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高津正道君 私は、ただいま議題とされました、
淺沼稻次郎君外四名提出にかかる
国務大臣清瀬一郎君に対する
不信任案について、提案者を代表して、
提案理由の説明をいたします。
最初に案文を読みます。
主文
本院は、
国務大臣清瀬一郎君を信任せず。
右決議する。
〔拍手〕
理由
一
清瀬国務大臣は、政府の責任者として、憲法の精神に基く
現行民主教育の根幹たる
教育委員会制度、
教科書制度を改悪し、
わが国教育の
中央集権化をはかり、
官僚支配の強化を意図する
教育関係二法案を提出した。これは、わが国の教育を
戦争教育の方向に押し進め、
わが国民主教育の根底をくつがえすものである。
二
清瀬国務大臣は、
学校給食、その他不明朗なる
文教行政の欠陥を順次暴露し、清純なるべき
教育史上に
一大汚点を残した。
三
清瀬国務大臣は、第二十二回
特別国会において
現行憲法を「
マッカーサー憲法」とひぼうし、その暴言を取消し陳謝したにかかわらず、今国会においてもまたまた
マッカーサー憲法とひぼうした。これは憲法第九十九条による
憲法尊重の義務を有する
国務大臣の職にありながら公然と憲法を軽視する態度を表明したものである。これが、この
不信任案を提出する理由である。
〔拍手〕
初めにお断わりをしておきますが、元来、私は、一人一業、終始一貫を座右の銘としているのでありまして、
清瀬一郎君が、著名な
自由主義者として、大正の初め以来、実に長きにわたり、人権の尊重と憲政の擁護、特に
普通選挙権獲得運動に尽してこられた業績については高く評価し、かつ、その御年輩に対しても敬老の念をさえ(笑声)有していたと申し上げ得るのであります。しかるに、この輝ける経歴の
清瀬一郎君は、何事か、今やおそるべき
反動政治家として私たちの前に立ち現われました。思うに、国と国民との現在及び長き将来の利害と運命につながる
現実政治の世界において、いたずらに私情や
敬老観念に引きずられるならば、これは公私の混同でありまして、許容できないでありましょう。(拍手)けだし、このような場合の
公私混同は、私たちの不明であるのみならず、無能と罪悪を意味するからであります。本案は、実にかかる認識の上に立っているものであります。(拍手)
さて、われわれが
清瀬文相を弾劾する第一の理由は、去る三月十五日、
内閣委員会において、
憲法調査会法案担当大臣として、わが
飛鳥田一雄君が、文相は、第二十二国会の本会議で、
現行憲法を
マッカーサー憲法だと述べ、それを取り消されたのであるが、いまだにこうお考えになっておられるのかと質問したのに対し、その速記録に正確に写し取られてあるままの文相の言葉を使うのでありますが、昨年の二十二国会では、あのときは
取り消しましたが、今に至るまで演説や論文等にはその文字は使っており、信念に変りはない、と驚くべき答弁をされ、さらに、森三樹二委員の質問に対し、「あなたは私が信念が動揺しておるとおっしゃるが、当時使った
マッカーサー憲法を今も
マッカーサー憲法というのだから、やはり信念が一貫しておるのです。」と、無反省であるのみならず、挑発的、侮べつ的なる発言をされたのであります。その発言が単なる失言でないことは、みずからその信念に変りがないと言っていられるので、明々白々、動かせるものではありません。(拍手)
諸君の御存じのごとく、わが国の憲法は、
日本国憲法、または
現行憲法と呼ばるべきであるのに、これを
マッカーサー憲法とやゆするがごとく呼称することは、明らかに憲法第九十九条違反であります。(拍手)各位はこの第九十九条をもちろん百も御存じでありますけれども、私は、大切な
問題ゆえに、やはりここで読んでみます。「第九十九条 天皇又は摂政及び
国務大臣、
国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と、かくのごとく、
