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池田参考人 ただいまの御
質問に対しまして少し時間を許していただいてお答え申し上げたいと思います。私
どもこの映画の倫理運動を始めましたのが
昭和二十四年の六月でございますが、そのころ御存じのように戦後においての日本の国内のモラルといったようなものがはっきりと確立していなかったのであります。しかしながら、ただいまもお言葉にございました通り、映画の影響性というものに対しまして私
ども考えまして、少くとも映画の中ではこのくらいな線は守ろうではないかしらということを業者の間で取りきめました取りきめ
事項が、ただいま
お話のございましたような
映画倫理規定なのでございます。しかしながら、業者が製作の過程においてこれを守るというだけであっては、守られているか守られていないかというようなものの実証がとれない。そこで、公正な管理
委員会を作ってこの管理をしてもらおうではないかしらということで、管理
委員会というものが設けられたのでございます。当時は、御存じのように、しからばわれわれはこれをだれに宣誓してこの
仕事を始めようかということが第一に大きな問題となったのであります。われわれは黙ってこれをやっていていいという説もございましたけれ
ども、それではいけない、社会にこれを発表し、国民の支持のもとにこれをやらなければ何もならないではないかという説があったのでございまして、当時の衆参両院議長、総理
大臣、
文部大臣、厚生
大臣、最高
検察庁、法務総裁、そういう方々のところへ参りまして、こういう
仕事をわれわれがやるがどうだということを申し上げましたところ、業者みずからそういう倫理運動を展開してくれることはまことにけっこうなことであるということで、そのときに私
どもは賛成の言葉をいただきました。そしてこれを社会宣誓——当時国旗の掲揚が許されないころでございましたが、これを社会宣誓という言葉で社会にこれを宣誓しよう、私たちはこういうことの
仕事をしていきたいと思うが、どうぞ皆さんこれを見守りこれを支持し、またわれわれに対してよく監視をしていただきたいということで、社会宣誓という形式をとりまして社会に宣誓し、六月の十四日からこれを開始して以来ちょうど七年余りになるのであります。その間ちょうど日本映画二千有余本の審査をいたしました。その間において、社会情勢の変化につれ、多少倫理
規定の改変、解釈、そういう問題についてそのつどいろいろと協議をし、限度をきめて映画の審査をしておったのでありますが、たまたまここへ参りまして「太陽の季節」以来一、二本の映画が上映されましたために非常な問題を起しましたことに対しましては、私
ども映倫当局としてはおわび申し上げるのでございますが、それ以前にちょうどたまたま青少年問題が大きく社会的に取り上げられましたときに、私
どもといたしましては、映画の倫理運動を展開していく上において、もう
一つわれわれは青少年問題というものを考えなければならないではないかということを考えまして、一昨々年ころから
関係御当局にお集まりを願って、どのように青少年と映画の対策を講ずべきかということをいろいろ
研究いたしまして、また各国でやっておりますいろいろの例をとりまして、そこで青少年映画
委員会というものを設置することにいたしたのでございます。現在は業界だけでやっておりますが、青少年の問題はそれだけでは済まない。これはつまり、業界の一員だけがやっておったのでは非常に過誤があっていけないというので、全部第三者の皆さんにお集まりいただいて青少年映画
委員会を設置し、青少年に見せていい映画はこれを推薦し、青少年に見せて悪い映画はこれを排除する、そしてまた見せないようにするという運動を展開したのでございます。これはあくまで倫理運動でございます。従いまして、そのとも対象年齢というものが大きく取り上げられましたが、対象年令を幾才にしようか、これは児童
福祉法から申しますと十八才を限度としておりますが、しかしながら、一方民法上からいけば結婚も認められておる、その他少年法なり
政府の考え方というようなものに適応させまして満十八才を限度としようということで一応線を引きました。それで、十八才未満の方の観覧は御遠慮下さい、——これはわれわれ業者がやっております倫理運動でございますから、御遠慮下さいというより以外手はないのでございます。まさか命令はできません。だから、それを大きく映画館の前に掲げて、青少年の観覧の、禁止的ではありますが、観覧制限の実施をはかろう、と申しましても、これは私
どもだけではどうすることもできないのであります。各都道府県の地域社会の御協力がなければこの
仕事がうまくいかないということはもう当然なことでございますので、私
