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1956-04-19 第24回国会 衆議院 本会議 第35号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月十九日(木曜日)     ━━━━━━━━━━  議事日程 第三十二号   昭和三十一年四月十九日     午後一時開議  一 北洋漁業に関する日ソ交渉の経緯についての外務大臣報告に対する質疑(前会の続)     —————————————  第一 地方教育行政組織及び運営に関する法律案内閣提出)並びに地方教育行政組織及び運営に関する法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案内閣提出)についての文教委員長中間報告  第二 地方財政再建等のための公共事業に係る国庫負担等臨時特例に関する法律案内閣提出)  第三 地方交付税法の一部を改正する法律案北山愛郎君外十名提出)  第四 地方交付税法の一部を改正する法律案内閣提出)  第五 地方財政法等の一部を改正する法律案内閣提出)  第六 宮内庁法の一部を改正する法律案内閣提出)  第七 国家公務員共済組合法の一部を改正する法律案内閣提出)  第八 関税法等の一部を改正する法律案内閣提出参議院送付)  第九 百貨店法案内閣提出)  第十 国際金融公社への加盟について承認を求めるの件     ━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件  国務大臣清瀬一郎不信任決議案淺沼稻次郎君外四名提出)     午後七時三十一分開議
  2. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) これより会議を開きます。      ————◇—————
  3. 長谷川四郎

    長谷川四郎君 議事日程追加緊急動議提出いたします。すなわち、淺沼稻次郎君外四名提出国務大臣清瀬一郎不信任決議案は、提出者の要求の通り委員会の審査を省略してこの際これを上程し、その審議を進められんことを望みます。     〔発言する者多く、議場騒然
  4. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 長谷川君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって日程は追加せられました。  国務大臣清瀬一郎不信任決議案議題といたします。提出者趣旨弁明を許します。高津正道君。
  6. 高津正道

    高津正道君 私は、ただいま議題とされました、淺沼稻次郎君外四名提出にかかる国務大臣清瀬一郎君に対する不信任案について、提案者を代表して、提案理由の説明をいたします。  最初に案文を読みます。     主文  本院は、国務大臣清瀬一郎君を信任せず。  右決議する。   〔拍手〕     理由  一 清瀬国務大臣は、政府の責任者として、憲法の精神に基く現行民主教育の根幹たる教育委員会制度教科書制度を改悪し、わが国教育中央集権化をはかり、官僚支配の強化を意図する教育関係二法案を提出した。これは、わが国の教育を戦争教育の方向に押し進め、わが国民主教育の根底をくつがえすものである。  二 清瀬国務大臣は、学校給食、その他不明朗なる文教行政の欠陥を順次暴露し、清純なるべき教育史上一大汚点を残した。  三 清瀬国務大臣は、第二十二回特別国会において現行憲法を「マッカーサー憲法」とひぼうし、その暴言を取消し陳謝したにかかわらず、今国会においてもまたまたマッカーサー憲法とひぼうした。これは憲法第九十九条による憲法尊重の義務を有する国務大臣の職にありながら公然と憲法を軽視する態度を表明したものである。これが、この不信任案を提出する理由である。   〔拍手〕  初めにお断わりをしておきますが、元来、私は、一人一業、終始一貫を座右の銘としているのでありまして、清瀬一郎君が、著名な自由主義者として、大正の初め以来、実に長きにわたり、人権の尊重と憲政の擁護、特に普通選挙権獲得運動に尽してこられた業績については高く評価し、かつ、その御年輩に対しても敬老の念をさえ(笑声)有していたと申し上げ得るのであります。しかるに、この輝ける経歴の清瀬一郎君は、何事か、今やおそるべき反動政治家として私たちの前に立ち現われました。思うに、国と国民との現在及び長き将来の利害と運命につながる現実政治の世界において、いたずらに私情や敬老観念に引きずられるならば、これは公私の混同でありまして、許容できないでありましょう。(拍手)けだし、このような場合の公私混同は、私たちの不明であるのみならず、無能と罪悪を意味するからであります。本案は、実にかかる認識の上に立っているものであります。(拍手)  さて、われわれが清瀬文相を弾劾する第一の理由は、去る三月十五日、内閣委員会において、憲法調査会法案担当大臣として、わが飛鳥田一雄君が、文相は、第二十二国会の本会議で、現行憲法マッカーサー憲法だと述べ、それを取り消されたのであるが、いまだにこうお考えになっておられるのかと質問したのに対し、その速記録に正確に写し取られてあるままの文相の言葉を使うのでありますが、昨年の二十二国会では、あのときは取り消しましたが、今に至るまで演説や論文等にはその文字は使っており、信念に変りはない、と驚くべき答弁をされ、さらに、森三樹二委員の質問に対し、「あなたは私が信念が動揺しておるとおっしゃるが、当時使ったマッカーサー憲法を今もマッカーサー憲法というのだから、やはり信念が一貫しておるのです。」と、無反省であるのみならず、挑発的、侮べつ的なる発言をされたのであります。その発言が単なる失言でないことは、みずからその信念に変りがないと言っていられるので、明々白々、動かせるものではありません。(拍手)  諸君の御存じのごとく、わが国の憲法は、日本国憲法、または現行憲法と呼ばるべきであるのに、これをマッカーサー憲法とやゆするがごとく呼称することは、明らかに憲法第九十九条違反であります。(拍手)各位はこの第九十九条をもちろん百も御存じでありますけれども、私は、大切な問題ゆえに、やはりここで読んでみます。「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と、かくのごとく、国務大臣を特にむき出して掲げ、単に順守するのみならず、尊重することと擁護することを義務づけているのであります。(拍手)大臣たるもの、いかなる場合にも、この義務を忘れてはなりません。しかるに、この内閣において、最近ある期間は憲法問題の担当大臣をしていた清瀬一郎君であります。たとい、おのが党内から、彼の相次ぐ失言のため、また、これから先の国会審議上の不慮の事態を憂慮するため、この憲法担当を解任されたとはいえ、依然として、てん然として大臣の地位にとどまっているのであります。(拍手)従って、現に文部大臣でありますが、いやしくも文教の責任者の地位にある大臣が、白昼堂々と、国会において、かくのごとく、現行憲法を、しかも幾度も侮べつするがごときは、国民の順法精神を台なしとし、国と国民とがよって立つところの法治国思想を根底から破壊するものというべきでありましょう。(拍手)  警官は、一般法律のこまかい一条一条の順守をきびしく迫り、上に立つ大臣は、国会で国家の根本法典をボロクソに言いくさって平然としている。それで政治が成り立つものであるかどうか。国民は、かかる矛盾した状態を長く黙認し続けているものではなかろうと存ずるのであります。(拍手)また、全国五十余万人の学校教師が、教育基本法学校教育法の命ずるままに、この憲法の合理性、妥当性、そうして水爆以後の世界情勢から見て、抜き手を切ってまっ先を泳いでいるとも見られる、その持てる進歩性を、学童、生徒、学生に教え込んでいることを思うときに、この文相の発言によって、教師の権威はどうなるでありましょうか。少年少女心理状態に、いな、教育そのものに与える悪影響の深刻さに思いをいたす場合に、君にして常識あらば、良心あらば、辞表は、むろん、あの日の内閣委員会の散会後直ちに書かれ、直ちに首相に手渡され終っているべき筋合いのものであります。(拍手)まさにそれほどの失態でありました。現行憲法治下の国において、かくのごとく憲法を軽視し、軽べつするがごとき態度を表明する人物を国務大臣の地位にとどまらしめるということは断じて許容されません。