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1956-06-02 第24回国会 衆議院 法務委員会 第41号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年六月二日(土曜日)    午後零時二十五分開議  出席委員    委員長 高橋 禎一君    理事 池田 清志君 理事 椎名  隆君    理事 高瀬  傳君 理事 福井 盛太君    理事 三田村武夫君 理事 猪俣 浩三君    理事 菊地養之輔君       小林かなえ君    世耕 弘一君       林   博君    古島 義英君       横井 太郎君    横川 重次君       神近 市子君  出席政府委員         警察庁長官   石井 榮三君         警  視  長         (警察庁警備部         長)      山口 喜雄君         検     事         (刑事局長事務         代理)     長戸 寛美君         法務事務官         (人権擁護局         長)      戸田 正直君         厚 生 技 官         (公衆衛生局環         境衛生部長)  楠本 正康君         郵政事務官         (監察局長)  久保 威夫君  委員外出席者         検     事         (刑事局刑事課         長)      横井 大三君         郵政事務官         (大臣官房人事         部長)     大塚  茂君         参  考  人         (医師)    荘   寛君         参  考  人         (日本女子大学         本部庶務部長) 中原 賢次君         参  考  人         (元日本女子大         学教授)    東 佐誉子君         参  考  人         (東京衛生局医         務部優生課長) 広瀬 克己君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 本日の会議に付した案件  法務行政及び人権擁護に関する件(東佐誉子事  件等)     —————————————
  2. 高橋禎一

    高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。  法務行政及び人権擁護に関し調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。三田村武夫君。
  3. 三田村武夫

    三田委員 私、きょうは、昨年の五月ころから全国的に行われております全逓のいわゆる点検闘争に関して少しお尋ねしたいのであります。これは元来郵政省所管業務でありまして、郵政行政適否、あるいはまた労働関係法規に基くその業務適否については、当委員会所管外でありますから、これはお問いするつもりではありませんが、このいわゆる点検闘争に関連して、人権侵害と申しますか、人権擁護上ないしは人命尊重立場から看過しがたい事例があるように承知しておるのであります。その点に関して具体的な二、三の例を取り上げてお尋ねいたしてみたいと思います。申し上げるまでもなく、人間の社会で一番大切なことは人命すなわち人の命であります。同時に、近代的ないわゆる文化国家のもとにおいて最も尊重せられなければならぬものは人間の自由であり、基本的人権あでります。そういう立場から、権利の競合とでも申しますか、いわゆる権利主張立場から行われる争議行為と申しますか、これも当然法律の保護を受けておるのでありますが、同時に、それは基本的な人権を侵害してもいいという論理は成り立たぬのであります。こういう立場から、この全逓点検闘争なるものには、私は、その実態、内容、それから手段の面において相当問題にすべき点があると思うのであります。理屈はさておいて、具体的な事例について二、三お尋ねしてみたいと思いますが、郵政当局承知通り全逓の第七回全国大会、これは昨年の五月、それから第九回中央委員会、これは昨年の十月に行われております。この記録を見ますと、第七回全国大会、第九回中央委員会、ここでいわゆる点検闘争なるものの方針が打ち出されて決定され、相当強力に全国的に展開されておるようであります。これは大体郵便局全体についてのようでありますが、主要目標と申しますか、点検闘争の対象としてここに打ち出されてきているものを具体的にながめてみますと、特定郵便局が多い。特定郵便局というのは、申し上げるまでもなくま御承知通り全国に一万三千幾つありまして、大体、地方名望家とか、そういったいわば土着の人が自己の建物とかいろいろな施設を提供しながら国家郵政業務に協力し、またその郵政業務に協力したそれに対応するだけの報酬を国家から与えられておる、こういう仕組みになっておる非常に特色のある存在でありますが、これを主たる目標にして点検闘争が行われておるということは、これは郵政当局承知通りであります。私、第九回の中央委員会記録を見て、これに問題点が打ち出されてきております。この記録を見ますと、点検闘争の進展に伴いいろいろの問題が出ておる。その中で、ある中央執行委員は、点検闘争に関する局長会議の動きは把握していないが、省側としては、この闘争に関して自殺者も出したことについて非常に強い関心を示している、——事実、自殺者が出ているのであります。それからまた、北海道から出ているある中央執行委員は、点検闘争の結果出た事項中、婦人問題についてあまりにも露骨具体的に状況が流布されている、あまりにも具体的に流すと、被害者が社会的に困るようなことがある、従って、点検闘争の結果をあげ得ないようなことになるから、注意しろというふうに言っております。これは内部における批判と申しますか反省でありますが、それだけ、相当大きな波紋を描いており、深刻な問題も出ておるようであります。具体的にお尋ねいたしますが、私が手元において調べました資料によりますと、まだ他にもあるように思いますが、昨年の八月十四日、愛知県中島郡稲沢局区内大里郵便局局長木村三万士という人でありますが、一家全員自殺しております。これは点検闘争のいわゆる悲惨な犠牲者であります。それから、昨年の九月、これは日にちは私はっきりしておりませんが、山形県の北村山玉野郵便局局長折原という人も自殺しておる。そのほか、このいわゆる点検闘争犠牲と申しますか、その闘争の結果、長きにわたって特定郵便局を経営しておった人が、相当多くそういう職から去っておる。新聞に大きく出ました諸井貫一氏ですか、これも長い間郵便局長をしておった人ですが、点検闘争の煩に耐えず、ついにその職を去った。これは新聞に出ております。  時間の関係もありますから、あまり多くの例を取り上げませんが、私、岐阜県でありますから、お隣の愛知——この問題は新聞にも大きく扱われておりますから、まず愛知県の大里郵便局長自殺事件から具体的に取り上げてお尋ねいたしたいと思います。これは、今申しましたように、昨年八月十四日、一家全員自殺したのでありますが、これは自殺でありますから、いわゆる変死——変死の場合は、自殺か他殺か、こういう疑わしい場合がありますので、警察においても検察庁においても、当然いわゆる実地検証というものをやりまして、真実、真相調査することになっております。そこで、検察庁警察庁調べられたと思いますが、どういう報告が来ておりますか。自殺事件でありますから、おそらくお調べの結果はお手元にあると思いますので、まずわかっておることを検察警察当局から御報告願いたい。
  4. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 ただいまお尋ねの、愛知県の大里郵便局長一家自殺事件、私どもの方に参っております報告では、昨年の八月十五日午前二時から四時までの間、一家は、主人木村三万士という方——この方が大里郵便局長をしておられる方であります。子供さんが三人あります。長男、長女、次男、この三人の子供を、御主人である、ただいま申しました木村局長日本刀で殺し、妻の敏子さんとともに自分は縊死をした、こういう事件であります。  当時、警察といたしまして、もとよりこれにつきましては検証いたしました。ただいまお話しの点検闘争と申しますか、そういった事件について、この木村局長は、公金横領疑いで、全逓愛知地区本部員から抗議をされたというような事実は前にあったようであります。この点につきましても、警察といたしましては調べてみたのでありますが、横領疑いははっきりと認める段階でなかったので、その点は事件としては出ておらないようであります。自殺事件ということで結末がついておるようでありますが、私どもの聞いておりますところでは、郵政監察官の方におかれまして、先ほど申しました局長が何か公金横領の容疑があるのじゃないかという点については、お取り調べになったというように承わっておるのであります。
  5. 三田村武夫

    三田委員 検察庁から、今の検証の結果だけについて一つ……。
  6. 横井大三

    横井説明員 この事件につきましては、従来われわれの方には報告がございません。このたびお調べになるということでございましたので、これは一宮支部事件でありまして、名古屋へ照会いたしました。そうしますと、検察庁みずからが検証をしたというような報告は参っておりません。ただ、八月十六日でありましたか、郵政監察官の方から、この事件について、従来監察官としていろいろ調べた、そうしましたならば、ただいま警察の方でおっしゃいました通り自殺いたしましたので、結局事件はそれで打ち切りということになったからという報告を受けたようであります。従いまして、検察庁としてみずから進んでこの事件調べておる事実はないわけであります。自殺しまして事件がそれでおしまいになった、あとは、郵政監察官から、それまでの調べをいろいろ聞いたようであります。その調べの模様については報告が参っております。それによりますと、今お尋ねのような、特に調べに当りまして人権じゅうりんと申しますか、強要したというような事実はないようでございまして死因はやはり、いろいろな使い込み等がありまして、それを苦にしてなくなったというふうにわれわれの方には報告が参っております。
  7. 三田村武夫

    三田委員 一家自殺の事実だけははっきりいたしました。私の調べたところによりますと、この大里郵便局は無集配局で、電話交換業務をやっておりますが、従業員はわずか七名の小さな局のように承知いたします。局長はしごくまじめな人で、地方のいわゆる名望家であります。生活に困っておるとかいうような人ではないようであります。従って一家全員自殺をしなければならぬというような理由はここから出てこないのです。自殺の場合は、今刑事課長が言われたように、何らか苦に病んだ結果、いつも大がい神経衰弱とか厭世とかいうことになるのであります。その自殺をしなければならないという、神経衰弱になり厭世観を持ち、自分の生命を断たなければならぬ、ことにかわいい子供まで道連れにして死ななければならぬという、そういう原因、条件というものを探求することが私は必要だと思う。医者の診断で、あるいはまたその調べた結果、神経衰弱になって死んだ、これだけでは私はそう簡単に片づかぬと思う。私の調べた範囲では、この点検闘争以外に、この人が一家自殺をしなければならぬという原因は出てこないのです。冒頭に申しましたように、昨年五、六月ごろから点検闘争が始まった。この局もその点検闘争目標になりまして、全逓従業員組合、これは全国組織を持っておりますが、尾張中部支部、これがいわゆる点検闘争を始めた。組合の幹部がこの局に乗り込んできまして、帳簿を検査する、金銭出納簿調べる、局員勤務状況調べる、こういうことが始まったわけであります。これは、あとから、こういうことが果して妥当かいなかということも私は郵政当局お尋ねいたしてみたいと思いますが、その結果、今警察当局検察当局が言われましたように、局長官金横領した疑いがある、それから、従業員に対して週休を与えなかった、宿明け、すなわち前の晩泊りの者は翌日休むことになっておるが、その宿明けの者にも勤務させた、それから、この局では電報集配をやっておりますから、請負電報配達人郵政局から交付される請負賃金の二部を着服した事実があるなどの事項をあげて、強力に点検闘争をかけたわけです。そうして局長団体交渉を申し出た。そこで、局長側を代表する郵政省側交渉委員組合側交渉委員との間に、団体交渉と申しますか、話し合いが始まった。省側交渉委員は協力して事の真相を明らかにし、法規に従って善処しようという態度に出たが、組合側はなかなかこれに応じてこない。だんだん事件は拡大する方向に行って、結局この局長を追放する——全逓点検闘争目標は、その目標になった局長を追放する、つまりその職から去らせるというのが一つ目標であったようでありますが、そういう方向にだんだん持っていく。名古屋郵政局内にある全逓地区本部にこの問題を持ち込んでいきまして、名古屋にある地区委員尾張中部支部の役員が合同してさらにこの局に乗り込んできて、帳簿その他を調べた。そうして、いろいろ従一業員から話を引き出して、いわゆる誘導尋問といいますか、局長に対して、内部的に円満に解決、するから、一つこの書類判こを押せ、こういうことで、局長も、二カ月、三カ月やられているので、とてもかなわぬ、何とか一つ円満に解決しようという気持で、だいぶ神経的にも疲れてその書類判こをついた。局長はこの組合側の作った書類で事は円満に解決するものと思って判こをついたらしいのですが、組合側はこの書類名古屋郵政局人事部及び監査局に持っていって、局長の処分を要求した。こういう段階にきたらしい。そこで、監察局では、その事実の真否を調査する必要に迫られて、八月十日ですか、郵政当局はお調べになったと思いますが、この大里郵便局監察員を派遣して調査を始めた。二、三日この調査をやっている間に、私の方では十四日になっておりますが、日にち当局の方のお調べが正確のようでありますが、子供三人を殺して夫婦は縊死している。一家全員自殺した。こういうことになっておるのであります。自殺原因については、今も言われたように、神経衰弱厭世立場に困ってということになっておりますが、困った原因は、私ははっきりこの全逓点検闘争にあると思うのであります。死者に口なしで、一家全員自殺してしまったのですから、これはわかりはしませんが、子供まで道連れにして一家自殺するということは容易ならぬことであります。これは悲痛な社会的な事件であります。こういうことを、単に神経衰弱で死んだとか、公金横領疑いをかけられて、それを苦にして死んだとかいうことだけで片づけることは、あまりにも冷淡過ぎると思う。これは、刑法上、犯罪因果関係ということを論ずれば、明らかに全逓点検闘争の結果一家五人自殺したということが言えると思う。その後郵政省方面ではお調べになりましたから、郵政当局から事の真相を御発表願えると思いますが、点検闘争理由としてあげられた三つの事実、これは、私が調べたところによりますと、官金横領疑いについては、調べた結果、過去においては短期間一時流用したことがあったかもしれぬ、けれども、実際調査の結果、現実に官金不足の事実はなかったという。週休を与えなかったとか宿明け局員勤務を命じたということも、これは局長細君という人が病気でからだが弱かったために、局員同情して、局務を円満に遂行するために、私がお手伝いしましようということがあったらしい。これは局長が強要したものでないということは、点検闘争の結果、組合員が行って、君たち強要されたのかと言っても、また超過勤務手当ですか、それから宿明け勤務手当の要求をしようと言っても、拒否している事実がある。そういう面から言っても、強制したものではないということがわかると思います。それから、電報請負賃金の国から交付されるものを一部着服したという面についても、私の調べたところによりますと、この局は電報配達人が一人しかおらぬ。年中一人でやっているのですから、時には局長細君もみずから電報配達をやった事実がある。従って、これは局長電報配達人との個人契約で一カ年幾らということでやっておったらしい。従って、国から受けた電報配達に対する交付金と、配達人に支給した金額の間に多少の差はあるかもしれませんが、これは当然のことでありまして、その差額を着服または横領したという事実はない、こういうことに大体私の調べではなっているのです。郵政省監察局はお調べになっておると思いますが、郵政当局の御調査はどうなっておりますか。
  8. 久保威夫

    久保(威)政府委員 お答えいたします。  愛知県の大里郵便局長一家心中事件と申しますまことに悲惨な事件が昨年起りましたことは、まことに同情にたえず、遺憾なことだと存じております。この事件につきましては、ただいまお話がありましたように、郵政監察局におきましても、名古屋郵政監察局監察官が付近の局に参りましたときに、大里局不正事件があるというようなうわさを聞き込んだのでございます。そこで、当時はいわゆる全逓点検闘争もまだ起り始めの時期でございまして、監察といたしましても、そういう労務関係の問題には直接積極的にはタッチいたしておりません。いわゆる業務考査並びに事故犯罪の防止とその処理、こういう本来の仕事に重点をしぼって専念いたしておったわけでありますが、しかし、事いやしくも不正事件疑いがあるという話を聞きましたので、これはさっそく調査をしなければならぬというので、八月十二日——これは、先ほど、全逓から郵政局交渉があって、その結果監察側が動いたというお話もございましたが、実はまだそこまで参りませんうちに、監察の方で、こういうことはまたいろいろと問題が起ると思いましたので、慎重にその事実を確かめてもらいたい、こういうことで、監察官が五名、これは、特に、仕事についても練達で、年配の、また性質もおとなしいりっぱな人を選びまして差し向けたわけでございます。そのうちの二人は、無集配局でございますこの局の経理事務等を担当いたしております指定局に参りまして、大里局に三人が参って、その事実の有無を調査いたしたわけであります。最初の日は従業員につきましていろいろと実情を聞きますと同時に、帳簿等も検査をいたしました。翌十三日には局長並びに事務員であります局長の妻に対しましてそれぞれ事情を聴取いたしたわけであります。そのとき、局長は、先ほどお話のございましたように、全逓組合の人と交渉を持ちましたときに、結局自分でこういう非違があるということを認めて、四枚の紙に自分で書いて捺印いたしました自己非違事項と申しますものを渡したのでありますが、大体そういう点のことでよろしいかと前置きをして、監察官調査に対してすらすらと事実を述べてくれたそうであります。その結果によりますと、資金の一時流用という問題、それから電報配達費着服という問題、奨励手当非違、こういう点につきましては本人もはっきりと悪いことをいたしましたということを認めたわけであります。  その資金の一時流用というのを一つだけ申し上げますと、これは昭和二十三年にもさかのぼるものでございますけれども本人は非常に競輪が好きであったそうであります。従って、その競輪に参りますのに、たまたま持ち合せの金がないというので、一時官金を五万円ほど持ち出して、それを使ったこともあり、また使わなかったこともあったそうでありまして、そうしては、帰ってきまして、何日かの後にこれを埋める、こういうことを数回繰り返しております。たまたま一度五万円ほど着服しておったのでありますが、業務考査があるという話を聞きまして、その兄に当る人から五万円を借りまして、そしてその当座のときには一時現金を埋めて、計算の上では差引不足なしという形を装ったこともあったそうであります。この点はまことに遺憾なことではありますけれども、会計上から申しますと、これはりっぱな官金横領の罪になるわけでございます。  こういった一事がございましたので、やはりこれはうわさただ通なる煙だけでなく火もあったというわけで、その点さらに慎重な調査を進めなければならぬということでございましたが、たまたまその日の調査が終りましたときに、その局長は、実は姉が名古屋の病院で胃ガンの手術をするので見舞に行きたい、あしたは日曜、月曜に手術をやる、それに立ち会いたい、こういう話をしたそうでございます。監察官は、それは大へんだから、どうか行っておあげなさい、いずれ帰ってからまたあらためて話を聞くということにいたしまして、いろいろそういう問題の点をさらに帳簿その他で、また指定局の方の調査と相待って証拠固めをする仕事がございますので、そういうことで十三日の土曜日は別れたわけだそうでございます。ところが、十五日の未明に本人自殺をした。ちょうどその局にまた行こうと思っておりました監察官は途中でそれを聞きまして、さっそく警察その他に行って、どういう死因であったかいろいろお尋ねをしたわけでございます。そういうわけで、犯罪事実と認められるものはございますけれども、かんじんの本人が死んでしまいましたので、ことにこまかな金額犯罪金額としてどれだけかということを確定いたすことができなくなりました。そのために、一宮検察庁支部に参りまして、こういうわけでどうしたらいいのかということで指揮を仰いだのでございますが、そうなればこれは捜査を打ち切るよりほかはないだろうということでございましたので、この事件につきましてはそれ以上の調査をいたしません。調査を打ち切った次第でございます。  その死因につきましては、先ほど警察庁の方からお話があったようでございますが、ただ、本人の残しました遺書の中に、監察官に対しまして——これは地区を担当しております担当官でございましたが、これに対して、まことに申しわけありません、死んでおわびをいたします、こういった遺書があったのでございます。監察官といたしましても、その点についてまことに同情を禁じ得なかったのでございますが、同時に、その当時の新聞紙には、監察官調べが非常にひどかったのじゃないかというような投書も非常にございました。私どももその点非常に気がかりになりましたので、さっそく調査をいたしましたけれども、それについては、ただいま申し上げましたような遺書もありますし、調べ状況と申しますのは、先ほど私が申し上げました通り、別にこれに対して自白を強要するというようなことでなく、むしろ組合に対して述べたといいますか、組合に対して渡しました自分非違を書いたものに従って話をした、こういつたような事情でございまして、この点、私どもも、本人がなくなりました以上、それ以上の調査はいたさず、打ち切って、現在に至っておるわけでございます。
  9. 三田村武夫

    三田委員 監察局長の御説明、わかりました。私も、私の調べたところによって、監察官の取調べが過酷であったという事実はないと思います。しかし、今監察局長お述べの通り、ちょっと判断に苦しむ点があるのであります。御承知通り特定郵便局というものは、元来昔からのしきたりは請負制度である。なるほど、五万円あるいは何万円か知りませんが、一時官金横領というか流用というか、確かにそれは一時でも使えば横領に違いありませんが、この人は相当地方名望家でして、土地もあり、局も自分のものなんです。結果的にどれだけ官金に穴があいておったか知りませんが、これは埋めようと思えば埋められる人なんです。今局長がおっしゃったように、一時は兄から借りてきて埋めたこともあるということなんで、こういう国家委託業務と申しますか、こういう仕事をやっている人は、どれが官金で、どれが公金で、どれが私金か、なかなか区別がつかぬものです。お金にしるしがついているわけじゃありません。通貨というものは、官金であるから官金だけの万両の利用価値しかないという性質のものじゃないのです。ここに特定郵便局の特徴があるのです。なるほど、それはあったでしょうが、私がここで申し上げたいことは、監察官監察が過酷であったということでなくて、監察官に対して死をもっておわびするという心境にどうして立ち至ったかということなんです。彼をして一家自殺をなさしめるに至った条件といいますか、遠因と申しますか、それは点検闘争にあったのではないかということなんです。とにかく、全逓の第九回中央委員会の批判の中に、点検闘争で方々に自殺者を出しているのが世間で関心の的になっているから、こういう問題については大いに反省しようじゃないかということが出ている。そこに問題点があるのです。私は、郵政当局にも、警察当局にも、検察当局にも、こういう問題は厳粛にお尋ねしたいのでありますが、なるほど、組合労働関係法規に基いて組合活動をやることは当然の権利であります。しかし、その権利を主張し行使することによって他人の権利を侵害してもいいという原則はないのです。ことに、それが人の生命に関し、あるいは自由の侵害行為になることは、これは許されちゃいかぬ。こういうことが積み重なりますと、近ごろの国会の現象のようなことになるのです。いわゆる闘争々々で現場で鍛えられたものが、いつの間にか確信になってしまう。自信を固めて、国の秩序も何もなくなるというのが現状であります。そこに私は一番大きな問題点があると思う。たとえば、点検闘争の場合でも、人の住居には本人の許諾なくして入れぬことになっておる。郵政当局はどういうことになっておるかわかりませんが、たとい全逓組合員といえども組合の幹部といえども郵便局に入ってきて郵便局帳簿を見せろということができるのですか。監察官ならできるかもわかりませんが、組合員が、その局の従事員ならともかく、そうでない組合の幹部が局に入ってきて、帳簿を見せろ、あるいは金庫をあけろ、こういうことができるのですか。ここに問題点があると思うのです。労働基準法とかいろいろな労働関係法規によって、組合の実質的な活動は認められておりましょう。しかし、それはあくまでも組合活動の範囲においての自由であり権利であって、その組合の指向する特定目的のためにその業務を紊乱せしめ、あるいはさらに他人の権利を侵害する、そういう解釈は出てこないと私は思う。従来の郵政当局の態度に私は多少解しかねる点があるのであります。ひとりこの事実だけでなくて、私のここに持っておるだけでも、山形県北村山郡の玉野郵便局長も自殺しておる。これはどうなんですか。今、監察局長は、本人遺書にも私が悪うございましたと書いてあると言った。私はここで刑法の講義をするつもりはありませんが、刑法の因果関係を論ずると、橋の上で遊んでいる子供が今橋から落ちようとする、たまたまこれを見送った場合には不作為による殺人罪が構成されるという論理だって成り立つのです。いわんや、こういうことによって人の神聖なる職場を荒し、家庭を荒し、なるほど多少の非違はあったのかもしれませんが、追及また追及、ついに本人をしていたいけな子供まで殺して自殺せしめるということは、これは容易ならぬことです。権利闘争として認められ、こういうことが頻々として行われるならば、これは許しがたいことである。われわれは、法務委員会として、国政の調査権を持っておる立場から、法治国家として、民主国家として、法の秩序というものは一番尊いのです。人間の世界の中で一番大切なことは自由権です。その基本的な人権組合組合活動によって方々で侵害されるのは許しがたいことなんです。労働行政そのものは当法務委員会所管外でありますから申し上げませんが、その点についてもう一ぺん監察局長の御所見を伺いたいのです。監察局長は、簡単に、本人からその監察官に対して、私が悪うございましたと書いてあったとおっしゃいました。今の局長の御説明によると、そう大した額ではない、しかも昭和二十三年ごろであったという。それは続いてあったかもしれませんが、何とか処置の道があったと思うのです。監察官監察業務について過酷な扱いがあったと申し上げるのではないのです。監察官自身の立場はともかくといたしまして、郵政省担当の郵政業務の面において、全国的に点検闘争なるものが行われた資料がたくさんあります。人権侵害は単に生命を断つことだけではありません。人の名誉を傷つけることも人権侵害であります。あることないこと新聞に書き立て、ビラを張り回した。あの郵便局ではこうやっている——大里の郵便局事件もそうです。ついに子供が学校へ行けなくなり、新聞にもでかでか書かれた。そういうことは完全に人権侵害です。そういうことが行われてよいかどうか。郵政当局としては、郵政業務の円滑な遂行ということと同時に——善良な地方民は、その地域にある経済的拠点と申しますか、特定郵便局にお金を預ける。これは信用が前提になる。特定郵便局がそれほど従来乱れておったとは思いません。それほど乱れておったなら、長い間特定郵便局の特色ある存在はなかったはずです。こういう点について、言葉が強いかもわかりませんが、郵政当局にも御反省を願いたい。点検闘争を認めておく必要はない。それが今日の秩序紊乱の根源になる。このごろの国会の現状を見ても、実に慨嘆にたえぬ。警察当局でも検察当局でも、何しろ死んでしまったんだ、調べてみたら大して警察関係することもないとか、検察当局も、これは届けられたらと、それで済ましている。局長自身の問題についてはそれで済んだでしょう。けれども、五人死んでいるのです。たれが死に至らしめたかということは、国家の権威において厳粛にただすべきである。本人の私が悪うございましたという一片の遺書があるからそれで済んだということでは済まされない。一つ御所見を伺いたいと思います。
  10. 久保威夫

