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安里参考人 限られた時間でございますので、最も簡単に申し上げたいと思います。
沖縄は今四原則を堅持して戦っておりますが、そのうちで特に大きな問題は、新しい
土地に対しまする
接収が行われようとしていることであります。新しい
接収が行われることに対します
恐怖は、単に
土地が取られるということばかりではなくして、過去において
アメリカがいかに
強権を発動して
沖縄の
土地所有者の
人権を無視した行動によって、いわゆる
武力によって人民を圧してこの
行為が敢行されたかということの
恐怖、並びにそのことによって受けておるところの自後の
土地の
所有者たちの
状況というものが、非常な困難な
状況にあるというところから、深刻なものがあるわけであります。
まず具体的に、これまで
接収されました
土地がいかにしてなされたかということを申し上げたいと思います。
昨年の三月の十四日になされたのが
伊江島の
真謝部落に対する
接収であります。この場合におきましても、軍が
ブルドーザーあるいはまた
兵隊たちを使いましてみずから
部落の
人々の家をこわし、あるいはまた、こちらは水の不便なところでありますので水槽の設備などもありますが、これを
ブルドーザーでこわし、あるいはまためんどうくさいものは焼き払ったといったような
状況においてなされたのであります。その後、
立ち入りをすることができないというふうに
さくを設けられたのでありますが、
部落の
人々といたしましては、その中には生きるために必要な作物が植わっておる、だからその
収穫のために
さく内に入ったということによって、多分三十何名かであったと思いますが、全部いわゆる
禁止区域に入ったという名目のもとで
軍事裁判に回されて、それぞれ
懲役刑、ただし
執行猶予を受けたというような
案件があったのであります。あるいはまた、その中には、朝早く
兵隊が測量に来た、これに手
まねで、
言葉は通じませんから、この
土地を取られたならば
自分たちは死ぬ以外はないと、六十幾つかの
おじいさんが倒れる
まねをし、寝る
まねをして説明をしたのでありますが、これに対しても、
アメリカは
暴行を加えた上で、さらに
毛布を持ってきてこれでくるんで、そうして連れ去りまして、
飛行場のまん中にわざわざ金網を急造して、そこに
兵隊が二人も番をして、二時間後には
飛行機が飛んできて、そしてやっと
毛布を解いて、さらに
飛行機で
嘉手納飛行場まで送り、それから勾留されて三日後に
軍事裁判に回されたのでありますが、おそらく
軍事裁判によってむしろ彼らの
不法行為の暴露されることをおそれたのでありますか、
起訴官である
憲兵係官が出頭いたしませんために、
裁判所はこれを却下いたしたような
事件で、
幸い罪にはならなかったと思いますが、そういった、一面には
武力を用い、一面には
生活の資を得るためにせっかく前から作った農作物の
収穫に入るという者さえも、
不法立ち入りの名のもとに
軍事裁判に回されるといったような
状況であります。
伊佐浜の場合におきましては、これはやはり昨年のまず七月の十一日に強制的に着手されたのであります。この際におきましては、
部落民が総立ち上りで
ブルドーザーの前にもすわり込みをいたしたのでありますが、女、
子供、
背中に
子供をおんぶした女の
人々、こういう
人々まで、七月十一日の第一回の
強制接収に対しましても、いわゆる今われわれが言っております無
抵抗の
抵抗をしたのでありますが、
アメリカの
兵隊たちは、これらの
部落民に、打つ、ける、なぐるの
暴行をする。あるいは老人や老婆の
えり首をりかんでかたわらの
たんぽの中にほうり込み、そうして押し倒すというような
状況もあり、農婦はけ倒されて
背中の
子供がぎゃあぎゃあ泣くといったような
状況もあったのでありますが、中に一例といたしまして、七十二になります
おじいさんが、その
暴行のために打撲傷を負い、卒倒いたしまして、病院に運ばれたというような事態もあります。これらの
状況につきましては、
カメラマンあたりが撮影をしようといたしましても近寄ることができませんし、たまたまカメラを向けた者があった場合には、そのカメラごと没収され、とろうとした者はMPに引っぱられていくというような
状況でありますために、現実の姿というものを写真その他の証拠によって出すことのできないということは非常に残念であります。ところで、かような
抵抗をいたしましたために、十一日は結局敢行することができなかったのでありますが、さらに七月の十八日にやはり兵力を用いまして
接収しようとしましたが、これまた
部落民の
抵抗によりましてこれが敢行できなかったのであります。私は特に七月十八日という日を申し上げましたが、この
