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1956-05-30 第24回国会 衆議院 法務委員会 第38号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月三十日(水曜日)     午前十一時四分開議  出席委員    委員長 高橋 禎一君    理事 池田 清志君 理事 椎名  隆君    理事 高瀬  傳君 理事 猪俣 浩三君    理事 菊地養之輔君       犬養  健君    世耕 弘一君       林   博君    松永  東君       横井 太郎君    横川 重次君       神近 市子君    佐竹 晴記君       細田 綱吉君    吉田 賢一君  出席政府委員         法務政務次官  松原 一彦君         検     事         (刑事局長事務         代理)     長戸 寛美君         法務事務官         (人権養護局         長)      戸田 正直君  委員外出席者         検     事         (民事局参事         官)      平賀 健太君         参  考  人         (東京大学教         授)      我妻  栄君         参  考  人         (東京地方裁判         所判事)    古関 敏正君         参  考  人         (財団法人精神         医学研究所付属         東京武蔵野病院         院長)     上田 守長君         参  考  人         (臼田株式会社         社長)     臼田金太郎君         参  考  人         (臼田株式会社         専務取締役)  臼田 スエ君         参  考  人         (無職)    小松みどり君         参  考  人         (日本女子大学         事務局長)   中原 謙次君         参  考  人         (村吏員)   東   諦君         参  考  人         (元日本女子大         学教授)    東 佐誉子君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 本日の会議に付した案件  接収不動産に関する借地借家臨時処理法案(第  二十二回国会衆法第五四号、参議院継続審査)  法務行政及び人権擁護に関する件(東佐誉子事  件)     —————————————
  2. 高橋禎一

    高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。  接収不動産に関する借地借家臨時処理法案を議題とし、議事を進めます。  本日は参考人より意見を承わることになっております。出席されました参考人方々は、東京大学教授我妻栄君、東京地方裁判所判事古関敏正君、以上二名の方々であります。  この際私より参考人各位にごあいさつ申し上げます。本日は御多用中にもかかわらず当委員会のためわざわざ御出席下さいまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。接収不動産に関する借地借家臨時処理法案については、すでに御承知のことと思いますが、本法律案は、駐留軍等接収された土地建物に関し、その接収解除後における借地借家関係を調整することを目的としておりますが、本日御出席参考人におかれましては、それぞれ専門立場から忌憚のない御意見を陳述をしていただきたいと存じます。なお、御意見はおのおの三十分程度にお願いいたします。  それでは我妻参考人の御意見を承わります。
  3. 我妻栄

    我妻参考人 この法案を拝見いたしますと、二つ要点を含んでおるように思われます。  第一は、借地権者土地接収中に期間満了いたしまして更新することができなかった場合または建物が滅失して対抗力を欠く場合、かような場合に借地権者保護しようとするのが三条ないし十一条、それから、借家人接収中占有を失って対抗要件を欠いた場合の保護が十三条ないし十五条でありまして、接収中の借地人借家人保護しようとするのがこの法案の第一点のように拝見いたします。  第二点は、これとは全然関係のない、違った問題でありまして、これは疎開建物の敷地の借地権者保護しようというのでありまして、十二条において三条四条を準用する、これが第二点でございます。  そこで、この二つの点について私の結論最初に申し上げますと、第一点については大体賛成いたします。それに反し、第二点には遺憾ながら賛成いたしかねるのであります。  まず第一点から申し上げます。大体賛成すると申しますのは、借地期間が経過いたしましても、建物が存在する限りは借地権更新ができるということは、借地法四条その他で規定しております。また、登記のある建物がなくなっても対抗力を失わないということは臨時処理法規定している通りであります。この二つの点、接収されていたものだから更新をするチャンスを失ったとか、あるいは建物がなくなったものだから対抗力を失ったというのは、いわば不可抗力権利の保全ができなかったことになるわけでありますから、それについて何らかの措置を講じて保護しようとすることはもっともなことだと考えられます。それが賛成すると申し上げる理由であります。しかし、大体と制限をつけましたのはまた理由があります。それは、ただいま申しましたように、いわば不可抗力で押えられていたのでありますから、その接収中は借地権期間進行を停止する、あるいは接収解除になったら一定の期間だけ猶予して建物保護法適用をしてやるというような立法をする方が一そう適切ではないだろうか。いわば時効の停止の形式というような考え方でいく方がより適当なのではなかろうか。言いかえますと、今日ではすでに立法はおそきに失するのではなかろうか。もう接収解除が徐々に行われておりまして、最初解除されたときからは相当時期が経過しておるように存じますので、ここで規定するということはいささかおそいのではないかという感じがいたします。それから、おそくなったということは、つまり第三者利害関係をその上に築き上げている可能性が多いだろう。それを一挙にくつがえすといなことが、つまりおそきに失するというように考えられます。それから、この法律はなかなか読みにくい法律でありまして、私どものように法律をしょっちゅう専門にしておる者でもなかなかわかりにくい。これは臨時処理法を踏襲しておられるのですからね臨時処理法がわかればこっちもわかるはずだということになるかもしれませんが、臨時処理法は戦後の混乱時代立法でありまして、相当不明瞭にできておるようであります。それをそのまま踏襲しておりますので、なかなかわかりにくいのです。たとえば、優先して賃借し得るという文字は、一体その前の抵当権に優先するのかどうかというような点で相当疑問だと考えられます。それから、建物保護法の第一条二項との関係も相当問題になりますが、しかし、あまりこまかな点に入るとかえってわからなくなると思いますから略しますが、要するに、規定がはなはだわかりにくくて、また疑問の余地が非常に多い。もし法律にするなら、もう少し文字を練って規定すべきではないか。臨時処理法は、ただいま申しましたように、戦後の混乱時に作られたのでありますから、それに反して今日は相当関係がはっきりしておると思われますので、いろいろな場合を研究した結果、もう少しはっきりした、疑問のない条文を作ることが適当ではないか。もっとも、私が一方ではおそきに失すると言いながら他方ではもっと練ったものを作れと申しますことは、一見矛盾であります。確かに矛盾であります。矛盾でありますが、それならどうしたらいいかといえば、現在どれだけ必要性があるのかという問題だと思います。この第一点についてどうしても争いが多くて法律を作らなくちやならぬというのなら、多少不備でも早く作らなくちやならぬということになるかもしれません。しかし、そうした事例がそれほど多くないというのなら、もっとゆっくり法律を作ったらいいじゃないか。とにかく、この法律は、一応合理性を備えているけれども、条文としてはなはだ不備な点が多いということは事実でありますから、もっと練り直すか、それとも、あえてそれをやるかということは、今日の必要性によりて決定することだと考えられますので、その今日の事情をあまりよく存じておりません私には、最後の結論は出ないのであります。それで大体において賛成申し上げる、こう言ったわけであります。  次に、第二点でありますが、第二点、すなわち本法案の十二条に規定しておるところには賛成いたしかねる、こう申したのでありますが、これはなぜかと申しますと、この法案の十二条は、臨時処理法第九条を受けておるのでありますが、この臨時処理法第九条というものがすでにはなはだしき特例だと私は考えておるのであります。この第九条は、御存じだと思いますが、前の大正十二年の大震火災のときの借地借家臨時処理法をさらに踏襲しておるようであります。ところが、大正十二年の震災のときに一つ非常に大きな問題が起きた。それは、あの当時東京都内、ことに繁華街では、土地所有者と、それからその土地を借りて家を建てている借地人と、それからその家屋を借りている借家人と、一つの場所に地主借地人借家人と三当事者が関係していたわけであります。ところが、大震火災で壊滅に帰しましたので、地主もとより借地人もぼう然としてなすところを知らなかった。ところが、借家人だけは、やはり自分の生活に関係するものであるからすぐ焼け跡に帰っていってバラックを作った。ところが、借家人家屋に対する権利は持っておりますけれども土地に対する権利は何も持たないわけでありますから、そこにバラックを作るということは法律では許されないはずであります。そこで、しばらくしてから借地人が出て参りまして、ここはおれの借地だから、お前のバラックを取り除けということを申しまして、借地人借家人との間に深刻な争いが起きまして、その当時学者の間に盛んに論争された焼け跡バラック問題といういうのがあるのであります。そこで、ちょうど借地借家調停法などがありましたので、いろいろ調停いたしまして、その解決策はおよそ二つあったようであります。一つは、借地人の方で、事情を察して、借地権バラックを作った借家人に譲ろう、そうしてバラックを認めていこう。それから、もう一つは、借家人の方で作ったバラック借地人に移転しまして、そしてそれを借りる、自分の作ったものだけれどもそれを借りるという格好で解決したところもあります。しかし、どちらの解決をいたすにしましても、いろいろ法律問題を生じました。そこで、臨時処理法の最も大きなねらいの一つは、そういう場合に、バラックを作った借家人権利を認めていこう、あるいはそれによって復興を急いでいこうというのであったと思います。要するに、大正十二年の臨時処理法でかような特例を設けましたのは、復興を急ぐ、大震火災の跡を、復興意欲のある借家人あるいは借地人によって日本復興していかなくちやならぬ、そうした緊急の目的のために、法律の原則に多くの例外を認めた特例ができたのだと言わねばならぬと思います。そこで、戦争のあとで罹災都市臨時処理法ができまして、大正十二年の震災後の臨時処理法を踏襲いたしましたのも、おそらく同じような事情があると言えるだろう。戦争で焼けた焼け野原の地所に建物を建てて復興しようとする者は、やはり借家人が一番強い意欲を持つだろう。そこで、その借家人権利保護することによって復興をさせよう。もっとも、借地人自分復興するというのなら、その方を優先しよう。とにかく、借家人なり借地人なりの復興意欲に拍車をかけて、戦後の復興をしようというのが臨時処理法の大きなねらいであったと考えております。言いかえますと、必ずしも借家人あるいは借地人自身保護しようというのではない。地主は高い地代を取っているからけしからぬとか、あるいは家主は高い家賃を取っているからけしからぬ、借家人借地人保護しようということだけが当面の目的ではない。結局においては借家人借地人保護されることになりましょうけれども、しかし、もっと大きな理想は、日本戦災跡復興というところにあった。そういうところにあったればこそ、あの特例が是認されるのだと私は考えているのであります。従って、今日この法案の第二点を見ますと、事後は全く違うのではないだろうか。もう戦後十年、わが国の経済も相当安定しております。このとき、特に借地人保護して、そうして復興させねばならぬという日本の必要はないのではないかと私は考えます。そうして、その大きな理想がない限りは、この特例をここに承継してくるべきではない、承継してくることは不穏当だと言わざるを得ないと思うのであります。ことに、この第二点のねらっておりますのは、疎開のときに相当の補償を得て譲ったのでありますし、借地権がそのときになくなった、借家権もそのときになくなったということが明瞭なのでありますから、それを復活させるということは、ますます不穏当になると考えるのであります。もっとも、御承知通り、この臨時処理法は、二十五条の二で、今日ときどき起る大きな火災とかあるいは暴風の災害に見舞われたところにも適用するようになっております。しかし、私は、あの二十五条の二でこの法律の大部分をそうした災害地適用していくということ自体、はなはだしく疑問を抱いております。もう少し何とかやりようがあるのじゃないかと思いますので、二十五条の二があるからこの法案の第二点が是認されるというわけにも参らないと思っております。  要するに、第二点は賛成いたしかねる。と申しますのは、繰り返して申しましたように、この非常な特例を承継するだけの根拠がない。この特例をあえてしてまで日本復興をはからねばならないという事情はない。従って、その半面において第三者を害するというおそれが非常に多い。この場合はむしろ常道を進めるべきではないか。なるほど、権利金を払うとか、あるいは補償を与えるということでいろいろ第三者をある程度まで保護してあるようでありますけれども、そうまでして復活させなければならないという理由は発見し得ないというふうに考えるわけであります。
  4. 高橋禎一

    高橋委員長 それでは、次に古関参考人の御意見を承わります。
  5. 古関敏正

    古関参考人 では、私からこの法案について意見を申し上げることにいたします。  ただいま我妻参考人から申されましたように、この法案にはいろいろな問題があると思いますが、大きくしぼれば、三条四条の問題と、それから十二条の問題、この二つになるかと思いますそれで、その二点についてこれから私の考えていることを申し上げたいと思うのであります。  第一に、三条四条は、土地接収された当時の借地権者が、借地権存続期間満了によって消滅した場合、それを保護しようという規定のようであります。そこで、問題になるのは、一体この借地権存続期間満了によって消滅するだろうかということなのであります。それにつきましては、まず第一に、借地権接収によって消滅するかどうかという問題がまず先にあるわけであります。この点につきましては、最近の最高裁判所判例が出ております。昭和三十年十二月二十日であります。この判例は、接収中の土地借地権接収解除までは一時的に事実上行使し得ない状態に置かれているにすぎないのだから、一時的履行不能にすぎない、借地権は消滅はしないのだということであります。それでは、消滅しない借地権が一体期間満了するかどうかということについては、この最高裁判所判例は何も触れておらない。この点につきましては、東京地方裁判所二つ判決が出ております。その二つ判決はいずれも同趣旨なのでありますが、結論から申し上げると、その期間満了によって消滅しないという立場をとっております。その理由は、土地工作物使用令の第十一条によって、権利の行使が期間中停止されるのだ、そうすると、賃貸借の期間もその接収期間中はその進行を停止するのだ、そこで、進行を停止するから期間満了するということはない、依然として借地権はそのまま存続しているのだという解釈をとっています。それで、参考資料を拝見しますと、日本弁護士連合会ではこの意見に全面的に賛成されておるようであります。従いまして、その意見をとりますと、せっかくこの法案を作っても、この法案は実は適用する余地がなくなってしまうということになるわけであります。「消滅した者は」といっていますから、それを消滅しないのだという解釈をとれば、三条四条適用余地がなくなってしまうという結果になるわけであります。そういう有力な解釈があるということを前提にしますと、この法案はこのままの形で書くのはまずいのじゃないか、少くともそういう解釈があるということをよく考慮に入れて書き直されないと、思った通り保護はかえって与えられないのではないかということが言える。  次に、第十二条の問題でありますが、私は、これは非常に疑問のある規定ではないかと考えております。この規定は、先ほど我妻参考人から非常に詳しくお述べになりましたように、臨時処理法九条をそのままで持ってこようというのであります。臨時処理法は元来権利のない者にその借地権を取得する道を与えた異例の立法であるということは疑いがないと思うのであります。と申しますのは、臨時処理法の九条では、疎開建物所有者であるとか建物借主であるとか、元来借地権に全然関係のない者にまで権利を認めているのであります。そのことは、臨時処理法がその借地権保護するという目的ではなくて、むしろ戦災後の荒廃した土地になるべく建築を復活させようという趣旨が非常にはっきりしていると思うのであります。借地権者は、疎開建物所有者とか建物借主とかと違いまして、一応そこに権利があったのではないかということが言えるかと思います。しかしながら、借地権者強制疎開の際に補償を受けているわけであります。東京の例を申し上げますと、第五次の強制疎開までは建物所有権価格、それから借地権価格を別々にはっきり取り上げまして、それでその価格を評価して補償していく。ですから、その点は非常にはっきりしておる。ただ、問題になるのは、第六次強制疎開なのでありまして、第六次強制疎開建物価格借地権価格を一緒に込みにいたしまして一本で補償しておる。そこで、第六次強制疎開については借地権補償がないのではないかということが主張されまして、そうした訴訟が東京地方裁判所にずいぶん出てきたのであります。これに対して、東京地方裁判所の大部分判決は、その補償については建物所有権価格だけでなしに借地権価格が十分に含まれて考慮されてその中に入っているのだという判決が言い渡された。この点はほとんど裁判所の確定した見解と言ってよろしいかと思います。で、現在ではそういうふうな主張をしてくる人はないようであります。そういたしますと、借地権者は、先ほど申し上げた疎開建物所有者あるいは建物借主と同様に考えて差しつかえない。現在疎開建物所有者であるとか建物借主の人々にまでこういう権利を認める方がいいという見解はちょっと困難かとも思うのであります。で、この法案ではそこまでは権利を認めておらないのでありまして、ただ借地権者だけが十二条に書かれているようでありますが、そういうふうに考えますと、借地権者だけを特にそうやって保護する実益はないのではないか、かように考えるのであります。
  6. 高橋禎一

    高橋委員長 以上で参考人各位の御意見の発表は終りました。  次に、参考人に対する質疑に移ります。椎名隆君。
  7. 椎名隆

    椎名(隆)委員 両先生に一つだけお伺いいたします。  第一点は大体問題がないので、第二点の強制疎開の問題でございますが、あの当時における強制疎開はいわば国の命令でありまして、疎開者自由意思というものはほとんど認められなかった。しかも、疎開に対する補償というものも、国で決定せられまして、きわめて少かったのであります。その補償はどこから出したかというと、結局国から出した。土地を持っている地主から出しているのではないのであります。今まで借地権が設定せられておりまして、強制疎開で国の負担によってその借地権がいわば取り去られて、そしてさら地そのものもと土地所有者にやる、もと土地所有者をそこまで国がかばう必要もないだろうと思うのであります。いわんや、戦争が終了した後においては、もと借地権者に優先的に借地の申し出をなさしめることは、むしろ社会における公平の観念から言って適正ではないでしょうか、補償をもらったと申しましても、その補償の中からは税金もとられておりますし、疎開者の手の中に入った金はきわめて少かった。いわんや、戦時補償特別法か何かができて、道路になったり、あるいは公共的の、たとえば用水等に使用せられたものはそのままになっておりますが、少くとも戦争後そのままあき地になっているという場合においては、もと借地権者にその土地を貸し与えているというのが普通の状態であること等から見ても、ひとりもと土地所有者にのみ利益を得せしめるべきでなく、借地権者疎開者に当然優先的に土地の賃借を認めることは、私は適正のように思うのですが、そうじゃないでしょうか。
  8. 我妻栄

    我妻参考人 ただいまのお話要点は、借地権を消すのに国家補償を与えて消したのだから、さら地所有者に与えると、所有者が不当な利得をするのじゃないかというお話だと思いますが、それなら、国家補償したのだから、国家制限のない所有権を得た地主から何らかの形でとるということにはなるかもしれませんが、借地人に優先的に貸させるということでは、結局タックス・ペイヤーの金で補償したのがまる損になる。もしそれが不公平だというなら、所有者から何らかの形で回収するということは考えられるかもしれない。しかし借地人地主との間で問題を片づけるというのは、必ずしも公平でないと私は思います。  それから、ちょっと御質問から離れるかもしれませんが、戦争のときには非常に多くの人あるいは日本人全体が多かれ少かれ損害を受けておるわけです。その損害が非常にひどいところも、比較的少いところもあります。そうして国家はある部分はいろいろな形で補償しておるわけですが、その補償も必ずしも公平ではないかもしれません。しかし、すぐ隣の、自分にすぐ近いところの人が補償をもらっておるから、こっちにも補償しなければ公平にならない、こう言い出してきたら、だんだん補償の範囲が多くなってしまって、結局この敗戦という日本人全体がこうむった損害国家が全部補償してやらなければならぬというところに落ちついていくのではないか。それでは日本復興ということはとうていできないと私は考えております。御質問とはちょっと的がはずれるかもしれませんけれども、しかし、やはり戦争のために多かれ少かれみんなが損害をこうむったのでありますから、それをすべてを公平にということは無理じゃないかというようなことも考えております。
  9. 古関敏正

    古関参考人 強制疎開に対する補償が少いのではないかという疑問は、今日の事態になってみまするとそういうことが考えられますが、あの当時の状態で果してそうであったのだろうかということは、私は多少疑問に思うのであります。なお、防空法九条によりますと、その補償額について不服があれば出訴できることになっております。従いまして、そういう不服の申し立ての方法もあったのでありますから、それをだいぶ情勢の違っておる今になってもう一ぺん取り上げるということには疑問がある。それから、その点を問題にしますと、接収不動産のほかのところにやはり非常に影響してくるのではないか。一応その事態というものは決着しておるのではないか。だから、それをもう一ぺんもと状態に戻していくということはどうか、私はその点疑問に思われて仕方がないのです。
  10. 椎名隆

