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1956-07-12 第24回国会 衆議院 法務委員会 第43号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年七月十二日(木曜日)     午前十時五十四分開議  出席委員    委員長 高橋 禎一君    理事 池田 清志君 理事 高瀬  傳君    理事 三田村武夫君 理事 猪俣 浩三君    理事 菊地養之輔君       犬養  健君    小島 徹三君       小林かなえ君    世耕 弘一君       林   博君    松永  東君       宮澤 胤勇君    横井 太郎君       横川 重次君    淺沼稻次郎君       勝間田清一君    神近 市子君       古屋 貞雄君    細田 綱吉君       吉田 賢一君    志賀 義雄君  委員外出席者         参  考  人         (沖繩立法院議         員、沖繩社会大         衆党委員長)  安里積千代君         参  考  人         (沖繩立法院議         員、無所属)  知念 朝功君         参  考  人         (沖繩真和志市         長)      翁長 助静君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 六月二十六日  委員吉田賢一辞任につき、その補欠として青  野武一君が議長指名委員に選任された。 七月十一日  片山哲辞任につき、その補欠として吉田賢一  君が議長指名委員に選任された。 同月十二日  委員風見章君及び武藤運十郎辞任につき、そ  の補欠として古屋貞雄君及び細田綱吉君が議長  の指名委員に選任された。     ————————————— 六月二日  裁判所司法行政に関する件  法務行政及び検察行政に関する件  国内治安及び人権擁護に関する件  上訴制度最高裁判所機構改革を含む)に関す  る件  外国人の出入国に関する件  交通輸送犯罪に関する件  売春防止法の施行に関する件  戦犯服役者に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  連合審査会開会申入れに関する件  法務行政及び人権擁護に関する件(沖繩におけ  る人権問題等)     —————————————
  2. 高橋禎一

    高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。  法務行政及び人権擁護に関し調査を進めます。  本日は沖縄人権問題等につきまして調査を進めます。  まず参考人の決定についてお諮りいたします。安里積千代君、知念朝功君、翁長助静君、以上三名の方々参考人と決定し沖縄現地実情を聴取いたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 高橋禎一

    高橋委員長 御異議なければ、さよう決定いたします。  なお、次にお諮りいたします。本日本問題に関し外務委員会連合審査会開会の申し入れを行いたいと存じますが、これに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 高橋禎一

    高橋委員長 御異議なければ、さよう決定いたします。  それでは、これより参考人方々より実情を聴取いたしますが、まず知念朝功君、安里積千代君、翁長助静君の順序で一人十五分程度に御意見を承わり、次に質疑に移りたいと存じます。  それでは参考人方々に一言ごあいさつ申し上げます。参考人方々には遠路はるばる御出席下さいましてありがとうございます。忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  それでは知念朝功君よりお願いいたします。
  5. 知念朝功

    知念参考人 本日当法務委員会において私たち参考人として出席を求められ沖縄における土地問題に関する実情を報告する機会を与えて下さいましたことに厚く御礼を申し上げます。  私からは、まず最初に、沖縄アメリカ軍沖縄土地所有者との間にどういう関係が作られてきたか、また沖縄土地所有者土地というものがどういう工合にアメリカ軍隊によって使用されているかという経過についてお話し申し上げます。あと具体的な点につきましては他の参考人の方にお譲りしたいと存じます。  一九四五年の四月一日、アメリカ合衆国軍隊沖縄を占領いたしまして、その後一九五二年四月二十八日対日平和条約効力発生する前の日までは、いわゆるヘーグにおいて一九〇七年に締結せられましたところの「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」に基いてアメリカ合衆国軍隊沖縄において必要とする土地その他の財産使用して参ってきたのであります。しかしながら、対日講和条約効力発生しました以後は、アメリカ合衆国としましても、沖縄民所有する財産、特に土地使用するに当りましては法律上の根拠を持たなければならないということになりまして、まずアメリカ合衆国軍隊が必要とする土地については、沖縄人から土地を借るという賃貸借契約に基く権利を取得しようとしたのであります。そのために一九五二年の十一月一日付で民政府布告第九十一号が公布されたのであります。これは契約権と題しますところの布令でございまして、まずアメリカ軍使用するところの沖縄人個人所有にかかる土地琉球政府の方で賃貸借する、すなわち、直接アメリカ合衆国の方で賃借しないで、琉球政府を代表して行政主席個々土地所有者賃貸借契約を結び、かくして行政主席が得ましたところの賃借権をさらにアメリカに転貸をするという間接的な賃貸借の態度をとったのであります。すなわち、アメリカ合衆国として個々土地所有者とみずから一々契約を締結する煩を避けるために、琉球政府をして賃借人として契約の当事者たらしめたのであります。しかしながら、この賃貸借契約のいわゆる契約条項というのがアメリカ側において一方的に作成せられた条項でありましてすなわちアメリカ側において賃貸借契約申し込みにおける契約条項をみずから設定したのであります。個々土地所有者は、この契約条項を見て、まず次の二点に不満を示したのであります。すなわち、賃貸借期間が二十年で、かなり長期にわたって普通民法賃貸借期間からしますと最長の期間を設定してあるということ、それから、この賃貸借契約を締結するに当りまして、アメリカ側が申し込んできた賃借料の額というのがはなはだ低い額であったということ、それは日本の円に直しまして土地一坪一年間の賃借料が平均五円四十三銭で貸さなければならないというふうな状態でありまして、当時の民間における賃貸借の条件すなわち借料と比べまして、はなはだ低廉であるということがわかるのであります。個々土地所有者アメリカ側に貸すために琉球政府賃貸借契約を結ぶということを拒否し続けてきたのであります。それで、アメリカ側としましては、琉球個々土地所有者琉球政府をして契約を締結させ、またみずからが賃借権を再び琉球政府から得るという考え方が、土地所有者契約申し込みに対する承諾を与えないことによって失敗してきたのであります。  それで、アメリカ側としては、ぜひともみずから必要とする土地収用しなければならないが、契約によってその目的を完遂することができなくなりましたので、今度は強制力をもって土地収用するという建前をとってきたのであります。これが一九五三年の四月三日に出されました民政府令第百九号でありましてこの布令によってアメリカ軍はみずからの使用に供するために必要とする土地強制収用をするというふうに法規を制定をいたしたのであります。  もちろん、収用するに当りましては、収用告知行政主席あるいは市町村長を通じて個々の地主に通知するのでありますが、もし個々土地所有者がこの収用反対であっても、その収用を拒否することはできない建前になっているのであります。個々土地所有者アメリカ側収用告知に対して反対を主張できる点は、ただその賃借の額、すなわち、収用するといいましても補償金を払うという形式になっているのでありますが、この補償額、あるいはその上軸の評価額というものが低廉であるということに対してだけ、土地所有者不満を述べる、異議を申し立てることができるのであります。収用それ自体に対しては、個々所有者は何ら拒否するとかそれに対して発言をするという権利を与えられていないわけであります。すなわち、合衆国軍隊が必要上占用したいという土地に対して収用告知をいたしました場合には、土地所有者としては、収用それ自体に対して反対をすることはできないが、ただ、向うから支給する補償の額、あるいは土地の価格の評価について異議を申し立てることができるようになっているのであります。それで、所有者としては、その補償額等についてすべて不満でありますれば、この収用令の中に収用委員会というのがございまして、アメリカ側から支払うという補償額が低廉であるとする場合には一収用委員会異議申し立てをすることになっているのであります。その際は、アメリカ側からあらかじめ設定せられた補償額の七五%だけはまず受領して、二五%は未受領のままにしておいて収用委員会異議を申し立てる。すなわち、補償の額が正当でないというふうなことを主張いたしまして、収用委員会異議を申し述べる権限のみが認められているのであります。収用委員会は、こうした土地所有者側から異議を申し出られました場合に、この補償額が適正であるかいなかという点だけを決定する権限を持って、いるのであります。それで、沖縄個々土地所有者としましては、アメリカが必要とするということになりますならば、その必要とするということが果して妥当であるか、あるいは住民権利義務をはなはだしく侵害しないかどうかということについては発言をし抗議をする権利一つも与えられていないわけであります。私たちが持っている土地収用法、あるいは日本土地収用法におきましても、果してその収用目的に公共の利益があるかどうかということについても審査しなければならないのですが、アメリカ軍が出している収用令におきましては、果して必要であるかどうかということ、それから住民権利義務をはなはだしく侵害しないかどうかということについては何も審査をしない。ただアメリカ側が支払う金額が妥当であるかないかということについて、それも個々所有者の方から不満があれば異議申し立てをさせるという点にとどめているのであります。こういう収用令を実際に発動いたしまして、結局アメリカ合衆国の方では、個々土地所有者と任意に行政主席との間に契約を結ばしめ、さらに自分借地権を取得するということができない場合には強制的、一方的にいやおうなく土地接収してしまうという状態になっているのであります。  この収用令に基きまして、日本本土におきましてもかなりやかましく報道せられたと思うのでありますが、伊江島真謝部落収用せられる、あるいは宜野湾村の伊佐浜部落収用せられるというような状態になってきたのでございます。個人土地所有者としましては、結局何ら抵抗する力も持たないわけでありまして、あっと言う間もなくブルドーザーを持ってきて家をつぶす、家を焼き払うというようにして、みずから居住する土地を追われ、居住する建物を失い、またみずから耕作している土地を失うという実情にあるのでございます。こういう実際に強権を発動しての収用に当りまして、土地所有者ブルドーザーの前にすわり込んでも、結局こういう人々アメリカ兵隊によって強制的にブルドーザーの前からどけられてしまう。そして機械力を利用して土地収用してしまうという状態であります。  特に、これは伊佐浜の例でありますが、伊佐浜という部落はおもに水田部落でありますが、最初アメリカは、どうもこの水田があるために蚊が発生してアメリカ軍のために衛生的に非常に悪い、だから耕作を禁止するという命令を出してきたのであります。しかし、土地所有者は、これはかなり美田でありまして収量も非常に上るような水田でありましたので、蚊の駆除あるいはボウフラの発生に関しては万全の策を尽す、——もちろん琉球政府側としても大いに力を尽して、そういう衛生上の目的のためならアメリカ側に迷惑をかけないようにすると言って水田植付を陳情したのでありますが、しかしながら、絶対にその水田植付をすることはできない、もし何なら干拓して普通の畑にして使用することなら喜ぶであろうということで、水田植付衛生上の理由をたてにとって最初は禁止したのであります。そのときに、水田の稲の値付を禁止したのは将来この土地接収するのを予想してのことかと言った場合に、そうではない、これは全く衛生上の立場から蚊の発生を防止するためであって、畑に振りかえて耕作するのには別に異存はないということを申しておったのでありますが、しばらくしてたちまち、収用するのだから立ちのけということを言ってきたのであります。こういうふうにしまして、初めは衛生上の理由でたんぼに植え付けるのを禁止した、それから、畑にして耕すくらいならよろしいと言ってその言葉がまだ 住民によって検討されている最中に、直ちに収用するから立ちのけというふうにやって、この収用令というものがあらゆる権限をふるって住民の前に襲いかかってきておる状態であります。住民としましては実力をもってこれを防止する手もございませんし、向うとしては、ちゃんと法律を制定して、法に従ってやるんだということを言っておるのでありますが、この法の内容自体が、これまで御説明申し上げました通りはなはだ一方的で、私有財産権というものははなはだしく踏みにじられておる状態であるのでございます。  こういうふうにしまして、アメリカ側の方では、この個人土地に対しましては、ほしいと思えば、どういうふうにでも強権を発動して取るということはいともたやすいことでありまして、もちろんそれは住民の福祉ということも若干は念頭に置いているかもしれませんが、しかし、この土地が必要だということになれば、その所有者の利害とか将来の生活安定不安定等とかということは全然顧慮なく、必要なものはぶんどっていくというふうなやり方をしているのであります。  以上が大体、個々土地所有者土地アメリカがどういうふうにして使おうとしたか、法律上どういうふうな根拠を持とうとしたか、それが結局実際にどういうふうな状態収用せられているかということを一例を申し上げてお話ししたのでありまして、アメリカとしましても、対日講和条約発効後は、法律上の根拠なくしては個々土地所有者土地を勝手にすることはできないということは認めつつも、しかもこの法規自体の中にはなはだ基本的人権を侵害するという、日本で申しますれば憲法に違反するような条項を含んでおる、ほとんど違憲的な立法であると申しても過言ではないのであります。このようにしまして沖縄住民、特に個々土地所有者というものはいつ何どきアメリカ土地をよこせ、接収すると言い出してくるかわからないというふうに非常に不安定な状態、言いかえますれば、風前のともしびのような状態にある個人所有権であります。他の動産等に関する所有権でもそうでありますが、沖縄人土地に対する愛着というものははなはだ深く、しかも土地自体が狭いという関係からして、土地を取られるということが沖縄人の、取られた土地所有者の将来の生活を根底から破壊してしまうということは、あるいは皆様の御想像を越えるものがあると思うのであります。  大体以上が、アメリカがどんなふうにして沖縄土地使用しようとしたか、そしてその使用をまず契約で使おうとしたが、それがだめになって強権収用している、しかもその収用に対しては実に違憲的な条項法規でもって収用しているという概略をお話し申した次第であります。  なお細部にわたりましては、御質疑にもお答えいたし、他の参考人方々からも申し上げることと存じます。
  6. 高橋禎一