    久保(威)政府委員 まず最初に特定郵便局の性格についてお答え申し上げます。先ほど三田村先生から特定局は請負制度だというお話がございました。これは実は、特定局の前身、三等局の生まれました当時から請負制度でございました。ところが、終戦後になりまして、たしか二十三、四年ごろにかけてと思いますが、実は、特定郵便局長も公務員であるということに身分をはっきりいたしますと同時に、その提供にかかっておりました局舎も、これは国家に提供する、国家はこれに対する借上料を出す、こういう形になりましたし、またすべて仕事につきましては、請負ということでなく、所要の経費をそれぞれ費目を定めて令達する、もちろん、私という形もございましたが、一応、現在におきましては、名前は特定局ではございますけれども、すべての仕事のやり方は公のものということで律しておるわけでございます。この点が実は多くの特定局長さん方の中には誤解がございまして、十分に頭の切りかえができないでおられる向きがある。そのために、一方において労働基準法というようなものがございましたり、あるいは会計の処理がむずかしいせいかと思うのでございますが、ついつい従来のやり来たりになれまして、十分守り切れないという事例が相当ございまして、これらは業務考査等におきましても指摘され矯正されつつあるところでございます。その点多少お言葉を返して恐縮でございますが、先ほどの、たといこれは一銭一厘でありましても、やはり金銭の上で流用ということになりますと、最近におきましてはこれを犯罪として処理をしておるわけでございます。  それからもう一つ点検闘争のためにこういう自殺が起ったんじゃないか、こういうお話でございます。例をお引きになりました玉野の局長の折原氏の場合におきましては、これは実は、まだ監察官調査に参りませんうちに、組合との交渉のありましたあと自殺をしておるのでありまして、これにつきましては、組合等の刷りもの等におきましても、ちょっと、と見ますと、そういった交渉の結果死に至らしめたような因果関係を想像されるような表現も見受けられるのでございまして、これはまことに遺憾なことでございます。玉野の事件がちょうど八月の二日でございまして、引き続いて八月十五日にこの大里の局長事件がございました、そこで、当時私どもでは、これはたしか郵政次官からだったと思いますが、口頭でございますが、全逓委員長の方に、こういった事例があるのは遺憾だから、その点について行き違いのないように十分善処してもらいたいものだという希望は申し述べておったわけでございます。その当時までは、先ほどお話しのように、組合員局長に対して責め立てるというような、直接そういう交渉をするような場面があったのでございますけれども、それ以後は、もちはもち屋だから、悪いことがあるというならば、それは監察官調査にまかすべきではないかということで、その後におきますいろいろな事例におきましては、組合はいろいろと資料をもっての申告をいたしております。その結果、郵政局からの依頼に基きまして、郵政監察官がその実情を調査する、こういったことで、この種の事案に対しましての調査を進めておるわけでございます。そのようなわけで、こういったことがからみ合って、こういう人命にかかわるような事件の起ることが繰り返されないようにというために、私どもといたしましては、できるだけ事実においてそういうことまでに至らぬように、できるだけ特定局長が指摘されるようなあやまちを犯さないように、そういった予防的な意味の監察というものを現在も努力しつつある次第でございます。
  11. 三田村武夫

    三田委員 私も三等郵便局から特定郵便局の今日に至った経過は承知しております。今監察局長お話しのこともわかるのですが、私は、一時的にでも官金を使用するとか、あるいはしたということがいいと申し上げるのではない。そういう立場からお尋ねしておるのじゃない。この大里郵便局長自殺の跡を見ましても、金庫のあけ方から仕事の仕方から、帳簿の扱い方から全部、一家心中したあと局長細君も死んでしまったあと、すぐその日から従事員が仕事をやるのに差しつかえないように、きちんと整理して自殺している。実にりっぱな行為だと思います。そして、今この山形県の玉野郵便局長のお話もされましたが、これは、第三者的立場から見ると、きわめて簡単でございますが、人間少くとも一個の生命を断つということは容易なことじゃない。ことに、郵便局長といえば、相当の教養もあり、常識もあり、社会的な信用もあり、また地方においての立場のある人であります。どのような非違があったか知りませんが、生命を断つということは容易なことじゃない。私はその点を問題にするのです。私は郵政業務適否をここでとやかく申し上げるつもりはないということは冒頭に申し上げました。そうじゃないのです。人権が侵害されたということを私は問題にするのです。しかも、人権のうちで、生命を断つということは最高のものであります。それがすべて点検闘争原因するとは申し上げませんよ。申し上げませんが、私がここで問題にしないことは、いわゆる権利闘争の名においてなされる行為が、しばしば他人の権利を侵害することがあるということ、私は率直に申し上げるのです。それは、郵政当局全逓の組織が非常に強いことは御承知通りでありまして、組合の内部から反省自粛して郵政業務のあやまちなからしめることはけっこうなことだと思います。やらなければならぬことだと私も思います。自分たちの職場を正しくするということはけっこうなことであります。しかし、そのことのゆえに、一つの目的というものを指向されて、その指向する一つ目標を描かれたもとに、いわゆる権利闘争なるものが強力に行われる、その結果人の人格を傷つけ、あるいは生命を断たなければならないという窮地に追い込むことは私はよくないと思うので、これはお考え願いたいと思います。これはひとり郵政業務だけではありません。しばしばあり得ることであります。警察でも——第一線におられるのは警察でありますが、昨日か一昨日この委員会で猪俣委員からの御発言もありましたが、警察の民主化ということはどうしても正しい方向に持っていかなければならないが、警察の民主化ということは、私は民衆となれ合うことじゃないと思う。親しむということとなれ合うということとは、意味も違うし、内容も違うし、性質も違う。それから、しばしば問題になる警察官の行き過ぎでありますが、これは今の警察と昔の警察とは根本的に違うと私は思うのです。昔の警察は、いわば主権国家でありますから、国家の主権活動の前線機関としての警察権の行使であった。しかし、今は主権者は国民であります。その人民のために、国民のために行われる警察でありますから、やはり一つのすなおな秩序の中に存在しなければいけないと思う。従って、その守るべき権利というものは平等でなければいけない。事いやしくも人命に関し、あるいは人の自由に関するような事態があった場合は、犯罪になるならないは別として、そういうことをなからしめることが、私はやはり警察の任務だと思う。これは戦後の警察は多分にそういう特色が出てきております。犯罪者だけあげればいいのだ、悪いことをした者さえ縛ればいいのだ、——それが警察の手落ちになるかならないかということは問題外だと私は思う。そうでなくて、もっと広い範囲の、中はり人権尊重という立場に広く警察の目が届かなければいかぬと思う。この自殺事件でも簡単に済まされている。しかし、全体の警察活動から見れば大したことじゃないかもしれませんが、少くともこの地域における影響は深刻なものであります。一家五人子供日本刀で殺して、夫婦は首をくくって死んでしまった。   〔委員長退席、池田(清)委員長代理着席〕その社会的影響というものは容易ならぬことであります。それが、何も警察に手落ちがなかった、監察当局に、郵政当局に手落ちがなかった、検察当局の検視の手落ちはなかった、それだけで済んでしまう。しかし、人間の命は五人失っておる。こういうことは秩序ある文化的な国の社会とは違うのであります。こういう点を私は取り上げて問題にしたい。そういうものが集積されると、国全体の秩序が乱れる。国権最高の機関といわれる国会ですら今日の現状です。その原因はどこにあるか。われわれは反省しなければなりません。われわれは、法務委員会として、国の法的秩序を守らなければならぬという立場から見ると、あらゆる面に深刻に思いをいたさなければならぬと思うのです。この委員会もあすで終りでありますから、私はこういった問題を中心にして一ぺん当局に申し上げたいことがあったし、また御意見も伺いたいことがあったから、本日この問題を持ち出したわけであります。時間がだいぶ迫ってきましたから、これ以上具体的に追及いたしませんが、郵政当局もこういう点は御留意願いたい。今回のいわゆる点検闘争だけでありませんが、すべての組合活動というものは、組合の健全な発展のために、あくまでも世論の指弾を受けないように純粋な組合活動であってほしい。経済活動であってほしい。いわゆる権利闘争なる名のもとに、他人の権利を侵害することは厳に慎しんでほしい。そうならないと健全な組合の発展になりません。これは社会的に非常に不幸なことです。警察の方も、そういう意味において、いろいろな問題がたくさんあると思いますが、一つ十分お考え願いたいと思います。この事件でもそうなんですよ。簡単にそれで済んでしまっておりますが、そうじゃないのです。こういった点について、他にいろいろ例があると思うのです。私は警察権ですべての社会的な現象に一々干渉しようと申し上げるのじゃないのです。あたたかい静かな目で見てもらうことが好ましいことでありまして、こういう事件の場合に、一体その原因と条件がどこにあったのだということくらいは調べていただきませんと、死んだ者は何のことかわけがわからぬ。ついに永久にその死因というものはわからなくなってしまう。常識で考えてみたって、この木村局長子供三人殺して夫婦ともに首をくくって死ななければならない原因というものは、どこを探しても、少くとも健全な常識を持った者はわからない。そういうことをなからしめるためには、非常にあたたかい、また視野の広い立場、秩序保持の立場基本的人権を守るという立場から私はお考え願いたいと思う。法務当局検察当局の御所見を伺わなくてもよろしいが、それだけ申し上げ、時間がありませんから、この問題についての私の質疑を終ります。
  12. 池田清志

    ○池田(清)委員長代理 横井太郎君。
  13. 横井太郎

    横井委員 私は今の御質問に関連して一、二簡単にお尋ねしたいと思います。  最初に郵政当局の方にお尋ねをしたいのでございますが、この一家五人心中をいたしました木村三万士君の家庭の事情とか、あるいは財産の状況とか、木村君自身の地位とか、そういったことは、あなたの方でどういうお調べになっておるかということが一つと、それから、この木村君は三等郵便局長時代から引き続いて特定郵便局長となった人であるかどうかということを承わっておきたい。
  14. 久保威夫

    久保(威)政府委員 木村局長は、大里郵便局昭和十五年の暮れから郵便取扱所としてその地方に取扱所が開設されたわけでございますが、その当時から取扱所の局長になりまして、引き続き今日に至るまで局長を勤めておるわけでございます。無集配郵便局と申しまして、郵便の集配はいたしませんが、電報の配達及び電話の事務は取り扱っております。こうこう局でございまして、本人の供述等によりますと、収入は、俸給を手取り大体二万三千円くらい取っておりまして、細君局員といたしまして一万円程度の給与を取っております。そのほか、局舎料といたしまして三千七百円、合計いたしまして三万六千七百円くらいの生活だと考えております。なお、細君がいけ花とお茶の師匠をいたしておりまして、これによって約二千円くらいの収入を得まして、子供の学費その他に充てておる。従って、生活は一ぱい一ぱいだ、こういう供述を本人はいたしております。  なお、そのほか、資産といたしましては、郵便局舎が不動産としてありますと同時に、住宅もございます。それから、田畑なり宅地なりの不動産が若干ございまして、評価をいたしますと総額二百二十万円くらいになる、こういった資産を持っております。  家庭の事情でありますが、家庭は、先ほど警察当局の方からもお話がございましたが、三人の子供がございまして、長男と長女が中学、次男が小学校に行っている、こういつたことで、五人暮らしであったわけでございます。  郵便局といたしましては非常に小さな局、いわゆる無集配局に属する方でございまして、そう忙しい仕事はない、ほんとうの窓口機関でございます。
  15. 横井太郎

    横井委員 実は、この三万士というのは私の友人の弟でございまして、よく知っておるのでございます。大体あなたの方がお調べになっておる通りでございますが、実際人物も非常にいい人物でございます。名望家でもあるし、いなかでそれだけ、三、四万円あれば、食うものには決して不自由いたしませんし、郵便局のものはまるで小づかい取りだ、こういうような考えでおるのでございます。従って、何不自由なくやっておったのでありまして、それがどういうわけで使い込みをやったかどうか知りませんが、もし使い込みが先生の言っておる通り果して事実とすれば、これは私はいいとは思いません。思いませんが、その人の環境、その人の名望家である点から考えましても、こういう使い込みをやっておるとは、私の常識からいうと、一応考えられないのです。ことに、兄貴はよく知っておりますが、兄貴は村切っての資産家でございますし、弟も、昔のことでございますから、相当分け前ももらっておる。だから、そう困って使い込むというほどではないと考えますが、あるいは競輪、競馬というものをやれば、それはそういうことがあったかもしれませんが、いずれにいたしましても、その人物から考えて、私はどうもそういうことがはっきりしないのです。これは、私も実際に、本人が死んでしまって、調べたわけではございませんから、わかりませんが、問題は、先ほど三田委員も言われた通りに、なぜこういう人が死ななければならなかったか、この点が非常に私は不可解でございまして、村の評判なんかから見ますと、どうも組合の方で非常に責められたのだ、こういうことをわれわれ聞いているのです。これがどうも私にはわからないのでございまして、三田委員からこういう質問がありましたので、実は私も質問するわけですが、その当時から大ぜいの組合員がやってきて、村の言葉で言うと、ぎゅうぎゅう言わしたんだ、それで非常に先生は参っちまって、それが直接の原因で死んだんだというようなことを言い触らされておるのでございます。なるほど、あなたの方の監察官がそう責められたとは考えませんし、圧力がかかったということは、私は見ておりませんからわかりませんけれども、村の評判ではそういうことを聞いておるのでございます。そこで、その点がどの程度であったか、あなたの方の調べとしてはどういうことになっておるか、一応承わりたいと思います。  それから、検察当局の方に一つお聞きいたしたいと思うのでございます。それは、凶器をもって殺すとか、あるいはなぐり殺すということは、これは直接の殺人でございますからいけませんが、こういう圧力によって死に至らしめるということを一体どうお考えになっておるか。これが直ちに殺人罪になるとは私は思いませんけれども、こういうものを一体どう見ておいでになるか、これも一つ承わっておきたいと思います。
  16. 久保威夫

    久保(威)政府委員 ただいまの組合との交渉状況がどうであったかという御質問でございますが、この点につきましては、その当時別に立ち会ったわけでもございません。あとからみんな話を聞いて取り調べまして、事実どうだったということをまとめたわけでございますので、そういうことで御了承願いたいのでございますが、七月の二十八日でございますか、稲沢局という集配局がございます。そちらの方で団体交渉がございましたが、その当時大里局の問題が論議されまして、先ほどお話のありました組合の尾張の中央支部でございますが、ここの支部長、副支部長、書記長、執行委員交渉委員、この五名の者が、団体交渉あとで、そこだけではわからぬというので、大里局に参りまして、そしてまた、もちろん特定局長さんの交渉委員である三名の局長さんも来られたわけであります。そこで、その八人が臨局いたしまして、局長からいろいろ事情を聞いたということがございます。その後におきまして、支部の、これは支部長であるか執行委員であるか、はっきりいたしませんが、二名ないし三名の者が臨局いたしまして、局長なり局員につきまして、かなり突っ込んだ調査を行なったことがわかっておるのでございます。なお、八月の四日であったと思いますが、四日ごろに、地区の本部から二名、それから支部長が大里局に臨局いたしまして、局長といろいろ話し合いをいたしました結果、局長は、自分非違を認めまして、その旨をしたためて、同時に署名押印した書面を組合へ渡したわけでございます。かような程度に了承しておるわけであります。
  17. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 この問題につきましては、先ほど三田委員にお答えいたした通りの事実関係でございます。この機会をお借りいたしまして、三田委員から、先ほどきわめて貴重な御意見を拝聴いたしまして、私ども深く感銘いたしたわけでございます。御承知のように、警察は国民の生命、身体、財産の保護に任ずるということが職責でございますので、そういう見地から、今後とも国民の基本的人権、特に人命の尊重という問題につきましては十分思いをいたしまして、遺憾なきを期して参りたいと、かように存じております。横井委員のただいまの御質問の点でございますが、法律的な解釈につきましては法務省の方からお答えいただくのが適当ではないかと思いますので、私の方からは差し控えさしていただきたいと思います。
  18. 横井大三

    横井説明員 事実関係を確定いたしませんと、法律的なお答えもなかなかいたしにくいのでございますが、人が自殺するというのはよほどの事情があったのであろう、この事件におきましては、他に事情が考えられないので、犯罪が摘発されたというところがその主たる原因であろう、ここまではわかるのでございますが、それから先、その犯罪が摘発されたのは、だれが摘発したか、どういう方法で摘発したかという点になりますと、実は、御質問では、全逓点検闘争でぎゅうぎゅう言わせられたというようなところにあるのだとのことでございまするが、まあかりにその程度でありましても、直ちに、お話通り、殺人罪に至るまでにはほど遠いのでございます。そういたしますとすると、結果についての責任ということよりも、その過程における手段が刑法に触れやせぬかということになるわけであります。かりにこれが殺人になりませんでも、もしその過程におきまする手段が刑法のたとえば脅迫罪に触れますれば、これはやはり刑法上処罰の対象になることになりますので、直ちに全然刑法の問題にならないとは申し上げかねますが、これもやはり事実関係、どの程度のことが行われたかということをこまかく検討いたしませんと、本件についてどうなるかということは申し上げかねます。
  19. 横井太郎

    横井委員 今郵政当局からお話がございました通りに、相当突っ込んで全逓の方が調べたとおっしゃいますので、まあ相当突っ込んだということがすべてを物語っておると思うのでございますが、いなかで申しますれば、とにかく全逓の人が来てぎゅうぎゅうやれば、いなかの人はおうように見えても非常に小心でございますので、また、そういうことがすぐ村中に広がるものでございまして、現在でもそういうことを言われて、私が先ほど言った通りに、大ぜい寄ってたかって殺してしまったというようなうわさもあるほどでございます。そこで、私は、実はこの木村君のこういう死によって、将来はこういうことがないようにしたいということを考えるのでございます。現に、今三田村君からもお話がございました通りに、ほかにも郵便局長が自殺をしておるところがある。しかも、現在この特定郵便局長と全逓との間には相当みぞがあるということを聞いておるのであります。特定郵便局長は、これは一般の人でも入れられるそうでございますけれども、本来から言えば、これは郵便局を相当年輩になってやめた人がこういうところへ入るんだそうでありますけれども、実態は、われわれの聞くところによれば、なかなか局舎とかあるいは土地とかを買い込むには相当金がかかる。私は名古屋市でありますが、今名古屋特定郵便局に指定されても実際には開けない局もある。それは、私の方の市から言えば、少くとも局舎から土地から買ってやれば、五百万円を持ってかからなければ局が開けない。そこで、全逓の方から、ちょうどやめた人を天下り的に局長にすえようと思ったところが、やれないのが実情なんです。そこで、一般の人にそういう局長のいすを譲られるそうでございますが、この局長全逓との間に深刻な争いがあるということを聞いておるのであります。これをあなたの方はどう見ておいでになるか。私がこういうことを聞くゆえんのものは、先ほど申し上げた通りに、これからもそうでありますし、現在までの局長全逓との間において非常なみぞがある。従って、地方名望家である気の小さい特定郵便局長が、ままこういう自殺ということが——現にこれ一つじゃございません。私は、これをもって頂門の一針として、将来再びこういうことがないようにしたいと思うのでございますので、あなたの方では現在の特定郵便局長についていかに考えておいでになるか、これを一つ承わりたい。
  20. 大塚茂

    ○大塚説明員 お答えいたします。御質問の趣旨は、全逓と特定局長との間にどういうみぞがあるかというふうな御趣旨に承わったのでございますが、全逓の方の考え方といたしましては、特定局というのは封建的な、何といいますか残滓が非常に多い、これを打破しなければならぬというような考え方を持っておるようでございます。それがことごとに点検闘争というような事柄などになって現われてきているように見受けられるのでございます。局長の任用の問題につきましても、全逓側といたしましては、できるだけ従業員から局長に上げてほしいという要望はいたしております。将来の問題といたしまして、この点検闘争をどういうふうにするかということは、これはなかなかむずかしい問題でありまして、われわれとしましては、特定局長に対しましては、点検闘争によって暴露されるような犯罪あるいは非違というものをなくするようにという指導を、まず根本的な問題としてやっております。そのほか、全逓から帳簿の閲覧を求められた場合、あるいは会見を申し込まれた場合、それの扱い方などにつきましても、それぞれ法規に照らして、応ずべき場合と応ずべからざる場合というようなことを具体的にいろいろ指導いたしたりなどしております。それと同時に、全逓に対しましても、先ほど監察局長からちょっと申し上げたと思うのでありますが、次官からも、また私からも、点検闘争をやるということを、これを組合に禁ずる権限もございませんので、ただ、とにかく人権侵害をして悲惨な結果になるというようなことのないように気をつけてほしいということと、違法あるいは不当な手段によってこれを行うことのないようにというような警告はいたしております。大体さようなことでございます。
  21. 横井太郎