    椎名(隆)委員 これは昭和二十七年の二月の二十五日に東京都の知事安井誠一郎から内閣総理大臣、法務総裁特別調達庁長官にあてられた文書なんですが、この一番終りにこういうことを言っておる。疎開跡地について丁疎開建物が除却された当時におけるその敷地の賃借権者は、罹災都市借地借家臨時処理法第九条の規定により準用されて、同法第二条ないし第八条の規定による保護を受け得たのであるが、接収開始が昭和二十一年九月十五日以前であった土地についてはその保護は実際上享受できなかった、立法に当っては右の保護を受け得なかった者をも救済し得るよう取り計らわれたい、というようなことで、疎開跡地についてはやはり東京都の知事も心配してこういうことを関係官庁に言うて出した。こういう事実は御承知でございましょうか。
  11. 古関敏正

    古関参考人 その点、もっと十分研究してみないと、今ちょっとお答えしかねます。
  12. 高橋禎一

    高橋委員長 池田君。
  13. 池田清志

    ○池田(清)委員 古関参考人にお伺いしたいのですが、先ほど三つの判例をお述べになりたわけでありますが、その内容はあとでお尋ねすることといたしまして、この三つの判例はいずれも各裁判所を拘束するところの判例となっておるのでありますか。
  14. 古関敏正

    古関参考人 最高裁判所判例は、御承知のように判例として最も権威のあるものでありますので、最高裁判所がこの判決を変えない限りは、下級裁判所もこれに従って判決を下さなければならない。従って、事実上拘束するわけであります。それから、東京地方裁判所判決はそういった意味での拘束力というものはございませんが、われわれが判決をいたします場合、先例がどうなっておるかということは必ず研究いたします。従いまして、そういった先例が出ておるということは十分尊重いたします。
  15. 池田清志

    ○池田(清)委員 そういたしますと、最高裁判所判例であるとお示しになりました、借地権接収により消滅せず、こういうことは、すべての裁判所を拘束するということをお伺いしたわけであります。さらに、東京地方裁判所判決といたしまして、借地権期間満了によって消滅しない、こういう言い方であったと思うのでございますが、これが両方とも最高裁判所判例であるとするならば、この法律にいうところの第三条というものがあるいは死文に帰する、こういうふうにも考えるのでありますが、その点、いかように御解釈になりましょうか。
  16. 古関敏正

    古関参考人 これは最高裁判所判例ではございませんから、また別の判決が出る可能性はあるわけであります。しかし、この通り判決が出る可能性もあるわけであります。そういうことを御考慮になって立法されないと、あとで問題が出るのではないかというふうに思うわけであります。
  17. 池田清志

    ○池田(清)委員 判例の内容についてお尋ねをするわけでありますが、接収ということによって借地権は一時履行不能になる、こういうことであります。そういたしますと、接収の継続している間は、その借地権の姿というものは、法律上から見ましてどういうふうに理解すればよろしいか、それをお伺いいたします。
  18. 古関敏正

    古関参考人 それは、借地権が実際眠っておる、行使を停止されておるという状態であります。
  19. 池田清志

    ○池田(清)委員 借地権が停止されておる、こういうわけであり、従って履行ができない、履行ができないから眠っておる、こういうわけでありますが、それならば、その接収解除されたその瞬間から借地権が目をさましまして活動はできる、こういうことに考えることはよろしいと思いますが、どうですか。
  20. 古関敏正

    古関参考人 その通りでございます。
  21. 池田清志

    ○池田(清)委員 そういたしますと、眠っていたところの借地権接収解除によりまして活動を始める、接収中は、つまり借地権といたしましては時間的の進行がないのだ、従いまして、たとえば接収される前に借地権が一年続いていたときに接収が始まり、借地権が眠ってしまって、そうして接収解除されたときになおかつ借地権の残存期間が一年あった、そういうような借地権であると仮定いたしますと、接収解除によりまして借地権が目をさまして、なおかつその後一年間有効に存続する、こういうふうに理解してよろしいわけでしょうか。
  22. 古関敏正

    古関参考人 その通りでございます。
  23. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣浩三君。
  24. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 我妻先生に一点、古関先生に一点お尋ねいたします。  一つは、所有権という物権関係、それから、そこで借地権を持っていろいろ生活関係を樹立しておる、これは債権関係になるかと思います。そこで、臨時処理法では、その貫く根本精神は、いわゆる社会における生活関係を重視して、いわゆる所有権関係よりも生活関係を重視した立法だと思うのです。そこに一つの従来の物権万能主義から抜け出した新しい精神があるのじやなかろうか。そこで、戦前の所有権者と借地権者、どちらを一体保護するか。生活関係を重視するならば、借地権者借家人保護をするという処理法の態度をとらねばならぬ。所有権というものはだんだん制限せられることが世界の将来の大勢でありますし、やはりかような大震災とか戦禍とかあることによって法律関係が進展するものだとわれわれは考えておる。そういう意味におきまして、所有権万能のような旧来の物権尊重の思想からすれば、非常にそこに割り切れない点があるといたしましても、生活関係を重視するという方向から見るならば、かような臨時処理法のような精神を持つ立法はふえるのじやなかろうかというふうに考えるのでありますが、さようなことに対して、「近代法における債権の優位」という名論文をお著わしになりました我妻先生の御所見を承わりたいのでございます。  それから、いま一点、立ったついででありますが、古関さんにお尋ねいたします。同僚池田議員の質問にもありましたが、判例があるから立法はほとんど必要じやなかろうという根本的立場であります。これは妥当であるかどうか。今御説を承わるというと、下級裁判所を覊束するところの最高裁判所判決において必ずしもしかく明白になっておると思わない。東京地裁の判決のごときは、下級裁判所判決なるがゆえに、それはその裁判所だけにとどまるでありましょう。これは法律と拮抗すべき判例ではないことは明らかであります。たといそれが最高裁判所において明らかにせられたとしましても、私どもその判決理由を詳細に承わっておりませんが、接収によって借地権そのものが眠るのだという論法は、要するに生活関係に引きずられましたる相当無理なる解釈をとっておられるのであります。しかし、私どもは、法の解釈というものはしかあるべき性格のものであって、膠着した法律そのものを実際生活に適合せしめるということが解釈の本領であるといたしますならば、それはそれとして妥当でございましょうが、ただ、さような解釈があるから立法は必要がないのだということになりますと、裁判所立法権を行使するということに相なる思想に通ずることに相なります。それですから、さような最高裁判所判例があること自体がかような法律を必要とする一つの条件を出したのじやなかろうか。そういう判決をせざるを得ないような必然性が、生活関係がそこにあるのじやなかろうか。されば、その生活関係を地盤としてこういう立法をするということは、より妥当なことじやなかろうかということも考えられるのでありますから、その辺についての御所見を承わりたい。
  25. 我妻栄

    我妻参考人 所有権万能の思想がだんだんなくなっていくというお説は私も大賛成でありまして、常にそういうことを申しております。ただ、所有権万能を押えていくといいましても、現在の法律体系を一挙にこわすようなことをしないで、漸を追うて進んでいかなければならぬと考えております。そこで、先ほども強調いたしましたように、借地権者あるいは借家権者あるいは地主、家主というものの、いわば私人間の対立利害を超越したもう一つ上の国家社会の復興のために必要だという命題を一つ持ってきて、その命題のもと所有権を押える、あるいは家主権を押えるということをなすべきであって、今日だんだん借地権あるいは借家権保護するようになるから借家人保護していいのだというのは、現在の法律組織をあまりにも無視することになりまして、法律の正しい進歩の道ではないと思います。ですから、私が先ほど臨時処理法の九条は異例だと申し上げましたことは、私の言葉が足りなくて、何かやるべきことではないというふうにお聞き取りになったかもしれませんが、私はそういうつもりではありません。第九条は非常に異例ではありますけれども、そこにわが国の復興という大きな目的を持ってきたことによってジャスティファイされる。ところが、今度の場合には、そうしたジャスティファイをする要素がないじゃないかというふうに考えるわけであります。  それから、第二点は、古関さんからもお話しになるかもしれませんが、私の理解したところでは、古関参考人の御意見は、判決があるから立法は要らぬとおっしゃったのではないと私は理解いたしました。最高裁判所判決はむろん存じておりましたが、東京地方裁判所判決はあまりよく存じておりませんでした。しかし、なるほどそういう判決が出てくる可能性があるだろう。言いかえますと、その理論にも、ただいま承わったところだけで正確なことはわかりませんけれども、相当根拠があるというふうに考えております。先ほど私は接収中はいわば時効の停止というような考え方でいくのが本筋じゃないかと申しましたのは、あたかもその考えと近いのだろうと思います。ちょうど接収中は更新もできないし、その他いろいろなことができないのだから、その間は眠っておるような格好にして考えていくべきじゃないか。もっとも、そういう考えでいきましても、先ほど残存期間一年の場合の例をおあげになりましたが、残存期間が一年あればけっこうですが、残存期間が一月かそこらということもあり得るわけです。そういう場合には、あたかも、時効の停止の場合に、停止している事由が終ってから幾らかの猶予期間を置きますように、単にその期間がそのまま生き返るのじやなくて、猶予期間を作るということが必要になるかもしれない。それからまた、この点は古関参考人が御指摘になりませんでしたが、接収建物がこわされてなくなってしまって、そして土地所有権第三者に譲り渡されたときの、法の例外になる点は、おそらく裁判所判決ではむずかしいのじゃないか。ですから、この法案の第三条四条という根本思想は是認し得るとしても、その立法技術においては、東京地方裁判所のとられたような、あるいは私の言葉で申しますと時効の停止というような考えに沿って立法するということが妥当でもあり、また必要でもあるのじゃないか、私はそう考えております。
  26. 古関敏正

    古関参考人 裁判所借地人借家人権利をできるだけ保護する態度をとっていることは、判決をごらんになれば明らかではないかと思います。私の個人的な見解を申せば、借地法規定はまだ借地人保護について十分でない場合があるというくらいに感ずる次第であります。それで、御指摘の最高裁判所判例、それから東京地方裁判所判例は、むしろ借地人保護しようという立場から判決をしているのでありまして、接収によって借地権がなくなってしまうという逆の解釈を下せば、これはもう借地人権利はそれでなくなってしまう。むしろそれがなくならないと言っておることは借地人保護している判例なのであります。東京地方裁判所判決も同様でございまして、期間満了によって消滅してしまうのだということになれば、もう借地人権利はそれでおしまいなんだ。そうではないのだ、借地人はそれでもまだ権利があるのだと言っておるのでありまして、これは借地人保護した判決だと思っております。
  27. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 古関さんは私の質問趣旨をお取り違えになっておるのじゃないかと思います。私は、そういう借地人保護する趣旨で、すなわち本法に盛られました精神をすでに最高裁判所なり地方裁判所判決で表わされておるから、本立法は不要ではないかというふうに、先ほどあなたの説明を受け取ったのであります。そこで、最高裁判所なりあるいは地裁なりに、本法と同じような精神の、つまり借地権者保護するために戦争中は借地権が眠っておるのだというような法理をお用いになったとかりにいたしましても、そういう解釈をするにはするだけの必要があって裁判所がそういう新しい解釈を用いられたのであるから、裁判所解釈にまかせずして、いな、そういう解釈が出るところに必要性が生じておるとみなして、私どもがそれを明確にするために立法をする、ことに地方裁判所判決のごときは他に覊束力を持っておりませんから、立法した方がいいのじやなかろうか、裁判所判例があれば立法は要らぬということになると、裁判所立法行為を行うような結果に相なって、国会の使命から見て妥当でないのではなかろうかという意味のお尋ねをあなたにしたわけで、裁判所借地人保護しないような判定をしたという前提で御質問申し上げたのじゃないのであります。その意味でお尋ねしたのであります。
  28. 古関敏正

    古関参考人 私は、立法はいけないのだということを申し上げたのではないのでありまして、借地権者は現行法の解釈でも十分に保護されているのではないかということなのであります。だから、それ以上の保護をなさろうとおっしやるのは、私は別にいけないと申し上げるのでは決してございません。ただ、その場合には、やはり土地所有権者の権利の均衡ということも考えていただいた方がよろしい。それで、解釈上残存期間だけ借地権があると考えられる場合に、それをその程度で保護するということだったら、そういう立法をなさるのでしたら、私は大賛成でございます。
  29. 高橋禎一

    高橋委員長 お二人のうち、どなたからでもお答え願っていいのですが、接収不動産に関する借地借家の臨時処理に関して、こういう立法をすれば、これまである他の法律矛盾するようなところがあったりしても、いわゆる特例法として接収不動産に関してはこの法律が優先的に適用されるかどうか、そこのところはいかがですか。
  30. 我妻栄

    我妻参考人 それは、条文の書き方にもよると思いますが、これを大体拝見したところでは、今委員長が言われたように、これは特例でありますから、この規定している事柄についてだけ適用になる、その限りにおいては他の一般的な適用を排斥する、こういうことになると思います。
  31. 高橋禎一

    高橋委員長 ほかに御質疑はありませんか。——ないようでありますので、これにて参考人に対する質疑は終りました。  参考人におかれましては御多忙中長時間かつ御熱心に本法案の審議に御協力下さいまして、ありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  ちょっとこの際平賀さんに私から一つお尋ねをしておきますが、法務省においては、借地借家関係規定がいろいろあるので、それを統一的に改正しようというようなお考えがあるようにも承わったのですが、そういうふうなお考えがありますかどうか、それについて何か御準備なさっておられるかどうか、その点いかがですか。
  32. 平賀健太

    ○平賀説明員 権地借家関係に関しましては、御承知通り借地借家法が基本立法としてあります。また、そのほかに民法の規定があることはもとよりであります。建物保護法、それから罹災都市借地借家臨時処理法、こういう一連の立法があるわけであります。法務省といたしましては、借地借家関係を根本的に再検討いたしまして、もっと合理的なものにする必要があるのではないかということで、現在鋭意立案に従事しておるわけでございます。特に問題になりますのは、何と申しましても罹災都市借地借家臨時処理法でございまして、これはほんとうに戦災後の都市復興という見地からそのときの一時の必要に応じてなされた立法でございますが、その後第二十五条の二というような規定が設けられまして、災害が発生するごとにこの法律適用されるということになりますと、かなり無理が生ずるのでございまして、この借地借家関係の一連の立法を再検討しようという直接のきっかけとなったのは罹災都市借地借家臨時処理法なのでございます。いつごろまでに法務省の草案作成が済むかということはちょっと申し上げられぬのでありますけれども、でき得る限り早い機会に成案を得まして国会に提出できますようにというので、今準備を急いでおる次第であります。
  33. 高橋禎一

    高橋委員長 他に本法律案に対する質疑はありませんか。——なければ、本案に対する質疑は終了いたしました。  それでは、接収不動産に関する借地借家臨時処理法案について討論、採決を行いますが、討論は通告がありませんのでこれを省略し、直ちに採決に入ります。  接収不動産に関する借地借家臨時処理法案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔総員起立〕
  34. 高橋禎一

    高橋委員長 起立総員。よって、本案は原案の通り可決いたしました。  なお、ただいま議決せられました法律案委員会報告書の作成につきましては委員長に御一任願いたいと存じます。  それでは、午前はこの程度にいたしまして、午後一時半より再開することとし、それまで暫時休憩いたします。     午後零時七分休憩      ————◇—————     午後二時四分開議
  35. 高橋禎一

    高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  人権擁護関係事件中、東佐誉子事件について調査を進めます。  本日は参考人より実情を聴取することになっております。本日御出席参考人は、財団法人精神医学研究所付属東京武蔵野病院院長上田守長君、日本女子大学事務局長中原賢次君、日本女子大学卒業生小松みどり君、村吏員東諦君、日本女子大学卒業生臼田スエ君、会社員臼田金太郎君、元日本女子大学教授佐誉子君、以上七名の方々でございます。  この際委員会を代表いたしまして参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多忙中にもかかわらず当委員会に御出席下さいまして、まことにありがとうございました。どうぞ率直に実情をお述べ願います。なお、参考人方々に念のために申し上げますが、参考人より委員への質問は、衆議院規則によりできないことになっておりますから、御了承願います。そして、御発言の際にはその都度委員長の許可を得ることになっておりますので、さよう御承知下さい。  これより質疑に入りますが、参考人方々におかれましては、最初の御発言の際に姓名、職業、住所をお述べ願います。  それでは質疑を許します。猪俣浩三君。
  36. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 武蔵野国立病院院長上田守長君にお尋ねしたいと思います。東佐誉子なる元日本女子大学の教授でありました婦人を、あなたの病院へ入院させたことがあるかどうか、あるとするならば、いかなる症状により、いかなる手続をもって入院させたのであるか、それをお述べいただきたいと思います。
  37. 上田守長

    ○上田参考人 それでは私から概略を申し上げまして、足りませんところは御質疑をいただきまして、それにお答え申し上げたいと思います。  最初に、東さんの御病気でございますが、有名な精神病の大家で、今日の精神病学の体系を作りましたクレペリーン氏が主唱したパラノイア、東さんはそのパラノイアという病気でございますので、それをまず申し上げます。パラノイアという病気は、生来性の、生まれつきの素質の上に、経験が加わりまして、体験が加わりまして——生まれつきの素質といいますものをもう少し砕いて申しますと、特別な、特殊な人格、パーソナリティ、すなわち非常に熱中的で、がんこで、比較的不平の多い性格、狂信的な性格、そういうふうな性格の持ち主に、ある体験が加わりまして、その感情的な観察と外界からの影響とが総合的に働きまして、片寄った心的な傾向が増して、それが次第に発展して、特有な妄想ないし妄想的な曲解となったものでございます。すなわち、妄想ないし妄想的な曲解を主症状といたしまする精神病でございます。本症の特徴といたしまするところは、知的な能力あるいは意思行動の変調というものが全く証明されない。そして、その妄想の内容も、皆様御存じの脳梅毒やその他の病気のように、了解不能な妄想じやございませんで、われわれノーマルな人間にもある程度了解可能な内容の妄想、それが長期にわたって存在する。そして、人格変化というものが、あるいは知能の障害が、全く認められない。それが非常な特徴でございまして、また精神医学以外の方々からいろいろな誤解を招きやすい症状でもあるのでございます。もちろん、普通の一般の精神障害者と同じように、この場合も自分の病的であるということに対する自覚は全くございません。よくなって参りますと、次第に半信半疑から、なるほど病気担った、あのときはこんなふうであったということがわかって参るようになります。いわゆる病識が出て参るわけであります。これがパラノイアであります。
  38. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そういう診断のもとに入院させて、幾日から幾日くらい入院させておきましたか。
  39. 上田守長

    ○上田参考人 入院されましたのは昭和二十九年の十一月二十三日でありまして、退院されましたのは三十年の一月十一日でございます。
  40. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこでその期間入院して、病状がなおったので退院したのでありますか。
  41. 上田守長

    ○上田参考人 全快の域までは達しておりませんが、非常に軽快して参られました。
  42. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、全快ではないけれども非常に軽快になった、もう入院せしめて他と遮断する必要がなくなった、そういう理解のもとに病院としては退院さしたのであるかどうか。
  43. 上田守長

    ○上田参考人 症状は今申しましたように非常に軽快——われわれの方では社会的寛解と申しますが、そういう状態に達しておられました。さらに、臼田さん以下のお弟子の方々から、将来ともめんどうを見る、そして今後の看病は責任を持つというふうなお申し出がございましたので、それに従いまして退院の手続を申請いたしました。
  44. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、教え子の人たちから、出たならばなおよく看病するということもあったし、非常に軽快になった、もうしゃばへ出してもいいという認定のもとにお出しになった、それは間違いありませんか。
  45. 上田守長

    ○上田参考人 そうでございます。
  46. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、一つさかのぼって聞きますが、あなたは財団法人精神医学研究所というものの何をなさっておられますか。
  47. 上田守長

    ○上田参考人 財団法人精神医学研究所の理事長でございます。それで付属病院長を兼ねております。
  48. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、財団法人精神医学研究所の理事長であり、付属東京武蔵野病院の院長である、こういうわけですか。
  49. 上田守長