憲法軽視の大罪、これが清瀬一郎君不信任の第一の理由であります。(拍手)  諸君、私はこれより清瀬一郎君の国会軽視の大罪に関して論旨を進めて参るのでありますが、この際お許しを得たいことがございます。清瀬文相憲法軽視憲法無視、それだけでもそれは法治国観念を台なしにするという先の私の主張でございましたが、まことに、そのことに関して昨日大阪に発したる大阪乱闘事件から一つの大きい教訓を学びとらねばならないと痛感いたしたのであります。(拍手)  諸君、私は、けさ、昨日の大阪における自民党と社会党の小選挙区制の可否に関する討論会の新聞記事に目を通しました。その記事に関する限り、朝日、毎日、読売、東京、日経、産経と全部を読んだのです。私の直感は、日本これより乱れんとす、この一語で表現ができる。(拍手)もちろん、この乱暴な小選挙区案を契機として、日本の大混乱、大動乱の先ぶれが大阪のこの中之島公会堂に現われたと受け取ったのであります。(拍手)これは、今にして、政治家が先を見通した賢明な手を打たないならば、このぼやは中火となり、大火となり、日本民族を滅ぼすまでには至らないとするも、しかり、容易に九千万人の民族が滅びるものでもありませんが、世界の多くの国々が、後進諸国をも含めて、国民はいわゆる偉大なるレヴァイヴァル的世界革命精神革命を次から次へと経験しつつ、かけ足調で、理想を目ざし、復興建設を急げ急げと、小国は小国なりに、中国は中国なりに、スタートを切って走り始めているのであります。日本が一つの政党の押しまくろうとする横車的政策、その名は公職選挙法一部改正法案教育委員会法案等々と名づけられております。ただ、このことのために、日本だけがはかり知れない立ちおくれをとるであろう。今回の大阪事件を、私たちはこの際十分にかみしめて味わい、各自、日本の将来のために、現在子孫の運命にまで責任を負って政治を動かしているわれわれ政治家として十分、いな、十二分に考えてみる必要があると痛感する次第であります。その意味で、最も詳しい読売の記事を、いま一度読むことをお許しいただきたい。(拍手)新聞によって連鎖反応があってはとの良識からと思いますが、あまり詳しく実態を伝えないで、小さく扱ったところもある。しかし、この見出しは「怒号と乱闘の大阪討論会」「演壇を占領する暴力」となっております。読みます。これはきわめて重大であります。「小選挙区の地方公聴会の皮切りとして、自民、社会両党では十八日大阪で討論会を開いたが、両党の応援団が入り乱れて逆に乱闘にまで発展した。もとより政府、与党が公党の面目にかけてこれを押通そうとするのに対し社会党がまた非常体制をとってこれを阻止しようとし両党対決の問題であるから激しい応酬は当然ともみられるが、このような乱闘事件に対し国民大衆の受取り方はきわめて複雑なものがあるようである。」以下、大阪討論会の実況である。「大阪発」自民党、社会党共同主催による「小選挙区制は是か非か」の公開討論会は十八日午後一時十五分から大阪中之島中央公会堂で開かれ聴衆約四千が詰めかけた。討論会は自民党政調会長松野頼三氏、社会党総務局長三宅正一氏、自民党選挙制度特別副委員長古井喜實氏、社会党選挙対策委員長島上善五郎氏の順に約一時間にわたり交互に賛否の討論を行なったが、自民党は院外団体を、社会党は労組関係を多数動員、司会者の再三の制止にもかかわらず会場はヤジと拍手でけん騒をきわめ弁士の熱弁も十分ききとれなかった。聴衆は正午の開場と同時に殺到し大阪市民の関心の深さを示した。また東京の場合と異なり両党の話合いで「来た者から入れる」と手放しの状態だったが、それでも入口正面に屈強な背広服が十数名ならんで、自民党は右、社会党は左にとそれぞれ誘導していた。二階の招待席には菊のバッジをつけた地元政界議員がズラリ、定刻騒然たる喚声と拍手の中に開会された。「自民党がんばれ」「社会党負けるな」「静かに静かに」再び満場をどよもす喚声のうち、まず松野氏が顔をやや紅潮させ「小選挙区制についてアンケートを千七百名に試みたが反対は百六十五名だった。世論は小選挙区を支持している」と皮肉まじりにに切りだした。聴衆の在半分が立上って「バカヤロウ」「ゴマ化しだ」と怒声を浴びせる。続く三宅氏がヒタイに青筋を立てて「憲法改正のための自民党の陰謀だ」ときめつけると、右側の一団が「ワーッワーッ」と妨害に出た。話がききとれない。演説中に聴衆がイザコザを起し一時総立ちとなった。島上氏は「政府の区割は自民党議員で国土を山わけする強盗行為だ」というと前列の招待席ではいきりたつた一人が勝手に演説をはじめる始末、興奮した聴衆は次第に舞台の左側から演壇の近くまで押出された。二回目の討論では島上氏が政府作成区割地図表を振りあげ「大阪の例をあげれば十四区と十五区では二十二万、十七万と大きな開きがある。しかもこの少ない方の十五区の三島郡の中から一番人口の多い豊川村を十四区にまわしている。これは自民党の原田憲君の当選の……更に寝屋川市でも」とやり出した途端、会場前列右側にいた五十才ぐらいの男が壇上にかけ上がり、島上氏の真ん前に仁王立ちになって「ヤメロ、ヤメロと腕を振りまわした。整備員が一たん壇上からおろしたが、今度は数人が整備員のワキをかいくぐって壇上にかけ上がり、さらに地元政界の連中約五十人がサッと壇上に上り入り乱れてもみ合った。菊のバッジをつけた府会議員らしいのが仁王立ちで「コンチクショウ、バカヤロウ」とつかみあう、ネクタイを引っぱる、シャツを破る「親分親分」と叫ぶ者、演壇は暴力に占領されて討論会は約十分中断した。場内で一人の男が数人に髪を引きずり回され足げにされて顔から血を流した。」「会場係がスクラムを組んで暴漢を押出し、」「怒号、喚声のうちに午後三時閉会した。」  読売新聞は、前田多門氏に感想を求め、今の記事とあわせて掲載していますが、氏は控え目に控え目に見解を表明しておりますけれども、その中に、「かりに小選挙区制がいいとしても、区割を変えるだけでは選挙はよくならない。大体イギリスが小選挙区だから日本でもと簡単にいう人がいるが、イギリス選挙運動戸別訪問が公認され、むしろこれが選挙運動の中心になっている。これは政治道徳が非常に高く、民主政治の訓練が国民の間に行きわたっているからである。それを日本のような政治道徳の低い国民の間へただ取入れても、それだけで選挙が公正にならないことは判りきったことだ。」「無理押しして実現しても選挙は決してよくならない。」「無理をすれば議会外にもこのような反対が起るということを、この際議会人も真剣に考えてみる必要があろう。」(拍手)私は、前田多門氏は保守陣営の人であることを、もとより知っていますが、この人によってその言を捨てずで、氏の忠言は十二分にわれわれとして尊重すべきだと思います。この人は、この論調で見ると、現在の小選挙区制など無理をしてやっても効能もないしとして反対をし、その強行によって起る国の大混乱を、いみじくも見通しているようであります。  われわれは、内乱的な、暴力革命的な、国を大動乱に投げ込むような動機となる一つの行為をも、いわんや、一つの政策をも、絶対に慎しむべきだと痛感いたします。(拍手)かくのごとき逆コース的風潮を、そもそもだれが作り出してきたのでしょうか。(拍手)その中心人物の一人こそ、ほかならぬ自信満々居士清瀬一郎君であります。(拍手)  日本の財界は膨大な政治資金源を擁していることは申すまでもありますまい。もし、政治家にして財界に頭が上らず、財界の意を迎えて政策を立案したりし出すと財界は、隴を得て蜀を望むのたとえのごとく、また、満州事変ごろの政界に対する軍部のごときわがまま者に成長するおそれがあり、今や、その若干の様相が、日経連の最近の動きの中に明らかに読み取れるのであります。欲のまたが裂けるという処世の戒めが思い出されるのであります。小選挙区案に対し、教育二法案に対し、財界もまた事実上の参画者であり、有力なる推進者であります。利潤追求の才能にだけいたずらに長じ、その小さい目で何やかや勝手な注文を政界に持ち込むことを、どうして自制し得ないのでありましょうか。  今日の国際間にあって近視眼ほど有害なものはありません。一昨年から昨年へ、日の当る産業のいわゆる三白景気だといい、昨年から今年へかけて、鉄鋼、造船、海運等、今度は白でなくて、三黒景気がきたと申します。あえて農民、労働者、中小企業といわず、むろん失業者、自由労働者を含め、多数の国民がまだまだ困り抜いているのが実情でありまして、彼ら財界が反省能力を欠いて、国民の犠牲の上に立って、みずから太り栄えている事実を忘れ、勝手にふるまっていると、元も子もなくなってしまうおそれが多分にあるといわねばなりません。