    横井委員 私は、悪いことをした者をそのままほっとけという意味じゃございません。調べるのはけっこうでございますが、ただ、問題は方法だろうと思うのです。私らから言えば、封建性とおっしゃるかしれぬが、点検闘争なんて、まるで闘争をして人をあばくという行き方、それ自体に行き過ぎが多かろうと思うのです。まあしかし、これはここの問題でございませんので、あえて申しませんが、それがために圧力がかかって死に至らしめるものがある。この点は私は非常に不可解でございます。しかも、今、点検闘争か知りませんが、おやりになるやり方が、私はここで現実の問題にぶつかっておりますので、この点だけはちょっと承わりたいのでありますが、いなかの特定郵便局従業員というものは最高どのくらいあるものでございましょうか。普通はどのくらいで、何人ぐらい従業員を使っておるか。
  22. 大塚茂

    ○大塚説明員 人数でございますと、多いところは七十名ぐらいで、少いところは二人からございます。
  23. 横井太郎

    横井委員 村でございますとどれぐらいですか。
  24. 大塚茂

    ○大塚説明員 その事務量によって違いますので、一概に申し上げられないのでございますが、村でも大きいところは三、四人ございますところもありますし、小さい村がやはり二人からということでございます。
  25. 横井太郎

    横井委員 そこで、わかりませんかどうか知りませんが、岐阜県大野郡宮村というところで、私のところへ八枚はがきが来ておるのでございます。それは、今度特定郵便局長の特別職法案が出たそうだが、そういうものを通してしまうと自分従業員が食っていけぬ、だからという手紙でございますが、この村で八名も使っておるのか、私は普通の村の郵便局で八名もお使いになっているところはちょっとなかろうと思うのでございます。こういうものはあとで差し上げますが、これは一体、こうやって、私は別に脅迫とも考えません、一向驚きもしませんがおそらくこれはいいかげんな名前でわれわれ国会議員に圧力をかけてきておる証拠ではないかと一応考えられるのであります。村の小さな郵便局で八名も従業員をお使いになるということはどうも解せぬ。いずれにいたしましても、このやり方を考えてみますると、先ほど来の問題がどうも圧力をかけ過がる、従って気の小さい郵便局長は腹を切るという問題も起るんじゃないか。しかも、先ほどの木村君の例で申しますと、十五年以来ずっとやっておる人でありまして、かるがゆえに、封建的だとおっしゃれば、これはその通りでございましょう。けれども請負制度でやっておったものを取り上げられてしまって、そうして何もかも賃貸借でやられてしゃくし定木にやられれば、考えようによっては、自分らの既得権を侵されたということにもなる。しかし、制度が変ったといえばそれまでだ。だから、その間に若干の捜査の仕方もあったんでございましょう。これがいいか悪いかは別問題でございます。そういう者を、闘争々々といって圧力をかけてぎゅうぎゅう言わせるということになりますと、これはやがて人命の問題にも及んで参ります。このあり方を私らもいろいろと考えるわけでございますので、捜査当局におかせられましても、これはもう一家心中で五人死んだというような簡単な問題でなく、もう少し掘り下げて、将来は、この捜査なり、あるいは事情を御聴取願いたいと思うのでございます。ことに、この問題は、私らはこういうのには驚きませんけれども、こういうものが来るのでございますので、圧力のかけ方は程度の問題でございます。昨日来参議院で相当おやりになっている。これも程度の問題でございまして、のりを越えますとああいう問題も起る。従って、人命の問題、これを私らは人ごとのように考えるが、自分の身内に死んだ者があると考えてごらんなさい。これはもう深刻な問題でございますので、この点を強く申し上げ、なおこれを差し上げますから、しかるべくお取りなしを願いたいと思います。  終ります。
  26. 池田清志

    ○池田(清)委員長代理 午前の会議はこの程度にとどめまして、午後は二時半から再開いたします。それまで休憩いたします。    午後一時五十分休憩      ————◇—————    午後三時十五分開議
  27. 高橋禎一

    高橋委員長 午前に引き続き会議を開きます。  法務行政及び人件擁護に関し調査を進めます。  本日は、去る三十日調査いたしました東佐誉子事件につきまして、引き続き参考人より実情を聴取することになっております。  御出席の参考人は、財団法人精神医学研究所長荘寛君、日本女子大学本部庶務部長中原賢次君、元日本女子大学教授佐誉子君、東京都衛生局優生課長広瀬克己君、以上の四名の方々であります。  この際委員会を代表いたしまして簡単にごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中にもかかわらず当委員会に御出席下さいまして、まことにありがとうございます。忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、参考人より委員への質問は衆議院規則によってできないことになっております。また、御発言の際にはそのつど委員長の許可を得ることになっておりますから、さよう御了承願います。なお、最初の御発言の際、姓名、住所、職業をお述べ願います。  それでは質疑に入ります。猪俣君。
  28. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 荘さんにお尋ねいたします。
  29. 高橋禎一

    高橋委員長 荘参考人に申し上げますが、先ほどお願いいたしましたように、住所、姓名、職業を一応お述べ願います。
  30. 荘寛

    ○荘参考人 私の住所は板橋区板橋一丁目二千四百十一番地、職業は医師であります。姓名は荘寛と申します。
  31. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 荘さんは日本女子大学のPTAの会長をなさっておりますか。
  32. 荘寛

    ○荘参考人 お答えいたします。日本女子大学の大学部のPTAの会長をいたしております。
  33. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは日本女子大学の当局者から東女史のことについて相談を受けたことがありますか。
  34. 荘寛

    ○荘参考人 私、ただいま申し上げましたように、日本女子大学のPTAの方の会を担任しております関係上、しばしば同大学の方に参りまして、ある会の席上におきまして、理事会の決議事項報告されましたときに、初めて同大学の前教授でいらっしゃった東さんのお話を伺ったのでありますが、そのときは、私、ただ報告事項として伺っただけで、あまり私の頭には残っておらなかったのでありますが、その後いろいろ同校の衛生管理につきましての相談を受けましたときに、親しくその問題についての話を伺ったのであります。いろいろ学校の衛生管理の面につきまして問題が起りましたときに、たまたま東先生のお話に触れて、そこで初めて認識を持ったのであります。さようにいたしておりますうちに、昭和二十九年の夏と記憶しておりまするが、同大学の事務局長から、どうも少し精神疾患の方の疑いがあるように一般から認められておるのであるが、その方の診断あるいは治療についてはどうしたらよかろうかという相談を受けました。それについては、私、当時申し上げたことは、これはやっぱり専門的の知識が要るので、あって、その方の専門家に診断、治療を受けるのが適当であろうと考え、幸い私精神医学研究所の方の事業をいたしております関係上、その方の専門家に紹介いたし、その紹介によって学校当局が相談に行ったような経緯になっておりますことをお答え申し上げます。
  35. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 二十九年の七月ごろで、あるか、また、さかのぼって二十七年夏ごろであるか、これは二十九年の夏ごろだろうと思うのです。戸田人権擁護局長の報告の速記に二十七年の夏ごろとなっておるのは、二十九年の間違いじゃないかと思いますが、今荘さんの説明を聞きますと、そのころ精神病の疑いがあることを聞かれたときに、ただあなたはあなたの研究所の付属病院の医者に紹介してやるというようなことではなしに、精神病であるならば入院させることができるという御発言があったのじゃないかと思われるのですが、それはどうでございますか。
  36. 荘寛

    ○荘参考人 今簡単に私申し述べましたが、実は、学校衛生管理の問題につきまして話が出ましたときに、いろいろ、過失何年にわたりますか、十年以上にわたりますか、その間の学校当局の感じたことを私に話がございました。それを伺ってみますると、私、医師としての判断からしますと、どうもちょっとおかしく感ずる点があったのでありますので、あるいは診断の結果そうなるかもしれないけれども、まず慎重な診断を要するということをお答えしたわけなんです。
  37. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたがそういう御判断をなさるには、東佐誉子の病状について学校当局から事こまかに報告を受けた結果だと思うのでありますが、その報告の中に、教授をやめさせたにかかわらず、教室を二教室も占拠して明け渡さぬで困るということを病状の一端としてあなたにお話があったのじゃありませんか。
  38. 荘寛

    ○荘参考人 その病状の話の中に、ただいまお尋ねの点も入っておりました。  なお、一応私から委員長さんにお願いしたいのでありますが、私に率直に述べるようにという委員長さんからの御要望がございましたので、率直に物事を申しますが、それには、ただいま東先生が同席なさっておるようでありますけれども、大へん失礼ですが、しばらく別室の方へ……。  これは医師対患者の間のいろいろ感情問題が起るために申し上げた次第でございますが、それでは、そのことについて、それに付随した問題を学校からかなり詳しく説明がありましたことを、記憶をたどって申し上げますが、まず、戦時中におきまして、同先生が……
  39. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ちょっと、実は、病状については、精神医学研究所から出ておりますこれを全部読んでおります。私があなたにお尋ねいたしますのは、あなたが教室を占拠せられて困っているというようなことをお聞きしたかどうか、その点だけでけっこうなんです。
  40. 荘寛

    ○荘参考人 しかし、病状を私が判断するのには、学校当局のいろいろ話がありましたことを申し上げた方が……。
  41. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 いや、それは今時間がありませんし、みな書類もついて、これを全部読んでみましたから……。私ども調べるのは病気の研究じゃないのです。その意味におきまして、あなたも御多忙でございましょうから、まずあなたに質問することにして、質問が終ってからお帰りいただくことにして、実はいの一番にあなたにお願いしたのです。私ども調査する要点は——病状のことについてはちょっとまたあとで御意見を承わることもありますが、今私の質問の点についてだけお答え願いたいと思います。
  42. 荘寛

    ○荘参考人 お答えいたしますが、二教室を占拠なさっているということは、その学校当局の方の話の中にございました。
  43. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、そういう話があったついでに、病人のようであるが、病人であるならば病院へ収容することができるということをつけ加えられたのでありますか。
  44. 荘寛

    ○荘参考人 病人のようであれば病院に収容することができるということは、その当時私の方からつけ加えはいたしません。
  45. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 しかし、いろいろの病状を訴えられて、あなたは、先ほどの御証言では、病気のようであるから、それならば自分の知り合いの医者に紹介してやるとおっしゃったというのですが、そういう話のときに、精神病院というものには、本人が反対でも、真に病気であるならば、診断の結果強制的に入院せしめることができるというお話をしたのじゃありませんか。
  46. 荘寛

    ○荘参考人 そういうことは当時私は申しておりません。
  47. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 いや、これは法務省の人権擁護局長の調査の結果出ておりますからお尋ねしたのです。まあ、あなたは言った覚えがないなら、それでよろしゅうございます。  それから、あなた自身は、この東佐誉子なる者を御診察なさったことがありますか。
  48. 荘寛

    ○荘参考人 私自身は診察はいたしたことはございません。
  49. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、あなたが所長である精神医学研究所の業績集二号、これを読んでみますと、パラノイアという病気であるという診断になっております。もちろん、パラノイアなんというようなものは、われわれははっきりわかりませんが、まあ簡単に訳すれば、偏執狂というようなものらしいのであります。そこで、これを読んでみますと、どうも知能程度も変りはない、意識も変りはない、そしてその動作にも何も変りはない、ただ誇大にものを考えるような傾向、ときどき何か妄望が頭に出るような傾向というようなことが書いてあって、私なんかもこのパラノイアじゃないかと思われるのです。(笑声)私たちと何も変っていないのだ。そこで、これはパラノイアだと言われても言われないでも、これは外見からもちろんよくわからないし、そうじゃなかったんだと言ってみても、なかなか証拠もつかまらぬような病気のようでありますが、ただ、お尋ねしたいことは、もし真にパラノイアだとするならば、簡単になかなかなおらない病気じゃありませんか。たとえば一カ月や二カ月でなおらない病気じゃなかろうか。あるいはまた、ほとんど根治することのできない病気じゃなかろうか。それに対するあなたの御見解を承わりたい。
  50. 荘寛

    ○荘参考人 この診断につきましては、今のお話通り、診断名がパラノイアになっておりますが、この診断につきましては、相当慎重に、精神医学研究所の方におきまして、各分野の権威を集めて診断をしたのであります。パラノイアの疾患は、これはなかなか精神医学の方から申しましてもむずかしい病気でありまして、また例数も非常に少い。それで、研究所所員の総動員、並びに慶応義塾大学の精神科の教授、そういうふうな権威者を集めて、いろいろ診断についての協議を再三重ねてやりた結果、パラノイアの診断が確実であるというふうになった次第であります。
  51. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今お尋ねしたのは、これはほとんど根治できない病気であるのかないのかということです。
  52. 荘寛

    ○荘参考人 現在の医学から申し上げますと、絶対になおらぬというわけじゃありません。ただ、パラノイアの性格の方だけは容易になおせないという程度でありまして、絶対に不治の病気ではないということをお答え申し上げます。
  53. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 杉田直樹さんの精神病学なる本を読みますと、パラノイアのことが詳しく書いてある。その中には、いわゆるパラノイアの徴候の一つである妄想は、生涯消失せず、環境よろしきを得れば妄想を表面上主張せざるに至るも、妄の消ゆることは決してない、こういうふうに本には書いてある。ところが、あなたの今言うこととちょっと違うのだが、これは学者の意見で違うことはあるかもしれぬが、杉田さんはそうおっしゃっておる。
  54. 荘寛

    ○荘参考人 杉田氏のただいまの医学上の見解の御披瀝がありましたが、これは実はフロインドという人が、パラフレニーとパラノイアの区別が非常にしにくいというような学説を発表しておるのであります。そのパラノイアの方とパラフレニーとよく類似した疾患で二つあるのでありまして、パラフレニーというのは治療上なかなかむずかしいのでありますが、絶対に不治の病気というようなことは、私の医学知識から言って、言えないと思っておりますので、それをお答えいたします。
  55. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なお、杉田さんは、療法として特殊の療法なし、こういうふうに診断されております。転地保養等により一時妄想の程度薄らぐことあるも、それが一時的影響にすぎず、こういうふうに診断されておる。  そこで、もう一つお尋ねすることは、一体このパラノイアであるかどうかということは簡単に診断ができるものであるか、相当長期に試験しなければわからぬものであるか。長期だとするなら、どのくらいで一体この診断の決がとれるのです。
  56. 荘寛

    ○荘参考人 パラノイアの診断についてのお尋ねでありますが、これは、現在の医学から言いますと、TATの方法、それからSCTの方法、それからロール・シャッハチスト、いろいろの検査方法があるのであります。短時日に診断がつくかというお尋ねでありますが、これはなかなか、先に申し上げましたように複雑した症状が現われておる関係上、簡単な診断はつけにくいのであります。どのくらいの期間内において診断がつくかというお尋ねでありまするが、これは期限がどのくらいということは申し上げられないのでありまして、それに専心終日かかっているとすれば、短期で診断がつきますし、またいろいろ病状によって急に患者さんを刺激してはいかぬという場面が出て参りますと、一定の休養期間を置いて第二の診断に移る、こういうふうな条件がそこに附帯して参りますので、期間についてどのくらいで診断するかということの答えは私にできません。
  57. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 これは松本医科大学の西丸さんの精神医学入門という本に書いてある。パラノイアは長い長い経過を見て診断を下さないと誤まることが多いという結論であります。あなたが今どのくらいということは言うことができないとなれば仕方がないけれども、何かいとも簡単に入院をさせ、いとも簡単にパラノイアという診断を下しておられるのじゃないかという疑いが、われわれには多少ある。そこであなたにお尋ねしたのです。
  58. 荘寛

    ○荘参考人 お説の通りでありまして、なかなか診断が簡単にはしにくいのであります。相当の日数は要しますが、初めは実は精神分裂症の妄想型ではなかろうかというような、診断の途中でそういうふうな議論が出て診断名が出て参ったのでありますが、なお一そう慎重に診断の結果、どうも分裂症の妄想型では、ちょっと診断の解決にはふさわしくないということで、また再び、先に申し上げましたような所員以外の精神医学界の権威三浦岱栄氏、そういう人もお手伝いを願って、それで、多数の者が協議の結果、初めてパラノイアであるというような診断が、ここに出たわけであります。
  59. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それはそのくらいといたしまして、この東女史は精神衛生法二十九条で強制入院をさせられた。ところが、あなたの精神医学研究所の業績集に発表されましたるこの東女史の病状というものがここに書いてある。東女史は入院の際には精神衛生法第三十三条の親族の同意入院をしておったのを、その後これを二十九条の狂暴性ある患者として入院の手続を切りかえておる。そこで、あなたの方の報告を見ますと、入院に対しては予想に反してきわめて平静で、その日から別に文句も言わず、同室の三人の患者と一緒に食事をとり、夜は熟睡しておる、態度はいんぎんで、医師に対する反発的あるいは拒絶的態度は全然見られない、話し方はやや冗長な程度で、特別変ったところは見受けられない、領収、見当識は正しく、記憶、記銘力もよく把持され、知能の障害を認められない、ただ話の内容はやや誇大的である、一日中部屋に引きこもっていて、常に何か書いておる、退院まで約五十日の間に自己記録、主治医あての手紙、弟子への手紙等を書き続けている、またときに同室の分裂病患者に教えを説いたり、早朝に長寿法と称する奇妙な呼吸法をやって、同室の者にうるさがられたりしたこともあるが、おおむね平静に思索、記述をやっていたようである、同室の某患者は彼女のことを親切でよいおばちゃんと呼んでおり、また他の患者はおばちゃんがいると部屋が明るくなると言っている、——このように、病棟においては身近な患者たちからおばちゃんと呼ばれて尊敬され、したわれている。また、主治医の問診に対しては快く応じ、態度は協調的で、問診のたびに感謝の言葉を繰り返し、常に気持よく診察を行うことができた、患者の行動及び記録から興味のあるものを次に抜粋してみたい、こういうふうに書いてあります。こういう状態であった者を狂暴性あるものとして精神衛生法二十九条に病院は切りかえた。これは、医者から見れば人権なんということはあまり考えない。精神病の医者の中にはそういう態度の人があるのじゃないかと思われるが、いやしくも大学の教授までやった相当の地位のある婦人が、精神衛生法二十九条の狂暴性ある、自己及び他人を傷つけるおそれのあるという診断のもとにそういう入院手続をさせられたということになるならば、一生これが傷としてつきまとう。一体さようなことはよろしいのであるかどうか。あなたは、精神医学研究所の所長さんとして、また精神医といたしまして、どういうふうな御感想をお持ちですか。
  60. 荘寛

    ○荘参考人 ただいまのお尋ねにお答えいたしますが、初め、お説の通り、同意入院であったのでありまするが、十二月の九日に精神衛生法の二十九条の措置入院になっております。これは去る三十日に病院の上田院長が参りましてお答えしたように聞いておりまするが、私、同君の答えと全く同じであります。
  61. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 上田院長はいろいろ言うているのですが、あなたはどういうふうな理由になるのですか。同じであるじゃわかりません。どういう理由です。
  62. 荘寛

    ○荘参考人 それは、当時いろいろな状況がそこに加味されたように聞いておりまするが、初め同意入院で、なかなか経済面が続かない、大へんお気の毒に思うというような報告も私自身受けたのであります。そういうふうな点から、相当考慮してあげなくてはいけませんという答えをして、その後の入院切りかえについては実は病院自体に権限をまかしておる関係上、院長及びその他の職員によって決定したのであります。
  63. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは所長さんであって、実際の責任者は院長ということになっていますから、私はあなたを責めるのじゃありませんが、あなたも精神医学の権威者として、もし人権というものの御意識があるならば、その人権との調和をいかに考えるかということです。とにかく、学者といわれる人、教壇に立った人が、狂暴性ある理由によって入院せしめられたということが記録に残されておる際に、たとい病気がなおって出たといたしましても、それは一体どうなるか。ことに、このパラノイアはほとんど根治することが困難であるということが医学の大家による書物に書いてある。もしパラノイアだとするならばそういう性格のものである。なかなか半年や一年になおる道理はない。私どもはそこが常識上わからないのです。こんな状態であって、そう根治することのできないものであるならば、何も入院さしておく必要はないのじゃなかろうか。しかるに、それを狂暴性ある者に切りかえてまで入院させた。それが一生の経歴になってしまう。病院が入院なんかさしてくれなければ、ちゃんとやれる。今でも退院後女史は各地を講演に歩いております。この委員会があるので、奈良、和歌山、広島地方の講演を切り上げて戻ってこられた。ここに写真がありますが、広島大学なんかで講演して、みな女史が出ておる写真をとっておる。そんな急になおるものでないならば、二カ月この武蔵野病院に入っておってそんな急になおる道理がないのだ。そうすれば、大した活動のできる人間を二カ月も入れておいたのじゃなかろうかという疑いができることは当然です。しかるに、今読み上げたような状態であるものを狂暴性ある者と切りかえる。その人の名誉というものはどうなりますか。そうして、こう業績集に載せられて、これがみな頒布される。その人の名誉権というものはあなたはどうなるとお考えになるか。しかし、二カ月間くらいでぴしゃっとなおるものならやむを得ないこともありましょうし、真にまた狂暴性ある状態に陥っておったならばやむを得ないでしょう。しかし、そういう状態でもない、しかも真にパラノイアならそう簡単になおる病気でもないとするならば、そういうふうに切りかえてこういうふうに発表せられるその人の名誉権というものは一体どうなるのです。これは法の不備からくると思ってわれわれは研究しているのでありますが、精神医学者として、あなたはどういうふうにその調和をお考えになるか。患者の名誉というものと医学と、どういうふうに考えられるか、それを承わりたい。
  64. 荘寛