    ○上田参考人 そうであります。
  50. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 荏寛という人は、どういう関係の人ですか。
  51. 上田守長

    ○上田参考人 私どもの財団法人の会長、代表者でございます。
  52. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、荏寛という人は財団法人精神医学研究所の会長、代表者であり、あなたがその理事長である、そういう御関係ですか。——そうして、財団法人精神医学研究所というのは、結局武蔵野病院というものと同じ建物の中にあるわけですか。
  53. 上田守長

    ○上田参考人 財団法人精神医学研究所と申しますのは、研究部と臨床部と二つに分れております。臨床部イコール東京武蔵野病院であります。同じものでございます。研究所の一部でございます。
  54. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは日本女子大学のPTAの会員とか理事とかなんとかという関係はありますか。
  55. 上田守長

    ○上田参考人 私はかつて日本女子大学のPTAの会員でございましたが、現在は会員ではございません。
  56. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 いつまで会員でありましたか。
  57. 上田守長

    ○上田参考人 昨年の三月までであります。
  58. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 日本女子大学のPTAの会長は、あなたが会員であった時分は何人でありましたか。
  59. 上田守長

    ○上田参考人 私が会員でありました当時は、現在私どもの財団法人の会長、代表者であります荏寛先生であります。
  60. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、あなたにお尋ねいたしますが、今説明をお聞きいたしますと、パラノイアという病気ある、これは知能には障害がない、ただ妄想を起すのだ、その妄想も理解できないような妄想ではないのだというような御説明、まことにわかったようなわからないような病気である。他からこれをかれこれ言われないようないろいろな特徴を持っている。これはあなたはその道の権威者だからそうでありましょうが、知能には大した影響がないし、意思にも影響がない、それから、妄想はあるが、それも理解できないような妄想ではないのだということで、結局、非常に熱中的で、がんこで熱心であるというような特徴、素質は明らかに出てくるわけですが、あとは、パラノイアとかいう病気は、普通の人にはちょっとわかりかねる、われわれからすれば一見して常人とあまり違わないような状態のものだと思われる。そこで、お尋ねしたいことは、昭和二十九年十一月二十三日に入院させるとき、どういう方法と手続をもって入院させたか。たとえば、東女史が自分から病院に行って診察を受けてそのまま入院したのであるか、東女史の意思にかかわらず強制的に入院させたのであるか、もし強制的に入院させたとするならば、いかなる方法と法律的な手続をもっておやりになったのであるか、その詳細をお述べいただきたい。
  61. 上田守長

    ○上田参考人 今パラノイアのことで御質疑がございましたので、もう少しパラノイアについて付加させていただきます。了解の可能と申しますのは、一応了解可能な妄想。東さんの場合は症状は非常にはっきりしておる。当時非常にはっきりしておりまして、少しく精神医学をやった者にはすぐ判断がつくような状態にあったのであります。で、このことは再鑑定をおやりにねったようでありますが、結果は私存じませんが、われわれと同じような結論に、当然、精神医学をやった人の鑑定書ならばなっておることと私は確信いたします。先ほども申しましたように、精神障害者は自分が病気であるという病識がないのが最大の特徴であります。神経衰弱とか、このごろ流行のいわゆるノイローゼと違います点は、自分が悪いのだということがわからない。それが精神障害者の最も大きな特徴でございます。従って、入院の際も、普通のノイローゼや神経衰弱の方を扱いますのと違った方法をどうしてもとらざるを得ないわけでございます。自分が悪いということがわからないからです。それをなおしてあげるにはそういう方法をとらざるを得ないわけであります。  で、普通、われわれのような病院では、患者を入院させますときには、こんなふうなやり方をいたします。一つは、まず患者の家族が患者を連れて病院においでになりますと、家族だけ部屋に入れまして、今までの症状を詳しく聴取いたします。その上で患者を招き入れまして、家族の陳述をもとにいたしまして患者を観察いたします。われわれの診察には聴診器は必ずしも必要ない。脳梅毒や動脈硬化性のものは別でございますが、こういうようなパラノイア、分裂症というものは必ずしも聴診器は必要でございません。症状や態度や着衣の様子を見たりすれば、それが診察でございます。場合によっては、質問をして、それに答えていただくというようなことをやります。それから、患者を引っ込めて家族を呼び入れまして、こういう症状でこういう病気だと思うから、こういう治療が必要だ、入院させなくちゃいかぬということを申します。そうして、家族が承諾いたしますと、同意書に捺印させまして、事務所で手続をとって、病室へ収容いたします。  それから、もう一つの方法は、患者の症状によって同行できない場合がございます。病識がございませんから、どうしても病院をきらいます。幾ら説明してもわかりません。説明すればするほどがんこに拒否いたします。そういう場合は、仕方がございませんから、家族、あるいはときには会社の同僚の方、近所の方が参りまして、こういう症状だがどうだろうという質問をいたします。話の様子、あるいは患者の書いたものを持ってこられる場合がありますが、それを見て、どうも分裂症らしいから、これは入院させなくちやいかぬ、何とかして連れていらっしやいと申しますが、どうしても連れてくることがむずかしいという場合は、できるだけ第三者にお頼みなさい——どういうわけですか、家族の言うことは聞かないで、近所の今まで会ったこともないような人の言うことを聞くという場合が、特に初期の場合妙に多いのでございます。だから、そういう人に頼んで連れていらっしゃい、あるいはやむを得ない場合には警察の防犯課なんかに相談しなさいと言って帰しまして、患者を連れてこさせます。それから見て病室へ収容いたします。特殊な場合、たとえば非常に親しい友人関係、あるいは職員の家族、あるいは職員と同じような間柄にある者、——この場合には、今申しましたように、うちの会長がPTAの会長でもございますし、非常に関係が深うございますので、この二の方をとったのでございますが、そういうふうにして第三者に頼む。あるいは、非常に関係の深い場合には、こちらから患者の扱いによくなれた職員を派遣いたしまして、家族の依頼を受けて上手に誘導して病院へ連れていく。そうして病院で診察して病室へ入れるというようにいたします。先ほどもちょっと触れましたように、東さんの場合は、第二の方法で、——地理的に非常に女子大に近いという関係もありますし、当時在学生が三名入院しておりました。それから、かつては、女子大の財務理事をやっておられる方もわれわれの方で収容しており、現在も女子大関係の患者がほとんど常に入っております。それから、児童学あるいは教育学科の人たちがしょっちゅう研究に来ており、非常に関係が深いというようなことで、東さんの弟さんに、——順序が少し逆転いたしましたが、中原先生からもあとでお話があると思いますが、弟さんによく症状をお話しいたしまして、これは非常にアブノーマルだから、入院してなお詳しく調べ、同時に治療しなくちゃいかぬということを申しますと、弟さんから、それではよろしく頼むという御依頼を受けましたので、私どもの方の、よく患者の扱いになれておりました看護員を派遣いたしまして、病院へお連れして、それから見て病室へ入れました。  アブノーマルであるとわれわれが判断いたしましたのは、女子大学当局からいただきましたいろいろな資料、あるいは今まで伺いました話、それから、われわれの方の食養課長小野さん、——この人は女子大学の古い卒業生で、私どもの病院に勤めてから五年以上になりますが、患者の取扱い、観察になれている。話が少し逆転いたしますが、東さんのところへは、今まで関係のない知らない男の者が行者ましても会って下さらぬということで、先生が行かれてもちょっとだめだ、こういうことで、ほんとうなら私が行って診察してお連れしてくるべきだが、だめだというアドヴァイスが学校御当局からございましたので、小野課長を派遣して、幸い会っていただけました。そうして、部屋の中の様子は、われわれの研究の発表機関であります業績記録の中に写真も入っておりますが、それは特有な雰囲気でございます。あれだけの教養、あれだけの能力のある方で、しかも大学教授までやられた方が、このような雰囲気の中で、——薄暗い鬼気迫るという言葉を申しておりましたが、そういう雰囲気であります。実際私もあとで行って見てそういうふうな感じがしましたが、暗くして、特定の人にだけしかお会いにならない。そういうことをよく観察して、私の方に渡してくれました。それらの資料をもとにして、そういう状態はどうしてもアブノーマルだというふうに考えましたので、まず精神分裂症、次にはさっき申しましたパラノイアじゃないかということを考えまして、弟さんがおいでになりましたので、そのときにどうしても早くおなおしをして、また教壇に復帰させるようにお骨折りをするのが本筋だろうということを私が申し上げました。その結果、今申し上げたようなことで、病院へお連れするということになったわけでございます。  話が前後したり、言葉が足りなかったところは、またあとで補足させていただきます。
  62. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたの病院では、昭和二十九年の七月以降、日本女子大学当局から東女史に関するいろいろな資料が提出されておる。そこで、そのいろいろな資料と、先ほど申された看護婦のような人の視察した報告とを照合して、精神分裂症あるいはパラノイアじゃないかという疑いから、昭和二十九年十月三十日に入院させるということを一たん決定したのではありませんか。私のこの質問は、法務省の戸田人権擁護局長の当委員会における報告を基礎にしてお尋ねしているのでありますが、さような事実があったかないか、お尋ねいたします。
  63. 上田守長

    ○上田参考人 先ほども申し上げましたように、昭和二十九年の夏以後から東さんのお話を女子大当局から伺うようになった。それまで私は知らなかった。そこで、正確な判断を得たいと思いましたために、われわれの力の及ぶ限りの範囲で資料を集めまして、先ほど申しましたような結論に達したわけでございますが、十一月二十三日に入院させるということは、十一月十九日に弟さんの諦さんが中原事務局長と御一緒に私どもの病院へおいでになりまして、その席上でいろいろ御相談して、二十三日にしようということでおきめしたわけでございます。
  64. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私のお尋ねしたのは、その前に、書類やら、あるいは小野房子の報告書に基いて、病院側では昭和二十九年十月三十日に入院ということを決定し、その決定を学校に通告したが、後に変更されて、今あなたが言うたように十一月二十三日ということになったのであるかどうか、一たん十月三十日に入院させるということを決定し、これを日本女子大学に通告したのであるかどうか、その点を聞いておるのです。
  65. 上田守長

    ○上田参考人 今仰せになりましたのは、私どうもその時分の記憶がはっきりしないのでございますが、十一月二十三日にきめましたのは十九日でございまして、これはあとから出ると思いますが、三十三条の同意入院でございますから、保護義務者の同意がなければ入院は実現しないわけでございますから、その十月三十日というのは、同意書が得られるような手続にあったかどうか、その辺がどうも今はっきり記憶がございません。
  66. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは人権擁護局から調べられたことがありますか、ありませんか。
  67. 上田守長

    ○上田参考人 一度伺いました。
  68. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 これは人権擁護局長の報告なんです。ところが、昭和二十九年七月以降日本女子大学が出した資料及び小野房子の実況報告によって、その年の十月三十日に入院させる決定をして、それを大学に通告したけれども、一たん大学もその決定に従うつもりでいたか、あるいはこれはやはり保護義務者の同意によってやったがいいという異論が出たために、それが延びて十一月二十三日に断行するようになったんだという報告なんです。それをあなたにお尋ねしているのだ。
  69. 上田守長

    ○上田参考人 今私のところに患者は五百人以上もおりますが、みな同じように、まず保護義務者の同意書が入院の第一条件でございますので、今のお話のはどうもはっきりと私ども理解できないのでございます。
  70. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 荘寛という方はあなたの上の先生のようであるが、この人は日本文子大学のPTAの会長であって、日本女子大学の当局者から東佐誉子が教室を占拠していて困ると相談を持ちかけられたとき、精神に異常があるならば病院に入院させた方がいいという意見をはいた。そういうことをあなたが荘寛から聞いたことはありませんか、あるいは学校当局者から聞いたことはないか。なぜならば、その以後あなたの病院へ学校から東佐誉子が異常であるという報告がどんどんいったはずなんだ。そういうことをあなた知っておりましたか。
  71. 上田守長

    ○上田参考人 先ほども申し上げましたように、一口に申しますと、女子大学の精神医学方面の相談機関というような立場にわれわれがおるものでございますから、精神病の疑いがある患者が出ますと、会議なんかでよく話が出ます。荘先生は評議員もやっておられますので、評議員会でよく教職員の動静などの話が出るようでございます。この前も財務理事が病気でわれわれの方に収容いたしましたときにも、財務委員会で話が出まして、これは動脈硬化性のものでありましたから、早く入院をいたさせましたために、非常にあと工合がよかったようなことがあったりしました。東さんの場合もそういう話が出まして、それでいよいよ上田に調べさせようじゃないかということで、そういうふうに順序が進んだのだろうと思います。その話は会長から伺いました。
  72. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 昭和二十九年十一月二十三日に武蔵野病院へ精神衛生法の第何条に基いて入院させたのでありますか。
  73. 上田守長

    ○上田参考人 三十三条の同意入院です。
  74. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 三十三条の同意入院をさせるには、必ず精神医の診察が必要だ。強制的に同意入院させる前にいかなる診察をなさったのであるか。
  75. 上田守長

    ○上田参考人 先ほども申し上げましたように、われわれの方は、普通の一般の人が考えられているように聴診器を当てることが診察ではございませんで、すわって話しているとか、顔を見ているとか、これが診察でございます。それで十分われわれはわかります。特にこういうふうなパラノイアのような場合には、書かれたもので思想内容が非常にわかるもの、ですから書きましたものを調べることを重点的に診察の手段といたします。この場合は、病院へ連れておいでになりまして、自動車から降りられて玄関まで上ってこられるこの間の動作その他を待ち受けておりまして詳しく調べまして、それが事前にいろいろ調査しました資料と全く合致する、間違いないという確信を得ましたので、病室へ収容いたしました。
  76. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今あなたは玄関で待ち受けたとおっしゃったが、しからば、東佐誉子が学校から病院へ来ることを学校と打ち合せ済みのはずなのだ。そうすると、あなたが診察しない以前に東佐誉子は自動車に連れ込まれて病院へ運ばれたことになる。それはいかなる精神衛生法の強制手続によったものであるか。あなたが一べつして診察したということに対して人権擁護局長の報告は非常に疑惑的であります。そんな方法で診察したということに対して非常に疑義がある、報告は否定的です。あなた方は精神専門医の特権を持っておって、それを乱用せられるおそれがあるがゆえに、当法務委員会の活動になった。それは、普通の病人のように、聴診器を胸に当て、あるいは脈博を見て診察はしないかもしれません。しかし、玄関でさっと見て、それで診察は終り、そんなばかなことが幾ら精神衛生医であっても許される道理がない。たとえ許されるとしても、あなたが一べつする以前にそこへ連れ込んできたのは、いかなる精神衛生法の規定でやっているのであるか。待ち受けていたという話だから、あなたと連絡の上やったはずだ。それは第何条に基いてやったのですか。それをお聞かせ願いたい。
  77. 上田守長

    ○上田参考人 先ほどから再三申し上げておりますように、入院させる手段に二つあります。第二の方法は、特殊な患者に対する好意的な取扱いとして、われわれの方は家族に協力するという建前でこういうふうな方法をとる。常にそういうことを今までやっておりましたのです。そういう意味で、玄関までお連れになるのは、それは弟さんの依頼を受けて、弟さんの代理でわれわれの方へお助けしてお連れになった。玄関からは私どもの責任でございます。初めての患者さんを、顔を見て、玄関から入ってくるまでの動作を見て、われわれに対する応接の工合を見て、それで判断する、それは、ある場合は可能かもしれませんが、それは不可能であります。その以前に、七月以来いろいろな資料を集めておりますし、そういう資料をもとにいたしまして、その上でそれを確かめるということで今のような方法をとったわけでございまして、私の方の専門から申しますと、それでいいのでございます。
  78. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、あなたの証言は、その病院へあなたが一べつするまで連れてきたのは、弟さんが連れてきたのだ、こういう主張ですね。これは事実と違うのだ。あなたは違うということを知っているはずなんだ。だれが連れてきたのですか。確かに弟が連れてきたのですか。弟さんが連れてきた、こうあなたは理解しているのですか。弟さんと連絡の上で、あなたがそこに待ち受けていたのですか。連れてきたのは何人なのですか。それをお聞きしましょう。自動車に乗せて東女史を運んできたのはいかなる人物であるか、あなたは知っているはずです。だれとだれなのですか、それだけ先に答えて、その先を説明して下さい。
  79. 上田守長

    ○上田参考人 今まで申し上げましたことでお答えは尽きていると思うのでございます。十九日においでになりましたときは三人で御相談してきめましたので、弟さんがよろしく頼むという順序をとりましたので、中原事務局長からあとで御聴取願えれば一そうよくわかると思いますが、十九日に中原事務局長と東諦氏と三人で会談いたしまして、その結果、弟さんの御依頼で、よろしく頼むということで、さっき申し上げました第二の方法、特にこの関係の深いという間柄の方法をとりまして、患者の扱いにごくなれております専門の看護員、それは長く病院に勤めておりまして精神障害者の取扱いに熟達しております者を派遣いたしました。それで、弟さんのかわりに、弟さんは女子大学の中におられたようでありますが、それでお連れになりました。それで、待ち受けておりましたのは、自動車が女子大学をすでに出発したという電話がありましたので、なるべく刺激しないようにできるだけの方法をとらなければいけないということで、玄関でそれとなく待ち受けておりました。それでよく観察いたしたわけでございます。
  80. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私があなたにお尋ねしたのは、そんな前後の事情ではないのです。あなたが玄関に待ち受けていたでしょう。そうすると自動車に東女史が乗せられてきたはずなんだ。そのとき東女史と自動車に一緒に乗って運んできたのはだれとだれで、中原賢次君がいたならいた、そのほかだれとだれがいたかとお聞きしているのです。わからぬならわからぬでいい。わかるならおっしゃって下さい。あなたが待ち受けていた。そこにすっと自動車が入ってきたのだから、一緒に来た人はわかるはずなんだ。それをお尋ねしているわけなんです。
  81. 上田守長

    ○上田参考人 今まで再三申し上げているのですが、迎えに行きましたのは熟達した舟山、徳江、高田の三人の看護員であります。
  82. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 再三と言うけれども、名前は今初めて言ったのじゃないか。  武蔵野病院の院長さんに申し上げますが、当法務委員会は精神衛生法の問題としてこの事件を取り上げております。何も東女史に関して恩怨はありません。ただ、当法務委員会では、人権問題を取り扱っている委員会なるがゆえに、この精神衛生法を悪用せられまするとゆゆしい問題を引き起すがゆえに、今委員諸君が熱心に検討しておられるのです。その立場に立って、あなたは、あることはある、ないことはない……。自分もまた人間、間違いのないことはありません。どこまでもあなた方の間違いを追及するという意味ではありません。精神衛生法はこのままでよろしいか、何か改正する点があるであろうかというようなことも検討しなければならぬのでお尋ねしているので、その意味においてお答えを願いたい。  そこで、精神衛生法の三十三条は診察を要する。その診察は患者を見ればよろしい、——それは、普通の病気と違いますから、さような場合もあろうと思いますが、真に診察的に見たということと、ただちらっと顔を見たということでは、意味が違うと思う。それで診察というものが済んだということが精神衛生法の趣旨だとすれば、これは改正しなければならぬと思う。そういうことで一体通るものか通らぬものか。それが通るといたしましても、今あなたは特別の関係の人が病院へ連れてくるということをおっしゃった。それはあるでしよう。そこへ何人が連れてきたかをあなたに尋ねている。あなたは名前をおっしやらないから、再三私が尋ねたわけなんです。どういうわけで名前をすっと最初出さなかったか。練達堪能の看護員なんと言っても、私どもはわけがわかりません。何という看護員であるか、おっしゃっていただかぬと、この委員会はそういうことじゃ通らぬのです。あなた方が病人を説明をするような工合じゃ通らぬのです。もっと正確に言わぬと……。そういう心組みで御答弁願いたいのです。  そこで、なお、この三十三条によって入院をさせた、これは保護者としての弟さんの同意によって入院させた、それはよろしい。入院させると、あとはどういう手続をすべきなんです。
  83. 上田守長