(拍手)  今日、日本の社会相は、社会学者心理学者を待たずして、何ものかのふちのきわに臨んでいるのではないかと案ぜられるのであります。三十五度までは耐え得る、三十七度でもまだ耐え得る、しかし、三十八度が限界であって、その線をこえる度合いの刺激を与えれば、指導者の指揮命令がなくても飛び出す、立ち上る、こういう切迫した段階ではなかろうかと私は信じます。(拍手)これは、どこの国民でも、程度の差こそ違え、同じです。ただ、フランス、イタリア、スぺイン、あのあたりの南欧熱血の民族だと、一週間も前にすでに反乱、暴動というところでしょう。イギリス国民であったらまだ持つと見るのが常識であるかもしれません。日本の場合はどうでしょうか。さっき申したごとく、もしも、これ以上図に乗り、多数を頼み、日経連がいやが上にも欲ばったままの強気で押し通すことが進んでいけば、三白景気も、三黒景気も、三十年度の貿易の黒字五億三千五百万ドルも昔物語と化し、光沢のある自動車、自家用自動車には赤さびが出てこないと、だれが断言し得るでしょうか。(拍手)再び申しますが、日本は今きわめて危いがけの上に立っているようであります。そうして、それは作らなくてもよかったのに作られたものであります。  アメリカは、ダレスのせとぎわ政策で、不人気をみずから好んで呼び起した形ですが、われらの祖国では、うしろにいる日経連、前にいる大保守党、この二大勢力によって、国民大衆に対して、せとぎわ政策がとられたものであります。全くこれは危険千万であります。経験者の語るときこそ、まさに今であり、年令七十才の、人生の、政治の経験者清瀬一郎君など、今こそ、前田多門氏のごとく、多少先を見て語るべきときだと思えるのであります。(拍手)真近ながけの、何千丈のあの垂直線、さらに、その真下には、まっさおい深いふちがあるのに、そっちの方角へ向って前へ前へと号令をかけている一人の張り切った老人の姿、それがわが清瀬一郎君であります。(拍手)私たち、幸いにして、それらをだれよりも先んじて気づき得べき国会に議席を与えられておるものでありまして、この際先に立って誤れる指揮を行いつつある清瀬一郎君を、参謀部のごとき内閣から、せめては他の陣地、すなわち閣外に直ちに移動させるべきだと信ずるのであります。(拍手)  諸君、大阪乱闘事件は、文教委員会公職選挙法特別委員会とに対し、また、もちろん本日以後の本会議に対し、天の与えた一大警告であるとして、われわれは受け取るべきものであると申し上げたいのであります。(拍手)島上善五郎君の舌鋒いよいよ鋭く、小選挙区制の最悪の部分に触れて指摘し始めた瞬間、その選挙区に触れてもらっては困ると言って、社会党員が壇上にかけ上ったのでしょうか。そのようなことはあり得るはずがない。しからば、島上君の白を黒と言うにあらざる、黒を白と言いくるめるにあらざる、まことに言論自由の原則にかなった正々堂々たる言論に対し、まっ先に壇上にかけ上って島上君の口を封じようとしたのは、いかなる勢力であるかと考えたいのであります。しかし、詳細にその検討に入るとなると、広がり過ぎて、提案理由の説明の焦点がぼけるうらみがございますので、論点を別の角度に移して参ります。(拍手)  清瀬文相に対する第二の不信任の理由は国会軽視の事実でありますが、わずか九カ月前、すなわち、昨年七月の本会議においてわれ誤まてりとして、みずからこの壇上より取り消した、あの禁断の用語たるマッカーサー憲法を、去る三月十五日の内閣委員会において、再び三たび執拗に繰り返して使用し、自分は演説でも文章でも相変らず使っているのだ、わが信念は不動である、何の不都合があるかという態度を表明されたことは、これは明らかに国会軽視といわねばなりません。(拍手)それだと、九カ月前のあの取り消しは欺瞞の行為だったのでしょうか。(拍手)ただ、私のこの簡単な指摘の言葉というものは、妥当性があって、むろん正確で、いかに弁護士生活四十余年の清瀬先生の弁明であっても、難中の難事、数時間を費しての弁論をもってしても、のがれることは断じて不可能であります。清瀬さん、さきのお取り消しは、それでは、ただ一時国会をごまかしたのでしょうか。これが一つつ事実です。  もう一つの事実は、一番なまなましいもので、四週間前の三月二十二日の内閣委員会におけるできごとであります。賛成が多い法案が委員会を通過するのは当然である。何なら早く委員会審議を打ち切り、本会議で採決してみようじゃありませんか。これは、卓を何べんもたたきながらの御発言でありました。そこには、少数党の意見など眼中になく、くるなら数でこいという挑戦的な態度がまる出しとなっており、さすがに自由民主党からも、不穏当な点については文相に釈明させるからと、わが党に交渉されて参ったのでありまして、(拍手)不穏当な発言であるということは、与野党のともに認めている証拠だと言えるわけであります。多数を頼んだ清瀬大臣の、これに類する挑戦的な発言は、私、文教委員として、しばしば気づいているのであります。また、その時代離れのした感覚という点も、われわれ野党やジャーナリズムばかりが気づいているのではなく、自由民主党の内部でさえ怒りを招いているほどであります。  三月二十三日の毎日新聞の報道で、私の憶測ではありませんが、きわめて関連が深いので、短かくこれは読むことを許されたい。内閣委員会に同席していた根本官房長官は、朝から清瀬文相に、発言にはくれぐれも注意するよう再三申し入れていたので、無言で文相をにらみつけていた。委員会休憩後、与党委員は、人の苦労も知らないで、言わないでもいいことを言う。社会党が出さないでも、こちらで文相の解任決議案を出したいくらいだよと怒り、文相の時代離れのした感覚にあきれはてていた云々。この際、私は、根本官房長官の御苦心、御苦衷に対し、党派を越えて御同情申し上げる次第でございます。(拍手)  しかし、それとともに、私は、さらに、この発言の上に、少数党に対する無視と軽べつ、そして、衆議院常任委員会の審議に対する行政府の不当関与のきらいがあると思うのであります。(拍手)これらの思い上った発言や態度は、すべて国会軽視の範疇に入ります。(拍手)国会の軽視が大きくなり、極端となった場合、そこに現われるものは、正真正銘のファシズム、クーデター、暴力革命であることは、これまた各位の熟知せられるところであります。(拍手)すでに私たちは大阪乱闘事件を検討して参りました。千里の堤もアリの一穴よりくずれると申します。われわれは、清瀬文相の、かかる失言、暴言を、それが本心であればあるほど、民主主義の味方にあらずと認め、国会軽視の観点より見て許すべからずとし、清瀬一郎君は文部大臣の地位を直ちに去るべしと論断するものであります。(拍手)  元来、清瀬文相は、そうは言うものの、閣外にお去りを願い、かつ、もしその逆コースヘの情熱的、狂信者的、爆弾三勇士とも見るべきその態度をさえ改めていただくならば、私のあなたへの尊敬は昔に戻ってくるのであります。(拍手)この二つの条件さえかなえば、清瀬先生はまことに惜しい先輩であり、私は、この清瀬弾劾演説をなしつつも、ともすれば、輝かしいその過去が思い出されるのであります。(拍手)清瀬一郎君は、七十年のその生涯において、かつては——断わっておきますが、その若かりし日のことでありますけれども、実は幾つも進歩のために歴史的な貢献をした人であります。その一つは、軍部の代表者としての田中義一大将にからまる金塊事件、金の延べ棒事件を、衆議院の本会議において弾劾されたという事件であります。  田中大将の金塊はロシヤ革命に深い関連があるのでありまして、この共産主義革命は、歴史家も政治家も忘れられない、あの一九一七年十一月七日、ボルシェヴィキの首領ニコライ・レーニンの指揮よろしきを得て、すなわち、彼は、十一月六日ではまだ時期が熟さない、十一月八日では盛り上りが引き潮になって熱が下る、火ぶたを切るのは十一月七日に限るというがごとき、神技に近い周到なる戦略戦術から割り出した、その十一月七日に、大クーデターというか、共産主義革命の火ぶたを切り、ついに力で押しまくって時のケレンスキー政府を倒し、いわゆる独裁政権を樹立したのでございました。  この時期はまだ第一次世界大戦の進行中ではあり、全世界をことのほか驚愕させたことは申すまでもありません。そうして、全世界の批評の大部分は、間もなくその政府は崩壊するであろうというふうに見ていたのであります。ロシヤの国内では、これに反対する将軍たち、ウランゲル、コルチャック、デニキンなどの反動将軍が、外国資本家の援助によりまして、軍を率いて共産政権に武力をもって対抗いたしました。