    ○荘参考人 ただいまの御質問に対しては、私、伺って考えて、まことに私の日ごろの考えに相反するものがあるのであります。ただいまお尋ねの狂暴性があったから切りかえたというようなことも、単に狂暴性を非常に強調していらっしゃるようでありまするが、実はそれだけの問題ではない。本研究業績にもありますように、調査の当時においては、学内のほとんど大多数の者が非常に恐怖観念を持ったくらいの同先生の動作、言語、そういう点があったのであります。学内の同僚であってもその部屋へはうっかり入れないという点もあったのでありまするが、狂暴性だけでやったのではないことをつけ加えて申し上げておきます。  それから、人の名誉を棄損したじゃないか、そういうもので急になおらぬパラノイアであって、なぜなおるとして入れたかというお言葉でありましたが、これは、われわれ医師として、なおるなおらないという問題は未知数でありますので、かなり重症でこれは危ないかと思って入院をさしてみて、治療した結果なおることもあります。また、その反対に、非常に簡単に診断、治療もできると思うものでも、その人の体質あるいはいろいろの条件がそこへ加わりまして、思うようにいかない点があるのであります。そういうふうに断定的にお考え下さることはちょっと無理じゃないかと思うのであります。  それから、私、この問題について一番考えたことは、実は、東先生に対して、学内もあるいは同僚の方も先輩の方も、非常な同情心、好意的の点から出発しておるのであります。学内の方では、いろいろ、理事会におきまして、法的に処置をしたらいいじゃないかという意見もあり、また、第二の意見としては、近親の方に御協力を得て御本人に傷をつけないようにした方がいいじゃないかと、大体二通りの説があったようでありまするが、女子の教育機関でありますので、非常に温情的な、しかも好意的な処置をとろうということの説が多くなった結果、非常に優秀な技能を持っていらっしゃる先生でありますので、身心ともに健康体にしてあげて、将来社会に活動していただくこそ、わが女子大学の母校のためにもなり、また御本人のためにもなるというふうな観念で出発したのであります。そして入院し、入院二カ月弱の間にだんだんよくなって、それまではまことに理想的に行ったのでありまするが、たまたま、退院後におきまして、それが途中においてゆがめられてしまったのであります。どういうわけでそういうふうになったかということは、私よく事情承知しておりませんが、退院後は手のひらを返すごとくに変ってしまったのであります。この点を考えてみますると、まことに同先生に対してもお気の毒であり、もしあのまま健康体になって再びりっぱな心身を持つ教育者として社会に活動したならば、先生自身はもちろんのこと、また母校の日本女子大のためにもよくなるんじゃないかと考えておったのであります。  それから、名誉棄損の問題もちょっと御質問があるようでありますが、できるだけ私の方はこれを極秘に付しておったのであります。たまたまこの問題が日本女子大の問題であるというのが一つの魅力を持ったせいか、ジャーナリズムがそれを書き立ててしまったのであります。ある婦人雑誌の方にその記事が載りましてから、雑誌社の方から、学内のこれに対する反駁の記事を書いたらどうかというようなこともありましたけれども、それではいけない、雑誌社を相手にしてそういうことをすることはいけない、東先生に対しても名誉上よくないことであるし、大学自体にとってもそういうことはよくないことであるから、できるだけ極秘にして処理しようというような方針で学内は進んだようでありまするが、たまたま次から次へと、いろんな新聞その他の雑誌にまで記事が出るようになって公けになったのでありますから、決して病院並びに学内の方としては名誉棄損をしたどころじゃなく、むしろこちらから、名誉の棄損にならないような方針で進んだのが、途中でどうしてか不可解な点があってゆがめられてしまったのが実情であることをお答え申し上げます。
  65. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 まあ、あなたは医者であるから、私どもの考えが理解できないかもしれないが、あなたは非常な親切のために精神病院へ入れたんだと言う。しかし、常識上は、精神病院へ入れられることは大へんです。これがもし嫁入り前の娘であったとすれば、一体どういうことになりますか。結婚できませんよ。そんな親切にやったなんということをおっしゃるけれども、これは容易ならざることです。しかし、それは意見の相違になるから、これでようございますが、これはいろんな方法があるが、たとえば、家屋明け渡しの訴訟などで大学がおやりになっていれば、当法務委員会は何にも文句はないんです。そういう合法的な手続をなされて、民事裁判の結果、東佐誉子女史はそこを占拠する法律上の根拠がないということの判決が出て明け渡させるなら、われわれ何も文句はないんです。しかるに、学校の意図は、その占拠した居室を明け渡させることが目的であったことは、今あなたがどんなことを言っても、あなたは事情を知って言ってるのか知らんで言ってるのか知らぬけれども、これは明らかなことなんです。警察調べでも、人権擁護局や当委員会調べでも明らかになったんです。再三その弟さんのところへ相談に行ってるんです。ところが、あなたのことを聞いてから、なるほどうまい方法があるという工合に気が変ったんです。これは人権擁護局報告に出ておる。それでさっきあなたに質問したんです。  そういうやり方というものは、法をつかさどる者からすると非常に困る。たとえば、非合法に家を占拠して明け渡さぬ者に対して、明け渡しの訴訟をしていれば何年かかるかわからぬ。その際に、精神病院の院長と結託して、もし精神病者として収容せられることができますならば、いとも簡単にできるかもしれない。今の精神衛生法にはそこの点について欠くるところがあると思うて、今研究しているんですが、それを応用せられますと、精神病医を信ずればこそいいが、多少不信の念を持ってくると容易ならざることを起す。あるいは、相続問題などが起った場合、これはよく歴史にもあるし現在でも行われているが、近親者のごく親しい者の間に相続争いというものが起る。そのときに精神病医と結託したらどういうことになるか。そういうことにもし利用されれば大へんであるので、当法務委員会が研究に乗り出してきたんだ。ですから、あなたは親切なやり方でやったんだと言うけれども、それがわれわれには非常な問題なんだ。しかし、これはまあ、医者としてのあなたとわれわれは見方が違うといえばそれまででありますから、これでおきます。  そして、あなたはパラノイアがなおるようなことを言っておりますが、私の調べた本には、なおるというようなことを書いた医者はない。そこの点にも学者としての学説が違うかもしれません。そこで、私どもは、なおらぬとするならば、かの東女史に会ってみても常人と一つも変りません。こういう人を、そんな大騒ぎをして精神病院に入れる必要はちっともなかったと思うんだが、それも見解が違うといたしますならばやむを得ません。  私は、荘さんに対する質問はこれで終りまして、あと中原さんにお尋ねします。
  66. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと荘参考人にお尋ねしたいのですが、今猪俣委員お話しになったのはこういう趣旨じゃないかと思うのです。最初同意入院で入院しておって、途中から、例の二十九条の強制入院といいますか、その手続をとったのは、やはり本人の狂暴性があるということを一つの条件にしておるが、その読み上げられたものでは狂暴性がなさそうではないか、狂暴性がないのにあるようにして治療させるということは、しかもその病気がなかなかなおりにくいものだということになると、一生つきまとう問題である、あの人は狂暴性のある精神病者だということの烙印を押されたんだから、一生それがつきまとうと人権問題に関係がある、そこのところをどういうふうにお考えですかという点だったのです。この精神衛生法の二十九条というようなことは、その当時お考えになっておったんですかどうですか。そこのところを御説明願いたいのです。
  67. 荘寛

    ○荘参考人 お答えいたします。精神衛生法の第二十九条の措置入院に切りかえたということは、今お尋ねの言葉を伺っておりますと、単に狂暴性というふうなことをもって切りかえたのはけしからぬじゃないか、あと本人の非常な名誉にも関係することだということでありますが、それだけではないのであります。この二十九条には、自他ともにいろいろの危害を——それも自分自身にも加える、あるいは他人にも加えるおそれがある場合のほかに、いろいろの条件が条文には入っておりますが、狂暴性だけではその処置に出るわけにいかないと私考えております。  なお、もう一つつけ加えてお答えいたしますが、私伺っておりますと、どうもふに落ちないところがあるのであります。肉体上の疾患であっても、熱が出る、非常にしょうすいしてしまって歩行もできなくなるというのであれば、それは皆さんにはっきりわかるのでありますが、この精神医学の方の疾患については、なかなか解釈が——皆さんという言葉は適当でないのですが、一般社会人の医学常識から言って、ふに落ちない点が多々あるのであります。しろうとが見るとまるっきり病人じゃないような方も、現在収容されてない方で相当おりますので、そこのところの見解をしろうと的に断定的になさると、医学上から言って非常に感心のできないことであります。  なお、東先生について、何ら精神的にも疑わしいところがないじゃないかというお言葉でありましたが、それに対しての私のお答えとしては、もう肉身の弟さんがこういうことを申しておるのでございます。姉は生来精神異常者であると思う、そうして昭和十八年から三年間の間罹病して郷里に静養中に、御母堂の看護が悪いというので非常に憤慨なさって、そうして、きょうは私はもう出て行く、きょうの日を私の命日と心得ておれというようなことで郷里をお立ちになっておる、その後不幸にしてお妹さん並びにお母さんがおなくなりになったときの電報通報を受けても、郷里にもお帰りにならない、そういうふうな御令弟からのお言葉があるのであります。私なんかとうてい手に負えないのだ、非常に頑強に自負心を持っておって、主張するともう手に負えません——。それから、なお、この業績集にもありますように、教室にお住まいになったときの非常に変った室内の挙措であります。たとえば、神がかりのような工合の文面を書いたものを一面に張る、あるいは教室に祭壇を設けるとか、あるいは授業を始めるときに合掌をするとか、とうてい常人としては想像のつかない点もあったのであります。そういう幾多の点はここに述べてありますから、一応御参考に業績集の方でごらんを願いたいのであります。
  68. 高橋禎一

    高橋委員長 いま一点、今の問題に関連するのですが、そうすると、二十九条による入院手続をされたときには、ほかの条件もありますけれども自分もしくは、他人を傷つけるというような、その言葉を凶暴性と、こう申し上げるとして、そういうふうな危険性があったというふうに認められたのかどうか、そこはどうなんでしょうか。
  69. 荘寛

    ○荘参考人 それは、ただいまお読みになった業績集にもありますように、入院後は非常に精神状態も落ちついて参りました。あの記事の通りでありまして、凶暴性というふうな点は認められなかったように報告を受けております。
  70. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ちょっと今の点ですが、そこをはっきりおっしゃられぬので、さっきから私は開いておる。凶暴性でなくとも、二十九条には他人の財産に害を及ぼすというようなこともあるのです。だから、どういうことでもって二十九条にあれしたのか、あなたに聞いておるのに、前に院長の言うた通りだと言うから、はっきりわからない。重ねて私は質問しておるけれども、あなたははっきりおっしゃられない。そこで、凶暴性だということかと私は思ったから、この業績集を読んだが、凶暴性がないじゃないかと言ったら、凶暴性のほかにまだあると、こうおっしゃる。あるといっても、二十九条の条文がここにあるのです。あなたはどれを言うておるのか、はっきりしない。だから、どれを言うのですか。私は二十九条を見てあなたにお尋ねしておるのです。これはあなたはよくわかっているだろうと思うのだが、そこで、自己または他人を傷つける凶暴性がなかったということならば、しからば、どういうことで二十九条を適用したのであるか。そこをはっきりあなたは御存じであるならしてもらいたい。しかし、あなたの責任じゃないのだから、御存じないのならいいですが、御存じあったら言ってもらいたい、こういう意味なんです。
  71. 荘寛

    ○荘参考人 この二十九条によって措置入院に切りかえたという点につきましては、私、病院の方の責任者にはなっておりますけれども、常にあの病院におりませんので、そのときの切りかえについての報告は受けたのは受けたのでありますけれども、私は詳しくその当時の状況を記憶しておりません。
  72. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 初めからそうおっしゃればいいのに、あなたはみな知っておるようなことをおっしゃるからわからなくなる。それではよろしゅうございます。
  73. 高橋禎一

    高橋委員長 次に、中原参考人、まず住所、姓名、職業をお述べ下さい。
  74. 中原賢次

    ○中原参考人 文京区の高田豊川町四十三番地に住んでおります。当時は学校法人の事務局長をいたしておりました中原賢次と申します。ただいま機構改革がありまして、本部の庶務部長をいたしております。
  75. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣君。
  76. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 この東佐誉子女史が教室を占拠せられて、学校当局は非常に困っておった状況はよくわかります。そこで、あなたはそのとき事務局長としてどういうふうに処置しようと考えましたか。
  77. 中原賢次

    ○中原参考人 私は昭和二十七年の四月に日本女子大学の方に赴任して参りましたですが、そのころはまだ学校法人事務局長じゃございません。事務局長とは申しておりませんで、そのあとになりますが、そのことは略すといたしまして、四月に帰って参りまして、七月と記憶いたしますが、学長兼理事長でございますが、そちらの方から、実は東先生の教室占拠で学校は大へん困っておる、教室が足りないということで、何とか出ていただきたいけれども、もう過去何年となく出ていただけない、ついては、この問題について適当に一つ考えて、何か方法を立ててほしい、こういう命令を受けたのでございます。  それで、私といたしましては、まず第一に、東先生が占拠しておられるかどうかというようなことを事実から調べたいと思いまして、よく図面なんか引いてみますと、準備室と、前フランス料理に使っておりました教室、合せて二十二、三坪であったと記憶いたしますが、その教室を先生が生活のために使っておられる。いわゆる占拠しておられる。それで、先生はそれでは住宅をお持ちでないかということになりますが、道一つ隔てました向うの同窓会の桜楓会が経営しておりますアパートがございますが、そのアパートに戦前から先生は一部屋お持ちになっておる。自分の住居は持って、しかも学校の教室二つを占拠しておられる。こういう事実を初めに確認いたしました。  次に、私の方で問題になりましたのは、東先生が果してこの教室をおのきにならなければならぬ事由があるかどうかということでございます。ここで一つちょっと訂正申し上げたいと思いますが、日本女子大学教授佐誉子先生ということになっておりますが、そのころ、昭和二十二年ころまでは——たしか二十三年以降になると変ると思いますが、従来は専門学校令によります日本女子大学校と申しております。これは旧制の大学令による大学でもございませんし、新制の大学令による大学でもございません。専門学校令による日本女子大学校の教授であられたのであります。その日本女子大学校の教授としての先生の資格がどうであったか、はっきりおやめになったかどうかということをはっきりいたしたいと思いまして、そのころ日本女子大学校時代の最高決議機関でありますところの幹部会というものがございまして、その記録調べてみました。そこの記録によりますと、昭和二十二年の四月三十日の記録に、正式に東先生の講義を閉ざしてしまう、こういうふうな決議が載っております。そうして、この閉講の決議のあとどういう手続をとったかということをあちこちに当ってみますと、主事をしておられた市村という人——あとで早稲田の教授をなさった方でありますが、その方が主事として東先生にその旨を通告された。これは何人かの方々に聞きましてはっきり確認いたしております。ただし、当分手当も給与するというようなことまで書いてありますので、ここでちょっと疑問を持ったのでありますが、とにかく、はっきり閉講並びに解職という通告が行っている。のみならず、昭和二十三年の五月十九日の幹部会の記録を読みますと、東先生の方から、今自分は著述中であるから、来たる七月までは部屋におらしてもらいたい、この著述が終ったあと自分の著述の著作権の収入から百万円を学校に寄付するということが記録に載っております。従いまして、東先生は、そういうふうな退職と立ちのきの通告と要求を受けておられる。それを御了承の上で七月までおらしてもらいたいという申し出があった。従って、これは御本人も了承しておられるということを確認いたしたのであります。  そういう事情をはっきり確認いたしましたので、今度は東先生がどうしてお出にならないかということをいろいろ先生方に聞いてみたのでありますが、いろんなお話を総合いたしますと、その真相記録に書いてございますように、ただ先生のところにお話に行くと非常にごきげんがよくて、あるときはコーヒーもごちそうしていただくというようなことであるけれども、この部屋を出たらどうかとか、あるいは出て下さい、そういうふうな話になりますと、先生の態度が一変して、ある人は手を振り足を踏みならされて先生から威嚇された、ある人は塩をまかれたというようなことで、もっとひどいそのころの話も出ておりましたが、それは自分がはっきり見たという人がないために、ここには書いてありませんが、とにかくそういうふうなことがありまして、どうも先生方がみな手を上げ、学校当局も手を上げておられる。のみならず、東先生と同級の親しい方でありますある教授に、私こういうことを頼みました。私が行けばかどが立つから、先生の方から一つ東先生にお会いいただいて、友だちとしてお勧めいただけないだろうか、こういうことをお願いしたことがございますが、いや、実は、自分も話に行って、そういうことを言うてくるならばあなたの孫子までのろってやる、こういうふうに言われて、私は自分がそういうふうにのろわれるのはいいけれども子供、孫までのろわれては困るから私は行かない、そういうふうなお話もございました。結局、結論といたしましては、そのころ、高橋錬逸といって学校の理事をしておられる男の方がありますが、五月十九日の幹部会で、自後東先生との交渉はこの高橋理事に一任するというはっきりした記録が載っておりますので、この高橋理事が、ずっと二十五年以後、私がこの問題でいろいろお伺いするまで、月に一度あるいは多いときには二度くらいおいでになっていたと承わっております。しかも、その先生も、とてもこれは私にはだめだ、あと一年、二年というふうに言われているが、これはなかなか解決しない、こういう状態でありました。男の理事の方も友だちの先生方も、もうほとんどみなどうにもしようがないというありさまで、手を上げておられたという状態でございます。  それで、私は、これはもう何か感情問題かあるいは東先生の方に非常に刺激されるようなことがその間あったのではなかろうか、こういうことであれば、もうそこは話し合いができないのじゃないか。しかし自分も一ぺん先生にお目にかかってみたいということで、高橋錬逸という方に、私を連れていって下さい、こう申しましたけれども、君、それはだめだ、もう私が今まで何年となく会っておってお話するけれども、とてもだめだ、君が会うといったって、会ってもいただけない、そういうような話もございまして、とめられて、私もそのまま引き下ったのでありますが、そういう状態でありますので私といたしましては、理事会に三つの提案をいたしました。ただいま荘先生からちょっとお話がございましたように、第一は、民事裁判と申しますか、調停裁判と申しますか、その裁判によってはっきり物事をきめていただく、それから、第二のことは、もしそれが大げさであるとお考えになるならば、所轄の警察の署長さんにでも中に立っいただいて、警察の立ち会いの上でこの問題を何か解決していただく方法がないであろうか。第三の問題といたしましては、もう学校が手を上げておりますので、これはやはり肉親の方によく先生にお話をしていただいて、その肉親の方の御協力によってこの問題を解決していただいてはどうか、この三つの私の考えを提出いたしました。そうして、学内理事会と申しまして、卒業生の御婦人の先生方が四人理事でおいでになりますが、この先生方のいわゆる学内理事会に私の案を出しました。ところが、その四人の先生も、みな昔から東先生と同僚であり、またそのうち二人の先生は自分の教え子であるというようなことを理由になさいまして、裁判では気の毒だ、警察お話するのも東さんに対して気の毒だ、だからこの第一と第二は困る、だから、第三の、肉親の協力を得て何か円満に解決する方法に向って努力してもらいたい、こういうお話がございました。それで、私は、弟さんあるいはお母さんがおありになるということだけは伺いましたのですが、どこにおいでになるかということがわからない。それを調べなければならぬということになっておりますときに、校舎の増築が三つばかり一度に参りまして、非常にごたごたいたしましたので、そのままにしておきましたところ、和歌山のある卒業生の方が、学校の先生に手紙を書きまして、私が大陸から引き揚げて和歌山の郷里に帰ったときに、村役場にお勤めになっておる東先生の弟様に大へんお世話になった、こういう手紙が参りましたので、そこで、その先生が、弟さんの居所がわかりましたよとおっしゃったのが、昭和二十九年の二月か三月ごろだったと記憶しております。それではさっそくその弟さんにお目にかかろうというので、私、弟様に連絡する手紙を書いたのでございますが、手紙を書くよりもさっそく行った方がいい、こういうふうな皆さんの御意見でございますので、家政学部長をいたしております月田という先生と二人で、たしか二十九年の四月十二日に和歌山に着きました。  弟さんにお目にかかったのは十三日ごろであったと思います。そのときお話しいたしました内容については、一昨日でございましたか、弟さんがここでおっしゃっておった通りでありますが、なお少し補足がてらもう一ぺん私の記憶によって繰り返しますと、姉は——弟さんのお言葉で、性格異常だ——先ほど荘先生は、精神異常とおっしゃっておいでになりますが、私の記憶では、性格異常とおっしゃいました。小さいときからいろいろ変ったところがある、いつも会うときには怒られてばかりおって、自分の言うことはほとんど聞かない。そういう性格であるので、一度がんばり通りしたら、だれが何と言ってもその言うことを聞かないような強い性格を持っておる……。だから、私そこへ参りまして、学校の窮状を訴えて、学校の方針がこうでありますからというので弟様に協力を願ったのでありますが、そういうふうな性格があること、また、過去の経験では、私が姉に会ってもしかられるに終る、これにとどまる、何も自分としては解決の力を持たない、だから自分は行かない、ただ、——井上秀子という先生がありますが、これは日本女子大学校の総長を勤めておりましたのですが、この井上先生は、姉の——佐誉子先生ですが、姉がフランスに留学するときにいろいろお世話になっておる、だから井上先生のおっしゃることならば姉も聞くと思う、もし井上先生の言うことを聞かないようだったら、もうだれが何と言おうと言うことを聞かない、とことんまでがんばり通す、そういうふうな性格の者だ、だから——今度は弟さんの方から逆に提案がございまして、井上先生に一つ説得をお願いしていただきたい、もしそれでいけなければ、学校が裁判にかけて立ちのき命令でも出してもらって、表面そういうふうに法的にぴしゃっと手を打って、裏面どこか卒業生の方々に会って話をしていただいて、そうして姉を招聘するという形で、いいポストを与えていただければ、あるいは姉も心機一転してそういう方向へ動いていくかもしれない、だからそういうふうな手を一つ打ってほしいという弟さんの逆の御依頼がございました。  そういうことになりましたので、帰りまして、それを一応学内理事会に報告いたしまして、井上先生、御苦労ですが、一つこういう弟さんの御希望でありますので、東先生にお話しいただけませんかと申したのでございます。井上先生は、もう私はだめだ一。よく聞いてみますと、いつか東先生に仕事をやめろとか部屋を出ろというようなことをおっしゃったそうでありますが、そのときに東先生がやはり手を組み足を踏み鳴らして非常に自分を非難された、もうあの態度は、これは絶縁を意味する、私がもう何と言っても東さんは聞いてくれない、これはだめだ、こういうお話でありました。それで、今度は法的に云々という弟さんのお話でもありましたが、これは、法に訴えるということは、初めから学校はやらないという方針でございますので、それではどこか関西の方に一つポジションを探して当ってみようということになりました。なお、その前に、弟さんにお会いしましたときに、弟さんがこういうふうにおっしゃいました。弟さんの非常にりっぱなお気持でありますのでお伝えいたしたいと思いますが、先ほど荘先生からお話ししましたように、病気の看護が悪かったから、もう将来お前とは縁を切る、きょうを自分の命日として心得てもらいたいということを言って出ていったけれども、やはりこれは私が姉の死水をとらなければならない、しかしながら、先生の妹さん、束論さんのお姉さんになる方があったそうですが、その方がなくなられたときも姉は帰ってきてくれなかった、母もだいぶ高齢でどうなるかわからないけれども、そのとき一つ帰ってもらいたいと思う、もしこの前のように姉がおりながら帰ってこないと、自分は非常に世間に肩身が狭い、ほんとうはもう姉がこっちの方へ帰ってきて自分のうちに落ち着けば、自分も姉のめんどうを見ながら、世間の方も体裁がよくなるので、できるならば大阪あるいは和歌山、そういう方面に一つ姉の仕事を探してほしい、こういうことがありました。ちょうどそのころの学長の大橋と申しますのが同窓会のことで関西に参りますので、そういうふうな弟さんの申し出があったから、大阪の同窓会の席上そういうふうなお願いをしてほしい。そうして何とか大阪あるいは和歌山の方へ東先生のいいポストができますように一つお話ししてもらいたいということを申し出ました。たしか、二十九年の七月に外国に立っておりますので、その前でございます。五月か六月と思いますが、井上先生とお二人で、大阪の同窓会の席上で東先生の就職方を依頼いたしました。その場合に、もう東先生は困るというふうな話が出たということを申しておりました。なぜ困ったかということは、別に理由があるのでございますが、これは略します。とにかく断わられた。こういう状態になっておりました。それで、一応弟さんの申し出も実を結ばなかった。こちらから弟さんに対する御相談も御協力を得なかった。こういう状態になっております。  もう少し経過を説明するのですか。
  78. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そういう経過は大体わかっているのです。私どもは、学校の内部の争いとか、学閥争いがどうのこうのということが問題ではないのです。それから、東という人は、私は全然知らぬ人です。また日本女子大学というのも全然関係はない。法務委員会人権侵害の点があるかないかということを言うているのです。あなたがせっかくしゃべっているから聞いているのだが、あまりそういう長いことは必要ではないのです。そこで、結局病院へ入れるようになった経緯、それを中心にして話して下さい。その前のことは、われわれはあまり関係はないように思います。どういうわけで病院へ入れるようになったのであるか、それを一つおっしゃていただきたい。
  79. 中原賢次