どもは各都道府県にあります青少年問題協議会とか児童
福祉審議会、教育
委員会あるいは母の会、PTA、そういうところにお願いして、この映画がかかりますときには青少年の観覧をさせないようにしていただきたいということをお願い申し上げて、非常にこれに対して強力に展開されている都道府県もございます。また非協力と申し上げると大へん失礼でございますが、関心を深く持たれていないという県もあることは当然だと思うのであります。
そこで、私
どもはなぜ地域社会の御協力によってこの
仕事を始めるかと申しますと、私が今さら申し上げるまでもなく、アメリカにおきましても、上院議員の中に青少年
犯罪調査会というのができておりまして、エステル・キーフォーヴァーというような方が
調査委員長になりまして、アメリカの全州を
調査いたしました結果が、この問題は映画業者にのみ責任を負わせるべきでない、やはり地域社会もともに責任を持って解決をしなければうまくいかないという
結論を出しておりますし、また一九五四年のロカルノにおきます世界児童映画会議におきましても、この問題は映画業者が一であるならば、児童に対する
福祉法を守る団体、児童の道徳を守る団体が一となり、その一と一とが集まってこの
仕事がうまく展開されなければならないということを
決議されておりまして、昨年もエジンバラで、それを実施に移すということで、国際児童映画センターというようなものを各国に設けるべきであるという
決議が出まして、つい最近外務
大臣に対して日本にもそういうセンターを展開し、児童に対する映画の観覧、またその配給、そういうような問題を解決すべきであるという
勧告がなされたのでありますが、そういうふうに、世界でも映画業者だけでこの
仕事がやっていけないということは実情上から申しましてその通りなのでございまして、これを助けていただく、つまり地域社会の皆さんが一体となってこの
仕事を展開しさていただきたいという私たちの念願から、各都道府県にお願いし、そして地域社会の御協力のもとに今日までその運動を展開して参ったのでございますが、たまたま——問題を戻しまして、太陽族と申します一連の映画は、当然青少年の観覧は望みたくない映画としてわれわれはこれをはっきり公示をしたのであります。また映画館の中におきましてもこれを大きく取り上げて、そうして表示されているのでありますが、たまたまそれが十八才以下の子供たちが見ているではないかという
現状、それから映画館が断わらないではないかという
現状、こういう
現状によって大きく問題が展開され、むしろ青少年問題対策よりも映画倫理対策というような方へ大きく波が押し寄せて参ったのであります。
そこで、私
どもといたしましては、青少年問題はさることながら、映倫自体に対しましてもとかく批判があるということならば、これは業者だけの一機関としてこれを発足さしてはいけない、そこで、業界としてきめましたのが、第三者の方々によって公正なる批判をしていただく機関としてこれを作り上げようということで、現在の
仕事を私はしておりますが、将来の
仕事に対して私自身が参画しましたのではちょっと不明朗な形になりますので、私は存じません別の集団が新映倫の機構の設置に対して日夜会議を続け——これは国際的な問題もございます。たとえば日本で封切られる映画はアメリカを初めイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、小さい国といたしましてもたくさんな映画が参っておりますので、これらを総合しなければ効果があげれないのでございますから、それらの業者の人たちとともに今連日会議をしておりますが、それらの人たちは、やはり本国の指令を受けなければどうにもならない国もありますので、本国へ照会をしておりまして、その照会が集まりますと同時に、それらの人たちが集まって、最もよき
委員長を第三者から一人選び、その
委員長は自分の責任によって第三者からまた五名ないし七名の
委員を選んでこの
仕事を展開していこうという、こういう構想で進めつつありますが、それと同時に、各国ではやはり
政府の検閲あるいは
政府の干渉、そういうものを避けてあくまでもこれは民間の倫理運動として展開すべきであるというのが各国からの現在の申し込み条件としてなされておりまして、それができないならば、また別な考え方があるというようなことさえも言っておりますが、私
どもとしては、もちろんこれを始めたのはあくまでも倫理運動でございますから、倫理運動として、私
どもの手で、それから地域社会の御協力によってこれを展開していきたいというのが私
どもの考え方なのでございます。簡単でございますが、一応これで終りまして、またいろいろと
質問に応じてお答え申し上げたいと思います。