シベリア方面における反革命自衛軍の大将がセミヨノフでありまして、わが日本も、実はヨーロッパ資本主義国の例にならい、このセミヨノフをかつぎ、彼を援助すべく、無謀にもシベリア出兵をしたのでありました。(拍手)ではありましたが、セミヨノフ軍が弱いというよりも、ロシヤ人の、あのねばり強い国民が、ツアーの専制政治、圧制政治から解放されたという喜びを一人一人が経験しておりまして、すばらしく勇敢で、彼らは強かったのであります。軍隊に入っていない者も、いわゆるパルチザンとなって、ハンマーを持ち、かまを持って、反革命のセミヨノフ軍、それの応援軍たる日本軍を、寒い荒野で悩ませ続けたのであります。あるときは、日本軍がニコライエフスクに包囲されて、そこで、ある部隊は全滅したことがあります。当時早稲田大学にいた私には忘れ得ない深い印象がありまして、ニコライエフスク事件が日本の大学生に与えた影響について、一言やはり触れたいのであります。(拍手)  日本の一部隊がだんだんと殺され、最後に同地の領事館でわが部隊長が自殺するのでありますが、有力な一人の従軍記者が、早稲田大学の、あの大隈侯の銅像の前で、その自殺の詳細を、集まった千数百名の私たち学生に報告したのでございました。彼は演説をしました。領事館の一室に最後に残ったのは、七才になる自分の子供を連れた部隊長何々中佐であります。演説者はそのように続けました。外に銃声やときの声が上るが、中佐、このとき少しも騒がず、(拍手)わが子に向い、お前はさむらいの子か百姓の子か、すると、いたいけないその子は、お父さん、さむらいの子、と答えました。中佐は涙を浮べてその子の頭をなでていたが、許せという声とともに、やにわにわが子をピストルで殺し、自分もともに自殺しました。と、まあこういう筋の講演でありました。  従軍記者の次の講演者は足の悪い大隈侯ですが、市島大学理事の肩にすがって大隈邸から出てこられるので、その十分間ほどの時間に、私は、同志の勧めるまま、その壇上に上り、今聞いたばかりの演説を反駁いたしました。私の論旨は包囲されて最後に領事館の館内に残った人間は父と子のたった二人きりで、しかも、一時に死んでいるというのに、その現状の詳細があのように具体的に伝えられるということはあり得ないではないか。天井に自分だけが隠れていて三日目にのがれ出たので、この話がかえってできるのだ、というわけでもないし、われわれ若き理性ある学徒は、このような作り話に迷わされてはならない、諸君は何と思われるか。第二に、さむらいの子を善玉となし、百姓の子を悪玉ときめてかかって、さむらいの子か百姓の子かという尋ね方が、今もなお、さむらいを何か貴族のように考え、全国の農民を侮辱するものであって、僕はこのような考え方には絶対反対である。大体こんなふうに反駁し、正論にくみする純情な大学生から相当な拍手をそのとき私は受けたのであります。(拍手)そうして、不思議にも、本日、この議場に、そのときその場で私に拍手、声援をして下さった三十六、七年前の同志を、一人ならず、二人ならず、見出し得ることは、私の感慨まことに深いものがあるのであります。(拍手)  さて、強かるべき日本軍も、案外にその武勇をふるい得なかったのであります。それは、おそらく、他国への明らかな内政干渉ではあるし、また、時の日本政府が、ヨーロッパ側から共産政権に立ち向った軍もはなはだ気勢が上らない実情を知るにつけ、下手をすると日本軍だけが共産軍との間に結んで解けない長い戦争に巻き込まれはしないかと観測して日本の方で本腰を入れなくなったため、この二つの理由のほかに、そのころの日本の国内の世論のうちで、先の見える進歩勢力からシベリヤ出兵反対という相当のブレーキもかかっていました。これらの事情で、ついにシベリヤから撤兵することになりました。  これからは清瀬文部大臣に関係して参りますが、巨額の軍資金を金塊の形で持っていたセミヨノフ将軍は、日本軍に擁せられて日本に亡命し、別府温泉で亡命の生活を始めるに至るのであります。私が聞いて、かつ覚えているところでは、セミヨノフ大将は、所持するその金塊を、陸軍の実力者たる田中義一大将に預けたのであります。セミヨノフとしては、再起して共産政権に対しいま一度戦いをいどむ場合の軍資金にという考えであったのであります。田中大将は、陸軍の代表者として、当時三百万円といわれる金塊を、神戸の金貸業者乾新兵衛に一応預けたのであります。しかし、田中大将は、陸軍のために、詳しく言えば陸軍の機密費のために、乾新兵衛からそれを引き出し、政界工作、言論工作、院外団工作等々に使用し……。
  7. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 高津君——高津君、本案に対する趣旨説明の範囲を越えないように願います。
  8. 高津正道

    高津正道君(続) ついに、田中義一なる怪物は、陸軍では有能者であり、わが国政界においては何人も追随を許さざる第一人者の地位にのし上ってしまったのであります。彼が最初に陸軍大臣になったのは、大正七年九月、原敬内閣成立のときであります。次には、大正十二年九月の山本権兵衛内閣の陸相。かくて、昭和二年四月に内閣総理大臣となり、その間二年有余、終始外務大臣を兼務したるほか、内務大臣をも兼務したのであります。(拍手)田中は、軍の機密費で、陸軍の……。(「高津君、大丈夫か」と呼び、その他発言する者多し)田中は……(発言する者多し)静かに……      ————◇—————
  9. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) この際暫時休憩いたします。     午後八時三十五分休憩      ————◇—————     午後十時十四分開議
  10. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 休憩前に引き続き会議を開きます。      ————◇—————
  11. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 高津正道君は病気のため発言を継続することができないとのことで、辻原弘市君から趣旨弁明補足のため発言を求められております。これを許します。辻原弘市君。     〔辻原弘市君登壇〕
  12. 辻原弘市

    ○辻原弘市君 ただいま議題になっております清瀬国務大臣不信任決議案に対しまして、先刻わが党高津議員の該博なる不信任理由をわれわれはこの議場において承わっておったのでありますが、まことに遺憾ながら、主として与党議員席よりの高津議員に対するヤジの結果、(「何を言うか「とんでもない話だ」と呼び、その他発言する者多し、拍手)はなはだ遺憾でありますが、御老体のことでもありましたため、演説を続けられない状態に立ち至りましたので、私がかわりまして、ただいま議長の許可を得まして、残余の不信任決議案に対する理由を御説明申し上げたいと存ずる次第でございます。(拍手)高津議員が主として申し上げました不信任の趣旨といたしましたところは、すでに諸君も先刻お聞き及びの通りでございますが、いわゆるわが国憲法に対するたび重なる侮べつ、たび重なる軽視の問題について、内閣委員会におけるその失言状態、ないしは当議場における、あえてマッカーサー憲法と称したその事実を列挙いたしまして、ここに国務大臣たるの資格なしと断定せられたのであります。(拍手)私は、さらに、そのことと同時に、三点あげましたる清瀬文部大臣に対する不信任理由の中で、特に今日われわれが最も重視をいたしておりまするところの、清瀬文相その人の文教政策に関する今日までのとり来たりました具体的政策に徴して、いかように考えましょうとも、民主国家を標榜いたしまして、その民主国家建設の基盤に教育をもって最も大きな施策として推進しなければならぬ今日のわが国のこの基本方針を、少くとも清瀬文部大臣が完全に裏切るのみか、これを後退せしめている事実を申し上げ、もって私は清瀬文部大臣に対する不信任一つ理由といたしたいのであります。(拍手)  そもそも、文教政策を遂行する場合に、まずもってわれわれが論ぜなければならぬ点は、その人の持つ文教に対する根本的見解、さらにはその人が平素抱いておるところの思想的背景にまで論及いたさなければ相ならぬのであります。この思想的見解というものを、私は、ただいまより、具体的事例をあげて、皆さんに申し上げてみたいと思うのであります。  