    ○上田参考人 入院させますと、今申したように、診察をいたしまして、それから病室へ収容させます。病室は、御存じだと思いますが、精神科の病室はロックしてあります病棟でございます。そこへ入れます。入れますと同時に主治医がきまります。受持ちの医者がきまります。それで、普通の場合は、受持ちの医者ができるだけ早く病室に行きまして、なお詳しく診察をしまして、病床日誌なりもその際多くの場合記入するわけでございます。それで、その後その結果を私並びに副院長が定期的に回診をいたしますし、この場合は特殊な例でございますので、私自身が、初めは本人のほんとうの姿を、ほんとうの生活の姿を知りたいために、本人がわからないように、本人が気づかないような方法で、看護婦に聴取いたしましたり、私が参りましたりして、本人の様子を観察し、それから今度はつつ込んで一時間以上にもわたっていろいろ問答をいたしまして、それで診断の根拠を一そう確かにする。その上で、副院長、それから主治医と相談いたしまして、治療方針を立てる。治療方針は、東さんの場合は、まず一番ありふれた精神分裂病の妄想型というものを考えて、ポピュラーな病気をまず考えるのが普通のやり方でございますから、考えまして、どうも分裂病の妄想型では少しおかしいということで、それは経過を——ちょっと先の方ではっきりしておるということと矛盾して誤解を招きますが、分裂病の妄想型とパラノイアというものの区別が経過を見ると非常にはっきりする。ある区間の経過を見るとはっきりする。ですから、最初病床日誌なんかには精神分裂症の妄想型というふうに記入してありましたが、病状がやや似ておる。ある時期は非常に同じようで、経過を見ていると、日時を経過している間にパラノイアはパラノイアの特徴をはっきり出してくるということになっておりますので、これはパラノイアということで治療方針をきめて、この場合の治療方針は、できるだけ外界との交通を遮断して精神的な安静をまず守らせる、特殊な衝撃療法なんかはやらない、精神的な安静を守る、そうして沈静を待つといういき方がよろしいということで、主治医にもその旨を指令いたしまして、その方針で参ったわけであります。
  84. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 病院内における手続はわかりました。それから、精神衛生法に対する手続はどうなさいましたか。
  85. 上田守長

    ○上田参考人 これは、この前に、入院いたしますと、同意書は十九日に二十三日の日付でもらってございますが、それが入院手続の法的の第一でございます。それは唯一の保護義務者の弟さんのをいただきましたので、それから十日以内に入院届を——これは、最初は自費同意入院でございますから、入院届を出すことになっております。この場合は、事務職員が病気のために遷延いたしまして、これは非常に不首尾なあれでありまして、私ども管理者の責任の立場にある者の監督不行き届きであることを認めるのでございますが、非常に入院届がおくれまして、これは東さんだけではございませんで、ここにも資料がございますが、そのほか二、三例同じような遅延した例がございます。これは私どもの方の監督不行き届きでございますが、その後、こういうことのないように都の優生課長よりの通告もございまして、厳重に注意しておるのであります。それで入院届をいたしました。
  86. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 すると、精神衛生法第二十六条によって、保護者の同意入院をした際には、そういう措置をとったときには、十日以内に左の事項を入院について同意を得た者の同意書を添えてもよりの保健所を経て都道府県知事に届け出なければならないというのを、あなたはこの手続を東女史が退院する日にやっておったということを人権擁護局長は報告しておる。非常なルーズなやり方だと思うのですが、それに対してあなたは今後大いに注意すると言うから、それ以上は追及しません。それというのも、あなた方が人権保障ということについての観念が薄いところから来るのです。そこから弛緩が生ずるのです。  そこで、第一の東諦の同意書をとるというのは、あなた自身が東諦さんに会って病状を説明して、そうして同意書をとられたのかどうか。
  87. 上田守長

    ○上田参考人 先ほども申し上げましたように、中原事務局長と御一緒に話し合いをしましたときに、病状の説明をしまして、入院の必要があるということで、必要があるならよろしく頼むということで、その際に二十三日の日付で同意書をとったわけでございます。
  88. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは、精神衛生法三十三条によって親族の同意入院をさせた。ところが、翌月の十二月九日に精神衛生法二十九条の強制入院に切りかえておる。この理由を説明して下さい。
  89. 上田守長

    ○上田参考人 御説明申します。初め同意入院で入院させまして、それからいろいろ東さんの様子を拝見いたしますと、さしあたってお困りになっている様子はないのですが、非常に豊かであるとは申しかねるような状態にあると私が判断いたしましたので、なるべく経済的な負担を軽くしてあげたいということ、それが第一の理由、それから、精神的な症状から申しまして、これはいろいろ問題があるかもしれませんが、あとからまた御説明いたしますが、精神的な理由からいたしまして、二十九条適用に該当する症状がそろっておると私が考えまして、都に申請いたしたわけであります。都当局は、私どもの記載した精神衛生鑑定書を承認されまして、そして入院許可の指令が発せられたわけでございます。ですから、第一の理由は、経済的な負担をできるだけ少くしてあげようということ、第二は、私の考えで都に申請いたしました鑑定書に書いてありますように、症状が二十九条にあげております症状に該当するというふうに考えまして、それを都の優生課長が、これは精神病の専門家でございますが、これを認定いたしまして、二十九条の申請の許可をしたのであります。それで、自他に損害を与えるような心配がない状態にある患者になぜ二十九条を適用する必要があるのかという疑問が当然起ってくるわけでございますが、今までの慣例といたしまして、在来、われわれの病院、どこの病院もそうでございますが、慣習的にこのような手続をとって参っておるのでございます。二十八年度はこういう患者が四名おります。二十九年度は七名、三十年度は一月から二月までの間に四名おります。いずれも健康保険あるいは自費、生活保護法から在院中に二十九条に手続を変更したものであります。     〔委員長退席、池田(清)委員長代理   着席〕
  90. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そういうとほうもないようなことはないと思うのです。あなたは二十九条を御存じでしょう。どういうことになっておりますか。これは、精神病としても非常に程度が進んでしまった場合で、さっき説明されたようなパラノイアというような状態の場合ではないのだ。これは自分を傷つけ他を傷つける凶悪な非常に程度の進んだ場合なんです。そういう場合に都知事による入院措置をとられるのが二十九条だ。全くの危険な狂人だから、その狂人が入院費があろうがなかろうが、社会防衛のためにこれを公けの費用で入れなければならぬ規定じやありませんか。いやしくも文部省の留学生として外国留学までして長い間大学の教授をやっておった人が、この二十九条の適用なんか受けるということになったら、精神的に死刑じゃありませんか。金の心配、それは、病院が金を取りはぐれちゃいかぬと思って、病院の経費から考えたのでございましょうが、もし弟さんがどうしても姉の病気をなおさなければならぬと思って同意したならば弟さんもいるでしょう。また、学校も、それだけ真に病気をなおしてやろうという同情心であるならば、三十年も教べんをとっておった人だ、病院の入院料くらい負担したらよかろう。病院が経費をとりはぐれては困るというので、本人に何にも相談せずに、——あなたは負担力があるかないかを本人に相談しましたか。本人が払えないと言いましたか。何もせずして二十九条というようなことは、相当の社会的地位ある者に対しては致命傷じゃありませんか。自分を傷つけ他を傷つける狂暴性のある患者というふうに認定して入院を継続する。しかも、あなたの今の言葉によれば、狂暴性あることがちゃんと備わっておるということになる。最初同意入院で病院へ入ってから、あばれたり、看護に当る者を傷つけたり、自分みずから自殺をはかったり、さような行動があったかなかったか、御証明願いたい。
  91. 上田守長

    ○上田参考人 将来の精神衛生法の改正の御参考になる重要な点だと思いますので、ここのところをもう少し御説明いたします。  法文にございますように、自他の生命、自由、財産等に害を及ばす行為というのがこの適用症状でございますが、その限界を精密に示すということは精神医学的にはなかなかむずかしいことだと思うのでございます。本例のようなものはそのボーダーライン・ケースでございまして、学校の校舎を——これは公けの建物です。その中に研究室——研究室と称しておられたかもしれませんが、教室でございます。黒板があるし、実習用のなべがありますし、教室でございます。そこにおられて、学校当局者が入っていくことができない、生徒も一般の生徒は入れないというような状態に置くことは、公けの財産に損害を与えるというふうなことと私は解釈したわけでございます。都当局もそれに同意されて許可指令が参ったものと私は思いますが、このようなのはボーダーライン・ケースでございまして、その妥当性は専門的な経験のある者によって判断すべきものではないかと思うのでございます。  それから、入院料を取り立てることができないかどうかという御質問でございましたが、私どものは、営利事業ではございませんので、私立の研究所では日本の唯一の研究施設でございます。国立精神衛生研究所と並んでわが国で二つの総合的な研究機関で、年間八百万円から純粋の研究に使って、われわれは研究を進めておるであります。こういうふうな学問的に優秀な方の治療をするのに、われわれは決して費用は惜しみません。ですが、どうも長期になりはしないかという疑いがある。また、できるだけ経済負担を少くしてあげようというのが、われわれの普通に入院されると同時に考えておることでございます。それを私どもは東さんの場合に適用したわけでございます。
  92. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなた方はそういうとんでもない解釈をする。そこで、実は重大問題としてこの精神衛生法の問題を当委員会が取り上げたのです。教室を占拠しているということが、いわゆる三十九条の狂暴なる他人の財産を侵害する、自己または他人の身体を侵害する、こういう狂暴性ある精神病者だと認定されたらどうなりますか。家賃を滞納して家屋の明け渡しをしないようなたな子、諸君と連絡ある家主ならいとも簡単にでき上る。家主の家を占拠して、どきもせぬし、家賃も納めない、これは財産を侵害するものだ、そこで諸君が一べつしてああこれはパラノイアだと判断されたら、——パラノイアなんて、何が何だかさっぱりわからない、実にデリケートな病気らしい。そうすると、みんな、家賃不払いのたな子や、家にがんばっているたな子は、民事訴訟なしに病院に収容されてしまう。明け渡しを断行されてしまう。実におそるべきことになるのです。それでこの問題が今問題になっているのです。あなた方はわれわれが心配した通り解釈をとっておる。財産の危害なんというのは、立法の全精神から見ても、狂暴で荒れ狂い、さら小ばちをぶちこわしたり、火をつけたりするようなことを言うのでしょう。全精神からわかるじゃありませんか。ある部屋を占拠して出ないというような者を、他人の財産を侵害する者だと称して、精神病だ、二十九条だというのでは、実に重大な人権侵害が起るのです。あなた方、そう思わないのですか。一体、精神病医学者というものは絶大な権力を持ち、私などこわくてたまらない。猪俣なんというのは、あなた方一べつしてもちょっと変だと思うでしょう。ちょっと入れちまえなんということになったらどうなりますか。私は政治家としてそこにで生命を失ってしまいます。政治家で相当の社会的地位にある者、そうじゃありませんか。諸君のさじかげんでもって精神病の烙印を押されたらどうなりますか。学校の先生なんというものが精神病院、しかも事もあろうに第二十九条の自己または他人を傷つける狂暴な精神病患者だなどと判定せられて入院させられたら、その人はどうなりますか。あなたはもっと長期の治療を要する人物なんということを言っておるが、本人は、出て、現在でも至るところに講演をして、二三日前にも広島から料理の講演をして帰ってこられた。それを長期の療養を要するなんと認定をしておる。おそらく、これが問題にならなかったら、東さんは相当年限あなたの病院に閉じ込められて、病院はちゃんと二十九条の手続をしているから経費には事欠かぬ、そうすると、そこへほとんど半生閉じ込められないとも限らぬ。先般やはり法務局が発見した事件で、岩手県に二十四年六ヵ月間座敷牢に入れられた人間が見つけ出されておる。私どもはゆゆしい問題だと思う。この精神衛生法の二十九条にいう他人の財産を侵害するというようなことを、ある場所を占拠している者にまで及ぼして解釈し、そうして、二十九条に該当する、これは私はおそるべき思想だと思うのです。しかし、精神医学者がそんな考えを持っているとするならば、私どもは精神衛生法というものを徹底的に直さなければならぬと思う。乱暴きわまることじゃありませんか。  しからば、なおお尋ねします。二十九条の手続をするには二十七条の手続が要るはずだ。それはどうしておとりになったか。
  93. 上田守長

    ○上田参考人 二十九条は、精神衛生鑑定書を作りまして、それを都に提出すればよろしいわけでございます。  それから、先ほどの診断のことでございますが、われわれの診断が軽卒であり、また誤まりがあるのじゃないかというお疑いもあるようでございますが、警視庁に当時の状態をいろいろ書かれたものなどもあるはずですから、いろいろな方にごらんいただければ、どなたも私と同じようなことを申されるのじゃないか、そういうふうにかたく信じております。診断に対しましては私どもは絶対な確信を持っておるわけでございます。
  94. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 今問題になっているのは二十九条の問題です。二十九条の都知事の強制入院のような病状の人物であったかどうか、それは、精神病学者が見れば、近ごろはみな多少変な状態になっていると思う。同意入院さしたことは、これまた問題でありますが、それはさておいても、諸君が、二十九年の十二月九日、第二十九条の狂暴性ある精神病者としてこの哀れな女史を入院せしめた、それが一体妥当であるかどうかということが中心課題なんです。それは、あなたに言われなくとも、ほかの精神医学者にも当委員会として相談しなければならぬと思いますが、ただ、精神病医学者というのには系統派閥があって、同じような派閥の医者というものは、前者の見立てについてそれを否定することをしないことは常識なんです。だから、あなた方と同じような系統の精神医学者なんかに見せたって、そんなものはだめだと思うのだが、それはこちらのことで、適当な手段をとりますが、問題は二十九条です。二十九条のような病状があったということは私どもは納得できない。いかなる狂暴性があったかといえば、教室を占拠しておったことが他人の財産に損害を与えたなどという解釈をとっておられるのは、おそるべきことだと思う。あなた以外の精神病の医者はみなそういう解釈をとっているでしょうか。それは容易ならぬことだ。  そこで、二十七条ですが、これを見れば、精神衛生鑑定医をして診察をさせなければならない、そのときには都道府県知事は当該吏員を立ち合わせなければならない、そういうことが書いてあるが、かような都庁の吏員立ち会いの上であなた方は鑑定されたかどうか。すなわち、三十七条の要件をちゃんと履行なさったかどうか。
  95. 上田守長

    ○上田参考人 私は厚生大臣の任命した精神衛生鑑定医でございます。それから、私どもの病院にはそのほかに二名おります。それで、これには二名の鑑定書が必要なわけでございます。それから、当時は、私の方でこういう患者がおるということを申請いたしますと、都の吏員が私どもの方にやって参りまして、そしてその立ち会いの上で診察して鑑定書を書く、条文通りのことをやらなくてはならないわけでございますが、当時の東京都衛生局優生課の事情は、私詳しいことは存じませんが、予算その他のいろいろなことがございまして、手続を大分省略しておられたようでございますが、現在は規定通り非常に厳格にやられております。
  96. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 みんな、精神衛生法の規定さえ順守せずに、東京都も病院もやっておる。そうしてとほうもない解釈をしている。そうして気違い扱いして入院させておる。私はそこに非常に人権侵害の事実が多いと思う。精神病医学者が人権の何ものたるかを深く理解したいなら、おそるべきことが発生します。学校の教室占拠の明け渡しの手伝いを精神病医がするようなことがあったら、どういう弊害を起しますか。今あなたに尋ねても、あなたは言われぬかもしれませんけれども、人権擁護局においては、諸般のいろいろな人間を調査した結果、これは教室明け渡しのための手段としてやったものと思われるという断定を下されておる。あなたは、大病院の院長でありながら、そういう不法なることの片棒をかつがれた。私は実にここに重大な問題があると思います。そういう責任を痛感なされなければいかぬと思う。単に何とかしてやろうと思ったなんというようなことから、狂暴性のある患者というような取扱いをする点は、人の人格とかそういうものに対して実に軽く考える、そこににあなた方の失敗の原因があるのです。何とおっしゃっても、周囲の事情から、日本女子大学のPTAの会長荘さん、あなたはその荘さんのもとに働いておる方、そして学校からは荘さんやあなた方に東女史のことを訴えられて、困ったあげくの手段として考案されたことは明らかです。大病院の院長がさような行為に加担されたということは遺憾千万です。そして、いかに精神衛生法というものがずさんなものであるか、そして精神鑑定医というものがいかに絶大な権力があるものか、私はおそろしくなってきた。私は大いに反省していただきたいと思うが、あなたの御所見を承わりたい。
  97. 上田守長

    ○上田参考人 私が明け渡しに加担したというお言葉でございますが、これは私非常に心外でございます。私は何も明け渡しに加担する必要もございませんし、それほどまで女子大にお手伝いする必要もございません。純粋に、こういうふうに優秀な才能——知能指数なんか非常に高うございます。私の方でテストをいたしましたが、私ども心理学の研究室がございまして、心理学の専門家が大ぜいおります。自分で申すのもおかしゅうございますが、いろいろの研究設備も整って、日本でも有数のものであります。そこで東さんのいろいろなパーソナリティ・テストをやりまして、非常にすぐれた方であるということを私も百パーセントお認めいたします。こういうふうな優秀な方を何とか一つ——あの暗い教室の中で、いろいろな御祈祷の紙が張ってあります。護符がずっと張ってございます。妙な実験台のそばで、妙な非常にきたないすわり机の上でものを書いておられます。ほこりが山積しております。押入れの中に板をしいて寝ておられます。ろうそくを立てて、非常に危いことだと思います。入ったときはガスが漏れてにおいがしておりました。そういう中でお暮らしになっておっては、ほんとうの働きはできない、何とかしてお助けしてあげなくてはいかぬ、これが私の心からの念願でございます。従って、私どもがとりました手段は、何とかして一つということが私のこのような処置をとりました動機でございます。誤解のないように重ねて一つ私から強調をいたします。
  98. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたの言うのは承わっておきますが、入院した東女史にあなたがお尋ねなさったときの言葉、あなたの態度全部から判断して、あなたの今の言は信用できません。しかし、これは主観問題ですから、あなたの主張として承わっておきます。あなたは女子大学の衷情を聞いて相当協力なさったと私は判定する。それはあなたは東女史にはっきりおっしゃった。これはそのままとして、臼田金太郎さんにお尋ねしたいと思います。
  99. 池田清志

    ○池田(清)委員長代理 臼田金太郎さん、御性名と住所と御職業を御発言願います。
  100. 臼田金太郎

    臼田(金)参考人 臼田金太郎。四十九才。東京都太田区馬込東一丁目千二百三十六番地。ピーチガム本舗臼田棟式会社取締役社長。
  101. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたには、またあとで聞くことにいたしまして、一点だけお尋ねいたしますが、先ほど武蔵野病院の院長さんは、退院したのは三十年一月十一日ですか、病気も大体よくなった、それに看護に当る者もおると言うし、出していいと思って出した、こういう報告をされている。ところが、東佐誉子をとにかく退院させてくれろと言って同級生が面会に行っても、会わせない。教え子がみな泣きながら面会に行っても、会わせない。退院もさせない。そこで、東先生の教え子であるあなたの奥さんの願いによって、あなたが交渉に行かれた。そして退院を迫られたことがあると思うのですが、そのときの模様、それから、院長があなたに対してどう言ったか、それを御説明いただきたいと思います。
  102. 臼田金太郎