    高橋委員長 以上をもって知念朝功君の御意見の開陳は終りました。これに関連して質疑がございますれば許します。(「あと回しにしたらどうですか」「御意見を承わってから……」と呼ぶ者あり)それでは、参考人の方の御意見を一応承わって、それから質疑をする、そういうことにいたします。  安里積千代君。
  7. 安里積千代

    安里参考人 限られた時間でございますので、最も簡単に申し上げたいと思います。  沖縄は今四原則を堅持して戦っておりますが、そのうちで特に大きな問題は、新しい土地に対しまする接収が行われようとしていることであります。新しい接収が行われることに対します恐怖は、単に土地が取られるということばかりではなくして、過去においてアメリカがいかに強権を発動して沖縄土地所有者人権を無視した行動によって、いわゆる武力によって人民を圧してこの行為が敢行されたかということの恐怖、並びにそのことによって受けておるところの自後の土地所有者たち状況というものが、非常な困難な状況にあるというところから、深刻なものがあるわけであります。  まず具体的に、これまで接収されました土地がいかにしてなされたかということを申し上げたいと思います。  昨年の三月の十四日になされたのが伊江島真謝部落に対する接収であります。この場合におきましても、軍がブルドーザーあるいはまた兵隊たちを使いましてみずから部落人々の家をこわし、あるいはまた、こちらは水の不便なところでありますので水槽の設備などもありますが、これをブルドーザーでこわし、あるいはまためんどうくさいものは焼き払ったといったような状況においてなされたのであります。その後、立ち入りをすることができないというふうにさくを設けられたのでありますが、部落人々といたしましては、その中には生きるために必要な作物が植わっておる、だからその収穫のためにさく内に入ったということによって、多分三十何名かであったと思いますが、全部いわゆる禁止区域に入ったという名目のもとで軍事裁判に回されて、それぞれ懲役刑、ただし執行猶予を受けたというような案件があったのであります。あるいはまた、その中には、朝早く兵隊が測量に来た、これに手まねで、言葉は通じませんから、この土地を取られたならば自分たちは死ぬ以外はないと、六十幾つかのおじいさんが倒れるまねをし、寝るまねをして説明をしたのでありますが、これに対しても、アメリカ暴行を加えた上で、さらに毛布を持ってきてこれでくるんで、そうして連れ去りまして、飛行場のまん中にわざわざ金網を急造して、そこに兵隊が二人も番をして、二時間後には飛行機が飛んできて、そしてやっと毛布を解いて、さらに飛行機嘉手納飛行場まで送り、それから勾留されて三日後に軍事裁判に回されたのでありますが、おそらく軍事裁判によってむしろ彼らの不法行為の暴露されることをおそれたのでありますか、起訴官である憲兵係官が出頭いたしませんために、裁判所はこれを却下いたしたような事件で、幸い罪にはならなかったと思いますが、そういった、一面には武力を用い、一面には生活の資を得るためにせっかく前から作った農作物の収穫に入るという者さえも、不法立ち入りの名のもとに軍事裁判に回されるといったような状況であります。  伊佐浜の場合におきましては、これはやはり昨年のまず七月の十一日に強制的に着手されたのであります。この際におきましては、部落民が総立ち上りでブルドーザーの前にもすわり込みをいたしたのでありますが、女、子供背中子供をおんぶした女の人々、こういう人々まで、七月十一日の第一回の強制接収に対しましても、いわゆる今われわれが言っております無抵抗抵抗をしたのでありますが、アメリカ兵隊たちは、これらの部落民に、打つ、ける、なぐるの暴行をする。あるいは老人や老婆のえり首をりかんでかたわらのたんぽの中にほうり込み、そうして押し倒すというような状況もあり、農婦はけ倒されて背中子供がぎゃあぎゃあ泣くといったような状況もあったのでありますが、中に一例といたしまして、七十二になりますおじいさんが、その暴行のために打撲傷を負い、卒倒いたしまして、病院に運ばれたというような事態もあります。これらの状況につきましては、カメラマンあたりが撮影をしようといたしましても近寄ることができませんし、たまたまカメラを向けた者があった場合には、そのカメラごと没収され、とろうとした者はMPに引っぱられていくというような状況でありますために、現実の姿というものを写真その他の証拠によって出すことのできないということは非常に残念であります。ところで、かような抵抗をいたしましたために、十一日は結局敢行することができなかったのでありますが、さらに七月の十八日にやはり兵力を用いまして接収しようとしましたが、これまた部落民抵抗によりましてこれが敢行できなかったのであります。私は特に七月十八日という日を申し上げましたが、この委員会におかれましても思い起していただきたいことは、この昨年の七月十八日は、ジュネーヴにおいて、四頭会談が開かれて、世界平和に向っての相談がなされておるときであったということを私たちは忘れることができないのであります。そうしてその七月十八日におきましてもこれが不能になりまして、翌十九日未明、午前四時でありますから、こちらの時刻にしますと三時ごろになります。その未明のまだ寝静まっておるときに軍隊を出動いたしまして、そうして、多くの人々が起きる間もなく、また立ち入ることもできないような状況下において強行いたしまして、ついに沖縄一の最も大きな収穫のある美田でありました伊佐浜たんぽもすっかりつぶされてしまい、部落も強制的に全部軍の手によって取り払われたというような状況でございます。こういったことが現在までのわれわれ農民の反抗にかかわらず強制された実情であります。  次に、かような状況から、われわれ沖縄におけるところの経済状態はどうであるか、あるいはそれに関連する人権的な問題はどうであるかということについて、若干、一つの例だけを申し上げておきたいと思います。  多くの農地を失った沖縄であります。農業を中心にしておりましたところの沖縄でありまするがゆえに、この農地が取られるということが沖縄の生産の基盤を破壊することであることは当然であります。しかも、軍が使っておりますところの場所というものは、特に中部の最も農耕地の多い場所であり、村によりましては九〇%が軍用地に取られ、あと一〇%の地域にうごめいておるというような状況であります。また、広いアメリカのぜいたくな住宅あるいはゴルフ場といったようなものに比較いたしまして、沖縄人々は狭い谷底に閉じ込められておる状況であります。これは日本の新聞にも掲げられておる通りでありまして、この広いゴルフ場のそばにわずかな土地を耕しておる農民の姿を見てみますと、あまりにもその懸隔の差にわれわれは悲憤を感ずるのであります。また、狭いこの沖縄土地に広い屋敷を取り、しかも一軒建のブロック建のすばらしい建物を建てておる兵隊宿舎などを見ますときに、——日本におきまするところの宿舎も見たのでありますが、二階建、それから三軒になっておる、しかも狭い地域に建っておる、こういったようなときに、狭い沖縄に広い土地を取り、しかも家は一戸建のすばらしいものが建っておるという姿の中に、われわれは非常な矛盾を感ずるのであります。  経済状態について申し上げますならば、一番いい例は、ことしの四月八日に起きました悦子夫人射殺事件を取り上げることが一番具体的な例であろうと思います。多くの沖縄人々がいわゆる軍事経済に生きておるのであります。軍事経済に生きるということ、基地経済に生きるということは結局不健全な経済でありますが、働く道を失った一人の人が、これは三名の幼い子供を持っている家でありますが、主人の働きのみでは生活が維持できない。そこで、二十七歳であったか三十三歳であったか、ちょっと覚えておりませんが、自分子供を人に託しまして、午前四時ごろからスクラップを捨いに出かけたのであります。ここで私はスクラップ拾いということを申したのでありますが、沖縄の現在の輸出の大きな地位を占めていますのは、一番は砂糖でございます。これは戦前からそうでございます。現在次の位に位置しておりますのはおそらくスクラップであろうと思います。戦争によってたまを打ち込まれたその鉄くず、あるいは砲弾のかけら、こういったものを拾って、これが輸出の大きな項目になっておるということ自体、まことに不健全さを示すものでありますが、多くの農民たちが、婦女子が、スクラップ拾いに早朝から出かけていっておりました。なぜ朝早くから出かけるかといいますならば、これらのものはある場合にはいわゆる軍の禁止区域立ち入り制限区域というようなところにしか残されていないのです。山あるいは畑、その周囲には軍が立ち入りを制限しておるところがある。たまたまこの悦子という主婦は二人の友達とともにそこへ未明に出かけていったのでありますが、その場所がちょうど制限区域であった。制限区域といいますと、その付近には農耕地もございまして、農耕のためには入っておったわけであります。別に軍施設が直接にあるわけではございません。そこで、スクラップ拾いといいましても、小さいくまでみたいなもので土をかきわけながら、ほとんど手探りで拾うようなわずかなものであります。たまたまそこに見回りの兵隊が二人のガード——沖縄の者でありますが、ガードを連れて回って参りました。そうして、待てと一言声をかけるやいなや、持っておりました鉄砲でこれを射殺してしまったのであります。ところで、私たちは、この事件に関連をいたしまして、立法院におきましても、人命尊重という問題で決議も出したのであり、またその前提となる調査もいたしたのでございますが、この兵隊はたまたまこの悦子夫人を射殺した以前におきましてもその時刻の少し前にどこかで三発撃っておるのであります。だが、これはだれが撃たれたのかわかりません。当らなかったのでありましょう。さらに、もう一人の年寄りが十四、五歳になる女の子供を連れてスクラップを拾いに来ておるときに、やはりこれを発見して撃とうとしたのを、ついておりました沖縄人のガードがこれをとめて、やっと難を免れておる。そうしてその直後にこの射殺事件があったのであります。従って、われわれから見ますれば、明らかに故意である、こういうふうに考えられるのでありますが、これら沖縄人々人権擁護の声が非常に燃え上りましたために、軍といたしましては、一応これを軍法会議にかけたのでございます。軍法会議にかけましたけれども、無罪ということになっておるのであります。私たちはさらにその内容を調査いたしましたが、全然無罪になるべき事件ではないのであります。しかし、軍法会議において確定した以上は、文句を言うべき限りでない。また、これに対して文句を言えば、それ自体罰せられるというような状況でありまして、そのままになっております。アメリカ法規から言えば、射殺してもいいという法規では決してないのであって、法規から考えますならば、武器を使う場合はよほどの場合でなくては使ってはいけないというふうなものでありますし、軽犯罪の場合に武器を使用することは不法である、軽犯罪の場合に、これを捕えるために銃器を使うよりは逃がした方がよろしいのだというふうに、実は法規の上ではりっぱな規定ではありますが、実際におきましては、かような状況で、殺されても殺され損というような実例が多くあることを非常に残念に思うのであります。このほかに射殺事件——もちろんある場合におきましては窃盗の不法な目的で入ったというような場合もあるのでありますが、これも一発のもとに殺されておるという事件が相当にあるのでございます。  以上が人権的な問題に関係するのでありますが、私たちがここで強く申し上げたいことは、単にこれは一つの表に現われておるものでございまして、その中の基本的な問題として、基地経済に生きておりまする関係、軍政下という制約下にありますために、われわれといたしましてはいろいろな圧迫がある。目に見えない政治的圧迫というものはあるのでありますが、これはきょうはあまり触れないでおこうと思います。政治的圧迫は露骨には現われて参りません。しかし経済的な圧迫というものは常にあるということをわれわれは痛切に感じておるのであります。  沖縄に見る姿というものは、一面には非常にうるわしいところもあるのであります。はなやかなところもあるのであります。しかしながら、それはあくまでも根のない花のような経済であるということを考えなければなりませんし、また一切の経済というものがアメリカの手によって握られておるという事実も見のがすわけにはいかないのであります。いかなる事業をいたすにいたしましても、もちろん資本が要るのでありますから、融資の対象になってきますのは琉銀でございますが、この琉銀の株というものは、もちろんガリオアで沖縄人民に与えられておりますが、五一%は軍が握っております。資本の五一%を握っておるということは全部を握っておるということです。だから、何らかの事業を起そうとしましても、この軍がうんと言わなければ仕事はできません。従って、経済の発展のためにやろうとしまとても、アメリカの気に食わないものや、あるいは多少とも批判的なものに対しては、資本を出さないことによって牽制ができるということになるわけであります。  軍労務に対しましても、これはまた別個の立場から考えなければなりませんし、軍労務者は約五万人いると言われておりますが、これらの者に対する労働法規は民とは別個にできておるのでありまして、罷業権はもちろんでありますが、団体交渉権も何もない。決してその地位は確保されていないということであります。民の労務関係でありましても、労働組合を作るにおいては民の立法でできておるのでありますが、別に市会を出してその役員となる者は軍の承認がなければ就任することはできない、労働組合を結成することはできない、こういういわゆる市会によるところの圧迫というものが露骨に現われておるということをわれわれは知らなければならないのであります。  時間の関係がありますから以上の点にとどめましてあといろいろ御質問によりまして、明らかにいたしたいと思う次第でございます。ありがとうございました。
  8. 高橋禎一

