○
猪俣小
委員 私が先般二十四
国会で立正
交成会の問題について論議いたしましたその議論の中に
クリスチャンとしては芳ばしからざる
言論があるがごときことを考えた
文部省の一
事務官が、私の所属いたしておりまする
教会へ参って、その
牧師さんに対しまして、私を
信者の籍から
除名すべきことを勧告したということであります。これはささやかなる一事件のようでございますけれ
ども、私はこれを
不問に付すべき問題じゃないと考える。なぜかと申しますと、第一は、私
どもが立正
交成会を
調査いたしましたのは、これが
相当布教に
行き過ぎがあって、人権じゅうりん的なこともあり、家庭を破壊しているような実情もあり、その点につきまして
調査をし、かつ当
委員会では決議をしてあるはずであります。なおまた
文部省も二回にわたって
邪教についての
行き過ぎのないような
警告を発するのみならず、立正
交成会それ
自体に対しましても
警告を発したということを
新聞で承わっております。そらするならば、立正
交成会なるものな相当問題の
宗教であるということが、
国会においてもあるいは
所轄主務省である
文部省においても認定せられておるはずであります。しかるにかかわらず、その私の言動の一部分をとらえて、私を
信者から
除名すべきことを勧告するがごとき
文部当局があるといたしますならば、私
ども疑惑を持たざるを得ない。
一体新興宗教とその
所轄官庁である
文部省の
宗務課との間には
腐れ因縁のあることが昔から言い伝えられておる。われわれはこれを信じているわけでもございません。しかし、巷間これが相当伝わっておることは
文部当局も御存じのことだと思います。さような際に、みずから
行き過ぎの
宗教として
警告を発するような立正
交成会の問題について私が
発言したことに対して、
除名を勧告するがごとき
行動をやる者があるということになると、彼らは何の動機に基き、何の意図のもとに
一体かような
行動をしたのであるか、私
ども疑惑を持たざるを得ないのであります。
世間の
疑惑を深めるような事象が起っておるから、これは
不問に付することはできない。第二点といたしましては、自来
国会における
発言に対しましていろいろな方法によって圧迫があるやに聞いております。先般二十四
国会の
決算委員会において行われましたる
佐久間ダムの問題あるいは
中古エンジンの問題につきまして証言をした防衛庁あるいは通産省の
役人の中に左遷せられた者があるやにも聞いておる。なおその前にも、
委員会に証人として呼び出されて証言したばかりに非常に不利益をこうむったような事案はあったのである。今度私にとりましてもこの
文部事務官の
行動は見のがすことのできないものである。
文部省の
諸君は
一体さようなことをどう考えておられるか、はなはだ軽微に事を考えておられるのではないかと思いますから私は申し上げたいのであるが、
キリスト教の
信者として、
信者の籍から
除名するということは死刑の宣告であります。
信者といたしまして三十数年来
教会の
委員を務めている私にとじましては重大な一身上の破滅であります。
牧師さんが公正な
立場からこれを拒否されたからいいようなものの、
教会にもいろいろな問題があるから、
牧師さんが私に何らか反感を持ってもしこの
文部事務官の説に賛同したといたしますならば、私には大へんなことが起ります。のみならず、この立正
交成会の教祖と称する日敬なる
人物は私の
選挙区である
新潟県
十日町の出身でありまして、
十日町の近くに広大もない
説教所が新築されておるのである。多数の
信者がありまして、私のところに百有余枚の
脅迫状が舞い込んできております。もしこの
牧師が私のことに対しまして
文部事務官の説に賛同するような言説をいたしましたならば、これが立正
交成会の
機関雑誌あるいは
機関紙に発表せられまして、私の
選挙それ
自体もはなはだ苦難の道をとらなければならぬような状態に落ち込みます。社会的に
政治家としても相
当り致命傷を負うのであります。さようなことを承知してか知らずでか、実に
軽挙盲動もはなはだしい。かような
意味において、
国会において私
どもが
信念に基いて
——しかも
宗教及び
信仰を否認するのではありません。
自分みずから今日まで現役として
インマヌエル教会の
委員を務めて
教会の経営に当っている一人であります。さればこそ、