    臼田(金)参考人 私が女房から東先生が入院しておられることを聞きまして、女だけでは話にならぬからといって、私が病院に出かけました。それは十二月の二十九日と記憶しております。そして上田院長に名刺を通じましたところが、上田院長は私の顔を見て、やあやあ私は臼田さんは知っていますよと言って、非常に親しげな話しぶりで私に応待せられました。私はこれだったら私たちの念願も聞き入れてもらえるという希望に沸いたのでありますが、応待しました話のいき方が、全然われわれの言うことも聞かないし、自分の学問的に割り出した、パラノイアが何であるか、あるいは東先生がこういう状態であって、今は面会もできないということで、徹頭徹尾押しまくられました。それで、その話の間隙を縫いまして、どうぞ、われわれ教え子の人たちが正月だけでもせめて私たちの家で迎えさせてあげたいと言っている、そんなに悪い先生であったらなおさらわれわれはあたたかく迎えてあげたい、正月だけでも出してくれということを私はお願い申し上げましたが、それも先生は聞いてくれませんでした。では一目面会させてくれということを頼んだのですが、だめだ、これは保護患者であるから絶対に面会などはできぬと言って、けんもほろろに私たちは拒絶されました。それでは、なおこの先生を退院させるにはどういう方法をとったらいいかと聞いたら、最後に、近親者の承諾書があれば退院もさせられると言われたので、それでは、一月の十日ごろに何か電気治療をして先生にひどい衝撃を与えるというようなことを聞いておりましたが、この電気治療だけは待って下さいよ、必ず弟さんなり何なりをいなかから呼んで先生の退院できるように手続いたしますから、それまで過激な治療というものはやめさせて下さい、     〔池田(清)委員長代理退席、委員長着席〕 面会もさせていただけないなら、残念ながらきょうは帰りますけれども、どうぞ先生に対してこれ以上の治療とか圧迫というようなことはやらないで下さいとお願いして私が帰ったのであります。ただいま、上田院長が、非常に同情的に東先生の将来を考えられて、学校とも御相談の上、好意的に、よかれかしと、今の三十九条か何かの方法を適用された手続をとられたとおっしゃいましたけれども、私たちの会った感じは、全然うそであります。私は、会った瞬間、これは何かあるなということを予感いたしました。なぜならば、初対面の私に、上田さんが私の顔を見て話をするのに、ぶるぶるふるえておりました。声までふるえておりました。何であなたはそんなにふるえるのですか、私はおどかしに来たのではありませんよ、どうしたら東先生を助けられるか、御相談に来たのです、力になって下さいと、私は事を分けてお願いしました。それにもかかわらず、けんもほろろに私は拒絶されたのでありますが、そのときの状態からいきまして、上田先生が今おっしゃったような、すべて同情的に東先生のためによかれかしとやったことであると言ったことは非常に私は不満であります。
  103. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、あなたが、退院させてくれろ、せめて正月だけでも家でやらしてくれと言ったときに、まだなおっておらぬ、重態であって会わせることも出すこともできない、こういう話でありましたかどうか、もう一ぺんそれを言って下さい。
  104. 臼田金太郎

    臼田(金)参考人 せめて正月だけでも私たちの家で引き取ってあたたかく迎えさせてあげたい、そうすれば案外冷静に返られて、もとの先生になるのじゃないかということをお願いしたのでありましたけれども、今は面会することもできぬ、またそういったことによって病状が悪化することがあるといかぬから、会わないで帰ってくれということで、ついに会わしてもらえませんでした。
  105. 高橋禎一

  106. 犬養健

    犬養委員 私はこの事件については深い知識は持っておりません。従って、いずれの方にも先入主というものがない一人でございます。今朝から私の尊敬しておる猪俣委員の説明によりまして概略を伺いまして、ぜひ人権擁護立場から参考人の皆さんのお話を伺いたいと思う一念のみでここに伺った者でございます。  それにつきまして、ただいま参考人の上田院長のお話を伺いまして、まことに残念な申し方でございますが、伺えば伺うほど、精神衛生というものについての専門家の取扱い方について、社会人として国民として不安に思う点がございますので、しろうととして伺いますが、何とぞ懇切丁寧に御説明下さいまして、私のしろうとの蒙を開いていただければ幸いだと存じます。私、ときにはあなたに対して人間として意見がましいことを申し上げるかもしれませんが、これひとえに精神病者という世にも不幸な方々をできるだけわれわれ社会の共同責任としてあたたかくその身になって扱う世の中にしたいと思って伺うわけでございますから、二、三無礼なことを伺うかもしれませんが、御了承願いたいと思います。  率直に感想を申し上げますと、最初にあなたが、御当人の東さんと同席御承知の上で、病状を説明なさいましたその説明ぶりに対しては、名医としての尊敬を持ち得ないものがございました。いかにも自分は正しいことをしたという御主張の方が急いでおられるような印象を受けたことをまことに残念に思っております。その点から、まず私は予定外の質問通告をいたしたのでございます。私は、環境からしまして、いろいろお医者に知己を持っております。親類にも多く知己を持っております。それらのお医者に友人あるいは肉親の縁の者についての病状を伺いますときに、なぜ病気が起ったか、人間の環境において、無理もない点も、必ず体験の多い円熟したお医者さんならば御説明願えるのでございます。従って、あなたの場合も、東さんのもっともな点、たとえば長年教鞭をとっておられた学校から急に待遇が変ったというような点で、特に御婦人でもありますので、感情の激した点は、そういう環境を除去したならば、病状としてでなく、もっと普通の状態に戻られる部分もあるのではないかというような点について、あなたの度量の広い御説明を予期しておったのでございますが、遺憾ながら、猪俣委員が質疑される前後を通じ、一貫しまして、そのお言葉あるいはニュアンスというようなものを一言も拝聴できなかったことを残念に思っております。  そこで、私どもしろうとから見ますならば、精神病というものは、まわりの者の扱い方で非常に病状が違うと思うのでありますが、その点について、どうも、あなた方が専門医としておとりになりました方法は、猟師山を見ずというのか、東さんの病状を激する方に非常に役立っていて、なだめる方の、医師としてと同時に人間としての御努力が足りなかったように思います。その点については、猪俣委員が詳細に述べておられますので、これは省きたいと思いますが、たとえば、はなはだ失礼ですが、あなたの例をとりたいと思います。あなたはなぜここで特に自分の御主張について急な態度をおとりになったか、これは、臼田参考人お話もあったのでありますが、これは私はあなたに恕すべき点があると思って、割引して伺っております。あなたはやはりこういう法務委員会などというところにお慣れになりませんので、多少その点かたくなっておられたでございましょう。医者というものは、そういう環境上の恕すべき点も割り引いて公平に考えられるということが、専門技術の治療以外に最も大切であるのではないか。この点について法務委員会があなたの御処置に対して疑惑を持つのは、必ずしも公平を欠いている点と思いません。  その次に非常に疑惑に思いますのは、あなたが、東さんが御入院になると遂に玄関に迎えて一見すればわかる、こう言われたのでありますが、そのときの東さんの環境はどうであるか。いろいろ御事情もあり、東さんにも行き過ぎがあるように思います。しかし、ともかくも長年教べんをとり、ことに、女学校なんというものは、母校愛というようなものがセンチメンタリズムと言っていいくらい強烈なものでありまして、そこからどいて、ところもあろうに精神病院の玄関にまさに一歩入ろうとする人の、そのときの動作が常軌を逸しないなら、よほどこれは一万人に一人くらいの聖人だろうと思います。そういう場合のほんの数歩、四、五歩あるいは五、六歩で判断なさったというようなお話、これは言葉が足りないならばもっともでありますが、先ほどの御説明だけでは、私どもは疑惑を深くするに役立つばかりでありまして、どうもあなたの御説明に納得できないのであります。この点についてもあわせて御説明を願いたいと思います。  私は追及をするのでないのでありますから、ついでに一緒に申し上げてしまいたいと思いますが、こういう精神的なショックから多少病状が見えておるような方に対して、教え子に会わすというようなことが、私たちから見れば、一つの非常によい療法であり、人間的なよい処置であると思うのであります。私の聞いている範囲では、たえずこれは峻拒せられたように伺っておるのでありますが、それはいかなる御見解もとであったか、これも伺いたいと思います。  特に伺いたいのは、強制収容に任意収容から切りかえられるときに、東さんの経済上の事情について思いやりをしたためだということでございますが、それは弟さんに御相談なさったことでございましょうか。私ならば、はなはだ失礼だけれども、長く入院されると経済上の問題も当然あると思うのだが、その点についてどうお考えであるか——。あるいは強制収容というような待遇上の変化がかえってショックを与えて病状を悪化するとも考えられるが、肉親の者の御感想はどうであったか。何か行き届いたお話が私は伺いたかったのでありますが、あなたの御説明は、非常に失礼でありますが。御弁解が急でありまして、人間としての上田氏の心持というものを感ずることができないで、こういうふうでありますと、あなた一人を責める意味ではありませんが、世の精神医というものが、こういう調子で患者を扱うのだとなると、私どもは、人権擁護立場からも、精神病をあたたかくなおす社会環境を作りたいと思っている立場からも、一考せざるを得ないと思うのであります。従って、東さんを強制収容に切りかえるときに、弟さんと心持をあたたかくして御相談になったか、あるいはそのショックがかえって病状を悪化するというお考えがあったか、こういう点をまず伺ってみたいと思います。
  107. 上田守長

    ○上田参考人 私が一本調子に申し上げましたのが、いろいろ御疑問を招いたようでございますので、これは申しわけなく思っております。  最初の、環境専門医としての取扱い措置に対する疑問というようなことでございますが、御承知のように、精神科の病気をなおしますのには、一定の環境の中に入れまして、そこで——われわれの病院においでいただくとわかるのでございますが、私どもは患者と一緒に遊んでおります。テニスもやりますし、カルタもやりますし、一緒にいろいろなことをして遊んでおります。ただ、病室にお入れするまでの間は、これは病識がない方でございますので、治療環境の中に移すまでには、第三者専門外の方から見ますと、非常に強制的なような、非人道的なような処置に見えると思うのでありますが、われわれのところにおいでいただいて、私どもの日常やっておることをごらんいただければ、私どもはそういうことをやらんために精神科をやって——私はもともと内科医者でございます。精神病を何とかしてあたたかくなおして上げたいということのために、転換いたしまして、精神科を途中から専攻した者であります。それは私の近親に分裂病の患者ができたことからであります。入れます、治療環境に持っていきますまでは、どうもやむを得ない。病識がない人を扱うのでありますから、やむを得ない処置と、私はそのことは自分で納得しております。  それから、第二でございますが……
  108. 高橋禎一

    高橋委員長 上田さん、いま少し高声にお願いいたします。よくみんなに聞えるように。
  109. 上田守長

    ○上田参考人 それから、入院時の状況、玄関を入ってくる興奮しておる状態を見て、ほんとうのことがわかるかというお話でございましたが、それは、私ども二十年以上も精神病を扱っております。普通の人が興奮したときと病的状態にある人が異常な行動、環境が急に激変するということで変ったこととの区別は、私の経験上わかったつもりでございます。それは何とか一つおわかりいただきたい。それも、毎日患者ばかり見ております。でございますから、それは私もわかる、そう思いました。  それから、第二の、面会でございますが、これは、医局の方針といたしまして、私どもこういう融通きかぬ人間でございまして、一たん治療方針を立てますと、それに直進いたします。さっき申しましたように、副院長と主治医と三者で合議いたしまして、東さんの治療はこういうふうにしよう、これが一番適切で早く回復に導く道だと私が信じましたので、精神的な安静ということを、あらゆる方法を尽して、それを治療のおもな方針にしようというわけでございました。そのために、面会に来られた方に、多少本気でございますから、その点は誤解を招いたようでもありますが、これは犬養先生に対しても誤解を招いたように見えるのでございますが、私のほんとうの気持は、治療方針はきちんと立てまして、それをどこまでも押す、それが患者さんの仕合せであり、早く回復に導く道であると考えまして、そういうふうなことをとっておるわけでございます。これも何とか一つおわかりいただきたい。精神的の安静ということをこの際の第一治療方針、そのほかのことはやってやらなくても、だんだんなおっていくという見込み、私どもの経験上の予測でこういうことをやりました。  それから、強制収容でありますが、二十九条の強制収容の手続をとりますのには、財産のいろいろな収入の証明が要るのでございます。村役場の、保護義務者の収入証明書が絶対になくてはならぬ要件であります。これは、事情を手紙でお話しして、こういうわけでこういうことになっているから、収入証明書を送ってほしい、それから、経済的負担が向うにかからないりように、なるべく収入は少い方がいいのだということまでつけ添えまして、私は送っていただきました。そういうことでおわかりいただけるのではないかと思います。
  110. 犬養健

    犬養委員 肝心なところが落ちているのですが、強制収容をなさるときに、経済上のことは、あなたは他人だから身内よりもわかる度合いが薄い。従って、あなたより詳しい身内に伺ったことがありますか、こういうことをお伺いしたのです。たとえば弟さんに……。
  111. 上田守長

    ○上田参考人 それはむろん、入院のときに、費用をどうなさいますか、これだけかかるということはお話しいたしました。お聞きいたしました。相談いたしました。
  112. 犬養健

    犬養委員 どうも、私たちの共通な気持ですが、あなたの御答弁は少しずつずれるような感じが不本意ながらいたします。疑惑を深くするのです。強制収容に切りかえるときに弟さんに聞いたかどうかということです。入院のときではなく……。
  113. 上田守長

    ○上田参考人 入院のときに、先ほどの費用のこと、それから費用をなるべく経済的にするのにはどういう方法があるか、第一は生活保護法という手段もある、第二は精神衛生法二十九条の適用を受けることだ、それ以外に費用軽減の方法は、健康保険はないから、ないというお話をしまして、詳しく主要な点を御説明をいたしましたし、なるべく費用がかからないようにしてほしいという希望もございました。そういうことがなければこういうことはやりません。
  114. 犬養健

    犬養委員 どうも、それは原則論なんです。最初に、強制収容という問題が起らざる前に、費用はどうですかと聞くこと。いよいよ強制収容するという、当人にとっても親族にとっても、特別扱いをするわけですから、非常なショックです。そのときに、たとえば私があなたならば、強制収容ということをすることのショックによって病状の悪化ということも考えられる、しかしそれをも乗りこえて経済上の窮迫した事情があるなら、一晩お互いに考えようという、何かそこにもっと人一人を扱う苦悶といいますか、苦しみがなくてはいかぬ。あなたにはそういうことがまことに失礼ですが感じられないので、つい長く質問をしているのです。
  115. 上田守長

    ○上田参考人 二十九条の強制収容でございますが、これも、私どもの病院においでいただくとわかるのでございますが、私の方針といたしまして、病室は特に区別してございませんし、普通の自費患者と同じように扱って、むろん注意はいたしておりますが、扱いはまるで同じにしております。できるだけ注意はいたしております。ですから、手続をかえましたために本人にショックを与えるというようなことはないと思います。食事から部屋からみな同じであります。
  116. 犬養健

    犬養委員 ただ一言です。弟さんに相談したかどうか、肉親の人に相談したかどうか、それだけです。
  117. 上田守長

    ○上田参考人 相談いたしました。
  118. 犬養健

    犬養委員 それはいつごろですか。
  119. 上田守長

    ○上田参考人 今申したように、書類をととのえますときに、こういう書類がこのために要るんだから送ってほしいということを相談して書類をととのえまして、そうして都の手続をとったわけであります。
  120. 犬養健

    犬養委員 これから先のことは大体猪俣さんの質問にもはめ込んできているわけでありますから、これだけの資料を猪俣委員に差し上げることにいたしまして、この点は打ち切りたいと思います。しかし、扱いが同じだとかなんとかいうことではなく、とにかく、今の法律を肉親が読んでごらんなさい。大へんなことです。人を切ったり、自分ののどをいきなり突いたり、火をつけたり、人の財産をぶちこわしたりする危険のある者に適用する二十九条というものに切りかえるについて、扱いも同じだから大したことはないというような心づかいで、一体精神療法ができるものでしょうか。私ははなはだ不安に思います。  それから、もう一つは、長年の経験で玄関でちょっと見ればすぐわかるということですが、どうもその点について冒頭から残念ながらあなたに対して心配を持ったわけです。ほんとうに人をなおしてやろうと思っておられるならば、——もちろん思っておられると信じますけれども、それならば、すぐうしろに御当人がいる場合に、ああいう御当人を刺激するわれわれが聞いてもまことに愉快でない説明の仕方については、今後御注意願いまして、あなたも、これから先患者の病状について公けのところに参考人または証人として呼ばれた場合には、もう少しその人の立場、つまり、東さんならば、学校当局とのいろいろのいきさつがあって、そういう点でショックを受けられた点はもっともと思うが、病状としてはこうだと、まる彫りにした説明をなさいませんと、あなたが自分の正当性を主張されればされるほど、私ども先入主のない者が聞いておりますと疑惑を深めるということは、決して名医のなすべきわざでないと思います。この点は十分御注意になってしかるべきだと思います。
  121. 上田守長

    ○上田参考人 一言申させていただきます。ただいまの御忠告はありがたくお受けいたします。ただ、また言いわけがましいとおっしゃられるかもしれませんが、このことにつきましては、あらかじめ委員の方、それから人を通じまして委員長の方にも申し上げておきましたが、御当人がおいでになる席ということで、希望条件として人を通じましてお願い申し上げておったのでございますが、猪俣先生の御質問が激しいような印象を私受けまして、ついどうもこんなふうに詳しく御説明申し上げるような立場になってしまいました。これは犬養先生の御指摘のように十分注意したいと思います。あらかじめ申し上げておったということだけは一つ承知おきいただきたいと思います。
  122. 犬養健

    犬養委員 言うまでもなく、医術は人をなおして幸福にすることでありますから、その人が不幸にして病気になった原因については、あらゆる角度から委員に御説明願いたい。そういう点についてはなはだあなたは欠けるところがありますから、日本の精神病治療の重要なポストにおられるあなたとしては、今後この点は特に世の中のために御反省を願いたいと思います。私たち、ことに縁のある学校の教べんをとった重要な方が不幸にして病気になられたら、あらゆる角度から誤解のないように、御本人の精神が休まるように、親類も心配しないように、お弟子さんも心配しないように、あらゆる手を打つのが常識だと思うのでありますが、重要な届出をずっとおしまいまでしてないというのはどういうことですか。私どもしろうとであるけれども、どうも常識では考えられませんが、この点について御説明願いたいと思います。
  123. 上田守長

    ○上田参考人 まる彫りにしたということでございますが、これも弁解になりますが、御質疑がその点について詳しく説明を求められるような御質疑でございましたので、今申し上げましたように、猪俣先生に御了解いただきますために私の考えを申し上げたわけでございますから、それも一つ御了承いただきたいと思います。  それから、入院届でございますがこれは、先ほど申し上げましたように、大ぜいの患者が入院して参りますので、担当の女の事務員がそれをやっております。私どもの方でやっております。毎日入院と退院と相当の出入りがございますが、あいにく担当の事務員が病気をいたしましたために、——これは私並びに事務長の監督不行き届きで、それは申しわけないのでございますが、入院届がおくれました。入っておりますことは、むろん口頭で優生課長には、こういうわけで入っているからと相談はしてございます。口頭ではむろん優生課長には伝えてございます。ただ、文書で行っていなかった。
  124. 犬養健

    犬養委員 飛び入りで他の委員に御迷惑をかけますから、それだけにいたしますが私はあなたに参考になることを申し上げておきます。公けの席で、ことに当人がおられるときは、その御当人についての説明は、ことに医者という社会における使命にかんがみて、十分の同情といつくしみをもって、何とかして直したいという一念から説明をしていただきたかったのであります。最近ある事件で若い婦人の証言を法務委員会が求めました。参考人としてその若い婦人が陳述をせられましたが、それについて法務当局は不服の点があるのでございますが、たとえば、その若い婦人の前歴について説明をすれば、法務当局はだいぶん説明が足りるのであります。ここにおられる長戸総務課長は、あえて、若い婦人の将来を思われて、法務当局として言いたいことも控えられて、あとで私が私的にいろいろ質問をしてわかったことでございます。そういうお心持でこれから——まだなおりきっていないとあなたが言っておられるその御当人がすぐうしろにおられます。猪俣さんの御質問じゃない。最初のあなたの東さんについての病状の説明を伺いまして、こういう説明の仕方をされるお医者さんというものについて、はなはだ失礼ですが、私は深く考えさせられるところがあったわけでございます。なぜこういういやなことをあなたは言うか。あなたは一挙手一投足でも病人の精神状態に非常に影響のある精神医でおられるために、あえて失礼を顧みず申し上げるわけであります。これからも同じような場合もありましょうが、精神病患者とあなたが思っておられるケースについては、十二分の配慮を持って説明せられ、また実際の治療についても十二分の配慮をお願いしたいと思います。私が予定外の発言をいたすゆえんのものは、そういう点についてはなはだ危惧と不安を持ったために、ここに臨時に発言をいたしたわけであります。
  125. 高橋禎一

