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1956-05-31 第24回国会 衆議院 法務委員会 第39号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月三十一日(木曜日)   午前十一時十九分開議  出席委員    委員長 高橋 禎一君    理事 池田 清志君 理事 椎名  隆君    理事 高瀬  傳君 理事 福井 盛太君    理事 三田村武夫君 理事 猪俣 浩三君    理事 菊地養之輔君       小島 徹三君    小林かなえ君       林   博君    横井 太郎君       横川 重次君    吉田 賢一君       志賀 義雄君  出席国務大臣         法 務 大 臣 牧野 良三君         国 務 大 臣 大麻 唯男君  出席政府委員         警察庁長官   石井 榮三君         警視長         (警察庁刑事部         長)      中川 董治君         検     事         (刑事局長事務         代理)     長戸 寛美君         法務事務官         (人権擁護局         長)      戸田 正直君         公安調査庁長官 藤井五一郎君         公安調査庁次長 高橋 一郎君  委員外出席者         検     事         (刑事局公安課         長)      桃沢 全司君         参  考  人         (会社員)   池田 哲子君         参  考  人         (長野警察署署         長)      北川 恵作君         参  考  人         (僧侶)    畑  直孝君         参  考  人         (長野地方公安         調査局局長)  森田  清君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 五月三十日  委員細田綱吉君辞任につき、その補欠として風  見章君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  法務行政及び人権擁護に関する件(京都地検に  おける犯人誤認事件等)  池田哲子事件に関する件     —————————————
  2. 高橋禎一

    高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。  日程に入ります前に、お知らせいたします。本国会中当委員会に参考送付されました陳情書一覧表をお手元に配付いたさせましたから、御了承願います。  本日は、まず、法務行政及び人権擁護関係事件中、京都地検における犯人誤認事件について調査を進めます。  それでは質疑を許します。椎名隆君。
  3. 椎名隆

    椎名(隆)委員 まず戸田人権擁護局長にお伺いいたしたいと思います。  御承知通り京都五番事件は、世人を非常に霊験させましたし、検察庁並びに警察署取調べがいかにずさんであり、いかに処置が不当であったかということがわかってきたのでありますが、検察庁並びに警察署取調べ道程におきまして人権じゅうりんの事実があったかなかったか、御調査になったでしょうか。
  4. 戸田正直

    戸田政府委員 実は、京都五番事件をきょう御審議になることをただいまここで初めてお聞きしまして、書類の持ち合せがないのですが、一応、あの事件につきまして、四少年逮捕について誤認があったかどうか、それについて暴行脅迫等による自白の強制があったかどうかという点と、検察庁における村松泰子等偽証逮捕が果して必要があったかどうか、また深夜における逮捕が妥当であったかどうかというような点について、一応の調査をいたしのであります。そこで、今書類がございませんので正確なところを申し上げにくいのですが、警察における暴行等があったかどうか、これは、四少年取調べによりますと、頭の毛を引っぱられた、あるいは、またぐらに頭を突っ込まれて押しつけられたとかいうようなことをいろいろ陳述しております。しかし、警察側に対する調べにおいては、さような事実は全然ないというふうなことで、両者の間に非常な食い違いがありまして、確証を得るというわけには実は参っておらないのです。ただ、これは私の感じでありますが、四少年がさように陳述しておる点と、家庭裁判所に送られてから、家庭裁判所において四少年が軌を一にしてかような暴行を受けておるというようなことを陳述しております。また、供述調書等によりましても、非常に四少年供述が変更されてきておるというような点から考えて、何かある程度自白するについてこれに加えられたものがあるのじゃなかろうか、こういう疑いは実は持っておるのでありますが、確証を得るというわけには参らない。今の調査ではさような状況であります。  それから、あの村松泰子等逮捕は果してする必要があったのかどうか。御承知の、あの村松泰子等証言内容は、第三者の男がおるということが一番大きな内容になっておるのです。まあ、あの事件から見ますと、傷害致死ずばりの事件に対する証言でありませんで、第三者の男がいたかいないか、またそれがどういう服装をしておったかというような点に対する証言について逮捕しておる。これは少し枝葉末節にわたるような証言内容じゃないか。それから、いろいろの事情もありましたが、夜中の一時半になって逮捕状を受けて、午前二時に逮捕状を執行しておるというような点が、深夜にわたって行われた点でいささか行き過ぎがあるのではないか、かように考えておる次第でございます。
  5. 椎名隆

    椎名(隆)委員 御承知だと思いますが、あの四少年のうちで宋哲準佐藤警部補に取り調べられたとき、四月十九日までの問いかに取り調べられましても一回も自白したことはない。全部事実を否認している。ただ四月十九日一回だけ佐藤警部補自白した。この自白するに至った道程に、何か警察署の方から暴行を受けたとか、あるいは威圧を加えられたというような事実があるかないか。その点につきましては、浜田正之が終始一貫いたしまして宋哲準がやったんだというようなことを家庭裁判所で言っているただそれだけでありまして、宋哲準はたった一回だけ四月十九日に自白している。その自白に至った点自体、非常に怪しいと思う。もし警察署等において何らか宋哲準をいじめることがなかったら、おそらく宋哲準自白するようなことはなかったと思うのです。その辺あたり何か調査したことがございましょうか。
  6. 戸田正直

    戸田政府委員 詳細に調査をいたしておりますが、ただいま実は記録を持っておりませんので、四月十九日にそういうような自白をするについて暴行脅迫等があったかどうか、はっきり申し上げられませんが、あの事件について、宋哲準とほかの少年たちも、警察において自分たちは頭の毛を引っぱれたとか、あるいは押しつけられたとか、長い間正座させられたというようなことを言っておりますが、先ほど申し上げたように、警察側の方も実はいろいろお聞きしたのですが、さような事実はないということで、またそれを裏づける確証を得るわけに参っておりません。ただ、諸般の状況からして、家庭裁判所に行って少年たちがそう言っている、また、やっていないのに、これについては何かあるではないかという疑いを持つのでありまして、実は調査いたしたようなことから、多少何かこれに加えられたものがあるのではなかろうかという推測をいたしておる程度で、確証を得てそういう事実があったと断定いたすわけには参らないのであります。
  7. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それは警察庁長官にお伺いいたします。  この問題につきまして、法務当局では、検察当局に誤まりがあったのかどうかその責任所在をはっきりさせるということを二、三日前の新聞で発表しておりますが、警察庁におきましては、この五番事件につきまして、警察署各位が調べた経過について、何か調べたことがございましょうか。
  8. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 この問題が起りましたことを私ども心から遺憾に存じております。さっそく警察庁からも係官を派遣いたしまして調査もいたしましたし、また警察庁出先機関である近畿管区警察局公安部長あるいは警備課長を呼び寄せて調査もいたしております。また、地元の直接の責任である現在の京都府警察部長をして、正確に詳細に、迅速に調査すべきことを命じて、現在もやらしております。さらに、今日ただいまも、警察庁の方から監察官を派遣いたしまして、引き続き調査をいたしておるような状況でございます。
  9. 椎名隆

    椎名(隆)委員 法務省の方におきましては、すでに、責任所在をはっきりせしめる、その点を調査した結果処罰すべきものは厳重に処罰するということをはっきり言明しておるのですが、警察庁の方においてはその点はいかがですか。
  10. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 調査の結果、遺憾ながら捜査行き過ぎと申しますか、そういう点がございましたならば、もとより責任を追及する覚悟ございます。ただ、御承知のように、現在の警察制度建前として、大部分の警察官警視以下は地方公務員ということになっておりますので、任命権者であるところの、この場合は京都府警察本部長懲戒処分を行うということになっておりますので、私ども中央で直接処分をするということはできないのでございます。私どもの方も、調査に基きまして、京都府警察本部長に、かくかくの事情であるならば処分相当と認めるというアドヴァイスはできると思うのでございまして、そういうふうにいたしたいと思っております。現に、拷問有無につきましては、先ほど戸田人権擁護局長からもお話がございました通り、四少年拷問を受けたと言っております。取調べに当った刑事の側はこれを否定しているという、いわば並行線であるのであります。私ども警察側であるからというので刑事諸君の言うことを直ちに百パーセントうのみにするというような片手落ちな考え方はいたしておりません。といって、四少年がそう言われるからといって、これまた百パーセント信頼をして、捜査に当った刑事を直ちに処分をすべしというふうに京都府警察本部長アドヴァイスをすることもいかがかと思います。事がきわめて重大でありますので、さらに、両当事者の言い分のみならず、いわゆる傍証を固めると申しますか、他の客観的事実に基いて真相を究明し、実態を把握いたしまして、その基礎に立って、処分をすべきものは処分をする、責任を追及すべきものは責任を追及するというふうにすべきものである、かように考えて、引き続き厳重な調査京都府警察本部長をして行わしめると同時に、私ども中央においても監察官を派遣いたしましてさらに調査を続行しておるという状況でございます。拷問有無につきましてはそういうことになります。  もともと、四少年逮捕し、その後において真犯人が現われた、第五の人物が現われたということから見まして、結果的に見て確かに捜査が満点でなかったことは明らかでございます。捜査が不手ぎわであったと申しますか、当初の捜査において四少年のみの逮捕に終って、さらにもう一歩掘り下げて追及すれば第五の人物が浮び上ったであろうにもかかわらず、それができていなかったというところに捜査の欠くるところがあったのではないか、いわゆる捜査の適正を欠いたのではないかという点がありますので、この点につきましては当時の捜査指揮に当った幹部に特に責任もあろうかと思いますので、そういった点については、明らかな者については即刻処分をすべきが、適当ではなかろうかというふうに、京都府警察本部長にはアドヴァイスをいたしておる次第でございます。
  11. 椎名隆

    椎名(隆)委員 由来、監督官庁は、自分の部下といいますか、自分の傘下に属するところの官庁の失敗はえてしてかばう、あるいは、ことさらに長く調査して、世人が忘れたころにやんわり処罰するのが普通なのです。しかるに、民間人でもしかりに悪いことがあったとするなら、これは仮借なく取り締る。今調査中だとおっしゃられるが、四少年が釈放せられてからもう相当期間がたっている。すでに取調べが終了して、責任を負わせべき者には負わせて、そうして、世人をして、たとい検察庁でも警察署においても悪いことがあったとすればこのように責任所在を明らかにするのだということを知らしめてこそ、私は民主政治だと思うのです。ところが、いつまでたってもまだ調査中だということになってくると、やはりお上の仕事はいかに悪いことをやっても処罰せられるようなことはないのだというような観念を民衆に抱かすということになり、私は非常にいけないことじゃないかと思う。  そうすると、調査中だというのは、一体いつになったら調査が終るのですか。調査が終る見通しはいつごろになりますか。
  12. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 私ども警察部内におきまして不詳事を起した場合に、いわゆるくさいものにふたをするという気持は毛頭持っておらないのでございます。信賞必罰ということを建前といたしております。できるだけ、一罰百戒と申しますか、迅速に処分すべきものは処分することによって初めて警察全体の綱紀の粛正というか部内の士気の高揚にもなるかと思っておりますので、日ごろそういうふうに心がけて指導いたしているつもりでありますが、本件につきましては、処分が緩慢ではないか、時期があまりにもずれてスローモーではないかというおしかりをいただいたのでありますが、この事件そのものは昨年の四月発生した事件でございますが、先ほど来の問題が問題になりましたのは、本年の四月に入って、いわゆる真犯人である佐藤氏が自首して出てからのことでございます。それ以来、私どもは、鋭意、先ほど来申し上げますようなあらゆる角度からあらゆる方法を講じて実態調査をいたしておるのでありますが、拷問有無につきましては、両者言い分が全く並行線である。その真実を究明するということについてはなかなか困難な事情があるのであります。いましばらく時間をおかし願わなければならぬかと思うのでありまして、それではあと何日くらいやったら結論に達し得るかということになりますと、私どもは、ただいま直ちにここではっきりと言明は申し上げかねるのであります。できるだけすみやかに結論に到達いたしたい、私自身そう考えております。現地の本部長においても、おそらく全く同感であろうと思います。今後とも一そう督励をいたしまして、すみやかに結論に到達するように一そう努力をさせたいと思っております。
  13. 椎名隆

    椎名(隆)委員 佐藤氏が出てきてから間もないといいますが、佐藤が出てきたればこそこの四人が早く釈放せられたようなことになったのです。もし佐藤が自首して出てこなかったとするならば、あるいはこの四人は現在に至るまでも引き続き留置せられていたかもしれない。幸いにして佐藤が自首して出てきたればこそ、四人が釈放せられた。その点がはっきりわかったとするならば、警察署監督官庁たるあなた方は、少くともそれと相前後して徹底的に調査して、一日も早く責任所在をはっきりせしむるということが、世人警察署を信用せしめるゆえんだと思う。そうだとするなれば、今後どの程度たったなればそれに対する責任所在をはっきりせしめることができるか。日時についてはどうも言明ができるというようなことでは、私はいかぬと思う。少くとも本件については今後一カ月なら一カ月以内に調査してその責任所在をはっきりせしめるという覚悟がなければ、私はいかぬと思う。その点についてはいかがですか。
  14. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 先ほど、何日たったら結論に到達し得るかということで私が申し上げましたのは、拷問があったかどうかという問題について申し上げたのでありまして、捜査の適否と申しますか、最初四人の少年の犯行であろうと思って逮捕したところ、その後において第五の人物真犯人として現われたという点につきましては、これは明らかに当初の捜査が不徹底だったということはいなめないのでありまして、その捜査指揮に当った幹部責任というものはある程度明瞭なことでありますので、それについては即刻処分をすべきものはするようにということを警察本部長注意を喚起してあるのであります。この点は日ならずして本部長としても措置するものと考えております。
  15. 椎名隆

    椎名(隆)委員 国家公安委員長たる大御大臣に尋ねますが、こういうような事件が出た場合における国家公安委員長としての御感想はいかがでございますか。
  16. 大麻唯男

    大麻国務大臣 こういうことについての僕の感想はどうかというお尋ねでございますが、まことに遺憾に考えております。こういう事柄は、警察に関しまする限りは、初め四少年を送検したということと、何か人権じゅうりんというようなことがあったかどうかという事柄は、分けて考えなければならぬと思います。けれども、どっちにいたしましても、前者については全くミスだったと思います。後者については、どうも遺憾な点があったのじゃなかろうかと私も疑っておりますが、しかし、これはにわかに判定はできない。あらゆる方面から、あらゆる角度から調べまして、人権をじゅうりんしてはいけない、これは根本でございますけれども警察官処罰ということも、そう急いでむやみにやってはいけない、こういうふうに考えます。要するに、民主警察がどうしたら朗らかに国民信頼を受けてやっていけるかどうかということに眼点を置いて、慎重にしかも敏速にやらなければならぬ、かように考えておる次第でございます。
  17. 椎名隆

    椎名(隆)委員 法務省側は今明日中に当委員会にその処分を発表するという段階にまで行っているのですが、警察庁長官はその地区の本部長に対して何か命令するか、あるいは、公安委員長としては、この処分に対する点はどういうふうにお考えになっておりますか。
  18. 大麻唯男

    大麻国務大臣 公安委員長処分をするものではございませんから、私は何も処分いたしません。けれども警察庁に対しましては、こういうことは慎重の上にも慎重を期さなければならぬけれども、あまり長くなると警察信頼を失うし、また威信にも関することであるから、なるべくすみやかにした方がよかろうということを注意はいたしております。現にきょうも公安委員会を開いております。こういうことも話に出ました。出たのでございますが、もう数日前から、長官も今申し上げましたように、京都本部長に対しましては、はっきりわかっているのは早く処理をしろ、これだけの注意はしてございます。けれども、一方の人権じゅうりんの方は、そうむやみに、ああしろこうしろということを言うわけにいかぬという事柄でございますから、これは急ぎつつも慎重に考えていかなければならぬ、かように考えております。
  19. 椎名隆

    椎名(隆)委員 長官はどういうふうに考えておりますか。
  20. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 ただいまのお答えにありました通り、また先刻来私が申し上げました通り、繰り返し申し上げることになりますが、拷問有無につきましては、今しばらく時間をかしていただいて、慎重に、客観的事実に基き、正確な資料に基いて結論に達したい。そのために若干時間を要するとして、そうした関係者責任の追求ということについては、今直ちにいつごろまでに結論に到達し得るということを申し上げることができないのを遺憾に存ずるのであります。捜査指揮に当る幹部指揮が適正でなかったために、第五の真犯人である人物を、今すこし手ぎわよく適切に捜査の方策を立てたならば発見し得たであろうものを見落したということにつきましては、確かに捜査上の手落ちというか、ミスがあるわけでございますので、そうした点についての責任のあるべき者に責任を負わしめるということは、さっそくやってしかるべきではないかということで、京都警察本部長に対してもすでに十分注意を喚起してあります。この点は日ならずして結論に到達するものと期待をしております。
  21. 椎名隆

    椎名(隆)委員 国家公安委員長として、警察官全般に対する指導理念ということについてはどういうふうにお考えになっておりましょうか。きのうか何かの新聞に、東京の本田警察署で、被疑者を引致しておいて、あと警察官がその元被疑者に、何某の通報で引致したということを内報して、それとともに酒を飲んだということもある。きのうも当委員会で問題になったのでありますが、千葉県の大多喜警察署においては、検察庁から逮捕状をもらったその警察官被疑者の方へ内報して逮捕状の執行を無効にせしむる、こういうことがしばしば出てきておるのであります。最近の情勢から言うと、警察官士気が非常に阻喪しているように見えるのですが、これに対する何か指導理念のようなものをしっかりお持ちになっておるか、お尋ねしたい。
  22. 大麻唯男

    大麻国務大臣 今いろいろ御指摘がございましたけれども、私は警察官全体の士気が衰えておるとは決して思っておりません。けれども、いやが上にも注意をしなければならぬことはもちろんでございますから、指導理念と申しますか何と申しますか存じませんけれども、大体の眼目は、日本警察をりっぱな民主警察に育て上げたい、そして、一部少数の人の私有物である、あるいは一つ政府のものである、あるいは一つの政党の施策によって動くものであるというようなものでなくして、八千万国民全体の警察である、こういう認識のもとに日本国民生命財産を守っていく、そういう尊い仕事に徹しなければならない、そして民主警察を監視しなければならぬ、かように考えておる次第でございます。
  23. 椎名隆

    椎名(隆)委員 警察官士気が阻喪しているとは考えられないと言うが、警察力戦前から見て非常に低下したということはお認めになるだろうと思うのです。一例をあげてみますと、戦前には、警察力が充実しておったために、戦後におけるようなパンパンの増加ということは考えられなかった。あの当時は警察犯処罰令によりまして密淫売処罰しておった。現在のように売春婦というものは増加していなかった。あれはある程度まで警察力が充実していたからそれを取り締ることができておったわけです。ところが戦後警察力が減って、その方の取り締りが不十分であったためにパンパンがふえたという点から見ても、これはたった一つの実例にすぎませんが、警察力が衰えたことははっきり言えると思う。それについては、警察官士気を充実せしめて、取締りを十分にして、善良な国民がまくらを高うして寝ることができるような警察でなければならぬ。それについては今後警察官にしっかりした信念を持ってもらわなければならぬと思うのですが、その点についての御感想をお伺いしておきます。
  24. 大麻唯男

    大麻国務大臣 ただいまのお説は非常に傾聴いたしましたけれども、全部に私は御賛成申し上げることがどうもできないのであります。と申しますのは、警察力が弱ったからパンパンが多くなったとは私は思いません。はなはだ失礼だけれども、私はそうは思わないのです。これははなはだどうも残念なことであるけれども、敗戦の結果日本世道人心が衰えてああいうふうになったのじゃないかと思う。パンパン警察だけで取締ろうという考え方は古い、はなはだ失礼だがそういうふうに考えております。これははなはだ言い過ぎになるかもしれないけれども、何でもかでも警察で取り締ってパンパンをなくすことができるか、それはそうじゃないと思うのです。世道人心が上ってきさえすれば、そういうものは自然に減るものでございます。かように考えております。警察万能考えではございません。それだけを申し上げておきます。
  25. 高橋禎一

  26. 猪俣浩三

    猪俣委員 先ほどちょっと触れられたと思いますが、私は警察官指揮監督系統について石井警察庁長官にお尋ねしたいと思います。  警察拷問をしたとすれば、第一線の刑事などが直接手を下したと存じますが、そういう刑事指揮命令系統監督系統と申しますか、そういう指揮監督系統が明白になり、そり上司郡下監督に対して厳然たる態度を持し、もしいささかもそこに不幸にして暗影を投ずるものがあるなら上司がその責任を相当負うというふうな形にならなければ、官紀の振粛はできないと思う。申すまでもなく、人権擁護と、警察検察官活動というものの関係は非常にむずかしい問題であって、これをいかに調和するか、あまりに警察検察官の攻撃をし過ぎますと、犯罪活動に対して適切なる捜査活動が鈍るということができて参ります。さらばというて、警察がまことに活躍したなんということで、あまりおだて上げますると、人権侵害が起ってくるということが、民主政治下におきまする大きな悩みの一つだと存じますが、この調和点は、その下僚と上司においておのおの責任を痛感し、下僚の責任上司責任として、その責任を明らかならしめる以外に調和の方法はないのじゃなかろうかという観点から、あなたにこの指揮命令系統を一わたり御調明いただきたいと思います。
  27. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 御承知通り、現在の警察制度は都道府県警察が根本をなしておるのでございます。従いまして、ただいま問題になっております京都の場合を例にとって申し上げますと、京都警察というものは、京都公安委員会の管理のもとに京都府警察本部長が執行の最高責任者であります。この京都府警察本部長の補助機関、内部機構として、京都警察本部というものがあり、刑事警察捜査系統の仕事におきましては、この警察本部長のもとに刑事部長というものが置かれ、刑事部長の下に捜査一課長、捜査二課長、あるいは犯罪課長といったように、それぞれ部門別に課長がおるわけでございます。第一線におきましては、御承知通り、部下に幾つかの警察署長がおりまして、署長がその署の管内のすべての問題については最高の責任者であることは申すまでもないと存じます。その署長のもとに捜査係長、捜査主任、捜査係、こういうふうに陣容が整えられておるわけであります。この捜査係長以下の陣容は、署の大小によって陣容の程度は差があります。また、従って、階級的構成におきましても、大規模のものと小規模のものと違っております。捜査係長が警視である場合もありますし、警部である場合もあります。小さい警部署長のところにおきましては、警部補が捜査係長であるという場合もありましょう。これは、その署の大小により、管内の犯罪発生件数の多寡等によって陣容がそれぞれきまっておるわけでございます。  今申し上げましたような系統におきまして、警察本部長警察部刑事部長、捜査課長、警察署長、捜査係長、係主任、係員、こういう段階において陣容が構成されておるわけでございます。第一線の末端の捜査係員たる刑事がもっぱら実際の事件捜査に当るわけでございますが、不幸にしてそれが何かの失敗をいたしました場合、当の刑事責任を追及すべきことはもとよりのこと、先ほど猪俣委員の御指摘のように、監督者の責任もあわせて追及するということは、私どもとしては、かねがねとっておるのでございまして、ただ単に刑事が失敗したからといって、その刑事のみに責任を負わせ、その上司は何ら責任をとらないということであっては、末端の最下級警察官のみが負担を重く命ぜられて、一切の責任を負わなければならぬのでは酷であります。日ごろ監督者たる上司の指導監督が適当ではなかったがために、その刑事が失敗をするという事例は多々あるわけでありますので、あわせて監督者の責任を追及するという建前にいたしておるのでございます。そういうふうにいたしまして、上下心を合せ、苦楽をともにし、責任をともに感じまして、仕事にぶつかっていく、こういうふうに現にさせておるのでございます。
  28. 猪俣浩三

    猪俣委員 そういたしますと、今かりに京都事件におきまして刑事拷問をしたというようなことがありますならば、その最終の責任者は京都府警察本部長ということに相なりますか。
  29. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 ただいま問題になっております京都五番町の事件は、御承知通り昨年の四月のできごとでございます。当時は京都警察というものがまだあったのでございます。それが、昨年の七月に、京都市警というものが、それ以前の京都府警と合体しまして、新らしい現在の京都警察というものが生まれたわけでございます。従いまして、この事件の発生しました昨年の四月の当時におきましては、当時の京都警察本部長が最高の責任者であると、こういうことに相なるわけでございます。
  30. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、たとえば、これが最近行わたものだとするならば、そういう刑事による拷問事実があったといたすならば、これは京都警察というものができた以上は、最終のあるいは最高の責任者は京都警察本部長、こう承わってよろしいですか。
  31. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 昨年四月当時は、先ほども申しました通り京都警察というものが、京都警察の管轄する部分を除いた京都警察と並行しておりましたので、その当時の事件について、現在の京都府警察本部長責任を負わせるということはいささか筋が違うのではないかと思いまして、当時の京都警察本部長が現職でありますならば、その当時の責任を追及するということは考えられるが、その人がすでに民間にさがっておるならば、もはや行政処分としての責任追及の道はない、こういうことになるわけでありますが、現実には、昨年の当時の京都警察本部長は現在福岡県の警察本部長として健在でおるのであります。
  32. 猪俣浩三

    猪俣委員 実は、私の質問の趣旨がよく徹底しておらぬかった。私は抽象的に監督指揮系統についてお尋ねしておるのです。ですから、京都府でなくてもいいのです。どこかの県で、刑事拷問をやったということになると、理論上機構としてはそこの県の警察本部長というものが最終の責任者であるかどうかということを、抽象的にお尋ねしておるのです。
  33. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 府県の本部長が平素部下の指導教養に十分力をいたしまして、特にそうした捜査に当って人権をじゅうりんするようなことは絶対してはいけない、もとよりそういう教養をいたしておるわけですが、それを十分に徹底いたしておったにもかかわらず、ある署の未端の刑事がそうした不祥事を起したという場合に、直ちにその当該県の警察本部長に一切の責任をかぶせるというのはいかがかと思うのでありまして、日ごろの本部長の指導教養のやり方がどうであるか、実際に部下に対してそういう点についてかゆいところに手の届くような指導教養をやっておったかどうか、また、現実に具体的な事案が発生して、その捜査指揮に当って、特にこういう点は注意するように、人権じゅうりんのそしりを受けるようなことの絶対にないようにということを注意しておったにもかかわらず、末端においてそうした不祥事を起したというような場合には、情状酌量と申しますか、府県の本部長に直ちに責任を持っていくのはいかがかと思うのでありまして、その場合には、署長以下のところで本部長のその指示を十分体してやるべき者がその責めを果さなかったという、その辺の幹部のところに責任を帰せしむべきではなかろうかと、かように考えるのでございます。
  34. 猪俣浩三

    猪俣委員 ちょっと私の趣旨とは違うのでございますが、それはよろしゅうございます。私の質問する目的を申し上げると、あなたにわかっていただけると思う。これは、この警察法ができまして、いわゆる公安委員会というものができたとき論議されたのです。というのは、国会というものが最高の統治機関と憲法に定められた際に、警察関係において国会に対して何人が最終の責任を負うのであるか、国会が最高の統治機関である以上は、国政万般については国会に対して行政機関の各般は最終の責任を負う者がなければならぬというのが私ども考え方なんです。かるがゆえに議会政治であり、それが国会を最高の統治機関とする政治になるわけであります。そこの観点から、あなたに現在の警察機構の責任問題を抽象的にお尋ねしておるのです。何かこう責任を具体的に課するようなことからあなたは答弁なさっておるようですが、そういう意味じゃないのです。  そこで、たとえば国家公安委員会というものがあり、そこにおいでになる大麻国務相が公安委員長を兼ねておられますが、一体、警察の問題について——これは大麻さんにお尋ねします。ここに警察責任ありとして、警察の何かの失態ありとして、それが国会に対して何人が一体最高の責任を負われるのであるか。これも、あなたに責任を負うてどうこうという意味じゃないのですよ。大麻さんというものを具体的に考えて言っているのじゃない。あなたの不信任の意味で言っているのじゃないから、誤解なさらずに……。私は、国家機構として、この議会政治下における国会に対して何人が警察行政に関する最終の責任を負うものであるかという意味から、実は京都事件と離れましてもお尋ねしておる。それは、先ほど椎名委員からもお尋ねがありましたように、あなたは、警察士気は決して弛緩しておらないと言われる。これは公安委員長として当然の御答弁かと存じますが、客観的な事実はさにあらざることが多数ある。私が今国会におきまして当法務委員会において質問を出しておりますのも数件あって、まだ答弁を得ておりません。その中の一つの問題がきょう午後から審議されることに相なっております。そこで、ひんぴんとして警察行き過ぎ警察の違法行為、こういうことが新聞に報道せられておるのでありますが、これに対して一体何人が国会に対して最終の責任者として臨まれるのであるかということが、私ども不明確なんです。その点について、たとえば京都事件拷問事件があったといたしましても、そうしてそれを懲戒免官というようなことでないにしても、それに対する当の責任者というものは一体京都警察本部長が最終であるのであるか、あるいは警察行政の最高の地位にあられるところの国家公安委員会委員長である大麻国務相が国会に対しては最終の責任者として臨まれるのであるか、その点が不明確であるがゆえに質問いたしておるのであります。その点について大麻国務大臣の御答弁をお願いいたします。
  35. 大麻唯男