    高橋委員長 次に翁長助静君にお願いいたします。
  9. 翁長助静

    ○翁長参考人 翁長助静でございます。ただいま知念、安里両参考人からいろいろ説明がありましたので、私の方はそれとは変った方向から説明をしたいと存じます。  ただ、しかし、一致いたしますのは、軍用地を取り上げる場合に、いろいろの布告、布令などをたてにとって法律的に処理するのだと言っていますけれども、すべて一方的な強圧的なやり方によって行われておるということは、常に一致しておることだと思います。私、自分で市役所におりますので、その通知を受けたりすることがたびたびあるのですが、一例を申しますと、一カ月後に使用しようとする場合に、すぐどの地区は農作物を何月何日までに取り去れ、それから、土地を明け渡すことは確定的であって変更はできぬ、村長は明け渡しに重大な責任がある、それから、救援物資、特に輸送援助についての要求をすみやかに提出せよ、これは幾らかこちらの要求をいれようとする格好が現われておるのであります。こういったような一片の通知状によって、直ちに住民にこれを伝達せよといったような式で、政府から来る場合もありますし、また直接軍の土地係官から持ってくる場合もあるのであります。そういうことが数年間続いて参りまして、特に今回の四原則確立から現在までのわれわれの行動が相当に強力になりましたのは、こういうような至って簡単な処理をおそらく何十回となくやられた上に、われわれはある程度協力とかあるいは忍従とかいう言葉で表わしておるのでありますが、実際上は屈辱的な強力な力の前にどうすることもできなくて泣いてがまんしておったというような格好にあったのであります。しかし、今回の一括払いの問題あるいは新規接収の問題は、もうすでに住民生活の困窮が限度に達したということで、八十万の住民が二十万の軍用地に直接関係する方たちを守るのだ、われわれの生活を守るのだ、あるいは日本国土を守り、歴史的な尊さを守り抜こうという大きなねらいであることを御理解願いたいと存じます。  さらに、御承知の通り沖縄の戦争による被害というものは、たびたび新聞やあるいはその他の話あるいは外務委員会の報告でもあったと思うのですが、沖縄本島内に約十万戸の家があったのが、三千戸を残して、戦争中、終戦に近いころすっかり焼き払われて壊滅いたしました。人口も十七万近く死にまして、五十万ちょっとおった。人口が三十四万というわずかな人口になったのであります。それにいたしましても、三千戸の残存家屋ではどうすることもできなかったので、いろいろとテント小屋を築いたり、その他カヤぶきの家を、ほんとうに焼け小屋みたような家を作って住むというような状態から、ようやく現在まで来ておりますけれども、たくさんの軍用土地接収せられまして、その復興の速度も平和時に比べますと著しくおくれておると思っております。現在でも、プライス勧告案などには沖縄は文化的にあるいは経済的にずいぶん振興したと言われておりますが、一歩農村部落に入りました場合には、戦前の水準の六割くらいいっておるところはよい方でありまして、五割以下のところが大部分であると申し上げてもいいと思います。特に家の内部に入りました場合にはその感を一そう深くするのであります。もとは、中以上の農家には、質の悪いものであるにいたしましても、たんすの一つくらいは置いてあった。ところが、現在は、上流の農家におきましても、たんすのあるところなどはほとんど見つからない。見つかったならば、その家には必ず他の職についておるむすこかだれかがおると見なければならないと思っております。  そういったふうに、特に農家の貧困というものははなはだしいものがあります。戦前五反八畝の平均農耕地を持っておりましたのが、現在は三反五畝という、ほんとうに三反百姓に転落いたしております。従って、農家は、その三反五畝の平均農耕地ではどうしても生活ができませんので、勢い他の日雇い、あるいは出かせぎといったような仕事に従事しておるのであります。特にそのことは軍用地土地を有する地主にはっきり現われております。軍用地主はすでに五万戸をこしております。そういう人たちの中にも、例外といたしましては他の職場につくことによって生活を営んでおるのもおるのでありますが、大部分の人は、軍労務あるいは日雇い業といったようなものによって細々ながら生活を続けておるといったようなことがはっきり申し上げられる点であります。そこへ持ってきて、そういったように戦前の六割にも農家生活の水準はいっていないときに、さらに農耕地が取り上げられ、失業者がふえるということは、小さな沖縄の社会にとって、あるいは経済界にとっては大きな破壊と混乱が生ずると思っております。  私は、特に、さっき申し上げました、強圧的にいわゆる自分で作った法律によって、府令、布告によって合法化づけたような格好をしておいて、実は強圧的な理不尽なやり方によって接収せられた過去の軍用地を思い起した場合に、今回もまた新規接収の問題がそういうような同類のやり方をもってやられるのをおそれております。そのおそれておるために私たちは全員一致する。一区域、一部落の問題ではなしに、沖縄八十万の問題としてこれを処理していきたい、こういうふうに考えておるのであります。ところが、軍の方では代替地は与えると言っておりますが、現状におきましては、さっき安里、知念参考人からお話がありましたように、伊江島の立ちのき、伊佐浜の立ちのき、あるいはまた私の市内の立ちのきなどの例を思い起しましても、代替地は得られないと思っております。これはすでに戦前の農耕地の四〇%近く失われておるし、人口密度はアメリカの三十倍と言われております。四つの島に押し込められて非常にお困りであるという日本本土でさえ沖縄の人口密度の半分にも達しないといったようなことで、非常に人口の稠密を来たしておる現在におきましては、特に新しい農耕地を、かわりの土地を求めるということは不可能だと思っております。それから、他の職業への転換ということを言われておるのでありますが、失業者がすでに潜在失業者を合せると四万人に近いと言われております、失業者のおるところに、さらに新規接収によって人口にして約一万三千人が路頭に迷うような結果になることが予想せられております。その一万三千人のうちどうしても稼働者が四千人はこすと思っております。そうした場合に、四万人近い失業者のおるところにさらにまた四、五千の失業者が入り込んでくる。しかもさらに、労働力のことでありますが、現在のままでありましても、自然的に八千人の労働力がふえると言われております。二万の人口が年々ふえますので、そのうち八千人の労働力が毎年ふえる。この八千人の自然労働力の増加が容易ならぬときに、さらに新しい軍用地によって失われるところの人たちがまたそれに加わってきた場合に、他の職業につくこともできないし、海外移民も今のところ非常な隘路がありまして、年千人でも呼び出しその他によって行けばいいと言われておる現状におきましては、八方ふさがりのところであるわけであります。  こういったようなことで、新規接収の場合にも、私たちといたしましては、強圧による事柄を、すべて数字的にいろいろと提案いたしまして、これをあくまでも食いとめなければならない、こういうふうに考えておるわけであります。特に、私の市内における立ちのきが、近ごろ百五十戸ほど立ちのいたのでありますが、これは伊佐浜伊江島の理不尽な立ちのきのやり方が、世論の大きな攻撃を受け、さらに向うもそれによって反省したかと思うのでありますが、割合よくいったのであります。ところが、移ってきてから半年後というものは——なるほど初めは、いろいろな補償、家の補償あるいは井戸の補償、墓の補償、立木の補償といったような点も不足ながら受け取って、幾らか生活の安易なところに落ちついておったのでありますが、それが数カ月後の現在におきましては、すでに補償金も大体減ってくるし、他の職業は今申し上げましたようにすでに行き詰まっておるし、大きな不安に陥っておるようでございます。これにつきましては、政府とも折衝中で、何とか合法的な救済の道を講じよう、こういうふうに話を進めておるところでありますが、これもまたなかなか困難な点がありまして、行政的な処理もどうすればいいものかと心配しておるところでございます。  以上、新規接収が強圧に行われた場合には大きな人道的な問題でありますし、さらにまた経済的にも多くの困難困窮を来たすという一例をつけ加えまして申し上げました。
  10. 高橋禎一