国務大臣を特にむき出して掲げ、単に順守するのみならず、尊重することと擁護することを義務づけているのであります。(拍手)大臣たるもの、いかなる場合にも、この義務を忘れてはなりません。しかるに、この内閣において、最近ある期間は憲法問題の
担当大臣をしていた
清瀬一郎君であります。たとい、おのが党内から、彼の相次ぐ失言のため、また、これから先の
国会審議上の不慮の事態を憂慮するため、この
憲法担当を解任されたとはいえ、依然として、てん然として大臣の地位にとどまっているのであります。(拍手)従って、現に
文部大臣でありますが、いやしくも文教の責任者の地位にある大臣が、白昼堂々と、国会において、かくのごとく、
現行憲法を、しかも幾度も侮べつするがごときは、国民の
順法精神を台なしとし、国と国民とがよって立つところの
法治国思想を根底から破壊するものというべきでありましょう。(拍手)
警官は、
一般法律のこまかい一条一条の順守をきびしく迫り、上に立つ大臣は、国会で国家の
根本法典をボロクソに言いくさって平然としている。それで政治が成り立つものであるかどうか。国民は、かかる矛盾した状態を長く黙認し続けているものではなかろうと存ずるのであります。(拍手)また、全国五十余万人の
学校教師が、
教育基本法と
学校教育法の命ずるままに、この憲法の合理性、妥当性、そうして水爆以後の
世界情勢から見て、抜き手を切ってまっ先を泳いでいるとも見られる、その持てる進歩性を、学童、生徒、学生に教え込んでいることを思うときに、この文相の発言によって、教師の権威はどうなるでありましょうか。
少年少女の
心理状態に、いな、
教育そのものに与える悪影響の深刻さに思いをいたす場合に、君にして常識あらば、良心あらば、辞表は、むろん、あの日の
内閣委員会の散会後直ちに書かれ、直ちに首相に手渡され終っているべき筋合いのものであります。(拍手)まさにそれほどの失態でありました。
現行憲法治下の国において、かくのごとく憲法を軽視し、軽べつするがごとき態度を表明する人物を
国務大臣の地位にとどまらしめるということは断じて許容されません。
憲法軽視の大罪、これが
清瀬一郎君不信任の第一の理由であります。(拍手)
諸君、私はこれより
清瀬一郎君の
国会軽視の大罪に関して論旨を進めて参るのでありますが、この際お許しを得たいことがございます。
清瀬文相の
憲法軽視、
憲法無視、それだけでもそれは
法治国観念を台なしにするという先の私の主張でございましたが、まことに、そのことに関して昨日大阪に発したる
大阪乱闘事件から一つの大きい教訓を学びとらねばならないと痛感いたしたのであります。(拍手)
諸君、私は、けさ、昨日の大阪における自民党と社会党の小選挙区制の可否に関する討論会の
新聞記事に目を通しました。その記事に関する限り、朝日、毎日、読売、東京、日経、産経と全部を読んだのです。私の直感は、日本これより乱れんとす、この一語で表現ができる。(拍手)もちろん、この乱暴な小選挙区案を契機として、日本の大混乱、大動乱の先ぶれが大阪のこの
中之島公会堂に現われたと受け取ったのであります。(拍手)これは、今にして、政治家が先を見通した賢明な手を打たないならば、このぼやは中火となり、大火となり、
日本民族を滅ぼすまでには至らないとするも、しかり、容易に九千万人の民族が滅びるものでもありませんが、世界の多くの国々が、
後進諸国をも含めて、国民はいわゆる偉大なる
レヴァイヴァル的世界革命、
精神革命を次から次へと経験しつつ、かけ足調で、理想を目ざし、
復興建設を急げ急げと、小国は小国なりに、中国は中国なりに、スタートを切って走り始めているのであります。日本が一つの政党の押しまくろうとする
横車的政策、その名は
公職選挙法一部
改正法案、
教育委員会法案等々と名づけられております。ただ、このことのために、日本だけがはかり知れない立ちおくれをとるであろう。今回の