    大麻国務大臣 申し上げます。私は法規に非常に暗いものでございますから、ひょっとすると間違うかもしれませんけれども、国会に対して最終の責任を負うのは内閣であろうかと考えておるのでございます。しかしながら、どういうことになるか存じませんけれども、私の気持といたしましては、こういうことは法理論としては成り立たぬだろうと思いますけれども、私といたしましては、警察で起ったことは、自分責任を負うと言うとどうもおこがましい話でございますけれども自分責任のような気持でやらなければならぬ、かような心がけでおる次第でございます。
  36. 猪俣浩三

    猪俣委員 まあ、わかったようなわからぬような御答弁でありますが、あるいはあなたのお考えが正しいのかもわかりませんが、石井長官は専門家であられますから、あなたはどういう御見解をお持ちでありますか。
  37. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 ただいま大臣がお答えになりました通り、行政権の最終的責任は内閣にあることは申すまでもないことでありますから、警察行政についてもそのらち外にあるものとは考えません。同様に最終的には内閣が国会に対して責任を負うべきものと存じます。個々の具体的な、いろいろな不祥事案等が起りまして、警察責任をどう追及し、どの程度にそれを具体化すかということにつきましては、いろいろな場合がありますので、一がいに申し上げることはできないのであります。今回のただいま御審議になっております問題につきましても、だれがどの程度責任を負うのが妥当であるかということは、これまたいろいろと議論もありましょうし、私どもも、鋭意、部外部内とも納得していただけるような結論において責任のあり方を結論づけたい、かように考えて努力中であることは、先ほど来申し上げた通りであります。いずれにいたしましても、私は私なりに、私の立場において、こういう不祥事件を起したということはまことに申しわけないと考えております。その責任のとり方を、さすればどう考えるかということにつきましては、私は私なりにひそかに考えておる次第であります。
  38. 猪俣浩三

    猪俣委員 なお一点だけお尋ねいたします。この指揮命令系統については私どもも意見がありますけれども、本日はそれは主題になっておりませんので略しますが、国家公安委員長及び国家警察庁長官京都府の警察関係——先ほどあなたのお話によりますと、あるサゼスチョンをすることのできるだけの立場のような御説明がありましたが、国家警察庁長官というものは、都道府県警察本部長というようなものに対してどれだけの権限があるのであるか、そこをいま一度御説明願いたいと思います。
  39. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 警察庁長官は、警察法によりまして、都道府県警察指揮命令するということになっております。その指揮命令をする範囲は、国家公安委員会が所掌する任務の範囲においてのみでございます。と申しますのは、警察庁長官は国家公安委員会の管理のもとに警察仕事をする、こういう建前になっておるのであります。その職務権限は限定をされておるのでありまして、およそ警察の万般についてすべて警察庁長官が府県警察指揮命令できるという建前には相なっておらないのであります。この点については、現在の警察制度を国会において慎重御審議の際に、きわめて活発に御議論のあった点でありまして、中央集権的な行き方を排し、都道府県たる自治体警察建前とするということからいたしまして、都道府県の警察に権限の大部分を大幅に移しまして、ただ、中央におきましては、国家的に統制を要するようなこと、国家の公安にかかるような大きな問題の場合というような場合に限定をして、中央において指揮をいたします。さりとて、全国の都道府県警察がてんでんばらばらな動き方をしたのでは因るので、その間の連絡調整をとる、そういうようなことに限定をされておりまして警察庁長官の権限とされておるのであります。
  40. 猪俣浩三

    猪俣委員 いま一点お尋ねいたしますが、この都道府県警察本部長の任命権を持っておる者は何人であるか、そうして、法規上何らかの機関があったとしても、実際はほんとうの仕事はどこの機関でやるのか、そういう点についてお話しを願いたい。
  41. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 都道府県警察本部長任命権者は国家公安委員会でございます。国家公安委員会が都道府県警察本部長を任命するに当りまして、私以下人事関係仕事を担当いたしております者が、国家公安委員会の補助機関といたしまして、人事発令等の行為についてのお手伝いをする、こういう建前になっておるのであります。
  42. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうしますと、行政監督の最も中心は人事問題である。その人事権を握っておる国家公安委員会及びその代表者である委員長というものは、各都道府県の警察に対する相当重大な責任があるのではなかろうかと私は考える。先ほどの御説明だと、内閣だ、ただ自分は老婆心で一生懸命自分のことじゃないかと思ってやっておるのだという御答弁でありますが、人事権をお握りになっておるとすれば、これは指揮命令系統の中の最も中心的なものなんだ。それを国家公安委員会が握っておるとすると、その委員長というものは相当この都道府県の警察活動に対して重大な責任を持っているんじゃないかと思われるのですが、それはいかがでしょうか。大麻さん、いかがですか。
  43. 大麻唯男

    大麻国務大臣 非常に自分責任の重大なることを痛感いたしておる次第でございます。
  44. 猪俣浩三

    猪俣委員 まあ、公安委員長責任の重大を痛感しておると言うから、それだけにとどめておきましょう。  法律的な機構の論点につきましては後日また検討したいと存じますが、京都事件について一、二お尋ねいたしますけれども新聞の報道するところによりますと、何か、この京都五番事件関係して、待命中の何かの部長があるような、待命中のそれがしの話とかというようなことがよく新聞に報道されたのでありますが、この待命中の警察官というのはどういう人で、何のために待命になったのであるか、それを御説明願いたい。
  45. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 待命中の警察官五番事件捜査関係いたした者と申しますのは、私の記憶では、当時の京都警察本部捜査一課の広瀬警部であると思うのであります。この広瀬警部が、当時、事件は西陣署管内に起った事件であり、直接には西陣署の所管の事件でございましたが、事件の性質にかんがみ、市警察本部の刑事捜査一課の方から応援勤務したものと思うのであります。その広瀬警部が、その後におきまして待命になって、近く退職されるということになっておるのでございますが、その待命になりました原因につきましては、私寡聞ながら承知をいたしておらないのでございますけれども、おそらく相当の年輩に達したために後進に道を譲るということで退命の恩典に浴されておるのではなかろうかと想像いたしております。
  46. 猪俣浩三

    猪俣委員 警察官拷問などにつきましては確たる証拠が容易に出ない。これはいわゆる密室において行われまして、被害者と刑事と、この二つの対立だけで、何人もそこにいないのでありますがゆえに、被害者は、拷問を受けた刑事は、しないと、水かけ論に終るのであります。だから、拷問をした事実というものは容易に発見できない。ただ、問題は、状況証拠によってどう処断するかということにかかっているのじゃなかろうか。そこで、皆さんの方でいわゆる物的証拠あるいは客観的な確固たる証拠というものを発見しようとするならば、百年河清を待つよりも困難なことだと思うのであります。常識上この状況証拠というものも相当しんしゃくしなければならぬと思うのでありまして、この刑事拷問事実なんというものは状況証拠によって判断する以外に方法はないと私ども考えております。そこで、あなたが今捜査すると申しますのは、たとえば、刑事自白するか、あるいはその拷問したるところを第三者で目撃したる者を発見するという意味であるならば、これはとても出てきやしません。ただ、状況証拠であるならば、私はもう相当はっきりしているのじゃなかろうかと思う。たった一回警察で、しかも人を殺したという証言をしただけです。検事の前ではことごとくそれを否認しておる。諸般の事情上、さような白状するということが異常な状態であることははっきりしております。そうするならば、この被告らの言うことをしさいに点検して、なお刑事らがたといそれを否認いたしたとしましても、諸般の状況からするならば相当の強制的な自白強要が行われたであろうことは推測できるのじゃなかろうか。それを証拠々々と称しておいでになると、結局国会は済んでしまう。そのうちに、われわれも京都事件のことばかり頭に置いているわけにいきませんから、自然、人のうわさも七十五日で、済んでしまう。この、人のうわさも七十五日を御利用なさる意思があるのじゃなかろうか。これが椎名委員の質問になって現われておるのじゃなかろうか。在来さような傾向が多いのです。これは私どもが悪いのです。質問しっぱなしで、そうすると、政府当局は、御説ごもっとも、鋭意調査いたしまして後日報告いたします一。そうすると国会が閉会になる。私どもも忘れちまう。報告すると約束した政府は、もう忘れるのか、知っておっても、さわらぬ神にたたりなしでほおかぶりするのかわかりませんが、そのままに済んでしまうことがたくさんある。どうも、京都事件も、この国会で皆さんが責任を明らかにしませんと、そういうふうな傾向になりがちだ。実は、六月二日、明後日京都検察庁の検事正その他の関係者を呼んで、当法務委員会におきまして最後の調査をすることを理事会で決定いたしました。ところが、法務当局は、その直接関係の検事及びその上司において相当の失態があることをみずから認められまして、法務省自身において処断することを言明されましたので、私どもは、いかなる処断をしますか、そこまでわれわれが立ち入る必要もないし、また立ち入っちゃいけないと思います。これは法務省責任ある方々におまかせするよりしようがないのでありまして、きようなことになった以上は、当国会の行政監督に関する権限はもう果されたものだと存じまして、六月二日はもう取調べはやめようということに相なってきておる。そこで、法務当局はどうしてもこの国会中に明らかにするという態度をおとりになったことを私どもは了とするものであります。警察におきまして、同じくこの事件をなお捜査中だと言うても、もうこの国会は来月三日に終るのであります。絶対にこれは延長できない国会であることは御存じの通りである。それだのに、なおこれを捜査中だということに相なりまするならば、先ほど申し上げましたような結果に陥るのではなかろうかというふうに私どもは心配するのであります。相当明白な、捜査の方針に間違いがある、そうしてまた、そこに拷問が行われたことが状況上も実に明白であるのだから、私はもうこの辺で警察庁の態度を明らかにせられてもいい時期じゃなかろうかと考える。  そこで、二つの点がありまして、捜査の方針が、つまり四人の少年以外に何か第三者が介在しておったというような状況が、四人の少年自白からも証人の口からも出ておるに対して、その方向に捜査を進めなかったという捜査の不適正なるやり方、これに対していかなる責任を御追及なさるのであるか。それから、第二点は、今言った拷問があったかなかったか、あったとすれば、いかなる責任を追及なさるのであるか。二つあると思うのですが、第一の捜査の不適正については、先ほど長官も相当お認めになっておるようなふうに受け取れたのでありますが、これに対してはいかなる責任を御追及なさるつもりであるか、承わりたい。
  47. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 まことにごもっともな御意見であります。私ども決して調査にかすに時日をもってし、人のうわさも七十五日でそのままうやむやにしようという気持は毛頭持っておらないのでございます。できるだけすみやかに結論に到達したい。本問題につきましては、でき得べくんばこの国会会期中に結論に到達すべく、今日まであらゆる調査の努力を進めて参ったのでありますが、事柄事柄であるために、遺憾ながらそれがきわめて困難になった。あと余日ない今日、その期日内に果して結論に到達し得るか、今直ちに明言しがたい状況にあることははなはだ遺憾に思うのでありますが、それはあくまで拷問有無の問題であります。  第一の御指摘の捜査の不適正と申しますか、当初、四人の犯人の問題であると限定して、あと第五の人物を追及しなかったのではないかという点でありますが、この点は確かに、ただいまお話のありました通り、一、二の者から第五の人物がおるのじゃないかというような話が出ましたので、それにつきましてもある程度捜査をいたしておるのであります。ただ、それが不幸にいたしましてきわめて十分でなかった、不徹底であったということからしまして、第五の人物に当時到達し得なかったということに結果的には相なっておるのであります。これは、結果的に見ますならば、まさしく捜査が満点でなかった、十分でなかったということに帰着するかと思うのであります。その意味におきまして、捜査指揮監督に当った当時の関係者責任というものは明瞭でありますので、きわめてすみやかにその結論を出すべきであるということで、先ほど来椎名委員にもお答えいたしました通り京都五番事件に対しまして一日もすみやかにしかるべき措置をとるように督励をいたしておる状況であります。御了承願います。
  48. 猪俣浩三

    猪俣委員 私は最後に希望的意見を申し上げまして終りますが、これは実は、参議院と衆議院の法務委員会におきまして京都五番事件を取り上げたのでありますが、両者連絡の上、参議院は現地に乗り込んで警察関係を主として取り調べ、衆議院におきましては検察関係を主として調査するというふうに実は分担したのであります。その後、参議院は、現地に乗り込みまして熱心に調査した結果を持ち寄って、参議院の意思表示があった。それには拷問の事実があったということが参議院においては認められておる。今またここに、政府機関の一つでありまする法務省人権擁護局におきましても、まだ的確なる意思表示はできないけれども、どうも拷問のような形跡がある、さように思われるという意思表示が当法務委員会においてなされておるのです。そこで、相当そういう疑惑が濃厚でありますがゆえに、もう警察庁とじても相当調べが進んでいなければならぬと私は存じます。重ねて要望とともに御決意を承わりたいのですが、この国会中に、法務省と同じように、何らかの事実を的確に発表なさって、拷問有無を御決定なさる御意思があるかないか。私は機は熟していると思いまするが、いかかがですか。
  49. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 先ほど来たびたび申し上げます通り、私どもも、一日もすみやかに結論に到達をいたしたい、でき得べくんばこの国会中にすべての結論に到達したいと思いまして、かねがね努力をして参ったのであります。現に、監察官を派遣いたしまして、最終的な調査も行わせておる状況でございますので、あと会期も数日を出ない状況でございますが、その間に最終的な結論が出ますならばきわめて幸いであると思って、私どもも最後の努力を重ねたいと思いますが、今ここではっきりとお約束をするということは、ちょっといたしかねます。できるだけすみやかに、部内、部外とも納得のいくような結論を出したいと思います。一日もすみやかにそうありたいものであるという気持だけを申し上げまして、御了承を得たいと思います。
  50. 高橋禎一

    高橋委員長 志賀君。
  51. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 五番事件について拷問事実のあったことについて、石井長官は口を濁しておられますけれども、出てきた四人の少年の一人が拷問によってうしろ手錠をかけられてひっくり返されたときにけがをしております。浜田という少年の母親がこれを知って、お金を出して、医者に見せるよう言い、その医師の診断書があるのでありますが、そういう点についてまで調べられているかどうか、その点をまず……。
  52. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 それも調査をいたしております。
  53. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 戸田局長の御答弁を。
  54. 戸田正直

    戸田政府委員 先ほど申したように、記録がありませんので正確に申し上げられませんが、その事実についても調査していると存じます。
  55. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 それならば、先ほど来石井長官の御答弁があったような、拷問の事実があるかどうかこれから調べるというようなあいまいなことでなくて、みずから進んでこういう点も調べているということを言われるべきであったと思うのであります。そういう点をたまたま質問されて——委員の方で知られなかったら、これを幸いにそこまでも濁すというような御量見では、調査が延びるばかりであります。こういうことでは私はいけないと思います。  なお、もう一人、今までの調査に出ておらない人物新聞その他の報道でも出ておりませんが、あの真犯人五番目の少年のほかに、もう一人おります。それは苞野という少年です。これが、殺された少年の髪をつかんで引き起して、げたでからだの上に乗ったという事実がありますが、石井長官、そういう点はお調べになりましたか。
  56. 中川董治

    ○中川(董)政府委員 ただいまの志賀委員の御質問は、いわゆる第六の人物になろうかと思いますが、第六の人物の点は、現在われわれの捜査上は出ておりません。
  57. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 この四人の少年が述べた中に、これがあるはずであります。出ておりませんか。出ておらないと言われる以上は、御存じないでしょうね。
  58. 中川董治

    ○中川(董)政府委員 本件調査は、あらゆる方面の資料を総合的にやっており、現在もやりつつあるのでありますが、その最初の四少年供述等につきましても精密に調べているのであります。ただ、その書類等は、御案内の通り今第一審裁判所に証拠として用いられておりますが、裁判の審理を妨げないような方法で、いろいろ検察官とも正規に連絡をして調査に努めておるのでありますが、その調書について私が見ましたところによれば、いわゆる第六と考えられる人物かどうかという点において疑点があります。その調書によれば、第五の人物についてはいろいろ検討の余地があるけれども、第六の人物については検討の余地がないように私は見たのであります。
  59. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 そういうふうに載っておらない者を、もう一人わざわざこれを法廷に呼び出すことは私の趣旨ではございません。というのは、小田裁判長が公判の係でありますが、これが訴因を変更しまして、暴行致死罪を暴行罪というふうに言っている。あれは御承知通りみな少年であります。少年法によれば、けんかをしたとかなぐったとかいうようなことは、大体説諭程度で済む問題である。それをなぜ裁判長が暴行罪ということでやるか。これは明らかに今度の検察庁及び警察の失態をごまかす意図があるとわれわれは判断いたします。ここでは裁判でやる問題を取り上げるべきではないのですが、説諭程度で済むことだろうと思う。私は、今まであなた方が調査しておられない苞野という人物を特に出しますが、いいですか、これほどあなた方の調査というものは粗漏のものですよ。果してこういう人物がおったかおらないか、それが髪をつかんで、げたで、殺された者のからだの上に乗ったかどうか、こういうことすらもあなた方はまだ調査をしておられない。それで鋭意調査をしていると言われるが、何の調査をしておられますか。気がついたらいいことですから、さっそくお調べ下さい。これが一つの点です。慎重に調査をいたしましてと大麻国務大臣やあなたはおっしゃるけれども、あなたの監督される警察ではこういう疎漏があるのであります。  そこで、次の問題に入りますが、これは至急調べていただきたい。ただし、これをまた暴行罪とかなんとかいうような少年法の趣旨に反することでてれ隠しをやられたら、ただで済まなくなりますよ。国会が済んで、ほおかぶりをしてごまかして処分をしようといったって、こういうように訴因を小田裁判長がやる以上、これはこの次の国会には必ず問題になります。
  60. 高橋禎一

    高橋委員長 志賀君に申し上げますが、予定の時間が非常に過ぎておりますから、簡明にお願いいたします。
  61. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 委員長の御承知通り、私はいつも簡単明瞭にやりますから、しばらく時間をいただきます。  もう一つは、人権の問題でありますが、この点は調査してみないとまだはっきりしない、しかし見込み捜査の誤りは認めると言っておられますが、殺人者でない者が殺人をしたという自白警察で強制されるということは、これは人権じゅうりんにならないのかどうか、この点を石井長官に伺いたい。
  62. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 自由を強要することは許されないことでございます。そういうことは厳に戒めておるのでございます。
  63. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 戒めておると言っても、やりもしないことを自白させておるじゃないですか。そうすると、あなたはここでそういう人権じゅうりんがあったということを認められますか。なぐったとか何とかいうことは、診断書があるから、これもよく調べて下さい。  もう一つは、殺人をしない者が殺人をした、刃物を持ってない者が刃物を持っていたというふうに言わされておる。これは人権じゅうりんになるかならないか、はっきり言って下さい。いけないことと考えますじゃいけないのです。あなたは、拷問だけが人権じゅうりんで、物理的な力を加えることが拷問だと言われましたが、殺人をしない者を殺人をしたというふうに記録を作らせることは、人権じゅうりんになるかならないか、この点をはっきりして下さい。
  64. 石井榮三

    石井(榮)政府委員 自白を強要すれば、人権じゅうりんになると考えます。
  65. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 そうすると、人権じゅうりんがあったことを認められる。見込み捜査の誤謬ということは、この場合は人権じゅうりんである。拷問人権じゅうりんである。そうすれば、このことははっきりしてきますから、このことについて至急に調査をやってもらいたいと思います。  なお、苞野という人物のことも診断書のことも調べられた以上、けがをしておるのでありますから、あなたが言われるように拷問の事実があったかないかということだけでなくて、確かにあったのであります。椎名委員及び猪俣委員が繰り返し要望されたように、すみやかに結論を発表されること、そして、その際には、今申し上げた二点をお忘れにならないようにやっていただきたいということだけ申し上げて、私の質問は終ります。
  66. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと速記をとめて下さい。   〔速記中止〕
  67. 高橋禎一

    高橋委員長 速記を始めて下さい。  午前中の会議はこの程度にとどめ、午後一時半より再開いたします。  暫時休憩いたします。    午後零時三十五分休憩      ————◇—————    午後二時二分開議
  68. 池田清志

    池田(清)委員長代理 午前中に引き続き、ただいまより法務委員会を再開いたします。  委員長が所用のためこの席に着くことができませんので、私が委員長の職務を代行いたします。  これより法務行政及び人権擁護の問題につきまして調査を続行いたします。すなわち、池田哲子事件調査に入ります。  本日は参考人より実情を聴取することに相なっております。御出席の参考人は、会社員池田哲子君、長野警察署長北川恵作君、僧侶畑直孝君、長野地方公安調査局長森田清君の四名でございます。なお、真生活協会理事の沖正弘君は旅行のため出席ができませんので、御了承をお願い申し上げます。  この際委員会を代表いたしまして参考人の方々に言口ごあいさつを申し上げます。本日は御多用中にもかかわりませず遠路わざわざ当委員会に御出席を下さいまして当委員会調査に御協力を賜わりますことを厚く御礼申し上げます。  なお、参考人の方に念のために申し上げます。委員の質問に対しましては真実を率直にかつ簡悲にお答えをいただきます。参考人の諸君から委員への質問は衆議院規則によりましてできないことに相なっておりまするから、御了承のほどをお願いいたします。  では、質疑の通告によりまして、これを許します。猪俣浩三君。——どなたに指名されますか。
  69. 猪俣浩三

    猪俣委員 北川長野警察署長にお尋ねしたいと思います。
  70. 池田清志

    池田(清)委員長代理 北川参考人に申し上げます。最初に氏名、住所、職業を御発言願います。
  71. 北川恵作

    ○北川参考人 長野県長野市千五百番地、長野警察署長北川恵作、四十七才。
  72. 猪俣浩三

    猪俣委員 北川さんにお尋ねいたします。ここに出ております池田哲子という婦人、この婦人につきまして、これを長野警察逮捕監禁されたはずでありますが、いつ逮捕して、いつ釈放したのであるか、その時期について最初お答え願います。
  73. 北川恵作

    ○北川参考人 お答えいたします。警察署逮捕いたしましたのは四月の二十一日の午後四時でございます。事件を身柄とともに検事に送致したのは四月の二十三日の午後三時三十分でございます。そうして、身柄の釈放になったのは、これは警察留置に引き続いて検事勾留になりましたので、十日間の検事勾留の後に釈放になったのであります。その日は五月の三日でございます。
  74. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、四月二十一日から警察にとめられ、なお検事勾留に改められて五月三日までとめられて、五月三日に釈放されたというのであります。そこで、この被疑事実はどういう被疑事実で逮捕あるいは勾留するように相なりましたか、その被疑事実についてお述べいただきたいと思います。
  75. 北川恵作

    ○北川参考人 被疑事実を申し上げる前に、ちょっと申し上げたいと思いますが、身柄が検察庁に送致になりましてからは、警察署に留置したのでなくして、長野刑務所に収容されたのでございます。この点一応御了解をいただきたいと思います。  令状請求の内容は、ここに書類として別に持って参りませんでしたが、恐喝の未遂罪として令状を請求いたしたのでございます。それによって逮捕し、身柄及び書類を送致したのでございます。
  76. 猪俣浩三

    猪俣委員 罪名は恐喝未遂ということがわかりましたが、その罪名にふさわしい犯罪事実について詳細にお述べいただきたいと思います。
  77. 北川恵作

    ○北川参考人 犯罪の事実でございますが、これは、四月の二十日の午前九時四十分ごろ、ここにおいでになります池田さんが、長野地方公安調査局長に対し、重要秘密の書類自分が持っておるから、これを十万円出せば返してやる、もしお金を出さないということであるならば、その書類を持ち帰る、こういう内容でございます。
  78. 猪俣浩三

    猪俣委員 何か重要な秘密書類池田哲子が持っておった、十万円出せばよし、出さなければ持って帰ると言った、それが恐喝だということになっておりますが、そうすると、重要な秘密書類というものはどんなもので、その所有権者は何人であるのでありますか。そうして、恐喝された相手、被恐喝者、——恐喝した者が池田哲子であるならば、恐喝された者がある。その恐喝されたという者はどういう者であるか。すなわち、あなた方が恐喝罪と認めたならば恐喝罪の構成要件についていま少し述べていただきたい。その構成要件としては、恐喝の材料に使われました書類がいかなるものであり、その恐喝された人物はいかなる者であり、そうして犯意が必要である。恐喝の意思がどんなふうに確かめられて、しかも、恐喝されたというには、客観的に見て、恐喝された、心理的にそういう影響を及ぼしたということがなければならない。そういう恐喝罪の犯罪構成要件について、もちろん十分御研究の上逮捕されたと思いますので、その点についての御説明をいただきたい、
  79. 北川恵作

    ○北川参考人 重要秘密書類の詳しい内容については、私の方から申し上げかねます。その書類を保管する者はだれであるかというお話でございますが、この場合は森田長野公安調査局長が保管といいますか、持っておったものでございます。それから、恐喝された被害者がだれであるかという御質問でございますが、これは森田局長が被害者と私の方では断定したわけでございます。それから、その恐喝の内容はどうであったか、こういう御質問でございますが、これは、あらためて申し上げるまでもないとば思いますけれども、刑法の二百四十九条の恐喝罪の規定がこれに適用になるというふうに判断をいたしたのでございます。すなわち、「人ヲ恐喝シテ財物ヲ交付セシメタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス」、それから、二項の方におきまして、「前項ノ方法ヲ以テ財産上不法ノ利益ヲ得又ハ他人ヲシテ之ヲ得セシメタル者亦同シ」、また、刑法二百五十条に、これに関連しまして……
  80. 猪俣浩三

    猪俣委員 そんなことをあなたに聞いているのじゃない。そんなことはあなたから読み上けなくても、条文はここにあります。そんなことを聞いているのじゃない。的をはずれている。この条文に、人を恐喝して財物を交付せしめた者を恐喝罪にすることは二百四十九条に書いてある。そんなことを聞いているのじゃないのです。恐喝されたのはだれであるか、今のあなたの答えでは森田局長である、こう言われる。そうすると恐喝されたかされないか、ある程度主観的なものだ。これは、森田局長に対して、恐喝というにはある程度の心理的影響がなければならぬはずだ。これは森田局長を調べて、森田局長が確かに恐喝されたということになったか、それを御答弁下さい。
  81. 北川恵作