    ○中原参考人 ただいままで申し上げましたので、一応弟さんとの連絡が切れたのでございますが、そのあと、たしか六月か七月ごろだったと思いますが、弟さんの方から、姉がどうも精神的な病気があるらしいというので、診察をしてほしいという通知が参っております。こういう通知が参りましたので、私の方といたしましては実は処置に困ったわけでございますが、それで、理事会にかけまして、弟さんからこういうふうなお話があった、学校としてはどういうふうに処置すべきかということを、これは学内理事会でなしに全校の理事会にこのお手紙を御披露したと思っております。そのときに、理事の方々は、そういうことについて学校はタッチはしてはならないという御意見でございました。それで、その旨を弟さんの方に私は手紙で御通知いたしました。そのあとでまた弟さんの方からお手紙が参りましたが、この二つの手紙はそのあと荘先生に御相談に参りましたときにお預けして、その求ま見当りませんが、大体この前弟さんもおっしゃっておりましたように、弟さんが、変だと思います、そうして病気は医者に診察を願う、法律問題は弁護士に依頼する、こういうふうな自分は合理主義者である、だから自分がそういう病気の診察を依頼するためにわざわざ東京へ出ていぐ必要はない、だから学校で適当にやってほしいというような、重ねてのお手紙が参った。それで、学校といたしましては、態度がきまっておりまして弟さんが重ねてそういう手紙を下さいましたので、七月だったと思いますが、荘先生のところにこの手紙を持ってお願いに参ったのであります。
  80. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、あなたの言うことが重大な違いがあるのです。あなたは大事なことを抜かしておる。これはこの前弟さんがここで言うたのが真相なんです。あなたは弟さんと姉さんとが二十年来の音信不通であったということを知っておりましたか、聞きませんでしたか。あなたは和歌山に行ったのでしょう。そのときに弟さんが話したか話さないか、二十年も姉に会っておらぬということを言ったか言わないか。
  81. 中原賢次

    ○中原参考人 和歌山に参りましたときには、そういうことをおっしゃったとも思いますが、ただいまの診察依頼のときに、——お母さんが四月二十日にたしかなくなっておられます。その四月二十日にお母さんがなくなられたということを姉に知らしてやったけれども、姉は帰ってこない、ただ手紙をくれるだけで、その手紙も自分の言うことは聞いてくれないで、いろいろな御託宣をのたまうばかりである、そういうふうな手紙の文句がございまして、そういう手紙はみな警察の方に提出してございますので、はっきりしたことは覚えませんが、そういうことをおっしゃっております。だから、どうも姉の様子は変だ、しかも、この前これは弟さんもはっきりおっしゃいましたが、村で精神病者を自分が世話しておる、自分の姉もこの病気ではなかろうかというふうに思い当られたように書いてございました。
  82. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それはその通りです。あなたは大事なことを抜かして話しておるからいけない。一体、二十年も会わないで、急に姉が精神が変だから入院さしてくれなどと言う道理がない。そんな非常識なことを言うたって受け取れない。諸君が行って訴えたから、そこで、彼は、——そこはどうも彼もまた変っておると思うのは、自分はその渦中に入りたくない。というのは、姉が、何らかのことで、一度自分が中に入ることを絶対拒否したことがある、そういう性格の姉だから、自分は中に入りたくないという意味で、病気であったら学校で病院に入れてやったらいいし、何か法律問題があったら弁護士に頼んだらいい、おれが出る幕ではない、そういう意味で言っておるわけです。ところが、井上さんから手紙が来て、——その手紙は警視庁に出してありますよ。状況報告したから、病気であったら学校でしかるべくやってくれという手紙を出したわけなんです。これは、警視庁の調べでも、人権擁護局調べでも、みなそうなっておる。その肝心のものを抜かして話しておるけれども、常識上、二十年も会わない姉に、急に自分の方から、二十年前の姉の様子を考えるとちょっと変だということで、自分から進んで病院に入れてくれなどと言う道理がないじゃないか。諸君が相談をかけたから、こういう実情でこうだ、ことに、自分の信頼しておる井上さんから、姉は大へんだ、すぐに入院させなければ大へんなことになると言うものだから、それでも自分は出ていきたくなかった、学校でしかるべくやってくれ、私は関係しないでいたいという手紙をやったわけです。それを、あなたは、姉の病状を訴えたことも、井上女史が上京を促した手紙をやったことも、みんな抜かしていて話をする一そういうことじゃ僕はいかぬと思うのだ。それが証拠には、弟さんが学校にだまされていたと言って非常に憤慨した手紙を僕のところにくれて、それに詳細に書いてきている。その経路を見れば筋がずっと通っていますよ。二十年も会わぬ姉の病状を彼がかれこれ言える筋合いはないじゃないか。諸君がこうで大へんだ大へんだと言うから、頼む、こう出てきたわけです。それはどうなんですか。
  83. 中原賢次

    ○中原参考人 私が和歌山に参りましたのは一度だけでございまして、そのときには、先ほど申しましたように、弟さんがおいでいただいて、そうしてお姉さんに会って、立ちのき問題を解決していただきたいということをお願いしただけであります。その病気のことなんかには、学校としては絶対に触れておりません。  それから、井上先生の手紙ということでございますが、これは、実は、警視庁のお調べがありましたときに、井上先生は東先生が精神病であるということを言っているが、知っているか、こう私に質問がありました。今の御質問と同じであります。そこで、私は、絶対にそういうことはないと思う、私は少くとも知りませんと申しましたが、井上先生の手紙を私の目の前に出された。それを読んでみますと、精神病とは書いてございませんが、やはりそういうふうに受け取れるようなことは、文字の上で、常と異なる、異常というようなことは書いてございますが、その手紙は、別かうしろか、とにかく返事であるということがはっきりわかったのであります。それで、これは井上先生が返事を出されたのだ、弟さんからきている手紙があるはずだからというので、井上先生がお探しになって、その結果出てきました弟さんの手紙と、その井上さんの手紙とぴったり合って、井上先生が返事を出された、その弟さんの手紙に、すなわち井上先生がお出しになった返事の前の手紙に、私は今わずかしか記憶しておりませんが、姉は超オールド・ミスでヒステリーでというような言葉を弟さんの方から書いてある。その返事で、井上先生が心配されて、普通ではないというようなことをおっしゃっている。病気であるということは、これはおっしゃっていない、私はそう思います。
  84. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そんなこと、でたらめです。そんなことは事情が明らかになっているのだから、あまり作らぬ方がよろしい。これは現に月田さんが私のところに来ているじゃないか。そうして私が話をしておりますよ。あなたはそんな上手なことを言うちゃいかぬですよ。あなた方が病気だと言ってやらなければ、本人がそんなこと知っている道理がないじゃないか。二十年も音信不通の状況じゃないか。二通の手紙が、その一通がどうしてもなくなって、一通が出てきたので、警視庁に出ておる。この諦さんという人はばか正直くらい正直な人です。これっばかりも曲ったことが言えない人です。だから、これは諸君にうまくしてやられたのだ。これは実相は明らかだ。諸君はそれはやむを得なかったと思うのだ。学校でも、とにかくやめさせた先生が二つも教室を占拠しているのだから、僕はそれはすなおに聞けるのです。警察問題は穏やかでない、訴訟を起すのも穏やかでない、病院なら一つ静養させたらいいじゃないか、——さっきの荘さんが言ったように、それは温情のある取扱いだと諸君は考えたかもしれません。法律家でないからそこは私どもと感じが違うのです。それは僕らある程度了解できるのです。占拠されておるのだから、それは困ったでしょうと思うのです。しかし、病気であって入院させなければならぬということで、弟さんがいやがっておったのを、再三の諸君の要請で弟さんが上京してきたことは事実なんです。それはそんなことを修飾したって何にもならぬ。これはその直後警視庁が和歌山まで行って調べておるじゃないか。そうして警視庁の防犯部長が来て証言しておりますよ。私らの言うた通り自分は二十年も会わぬでいたけれども、学校から来て病気だ病気だと言われるので、適当にやってくれということになったのだ。はっきり、その当時すでに、この法務委員会で問題にならぬときだって言っておるのだ。それを、学校では、この「東佐誉氏の手記に対する真相記録」という中に、「本学が謀計をもって昭和二十九年十一月二十三日武蔵野病院に東武を入院させたと手記中に記されているが、これは診断の当初から入院にいたる迄、凡ては実弟東諦氏の願出と責任に於てなされたのであって、本学は事前に実弟諦氏に東佐誉氏が精神病患者である等のことを暗示したことは一切なく、ただ入院に対し出来うる限りの好意をつくしたにすぎぬ」と言っている。今のあなたの証言では少くとも井上女塾が手紙をやっておるではないか。これは暗示をしたことはないと書いてあるが、うそじゃないか。だから、正直に言わぬといけませんよ。そういう責任のがればかりやるから、私どもがつい語気が強くなる。事実は事実として述べなければいけない。月田さんと上代たのさんと一緒に私のところに来たですよ。そのとき私はじゅんじゅんと話をした。月田さんはちゃんと認めておりますよ。それをあなたは今こんなところへ来てうそをついてはだめじゃないか。この委員会をごまかそうなんてだめですよ。警視庁の防犯部長も法務省の人権擁護局長もみんな言っておるじゃないか。君だけがそんなうそをついたってだめですよ。  それから、入院の事情、そういういろいろのことでとにかく最後の上京を促したのはだれなんです。ぜひ出てくれといって頼んで行ったのはだれなんです。
  85. 中原賢次

    ○中原参考人 上京を促した者でありますか。——これは、先ほど申しました点にもう一つお話がございましたが、私が正直に言うようにとおっしゃいましたが、これは、提出してあります手紙の中に、はっきり、専門医の診断をやって感謝しておりますという手紙が来ておりますので、それをごらんいただければ、私いろいろ御説明するまでもないと思いますので……。それから、ちょっと……
  86. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ちょっと、専門医なんていうことは、君らが姉が病気だということをちっとも言わぬのに、どうして精神病院の専門医にかけられてありがたいと言う道理がないじゃないか。また、二十年会わぬ姉が精神病で今どうやっておるか、そんなことを、諸君が話をしなければ、和歌山の弟さんにわかる道理がないじゃないか。どうして和歌山の弟さんが、姉さんが病気になっておるということを知っておったということになるのか。諸君の話から言えば、諸君は病気のことは一言も言わぬ、それなのに弟さんから病院に入れてなおしてくれと言ってきた、あるいは病院に入れてなおしてもらってありがたかったと言ってきた、こう言うのだが、そうじやないですよ。本人は二十年会わぬ人ですよ。知らぬですよ。だれがそれを言うたのです。病気で困っておるということを言うた人があるのに違いない。だから、病気なら学校で責任をもって病院に入れてくれたらよかろうというのが弟さんの考え方で、筋が通っておるじゃないか。一切病気のことは言わぬで、ただ突然弟さんが病院に入れてくれと頼んだから、入れてやったらありがたかったと言って感謝してきた、それはつじつまが合わないのだ。それは警察調べているのも人権擁護局調べたのもみな違うじゃないか。だから、姉さんが病気であるということをだれが弟さんに言ったのです。病気で今困っておる、あるいは専門医の治療を受けなければならぬということをだれが言ったのだ。諸君が言わぬとすればだれが言ったのだ。それを言わなければ、二十年も会わぬ人がわかる道理がない。そういう非科学的なことを言ったってだめなんだ。自分たちが言ったことは言ったことで言いなさいよ。
  87. 中原賢次

    ○中原参考人 だれが言ったということになりますと非常に困りますが、弟さんからの手紙が提出してありますが、その中には、先ほど申しましたように、自分が村で精神分裂か何かの患者を取り扱ったことがある、それによって自分の姉もそうではないかと思うということがありまして、依頼がございました。
  88. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 おかしい。そういうことは、突然そんなことを学校に言うてやるということは不思議ではないか。弟さんはしょっちゅう学校にそんな手紙を今までやっておったのですか。何かのきっかけがあるからその手紙が出たんでしょうが。諸君が病気だ病気だと言うから、考えてみれば小さい時分からこういう傾向があったから、そうかもしれぬ、それじゃ直してくれいということの方が筋が通っているじゃないか。そんな筋の通らないことを日本女子大学がやっておるのか。もっと学校の当局者らしく答弁なさい。——そんな見え透いたことを言わぬで。月田さん、上代さん、みんな正直に言ってるんですよ。もう一人舎監の何とかいう人が私のところにいらっしゃった。私は二時間ほどよく説明してやった。決して私は女子大に何のあれもなくこれを取り扱うのだという問題と、精神衛生法の改正の論点があるかないかということでやっておるので、学校に対して私は何のあれもないんだということをよく説明している。そのかわり正面に言ってもらいたい、そうして東さんに対しては皆さんから直接東さんとよく話し合ってもらいたいということを私はよく言うてあるのです。だから、あの先生方も、すなおに、あることはあることとしてお話しなさっているんですよ。それを今あなたこんなところへ来てがんばったって、それは受け取れません。それはいい。あなたがそう言うならそれでいいが、そこで、結局、あなたの言うようならば、弟さんに頼まれて、二十年も会わなかった弟さんが何の理由だか知らぬが突然学校に対して病院へ入れてくれいと言うてきた、それからどうしました。
  89. 中原賢次

    ○中原参考人 それで、学内の理事会にかけまして、弟さんからこういうことを言ってきた、しかし、やはりこれも学校がそういう問題にタッチすべきではないというような決議になりまして、入院するならば、弟さんが出てきて、その弟さんの依頼によって入院さすべきである、こういうことになりました。それを弟さんの方へ私手紙で連絡いたしました。
  90. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そんなでたらめ言うてるならしようがない。まあいい。いずれ場合によってはまた証人としてお調べしなければならぬ。一切学校の責任にならぬようにという意味であなたは答弁している。そういうところは私は実に不愉快なんだ。筋道が通らぬですよ。じゃ、その通りに聞いておきましょう。  そこで、弟さんが病院へ入れてくれいと言うても、学校はそんなものにタッチすべきものじゃないが、肉親の弟であってみれば入れたかったら自分が来て入れたらよかろうという返事をしたら、弟さんが来て学校と無関係に勝手に入れた、こういうことになるのですか。そういうことになるの、ちょいと返事して下さい。あなたの筋からいくとそうなるが……。
  91. 中原賢次

    ○中原参考人 そうでございます。
  92. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そんなばかなことがあるか。そうすると、その入院させる日だれが連れていった。弟さんが連れていったのか。弟さんの責任でやる以上、弟さんが本人に会ったはずだ。弟さんが東さんに会ったか。それで、三人の男、女もまじえて四人で連れていった。これは院長さんも言っている。その中に君もいることを院長さんも言ってるじゃないか。君は学校の当局者として何の関係があってそんな関係のないところへ顔を出した。どういうわけだ。弟さんがいないじゃないか。学校は関係しない、お前が入れたかったら勝手に入れろ、そこで弟さんが出てきたという。それだのに、病院へ連れていったのは君が連れていった。筋道が合わぬじゃないか。
  93. 中原賢次

    ○中原参考人 弟さんが上京されまして、私は病院にはお供いたしております。そこで入院の同意書ができたということは御承知通りでございまして、そのときに、一昨日でございましたが弟さんがおっしゃったように、入院については病院に一任したとおっしゃった。これは私もはっきりそう記憶しております。当日でございますが、私は学校の職員の一人といたしまして特にこの問題に初めからかかり合いになってしまったような状態でございますが、これは学校の事務局としてよりも、むしろ弟さんと関係があったということで、学校の一人としてそこで立ち会ったわけでございます。二十三日の午前十一時半ごろ病院からお迎えに参りますという、あらかじめ弟さんとの御連絡があったのであります。そのときに弟さんはもう学校の構内においでになりましたので、弟さん参りましょう、私はどうせ門をあけに行かなければなりませんし、弟さんはそういう状態でありますから、参りましょうと言って、私はお誘いいたした。弟さんは初めからお姉さんに会いたがっておられないというような気持も私はわかっておりましたんですが、やはりそのときはお誘いいたしたのです。ぜひ立会っていただきたい、参りましょう815C。ところが、弟さんはそのときもおいでにならない。それで、私は、ただ門をあけに参って、そして門をあけて、病院からおいでになったらお茶でも上げようというので給仕にお茶を沸かさしておった。その間に病院からおいでになって、お迎えが出て、そうして私が知らない間に東先生が車に乗っておいでになった。それはあとから伺いました。私が連れていっている事実はございません。
  94. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 これは今検察当局調べているから、その結論を待ちますが、僕はあなたの人格を軽蔑します。きょうは証人として喚問しているのじゃないので、偽証の告発はできない。しかし、さような実に筋道の通らない、証拠歴然たることに対してあなたは公然とそういうことを言っている。弟さんの性格からしても、弟さん自身が、二十年も会わぬ姉を、だれにも頼まれないのにわざわざ東京へ出てきて病院へ入れるなんということをやる道理はありません。そういうことを諸君は平然とこの法務委員会で述べておることは、私は非常に遺憾である。そうして、これは、この東女史を入院せしめた中心人物は君なのだ。それは衆目の見るところ明らかなんだ。それを君は全く虚構のことを言うて全部弟さんの責任にしておる。そんな筋は立ちませんよ。それはいずれ明らかになるでしょうから、私どもは今これ以上あなたを調べられない。ただあなたを軽蔑するだけだ。私は事を正直に言ってもらいたかった。できたことは仕方がないのです。またやむを得ない事情があったのじゃないかと思うのだが、そういうことを言っているとすれば、あなたがこういうことをますます辛らつにやったであろうことを私は想像するだけだ。  そうすると、あなたは、この東氏を自動車へ連れ込んだのも、病院へ運んだのも、何も知らぬのか。
  95. 中原賢次

    ○中原参考人 先ほど触れましたように、十一時半においでになりますので、そのころに参りまして裏門をあけて、そうして本館の方へ帰りまして、お茶を沸かすように給仕に命じて、それから本館の廊下へ出ましたところ、病院の方にお会いしました。今おいでになりましたかと申しましたら、いや、もう先生を病院にお迎えいたしましたと、そこでおっしゃった。それで、もう先生はいらっしゃいましたかと聞きましたところ、はい、こういうことでございまして、私が本館の方に——地図がないとわかりませんが、先生は裏の方においでになりました。本館は前の方であります。その前の方に来てそういうことをやっている間に、東先生は入院の車にお乗りになった、そういう状況でございます。
  96. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、学校は、東先生が教室を占拠しておっても、自分からは病院へ入れるなんということはちっとも考えておらなかった、こういうわけですね。そうして、どんなに病気がひどくとも、学校はそのまま放任していくつもりであった、こういうことになるわけか。
  97. 中原賢次

    ○中原参考人 その点につきましては、学校といたしましては、病気であるというような気持はだれも持っておりません。これははっきり申し上げることができます。たとえば精神病というようなことが出ておりますが、これはだれも先生がそういう病気にかかっておられるということは従来出ておりません。ただ、一ころ、先生は爾光尊であるというようなことを言っておったということは私は聞きましたんですが、それはただ一つのニック・ネームみたいな、先生は病気であるということでなしに、ただ先生のところへお部屋のことで伺うと、非常に先生が興奮されて手がつけられないということを聞いておりました。
  98. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 病気の診断というのは、君はしろうとでできる道理はない。パラノイアという病気であるかどうかということは医者にかけなければわからない。病気じゃないかということで医者にかけたのじゃないか。今、荘きんの証言でも、学校でいろいろな事情を訴えたので、これは病気じゃないか、それならば病院へ紹介してやろうということを言ったという。それを君はわきで聞いているじゃないか。病気の話はちっとも出さぬというのはどういうことですか。あなたのわきの荘さんがちゃんと、学校からこうこうこういう状態だと言って相談を受けたから、病気じゃないかと思ったと、今証言しているじゃないですか。病気の話がちっとも出ないというのはどういうことですか。また、井上さんから病気だといった手紙が来ているじゃないか。学校は病気だとちっとも思わなかったということはどういうことですか。おかしいですよ、言うことが全部……。今、荘さんも言ったばかりじゃないか。上田さんもそう言っている。また、上田さんにしろ、荘さんにしろ、学校から頼まれもせぬのに、そんな病気の診断をする必要も、入院させる必要もないじゃないですか。学校から頼まれたから、診断し、入院させたのじゃないか。そうして、あなたは、精神衛生法の二十九条に切りかえるとき、あなたの名前で切りかえているじゃないか。それでも学校は入院と関係はないのですか。あなたの名前で切りかえているのに、一向入院とは関係がない、みな弟さんがやったことだということはどういうことですか。そういうつじつまの合わぬことをおっしゃると、こっちも少し強く出ざるを得ない。そんなことは常識上判断ができませんよ。学校が何の話もしないのに——片方弟さんは和歌山県にいるのですよ。二十年も会わぬのですよ。学校が何も東さんの病気の話をしないのに、武蔵野病院が活動する道理もないじゃないか。入院させることもないじゃないか。弟さんが出てきて頼んだ、——どうして弟さんが出てきたか。二十年も会わない弟さんが出てくる理由はないじゃないか。再三来てくれと言って、ようようみこしを上げて来たのです。大へんだと思って来たのです。そうして、ほんとうに大へんだと思って自分は同意したと言っておる。ところが、出てみて何でもないので憤激したと言って手紙が来ておるじゃないか。学校にだまされたとはっきり言っておる。警察でも人権擁護局でもみなそう言っておる。それを、あなたがどこまでもそういうことを言うのは、僕は全然不可解である。東女史の病気の問題、東女史の入院問題には学校は全然関係ないのですか。しかも、二十九条に切りかえたのはあなたの名前で切りかえている。
  99. 中原賢次

    ○中原参考人 学校の方で進めておりましたのは、結局部屋の立ちのきの問題であります。この立ちのき問題の解決の最後の手段として弟さんに言ったということは、はっきり弁明できるわけです。それから、それが転換して病院の問題になったというので、非常に疑惑が出てくるのでございますが、それは、私の関係しました範囲において、荘先生に、七月でございますが、そのときに弟さんの手紙を持って正式に御相談に行ったまでは、私は病気であるというようなことは直接申し上げておらない。こういうことでございます。  それから、二十九条でございましたか、私はそのころはもちろんはっきりわからなかったのでございますが、この問題は、実は初めからの経過を申し上げなければわかりませんが、弟さんは、結局、先ほど申しましたように、病気は医者、法律問題は弁護士、私はただ姉の老後の生活を見ていかなければならない、従って経済的な面において非常に御苦心あるいは御心配になっておった。これは、ときどき手紙が参りましたのにも、たとえば、姉の身分保障はどうなっておるか、退職金の問題はどうなっておるかということをおっしゃって、非常に御心配になっておった。それで入院の同意書に捺印なさったのでありますが、あの日もやはり姉さんの入院費用の問題が出ておる。その場合に、私の記憶では、二つ相談が出ておったと思う。病院の方では、やはり非常に入院費用のことを御心配になっておりましたが、第一は生活要保護であります。この手続で一つ入院費用が出るように取り計らってみよう、もしそれでなければ——それでなければというのは、東先生はすでに本も何冊もあって有名な方である、弟さんは役場に勤めておられる、だから、あるいは生活要保護の方はうまくいかないかもしれない、そのときには精神衛生法というのがあるから、この方の手続に切りかえるということを弟さんもお聞きになって、それを了承なさったと記憶しております。
  100. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私はこれで質問をやめます。  そこで、証人に切りかえて、明日でももう一ぺん出てもらって証言を聞きたいと思うのです。私は実に憤慨にたえない。私はこういう証言をするとは実は思わなかった。こういう証拠の歴然たるものに対して筋道の通らないことをどこまでも主張されたのでは、この委員会の権威にもかかわります。この程度で打ち切りますから、明日証人としてもう一ぺん喚問していただきたい。
  101. 高橋禎一