  126. 世耕弘一

    世耕委員 私は簡単に二、三点お尋ねいたしますが、ただいま犬養君からも御注意がございましたが、御本人がうしろにおられるその御本人に関した質問をする場合に、御同席を願うことが果していいかどうかということを実は憂慮するものであります。おられるだけに、上田博士から突っ込んで意見を聞くことのできないというような結果になると思いますが、この点は委員長はどうお取り計らいなさいますか。ある程度の範囲でお答えを願うことにいたしますか、それとも、急所をついてお尋ねしても差しつかえないかどうか。
  127. 高橋禎一

    高橋委員長 そこは、急所をおつきになってお尋ねになって差しつかえがあるかどうか、結果については実は私もわかりませんから、質問なさる委員の方で、ここはもし他の参考人がいらっしゃると都合が悪いというふうにお感じになりましたら、その方は退席願っても差しつかえありませんから、質問なさる委員の方の御判断によって決したいと考えます。
  128. 世耕弘一

    世耕委員 よくわかりました。それではそのつもりで二、三質問したいと思います。  今、上田博士から、犬養君の質問に対して、猪俣氏その他から詳細な角度で質問されるから答弁せざるを得なかったという御回答がありました。私はもっともじゃないかと思う。そうすると、質問する者が……。  委員長が適当な御措置をおとり下さったことを感謝いたします。  まず最初に上田さんにお尋ねいたしたいと思いますのは、入院されてから退院するまでの日数はどれくらいでございましたか。それをお尋ねいたしたいと思います。
  129. 上田守長

    ○上田参考人 十一月の二十三日に入院されまして、翌年の一月十一日に退院されました。約二カ月であります。
  130. 世耕弘一

    世耕委員 入院されて後の病状は入院当時よりも順調に経過がよかったかどうか、将来この分であれば自宅に帰して養生させても十分回復の見込みがおありになって退院を許可なさったか、その点をお聞きしたいと思います。
  131. 上田守長

    ○上田参考人 先ほど申し上げました治療方針がだんだん症状をいい方に向わせまして、御退院のころには、よく行き届いた看護をされる責任者がおれば、この分ならもう大丈夫だろうという段階までに至ったわけであります。
  132. 世耕弘一

    世耕委員 退院後あなたは同患者を御診察なさったことがございますか。あるいは、他の医師を通じて病状をお聞きになったことがございますか。
  133. 上田守長

    ○上田参考人 退院後は私は直接お目にかかる機会はございませんでしたが、主治医がおたずねいたしまして、しばらくの間お話をして帰って参りまして報告を受けました。日にちは、いつごろであったか、今はっきり覚えておりません。
  134. 世耕弘一

    世耕委員 その際の病状は良好に進んでおりましたか、それとも、あなたの病院で二ヵ月間の養生の経過と比較いたしまして、あるいは病状がむしろ戻ったとか、あるいは高進したとか、非常に順調に全快に向いつつあるというような報告をお聞きになりましたかどうか、その点を伺いたいと思います。
  135. 上田守長

    ○上田参考人 松井主治医の報告によりますと、非常に経過がよくって、普通の家庭生活はおできになるような状態にあったということでございます。非常に喜んでおったわけであります。
  136. 世耕弘一

    世耕委員 先ほど、臼田金太郎さんでございましたか、お正月だけでも外で養生させたい、気分もよくなるだろうと言うてお願いしたときに、あなたはそれについてにわかに同意しなかったというのは、何かそこに根拠がございますか。
  137. 上田守長

    ○上田参考人 私どもの病院は、できるだけ早く直して上げたいということで、ある場合にはお正月というふうなことも無視していろいろなことをやっておるのでございます。その当否はともかく、私どもの病院の治療方針として、できるだけ退院を早くする、病床を循環するということで、そういうことはできるだけある程度無視いたしまして、治療の方に重点を置くということにいたしておりましたので、そういうふうに処置をとりましたのでございます。
  138. 世耕弘一

    世耕委員 入院されたときに御診断の結果、この病人はどれくらいの経過をたてば全快の見込みが立つと大よそ御診断なすったことと想像するのですが、そのお見込みと、同時に、現在ここでお見受けしたときの状況から判断いたしまして、病状が平常を保ちつつありますか、あるいは高進しているかというようなことも御判断ができようと思いますが、この点は、あなた御自身の御判断はいかがでございますか。
  139. 上田守長

    ○上田参考人 私の、入院当初の判断から申しますと、今までの経験から申しまして、少し長くかかるのではないかというあれでございました。でございますが、厳重な治療方針を守らせましたのがよかったのではないかと思いますが、予想以上に早くよくなったと私は現在考えております。
  140. 世耕弘一

    世耕委員 きょうお目にかかって、あなたの見た御判断はいかがでございますか。その当時よりも非常によくなられておるか、あるいはどういうふうに御判断なさいますか。
  141. 上田守長

    ○上田参考人 先ほどからここで御態度を拝見いたしますと、非常によくなっているんじゃないかというふうな気持がいたします。ただ、これから御発言があるかもわかりませんが、それによってなお一そう御様子がわかるのではないかと思います。今までの観察では、非常によくなっておられるように思います。
  142. 世耕弘一

    世耕委員 お医者様のお立場からそういうふうにあなたは御判断なされるのだろうと思いますが、私は医者でも何でもないけれども、数ヵ月前に見た東さんの御様子と、きょうお目にかかって見た御様子にだいぶ変化があるように思う。その変化は、むしろいいような変化を私は認めにくいのです。ところが、あなたの今の御判断は、少し私にとっては私の常識に反したような結果になったように思うが、しかし、最後のお言葉で、これから発言なさる御様子によってという言葉がありましたから、私はこれ以上のことをお尋ねすることをよくもう一ぺん自分で考えてみたいと思います。  なお、もう一、二点ばかりお尋ねしておきたいことは、何だかこの問題の中心人物があなたのように集中されておる。けれども、実際はあなたはそうではなくて、きっとこの女子大学から頼まれて診察し入院の手続をさせた、そう一応見るべきじゃないかというふうにも私は考えられる。あなたが主導的にあれはどうしても入院させたいからというのじゃなかったろうということを四囲の状況から判断できる。そういう観点から、ここに告訴されている大橋廣さん、中原賢次さん、上田守長さん、東諦さん、それからもう一人井上秀さんという名前が出ておりますが、このうちのお二方は女子大の前の学長さんであったと私は記憶いたしております。そして壯さんは医学博士であり、上田さんも同様の方である。中原さんは女子大の事務局長で、どちらかというと、お見受けしても、おとなしやかな方である。こういう、いわば日本にとっては学界の女流の方としても一流の人物であり、女子大といえば日本の女子教育の中心をなす、そういうところの人が、一女子の教授を部屋から退出せしめるのにこうまで大がかりな事件を引き起すとは、私は常識的に見て判断ができなくなるのです。そこで、東さんの病状の問題が頭に浮んでくるのでありますが、現に、女子大は、この記録によりますと、七年間この部屋から出てもらうことをば非常に熱心に交渉を続けて、どうしても合法的に出てもらうことができなかった。最後に弟さんのところへ数人の人を派して協議の結果手続をとったということがこの記録に出ておるようであります。これを公平に文書によって判断してみますると、女子大学としてはとるべき適当な処置をとったのだ、こういうことがうかがわれるのであります。なお、先ほどの御質問中にもありましたが、入院手続その他についてもそれぞれ適当な処置をとられて、近親者である弟さんの上京を求めて同意書をとられた旨もここに記録が出ております。なお、この記録の中で見ますると、両方とも話し合いがついて、昭和三十年の二月二十八日に鶴見という方のお宅で東さんの退職金の受領まで完了しておる。ところが、同年の八月十五日にあらためて告訴状がここに提起されている。こういうところを考えてみますると、この事件はいろいろなめんどうな問題が東さんをめぐって発生しているということも想像できるのであります。こういうことはまた別の立場の方からお聞きすることにいたしますが、もう一ぺん上田さんにお尋ねいたしたいのは、結局あなたに疑惑の起る問題の中心にされているのは、入院するときの手続方法に一つの誤まりがなかったかということが質問の集中の現われだ、こう思うのですが、それはどなたからお話があって、どういう経過をたどったか、この点をもう少し明確に順序よくお話し願いたいと思います。ただ病院の方においでになってお待ちになって診察したのが、本件の始まりでなくて、その以前に、いろいろな相談や、経過や、あるいは病状等もお聞きになった結果、それなればこうなさったらいいでしょうという、あなた御自身の医者の立場から御助言なさったのが、こういう結果になったのだろうと、私はこういうように善意に解釈しておるのでありますが、この点をもう少し具体的にお話し願えば、私はその程度に質問をとどめ、あと臼田さんにちょっとお尋ねします。
  143. 上田守長

    ○上田参考人 今お話しの通りでございます。最初私どもの方の会長荘寛博士が、女子大の多分評議員会じやなかったかと思いますが、御病人のお話が出まして、それで私に一つ診断と治療を担当するようにと、私の方の理事会のときにお話がございました。それから、私が女子大にも参りますし、いろいろな方法で著書なんかも手に入れてよく読みまして、女子大からもいろいろ資料をいただきまして、なお、さらに、先ほど申し上げました小野食養課長を派遣いたしまして、なお調査をさせました。その資料をもとにいたしまして私が判断をいたしまして、それでアブノーマルだろうという診断の結果を荘会長を通じまして女子大に返事をしてもらいました。それから弟さんの出頭というふうな段取りになったわけであります。
  144. 世耕弘一

    世耕委員 最後に一点臼田さんにお尋ねしますが、上田博士は東さんがよくなったから退院とちせたというようなことをおっしゃったように私は聞いたのですが、その当時東さんがよくなっておられたようであるか、どういうふうに御判断なさったか。なお、巷間伝えられるところによると、まだよくなかったのだけれども、世間がうるさいから出したのだというふうにも伝えられて、その真相が明らかにされていないのであります。その点について疑問がありますので、臼田さんからちょっと御説明願います。
  145. 臼田金太郎

    臼田(金)参考人 そのお話は、私が再三辞を低うして退院の方法を御相談申し上げましたときに、まだとても危険の状態で、面会もしてくれては困る、まして病院から外へ出すなんというのはもってのほかでありますというふうなお話で、頑強にはねつけられましたが、これは危険性のない人じゃないか、いや、危険はあるかもしらぬ、今のところは平常であるが、正月に外へなんか出しては困るから、そのまま治療を続けていきたいということで、終始押し通されまして、結局どうしたら先生を外へお連れすることができるのだと言ったら、近親者の承諾があれば外へ出せます、それでは弟さんもすぐ呼んで参りましょうということで、和歌山県へここにおられる大澤さんに行っていただきまして、弟さんに正月早々上京していただきました。そして、十一日に病院へ私並びに私の家内そのほか同窓生も二、三一緒に参りまして、どうぞ退院さしてくれ、退院の手続もとるから、弟さんも来ましたから、こういうふうに院長に話しました。ところが、いや、退院はすぐできぬよ、東京都の手続というのはどんなに急いだって一週間、二週間かかる、場合によっては一ヵ月もかかる、きょう来てきょう連れていくというのはもってのほかだというお話でありました。私どもは、そういうことがあると思いましたから、前もって東京都の方へ行って手続を済ませまして、その日のうちに判をもらいまして、その書類を持って弟さんも病院に来られたのでありまして、この通り書類を持って参りました、退院させて下さいと、理詰めに押されましたので、上田院長はやむを得ず私に引き渡したのであります。これが真相であります。なお、あばれるとか、あるいは常軌を逸しているというようなことで再三私に御説明がございましたのですが、一芸にひいでた方で相当長く独身生活を続けておられる方が多少性格的に違いのあることは認めてもらわなくては困ると再三にわたって申し上げたのですが、何かわからない学説を並べ立てられて、私たちがたちまち口を封ぜられてしまうというような応対の模様でございました。
  146. 世耕弘一

    世耕委員 疑惑の問題は人権じゅうりんということが中心になって起ってくるのでありますが、部屋を明け渡すために気違いにして、そうして気違い病院に入れたということがかりに事実として断定いたしまするとすれば、もう入院させてしまえば部屋明け渡しは成功しているのだから、早く出した方がいいというのが、上田さんがもし悪意のあるお医者であり、悪事に参加したとするならば、そうあるべきだ、それを出すのを拒むというのは、やはりお医者さん的良心があったのではないか、こういうふうに考えられる。そういう点が非常に微妙な判断の材料になる。もし出すだけの目的で気違いにいたしたというなら、ちょうど臼田さんが言うてきたのをいい幸いに、一日も早く出してしまうのが方法だということが考えられる。ところが、医者も営業だという建前から言うと、入った病人をなるべく長く入院させるということも、いろいろ収入の面などにおいて、悪意に解釈すればそうも考えられる。しかしながら、いやしくも日本女子大ともあろう日本の代表的な女子教育をするところが、そういうふうになさっているようにも考えられない。ここは、大学のあり方としても、この際明確に掘り下げて、事実を明瞭にして、天下に信を問うていく方が私はいいと思います。大学当局の方もおいでになっているようでありますから、なるべくこの際真相を明らかにして、もし不幸にして不正なことがあったら、糾弾されてもいいと思う。あらためて出発しなければならぬと思うが、こういうような観点からしつつこくお尋ねしたということを御了承願い、また、今後御答弁いただく場合でも、そういう態度で、女子教育の確立、女子教育の本山ともいうべき大学が、かくのごとき不祥事を起したということに対して、世間の疑惑を一掃せしめ、真相を明らかにするということに御努力下さることをお願いいたします。  私は他の委員の御質問が終りました後にまた他の方にもお尋ねいたしたいと思いますが、一応この程度にしておきます。
  147. 上田守長

    ○上田参考人 一言だけ臼田さんの御発言に対して申し上げます。退院手続を先にとってきておってということでございますが、誤解を招くといけませんから、追加説明をさせていただきますが、退院手続をとりまするのには、衛生局の方へ先に行かれたようでありますが、衛生局から私どもの方へ照会がございまして、退院させ得る状態にあるかどうかという質問が私あてに直接参りました。それに対しまして、退院させてもよろしい社会的寛解状態にあるということを返事いたしまして、それによって初めて退院手続が成立するわけであります。一方的に衛生局が退院手続をとるというふうなことになっておりません。一言御追加いたします。
  148. 高橋禎一

  149. 犬養健

    犬養委員 私、もう一言伺っておきたいのです。それはお医者さんの心づかいというか、心づくしという点から一点伺っておきたい。と申しますのは、私、こういう事件にぶつかりますと、自分の身内に同じような患者があったらどうするか、あるいは社会がこれをどう見るかというようなことを当てはめて考えていろいろ処理をいたすわけであります。従って、あなたがお医者さんとしてのお心をどういうふうに尽されたかということを今後のためにも伺っておきたい、こういうことでございます。率直に申しまして、今世耕委員の申されたように、学校騒動のきみがありますが、これは真相がわかりませんし、名誉ある歴史を持っておる女史大学について軽々に批評をすることは差し控えます。従って、あなたのお医者さんとしての御自信についてのみ伺うのでございますが、露骨に申しまして、あなたが一言証言を述べられますと、ほかの方のお顔色や動きを見ておりますと、相当部分の方が、あんなことを言っている、こういうようなふうに、失礼ながら見受けられるのです。従って、あなたは、時に心外なこともおありであろうし、今もおありだろうと思います。そういう場合に、あなたが信頼される、あなたと同等くらいにうんちくの深い精神病医というものは、日本に現在どのくらいおありですか。たとえば、あなたが、あいつなら相談してみようと思うような友人、上級生、同級生というようなもの。精神医学の層というのは相当厚いのですか薄いのですか、まずこれをごく気軽に伺います。
  150. 上田守長

    ○上田参考人 医者としての態度でございますが、これは猪俣先生の御質問につられた形でございまして、微に入って詳しく説明しろと盛んに追及されるものですから、つい私がそれにお答えしているうちに、犬養先生に非人道的な態度だというふうにとられまして、私はその点非常に心外なんですが、真意は別にあることを申し上げたいと思います。  私が再度申し上げましたように、近親者に精神病の患者ができまして、それから、私自身も、これはノイローゼですが、今から考えますと、研究にあまり熱を上げ過ぎまして、軽い神経衰弱にかかったのです。そういう体験をいたしまして、何とかして一つ精神病患者を救いたいということで、私は北里研究所の付属病院におりまして病理学の研究をやったのでありますが、その内科医者が百八十度転回して精神病に頭を突っ込みまして、そうして二十年からになるわけであります。私自身は、日本の精神病の治療、それから学理の研究に私の半生を捧げようというわけで、今のような研究的な設備も作りますし、いろいろな計画を一生懸命やっているわけでございます。おかげさまで、われわれの病院も、私の理想の線に一歩々々近づいてきておると私は信じます。一度機会がございましたらおいでいただいて、私の病院を見ていただきますと、精神病に対する私の医者としての態度ないし考えというものがおわかりいただけるのではないか、私はそう思いますが、何分よろしくお願い申し上げます。
  151. 犬養健

    犬養委員 ほかの委員の御迷惑になりますので、簡潔に伺います。まず、あなたの御説明なんですが、非人道的というのでなく、私が内科、外科あるいは各科を通じて経験の深いお医者さんにそれぞれの人の病状を尋ねたときの御説明に比較して失望しておるということを申し上げたので、委細は活字になって出ておりますから、あとでお読み願えれば私としてはけっこうでございます。  そこで、もとに簡潔に戻りますが非常な大さわぎの渦巻の中で、あなたは治療という非常に神聖なことをやっておられるわけです。ところが、あなたの御説明を伺っておりまして、この部屋の空気を見ておりますと、あなたの御説明に対して疑惑を持っている空気が相当濃い。そこから私の質問は出発するのです。ことに、精神病をなおすというあなたの立場は、いかなる犠牲を払っても、苦悩をしておる精神病の患者をなおさなければならぬということが本目的である、こういうことを感ぜられませんでしたか。御本人並びに周囲の方は、この臼田参考人の言辞から見ても明らかでありますが、あなたの御治療態度に信をおいていない空気が相当濃い。これが是か非かはまた別問題です。それでさっきちょっと伺ったわけでありますが、私のいろいろな医者に接した体験から言いますと、そういうときに、自分は非常に真剣に病を治療するという本目的で邁進しているのだが、それを信じてくれないということになると、治療にも相当影響が多い。治療を受けられる本人並びに周囲が信じないということは治療にさわる。だから、心外でもあるから、自分の信用している他の精神医に見せる、他の精神医に委譲する、そういうことで、自分は及ばずながらなおすという協力は惜しまない、しかし、本人の精神的緊張をやわらげる意味からも、はたの空気をやわらげてこの問題を治療一本の純粋な姿に集中する意味からも、一つ主治医を変えて自分が手助けになってみようというお気持がなかったか。少しあなたのお答えはほかへ移りがちなので、このことを心得として伺っておきたいのです。私の知っている経験の深い医者は、たびたびこういうことをやっておる。それをやることによって、私は医者というものに対して敬意を深くしておる場合が非常に多いわけです。あなたの場合には、どうも自分の正義を主張されるのが——ことにこの部屋の空気におなれにならないせいも十分おありと思いますけれども、自分の主張を正義化されることに少し急であるがために、かえって第三者があなたの説に敬意を表しがたいという点が多々生じてくる、こういう結果になっております。従って、こんな騒ぎのような渦巻の中で治療する場合に、だれでもいいのだ、あの人をなおせば自分目的は達するのだ、従って、自分の親友あるいは同級生などで、こういう人にまかせて、自分は今までの知識を提供しよう、そういうお気持があったかなかったか、これは非常にお医者として大切なことであると思いますから、伺いたいと思います。
  152. 上田守長