    ○北川参考人 お答えいたします。この事件を最初警察署が知ったのは四月二十日の午前十時十五分ごろでございます。電話で届け出がございまして、警察でその公衆電話の届け出を受理したのであります。その内容は、要約いたしますと、これは電話をとった人がメモをとって、そしてあとで電話用紙にそれを書いたのでありますが、実は私の方の者が上野駅で重要書類を盗難にかかり、内密に調査中のところでしたが、ただいま、その重要書類があるが、お宅では要りませんか、その書類は今ここに持っていないが、宿に置いてある、共産党に売れば十万円以上にはなるが、お宅では十万円でよいからどうかと、二十くらいになる女が来た、宿にあるからと言うから、私ども職員を女につけてやりましたが、捜査方お願いしたい、こういう公衆電話の連絡でございます。そこで、この電話を受け取りました長野警察署におきましては、刑事係長の指揮によりまして、在署しておりました駒津、直橋両刑事を、なおその詳細を聞くために、長野公安調査局へ出張といいますか出かけさせたのでございます。いろいろ様子を聞きますと、大体の筋は電話でとりましたことと間違いないというような状況であったわけであります。そこで、これは一応恐喝の容疑ありとして警察活動をいたしたのでございます。しからば、どの点が刑法にいうところの恐喝になるかということでありますが、これは事案から判断いたしまして、森田局長さんの立場から、この書類を失うということは非常に重大なことであり、また、その書類が出てきた場合に、これが自分の手に入らないということも、これまた重大な問題である。しかも、署員がいろいろ事情を聞いたところによりますと、非常に局長はこの書類を失ったことについて心痛しておられたそのやさきで、このお金を出せば渡してやる、しかも相当の多額の金と思われますが、もしそれを渡さなければ東京へ持ち帰るというようなことは、これは調査局長である森田さんには非常に重大なことである。すなわち、恐喝罪の解釈にもございますように、ただ単に脅迫したというばかりでなくとも、相手を困惑させる、あるいは嫌忌の情を起させるというような場合においても成立するという判例がございますので、もちろん、この場合は、森田局長は、これをそのまま持ち帰られたのでは大へんだという困惑、あるいは嫌忌、あるいは進んで畏怖の念を感じたかというふうに判断をいたしたのであります。
  82. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、森田局長が畏怖の念を起したなんというようなことに、何も調査せずに、ただそういう電話だけで、その電話は一体何人がかけたか知らぬが、所在不明の電話だけで、直ちに恐喝と判断して、そして逮捕の手配りをした、こういうふうに承わった。しかし、これはあとで明らかに池田哲子自身から聞くのであるが、池田哲子の言うことと違う。違うけれども、かりに諸君の言う通りだとしても、この二十そこそこの女の子が秘密書類を持ってきたが、金をくれるかと言うたということだけで、公安調査局長ともあろう人が恐喝された、かように判断してこれを逮補する、これは行き過ぎではないか。常識はずれしていやせぬか。恐喝は畏怖の念を起させることが条件だ。ただし畏怖の念というものは、純然たる主観的ではなく、客観的に畏怖の念を起したであろう状況があれば、それはあなたの説明するようなとこになりましょう。しかし、いずれにしても、被害者自身の意思を確めずして直ちに森田局長が恐喝せられたと判断する、さようなことが一体あり得ることであるかどうか。しかも、相手が雲突くような男であるか、ピストルも持っている男であるか、あるいは有名な暴力団の頭領でもあって、何を言わぬでもその男自身の名前によって畏怖の念が起る場合もあり得る。そういう場合においては、何も言わぬでも恐迫になり得る場合もありましょう。しかし、相手はうら若い女性であります。しかも被害者は地方公安局長という堂々たる地位にある人で、書類をわざわざ持ってきてやるから、金をくれと言うだけで、これを直ちに恐喝——金もやりはせぬ。恐喝未遂だ。未遂なんというもので処罰する場合には、よくよく恐喝という念が濃い場合です。多少恐喝の形勢があったとしても、事が未然に防がれた場合に、これを恐喝未遂なんと言って処罰するということはないはずです。さようなことについて、これを恐喝未遂としてこの女の子を逮捕する、あなたはこれを行き過ぎと思わぬのか、長野警察署はいつでもそういうことをへいちゃらでやっておられるのか、それを一つお聞きします。
  83. 北川恵作

    ○北川参考人 その前に、長野警察は決して行き過ぎたようなことはやっていないと思います。この件につきましても、ただいま委員さんからの御質問でございますが、恐喝犯人として通常逮捕をいたしましたのは、この届けを受けた四月二十日の日ではないのでございます。翌二十一日になって逮捕したのでございます。従って、四月二十日のこの届け出を受けた当時は、何ら、強制捜査と申しますか、そういう捜査は行なっていないのであります。その点御了解をお願いしたいと思います。  いま一つ、果して森田局長が畏怖の念を生じておったかどうか、それを電話によってだけ確認したのかどうかというお話でございますが、これは、先ほどちょっと申しましたが、駒津、高橋刑事なる者が電話の届け出を受け、命を受けて公安調査局に参りまして、直接森田局長に会って詳しい話を聞いて、そしてそれを本署に連絡したのでございます。しかし、まだその日は逮捕はしていないのでございます。  以上お答えいたします。
  84. 猪俣浩三

    猪俣委員 森田局長が畏怖の念を起したとするならば、自分が紛失した責任が明らかになり、それを取り戻すことができなかった——なくしたことは前になくしておるのです。出てきたのはもっけの幸いなんです。なくしたことに対して畏怖の念はあったでしょう。しかし、出てきたということに対して畏怖の念を生ずるというのは、心理上の説明にはなっていないじゃないか、畏怖の念を生じたのは、公安局長たる身分の者が、その大切なる書類を他人にとられるか、紛失したということです。これは役人として畏怖の念を生ずることは当然のことです。ところが、とにかくこの女の子が持ってきたというのです。喜びこそすれ、新たなる畏怖の念が生ずる理由がどこにあるか。十万円の金を要求したって、警察へ電話をかけて、警察がつき添うならば、どういうこともできるはずじゃないか、一民間人と違う。捜査機関でも何でも自由に勅かされる公安調査局の局長さんなんです。紛失したときこそ畏怖の念が生じても、現われてきたというのに新たに畏怖の念が生ずる道理がないが、畏怖の念が生じたとすれば、十万円要求せられたことだと思う。しかし、そんなことは、持っている人間が現われた喜びで帳消しになっているわけだ。十万円なんという問題はいかようにも解決できることなんです。また、持ってきた人間がそれに対する相当の報酬を要求することは当然のことじゃないか。人の大切なものを持ってきて報酬を要求すればみな恐喝罪になるならば、だから警察へ届けないでみないいかげんにしてしまうのだ。自分には何も用がなく、しかし失った相手には実に重大な品物が世の中にはたくさんある。しかし、それをわざわざ長野まで持っていく以上は、十万円という金額は多いか少いかはいざ知らず、何らかの報酬をたといこの女が要求したとしても、当然のことじゃありまんせか。自分が失って責任上非常に困っておった書類を、持っておる者がこの世の中に存在して長野へ来たということで、大いな喜びを感じなければならぬじゃないか。それに対して報酬を要求することがどうして畏怖の念を起さしたことになるのです。森田局長が、ほんとうに私はこわい、私は困ったということを諸君に漏らしたならば、また考えようもあるのだが、これはあとで森田局長に聞きますけれども、もしまた森田局長がさようなことを言ったとするならば、これまたはなはだおかしいことだと思う。自分のなくしたものが現われたというのに、報酬を請求せられただけで恐喝だ、かような不人情な取扱いというものがあるはずがない。あなた方が簡単にこういうことを認定せられたということについては、どうしてもふに洛ちないのです。  そこで、あなたにもう一ぺん聞くのだ。なくなった書類を持っている者がこの世の中に存在して長野へ持ってきたということが、どうして畏怖になるのです。十万円要求せられたということが畏怖ということになるのか。それは十万円要求せられても警察へ電話をかけるくらいだから、警察活動が幾らもできるはずじゃないか。ただの人間がそういうことを言い寄られたのとは違うじゃありませんか。やはり畏怖というものは心理的な問題なんであるから、その人の地位、権能、能力、年齢、そういうものを総合考察しなければならぬ。おどかした人がうら若い二十才の娘、おどされた人が国家の大切なる公安調査局長、その金が十万円という金額、それも、出さぬならばピストルで撃つというような形じゃないではありませんか。多少困ったなと思っても、そういう書類を持っている女が、そういう書類が世の中に出てきたというだけでほっと胸をなでおろしたはずなんです。それを、畏怖の念を生じた、恐喝を受けたと局長が言うならば、精神分析の必要がある。君らがどうしてさようなことを認識したのですか。局長が確かにそう言うたのかどうか、もう一ぺん御答弁願います。
  85. 北川恵作

    ○北川参考人 ただいまの委員さんの御質問、確かに一理あると思います。森田局長が書類をなくした際に、これは非常に困ったのであって、出てきたなら困らないじゃないかという御質問の要旨でございます。しかし、私どもの判断といたしましては、この書類を共産党の本部へ持っていけば多額の金になるのだがということを言われておるのでございます。従って、それをその言葉の通りに持って参りましたとすれば、なくなったことによって困ったのではありましょうが、より以上森田局長の一身上にとって困った問題が起きるのじゃないか、こういうことも恐喝成立の判断の要素になっておるのでございます。
  86. 猪俣浩三

    猪俣委員 そんなことが非常識だというのだ。そんな女の子が持っているとするならば、幾らでもとる手段があるじゃないか。共産党へ持っていくと言われたから恐喝された、共産党という名前さえ出せば諸君はみな恐喝ということに考える。そういう警察根性が終戦以前の感情です。終戦以前は共産党というとまたこわかった。共産党がこわいのじゃないのだ、取締りがこわいのだ。その感情が取締官憲までうつっている。共産党へ届けるということがそんなに困るのですか。暗号電報であったそうだが、それは全部取り消したということじゃありませんか。何も困らぬ。困ったのは失ったときなのだ。失って、もうすでにないものとあきらめて善後処置を講じたはずじゃないか。そんなものをどこへ届けられても畏怖の念なんか生じるはずがない。また、それが届けられて畏怖の念を生ずるような重要な書類なら、何がゆえにそんなものを紛失するのです。わけのわからぬことだ。言うことが矛盾しておる。共産党という名前を出したら、すぐ、恐喝だ、私どもはそれがわからぬ。とにかく、諸君が、たとい二十才の娘といえども人権の尊重ということを深くわきまえていないから——われわれは警察に対して何も恩怨がありません。警察活動は大いにやってもらわなければなりませんが、もう少し人権というものを尊重しなければならぬ。片方は公安調査局長であり、片方は二十才の娘です。そんな者がすぐ恐喝したとしてこれを逮捕する。実害は何もないじゃないか。諸君は、その書類も、これはあとで聞くけれども、鉄道の一時預かりから取り上げているじゃないですか。金は一銭も出したわけじゃない。東京からわざわざ届けに行った。しかもその紛失したものが戻ってきた。その女を十日間も留置しておる。そのきっかけは警察が作った。実に一般の庶民というものを虫けらのごとく考えるからなのです。そういう警察思想は私どもはおもしろくない。だから、新聞の記事でも、あるいは弁護士会でも、みな非常識だと判断しているじゃありませんか。あなたは今になってもまだそれが無理であったということを思っておりませんか。やはり当然ですか。共産党という名前でも出せば、本人に聞いてみないでも、これは畏怖の感じを与えたという客観的価値ありと認定することは妥当ですか。公安調査局は共産党を取り締る大元じゃありませんか。公安調査局が共産党と名前を聞いただけで畏怖の念を生ずるなんて、どうするのだ。そんな論理の合わぬ話はないじゃないですか。共産党こそ公安調査局と聞けば畏怖の念を生ずるのです。共産党をこわい者はまたほかにある。カエルとナメクジ、ヘビみたいな関係のもので、みんなこわいところが違うのです。公安調査局が共産党をこわいというのは、ネコがネズミをこわいなんと言うのと同じじゃないですか。そんな論理は通らぬじゃないですか。どういうわけで公安査局長の職権にある森田さんが畏怖の念を生じたというのです。もし真に生じたとするなら、これは一種のノイローゼです。森田さんはその役につくわけにはいかない。それは非常識きわまるじゃありませんか。あなただって、やったことに対してにわかにシッヤポも脱がないだろうから、私は、これだけで、重ねてあとは言いませんけれども、よく反省していただかなければならぬのです。こんなことは恐喝の構成要件に当てはまりません。そこに人権侵害の疑いがあるのだ。どうして、共産党に届けると言うたから公安調査局長が畏怖の念を生じたと判断したのか、もう一ぺん説明して下さい。
  87. 北川恵作

    ○北川参考人 委員さんの御質問によりますと、池田さんが非常に善意のもとに親切に書類を届けられたというようでございますが、事実は、池田さんが森田さんのところに参ったときには書類を持っておいでにならなかったのであります。その書類はどこにあるか、宿屋にある、それではうちの者が一緒に行くから渡していただきたいということで一緒に参りました。その途中で、渡すには条件がある、それで、先ほど申しましたような話があったのでございます。しかも、そのときに、今から三十分後に、金を受け取り書類を交換する場所を電話で連絡するから、公安調査局の電話の番号を知らせろ、こういうふうに言って、そこで調査官と別れたのを聞いております。さようなことからいたしまして、これは善意のものでないと判断をしたのでございます。
  88. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうするとあなたの善意のものでないということは、どういう意味なのです。犯罪の構成要件から見て、初めから恐喝せんがために恐喝的態度に出てきたので、ほんとうのものは渡す意思がなかったのだ、ただいやがらせ、こわがらせにそういうことを言うているのだという認識のもとにこれを悪意と見た、こういう意味なんですか。どういう意味なのです。金がほしいと言うたことは、金と引きかえにやろうと言うたこと、そのことで必ずしも犯罪構成要件上の悪意と言うわけにはいかぬのです。自分の労苦に対して報酬を請求するということは当然のことじゃありませんか。恐喝の構成要件上の悪意というのは、恐喝の意思というものが主でなければならぬ。報酬を請求したからといって、すぐそれが恐喝になるというものじゃなかろうと思う。犯罪構成要件に対するあなた方の厳格なる認識が乏しい。私どもははなはだ遺憾に思います。なお、これはあと池田哲子自身の口からお聞きしたいと思いますけれども、何がゆえにこの機密書類をふろしきに包んで長野駅の一時預けにしておいたのか、それを公安調査局に持っていかなかったという理由について、あなたは何かお調べになったかどうか、それを聞かして下さい。
  89. 北川恵作

    ○北川参考人 長野駅に書類を預けておいて公安調査局へ持っていかなかった理由については、調べてありません。
  90. 猪俣浩三

    猪俣委員 そういうとほうもない捜査方法をやっておる。それが悪意と推定するあなた方の根拠じゃないか。公安調査局へ行ったときにその書類を持ってこなかったことが善意でなかった根拠として、あなたは今述べたじゃないですか。しかるに、その善意の起点であるその事実について真相を調べてない。初めから悪王とにらんでおる。そこにこの事件の発端があるのです。なぜ親切にその点について調べないのか。本人は朝の五時前か四時過ぎかに長野駅に着いておるのです。この汽車は、私はよく自分の選挙区の高田に行くときに乗る汽車で、よくわかっておるのです。高田に七時ごろ着くのです。そうすると長野は五時前後なんです。役所なんというものは九時か十時にならないとえらい人は出てこない。そこで、そんな重要なものであるとするならば、持って歩いて落してもいかぬからといって、長野駅に一時預けて、善光寺参りに行ったのです。ところが、善光寺からは公安調査局の方は近いのだし、駅は遠いのです。あなたは道はよく知っているでしょうが、そこで、とにかく、これから駅まで戻ってあれするよりも、ちょっと局長さんがいるかいないか立ち寄って話をして、それじゃということになったら取りに行けばいいと思って寄ったという。善光寺をお参りして、夜の明けるのを待っておったのです。そこで、夜が明けたので、九時過ぎになったので公安調査局をたずねたけれども、駅まで戻ってまた行くのがおっくうであったので、善光寺に一近い公安調査局の方へ先に顔を出したのだ、こういう事情を訴えています。それを調べもせずして、品物を持ってこなかったから悪玉だ、こういうふうに軽く認定される。実に乱暴きわまると思う。あなた方が悪玉と認定する根拠である、公安調査局へ来るときにどういうわけでそれを持ってこなかったかということをいの一番に聞くべきじゃないか。なぜそれを聞かないのです。それを答弁下さい。
  91. 北川恵作

    ○北川参考人 池田さんが、朝早くて、今調査局へ行っても人が出ておらぬから、先に善光寺の方をお参りをして、そのついでに、から手ではあるが調査局へ先に寄ったのだというお話をお伺いいたしましたが、しかし、池田さんが公安調査局へ参りまして、それでは書類が宿屋にあるから渡すからと申されまして、たしかあれは土屋という調査官と一緒に調査局を出てから、池田さんのお歩きになった道が、駅の荷預り所へ行って書類を渡すような状況にはなかったのでございます。と申しますのは、公安調査局から出られまして、長野市の県町通りをだんだん駅の方へ歩いておいでになりまして、その途中左折されまして、八十二銀行と郵便局の間の小路を中央通りへ出られたのであります。ところが、駅でその書類をお渡しになる意思がそのときございましたならば、駅の方に一緒に行かれるはずであったのでございますが、そうはされずに、また左折されて、長野郵便局の前からだんだんと上の方の長野信用組合の方向に、何メートルございますか、ちょっとはっきりしたことは申し上げられませんが、相当距離反対の方向へおいでになって、その場所で、書類を渡すについては条件があるという、先ほど申し上げたようなことをお話になったのでございまして、さような点から判断いたしまして、やはり、先ほど申しましたいろいろの周囲の状況池田さんのとられました行動、そういうものを総合判断いたしまして、その日でなく、その翌日初めて恐喝罪の未遂罪としての通常逮捕状を請求いたし、逮捕したのでございます。
  92. 猪俣浩三

    猪俣委員 その事情については池田によく聞かなければならぬが、結局、それが、金を幾らかほしい、その金を持ってきたのかどうかわからぬ、金を渡さないで書類だけ取ってしまうのじゃないかというような疑点も出たかもしれぬ。しかし、恐喝の意思があったとは見られません。まっすぐに駅の一時預かりへ行かれなかったことをもって、これは恐喝の意思があるのだと認めることに私どもは納得いたしかねる。恐喝の意思じゃなくて、何とかお礼と引き換えにしたいという意思であったかもしれぬのです。お礼と引きかえにしたいという意思が即恐喝だといえば、恐喝になりましょう。ある好意ある取扱いをした者がお礼を要求することは当然のことなんです。それと、用事が済めばもうよそへ出かける身であってみれば、引きかえにいただきたいということも当然のことじゃありませんか。それをすぐ恐喝だと認定するということになると、これはいろいろな批評ができることだと思う。なお、その日は逮捕しなかったというけれども逮捕の態勢を作って、旅館まで指定して、夜の夜中にその旅館へ軟禁しておったことは事実なんだ。そうして、判事の令状が出るのを待ってやったのだ、そのときにもう逮捕の決意をしておった。そんなことは状況上明らかです。判事の逮捕状が間に合わぬから軟禁しておったのじゃないですか。諸君の指定した宿屋に泊めたじゃないですか。それも夜の夜中になってから。そういう事情池田哲子自身から聞くことにいたします。とにかく、その点につきましては、なおあとでお尋ねすることにいたします。  そうすると、逮捕するについては判事の令状で逮捕したと思うのですが、警察本署へ連れてくる前に、城山公園の交番へ連れていって調べたことがあるかないか。
  93. 北川恵作

    ○北川参考人 長野駅前のの巡査派出所で職務質問をしたことがあります。
  94. 猪俣浩三

    猪俣委員 職務質問をしてから、城山公園の交番に連れていったことはありませんか。
  95. 北川恵作

    ○北川参考人 最初に職務質問をいたしましたのは、長野市の城山公園の中の、放送局の方へ行く丁字路とのころであります。しかし、その場所は、公園の中でもあるし、不特定多数の方がお通りになりますので、そこでうら若い御婦人をお調べするということは適当でないと判断をいたしまして、そこの公園の入口にあります城山巡査派出所に御一緒に行っていただきまして、そこで職務質問をしたのでございます。
  96. 猪俣浩三

    猪俣委員 城山公園の派出所に連れていって職務尋問した。そのときに、池田哲子の言によれば、身体検査をして、シュミーズ一つにした。そのシュミーズさえも取り巻きの警察官が脱いじまえと言ったが、それは峻拒した、かようなことを言っている。さような実情があったかどうか。
  97. 北川恵作

    ○北川参考人 そういうことは、調べてみましたが、全然ございませんでした。
  98. 猪俣浩三

    猪俣委員 そういう返事をするだろうと思っておった。みんな自分の都合の悪いことは隠してしまう。そうすると、城山公園の派出所では——私は長野県の地理はよくわからぬのだが、さっきあなたが言った、長野駅の前の派出所で職務尋問したということだが、それから城山公園の派出所へまた連れていって調べたのか、それはどっちだかはっきりわからぬが、どっちなんですか。両方なんですか。
  99. 北川恵作

    ○北川参考人 これは、もう少し詳しく申し上げますと、池田哲子さんが、書類を渡すと言って約束された時間にはお見えにならなかったそうであります。そうして、どこへ行かれたか、公安調査局としては大へん困ったようなふうにお聞きしておりますが、結局長野駅の待合室のベンチに腰をおかけになっておったそうです。ちょうどそのとき、その出先におった調査、局の方が、自分の役所へ、実はこういうようなわけで池田さんが——当時は池田さんということは全然わからないのであります。お名前も、住所も、お聞きしても申されておりませんので、池田さんであるか何さんであるかということは当時はわかっておらなかったのであります。そこで、その調査官は、これは大へんだ、書類をお渡しにならずにこのままどこかへお帰りになったんでは困るということで、調査局に電話連絡いたしたのでございます。ちょうどそのとき、先ほど御説明いたしましたように、駒津、高橋両巡査が先ほどの届出を受けて公安調査局に出張しておったのであります。かくかくの事情で、どうも書類は返すような気配がない、しかも十一時何分の汽車があるので、駅のあのベンチに腰かけておられる様子から見て、あるいはその汽車でどこかへ行かれてしまうのではないかという連絡であったので、高橋、駒津両刑事が行ってみまして、そうして、そのとき、調査官の方が、あそこに腰かけておられる若い御婦人だということを言われたのです。それから、その御婦人はまた長野駅前から善光寺駅のバスに乗られまして——それも二、三度乗ったりおりたりしておられたそうでございますが、乗って、終点であります大門町の停留所でおりられまして、それから善光寺様へお参りをされて、そうして東の公園の方へ歩いて行かれた。警察官としては、どうも困ったことになった、書類を返すというようなお話だったが、そんなような気配がないし、どこへ行ってしまうかわからないし、住所も氏名もわからない。しからばここで職務質問するより仕方がないじゃないかというので、先ほどお答えいたしました長野放送局の入口の道でお呼びとめして、そうして、ここではまずいからというので、巡査派出所まで御一緒に行っていただいたのであります。そうして、その後、結局そこでも端的に言ってらちがあかない。池田さんは、名前も住所も、またその書類のある場所も全然おっしゃらないという状況で、俗な言葉ではございますけれども警察官の方もどうにも手をあげたというような形になりまして、いやしかし、困ったものだ、何とかこれは書類をお返ししてもらうようにしなければならぬということで、池田さんにお話ししたのでございます。結局、それじゃ、大ぜいついてきちゃ困るから、たれか一人来なさいということで、再び大門町のバスの終点といいますか、逆に言えば起点の停留所です。そこで駅行きのバスにお乗りになったんです。そしてまた駅でちらほらあちらこちらへおいでになっておりましたが、そのうちに、警察官がうしろからついてくるということをお感じになられたらしく、自分の持っておったハンドバッグをちょっと上げて、顔をこうして、ちょっとこっちへいらっしゃいという格好を長野駅の便所の入口のところでされたのでございます。そこで、そばにおった——そばといいますか、一緒に参りました駒津という刑事池田さんのそばへ参りますと、あんた、あまりそばへついてくるからだめだ、書類を渡さないのだよ、こう言ったのです。とにかく、名前も氏名も住所もわからないような状況でございましたので、いろいろ事情をお聞きしたいので、ぜひもう一度駅前の交番へおいで願いたいということで、再び駅前の交番へおいで願ったのでございます。そういう状況でございます。
  100. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、あれですか、駅前の交番で——私の質問に対してあなた端的に答えないで、回りくどいことを言うからわけがわからないのです。そうすると、交番で調べたというのは、駅前の交番と、それから城山公園の交番と、この二カ所で調べた、結局こういうことになるのですか。
  101. 北川恵作

    ○北川参考人 さようでございます。
  102. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、駅前のときはそんなことはなかったらしいが、城山公園の派出所のときには身体検査をしたそうだが、そういうことはないというんですか。交番のどこで調べたというのですか。哲子に言わせれば、あの巡査の休憩所の中の畳の上で調べられたというのですが、どこで調べたことになっておりますか。
  103. 北川恵作

    ○北川参考人 放送局の入口のところから何メートルございますか、約二十メートルございますか、交番まで参られまして——ちょっと場所的に言葉で御説明申し上げるのは非常にむずかしいのでありますが、この交番はごく最近作っていただきました交番で、きわめて大きな、広い建物でございます。最初に玄関から入られまして、そうして広い事務室の南東すみに机が置いてあります。その南東すみの机に着席されて、そうして、一緒に参りました刑事もそこで事情を聞かれたのでございます。この南東すみは、城山公園の人通りのある反対側になっております。いろいろそこで事情——事情といいますか、お名前やら、場所やら、あるいは事情やらをお伺いしたのでございますけれども、そういうことはあなた方に言う必要はないんだという言葉でございまして、こちらとしては大へん困っておったのでございます。しかし、あまり事務室で長く若い御婦人の方にいろいろ事情を開くということは、相当たくさんの人が通られますので、池田さんのためにもあるいはよくないじゃないかというふうに現場の巡査が判断いたしまして、そうして、その事務室に続く六畳の日本間でございます。畳敷きであります。そこへ上っていただきまして、そこでいろいろ事情を聞いたのでございますが、そのときの位置でございます。池田さんは、入口から入って右側に当ります、ちょうど方角で申しますと南側の壁を背にして、オーバーを着たままで上にお上りになって、足を横に投げ出すようにされておったのでございます。事情を聞いた警察官は、それと全然反対側の北側の壁を背にして、そして、ちょうどまん中にこたつがございます。長野のこたつは下が掘ってありますが、夏でもそこが爐のようになっておりますが、ちょうどふとんをとってあって、やぐらだけがそのまん中に置いてある。そういう六畳の向うの端とこっちの端で事情を聞いておったのでございます。しかも、池田さんはオーバーはそのまま着ておられたのでございますから、ましてやシュミーズ云々というようなことは絶対にございません。以上の状態です。
  104. 猪俣浩三

    猪俣委員 それはあと池田哲子に聞くことにいたします。  なおお尋ねいたしますが、池田哲子はこの機密書類をふろしき包みに包んで長野駅の一時預かり所に預けておいた。しかるに、そのことを警察にちっとも言わなかったとあなたは言うけれども哲子の同意のないままに、長野警察刑事は、その一時預り所から哲子の預けましたるふろしき包みを持ち出しておる。これは、いかなる法規のもとに、いかなる手続をして、哲子の所有に属するそのふろしき包みを持ち出されたのであるか。その手続について説明して下さい。
  105. 池田清志

    池田(清)委員長代理 北川君に申し上げます。事情をいろいろ詳しくお述べいただきましてありがたいのでありますが、時間の関係もありますので、委員の質問に対しまして率直簡明にお願いいたします。北川君。
  106. 北川恵作

    ○北川参考人 駅前の荷物一時預かり所からふろしき包みの書類を領置したことは事実であります。これの手続の問題でありますが、刑事訴訟法第二百二十一条の規定によって、所有者、所持者もしくは保管者が任意に提出した物を領置できるという規定によって、任意領置いたしたのでございます。もしそのこまかな事情についてお必要がございますならば、こまかに申し上げたいと存じます。
  107. 猪俣浩三