委員会におかれましても思い起していただきたいことは、この昨年の七月十八日は、ジュネーヴにおいて、四頭会談が開かれて、世界平和に向っての相談がなされておるときであったということを私
たちは忘れることができないのであります。そうしてその七月十八日におきましてもこれが不能になりまして、翌十九日未明、午前四時でありますから、こちらの時刻にしますと三時ごろになります。その未明のまだ寝静まっておるときに
軍隊を出動いたしまして、そうして、多くの
人々が起きる間もなく、また立ち入ることもできないような
状況下において強行いたしまして、ついに
沖縄一の最も大きな
収穫のある
美田でありました
伊佐浜の
たんぽもすっかりつぶされてしまい、
部落も強制的に全部軍の手によって取り払われたというような
状況でございます。こういったことが現在までのわれわれ
農民の反抗にかかわらず強制された
実情であります。
次に、かような
状況から、われわれ
沖縄におけるところの
経済状態はどうであるか、あるいはそれに関連する
人権的な問題はどうであるかということについて、若干、
一つの例だけを申し上げておきたいと思います。
多くの
農地を失った
沖縄であります。農業を中心にしておりましたところの
沖縄でありまするがゆえに、この
農地が取られるということが
沖縄の生産の基盤を破壊することであることは当然であります。しかも、軍が使っておりますところの
場所というものは、特に中部の最も
農耕地の多い
場所であり、村によりましては九〇%が
軍用地に取られ、
あと一〇%の
地域にうごめいておるというような
状況であります。また、広い
アメリカのぜいたくな住宅あるいは
ゴルフ場といったようなものに比較いたしまして、
沖縄の
人々は狭い
谷底に閉じ込められておる
状況であります。これは
日本の新聞にも掲げられておる
通りでありまして、この広い
ゴルフ場のそばにわずかな
土地を耕しておる
農民の姿を見てみますと、あまりにもその懸隔の差にわれわれは悲憤を感ずるのであります。また、狭いこの
沖縄の
土地に広い屋敷を取り、しかも一軒建の
ブロック建のすばらしい
建物を建てておる
兵隊の
宿舎などを見ますときに、
——日本におきまするところの
宿舎も見たのでありますが、二階建、それから三軒になっておる、しかも狭い
地域に建っておる、こういったようなときに、狭い
沖縄に広い
土地を取り、しかも家は一戸建のすばらしいものが建っておるという姿の中に、われわれは非常な矛盾を感ずるのであります。
経済状態について申し上げますならば、一番いい例は、ことしの四月八日に起きました
悦子夫人の
射殺事件を取り上げることが一番具体的な例であろうと思います。多くの
沖縄の
人々がいわゆる
軍事経済に生きておるのであります。
軍事経済に生きるということ、
基地経済に生きるということは結局不健全な
経済でありますが、働く道を失った一人の人が、これは三名の幼い
子供を持っている家でありますが、主人の働きのみでは
生活が維持できない。そこで、二十七歳であったか三十三歳であったか、ちょっと覚えておりませんが、
自分の
子供を人に託しまして、午前四時ごろからスクラップを
捨いに出かけたのであります。ここで私はスクラップ拾いということを申したのでありますが、
沖縄の現在の輸出の大きな地位を占めていますのは、一番は砂糖でございます。これは戦前からそうでございます。現在次の位に位置しておりますのはおそらくスクラップであろうと思います。戦争によってたまを打ち込まれたその鉄くず、あるいは砲弾のかけら、こういったものを拾って、これが輸出の大きな項目になっておるということ
自体、まことに不健全さを示すものでありますが、多くの
農民たちが、婦女子が、スクラップ拾いに早朝から出かけていっておりました。なぜ朝早くから出かけるかといいますならば、これらのものはある場合にはいわゆる軍の
禁止区域、
立ち入り制限区域というようなところにしか残されていないのです。山あるいは畑、その周囲には軍が
立ち入りを制限しておるところがある。たまたまこの悦子という主婦は二人の友達とともにそこへ未明に出かけていったのでありますが、その
場所がちょうど制限区域であった。制限区域といいますと、その付近には
農耕地もございまして、農耕のためには入っておったわけであります。別に軍施設が直接にあるわけではございません。そこで、スクラップ拾いといいましても、小さいくまでみたいなもので土をかきわけながら、ほとんど手探りで拾うようなわずかなものであります。たまたまそこに見回りの
兵隊が二人のガード
——沖縄の者でありますが、ガードを連れて回って参りました。そうして、待てと一言声をかけるやいなや、持っておりました鉄砲でこれを射殺してしまったのであります。ところで、私
