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長谷川保君 私は、ただいま上程せられました厚生大臣
小林英三君の不信任決議案について、
提出者を代表し、その
趣旨説明を行わんとするものであります。(
拍手)
初めに、主文及び
理由書を朗読いたします。(「総理大臣はどうした」「
議長、休憩だ」と呼び、その他
発言する者多く、議場騒然)初めに、主文及び
理由書を朗読いたします。
小林国務大臣不信任決議案
本院は、国務大臣
小林英三君を信任せず。
右決議する。
〔
拍手〕
理由
政府は、さきに社会保障
制度の拡充強化をその重要政策として
国民に公約したにもかかわらず、健康保険法の改悪を中心として社会保障の重大なる後退を策し、その結果、保険医総辞退等の非常事態を招来し、
わが国社会保障
制度を全面的ほう壊の危機におとしいらしめつつある。
右は、再軍備政策のために憲法第二十五条の精神をじゆうりんし、
国民生活を犠牲にして
わが国民主政治の根本を破壊する暴挙であつて、その直接の担当者たる
小林厚生大臣の政治的責任は断じて許すことはできない。これが、本決議案を
提出する
理由である。
〔
拍手〕
諸君、御承知のように、今日、自民党
諸君の
提出いたしました小選挙区法、これを
諸君は二大政党を育成していくためのものであると申しております。われわれ社会党は、これに対しまして、これは自民党の一党独裁を企てるクーデターである、(
拍手)従って、
日本の民主主義を守るために、断固これを阻止しなければならないと主張しております。こういうようなところからいたしまして、まことに残念なことでありますが、今日のような、こういう事態に立ち至っておるわけであります。
一体、三大政党ができるということは、原理的に申しますと好ましいことであります。しかしながら、
わが国におきまして今回二大政党ができましてからのことを考えてみますると、私は、残念ながら、
日本では二大政党はだめだと思うのであります。二大政党がもしわれわれに受け入れらるべきものであるとするならば、これは、共通の、お互いに話し合う場がなければなりません。(「その
通り」)議会
制度の根本をなしまする選挙
制度において、まず第一に何よりも先に話し合うということができていなければ、話し合いの場ができるはずがないではありませんか。(
拍手)それを、
諸君は、何ゆえに社会党に諮らずしてあの小選挙区の法案を
提出し、これをあくまでやらんとするのであるか。そういうところに今日の混乱がきている。この混乱がきて、大事な血税をもって、国費をもってこの国会が開かれておりまするとき、
諸君、このときに、ただいまから私が申し上げまするような貧しい病人、みなし子、あるいはまた病気にかかった勤労大衆が、医者にもかかることをようしないような事件が起っていっておるのであります。(
拍手)自民党の中にも良心のある人があるでありましょう。このような良心のある人はないのでありますか。こういうような事態に立ち至らしております、こういういわゆるゲリマンダーとして
日本のあらゆる世論から非難されておりますものを、身をもって阻止するような人が、自民党の中に一人もいないのか。(
拍手)
諸君、第一次鳩山
内閣以来、鳩山
内閣が、総選挙において、あるいは首相の施政方針演説において、社会保障
制度の拡充強化をその金看板として
国民に公約して参りましたことは、
諸君御承知の
通りであります。しかるに、その後の行政の実情を見るに、まことにこの看板はまっかな偽わりでありました。(
拍手)何ものよりも尊重せらるべき人命は、はなはだしく軽視せられ、あらゆる面で社会保障は後退していると断ぜざるを得ないのでございます。(
拍手)われわれの国会におけるたび重なる警告にもかかわらず、少しも改められておりません。かたくなにも、いよいよその反動の逆コースを突進しつつあるのでありまして、厚生行政の現状に対し、われわれは断じて黙視することはできないのであります。(
拍手)
まず第一に、最近国立療養所において
実施せられたつき添い婦