    猪俣委員 刑事訴訟法の二百二十条ですか、もう一ぺん念を押しておきます。
  108. 北川恵作

    ○北川参考人 私ここに六法を持っておりませんので、抜粋ですから、あるいは誤まりがあるかもしれません。二百二十一条だと思っております。
  109. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、二百二十一条ということになりますと、哲子は同意したわけじゃないのですから、保管者が出したということになるのですが、そうすると、これはもうすでにそのときには哲子被疑者となっておった後のことですか、どうですか。そこを時間的に言って下さい。いつ被疑者となって、逮捕状が出て、いっこの一時預かり所の品物を諸君が持ってきたのであるか、その時間関係を言って下さい。   〔池田(清)委員長代理退席、委員長着席〕
  110. 北川恵作

    ○北川参考人 こまかな時間の点につきましては、明確な記録はございませんが、ちょうどそのころ、先ほど申し上げました池田哲子さんが駅前の巡査派出所に来られたときであります。そのときに、公安調査庁の清水調査官が交番へ参りまして、どうもうちでなくした書類が荷物一時預かり所にあるようだから、一緒に行ってみてくれないか、こういう連絡がございましたので、警察官がその調査官と一緒に長野駅の荷物一時預り所に至りまして、そのとき、清水調査官は指をさして、ちょうどこういう入口のところが台になっておりますが、上野駅や東京駅のように大きいところではございません。一目で全体が見えるような場所でありますが、ちょうど目の前のたなの上にあるらしいが、あれをちょっと見して下さいと言って、清水調査官が、その管理人である——当時の管理者でありますところの、佐藤さんと申しましたか、あるいは名前が違っているかもしれませんが、たしか佐藤さんだと思います。その方に出していただいて、自分でこう押えてみて、ああこれはうちの書類に間違いない815C。と申しますのは、私現物を見ませんけれども、説明によりますと、ちょうど大きな弁当箱を倍にしたくらいの大きさの書類だそうです。これをふたの半のふろしきで両方から結んであったそうでございます。ちょっとこのすみの方をやりますと、中にどんな書類があるか見える程度の縛り方だったそうです。そこで、警察官としては、ああこれはまさにそうらしい、そういう清水調査官からの連絡がございましたので、そこで、任意の、先ほど申し上げました手続によりまして、管理者の承諾を得て領置いたしたのでございます。なお、その際、果してそのときはまだ池田さんだかなんだかちっともわからないときなんですが、この荷物を預けた人が池田さんと申しますか、そのお若い御婦人の方であるかどうかの点を確かめるために聞いてみますと、その佐藤さんのいわくには、私はけさ何時だかに交代したものであるから、前任の人に聞かなければわからない、こういう御返事でございましたので、それから、里数にして約四キロばかりでございます安茂里の観音様へ花見に行かれたということを聞いて、刑事がわざわざ自転車で行かれましたところが、折よく鉄道の服を着た人がたくさん来たので、何と申しましたか……
  111. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは答えが冗漫でいけない。私が聞いたことだけ端的に答えて下さい。今委員長から注意があったでしょう。私があなたにお聞きしたのは、この池田哲子の預けたものを無断で警察は駅から押収していっているんだが、それはいかなる法的根拠によったかと言ったら、二百二十一条だと、こう言うんだ。そこで、二百二十一条は被疑者のもののことなんだから、そこで、この池田哲子はいつ被疑者になったか。逮捕状が出たのは翌日でしょうが。逮捕状が出たときには、被疑者になったことは明白でしょう。あなたはそれをさっきから強調しているんだ。その日は何にもしなかったんだ。そこで、一体二百二十一条の要件を備えた押収であるかどうかをあなたに確かめておるのです。だから、いつからこの人は被疑者にせられたのであるかを明らかにしてもらえばいいんだ。そんなこまかいことを一々聞く必要はないのです。
  112. 北川恵作

    ○北川参考人 池田哲子さんを被疑者として逮捕したのは二十一日の午後四時でございます。今申し上げておる時刻は二十日の午後二時半ころのことでありますから、従って、池田さんはまだ被疑者として逮捕になっていないときのことでございます。しかし、捜査は、被疑者逮捕にならなければほかの任意捜査をやってはいけないということはないように思っております。
  113. 猪俣浩三

    猪俣委員 君らはそう簡単に言うけれども、憲法の第三十五条には厳たる規定があるんだ。その憲法の大原則に反して、警察捜査のためにやむを得ず二百二十一条の規定があるのです。これは、憲法に規定のある以上は、厳格に解釈しなければならない。憲法の三十五条にあるじゃないか。明白なる規定があるんだ。「何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条」——これは現行犯の場合だ。「第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」と明白に書いてあるじゃないか。この憲法の大原則に反する行動をする場合は、厳重な条件がなければならない。その条件、二百二十一条の条件は、明白なる被疑者として指定された者については、その者の同意がなくとも、保管者の任意提出によって押収することができるというのであります。憲法の原則に反する行動をする際には厳重なる条件を守らなければならない。令状がないのでしょうが。令状が出たのは翌日だ。令状なしにあなたはこの池田哲子の所持品を侵しておるのである。それは明白なる被疑者になったかならぬか、被疑者として公けに訴追せられる状態になったかならぬかという問題なんです。先ほどの説明は、——私は、もう二十日の日にすでに諸君は池田を恐喝未遂の被疑者として考えていたのじゃないか、判事の令状を取るのが間に合わぬために、その日は軟禁しておったのじゃないかという質問を私がさっきもしたのです。諸君は、二十日じゃない、一日ゆっくりあたためて、諸般の事情を総合考かくして逮捕するようになったんだ、こう言うておる。逮捕するのは被疑者と認定したから逮捕するのでありますから、逮捕状の出たときは被疑者になったことは明らかだが、その前の日にはまだ被疑者しておらなかったのじゃないか。さっきのあなたの答弁によるとそういうふうに見受けるから、私はいつから被疑者になったのだという質問を今しているのです。ことに、池田は一時預かりにしたということを言わないというのに、どうしてその一時預かりを調べたのか、その点が了解できない。どういうわけなんですか。
  114. 北川恵作

    ○北川参考人 池田さんをその当時の状況では氏名不詳の女ですが、被疑者の取扱いをいたしましたのは二十日の午後三時四、五十分ころではないかと存じます。これは被疑者としても必ずしも逮捕しなくてもいいし、また、実際問題は、被疑者であっても、努めて任意捜査をやるというのがわれわれに課せられました捜査法上の任務でございますので、なるべく逮捕ということを避けていきたい、強制捜査はなるべく避けるという意味合いから、そのときになりましても逮捕いたさなかったのであります。ただ、なぜその午後三時何分かに被疑者として確認したかという問題は、先ほどちょっと申し上げて途中でやめになりましたが、その駅の荷物の管理人である人が、交代になった人が参りまして、ちょうど見つかったので来てもらいまして、あなたがけさ交代前に荷物をお預かりになったそうですが、その預けた人に記憶がございますかと言ったら、若いご婦人のようだったが、どうもはっきりしない、こういう御返事でありました。それでは、済みませんが、今交番にその女の方がいるのですが、ちょっと見ていただけませんかと言ったら、交番を遠くから見て、あの人に間違いありません、こういう御返事でございましたので、これは若いこの婦人とその書類とのつながりがはっきりしたので、そのときから、強制捜査ではありませんけれども被疑者としての取扱いをしたわけであります。
  115. 猪俣浩三

    猪俣委員 先ほどあなたの説明によると、二時半ごろその一時預かりへ行って品物を調べたと言う。今被疑者となったのは三時四、五十分だと言う。そう下ると、被疑者にたらぬうちに一時預かりに行って調べたということになる。それはどうなんですか。
  116. 北川恵作

    ○北川参考人 時間の点は、ちょっとここにメモしてございませんので、はっきり申し上げることはできませんが、任意捜査被疑者になったときと、その書類を任意に領置したときと、ほとんど同時でございます。
  117. 猪俣浩三

    猪俣委員 だから、同時だとするならば、時間が合わない。被疑者にしたのは三時四、五十分だと言うし、一時預かりに行って調べたのは二時半ごろだと言うから、被疑者としないうちに調べたのではないかという疑問が出てくる。時間がはっきりしないといえば、これは仕方がない。そういうことは憲法の例外的規定ですから、もっとはっきり、警察の署長は、基本的人権を侵害しないためにさような重大なる時間的のことは捜査しておかなければならぬと思うのです。はなはだうかつな話ではないですか。憲法の基本原則にはなはだ反することをやっておる。しかし、やむを得ざる規定として二百二十一条がある限りは、被疑者でなければならぬ。そこで、被疑者として確認をいたしてからでなければ、そういうことができないはずである。  なお、あなたに言いたいことは、もうすでに品物が押収してしまって出ているのです。その局長はまことに困った、品物が出てしまった、それなのに、その品物が出ると同時に恐喝未遂を確認して翌日逮捕状を出す、どうも理解できない。困惑の状態なんかはもう解消しているではありませんか。本人に無断でそのものは取り上げてしまって、逃げも隠れもせぬで、公安調査庁にその書類が返ってしまっている。その返る動機を作ったのは池田哲子です。感謝しなければならぬではないですか。かけがえのないものが戻ってきたではないか。しかるに、それと同時に恐喝未遂としてこれを拘引し、逮捕し、勾留する。世の人情と逆なんだ。警察が世の人情と逆なことをやるのを人権じゅうりんというのです。逆じゃないですか。恩をあだで返すというのはこのことではないですか。あなた、それをどう考えるか。品物が出てしまった。それは公安調査局長の手元へ返ってしまった。局長はほっとして、それこそ天へ上るようにうれしかったろうと思うのだ。そんなにうれしくなかったと思うなら、畏怖の念を生じたというのはうそっぱちだ。返っても返らぬでもいい書類だったに違いない。その書類がなくなったら大へんだという畏怖の念を生じた、恐喝されたというのだから、出てきたら喜んだに違いない。そうすれば感謝しなければならぬではないですか。感謝しなければならぬ場合に、これをぶち込んでいるのだ。無理があるではないですか。あなたは警察署長として無理じゃないですか。この御所見を承わりたい。
  118. 北川恵作

    ○北川参考人 あの場合、私ども警察にとりましてまことにやむを得ない措置をとったように思っておりますが、もし捜査上について至らない点があるとおっしゃられますならば、将来十分注意をいたしまして、同じことを繰り返さないようにいたしたいと思っております。
  119. 猪俣浩三

    猪俣委員 はなはだ常識を逸したことをやっておる。非常に人権じゅうりんをやっておられると私どもには思われるのです。品物は返ってきているのに、金をやらざるのみならず、その本人を留置する。何としてもこれは庶民の感情をじゅうりんするものです。そういうことは注意しなければならぬと思いますが、一応他の委員の別な質問があるそうでありますから、私は一時ここで中止いたします。
  120. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 委員長……。
  121. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと志賀委員にお尋ねしますが、今の猪俣委員の質問された問題に関連してですか。
  122. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 関連しております。同時に公安調査庁に関係あることなのですが……。
  123. 高橋禎一

    高橋委員長 きょうは御承知通り参考人にたくさん来ていただいておりまいすら、できるだけ早くその方の問題を片づけて、また別な問題は別な機会にということにしましたらどうかと思うのですが……。
  124. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 簡単明瞭に片づけます。私が申せば、また猪俣委員が質問を続行される上に非常に参考になると思います。
  125. 高橋禎一

    高橋委員長 ただいま申し上げたことをお含みの上で御発言を願います。
  126. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 法務大臣が来られるまでお尋ねします。  ただいま猪俣委員から参考人にいろいろ質問があった事件書類というものは、私の所属しておる共産党に関するものであります。ところで、事件はこれ一つではないのです。そうして、公安調査庁が失敗をやると、——これは警察でもそうでありますが、必ず逆に恐喝で問う、あるいは不法監禁でやる、こういうことをやっておるのであります。ここに写真がありますが、これは兵庫地方公安調査局長殿といって、石谷恒雄という調査官でありましょう。昭和三十年十一月八日付で出した書類ですが、これは兵庫の共産党の建物で、神戸市にありますが、そこへどろぼうが入って、この書類を盗んでいった、その書類が数日後に公安調査庁に入っておる。場所は神戸市生田区下山手通り五丁目山手寮においてと書いてあります。入手経路の方法はどうかというに、情報提供者は日共党員第六号より直接提供を受けたものである。同本件資料は提供者が日共神戸市委傘下のアカハタ湊川分局——これは長田分局の間違いでありますが、より持参したもの.であることを付言した。なお、備考のところに、資料提供の際、公安調査局の上野第一課長が立ち会ったとなっております。  藤井公安調査庁長官に伺いますが、あなたはこういうふうにどろぼうから情報を集めておられるのかどうか、この入手に当ってはどういうことをされたのか、その点を伺いたのであります。
  127. 藤井五一郎

    ○藤井政府委員 どろうぼうから調査資料を集めておることはありません。この問題について詳しくは高橋次長が調査しておりますから、次長から申しますが、どろぼうから決して——どろぼうからというと臓品ということになるでしょうが、そういうことはしておりません。
  128. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 ただいま長官から申し上げたように、私どもの方で仰せのようにどろぼうから資料を集めておるというようなことはありません。
  129. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 明らかにこのときにかぎのかかっているところへ入って書類を盗み出し、それが公安調査庁に入っている。ここには日共党員第六号というふうに書いてある。そうすると、これは明らかに公安調査庁が党内へスパイを忍び込ませて、使ってやらしたということになるのです。その点はどうですが。
  130. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 たまたま日共党員第六号という者が、そのような手段で湊川分局からそれらの資料を持ち出したということかもしれませんけれども、そういうような方法で持ってきたということを承知で私どもの方でそれをとるようなことは絶対にしておらないつもりであります。従って、その場合におきましてそういう結果になりましたのは、これはほんとうに間違いで、その間違いということにつきましては、私ども大いにこれは遺憾に思っているのであります。また、今後そのようなことのないようにと考えております。ただ、それは、仰せのように、どろぼうをさせたとか、あるいはどろぼうをしたものを、そういう事情がわかっていてとったというようなことは、これは絶対にございません。
  131. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 こういう書類を盗んでも三文の値打ちにもならない。役に立つのは警察か公安調査庁以外にない。去年私どもが聞いたときに、金沢では金品を提供して党内の情報を出させたことがあった。あなたはそのときに何と答弁したか。「県民の友」という党の文書、これは普通の本屋でも五円で売っているものを、千円で入手したでしょう。それについていずれ調査の上答弁いたしますとあなたから答えている。昨年の第二十二国会が終ったあとであなたの方から法務委員長を通じて私の方に出した書類は、これは謝礼であって、当然そういうことをさせたものだというのですが、この場合あなたの方から謝礼を出したかどうか、その点はどうですか。
  132. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 金沢の場合につきましては、当時すでに書類でもってお答えしてある通りであります。謝礼を出しております。ただし、これは、当時国会で問題になりましたように、一般市販されているものについてその定価をこえて非常に多額にそれを買ったというような関係では実はないのでありまして、そういう雑誌のほかにいろいろな資料をこちらの方で実はとっているわけであります。それら全体に対するこれは謝礼であります。
  133. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 語るに落ちるということがある、今のそのあなたの答弁でわかる通り、これなんかも、あなたの方は、そういうふうに、窃盗をさせた覚えはない、そういうものを絶対に受けたことはないと言いながら、これはあなたの方の文書ですよ。兵庫地方公安調査局長殿ということで、石谷という調査官が、情報提供者日共党員第六号より直接提供を受けたものである、こう書いてある。なお本件資料は提供者が先ほど申したアカハタ分局より持参したものであることを付言するとある。あなたは常識としてそういうものを受け取ったことはないと言われるが、ちゃんと事情を知っているじゃないですか。
  134. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 ただいまお読みになりました文書がどのような経路でそちらのお手元へ参ったか存じませんけれども、それらの文書によりましては、文書に書いてある通りのことだけでありまして、それによりまして、志賀さんの言うように直ちにどろぼうしたものであるというふうなことは、私どもあとでこの事件を知りまして調べました結果でも、そういうことはちょっと言いにくいと思うのであります。われわれの方でも、御承知のように、共産党の方の資料もいろいろ集めておりますが、このような場合には、大体において党員が持ってくるのであります。その場合に党員がどろぼうしてくるということは、私ども今度が初めての経験なんでありますけれども、そういうことはないのであります。通常、そういう党員の、何と申しますか、われわれの方に協力する意思でもって、それらを通常の方法で実は持ってくるのでありまして、どろぼうして持ってくるというようなことは、これは全く私ども初めての経験で、驚いた次第であります。
  135. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 先ほど申し上げたように、上野一課長に共産党の兵庫県委員会が抗議をしたときに、資料受渡しには自分が立ち会ったと言っております。盗品を家屋を破壊して入手されているとすると、これは憲法に保障された政党活動の自由に対する侵害である、よくないことだともこのとき認めておるのです。それを承知の上でとっているんです。あなたは初めてだと言われるけれども、長野県でもこういうことが起っている。これは警察でありますが、そこでやっぱりこういうことが起っておる。これは警察や公安調査庁がこういうことをやっているという証拠である。あなたは古屋貞雄委員が予算委員会で質問したことを覚えておられるでしょう。情報を提供した者に公安調査庁が金を出す、これは会計検査院が認めておることである。国家がそういうふうに情報を提供させて金を払うときには、必ず受取証があるが、これは会計検査院に対しても受取りを出さないでいいことにされている。これでは臨時軍事費と同じことになるじゃありませんか。国家の金の使途も明らかにせずにこういうふうなことをやっておる。これが第二次世界戦争に日本を突っ込ませ、今日の状態に陥れたもとであります。この前の石川県金沢の事件にしてみたところで、現に買収に来ておる。そこを党員が隣の部屋から聞いておって、朝日新聞その他の記者に来てもらってやったところが、あなた方はどうです。今猪俣委員から質問された事件と同じように、これを軟禁だ、公務執行妨害したと言って、逆に訴訟を起しているでしょう。同じ手口なんです。どうしてこういうことを共産党に対してされるのか。共産党は憲法に保障された団体である.破壊活動防止法といえども憲法の範囲内においてやるべきことである。あなた自身は、今、そういうことは初めてだ、そういうことは絶対にありません今後はやりませんと言われるが、なぜそういうことをされたのか、その点について伺います。
  136. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 兵庫の共産党の方が、兵庫地方公安調査局に来られて抗議されたときに、一課長上野君が言った言葉は、私が今日申しておることと内容は全く同じであると考えます。従いまして、そのときに、窃盗してはけしからぬじゃないかということについては、むろん上野君は窃盗してはいかぬということを言っているに違いないと思います。しかし、それは決して窃盗しておったものを知ってとったといったようなことを認めておるはずはないのであります。
  137. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 牧野法務大臣が来ておられますから、ここで牧野法務大臣にこういう事任に関連して伺いたいのでありますが、ただいま日ソの漁業が調印されて、七月三十一日までに国交回復をするための会議を開くということになっておりますが、それについて一部の人たちは、国交を回復すると日本で共産主義運動が盛んになるといけないから、この国交回復をやめろ、また、その治安対策上不安の点が生ずるというようなことを言っております。牧野法務大臣は、日ソ間の国交回復ができたら日本の治安が乱れるとお考えでございましょうか、まずその点を伺います。
  138. 牧野良三

    ○牧野国務大臣 大へんめんどうな御質問でありまして、ちょっとただいま答弁がいたしかねます。ソ連の出方いかんによりますから、大へんな警戒を要すると存じます。けれども、そのために国交を回復するということは阻止すべきじゃないと私は思います。
  139. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 ソ連の出方いかんによると言われますけれども、ソビエト同盟共産党第二十回党大会でも確言しております。その前からも言っております。革命というものは外国へ輸出するものではないと言っております。日本でも、共産主義の運動及びその思想というもの、それが発生する根拠があるのであります。ソ連の出方いかんと言われるけれども、これは、内政に干渉しないのは、国家としての建前上相互にやるべきことであって、その点の保障は、今度フランスのモレ首相がモスクワに行きましたときに、コミュニケを発表しておりますが、そのときにも、相互にその点をはっきり約束しているのである。ソ連の出方いかんと言われるが、それ以上にソビエト同盟が特に日本に対してそういうことをやるということは、これは絶対にあり得ないことでありますが、それを特にそういうふうに言われるというのは、何かここで、ソビエト同盟と国交回復をする機会に乗じて、例の治安維持法に類似したような、反共立法という構想を法務大臣の方では考えておられるのか、そういう計画があるかどうか、その点を伺いたいのであります。
  140. 牧野良三

    ○牧野国務大臣 あなたのような考えを持っている人ばかりならけっこうでありますが、どうも日本人の中に行き過ぎがおりまして、便乗したがる連中がおりますから、相当の警戒を要すると存じます。
  141. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 私は共産党の責任者の一人であります。共産党員に対しては、党できめた方針によってやっているのでありますが、私どもとしては、でき合いの革命を向うから持ってくるというようなことはちっとも考えておりません。また、そういうことを考えるようならば、日本で共産党が将来大をなすこともできず、日本国民が前進することもできないのであります。この前、一九二五年第一回の日ソ国交が回復しましたときに、それと同時に治安維持法を制定したが、その結果が第二次世界戦争で日本人を戦争へかり立てていく鉄のむちになっております。そういうわけで、私どもとしては、どうしてもこの際日ソの国交回復をすみやかにやらなければならないが、それに口実をかりて、反共立法をきめて実行するということになるならば、これは結局またぞろ戦争の方向、その方向へ日本人を引っぱっていく。戦後せっかくここまで成長してきた日本の民主主義を、またぞろこれを押えつけるという結果になるのでありますが、その点について法務大臣の御意見はいかがでございましょうか。
  142. 牧野良三

    ○牧野国務大臣 志賀委員、あなたのお説の通り、それはもっともだと思います。
  143. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと志賀委員に申し上げますが、参考人の方々をあまり長くお待たせしてもどうかと思いますから、簡単にどうぞ。
  144. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 ただいま牧野法務大臣がお説の通りと言われましたので、反共立法などという大ずれにずれたようなお考えは持たないものと、牧野法務大臣のおっしゃったことを善意に解釈しまして、牧野法務大臣は御病体だそうでございますから、これで私は質問いたしません。  そこで、公安調査庁にもう一度伺うのでありますが、今後こういうことをされるのかどうか。本人が向うから取り出したと言っている事情を知って受け取っているのです。そうして、上野一課長もそのことは認めておる。こういうことをあなた方は今後ともされるのかどうか、この点を伺いたい。
  145. 藤井五一郎

    ○藤井政府委員 先ほど高橋次長がお答えしているように、上野調査官は決して臓品であることを承知に受け取っているのではありません。また今後そんな窃盗をして得た臓物をわれわれが手に入れて、それを調査の資料にするなんという、そんな卑怯な、違法な考えをしてはおりません。また、しません。
  146. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 大みえを切られても、現にここに証拠があるのですよ。どこから入手したかということを高橋次長言われておりますが、天細かいかい疎にして漏らさずで、あなた方がこういうことをやっておっても、ちゃんとこっちに入ってくるのですよ。自分たちが悪いことをして、それがいつまでも国民の目に触れないでおるものとお考えになったら、大きな間違いです。今大いに藤井長官たんかを切られましたが、じゃ伺います。臓品を受け取らないと言われるが、臓品でない、共産党員を金で買収して情報を持ってこさせる、そういうことが全国方々で行われているから、そういう事情が前提となって、今度今猪俣君が言われたような事件が出てきた。謝礼を受け取ろうとしたら、逆にこれが恐喝ということになった。これは、公安調査庁と警察がぐるになって、自分たち長野の局長が失敗をしたかあるいは取り落したか、そこは存じませんが、とにかくせっかく持ってきた情報、この場合には金を十万円払うと約束しておきながら、逆に恐喝でもってこれを陥れようとしているんでしょう。これはどういうことになりますか。
  147. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 長野の事件は、ただいまちょうどお調べ中でもございますし、ちょっと問題が違うように思います。実は、重要書類をこちら側が紛失したのであります。そのものに関する問題であります。
  148. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 じゃ、この書類は紛失しなかったのですか。
  149. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 何の書類だかよくわかりません。
  150. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 何の書類だかといって、私読み上げたじゃありませんか。とぼけたことを言いなさんな。そこで、伺いますが、公安調査庁は、共産党の幹部が弾圧を避けて隠れておったときに、莫大な調査費を使って探しておりましたね。野坂以下みな出てきました。徳田はなくなりました。大いに金が余った。金が余るから、方々へ買収費を出して、スパイを忍び込ませてやっておる。あなたは、共産党は破壊活動をやる団体であると認められるのかどうか、そうして、そういう前提でもってこういう買収をやっておられるのかどうか。
  151. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 公安調査庁は、共産党を破壊団体の容疑あるものとして、破防法で調査しております。
  152. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 憲法に基き、現に私もこの国会に出てきておって、こうして法務委員会にも出ております。そうすると、あなたは、私どもを破壊活動をやっておるというふうに認定してやられるのですか。そういう団体である、いっそういうことをやるかわからないというのでやっておられるのですか。憲法に認められてここに出ておる共産党ですよ。憲法の規定はどうなります。結社の自由はある。政党を作る自由はある。政党活動の自由はある。そうすると、あなたのおっしゃることは、それを否定されるのですね。
  153. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 私どもは破防法に基いて日本共産党を調査しておるのでありまして、今後といえども調査はするつもりでございます。憲法に認められている政党というものは、何か絶対に調査してはならないものである、調査する場合には、だれかどこかでそういうレッテルを張ってからにしろということは再々お聞きするのでありますけれども、私は、憲法も法律もそのような建前じゃなくして、やはり疑いのあるものについては、その段階において調査することはさしつかえない、こういうふうに考えます。
  154. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 疑いがあると言われますけれども、共産党として私どもがこうして国会にまで出て活動しておる。それを、あなた方はスパイを使って、また党員を買収して、——これは全沢の場合にもありましたね。金沢の場合のごときはどうです。拒否した。そして新聞記者の立ち会いの上で見つかった。公務執行妨害、こういうことにしておりますが、そのときに、そういう官吏であるならば、人の家に入ってきてそういうことをやる場合には、果してそれが役人であるかどうか、ちゃんと身分を証明するものを提示すべき義務がある。そのときに公判において弁護人の方から聞いたところが、その書類の提示を求められたところから公務ではなくなった、こういう詭弁を弄して、そしそ軟禁をしたというようなことを答弁しておるのであります。あなた方公安調査庁はそういうことをやらせておるのですか。その点について……。
  155. 高橋一郎

    高橋(一)政府委員 金沢の事件につきましては、私の方は、実は、罪名は暴力行為でありましたか何でしたか、はっきりしませんが、そういうことの被害者であります。それで、その被害のことをお届けして、われわれと全く独立の立場である裁判所の方で今裁判が進行中であります。それに対して、共産党の方で、職権乱用であるということで逆の訴えもしております。その訴えの方はもうけりがついて、そういうことはないということにきまったようであります。志賀さんがおっしゃるのは、その中で弁護人がたまたま言っておることなどを根拠にして言っておられるのでありますが、私としては、全般を総合的に見た裁判所の結果をごらん願いたいというふうに考えております。
  156. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 最後に一問。なおこういう事件が呉にも一つあります。やっぱり買収しようとして、家の中では話しにくいから外へ一緒に出てくれと言って、友だちの家のところに出た。そのときにはちゃんとその役人が自分の証明書を持って見せたのでありますが、そのとき、友だちの家の前で大声でその友だちを呼んだら、その調査官が逃げ出してしまった。そしてぬかるみの中で下の道に自分でころんで落ちた。ところが、これはがけから突き落されたと言って、逆にこっちを訴えておる。今度の長野の事件でもわかるように、すべて、自分たちが失態をしでかすと、必ずこれを逆に、あるいは恐喝である、公務執行妨害、軟禁、突き落して暴行を働いたとか言っておる。あなた方は盗人たけだけしいという言葉を御存じでしょう。いつでもこういうように自分たちが失敗をしておる。公安調査官はまことにたけだけしいことをやっておるのであります。あなた方は、買収をする費用を出す、政党に対してスパイを入れる、そうして、それについては、会計検査院からは、これについての金の支払いをした証明書を出す必要はないというようなことになっておる。これは、結局、あなた方は日本の国費を乱費して、方々でわざわざ犯罪を作り上げている。長野の事件もその一つの例であります。そういうことをやっておっては、結局、公安調査庁という役所は、今は国際的に言えば、どこの国であろうと、平和共存をやろうとする時代、また、国内では民主主義を一歩進めようとする時代に、絶えずあなた方は犯罪をそこに作り出していくために国家の費用をむだ使いしておるということになるのであります。あなた方がそういうお心がけなら、われわれとしても、今後全国に注意をして、あなた方がのっぴきならない証拠を突きつけられるまでやります。そのことを申し上げておいて、私の質問を終ります。
  157. 高橋禎一