御承知のごとく、今日、わが国教育政策の基本というものは、あげて憲法に規定するところの条項にのっとりまして、教育基本法がその方向を明確に示しておるのでございます。その教育基本法のよって立つゆえんのものは、根本的に申せば平和主義であります。基本的人権の尊厳であります。このことを基調といたしまして戦後における民主教育を推進しなければならぬことは、何人も疑うことのできない事実でございます。(拍手)しかも、この文教政策が戦後におきまして樹立せられましたときに、最も大きく反省せられましたことは、過去におけるわが国教育が犯した罪であり、そのことによって巻き起されたところの、あの大東亜戦争の結果であります。しかも、この大東亜戦争を当時われわれ国民が冷厳に反省をいたしまして、少くともこの平和憲法を中核といたしまして戦後の教育政策を進めていく場合におきましては、戦争が罪悪であるとか、また、憲法が明示いたしておりますように、再びわが国が武装を持ち、再び他国と戦火を交えることのなきようにというこの冷厳なる反省が基本となりまして、そうして、徹底的に民主化された、また平和的な理念に基いて、この教育政策というものが逐次今日まで積み重ねられて参ったのでありまして、そうして、ようやく今日に至って、少くとも国民の間に民主教育の本質というものが理解せられ、民主化というものが着実に建設せられておるのでございます。  しかるに、清瀬文相は、五日前の文化放送におきまして、次のようなことを述べておるのであります。おそらく皆さんも御承知であろうかと思いまするが、去る四月十四日の文化放送におきまして、最近巣鴨プリズンから出て参りました、A級戦犯者たる荒木貞夫元陸軍大将、佐藤賢了元陸軍軍務局長、鈴木貞一元陸軍中将、赤誠会主宰橋本欣五郎氏及び清瀬文部大臣等々列席をいたしまして、なまなましい録音が全国的に放送いたされたのでございます。私は、当時新聞に載りましたラジオ短評を読んで、そのラジオ短評に記載せられておりました当時の新聞に寄せられた投書を読みまして、まことに驚いたのであります。その短評の中に、こういうような批評があったのであります。  まず、多くを皆さんに御披露するわけには参りませんが、その中に、特に清瀬文相が、元将軍、元右翼の領袖、これらの人々の中にまじって申した言葉につきまして、その一端を御披露いたしてみますると、清瀬文相いわく、私は特別弁護人を東京裁判において行いましたが、実に感慨無量であります、自衛ということで戦争は起った、しかし、白色人種の東洋制覇をアジア人に回復しようとしたので、そこで聖戦ということになったのだ、日本人である以上、あれだけの力を今後これらの人々が再び政治界に出られて大いに働かせることは、まことにけっこうでありましょう、こういう事柄を述べておられるのであります。私は、この言葉を聞きましただけで、見ましただけで、まことに清瀬文相その人が——あれだけ、戦後において、国民がすべて、冷静に、冷厳に、大東亜戦争の結果、遠因というものを反省したにもかかわらず、この人だけは、こうまつも反省の色がなく、今日においても、この大東亜戦争をある意味においては礼賛するがごとき心境を抱いているということに、全く驚かざるを得なかったのであります。(拍手)かかる思想的背景を持つ文相が、今日民主化にさらに歩を一歩進めんとする教育の重大なる責務をになっているというそのこと自体においてすら、与党諸君から不信任ないしは解任の決議を出されてしかるべきであると私は思うのであります。(拍手)  さらに、先般私が予算委員会において質問をいたしました際に、はしなくも、清瀬文相の口からも、先刻私が申し上げました、戦後の教育の根本法規として、憲法と同じように今日国民が順守していかなければならない教育基本法をもこれを改正して、再びその中に、従来の教育理念とは相異なった、君に忠に、あるいは父母に孝にという、押しつける画一的な教育方針を打ち立てようとする意図のあることを、われわれは知ったのでございます。(拍手)このことは、少くとも、今日、国民が、あるいは全国の五十万の教職員が、ししとして基本法の精神にのっとって民主教育を進めている過程において、一国の文政をあずかる文相の方針としては、断じてわれわれは許すことができないのであります。(拍手)  かかる見解をもって今回衆議院に提出されておりますところのいわゆる新教育法案なる二法律は、その提出の過程におきましても、われわれは、その文相のきわめて非民主的なやり方、あるいは、世論に全然耳を傾けず、ただ独断的に一党の言い分だけを聞いて国会提出をするというがごとき、かようなやり方に対しても承服いたしかねるのでございます。(拍手)すなわち、まず文教の根本政策については、今日、文部大臣の諮問機関として中央教育審議会なるものが設けられておるのであります。従来、文部省が、少くとも重要な政策を立案して国会提出する場合におきまして、必ずこの中央教育審議会の議に諮って、しかる後に国会提出の手続をとっておるのであります。ところが、この新教育法案なる二法律については、全然この中央教育審議会を無視いたしまして独断的に国会提出してきておる事実があるのであります。このことは、現に中央教育審議会の委員である元文部大臣天野貞祐氏の言をかりましても、はなはだ遺憾であると申しておるのであります。(拍手)われわれは、過般、文教委員会におきまして、この問題を文部大臣に難詰いたしましたところが、次のような答弁をもって糊塗いたしておるのであります。すでに中央教育審議会には諮りました。いつ諮ったかと追及いたしますと、それは、過ぐる昭和二十八年、大達文相の当時に諮問をいたしました、というような詭弁を弄して逃げておるのであります。(拍手)さらに追及いたしまして、その二十八年六月の中央教育審議会における答申が一体いかなることであったかと質問いたしますと、それには明確な答えをいたしません。なぜなれば、答えないはずであります。二十八年の中央教育審議会の答申なるものは、改正は必要なしという答申であります。(拍手)これをもっても、なおかつ、中央教育審議会の議に諮りました、中央教育審議会を尊重いたしまして国会提出いたしましたというような、かような詭弁を弄するに至っては、われわれは文相の誠意を信ずることができないのであります。  さらに、この問題は、中央教育審議会のみならず、先刻のラジオを聞きましても、全国の教育委員諸君が、すでに総辞職もあえて決意しているような大勢であります。これも、文相が……。
  13. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 辻原君、簡単に願います。
  14. 辻原弘市

    ○辻原弘市君(続) 教育委員に対して、少くとも誠意のある態度でもって、この法案提出についての教育委員に対する十分なる解明と説明を行わなかった。この事実から、この全割教育委員の総辞職というような事態を発生いたしておるのであります。(拍手、「時間々々」と呼ぶ者あり)  本法律案が、まことに天下に名だたる悪法であると同時に、文相のとり来たりました、かような非民主的な態度こそが、さらに日本文教政策というものを最も非民主的な方向に今日展開させつつあるというこの事実に立って、私はあえて清瀬文部大臣をここに不信任いたすものであります。  以上をもって私の不信任趣旨弁明といたす次第であります。何とぞ諸君におかれましても賛同あられまして、国務大臣清瀬氏を不信任せられることを切に祈りまして、私の趣旨弁明を終る次第であります。(拍手
  15. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) これより討論に入ります。町村金五君。     〔町村金五君登壇〕
  16. 町村金五