制度の廃止により、多くの貧しい重症結核患者を死に至らしめた事件について、厚生大臣の責任を追及しなければなりません。御承知のように、昨年の第二十三特別国会において、国立療養所の患者つき添い婦四千三百人を廃止することを厚生省が言い出しました。全国の結核療養所、国立病院等の結核患者と、つき添い婦並びに病院当局に大衝撃を与え、国会あるいは政府に対する大陳情、嘆願となり、衆参両社会労働委員会は、これを取り上げて実情を調査した結果、厚生当局の計画に反省を促すこととなり、このつき添い婦
制度を廃止するということについて、これにかわるべき十分なる人員並びに設備を整備することなくしては、つき添い看護
制度を廃止すべきではない旨、それぞれ決議をいたしたのであります。厚生大臣
小林英三君は、実にそのときの参議院社会労働
委員長であったのであります。
しかるに、第二次鳩山
内閣が成立して、
小林君みずから厚生大臣に就任すると、無責任にも、第二十三特別国会の決議はこれを無視して、四千三百人のつき添い婦はこれを廃止して、二千三百七十人の常勤労務者なる
制度に切りかえたのであります。この常勤労務者は三交代
制度であるため、労働力は今までの六分の一ぐらいになるのであります。そこで、厚生省は、この労働力の不足を補うため、残酷きわまりない方法をとったのであります。(
拍手)すなわち、全国の国立療養所に通牒を発して、今まで一人々々の部屋、すなわち個室の病室に静かに療養をしていた重症患者や手術直後の患者を、六人部屋、八人部屋、十二人部屋等々の大部屋病室に移して、一人の常勤労務者で数人あるいは十数人を看護させるようにしたのであります。この結果、この重症患者の中には一晩中せきをする者もありますから、他の者は眠られない。あるいは、病状がよくない患者のために、看護婦が一晩中出入りをしますから、患者は眠れない。眠れないから、病状は急速に増悪して喀血をする。喀血をしても、看護婦の手が足らないから、御飯のお養いをしてやれない。喀血患者が、自分の胸の上におぜんを載せて自分で食べる。熱が出て、食べるのがものうくなる。そうすると、食べないでおくと、看護婦は食ぜんを下げていってしまうから、何度も食事もしない。病状はいよいよ増悪する。ひどい話になると、呼吸困難の重症結核患者が酸素吸入のバルブを自分で調節しなければならない。(「でたらめを言うな」と呼ぶ者あり)
諸君、聞いてもらいたい。この患者のごときは、この苦しさを私に訴えてきた数日後に死んでいっているのです。(
拍手)ある国立療養所では、結核患者が無理して、自分で便所に行って、喀血して、そのまま死んでいました。(「名前を言え」と呼ぶ者あり)名前を言ってあげれば承知するか。言えと言うならば言いますよ。国立下志津結核療養所に行って調べなさい。事実だから、静かに聞いてもらいたい。また、ある療養所で、重症患者が死んだのを知らずにいたということさえある。また、ある国立療養所から来た手紙には、ああ、こんなところに来なければよかった、こんなところに来なければよかったと、この大部屋病室をのろいながら死んでいった重症患者がありました。(
拍手)どうかこんなことをさせないで下さいと、——名前を今度は申しましょう、国立天龍荘のその友だちから私のところに涙の嘆願書が来ているのだ。(
拍手)
諸君、
諸君は瀕死の重症の床に横たわった経験がおありでしょうか。
諸君の愛する奥さんや子供、あるいは親たちを看病したことがありますか。そのとき、お互いはどうするでしょうか。酸素だ。リンゲルだ。そして、必要なことを言うのにも、看護する者たちは目くばせをして、声をひそめてささやき合い、夜は電燈に黒い布をかけて刺激を少くし、足音を忍ばせて、片時でも眠らせようと細心の注意をする。さめれば、病人の好きなものを調理して、一さじでも食べさせようと、あらゆる努力を傾ける。そして、この一さじ一さじのおかゆを食べさせることを積み上げて、さしもの危機を切り抜けさせていく。これがお互い重症患者の生命の危機を切り抜けていく唯一の道なのであります。(
拍手)しかるに、たった三億円の予算を節約するために、つき添い婦
制度を常勤労務者に変え、最も安静を必要とする重症結核患者を個室から大部屋に移して苦しめ抜いて、口に合った食物どころか、暖かいみそ汁すら与うることをせず、涙とのろいの中に死なしめる。これが国家の名において設立、経営せられつつある国立結核療養所の姿であるとは 一体何たることでありましょう。(
拍手)