    高橋委員長 森田参考人に申し上げますが、あなたの姓名、住所、職業、これを一つお述べ願います。
  158. 森田清

    ○森田参考人 姓名は森田清、住所は長野県長野市長門町一〇九七番地、職業は長野地方公安調査局長でございます。
  159. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣浩三君。
  160. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは公安調査関係の機密書類をなくされたそうですが、それはどこでどんな状態でなくされたのであるか、御説明いただきたい。
  161. 森田清

    ○森田参考人 日にちは四月十六日、場所は、上野駅の十四番ホームに停車中の午後四時四十分発でございますが、列車番号は三二七号列車、それの後部から三両目、改札口の方から参りまして三両目であります。その三両目の後部の階段から入りまして、ホーム寄りでない側の四番目の座席でございました。場所はそういうところでございます。
  162. 猪俣浩三

    猪俣委員 その紛失された状態は、どういう状態のもとに紛失されたのですか。
  163. 森田清

    ○森田参考人 そのときは、チョコレート色の書類カバン一箇のほかに、セロファンで包みました三箇の荷物を持っておりました。そして、時間は少し早目と思いまして、午後三時四十分から四十五分くらいの間と思いますが、その間に入りまして、まずセロファン紙に包みました他の三個の荷物とスプリング・コートを網だなの上に上げまして、カバンは持ちましてひざの上に置いて一応着席いたしました。そうして、先も長いし、当日の新聞も見ていないということで、新聞とタバコの一つも買いたいなと思って目をホームの方へやりますと、ちょうど午後四時発の高崎行列車が停車しております。その高崎行列車の窓ぎわを新聞売子が車に積んでやってくるのが目に入ったものですから、それを買おうと思いまして、書類カバンを、もうそんなに時間もかかるわけじゃないので、二分か三分というつもりで、何げなくその書類カバンを座席に置いたまま、私、ホームにおり立ちまして、そうして十三番ホームの側のところへ参りまして、新聞とタバコを買いまして、すぐ帰って参りました。そうして、座席へ帰って参りましたところが、席席に置いてあった手さげカバンがなくなっておる。その間の時間は、私のあと考えでは約二、三分ではなかったかと思います。そうして、なくなっておるものでございますから、綱だなの上を見ますと、網だなの荷物はそのままになっておる。なくなっておるのは手さげカバン一つです。これはあるいは座席の下にだれかやっておいたものじゃないかと思って、座席の下の方をただしましたが、全然ない。さてはこれはとられた——。それで、いわゆる置引と申しましょうか、それにかかったということを直感いたしまして、綱だなの上にありました荷物はそのままにいたしまして、すぐさま鉄道公安官吏へ報告いたしました。そういたしますと、公安官の、あとで伺いましたら小林という名前の公安官の方が一緒においでになりまして、それで、私の座席、あるいは網だなの上に置いてあるセロファンに包んである荷物、そういうものをごらんになって、一緒に車内を探しましたが、ございません。それで、念のために、まだ発車していない高崎行の列車、これも一緒に探しましょうということで、小林公安官と一緒に後部からずっと先頭の方に参りまして、一緒に探した。これもない。それからまた、今度は三二七号列車を機関車の次の箱から逆にうしろへ向けて二人で探しましたけれども、ございませんでした。これはもういよいよないということで、他の三個の荷物を網だなからおろしまして、それで小林公安官と一緒に公安官室に参りまして、そこで主任の方に事情を告げ、同時に盗難届を提出いたしました。そういう状況であります。
  164. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは、池田哲子が紛失せられました書類を持って参りましたときに、長野の警察署に対して、何か池田哲子から恐喝を受けたから捜査してくれというようなことを依頼をなされたことがあるか、あるとすれば、それは何日の何時ころであるか、そうしてその捜査を依頼した理由は何であるか、それをお答え下さい。
  165. 森田清

    ○森田参考人 捜索を依頼いたしましたことは事実でございます。そうして、依頼申しました日にち、時間は、四月二十日の、はっきり午前十時十五分ころでございます。そうして、恐喝されたということにつきましては、私はこの間の事情は相当詳しく申し上げなければおわかりいただけないと思いますが、結論的には、私は非常な脅迫感と申しますか不安、あるいは混乱した気持、そういう気持になりましたことは事実でございます。そういう気持になりますにつきましては、哲子君との話の内容がどういうものであったかということが必要になって参ります。これを申し上げなければいけないと思いますが、ちょっと申し上げるということになりますと時間が二十分くらいかかりますが、およろしければ申し上げたいと思います。
  166. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、あなたは恐喝されたとして長野警察署捜査を依頼されたのが四月二十日の午前十時十五分ころである、もちろんそれは恐喝という理由で捜査を依頼したのだということに今お聞きしたのです。この恐喝の内容の一部として、金十万円を哲子は要求し、その金を渡してくれなければ書類は渡さぬというようなことを言ったのでありますかどうか。  それから、いま一つ、公安調査庁は相当の機密費を持っておって、今志賀委員の質問の中に現われて参りました、いろいろ情報を提供したような人に報酬を払っておるようであるが、こういう機密書類を届け出てくれた人に対して報酬を払うようなことをやっておったのじゃなかろうか。そういうことにやっておったかどうか。  それから、いま一つ哲子に言わせれば、あなたの方から大へんありがたかった、何か礼をしたいと思うがと言うたので、哲子は笑いながら、十万円もほしいと言った、こう言っているのでありますが、哲子の方から要求したとかりにいたしまして、その十万円を要求した際に、あなたの方はその金を渡そうという約束をしたかしないか、約束してその金の十万円を用意したのであるか、しないのであるか、その点を承わりたい。
  167. 森田清

    ○森田参考人 私が哲子君とお会いしましたのは約十分間でございます。直接私が哲子君と話し合ったときには、ばく然と金がほしいといったような意味ははっきり申されましたけれども、具体的に十万円という線は——私と哲子君と、もう一人私の方の職員で土屋清晴という名前の職員がおりますが、この三人で私の部屋で話したのであります。そのときに、最後に、じゃお二人で——そのときは哲子君がどういう名前かわかりませんけれども、二人で宿へとりに行ってもらいたいと言って、二人で出てもらったのですが、その二人が局を出まして宿へ行く途中、土屋君と哲子君の間に具体的な話が出た。そのときは、条件につきまして、土屋君の方から、それをこちらへ渡すについて何か条件があるのですかねと聞きましたら、哲子君は、お友だちが言うにはその品物を代々木の本部へ持っていっても相当の額になるものだから、十万円と引きかえならば渡しましょう。そして土屋君は、十万円という額は一体どこから出たのでしょうか、大したものだ、もう少し話し合いにならないのでしょうかねと話しましたら、哲子君は、そんなことはないでしょう、あなたの方で大切なものだから。早くして下さい、忙しいから。それから土屋君は、大体話はわかりましたが、ちょっと品物を見せてくれませんか。哲子君は、宿へ一緒に行ってもらっては困る、私を信用しないのですか、信用しないならこちらで処分するからいいです。そういう話のやりとりがございまして、十万円という金額は、はっきり哲子君の口から出ました。  それから、第二点の、そういうものを持ってきた場合に金を出すかという御質問でございますが、本件の場合は、これは私の不注意のために起った事件であります。従いまして、局の金、そういったことには全然関係ございません。私個人といたしまして当然負うべき責任だと考えております。  それから、金を用意したかどうかという御質問ございますが、現実に金は用意いたしました。用意いたしました十万円と申しますのは、五万円、二口の長野県の八十二銀行に対します定期預金の証書で計十万円。私がなぜそういった金を持っておるかと申しますと、私には国の方に実父母と養母が一人、計三人の親がおります。年は七十歳前後で、いつどういうことで不幸になるかもわからない。そういったときの葬式の費用ぐらいは常平正からためておかなければならないという考えで、家内とも話し合って、そういった金を貯金しておったのです。現実にその貯金を持って私は役所へ帰りまして、哲子君からの電話がかかってくるのを待っておった。ところが、電話はかかってこなかった。そういう事情でございます。
  168. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、あなたが大そう恐怖の念を生じたというのはどういう点でありますか。簡潔に御説明願いたい。
  169. 森田清

    ○森田参考人 私が最初哲子君とお会いいたしましたときに、哲子君が申されますには——これは簡潔に申しますけれども哲子君と十分間対談した内容でございますから、この点が私は非常にキー・ポイントになると思いますので、この内容は私は記憶整理のためにメモいたしておりますので、これによって御説明さしていただけたらと思いますが、よろしゅうございますか。
  170. 高橋禎一

    高橋委員長 どうぞ。
  171. 森田清

    ○森田参考人 時間は二十日の午前十時五分ごろでございます。受付をやっております土屋君が、今東京から若い女の人がやって来られて、局長さんが東京で何かなくしものをされなかったか、私それを持ってきたのですが、こういう方が来ておられる、名前を聞いてもおっしゃらない、どうしましょうかということだから、それではどうぞお通してもらいたい、土屋君も一緒にということで、私の部屋へ案内いたしました。そうして、私の部屋へ入られましたときに、私が名刺をお渡ししながら、東京からおいでになったそうで、大へん御苦労さんです、どうぞおかけ下さいと言って、そこで腰をおろした。そのとき、哲子君は、オーバーはずっと着たまま、一つの小さい手さげカバンか何か持っておられました。哲子君は、あなたは二、三日前何か東京でなくしものをなされませんでしたか。私は、なくしました。私はそれを持ってきたのですが。私は、それは書類でしょうか。そうです、実は私のお友だちが公園へ花見に行ったときに公園のベンチの上に新聞紙に包んだものが置いてあった、それを拾って友達が帰って自分に言うのには、この品物を代々木へ持っていけば金になるから、私にそれを持っていってくれないかと言ったというのです。だがしかし、私はそれよりか長野へ持っていった方が金になる、そう友だちに言ったら、その友だちは、ではあなたにまかせるから、こういうふうに言った、それで私は持ってきたのだけれども、一体あなたはそのものが要りますか要りませんか、要らなければ捨ててもいいし、破ってもいいのです。私は、そのものは要る、役所としては一応廃棄処分ということになっているが、しかしそれは私にはぜひ必要なものだ。哲子君はうなずいた。それで、私は、今あなたお持ちででしょうか、こう尋ねましたら、ここには持ってきておりません、宿屋に置いてあります。そうですが、宿はどちらしでょうかと聞きましたら、それは言えませんと言った。私は、失礼ですけれどもお名前はどなたさんでしょううかと聞きますと、言われないと言う。そうですが、あなたのお友だちが公園のベンチで拾われたということですが、その公園はどこの公園でしょうかと尋ねましたら、哲子君は、私にはわかりません。重ねまして、お花見はいつごろお友だちがされたのでしょうねと聞きましたら、哲子君は、わかりません。私、東京でお拾いになったら、なぜ東京の交番かどこか役所の方にでもお届けにならなかったのでしょうねと聞きましたら、東京で届ければ警察か何かへいろいろかかり合いになるから、私は届けるのはいやだ、そういう答えであった。これはもう幾ら押し問答してもしようがない。とにかくどうぞ宿へその品物をとりに行って下さい、では一つ土屋さん一緒に行ってもらってきて下さいということで、私との対談は終ったわけです。  その時の感じといたしまして、これは確かにおかしい話だ、届け出たというなら、現に自分が持ってきておられるなら話はわかる、だがしかし、名前は言わない、それほど親しいお友だちで、どこの公園でいつ花見をしたか、そういうことも一切知らない、何かこれは非常におかしい、とにかく、代々木へ持っていっても金になるけれども長野へ持っていった方が金になるというお話ならば、これは金が目当てに違いない、それから、物を返すのに、ほんとうに親切に持ってきたものでなく、要りますか要りませんか、私のなくしたものということを承知しておりながら、要らなければ捨ててもいいし破ってもいい、こういう言い方は、これは普通のお方ではないというような判断をいたしました。それで、私に対しては、具体的には金額の点はおっしゃいません。具体的な金額の点は、先ほど申し上げましたように土屋君との対談で話がありましたけれども、そのときでも、要らなければほかへ処分いたしますよというようなお言葉もありますし、これは、ほかへ持っていかれると、それが共産党に対して持っていかれるのなら、私といたしましては、局長としての職を辞するだけではなくて、ほんとうに死んでも死に切れない、そういう気持で一ぱいでございました。そういう事情を土屋君から具体的な話を聞きまして、家内に事情を話しましたところ、家内も、それはもう何としても取り返さなければいけない、どういうことになるか知らないけれども、とにかく金だけは用意しなさいということで、われわれ——私、子供はおりませんけれども、夫婦二人は、何といいましょうか、えらいとんだ災難にあったけれども、しかしベストを尽さなければならないというふうな悲壮な決心をいたした次第でございます。
  172. 猪俣浩三

    猪俣委員 金を用意してあれするならば、それは戻るはずなのです。あなた自身がその女の子に会っている。そして土屋さんなどのしっかりした部下がついているのだが、ただ、あなたが非常に恐怖の念にかられたということは、私どもあまり納得ができないし、いろいろの新聞記事を読んでも、公安調査庁の局長といわるべき者が、こんな女の子に恐喝されたようなことは納得できないという記事が大半のようです。私どももさように思います。今のあなたの報告で、共産党へ出すくらいならわざわざ来るはずはないし、わざわざ持ってくるについては幾らかもらいたいという意思で来られたとは思います。しかし、それ自体が非常に悪性のものだとお考えなさる。役所というものは、自分たちに奉仕するのが人民の当然な義務のようにお考えになっておるから、もう多少物欲しそうな顔をすれば、悪玉、こう官僚は考えなさる。しかし、持っていって渡そうとするに際しては、多少の報酬を要求するということはあり得ることだと思う。それをすぐ恐喝だとこう言うて逮捕するというところに、実に官僚精神のまる出しがあるのだ。あなたは十万円用意したと言いながら、それは一銭も渡さぬ。書類はとってしまう。そうして持ってきた哲子はぶち込まれてしまう。かようなことでよろしいとあなたは考えるかどうか。私どもは解せないのです。一銭も金をお渡しになっておらない。朝日新聞の長野版がこういうことを言うている。私はこれが一般大衆の心理だと思います。官僚の方にはそれがわからない。「なくせばクビが飛ぶほど大事な極秘書類をいれたカバンを、汽車の中に放りっぱなしにしておいた森田局長の無責任は大黒星だった。」——あなたはこの無責任なることが暴露することが恐怖であったに違いない。それを池田哲子に心理的に転嫁しているのじゃないか。「届けた若い女はおほめにあずかるどころかキョウカツ未遂で捕り、刑務所へブチこまれてしまった。ここで知りたいのは応待した局長や土屋係長に善意があっただろうかということだ。」——何しろ相手はあなたが見て知っておる若い娘です。多少やんちゃなふるまいがあったかもしれませんが、あなたが畏怖の念を生じがたがたふるえたと称して警察逮捕を命ずるような相手じゃないでしょう。新聞はそこを言うております。あなたや土屋係長に善意があっただろうかということだ。「秘密文書を持ってきたということでたちまち商売意識をまる出しにして、共産党の一味とでも考えたかも知れない。名前は職業はと変な目つきでしつこく聞かれたんでは、ついこの女も十万円くれといいたくなるのは人情だろう。」——これは庶民の感情というものです。「何んとかして暗号書をとり戻そうという調査局のアセリはよく分る。だが十万円で買いましょうと一たん契約ができ金まで用意したのだから、女からの電話が少しおくれても長野署に手配しなくともよかったではないか。森田局長は、例え私が十万円で引取って内密にすませても、相手は公表するぞとまたゆすりに来るという。商売柄とはいえここまで疑ったら人間らしい良識の住む余地はない。」、こうきめつけています。これに対するあなたの御感想を承わりたい。
  173. 森田清

    ○森田参考人 私は哲子君の善意というものを疑ったことは絶対ございません。むしろ哲子君の云う通りをそのまま受け取ったのでございます。その間のことにつきましては、事情をもう少し詳しく申し上げなければおわかりになっていただけないと思います。私との直接の対談は先ほどお話し申し上げました十分間でございますが、土屋君と哲子君との会話状況は約十五分間でございます。これを申し上げなければおわかりにならないと思いますので、申し上げさせていただきます。  一番最初に、役所を二人で出ましたときに哲子君が申しました言葉は、あなたの方でそのものを受け取ってくれますかくれませんか、結論から先に出して下さい、私も忙しいから。それで、土屋君が、どうしてそんなにお忙しいのですかと聞くと、会社の休暇をとってきたので、きょう中に東京に帰らなければならない。土屋君が、だったら、あなたがけさ預けておいでになった宿屋へ行って、そのものを確認してからでもいいではないでしょうかと言いますと、哲子君は、それは確認しなくても、あなたの方では知っているでしょう。それで、土屋君は、それをこちらに渡すについて何か条件があるのですかと聞きましたら、先ほど申し上げた哲子君のお友だちが言うには、そのものを代々木の本部へ持っていっても相当な額になるのだから、十万円と引きかえなら渡します。土屋君が、十万円という額はどこから出たか知らないが、大したものじゃないか、もう少し話し合いにならないかねと言いましたら、女は、このとき、そんなことはない、あなたの方では大切なものなんだから、早くして下さい、忙しいから、こう言うのです。土屋君は、大体話はわかりましたが、ちょっとそのものを見せてくれませんか、こう言いますと、哲子君は、宿へ一緒に行ってもらっては困る、私を信用しないのですか、信用しないのならこちらでまた処分するからいいです。土屋君が、だれかほかに一緒に来られた人でもあるのですか、それでなかったら宿でゆっくり事情をお聞きしたいのですがと申しますと、哲子君は、あなたは男らしくない、要るなら要る、要らないなら要らないとはっきりして下さい。それで、土屋君が、あなたはけさ着かれたので食事はまだでしょうが、もし済んでいなかったら、どこかで食事でもしながら話し合いましょうと申しましたら、哲子君は、そんな誘惑には負けませんよ。土屋君は、それでは紳士的にやりましょう、私は局へ帰って局長さんに報告して、十万円用意するように申し上げましょうと言いますと、哲子君は、それじゃ一時間以内に電話をするから、電話番号を書いて下さいと言いまして、私が最初お会いしたときに渡した名刺を自分のハンド・バッグから出して、それに電話番号を書いてもらいたいということで、私の名刺を出したのです。それで、土屋君は、それに私の方の局番の三八四四という番号を記入いたしまして、哲子君に渡しましたところ、哲子君はそれをハンド・バッグに入れたのです。それで、一時間以内では長過ぎるから三十分以内にしてくれないかと土屋君が言いますと、哲子君も、よろしい、それじゃ三十分以内に電話いたしますということで二人は別れたのです。というのがそのときに土屋君からの具体的な報告だったのです。  この事情からいたしまして、私との応待のときに、品物は持ってきていない、そういうことから、私はこれはてっきり金が目当てではないか、しかしそれにしても書類はどこにあるのだろうかというような気持になった。  それから、届けた者が謝礼を要求するというのは当然だというお言葉でございますが、私自身も、長野の検察庁取調べに対しましても、あるいは一般の普通人といたしましての感じといたしましても、そういったものをほんとうに届けていただいたということに対しまして、決してただではお帰しはいたさないのです。現に、私ども考えでも、少くとも一万円ないし二万円のお礼というものはしなければいけない、そして、お名前も聞いておいて、盆正月には、ほんとうにその節はお世話になりましたというお礼もするのが当然だ、そういうふうには考えておりましたが、現実の事態というものは、そういったようないきさつで、きわめて善意とは受け取れないような哲子君のお話の工合でございました。それで、金を用意したけれども渡さなかったというのは、哲子君から電話がかかってくるころだと思って待っておったが、電話がかかってこない、だから、渡そうにも渡し得なかった、そういう事情であります。
  174. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたが畏怖の念を生じたということは理解ができないのです。あなたはなくなされたときにこそ困ったろうと思う。困惑したろうと思うのです。もうすでにそのときにその困惑した感情は起っておる。あなたが、なくなされたことを知らぬでおいて、あるものだと思っておるのに、だれかが、お前はなくしたじゃないか、それを自分が持っているぞと言ったら、そのときはりつ然として畏怖の念を生ずることは当然だ。ところが、数日前なくしているじゃないか。それを持ってきた、こういうのじゃないか。そのときにがたがたふるえたとはどういうわけですか。その心理状態が理解できないのです。持ってきたのでしょう。あなたの手元に返らないにしても、もともとじゃないか。あなたはなくしたじゃないか。だから、その書類があなたの手に入らなくたってもともとなんです。ゆだんしてとられたのだから、なくなってももともとのものが、現われてきたのだ。あらためて畏怖の念なんか生ずるどころじゃないです。多少女の子が伝法な口を聞いたにしても、恐喝未遂でもって逮捕状を請求するというような、そんな状態じゃないじゃないか。その心理状態がわれわれにはわからない。この女の子は、あなたに言わせれば非常に伝法な、無頼漢みたいな女の子のように聞える。あるいはそんな疑いからやったか知りませんけれども、非常にまじめな女なんです。ただ、孤独な女の子でありますから、多少偏狭な感情を持っておるかもしれません。私もよくわかりません。なぜまじめかと申しますと、昭和三十年九月十四日に上野駅の婦人洗面所において、ダイヤモンド入りの指輪を拾っているのです。この女の子はこれをちゃんと上野駅の遺失物係へ届けておるのです。そうして、ちゃんとその証明書をもらっておるのです。これを置引だと誤解し、ゆすりに来たと誤解して、そうして逮捕したに違いないのです。警察のねらいは置引、その背後にはこれをあやつるところの何かがいて、置引をやったに違いないという見込みであるけれども、それに対するはっきりした証拠が出てこないので、恐喝未遂などということで逮捕したのです。そんなことは警察がやる常套手段なのだ。それでなければおかしいですよ。それならそのように正直に言いなさい。堂々たる公安局長が、自分がなくして、数日たってから持ってきたというのに、畏怖の念を生じたというのは何ごとですか。論理が合わない。  そこで、池田哲子にお聞きします。今あなたが聞いているように、警察署長及び公安局長のお話がありました。それについてあなたに聞きたいと思います。
  175. 高橋禎一

    高橋委員長 池田参考人、姓名、住所、職業をお述べ下さって、そうして委員からの質問に答えて下さい。
  176. 池田哲子

    池田参考人 姓名は池田哲子。住所、東京都中野区東郷町四十三帯地渡辺方。
  177. 猪俣浩三

    猪俣委員 先はど警察署長は、城山公園派出所であなたを調べた際に、身体検査はしなかったと言うのだが、そのときの模様を、どういう状態だったかはっきり言いなさい。
  178. 池田哲子

    池田参考人 城山公園では、初めは事務所というのですか、いすがあるところに十分ほどすわらされて待たされたのです。それから、ここじゃ何だから奥まで来てくれというので、畳の部屋へ連れていかれました。そして一番初めにハンド・バッグの中を調べたのです。それからポケットの中に手をつつ込んで、それから、洋服を脱いでくれと言って、シュミーズ一枚にさせられたのです。
  179. 猪俣浩三

    猪俣委員 しかし、警察署長は、そんなことをしていないと言うのだが、警察署長は立ち会ったのかどうか。
  180. 池田哲子

    池田参考人 いたのは私服を着た警察の人が六人ほどです。
  181. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、ポケットの中に手をつっ込んで、それから洋服を脱いでくれというので、あなたは洋服を脱いだのか。
  182. 池田哲子

    池田参考人 上着だけとってくれと言ったから上着をとりました。上衣をとればシュミーズ一枚なんです。
  183. 猪俣浩三

    猪俣委員 そのときにだれか女の人が立ち会ったか。
  184. 池田哲子

    池田参考人 男の人ばかりです。
  185. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから、あなたを警察へ泊めるについて、どういう理由で泊めるのだということを言ったか。
  186. 池田哲子

    池田参考人 泊めるときは、二十日はそのまま帰してもらったのです。そのかわりあしたの朝九時まで来てもらえれば、きょうは帰してあげるという条件で帰してもらったのです。そのあくる日泊められたのは、逮捕令状が出たのは四時半ごろです。それで、きょう一晩だけでいいから警察へ泊ってくれと言って、泊められたのです。
  187. 猪俣浩三

    猪俣議員 そうすると、何のために逮捕され、何のために泊ってくれと言われたのであるか、その理由は告げられなかったか。
  188. 池田哲子

    池田参考人 ただ恐喝ということだけしか聞いていません。
  189. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから検事の調べがあったと思うが、何という検事でいつごろ調べたか、そうしてどんなことを調べたか。
  190. 池田哲子

    池田参考人 検事さんに会ったのは刑務所から出てくる二日ほど前だけです。それまでは警察の人に調べられただけです。
  191. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、五月三日に出たのだから、五月に入ってから検事に調べられたというわけか。
  192. 池田哲子

    池田参考人 そうです。
  193. 猪俣浩三

    猪俣委員 どんなことを調べられた。
  194. 池田哲子

    池田参考人 今関検事に会ったのは一日の日だけです。そのときは、前に警察の人が聞いたことだけを聞いただけです。
  195. 猪俣浩三

    猪俣委員 警察の人はどんなことを聞いた。
  196. 池田哲子

    池田参考人 その書類をどこから持ってきて、どういう理由でここまで持ってきたかということだけです。
  197. 猪俣浩三

    猪俣委員 それに対してあなたはどういうふうに答えたか。
  198. 池田哲子

    池田参考人 書類を持ってきたのは、お友達と——私が花見に行ったとは言いませんでしたけれども、お友達が花見で拾ったので預かったから。持ってきた理由は、長野へわざわざ来たんじゃなくて、よそへ行くついでに寄り道をして持ってきたんだということだけです。
  199. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、まず第一に、今あなたが言った、よそへ行く目的のために、そのついでに長野へ書類を持ってきたんだというのであるが、よそというのはどこで、何のためにどこへ行くついでがあるので長野へ来たということになったのですか。
  200. 池田哲子

    池田参考人 それは、十九日の午後から、畑先生が私のところへお見えになったんです。そのときに、今から長野へ用事があって行くということを聞きましたから、ついでに——新潟に私の生みの母親がいるということが畑先生のあれでわかったので、じゃ新潟の方まで寄って私を連れていってくれるようにってお願いしたんです。
  201. 猪俣浩三

    猪俣委員 ここは検察庁でもないし警察でもないんだから、正直にあなたの思った通りのことを言ってもらいたいんだが、その長野へ持っていっておった機密書類は、どこであなたの手に入ったか。
  202. 池田哲子

    池田参考人 あれは十八日だったんです。お昼ちょっと過ぎに沖先生という方のところへお電話したんです。お電話で、お花見にことしはまだ行っていないから、代々木の方でお花見のいい場所があったら、ごぶさたしてますから、それのかたがた行ってもいいですかって聞いたら、代々木の方にはないけれども上野まで行く用事があるから、じゃお花見に連れていってあげるから、新宿へ二時ごろまでに来るようにというお話だったんです。それで、行ったのが二時ちょっと過ぎだったと思いますけれども、それから上野まで沖先生に一緒に連れていってもらったんです。それで、上野公園で一時間ほどぶらついたと思いますけれども、その帰る途中で、あそこは野球場ですから、野球場の近くのベンチの横の方に落ちてたのを沖先生が拾ったんです。
  203. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、沖先生という人と上野へ散歩に行って、何か野球をやる広場のわきにあるベンチの横にその書類が洛ちておったのを沖先生が先に拾ってそれからどうしたの。
  204. 池田哲子

