬと思っておるのであります。しかし今論ぜられました問題につきましては、少しくお話を伺って社会保障前進のための一つ参考にいたしたい、かように考えておるのであります。中心の問題は、やはり健康保険の赤字に対する国庫負担の必要性ということにかかってくると思うのでありますが、その場合に定率の国庫負担をなすべきであるという議論と、定率の国庫負担をなすべきではないという議論とは、相当有力に今日対立をいたしておるような状態であります。率直に申し上げまして、私は定率の国庫負担をなすべきだという議論であり、自民党の大勢も、だんだんその方向に移りつつあるのでありますが、目下その過程でありまして、今回は三十億の国庫負担しかできなかったということに問題点があると思います。あなたは定率の国庫負担というものをすべきだという議論の持主だと私は想像いたしておりますが、こういう議論に対して、どういうふうにお考えになるかということを一つ明快にお示し願いたいと思うのです。  それで私が七人委員会の七人の委員に報告を立案をさせましたときに、分担をさせたわけであります。たとえば現状分析であるとか、あるいは対策については国庫負担、患者負担ないしは被保険者の保険料を上げていいかどうかというような問題につきまして、非常に区分をいたして分担をさせたのでありますが、国庫負担の分を担当いたしました者が、たまたま大蔵省出身の者が中心になりましたような関係もあって、その他の委員の諸君がこれをセーブすることができなかったということは、私自身としても、当時報告に対する唯一の不満点は、国庫負担に対する否定性が強かったということにあったのであります。従って私は、今回の予算編成に当っても、次の大臣に対して、ぜひ国庫負担一割は負担さすべしということについて申し継ぎをし、私自身も与党の内部にあって努力をいたしましたが、先ほど申しましたような経過をたどって今日に至っております。しかしこれは今後の大きな問題でありますから、特にお伺いいたしたいのは、すなわち健康保険というものは国民健康保険と違って、反対論の有力な基礎、定率負担に対する非常な強い議論は、健康保険というものは労働者と事業主が負担をして、そして自分たちの病気予防並びに疾病にかかった際における危険負担というものを、平素から準備をしておるところの制度である。従ってそこに赤字が出たということについての責任は、まず第一に被保険者並びに患者が負うべきものであって、もとより社会保障制度であるから、最終的には国家が負担をすべきであるけれども、これに対し赤字が出るとか、出ないとかいうことを区別せずに、医療費の定率の国庫負担をするということは、他の納税者に対するところの割合からいって、すべきではないという有力な議論があるのであります。すなわち国民は、国民健康保険ならば、国民健康保険に加盟する者は、納税者それ自身であり、将来は国民健康保険というものは全体に拡充されるわけでありますが、労働者と事業場におけるところの被用者というものは、それだけプロフィットがある。従って国民健康保険よりも非常にアヘッドした部分があるのにかかわらず、これと同じように国庫負担すべきだという議論は成り立たない。こういう議論から推しまして、定率負担に対して、私は今後といえども相当大きな反対議論が出てくると思うのであります。社会党においては、二割国庫負担を強調され、また社会保険審議会においても、二割国庫負担をいわれておるのであります。これは財政的にいって、今日では成り立たないとは思いますけれども、それにしてもとにかく定率の国庫負担をすべしという議論に、もっと確固たる議論というものが展開されなければ、将来財政当局、あるいは日本国民全体を納得させるだけの議論が出てこないのじゃないか。政治論としては成り立つけれども、実際分析をしてみた場合において、大きな疑義が残るのではないかという議論があるのであります。それに対してあなたの明快なる定率国庫負担論というものを、この際御展開をいただきたい、かように思うのであります。
  15. 吉田秀夫

    ○吉田公述人 現在健康保険問題、あるいは社会保障制度の問題では、それが焦点ですが、私どもの尊敬しております近藤文二先生の最近の論文を見ますと、社会保険に二割国庫負担すべしという、そういう議論は、外国のどの文献を探しましてもないという話です。大体こういう素朴な議論は、理屈でもあるいは学問でもないということでありますが、私はこれは非常におかしいと思っております。実はこの本予算委員会のある議事録を私見たのでありますが、大蔵大臣の見解によりますと、健康保険は労務管理として非常に役に立つということだそうでありますし、それでまだ社会保障制度ではないという見解だそうでありますが、こういう見解を、社会保障制度の前の社会保険の段階、あるいはその前の段階の共済組合というような段階で、もし大蔵大臣がお持ちになるならば、これは絶対に国庫負担というような筋は出ないと私は思います。それで世界各国のいろいろな歴史を見ましても、救貧法から始まりまして共済組合、共済組合から国家の法律としての社会保険制度になったので、これはやはり相互共済だと思います。ところがそれがだんだん進みまして、少くともいろいろな社会政策の中では、社会保障制度が一番白眉だというふうに、今度の第二次世界大戦後は理解されてきているわけです。そのことは、国が財政的にもあるいは制度の運営の上からも、相当大幅な責任を持つということなんで、これは何といいましても一つの大きな筋だと思っております。  それからもう一つは、健康保険の被保険者及び家族は、国民のほんの一部だといわれますが、そんならば国民健康保険の約三千三百万人の国民大衆は国民の一部ではないかというと、これも国民の一部なんです。それから労働者約一、二千万の源泉徴収から出しております税金も、やはり国民健康保険のあの七十億、八十億に入っているのです。そういう点からいいますと、労働者だけが労使負担だから国庫負担は筋が通らないか、資本家のいない、事業主のいない国民の各階層の力の国民健康保険は筋が通るという理屈の立て方は、これは少しおかしいと私は思う。それからもう一つは、国が金を出すという場合に、たとえば元軍人恩給に対して八百何十億も出すということは、これはある特定の国民だから、それと、それじゃ今非常に低賃金で悩んでおります零細な事業場の労働者と、一体どこが違うかということです。国民健康保険の大衆の中でも、地主さんもおいでになる、あるいは月に何十万というような利益のある富商もいるわけです。そういう点から見ますと、それらは国民の一部だから、それに国家負担するのは、医療保険の全然ない三千万人の国民大衆は承知しないだろうというのは、これは一つの筋のようにも見えますが、私は国の予算全体の仕組みあるいは使い方から見ますと、ことに七人委員会の報告ではそういうことを強くうたってありますが、これもあまり筋の通った話じゃないと思う。  あとは、単純に言いますと、やはり共済保険であり、得に組合と違って政府の場合においては、政府が保険料をとってこれを運営しているのですから、その責任において、赤字になったというような場合には、赤字対策で相当の責任を国が持つのが当りまえでありますし、また理想的にいいますと、どの医療保険にも最小限度二割というような、そういう定率の国庫負担が望ましいと思いますが、どうしても金が出ないというならば、やはりそれに段階をつけてもしょうがないと思います  そのほかに、大体労使双方負担するといいながら、そういうみじめな勤労者の実態をもう少し把握なさいまして――実際保険料率の千分の六十五というのは、これは川崎先生の見解によると、今度の赤字の対策は、国もあるいは事業主も労働者も持てということだと思いますが、私は、労働者は千分の六十五という世界最高の料率を負担しておりますから、その上に一回三十円という負担は、非常に酷だと思います。そういう意味で、共済保険の問題や社会保障の一環の問題や、あるいは現実のみじめな勤労者の状態から申しますと、あまり学問的な理屈をつけて、そうしてどうだこうだというのは、それは近藤さんの話によりますと感情論だということですが、感情論に訴えても、それが大体世論化している今日におきましては、当然定率化が必要だ、そういう気がいたします。
  16. 柳田秀一

    ○柳田委員 今の点は、川崎君の質問に全部答えておらぬと思うのです。そこで七人委員会――これは川崎前厚生大臣の諮問機関でありますが、七人委員会の結論もそのように出ておる。社会保険に加入しておらぬ国民に対してそれは非常に不均衡じゃないか、こういう議論があるのですが、この議論はまた議論として私は成り立つと思う。今公述人の言われたように、軍人恩給でもどうか、今次大戦は国家総動員法による大戦であって、かつての西南役のとき、錦の御旗に従っていった官軍には陛下の御恩によって恩給がついた、そういう時代とは違って、今度は甲種合格だけ行ったのではなしに、国家総動員で行った、学徒も行った、あるいは開拓義勇団も行った、外地におって財産を失った人もある、いや外地に行かず内地にいても家を焼かれたり、原爆を受けたりした、そういう者に対して補償がないのに、旧軍人だけに恩給があるのはどうか、そういう反論も成り立つと思う。また逆に造船に対する利子補給でも、海運助成策として国家が必要だからというので助成した、その助成を受けた会社が利益を上げて特定の株主だけにその利益を配当しておる、そういうのになお国家資金を導入されておる、これは国民全体の立場から見れば不均衡じゃないか、そういう反論は幾らでもあると思う。三千万の人間は社会保険のワク外にあるのに、特定の社会保険の中に国庫負担を持ってくるということは不均衡だという議論は、その意味において成り立つと思う。しかしその議論はともかくとして、一部負担に対してはどうかという点に対する公述人の今の御説明は意を尽しておらぬと思う。  そこで私がお聞きしたいのは、われわれ社会党も社会保険に対しては定率負担をすべしという意見を持っております。しかし現在の社会保険の赤字の原因は、今公述人が言われたように結核が一番多い。しかし結核なら結核だけに特別の保険制度を作ることは反対です。そういう危険負担は初めからできない。そういうような意味においてはまず社会保険の中の赤字の大宗をなしておる、原因をなしておるところの結核に対して、ひとりこれは政府管掌の健康保険だけではなしに、政府管掌もとより、あるいは組合健康保険もとより、あるいは船員保険もとより、国民健康保険もとより、そのうちの結核に対しては定率の負担をするとか――あるいは結核の公費負担も公述人がおっしゃったように四分の一を国庫で負担しておりますが、今年度は減っておる、また地方財政は苦しいから、四分の一を持たなければならぬのにそのワクをはずそうはずそうとやっておる、そうなると公費負担の制度は空文にひとしいじゃないかという公述人意見もわかる。そうなるとこういう公費負担も含めて、八千九百万の国民全体に均霑するのだからというので、結核なら結核に対して結核予防法における公費負担を、あるいは国民健康保険、社会保険、あるいは組合であろうが政府であろうが、そういうものにまず定率の負担をしておいて、そして段階的に一部負担をするのがいいか、そうでなく、とにもかくにも一応そういう議論はあるにしても、社会保険のらち外にある人があるのに特定の社会保険だけに一部負担をした方がいいのか、その点のお考え方を伺っておきたい。
  17. 吉田秀夫

    ○吉田公述人 柳田先生の大体のお話、特に結核保険を今さら作るということは、私は実現は非常にむずかしいと思っております。それからせっかくの結核予防法が今度の予算でまたほとんどだめになるという心配は私も持っているのですが、そういうことならはやはりいろいろな保険別、制度別に――三千万人の全然医療保険のない国民に対しては急速にやはり国民保険を作っていただかないと困ると思うのですが、そういう方向を前提にしまして、そういう保険別に若干の比重を前提にして、結核に対する定率による国の公費負担ということは、私は全面的に賛成です。   〔稲葉委員長代理退席、委員長着席〕
  18. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 もう一つ、これはあなた方の方で御議論があるように伺っておりますけれども、将来老齢年金制度あるいは国民総合年金というものをする際に、これは非常に困難な事業でありますけれども、何から着手すべきかということについてのお考えがありましたら伺いたいと思うのです。  それは端的に申しまして、先ほど旧軍人恩給をずいぶんずばりとつかれました。私も大体同感であります。そこで旧軍人恩給、文官恩給を入れて九百何億という大へんな数でありますが、旧軍人恩給のうちの大宗をなすものはやはり遺族年金であるわけです。遺族年金というものは元来の性格としてはやはり社会保障的な性格を帯びておるので、遺族年金とか生活保護を受けておる者のうち六十五歳以上の者は老齢年金に組み入れていくことになれば、無醵出年金制度というものを実施する場合にも楽ではないか。日本予算の立て方というものは社会保障費が少いように思われているけれども、社会保障費的なものはずいぶんあるわけです。この間衆議院の本会議でも社会党の勝間田君から、この間の総合調整をせよという抽象的な御議論はあったのですが、私の考えておりますものは、厚生年金というものが一つの柱になるわけですから、これと総合しつつやっていけば、かなり社会保障に対する施策というものは表立って充実することになるわけです。あなたは先ほど防衛費との関係を言われた。防衛費は千四百億なんぼで片方は千百二十億、非常に軍事費偏重だと言われたが、私は立て方によっては、日本予算のうち社会保障的な経費はかなり多くあるのではないかというふうに見ておる。やり方がまずい、まずいというよりは考え方が政府として統一しておらぬということは、これは私どもに対する御非難として甘受しなければならぬと思いますけれども、老齢年金を準備する際における立て方について、御議論があればこの際一つ承わっておきたい、かように存じております。
  19. 吉田秀夫