大阪事件を、私たちはこの際十分にかみしめて味わい、各自、日本の将来のために、現在子孫の運命にまで責任を負って政治を動かしているわれわれ政治家として十分、いな、十二分に考えてみる必要があると痛感する次第であります。その意味で、最も詳しい読売の記事を、いま一度読むことをお許しいただきたい。(拍手)新聞によって
連鎖反応があってはとの良識からと思いますが、あまり詳しく実態を伝えないで、小さく扱ったところもある。しかし、この見出しは「怒号と乱闘の
大阪討論会」「演壇を占領する暴力」となっております。読みます。これはきわめて重大であります。「小選挙区の
地方公聴会の皮切りとして、自民、社会両党では十八日大阪で討論会を開いたが、両党の応援団が入り乱れて逆に乱闘にまで発展した。もとより政府、与党が公党の面目にかけてこれを押通そうとするのに対し社会党がまた
非常体制をとってこれを阻止しようとし両党対決の問題であるから激しい応酬は当然ともみられるが、このような
乱闘事件に対し
国民大衆の受取り方はきわめて複雑なものがあるようである。」以下、
大阪討論会の実況である。「大阪発」自民党、
社会党共同主催による「小選挙区制は是か非か」の
公開討論会は十八日午後一時十五分から
大阪中之島中央公会堂で開かれ聴衆約四千が詰めかけた。討論会は
自民党政調副
会長松野頼三氏、
社会党総務局長三宅正一氏、自民党選挙制度特別副
委員長古井喜實氏、
社会党選挙対策委員長島上善五郎氏の順に約一時間にわたり交互に賛否の討論を行なったが、自民党は
院外団体を、社会党は
労組関係を多数動員、司会者の再三の制止にもかかわらず会場はヤジと拍手でけん騒をきわめ弁士の熱弁も十分ききとれなかった。聴衆は正午の開場と同時に殺到し
大阪市民の関心の深さを示した。また東京の場合と異なり両党の話合いで「来た者から入れる」と手放しの状態だったが、それでも
入口正面に屈強な背広服が十数名ならんで、自民党は右、社会党は左にとそれぞれ誘導していた。二階の招待席には菊のバッジをつけた
地元政界議員がズラリ、定刻騒然たる喚声と拍手の中に開会された。「自民党がんばれ」「社会党負けるな」「静かに静かに」再び満場をどよもす喚声のうち、まず松野氏が顔をやや紅潮させ「小選挙区制についてアンケートを千七百名に試みたが反対は百六十五名だった。世論は小選挙区を支持している」と皮肉まじりにに切りだした。聴衆の在半分が立上って「
バカヤロウ」「ゴマ化しだ」と怒声を浴びせる。続く三宅氏がヒタイに青筋を立てて「
憲法改正のための自民党の陰謀だ」ときめつけると、右側の一団が「ワーッワーッ」と妨害に出た。話がききとれない。演説中に聴衆がイザコザを起し一時総立ちとなった。島上氏は「政府の区割は
自民党議員で国土を山わけする
強盗行為だ」というと前列の招待席ではいきりたつた一人が勝手に演説をはじめる始末、興奮した聴衆は次第に舞台の左側から演壇の近くまで押出された。二回目の討論では島上氏が
政府作成の
区割地図表を振りあげ「大阪の例をあげれば十四区と十五区では二十二万、十七万と大きな開きがある。しかもこの少ない方の十五区の三島郡の中から一番人口の多い豊川村を十四区にまわしている。これは自民党の原田憲君の当選の……更に寝屋川市でも」とやり出した途端、
会場前列右側にいた五十才ぐらいの男が壇上にかけ上がり、島上氏の真ん前に
仁王立ちになって「ヤメロ、ヤメロと腕を振りまわした。整備員が一
たん壇上からおろしたが、今度は数人が整備員のワキをかいくぐって壇上にかけ上がり、さらに
地元政界の連中約五十人がサッと壇上に上り入り乱れてもみ合った。菊のバッジをつけた
府会議員らしいのが
仁王立ちで「コンチクショウ、
バカヤロウ」とつかみあう、ネクタイを引っぱる、シャツを破る「
親分親分」と叫ぶ者、演壇は暴力に占領されて討論会は約十分中断した。場内で一人の男が数人に髪を引きずり回され足げにされて顔から血を流した。」「会場係がスクラムを組んで暴漢を押出し、」「怒号、喚声のうちに午後三時閉会した。」
読売新聞は、