    池田参考人 それで沖先生はそれをちらっと見ただけで、内容はわかりませんけれども、沖先生は、忙しいからこういうものにかかり合っていられないから、あんたがいいようにって、私に預けて、沖先生はその場で別れて行っちゃいました。それから、私も、内容がわからないから、どういうもんだか知らないし、そのまままたうちまで持ってきたんです。
  205. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、母親が新潟県の魚沼におるというととがわかって、そこへたずねていくついでに長野へその書類を持ってきた。あなたと一緒に畑という人が来たが、この畑という人は、どうしてあなたと一緒に長野へ行くようになったか。
  206. 池田哲子

    池田参考人 それは、畑先生が長野へ行くって言ったから、私がわざわざ無理に、じゃ帰りは新潟の方へ寄ってくれるようにって、私から頼んで、一緒に連れてってもらったんです。
  207. 猪俣浩三

    猪俣委員 畑という先生が長野へ行く用があるというので、あなたの方から、それじゃ一緒に魚沼の母のところまで私を連れて行ってくれろとお願いして長野へ一緒に行ったと、こういうわけかね。
  208. 池田哲子

    池田参考人 そうです。
  209. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから、公安調査局へ書類を持たないで手ぶらで行った理由はどういうわけか。
  210. 池田哲子

    池田参考人 それは、長野に着いたのが朝の七時ちょっと過ぎだったんです。それで、役所は九時か九時半にならなければあかないから、それまでそんなものを持って歩いているのは重たいし、人のものだから落すと悪いと思って駅へ預けたんです。それから、善光寺さんへお参りして、時間があったから公園の方をぶらついて、公園の近くの交番で公安調査局を聞いたら、善光寺さんからちょっと下りたところですぐだということを聞いたものですから、そのまま駅へ寄らないで公安調査局へ行ったんです。
  211. 猪俣浩三

    猪俣委員 ところが、あんたは、今警察署長及び公安調査局長が言うたように、名前も言わないし、それから、書類を預けた場所も言わない、こういうふうに言われておるが、果して言わなかったのか。もし言わなかったとすれば、何のために言わなかったのか。
  212. 池田哲子

    池田参考人 私は名前も言いませんでしたし、預けた場所も言いませんでしたが、それは聞かれれば言ったかもしれませんけれども、名前は聞かれましたけれど言いませんでした。それは、ただ何となく自分の名前を出したくなかったからです。
  213. 猪俣浩三

    猪俣委員 名前を聞かれたが言わなかった。預けた場所は聞かれなかったというのか。
  214. 池田哲子

    池田参考人 預けた場所はどこかと聞かれませんでしたから、私も言いませんでした。
  215. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから、あなたの方から、書類は渡すが十万円の金をくれということを、いつごろ、だれに言うたのか、あるいは、あなたの方から言い出したのか、公安調査局の役人の方からお礼をするということを切り出してきたのか、どっちなんだ。
  216. 池田哲子

    池田参考人 お金の方は相手の方から言い出したんです。幾ら上げましょうか、幾らでいいですかと言ったから、こっちは何気なく十万円と言ったんです。それをお話ししましたのは、あとでわかりましたが、それは土屋さんとかいう人にお話しをしました。
  217. 猪俣浩三

    猪俣委員 土屋さんとかいう人の方から、お金が要るか、幾らぐらいやろうか、こう言うたのですか、そこをもう一ぺん……。
  218. 池田哲子

    池田参考人 そうです。局長さんと会って話したのは、局長さんは十分だと言いましたけれども、私のあれでは二、三分だったと思います。それで、局長さんが、詳しいことはこの人に話をするようにと言いました。その人が外まで一緒に行きましょうと言うので、あとについていったわけですが、書類を渡すについては、ただもらうのは気の毒だから、条件をつけてあげましょう、そのかわり、条件としてはあなたのほしいだけの金額を言って下されば出しますからと言ったから、私は十万円出していただけましょうかと言ったんです。それじゃ出してあげましょうと言ったんです。
  219. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、局長は土屋という人に書類のことは全部まかせるからということで、その人と話をしたところが、返してもらうについてはお礼をする、どれくらいかと向うから切り出したから、あなたは十万円ということを言ったのですか。
  220. 池田哲子

    池田参考人 十万円と言いました。
  221. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたは、十万円をほんとうにくれると思ったのか、あるいはまた、幾らお礼をしたらいいかと言うから、吹っかけてみろと思って十万円と言ってみたのか、ほんとうに十万円渡さなかったらどこまでもその書類を渡さないつもりだったのか、一応言ってみろと思って吹っかけてみたのか、どっちです。
  222. 池田哲子

    池田参考人 お金のことは初めから問題にしていませんでした。お金をもらうために持っていったのじゃないから、お金をくれなくても返すつもりでしたが、あっちがお金を上げましょうと言ったから、それじゃ十万円とただ何気なく言っただけです。
  223. 猪俣浩三

    猪俣委員 それならば、なぜ預けた駅へまっすぐに来て、あなたは書類を渡さなかったのか。
  224. 池田哲子

    池田参考人 私はただ土屋さんのあとへついていっただけです。土屋さんがあっちに曲ったから私も曲っただけです。初めから駅へ行くのがいやで行かなかったわけではありません。
  225. 猪俣浩三

    猪俣委員 土屋さんが歩くので、あなたはそのあとについていったと言うけれども、土屋さんはどこに行こうということになったのです。あなたの預けて置いてあるという場所に行こうとして歩いたのではないのですか。どうなんです。
  226. 池田哲子

    池田参考人 そこは私にもわかりません。土屋さんが歩いたあとに私がついていっただけですから。
  227. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこがちょっとはっきりしないね、あなたが預けた場所へ土屋さんと一緒に行って、そこで渡すつもりじゃなかったのか。そのときまだ金ができるかできないか、そしてそのとき土屋さんと一緒に行って荷物を出すという意味じゃなかったのか。金を十万円と言ったから、それができたら、あなたが、さっき森田局長の話でも、電話をかける、どっかで待ち合せて電話をかけて、そのときに受け渡しするということを言うたと言うんだが、だから、土屋氏と一緒に歩いたのは、預けた場所に一緒に行って土屋さんに渡すという意味じゃなかったのかどうか。それならば、あとからどこそこで待ち合すという電話をかけるという約束する話もないんだが、それはどうなんだ。まっすぐに言いなさい。
  228. 池田哲子

    池田参考人 それは、土屋さんと行って書類を渡すという気持ちは、そこは私にもはっきりわかりません。とにかく、土屋さんがその書類を十万円で取引をするからと言ったから、じゃ私の方から書類は持っていきますと言ったのです。土屋さんは、書類を私に役所まで持ってこられると困るから、こちらから取りに行くから、取引場所はこちらで指定するから、電話だけをかけてくれと言われただけです。
  229. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、書類を役所に持っていくから、そこで金を役所で取引しようとあなたは思った、ところが、土屋さんが、いや役所に持ってこられたら困る、そこで一定の場所で落ち合いたいからということを土屋さんは言った、こういうのか。
  230. 池田哲子

    池田参考人 そうです。土屋さんから、電話をかけてくれれば取引場所はこちらで指定する、だから電話をかけて下さいと頼まれたのです。
  231. 猪俣浩三

    猪俣委員 土屋さんが、電話をかけてくれれば、そのときにどこそこで落ち合うということを土屋さんの方から場所を指定するから、いきなり役所に.来ないで、一応電話をかけてくれということをあなたに頼んだ、こういうわけですか。
  232. 池田哲子

    池田参考人 そうです。
  233. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたはどういうわけで電話しなかった。
  234. 池田哲子

    池田参考人 土屋さんと別れたのはたしか十時過ぎだったと思います。それからまっすぐ駅の方へ歩いて、途中で振り返ったら、男の方が二、三人私のあとについてくるのを知っていました。それで、駅までまっすぐ歩いて行ったのです。そうしたら、私のまわりをうろうろつけてつけ回していたのです。電話をかけようにもかけられないし、荷物を取ろうにも出せなかった。
  235. 猪俣浩三

    猪俣委員 そうすると、何だかえたいのわからぬ人が二、三人あなたのあとについてきた、駅に行っても、それがついておるから、そこで、自分としても気持が悪くなって、そのまま電話をかけなかった、こういうわけですね。間違いありませんか。
  236. 池田哲子

    池田参考人 間違いありません。
  237. 猪俣浩三

    猪俣委員 警察では、あなたが長野の駅へ一時預けにしたというそのふろしき包みを一時預かり所から警察が持ち出していったということをあなに話をしたかどうか。あなたに話をしたとすれば、それはいつごろですか。
  238. 池田哲子

    池田参考人 長野署で私にこの書類がそうでしょうと見せられたのは、二十日の夜の七時ごろだったのです。それを駅からどうしてきたかは、そこまでは聞いていません。
  239. 猪俣浩三

    猪俣委員 畑直孝君……。
  240. 高橋禎一

    高橋委員長 畑参考人に申し上げますが、住所、姓名、職業をお述べ下さって、委員の質問に答えて下さい。
  241. 畑直孝

    ○畑参考人 東京都北多摩郡小平町堀野中五百十一、大仙寺裡、日蓮宗僧侶、畑直孝でございます。
  242. 椎名隆

    椎名(隆)委員 池田さんに猪俣さんの質問に関連して二、三点聞きたい。  捨った荷物は、沖さんと一緒に歩いたときに拾ったわけですね。
  243. 池田哲子

    池田参考人 そうです。沖先生が先に見つけたのです。
  244. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それで、沖さんは、内容も何も見ないで、これは君がいいようにしなと言ってあなたに渡されたのですか。
  245. 池田哲子

    池田参考人 沖先生は、新聞紙をちょっと開いておいて、ちらっと見ただけで、それで、こういうものに忙しくてかかり合っていられないから、私のいいようにするようにと渡されたのです。
  246. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それでありながら長野まで持っていってやったんだが、森田局長と合ったときに、その書類が重要書類だかどうかということをあなたは御承知だったのですか。
  247. 池田哲子

    池田参考人 それは、書類に極秘という赤い判が押してあったので、知っています。
  248. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それで、先ほど森田局長が述べたときに知ってるように、もしあなたの方で要らなければ破るとも捨てるともするということをおっしゃられましたか、おっしゃられませんか。
  249. 池田哲子

    池田参考人 そういうことは言いませんでした。
  250. 椎名隆

    椎名(隆)委員 さらに、これは代々木へ持っていっても相当な相場になるんだ、代々木へ持っていってもということはおっしゃられましたか。
  251. 池田哲子

    池田参考人 そういうことも言わなかったと思います。ただ、共産党へ持っていけばと言った人がいたとは言いましたけれども、お金になるとは言った覚えはありません。
  252. 椎名隆

    椎名(隆)委員 共産党へ持っていけば相当な金になるというようなことを言ったのは、それはあなた自身と伺ったんだが、だれかほかの人が言った、——あるいは沖さんあたりに、これを共産党あたりへ持っていけば相当な価格になるんだというようなことを言われたのか、どっちです。
  253. 池田哲子

    池田参考人 沖先生はそんなことを言いません。私が考えて言ったんです。
  254. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると、あなたの代々木へ持っていけばということは、代々木へ持っていくということはどういうことを意味するのです。
  255. 池田哲子

    池田参考人 持っていけばとはっきりは言いませんでした。それは、極秘書類で、大体内容はどういうものかということはちらっと聞いたことがあるのです。
  256. 椎名隆

    椎名(隆)委員 何か共産党あたりに興味を持っておりますか。
  257. 池田哲子

    池田参考人 共産党というものはどういうものだか、私はそこまで知りません。
  258. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 ちょっと関連して一、二点……。  ただいま皆さんからるる話がありましたが、沖さんという人が書類をあなたに渡すときに、いいようにしてくれ、忙しいからと言った。それはどういう意味ですか。あなたどういうふうに了解していますか。
  259. 池田哲子

    池田参考人 それは、警察へ届けるなら届けるようにという意味だったと思います。
  260. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 どうして警察に届けなかったのです。それは沖先生は警察へ届けろという意味であったというふうにあなたが御了解になったならば、なぜ警察に届けなかったのですか。
  261. 池田哲子

    池田参考人 それは、警察へその日にすぐにやらなかったということは、内容は何だか知らないけれども、それがもしお金とかまた何かのあれだというのでしたらすぐ届けるのでしたけれども、品物は、ただ帳面になったような書類、印刷物だったものですから、そのまま何げなくうちへ持って帰りました。
  262. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 それで、あなたはわざわざ信州まで持っていったわけですか。
  263. 池田哲子

    池田参考人 それはついでがあったからです。
  264. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 先ほど来皆さんのお話を聞くと、わざわざ持っていったかのように聞える向きもあるから、お尋ねするのですが……。
  265. 池田哲子

    池田参考人 それは、わざわざと言えばわざわざですけれども、とにかく、ついでがあったから持っていったということです。
  266. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 あなたは、この問題について、畑さんという人とお話しになりましたか。
  267. 池田哲子

    池田参考人 畑先生に書類を見せたのは汽車の中で、詳しいことはお話ししません。
  268. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 あなたは御一緒に行ったのですね、信州まで。
  269. 池田哲子

    池田参考人 そうです。
  270. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 そうすると、汽車の中で畑さんに簡単に書類だということを話しただけで、詳しい話はしないのですね。
  271. 池田哲子

    池田参考人 ええ、しません。
  272. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 そうすると、あなたはこの書類を沖さんから預かって信州まで持っていくことにつきまして、どういうふうにしてこれを話をするかということは、あなたはほんとうに一人のお考えですか。
  273. 池田哲子

    池田参考人 その前に、沖先生に、そのあくる日、二十日の朝でしたか、お電話して、あの拾ったものはどうしましょうと御相談したのです。そうしたら、わからないから好きなようにしてくれと、そう言われたのです。そのあとでへ畑先生がお見えになって、長野の方へ行くからと言ったので、連れていってもらって、ついでにこれをお返ししようと思って、一緒に行くことをお願いしたのです。どういうわけで長野まで一緒に行ったかということは、畑先生にお話ししてあります。
  274. 福井盛太

    ○福井(盛)委員 そうすると、あなたはそれ以外にだれにも相談したことも何もないのですね。
  275. 池田哲子

    池田参考人 だれにもお話ししません。
  276. 椎名隆

    椎名(隆)委員 とにかくあなたがその書類を持っていったことは、ほんとうにその書類を届けてやろうとして長野まで持っていった、——ついでかどうか知らぬけれども、ほんとうの親切心から出たわけではないのですね。
  277. 池田哲子

    池田参考人 警察へ届けるにしても、極秘という判こが押してありましたから、大事な書類だということはわかっていました。それで、また警察へ届けて落した人が困るなどということがあるとお気の毒だと思って、畑先生が長野へ行くとおっしゃったときに、じゃ警察へ届けるよりは直接持っていった方がいいと思って、届けてあげようと思って持っていきました。
  278. 椎名隆

    椎名(隆)委員 もしそれほどの親切の心があったとするなれば、森田局長と会ったときに、その書類はどこにあるとか、持っていかなければ、どこまで持ってきたとか、だからすぐお届けしますとか、あるいは、あなたのところの所員を一人でも私につけてきて下さい、お渡ししますからと言うのが普通だと思うのですが、ただその書類だけはつかまえていて放さなかったというところからいくと、何かお礼でももらわなければその書類は向うへは渡せないというふうに考えられるのですが、どんなものでしょうか。
  279. 池田哲子

    池田参考人 書類がどこにあるということは、それは長野までは持ってきてある、ただ駅に預けてあるということは言いませんでした。
  280. 椎名隆

    椎名(隆)委員 とにかく駅に預けてあったにしろ何にしろ長野まであなたが持っていってやったのでしょう。そうしたら、もしお礼も何も要らなくて、ほんとうに届けてやろうというのならば、たとえば駅に預けたなら、駅に預けてありますと言って局長に教えてもよさそうなものですが、聞かないから話はしないのだ815C。そうすると、せっかくそこまで行って、何のために森田さんと会ってあなたが話したのか、ちょっとわからないのですが……。
  281. 池田哲子

    池田参考人 森田さんに会ったのはほんの二、三分で、ただそういう書類を手に入れたから持ってきたということだけです。森田さんが詳しいことはこの人に話してくれとおっしゃったから、土屋さんと一緒に外に出ました。
  282. 椎名隆

    椎名(隆)委員 土屋さんにお話しした結果、土屋さんの方でお礼をすると言う、それで初めて、十万円のお礼をもらう、お礼をもらわなければ放さないというふうになったのですか。最初は、一文のお礼ももらわなくても、これはこういうような重要な書類を届けてやらなければ困るだろうと思って持っていったのですか。
  283. 池田哲子

    池田参考人 土屋さんには十万円いただきたいと言いましたけれども、無理に出してくれと言った覚えはありません。そのあとで、もし無理だと思ったらお金は用意していただかなくてもけっこうですと言って断わったはずですが、土屋さんは、いや十万円用意して待っています、こう言いました。
  284. 椎名隆

    椎名(隆)委員 最初に行くときには、お礼をもらわなければというような考えを持っていなかったのですか。親切にそれを何とか届けてやろうというふうな考え以外にはなかったのですか。
  285. 池田哲子

    池田参考人 お礼をもらうなんて思ったことはありません。ただ、お金の問題は、土屋さんの方からお金を出してあげると言ったので、お金の問題が出たのであります。
  286. 椎名隆

    椎名(隆)委員 わからないのはそこなんです。土屋さんと会うまでは、とにかく持っていってやろうという気分があったとするならば、森田さんと会ったときにすでにその点がはっきり現われなければならないのです。あと土屋さんと会ったら、今度、お礼をもらえる、また無理に出してもらわないでもいいといふううに考えたというのですが、最初から親切に持っていったとするならば、最初からそれがあなたの行動に現われなければならぬ。ところが、あなたの行動を見ておると、どうもお礼をもらわなければ放さぬというふうに考えられる。そこのところを何とかはっきりしてもらえませんか。
  287. 池田哲子

    池田参考人 森田さんとはほんの二、三分だったので、森田局長さんに詳しいことを話すにも、局長さんの方はそれを辞退されたのです。詳しいことはこの人に話をしてくれろと言われたので、土屋さんに話をしたのです。
  288. 椎名隆

    椎名(隆)委員 森田局長にお伺いいたしますが、今池田さんのおっしゃった通りですか。あなたの方へこの書類が要らなければ捨てるとか破ってしまうというよなことは言わぬと、こう言うのです。あなたはさっき、その書類がもしそちらで要らなければ捨てるか破ってしまうということを池田さんが言ったとおっしゃられた。重要な書類だ、もしこの書類が代々木の方にでも手渡されたときには、自分の立場だけでなく、国家の公安に関することだ、これは重大なことだというので、おそらくたまげたのではないかと思うのですが、あなたの言うことと池田さんの言うことと非常に違っておる。どっちがほんとうでうか。
  289. 森田清

    ○森田参考人 池田さんの申されますことは、先ほどからお伺いしておりますと、完全なうそばかりおっしゃっておられる。私がお会いした時間は三分間ぐらいで、詳しい話は土屋さんにしてくれと言ったという覚えは、全然ありません。私は十分間お会いしました。その間名前を聞きましたけれども、言いません。今お持ちですかと聞きましたら、宿屋にありますとおっしゃっる。お友だちが公園で拾われたというけれども、その公園はどちらかと言ったら、私は知らないとおっしゃる。お友だちはいつ花見においでになったのですか、それも私は知らない815C。それから代々木に持っていけば金になるとそのお友だちが言って、私に持っていってくれと言われたけれども自分はそれよりか長野に持っていった方が金になる、そう言ったら、そのお友だちが、じゃあなたにまかせるからということで、持ってきた、そのものが要りますか要りませんか、要らなければ捨ててもいいし破ってもいい、これははっきりおっしゃいました。それからまた、土屋君との話、金は向うは出すと言ったというのですけれども、先ほど来お話し申し上げましたように、何か条件があるのかと聞きましたら、十万円交換条件として要る、その十万円の金額はどういうわけで割り出されたかと申しますと、お友だちが言うのだから、自分としては負けられない815C。それから、道を歩いていると土屋君が誘導したというふうに話されましたけれども、土屋君は決して誘導はしておりません。というのは、二人で宿屋にとりに行くのですから、どの宿屋に行くのか、土屋君はわけがわからない。そうして、ぐるぐる、先ほど北川参考人から申されましたように、迂回コースをとって誘導されるままに歩いた。ですから、いろいろお話を聞いておりますと、私といたしましては全面的に池田さんのお話は否認いたします。
  290. 椎名隆

    椎名(隆)委員 あなたがおっしゃられたが、土屋さんが何か御飯前ですかと池田さんに問うた、御飯前だと言うので、それじゃ御飯を一緒に食べようと言ったら、そんな誘惑には乗らぬとおっしゃったという。結局土屋君は御飯でも食べるために池田さんを引っ張り回したのではないか、そういう報告を土屋さんから受けたか受けないか。
  291. 森田清

    ○森田参考人 はっきり土屋君から報告を受けております。この土屋君の報告には、けさ着かれて食事はもう済んでおりますか、もし済んでいなかったらどこかで食事をしながらお話しいたしませんかと土屋君が申しましたら、池田君は、そんな誘惑には負けませんよという話のやり取りでありました。
  292. 猪俣浩三

    猪俣委員 池田さんにちょっと一点尋ねるが、共産党へ持っていこうと思ったが持っていかなかった、共産党へ持っていけば金になるが、こっちへ届けた方がいいと思って来た、代々木の共産党へ持っていけば金になると言った、その辺、あなたの言った言葉は三つ、四つあるが、正しく言った言葉はどういう言葉か。
  293. 池田哲子

    池田参考人 森田さんにも土屋さんにも、代木々の共産党へ持っていけばお金になると言った覚えはありません。警察の方でそう言ったことは記憶しています。
  294. 猪俣浩三

    猪俣委員 森田さんにもそれは言っていないが、警察で言った覚えはある。警察でどういうふうに言ったのですか、もう一ぺんはっきり……。
  295. 池田哲子

    池田参考人 警察の方で、ただある人が共産党へ持っていけばお金になるよというようなことを言っていましたということは話しました。
  296. 猪俣浩三

    猪俣委員 あなたに聞くが、代々木というのはどういう意味か、代々木という言葉を言うたか言わぬか。
  297. 池田哲子

    池田参考人 代々木ということは言いませんが、ただ共産党という言葉は言いました。
  298. 猪俣浩三

    猪俣委員 代々木という言葉は言わない……。
  299. 池田哲子

    池田参考人 共産党の本部が代々木にあるということは帰ってきてからわかりました。
  300. 猪俣浩三

    猪俣委員 共産党の本部が代々木にあるということは釈放されて帰ってきてから初めて知った、こういうわけかね。
  301. 池田哲子

    池田参考人 そうです。畑先生から、共産党の本部は代々木にあるということを聞きました。帰ってきてから聞きました。
  302. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、畑さんにお尋ねしたいと思いますが、あながた池田哲子と一緒に長野へ行った目的、それから長野へ行くに際して公安調査局の書類問題について相談を受けたかどうか、その点なるべく簡潔に……。
  303. 畑直孝

    ○畑参考人 私自身が長野へ参りました用向きは、当初は全く別途の理由がありまして、善光寺の役僧以下私どもの信仰上の用向き、それから、私に特に打ち込んでおります信者が長野の在におります。その方々がかねがね会いたいと言う。私もやっと機会を見出して、そういうことになったわけです。さらに、長野の刑務所のある受刑者に対して面会する予定もございました。かれこれ二、三の別な用向きで、いずれも長野に滞在中に用は足して参りました。二、三日の予定で長野へ行ってくるということを宅に断わって出て参りました。たまたま、哲子君の近在では、この子ばかりでなく、私の手によって補導されている自殺未遂あるいは家出での少年が数人ございまして、この実情は上野の警察署少年係または中野警察署では幹部がみんな知っておるわけなんです。単にこの子の名義上の保証人であるばかりでなく、もよりに私がいろいろ手がけている補導上の問題がありまして、行きがけに寄りました、府中の刑務所に寄って、中央線で中野へ参りました。寄ったときに、たまたまこの子に、先生は二、三日いなかの方に所用に行ってくるから留守になるよと断わったときに、先生、長野へ行くんだったらば、前からお約束していたお母さんに一目でも早く会いたいから、長野を回って新潟へ行かないか、善光寺さんへも一緒にお参りしたいからという、こういう申し出であった。私は、これはいい思いつきであると思って、その前に新潟の城内村というところから村長の前ぶれもある。民生課長の代理として南雲タケノという婦人の民生委員の方がわざわざ私の寺に来てくれまして、池田哲子並びに私に話がありました。二十年ばかりめぐり会うことができなかった実母が新潟県に存命していることが私の手によって確認されました。これは数カ月を費しました。またとない喜ばしいことであると思って、いずれ新潟の雪は四月半ばでなければ解けない。四月になったならば本人を連れて必ず伺う。それで、民生委員全員が待機して、同情して待っておる。それから、お母さんということなんですが、晴れて名乗れないお母さん、この子を産んだいうことを秘して今の夫と結婚生活を送っておるために、かつまた母親は現在病の床におりまして再起不能なんです。みずから本人が訪れても、夫の手前晴れて親子と名乗れない間にあるものですから、内々私が連絡をつけておりました。これがちょうど、時期から言いましても、新潟の民生委員とお約束した時期になっておりましたので、私が長野へ参って一たん帰って参るよりも、長野経由で新潟へ行くのは非常にいいことだと思いまして、哲子の同行を私許可しました。私の寺がもと戦災前は浅草にありましたから、一たん浅草へ出て所用を足して夜行でいくから来い、こういうふうに言ってやりましたところ、本人は十時を過ぎましてかけつけたようなわけです。  車中で私は初めて書類を見せられて、拾得したということを知らされました。先ほどから、はなはだ残念なのは、池田哲子が思うことを十分に言えないらしく、また私は非常に歯がゆい思いをいたしておりますけれども、人をかばおうとして自分だけが一身に責に任じておるようですが、共産党云々というような話が出たのは事実でございます。言うなれば、張本人は私かもしれません。この子に書類を見せられたときに、私は一見してどういう書類かわかりました。私はどういう書類か通読いたしました。暗号書その他——局長さんはおっしゃいませんから、私も内容は言いませんが、しかし、これは本物であるかにせものであるか、役所が裏をかくための謀略のたぐいかもしれません。由来はわかりません。どこでどういうところを経て来ておったかもわからない。私はかかり合うのはまっぴらごめん、また、この子が未成年者でもありませんから、自分事情を伺って、よく先様の意向を確かめて、間違いなく本物であるならばそういうものは返して上げなければいけないので、私はこれをどうしましょうといって相談を受けたのです。そのときに、はっきり哲子自身は届ける意思ですから、私も賛成いたしました。しかし、冗談といたしまして、これはえらいものにかかり合ったな、こんなものが党の人の手にでも入れば、これは大へんな値打ものかもしれないけれども、そういう拾得物ならば本来の公安調査庁に届けるのがほんとうであろう、しかし、先生は実情を知らぬから、君が率直に行って伺いなさいというふうな、私が指示といいますか答えをしたわなけんです。
  304. 猪俣浩三

    猪俣委員 そこで、朝早く駅へ着いたが、駅へ着いてから後、あなたと池田哲子はどういう行動をして、どこから別れて哲子は公安調査庁へ行ったのであるか、その点と、もう一点、哲子が調べられるようになって、あなたが非常に驚愕をしたのであるが、その二十日の晩です、どういう警察の指図に従ってどういうような泊り方をしたのであるか、その点を述べていただきたい。
  305. 畑直孝