    ○吉田公述人 大体私川崎先生の御構想に賛成なんです。これは非常に抵抗が強いと思います。元軍人あるいは国家公務員等々の恩給につきましては、相当勇断相当の政治力を持ってしなければできないと思うのですが、当然厚生年金を柱にしてそれに付加した国民年金というような形の中に総合調整さるべきだと私は思いますので、それだけ申し上げておきます。
  20. 三浦一雄

    三浦委員長 ほかにございませんか。――他に御質疑がなければ吉田公述人に対する質疑は終了いたしました。吉田さん、ありがとうございました。(拍手)  それでは午後一時より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時九分休憩     ―――――――――――――    午後一時三十四分開議
  21. 三浦一雄

    三浦委員長 休憩前に引き続き公聴会を開きます。  御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。本日は御多忙のところ貴重なるお時間をおさきになり御出席下さいまして、委員長として厚く御礼を申し上げます。  申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、目下本委員会において審査中の昭和三十一年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算案審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位の忌憚のない御意見を承わることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考となるものと存ずる次第であります。一言あいさつを申し上げます。  なお議事の順序を申し上げますと、公述人各位の御意見を述べられる時間は大体二十分程度にお願いいたしておきます。御一名ずつ順次御意見の開陳及びその質疑を済ましていくことといたしたいと存じます。  なお念のため申し上げておきますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言の内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。さらに、委員公述人質疑をすることができますが、公述人委員に対し質疑をすることはできませんから、さよう御了承下さい。  それでは静岡大学教授鈴木安蔵君の御意見をお聞きすることといたします。鈴木安蔵君。
  22. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 私に求められましたのは憲法改正に関する問題というのでございます。限られた時間でございますから、憲法改正に関する憲法理論一般ではなしに、当委員会に対しまして、多少御参考になる点に力点を置いて申し上げたいと存じます。  第一に、日本国憲法は、憲法改正という事項について何を定め何を要求しているか。申すまでもなく、これは常に改正をせよ、改正をすることが大切である、こういうのではございません。お集まりの皆様には蛇足でございますが、前文第一項の末尾に、あるいは第四項、さらに第九十九条の定めに顧みましても、この憲法の力点は現行憲法の基本原理、横本精神、これを実現するためにこそ日本国憲法が制定発布されたのでありますから、可能な限りこれを完全に実施することに国民はもちろん、天皇、摂政その他すべての公務員が努力することを要求いたしております。これは当然のことでありまして、いやしくも憲法は、その憲法がよく守られ、完全に実施される、こういうことを目的として制定されたのであります。すなわち、憲法を尊重し擁護するということが、いわば憲法のプリンシプル、本道であり常態でありまして、第九十六条に定める改正はエクセプション、例外である。万やむを得ない場合に改正してその根本原理をよりよく時代の変遷に適応せしめる、こういう趣旨であります。  次に、第二点としまして、すでに憲法は一定の具体的な国家行動、具体的な国政のあり方をめざして定められるのでありますから、この改正ということは、その憲法の目ざしておるところの一定の具体的の国家行動、国政の基本原理をよりよく実現するための改正でなければなりません。憲法に改正という条文を置いておりますのは、この憲法を廃止するあるいは憲法の実質を無にする、そういう趣旨で置いておるのではないことは言うまでもありません。第九十六条の第二項もそのことを明示しておると考えてよろしい。すなわちこの憲法が改正の必要ありとされまして所定の手続を経ました場合には、天皇はその改正されました案文について、「この憲法と一体をなすものとして」、直ちに公布しなければならないのでありますから、直ちに一体をなすものとして公布するということは、すなわち現憲法と改正案とが首尾一貫をなす、原則においても一体をなす、こういうことを意味するといわなければなりません。  しからば日本国憲法はいかなる目的、いかなる基本原理のもとに制定されたか。これはすでに御承知のように、詳論は省略いたしますが、前文第一項がきわめて明白にそれを示しております。すなわち日本国憲法は国民主権の原理を人類普遍の原理として採用しておるのでありますが、単にそれが人類普遍の原理であるからというのではございません。簡単に申しますと、国民主権原理を宣言しなければ、諸国民との協和あるいは日本国全土にあまねく行き渡っておる自由、そういうものが確保されない、また国民主権によらなければ政府の行為を通じて再び戦争の惨禍が起る危険がある。こういうことを確信いたしまして、国民主権の原理を採用したのでありますから、日本国憲法の基本原理は単に国民主権というべきではない。むしろそれ以上にいわば基本的人権の尊重、諸国民との友好状態及び戦争放棄にあるといわなければなりません。これがいわゆる学界においてもまた皆さんの間においても問題となっておりますところの日本国憲法改正の限界の問題であります。  以上は憲法自体のうちに明文をもって示されておる基本原理である。あるいは言いかえるならば、改正の限界点である。しかるに明文をもって定めておりませんけれども、日本国憲法が近代憲法であるというその性質上、当然憲法に内在する基本原理がございます。従って憲法改正という場合に、それを改正することは憲法というものの性質上できない。具体的に例を上げた方が論旨が明らかになると存じますが、たとえば学界におきましては憲法改正に限界がない、つまり日本国憲法の一条々々は最高法規を構成しておるのであるからして、ある条文は改正できない、ある条文は最も基本的なものである、そういう差別はない、こういう説が相当に有力にございますけれども、これは法実証主義のきわめて誤まった形式論でありまして、たとえば御承知のように、第八十三条は「国の財政を処理する権限は、国会の議決」に基かなければならない、こういう定めがございます。申すまでもなく予算審議権でもすべてこれを基本としておるわけでありますが、今憲法改正の対象としていかなることも改正し得るという立場に立って、第八十三条を改正いたしまして、国の財政に関する権限は閣議の定むるところによってこれを行使することができる、こういうふうに改正いたしましたならばどうなるでありましょうか、もはやおそらく衆議院といわず、参議院といわず、国会の予算審議権というものは必要がなくなり、予算委員会というものは必要がなくなるといわざるを得ません。こういうことは憲法が財政民主主義、予算審議権、そういうものの前提として成り立っておる国家構造の重要な一機関であるというその性質から申しまして改正することができない。いわば日本国憲法のやはり基本的な制度でございます。もちろん第九十六条の手続によって第四十一条を削除する、こういうことができるわけはございません。「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」この四十一条を九十六条の手続に従って削除するということになりましたならば、もはや日本は憲法国家ではなくなるのでございます。あるいはまた司法権の独立ということを保障いたしておりますところの第七十六条を改正いたしまして、司法権は内閣及び政令の定める下級外政機関がこれを行使する、こう改めましたならば、もはや法治国家は存在なくなるのでありまして、これまたとうていできないのであります。あるいはまたお集まりの国会議員の皆さんが、今日は言うまでもなく全国民の代表者として公選されておるわけでありますが、これを憲法四十三条を改めまして、国会議員は内閣がこれを任命する、こう改正いたしましたならば、ここに議会政治はなくなるのでございます。こういう例は至るところにあげることができますけれども、時間の関係上後に時間がございましたならば論及することにいたしまして、この種のものは憲法であるということ自身に内在するところの基本原理、憲法九十六条の憲法改正の対象とはとうていなし得ない、日本国を憲法政治の国家として廃止するのでなければ、改正の対象とならない問題でございます。  以上二つの立場から考えますと、憲法第九十六条にいうところの改正ということは、あくまでもいわゆる部分的改正、憲法の基本原理、憲法国家という本質を変更しない改正である、こういうことはきわめて明らかであると思う。つまり九十六条自身はすでにいわゆる全面的改正であるとか、あるいは憲法の基本原理をなすところの先ほど申しましたような三大原則、あるいはただいま申しましたような、憲法的国家機構、そのものを変更するような改正を意味しないのであります。もちろん長い歴史の過程におきましては、憲法九十六条の予想しないような、そういう形態で憲法が改められるときがあり得るのであります。すなわち憲法が廃止されまして、そして新しい憲法が制定されるということは、これは考え得ることでありますが、第九十六条にいうところの改正は、そのことを意味するものではございません。  次に第九十六条の定め自身をどう解釈するか、これは学界において大きい問題でございますが、私の考えといたしましては、憲法の制定はこれは日本国憲法の建前上、主権者である国民がなし得るわけであります。いわゆる憲法制定権であります、従って九十六条にいう憲法改正ということは、直接的にこの憲法制定権、主権の発動であると見なければならない。そうしますと主権が発動して憲法を改正するという場合に、どのような方法で改正するか、つまりある一定の手続をとらなければこの憲法の、先ほど申しましたような本質が変更される、それでは憲法を尊重し維持することができない、こういう観点から憲法制定権者、主権者がこれこれの方法で改正するならば、憲法の本質は傷つけられないであろう、そういう判断のもとに改正手続が定められております。従って憲法条規の中におきましても、他の条規に比して改正手続は特にその重要性が深い。つまり簡単に申しますと、改正手続は制定権力のいわば直接的な自己規定である。従って制定権によって喪失された他の一般の条文よりは、より憲法的価値が重い。他の条文はこの改正手続の方法によれば改正できるのであるが、改正手続のその規定自体は、憲法制定権者自身の別個の決断によらなければ変更することができない。つまり九十六条の手続によって九十六条それ自体を改正するということは、法理的には認められないと思うのであります。  次に改正の発議、これは以上申しましたところから明らかなように、制定権者、主権者が憲法を改正し得るのでありますから、当然に憲法上主権者、国民の代表機関であるところの国会に、その発議権を憲法は与えておるわけであります。内閣が憲法改正を発議するということは、もちろん憲法は認めていないところで、争われております論点は、国会自身に提案するのは内閣でもよかろう。要するに国会が審議し、可決して、これを国民に提案する。すなわち国会の発議が国会を通してなされればよい、こういう趣旨であると解するものもあるのでありますけれども、以上述べたような点からいって、私は正当とは思われない。なぜならば、改正の発議ということの重要な一つ段階一つの手続が原案の国会に対する提出、提案であります。およそ立法作用は申し上げるまでもなく、単に提出されましたところの議案について討論し、修正し、あるいは可決もしくは否決するという作用のみではございません。その一番基本になる原案を作製する、原案を調査する、これを起草する、これがむしろ多くの法律について皆様の方が御存じのように、立法作用のうちでは大きい役割を演ずるわけであります。いろいろと修正いたしますけれども、かなり原案というものの精神、規定は最後まで生きるのでありますから、立法作調においては、原案調査、起草ということは重要視しなければならない。日本国の憲法のもとにおいて、明治憲法のもとになかった国会の法制局というようなものを設けた趣旨も、そこにあると思うのであります。従って憲法改正原案を調査する、あるいはそれに基いて一定の改正案を起草する、そしてそれを国会に提案する、提出する、このいう行為は、国会それ自体のみがなすべきでありまして、内閣がこういう手続、こういう段階を扱うということは、日本国憲法第四十一条の趣旨から申しましても、またただいままで申しましたような制定権者として国民を確定しておることから申しましても、私は適当ではないと思う。  次に改正案の審議、議決については、御承知のように、一般立法について五十六条が定めておるところと違っております。定足数の問題がないと申しますが、これは一般立法におきましても、定足数は議決数よりも低く定めてありますから、憲法改正案についての定足数も三分の二より低くしてもよい、こういうことは考え得るのでありますけれども、事の性質上やはり定足数も三分の二を要すると解する方が慎重な改正手続上よいのではないか。しかし法律的に申しますと、これは少くとも三分の二以下でありましても、違憲ということではないと思います。ただ望ましくない。三分二以上の定足数があって、三分の二以上の多数決ということが、憲法、要求に合うと思います。  次に改正案について国民による承認は、国民投票という形態でこれを確認することになっておりますが、最近も一部の人々の間において問題になっておりますように、この際どういう形態で国民投票に付するか。これはあまり諸外国に多くの立法例がございません。若干調べましたけれども、全面的改正をなしました場合は、たとえばソ連邦におきまして、一九二四年憲法を改正して、いわゆるスターリン憲法を制定いたしました際には、形式的にその両憲法を比較してみますと、ほとんどこれは全面的改正といってよろしいのであります。条文の構造もほとんど違いますし、また扱っておる事項もかなり本質的に違った面もある。けれどもその基本にありますところの社会主義国家の建設であるとか、あるいはプロレタリアートの独裁という基本原理は、あくまでも不動でありまして、全面的改正ではありましても、その本質においては法的継続性を持っていると確認できる、こういう形態を考えますと、全面的な改正は必ずしも異質の憲法を制定するものではありませんけれども、しかし全面的改正という形態において憲法の本質が変るという場合ももちろん非常に多いのであります。そういう場合に現行憲法をかなり全面的に修正しましたものを、直ちに国民投票に付し得るかどうか。これは憲法自身に明文はありません。ありませんけれども、この九十六条の趣旨がすでに申し上げましたような意味でありますから、私は少くともこれは適当ではないと思う。つまり国民投票は単に国民に一時的の拒否権を与えるというような制度ではなくして、実に憲法制定権者、主権者国民自身が単に自己の代表である国会にのみゆだねないで、みずからの憲法制定権力を行使する、そういう制度でありますから、そういたしますと、国民投票の性質上イエス・オア・ノー、賛成か反対か、この意思表明きりできない。国会における討論のようにつぶさに討論し修正するということはまず不可能であります。そういたしますと、制定権者国民自身の意思を聞く、国会だけがこれを独占的に処理しない、こういう精神から申しますと、国民自身の十分の意見一つ一つの個条について明確に知ることができる、いわゆる国民の自由な意思の表明を確認できる、こういう扱いをすることが、九十六条の国民による承認の適当な解釈と思う。そういたしますと、可能な限り一条々々について個別的に賛成かいなかを国民に提案して賛否を問うことが、九十六条の趣旨に合致すると思うのであります。もちろん技術的には、ある場合にある一定の条項を改正いたしますと、それに関連して最小限度必要な改正というものが起ります。そういうものは数個条一括して国民投票に付することも、以上の趣旨からいえばあえて差しつかえないと思うのでありますが、少くとも非常に違った事柄をたくさん改正案に盛りまして、それをただ一括してイエスかノーか、賛成か反対かということを聞くことは、国民投票ということの意味を非常に発揮せしめないことになると思うのであります。従って適当ではないと思います。  憲法改正について申し上げたい理論的な点は以上でありますが、最後に、憲法九十六条の改正ということの意味は繰り返し以上申し上げたとろでありますが、かりにこの九十六条を定めている趣旨から申しましても、九十六条所定の手続を経ないで、憲法の条規の内容が変更されるような事態が起りましたならば、わざわざ九十六条に慎重な改正手続を定めた憲法の意味が全くなくなるのであります。そこで私が一言しておかなければならないことは、特に国会におきまして、この九十六条の手続を経ないで実質的に憲法の条規が変更されるような、そういうことのないようにしていただきたい。なぜならば国会がそのことに留意する以外には、国民投票はそういうことについてはないのでありますから、憲法上の制度としてはひたすら国会自身の留意に待つほかはないと思うのであります。たとえば他の機会に公けにいたしましたように、自衛隊法、防衛庁設置法、こういうものはいろいろ議論がございますけれども、今日公法学界の定説として近代的の軍隊を創設し、強化する法律であるということは、ほぼ学界の諸文献において確認しておるところであります。そういたしますと、これは憲法第九条及び前文の解釈からいたしまして私は適合していないと思う。そういうものが国会の成規の手続によって議決されますと、形式的には国政を拘束し、国民を拘束するのであります。しかしそれは非常な疑義がある。ところで本年度の予算案を拝見いたしますと、さらにその内容を強化するような一定の予算費目が盛られておる。これは法理的に見ますと、憲法に適合しない法律あるいは憲法に適合しないと考えられるそういう施策のために、予算の裏づけをするということは、憲法上どうも正当とは考えられない。つまり憲法八十三条なりあるいは八十六条なりにおいて定めておることは形式的の手続についてのみ言っておるのではないことは申し上げるまでもございません。国会の議決に基いて行使をするとか、内閣が毎会計年度予算を提出して国会の審議を経て承認を経るということは、その予算の内容が合憲的な行為、合憲的な施策についてのそういう予算でなければならないということ、これは自明のことであります。そういたしますと、かりに私のような判断が正しいといたしますと、九十六条の所定の手続を経ないで、そうして実質的には憲法九条及び前文第二項の精神が変更されておる。これは憲法改正を特に慎重に定めた憲法の趣旨に反するのではないか。  なお財政問題については専門でございませんから、最後にただ感想を一言申し上げます。日本憲法の制定は国家国民生活から見ますと、たとえば憲法の第二十五条第一項、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活をする権利を有する、こういう規定は、要するに国政の理想を定めたものである、現状では無理である、こういう解釈もございますが、しかし私はそれはそうではない、憲法は法覊範でありますから、政党の政策、目標を国民に宣明いたしますには他に方法があるのでありまして、国の最高法規に明文をもって定めた事柄はやはり国会、内閣等が力をあわせて実定法規として実現する。そういうことが要求されておると思います。そういう観点から見ますと、予算の内容についてはなはだしく不適当なところがあるのではないか、そういう感じを抱くのであります。  以上をもって私の公述を終ります。
  23. 三浦一雄