前田多門氏に感想を求め、今の記事とあわせて掲載していますが、氏は控え目に控え目に見解を表明しておりますけれども、その中に、「かりに小選挙区制がいいとしても、区割を変えるだけでは選挙はよくならない。大体
イギリスが小選挙区だから日本でもと簡単にいう人がいるが、
イギリスの
選挙運動は
戸別訪問が公認され、むしろこれが
選挙運動の中心になっている。これは
政治道徳が非常に高く、
民主政治の訓練が国民の間に行きわたっているからである。それを日本のような
政治道徳の低い国民の間へただ取入れても、それだけで選挙が公正にならないことは判りきったことだ。」「無理押しして実現しても選挙は決してよくならない。」「無理をすれば議会外にもこのような反対が起るということを、この際議会人も真剣に考えてみる必要があろう。」(拍手)私は、
前田多門氏は
保守陣営の人であることを、もとより知っていますが、この人によってその言を捨てずで、氏の忠言は十二分にわれわれとして尊重すべきだと思います。この人は、この論調で見ると、現在の小選挙区制など無理をしてやっても効能もないしとして反対をし、その強行によって起る国の大混乱を、いみじくも見通しているようであります。
われわれは、内乱的な、
暴力革命的な、国を大動乱に投げ込むような動機となる一つの行為をも、いわんや、一つの政策をも、絶対に慎しむべきだと痛感いたします。(拍手)かくのごとき逆
コース的風潮を、そもそもだれが作り出してきたのでしょうか。(拍手)その
中心人物の一人こそ、ほかならぬ
自信満々居士の
清瀬一郎君であります。(拍手)
日本の財界は膨大な
政治資金源を擁していることは申すまでもありますまい。もし、政治家にして財界に頭が上らず、財界の意を迎えて政策を立案したりし出すと財界は、隴を得て蜀を
望むのたとえのごとく、また、
満州事変ごろの政界に対する軍部のごとき
わがまま者に成長するおそれがあり、今や、その若干の様相が、日経連の最近の動きの中に明らかに読み取れるのであります。欲のまたが裂けるという処世の戒めが思い出されるのであります。小選挙区案に対し、教育二法案に対し、財界もまた事実上の参画者であり、有力なる推進者であります。
利潤追求の才能にだけいたずらに長じ、その小さい目で何やかや勝手な注文を政界に持ち込むことを、どうして自制し得ないのでありましょうか。
今日の国際間にあって近視眼ほど有害なものはありません。一昨年から昨年へ、日の当る産業のいわゆる三白景気だといい、昨年から今年へかけて、鉄鋼、造船、海運等、今度は白でなくて、
三黒景気がきたと申します。あえて農民、労働者、
中小企業といわず、むろん失業者、
自由労働者を含め、多数の国民がまだまだ困り抜いているのが実情でありまして、彼ら財界が
反省能力を欠いて、国民の犠牲の上に立って、みずから太り栄えている事実を忘れ、勝手にふるまっていると、元も子もなくなってしまうおそれが多分にあるといわねばなりません。(拍手)
今日、日本の社会相は、
社会学者、
心理学者を待たずして、何ものかのふちのきわに臨んでいるのではないかと案ぜられるのであります。三十五度までは耐え得る、三十七度でもまだ耐え得る、しかし、三十八度が限界であって、その線をこえる度合いの刺激を与えれば、指導者の
指揮命令がなくても飛び出す、立ち上る、こういう切迫した段階ではなかろうかと私は信じます。(拍手)これは、どこの国民でも、程度の差こそ違え、同じです。ただ、フランス、イタリア、
スぺイン、あのあたりの
南欧熱血の民族だと、一週間も前にすでに反乱、暴動というところでしょう。
イギリス国民であったらまだ持つと見るのが常識であるかもしれません。日本の場合はどうでしょうか。さっき申したごとく、もしも、これ以上図に乗り、多数を頼み、日経連がいやが上にも欲ばったままの強気で押し通すことが進んでいけば、三白景気も、
三黒景気も、三十年度の貿易の黒字五億三千五百万ドルも昔物語と化し、光沢のある自動車、
自家用自動車には赤さびが出てこないと、だれが断言し得るでしょうか。(拍手)再び申しますが、日本は今きわめて危いがけの上に立っているようであります。そうして、それは作らなくてもよかったのに作られたものであります。