    ○畑参考人 結果的に言いまして、何もかも、まあわれわれの言葉でいう因縁ですか、偶然が重なっているような気がするので、御当局がいろいろ勘違いをしたり思い過しをしたりするのも無理もないし、警察の方々、委員の方方がさらに疑念を存せられるのも一応ごもっともだと思うのですが、朝六時ちょっと過ぎに列車は着きました。そんなに早く着いても、役所は職員がお見えになっていないでしょうし、私は、駅員と駅前の案内所に、公安調査局はどこですかと聞きましたが、要領を得ません。こんな早くてはしようがないし、しかも、書類ですから、かさも目方もございますから、これは間違いのないように、駅の一時預かり所に正式の手続を踏んで保管を依頼しました。身軽になって自動車に乗り、七時ごろ善光寺の本堂に着いて、型のごとく納骨堂をながめながら公園の方に回って思わぬ花見をして、観光展示館で品物を見ているうちに、かれこれ九時ごろになりました。もよりの派出所に行って、若い巡査がおりましたから、長野地方公安調査局はどこでしょうかと尋ねましたが、巡査は公安調査局がどこにあるかわからないわけです。若い巡査は本署に電話をかけてわかりました。この山門を出てすぐ信用金庫の脇を入って図書館の隣で、ここから近いということでありました、あとでこの子がシユミーズ一枚にされた交番で、私は公安調査局の場所を聞いたのです。そこから公安調査局までは果してわずかな道のりですから、駅まで戻ってなぜ書類をとってこないかということは、むしろそういうものを持ち歩いていた方が不自然な話です。大事をとったといいますか、善意に終始した行動なんです。  私は検察庁という一連の官憲に対して不信の念を常日ごろ抱いております、これは、私の前歴といいますか、過去において非常にふんまんにたえない。長年私は悲憤の涙をのんでいる経験がございます。将来これは私はひっさげて立ちたいと思う案件が多々あるわけです。この子もまた確かに野育ちです。家庭のしつけもありません。親兄弟にもはぐれた非常に不遇な子です。ひがみもいじけた心もあろうところへ、つい昨年某警察の手によって非常に非道な扱いを受けまして、いわば偽証といいますか、私を失脚させるためのある種の手先に使われまして、警察に対しては不信と反感を持っておりますので、警察へ抗議をしに行ったこともあるのです。その件については、私、別の東京の法務局へ係争中でありますが、この子は、警官に呼び出しを受け、ために職場を失い、私に対しては不義理を積んだ。私はこの子の自殺寸然を救ったのでありますが、再び死をさえ決意したことがありますから、役所に対しては非常に不信、反感、むしろ憎悪に近いものさえ持っていたと思います。私もこの子をかばってやりたいのはやまやまですが、非常に粗放な性格ですから、どんなやんちゃなことを言ったか、おてんばなふるまいをしたかわかりませんから、この子の行き過ぎがあれば私も責任をとっておわびいたしますが、今回の件に関する限り、事柄が非常に単純で、何ら計画も作為もない。われわれの方には陰謀はございません。ただ、御当局があまり緊張し過ぎたために、疑心暗鬼といいますか、非常に軽率な行き過ぎをされた。罪をおおうためにさらに失敗を重ねられた。そのために弱い者にしわ寄せが非常にかかり過ぎているような気がいたします。これは私の実感なのです。私自己紹介にかえて申し上げますが……。
  306. 猪俣浩三

    猪俣委員 それはわかりました。公安調査局へこの子は届けに行って、それからのあなたの行動及び晩泊るようになった、——その晩は泊まる計画だったではないと思うが、急に泊まるようになった事情その他のことを言って下さい。
  307. 畑直孝

    ○畑参考人 私もその晩の泊り予定は、永井という七十余才の老人の宅を予定しておりました。しかし、この子が公安調査局に行ってから、この子が不審な男に尾行されていたということに気がつきました。その後私ははぐれて幾たびも見失った。自分の所用を急ぐので、刑務所に二時間ばかりいて、それから善光寺の方に行ってから用を足しました。私自身の用を足してから、夕方東京から参った善光寺別院の住職と会食すべく宿屋にいる間に時間もたちますので非常に心配して局長さんをおたずねしたわけです。森田局長さんがどこからかお戻りになって、本人の名前、身分を明かせということでしたから、それを言ったわけですから私は持っておりました書類を差し出しました。本人は警察に留置されている、このままならば送検は免れないという非常に飛躍した話だったですから、さっそく用意してあった車に乗って、局長さん、私、それに、すでに来ております警察の職員ともども長野署に参ったが、局長さんの姿は間もなくお見えにならなくなった。私は捜査の一室に案内されて、そこで土屋という刑事からあの娘についての参考人として調書をとるから答えてくれというので、こちらは事情について合点がいきませんけれども、人質をとられた弱味で、夜の十一時ごろまで先方の質問に応じておりました。その間調書をとられました。十一時過ぎたころ捜査係長の吉沢という方が出てきて、私どもは先生を信頼いたしますから、どうかお嬢さんを連れてお引き取り願いたいということでありました。私は、何か御不審があってお調べでしょうから、あとあと問題がないように十分警察に置いて下さってけっこうですと申し上げましたら、そういうことにはいかないから、宿はこららで心配するから、一つ連れてお帰り願いたい、ただ、あしたの九時ごろ寄っていただけばありがたいがということで、条件付ということではないが、先方も宿まで心配して下さるということですから、その御好意を受け入れて、警察が指定し電話までしてくれた旅館に行って泊りました。そこで初めて哲子君の口からその日の出来事を聞いて知ったわけです。その翌日は、私は自由でありまして何らの拘束を受けておりませんから、宿屋の人には、お昼をしたためて午後は新潟に立らますからと断わって儀礼的な一宿一飯の答礼のような意味で警察に連れて参りましたが、私一人は待ちぼうけを食らって、本人はまたどこかに連れていかれた。その間に指紋と写真をとられたそうです。私は夕方まで待ちぼうけで、所在なく、何べんも係官に聞きましたが、もうしばらくということでした。この子もずっと引っぱられ続けではなく、間々には出てきまして、私と一緒に運動場で署長のジープに乗ってみたり、小使室で遊んでみたりしていましたが、早く帰りたいということを申しておりました。夕方になって、五時ごろ、余りのことに、私が係の部長の人に突っ込んで聞きますと、実は先ほど四時ごろ逮捕令状を執行したと言うから、どういうわけであの子をそういう目にあわしておるのかということを聞いたのですが、内容については申しません。ついでのことに、刑事の方や部長の方に、あなた方の官、姓名を参考のために伺っておきたいと申しました。ところが、どの刑事もどの部長も申し合せたように、上司指揮をとっているから何事も申し上げられない、部長の名前も上司に聞いてくれということで、みずからの姓名をさえ言わなかった。あとで私が調べまして、どれが部長でどれが刑事、だれが何というかということがわかったような次第であります。それは泊った翌日の話であります。
  308. 猪俣浩三

    猪俣委員 それから、あなたにお尋ねいたしたいことは、今池田さんが言った、機密書類が上野のベンチのわきにあって、それを発見したのは沖という人である、こういうのでありますが、沖というお方から私のところに手紙が来た。何か親が病気で急に行かなければならぬことになったのと、広島に何か数カ所何哲学であるやら、(畑参考人「ヨガ哲学です」と呼ぶ)ヨガ哲学の講演をすることにもう新聞に発表されておるので、そこを済まさないと帰れないから出られないという手紙が来ております。この沖という人のあなたとの関係及び池田哲子との関係、及び沖氏の経歴、人格、そういうことをちょっとおっしゃっていただきたい。
  309. 畑直孝

    ○畑参考人 沖君についてのお尋ねでありますが、彼は非常に奇特な人格者でありまして、いろいろ話し合ってみると古い縁故もあるのですが、深く交わるようになりましたのは、一昨々年の暮れから一昨年にかけて、私、空路インドへおもむきまして、二カ月ほどカルカッタを中心に滞在しておりました。たまたま沖氏は三年ほど世界各国を遍歴して、最終コースとしてインドへ差しかかっておりまして、彼と意気投じまして、いろいろな見解が一致するものですから、将来同志として行動をともにしようという盟約をかわして、彼は昨年の五月ごろ帰国したはずでございます。それから、まあひんぱんに、月に一度の定会を主として、彼とは会合を持っております。私がこの子を保護しましたのは昨年の夏からですが、いろいろなことで、ほかにたよる者もありませんので、——沖氏のところは大ぜいの外人やその他不遇な人、病める人を収容する施設を持っております。真生活協会、そこの彼は理事をしております関係で、この子も、ときどき行っては泊ったり、また人生相談等を持ちかけたりしておりまして、最初は、沖氏が、この子があまりかわいそうだから畑君、もう少しめんどうを見てやってくれ、警察にだまされたりおどかしたりされて、あなたの名誉を傷つけた点はかんべんしてやってくれといって沖氏がとりなして、この子を再び私のうちに連れ込んだというような関係でございます。現在、彼の資格は、ガンジー主義連盟の委員でもありますし、それから神性生活者の日本の代表者でもありますし、先ほど申しました哲学的、宗教的なグループである真生活協会で、ある一種の医療術を兼ねた講師をしております。世界の二十二、三カ国歩いていると思いますが、今度も三年ぶりで帰国してきたような人ですし、私は心を許した親友の一人だと思っております。  それで、沖君がこの子を連れて上野に行ったのじゃないかということは、私は、はっきり名を聞かなくても、——実は最初汽車の中で書類を見せられたときに、こんなものがどうしてお前の手に入ったんだと聞いたときに、それは確かな人からですから、お連れの方が拾ったのですから、先生心配なさらなくても大丈夫ですよと言われたときに、そうか、それならいいけれどもといって追及しませんでした。あと警察から救い出して旅館で事情を聞いたときには、ははあ、これは沖君だなと私には感じられるものがありましたが、それから先はあえてこの子には言わせませんでした。本人に会ってみなければ真相がわかりませんので、五月三日にこの子を拘置所からやっと迎え取りまして、八日の朝東京に帰ると同時に、私、自宅へも帰らずに、その足で、この子の言っておることがほんとうであるかどうか確かめるために真生活協会に行きますと、沖氏がおりまして、そういうわけだったなら実に残念だ、私も憤慨にたえない、いつでも私が証人に立とうということで、私は安心しまして、それから後は、誤解を招くといけないと思って、この子は一皮も沖氏には会っておりません。私はその後彼と一度会いましたが、いつも忙しい人で、今度も長野、岐阜、名古屋経由で講演旅行の途中で、妹さんが病気でお母さんが危篤だそうで、実は出席できなくて残念だということを私は伺っておるわけです。
  310. 猪俣浩三

    猪俣委員 池田哲子さんに聞きますが、あなたは、警察が調べたときに、沖さんが拾って自分が預けられたんだということをどうして言わなかったのか。言わなかったために警察では相当あなたに疑惑をかけたと思う。また、疑惑をかけられるような陳述の仕方をあなたはやっておる。その理由はどういうわけか。
  311. 池田哲子

    池田参考人 それは、沖先生の名前を出すのは悪いと思ったし、こういうことになったのも私が勝手に長野に持ってきたためになったので、沖先生には関係ないことだと思ったから、出しませんでした。
  312. 猪俣浩三

    猪俣委員 この事件警察から検察庁送りになっておりますが、これはただいまどういうふうな処分になっておりますか。池田哲子に対して恐喝未遂罪としてお調べになったのですが、起訴されておるのであるか、まだ捜査中であるか、どういう状態になっておりますか。もし御存じあったらお答え願いたい。
  313. 桃沢全司

    桃沢説明員 まだ捜査継続中で、起訴不起訴を決定いたしておりません。
  314. 三田村武夫

    ○三田村委員 ちょっと関連して。先ほど来猪俣委員、福井委員椎名委員から参考人の方にいろいろお尋ねされまして、ここでじっと伺っておったのですが、どうも私にはこの事の真相がはっきりしてこないのであります。伺えば伺うほど複雑であり、またきわめて重要な要素を含まれておると思うのであります。ただ、事件として裁判で審理され、その結果が明らかになることが、これは順序でありまして、そのまますればいいのですが、当委員会にこの問題が提起されましてわざわざ参考人の方々に出ていただいた上、かくのごとくこの問題の真相を究明するための国政調査活動が今行われておるのであります。どうもわからないままに放任することはわれわれの責任上どうかと思われるので、私もちょっと関連して一、二点お伺いいたしておきたいのであります。  ただいま参考人の畑さんの御説明を伺っておって、私は二つの面を感じた。一つは、ただいま僧籍にあられるようでありまして、その全活動は宗教活動にあられるのだと思いますが、その点は非常に敬意を表して伺っておったのであります。冒頭にお述べになったときに、参考人の池田哲子さんの現在の心境を分析しながら、畑参考人は自己の心境を述べられました。自分は過去において、その何のゆえか私は存じませんが、現在の警察のあり方に対しても非常に深刻な恨みを持っておる、自分の全生涯を通じて自分の持つ過去の経験はこれを明らかにしなければならないというような畑さんの心境に私は受け取ったのであります。そのことの何ものかは私はわからない。これも一つぜひお伺いすることが必要でないかと思うのであります。人間の思想とか傾向とか行動とかいうものは、その人の生活環境の中から出てくるもので、これは同時に一つの社会環境の中に生まれてくるものでありまして、われわれが一つの社会秩序を正しい方向に持っていくためにぜひともこれは大切な要素だと思うのです。そういう意味から、どういう理由から畑さん自身が警察に対して深刻な反感と申しますか気持になっておるか。これは、せっかく宗教活動に専念しておられる畑さんが、そういった深刻な恨みとか反感というものを持ちながら宗教活動に携わっておられることが、どうしても理解できないのでございます。警察も検察も裁判も公けの機関であります。これはわれわれが社会生活をなす上にどうしても必要な機関であります。その必要な機関に、せっかく清純にして純乎たる宗教活動をおやりになっておる畑さんが深刻な恨みを持ちながらおやりになっておることはどうしてか、私にはわからない。それはどういう理由かということを私は率直に伺いたい。宗教家であられますから、おそらく宗教活動というものは、よしかりにそれが過去において自分の人間生活の上に誤まったことがあっても、その反省の上においてこそ宗教活動というものはあるべきものであります。これは、恨みのまま、反感のまま、怨念のままでは宗教活動というものはあり得ないと私は理解しております。私もかつては刑務所生活をしたことがあります。それは、自己の信念によってやった、自分の生命を断たれることを覚悟の上でやったのでありますが、私は一つの恨みも持っておりません。これは国の意思というものと自己の信念というものが一致しないときにあり得る。これは避けがたい現象であります。しかし、そのことのゆえに終生国家の最も大切な公的活動に恨みを持つということは、私は少くとも宗教活動の根底となるその人間生活の思想、感情の上にあり得ないと思うのであります。どういうことに原因されておるか。せっかく、宗教活動の上から、池田哲子君に対しても、その宗教的な信念の上に立って、あなたは死の寸前を救ったとおっしゃいました。現在も宗教家としての新しい、正しい気持から導いていくのだというあなたの気持があふれているように私は伺った。しかし、どうしても両面相いれない、割りきれない面を私は感じますから、このことの真相を明らかにするために、あなたのお考えを承わっておきたいのであります。
  315. 畑直孝

    ○畑参考人 大へんありがたい御質問でございました。こういう席で私口外しますのは本意ではございませんけれども、それがわかっていただかなければ、私の気持も、この子の受けた影響といいますか、ある程度感化は免れなかったでしょうから、それも御納得いかないと思うです。私、先ほどなるべく冷静のつもりでしたが、正直に申し上げます。いわゆる与党系と目される委員の方々が、何かやはり政治的なお立場から、どうしても御当局の方をカバーして、この子を追及なさるのに少し——いや、それは私の誤解かもしれませんけれども、おきびしいようにお見受けしてしまったものですから、これは私が大へん悪かったかもしれませんけれども、非常に語調を強めましたかもしれません。しかし私は、法を守ることにおいては人後に落ちぬつもりですし、守るためにみずから罪なき罪に陥った場合もございます。具体的に言いますならば、私は石橋さんが学長を今しておられます立正を出て、第一次の学徒動員兵として、甲種幹部候補生を——自己宣伝のようですが、大学も優等で出させていただき、軍隊でも序列が筆頭でございました。たまたま千葉県の柏で兵舎が漏電で焼けました。はっきり漏電と申し上げます。私が放火犯人になりました。銃殺は免れぬ、命が三つあっても助からぬのだと、自分考え、陸軍衛戌監獄の所長にも申し渡されました。しかし、おかげで助かりまして、十五年の懲役刑で下獄しました。軍籍を剥奪され、巣鴨に回され、秋田、山形、宮城、青森と転々としまして、六年の間の東北の生活と、さらに千葉を最後としまして前後八年に近い年月を獄中で送った者であります。終戦と同時にもちろん占領軍に救出されました。アメリカの軍政部にも行き、情報部にも参りました。私の舌三寸で刑務所長以下職員の戦犯容疑は全部救ってやりました。しかし、私自身は、彼らに協力しないというかどで、情報を提供しないという理由でまた刑務所へ差し戻されまして、皆さん方のお仲間の方々の公職追放や戦犯容疑が打ち切られる時分、昭和二十六年に至って、私は仮釈放という形で初めて千葉を出て自由の空気を吸った人間です。しかし、私は、いわゆる反軍主義でも反戦主義者でもありません。大へん残念なことは、私、むしろ先ほどおいでになった志賀先生がおられればかえって幸いだと思うのですけれども、志賀先生初め党の方々とは、私現在もまた将来もおそらく対決するかもしれない。するであろうような政治的な思想的な見解に立脚しております。非常に逆コース、封建的と言われるかもしれませんが、刑務所を出てまっすぐに皇居の前に行って、砂利の上に頭を下げたくらいの私なんでして、ここにおられます、事件と関連しますが、森田局長さんも私に申しました。池田哲子さんが来たときも共産党の手先ではなかろうか、仲間だというふうに見たとおっしゃる。警察の方でも私が何か赤の方の謀略に関連しておるというようなお見立てのようです。その実例として、長野警察の職員は、この子を東京の王子十条の交番爆破事件の犯人扱いをしていたのです。あの交番を爆破した女の子は君じゃなかろうかということで一応の追及もしておりました。この子が東京に帰ってくると同時に、王子の署員が二、三人やってきたようであります。——非常にばかばかしい見当違いなんですが。というのは、私は戦後いち早く中国へ渡航しております。北京、天津等に渡って中国人の遺骨送還の火ぶたを切った張本人は私であります。第一回の遺骨送還船黒潮丸を仕立てて、赤十字のメンバーには国民代表の一人に選ばれて、日蓮宗の名誉を背負って現地に参った私は最初の渡航者なんであります。それは二十八年のことですが、長い間の獄中生活を終えて一両年を出でずしてそういう栄をになったには、そういういわれがあるのですが、私自身の信念としては、怨親平等、どこまでも自由、人道、博愛の立場をとりたいと思えばこそやった仕事なのでありまして、御懸念をいただいたような、私は国政に対して不信、反感、憎悪は持っておりません。私が先ほどそういう表現を用いましたのは、私自身の心境じゃないのです。この子はまだ思想的にも年令的にも未熟ですから、そういう感情の段階にあるのです。私はそういう気持、で終始しておりません。日蓮宗権僧都としての身分も資格も剥奪されておりません。その後も鉄道公安官あるいは警察職員等によっていろいろな凌辱を受けましたが、全部切り抜け克服して参りました。中国へ行ったときは、先ほど午前中ここに大麻さんがおられましたが、大麻さんのもとで今国家公安委員会の政務次官を務めておられる参議院議員の大谷瑩潤さん、あの方が、自分は自由党の所属だし、現職議員として今の情勢で中国渡航はどうもというので、私が大谷さんの意を体して大谷さんの名代で参っております。インドへ参りましたときも、今はなき宇垣一成先生のなみなみならぬ御高配を得て参っておるような実情です。石橋通産相にもごあいさつ申し上げております。そういうわけ合いで、私は政党には属しておりません。、主義も思想もない、一介の平凡な僧侶ではありますけれども、特異な経験を積んで参りましたし、自分自分なりの一国罠としての道を歩いていきたいと思っておる矢先矢先を、官憲の方が、悪意はないのでしょうけれども行き過ぎたり、たまにはある種の団体なり個人なりに踊らされて間違った処置を私の身の上におふりかけになった。そういうことが私は非常に遺憾に思っておりますので、現在一つは再審の準備中でありますし、一つ人権じゅうりんの問題として法務局に提訴中でもありますし、その他、私の経験だけでも、時間を省いて申し上げかねますが、一、二にとどまらない、いろいろ複雑な問題を抱いているものであります。それゆえにこそ、自分の悩みを通じて、ともに苦しみ、ともに泣くものと手を取り合って進みたいと思って、自費をさいて、この子ばかりではない、浮浪者、家出人、自殺未遂人、私の身辺に起った限りのさまざまないまわしい事件の中に、みずから飛び込んで生きさせていただいておる私なんです。ですから、言うことが非常に過激にお聞えになるかもしれませんが、私は決して、共産党員でも、社会党員でも、また自民党員でもない。と同時に、何らそういう野望や反抗を抱いておる者ではないつもりであります。
  316. 三田村武夫

    ○三田村委員 私は、畑さんが共産党員であるとか、あるいは思想的な背景云々、そういう立場でお尋ねしておるのではない。あなたがお述べになっておる言葉の中に、今あなたは率直に言われましたが、何か私たちが与党的立場からものを言っておる、こう言われたら、すぐそこに誤解を持たれます。その気持が私にはわからない。われわれ与党的立場からやっておるのではないのです。私が最初に申しました通り、国会というものは国政の最高機関なんです。ここで事の真相を明らかにするためにわざわざ参考人としておいで願っているのです。どちらの味方にも、どちらの反対にも立ちません。与党的立場という言葉はどういう意味かわかりませんが、あなたがそう言われるから私は申し上げるのだが、私も経験があるのです。私は東条内閣時代に銃殺覚悟でやったのです。警視庁留置百日、巣鴨にも、憲兵隊にもおったのです。これはおのおの信念に基いてやることでありまして、そのことが国家の権力と競合することはあり得る。しかもそのことによって恨みを持ったことは毛頭ない。今の共産党の諸君より勇敢なことをやったかもしれません。私は自分の経験から率直に申し上げる。あなたのお話を聞いていると、私にはわからない。あなたは僧籍にあられる。私はあなたと議論するつもりで伺ったのじゃないのだが、伺っているとますますわからなくなるので、お尋ねしたのです。これは、せっかく法務当局の方も出ておられますから、私は率直にお尋ねするのです。  事がここまできてしまったのですから、委員長一つ申し上げて了解を得ておきたいのですが、中途半端にこの委員会は終りたくないと思う。せっかく猪俣委員もこの問題を持ち出されたのですから。この新憲法下、民主主義の秩序を守っていかなければならぬ今日、もし、警察や検察の立場にあるそういう人々が、自己の立場を擁護するためとか、あるいは自己の非をおおわんために、その権力の上に何らかの行き過ぎや権力の乱用があるならば、これは許されることではありません。与党であろうと、野党であろうとわれわれはその立場でここでものを言い、審理を進めておるのであります。同時に、国家の機関というものは、そう私は無能であってはいけないと思う。軽卒であってはいけないと思う。この問題はもうすでに警察から検察の手に渡っておるのでありますから、関係者のことについてもよくお調べあろうと思います。桃沢公安課長は、審理中だから云々と言われましたが、畑きんはああいうことを言われました。放火事件云々ということを言っておられましたが、これは、検察の調べといいますか、記録といいますか、何かそういうことについてもし御承知でありましたら、私はこの機会に伺いたいと思います。畑さん、何か一切人の言うことを自分責任でしょい込んで、そのことによって自分は一生苦難の道を歩くというような、そういう表現であったように聞いたのですが、そのことについて御存じの点があったら、この機会に伺いたいと思います。——検察当局から。
  317. 桃沢全司

    桃沢説明員 事件捜査中でございまして、なるべくこの事件実態についてはもう少し時間をかしていただきたいと思います。また、畑参考人のことについては、畑参考人から聞いていただけば一番はっきりするのじゃないかと思います。
  318. 三田村武夫

    ○三田村委員 畑さんに、これは率直に伺いますが、あなたは、今、応召中漏電があって、そのことを自己一身にしょって、放火犯云々で懲役十五年とおっしゃいました。それだけでしょうか、あなたの御経験は。
  319. 畑直孝

    ○畑参考人 それだけとは申しておりません。一、二にとどまらないと申し上げたのです。いずれも不愉快な思い出といいますか記憶でございます。  問題の焦点がぼやけているようですが、もし、私が皆さん方に対して放った、与党的とか、あるいは御追及とかいう言葉が御不快でおしかりを受けたのでしたら、それは私も慎しみたいと思います。非常にもどかしく思うことは、私の本意がまだやはり皆様方に善意に受け取られないし、私もやはり人間ですから、つい気持に多少歯がゆいものを持っておるわけなんですが、私は、ここにありますじゅずに誓いまして、長野の事件に関する限り、初めから、森田さんにも、私の身の上、私のものの考え方は率直に申し上げておりまして、当局などのお調べもない先から、誤解のないようにいろいろな談話をかわしておるのです。これは、私、長野滞在中、二十日間を通じて一つのうそも作為もしておりません。これは何人にも誓います。池田哲子君の善意や潔白についても私確信を持っております。もちろん、私自身のことについてはいろいろ別の機会に申し上げたいこともありますけれども、それは混乱いたしますから、この場合は保留いたします。
  320. 三田村武夫

    ○三田村委員 わかりました。もうこれは申し上げません。私は決して悪意に解しておるのではない。善意に解しておるから、私のわからない点を申し上げた。せっかく参考人としてわざわざおいで願って、池田哲子君ですか、その人のたみに弁ぜられるのですから、私の納得のいかないところをお尋ねしたのです。まだ全部納得もいっておりませんが、これ以上申し上げても、あなたが自分の善意が理解されないと言われるように、私の申し上げることも善意としてあなたに達しないかもわかりませんから、これ以上申し上げません。
  321. 高橋禎一

    高橋委員長 菊地養之輔君。
  322. 菊地養之輔

    ○菊地委員 私も、ずっと聞いておったのですが、まだ十分理解しかねる点がありますので、一、二点お聞きいたしたいと思うのであります。  第一に、北川署長にお伺いしますが、本件の犯罪の端緒というものはどこから来たか。これを一つ簡単に伺いたい。
  323. 北川恵作

    ○北川参考人 この事件警察が最初に知ったのは、先ほどちょっと申し上げたのでございますけれども、四月二十日午前十時十五分ごろでございますが、公安調査局から長野警察署あてに公衆電話で、先ほど申し上げたような趣旨の届出がございましたのが端緒でございます。
  324. 菊地養之輔

    ○菊地委員 公衆電話ですか。
  325. 北川恵作

    ○北川参考人 さようでございます。
  326. 菊地養之輔

    ○菊地委員 その発信者は何人だったかということはわからないのですか。
  327. 北川恵作

    ○北川参考人 発信者はたしか公安調査局の局員である、ちょっと今ど忘れしましたが——島谷調査官でございます。その調査官からうちの方で電話を受け取ったのが、捜査係の内勤の西沢と申す巡査でございます。
  328. 菊地養之輔

    ○菊地委員 一体、そのときの電話の内容は、これも簡単でようございますが、どういうものであったか。
  329. 北川恵作

    ○北川参考人 電話の内容でありますが、実は私の方の者が上野駅で重要書類を盗難にかかり、内密に調査中のところでしたが、ただいま、その重要書類があるがお宅では要りませんか、その書類は今ここには持っていないが、宿に置いてある、共産党に売れば十万円以上にはなるが、お宅では十万円でよいがどうかと、二十才くらいになる女が来た、宿にあるからというから私ども局員を女に一緒につけてやりましたが、捜査方お願いしたい、かような電話であります。
  330. 菊地養之輔