    三浦委員長 ただいまの公述人の御発言に対しまして御質疑はございませんか。
  24. 稻葉修

    ○稻葉委員 公述人に対しまして九十六条をめぐる御解釈について二、三御質問を申し上げたいと思います。  憲法改正に関する問題は日本国憲法の前文第一項末尾、第四項並びに九十九条等からこれを慎重にすべきであることはもちろんであります。しかも改正に限界があるということについても私は賛成でありますが、日本国憲法が明治憲法第七十三条の改正手続によって改正された憲法であるのか、あるいは新しい憲法の制定であるのか、その点については、この御意見によると、明治憲法七十三条の改正憲法だとは認められない、こういうふうになるそうですが、果してそうでしょうか。この点まず第一にお尋ねいたします。
  25. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 これは私ども自身理論的に苦心するところでありまして、私の著書憲法概論において従来の憲法史上類例のない複雑なものである、でありますからこれはどうも明治憲法七十三条所定の精神から申しましてこういう改正は法理的になし得ない、かく考えるのでありますが、これを理論的に追及していきますと、しからば明治憲法においてだれが違憲審査権を持っておるか、そうしますと、これは天皇それ自身で、今はございません。当然でございます。そういたしますと天皇はその議案を枢密院に付議され、さらに帝国議会にお出しになり、最後に裁可されて上意を付して発布されたといたしますと、これは理論的にあるいは政治的に改正の限界を越えた新憲法の制定であると申しましても、私どもはそういう理論的解釈はできますけれども、公的の有権的解釈としては天皇御自身がそうであるとおっしゃるのでありますから、明治憲法の第七十三条によるところの合憲的な改正であり、形式的に申しますとりっぱな欽定憲法であると申すほかはないのであります。しかしその趣旨にも書きましたように、明治憲法第七十三条の解釈からいたしますと、出されました原案について国会でああいう多くの討議がなされ、相当の修正をなされるということは、明治憲法の場合発案権は天皇にのみ保留されておったのでありますから、帝国議会においてあるはずはないのでありますが、これがなされておる。そうするとこれは憲法史上一八五 ○年のプロイセン憲法の場合のように、いわゆる協約憲法というのが制定過程においてはとられております。最後に公布されました憲法は欽定憲法でありながら、日本国民は云々でありましてこれはりっぱな民定憲法の内容を持っておる。でありますからこれは学界でも欽定憲法の七十三条による正式の改正であるかということは論議されますけれども割り切れない。形式的に申しますとりっぱな欽定憲法であり、七十三条所定の合憲的の憲法である。しかし社会的、政治的に見ますと、これは明らかに明治憲法の廃止であり、新しい民主憲法の制定であるということになると思います。
  26. 稻葉修

    ○稻葉委員 次に憲法九十六条をどう解釈するかという問題について公述人の御意見は、制定権力の直接発動的な規定であるから――言葉は違うかもしれませんが、九十六条自体を九十六条の改正手続によってはできない。すなわち国会の総員の三分の二の議決を経てそれを発案して国民にレフェレンダムを得ても改正できないんだ、こういう御意見のようでありましてその点是認するとして、九十六条自体は制定権者の別個な手続によらなければならない、その別個な手続とはいかなる手続でございましょうか。この点もう一ぺん承わりたい。
  27. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 その点、別個の手続と申しますのは、憲法自身を廃止して、そして新しい憲法を作ることが日本国、日本民族の発展に必要である、こういうことを私は考え得ると思います。つまり憲法制定会議を開く。これは従来の憲法史から見ますと、革命とか、そういう際にとられておりますけれども、もはや今日の段階において私はそれでよいのではないか。ただしいて現行憲法を法的一貫性を持たないものを持つようにして、そういう理論に反するようなことをこの憲法の九十六条でやることは、むしろ望ましくない、こういう考えでございます。
  28. 稻葉修

    ○稻葉委員 改正の発議権が国会に限らるべきものであるという御意見についても、私は大体賛成でありますが、憲法調査会法を国会に提案する場合は、このたびの場合、現実には、われわれはその趣旨を尊重して議員提案にいたしたわけでありますが、これは内閣提案でもよろしかったのでしょうか、それとも議員提案でなければ憲法のこの趣旨には沿わない、こういうふうにお考えでしょうか。
  29. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 これは、やはり学界においても大へん議論的に分れておるところでございまして、一度他の委員会において、たとえば内閣法第五条にあるように、法律案を内閣総理大臣が内閣を代表して提案できるかどうか、これについて所見を申し述べたことがございますから、関係記録をごらんいただきたいのでありますが、憲法第四十一条の趣旨から申しまして、また憲法第七十二条は、御承知のように「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、」とこう書いてあります。この議案の中に法律案が入るかどうかは、制定当時から私ども非常に疑問に思ったのでありますが、どう考えましても、唯一の立法機関であるということは、先ほど申しましたように、原案の起草、提出までも含む行為でありますから、国会のみがこれをなし得る。ことに第七十二条は、内閣に関する規定の章の一条でありますから、そこに単に議案と書いてあることは、行政権行使に関する議案、こうでなければならぬ。そうすると、内閣法第五条がこれを敷衍しまして、内閣総理大臣は法律案、予算案その他の議案を国会に提出しと定めたのは、憲法第七十二条、第四十一条を正当に解釈したものではない、こう考えております。そういたしますと、すでに一般立法についても、唯一の立法機関は国会でございますから、内閣が法制局に命じて議案を作って、重要な議案をどんどん出すということは、憲法の趣旨からいってふさわしくないのではないか。ただ占領軍がおりましたとき、皆さんの方が御承知のように、マッカーサー司令部から内閣へどんどんと法案を作ってきまして、これを国会にのませるというようなことをやった。その悪縁で――これは占領国自身が日本国憲法を踏みにじったと思いますが、そういうことがございまして、いわゆる独立後におきましても、内閣は依然として重要法案をみずからの手で作って出しておる。もっともこれは、そういいましても、国務大臣の過半数以上、ほとんど全員が国会議員でございますから、そういう形でおやりになればこれはよいと思いますが、そうはしてない。そういたしますと、ことに重要な、国民投票まで条件としておりまする憲法改正案については、内閣はなすべきではない。そうしますと、議員立法として議員の方が提出されたということは、大へんよろしいと思いますが、内閣がお出しになるということは、大きく申しますと憲法第四十一条、七十二条及び九十六条に適合しない、こういう議論になると思います。  ただもう一言申し上げておきたいことは、かりに議員がお出しになりましても、私は内閣にそういう調査機関を付置するとか、あるいは内閣の統括のもとに置くということもふさわしくない。お出しになるのは、議員であることはもちろん大切でありますが、その内容も国会に付置する、これが憲法の要求するところと考えます。
  30. 稻葉修