    高橋委員長 今の猪俣委員の御発言の証人云々の問題は、また理事会で協議をいたしまして決定することにいたします。  他の委員の方々は荘参考人、中原参考人に対して質問がございますか。——世耕弘一君。
  102. 世耕弘一

    世耕委員 過日もちょっとお尋ねいたしましたが、東さんと大学側と円満に話し合いがついて、そうして辞職の手続もとって退職金の受け渡しは完了しておるということが、このいきさつの報告書の中に入っておりますが、これは事実でございますかどうか。なお、その受け渡しされたときの状況、立会人、退職手当をどなたが受け取ったか、並びにそれに関連することを、御記憶があれば説明していただきたい。
  103. 中原賢次

    ○中原参考人 退職金の問題は、東先生の退院が終了しましたあくる日かと思いますが、昨年の一月の十何日でございます。東先生の弟さんの諦さんが臼田さん——この前ここに参考人においでになりましたが、その臼田さんを伴って学校へおいでになりました。そうして、そこで姉が退院したという御報告を伺いまして、それから、退職金の問題が残っておるので、今後退職金の問題については臼田金太郎氏を自分の代理人とする、こういうふうに東諦さんから私の方へ申し出がございました。その際、退職金の問題についていろいろ懇談をしたのでございますが、向うの方で臼田さんを代理人にお選びになりましたので、学校もやはり代理人を選んだ方がいいだろうということで、私どもの方のPTA関係でありますが、鶴見秀男というお医者さんがおられますが、その方を代理人にお願い申し上げました。そうして、そのあとは臼田さんと鶴見さんのお互いの間のお話が進められて参りました。その場合に、学校ではどういう退職金を出すかというお話が出ましたので、一応私ども退職金の計算の方式を出しました。それは、東先生がおやめになりましたのが昭和二十二年でございます。問題が起りましたのが昭和三十年の一月でございまして、学校の方といたしましては二十九年でございます。それで、昭和二十二年の月謝の額と、昭和二十九年の月謝の額を出しまして、昭和二十九年度は二十二年の学校の月謝の何倍になるかというようなことを出しまして、東先生のおやめになった昭和二十二年現在の俸給を倍数いたしまして、一応その先生の基本給というものを出してみました。それから、まだそれだけでは不安でございますので、ちょうどそのとき先生が二十二年何カ月かの御勤続でございますので、同様に女子大学の東先生と同じ学科を出まして、学校に二十二年ちょうど勤務しておる先生がありましたので、この俸給を出してみましたところ、大体それで合います。それで、一応その二十二年の勤続で今おります先生の俸給を東先生のそのときの俸給の額といたしました。そうして、今度は退職金の計算でございますが、これは、従来大体三年未満の勤続者には出しておりませんが、一応三年以上の方には二年に一月ぐらいの割で退職金を出しております。それで計算してみましたのですが、それだけではいけない、昭和二十九年一月からはすでに私立学校共済組合というものができまして、それに加入しておりまして、その二十二年何カ月勤務した人が今やめるとすれば、私立学校共済組合の方の一時退職金は幾らになるかということを計算いたしてみまして、ちょっと差がございましたのですが、大体平均いたしますと三十万円であります。それで、一応この三十万という線が出ますので、三十万ではどうかということで、私どもの代理人の鶴見さんの方に申し上げたのでございますが、向うの方からは、初め二百万とか三百万とか、あるいは五百万というようなこともはっきり手紙に出ておりますが、そういうようなことで、非常に歩み寄りがむずかしいと思っておりましたのですが、臼田さんの方でも、だんだん学校の事情をわかっていただいたとみえまして、歩み寄りをいただきまして、特に束先生が老齢であり、また病気であられるというようなことを考えまして、さらにそれに十万円を加えまして、四十万という金額で両方の代理人の方が御承諾になりまして、たしか昨年の一月三十一日だったと思いますが、鶴見さんという学校側の代理人のお宅に臼田さんがお見えになり、そうして、私、鶴見さんにお金を渡しまして、たしか鶴見さんから日田さんの方にお渡しがあり、そこで四十万円の受け取りをいただきました。そのときに、臼田さんは、非常に東先生は感謝しておられ、できれば東先生が直接大橋先生にお目にかかってお礼を申し上げたい、こういうようなお話もございました。なお、この問題については、私がまとめたんだから、私の顔にかかわるようなことは今後させないというようなお話も臼田さんの方からございまして、私たちといたましては非常に喜んだ次第でございます。
  104. 世耕弘一

    世耕委員 そのお払いになるときに、何か文書をお取りかわしになりましたか。たとえば、今後東と大学との関係は一切これで解消するとか、今後本件に対して異議を申し出ないとか、何か交換文書がございましたか。ただ退職金と口約だけでございましたか。その点、簡単に……。
  105. 中原賢次

    ○中原参考人 書面といたしましては、実は、私は、ただいま先生がおっしゃいましたようなことで解決するというような原稿を書きましたのですが、その場になりまして、両方の立会人がおいでになることだから、もうこれで、ただ先生の受け取りだけでいいというような説も出まして、そこで、受け取りだけいただきまして、あとは、ただいま申しましたことのようなお話がございました。
  106. 世耕弘一

    世耕委員 その後こういうような告訴状が出たのですね。告訴状の出ていることは御承知でございますね。告訴人東佐誉子として、右告訴の代理人に下村栄二、田中操の両氏が弁護士として手続をとっております。それから、告訴された相手方と申しますのは、井上秀、大橋広、中原賢次、上田守長、荘寛、そして、問題のあれは、不法監禁、窃盗、恐喝、名誉棄損が名目となっている。この告訴状は御存じございますか。
  107. 中原賢次

    ○中原参考人 実は、私たちは、告訴されたということはうわさ話に承わりましたのですが、まだ告訴状は見たことはございません。ただし、昨年の八月でございましたか、警視庁の防犯第二課だったと思いますが、お呼び出しがございまして、そのときにへ告訴があってそれに基いて調査をする、そういうお話を伺いました。
  108. 世耕弘一

    世耕委員 告訴状の出ているのは昭和三十年八月十三日で、それから、あなた方が円満に辞職のお話し合いがついて金銭の授受があったのが三十年の二月二十八日でございますね。そういうふうに報告が出ております。そうしますと、お金をもらっていてから、あとまた告訴状が出たということになると、非常におかしな問題が出てくるわけです。この告訴状の出る前に、あるいは最近あらためて何か金銭上の要求がございましたか。そういうようなことはございませんか。あなたの方に対して。
  109. 中原賢次

    ○中原参考人 実は、昨年警視庁関係でいろいろお調べがあっておりましたその後だと思いますが、問題がこういうふうに非常にむずかしくなって、学校も困っておるだろうから、もう少し金を出して、そしてこの問題を解決するというふうにしたらどうかというお話が電話で入ったことがございます。
  110. 世耕弘一

    世耕委員 それは、どなたから電話で連絡があって、どなたがその電話をお受けになったのですか。
  111. 中原賢次

    ○中原参考人 それは、先ほど申し上げました学校代理をしておいでになりました鶴見さんだと記憶いたします。その方がいろいろ仲へ立って御心配になっておりましたのですが、その方からそういうお話を伺ったように思います。私に電話でお話がございました。
  112. 世耕弘一

    世耕委員 その、もう少し金をよこせと申し入れのあった相手方は、東さん御自身ですか、それとも代理人ですか。
  113. 中原賢次

    ○中原参考人 私の方の代理人をお願いした方でございます。
  114. 世耕弘一

    世耕委員 いや、もう少し出してほしいという要求のあったのは、東さんの代理人か、あるいは東さん御自身から鶴見さんという方に申し入れがあったかどうかということです。
  115. 中原賢次

    ○中原参考人 その点は何もおっしゃいませんでございました。ただ鶴見先生の方からそういうお話がございました。
  116. 世耕弘一

    世耕委員 それは少しおかしいじゃありませんか。それでは鶴見さんが勝手にそんなことを言い出したのですか。そうじゃないでしょう。この際そういうことをはっきりおっしゃらないと、かえって誤解を生じますよ。あなた方の立場も悪くなるし、大学の立場も非常に不利になるんじゃないか。大体こういう問題を世間の問題まで発展せしめたのには、これは大学に責任がありますよ。ほんとうを言うと、大学の老婆心といいますか、親切心がかえって社会に大きな疑惑を生んでいるのです。この疑惑を解くということは、あなな方当事者として当然のことだと私は思う。今私がお尋ねしているのは、その急所をあなた方に聞いておかなければ、ほんとうの問題の究明ができないのです。私が調査した範囲では、臼田という人から二百万円要求しているじゃありませんか。それはうそですか。そういうことありませんか。しかも、その臼田という人は東さんの代理人である。代理人で四十万受け取って、そしてもうこれで解決いたしましたと言うておいて、今度は告訴状を出している。告訴状を出す反面において、また二百万円要求するということのからくりは、私は了承できない。これを明らかにすることがまず真相を究明する一つ段階であると思う。世間にはこういうことがよくある。そういうことに踊らされて、そういうことにおどかされて——この文書の中に恐喝と出ているが、もし真実であるとすれば、逆に恐喝が成立するというような問題も考えられると思います。今鶴見さんからそういうことをあなたに電話で連絡があったということをおっしゃるけれども、もし今のあなたの言うようなことになると、鶴見さんがけしからぬ。鶴見さんが学校側を代理でまとめてもう結論を出しておる。問題は解決がついたにもかかわらず、また追い銭をくれと言うことは、鶴見さんの立場から言うと、大学に対して代理の面目が立ちますか。この点を明確にしなければ、あなたの言うこともでたらめだというて猪俣君から文句を言われるのは、私は当りまえじゃないかと思う。その点は明確を欠きますよ。
  117. 中原賢次

    ○中原参考人 その点、私の説明が不十分でございましたのですが、この鶴見先生をなぜ学校で選んだかというと、実は、鶴見さんという方は神経科のお医者さんでございます。それで、その医者であられます鶴見さんの患者に臼田さんがなっております。それで、臼田さんは……
  118. 世耕弘一

    世耕委員 いや、ちょっと待って下さい。そんなこまかいことは、時間がありませんから、私もお聞きしようと思いません。経緯を聞くと、私が今申し上げたが、四十万円渡しておるじゃないですか。もうこれで話は済みました、どうもありがとうございましたといってその人がお礼回りをしている。しかるに、急にまたこんな告訴状を出して、しかも恐喝だとか名誉棄損だとか、人権じゅうりんだといって問題を出しておられる。そうして、その間においてまた二百万円あなたの代理人と称する人に要求してきたということは、少し筋が通らぬじゃないか。これは何かどちらかに手落ちがなくちゃならぬはずです。どちらかに魂胆がなくちゃならぬ。あなた方、解決するときに、でたらめな解決をしたのではないか。くさいものにふたをするような処置をとったからこんなものが出されてきたのではないかというのが、ここの委員会の様子で私はそういうことを質問したのです。簡単でいいのです。二百万円を要求してきたのはほんとうかどうか。それはだれが要求してきたか。それを何ゆえに取り次いだのか。取り次ぐべき筋ではないと私は思うのです。その鶴見さんという人がもし正常なる頭の人であったら、そういうことは考えられないでしょう。その点、簡単に御説明いただきたい。
  119. 中原賢次

    ○中原参考人 鶴見さんのお話は、大体臼田さんの御了解ができているものと私たちは了解しておりました。だから、鶴見さんがそうおっしゃることは、臼田さんとの話し合いの上で私たちの方に鶴見さんを通してそういう申し出があったのではないかと了解をいたします。
  120. 世耕弘一

    世耕委員 二百万円を要求してきたという、そういう事実を何かあなた聞きませんか。
  121. 中原賢次

    ○中原参考人 額は、私、はっきり記憶はございません。二百万円とおっしゃったかどうか、今記憶はございせまん。それがいつであったか、記憶がほとんどございません。学校としてはそういう要求に乗らないという腹をきめております。その額もはっきり覚えておりません。ただ、鶴見さんからそういう申し出があったと覚えております。
  122. 世耕弘一

    世耕委員 申し出があったら、それを拒否するのが当りまえじゃないか。拒否する理由があなた方にはっきりあるはずです。それをはっきり拒否できない理由がどこにあるか。そこに少し怪しいところがあるということがわかる。それをあなたはこの席で言うのに差しつかえるならば、私、申しません。これをもう一ぺん言っていただきたい。  それから、もう一つお聞きしたいことは、東さんの代理人になった臼田という方は、元から日本人ですか、それとも第三国の関係者ですか、これをお聞きいたします。
  123. 中原賢次

    ○中原参考人 その点につきましては、私自身は何もはっきり申し上げることはできませんが、いろいろなお話を伺いますと、何かそういうように私におっしゃる方がございます。
  124. 世耕弘一

    世耕委員 あなた方七年も八年もかかって解決する重大な問題を、金額としては三十万か五十万かのはなくそほどの金であるかもしらんけれども、大きな問題の始末をつけるときに、相手がどういう人物であるかどうかということの見きわめをつけないで、ああそうかと簡単に金を渡したり——相手方の代理人の人格を十分確認することが大事である。その点に手落ちがあったのではないですか。もしかりに手落ちがあったとすれば、これは女子大学の事務職員としてのあなたの責任を追及されるのだ。しっかりした委任状も持たない人、やみ取引みたいになってしまう。相手がどういう人物であるか、りっぱな人格を持った人格者であるかどうか、こういうことを確かめないから、こういう問題が出てくるのです。私の聞いたところでは、元第三国人であって、帰化されたように聞いておる。あるいは奥さんが台湾人とか、そういう点もはっきり今私は申しませんが、そういううわさを聞いているから実はお尋ねするのです。第三国人で非常にりっぱな人もあります。私の友だちも、つき合った人もありましたが、往々にしてややこしい人もあることは世間周知の事実です。話がついたのにまた告訴状を出す、あと金をくれと言ってきたというようなややこしい問題が起るということは、あなた方の少し手落ちのように私は考える。これは責めるわけじゃございませんが、そういうように考えられる。  それから、入院中の費用は大学の方でお払いになったのですか、それとも本人がお払いになったのですか。
  125. 中原賢次

    ○中原参考人 入院中の費用の中で、学校といたしましては、病院の方でいろいろと御配慮いただいておりますので、もしそれでまかなえないいろいろな自用の費用は全部学校の方で持つということで、第一回に、三千円だったかと思いますが、とりあえず病院にお預けいたしました。
  126. 世耕弘一

    世耕委員 もう一度お尋ねしますが、三千円ですか。
  127. 中原賢次

    ○中原参考人 はい。
  128. 世耕弘一

    世耕委員 それは診察料に該当すると思われるが、こんな少額のものだけで入院ができるのですか。これは一つ荘さんにお尋ねいたします。ついでに二十九条の問題もお聞きしたいと思うのですが……。
  129. 中原賢次

    ○中原参考人 荘先生の前に、ちょっと私の理解しておることを申し上げます。実は、病院の方で生活保護法あるいは精神衛生法の手続をとって下さるというので、そちらの方で費用はまかなう、しかし、それだけでは先生が御不自由であるという場合がありますので、たとえばちり紙を買うとかそういう場合のことは今後学校で責任を持っていこうということでございます。
  130. 世耕弘一

    世耕委員 この中に、昭和二十二年に病気の原因を発見したように書いておりますが、どういう原因から異常ありということを発見したのですか。うわさを聞くとか、生徒に聞くとか、同僚が言うとか、何かあるはずです。なぜそういうことをお尋ねするかというと、大学側の当事者が寄って、この人は教壇に立つ資格のない人だ、適当にあらずということにして閉講を申しつけたのでしょう。それは何か理由がなくてはならないのです。学問上の欠陥か、精神異常、あるいは非常に学校で生徒に受けが悪いとか、何か最初の動機がわかったらお知らせ願いたい。
  131. 中原賢次

    ○中原参考人 ちょうどそのころ、私、学校におりませんので、はっきりしたことを申し上げられませんですが、私の聞きました点によりますと、大橋学長の就任の反対を先生がなさった。これだけでなしに、むしろ先生は性格的にほかと協調ができない、それもあがっております。それから、もう一つは、先生の教育を受ける人が異様な影響を受ける、そういう具体的ないろいろな問題もあったようでございます。私立学校としての特色ある教育をやる上においてどうも困るというようなこともあった、そういうことも伺っておりますが、そういうことにつきましては、ここへその当時の方々がみなお立ちになっております。私といたしましては、そういうお話を伺ったという程度です。
  132. 世耕弘一

    世耕委員 これは教育者の立場からお尋ねしておきたいと思うのですが、東さんは井上前学長先生の御推挽でフランスへ留学されておりますね。いわばいろいろな意味から恩師だと考えられる。そして、次の学長さんとはあまり感情的な融和がなかっようにこの記録でも察せられます。ところで、いずれの関係がかりにあるといたしましても、母校の代表者である井上元学長、大橋前学長を堂々と不法監禁、窃盗、恐喝、名誉棄損で告訴しているということは、私は教育者としてまことに悲しい処置だと思う。かりに学校側が不当であるにしても、これは教育者として普通の頭で判断すべきことではないと思うのであります。その点についてどうお考えになりますか。私は、この告訴状を見るに及んで、東さんという人は正常な頭の人ではない、少くともノイローゼになっている、もしノイローゼでなかったら、たれかがしり押ししてやりなさい、しりをまくったら取れるぞと扇動してこんなことをやったんではないかというような想像ができる。自分がしいたげられておっても、母校を傷つける、恩師を傷つけると思ったら、教育者として立ち得べきではないのです。道義論からもそういうことが言える。道義の極端な頽廃の結果を言えば、それは正常なる精神所持者ではないと判断できるのです。先ほど来精神病のことでおっしゃったが、いわゆるパラノイアというのに当てはまるではないかと考えられる。  それと、もう一つ重ねて申し上げます。退職手当も双方の代表が寄って一たん了解済みである。受け取ってその金を返してくれないでしょう。受け取っておいて、なおこんな因縁をつけるということは、日本の教育者の建前、日本の道徳の建前から見て少し逆な結果を生み出しておるではないか。これはむしろ大学側があらためて告訴状を出さなくてはならぬのではないか。それについてあなたには決意がございますか。これをしなければ、あなた方まだどっかにややこしいところが残っているわけだと委員会でも思われますよ。あなた方、この東さんの不法占拠のことを七年間もやって、やっと処理したら、その仕方が変なところへ引っかかってしまった。しかも、公平な目から見れば、訴訟もしないで親切にやろうと思ったその親切がむだになってこういう結果になった、私はそういうように一応善意に解釈してみたい。今また、こういう恐喝、名誉棄損、不法監禁というので告訴されたのを、このまま黙認して、こちょこちょやっていると、いよいよもって女子大というところはへんなからくりをしてこの事件をうやむやに葬り去ろうとするという世間の批判をそのままかぶらなければならぬと思う。今あなたのおっしゃったこと、並びに猪俣君があなたに質問なさったことを勘案なさって、反対に告訴するのが当りまえじゃなかろうかと思う。これは大学当局者として一応理事会にお諮りになるのが順序だと思いますが、事ここに至った以上、あなた方の信念に間違いなければ、堂堂と法廷で争うことが必要である。向うが金で片づけるというなら、金で片づける方法もよいと考えるなら、どうなさいと指図する権限はございませんけれども、この際黒白を明らかにするために、大学の名誉のために、あなた方の名誉のために、堂々と正規の手続をとることが至当ではないかと思うが、あなたはどういうふうにお考えになりますか。
  133. 中原賢次

    ○中原参考人 ただいま世耕先生のお話しの通りに私は初めから考えておったのでございますが、学校当局の特に井上先生、大橋先生方は、私があの三つの提案を出しましたときから、東さんは教え子である、かつて同僚である、そういう方を法律に訴えてまでどうするということは自分たちとしては忍びない、そういうお考えがずっと出ておりまして、例の婦人雑誌に原稿が載りましたときも、あの原稿をごらんになりまして、そして雑誌社の方から学校の立場を書くようにというお話もあったのでありますが、実際そのときは寺口もなかったのでございますが、学校の立場からこれに反駁するということは東先生に気の毒である、自分たちはもう年をとっておるし、また、どんなに東さんが言われても、私たちに対するみんなの信頼は変らない、それを、自分たちが東さんを窮地に陥れるということは、自分たちはもう何もやりたくない、そういうお気持でございましたので、いろいろ新聞社の方もおいでになりまして、そういう事情をお聞きになったときに、これは君、ほほえましき人権擁護ではないかというふうに新聞記者がおっしゃたくらいに、先生方は今でも思いやりの気持を持っておいでになる。だから、ただいま先生から御趣旨がありましたように、事ここに至ってどういう態度をとるかということにつきましては、またあらためて学校自体にお諮りしなければならぬと思いますが、従来の先生方のお気持から申しますと、やはりこれは変っていないのではないか、特に東先生がこういうことで騒げば騒ぐほど先生のためによくないのじゃないか、一万人の卒業生がある、何人のお弟子さんがあるかもしれないけれども、先生がこういうことをなさるために一万人の同窓生の信頼を失うということは東さんにとって気の毒だから、こういうお考えでございます。
  134. 世耕弘一

    世耕委員 御趣旨はよくわかりました。教育者らしい最後の態度をとって、隠忍自重なさること、も東さんの人格を尊重する意味において、まことにけっこうだと思います。その点について、私は、どうしたらいい、こうしたらいいということを申し上げる筋合いのものではございません。しかしながら、事ここに至っては、世間の疑惑はただそれだけでは解けません。もしどうしてもあなた方が教育者らしい態度をあくまでもくずしたくないというお考えであるならば、一切を、不徳のいたすところでございますと言うて、今猪俣委員から追及されたことをここであやまっていけばいいでしょう。それなら徹底しております。けれども、弁解しなければならぬところへ追い込まれておるでしょう。一切は弁解いたしません、弁解するために東さんの人格を傷つける結果になる、情において忍びません、もし私のところに間違いがあると世間が断定なさるならば、私の方はそのおしかりを甘んじて受けます、こうならば、あなたを猪俣委員が証人で呼ぶぞというおしかりが出てこないのじゃないか。それだけの御用意ございますか。おそらく、先ほど来の御様子から見ると、そうあっさりあやまりもできぬ。迷うているのではないですか。教育者なら、一切がっさい不徳のいたすところでございます。すべての責任は大学側にあります、大学当局者側にあります、こう出ていけば、それはそれでりっぱです。弁明をしなければならぬところが煮え切らぬ。おそらく、学校当事者もその点が煮え切らないのが、結局今日の災いの種になったということを私は申し上げたい。  なお、もう一つ最後に荘先生にお願いしておきたいと思いますことは、精神病患者をお取り扱いになるのは、過去にも二、三の問題がありましたが、非常に世間に誤解を生ずる場合が多いのです。だが、これはどうしても、医術の信用、医者としての信用ということの建前から、適当な機会があればもっとこの事件をはっきりさせて、——これはわが医学界の信用を、ことに精神病関係の上病院、医者の信用を高める意味において、本件はただ一教授の精神鑑定の問題ではなくて大きな社会問題の根本となる問題でありますから、適当な機会があれば、あるたびに明確に発表していただきたい、そうして日本の医学界の権威をつけていただきたいということを私は特にお願いしてやまない次第であります。  一応これまでで終ります。
  135. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今世耕君から質問が出た臼田という人、この人が二百万円要求したとかしないとか、世耕君はどこからそういうことを聞き出したか私はわかりませんが、私は全く初耳なんです。そこで、今曾根原君に聞くと、臼田という人が傍聴に来ておって、自分の一身上のことを弁明させていただきたい——事は非常にその人の人格にかかわることだと思いますが、私も実は初耳であります。さようなことがあったのかないのか、明らかにさせていただかぬと、私どもまで何だか工合が悪いです。デマであるのか、そういう事実があるのか、ちょっと簡単に説明させていただきたい。
  136. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと速記をやめて下さい。   〔速記中止〕
  137. 高橋禎一