    ○上田参考人 お答えいたします。他の医者に紹介して手助けを求めてということが最初でございますが、この場合には、そういう手続はとりませんでしたが、私、常にやっておることでございます。私どもの方は慶応大学と関係がございまして、この例は、慶応大学の神経科の三浦教授が、周囲の方にはおわかりになったかどうか、二度見えました。受け持ちの医者が臨床経過を説明いたしまして、それで三浦教授の判断を求め、実は最後の決定は、われわれもそう信じておったのですが、三浦教授にそれを確立していただいたわけであります。他の学派の方にはこの東さんの場合には見ていただきませんでしたが、他のケースの場合にもたびたびそういうことはやっております。私自身もそれは非常に勉強になりますので、それは常にやっております。  それから、周囲、友人の方々が、私の発言にどうとかいうことでありますが、私どもの病院関係、特に女子大学の先生方、そういう方々はきょう一名もお見えになっておりません。皆さん、東さんや臼田さんの御関係方々ばかり見えております。私どもの方の、私がしょっちゅう詳しく御説明し、それから関係していただいております女子大学の先生方、女子大学における友人の方々、そういうふうな方に一つお集まりいただいてお話をお聞き願えると、その間の事情は氷解するのではないかと思います。  それから、お弟子の方がお見えになりましたのは、入院してしばらくしてからお見えになりました。特に臼田さんがお見えになりましてからこんなふうな事態に発展しておるわけでございますが、最初からほんとうに心配しておられた先生方は、むしろ女子大の現在在職の方に多いのでございます。
  153. 犬養健

    犬養委員 ここに来ておられる方が、味方が多いとかどっちが多いとか、そういうことは私全く関心を持っておりません。ただ、事実として、あなたの言行に対して不審の色が濃いところがありますから、当時、疑惑を持たれる自分が、治療一本で邁進できないから、ほかの医者に託すとか、あるいは自分が陰におって助けをするという気持があったかどうかということだけを伺ったわけでございます。従って、あなたの御答弁のうちに、大体あなたの御心境がわかりました。これはあとで参考にいたしたいと思います。  もう一点、東さんの御病状は、東さんの本来の性格だけから出たものか、あるいは、いろいろ不愉快なことが自分の長年いた学校で起ったためのショックで起って、その点だけは、その問題が片づけば冷静になるという御分析がありましたかどうか。冒頭の病状の御説明では、その点が一点もなかったように伺いますので、質問いたすわけであります。
  154. 上田守長

    ○上田参考人 先ほど冒頭のところでお話し申したと思いますが、業績集の中に、主治医がその間の事情を詳しく書いております。業績集は、私どもの方の研究所で毎年発行しているのでありますが、その中に、パラノイアというのは珍しい病気ではございませんが、非常に知性が高いという点で、今までにそういうふうなケースの報告が学界にございませんので、学術的な意味で、私の方の主治医が論文に書いてございます。その中に詳しく書いてございますから、後ほどお届けいたしますから、それをごらんいただきたいと思います。
  155. 犬養健

    犬養委員 どうも少し話がずれるのですが、簡単に伺います。そうでなく、つまり、夫婦の場合ならば、奥さんが今おっしゃるような精神病であるが、しかし夫の方も悪いのだ、従って、本来奥さんの性質がそうではないという分析があると思う。東さんの場合も、本来の激しやすい御性格もあると思います。公平に言って多少行き過ぎもあると思いますが、それは、一方から、公平に考えると、学校並びに関係者の東さんに対する態度の影響もあるのじゃないか。お医者さんとしては、それは恕すべき点はこうこうであるというような分析があってしかるべきだ、こういうことを言っているのです。あなたの方の御報告を読みたいとかいう問題とは別です。
  156. 上田守長

    ○上田参考人 それはすでに申し上げているわけでございますが、報告文の中に書いてもございますけれども、素質、その上に体験が加わって、それから今度感情的な観察、外界の影響というふうなものが総合的に作用してできた病的状態だということでございますから、ですから、素質が基本でございまして、それにいろいろな体験が加わり、それに感情的な観察、外からの影響というようなものも働きまして、そしてああいうふうな病的状態ができ上っておったわけであります。
  157. 犬養健

    犬養委員 そうすると、東さんにもともと激しやすい性格の面もあった、しかし、こういう点も、女であって、独身であって、長年学校のこと一点張りの生活をしておった人としては気の毒だ、人間として気の毒だというような分析をなさいましたか。
  158. 上田守長

    ○上田参考人 それは申すまでもないことでございまして、患者の治療に私が熱を上げてやり、それから治療方針を守るために一生懸命やったことが、いろいろ第三者に誤解を招いたかもしれませんが、そういうふうな意味で治療方針を打ち立てまして、それを踏襲いたしましたのも、何とかしてなおしたいということでやったわけでございます。
  159. 犬養健

    犬養委員 ほかのお医者さんに診断を依頼されたということでございますから、その点も委員一同でまた読ませていただきたいと思います。しかし、遺憾ながら、あなたの今までの御陳述では、終始して、こういう点は気の毒であったから、その点だけは厳格に治療する間にも絶えず心づかいをしたという感じが出ませんので、われわれまでがよけいな質問をいたしているということを、どうぞ静かに御反省を願いたいと思います。これで終ります。
  160. 高橋禎一

    高橋委員長 菊池君。
  161. 菊地養之輔

    ○菊地委員 上田さんにお伺いしたいのです。私はこの事件の全貌というものはわかっておらぬのであります。きょう初めて資料をいただき、まだその資料も読んでおりませんが、ただ私がお伺いしたいのは、上田さんの今日申されましたことにつきまして、まだ明快にわからない点がございますので、その点二、三お伺いいたしたいと思うのであります。  第一には、弟さんと最初に会ったのはいつでございますか、まずその点をお伺いいたします。
  162. 上田守長

    ○上田参考人 先ほどから申し上げておりますように、最初に私が会いましたのは二十九年の十一月十九日でございますが、その前に、ここにおられる中原事務局長その他の方が会っておられます。
  163. 菊地養之輔

    ○菊地委員 このとき、病状をお話しになって、入院の必要を説いて、そして同意書をもらったわけですか。その点どうです。
  164. 上田守長

    ○上田参考人 病状を説明いたしまして治療するのには、こういう状態のときは入院するのが一番いい方法だということを、その治療法に関連いたしまして説明して、そして入院の場合に備えて同意書をもらったのであります。
  165. 菊地養之輔

    ○菊地委員 それから、入院したのは十一月の二十三日、あなたが、いわゆるほんとうに御診察をなさったのは、その二十三日以前にはございませんでしたか。
  166. 上田守長

    ○上田参考人 二十三日以前には、資料診断だけでございます。書かれたものをできるだけ詳しく調べました。
  167. 菊地養之輔

    ○菊地委員 その資料診断というのは、どういうことでしょうか
  168. 上田守長

    ○上田参考人 こういうふうな妄想内容は、初対面ではなかなか詳しい話はされない場合がしばしばございますので、こういうような患者の場合は、本人の書かれたもの、著書ですとか、その他のものを診断の最も重要な根拠にいたします。それが資料診断であります。
  169. 菊地養之輔

    ○菊地委員 その資料の内容を具体的に聞かしていただきたいと思うのです。単に著書だけをあげておられるのですが、その他に病状診断の資料に供したものはどういうものでしょうか。
  170. 上田守長

    ○上田参考人 私のところの食養課長のところに参りました手紙、それから食養課長がおたずねした中でずっと見て参りました様子の報告、それから著書は全部ひっくり返しました。著書は四冊ほど私が見たのがあります。一番最近の赤い表紙のものの序文が私どもの非常に有益な参考資料になりました。
  171. 菊地養之輔

    ○菊地委員 精神病の診察の方法についてはわれわれしろうとはわからぬのでございますけれども、それだけであなたは病状をはっきりと把握なされたのでしょうか。その資料だけで東さんの病状をはっきり把握したか、こういう点はどうでしょう。
  172. 上田守長

    ○上田参考人 今まで同じようなケースを扱っております経験から、相当はっきり全貌がつかめたと私は思っております。なお、入院後いろいろなテストをやりまして、それが事実であることをわれわれは確かめ得たわけでございます。
  173. 菊地養之輔

    ○菊地委員 そこで、病気はパラノイアという病気だとかあるいは精神分裂症ではないかと思った、あなたはこう先ほどおっしゃっていましたね。最初は精神分裂症ではないか、こうお考えになったということをはっきり申されておりました。ところが、あなたがその資料によって把握した病状は精神分裂症ですか。それとも、あなたが最後にわかったところのいわゆるパラノイアであったのですか、どっちなんです。
  174. 上田守長

    ○上田参考人 お答えいたします。妄想を主症状といたします病気が三つございます。そのうちの一つが精神分裂病の妄想系、それから、その次がパラノイア、それからパラフレニーというのがございます。精神分裂病の妄想系にもいろいろなのがございますが、パラノイアと精神分裂病の妄想系と全く症状が同じというのがしばしばございます。結局分裂病の一つの亜型で、本質的には同じものでございます。まるで違った病気ではございません。経過を観察いたしますと、これは妄想系、これはパラノイアということがわかるのでございます。どういうことかと申しますと、分裂病は人格の崩壊がございます。最初スタートは全く同じ症状でありますが、経過とともに人格の崩壊がやって参ります。パラノイアは終生そういうことはございません。ですから、その点が……。しかし、本質的には同じようなものでございます。
  175. 菊地養之輔

    ○菊地委員 そうすると、弟さんに会って病状を話したり、あるいは入院の同意書を受け取ったときには、あなたは本人について何らの診察もしておらない。単に書面や著書によって診断をした。しかも、病状については三種をあげておられたが、分裂症かパラノイアかということもはっきりわかっておらない。そういうような、状態において、病状を弟に語る、あるいは入院の同意書をとるということは早計でなかったのですか。われわれしろうとから見ますと、病状を語ることもおかしなことだ、またあなた自身も確信がない、いわゆる分裂症かパラノイアという病気であるかわからぬような、それを堂々と弟を説得して、入院の同意を得るまでやるということは、科学者としてあるいは医学者として正しいかどうか疑問を持つからお伺いしておるのですが、この点はどうでしょうか。
  176. 上田守長

    ○上田参考人 先ほども申しましたように、精神分裂病とパラノイアというのは、病状的には、ある時期には全く同じ症状でございまして、経過を追って初めて両方の区別がつく。ですから、本質的には両方とも同じようなものであります。治療方針も両方とも同じことをやる。それで、資料から、一番まずポピュラーの分裂病、パラノイアも考えられるということで、本質的に同じものでございますから、それの説明をいたしまして、それで、今の病的状態を何とかなおすには、一つ入院なさって、なお一そう調べるし、それからなおしましょう、病的状態をなおしてあげましょうということで、そういうふうな処置をしたわけであります。医者としての普通のことをやったつもりでございます。たとえば内科の病気でも同じようことをやりますが、それで私どもは常にそういうことをやっておるわけでございます。
  177. 菊地養之輔

    ○菊地委員 われわれしろうとは非常にふに落ちないのでありますが、たとえば、医師法によると、投薬をする場合には診察をしなければならない、その診察は少くとも患者に接触して行われる臨床的なものであるということは言うまでもないことである。患者の本を読んだとか、あるいは手紙を出したのを見たとか、それだけで病状をはっきり把握したのだ、しかも、病状も三つあるが、そのうちどれに該当するかわからないというようなことで入院を急がれる、入院の同意書を弟からとるということ、そういうようなことを考える場合に、病気をなおすということが目的ではなくして、いわゆる入院させることが目的ではなかったか、いわゆる世間で言っておるところの、学校当局とあなたとがお話しの上で入院させる、そうして占拠した部屋を明け渡すために行なったのではないかという疑問を持つのが正当ではないか、私は詳しいことはわかっておりませんけれども、そう思われる。つまり、原因を与えたのはあなた自身の同意それ自体ではなかったか、しかもまた、診察が臨床的に十分行われないで、本や手紙によってその病気を決定した、その病気も三種類あるうちのどれだかわからないような状態において入院を決定したということが、今度の問題であなたが疑惑をかけられる原因ではないかと思っておりますが、あなた自身どう考えておられますか。
  178. 上田守長

    ○上田参考人 病気が三つのうちどれだかわからないというお話でしたが、最初から申し上げておりますように、一つの木の幹から枝が右に左に出ておる、その枝が右か左かという程度のものでありまして、幹の診断ははっきりしておるのであります。それは、先ほど申しましたように、われわれの診断は、聴診器のようなものを使いませんで、むろん本人の話を聞くのも非常に有力な手段でございますが、こういうふうな場合は、書いたものを読むのが一番間違いのないところである、結核を見ますのにレントゲンをとるのと同じような意味合いの診察の手段である。本人が他の干渉なしに自由に書いたもの、そういうものを見ますのが、こういうふうなケースの場合、結核のレントゲンのような一番有力な役目をするわけでございまして、それによって診断をきめるということは始終われわれがやります診断行為でございます。
  179. 菊地養之輔

    ○菊地委員 それは専門家のおっしゃることですから、私としてはこれ以上申し上げません。  ただ、最後に、犬養さんからたびたびおっしゃったのに対して端的な表現がなかったから、一間だけお聞きするのですが、いわゆる二十九条による強制入院の場合に、弟さんの承諾を得たか得なかったかということをお聞きします。
  180. 上田守長

    ○上田参考人 先ほど申しましたように、二十九条の手続をとりますための書類をそろえますのに、弟さんからの書類を送っていただかなければならないわけでございますから、手紙でその旨を説明いたしまして、入院のときも、こういうことをとるかもわからぬということを申し上げておるのでございますから、承諾を得ております。
  181. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣君。
  182. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 上田さんにたった一点だけ聞いて、あと、東さんの弟さんが奈良県からわざわざおいでになっておりますので、お尋ねしたいと思います。それは、先ほどあなたがお話しになりました精神医学研究所の業績集の二別冊というものがおありでありましたならば、当法務委員会参考資料としてお出しをいたきただいということと、その精神医学研究所発行の業績集二別冊というものの中に、東佐誉子氏の実弟でありまする東諦氏が精神病をやった既往症がある、そうして入院したことがあるんだということを書いてあるそうでありますが、私はそれを見ておりません。ところが、東諸さんは、絶対にさような事実はないんだということで、非常に憤激せられておるのであります。そこで、さような弟さんの病歴までをお書きになった事実があるのかないのか、そのお答えを願います。
  183. 上田守長

    ○上田参考人 業績集を詳しく一度読んだのですが、もう一ぺん見直してみます。
  184. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 時間をとりますので、あなたがそういうことをお調べになってその業績集に書いたのかどうか、それだけお答え下さい。それを今読んでいると時間をとってしょうがない。
  185. 上田守長

    ○上田参考人 ここにもありますが、松井という主治医の論文でございます。私が直接書いたものでございません。私はただ私の病院の責任者として校閲はいたしてございます。
  186. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 しからば、あなたはお帰りになって、松井主治医と御相談になりまして、東諦氏が精神病の既往症あったということに対して責任ある釈明をしていただきたい。それができませんと、これは人の名誉の棄損になり、人権侵害の一つになるのです。東諦氏は徹底的に憤激をしておる。どういうわけで科学的な報告の中にさようなことが書き込まれたのであるか、私どもも不可解です。松井医師と御相談の上、何らかの形において当法務委員会へ御釈明を願いたい。あるならあったという証拠を示していただきたい。  あと東諦さんにお尋ねいたします。あなたは現在どこにいられて、いかなることをやられておるか、あるいは、あなたはいかなる学校を卒業なさった経歴があるか、それをまず第一に承わりたいと思います。
  187. 東諦

    ○東(諦)参考人 私、今和歌山県有田郡金屋町糸野におりまして、金屋町の役場で吏員をやっております。現在私のやっていることは、歴史を研究しておるのであります。学校は当時の東京帝国大学でありましたところの美学を専攻しております。
  188. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 当時の東京帝国大学を御卒業なさった、そうして和歌山県下で歴史を研究なさっておる。あなたは、姉さんの東佐誉子さんとは、入院前にたびたびお会いになっていたことがあるか、あるいはしょっちゅう手紙のやりとりをなさっておったようなことがあったのかその姉さんとの関係を御説明いただきたい。
  189. 東諦

    ○東(諦)参考人 大体二十年ぐらい、年の初めに年賀状を出すくらいでありまして、ほとんど文通がなかったのです。というのは、私の思想と姉の思想とが非常に変っておりまして、男もお前のようなことをやってはいかぬというので、しかられてばかりいたんですから、私は、どうせ行けばおこられるし、僕は絶対に言うことを聞かないし、いやだから、姉のところへ行きもしないし、手紙を出してもわかりもしないんだから、手紙も出さないで、ただ生きているということだけの通信をしていました。
  190. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、二十年くらい行き来しておらなかった。そこで、あなた自身は、姉さんの健康がどうであったか、ことに精神状態がどうであるかなどということは、人の説明でなければあなたとしてはわからぬはずだと思うのです。しかるに、あなたは、姉さんは精神病であり、しかも入院する必要ありとして入院に同意していられる。二十年も会わなかった姉さんに、入院の必要ありとして同意せられたという理由が不可解なんです。その同意なさる前に姉さんに会って、いろいろお話でもして、なるほどこれはひどいとお感じになって同意したのであるか、しからざれば、いかなる人間のいかなる説明によってあなたは同意せられたのであるか、それを御説明願いたい。
  191. 東諦

    ○東(諦)参考人 私、初めて今度の事件の起ったということを知りましたのはちょうどその年の四月に、東京から、ここにおられます中原君と、たしか月田先生であったと思いますが、お二人の方が来られまして、教室の中に六、七年間こもっていて、絶体に出てくれない、幾ら君っても退去してくれない、そして、夜分になるとへんてこな風をして、昼間になるとおかしな風をして野菜畑に出るようなことがあって、どうも変だと言うのです。私も、まあとんでもないことが起ったものだと思っておりました。しかし、周囲の人があるはずだから、特に説得して何とかしてくれないかと言いますけれども、何だか、その前に、女子大学から、一回私に来いという手紙が何年か前に来たことがあるのです。それから後に、私、何だか忙しいし、行く必要がないからと思って、姉の方へ、後に、こんな手紙が来たがという報告だけしたのです。そうしたら、お前に言うことはできないけれども、学校の中に問題があるんで絶対にかまってはいかぬと言われました。その記憶もあるし、こういうところへ入ってはいけないからと思って、子供じやあるまいし、私が行ったって、またお前変な風をしてといって——私は非常に変な風をするのが得意なものですから、しかられるだけで、いやだし、ほかにたくさんの人もあるのだから、一番元老の井上先生にでも頼んでそういうようなことをやったらいいだろう、どうしてもいやだというのだったら政策を使いたまえ、ほかの学校から迎えるというような術策をとればあるいは行くかもしれない、私もさびしくて困っているのだから、なるべくは大阪の方へ来てもらいたいと思う、まあそうでもやりなさいよと言って、私ははねつけた。それから後に、母が死にましたので、私、学校の方へ母が死んだという手紙を出しまして、井上先生にも報告を上げたんです。姉が変なことをして大へん気の毒だがと言った。そうしたら、あれは精神病だということなんです。あれ、これはどうも、身内のひいき目で正気だと思うが、人から見ればそうかもしれない。当時私のところへ、そううつ症という精神病にかかりまして、何とかしてくれと相談に来た患者があった。最後に私はそこの細君と一緒に無理に連れ出して精神病院へ連れて行きました。そして今晩は泊ってしまえと言って、ふとんを持って行って泊ってしまった。約一カ月でその男はなおってしまったのですが、そういう経験があって、そのときに精神病の院長さんといろいろの話をしました。精神分裂症にはこんなのもあるんだあんなのもあるんだという話を聞いたことがあります。それから後に手紙が来まして、どうも、あんたの言うようにどっかの学校へ招聘しようと思って努力したが、どうにもだめだ、もう一回来てくれぬかという。私はまたはねつけたのです。私なんか行ったって、どうせ姉にがみがみ怒られるに違いないし、なんで要らぬことしに来たと言われるだろうと思ったから、はねつけた。そして、最後だと思って、井上先生に、何とか最後の努力をしてくれまいかという手紙を出したところが、気違いはどうにもしようがないと言ってきた。そのときに私は初めて、あ、これはいかぬ、身内で正気だと思っておるけれども、これはどうやら怪しいのかもしれないぞと、私そのとき非常に疑惑を持ったんです。しかし、おかしいと思ったら診察させるべきなのに、一体学校はどうしているんだろう。そこで、精神病かもしれないんだから、診察させろと学校に言ったんです。二回も人に対して、精神病だというのに説得しろとは、これはどう考えたところで矛盾しております。元井上先生は女子大学の学長だし、現在においても一番の責任者であるんだから、学校の方でそういう疑いを持っていろんなら、それらの手続をとったらよろしい——。そうすると、やがて手紙が来まして、診察させるからやってこいという。僕は憤慨したです。ちゃんと四月ごろからわかっているんだし、井上先生に出したらそういうことを言ってくるんだから、診察するためにやってこいどころじゃない、ちゃんと診察をして、学校の方で入れてくれなければならない、僕は知らぬと、こう言ってやった。そこで、上田博士に診察してもらったら精神分裂症だという、入院にはあんたが立ち会ってくれぬと困るからやってこい、入院費用もあなたに少しもお金のかからぬようにするから、安心して一応立ち会いに出てこいという話であった。そして、学長がお帰りになるのはたしか十一月の二十一日かなんとかいうことであった。その日に来てくれぬかと日を指定してきました。よろしい、それでは行きましょう、こういうわけで私行ったわけなんです。以上の通りであります。
  192. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、まず中原賢次という女子大の事務局長と月田という先生が和歌山県下のあなたのところまで行って、そのときには、教室を占拠しておって困るから何とかしてくれろという相談があった。しかし、それは、自分が弟として、何とかするといったってしょうがないと言うておった。その後井上秀子女子からやはり気違いだという手紙をもらった。そうすると、とにかく、最初にあなたに交渉に来たのは中原君と月田という先生だが、それはいつごろでしたか。
  193. 東諦