    ○町村金五君 私は、自由民主党を代表いたしまして、ただいま提案せられました清瀬文部大臣不信任案に対し、反対討論を行わんとするものであります。(拍手)  ただいま趣旨弁明を伺ったのでありまするが、その理由とするところは全く理不尽きわまるものであり、とうてい私どもの承服いたすことのできないところでございます。(拍手)なぜならば、まず、その提案理由として、清瀬文部大臣は、教育関係法案提出し、教育中央集権化官僚支配の強化を意図し、わが国教育戦争教育の方向に推し進めておるという、まことに激越なる表現を用いて非難攻撃が加えられておるのでありまするが、この法案のいかなる点をさしてかく言われるか、われわれは絶対に納得することができないのであります。(拍手)  今さら申し上げまするまでもなく、今回の二法案は、一つには、不当な外部勢力の影響を受けて憂うべき状態にある青少年教育の現状を救い、健全中正なる民主教育の確立を期するためと、二つには、治外法権的実情にある地方教育行政を改革し、国家と地方との教育行政の一体的運営をはかるために、必要最小限度の措置をとらんとして提案された法律案であります。(拍手)すなわち、戦後教育の民主化、地方分権化の美名のもとに、文教行政の最高責任者たる文部大臣の権限と責任はほとんど全く否定せられ、国家は地方の教育行政に対してほとんど発言することができなくなった結果、この間隙を縫って、民主主義の仮面をかぶった特定の政治勢力が浸透し、本来清純中正なるべきわが教育界を壟断するという、まことに深憂にたえない現象が起って参ったのであります。(拍手)この憂うべき事態を一日も早く打開してほしいという全国民の熱烈なる輿望をにない、適切なる是正の措置を講じようということこそ、今回清瀬文部大臣教育法案提出された真の動機であると、われわれは了解いたしておるのであります。(拍手)  およそ、一国の文教行政の最高責任者国家的、国民的見地から地方教育行政に関与することは、国民全体に対する当然の責務であります。(拍手文部大臣がこの厳粛なる責任を果さんとしておられる姿に対し、戦争教育の復活などという、顧みて他を言うがごとき誹誇をなすことは、国民を誤まらしめ、事実をしいるもはなはだしいものと断言せざるを得ないのであります。(拍手)まことに不可解千万なる不信任案提案の理由であると申すゆえんであります。  これを要しまするのに、このたびの不信任案は、社会党が、教育関係法案反対し、その審議を故意に引き延ばして議事妨害作戦に出ておるその不当な事実から国民の批判の目をそらさんとして、この挙に出たものと断定せざるを得ないのであります。(拍手)現在審議中の法案について反対であるからといって、みずから審議権を放棄し、法案反対の手段として一国の国務大臣不信任案を突きつけるがごときことは議会人として絶対に許されざる行為であると申さなければなりません。(拍手)  以上、民主教育を確立し、議会政治を擁護せんとするわれわれ、その人格を信頼し、その文教政策を全面的に支持しておりまつする清瀬文部大臣不信任案には断固反対なることを申し述べ、私の討論を終ります。(拍手
  17. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 河野正君。     〔河野正君登壇〕
  18. 河野正

    ○河野正君 私は日本社会党を代表いたしまして、ただいま提案になりました清瀬文部大臣不信任案に対し、全面的に賛成の意を表せんとするものであります。(拍手)  清瀬文部大臣不信任理由につきましてはただいま提案者の詳しく説明せられた通りでございまするが、その理由はあまりにも多く、述ぶれば枚挙にいとまないところでございます。(拍手)すなわち、さきの第二十二国会におきましてはことさらにマッカーサー憲法と称して物議をかもし、その後、内閣委員会におきましてはさらに何らの反省の色なく、再びそのことを繰り返し、国会議員として、また国務大臣として、その不誠実並びに本院侮べつの態度に対する責任を問われ、ついに懲罰動議が上程せられましたことは、すでに御承知の通りでございます。ところが、仏のつらも三度のたとえのごとく、三月二十二日には、性こりもなく、再度、内閣委員会におきまして、委員会をすみやかに終って、本会議でやってみようではありませんか、と発言いたし、再び委員会混乱に陥れる行為をあえて行なったのであります。(拍手)しかも、このことは、単に委員会の自主性を侵すのみでなく、暗に多数の暴力を示唆し、憲法に明記されました三権分立の精神すら破壊する重大なる失言であったのであります。(拍手)このような、たび重なる暴言あるいは失言は、一つの老衰現象かもわかりませんが、しかしながら、国民のためにはまことに不幸なことで、ことに文教行政の最高の責任者として、その影響はきわめて甚大でありまして、これでは教育亡国の危機なしとせず、これが文部大臣不信任理由の最たるものであります。(拍手)  しかも、これらの考え方は、憲法軽視はもちろんのこと、また誤まれる国の強調より生じて参った反動的思想であることも、われわれは決して見のがしては相ならぬのであります。(拍手)すなわち、一つは、中央政府の権限の強化であり、他の一つは、天皇制絶対主義への強い郷愁を含んだ愛国心の涵養を教育目的に据えるということであります。常に祖国愛の涵養と国民道義の確立を強調し、学校では、ほかの歌を教えるよります君が代を教える方がよいと、委員会においても答弁し、国の誕生日として紀元節を祝った学校がありましても決して悪くはないと言い切り、また、かつて天皇に命を捧げたのは神聖な義務を尽したものだということを教えてもいいし、従って、忠魂碑を建てることも差しつかえないのであると明言する等々、あたかも新教育の原理を自分勝手に解釈し、今日の教育はことごとく反国家的、反道徳的という既成観念、すなわち、自分の知らぬことはすべて悪いことだと考えるような単純きわまる頭では、決して日本教育というものは前進するものではないのであります。(拍手)  今日までの清瀬文部大臣の言動は、しばしば三百代言的だといわれて参りました。マッカーサー憲法とののしる大臣は、今日の教育はマッカーサー教育だと呼ばんとしておるのであります。(拍手)このような感情的な気持により教育をいじられましては、教育危ういかなの憂いを深くするのは、単に私のみにとどまらないと思うのであります。(拍手政府は、今日まで、しばしば、占領下の行政権構を再検討すべしと言っております。しかし、一体どこに再検討の根拠があるでありましょうか。清瀬大臣も、一たび口を開けば、独立のため必要であると言うて、すべての日本の民主制度を犠牲にするような態度をとって参られたのであります。しかし、日本の真の独立というものは、日本民主主義を維持し発展せしめることでなければならないと思うのであります。(拍手)明治維新以来わが国に欠けていたものは民主主義であったのであります。民主主義に徹しなかったばかりに、わが国はファッショとなり、戦争に追い込まれ、敗戦となり、日本はかってないみじめさを味わったのであります。国民は、この愚を再び犯さないためにも、天の命令と信じ、喜び勇んで民主化の大道を前進していかなければならないと思うのであります。(拍手)しかるに、民主化の方向にゆがみを加え、民主主義以外の思想を加味しようとしておることは、これは、維新以来の日本に何が足りなかったかという、この厳粛な歴史的教訓を無視するもはなはだしいといわなければなりません。(拍手)  しかるに、今般国会に上程されました地方教育行政組織及び運営に関する法律案は、実施後幾ばくも経ていない現行教育委員会法を廃止して、教育行政の組織運営にきわめて重大なる変革を加えようとするものでございます。このような重大な改変が、現存の中央教育審議会にも、また、政府によってすでに国会にその設置が提案されておりまする臨時教育制度審議会にも諮られることなく、突如として強行されようとしておることは、これまた、われわれの全く納得しがたいところでございます。(拍手)なお、同時に用意されておりまする教科書法案や、実際の行政措置によって進められようとする教育内容の統制の動向を思い合せるならば、この法案に現われておる中央集権の傾向というものは、きわめて重大なものがございます。三月二十日の全国の各紙は、一斉に、矢内原東大総長、南原前総長を初め、日本のきわめて権威ある十名の学者の名で、文教政策の傾向に関する声明を発表したのでございます。その後、関西の権威ある十三学者、さらに六百数十名の学者グループも本声明支持を発表し、本改正案というものが、単に部分的な改正ではなくて、民主的な教育制度を根本的に改め、教育に対する国家統制の復活を促す傾向のあることを、きわめて率直に指摘いたしておるのでございます。(拍手)しかも、こうした傾向は、やがて言論、思想の自由の原則を脅かすおそれのあることを、さらに明確にいたしております。  このことは、単に教育関係法のみでなく、憲法改正、小選挙区制等の政府一連の政治の動きを見て参りましても、明白なる事実でございます。(拍手国民が真実を知り得ず、真実を語り得ないとき、ことに学問と思想の自由が守れないときに、日本という国がいかに大きな不幸に陥るかは、すでに歴史が証明するところでございます。