    高橋委員長 速記を始めて下さい。  ただいま委員長手元に臼田金太郎君より委員長あての書面が参っております。念のためこれを読み上げることにいたします。  一、退職金を受取る時に、御互ひの信用を傷けない、中傷もしないと云ふことを条件として御互ひに清く別れた。   併し乍ら女子大側ではその後機会ある毎に東先生は気狂ひである、精神病院に入院して居た人だと云ふことを宣伝し東先生の仕事を悉く妨害する様なことをした。   それ故東先生が怒って告訴をしたのである。併し私は東先生の退職問題だけを片附ければ私の責任はないのでその後の東先生の在り方は知りません。又東先生が雑誌に記事を書くということも、止めたし又告訴すると云うことも極力止めました。  一、尚その後金の要求はしません。福見先生から電話で問題があり大きくなって困るからも少し金を出して示談にして貰へないかと云う話はありました。その時二百万か三百万も初めの特出して居れば良かったが今となっては仕方がないから、学校からなんとか出させるから東先生の方に告訴を取下げてくれる様との頼みがありました。併し私の関係した事でなし又学校側も私との約束を破って東先生を怒らせたのだから僕は知らぬと云って仲介の労を取ることをことわりました。大森に臼田坂というのがあって臼田坂下、坂上とバスの停留場まである。   臼田は立派な明大出身の日本人である。  以上であります。
  138. 世耕弘一

    世耕委員 私、ちょっと関連していますから一言つけ加えておきたいと思うのですが、今の臼田さんの文書を聞きまして了承いたしました。私が聞いた範囲と——臼田さんの言うことが真実のように解釈されるのであります。ただ、大学側がこれに対してどういう言明をなさるかは別であります。一応私は臼田さんの意向の正しいことを了承しておきますから、さよう御了承願います。
  139. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私がこの問題を取り上げましたのは、婦人公論に記事が出まして、それを家人に示されました翌日、すぐ私はこの法務委員会で質問した。そのときに東さんという人を全然知らなかった。ただ、実に奇妙なことには、この臼田金太郎さんは知りませんが、この臼田金太郎さんの奥さんは十年前に知っておった。しかし、この事件関係があるということは最近まで知らなかった。ところが、この武蔵野病院から連れ出したのは臼田金太郎さんで、臼田金太郎夫妻のところにこの東氏が相当長い間静養しておったということも最近聞いた。この臼田金太郎氏は元拳闘の有名な選手でありまして、現在は大きな貿易会社の社長をやっておる。まあわれわれから見ればブルジョアであります。その奥さんは台湾のやはり大きな財閥のお嬢さんで、日本へ姉妹して留学に来て、女子大学まで出た人であります。それが何かこんぐらかって世耕君の耳に入ったかもしれませんが、りっぱなゼントルマンでありまして、そんなインチキをやるような人物でないと思います。しかし、金太郎さん自身は、私はほんの最近ここに証人に出てくるときに知り合っただけであります。奥さんは私は前からよく知っておる方ですので、私の知識だけを申し上げておきます。
  140. 高橋禎一

    高橋委員長 そこで、私ちょっと一点お尋ねしますが、中原さんは、さっき猪俣委員が途中までお聞きになっておやめになった、例の精神衛生法二十九条による束さんの入院の問題について、あなたの名前でも手続上出ておるというようなことでもあるのかないのか、その点はどうですか。
  141. 中原賢次

    ○中原参考人 その点はございます。その通りでございます。ただし、その経過は、先ほど申し上げました……
  142. 高橋禎一

    高橋委員長 ないのですか。
  143. 中原賢次

    ○中原参考人 あるのです。
  144. 高橋禎一

    高橋委員長 それでけっこうです。それから、金をお出しになって解決がついたとおっしゃったのは、退職金を支払いされた、こういう気持でお出しになったのかどうか、そこはどうですか。
  145. 中原賢次

    ○中原参考人 その点につきましては、初め東先生の弟さんと臼田さんが学校に見えましたときに、もう退院した、従って、病気のことについては今後もう問題にしない、あと退職金の問題が残っておるということで、初め自分の代理人として臼田さんの御紹介がありました。臼田さんとこちらの代理人との交渉は、主として退職金の問題であることは、これははっきり申し上げることができると思います。ただ、この退職金というものが関係いたします範囲は、やはり一応今般の問題全部の円満な解決、と申しますのは、臼田さんは、先ほど猪俣先生もおっしゃっておられましたように、相当大きな仕事をなさっておられまして、自分の顔をつぶすようなことはしない、この事件、この問題について今後中に立った私の顔をつぶすようなことがあれば、自分が責任を持つから、こうおっしゃっておられますので、私の方といたしましては、今度の全般のことについては責任を負っていただいたものと了解いたします。  それで、先ほどの婦人公論でございますが、この原稿が東さんの方から出たということを聞きまして、私、第一に臼田さんの方に電話をいたしました。ところが、臼田さんは、この問題は私が解決したので、私に知らせないでそういう原稿を寄せることははなはだけしからぬ、私の方でさっそくこの点については話をしてみる、こういうことを電話でおっしゃったこともございますので、私たちの方の了承といたしましては、一応退職金の問題ということは、この事件全般の解決だと思います。
  146. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  147. 高橋禎一

    高橋委員長 それでは速記を始めて下さい。  広瀬参考人に申し上げますが、まず住所、氏名、職業をお述べ下さって、委員からの質問について御意見を述べていただきたいと思います。
  148. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 私は新宿区霞ヶ丘町三番地に住んでおります。職業は東京都庁の衛生局医務部優生課長をいたしております。広瀬克己と申します。
  149. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣君。
  150. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 広瀬さんは、この東佐誉子氏が武蔵野病院へ入院したことを御存じだと思いますが、最初精神衛生法の第三十三条で親族の同意により入院しておる。後にそれが第二十九条で知事による入院措置に変った。その変った理由、その変ったことについて、どういう手続がなされておるか、東京都はどの辺までそれに関与されたのか、それを御説明下さい。   〔委員長退席、椎名(隆)委員長代理着席〕
  151. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 御説明申し上げます。  自由入院の場合には、私たちは、入院届を受領いたしませんと、その患者が入院したことはわかりません。従いまして、この件につきましても、入院届が出て参らなかったので、存じなかった次第でございます。たまたま、十二月二日だったと記憶いたしておりますが、上田武蔵野病院長が委員であるところの優生保護審査会というのがございまして、これが都庁の局内の一室で開かれました。そのときに、帰りがけに上田院長が私を予備とめられまして、こういうような患者さんの入院は、精神衛生法第二十九条の知事による措置入院になるだろうかというお話がございました。その節には、お名前も伺っておりませんし、年齢も伺っておらない。某学校の教室に相当期間にわたって、部屋に住み込んでいらっしゃった、そして教室内のいろいろの状況がこれこれであったというふうなお話がございました。そのときに、私、言下に、お話を伺っただけでは——もちろんこれは廊下での立ち話でございましたので、そしてまた時間もおそかったような関係もございましたので、私もあまり詳しく聞く気もなかったというようなわけで、言下に、ちょっとむずかしいだろうと申し上げて、お帰りを願った次第でございます。その後、電話でありましたか、あるいは武蔵野病院の事務の人でありましたか、私、どうもあとから思い出せないでおるのでございますが、同じような件の強制入院について話がございました。電話で聞いたのか、向うの事務員の方が来て話されたのか、それがわからないということを申し上げたのでありますが、まさに、私、今でも思い出せないのでございます。そういうふうに熱心に強制入院に該当するというお考えならば、申請書を出して正規の手続を経て、鑑定医が二名鑑定なさって、これが陽だときまれば、私の方で措置入院を発動せざるを得ないと申し上げたことがございます。そういう経緯で強制入院が成立したわけでございます。
  152. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 どうもちょっとおかしいんだな。精神病院の院長が、都の役人にすぎないあなたに相談する、——あなた医者ですか。
  153. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 そうでございます。
  154. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、武蔵野病院の院長さんが、こういう者が二十九条として入院できるかどうかということを、都の役人に聞くのですか。
  155. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 決して聞かれる必要はございません。独自の判断でやっていただいております。
  156. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、最初はこれは三十三条の同意入院ですか、それについては病院から通知がなければ都はわからぬということに精神衛生法ではなっているようでございますが、これは、規則からすると、入院者があるというと何日間かに届出しなければならぬのか、それを届出していないといかなる罰則があるか、事件の場合はその規則は守られておったかどうか。
  157. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 入院の日を加えまして十日間のうちに少くとも保健所の窓口まで書類が出なければ困るというふうに私の方では解釈しております。罰則につきましては、たとえば懲役何年というような形のものはなかったと思います。この件につきましては、十二月九日に強制入院をいたしましたので私の方でその入院がわかったわけなんですが、その前の自由入院の届出を受け取っておりませんのに、それをつい確かめなかったという点については、自分の方の過失を十分認めております。
  158. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 二十九条の入院についてはどういう手続を経ることになっておりますか。
  159. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 だれでもが、精神障害者を発見した場合には、その者の医療並びに保護を都知事にあてて申請することができるという二十三条の規定から始まりまして、警察検察庁、矯正施設等々からの通報、こういう二十三、二十四、二十五、二十六の四カ条に基きまして知事は申請あるいは通報を受けまして、調査の上必要と認める場合には精神衛生鑑定医をして鑑定させるという経路をたどります。
  160. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ところが、本件東女史の場合において、二十九条の手続が病院及び都において完全になされておりましたかどうか。もしなされておらなかったとするならば、いかなる欠陥があったか。
  161. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 入院届でもお話し申し上げました通り、この件につきましては、私の方の欠点が十分ございます。申請者の名義の変更というような件も出ておると思いますが、二十三条に基きまして最初上田院長が申請人になっておりましたのですが、自分の病院に入っておる患者さんのことについて二十九条の措置入院、強制入院の申請をするのは穏当ではないだろうという見解で、親族者あるいは学校関係者の方が穏当ではないかというふうな示唆をいたしたことはございます。実は、法には何ら規定がないのでございますけれども、そのとき私の下僚の者がそういうような意見を、まずその上田院長名義の申請書を私の優生課に持って参りましたときに話したわけでございます。私も同意見で変更を願った。そして中原さんの名義に変えたわけでございます。変えましたが、申請の日は上田さんが申請された日をもって中原さんの申請があったものとして処理したわけでございます。こういう点につきましても、後に考えまして、はなはだよろしくなかったというふうに考えております。
  162. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どもは、それはいいことだとは思いませんが、大したことではないと思います。ただ、強制入院させる場合に医者の鑑定というものが、この法規の要求する通り手続されたかどうか、それが問題だと思うのです。
  163. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 この点につきましては、法の明示するところは、鑑定医二人並びにその鑑定に立ち会うところの立会吏員が必要でございます。これにつきまして、実は立会吏員が当該鑑定には立ち会っておらなかった、この点につきましては、法の運用上はなはだ欠陥があったと深くおわびする次第でございますが、一つ、これは申しわけでおしかりを受けるのは当然だと存ずる次第でございますけれども、在宅の場合には当該人が鑑定を受けたかどうかということははなはだわかりにくい、ただし、病院における場合には、当該人が鑑定を受けたということは確かめやすいという関係から省略したのでございまして、まことに申しわけないのでございますが、一応の弁解をさしていただきます。
  164. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 この精神衛生法は医者を完全無欠なものという前提の上に立てられておる。これは、国家がそれだけの資格を与えられた人ですから、そう信用しなければわれわれまた医者にかかれないことになります。しかし人身を羈束いたしまする重大な問題だ。たとえば、犯罪者を検事なり警察官が逮捕いたしますにも判事の令状がなければならぬというくらい厳重になっておる。堂々たる国家の検事が不法行為をなした者を逮捕するにしても、判事の令状がなければならぬというふうに刑事訴訟法には規定されておる。この刑事訴訟法と精神衛生法は人身の自由を束縛することについて非常にバランスがとれておらぬと思うのです。しかし、この精神衛生法の最小限の要求は、医者二人の診察とか都の吏員の立ち会いということがきめてあるのですが、それさえ省略してしまって安易に入れられますと、これは非常に人権の問題がある。本件のごときはその実情がここに露呈したと思うのでして、私どもは精神衛生法を何とかして直さなければならぬじゃないか、その材料として今、東事件を取り上げているのです。ですから、あなた方がこれに立ち会わないということはそう簡単な問題じゃないのです。もしこの医者が違法であり、あるいは同意した親族が——財産相続争いなんかのときにはかえって親族ほど危険なのです。それが不当なような場合において、何らかの機関がこれに関与しないと、大へんなことを起す。精神衛生法はそういうことを考えて都の吏員の立ち会いを認めておるのだろうと思うが、それをすっぽかされるということは容易ならざることだと思うのです。すなおにお認めのようでありますから、私も今急にあなた方をお責めする心持はありませんが、ただ、先ほどのお話で、上田院長の名前で三十三条を二十九条に切りかえたが、それはどうも不穏当だということから学校の中原君に切りかえた。そこで、あなたがこれは学校の中原君に切りかえた方がいいと考えられた理由ですね。これは弟さんの同意入院になっておる。その弟さんに連絡しないで、いきなり学校というふうに考えられるについては、学校が東女史の入院については相当尽力し奔走しておったためだろうと思うのですが、その辺はどうなのですか。
  165. 広瀬克己

    ○広瀬参考人 学校側がこの件について私の方に御依頼になったことは全くございません。この件につきましては、私、実に声を大にして申し上げることができるのでございます。絶対においでになっておりません。それから、中原さんと申したのではなくて——もちろん、そのときに、私、中原さんという名前は全然存じていませんから、学校の関係者なり親戚なりというふうに下僚の者が申しておったように私記憶しております。私もその意見で別に差しとめなかったわけであります。法の規定によりますと、隣の人でも、赤の他人でもだれでもいい、申請者の資格は規定がないわけでございますから、つい思い出したままに、また当然らしく考えられる点から、私の下僚がそう申したので、私もそのときにそう感じたので、あえてとめなかったのだと存じます。   〔椎名(隆)委員長代理退席、委員長着席〕
  166. 高橋禎一

    高橋委員長 それでは次に移ります。  東佐誉子さんに申し上げますが、まず住所、姓名、職業をお述べ下さって、委員からの質疑について御意見をお述べ願いたいと思います。
  167. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 東佐誉子でございます。仕事は食物調理術及び保健食の研究を一生の仕事としてずっと続けております。現住所は杉並区大宮前五丁目二百五十二番地でございます。
  168. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣君。
  169. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 昭和二十九年ですか、あなたが武蔵野病院へ連れていかれたときの模様をなるべく要領よく簡単に、あまり感情を交えないでお話し願いたいと思います。
  170. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 どうも、私の不徳のゆえに、多大の御配慮をわずらわしまして、身の置きどころなく感じます。当日私が武蔵野病院へ連れていかれましたときの模様を、今の仰せに従いまして申し上げさせていただきます。  ちょうど昭和二十九年の十一月二十三日の朝でございました。私は老年期の保健食の研究の実験台に立っておるのでございます。それで、普通の日本人の食べものでなくて、これからの食べものの朝の御飯の実験台になっているその新しい研究の食事を準備して、これから食べようと思う時分にノックする音が聞えましたから、ドアをあけました。そうすると、一人の女性が立っておった。私の最近の著書、東京の創元社出版の「世界人は如何に食べつつあるか」という書物を一冊ほしいということでございました。私は、そういう方が折々に来られますから、よろしゅうございますと言って、次の部屋に行き、この一冊を持って入口へ出ましたら、今の女性がいないのです。そして、若い男子が立っておりました。ああ小野さんどこにいらっしゃったんですかと私が言いましたら、その男の人は私の両手をぐっとつかんで廊下へ出したのです。私はびっくりして、そんなことをされたのは生まれて初めてですから、これは大へんなことだと思って、廊下へ引き出されたときに見たら、その廊下のこっちの、私の目に見えないところに、また若い男が二人ちゃんと伏在したのです。そうして、その三人の若い屈強な男が、一人の防備のない女性の私を、手とり足とりして廊下を引きずっていった。そうして、外へ出ると、その前には自動車が一台待機しておって、裏門の方へすぐ行かれるように方向をちゃんとしておりました。三人の男が私を無理やりに自動車の中へ押し込んでしまったのです。その間その人間はみんな無言です。それは一生懸命の力でやるのです。なぜ叫び声を立てなかったかといいますけれども、叫び声なんか——私は、正当防御、連れていかれないようにしたいと思いまして、できるだけの抵抗をしたけれども、三人の男の人にはとてもかないません。それで、もう仕方がないから——かすり傷一つ相手につけたらいけないと思いますから、自分だけは抵抗をしたが、その中へ押し込まれてしまった。私の左側にいる男が私のここのところをぎゅっと抑えているのです。そうして、右側の男は私の腕をこうして、そういうようにしてすぐ出発しまして、フル・スピードで目白の方へ走ったのです。もうどうにもしようがない。それでしばらくたちましたら、細い道を曲りくねって、やっとある建物の前に停車したのです。そのときも、私、何とか逃げ出そうと思いますから、それでできるだけの抵抗をしたのですけれども、今度は、これは逃げると思ったと見えまして、三人の男がまた真剣になって私を手とり足とりで廊下を引きずっていって、ある建物のところへ行って、何かボタンを押されましたら、うちからドアがすっとあきました。そうしたら、その中へ私を、三人の男か二人の男か知りませんけれども、うしろに何人男がいたか知りませんが、さっきの男が私の背中をがっと突きました。そうしてそのドアの中へぽんと放り込まれました。そうしたら、うしろでドアがぱたんと締りました。これは大へんだと思いまして、それから、看護婦がいますから、ここはどういうところなんですか、ここは一たん入ったらもう絶体逃げ出せないところです、こう言いました。さようでございますか、かようなわけです。それで、私は朝御飯も食べてないのですが、間もなく昼御飯になりましたけれども、そこの食事たるや、私から言いましたら、最も正しくない食事で、私はこんなものを食べたら大へんだというように思いまして、食べなかった。晩御飯もまた不正食が出ましたから、食べなかった……。
  171. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ちょっと待って下さい。そこで、あなたが連れていかれて、押し込められて、内側から戸があいたときにだれか出てきましたか。看護婦がいたと言いますが、そのほかに、この前ここでお並びでわかったでしょうが、上田という院長さんやだれかいたのですか。
  172. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 いいえ、そのドアの中におったのでございませんで、玄関へ着きましたら、入口に、この間の三十日においでになった方らしい人が立っておりました。そのときに、私が逃げ出そうと思っていますから、そういうふうな態度のところを見たわけでございます。
  173. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それから、あなたは中原という当時学校の事務局長をやっておった人の顔を知っておりますか。
  174. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 ここで三十日にあいさつをしました。それをここらで聞いていらしゃる方があったと思いますが、私はここで初めて会いました。
  175. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 その中原という人は自動車のところにはおらなかったのですか。
  176. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 おりませんでした。
  177. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたが病院へ連れていかれたときのその三人の男というのは何人であるか、今でもわかりませんか。
  178. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 わかっております。
  179. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 だれだれでありますか。
  180. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 病院の看護人でございます。
  181. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 朝飯も食べなかったというのですが、それから何か医者が診察しましたか。
  182. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 診察を受けたことは一度もございませんでした。
  183. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、あなたが入れられてから、医者らしい者と何か話をしたり——精神医というのは脈を見たり何しないらしい。話なんかしたり目色を見たりするのが診察らしいのだが、そういう医者らしい者があなたと話をしたり、目色を見たりするようなことがありましたか。あったとすれば、それはいつごろですか。
  184. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 入院しましてから五日ほどほうり散らされたのです。ちょうど五日目でございました。この問の上田院長が初めて面会されまして、それがこの世で上田さんに会った最初でございます。
  185. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、入院してから五日ばかりたったときに上田院長が初めてあなたに会った。そのときに上田さんはどういうことを言ったのですか。
  186. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 こういうことを言われました。あなたは日本女子大学の公けの教室にがんばって私の生活をしておる。それはあまりにアブノーマルだから、女子大の理事会の名においてあなたをここへ入れてくれ、そうしてとにかくアブノーマルだから精神病者だと言うのでございます。そこで、私が頼まれましたからあなたをお預かりすることになりました、そういうことでございました。
  187. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ただそれだけですか。その他何か診察らしいことをやりましたか。
  188. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 何にもありませんでした。一度もそんなことがありませんでした。
  189. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは五十日ばかりいられたのですが、退院なさるまでにやはり何回か診察があったろうと思うのです。それはいつごろどんな診察があったわけですか。
  190. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 診察らしいことは一度もなかったのでございます。ただ、十一月の終りごろでございましたが、病院内にあります精神医学研究所へ私を連れていって、いろいろなメンタルテストというようなものをいたしました。メンタルテストで、精神検査というものでございますね、そういうものをされました。私はちょうどそのときかぜ引きで大へんな熱を出しておるし、そうして目は充血しておりますし、大へんなときで、そんなときに無理に引っぱり出してそういうような検査をいたしました。
  191. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それは入院してから何日目くらいですか。
  192. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 一カ月くらい後でございました。
  193. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、入院してから一切何らの診察もせず、一カ月もたってからその精神医学研究所というところへ連れていかれてメンタルテストをせられた。その後たびたびありましたか。それ一回ですか。
  194. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 たった一回でございます。
  195. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 たった一回やったきりで、その後また一カ月も何にもしなかった、こういうことになるわけですか。
  196. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 その通りでございます。何にもいたしませんでした。私は何らの治療も受けなかったし、療法もやられた覚えがございません。
  197. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは、教え子とかその他懇意な人に会いたいとか、あるいは弟さんに会いだいとかいうよう要求を出したことがありますか。あるいはまた、何か手紙をだれだれに渡してくれというふうに出したことがありますか。
  198. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 私は、一体どうしたらここからのがれられるだろうかということを毎日考えておりました。けれども、五十日間遮断されまして、もう内外とも、外から来るのは私に通じないし、私から出すのは一切通じませんので、それから、どうしたら退院できるかということを看護婦について研究しますと、どうしても親権者、初め私を入院させるときに印を押した人の承諾を受けなければ、どんなことをしてもそれは不可能であるということを知りました。それで、弟の束論に、私がこういうような状態で病院に入れられているという二とを知らせたい、秘書の大沢みどり、今の小松みどりにそれを知らせたい、それで手紙を書きました。それも、普通の方法でやり、ますと、それを通じることができませんから、それで、ちょうど三十日に臼田氏がおっしゃって下さった通りに、この正月三日だけ自分の家で正月をさせたいとおっしゃって下さっても、決して私のときには許してくれないにかかわらず、病院にいる七十人の入院患者の半数は家で正月をしたのでございます。そこで、その帰る人に、私の同じ部屋の帰る人にたのみまして、これを病院に知れたら困る、どうぞ何とかして直接投函してほしいということをたのんで、二通の手紙を書いて出しました。
  199. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、七十人入院しているうちで、半数以上は、正月だけ家に帰してもらったのに、あなただけは帰さなかった、こういうわけですが、正月だけ家に帰りたいということを看護婦なり医者なりにあなたは要求したことありますか。
  200. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 ありません。——いいえ、帰りたいということは何度言うたか知りません。どうか一刻も早く出してほしいということをどれだけたのんだかわかりません。もう懇願しました。
  201. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それはだれに懇願したのです。そのときに何がゆえに出されないと返事がありましたか。
  202. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 私が一生懸命にたのめばたのむほど——院長が一週間のうちに一回でございましたか二回でございましたか回診に来るのでございます。たくさんの医員、看護婦など連れてぞろぞろと廊下を通る。すると患者がお部屋の前にすわってそれを最敬礼をして送迎するのでございます。そのときにも、どうぞ出していただきたいということを院長に直接言いましたし、看護婦を通して、どうぞ一刻も早く出していただきたいということを何度たのんだか知れません。
  203. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたがそこへ入れられた理由は、今院長が、日本女子大学の理事会で決定した、こう言うた。そこで、あなたが学校の講義をやめさせられ、先生をやめさせられておったのに、なおあなたが教室を占拠して使っておった、こういうことになっておりますが、あなたは学校をやめさせられたのだから、そこを立ちのくべきことが常識だと思うのです。どういう理由で長い間あなたはその教室を使っておられたのか、また、学校からあなたにここを明け渡してくれろということを何べんも言うたのであるか、あなたの教室を占拠したということは、全然他人に使わせずにあなただけがやっておったという意味ですか、その辺のところが少しわかりませんが、それをお話し下さい。
  204. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 私が日本政府の留学生としましてパリに留学を命ぜられまして、それから帰って参りますときに、日本にない器具を自費でもって——親から出してもらった資金によりましてたくさん買い入れました。そうして帰ってきましたときに、今まで洗濯教室であったところを料理教室に改造いたしました。ところが、改造したのですけれども、ちょうどこの部屋にがらんどうで何も器具がないように、何もないものですから、私がパリで自費で買ってきたところの器具を一切入れまして、そうして受業をいたしました。建物だけは何しましたけれども、授業を遂行するところの何一つなかったのであります。それを、私の自費でパリで買ってきたものを、そのままそっくり——自分の出身学校で学校を愛しておりますから、それを惜しげもなしに、それこそ喜びをもってその器具をすっかり教室に入れて、そうして教授をしておりました。それから修繕費も私たちで受け持ちました。それから、ガラス器や陶器というような、つまりさらですね、それからコップというようなものはパリで買わないで日本で買いました。学校からは一切何もしてくれませんので、卒業生及び在学生、私で共同でそれらの器具をみな求めまして、そうして授業を二十何年間続けてきたのです。その二十二年目にすぐ出ていけ、その教室を明け渡せと言われても、そう簡単にいきません。それで、大学の使命、大学の本質というものは研究室が中心になるのです。研究室を中心にして、そこで新しい研究が発見される。その研究をほしいというて若い学生が集まってくるのです。その本格的な大学教育をしているその教室でございます。ほんとうの大学教育をやっている……。それに、理由なしに、お前にこんな悪いところがあるからもうきょう限り休講を命ずるというのではなしに、ただ出ていけ、その教室を明け渡せと二、三度言いに来ました。けれども、ちょっともそんなことを正式に言わないし、正式には今もってさたがありません。
  205. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、何の理由であなたに休講を命じたのか、あなたは今もってはっきりわからない、そこで、これは大橋という学長になってからの問題ですが、あなた自身としては、何がゆえに休講をさせられたか、思い当ることがありますか。
  206. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 そうでございますね、何がゆえに休講させたか、それは、私自身は学校を思い、学生を愛し、学生を思っておりますので、そのほかのことを何も考えておりませんが、多分大橋氏に対して何らの信頼を持っていないということに腹がお立ちになっただろうと思いまして、後輩としては申しわけのないところであり、そこは私の実に不徳なところでありますので、どうもそれをはっきり申し上げられませんが、とにかく出ていけと言われましたが、もう少し考えていただきたいと思いまして、反省していただきたいために、正式の通知がありませんから、何とか折れ合い、お互いに話し合いたいと思いまして、それを待っておりました。
  207. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは今の大橋氏が学長になるときに相当反対をせられまして、文部省あたりにも上申書を出した、そういうことが大橋氏に知れて、非常にあなたに対して不快を大橋氏が持ったというようなことは御存じでありましょうか。
  208. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 私は文部省に対して大橋氏の学長反対の上申書を出した覚えは絶対にありません。むしろ反対であります。私はその理由をここで申し上げさせていただきたいと思います。私の身辺の人は知っておりますけれども、今までちょっとも申し上げませんでしたけれども、実は私の授業は選択科目になっておりまして、取りたい生徒か私の研究室へ集まって参ります。そこで、百二十人のクラスの中の八十人までが私の授業を取りたいと希望したときに、そんなに多く取ったらいかぬといって、それを却下したのです。そうすると、講座があるのに、その授業を取れないという理由がない。私もそうです。学校も、その取りたいと学生が言うのを、それを取ったらいかぬと言うことはできないし、私も、私の研究室へ集まってくる学生に、あなたはいいけれどもこの人はいかぬという、入学試験みたいにいかぬのです。どんな人でも、来たら、そうですかと言って歓迎しなければいかぬ、そういうようになっております。ところが、そういうようになっているのに、私の授業を選択する学生がたくさんいるというので、何の理由もなしに、多く取ったらいかぬと言ったということです。そこで、何ということを言うのだろう、こんな不合理なことはないということを非常にその学生に感じさせた。そこへ、文部省の女子大の監督官の一番上である方の、奥さんも弟の奥さんも私の教えを受けた卒業生でございますし、その実妹が今度私の授業を取ろうと思っているところへ、そんなことを言われた。そうして、言われただけじゃないのです。寮監が、私の第一回の授業があるときに、その人に私の授業を選択したらいけないと言って、応接間へ二時間ほどとじ込めて出さなかったのです。そして、それが済んだら、その人が泣きながら兄さんのところへ行った。その兄さんたるや文部省の役人であった。そこで、こういうことをされた、何を言っているか、講座があれば堂々と取れということで、その人は一回の授業を休みましたけれども、その後取りました。それは四月でございます。それで、今度は、その秋、元の学長の井上秀子氏がパージになりまして、そのあとをその親友の大橋氏が学長になるということになって、そのときに、文部省から、ああいう方は不適任だと思うが東さんの意見をちょっと聞きたいという御通知を受けました。それでも、私は、内紛を外へ漏らしたくないものですから、行かなかったのです。それでもたびたび御催促があったから、私は文部省へ行きました。それを私が無名の投書を文部省へ出して大橋氏の学長になるのをじゃましたということで宣伝をした。私は、そういうような、じゃまをするというような妙な無名の投書なんかした覚えはございません。逆です。文部省から呼び出されても行かなかった。それを三回目に行った。それもいろいろなことを言ったのではない。向うがちゃんと知っています。文部省の上役の妹なり娘さんなんか五人ほど選択しておりましたから、実情を知っていたのです。その人たちによって文部省へ知らされたのです。私が言うたのじゃございません。
  209. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 もう一点だけ。あなたが臼田君の尽力によって、弟さんの判こを取っていよいよ退院をすることになった。ところが、臼田さんがこの前証言されておったが、まだなおっておらぬ、出さぬと言った。しかし、どうしても出せということで無理に連れ出した。あなたに対して出るときに何か言いましたか。あなたはまだなおっておらぬのだが出るとか何とかいうようなことを言いましたか。
  210. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 一月の五日であったか六日であったか知らないのでございますが、ある日、上田院長が私に久しぶりに面会です。これは一カ月目ぐらいでございました。そして私にこう言うのです。はっきり覚えてます。あなたをこの病院に置いとくとうるさいことが続出する、こんなうるさい患者はない、私は忙しいのでとってもやりきれぬから、あなたに出ていただきます、こんなふうに申しました。
  211. 高橋禎一