    ○稻葉委員 もう一つお聞きしたいのは、本日の公述人の学説はよく存じ上げておりますから、その点についての別な見解もありますけれども、それは別に置くとして、公述人の見解に暴いてどうなるかという点についてお伺いしたいのですが、憲法九条に反する違憲の実際行動が行われている例として、防衛隊の設置等あげられましたが、これについては、公述人は、憲法九条第二項は、自衛の目的であろうと何であろうと、実際上軍備禁止の規定である、そういう御見解にお立ちになるわけですからこういう結論が出て参りますが、この点を争うことは別にしたしまして、先生の御見解に基いてこれをどう取り扱うか、こういう場合に、この違憲の判断を、現在の制度では最高裁判所がすることになっておりますけれども、現在の日本の憲法に基く裁判制度では、こういう違憲立法についての国民のための保護が十分ではないではないかというふうに考えまして、こういう点は、やはり、憲法裁判所とか、そういう迅速に、しかも専門的にそれ自体を取り上げてやっていく制度、機関が必要なのではないかというふうに考えるのであります。と同時に、労働問題なんかにいたしましても、仲裁とか、あるいは中労委とかありますけれども、これもやはり専門的、迅速果敢に労働問題の解決を、国民のためにも、労働者のためにも、一般国民のためにも、また経営者のためにも早期に解決するという労働裁判所の設置等も必要なのではないか、その設置は、九十六条の改正手続で行い得るかどうか、この点について公述人の御所見を承わりたい。
  31. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 私どもの解釈といたしましては、憲法第八十一条は憲法裁判所を認め得る、いな、大陸型の憲法裁判所を要求しておると思うのでありますが、裁判所法の立法君たち、当時の国会におきましては、アメリカのひな形が頭にありまして、現行法のようなものができたと思います。でありますから、すでに八十一条は憲法裁判所を認めておると解しますから、ただいまのようなものは当然むしろ作るべきである。それからこの反対説が強いのであります。つまり裁判というものは、個別的の、具体的の権利についての争訟があって、初めて裁判をなし得る、こういうのでありますが、これはもう御存じのように、最近におきましては、最高裁内部の方の論文を見ましても、争訟なければ裁判なしということを、従来の、つまり憲法裁判というような事態の起らなかった時代の観念をもって律するのは狭きにすぎる、つまりこの法律は憲法違反である、政府のこの施策は憲法違反であるという、そういう新しい型の争訟ということを考えてよいのではないか。でありますから、私どもでも単に漠然と、憲法裁判所があって百を光らして、これは違憲であると判定するのではございません。一般的に訴えがあって、初めて裁判があるという点は同じであります。
  32. 山本勝市

    山本(勝)委員 ちょっと伺いますか、日本国憲法の条規と、それから憲法の論理とか、憲法の改正には限界があるというふうに承わりました。それで、この限界点を越えてもし改正が行われた場合には、その行われた憲法は無効なのかどうか、無効というのは、憲法の論理上無効になるのかどうか、まずその点を伺いたい。
  33. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 論理上無効である、つまり形式的な合憲性は保ちますけれども、実質的の違憲性を阻却することができない。しかし実際問題としましては、ヒトラー政府におきまして、ワイマール憲法を何ら変えずに、ワイマール憲法を所定の手続で、御承知のように授権法その他あらゆる弾圧法を作ったのでありまして、これはその実力を背景とし、しかも形式的の合憲性をもって御承知のような事態を作ったのでございます。でありますから、論理的には、形式的な合憲性は実質的の合憲性、違憲性も阻却することができないと思いますが、日本国憲法自身については、憲法改正自身について違憲審査をするというような制度もございません。
  34. 山本勝市

    山本(勝)委員 憲法違反の法律の無効であるかどうかという問題でなしに、その憲法改正の限界を越えて改正した場合に、その改正された憲法が、憲法の論理上は無効だ、そういうふうに了解していいのですね。
  35. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 そうです。
  36. 山本勝市

    山本(勝)委員 そうしますと、問題は、先ほど明治憲法は形式上欽定憲法と解釈する、合憲だというふうなお話がありましたが、形式上欽定憲法かどうかというのじゃなしに、明治憲法の基本的原則を今度の憲法で変えておるのじゃないかと思います。そうしますと、憲法の性格上、論理上限界を越えておる。そうすると、憲法の論理から申しますと、今日の日本国憲法というものは無効ということになるのですね。憲法の論理からいうとそう了解してよろしゅうございますか。
  37. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 私ども実質的に見れば、七十三条による明治憲法の改正ではなくて、つまり新しい原理による新しい憲法の制定と解釈いたしますから、だから明治憲法の立場からごらんになる方は、御承知のように占領憲法無効論、占領中かりにああいうものがあったのであって、独立した以上は、再び明治憲法が復活する、こういう論理をお立てになっているわけです。しかし私どもは、形式的には、ただいま申しましたように、欽定としての手続を経た欽定憲法でございますけれども、実質的には新しい憲法制定であると考えて、しかもその新しい憲法制定の内容原理が、私どもの憲法制定の主張と一致しておりますから、その内容において、私どもはこれを有益な、かつまた新しい制定憲法として、有効な憲法と受け取っておるわけであります。
  38. 山本勝市

    山本(勝)委員 そうすると、その前の大日本帝国憲法第七十三条の改正としては無効、新しく制定された憲法という、そういういろいろな手続はありませんけれども、一種の革命憲法として今日の日本国憲法は有効だ、こういうふうに了解してよろしゅうございますか。
  39. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 常識的にはそうおとり下すってよいと思います。しかしもう一つ法律論として見ますと、この明治憲法第七十三条の予想しない、限界を越えた憲法改正行為であって、明治憲法の論理から見れば、それは実質的に違憲のものと私どもは判断する。しかしながら、これを合憲であるか違憲であるかということは、天皇のみが旧憲法においては定め得ることでありますから、天皇自身が合憲的なものとして公布された以上、形式的の合憲性は存在する、こういうことでございます。しかし、私どもは、明治憲法の手続の定めるところを越えているかいないかということは、最初から問題といたしておりません。越えておると判断するのであります。けれども、それが新しい憲法の制定として、新しい国民主権の憲法として、そういうことに憲法的効力を持っておる、そう受け取っておるわけであります。
  40. 山本勝市

    山本(勝)委員 もう一つ伺いますが、そうしますと、憲法の論理からいえば、改正という以上は一定の限界がある。限界を越えたものは改正憲法としては無効だ。そうしますと、もしそういう論理から申しまして、改正憲法が無効という見解をとった場合に、今公述人のお話では、今の憲法は新しい憲法として有効、こういうことは承わりましたが、その場合に、明治憲法はどうなるのでしょうか。明治憲法は、改正手続によって改正されたもの、その意味においては無効だ。新しいものは革命憲法として有効。ところがその明治憲法の方は、その場合には革命によって否定された、こういうふうに解釈いたしますか。それとも改正の手続が、改正の限界を越えた無効な改正だから、それが無効だった場合は、明治憲法というものは、論理的には改正されなかったものと解釈して生きてくるのか。(笑声)これは皆さん笑いますけれども、私はまじめに聞くのですからね。
  41. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 でありますから、先ほど申しましたように、あくまでも明治憲法の原理を正しいと確信なさる方は、占領憲法無効論、いま再び明治憲法が効力を持つべきである、こう主張されておるのであります。それは、その立場からいえば一つの論理であると思います。それから実際は、しかし本院におきましても、そういう議論は勝ちを制しませんから、明治憲法がもしも有効であるといたしますと、皆様の地位もこの瞬間においてなくなるわけであります。実際大多数の方は、やはり天皇がこれを合憲とされたことを御承認になりまして、そして明治憲法と論理的にも一貫した、実質的にも――その辺は一々伺ったわけではありませんが、実質的にも合憲性を持っておる憲法とお受け取りになって、国会活動もなされ、多くの法案も有効なものとして制定されておると思います。私どもは、その実質については、明治憲法の原理を変革しましたけれども、先ほど申しましたように、必ずしも革命といわなくても、新しい憲法の制定は幾らもございますし、ただあなたのお言葉で革命といえば、それでもよろしいのですが、私どもは、現行の法律その他すべて憲法は、そういう立場から有効であると受け取っておるわけであります。
  42. 眞崎勝次

    眞崎委員 私は、しごく常識的に二、三御意見を伺いたいと思いますが、大体現行憲法が、人間性の実質や、世界の情勢、今の国家の治安の状況から見て、果してこの憲法でもって国利民福を維持していくことができるというお考えでありましょうか、その点をまずお伺いしたいと思います。
  43. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 これも、憲法改正についての問題ということに相関連することでありましょうが、あまり現実政治について詳しい知識を持っておりませんから、十分お答えができないと思いますが、せっかくの御質問でありますから所見を申し述べます。  私どもは、憲法学者としては、日本国憲法をどのように解釈し、尊重し、擁護するか、ここまででありまして、ただいまのような政策論については、あまり十分お答えできないことを繰り返して申し上げますが、私の結論を申しますと、国際情勢及び現在の軍事科学の異常な発達、兵器の予想もしないような破壊的な性能から申しまして、現行憲法の定めるような、そういう国政のあり方の方が相対的に見てより安全である。絶対安全ということは考えられませんけれども……。しかしどう考えても、日本はそういう捨て身の戦法と申しますか、いわゆる絶対非武装の中立を全世界に向ってあくまでも主張する、こういうような態度の方が、火中のクリを拾うような危険性よりも、かえって相対的には安全ではあるまいかと考えます。  それから、その他の国民の福祉、こういう点につきましては、たくさん不満がございます。それは他の機会にも申しましたように、いわゆる現代において切実な社会的、経済的基本権、こういうことについても、規定が非常にあいまいでありまして、ことに憲法第二十五条のごときは、先ほども申しました点は、いわゆるマッカーサー草案には全然ございませんでした。ございませんでしたものを、私どもの民間において作りましたのは、すべて国民は文化的水準の生活をなす権利を有する、こういうのが私どもの憲法研究会の案でございましたが、これが当時の憲法研究会員でありました森戸辰男、原彪その他社会党の方々からと思いますが、衆議院において出されまして、皆さん方の賛成を得て、現行第二十五条が、マッカーサー原案にないものができたのでありますが、これなんかも、憲法条理としては、もう少し関係法規がいやおうなしにできなければならないような精密な条文にいたしますと、より一そう福祉国家としてよいと思います。そういう不満はございますけれども、しかし憲法の条文の簡単なものは、これは国会におきまして実定法規を詳細にお定めになれば救えるのでありまして、私は今の憲法をもって、日本の置かれております社会、政治状態から見ますと、まだまだ日本の政治がよくなる可能性のある、つまり有益な、進歩的な憲法である、全体としてはそういう憲法であると考えております。
  44. 三浦一雄

    三浦委員長 眞崎委員に申し上げますが、この公聴会の趣旨は、鈴木さんから憲法改正に関する御意見を聞くということでありますから、なるべくそれに接着したお尋ねをお願いします。
  45. 眞崎勝次

    眞崎委員 次に、これは非常にこっけいのように聞えるけれども、一番大帝でありまして、国家の存立と憲法と衝突するときには、どっちを重くとられますか。
  46. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 まことに重大な問題であります。たとえば自由民権運動時代に、植木枝盛という非常にすぐれた理論家がございましたが、この人が、人民は憲法の奴隷にあらずという非常にりっぱな論を吐いております。人民あっての憲法であって、憲法に絶対服従させられるようなことは本義ではない、つまりこれは、明治憲法を作るような政府の動きに対しまして、みずからの論を主張したと思います。憲法史の歴史が示しておりますように、そのときそのときの力関係により一定の憲法が作られましたけれども、これがやがていろいろと変遷しておる。その原因は一つではございませんが、そのうちの一つには、憲法自身の定めるところがとうてい国民国家の生存発展のために十分でないという、こういう一つの歴史的判断があって悪法が破棄されまして、新しい憲法ができておると思います。でありますから、ただいまのような御質問は重大な問題でありますが、しかし今日の段階においては――フランス革命やロシヤ革命のときでありますならば、それでよいと思いますが、今日私どもは、国際的にはいろいろ議論がございますが、しかし国際法治時代ということは十分に言えると思います。ましてや国内政治におきましては、もう憲法、法律というものを離れて政治を考えることはできない段階に入っておる。民族の発展、人民の発展、国家の発展ということは、何らかの形における法規範において十分に実現される。つまり国家あっての憲法である、人民あっての憲法であるということは、常識論としてはもっともでありますけれども、人民の利益が大切である、国家の利益が大切であるから、それに適合しない憲法は破壊せよ、こういう問題の立て方は、私は法治国家的ではないと思う。つまりどちらが大切かといいますれば一もちろん国家と申しましても、この美しいわれわれの祖国の山河、これはもちろんございますが、そこにお互い日本民族というものがおりませんならば、これはもう何の意味もないのでありますから、私は常識論といたしましては、やはり人間あっての、お互い人民あっての、国民あっての、また国民が合成しておる社会生活があっての憲法、これでよろしいと思います。ただ問題の立て方としましては、そういう国家、そういう国民の発展、福祉のためにあくまでも今の憲法で不十分であれば、所定の手続で改正して、どうしてもだめでありますれば、この憲法を廃棄して、新しいりっぱな憲法を制定するのも一案でありましょうが、憲法を離れ、憲法を破壊して、そうして国家を守るというような問題の立て方は、いわゆる前法治国家的ではないかと思います。
  47. 眞崎勝次