これに対し、清瀬文部大臣は、教育政治で左右する意思も、また、言論、思想を圧迫する考えも毛頭ないと言っております。しかしながら、教科書法案は中央教育審議会の答申に基き、また、教育委員会制度の改正は、選挙の公約であるから、国民多数の支持を得ておるのであるというふうに反論を行なっておりまするけれども、しかしながら、私どもは、この反論の中にきわめて大きな矛盾を発見いたすのでございます。すなわち、教科書法案で中教審の答申を尊重したというならば、教育に対しさらにもっと根本的な影響を持っております教育委員会制度にも同様の態度をとるべきではなかったか。このことは、きわめて大きな矛盾といわなければなりません。さもなければ、中教審の存在価値は全く失われるからでございます。なお、また、学者の声明に対し、子供のとき覚えた民主主義を云々するときめつけ、あるいは、全国には四百九十の大学があるので、今度の十名の学者は四百九十分の十で、全く一部の意見であると反論するがごときは、一体これが大臣としての正気の言葉でございましょうか。(拍手精神鑑定の必要がございます。  また、全教委、全国の教育委員に対しては、漁業の法律を変えるのに一々漁師に相談する必要はない、刑法を改めるのに一々囚人に聞く必要はないと、多くの人々の意見を尊重するどころか、公選で住民より選ばれた全教委、教育委員を囚人呼ばわりするに至っては、全く病も膏肓といわなければなりません。なるほど、大臣には、稚気愛すべき、円満なお人柄はありますが、しかしながら、精神的には、鳩山老朽内閣にふさわしく、全く半身不随であります。(拍手)しかも、全教委は、民主的教育制度を守るため、あえて委員総辞職の決意を固めるに至っております。もし、大臣が、世論を無視し、本法案を強行せんか、総辞職の行使は必至で、これはきわめて重大なる事態を生ぜしめるものでございます。(拍手清瀬文部大臣が、いかに自由、民主、中立の教育を主張せられましても、任命制の教育委員が生まれる限り、教育の中央統制はますます強化せられ、政党が教育を左右する危険性というものは当然生まれて参るものでございます。(拍手)しかるに、清瀬文部大臣が、逆に、世論や有識者の意見を無視し、自分の視野だけで大改革を強行せんとするがごときは、これ全く教育を私物化するものであると断ぜざるを得ないのでございます。(拍手)  このように、今日まで清瀬文部大臣のとって参られました言動というものは、国会議員といたしましても、また大臣といたしましても、尊厳なるべき日本国憲法をみずから傷つけ、かつ蔑視し、あるいは、国政審議の場においては全く非常識きわまる無責任発言を行い、これまた、みずから国会の権威を傷つけ、あるいは、その身教育の最高の地位にありながら、教育の自由、民主、中立の三原則の破壊を強行せんとするがごときは、われわれの全く容認し得ざるところでございます。(拍手)われわれは、憲法の尊厳を守るためにも、政治道義の確立のためにも、あるいはまた、日本の次の世代をになう青少年を守って参るためにも、清瀬文部大臣にすべからくその責任をとっていただき、公人としての進退を明らかにしていただかなければならないと思うものでございます。(拍手)  以上、清瀬文部大臣のたび重なる重大なる責任を指摘して申し述べ、私の賛成討論といたす次第でございます。(拍手
  19. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) これにて討論は終局いたしました。  本決議案につき採決いたします。この採決は記名投票をもって行います。本決議案に賛成の諸君は白票、反対諸君は青票を持参せられんことを望みます。閉鎖。  氏名点呼を命じます。     〔参事氏名を点呼〕     〔各員投票〕     〔「早くしろ」「ゆっくりやれ」と呼び、その他発言する者多く、議場騒然
  20. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 投票を妨害しないように願います。——投票を妨害しないように願います。     〔各員投票を継続〕     〔発言する者多く、議場騒然
  21. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 投票を妨害しないように願います。     〔各員投票を継続〕     〔「だれも妨害なんかしていないよ」と呼び、その他発言する者多し〕     〔議場騒然
  22. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 投票を妨害しないように願います。     〔各員投票を継続〕     〔発言する者多く、議場騒然
  23. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) ただいまから十分以内に投票をされない方は棄権とみなします。(拍手)     〔各員投票を継続〕     〔発言する者多く、議場騒然
  24. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 十分以内に投票をされない方は棄権と認めます。     〔各員投票を継続〕     〔「ゆっくり歩け」と呼び、その他発言する者多し〕
  25. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) すみやかに投票を進めて下さい。     〔各員投票を継続〕     〔「何をやっておるか」「投票無効だぞ」と呼び、その他発言する者多く、議場騒然
  26. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) すみやかに投票を進めて下さい。     〔各員投票を継続〕
  27. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 投票をすみやかに進めて下さい。     〔各員投票を継続〕     〔「議長、時間だ」「あわてるな」と呼び、その他発言する者多く、議場騒然
  28. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 投票の宣告の時間を五分間延長します。(拍手)——すみやかに投票を進めて下さい。     〔各員投票を継続〕     〔発言する者多し〕
  29. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) すみやかに投票を進めて下さい。     〔各員投票を継続〕
  30. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 投票漏れはありませんか。——投票漏れなしと認めます。投票箱閉鎖。開匣。開鎖。  投票を計算いたさせます。     〔参事投票を計算〕     〔「議長、投票が落ちている」「やり直せ」と呼び、その他発言する者、離席する者多く、議場騒然
  31. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 投票の結果を事務総長より報告いたさせます。     〔事務総長朗読〕  投票総数 三百八十   可とする者(白票)  百四十六     〔拍手〕   否とする者(青票)  二百三十四     〔拍手