    高橋委員長 ほかに御質問ありますか。——世耕君。
  212. 世耕弘一

    世耕委員 簡単に四、五点お尋ねいたしますが、東さんと井上秀子女史とはどういう御関係ですか。大橋さんのことは今御説明があったからけっこうでございますが、井上さんとの関係をちょっとお聞きしたい。
  213. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 井上秀子女史は私の恩師でございます。元来、私がパリへ留学するようになりましたのは、井上秀子氏の推薦によるものでありますから、私は井上秀子氏に対する恩義を感じ、そうして指導をいただいたので、先生のためならばどんなことでもして御報恩の道を講じたいというようにいつも念願しておりました。これは、日本人でありますから、師に対する恩義を非常に感じている私でございました。先生もまた私を子供のように、ほんとうに母の愛でお導き下さいました。そういうような美しい関係であったのに、ほんとうに突如としてある事件が起ってきた。それは、こういうことを申し上げていいものかどうか、非常に私は苦しゅうございますけれども、ある事件が起りまして、それが御皇室に関することでございますから、非常に大へんなことになって、そうして、しかもそれを本人の井上秀子女史におっしゃらないで、私をお呼び出しになりまして、私が非常にしかられたのでございますが、何もそれに関係しておりませんので、実に困って、ただ一時間、秩父宮家の応接間で、はいはいと言って御用掛にしかられるのを頭を下げて伺っておりました。それが紀元二千六百年の祝典のあった秋、九月でございますから、大へんなことでありまして、とにかく井上秀子は不敬だといってお怒りになるのですから、私はその内容を知りませんし、私はどうしておわびしたらいいかしらと思っておりましたら、こういうことをおっしゃったのです。女子大からの献上は以後一切受けません。エビでタイを釣りに来る、それで一切受けませんが、両殿下には東の作品がおぼしめしにかなっているから、もし東個人の献上ならば喜んで御嘉納あらせられるとおっしゃって下った。そうして、帰ってから、どうしておわびをしようかしら、恩師のために何とかしたいと思っておりましたら、ひょっと最後におっしゃって下さったお言葉を思い出しまして、ああ先生のために、おわびのために、私はこれから奉仕をさせていただこうと思いまして、それで、翌日参殿しまして、これから東に両殿下への御奉仕をお許し願いたい、井上秀子の不敬のおわびに奉仕させていただきたいと言っておわびに上りましたら、それ、でよろしいとお許しが出ました。それで、ありがたく思いまして、ちょうどその時分は、砂糖は統制、粉は統制、バターは統制、何もかも材料のないときに、私はかけずり回っていろいろな材料をそろえまして、恩師のため、おわびのためだと思って、それが嬉しかったです。そうして、一生懸命に奉仕したけれども、それを御本人に何も言わなかった。そういうようなことがいろいろなことにこんがらかってきて、私がだれにも漏らさないで一人でやっていたことが大へんな災いのもとになったと私は思います。これでお許し下さいませ。
  214. 世耕弘一

    世耕委員 あなたの訴訟代理人として弁護士の下村栄二という人と、その弁護人の田中操という人が、今あなたがおっしゃっておられる井上秀子女史その他を相手取って告訴状を出しておられるが、御承知でございますか。
  215. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 よく存じております。
  216. 世耕弘一

    世耕委員 その弁護士はあなたが日ごろ御懇意な方ですか、あるいはどなたからかの連絡があって御依頼になったのでございますか。
  217. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 私の親しい友達の紹介によりまして依頼しました、ただ、私は、あの通り医者が私を気違いとしていますから、気違いの告訴は受け付けないということになっておりますから、それで、私の親しい人たちの配意によりまして、その方にお願いしてくれたわけでございます。
  218. 世耕弘一

    世耕委員 今お話しの、大学があなたを気違い扱いにしたというお話であるが、先ほど来大学側の意見もいろいろ聞いたのでありますが、まことにお気の毒だと思いますが、いつごろからそういうような気違い扱いをしたのか、入院なさってからそういうことをあなたが勘づいたか、あるいは、その前に、気違いだというようなことを耳にしたことがおありになるかどうか、その点を……。
  219. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 それは、私よりも、それを聞いた人がたくさんおられると思います。まず、前のときの速記録に出ております関根夫人も、この私が気違いだという学校側の非常な宣伝がありましたために、そうかしらんと思っておられたそうでありまして、あとでとても笑っておられましたが、そういうように、私は十何年くらい気違い扱いされたんでありませんでしょうか。私にはそんなことを言いません。こんなに言っていますということが間接に聞えてくるのでございますから……。
  220. 世耕弘一

    世耕委員 わかりました。もうあと二、三点簡単にお尋ねしますが、あなたは何か宗教的に信仰をお持ちでございますか。
  221. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 私は宗教のどの団体にも属しておりません。しかしながら、研究をしておりますと、普通の方よりも非常に、私なんかはどっちかというと、私は理科出身でございますけれども、芸術的な人間でございますから、自然を相手にして研究をしておりますときに、宇宙のスピリットというようなものに触れるんでございますね。もしもそれを言いかえるならば宗教かと思いますが、どの既成宗教にも入っておりませんし、団体にも属しておりません。そういうような人間でございます。
  222. 世耕弘一

    世耕委員 学校側から出した記録によりますと、あなたの、大学内にお住まいになったそのお部屋の中に、護摩札や、あるいは御神木と称していろいろな木片を集めておることと、それから呪文のようなものまで書いて張ったりなんかしておる、こういうことが出ておるのです。そういうことを調べてみますと、何かあなたは信仰生活に入っておられるのか、その表現として護摩札やあるいは御神木というものがその周囲に祭られているのか、——神殿とか仏殿とかを作るのはまあ一般的に考えられることなんだが、こういうような事実があったかなかったか。
  223. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 その学校の記録にある、いろいろの資料を集められておりますそれは、ちょうど戦争当時のものでございますね。それから十年たった今、それをたんねんに拾い出していろんなことを言うて下さるんでございますが、それはこういうんでございます。卒業生がございますね。地方から、先生——空襲中でございますよ。そのときに、先生、私たちはいなかにいて先生にえらいすまない、虫がいいけれども、どうぞ一つ研究室を守って下さい、どうぞお願いしますっていう手紙が日本全国から来るんです。そのとき、どうぞ先生が無事であって下さるようにというて、各神社のお守りだの何だの送ってくれ、私はそれを捨てるわけにいきませんから、せっかくのあなたたちの誠の表現であるからといって、ちゃんとそれを保存しておきました。それでございます。それが、今ごろ、私を無理じいに病院へほうり込んで、あとで探すといろいろなものが出てくるのでございます。それから、神木というのは、茨城県の鹿島神宮の——何かその送ってくれた人が私にこういうような説明をしました。何でも鳥居の木を小さく切って、その信徒に分けるんだそうでございますね。それを下妻高等学校の校長の、名前は私今よく……村山という人が、私が鹿島神社に出入りしておるので、私ももらいましたので、先生にそれをお送りしますというて、その娘を教わりたいためでございますね、それを送ってくれたんでございます。またこれも捨てるわけにいきませんから、私は白い布に包みまして大事に置いておきました。そうすると、それを何とかかんとかって言う次第でございます。私には関係がございませんで、送られたもので、それをむやみに捨てたくなくって保存した次第でございます。
  224. 世耕弘一

    世耕委員 なお、あなたのおいでになったお部屋の窓の外にしめなわが張ってあった、それから、祭壇を飾りつけたというふうに、また、人が行くと、先ほども話があったのですが、塩をまくというようなことがこの記事の中に出ているのですが、仏壇をお祭りになったり——御神木を送ってもらったのを、捨てるのはもったいないから御保存なさるということは、私たちもよくやることなんです。それは信仰生活に入らなくても、そういうことは、送って下さった人の好意に報いる意味において、部屋のすみなりあるいはどこかへお祭りするというのは、日本人の特性というか、人情だと思いますが、そのほかに、何だか皇道生会というのもお作りになったということがここに出ているのですが、しかし、これも戦争中のことだから、そういうようなことをすることもあながち気違いざたじゃない、むしろ当時の日本人の感情としてこれは許さるべきもので、あるべきことだと思うから、私はこだわって申し上げることは差し控えたいと思うのですが、こういうふうなことがあなたを気違いに結びつけていったんじゃないかと思います。  もう一つお伺いしますが、あなたのお部屋がいかにもきたなかった、一番問題になるのは、もう万年床で、ふとんは破れほうだいであって、そばへいくと臭気を放ったというようなことがこの文章に書いてあるのですが、これが事実でなければ、むしろ御否定になるなり、これを弁明なさることが、あなたのためにいいのじゃないか。それから、これについてもう一つ考えられることは、御承知通り、フランス料理というものはきれいな料理であり、清潔を第一としなければならぬ。その清潔を第一とする料理の根本精神から言って、あなたの居室は臭気を発する万年床で、そばへも寄りつけなかった、「不潔陰惨」という言葉が使われているのです。こういうことを、この文書そのものを読みますと、ははあ、東さんはやはりどこか狂っておるというふうに思わざるを得ないのですが、この点を明らかになされることがあなたのために立場が非常にいいのじゃないか、かように考えましたので、実はつつ込んでお聞きするようなわけです。お差しつかえなかったらお答え下さい。
  225. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 差しつかえるどころではなくて、あたたかいお心配りを厚く感謝いたします。それはあまりに事実無根のことでございまして、私は万年床をした覚えもございません。なぜといったら、湿気が上りますから、それをすぐ普通の押し入れに日本の床を入れるようにもいかないのであります。ちゃんとそれを毎日ほさなければいけない。万年床じゃなくて、清潔に、そしてちゃんと重ねて置いておかれない、そういうような状態でございしました。それから臭気ということは、私どもの反駁書にそれも書いてございます。私自身がそんなことをしたというので証明するのでしたら何でございますけれども、それは反駁書にちゃんと、全く事実無根である、作りごとであるということを二十何人みんなが証明しておりますから、それを反駁書でごらんになっていただきたいと思います。
  226. 世耕弘一

    世耕委員 最後にお聞きいたしますが、あなたが大学側としてあなたのために真実を伝えて下さる信頼する人はどなたとどなたでございますが。今ここに大橋前学長、それから井上秀さん、上代たのさん、月田寛さん、中原賢次さん、伴琢磨さん、出野柳さん、上田りうさん、野見山不二さん、亘理ナミさん、安東幸子さん、小林文子さん、中谷貞子さん、辻きよさん、石原道子さん、児玉省さんという人がここに出ておりますが、こういう方はあなたのために真実を立証してくれる方々であるか、あるいは、それ以外に、あなたが最も信頼していて、この人ならばあなたのほんとうのことを伝えてくれるであろうという方が現在の大典におありになりますか。あるいは御友人の方でおありになったらお知らせをしておいていただきたいと思います。
  227. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 今ここにおっしゃって下さった方は、私が終戦後一度も会わない方ばかりでございます。この中原さん、それからきょうおいでになった荘氏、私はここで初めてお目にかかりますと申しました。私、驚くことは、私とちっとも会わないで全然名前も知らないような人が、どうしてそんなことを書いたり証明するかという、そこに不思議を感ずるのでございます。知っていて書くのなら何ですが、全然知らない。その中でただ一人出野さんという人と終戦後一、二回会いました。そのほかの方は名前もほとんど知らない方が多いのでございます。もっとも、みんな知らない方ばかりじゃありませんけれども、全然知らない方が半数以上ございます。それで、一人も信頼する方はありません。
  228. 世耕弘一

    世耕委員 最後にお尋ねしたいのですが、大学の中あるいは大学外で、あなたの教え子でもけっこうでございますが、今後こういう問題を取り扱う上においてその人の言うことならば信じていただいてもいいというような、あなたの信頼する人がおありになるかどうか。今後もし調査を進める上において、あなたの味方としてお聞きするのに非常に便利だからお尋ねするのですが、そういう人はおありになりませんか。
  229. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 きょうここに傍聴に来て下さっている多くの教え子が私の信頼できる方でございます。
  230. 世耕弘一

    世耕委員 大ぜいおいでになっているのだから、今どなたということをお聞きするのはどうかと思いますが、適当な機会にこの人の言うことならば間違いないという人を委員長手元まででもお出し願えると、あなたのために非常に有利じゃないかと思う。それはなぜそういうことをつけ加えるかというと、私が調べた範囲では、あなたに不利な状態になっています。だから、今度は、あなたのために弁護して下さる、真実を伝えてくれる人が必要じゃないかと思うのです、いわゆる味方としてそういう適当な人があなたにおありでしたら、委員長までお届けしていただくことをお願いいたします。  それじゃ、ありがとうございました。
  231. 高橋禎一

    高橋委員長 今の世耕委員の御発言に関連して、委員長手元まで龍野ケイ子君外十一名の方から「要望」と題する書面が出ておりますから、ここで御報告申し上げます。これを読み上げますと以上であります。  ほかに御質疑はありませんか。——ちょっと私一つお尋ねするのですが、弟さんとの関係なんですが、長い間文通もしなかった時期があったように、弟さんが当法務委員会で述べていらっしゃったのですが、どういうふうに姉弟のつき合いをしていらっしゃるのですか。その点ちょっとお述べ下さい。
  232. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 それは、私は研究の方が忙しいものでございますから、普通の姉としての務めを実に怠りました。それをどんなにさびしく悲しかったことかと思います。これは私が悪かったのでございます。私が、日本の食養生活の改善のために、ただそればっかりまっこうに向いまして、ことに、政府の留学生であったのに、日本女子大学の方の教授になりまして、学校へは尽しましたけれども、お国の皆様のためにお尽しするということを非常に怠りましたので、もうそれの責任を果したいと思うために、象を捨て、恩愛を捨て、故郷を捨て、あらゆるものを捨てて、ただ力が足りないものでございますから、そういうように使命の実現にばっかりひたむきに行きまして、兄弟としての務めをちっとも尽さず、子としての務めを尽さず、これは実に申しわけのなかったことだと思います。そのためでございました。これはみんな私が悪いのでございます。
  233. 高橋禎一

    高橋委員長 それから、いま一点、先ほど世耕委員から質問のあったあなたの居室等の模様について、何か臭気が云々というようなこともありましたが、あなたの教え子といいますか、お弟子さんたちで親しい方々はあなたの居室等に出入りするような機会があったですかどうですか。その点をお述べ下さい。
  234. 東佐誉子

    ○東(佐)参考人 秘書がおりましたから、もしそんなことでしたら、それを秘書がちゃんとするのが当りまえであって、私は研究に集中して、秘書というのがそういう世話をするのでございますから、それでもしも臭気ふんぷんとして鬼気迫るというふうでしたら、その秘書がどうして部屋へ出入りができましょう。そういうことをちゃんとするのが秘書で、その任務の人がちゃんとおるんですから、私がするよりその人がするはずでございます。
  235. 高橋禎一

    高橋委員長 他に御質疑はありませんか。——ないようでありますので、本日はこの程度にとどめます。  参考人には長時間にわたり当委員会調査に御協力下さいまして、ありがとうございました。  それでは、本日はこれにて散会いたします。    午後七時二分散会