    ○菊地委員 特に公安調査局に関係する職員とすれば、公安局自身から電話があるのがほんとうだ思うのですが、公衆電話であるというので、その点に不審はなかったでしょうか。
  331. 北川恵作

    ○北川参考人 警察署と公安調査局との間には警察電話はございません。一般の逓信電話しかございませんので、その逓信電話でかかって参りましたが、ただそれだけで直ちに全部信じたわけではございません。その電話届出を受けました西沢内勤巡査が、まだ電話用紙に書いてありませんが、直ちにそのメモを持って吉沢警部係長のところへ報告に参りまして、吉沢警部係長の指揮によりまして、駒津、高橋両巡査が、内容が間違いないかどうかを確かめるために公安調査局に直ちに出向いたのでございます。
  332. 菊地養之輔

    ○菊地委員 先ほどあなたがお聞きの通り池田哲子の話によりますと、あとをつけた二、三の人があったというのでございますが、時間の関係から見て、それはあなたの署から派遣した人たちであったでしょうか、それともまた、公安調査局の人たちでありましたでしょうか、あなたの考えではどうでしょうか。その点わかりませんか。
  333. 北川恵作

    ○北川参考人 警察署以外のことは存じませんが、警察官は、ただいま申し上げました駒澤、高橋両巡査が公安調査局に出向いて、森田局長並びにその他の局員のおいでになるところで、より一そう詳しい事情をお聞きしたのであります。そのときにそのお金は、三十分という約束である場所を指定されるから、そこで書類と交換することになっておるが、もう時間も過ぎて連絡がないというような状態になったときに、清水調査官だったと思いますが、長野駅の方から公安調査局に電話をかけてきて、ただいま名前も住所もわからないその若い御婦人が駅のベンチに腰をかけておるようだが、このままにしておけば、住所も名前もわからないので、どこかへそのまま行かれてしまうからという話で、またその駒津、高橋刑事は吉沢警部係長の指揮を受けて長野駅に参りました。それから、その御婦人にどこかへ行かれては困るからということで、遠く離れて城山の交番のわきまで参ったのでございます。
  334. 菊地養之輔

    ○菊地委員 北川署長に対しましてはその程度で質疑はやめます。  今度は森田局長にお伺いしたいのでございます。この警察に電話をしたのは、あなた自身からの指揮に基くのか、あるいはまた、公安調査局の人が勝手に警察署に通報したのか、その点を伺いたい。
  335. 森田清

    ○森田参考人 私の命令で島谷調査官をして警察へ連絡させました。
  336. 菊地養之輔

    ○菊地委員 それは、池田哲子が帰った直後ですか、それともまた、土屋係長から報告を受けたあとですか。
  337. 森田清

    ○森田参考人 土屋君が哲子君と別れまして急いで帰りまして、土屋君から委細状況を聞きました。私が土屋君から報告を受けましたのは九時四十分ごろ。それで、とりあえずとにかく金を用意しなければならないと思いまして、私の家は役所のつい近くなものでございますから、帰りまして、金を用意して戻りましたのが十時十分過ぎぐらいでございました。それで、帰りまして、電話が哲子君から——哲子君かどうかわかりませんが、まあ電話がかかったかと申しましたら、まだかかってこない、そうかというわけで、いろいろ不審も起きまして、とにかくこの事件警察へ連絡しなければいけない、それじゃ一つ島谷君警察へ連絡してもらいたいということで、島谷君に電話をかけさせまして、私は部長室においていろいろな今後起り得る事態はどういうことになるのだろうというようなことを考えておりました。ですから、警察に連絡いたしましたのは、土屋君が帰って、それから私が家に金の工面に帰りましてからのことでございますから、約二十四、五分かあとでございました。
  338. 菊地養之輔

    ○菊地委員 警察へあなた自身が連絡たとるというのは、どういう意図から生まれたのですか。
  339. 森田清

    ○森田参考人 私が警察へ連絡いたしました理由は、公務員といたしまして、こういつたことを私的に解決する、あるいは内々にするということは許されないことだ、私の不注意からそういう事態が起りまして、それで将来どういうふうに宣伝されるかわかりませんが、しかし、事の次第は捜査機関に御連絡して、捜査機関の手を通じてはっきりさせていただいた方が私としては気持がすっきりする、それから、すでにそのときその事件につきましては盗難届を正規に私は提出しておる以上、私的にあるいは内密にこれを処理したというようなことは私としての良心が許さない、そしてまた、私的に処理いたしました場合、これがあとあとで、警察にも連絡しないということになりますと、正規の機関を通じて上局に対して報告がいかない、そういった卑劣な手段は私はとりたくない、警察へ行けば、最悪の場合と申しますか、とにかく起訴され公判に回されれば事件は当然明るみに出るわけでございますが、そういったことがありましても、むしろそういった手続によって初めて事態を究明していただくことが公務員として当然とるべき立場だという判断から、警察へ連絡方を命じたわけであります。
  340. 菊地養之輔

    ○菊地委員 あなた自身は、池田哲子さんと話をして、そしてまた、あなたの部下の土屋係長もつかわして、土屋係長から報告を受けて、十万円の金を池田哲子に渡そう、そして調金までするために自宅へ帰って持ってこられた。これはあなたが先ほど来申し述べられたことなのですが、しかし、今お話を聞くと、その金を出すこと、あなたが金を持参してきたのであるから、物を、いわゆるなくされた、紛失した品物を受け取るまでは池田哲子と相対で解決しようという意思ではなかったのですか。相対ずくで解決しようという意思ではなかったのですか。その点の、その当時の気持を一つ伺いたいのであります。
  341. 森田清

    ○森田参考人 内々に解決しようという意思はございませんでした。ただし、要求される金を渡さなければ先方としても品物を渡さないだろうから、渡すことは渡す、しかし、事件事件として正規の機関に報告すべきだという考え。それから、もう一つは、こういった考えも多分にございました。こういった行為は、実に人の弱みにつけ込む、ほんとうに許すべからざる行為だ、哲子君はどうか知りませんけれども、私のそのときの感じでは、こういったことは哲子君一人の判断で出てきたのではない、哲子君は単なるロボットにすぎない、ロボットの背後にだれかおる、一人か二人かわかりませんけれども哲子君を動かしている人間、そういった人間は必ず私以外の他の人に対しても同様な弱点につけ込んで不正を働いておる、こういつたことはあるんじゃないか、他に対してもまた今後もあり得るかもわからない、こういう不正に対しましては私は人間として断固として戦わなければならない、従いまして、悪との、不正との妥協ということは絶対に私は許されないという気持も多分にございました。
  342. 菊地養之輔

    ○菊地委員 そのような心境ならば、なぜ一体うちへ帰られて金を持ってきたか、不正と戦うという意思を持っておるならば、これを分けにして戦わねばならぬという考え方を持っておるならば、金を持ってくる必要はないじゃないか。金を持ってきて渡そうという意思がある。そういう意思を一方に持っていながら、一方において警察へ通報するという心理は、私はわからない。そのために私は聞いておるのです。それをはっきりさしていただきたいと思うのであります。
  343. 森田清

    ○森田参考人 ただいまの御質問に関しまして、私は、金を渡すということと警察へ連絡するということは全然別個に考えております。御質問では、渡してとれば警察へ連絡しなくてもいいんじゃないか、警察へ連絡する理由がわからないとおっしゃいましたけれども、私自身としては、連絡しなければならないと、そういうふうに判断した。
  344. 菊地養之輔

    ○菊地委員 それはあなたの考え方だから、私は幾ら追及しても人の考え方をどうともできませんから、この程度でやめますけれども、常識をもっては律し得ない心境であった。僕に言わせると、金を渡さないと紛失した書類を受け取れない、そうして金からいわゆる警察権を動かしてこの問題を解決しようという、そういう二重の心の働きがこのような矛盾した行動をとらせるに至ったんじゃないか、こういう邪推さえ起るのであります。これは私の邪推ですから、あなたを追及いたしません。  ただ、土屋係長を哲子につけたときに、一体どういう話をして土屋係長をつけてやったか。あなたは、今までの話を聞きますと、あるいはまた池田哲子の話を聞きますと、土屋係長をつけたときに、二人で話をしてくれと言った。その際、あたたは土屋係長に何か言ったに違いない。一体、どういう権限を持たして、どういう話をして、土屋係長をつけたか、その点を聞きたい。
  345. 森田清

    ○森田参考人 哲子君の話では、私が土屋君に対しまして、詳しいことはこの人と話して下さいと言って、私たちの面会時間はほんの二分か三分だというふうに申されておりますが、それは事実と相違いたします。時間は十分間か話しまして、そうして、土屋君に対しましては、一番最後に、じゃ哲子君に——哲子君ということはわからないのですが、この人と一緒に宿屋へ行って、もらってきてもらいたいという依頼をしたわけです。従いまして、哲子君が申されますように、この人に詳しい話をしてくれと言ったような覚えは全然ございません。ただ宿屋へ一緒に行って品物をもらってきてもらいたいという依頼を土屋君にしたわけです。
  346. 菊地養之輔

    ○菊地委員 そんなら、なお疑問が起ってくるわけです。一体、あなたと哲子さんとの間の話し合いで、金がほしいと言われたという。金がほしいという言葉をあなた自身が聞いているならば、土屋係長に書類を持ってこいと言うて宿屋にやったとするならば、金を持たしてやらねばならぬ。金を持たせずにやって書類をとらせるというのはどういうわけか。これが疑問にたえない。金を持ってきてほしいという人には、金を持たしてやって書類をとらなければならない。ところが、土屋係長には金を持たした形跡がない。そこのところはどうです。
  347. 森田清

    ○森田参考人 金を持たせようにも、私に対しては何にも具体的な金頭は哲君子は申しておりません。持たせようにも、幾ら持たしていいかわかりません。私との話では、哲子君は、代々木に持っていけば金になるのだが、長野に持ってきた、要りませんかということで、具体的に幾らということは申しておりません。
  348. 菊地養之輔

    ○菊地委員 先ほどあなたは、一万か二万はお礼しなければならぬと思っておった、こう言っていらっしゃるでしょう。そう言っており、しかも、哲子さんの話の中でも金がほしいというのなら、書類を受け取ってくるのには、あなたの気持として一万でも二万でも持たしてやるのが当然じゃないか。何も持たせずに、書類だけを受け取ってくるためにこれをつけてやったというのではないですか。金を渡さないのですから、私はそこが先ほどからふに落ちないので聞いているのです。その点を一つはっきりして下さい。
  349. 森田清

    ○森田参考人 これは、先ほど来申し上げましたように、哲子君とのいろいろのお話の中で、お名前も一度もおっしゃらないし、また、その他公園とか花見とか、そういった当然知り得る事柄についても一切これは言えないというお言葉、しかし、それはとにかくといたしまして、土屋君と一緒に宿屋に帰って持ってこられて、そこで初めて私はありがとうございましたと言うのが順序なんです。また、そうするためには、哲子君が最初からお持ちになったら、当然そういったいきさつが一切省かれまして、私としても相当なお礼をしなければならぬ。しかし、私としては、そのときの状況といたしまして、哲子君の言われた内容あるいは態度、そういったものから、幾ら持たしていいのかわからない。また、先ほど申しましたように、一万円でも二万円でも私の感謝の気持を表わしたいということは、哲子君が初めから持ってきてこそ、哲子君自身も喜んで受け取れるだろうと思う。
  350. 菊地養之輔

    ○菊地委員 あなたのおっしゃるところは矛盾だらけで、なお疑いを深くするのですが、一体、一万、二万のお礼をするという気持があなたにほんとうにあったかどうか、疑問に思う。一方において、一万、二万のお礼をしなければならぬと思ったと言っておりながら、一方において、警察に通知して内容調査させる、こういう二重の行動をあなたはとっていらっしゃる。そこに私は疑問を持っているのであります。あなたの真意は、一万、二万の金をやってもいいのだというのがほんとうの真意であったか、怪しいやつだから一つ警察と共同してひっくくっりてやろうという気持で警察に通報したのか、わからない。その気持を私はあなたに聞いている。一体、あなたは、一、二万の金をやる真意があったのかどうか、いま一度その点を聞いてみます。
  351. 森田清

    ○森田参考人 普通のなくしものを自分がした。そうしてそれをどういう経路で持ってきてもらうにしても、いわゆる善意の普通の良識のあるお方に対して、何らの感謝の意、あるいはお礼の言葉、そういったことを表わさなくてお帰しするような人間では私はございません。ただし、哲子君は、そういった当時の状況は、いわゆる普通の善意をもってこれを届けたというふうには絶対考えられなかった。それで、これは、検察庁供述取調べを受けましたときにも申しましたが、これは普通の状態ではない。普通一般のなくしたものを届けたということであれば、一万でも二万でもするのが当然です。そう今でも思っております。それが普通の人間だということで、もしそのときに哲子君がすなおに、ほんとうに善意の気持でお届けいただければ、私は今でもそういう気持は持っております。それは当然お礼はいたします。
  352. 菊地養之輔

    ○菊地委員 どうもわからないのだが、現実の問題として、一万、二万の金を出してもいいとあなたは考えたとおっしゃった。今度は仮定論になって、ほんとうに虚心たんかいに持ってきたなら一、二万払ってもいいのだと言う。払わないような悪い人間ではないということを言っておるのですが、私の聞いておるのは現実の問題です。哲子さんとお会いいしたときに一、二万の金を出してもいいと考えたという現実の具体的な問題に対して、そういう考えを持ったかということを聞いておるのです。抽象的な場合に、善意の人なら、善意をもって紛失したものを返してもらったときに幾らかお礼をしたい、これは人間全体の気持なのです。普通だれでもあることです。私はそんなことを聞いておるのではない。あなたの現実の気持が一、二万もあげようという気持を持っておりながら、一方において警察に通報して、その身分を洗ったり、いろいろ犯罪の捜査をさせるような通報をしたり、矛盾した行動をとることに対して疑問を持っておるのです。これは常識で判断すれば何人もわかることだから、私はこれ以上追及しません。しかし、あなたが十万の金を持ってこられたというその金は、哲子さんにほんとうに渡すつもりであったのか、その点をお聞きします。
  353. 森田清

    ○森田参考人 大体土屋君と約束しました三十分後の時間に、哲子君から連絡があり、そしてどこどこという場所がありますれば、私、行きましてお会いして、品物と引きかえに渡すつもりでおりました。
  354. 菊地養之輔

    ○菊地委員 私は、その書類内容は知らないし、聞こうともいたしませんが、そういう金を渡して受け取らねばならぬほどの重要なものであったのでしょうか。これは抽象的にです。具体的には聞こうとはしません。
  355. 森田清

    ○森田参考人 これは新聞記者も申しておりましたが、一体それだけの値打ちがあるかどうかということは、値打ちがあるといえばあるし、ないといえばない。しかし、私にとっては値打ちがある。ほかの方には値打ちはない。私にとって値打ちがあるというのは、端的に申しますと、共産党の方へいく、あるいは他にいろいろ悪用されるということになりますと、役所全体に対して御迷惑をかけるということになりますので、金の十万、二十万じゃない。私の命をかけても守らなければならない一つ書類であります。
  356. 菊地養之輔

    ○菊地委員 これはあなたに対して失礼な言い分かもしれませんけれども、おとり捜査というものがある。ほんとうに脅迫されている場合に、そこへ金を持ってきて、警察官に包囲させておいて、取りにきたやつをすぐ包囲してつかまえるという方法、このおとり捜査ということは普通警察でやっていることです。あなたのやっていることはそれと同じことだ。十万円を持ってきて哲子さんに渡す、その前には警察に電話をかけておいて捜査をさせておく、そうして十万円の金を渡すと同時に逮捕する、こういうおとり捜査をあなたが実験しようとしたのではないか、あなたの弁解が不十分だから、私はこういうことを考えるのです。そういう点、本気に渡すつもりか、私は疑問を持つ。そこで、あなたの警察に対する気持、あるいは警察に対する電話というものも、犯罪捜査の端緒になるようないわゆる教示をしているのではないか、そのために本件がこのような大きな問題になったのではないかというふうに考えとれるのであります。これは私一個の考え方でございますけれども、常識ある者で、いわゆる警察の内情、あるいは公安調査庁の実態に通ずる者は、おそらくそういう疑問を持つと思います。それでこそ警察や公安調査庁というものは非常に慎重な態度をとらなければならぬ。本件のごときはおとり捜査そっくりである。ちっとも変っていない。ほんとうにあなたが堂々とやるつもりならば、十万の金を持っていく前に、まずあなたが会って究明すべきではないか。その事情をよく聞いて、ほんとうに裏面の関係がない純真な人であったなら、一、二万の金を出し、もし大きな金を望むならば、そういう大きな金を望むのはあなた自身のためではないと説得して、これは心から感謝してやるのだと言ってやることが、あなたのような身分のある方がなすべきことではないか。ところが、一方においては金を持ってきて、一方では警察に通報し、おとり捜査に類するような行為をとることは、残念ながらあなた自身のとるべき行為ではなかったと考えざるを得ないのであります。この点、あなたの感想を聞き、私は質問を終りたいと思います。
  357. 森田清

    ○森田参考人 ただいまの御質問に対する私の気持は、先ほど申し上げましたように、全然矛盾した行動ではない、そのときにおきます私のとるべき最上の道であるというふうに私は判断いたしました。
  358. 高橋禎一

  359. 猪俣浩三

    猪俣委員 森田さんにお尋ねしますが、あなた、その書類を失われて辞表を出されましたか。
  360. 森田清

    ○森田参考人 結論から申しますと、出しました。出しました日にちは、十六日の午後四時前に盗難にあいまして、すぐ盗難届を上野鉄道公安室に提出し、本庁に引き返しまして、午後五時に上局に対して委細経過を口頭をもって報告いたしました。それから、その晩の夜行で長野に帰りまして、午前中書類をしたためました。ですから、十七日に上局あてに提出いたしました。
  361. 猪俣浩三

    猪俣委員 長官が来ておられますから伺いますが、森田局長の辞表をどうなさいました。
  362. 藤井五一郎

    ○藤井政府委員 辞表は見ましたが、辞職には及ばないと思っております。適当な処置をしようという大体の腹組みはできておりますが、まだ発表の時期にはないと思っております。
  363. 猪俣浩三

    猪俣委員 今森田局長の証言の中にも少し矛盾しているところがあるのですが、さきの池田哲子君の答弁がまずくて、はなはだわからなかったのですが、土産に、一緒に書類を置いてある宿へ行って、もらってこいということで、言いつけて出した。ところが、実際は、金を用意して、哲子の連絡があったら場所をきめて落ち合う、そこで品物と引きかえに金を渡そうと考えた、こう今はおっしゃるが、そうすると、土屋と哲子が一緒に来たときには、その品物のあるところへ土屋を連れていって、そこで品物を渡すという約束ではなかったのではないか。それならば再度落ち合うところを電話で打ち合せる必要は何もない。それだから、土屋が飯でも食おうなんということで先に立って案内したのではなかろうか、私どもはそういう疑いを持ちます。しかし、それはお互いの主観の違いでありますから、大したことでもありませんけれども、本日問題にいたしましたのは、私ども人権擁護の立場からこれを問題にいたしておりますので、その立場から言いますと、大した恐喝なんという状態であったとは考えられない。常識上考えられないにかかわらず、このうら若い娘を恐喝未遂なりとして、しかも未遂罪なんというものでぶち込んでまで調べるというようなことはそうたくさんないことだと思う。殺人未遂でもあるならばいざ知らず、恐喝であって、しかもそれの未遂であるというこの事案をたてにとって、十数日間人身自由を拘束した。しかし、これは、公安調査庁においても、警察においても、堂々たる局長が恐喝されたなんと考えておらなかったに違いない。恐喝される状態ではありません。あなたは品物を失っちまって辞職願まで出してしまっておる。何の恐喝がありますか。あなたの身体はお上、もう上司に預けちゃっているじゃないか。その失ったことが発見せられない以前に、その事情を知っておる者が上司に告げるぞと言うた場合には恐喝になるかもしれません。あなたは、すでに失い、失ったことを白状し、辞職願も出したあとじゃないか。何の恐喝があるか。それを恐喝だというようなことを言う。そこに問題がある。これは森田局長の発意じゃないかもしれません。それは畑君がついておったから起ると思う。畑君の経歴——私は畑君という人を知りません。この事件があって私が法務委員会で質問をすると、それが信濃毎日新聞に簡単に出た。そのことからと思いますが、畑君が私に切々たる手紙をよこしたので、私は畑君に会った。今でもまだ畑君の全貌というものはわかりません。しかし、自分が前科者である、放火犯やあるいは置引の嫌疑をかけられたことをみずから私に全部告白しまして、いかに官憲というものが人権じゅうりんをやるものであるか、自分は今徹底的に実に不信の念を持っておるということをるる説明せられました。そこで、諸君は、この畑君の何らかの前身を、経歴を調べなさって、がぜん方針が変ったんじゃなかろうか。そこに、公安調査庁の、例の朝日新聞がいみじくも指摘しているように、商売心が起ってきた。また、共産党に届けるなんということをこの池田哲子は不用意に言っておる。そこで、もう本来の職掌柄の根性を出して、警察警察で畑君を置引の隊長くらいに考えたんじゃなかろうか。この子はその手先だ、そこで、上野駅でカバンを盗んだのもこの一味だというようなこと。しかし、それに対して証拠がはっきりあがらぬために、公安調査局と連絡をとって、これに恐喝未遂なんという、とほうもない非常識な罪名をくっつけて留置した。これをもし検察庁で起訴でもなさって、これが公判になりましたならば、あらゆる全貌が明らかになる。私も相当調査しました。さっきも上野の警察少年係まで私ひそかに電話をして連絡をとりまして、畑君の言うことが正しいか間違っておるかも調査しました。これに対しましては、諸君が考えておることと相当違ったような事実がある。しかし、本件は畑君に関しまする幾多のそういうことを調べるのが目的でありませんから、私は簡略に、あまり質問もしなかったが、畑君の前歴全部聞いております。そこに諸君の誤解が生じてきて、その犠牲が池田哲子にしわ寄せられておる。畑君が言う、池田哲子の母親に会わせるために連れていったということも、それから長野善光寺に用事があったということも、全部物的証拠でもって立証ができる状態であります。しかるに、諸君は、この池田哲子を置引の一味と考えて、また刑事の尋問が主としてそういうことに集中せられたらしい。そうして、この哲子を、とほうもない恐喝未遂なんということで逮捕している。私どもは、現在の刑事訴訟法の解釈上、よく警察なり検察庁が、ほんとうは敵は本能寺、ほかの罪名で調べたいのであるが、その罪名が、今物的証拠が明らかにないために、まず簡単な罪名によってその人間の身柄を拘束しておいて、実はその奥のものを調べるという手をしばしば用いられておるが、これは違法だということを当委員会にもしばしば指摘しておる。本件もその違法なるやり方の一場面であります。しからざればこれは納得できない。さようなことは、警察におかれましても、検察庁におかれましても、十二分なる注意をしていただきたい。他の犯罪に見込みをつけておいて、つまらぬことでひっかけて人間を逮捕しておいて、そうしてその方はそっちのけにして、ほかの事実について調べる。これは刑事訴訟法の精神から言えば違法であります。諸君にとっては便利かもしれませんが、さような逮捕のやり方というものは違法だと私は思う。さような疑いがこの件に実に濃厚なのだ。私は、それに対する一つの反省をしていただきたい。  それから、公安調査庁の長官がお見えになっておりまするので、なお申し上げたいのであるが、一体、最近のソ連の情勢及び世界の大勢から見て、破防法なんというものが、諸君のような多大の予算をとり、多数の人員を擁して、この破防法の実施を監視するような必要があるのであるか、ないか。日本の共産党も変貌しております。しかし、諸君にとってみれば、いや、そうじゃないのだ、——共産党がおとなしくなったなんということを認めれば公安調査庁の廃止論が出てしまう。昔の特高がそれなんです。特高警察の予算を減らそうという空気が出ると、何かでっち上げをやっておった。これは自己保存本能から出るかもしらぬ。しかし、そういう妙な自己保存本能を発揮されては困る。一体、この民主主義の現代において、しかも共産党そのものは合法政党として存しておる今日、なお、中国においてもソ連においても、世界は一つなりの理想のもとに親善関係を厚うせねばならぬ現代において、そんな、暗号電報だ、書類をなくすと腹を切らなければならぬというような、そういう実に陰うつな、軍国主義時代のスパイの活動余地が十分存在するようなやり方というものが、一体必要があるだろうか。私はどういう書類か知りませんが、暗号電報であったということを新聞は報道しておる。日本のこの民主主義の明るい時代において、そんな妙な暗号電報で何を一体やっていられるのか。そんな必要がどこにあるのだ。破防法の違反者が何人出ているか。今まで、破防法が施行せられてから、公安調査庁は予算の使い道がなくて困っていると聞いている。非常に予算が余っている。仕事がないんですよ。そこで、妙な暗号電報なんというものばかり発明している。そんなまた命にかかわる大事なものをとられるとは、何ということだ。はなはだあんぽんたんと申さなければならぬ。昔天皇の御真影というものがみな小学校に安置せられた。これがために幾多の悲劇が小学校の職員に起っておった。この御真影を焼いたというので校長が腹を切る。まことに悲惨なことがたくさんあった。今日御真影というものはなくなって、まことによくなったと思うのだ。しかるに、こんな暗号電報だの機密書類などがあるから、森田局長が命をかけてもなんということを言うようなことが起ってくる。そんな命をかけても守らなければならぬ機密というものが、軍事機密保護法なんというものがなくなった今日、あるんですか、一体。実に不明朗な不愉快な話だと思うのだ。  そこで、公安調査庁の長官にお聞きします。一体破防法の違反なんというものが何件今まであったか。そんな膨大な公安調査庁のような機能を一体存続する必要があるのですかないのですか。その実情を御説明下さい。
  364. 藤井五一郎

    ○藤井政府委員 今猪俣委員のおっしゃったような批判はたびたび聞いておりますが、私自身が公安調査庁の長官として見るところによると、現在日本における公安調査庁の機関としての存在の価値は十分にあると思います。また、なくてはいけないと思います。しかし、これらの理由を述べれば、お互いに議論を戦かわすことになりますし、また存在の理由を具体的に今述べることは、職務上の秘密になりますから、私はそれは述べませんが、猪俣委員と見解を異にしております。ただ、これまで破防法の違反事件があったかと言われますが、公安調査庁として団体の規正をすべき事件はまだ起きておりません。将来のことは申し上げることも今はばかります。
  365. 猪俣浩三

    猪俣委員 あれだけやかましく言って作った破防法も、実施以来数年になりますが、何も事件がない。公安調査庁なんというのは破防法を守るために存在しているのじゃないですか。しからざる以外に公安調査庁が乗り出すことから、いろいろな弊害が生じている。海外から入ってくる人に対して入国させるかどうかをまず公安調査庁が調べるとか、中ソの方向に出かけて行こうとする者をまず公安調査庁が調べるとか、旅券法とかなんとかいうものをそっちのけにして、公安調査庁が昔の特高のような働きをやっておる。私どもは特高なんというものは聞くだに胸くそが悪くなる。こんなものは民主主義の時代には必要がないと思う。今やまさに公安調査庁は特高警察のような働きをやっている。破防法のために存在しているのじゃありませんか。破防法なんというのは違反も何もない。そんなものの必要はないじゃありませんか。しかし、長官は断固として必要があると言う。それは自己保存本能からそう言わざるを得ないでしょうが、われわれは客観的に見て必要がないと思う。しかし、まあそれは議論になりますからやめます。とんだところにとばっちりが行ってしまって申しわけないのですが、何か腹切り道具のような機密書類が存在したり暗号電報が存在したりして、東条内閣時代の軍国主義に戻ったような気がしたので、つい八つ当りみたいな格好になりましたが、暴言陳謝いたします。
  366. 高橋禎一

    高橋委員長 他に御質疑がなければ、これにて終了いたします。  参考人各位には御多忙中当委員会調査に御協力下さいまして、ありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時三十四分散会