    眞崎委員 それでは次には、さっき説明されました自衛隊、防衛庁の建設が憲法の精神にもとるという、そういう疑念はわれわれも持っておりますが、事実そうせざるを得ないということは、国家の実際上必要やむを得ずしてこういうことが行われておると私は思うのでありますが、そこに今申し上げた国家が大事か、憲法が大事かという疑念を生ずるのであります。  ついでにもう一つ一緒に御説明願いたいのですが、憲法に疑義があるものをそのまま存続するということは、このくらい国家に危険なことは私はないと思う。たとえば一世を驚倒せしめた二・二六事件のようなものでもせんじ詰めると、明治憲法の主体に関する説明を、解釈を二様にしておったことがああいう不祥事を起した根本だと私は思う。明治憲法の主体が、御承知のようにいわゆる天皇主体説であったことは明瞭であって、それに従ってすべてのお勅諭あるいは勅語等が出ておるように思いました。それでその教育を受けておる。片一方は、天皇機関説という説をとって、今までの戦前の解釈とは相いれないものが、しかも政界の上層部に持たれておった。そこで衝突してああいう事件を起したと、私は私の研究した範囲で思っておるのでありますが、現在国家の一番重要なる存立の骨子に関する問題について疑念を持っておるような憲法をこのままにしておくことは、国家の存立上一番危険ではないかと思っておりますが、その点いかがでございましょうか。
  48. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 せっかく参ったのでありますから、何でもお答えいたしますけれども、予定したのでは、二時から始めて三十分、せいぜい一時間ぐらいで帰していただけると思いまして、その日程を組んでおりますので、適当なときに……。
  49. 三浦一雄

    三浦委員長 あと何分ぐらい余裕はございますか。
  50. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 早ければ早いほどけっこうでありますが、せっかく参ったのでございますから……。
  51. 三浦一雄

    三浦委員長 それではどうぞ簡潔にお願いします。
  52. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 天皇機関説と天皇主体説ということでございますが……。
  53. 眞崎勝次

    眞崎委員 そうじゃありません。憲法に疑義があるという点を伺っているんです。
  54. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 先生の御見解では、戦争前の論理からすると、絶対に間違いであると思う天皇機関説という言葉もありましたが、学問的に憲法学史的に見ますと、そうも言えない。そういうお話を聞きますと、まずそのことから先生といろいろと意見の交換をしないと、あとの問題にお答えできない感じがするのでありますが、あとの点では、これは私やむを得ないと思います。民主主義の時代に、たとえばアメリカの最高裁の判例でも、絶えず少数意見がございまして――国民の中にももちろんございます。対立した意見がいろいろと、ことに憲法について意見が非常に対立するということは、一方から申せば好ましくないのでありますが、一方から申すと、国民が憲法に非常に関心を持っておる。昔ならば、憲法がどうあろうとも大して関心を持たない、少数の者だけしか議論しなかったのでありますから、むしろ日本の進歩ではないか。しかし国としてはそれでは困るのでありまして、これは全く学者の手前みそ、あるいは空想論かもしれませんが、少くとも学問上の論理は、多数、少数をもってきめられません。多数説であるからといっても、間違っておる場合がございます。しかしながら、もう少し学界における多数説とか定説とか、こういうことが、願わくば政治の実際の方にも取り入れられまして、学界をあげてこれはあまりにも違憲であるというようなことについては、そういう法律や施策がないことを希望する次第であります。
  55. 古屋貞雄

    ○古屋委員 私は二つだけお伺いいたします。  先生の御議論の御趣旨は、憲法改正の発議は国会にある。従って調査会をこしらえたり、その基本の草案をこしらえるようなことを内閣自体に置くことは、憲法調査会設置法案と申しますか、そういうものがたとい国会において議員から発議されて決議されて、そしてそれを内閣に置くようになりましても、これは違憲である、こういうように私承わっておりますが、その点……。
  56. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 違憲ということを先刻申し上げたのではありません。ただ適当ではない、つまり条規に直接違反するという場合以外に、憲法の精神、条規から見て望ましくない、適当でない、こういう点がございます。それを申し上げたのであります。
  57. 古屋貞雄

    ○古屋委員 そうしますと、先生の御議論では、さような改正を前提とする調査会というものを設けるのならば、国会自体がさようなものを設けて、国会自体において研究し、草案を作り、これを国会に提出するということが、現在の憲法の解釈上正しい手続であり方法であるということの御趣旨だということに承わってよろしゅうございますか。
  58. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 そうです。
  59. 古屋貞雄

    ○古屋委員 もう一つ、防衛庁法の問題並びにこれに対する裏づけとなる予算の審議、予算の組み方、予算を行使することは、やはり憲法の精神から言って好ましくないという御議論になるのですか、実は日本の憲法の中には、八十一条に、憲法に対する違憲訴訟は最高裁判所がこれを行う、審議するとありますけれども、現在の日本の法律には、違憲訴訟に対しては、具体的にどう手続するかということがないわけです。従いまして、私どもは、ただいま先生の御主張のような御議論を明確に、果してこれが違憲であるか合憲であるかの結論をつけたいと思いましても、実はないわけなんです。従いまして、国会におきましても、防衛庁法は違憲であるという議論が行われ、これに対する裏づけとなる予算についても違憲であるという議論が行われた。しかし、遺憾ながら現在までは、その主張は国会では否決されたわけであります。しかし、今回先生のような御議論がはっきり国会に現れて参りますと、あるいは保守党の議員も考え直すかもしれませんけれども、先生の御希望としては、やはりこういう問題は、九条並びに九十六条に対して疑義が出てくる。防衛庁法を国会で議決され、実施し、この実施の裏づけとたる予算を国会が審議し行使することは、非常に疑義がある、こういうような御議論でございますが、これに対して、先生の御議論の結論から言えば、これが果して合憲であるか違憲であるかを決すべき最高裁判所の訴訟手続に関する問題を新たに制定されて参りますれば、はっきりすると思いますが、これに対する先生の御意見をお伺いしたい。
  60. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 警察予備隊から保安隊時代までは、学界におきましても、それが憲法第九条第二項にいう「その他の戦力」であるかどうかということについては、まだあの程度ならば警察力といえるのではないかという説が若干ございました。私どもは、すでに保安隊の時代には、まぎれもなしにこれは戦力であると解するほかはないと思っておったのでありますが、そういう反対説もございましたけれども、自衛隊法、防衛庁設置法、これが施行されましたころからは、おそらくこれが戦力でないということを言う学者はほとんどないと思います。ただ学界におきましては「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」というこの解釈について、自衛のためでは戦力を持つことができるという解釈をしている人もございますから、そういう人から見れば、自衛隊というものは、戦力であっても違憲の存在ではないという解釈が出ますけれども、学界の多くの者は、おそらくそう解しておりませんで、これは違憲の存在でおるということを言っております。私もそういう説で、ございますが、そういたしますと、すでに違憲である、その遠慮の存在について裏づけをする、そういう予算政府が提出する、これはおかしいところであります。ただいま御質問の点でありますが、こういう問題については、憲法は単に遠藤審査制によるというのではなくして、いやしくも国民の代表機関である国会が、違憲の条約を承認した、あるいは違憲の法律を通す、あるいは違憲の施策をするということを黙認するというようなことは、あまり予想していなかったのではないだろうか。しかしお説のように、第八十一条を私どものように解釈いたしまして、憲法裁判所というものができますと、そういうことは、とにかく一応国家の有権的解釈の対象になる。それで私は、本来ならば、憲法の運用上、国会自身においてそういう疑義のあることについては、かりに連想でないといたしましても、違憲であるという有力な疑義のあるようなことについては、これを留保する、これを可決しないということが望ましいと思います。いやしくも一番中心の国政上の事柄が、絶えず国会以外の、かりにそれが最高裁判所でありましても、そういうところへ行って判断を受けなければ、国会自身の手で違憲の法律を作り違憲の施策をするということは、これは恥さらしでございます。しかしながら制度といたしましては、第八十一条を変えなくても、その正当な解釈上憲法裁判所ができると思いますから、憲法裁判所を設置する、あるいは現行裁判所法でも、最高裁判所の権限は、現在のように特別の抗告や上告だけに限るべきではないので、憲法に違反するおそれありと認める法律命令その他一切の不法行為に関する審判、裁判、こういうことをやったらよいと思います。ただ政策論としましては、これは学者の間でも大いに論ぜられておるのでありますが、もしも憲法裁判所の機能を、憲法八十一条のように現行最高裁判所に持たしめるならば、やはりこれはふさわしくない、純粋の法律か中心ではふさわしくない。やはり大陸型の最高裁判所のように、そういう場合には、国会における各政党から比例別によって若干の裁判官を選出したい、あるいは学界からも専門の学者を入れ、それに若干の専門の裁判官を入れまして、そういう構造の憲法裁判所をお作りになった方がよいと考えます。
  61. 古屋貞雄

    ○古屋委員 もう一つです。近く提案されると思いますが、憲法改正調査会設置法でございますか、さような法律がかりに国会を通過いたしたということになれば、それは、先生の御議論では、国会みずからが、憲法改正発議権に対してこれを放棄したような疑いを持たれるような決議だということになるので、ございましょうか。
  62. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 私は非常に残念に思いますね。たとえば磯貝立法につきましても、私ども外部から見ておりますと、これだけ憲法が議員立法に重点を置き、法制局をまでわざわざ設けているのに、その方の活動がついおろそかになって、重要なものは全部内閣の法制局であるとか政府から出てくるというのは、どうも明治憲法時代の伝統のままではないか、そう考えますから、ぜひ国会に憲法調査会というものをお置きになっておやりになる方が望ましいと思います。
  63. 三浦一雄