淫祠邪教に対しまして徹底的にこれを排撃し、正しい
宗教の繁栄をこいねがうために私は立正
交成会の問題を当
委員会に訴えたのである。しかるに、同じ
キリスト教の
信者と称する、しかも
宗教の
所管庁である
文部省の
事務官が、さような、私に対して重大なる
影響を及ぼす
行動をとるということは容易ならぬことだと思うのです。私
どもはその
文部事務官の
責任を追及せざるを得ません。そうしなければ
政治家として実に危険な
立場に陥ります。公正なる
信念のもとに活動する者がいろいろの手を通じて圧迫せられる。私のところにはいろいろのもりが来ております。しかし、それは意といたしません。しかし、とにかく
文部省の堂々たる
事務官が
——係長であるそうであるが、公然とさような
行動をして私を傷つけんとするがごときことは、私は
議員として黙視できません。また、
国政運用、
国会活動の上からも、これは軽視できない問題だと思うのであります。第三点といたしましては、この
文部事務官が、思いつきでやった、まことに軽率であったと私に謝罪でもするならばいざ知らず、
外部に対しては、おのれの非をたなに上げて、ある者に対しては
教会なんぞたずねた
覚えがないと放言した。私のところにも参りました
文化ニュースがたずねていったときには、てんで、そんなばかげたことができますかといって頭から否認した。なおまた、ここに十月一日号の
週刊新潮に現われたところを見ますると、
信仰の
告白をしたのだ、それを漏らした
牧師が悪いのだというような放言をやっておる。
宗教のことに
関係いたしまする
文部事務官が、何らその職務と
関係のないかような人を傷つける
行動をやっておって、しかも
国会の問題になっているにかかわらず、おのれの
行動を全部否認して他をばかり傷つける。
信仰の
告白というふうに
牧師が受けたといたしますならば、これを他に漏らすことは
牧師としては重大なる問題です。
牧師の職にとどまっていることはできません。彼が私を
除名せいと言うことが
信仰の
告白になるのかならぬのか。大体行ったこともない
教会を突如としてたずね、会ったこともない
牧師に
信仰の
告白をするということは
常識上あり得るか。しかも他人を
除名せよというような
信仰の
告白ということがあり得るか。かような点につきまして、かような
人物が
一体宗教行政の府におるということに対して、私
どもは遺憾にたえない。かような
意味において、この
真相を明らかにしていただかぬと、私がいたずらにないものをあるがごとく当
委員会に訴えて
世間を騒がしたことに相なります。それでは私
どもとしても立つ瀬がございません。私は
広安なる
人物を見たことも聞いたこともございません。何を好んでこの
人物にないことをあるというがごときことを言うて当
委員会を騒がす
道理はございません。私は
坂下牧師からしかも非常に時間がたった後に
座談で聞いたのであって、それで驚いたのであります。その
広安が持ってきた
名刺までも
牧師さんから私は預かりました。それに対しまして、この前質問いたしました
局長は、そんなことはあり得ないことだ、そういう
人物じゃないというふうに
説明せられておる。この新潮を見ましても、酒もタバコも飲まぬ実にりっぱな
人物のように書かれておって、そうしてしかも、私が、広
安が立正
交成会から
金品をもらったと言ったごとく書いてある。私はさような
発言をしておりません。ここに
速記録を持っておる。
新興宗教と
文部省とが腐れ縁があるような説があるということだけ言った。広
安が立正
交成会から
金品をもらったというようなことは言いません。
牧師さんの印象として私は聞いたことがありますが、それは私は言ってない。さようなことが流布されますと、当
委員会の
権威にも、
国会議員の
権威にもかかわります。私
どもは、その
国会議員としての
責任上、威信の上からも、事の黒白を明らかにしてもらわなければなりません。
そこで、あなたは、先般、さようなことをやる男でもないし、やったことは想像つかぬような
お話でございましたが、その後
調査して報告することになっておったのであります。私は今申しましたような趣旨で私は質問しておる。決してささやかなことじゃないと思う。その
意味におきまして、十分なる御
調査が済んだと思いまするから、あなたの
調査の結果を御報告願いたい。