また、一方、首切られたつき添い婦の多くの者は、子供や老人をかかえた未亡人であったり、病気の夫や子供をかかえた婦人で、つき添い婦という仕事が二十四時間勤務で、骨が折れても収入が一万余円になるので、働き抜いて家族を養っていたのでありますが、これが働き場を追われて、前途を憂えて、中には気が違い、あるいは自殺した者も出たのであります。一部の若いつき添い婦の中には、常勤労務者にあらためて雇い入れられたが、収入は今までの半分になり、どうして家族をかかえて暮していこうかと、先日も国立東京療養所で涙を流して訴えられました。年の進んだ者は雇ってくれるところもない。転職を世話すると厚生省は言ったけれども、事実は口ばかりで、ほとんどが失職していったのであります。このつき添い婦
制度の廃止の結果は、これのみにとどまりませんでした。多くの国立療養所は、万やむなく重症結核患者の入院を拒絶しております。患者の外科手術は半分ぐらいに減らしました。そして、結核療養所はがらあきになっています。国立結核療養所が重症の結核患者の入院を拒否して、一体どうなるのでしょう。(
拍手)今日、結核の外科手術の進歩と、これに化学製剤の併用によって、ほとんど治癒しない結核患者はなくなっているときに、国立療養所が看護の手不足からこれを回避して、一体結核に苦しむ家庭はどうなるのでしょう。たくさんの患者が、当然受けらるべき治療を受けられずして死んでいく。これがつき添い婦
制度廃止に現われた
小林行政であります。(
拍手)
一体、民主主義とは何ですか。社会保障とは何でありますか。究極的にいえば、個人の生命を何よりも大事にすることでありましょう。(
拍手)
小林厚生行政のどこに、
国民の生命をほんとに大事にする生き生きとした政治が見られましょうか。つき添い婦廃止は、今年初めから始まり、四月一日をもって強行されました。まだ何百人、何千人という大きな犠牲者は出てはおりませんが、このままいけば大へんです。今にして
小林君の退陣を願わねば、災いの及ぶところはかり知れないものがありましょう。(
拍手)人命軽視、これ
小林君の不信任の第一の
理由であります。(
拍手)
小林君不信任の第二の
理由として、私は彼の結核行政の失敗をあげなければなりません。一昨年、政府は結核患者入退所基準なるものを作って、かわいそうな貧しい結核患者を国立病院や結核療養所から追い出すこととしました。追い詰められた結核患者は、これに抵抗して各地に座り込みをし、文字
通り死の抗議をいたしたのでありますが、そのとき政府が公表した入退所基準設定の
理由は、結核療養所の病床が一ぱいで、家庭に置いては危険な重症患者を入院させることができないから、軽い者は退院してもらうのだと発表したのであります。それから一年半、今日
わが国の結核療養所の実態はいかがでありましょうか。全国の結核療養所、病院のベット数二十二万床のうち、少くとも三万五千ベッドがあいております。それでは結核患者はなくなったのかと申しますと、そうではありません。一九五三年及び五四年に厚生省がいたしました結核実態調査によりますと、全人口中、結核の病変を認めるものは五百五十三万人、そのうち医療を要する結核患者二百九十二万人、休養を要するもの三十二万人、注意を要するもの二百二十九万人に上ることが明らかになりました。しかして、この二百九十二万人の結核患者の発生状況を見ると、農業地区、漁業地区、工業地区、商業地区などによって著しい違いは認められず、年令別発生状況を見ると、三十才以下よりも三十一才以上の方に多く発生しておる。また、現在、医療を必要としながら、結核患者であることを自覚していないものが八〇%も存在することが判明したのであります。また、この二百九十二万人分結核患者中、即時入院治療を要する者実に百三十七万人の多きに達しているのであります。
諸君、こんなわけのわからない話がまたとあるでありましょうか。(
拍手)今申し上げたように、全国の結核療養所、病院のベッドが二十二万ベッド、今直ちに入院治療を要する結核患者が百三十七万人、どう考えても結核療養所や病院は満員でなければならないのに、三万五千ベッドがあいているというのです。(
拍手)まことに鳩山
内閣小林厚生行政の七不思議と申すよりほかはありません。(
拍手)
どうしてこんな七不思議ができたのか。原因はいろいろありましょう。しかし、何といっても、直接の原因はきわめて簡単明瞭であります。わずかの予算を惜しんで、貧しい肺病患者を結核療養所、病院から締め出したのです。すなわち、入退所基準の強行に、さらに加えて、生活