アメリカは、ダレスのせと
ぎわ政策で、不人気をみずから好んで呼び起した形ですが、われらの祖国では、うしろにいる日経連、前にいる大保守党、この二大勢力によって、
国民大衆に対して、せと
ぎわ政策がとられたものであります。全くこれは危険千万であります。経験者の語るときこそ、まさに今であり、年令七十才の、人生の、政治の
経験者清瀬一郎君など、今こそ、
前田多門氏のごとく、多少先を見て語るべきときだと思えるのであります。(拍手)真近ながけの、何千丈のあの垂直線、さらに、その真下には、
まっさおい深いふちがあるのに、そっちの方角へ向って前へ前へと号令をかけている一人の張り切った老人の姿、それがわが
清瀬一郎君であります。(拍手)私たち、幸いにして、それらをだれよりも先んじて気づき得べき国会に議席を与えられておるものでありまして、この際先に立って誤れる指揮を行いつつある
清瀬一郎君を、参謀部のごとき内閣から、せめては他の陣地、すなわち閣外に直ちに移動させるべきだと信ずるのであります。(拍手)
諸君、
大阪乱闘事件は、
文教委員会と
公職選挙法特別委員会とに対し、また、もちろん本日以後の本会議に対し、天の与えた
一大警告であるとして、われわれは受け取るべきものであると申し上げたいのであります。(拍手)
島上善五郎君の舌鋒いよいよ鋭く、小選挙区制の最悪の部分に触れて指摘し始めた瞬間、その選挙区に触れてもらっては困ると言って、
社会党員が壇上にかけ上ったのでしょうか。そのようなことはあり得るはずがない。しからば、島上君の白を黒と言うにあらざる、黒を白と言いくるめるにあらざる、まことに言論自由の原則にかなった正々堂々たる言論に対し、まっ先に壇上にかけ上って島上君の口を封じようとしたのは、いかなる勢力であるかと考えたいのであります。しかし、詳細にその検討に入るとなると、広がり過ぎて、
提案理由の説明の焦点がぼけるうらみがございますので、論点を別の角度に移して参ります。(拍手)
清瀬文相に対する第二の不信任の理由は
国会軽視の事実でありますが、わずか九カ月前、すなわち、昨年七月の本会議においてわれ誤まてりとして、みずからこの壇上より
取り消した、あの禁断の用語たる
マッカーサー憲法を、去る三月十五日の
内閣委員会において、再び三たび執拗に繰り返して使用し、自分は演説でも文章でも相変らず使っているのだ、わが信念は不動である、何の不都合があるかという態度を表明されたことは、これは明らかに
国会軽視といわねばなりません。(拍手)それだと、九カ月前のあの
取り消しは欺瞞の行為だったのでしょうか。(拍手)ただ、私のこの簡単な指摘の言葉というものは、妥当性があって、むろん正確で、いかに
弁護士生活四十余年の
清瀬先生の弁明であっても、難中の難事、数時間を費しての弁論をもってしても、のがれることは断じて不可能であります。清瀬さん、さきのお
取り消しは、それでは、ただ一時国会をごまかしたのでしょうか。これが一つつ事実です。
もう一つの事実は、一番なまなましいもので、四週間前の三月二十二日の
内閣委員会におけるできごとであります。賛成が多い法案が委員会を通過するのは当然である。何なら早く
委員会審議を打ち切り、本会議で採決してみようじゃありませんか。これは、卓を何べんもたたきながらの御発言でありました。そこには、少数党の意見など眼中になく、くるなら数でこいという挑戦的な態度がまる出しとなっており、さすがに
自由民主党からも、不穏当な点については文相に釈明させるからと、わが党に交渉されて参ったのでありまして、(拍手)不穏当な発言であるということは、与野党のともに認めている証拠だと言えるわけであります。多数を頼んだ
清瀬大臣の、これに類する挑戦的な発言は、私、
文教委員として、しばしば気づいているのであります。また、その
時代離れのした感覚という点も、われわれ野党やジャーナリズムばかりが気づいているのではなく、