    高橋委員長 これより参考人に対する質疑に移ります。池田清志君。
  11. 池田清志

    ○池田(清)委員 今次の戦争に当りまして、沖縄に在住しておられました同胞の諸君には、成人は男女全部、のみならず幼少の方々まで防衛のために命をささげて下さったことに対しまして、国民の一人といたしまして感謝を申し上げます。ことに若いところの中学生やあるいは女子師範校生徒に至るまで全部命をささげて沖縄を守って下さいましたことは、私どもの終生忘れることのできない事柄であります。幸いにいたしまして平和条約が締結をせられ発効をいたしました後におきましては、私どもは沖縄も一緒にわれわれとともに日本国政府のもとにおいて統治せらるべきものであるということを期待いたしておったわけであります。しかしながら、御承知のように平和条約第三条というものが特に設けられました関係上、今日におきましては異なる行政下にある。こういうことをまことに遺憾と存じます。平和条約第三条によりまして、わが国は朝鮮、台湾、南樺太、千島、こういうところについてはすべての権利権限、請求権を放棄をいたしておりますところから、これらのところにつきましては、平和条約上わが国の領土権を失っておるものと考えます。しかしながら、第三条におきましてはそういうような規定がありませんところから、沖縄は申すまでもなく、日本の主権下にあるところであります。私はこれをかたく信ずるものであります。しかしながら、第三条の規定するところの、合衆国が「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」、こういう規定が入りましたために、残念ながらわれわれと今日同じ政府のもとに統治されていないという結果に相なっておるわけでありますが、まことに残念に思うのであります。こういうような前提をもとにいたしまして、二、三お尋ねをするわけです。  日本の領土であり、日本の国民である、こういう前提に立っておるわけでありまして、さすればわが国の根本法規でありますところの日本国憲法というものが当然に行わるべきものであると思うのでありますが、実際合衆国の政治下においてはこれがどういうふうに運ばれておりますか、お答えいただきたいと思います。
  12. 知念朝功

    知念参考人 お説の通り、われわれ沖縄の人間が日本国民であり、沖縄の島々が日本の領土であるということは間違いないところであります。ただいまのお尋ねは、日本国憲法が沖縄の区域においてどういうふうになっておるかというお尋ねだと存ずるのでございますが、日本国の憲法は沖縄において適用を見ていないのでございます。沖縄人の基本的な人権に関する事項等につきましては、アメリカ合衆国の民政府が出しておりますところの布告によって、ほぼ基本的人権日本国憲法が認めると同じように定めてあるのでありますが、それにしましても、日本国憲法自体沖縄においては適用されていない。日本の領土であるし、日本人であるから、日本国憲法自体が施行せられているんだという議論もございますし、またそういう法理論を唱えておられる向きもありますが、現実には日本国憲法の適用がアメリカの統治権によってさえぎられているという状態になっているのでございます。これは、奄美大島が日本に復帰いたしましたときに、日本の法令がそのまま、大島に関して別に法律を作ることなくして、自然に奄美大島に適用せられたということから考えましても、日本国憲法の適用をさえぎっているのはアメリカの統治権である、この統治権自体がのけば、そっくりそのまま日本国憲法の規定がわれわれ住民の上にかぶさって適用を見ることになるだろうと思う次第でございます。
  13. 池田清志

    ○池田(清)委員 沖縄におきまして立法院というのがおありでありまして、今も御説明がありましたように、沖縄について施行する法規は、この立法院を通じて立法される。こういうふうに考えるわけでありますが、沖縄に対するところの統治の関係、立法、司法、行政の関係において、そういう立法を特別に立法院で全部なさっておるのでしょうか。
  14. 知念朝功

    知念参考人 お答えをいたします。立法院の立法の範囲は別に制限はないのでございます。沖縄人々権利義務に関する事項、その他あらゆる事項について立法院は立法をする権限を持っております。日本におきますところの府県の条例の制定権とは異なっておりまして、やはり日本の国会と同様に、法律施行に関する点も、すべて立法院で立法することになっておるのでございます。ただ、立法院で立法いたしましても、主席において拒否する、ちょうどアメリカの大統領の拒否権みたいなものが主席に与えられており、もしこの主席の拒否権を立法院がオーバーライズといいますか踏み越えていけば、民政副長官の方で最終の決定権を持っておるというふうになっておりまして、立法院で可決いたしましても行政府主席がこれを拒否されることがあるし、またその拒否を乗り越えていっても、究極は民政副長官が立法院の意思と異なる立法をすることができるという建前になっているのでございます。
  15. 池田清志

    ○池田(清)委員 そういたしますと、日本の本土で体験をいたしましたように、占領軍当局がおりまして、これはいわゆるマッカーサーであったのでありますが、これは天皇内閣及び国会の上に立って日本を治めた、こういうわけであります。そういう占領政策下において、日本国憲法その他の法規がいろいろと改められたのでありますが、その際におきましては、日本の議会といたしましては、いわゆる自主権がなかった、こういうことをわれわれは考えており、そう言われておるのでありますが、沖縄につきましても、現在に至るまで立法院というものはいわゆる立法機関としての自主権がない、こういうふうにきめつけてよろしいでしょうか。
  16. 知念朝功

    知念参考人 お答えいたします。究極の権限はやはりアメリカの統治権によっておりますので、立法院が議決いたしたものでも、アメリカの民政府の方でこれを拒否することができる、アメリカは常にできるだけ多くの自治を沖縄人に与える、今後も与えることに努力するということを言って、かなり立法院において立法をされた案件がございます。現実としては、民政府の副長官の方が立法院で可決した法案を一部直すとかいうことがありますが、その事例としてはそうよけいはなく、私が記憶いたす点でも、多分十件以内だったと思っているのであります。先ほどただ主席と申しましたが、この行政主席は、別にアメリカの大統領のごとくに直接国民によって選挙されたものではなくして、民政長官によって任命された主席であります。
  17. 池田清志

    ○池田(清)委員 土地収用接収等についていろいろと難儀をしていらっしゃいます実情も拝聴したのでありますが、これにつきまして立法的な立場から見ました際に、先ほど布告等の九十一号、百九号というようなものをあげられたのでありますが、これはいわゆる立法院によって認められ、つまり可決されて、沖縄のものとしては合法的に成立したものであると見ていいわけですか。
  18. 安里積千代

    安里参考人 沖縄におきまする立法の形態から申しますと、今、立法院で可決になりまする法のほかに、より強固なるものとしてその上にありますものが、軍の出します布告、布令並びに指令ということになっております。従いまして、現在沖縄におきまする法制は、ニミッツ布告によりまして、占領当時有効であった日本法が、その後の布令あるいは立法において改廃にならぬ限り、旧日本法が施行されておるということが一つであります。それから軍が出しております布告、布令というものが一つであります、それから琉球立法院で議決しましたものが一つ。この三本建になっております。従いまして、今の布告とか布令というものは全然民とは関係ないところの軍の一方的なものでありまして、民はそれには全然関与してないものであります。土地収用令というものも、これは軍の布令であります。それから補償に関する布告というものも軍の一方的に出したものであります。  なお、参考のために申し上げますが、たとえば労働法規でございましても、民の立法におきまして日本の労働法規にならいまして労働三法が、立てられておりますが、しかし、軍は軍労務者に関してはまた別個の布令を出すことによりまして、これと区別しておるというわけであります。でありまするから、形におきましては琉球立法院の方が自主的に立法するようでありますが、これと関係なく布告、布令がどんどん出されますし、民の立法におきましても、最後の留保権はアメリカが持っておるということでありますから、形におきましては民主主義の形がありまするけれども、行政の主席も、先ほど説明もありました通り軍の任命でありますので、その代行機関たる性質がございません。従って、いわゆる自主的なものはあり得ない、こういうような実情であります。
  19. 池田清志

    ○池田(清)委員 今のお話で、よくわかりましたが、問題の根本でありまする土地等に関係するものについては、立法院の権限以上のものである、従いまして、沖縄の民意が暢達されておらないで、日本の民法やあるいは土地収用法関係に比較いたしまして非常に過酷なものになって現われておる、こうゆう実情を伺ったのであります。これでは実際にお困りでありますことは法制上においても処置する道がないのだ、こういうような結論にならざるを得ないと思うのですが、いかがでございましょうか。
  20. 知念朝功

    知念参考人 お説の通りであります。琉球立法院にはアメリカが発布いたしましたところの布告、布令等を改定するという権限はないのであります。また布告、布令等に抵触する法規をも制定することはできないのであります。立法院としましては、アメリカの民政府と交渉をすることによって、立法院で立法をするから布告、布令等はのけてくれというふうに交渉をしていって、だんだん立法院の手にかかる立法によって布告、布令にとってかえようという努力をやっておるわけであります。
  21. 池田清志

    ○池田(清)委員 私ども沖縄が完全に日本に帰ってくるべく努力をいたしておりますことは御承知の通りで、ことにわれわれ自由民主党といたしましては、これを重要なる政策の一に掲げておりまして、この努力をしておるわけであります。しかしながら、これが一朝一夕にできるとは思いません。さらに努力を重ねていくつもりでありますが、現地の沖縄方々とされましてこれらの問題について、しかるべき御意見等ございましたら、この際ちょっと伺わせていただきたいと思います。
  22. 安里積千代

    安里参考人 たとい占領されておっても、軍事占領の継続しておりまする当時から、講和条約が締結される場合においては、占領状態がこのまま継続するようなことなく、行政権が日本に回復せられるようにということは、全住民の一致した意見でありまして、この点に関しましては、講和条約発効前から署名運動その他によりまして、条約三条によって沖縄が切り離されるという機運がありましたときにも、これに反対の運動を起してきたのでありますが、条約三条によってああいう状況になっております。従いまして、条約三条後、平和時におきまする情勢下にありましても、日本に行政権が返ることを沖縄の人たちは絶えず叫び続けてきたのであります。ところが、アメリカの一部にはそのことを喜ばない向きがありまして、直接的あるいは間接的にいろいろな弾圧があったこともいなめないのでありまして、これは彼らとしてまた無理もなかったとは思うのでありますが、われわれの民族的な叫びというものは切なるものがあるのであります。  さらに、経済的立場から言いますならば、日本とのつながりにおいて経済が維持されておるのであります。輸出の六五%以上のものが日本向けであります。従って、日本と一貫した経済状態にならなければならないということを考えております。  また、軍事基地の問題でございましても、われわれは占領当時からの既成事実の上にやむを得ないものとして認めてはきておりますが、しかしながら、それはやむを得ず認めておるのであって、基本的に講和条約の三条の後段をいつまでもアメリカが固持することによって、果して行政的な恒久的なものができるかどうかということは、はなはだ理論的にも疑義がある。むしろ私どもはそれを否定いたしておるわけでございます。そして、軍事基地の必要は認めつつも、それはあくまでも、条約三条から出てくる権利ではなくして、日本と特別な条約、たとえば安保条約あるいは行政協定といったような合法的な適用の上においてのみ正しいのじゃないかというふうに考えておるわけでございまして、今回の軍用地問題が起った場合におきましても、われわれは、基本的には行政権が日本に返ることによって合法的に築かれることが必要であり、今のように一方的に権力者のもとに赤子の手をねじるような方法によって基地を作るということは、国際信義にも反するものだと考えて、祖国政府に訴えておるわけでございます。
  23. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣君。
  24. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 三人のうち適当に御答弁いただきたいと思います。私は、日本弁護士連合会及び日本人権協会の調査によりまして、なお確かめたいと思いましてお尋ねをいたすのであります。  ただいまの御説明によりまして、米国民政府令百九号によって土地収用令なるものが施行せられ、そして強制的に土地収用せられるように相なったというのでございますが、先ほどの御説明によりますと、その坪当りの単価が非常に安い。五円四十三銭というようなことでありますが、この賃借金の評価はどういう基準によってしておるか、どういうふうに説明されておりますか、それを承わりたい。
  25. 安里積千代