    三浦委員長 田中幾三郎君。先ほどからの鈴木教授の御希望の点を御しんしゃく下さって……。
  64. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 憲法改正の現出ば、形式的にこの憲法が自主的でないということの理由と、内容としてもふさわしくないという二つの理由からきておると思いますが、公述人意見に上りますと、現在の憲法を非常に尊重されておられるのです。そこで、自主的憲法ということは法律用語でなく、国民の意思によって決定された憲法でないという意味だろうと思いますが、公述人に伺っておきたいのは、法律的に、この憲法は与えられた、強制された憲法であるのか、あるいは国民の意思によって決定された憲法であるのか、法律的にどんなふうに解釈したらよいかということを一応確かめておきたいと思います。
  65. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 純粋に法律的に申しますと、やはりこの日本国憲法の前文と、それに付せられました天皇の上意を論理的に解釈する以外にはないのでございますまいか。でありますから、法律的に、法律論としましては、私はこの憲法は、朕深く喜ぶとして嘉納されておるのでありますから、日本国民自身の、ことに明治憲法のもとにおきましては、天皇の翼賛機関として、政治的にいう国民の代表機関、これは帝国議会でございましたから、法律的ではございませんでしたが、法律的に見れば、これはどうしても自主憲法である。自主憲法というのは、法律用語でないかもしれませんが、疑義がないと思います。起りますれば、政治的に、ただいま御指摘のような疑問が起るのではないかと思います。
  66. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 一歩飛躍しまして、先ほど革命憲法という言葉も出ましたが、革命憲法というのは、もとの右翼団体が盛んであった当時、あるいは軍閥の盛んな当時に、銃剣、砲弾をもって国会を包囲して、この憲法がもし改められるということがありますならば、革命憲法、いわゆる原始憲法であります。そういう場合の憲法がここに実施されたならば、それはやはり一国の憲法として有効に存在するか、革命憲法といってはおかしいかもしれませんが、原始憲法、最初に作る憲法があるいは国民の意思に反するかもしれません。あるいは国民の意思に合致するかもしれません。国民にとって、そういう一つの降ってわいたような憲法ができましたときには、法律的に実施された場合に、それは有効と見て国家がこれを守っていくべきでしょうか、どうでしょうか。
  67. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 たとえば、一番極端な例を申しますと、一九一七年の革命でございます。御承知のような経過をとってレーニン政権ができまして、一九〇六年に制定されましたロシヤ帝国憲法は実際問題として使用されなかったわけでございます。しかし革命の過渡期におきましては、いろいろな裁判手続、司法関係のもので、法文の差しつかえないものは利用したようでありますけれども。そうして、最初のうちは、今おっしゃったような革命憲法というものはなくて、ようやく一九二四年に全ソ連邦憲法ができたと思います。もっとも一九一八年か九年に、ロシヤ共和国憲法だけは作りました。これは、つまりレーニン政権の実力をもって、こういう憲法だというものをやって、そして、帝政ロシヤ憲法は、初めから無効であるといってしまったわけでございます。つまり新しい憲法が革命によって制定されるという場合は、そういう形をとるのでありまして、最初は国民が承認したかしないか定める方法がございません。しかし政権が強力に永久的に支配権を持ちまして、しかもそのなすところが大体国民の信頼を得ているというほかはございますまい、それがひっくり返らないのでありますから。そういう場合には、憲法制定権力というものは、言いかえますれば、その国家内における最高の組織された権力を持たざるを得ないのでありますが、そういうものが、みずからを正当な支配者である、みずからの支配のルールを正当な憲法であるとして宣言して、それに法的効力をみずからの力で付与する、そういう力関係によって、最初起りますときは、その政権が滅びない限りは、その憲法が最高法規として、やがて手続において議会を召集して承認を求める場合もございましょう。あるいは求めないで、そのまま最高法規として、その他の関係法規を今度は議会において、やっていく、クロンウェル革命の場合もそういう努力がなされた。フランス革命の場合ももちろんそうでございます。しかし第二次大戦後に至りましては、御承知のように、ただいま御指摘のような非常に赤裸々なクーデター的の形ではなしに、権力を倒す場合にはそういう荒々しい形をとりますが、憲法制定の場合には、相当広範に国民の間に討議いたしまして、憲法制定会議議員を選挙いたしまして、そこで討論して新しい憲法を作る。しかしこれも本質的に申しますと、今までの憲法を廃棄して、そういう過程を通して、みずからの作った憲法に最高法規としての法的権力をみずから付与する、そして憲法以下の法律の法的効力はそこから発生するのであります。クーデターで、銃剣を背後にしていきなり原始憲法、革命憲法――今おっしゃったようなものを作るのと、政治的な本質は変らないと思います。要するに憲法制定権者がみずからの力によってみずからに正当性を付与する、こういうことになると思います。
  68. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 そこで、今の憲法を前提として、あなたのおっしゃる通りに憲法違反の行為がいろいろと出てくる。違憲訴訟は現在の制度ではできない、こうおっしゃったのでありますが、御承知の通り憲法の八十一条には、違憲審査権があるとはっきり書いてありますが、ただ問題は、違憲審査権はあるけれども、その手続が書いてない、私どもの考えでは、違憲訴訟手続を作れば、最高裁判所において違憲訴訟の裁判ができる。つまり屋根はあってもはしごがない、道がないというわけなので、その道を作ることさえすれば、あらゆる違憲訴訟の裁判が最高裁判所でできると思うのですが、いかがお考えでしょうか。
  69. 鈴木安蔵

    ○鈴木公述人 それは、先ほど詳細に申し上げましたように、できると思います。その手続を設けることは、当然憲法八十一条のむしろ要求するところである。ただ立法政策論として、そういう場合の憲法裁判所は、その構成について今までよりも工夫を要するのではないかということを申し上げたのであります。
  70. 三浦一雄

    三浦委員長 鈴木公述人に対する質疑は終了いたしました。鈴木さんに対しまして感謝を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  それでは次に慶応大学教授千種義人君。
  71. 千種義人