自由民主党の内部でさえ怒りを招いているほどであります。
三月二十三日の毎日新聞の報道で、私の憶測ではありませんが、きわめて関連が深いので、短かくこれは読むことを許されたい。
内閣委員会に同席していた
根本官房長官は、朝から
清瀬文相に、発言にはくれぐれも注意するよう再三申し入れていたので、無言で文相をにらみつけていた。
委員会休憩後、
与党委員は、人の苦労も知らないで、言わないでもいいことを言う。社会党が出さないでも、こちらで文相の
解任決議案を出したいくらいだよと怒り、文相の
時代離れのした感覚にあきれはてていた云々。この際、私は、
根本官房長官の御苦心、御苦衷に対し、党派を越えて御同情申し上げる次第でございます。(拍手)
しかし、それとともに、私は、さらに、この発言の上に、少数党に対する無視と軽べつ、そして、
衆議院常任委員会の審議に対する行政府の
不当関与のきらいがあると思うのであります。(拍手)これらの思い上った発言や態度は、すべて
国会軽視の範疇に入ります。(拍手)国会の軽視が大きくなり、極端となった場合、そこに現われるものは、正真正銘のファシズム、クーデター、
暴力革命であることは、これまた各位の熟知せられるところであります。(拍手)すでに私たちは
大阪乱闘事件を検討して参りました。千里の堤もアリの一穴よりくずれると申します。われわれは、
清瀬文相の、かかる失言、暴言を、それが本心であればあるほど、
民主主義の味方にあらずと認め、
国会軽視の観点より見て許すべからずとし、
清瀬一郎君は
文部大臣の地位を直ちに去るべしと論断するものであります。(拍手)
元来、
清瀬文相は、そうは言うものの、閣外にお去りを願い、かつ、もしその逆コースヘの情熱的、狂信者的、爆弾三勇士とも見るべきその態度をさえ改めていただくならば、私のあなたへの尊敬は昔に戻ってくるのであります。(拍手)この二つの条件さえかなえば、
清瀬先生はまことに惜しい先輩であり、私は、この清瀬弾劾演説をなしつつも、ともすれば、輝かしいその過去が思い出されるのであります。(拍手)
清瀬一郎君は、七十年のその生涯において、かつては——断わっておきますが、その若かりし日のことでありますけれども、実は幾つも進歩のために歴史的な貢献をした人であります。その一つは、軍部の代表者としての田中義一大将にからまる金塊事件、金の延べ棒事件を、衆議院の本会議において弾劾されたという事件であります。
田中大将の金塊はロシヤ革命に深い関連があるのでありまして、この共産主義革命は、歴史家も政治家も忘れられない、あの一九一七年十一月七日、ボルシェヴィキの首領ニコライ・レーニンの指揮よろしきを得て、すなわち、彼は、十一月六日ではまだ時期が熟さない、十一月八日では盛り上りが引き潮になって熱が下る、火ぶたを切るのは十一月七日に限るというがごとき、神技に近い周到なる戦略戦術から割り出した、その十一月七日に、大クーデターというか、共産主義革命の火ぶたを切り、ついに力で押しまくって時のケレンスキー政府を倒し、いわゆる独裁政権を樹立したのでございました。
この時期はまだ第一次世界大戦の進行中ではあり、全世界をことのほか驚愕させたことは申すまでもありません。そうして、全世界の批評の大部分は、間もなくその政府は崩壊するであろうというふうに見ていたのであります。ロシヤの国内では、これに反対する将軍たち、ウランゲル、コルチャック、デニキンなどの反動将軍が、外国資本家の援助によりまして、軍を率いて共産政権に武力をもって対抗いたしました。シベリア方面における反革命自衛軍の大将がセミヨノフでありまして、わが日本も、実はヨーロッパ資本主義国の例にならい、このセミヨノフをかつぎ、彼を援助すべく、無謀にもシベリア出兵をしたのでありました。(拍手)ではありましたが、セミヨノフ軍が弱いというよりも、ロシヤ人の、あのねばり強い国民が、ツアーの専制政治、圧制政治から解放されたという喜びを一人一人が経験しておりまして、すばらしく勇敢で、彼らは強かったのであります。軍隊に入っていない者も、いわゆるパルチザンとなって、ハンマーを持ち、かまを持って、反革命のセミヨノフ軍、それの応援軍たる日本軍を、寒い荒野で悩ませ続けたのであります。あるときは、日本軍がニコライエフスクに包囲されて、そこで、ある部隊は全滅したことがあります。当時早稲田大学にいた私には忘れ得ない深い印象がありまして、ニコライエフスク事件が日本の大学生に与えた影響について、一言やはり触れたいのであります。(拍手)