  32. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 右の結果、国務大臣清瀬一郎不信任決議案は否決されました。(拍手)     —————————————  淺沼稻次郎君外四名提出国務大臣清瀬一郎不信任決議案を可とする議員の氏名    阿部 五郎君  青野 武一君    赤路 友藏君  赤松  勇君   茜ケ久保重光君  淺沼稻次郎君    足鹿  覺君  飛鳥田一雄君    有馬 輝武君  淡谷 悠藏君    井岡 大治君  井谷 正吉君    井堀 繁雄君  伊瀬幸太郎君    伊藤卯四郎君  伊藤 好道君    猪俣 浩三君  池田 禎治君    石田 宥全君  石橋 政嗣君    石村 英雄君  石山 權作君    稲富 稜人君  稻村 隆一君    今澄  勇君  今村  等君    受田 新吉君  小川 豊明君    大矢 省三君  岡  良一君    岡本 隆一君  加藤 清二君    春日 一幸君  片島  港君    片山  哲君  勝間田清一君    上林與市郎君  神近 市子君    神田 大作君  川俣 清音君    川村 継義君  河野  正君    木下  哲君  菊地養之輔君    北山 愛郎君  久保田鶴松君    栗原 俊夫君  小平  忠君    小牧 次生君  小松  幹君    五島 虎雄君  河野  密君    佐々木更三君  佐々木良作君    佐竹 新市君  佐竹 晴記君    佐藤觀次郎君  櫻井 奎夫君    志村 茂治君  島上善五郎君    下川儀太郎君  下平 正一君    杉山元治郎君  鈴木茂二郎君    鈴木 義男君  田中幾三郎君    田中織之進君  田中 武夫君    田中 利勝君  田中 稔男君    田原 春次君  田万 廣文君    多賀谷真稔君  滝井 義高君    竹谷源太郎君  楯 兼次郎君    辻原 弘市君  戸叶 里子君    堂森 芳夫君  中井徳次郎君    中居英太郎君  中崎  敏君    中島  巖君  中村 高一君    中村 時雄君  中村 英男君    永井勝次郎君  成田 知巳君    西尾 末廣君  西村 榮一君    西村 力弥君  野原  覺君    芳賀  貢君  長谷川 保君    原   茂君  原   彪君    日野 吉夫君  平岡忠次郎君    平田 ヒデ君  古屋 貞雄君    帆足  計君  穗積 七郎君    細迫 兼光君  細田 綱吉君    前田榮之助君  正木  清君    松井 政吉君  松尾トシ子君    松岡 駒吉君  松平 忠久君    松原喜之次君  松前 重義君    松本 七郎君  三鍋 義三君    三輪 壽壯君  武藤運十郎君    門司  亮君  森 三樹二君    森島 守人君  森本  靖君    八百板 正君  八木 一男君    八木  昇君  矢尾喜三郎君    安平 鹿一君  柳田 秀一君    山口シヅエ君  山口丈太郎君    山崎 始男君  山下 榮二君    山田 長司君  山花 秀雄君    山本 幸一君  横錢 重吉君    横路 節雄君  横山 利秋君    吉田 賢一君  和田 博雄君    渡辺 惣蔵君  石野 久男君    岡田 春夫君  川上 貫一君    久保田 豊君  中原 健次君  否とする議員の氏名    阿左美廣治君  相川 勝六君    逢澤  寛君  愛知 揆一君    青木  正君  赤城 宗徳君    赤澤 正道君  秋田 大助君    淺香 忠雄君  荒舩清十郎君    有田 喜一君  有馬 英治君    安藤  覺君  五十嵐吉藏君    伊東 岩男君  伊藤 郷一君    生田 宏一君  池田 清志君    池田 勇人君  池田正之輔君    石井光次郎君  石坂  繁君    一萬田尚登君  今松 治郎君    宇田 耕一君  宇都宮徳馬君    植木庚子郎君  植原悦二郎君    植村 武一君  臼井 莊一君    内田 常雄君  内海 安吉君    江崎 真澄君  遠藤 三郎君    小笠 公韶君 小笠原三九郎君    小川 半次君  小澤佐重喜君    大麻 唯男君 大久保留次郎君    大倉 三郎君  大坪 保雄君    大野 市郎君  大橋 武夫君    大平 正芳君  大村 清一君    大森 玉木君  岡崎 英城君    荻野 豊平君  加藤 精三君    加藤鐐五郎君  鹿野 彦吉君    上林山榮吉君  神田  博君    亀山 孝一君  川崎末五郎君    川崎 秀二君  川島正次郎君    川野 芳滿君  川村善八郎君    菅  太郎君  菅野和太郎君    木村 文男君  菊池 義郎君    岸  信介君  北 れい吉君    吉川 久衛君  久野 忠治君    草野一郎平君  楠美 省吾君    熊谷 憲一君  倉石 忠雄君    黒金 泰美君  小泉 純也君    小枝 一雄君  小金 義照君    小島 徹三君  小平 久雄君    小林  郁君  小林かなえ君    小山 長規君  河野 一郎君    河野 金昇君  高村 坂彦君    纐纈 彌三君  佐々木秀世君    佐伯 宗義君  齋藤 憲三君    坂田 道太君  笹本 一雄君    笹山茂太郎君  薩摩 雄次君    志賀健次郎君  椎熊 三郎君    椎名悦三郎君  椎名  隆君    重政 誠之君  重光  葵君    篠田 弘作君  島村 一郎君    白浜 仁吉君  周東 英雄君    須磨彌吉郎君  杉浦 武雄君    助川 良平君  鈴木 善幸君    鈴木 直人君  薄田 美朝君    砂田 重政君  關谷 勝利君    園田  直君  田口長治郎君    田子 一民君  田中伊三次君    田中 角榮君  田中 彰治君    田中 龍夫君  田中 久雄君    田中 正巳君  田村  元君    高岡 大輔君  高木 松吉君    高瀬  傳君  高橋 禎一君    高橋  等君  高見 三郎君    竹内 俊吉君  竹尾  弌君    竹山祐太郎君  千葉 三郎君    中馬 辰猪君  塚田十一郎君    辻  政信君  綱島 正興君    渡海元三郎君  徳田與吉郎君    徳安 實藏君  床次 徳二君    内藤 友明君  中垣 國男君    中川 俊思君  中嶋 太郎君    中曽根康弘君  中村 梅吉君    中村三之丞君  中村 寅太君    中村庸一郎君  中山 榮一君    中山 マサ君  永田 亮一君    永山 忠則君  長井  源君    灘尾 弘吉君  夏堀源三郎君    南條 徳男君  二階堂 進君    丹羽 兵助君  根本龍太郎君    野澤 清人君  野田 卯一君    野田 武夫君  馬場 元治君    橋本 龍伍君  長谷川四郎君    八田 貞義君  濱地 文平君    濱野 清吾君  早川  崇君    林  讓治君  林  唯義君    林   博君  原 健三郎君    原  捨思君  平塚常次郎君    平野 三郎君  福井 順一君    福井 盛太君  福田 赳夫君    福永 健司君  藤枝 泉介君    淵上房太郎君  船田  中君    古川 丈吉君  古島 義英君    保利  茂君  保科善四郎君    坊  秀男君  星島 二郎君    堀内 一雄君  本名  武君    眞崎 勝次君  眞鍋 儀十君    前尾繁三郎君  前田房之助君    前田 正男君  町村 金五君    松浦周太郎君  松浦 東介君    松岡 松平君  松澤 雄藏君    松田 鐵藏君  松永  東君    松野 頼三君  松村 謙三君    松本 俊一君  松本 瀧藏君    三浦 一雄君  三木 武夫君    三田村武夫君  水田三喜男君    南  好雄君  宮澤 胤勇君    村上  勇君  村松 久義君    森   清君  森下 國雄君    八木 一郎君 山口喜久一郎君    山口 好一君  山崎  巖君    山下 春江君  山中 貞則君    山村新治郎君  山本 勝市君    山本 粂吉君  山本 正一君    山本 利壽君  山本 友一君    横川 重次君  吉田 重延君   米田 吉盛君 早稻田柳右エ門君    渡邊 良夫君  亘  四郎君     —————————————     〔「議長、ここに一票あるぞ」「二重投票の疑いあり」と呼び、その他発言する者、離席する者多く、議場騒然
  33. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) ただいましばらお待ちを願います。     〔「二重投票の疑いあり」「やり直せ」と呼び、その他発言する者多く、議場騒然
  34. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) 静粛に願います。静粛に願います。     〔「投票をやり直せ」「休憩々々」と呼び、その他発言する者多く、議場騒然〕      ————◇—————
  35. 益谷秀次

    議長益谷秀次君) …………………     〔発言する者多く、議場騒然、聴取不能〕     〔議長退席〕     午後十一時三十七分      ————◇—————  衆議院公報第八十七号(二)(昭和三十  一年四月十九日)に掲載された、国  務大臣清瀬一郎不信任決議案(浅  沼稻次郎君外四名提出)採決の後の  議事経過は、次の通りである。    議長は、明二十日午前零時五分よ    り本会議を開く旨を告げ、散会を    宣告した。    散会午後十一時三十七分