    安里参考人 大体軍の方で基準にしているものは、軍の方は一方的に調査したものでありまして、軍の説明によりますと、所有権の移転の場合における登記価格を基準にいたしまして、その一〇%ないし五〇%を価格として、その六%というものを基準にしておるようであります。それと、一番初めは、前の日本勧業銀行に関係せられておった方が軍の要請で沖縄に来まして、その人の意見というものが大体価格決定の基準になっておると聞かされておりまするが、これもわれわれ民側におきましては全然知らないうちに出されたものであります。六%というのはアメリカにおける土地の価格の基準である、土地の価格の六%が基準であるから沖縄においても六%を基準にするんだというような考え方になっておるようであります。
  26. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、六%というものはアメリカと同じ基準であるが、結局において、原価、もとが非常に安い。自由人権協会及び日本弁護士連合会の調査によると、これはあなたの言った日本勧業銀行の当時の土地評価の帳簿に基いた。ところが、日本勧業銀行の調査なるものは、勧業銀行は終戦後土地についての行為は一切やっておらなかったのであります。ただ終戦前一九三八年ごろの十年あるいは二十年くらいさかのぼった台帳価格というものを持っておった、それをアメリカが基準として、それを原価として、その六%を賃料ときめたというふうに報告されておりますが、あなたはそういうふうに承知しておられるんですか。
  27. 安里積千代

    安里参考人 これは民側におきましては、先ほど申し上げました通り、賃料の評価について全然関係せられておりません関係から、わかりませんが、そういうふうに伝えられております。
  28. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、実際の現在の沖縄の時価と、その六%を基準にした登記価格——日本内地におきましても登記価格というものは実際の時価より非常に安い。これは常識でありますが、それとはどのくらい開きがありますか。たとえば、皆さんが土地をどうしても離さなければならぬということになった際に、せめて補償だけは時価相場というふうにお考えになった際に、今のアメリカのやり方というものがどういうふうに実際とかけ離れておるか、それをわれわれは知りたい。
  29. 翁長助静

    ○翁長参考人 その件について調べたのがございますので、ちょっとお知らせします。最初に都市地区、那覇の郊外地区でございますが、軍の方で、住宅地の一つの例を申し上げますと、軍単価が四十七円二十八銭、こういうふうに言われておりますのを、住民の時価の要望は、いいところが三百円、その次が二百四十円、こういうふうに四十七円対三百円というように大きく離れております。さらに、僻地の沖縄の北部の方では、軍の方で、ただの五十二銭といったような軍単価でありますのを、住民側は十三円を時価であると言っております。こういうようなことで、これは二十六倍近い離れをしております。都市地区における一例と僻陬地における一例を申し上げまして、大きな距離があるということを御理解願いたいと思います。
  30. 安里積千代

    安里参考人 補足いたします。具体的に現在どういう契約をされておるかという数字的なものをもって御説明を申し上げたいと思います。  まず沖縄の越来村における五百戸を対象にしました調査でございますが、現在、土地を取られまして他に移住したためにそこにほかから土地を借りなければならぬ人々が、その主に払っておりまする年間の平均が、ドルに換算して四十六セント、沖縄のB円にしまして五十五円三銭であります。ところが、取られた軍用地から幾らを受け取っておるかといいますと五円四十一銭であります。従いまして、先ほどの五十五円三銭と五円四十一銭を比較しますると、今軍は十分の一しか払っていないということになります。  さらに、具体的な例でありますが、同じくアメリカに住宅を供すために財団法人として住宅公社というのができておりますが、これは年間一エーカー当り六百十二ドル八セント支払っております。これは住宅公社が土地所有者に対して払っておるものであります。ところが、すぐその隣の軍の敷地、病院の敷地でありますが、これに支払っているのは一エーカー当り五十二ドル三セントであります。従いまして、ここにも十何倍かの差ができております。  それから、アメリカ個人に対します自由契約によるところの借地でありますが、この個人的に契約しているのが一エーカー当り六百十二ドルから百二十二ドル十七セントでございますが、そのすぐ隣の軍用地は幾ら支払われておるかといいますと、五十二ドル三セントしか支払われていないという状況であります。  それから、日本の国有地といったようなものはアメリカ自身が管理をいたしておりますが、この管理しておるものを一エーカー六百十二ドルでさらにアメリカ沖縄人に貸しております。ところが、沖縄の地主から隣地の軍用地として借りているものは八十二ドルである。  こういったようなことでありますので、約八倍から十倍、逆に言いますと八分の一から十分の一程度にしかなっていないという結論が出て参ります。
  31. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今のお答えを総合いたしますと、軍用地に取られた沖縄住民が他の沖縄住民から借りる場合に、ほとんど取り上げられる十倍以上出さなければ借りられない、それから、同じアメリカ個人に貸した場合と軍の場合とでも非常な差異がある、また、アメリカの管理地を沖縄が借りる場合と、軍が沖縄土地を借り上げる場合においても非常に違いがある、それが八倍から十数倍の違いがあるということに相なりますわけですね。
  32. 安里積千代

    安里参考人 そうであります。
  33. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、土地収用令の第二条を見ますと、とにかく決定すると三十日以内に諾否を通告しなければならない、諾否を通告しないで黙っておればそれは取り上げを承諾したものとみなすという規定になっております。そこで、その価格について反対の者は反対の申し立てをすると、この土地収用令によりますと、沖縄列島米国民政府土地収用委員会で審議をすることになっておるのですが、この収用委員会というのは何人で構成して、その委員は何人がこれを任命されているのですか。
  34. 知念朝功

    知念参考人 この委員は三名で構成されておりまして、二人は軍人、一人は軍民ということになっておるのであります。すべてアメリカ人でありまして、沖縄の人はこれには参加していないのでございます。
  35. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ところが、この布令を見ますと、かような異議の申し立てをして収用委員会で審議をしている際でも、軍が必要と認めれば土地の明け渡しを断行できるようになっておるかと思うのですが、実情はどうなんでありますか。
  36. 知念朝功

    知念参考人 やはり、収用令に基きまして土地所有者収用委員会に対して異議を申し立てておる期間中でも、この収用委員会の審議の進行にかかわらず土地は現実に接収をやっておるわけでございます。結局収用委員会の査定の結果を待たないで収用をやっておるということになるのでございます。
  37. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、この収用委員会なんというものは、アメリカ人で構成して、しかも審議中でもどんどん取り立ててしまうというのだから、ほとんど形式的のものですね。大そうありがたいものだとは思われませんが、皆さんどうお考えになりますか。
  38. 安里積千代

    安里参考人 収用令で明らかでありますように、異議を申し立てるのは、ただ賃貸価格についてだけでございまして、収用の内容その他については全然異議の対象になっておりません関係からいたしまして、われわれといたしましては、こういうような押しつけられたものに対して非常な不満を持ち、われわれ、この法令は財産権を尊重するという自由諸外国におけるところの基本的な問題からそれているものであるというふうに、非常な不満を持っております。
  39. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それから、先ほどのお話では、労働者が十万人ばかりある。しかも、自由人権協会の調査によると、その八割は土地を取り上げられた農民であるというふうになっておりますが、この労働賃金ですが、一体賃金はどのくらいになっておるのか、その点、及びこの調査を見ますと、アメリカ人、フィリピン人、沖縄人、みな労働賃金が差別があるというふうに報告されておりますが、その実情について承わりたい。
  40. 安里積千代

    安里参考人 十万人とおっしゃいましたが、さようにはちょっと申し上げなかったと思いますが、大体一九五二年には七万人と言われております。私の今言ったのは軍関係でございます。軍の関係を対象に申しますと、米軍の雇用数が一九五二年の調べでは約七万人、五五年には五万一千人に減っていると言われております。工事の完成につれましてこの数は漸減するものと見られております。  労務者の賃金につきましても、公式に統計資料として発表したものはありませんが、五四年の四月に琉球政府の統計部で発行いたしておりまする推定でありますが、金額によりますと、月にいたしまして、B円でありますが、平均三千三百八十八円、ことしの五月に調査しましたところ、幾らか上っておりまして、これでB円の三千七百六十一円ということになっております。日本におきまする同じ軍関係の労務者を、正式な機関を通じてでなくして、われわれ独自の立場で調べたところによりますと、同種の日本における軍労務者は、B円にしまして約六千円の勘定が出ておったのであります。従いまして、沖縄の場合における軍労務者と日本において軍関係に働いておる労務者との比較をしてみますならば、日本の半分近い安いものであるということが言われるのであります。それから、時給制度をとっておりますので、国別の時給の賃金を計算してみますと、今われわれが持っておる資料では、アメリカ人の最高額が日本円で二千三百八十七円、最低額が四百三十二円、フィリピン人が、最高千三百五十七円、最低が二百二十一七円、日本本土出身の方が、最高額四百六十八円、最低二百九十九円、沖縄人の場合におきましては、最高が百三十円、最低が三十六円、こういった数字でございます。これを比較してみましても非常な差別がついておるということだけは明らかでございます。
  41. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 一九五三年の琉球政府統計局の統計よると、五人家族、つまり夫婦と子供三人の家族の生活費が平均七千六百三十三円となっております。そうすると、今の三千円平均のベースでは生活が立たぬと思われるのですが、どうでございますか。
  42. 安里積千代

    安里参考人 おっしゃる通りでございます。それでありますがために、先ほど一例をあげましたように、女、子供も何らかの稼ぎをしなければならないという実情でありまするし、那覇の市場をごらんになればわかることでありますが、そこに働いておる人々というのはほとんどが女である一わけであります。たとえば軍に対して飲料水を売るとか食堂をするとかいったようなサービス業による他の面を考えなければ、これだけの賃金ではとうてい家族の生活を維持できる状況ではございません。
  43. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それから、土地を取り上げられた人間は、労務者に変っても、軍の支払いが非常に少いために生活困難になるのだが、このアメリカの軍事基地なるものは来年あたり完成して、労務の雇用もなくなるというふうにわれわれ聞いているのですが、さようなことが現地にないのか、土地を取り上げられ、しかも働くこともできないということになったら一体どういうことになるのであるか、この点について皆さんの心境をお聞きしたいと思います。
  44. 知念朝功

    知念参考人 アメリカの基地の施設構築のための労務がだんだん減少していくということは現実でありますし、将来完成に近づくに従って減るし、完成すればこういう種類の、いわゆる一般的な労務に関しましてはアメリカ側において需要がなくなることは火を見るよりも明らかであります。ただ、アメリカとして現在言っていることは、沖縄人を技術訓練して技術者として雇用したい、将来アメリカが施設内において運用する機械類の運転等に沖縄人をもって当てたい、それから、現在フィリピン、シナ等からいろいろのサービス業をする者が来ておるのでありますが、こういう仕事も沖縄人にさせたいと言っております。しかしながら、一九五二年に七万人おったのが、今年あたりは五万人に減って、だんだん減っていく、こういうふうな多数の労務者が業を失っていくということは当然のことでありまして、これが処置についてどうするかということも、今言ったように技術者を養成するとかサービス業に切りかえていくとかいう努力をしたとしましても、根本的に失業問題を解決できないという実情にあります。それがためにいろいろ産業を起さなければならぬ。こういうふうに、軍の雇用からあぶれた者を吸収する施設をあるいは企業を至急考えなければならぬということになっているのでありますが、それが思うようにできない。こういうふうにして、八千名も新しく労働力が市場に出される。一方では雇用が減少してくる。一体失業の問題はとうなるかということが琉球の政治におきまして大きな問題になってくるというふうに考えているのでありますが、まだこの問題を根本的にどうするという点が十分把握できていないのであります。将来移民を奨励するとか、先ほど申しましたように新しい企業を起してそこに労働力を吸収するというふうなことも考えているのでありますが、決して明るい希望の持てる状態にはないのでございます。
  45. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 講和条約発効以前にも農地を取り上げられ家を収用されて相当の損害を受けている。これについては何かの補償を受けましたか受けませんか。
  46. 知念朝功