日本の一部隊がだんだんと殺され、最後に同地の領事館でわが部隊長が自殺するのでありますが、有力な一人の従軍記者が、早稲田大学の、あの大隈侯の銅像の前で、その自殺の詳細を、集まった千数百名の私たち学生に報告したのでございました。彼は演説をしました。領事館の一室に最後に残ったのは、七才になる自分の子供を連れた部隊長何々中佐であります。演説者はそのように続けました。外に銃声やときの声が上るが、中佐、このとき少しも騒がず、(拍手)わが子に向い、お前はさむらいの子か百姓の子か、すると、いたいけないその子は、お父さん、さむらいの子、と答えました。中佐は涙を浮べてその子の頭をなでていたが、許せという声とともに、やにわにわが子をピストルで殺し、自分もともに自殺しました。と、まあこういう筋の講演でありました。
従軍記者の次の講演者は足の悪い大隈侯ですが、市島大学理事の肩にすがって大隈邸から出てこられるので、その十分間ほどの時間に、私は、同志の勧めるまま、その壇上に上り、今聞いたばかりの演説を反駁いたしました。私の論旨は包囲されて最後に領事館の館内に残った人間は父と子のたった二人きりで、しかも、一時に死んでいるというのに、その現状の詳細があのように具体的に伝えられるということはあり得ないではないか。天井に自分だけが隠れていて三日目にのがれ出たので、この話がかえってできるのだ、というわけでもないし、われわれ若き理性ある学徒は、このような作り話に迷わされてはならない、諸君は何と思われるか。第二に、さむらいの子を善玉となし、百姓の子を悪玉ときめてかかって、さむらいの子か百姓の子かという尋ね方が、今もなお、さむらいを何か貴族のように考え、全国の農民を侮辱するものであって、僕はこのような考え方には絶対反対である。大体こんなふうに反駁し、正論にくみする純情な大学生から相当な拍手をそのとき私は受けたのであります。(拍手)そうして、不思議にも、本日、この議場に、そのときその場で私に拍手、声援をして下さった三十六、七年前の同志を、一人ならず、二人ならず、見出し得ることは、私の感慨まことに深いものがあるのであります。(拍手)
さて、強かるべき日本軍も、案外にその武勇をふるい得なかったのであります。それは、おそらく、他国への明らかな内政干渉ではあるし、また、時の日本政府が、ヨーロッパ側から共産政権に立ち向った軍もはなはだ気勢が上らない実情を知るにつけ、下手をすると日本軍だけが共産軍との間に結んで解けない長い戦争に巻き込まれはしないかと観測して日本の方で本腰を入れなくなったため、この二つの理由のほかに、そのころの日本の国内の世論のうちで、先の見える進歩勢力からシベリヤ出兵反対という相当のブレーキもかかっていました。これらの事情で、ついにシベリヤから撤兵することになりました。
これからは清瀬
文部大臣に関係して参りますが、巨額の軍資金を金塊の形で持っていたセミヨノフ将軍は、日本軍に擁せられて日本に亡命し、別府温泉で亡命の生活を始めるに至るのであります。私が聞いて、かつ覚えているところでは、セミヨノフ大将は、所持するその金塊を、陸軍の実力者たる田中義一大将に預けたのであります。セミヨノフとしては、再起して共産政権に対しいま一度戦いをいどむ場合の軍資金にという考えであったのであります。田中大将は、陸軍の代表者として、当時三百万円といわれる金塊を、神戸の金貸業者乾新兵衛に一応預けたのであります。しかし、田中大将は、陸軍のために、詳しく言えば陸軍の機密費のために、乾新兵衛からそれを引き出し、政界工作、言論工作、院外団工作等々に使用し……。