たちは、この
事件に関連をいたしまして、立法院におきましても、人命尊重という問題で決議も出したのであり、またその前提となる
調査もいたしたのでございますが、この
兵隊はたまたまこの
悦子夫人を射殺した以前におきましてもその時刻の少し前にどこかで三発撃っておるのであります。だが、これはだれが撃たれたのかわかりません。当らなかったのでありましょう。さらに、もう一人の年寄りが十四、五歳になる女の
子供を連れてスクラップを拾いに来ておるときに、やはりこれを発見して撃とうとしたのを、ついておりました
沖縄人のガードがこれをとめて、やっと難を免れておる。そうしてその直後にこの
射殺事件があったのであります。従って、われわれから見ますれば、明らかに故意である、こういうふうに考えられるのでありますが、これら
沖縄の
人々の
人権擁護の声が非常に燃え上りましたために、軍といたしましては、一応これを軍法会議にかけたのでございます。軍法会議にかけましたけれども、無罪ということになっておるのであります。私
たちはさらにその内容を
調査いたしましたが、全然無罪になるべき
事件ではないのであります。しかし、軍法会議において確定した以上は、文句を言うべき限りでない。また、これに対して文句を言えば、それ
自体罰せられるというような
状況でありまして、そのままになっております。
アメリカの
法規から言えば、射殺してもいいという
法規では決してないのであって、
法規から考えますならば、武器を使う場合はよほどの場合でなくては使ってはいけないというふうなものでありますし、軽犯罪の場合に武器を
使用することは不法である、軽犯罪の場合に、これを捕えるために銃器を使うよりは逃がした方がよろしいのだというふうに、実は
法規の上ではりっぱな規定ではありますが、実際におきましては、かような
状況で、殺されても殺され損というような実例が多くあることを非常に残念に思うのであります。このほかに
射殺事件——もちろんある場合におきましては窃盗の不法な
目的で入ったというような場合もあるのでありますが、これも一発のもとに殺されておるという
事件が相当にあるのでございます。
以上が
人権的な問題に
関係するのでありますが、私
たちがここで強く申し上げたいことは、単にこれは
一つの表に現われておるものでございまして、その中の基本的な問題として、
基地経済に生きておりまする
関係、軍政下という制約下にありますために、われわれといたしましてはいろいろな圧迫がある。目に見えない政治的圧迫というものはあるのでありますが、これはきょうはあまり触れないでおこうと思います。政治的圧迫は露骨には現われて参りません。しかし
経済的な圧迫というものは常にあるということをわれわれは痛切に感じておるのであります。
沖縄に見る姿というものは、一面には非常にうるわしいところもあるのであります。はなやかなところもあるのであります。しかしながら、それはあくまでも根のない花のような
経済であるということを考えなければなりませんし、また一切の
経済というものが
アメリカの手によって握られておるという事実も見のがすわけにはいかないのであります。いかなる事業をいたすにいたしましても、もちろん資本が要るのでありますから、融資の対象になってきますのは琉銀でございますが、この琉銀の株というものは、もちろんガリオアで
沖縄人民に与えられておりますが、五一%は軍が握っております。資本の五一%を握っておるということは全部を握っておるということです。だから、何らかの事業を起そうとしましても、この軍がうんと言わなければ仕事はできません。従って、
経済の発展のためにやろうとしまとても、
アメリカの気に食わないものや、あるいは多少とも批判的なものに対しては、資本を出さないことによって牽制ができるということになるわけであります。
軍労務に対しましても、これはまた別個の立場から考えなければなりませんし、軍労務者は約五万人いると言われておりますが、これらの者に対する労働
法規は民とは別個にできておるのでありまして、罷業権はもちろんでありますが、団体交渉権も何もない。決してその地位は確保されていないということであります。民の労務
関係でありましても、労働組合を作るにおいては民の立法でできておるのでありますが、別に市会を出してその役員となる者は軍の承認がなければ就任することはできない、労働組合を結成することはできない、こういういわゆる市会によるところの圧迫というものが露骨に現われておるということをわれわれは知らなければならないのであります。
時間の
関係がありますから以上の点にとどめまして
あといろいろ御質問によりまして、明らかにいたしたいと思う次第でございます。ありがとうございました。