    知念参考人 対日講和条約発効前にアメリカ琉球人々個人財産に損害を加えたことに対して、補償は何もしていないのであります。
  47. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 実は在京の沖縄出身者の団体から私のところへ訴えて参りました詳細なる条約発効前七カ年間の損害の計算が来ておるのであります。これは総計すると百七十億円に達しております。これに対して、農地の坪数から、収用された建物、貯水タンク、立木等、その金額、補償金額もみな書いてあります。今は時間がありませんからやめますが、そうすると、結局こういう莫大な損害は今日何らの補償を受けておらぬということでありますが、一体琉球政府はこれに対してどういう態度をとっておりますか、皆さんが承知したところを……。
  48. 安里積千代

    安里参考人 アメリカは、講和条約によって日本国民がこれらの請求権を放棄しているから、責任はない、こういうふうに言っております。従いまして、琉球政府といたしましては、アメリカ沖縄に対して賠償する義務のないということが果して法的に正しいかどうかということにも疑問がありますが、しかし、一応アメリカ自分たちの責任ではないということでありますので、結局日本政府としてどういうような扱いにおいてかこれに対して支払っていただかなければならないという考えを持ちまして、立法院におきましてもそれらの調査並びに請求につきましてお願いをすることになって決議もいたしております。ただし、われわれが非常に制約を受けますことは、琉球政府は一切の外交権がないということを冒頭に布告で示されておりますので、日本政府にこれを要求するにいたしましても、琉球政府の名においては、外交権がありませんので要求ができないのです。従って、何らかの民間的な組織をもってお願いをして、日本政府のこれに対する積極的な出方に期待する以外には、琉球政府としては正式に請求するといったようなことができない状況でございます。
  49. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 最後にお尋ねしますが、これは御存じのように、平和条約第三条は、原則として沖縄アメリカが信託統治にしようと思えば日本はいつでも同意しなければならぬような条約になっておる。そこで、今沖縄住民は、アメリカ人でもない、そうして日本の完全な保護も受けておらない、アメリカの市民権もないというまことに妙な立場にあると思うのです。そこで、皆さんの一般の世論と申しますか、決意と申しますか、お聞きしたいことは、この信託統治というようなことは、法的には相当はっきりしたものが出てくるわけですが、住民は信託統治というものを好んでおるかどうか、あるいは、こんなに苦しくてはしようがないからアメリカへ移住せしめる、アメリカは豊かな国だというからアメリカへ移民をするというようなことに対して、住民は希望があるのかないのか、その点を承わりたいと思います。
  50. 知念朝功

    知念参考人 お答えいたします。沖縄人は信託統治に移されることを望んでおりません。沖縄人全体は、民族的にもあらゆる点からも、日本の施政のもとに帰らなければならない、祖国に戻るべきだというふうに考えておるのであります。それから、アメリカが豊かな国であるからそこに移されればいい、あるいはアメリカに住めるようになればいいというようなことも考えてないのでありまして、われわれがほんとうに望むのは、この講和条約第三条の前段による信託統治もいや、後段による現在の統治もできるだけ早く日本に返してもらわなければならぬというふうに考えております。
  51. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なお最後にお聞きすることは、もしアメリカが軍事基地そのものがどうしても必要ならしいて反対しない、日本の内地と同じように、やはり日本の統治権の及ぶところにおいて一定の地域アメリカの軍事基地として提供するというようなことならばしいて反対しない、こういうことになる一わけですか。沖縄住民の世論はどういうところですか。
  52. 安里積千代

    安里参考人 現在沖縄におきましては軍事基地反対という声はあげておりません。しかし、軍事基地を使うならば、権能者が直接今の八十万の被統治者に向う、いわば抵抗するにしても力の弱い、また権力も持たない、そういった立場において一方的になされるところに非常な不満があるのでありまして、日本にも基地があるわけでございまするので、行政権が日本に返ったって、沖縄の基地を保持することは可能ではないか、それが合理的ではないか、そのことによって住民権利もまた十分保護せられるのではないか、国家の力をもって主権国の保護のもとになされない限り、完全な土地問題、軍用地問題の解決はあり得ない、だから、基本的には日本に行政権が戻って、独立国日本、独立国アメリカと対等の立場においてこの問題を合法的に処理していただくことが正しい、だから基本的には行政権が早く日本に返るようにということが沖縄住民の望みであります。
  53. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 一点だけお尋ねいたしますが、先ほどもあなた方からお話を聞きましたし、私どもの調査にも相当出ておるのです。アメリカの軍人の沖縄住民に対する不法行為、ことに刑事事件であります。ひどいのは昨年の九月幾日かに行われました永山由美子という六つの子供の強姦、絞殺事件、これは締め殺されて捨てられておったのであります。昨年の十月ごろ私ども沖縄飛行場に二時間ばかりおったのですが、そのときもこれを聞いたのです。沖縄住民が非常に憤慨して、新聞記者が言葉をふるわして私どもに話を聞かしたのですが、そのほか昨年の九月四日から十四日までの間に驚くべきかような傷害、暴行、殺人事件が六件行われた。こういう事件につきまして、一体いかなる処理をしたかということをアメリカ政府は何らかの形で十分に発表しておるのですか、これがどうなったか全然わからないでおるのですか、その模様をちょっと聞かしていただきたい。
  54. 安里積千代

    安里参考人 まず、基本になっております法の形から申し上げなければならぬと思いますが、琉球裁判所におきまして取り扱う事件は、アメリカ人やその他の外国人に及ばないのであります。日本人には及んでおりますが、その他の者には及んでおりません。また、警察でございましても、アメリカ人の犯罪に対しましては、たとえば殺人とかあるいは傷害とか、こういったようなものに対する現行犯につきましては逮捕権が認められておりますが、直ちにこれはMPに引き継ぐというような状況になっております。従いまして、アメリカ軍人、軍属等の不法行為については数多くあるのでございますが、これらの問題につきましては民機関は関係をいたしておりません。しかし、先ほど申しましたように、警察関係には連絡があるようでございます。こういう事件があったということについて、昔はなかったのでありますが、現在は起った事件そのものについての連絡と申しますか、通報だけは警察にあるようでありますが、その処理につきましては全然無関係状況であります。従って、軍用地内におきます沖縄人の犯罪はもちろんのこと、アメリカ人が部隊外において勤務外において沖縄人に与えた暴行、脅迫、いろいろな犯罪につきましては、それが結論的にどういう処理をされたかということについては公式に何も別に知らされません。ただこういう事件があったということだけは警察に連絡はあるのでございます。従いまして、その補償という問題につきましても非常に困るのであります。法規的には、たとえば自動車事故が起って過失の責任がある場合に損害賠償をする、賠償を求め得るという筋道はあるのでございますが、実際の場合におきましては、その取調べをするのはMPである。そうした場合には、過失の有無というようなことが一方的になされることによりまして、過失がなかったと認定されて、賠償の請求も、これも裁判所に訴えるのではなくて、陳情の形式でやるのでございますが、これもできるような道が設けられてはおりますけれども、実際的にこれがなされてないという実情でございます。
  55. 古屋貞雄

    古屋委員 関連して。安里君にお尋ねしたいのですが、スクラップを拾いに行って射殺された事件がございましたが、私どもが新聞や世界自由労連の調査した写真を拝見いたしましても、なお、翁長さんの御供述の中に、従来十万戸の家があったのに三千戸しか残っていなかった、その三千戸のあと農民の居住家屋に対する敷地が軍用地収用される場合に、これをブルドーザーでひっくり返したり焼き払ったという、この記録なども私ども承わっておりますが、私どもが人権問題で一番感じますことは、前に安里君もおっしゃられたスクラップの問題もさることながら、三千戸の中の一部としての居住家屋の敷地が軍用地にされるために、異議の申し立てについては賃料、補償料に対する異議しか言えない、そうしてこれを強制的に取られてそのままテント生活をしているという写真を私ども拝見しておるのです。あるいは小学校に移されてそこで生活している。この問題は、私どもから考えますならば、単に家を奪われるという問題でなく、居住地をなくされ、耕作地をなくされ、学校やテントで生活しろという結果になりますと、これはお前たち死ねということになって、殺されるのと同じようにひどいと思う。そういうような事実が伊江島の問題それから伊佐浜の問題のときに行われたということを承わっておるのですが、そういうような事実はございましたでしょうか。もしありましたら要点だけをお話し願って参考にしたいと思います。これは人道上重要な問題です。
  56. 安里積千代

    安里参考人 今のテント小屋のお話は伊江島の場合の実情であります。その通り間違いございません。それから学校に収容した問題は伊佐浜の場合でございます。学校がちょうど休み中でございましたので、一応学校の方に収容をいたしました。そうして強制的に取った家財道具というものは浜辺に野積みされておった実情を私ども目の前に見ております。その後学校の授業が開始になりましたので、ほかの方に家を作って、そこに住まっておりますが、ただ一戸だけがかわらぶきの家を作っております。これは、この間自由労連の方々などが調査に行かれましたときに、二月だけはかわらぶきのりっぱな家が建っておる。これはどうしてかと言いますと、住民たちが、もう普通の人の住居はちょっと風でも来れば吹き飛ばされて大へんだ、だから一戸だけはみんなの避難場所として厳重に作っておかなければいかぬといって、みなが金を出し合って一戸だけは堅固なものを作った。あとのものは風が来たら吹き飛ばされるという危険にさらされている実情であります。  そこで、関連しておりますから、ちょっと申し上げておきますが、今の新規接収されようとしております予定地の一万二千エーカーのうちには、現に村の大部分を占めておるところの区域が入っております。おそらくこれにひっかかるのが五百戸近くあると見ております。二千に余る。これは西原村でありますが、学校はもちろん、製糖所その他の施設、部落のほとんど全部を取られるというのが新規接収の予定地のうちに入っておるわけでございます。過去の事例からいたしましても、もしこれが強行される場合には非常なことが行われるのではないかというふうに私どもは心配をいたしております。
  57. 古屋貞雄

    古屋委員 そういう工合に家を追われ土地を奪われ、今お話のございましたように、一軒くらいかわらぶきの家が建ったというような人々の措置について、おそらく住民の諸君は生きていくための痛烈な要求をされたと思うのですが、軍政府並びに民政府においては何かこれに対する処置をされておるのでございましょうか。それとも、今のようなわずかな賃料だけを支払って、あとは放任されているのでしょうか。その点をどなたか適当な方に現状のままをお聞かせ願いたい。
  58. 翁長助静