    ○千種公述人 千種でございます。財政一般につきまして意見を述べさせていただくことになっております。  今回経済自立五カ年計画の初年度予算案が確定しまして、ここにわが国の計画経済への一歩が踏み出されましたことは非常に大きな意味があると思います。先進国は自由経済方式でやっていくこともできるでありましょう。また日本よりもずっとおくれた後進国は社会主義の方式でいく傾向もありますが、日本のようにいわゆる中進国と呼ばれておる国におきましては、資本主義のもとで国家が計画経済を遂行するという方式でいくのが一番望ましいのではないかと思うのでありまして、この意味で今回経済計画の一環としまして予算が組まれたことは非常にけっこうなことだと思うのであります。ところで経済計画を立てる場合に、まず目標をきめなければなりません。計画目標をどこに置いて予算を立てるべきかということが何よりも先決問題なのであります。   〔委員長退席、稲葉委員長代理着席〕  これにつきましては各党の間でもかなり見解の開きがあるようでございますし、また議員の方々一人々々についてもそれぞれのお考えがあるわけなんです。しかし何か共通なものをお互いに持たなければ、どんな予算がいいか出いかということごついて議論ができないと思うのです。それにつきまして、では共通なものは何だろうかということを考えてみますと、やはり一般に言われておりまするウェルフェアの増大、これよりほかには今のところないようにわれわれには思われるのです。現在の政府国民を指導すべき十分な理念を欠いておるように私には思えるのでありますが、なぜもっとこの点をはっきりして、特に若い青年たちを魅力的に引っぱるような理念ないしイデオロギーを確立されないのだろうか。これが確立しさえすれば、それに照らして予算のどういう点に重点を置くかということもおのずからきまるのでありますから、この点に留意をしていただきたいと思うのであります。  さてそこで福祉の増大と言いましても一体それは何を意味するのかということが問題になりましょう。これにつきましては経済的な福祉もあるでしょうし、経済以外のいろいろの福祉もあるでしょうか、われわれ主として経済的な福祉について意見を述べさせていただくわけなのでございますが、ピグーがあげました国民所得の増大、それから均等、安定という三つの命題は、今日といえども何人も否定できないところの福祉の基準であろうかと思います。厚生経済学におきましても新しい意見は出ましたが、結局はこのピグーの三原則に帰らなければならない現状に置かれておるのであります。問題はこの三つの命題相互間の関連にあると思うのであります。すなわち第一に所得を増大しようとするような方策をとれば所得は不均等になるという傾きがある。第二に所得を均等に分配しようとすれ所得の増大が妨げられることがある。第二に所得を安定しようとすれば増大が妨げられる場合がある。この二つの相互関係の矛盾をどのようにさばくかというところに政治の使命があるのではないかと思うのです。今回の予算案を拝見しました場合、これらの相互関連についてまだ研究すべき余地が残っておるのじゃないかと思われたのであります。そこで私は、本日は主として歳出について意見を述べることに限定させていただきます。  ピグーの第一命題である国民所得の増大という立場から見て、今回の予算案はどうなっておるであろうかということであります。この点につきましては非常に重点的に考えられておりまして、産業基盤の強化であるとか、輸出の増大、中小企業の振興、その他等々が並べられております。しかし次のような点が問題になるのではないかと思うのです。  第一に生産性を向上するためには新技術を外国から輸入しなければならない場合が非常にあるということです。このことがわが国の失業を増大せしめはしないであろうかという問題であります。もちろん新技術の導入によりまして生産性が向上すれば、それに関連する産業が栄えて雇用量がふえるという場合もあります。しかしさしあたっては雇用人員が不要になるのでありまして、幾分の雇用の減少を免れ得ないのであります。そこで新技術の導入はどうしてもしなければならない。しかもこれをすれば一時的には失業問題が起るという現象に対して、一体政府はどのように考えておられるかということであります。これにつきましては根本的な対策をこの一年で考えろといっても、それは無理だろうと思いますけれども、根本的には日本において新技術を発明するこの努力を怠ってはならないと思うのであります。外国からの輸入にたよることはさしあたってはやむを得ないかもしれませんが、長期対策としては十分科学を振興しまして技術を国内でまかなう、もしそれが可能となりますれば、その新技術を作る工場において雇用量がふえるわけでありますから、雇用面においても非常に好結果を得るのであります。このためには科学研究費を政府は惜しんではならないと思うのであります。直接の効果は認めないのでありますが、長い間たってみますと、科学の研究を進めた場合には非常に大きな経済的なプラスがあるのでありまして、この点十分に考慮していただいて、科学振興ということを、もっともっと強調しなければならないように思われたのであります。  それから第二の問題点としまして生産性の向上ということは非常にけっこうなことであります。しかしある点を越えますと、日本の場合には資源の不足が起きて、そこにボットル・ネックが発生しましてインフレが起るという可能性が十分にあるのであります。このインフレを起さないようにして生産性を向上せしめるということについて、どのような確信があるかということであります。もとよりこの点は十分に考慮されておるようでありますけれども、厳密な計算をしてインフレを起さないように生産性を向上せしめるというような計画ができておるのかどうかということが一つ問題になると思います。  それから第三に自給度を向上するということがうたってありますけれども、なるほどこれは必要なことだとは思いますけれども、国内で自給することによってコストの高くかかるようなものを一体どうするのかという問題であります。これは特に米についてあてはまると思うのであります。国内開発をして米を増産する、その場合にコストが高くなります。そこで消費者にはその高いコストで買わせるのか、それとも輸入をして安い食糧を国民に食わせるのか、どちらを選ぶのかということを十分にこれは計画的にきめるようにしていただきたいと思います。  第四に、雇用政策が楽観に過ぎるということであります。労働人口も非常にふえることでありますし、新技術も導入されることでありまして、また会社の合理化も行われるのでありますから、雇用面についてはかなり悲観すべき材料が山積しておるのであります。もとより本年だけで完全雇用を実現しようとしても無理でありますが、この資本主義に宿命的な失業の発生というものに対して、現在の政府がどのように対処しようとしておられるか。これは簡単にはできないのでありまして、この点十分な成算を持って年々予算を組んでいただかないと困ると思います。  第五に、輸出増大の見込みを非常に高く見込んでおられるようでありますが、われわれもそう・簡単に輸出が減少するとは思いません。しかしわが国の経済輸出にたよらなければならないということは、そこに非常な不安定性があるわけであります。一たび外国日本製品の輸入制限するようなことになったならば、それによってたちまちわが国経済は参ってしまう。ですから、政府とされましてはもちろんいろいろ考えておられるのでありますけれども、これは非常に重大な問題だということを認識して、万一輸出がとまった場合にどうするかということについても、万全の対策を考えておられなければいけないのではないかと思います。  それから第六に防衛費の問題でありますが、先ほども憲法改正についていろいろと問題になったようでありますが、憲法上の問題は別としまして、防衛費を出せばインフレが起きるとか、それだけ国民生活が苦しくなるのだとかいう経済的の考慮からの反対もあるわけであります。そこで、この点につきましては非常に人によって見解が違うのでありますが、インフレが生じない程度に国力に応じて防衛費を増大すれば、必ずしもそれほど大きな弊害が起きないのではないかと思われます。また有効需要が非常に欠乏したようなときには、防衛費があるということが有効需要を増大せしめて、失業問題も解決するというような場合もあり得るのであります。また長期的に見ますと、軍備は国家の安全を保障して、そこで将来における生産力の増大に役立つという場合もあり得るのであります。それが現在あるというように断言するわけではありませんけれども、そういう場合においては、経済的に見て軍備が悪いとはいえない。特にわが国において力が不足するために領土問題や漁業問題について、相手国の言うままに泣き寝入りをしなければならないというような事情は、大きな問題ではないかと思うのであります。決して軍備に賛成するわけじゃありませんけれども、しいてこの点を弁護すれば、そういう点から弁護できると思われます。  それから第七に、公共事業に関するものでありますが、今回六十四億円削減されたようであります。   〔稲葉委員長代理退席、委員長着席〕 地方財政の赤字を埋めるために、これはやむを得なかったことかもしれませんけれども、本来ならば、公共事業は減らすべきものじゃないと私は思います。もとより公共事業は資金効率が低いとか、そこに不正が介在するとか、そういうような場合もあるのでありますが、重点的にこれを行なうて資金効率を高め、不正もなくするというようなことになるならば、公共事業は望ましいのでありますから、将来これを減らすというような方針は必ずしも歓迎すべきものではない。ただ民間資本でもなし得るような事業を政府が手をつけるべきではない。民間事業では引き合わないというような、しかも国民にとって非常な利害関係があるというようなことに公共事業費を出すならば、これは大いに歓迎すべきことであると思うのであります。今回のような総花的な公共事業費の捻出方法は、決して望ましいとは考えられません。  それから第八に中小企業振興対策が十分でないということなのであります。これはもちろんだれに聞いてもこの点は完全な救済策を持っていないのであります。また非常にむずかしいのであります。だから一体日本の中小企業をどうするのかということの根本対策を講じなければ、年々弥縫的なことが行われておるにすぎないのでありまして、解決にはならないのです。この点お互いに大いに研究する必要があると思うのであります。  以上は国民所得の増大という面に関しての予算に関するいろいろな問題を指摘したのでありますが、次に国民所得の均等分配という面に関して、今回の予算はどのように批判さるべきであろうかということなのであります。均等といいましてもこれは能力に応じての均等分配でありまして、決して平等にするという意味ではありません。原則としては能力に応じて所得を与え、しかる後平等と必要ということはある程度まで考慮する、こういう考え方でいかなければならないと思います。しかしこの点から今回の予算なりその考え方なりを検討してみますると、気づかれることは、賃金対策というものが十分に確立していないということであります。生産性が向上するにつれまして賃金もある程度ふえなければならないのでありますが、生産性が向上した場合、賃金をどのくらい上げるべきかということについて、何らの考え方もきまっていないのです。もちろん賃金を上げ過ぎますと、資本の蓄積が阻害されまして生産性が低下し、やがてまたインフレになるというおそれもありますけれども、何か賃金引き上げの基準を設けてもいいのではないか。争議をしなければ賃金は上らないというような印象を国民は持っておりますが、一々そういうことで騒いでもらうということは、国民にとって大きな迷惑でありますから、この点をもう少ししっかりした基準を定めてもらっていいと思うのです。アメリカでは生産性を高めて、それに応じて賃金も引き上げるということを有効に行なっておるようでありますが、日本は御承知のごとくボットル・ネックがありますから、アメリカとは少し行き方が違うと思います。  第二に社会保障費でありますが、これは幾分ふえておりますけれども、本来ならばこれはもっと増加さすべきものです。もとより資源、資本の不足したわが国におきましては、限界があるということはよく知っておりますけれども、しかしそれにしても戦後の特殊事情として、困った人がたくさんおるという事態に面しましては、やはり社会保障費というものにかなり大きな重点を置いていただかなければならない。これは大体国民の大多数がこういう考えを持っておるのではないかと思うのです。とにかくもう少しく社会保障というものに熱意を示していただきたいと思います。  第三に住宅地に対する対策であります。住宅対策はいろいろと考えられておりますが、敷地の問題をどうするかということです。これをもう少しく真剣に取り上げなければならないように思われます。戦後農地はあのような民主化が行われましたけれども、住宅地に対してはなされていない。そして、戦後住宅地を持っている人は、遊んでおりながら非常に大きな富を獲得しておるのであります。自然の与えた土地というものを、ただ持っておるだけで非常に大きな収益をそれから得るというようなことに対しまして、政府はどのように考えられておるか。土地の値上りを防ぐか、それとも農地を開放して住宅地に向けるか、この辺のところをはっきりする必要があると思います。食糧も大切ですけれども、食糧は輸入すればある程度まかなえる。住宅というものはどうしてもわが国の土地に建てなければならない。この辺に対してどういうふうな見解を持たれるか。  それから第四に、育英資金を増大してほしいということであります。本来ならば育英資金民間の富める人々が出すべきなのでありますが、遺憾ながらわが国においてはこういう育英資金を出そうという人は少いのであります。ですから国家がこの育英資金を出さなければならないのであります。今回官立大学の授業料の価上げがいろいろと問題になっておりますが、私はこの点につきましては、私立大学とのバランスの上から見ても、授業料のある程度の値上げはやむを得ないと思います。官立においても非常に費かな家庭の人もあるのでありますから、そういう人にまで安い授業料で勉強させるということは要らないのであります。そのかわりに育英資金を出して、貧しい人でよく勉強する人に対しましては補助をやる、こういう方式でいくべきだと思うのであります。  第五に、文教費がいつものことながら少いということなのでありまして、いかに制度をよくしましても、人間が悪ければどうにもならないのでありますから、人間をよくするということについて、もっともっと大きな熱意を持っていただきたいと思います。  次に国民所得の安定という面から見て、今回の予算はどうなっておるだろうかということであります。この点につきましては、かなり目的を達しておるのではないかと思います。今回の予算におきましても安定ということが一番強調されておるのであります。ただ安定をねらうあまりに進歩を阻害してはならないということです。進歩に必要なときはある程度安定を犠牲にしてもいいのではないか、弾力性に富んだ予算を組んでもいいのではないかということであります。  以上は国民所得の増大、均等、安定という面から今回の予算を見たのでありますが、次に経済統制の方式につきまして、どのようにあるべきかという点を問題にいたします。政府としましても間接統制に賛成をしておられ、その面から日本経済を計画的に運営しようとしておられるようでありますが、それにつきましては私は非常に賛成であります。直接統制の時代は過ぎたのであります。間接統制によって国民の福祉を増大するという行き力をとるべきたと思います。その点から見ますると、財政金融の総合一体化ということは非常にけっこうだと思うのです。ただここで金利引き下げが問題になっておりますが、これは当然引き下げられるべきものです。日銀ではインフレの心配があるというふうに考えておられるようであります。引き下げ過ぎますと確かにそうなりますけれども、それにしましても金利が高いということは、日本経済の発展に大きな障害となっておるのでありますから、金利を引き下げるという方向に進まれることはけっこうだと思うのであります。  それから財政投融資の問題でありますが、今回の予算では減っているわけなのであります。これは元来民間経済の調節面の役割をしているものでありますから、民間で十分投資がなされるときには、政府で投資をする必要はないのであります。しかし民間でどうしても投資が行われないというときには、投資をふやすというような行き方をしなければならないと思います。  それから統制に関しまして、米の統制撤廃をどうするかということでありますが、これは当然撤廃すべきだと思います。物が豊富になれば直接統制は要らないというのが経済の原則でありますし、要らないものにまで統制をするということは、国家予算を膨張せしめるゆえんでありますから、急には統制撤廃はできないかもしれませんが、政府としては統制撤廃をするという方針でいくべきだと思うのです。ただ米を国内で増産するのか、それとも輸入するのか、どちらがいいかということについては非常に大きな問題であります。すなわち国内で開発しますと、米価が高くなるという場合、それでも開発をするのか、それとも安い代価で食糧を買うのか、どちらかということがここで問題になると思います。  それから最後に計画経済を遂行する場合に立法化が必要なのでありますが、今の政府でこういう計画を立てたのに、次に政府がかわれば計画が根本的に変るというようなことがあれば、これは国民にとって非常な迷惑であります。混乱のもとでありますから、一たびここで五カ年計画を立てたならば、たとい政府がかわっても、この五カ年計画はあくまでも遂行するというような立法化が必要になるのではないかと思います。  以上で私の意見を終りましたが、要するに今回の予算は生産の向上と経済の安定ということが重視されておりまして、分配面における考察なり考慮なりが、割に軽く見られているのが今回の特徴ではないかと思うのです。中小企業対策、雇用対策、社会保障の問題など非常に困難でありますが、この点にも一そう大きな考慮が必要ではないかと思います。  以上をもって終ります。
  72. 三浦一雄

    三浦委員長 ただいまの公述人の御発言に対しまして質疑はございませんか。
  73. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 先ほど多くの御意見の中に、今度の予算並びに経済五カ年計画というものが、少し輸出の増大見込みを多く見過ぎているのではないかというような御意見があったように思います。輸出の増大を見込み過ぎるということは、確かに御意見通り日本経済の不安定性ということになるのでありまして、これは御指摘の通りだと思っておりますけれども、けさほど公述人の一人で東京銀行の常務の伊原さん、前の大蔵省の理財局長が見えられまして、世界経済見通しはむしろ輸出輸入ともに各国とも増大傾向である。自分意見では、ここ数年後の世界経済はもし戦争の脅威というものがなくて、各国インフレを押えつつ経済好況政策をとったならば、かってない世界経済繁栄に向うだろうという見通しをしているという意見もあったのであります。そのような意味合いから、先生は世界経済についてどういうようなお見通しであるか。今の輸出の増大に対して多少の不安定性があるということも織りまぜて、さらに突っ込んだ意見を伺いたいと思います。
  74. 千種義人

    ○千種公述人 世界経済の今後の動向につきましても、私はそう悲観的な考えは持っていないのです。ただ輸出の増大にたよらなければならないということが、日本経済にとって非常な不安定性があるということを指摘したわけなのです。それだけなのです。だから政府としてもここで楽観されないように一そうの努力が要る。世界経済は好転するから、また好景気が続くからといって楽観しておっては、とんだことになることがあるということを言ったわけであります。
  75. 川崎秀二

    ○川崎(秀)委員 そういう御意見でありますれば十分私どもも反省しつつまた前進をしなければならないと思うのであります。  先ほど御意見の中の公共醜業費も増さなければならない、あるいは社会保障費は、特に今度の予算ではウィークだという御意見はごもっともの点だと思いますけれども、しかし、たとえば防衛の必要ということも――先生は軍備の拡張ということには御反対であろうけれども、防衛の必要も論ぜられておる立場だと思いますので、お伺いをいたしたいと思います。  歳出面において今後社会保障経費というものを相当に大きく持っていこうということになりますと、競合の相手はいろいろなものがあるわけであります。たとえば公共事業費もありますし、文教費などもそうであります。それから、軍人恩給など、事実は社会保障的な性格を帯びておるものが別建になっておるというようなことも歳出面で相当指摘をされると思うのですけれども、私は、今のような時代には、やはり次第に国民生活の重点というものが、終戦直後の食糧難あるいは衣料難というようなものから移りまして、国民の保健を保つ、それからさらに最低生活の保障という社会保障の部面がかなり大きく評価されてしかるべきなので、その意味では、公共事業費と競合するような場合には、こういうような点で相当な競合がそこに行われてもしかるべきじゃないかというような考えすら持っておるのであります。従って、大蔵当局などは常に公共事業費一割削減というような案を出してきまして、今度の予算でも非常な問題になったのでありますけれども、私は一律の削減ということには賛成はいたしません。ものによってはやはり重点的な施策を公共事業においては進めていくべきであって、各国予算などを見ますと、公共事業費というものは、アメリカあたりでも、テネシーの開発などというものをやったときにはそれに重点的な予算を組みましたけれども、その他のものは大体各州に――もちろんそれは財源もつけてでありますけれども、依存しておるようなことで、やはり重点的には社会保障費の方がはるかに優先しておるように感ずるのであります。そういうふうに日本予算はやはりだんだん移行されていく必要があるのではないかというふうに私は考えておるのでありますが、それらについての御見解を伺ってみたいと思います。
  76. 千種義人

    ○千種公述人 今おっしゃられたことは非常にもっともであります。現在この世に生まれ最低生活もできないとい人間がおるということは重大問題でありますから、そういう人をできる限り救済しなければならない義務は国民全体に課せられておると思うのであります。他方、公共事業をしなければならないという必要もありますから、両方がともに進んでいけば非常にけっこうなことでありますが、何分にも予算が少いために、両方を一度にやっていけないというところに日本経済の大きなジレンマがあるのです。ですから、理想的なことを言えば、ほんとうに働けない人にはそういう扶助をやらなければなりませんが、働ける人に対しては雇用の機会を設けて、そうして社会保障的な考慮をすると同時に生産性に寄与するということができれば、それが一番望ましいと思うのです。ですから、社会保障で何を優先するかといえば、生産力の向上に役立つ面において保障をするというのが今日において一番望ましいと思うのです。生産力の向上をしない、扶助をやってもただ遊んでばかりおるというような人間に扶助するよりも、扶助したことのために生産性が向上するという方面にその資金を出すようになさることが現在の日本としては一番望ましいと思うのです。
  77. 川俣清音