保護法の医療券を引き締めて入院ができないようにし、あるいは生活
保護で入院している患者に一部負担を強化して退院を余儀なくし、あるいはつき添い看護券を取り上げ、いやおうなしに療養ができないようにして貧しい患者を病院から締め出したのであります。(
拍手)
御参考に、一、二実例を申し上げましょう。
幼いときに父親を肺結核で失い、次いで母をも失った孤児の姉弟がありました。親類の手によって養育されて姉はようやく看護婦になったが、弟は不幸結核にかかり、ある結核療養所に生活
保護で入院治療していたのであります。昨年来の医療券の引き締めで、この看護婦になったばかりの姉の収入は一カ月千七百八十九円を残すだけで、他は全部弟の入院料の一部負担として支払わねばならなくなった。この千七百八十九円で衣食住から交通費まで一切まかなわねばならないというのであります。とうていできないことでありますから、涙ながらに弟は退院をしていったのであります。
次は、別の実例でありますが、昨年、私が、ある社会福祉事務所に行きました。子供をかかえた若い婦人が泣いていました。亭主が重症の結核で、ある療養所に入院して療養している。子供をかかえて働いていた細君に、前同様、一部負担の命令がきた。思案に余って、細君が社会福祉事務所にかけ合いに来たのです。福祉事務所は、その一部負担ができないなら医療券を出すことはできないと言う。細君が、涙を流して、これは私たちに死ねということです、それは無理ですと抗議しておる。福祉事務所の職員は、死んでも仕方がありませんと言う。細君が目をつり上げ、それでは私たちは死にます、必ず死んでみせますと言うて、声を上げて泣いておった。これは、
諸君、実例であります。
厚生省当局が、最近、社会労働委員会において、私の要求により
提出した、結核治療のため入院できないおもな
理由なる資料によりますと、結核患者が結核療養所に入院できない
理由は、第一、働かなければならない、第二、失業、就職困難または落第のおそれ、第三、入院費が払えない、第四、社会保険の打ち切り、第五、家族等周囲の人の無理解というのであります。この第五の家族の無理解というのも、結局は経済問題を原因とするものであることは、容易に想像ができるところであります。であるとすれば、落第という学生の場合を除いて、結核患者が入院できない
理由は、ことごとく経済問題だということができましょう。(
拍手)かくて、
諸君、前述の一九五三年の厚生省の結核実態調査では、医療を要すると判定された者のうち、一年間に現実に医療を受けた者はわずかに二六%、入院を要すると判定された者のうち、入院したものは、わずかに一七%にすぎないのであります。(
拍手)これが厚生省の資料である。かくて、貧しい結核患者が結核療養所から締め出された結果がどうなるか。天につばきする者は、みずからその結果を受けねばなりません。
この危険な開放性結核患者が、その貧しい家庭において家庭と同居生活をし、こそくな売薬や、むちゃくちゃな化学療法をするために、同じく厚生省の調査によれば、一年間に三十三万人の新しい結核患者が発生し、その三分の一は十才未満の幼児であります。さらに、おそるべきことには、耐性菌患者、すなわちストレプトマイシン、パス、ヒドラジッド等、結核の化学製剤に対する抵抗性のある結核菌を持つ患者が激増してきており、国立
清瀬病院の新入院患者について調査すると、その八〇%がこのおそるべき抵抗性を持つ結核菌による患者であるのであります。(
拍手)さらに、また、浜松市のある診療所におきましては、昨年前半には見られなかった重症結核患者の新しい外来患者が非常に最近多くなってきたのであります。長年の間多額の国費を投入し、あらゆる努力を傾倒して、
昭和十八年には
わが国の結核死亡者数十七万一千人であったものが、
昭和二十八年にはわずか五万七千人に激減せしめて、ようやく結核亡国よりのがれ出んとした
わが国は、今や再び結核亡国に逆転せんとしておるのであります。(
拍手)われわれ、社会労働委員会において、幾たびかこれを警告したにもかかわらず、
小林君はその方針を改めようとはしないのであります。われわれが
小林君を弾劾するのは当然ではありませんか。ただいま申し上げましたように、
昭和十八年に比べて、十年後の
昭和二十八年には、人口が三割も激増しておるのに、年間十一万四千人も結核死亡者数が減じたことは、決して自然にできてきたのではないのであります。