    ○翁長参考人 私の市におきまする実情について申し上げますと、立ちのきは絶対聞けということで、伊佐浜伊江島の例もありますので、いろいろ妥協案が出まして、結局試験場内の一部の土地を三十坪ないし三十五坪ほど借り受けまして、そこは県有地でありますので、比較的土地が借りやすいし、また借地料も安うございますので、そこへ行った。それから、旧家屋の賠償が、住民の要望する約四割ないし五割くらいの金はいわゆる補償費といたしましてあったわけであります。それと、石垣その他井戸などの屋敷に付随する施設、そういったものが建築資金の一部になり、従来あった家をこわして持っていったのであります。ところが、その家も建っているときにはなるほど雨露をしのぐという程度の住居に耐えられますけれども、こわしてしまうとたきぎにもならぬといったような状況で、家を作るのにも、さらに、復興金融金庫がございますが、そこから借り受けて作ったりしまして、もと二千坪、千五百坪と農耕地を持っておった者が、家と土地を失いまして現在三十坪くらいの屋敷内で生活をしております。生活保障も六カ月間は行われました。これも実際の費用の約半分程度の補償が行われましたが、現在は、半カ年を過ぎてしまいましたので、ありません。そこで、さっき申し上げましたように、日雇いその他の仕事、あるいはサービス業も行き詰まっていますので、それのまた使用人といったようなことなどで暮しております。伊佐浜のごときは、遠く自分の村を離れましてよその村に行きまして、政府の援助によって小さなバラック建てを作ったりして、農耕地も今から耕やして一年後にはどうやら耕作できるかといった状態でありますが、保障につきましても半カ年くらいで打ち切られまして、その後は自分たちの親類縁者からの借金や家族総動員してのそれぞれの細々ながらのかせぎによって生活しているというのが現状でございます。
  59. 古屋貞雄

    古屋委員 そうしますと、家を取られ土地を取られ、わずかばかりのところへ押し込められて自由労働者のようなことになってしかも安い労銀をもらっておって非常に生活に困っておるのだ、こう承わっていいですね。
  60. 翁長助静

    ○翁長参考人 さようでございます。
  61. 高橋禎一

    高橋委員長 世耕弘一君。
  62. 世耕弘一

    世耕委員 委員諸君から詳しくお聞きになったあとでありますから、私は残りの数点だけをごく簡単にお尋ねしたいと思うのであります。  私の手元にある資料が少し古いので、二、三点念のためにお尋ねいたしますが、現在沖縄の人口はどのくらいございますか。私の方から申し上げてもいいのですが、私の手元にあるので、総人口七十八万五千七百六十六人、男三十七万五千三百十六人、女が四十一万四百五十人という内訳が出ている。大体この数字に違いございませんか。あるいは増減等がございましたら簡単に説明して下さい。
  63. 知念朝功

    知念参考人 一九五五年の十二月一日現在の調査で、ちょうど半年くらい前になりますが、七十九万九千二百八十一人になっております。申されました数字よりふえてきているわけでございます。
  64. 世耕弘一

    世耕委員 沖縄の島民諸君の祖国愛並びに郷土愛のために熱烈な運動を展開するということに対しまして、われわれは深い尊敬の念で頭を下げるのでありますが、特に今参考にお尋ねいたしたいと思うことは、人民の自由民権の問題でございます。これはかなり深刻に伝えられておるのでありますが、政治的ないわゆる圧迫と、それから経済的な圧迫、この両面からお尋ねしておきたいと思うのであります。政治的な面の問題は、国際的ないろいろな関係があるから簡単にお話を承わることはできないと思うのですが、経済面の圧迫、特に人道上許しがたき経済上の圧迫等に関して、何か特殊な事情があれば伺っておきたい。しかし、今猪俣委員からいろいろな観点からお尋ねしておるのにお答えがあった程度であれば、重ねて私からはお尋ねすることを差し控えたいと思いますが、そのほかに何か特につけ加えておっしゃっていただくことがあれば伺っておきたい、かように考えております。  なお、もう一点、質問を簡略にする意味においてお尋ねいたしたいが、たとえば具体的に申しますと、言論の自由、居住、移転の自由という問題が当然考えられるのであります。その点に一ついて、たとえば日本へ復帰の陳情を目する陳情書に判をとって回ると圧迫するとかなんとかいうことがあるということをここに報告を受けているのですが、卑近な例として、皆さんが国会へ陳情なさる場合に、それを防止とか阻止するようなことがなかったかということを、この際あればお聞きしておきたい、こう思うのであります。
  65. 安里積千代

    安里参考人 先ほど申しましたように、露骨な政治的圧迫というものは、民主主義の名において彼らが政治をしておりまする関係からして、その名においてもまず露骨にはないということを申し上げることができると思います。ただし、過去において幾つかの事例はあるわけでございまして、その一例を申し上げますと、一九五三年、昭和二十八年の四月に立法院議員の補充選挙が行われたのでありますが、その際に野党側の統一候補が非常な差をもって勝ったのであります。軍はこれに対しましてくだらぬことでけちをつけまして、この選挙は無効だということで、全部その選挙をやり直しさせられたというようなことがありました。その当時、私たちは、これは全く民主選挙の名にそむくものであるとして、植民地化反対闘争委員会というものを作って闘争を開始したのであります。選挙権擁護の大会などもやったのでありますが、直ちにこの委員会は解散を命ぜられました。そのかわり、住民といたしましては、かような不当な選挙干渉に応ずることはできないとして、再選挙のときに、どの政党も候補者を出さぬとして実に見事な拒否をしてやったのであります。仕方がないからまたさらに選挙期日を五十日後と告示をして、このときは無所属から一人出まして、無投票で送ったという事実があるのであります。あるいはまた、ある政党は共産主義の同調者であるとか、共産主義に通ずるものであるといったような声明を出したり、あるいはそういった選挙に対しまする、露骨な形ではありませんけれども牽制があるということは争えないのであります。  経済的圧迫につきましても、これはアメリカ経済の福祉をはかるということを看板にいたしておりまするから、これまた経済的な圧迫ということは目立たないのであります。しかし、底を流れておるものはどこまでも基地経済でありますがゆえに、実際の経済の一切の権限、のど首は結局アメリカ軍が握っておるということになるわけであります。大きな問題は、先ほど言いましたが、金融機関はアメリカが握っておる。従って、アメリカにちょっとでもにらまれた場合には、金融を受けることができない。これはもう大きな経済的圧迫です。あるいは、言論機関でありましても、大きな資本を要します。社屋を建てるにいたしましても、機械を購入するにいたしましても、相当な資本を要します。言論機関に対して圧迫があるとは私は思いませんけれども、圧迫なしで、事実はこういった経済面におけるところの力に大きく牽制される余地があろうというふうに考えております。  大実業の場合はそうでありますが、さらに基本的な問題といたしまして、アメリカはわれわれに非常に大きな福祉をもたらしておる。たとえて申しますならば、自動車の数、これは決して東京に劣らぬくらいな数を持っております。二、三年前の統計でございましたが、バスの数は、人口十万当りで調べてみますと世界第一位になっています。トラックの数は世界第二位。乗用車の数は、一番がアメリカ、二番がイギリス、三番がフランス、四番がスイス、五番が沖縄。これはその当時調べておった数字でありますが、これなんか非常に多い。これから考えてみますと、経済上の生活水準は非常に高いように見える。しかし、これを政治的あるいは基本的に考えてみますならば、油を入れておるのはカルテックス一社であります。たとえば、プライス勧告にありますように、軍事がすべてに優先するという面が出て参りますならば、軍事上の必要から民需用の油を制限するならば全部ストップしてしまう。あるいはまた、電燈設備にしましても、戦前よりりっぱになっております。これはアメリカが復興したと言われるかもしれません。しかし、それも軍の余剰電力を民間に供給しておるのでありますから、これも軍事優先の立場から、軍事上必要であるがゆえに民間に対する電気を制限するといえば、これは全部ストップしてしまう。あるいはまた、基地経済に生きておりますがゆえに、オフ・リミットでアメリカ兵の出入りをとめる措置がかりにとられたといたしましたならば、そこのアメリカ人相手の販売業者であれ、あるいはその他のサービス業者であれ、ストップして経済的にすぐ困るということになります。あるいは、現に特免商人としてアメリカ資本によって商売人が入ってきております。この特免制度は六月までに廃止するということであったのでありますが、最近、私どもが来ましてから後また五、六軒許されたという話でありますが、確実な数字は覚えておりませんけれども、六、七軒はあったのではなかったかと思います。これらの人々アメリカの特免業者として免税その他の特別措置をもらっております。その大部分というものは物品販売業で、沖縄の人でもできるところの事業である。そういうものを入れることによって、やはり経済的な圧迫が行われるということになるわけであります。  そういった点から考えてみますと、経済的圧迫も表向きにはあまり出てこない、むしろ表向きには沖縄人生活水準が高くなって、戦前よりりっぱになったように見えながら、そののど首を締めればいつでも締められる、いつもまな板の上に載せられているような状況であると見なければならぬと思います。  なお、ついでに申し上げておきますが、アメリカ政府が琉球政府に対しましてどれだけの財政的援助を与えているかという数字が最もよく物語ると思うのであります。これは五七年度、つまり本年の七月一日から新年度がアメリカ式に始まりますが、この新しい年度の予算が、私の来るまでに要請されたのが二十三億B円でありますが、アメリカ政府が琉球政府に財政的援助として与えられるものとして、ひもつきに組まれておりますのが二億五千万円であります。この二億五千万円のうちで一億六千万円というものは、見返り資金すなわち占領当時ガリオアでもって物品で送られたものが、沖縄の人民から金が回収された、いわば沖縄人々の血と汗の結晶によって積み立てられた金です。アメリカの国民に対しては、ガリオアで送られた、ただ一回しか負担をかけておらない金でありますが、これが一億六千万円、新しくアメリカ国会から、つまりアメリカの国民の負担において送られておるのは九千万円ということになっております。これが純然たる五七年度に対しまするアメリカの負担において琉球政府の財政に与えられておる援助の金であります。二十三億円のうち、たった九千万円、しかもこの裏には何があるかといえば、お考え願わなければならぬことは、司法院の、つまり日本の県でありますならば当然日本の国家が持っておるべきところの司法部の費用負担は、どこの国でも県民が負担しておるはずはありません。郵政関係の費用も一府県が負担しておるはずはありません。これらのものも全部一つの県として琉球人々の頭にかぶさってきておる。アメリカ政府の援助というものはわずかな金しかないといったようなことでありますので、こういった点から見ましても、われわれは財政的にもアメリカの援助によって住民の福祉をはかる面が非常に少いのだということが裏づけられるのではないかと考えております。大へん御質問に敷衍したようなことでありますが、そういうことであります。  それから、ここに来ますについては、圧迫はございませんでした。しかし、以前、私、五二年でございましたか五三年でございましたか、いろいろな問題を調査いたしまするために日本に出張の決議をいたしましてやりましたが、これはそのとき。パスポートをとめられました。それから、一昨年でありましたか、やはりいろいろな調査、ことに講和条約発効前の補償の問題などにつきまして、日本政府ともいろいろ打ち合せをし、調査に行きたいということで、出したのでありますが、これも公費を使っちゃいけない、これは外交権がないからいけない、公費を使ったならば。パスポートは出さない、しかし私費ならよろしいというので、数名の議員が私費を使って参ったことがあります。また、昨年学生が帰省をいたしまして、その学生が何かだれかに頼まれた荷物の中に、本人は全然知らなかったが「アカハタ」が入っておったというので、CICの取調べを受けて、また次に出ていくのに差しつかえがあった。また、日本における学生の行動について、何かCICの情報が入っておったのでありましょう、好ましくないと思ったのか、その学生の再パスポートを出すのに半年もおくれたという事実があります。居住の自由とか、言論の自由につきましては、案外これは認められておりまして、自由にしゃべれるようになっております。
  66. 世耕弘一