    ○川俣委員 公述人に二点お尋ねしたいのです。  今のお説の中に、国内食糧の自給度を高めていく方が適当かあるいはコストの安い外国の農産物を入れる方が適当か問題点だと言われましたが、あなたの御意見はいかがなのですか。これが一点であります。  これは決して言葉じりをとらえるわけではないのですけれども、コストが安いという表現を使われましたが、果してコストが安いというふうにお考えになっておるかどうか。日本の農産物はコストが高いと見ておるとすれば、どの点がコストが高いのか、どう見ておられますか、これが二点であります。
  78. 千種義人

    ○千種公述人 国内で開発するか輸入するかという問題なんですが、私たちは、終戦後しばらくは、あくまでも国内で自給すべきである、戦時中のあのおそろしい食糧難を二度と繰り返したくない、戦争が起ればまたああいう買い出しをやらなければならない、どうしても国内で自給しなければならないというふうに考えておりました。今でもその考え方を全面的に捨て去るものでないのですが、しかし、一般の論調としては、最近は、外国から買った方が安いじゃないか、だから、あまり国内開発ということを言わないで、とにかく安い方の米を買った方がいい、国内で作って安い場合は国内で作った方がいい、外国から買った方が安ければ買った方がいいという意見が大分出てきておる。だから、これにつきまして、私も数字的な調査はしておりませんから何とも蓄えないので、皆さんにこの点を一つよく考えてもらいたいと申したわけです。  第二の点で、国内で米の増産をしたら高くなるという根拠はどこかということなんですが、これはいわゆる限界生産費が高くなるということは明らかで、新しい土地を開墾したりしていろいろ土地をこしらえていかなければならない。それにはいろいろ非常に多くの投資がなされなければならないので、なかりコストが高くなる。米の値段は一番高いコストを基準にしてきめられる。一番優秀な土地の費用を基準にしてきめられないから、やはり米の値段は高くなると考えるのが、私実際を知らないのかどうか知りませんが、経済学では常識になっておるわけであります。
  79. 川俣清音

    ○川俣委員 今のあなたの言葉は、コストが安いということじゃない。あなたともあろう者が、外国の品物はコストが安いという表現を使われた。安く日本に入るということと、外国品のコストが安いということとは本質的に違うのです。これは私が説明するまでもない。コストが安いように聞えたからお尋ねした。  それから、国内食糧のコストが商いというのは、今の説明だけではどうも不満足なような気がするのです。これは決してあなたに説教しようとは思いません。ここであなたをとっちめようとも思わないのです。これは、日本国内食糧の最も生産性の高いところが耕地にならないで宅地になっていっておる、生産条件の悪いものだけ与えられていくからコストが高くなってくるんだ、これなら別問題ですよ。日本の置かれておる農作物のコストの条件が悪いんだということを指摘すれば、これは別問題ですよ。
  80. 千種義人

    ○千種公述人 私は現在の日本のコストが外国に比べて高いとは決して申しておりません。国内で開発をやって米を増産しようとすれば、だんだん悪い土地を耕さなければならなくなるからコストは高くなる、これを申しただけです。現在高いとは決して言っていないのです。
  81. 松浦周太郎

    ○松浦(周)委員 今のような話ですが、方向を変えて申し上げます。  金利は高いと言われますが、国際金利から見るならば二倍半くらいになっておりますから、もちろん高いのです。それならば、現在の日本経済上から見て、どのくらいの金利が、今まで御研究になったところでは適当であるかという点。  これと同じように、コストに関係する問題ですが、ストライキを起さなければ賃金を増さないというような考え方はおかしい、それはその通りなんです。けれども、コストの安いものを、どんどん作ろうとすれば、高い金利を使っていられないから、自然に資本の蓄積が必要になってくる。これは国際商戦上そうなる。そうすると、どこまで蓄積をさせることがほんとうか、賃金はどこが正当であるかという問題です。これは労使の関係において話し合えばいいじゃないかということになるのでありますが、今御発表になりましたことが総評の問題にもからみますから、この賃金の問題は国民経済全般から見てどこが基準か、それから、国際商戦上で戦うためには資本の蓄積はその企業の何%くらいが学問上必要であるか。これは金利に関係いたします。し、この二つの点は今米の問題で論争になったと同じ線でありますから、ちょっとお聞きしておきます。
  82. 千種義人

    ○千種公述人 私は、何もここで具体的な数字を述べようと思って来たのではなく、今回の予算においてそういうことを政府はあまり考えておられないから、しっかり考えて研究してもらいたいと言ったのです。ここで私が結論できるくらいなら、あえて皆さんは苦労なさらぬと思います。これは非常にむずかしい問題だと思います。資料も持たないでそういう数字は軽々しくは言えないと思います。大いにわれわれは考えていかなければなりません。しかし、金利を長期的には下げなければならない、これは絶対正しいと思います。賃金についても、永久にストップするということは絶対にできないのです。生産性が上れば何割かを上げるというようなことについて、何か会社としても基準を設けておったら、一々こういうつまらないと思われる混乱的な争いというものは出てこないのじゃないか、だから大いに政府としてもその点考えてやっていただきたい、こういう趣旨なんです。
  83. 山本勝市

    山本(勝)委員 非常に率直な御議論を承わり、ありがとうございました。おそらく学界の教授の目から見ると手落ちや矛盾がたくさん見えてくるだろうと思います。これは私ども中におりましてもそう感ずるのですが、これは余分なことですけれども、選挙区を持った連中がたくさん出てきておりまして、それがわっさもっさでやっていくものですから、たとえばピグーのウェルフェアの理論から言っても、一つの頭で統一的にやっていけばもっと理想的なものができると思いますけれども、実際は力のバランスででき上っていくのが実相であります。これは憤慨してみても仕方がないので、ただ公述人としては忌憚なく正直に見落された問題を指摘していただけば、非常に参考になるのです。ただその場の情勢であいそうのいいことを言われなかったことは、私は非常に感謝しております。たとえば米の統制は撤廃すべきだ、これはわが党でも反対はあります。しかし、学者なればこそ言われたのだと思いまして、私は喜んでおるのです。私も一個の学者に返ったような気持で言いますが、こういう点どういうふうにお考えになるか、実は御研究願いたいのですけれども、所得の増大と均衡、安定、この三つのものは、一方を進めれば一方がおろそかになる。このバランスは結局はウェルフェアの増進ということに帰港するのですが、これは非常にむずかしい。一例をとりますと社会保障でありますが、確かに、国の政治として、一人も飢える者がないように、病気で泣く者がないようにしたいというのが政治の目的です。そこで、社会保障の充実ということに、社会党の諸君はもちろんでありますが、保守党といえども本気で力を入れておるのです。ところが、これをやっていきました場合に、生活の自己責任の原則というものとぶつかってくる。これは、千種さんは慶応で小泉さんの門弟ですから申し上げるまでもないと思うのですけれども、古今東西を貫いてきた一つの原則として、生活は家族が単位になっておる。つまり、自分が家内をもらって子を作ったら おやじがやせても枯れてもその責任を負うという大原則、この大原則はおそらく洋の東西、古今を問わず一応社会秩序の原則となってきたと思うのです。この原則は今日といえどももちろん働いておるのですけれども、この社会保障を今までの行き方で続けていきますと、ややともすれば――ほんとうに困った場合にこれを救うということは必要なんですけれども、もらわなければ損だというような気になってくる。これまでならば、そういうことは恥かしいから断じてごやっかいにならぬというふうにやってきた人々があった。これは今日といえどもたっといものだと思います。ところが、そういうものがだんだんくずれて参りまして、もう困らぬでももらうだけもらっておけというようになって参っております。けさほどなどもお医者さんたちが医療費体系の問題で私の家へたくさん陳情に来ました。聞いておりますと、医者というものはこんなものではなかったと思う、ところが、だんだんこういう制度になってきますと、もうわずかな薬代でも少しでも高くしてもらわないと困るということになって、自分自身があさましいと思うようになりましたということを医者でも言っております。この矛盾というものに実はぶつかっておるのです。あくまでも充実しなければならぬ。同時に、生活の自己責任の原理というものは、社会秩序、つまり幸福の原理だと私は思うのですよ。これがくずれてしまったらもう世の中はむちゃくちゃになると思うのです。政治家としては、陳情を受ければいやとは言えません。どうしてもそれに動かされる傾向が起ってくるのですけれども、こういう点を学界において一つほんとうに全体的見地で御検討を願いたい。これはお願い申し上げたいと思うのであります。  それから、住宅問題などでも、敷地の問題もありますが、昔のように借家がどんどん建つようになるべきだ。着物も経済行為として今日作られて供給されておる。食糧は統制がある程度ありますけれども、これだってやはり農家の経済行為として大体行われておる。住宅だけが財政資金で何万戸、何十万戸といって、十年計画でやるの、五年計画でやるのと言うのは変態だと思う。やはり、国の財政投融資は、先ほどおっしゃったように、民間でやれないことをやる補足的なものでなければならぬ。ところが、今日は住宅問題だけはそれが原則になってしまっている。その障害がどこにあるかということも、不動産担保の金融機関を作ったらいいという意見がありましたが、だんだん調べてみると、そういうところに障害はなくて、実は借地法とか借家法とか、あるいは地代家賃統制令というものに障害がある。ところが、これをいじくると、社会保障の見地からまた大問題になる。そこをどのような形で、社会的な秩序を保ちながらしかも経済行為として住宅が建っていくようにできるかというようなことは、一つどうしても学界で研究してほしい。そうしてわれわれに、こうしたらよろしいということをお示し願いたいと思います。  大体お礼の意味で申し上げたので、御研究願いたいと思います。
  84. 千種義人

    ○千種公述人 先輩から意見を承わりまして、申し上げるべきことはないかもしれませんが、生産力を増大すれば所得分配は不均等になりがちであり、それから、社会保障などをして分配を平等にすれば、生産意欲が失われて生産力が衰えるということは、これはもう経済の法則として絶対に正しいのであります。だからこそ、ここに政治というものが働いて調整をしなければならないのです。これは、自然のままで生産力を増大すれば分配が平等になる、分配を平等にすればそれに刺激されて生産力が増大することに経済情勢がなっておれば、政治なんて要らないのです。そういうことにならないから政治というものが非常に大切になるのです。この点、どちらに考慮を置かれるかということは、政治家として大いに考えていただきたい。それができないのは、要するに、私は政治力が弱いと思う。  第二の住宅問題でありますが、この大きな障害は何であるかということは、実は私もよくわからないのでありますけれども、東京の近辺についていえば、農地には住宅を建てられないということが、かなり大きな影響を持っておると思うのです。これは否定できないと思う。農地にも一住宅が建てられるようになれば、おそらく地所の値段もある程度下ると思うのです。東京のこのような人口の込んたところであくまでもわずかな土地を農地として確保することが国として望ましいのか、あるいはそれともこういうところでは住宅の方がはるかに大きな効用を持つのであるからして住宅を建てさせて、米の増産はもっと別個のところでやるとか、輸入にたよるとか、どちらにすべきかということを考えなければならないと思うのです。この点は私は皆さんにお願いしたい。
  85. 山本勝市

    山本(勝)委員 政治力が弱いというが、政治力は二百九十九名で強いのです。政治力だけでいけるのなら、今日学者を呼んできて聞く必要はない。少くとも実際は学者を呼んで聞くのは、力はあるがそれをどういうふうに用いればよいかという大筋のことを聞きたくて呼んだのです。
  86. 千種義人

    ○千種公述人 皆さんの政治力は全体としてあることは認めるのですけれども、あまりにも意見が別れ過ぎて協調がされない、つまらないことばかり論じたり、言葉のしりをとってみたり、そういうことばかりされるから力がないということであります。
  87. 三浦一雄

    三浦委員長 千種公述人に対する質疑は終了いたしました。  千種さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。  明日は午前十時より公聴会を開催いたします。本日はこれにて散会いたします。    午後三時五十二分散会