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淺沼委員 憲法調査会に闘うことは当然です。しかしながら、
総理大臣として問うからには、
自分の
考えはかくのごときものがあるという
一つの主体性というか、
考え方がなければ、
憲法調査会なんて設けることはいかがであろうか、ばく然と設けられることは国民は非常に迷惑だと
考えなければならぬと思うのであります。そこでお聞きしたいのでありますが、
憲法改正は
一つの革命であろうと私は断言いたしましたが、現に幾多の犠牲が伴っている。悲劇がある。これは私は少し頭の中へ、入れていただきたいと思うのであります。これは外国の例を見ましても、
憲法大改正が行われるときには
一つの悲劇が伴っております。
日本の国だって、明治の革命が行われて、それから
国会が開設されるまでの間、自由民権の運動に携わった人々は多くの血を流している。多くの犠牲が伴っている。今度の戦争はこれと違った意味においてやったには違いない。しかし戦争のために二百五十万のわれわれの同胞が犠牲になったから、こういう犠牲は出したくないという国民の戦争に対する批判がこうなってきているのであります。これをあなたは
考えなければならぬと思うのであります。かりに
日本の国において
憲法という基本法
——法令とは違います。
法律とは違います、
日本の国家はこの
憲法を源泉として活動しているわけであります。その基本的
憲法に対して、国民が
朝野両党に分れてしのぎを削らなければならぬということになっては、これは大へんなことになりはしないかと思うのであります。私の勘です。これは私は率直に申し上げます。
憲法は、国民の血となり肉となっております。そうして生活の中に生きております。
日本国
憲法は、戦争に敗れて十年の間に、
憲法を制定して以来国民が切磋琢磨しながら、生活の中に生き、
自分の血と肉となってきておるのであります。あなたはそれにメスを加えようとする。改正してメスを加える。合法的であるかもしれませんが、メスを加えると血が流れますよ。そこでわれわれは血を守ろうとする。そうして
朝野両党に分れたら一体
日本の国はどうなりますか。われわれは、韓国の三十八度線ができて、非常にあれを民族のために痛んだでありましょう。一歩誤まりますならば、
憲法改正というような問題は、そういうような事態が出ないとも限らぬと思うのであります。従って、
憲法改正には慎重でなければなりません。真剣に
考えなければならぬと思うのであります。なるほど
憲法制定の際にパージされておった方々は、それはこの
憲法改正を論議する
一つの資格があろうと思う。しかしながら、あのとき
賛成した議員がまた
憲法を改正するということは、何たる信念のなきことかと私は嘆かざるを得ないのであります。(
拍手)それはもっと慎重に
考えて
——私の勘をもっていたしますならば、そう簡単にいかぬと思う。
——委員長、それから自主性を持ってお答え願いたい。どうもこの間から八百板君の
質問に対しても、
官房長官が答えるのかあなたが答えるのかわからぬようなことでは、私は
納得がいかない。やはり答えられるなら
総理大臣の自主性において答えていただきたい。私は、もしあなたが
答弁できないならば他の
大臣を
指名して、だれそれをしてやらしめますと、そうしてやらしてけっこうでありますから、どうか陰に声ありということだけはやめてもらいたいと
考えているのであります。