    世耕委員 行政権を握っておるものは、自然治安その他も権力を持っておるというので、国民の生活保護も責任を持つということは世界共通のものであります。そういう建前から、もし国民の自由並びに一般の人権をじゅうりんすることがあるとするなれば、占領下であろうがなかろうが、これは世界人権宣言に基いてお互いが天下に要求して少しも差しつかえないものだと私は思うのであります。こういう意味から見て、民主主義の国とみずから名乗っておるアメリカ、世論の国ということを伝えられておるアメリカに対しては、できるだけ世論を高く持つことが必要であろう、かように私たち考えておるのであります。この点に関しまして、二十九年の三月にニューヨークの国際人権連盟議長M・ボールドウィンという人が沖縄の問題を取り上げて相当活躍してくれたように報道されておりますが、なおその後もあなた方と緊密な連絡をとって沖縄人民の生活権その他の人権の擁護に対して協力をしていただいておりますか。それとも連絡はございませんか。ただ、こういうことをお尋ねすることは、往々にして、日本の軍にも例のあったことだと思いますが、軍人の統治下においては、ややともすると人民圧迫というような例が多いのであります。さような場合には、直接本国に訴えるなり、あるいは本国の世論を起して、正しい人権を擁護させるという道がこれまでも講じられておると思うのでありますが、幸いにこういう有力な団体の連絡があったということが報告書の中に一つ出ております。その後もそういう方面について十分の御連絡をされておるかどうか、参考に伺っておきたいと思います。  それと、もう一つ、結論する意味において、二つばかり重ねてお尋ねいたします。沖縄島民の食糧問題がどういうふうに解決されておるかということと、それから、沖縄における状況一つとして、混血児が二十人に一人の割合だということが報告書の中に出ております。一九五三年の十月現在で二百五十名を突破しておる、こういうふうなことがここに出ておるのですが、そういう混血児の生活権やあるいは保護等に対して、アメリカ政府はどういうふうな処置をとっておるか、小さい子供にとってかなり大切な問題だと思います。同時に、それに関係する婦女子の生活権並びに保護、これは大きな人権問題として国際的にも取り上げらるべきものだと思うのであります。この点はどういうふうになっておるか、この点だけを伺って私のお尋ねすることを終ります。
  67. 安里積千代

    安里参考人 ボールドウィン氏とは別に連絡はございません。日本人権協会を通じましていろいろ資料などをお送り申し上げておりますが、直接関係はございません。  それから、食糧問題でありますが、現在私どもは食うには何も困っておりません。一般的に食糧そのものには不自由はございません。もちろん金さえあれば十分買い得るのであります。これは、米は主としてビルマから入れております。アメリカの援助によりまする食糧会社が一つありまして、最近またそれと関係ない別個の会社を許したのでありますが、これまでは独占的な一つの会社の手によって入れられておったわけでございます。  それから、混血児の問題であります。この確実な数字は握っておりませんが、今おっしゃいました数字よりももっと上回っております。これに対する特別な保護は何もないと申し上げていいと思います。また、アメリカがこれに対して特別に何らかの関心を持っておるかというと、全然ないと申し上げていいと思います。それで、おっしゃる通り、軍政下にありまして軍人が政治をしておりますが、食物も金さえあれば食うには困らないという状況でありますし、民主主義の名において一応自由が認められておるということになっております。これは日本の軍閥時代の姿から見ればいいでございましょう。しかし、ここで私たち申し上げたいことは、沖縄生活は食糧もあるじゃないか、あるいは着るものも着ているじゃないかというような考え方は、根本的に誤りであると思っております。例はあるいはふさわしくないかもしれませんが、最近は、牢獄の中の生活であっても、囚人の生活であっても、民主的に非常に守られておるはずである。食うだけには心配ないというならば、牢獄につながれておる囚人が最も生活が安定しておるものだと言えるのであります。私たちが失業の苦しみやあるいは危険の前にさらされたり、あるいはまた人権が無視されておるしゃばの状況以上に、むしろ囚人の生活は食うに困らない安定した生活と言えるわけであります。ただ違うことは、因人の生活は、牢屋の中に限られた自由はあるかもしれないけれども、その回りを取り巻いてある高いへいが彼らの自由を奪っておるという点にあると思うのでございまして、例はふさわしくないかもしれませんが、われわれは今牢獄の中におけるところのある意味における安定した生活と言うことができるのじゃないかと思うのでありまして、基本的な自由のワクというものが厳として存在して、それからは一歩もはみ出すことができないという状況にある、こういうふうに例を申し上げることができるのじゃないかと思います。
  68. 世耕弘一

    世耕委員 なお、ちょっと落しましたから、二点だけお尋ねしておきますが沖縄では日本の国旗の掲揚を許されておりますか。それと、もう一つは、島民が進んで日本の国旗を出すことを好んでおられるかどうかということ。もう一つは、将来沖縄の発展のために新しい事業を起すとすれば、どういう事業を計画されて、それに対する資金はどういうふうな資金を投入したら沖縄島民をして幸福ならしめ得るか、この二点だけを簡単にお尋ねしておきます。
  69. 知念朝功

    知念参考人 日の丸の問題についてお答えしますが、最初は日の丸を掲揚したらたしか三千円以下の罰金または三十日以内の懲役に処するというふうになっておったのでございます。それが改められまして、現在はそういう規定はないのでございます。しかし、日の丸を掲げることは官公署においてはできない。学校とか役所、そういうところにおいては日の丸を掲げることを禁止しております。実際私たち日の丸を掲げるのでありますが、祝祭日——おもに掲げるのは元旦でありまして、沖縄人として日の丸を掲げるのを非常に喜んでおります。やはり日の丸が多く掲げられているところは大体町の空気が違う。非常に明るく見えるということも事実でありまして、沖縄人自体が日の丸を掲げることを非常に喜んでおります。ただ、しかし、学校等あるいは官公署等において日の丸を掲揚するということは許されないことになっております。  経済的な点につきましては安里参考人からお答えいたすそうです。
  70. 安里積千代

    安里参考人 本来沖縄は戦前も農業を主とした国であります。狭いところである関係から、そんなに資源のあるものではありません。そこで、基礎産業というものが破壊されております関係から、どうするかという問題につきましては、アメリカの方は工業に切りかえろと言っております。しかし、工業に切りかえる余地が果してあるかどうかということに対しましては、私どもは、疑問を持っております。現在農業といたしましてはやはり砂糖でありますし、最近においてはパインが非常に進出をいたしてきております。おそらく数年後におきましては砂糖を凌駕する生産量になり、沖縄の輸出産業の大きなものになるだろうと考えております。しかし、いずれの場合におきましても、考えなければなりませんことは、これらの輸出先はすべて日本であるということであります。砂糖でございましても、日本政府の特別なる恩恵があるがゆえに世界市場に対抗していけるのでありまして、その顧慮なしには決して産業は成り立ちません。パインの場合でも同じであります。もし将来たとえば台湾その他のパインの生産地と自由なる取引ができるということになりますと、これに対抗していく場合におきましては、現在の閉ざされた状況において果して可能であるかどうかということは非常に疑問があります。沖縄の場合におきましては、産業を開発する前に、その市場をどこに求めるかということが非常に大きな問題でございます。  次に、沖縄の場合におきましては、戦前から、地理的な条件からも海というものが非常に大きく見られております。日本の船が沖縄近海まで出て参りまして漁をして日本に帰っていっております。沖縄の場合におきまして、自分の近海から大量に漁をいたしましても、それをいかに保存し、いかにさばくかということがすぐに隘路となって参るわけであります。もしこれが、日本から船が出てきて沖縄近海で操業して日本に帰るということと同様に、沖縄の船が沖縄近海でとって直ちに日本に持っていくということならば、市場の広さもここに現われてくるわけであります。あるいは沖縄の近海でとって台湾にさばけるということになってきますならば、相当の事業ができる余地もあろう、こういうふうに思うのでございますが、それも為替の関係でできない。ことに魚は長く保存ができないものであります。そういった行政権が分離せられたということによりまして、産業自体というものが当然に分離されておるということになるわけでありまして、経済に国境なしでありますが、それが遮断されておりますがゆえに、非常に狭められております。資金関係は、沖縄におきましてそんなに豊かな資金があるはずはありません。ドル資金ならば今三千五百万ドル程度は持っておりまして、一人当りの割合からしますれば相当多額のものを持っておるのでありますが、これが沖縄の資源の開発にどういうふうにして利用されるか、結局この権利アメリカが握っておるということになるわけであります。私たちの希望といたしましては、日本との経済的なつながりによって、日本の開発銀行その他のものが日本との経済の一貫性を持たしめるという立場において開発していけば、水産面であれ工業面であれ、なお残された部面があるであろうと思うのでありますが、現在のような分離された状態においては、そういう経済面だけ取り出してどうして進行していくかということも、直ちにこれについて障壁にぶつかるということが実情でございます。
  71. 高橋禎一

    高橋委員長 志賀義雄君。
  72. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 沖縄の皆さんが日本に来られて非常に御努力されておるのでありますが、きょう午後外務委員会と本委員会との連合審査会があります。そのときの質問の参考のために御意見を伺いたいのでありますが、代表の方々日本に来られて以来、重光外務大臣初め政府の首脳部あるいはレムニッツァーアメリカ軍司令官と会見されたのでありますが、この問題の解決に当ってそれらの会見においてどういう印象を得られたか、その御意見を参考のために簡単に伺いたいのであります。と申しますのは、プライス勧告がアメリカ下院軍事委員会によって承認され、日本政府及び琉球政府の努力によって解決されない限りは、これは実行される危険が差し迫っておるわけであります。それについて国会としてはどういうふうにしたらいいかということについての御要望があると思いますが、その点を午後外務大臣に質問する参考までに伺っておきたいと思います。
  73. 安里積千代

    安里参考人 どういう感じを持たれたかというお問いに対しまして、お答えにならぬと思うのでございますが、私、この問題は、日本政府が責任を持って当ってもらわなければ解決はできない、日本政府が責任を持って当れば必ず解決できる、こういうことが申し上げられると思います。なお端的に申し上げますならば、私たち沖縄人々は、政府、公選機関、任命機関、あらゆる人民の代表機関が、これが通らなければ職を辞する、そうして、たといどういうことがあってもこれを通そうという気概に燃えております。非常に飛躍したことを申し上げるようでありますが、もし日本の政府がこの際沖縄の問題解決に内閣の運命を賭してやるのだというこの決意さえ表明していただきますならば、アメリカと友好関係にありますところの日本の立場をアメリカが聞かないはずはない、もし聞かなければ友好国日本を失うことになるのだという感じを私たちは持つのでありまして、政府の腹一つ沖縄人々を救い得るというふうに考えておるということだけを申し上げまして、どういうふうな感じを受けたかという点は省きたいと思います。  それから、国会の方々は、これは私非常に力強い感じを受けております。私たち、代表は送っておりませんが、やはり私どもの代表の気持でおりまして、われわれの信託にこたえ得る気持を持っていらっしゃるという非常に頼もしい感じを持っております。よろしくお願いいたします。
  74. 高橋禎一

    高橋委員長 他に御質疑はございませんか。——ないようでございますから、午前中の会議はこの程度にとどめたいと思います。  参考人方々、どうもありがとうございました。  では暫時休憩いたします。    午後一時十九分休憩      ————◇—————   〔休憩後は開会に至らなかった〕