    ○東(諦)参考人 四月の初めごろでございます。
  194. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 その次に、井上秀子女史から、姉さんは精神病だという手紙が来たのはいつごろですか。
  195. 東諦

    ○東(諦)参考人 これは母の死を報じたころだから、五月ごろかと思います。
  196. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 その井上氏から来た手紙などはどこへやられましたか。
  197. 東諦

    ○東(諦)参考人 たしか五月の分は探し出しまして警視庁へ行っていると思います。もう一回もらっているはずですが、最後の分はどうしても出ません。
  198. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、井上女史から精神病だという手紙を二回もらっている、五月に来たのは警視庁へ出してあるというのですね。
  199. 東諦

    ○東(諦)参考人 そうです。
  200. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、今度は上田院長に見てもらったら精神病で入院させなければならないが、それにはお前の同意が必要だから出てこいということで、結局あなたは出て行った。そこで、姉さんに合いましたか。
  201. 東諦

    ○東(諦)参考人 会いませんでした。
  202. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、二十年も会っておらない姉さんであるが、とにかく学校当局が精神病だと言うので、あなたは会えなかったけれども、結局入院に同意の判を押した、こういうことになるわけですか。
  203. 東諦

    ○東(諦)参考人 はい。
  204. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 その入院の判を押させるとき、だれとだれがあなたにどういうふうな説明をしましたか。
  205. 東諦

    ○東(諦)参考人 さっきも上田さんから説明がありましたが、病状の説明があって、入院させる必要がある、入院させればなおるだろう、こういう話がありました。それで、私は、法律は弁護士に全部まかせます、病気は医者にまかせます、どんなことでも絶対に文句は言わない一。専門のことは、まかせると言ったらまかせなければ十分にやってくれない。だから、弁護士に頼んだら絶対私は文句を言わないし、医者にものを頼んだら、どんなに切られてもかまわないつもりです。私も自分自身の専門を尊敬していますし、僕は歴史をやっているのだから、歴史のことはおれに聞け、法律のことは弁護士にまかせる、医者がそう言った以上、僕は絶対に信用して、思う存分やって下さい、同意しますから、入院させて治療してやって下さい。こういうことであります。
  206. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そのときに、姉さんはこんな病状があるというような具体的な説明をお聞きになりましたか。ただ、入院すべき病状だという、抽象的に聞いただけであるか、その点はどうです。
  207. 東諦

    ○東(諦)参考人 さっき上田さんの報告があったような話でありました。とにかく、手紙から、小野さんに行って見てもらうと、その判断によると、妄想のかかった精神分裂症だという話です。私、それを直ちに信じたのは、五稜病院の私の体験です。お隣の人を診察する場合に、実は簡単な診察で済み、これはそううつ症である、なおしてやるからと言って、約三ヵ月でなおった。それで、精神病の判定というのはそういうふうにできるものか、かくのごとく近代の科学は、精神でもただ見ただけでわかるのだと私は信じております。
  208. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたが同意の話をされたのはいつで、印を押したのはいつですか。
  209. 東諦

    ○東(諦)参考人 ちょうど上京いたしました十九日に、中原さんと、記憶に間違いなかったら、車に乗せてもらって一緒に行きまして、上田博士から詳しい説明を聞きました。そのときに判こを押しました。しかし、日付は多分あとで、二十三日だと思っております。
  210. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、あなたは、学校にいらっした姉さんをどういう方法で病院へ運んでくるかということについて相談にあずかったか、また、あなたがこういうふうにしてくれと要求したか、あるいは一切を病院または学校側にまかせたのか。
  211. 東諦

    ○東(諦)参考人 すべての方法を病院へおまかせしました。適当に最もよき方法をとってもらいたいという……。
  212. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、さっき同僚が質問いたしましたが、十九日に学校側なり院長なりが入院の必要をあなたに説明しておる。ところが、院長はそのときは診察しておらぬのだ。二十三日に連れてこられたとき一目見て診察した、こう言うのですから、しておらぬということがわかるのでありますが、診察もせずして入院の同意を求められたということに相なるわけで、あなたとしては、どういう方法で診察に姉さんを連れてくるかというようなことは一切関係しなかった、こう承わってよろしいかどうか、もう一ぺん返事して下さい。
  213. 東諦

    ○東(諦)参考人 私は、診察の方法とか何とかいうことは知りません。上田さんは専門立場から十分な診察をなさったので、それだから入院しなければならないと私は了解をしまして判こを押したのです。
  214. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ところが、日本女子大学が当法務委員会に対しまして、「東佐誉氏の手記に対する真相の記録」なるものを配布されております。これを見ると、こういうことが書いてある。「本学が謀計をもって昭和二十九年十一月二十三日武蔵野病院に東氏を入院させたと手記中に記されているが、これは診断の当初から入院にいたる迄、凡ては実弟東諦氏の願出と責任に於てなされたのであって、本学は事前に実弟諦氏に東佐誉氏が精神病患者である等のことを暗示したことは一切なく、ただ入院に対し出来うる限りの好意をつくしたにすぎぬ」という声明です。あなたはこれを読んでどういうふうにお考えになりますか。
  215. 東諦

    ○東(諦)参考人 私は全部これはうそだと思います。私は、当時、非常な災害で、ほかのことを考えるひまがなかったのです。ちょうど水害のあとで、自分の家がやられただけでなしに、復興事業を少しくやっておりましたので……。ですから、あとで、これはほんとうにうまくはめられた、おれだからこんなにうまくはめられたのだと言って、だまされたのを自慢するよりしようがないと思ったほどばかげたものです。
  216. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、現在あなたは、実に学校側にうまくはめられた、かくもうまくだまされたものだというふうに、自分自分を自嘲するような気持であるというふうに承わるのであります。なおあなたに詳しいことを聞きたいのですけれども、時間がありませんから……。  これは後に当法務委員会へ証拠として出したいと思うのですが、あなたから私あての詳細な手紙がある。これはあなたが書いたものに違いないかどうか。     〔猪俣委員参考人に書類を示す〕
  217. 東諦

    ○東(諦)参考人 違いございません。
  218. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私も本日初めてあなたにお目にかかっただけでありますが、あなたが非常に憤激しておられる手紙は前に受け取っておって、真相はある程度わかっておりました。きょうの証言とあまり違わない内容のもので、なお詳細に書いてありますから、これはあなたの書いたものに間違いなければ、委員会へ証拠として出します。  なお、あなたは、警察あるいは検察庁に調べられたことがあるか、その調べられたときに今と同様なお答えをなさったかどうか、その点についてお伺いいたします。
  219. 東諦

    ○東(諦)参考人 検察庁におきましても、警視庁におきましても、本日ここにおきましても、またその手紙の内容も、いつも一貫して変っておりません。
  220. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なお、先ほど私が質問をいたしましたこの武蔵野病院の業績書の別冊の中に、あなたはかつて精神病院に入院したことがあるということが書いてある。ところであなたはそれを見せられて、それに対してどういうふうに考えられるか。
  221. 東諦

    ○東(諦)参考人 私がそれを初めて見せていただきましたのは、たしかこの夏警視庁の方から呼ばれまして、出頭していろいろ陳述をしたときでありまして、そのときに、君、こんな経験があるのか、絶対にない、実にけしからぬ、非科学的なものである限りは、実証のないことだから、この科学鑑定というものそのものが実にでたらめだということは、これは証明できる、これは何とかなりましょうかと実は警視庁に聞いたのです。しかしながら、これには名前がないから、告訴しても名誉棄損にはならぬ、そういうわけですから、じゃあ、できぬことはやめましょうというので、それで引き下りました。
  222. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたはとにかく入院に同意せられて、そうして姉さんは入院いたしましたが、今お聞きすると、学校なり病院なりにだまされたという感じを持ったというのですが、どういうところからだまされたと感じられたのですか。ほんとうに病気なら入院するのも当然である。それをだまされたと言うのは、どういうわけでだまされたという感じを持つようになられたのであるか、現在のあなたのお気持をおっしゃっていただきたい。
  223. 東諦

    ○東(諦)参考人 姉に会いました第一の印象ですが、会ってみましたところが、変りないのです。——昔、二十年ほど前に会った場合と。直感的に一目見ただけではわからないから、三日ほどずっと見ていたが、全然変りない。私、最初、大輝さんに、こうこうこういうわけで、あなたは学校の事情を知らないからとしかられたのですが、とにかく、味方というものは気が狂っているかどうかわからないと思ったから、やはり第三者の批判を求めたいと思って、自分の大学時代の友達の医者のところへ行って、君、今こんな話がある、ちょっと来てくれと言って、大澤さんも来てもらったのですが、君はとにかく単純だからね、世の中は複雑だから気をつけにゃいかぬと、非常に暗示のある言葉をかけられたのです。私はあまり忙しかったのでどことなし行ったのですが、なるほど私は学校を信頼している、絶対間違いないと思った。ところが、印象が違うし、言われて反省してみると、非常に疑うべき疑点が起るのです。最初に、説得してくれ、出してくれと言うけれど、私は知らないと言うし、最後に、こういう手段を使えば病人になるこれはしまったと思った。一つはそういう理由でありまして、姉が少しおかしいふうだったら何とも思わないのですが、やはり親身のせいか存じませんが、三日いて病気というものを発見しなかったのです。
  224. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 姉さんが退院されてから、あなたが最初に会われたのはいつごろです。
  225. 東諦

    ○東(諦)参考人 ちょうど一月の十一日です。
  226. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 もう一つお尋ねすることは、東佐誉子さんが入院した後に、その研究室に置いておったもの、及び佐誉子さんの宿舎であります桜楓会アパートの佐誉子さんの部屋にあった研究論文その他の私物がどこかへみな処置されてしまった。これに対して東さんは東京地方検察庁に対して告訴せられている。この学校のさきの声明書を見ますと、東佐誉氏が入院後、東氏が占拠されていた二教室並びに宿舎桜楓会アパートにあった東氏の私物はすべて実弟諦氏と弟子大澤みどり氏が処置されて、本校はこれに関して何ら関与していない、こういうふうに声明されておる。そこで、あなたはかような姉さんの私物を処置されたかどうか、それを承わりたい。
  227. 東諦

    ○東(諦)参考人 それは、警視庁の方にも申し上げてありますが、学校の方には責任はございません。私は、姉が入院した以上、あらゆる物を持って帰らなければいけないので、紙類の大部分のものを私は焼却したわけです。学校の陳述の方が正しいのです。これは、警視庁の方でも、法務当局においても、また検察庁におきましても、私の言うことは四つの陳述常に同じでございまして、警視庁の方の陳述を参考にして下さったらわかると思います。その事情は私はたしか言っておいたはずですが姉の方に通じなかったのかもしれません。
  228. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、あなたはこれを処置されたのですね。わかりました。それならそれでよろしゅうございます。  それから、今度は長野の方から出ていらっしやった小松みどりさん、小松さんは東さんとどういう関係であられるか、そして、現在は小松さんだが、前名は何といわれるか、結婚前は何といわれたか、それをお答え下さい。
  229. 小松みどり

    ○小松参考人 前名は大沢みどりと申しました。東先生との関係は、日本女子大学においてフランス料理を選択いたしましたその師弟関係でございます。
  230. 高橋禎一

    高橋委員長 小松さんにちょっとお尋ねするのですが、今の住所、職業、その点をおっしゃって下さい。
  231. 小松みどり

    ○小松参考人 ただいまの住所は長野市相ノ木西町。職業、無職でございます。
  232. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは東氏の非常に身辺に近くおられた方であると思いますが、この東さんが精神病院に収容されてから、あなたが面会に行かれたかどうか、そのときの病院の態度はどうか、そういうことについてあなたの見聞したところをお述べ願いたい。
  233. 小松みどり

    ○小松参考人 第一回に病院に参りましたのは、先生が収容されました十一月二十三日の翌々日、十一月二十五日でありました。そのときに一緒に参まりましたのが、学校当局の中原先生と弟さんの東諦さんとが一緒でございました。上田院長と面会いたしましたときには、先ほど臼田金太郎さんから御説明がありましたように、上田院長から病状がこういうふうであるという説明をただ一方的に聞かされただけで、こちらからは何も申し上げる余裕がないほど大へん興奮しておられた状態であったように思っております。そして、そのあとたびたび面会に参りました際には、上田院長にも面会いたしましたり、それから主として小野食養課長に面会いたしまして、東先生に面会を申し込みますと、一週間たてば面会させる、それからまた、以後十日たてば面会させる、それからまた、年末になったら面会させる、春になれば面会させると、だんだん延ばしたままで、絶対に一月十日まで面会を許しませんでした。  それから、一つ申し上げておきたいのは、十一月二十五日の第一回目の面会の際に東先生から参りました鉛筆の走り書きの手紙であったと思いますけれども、大澤みどりあての手紙がありましたが、それを上田院長が手にしましてお読みになりましたあと、私に見せて下さらずに、そのまま手でもんでしまった事実があります。その内容をお聞かせ下さいと申し上げましたところが、ここにはただ牛乳代を払ってくれという内容以外には何も書いてないと申されたのですけれども、あとで東先生に伺いますと、そこには、書物代というような、そういう大事な金銭の問題も書いてあったということでございました。  以上でございます。
  234. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 もう一ぺん聞きますが、あなたが最初昭和二十九年十一月二十五日に面会に行ったときに、本人には会えなかったけれども、その東先生からの手紙というものを上田さんが持っておって、上田さん自身で読んだが、あなたには渡さない、どういうことを書いてあるかと言ったら、いや大したことはないというようなことで、書かれたことの説明がなかった、こういうふうに承わったが、そういう事実がありますか、上田さんにお尋ねします。
  235. 上田守長

    ○上田参考人 先ほども申し上げましたように、精神的の安静を守るという治療方針を立てましたので、法の許す範囲で、文書の交信とか、そういうようなものは非常に刺激になりますので、そういうものから一切隔離して、のんびりさせるということが治療の方針でございますから、それに従いまして制限をいたしました。
  236. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは今見当が違っているんだ。それは、第三者から東さんに手紙がありましたような場合には、あなたの今申し述べたようなおそれがあるから、これは取捨選択なさることはあり得ましょう。しかし、東さん自身が書いたものを、それを健全な人に何がゆえに渡さぬのです。東さんには、渡したか渡さぬかわからぬのです。病人に影響もないじやありませんか。東さん自身に渡す手紙なら、内容によっては、これは考慮する必要がありましょう。そうじゃない。東さん自身が書いたものなんです。その書いたものをなぜあて名人に渡さないのです。万一渡さないことがあったといたしましても、その病人が必死に書いた手紙を、何がゆえに面会人に教えないのです。内容を。
  237. 上田守長

    ○上田参考人 精神科の病院の実情を御存じいただけると、その間の事情はよくわかるのですが、出すものも入ってくるものも、私どもの方では病気の症状によって判断して制限します。それをもっとわかりやすく極端な例で申しますと、たとえば、私どもの病院ではほとんど毎日警視総監あてにいろいろな訴えをする患者がおります。それから総理大臣にあてて出す者もおります。そういうものは、一切、主治医あての状箱がありまして、検閲して外に出す。それで、出してはいかぬというものはそこで押える。症状のために、こういうものを出して、これに対する反応があると好ましくないから、もう少し延ばしておいた方がいいという場合には延ばす場合もありますし、これは私どものところばかりではありません。どこの病院でもそういう方針でやっております。おそらく外国でもやっておると思います。
  238. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 だから精神病院というものは実にあぶないのですね。一切外部との交通を遮断される。だから、内部におっていかに訴えたいと思っても、一たん入れられしまったら、刑務所と同じように絶対絶命なんだ。それだから、入れるについては慎重にやらねばならぬとわれわれは思うのです。今あなたの設例のような場合は、あり得ましょう。しかし、今東さんが、しからばいかなる内容があって、教え子である大澤みどり、現在の小松みどりさんに示すことが、一体東さん自身の治療上差しつかえがあったのですか、どんな内容のことが書いてあったのですか。
  239. 上田守長

    ○上田参考人 お答えします。松井主治医が診療の当面の責任者でありまして、その主治医が、自分のところの状さしに来るまで……。私がそれを補佐いたしますから、私の手元を通過するもので工合が悪いものは、もう少し待った方がいいということで私がそれを処理いたします。それで、そういうふうな厳重な方法をとりましたために、予想以上に病気の方が早く落ちついてきたと言っていいのじゃないかと私は思います。
  240. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 あなたは予想以上に早くなおったと言い、さきの世耕委員は、ほんとうに家屋明け渡しのためならば、なるべく早く出す方がいいが、長く置いたのは医者の良心から置いたような、はなはだ好意ある解釈をされた。それも一つ解釈でしょうが、あなた方の気に入らぬかもしれぬが、私はあべこべの解釈です。大したことではなかった、それを入れてすぐ出したなら、全く明け渡しのために入れたということになるから、当分そこに置いておかなければならぬ。相当の期間置いておくならば、ああなおったから今はああなったのだ、こう言われる。さっきの世耕君の質問の点は、はなはだおかしいのだが、世耕君は、最初会ったときと今会うのと、最初の方より今の方がちょっと悪くなっているように思うと言っておられる。いつ会われたかは私はわかりませんが、われわれは場合によるるとあるいはそうでないかと思われることは、出られた当時と今とほとんど変りありませんけれども、東さんが少し手がふるえるような点があると思います。それは出られた当時私どもは発見しなかったことです。いずれにしても、あなたがまだ相当入れておかなければならぬと言って、臼田さんたちが厳重に抗議に行っても、まだとても出せないなんと言うのを、無理に諸般の手続をして出してしまった。その出した直前弟さんが会っておる。その他の教え子もみな会っておる。変ったところはちっとも見えないと言うのです。そうすれば、大して変ったものじゃないものを、しろうとにはわからぬようなむずかしい病名をつけて、——なかなか発見しにくい病気だということを私は他から聞きましたが、そういうものをくっつけて入院させたのじゃなかろうか。あとからそうじゃないなんて言っても、ほかの肺病とか胃病というものと違って、なかなか証拠が残らぬ。そこに私は実に精神病医学者は危険性があると思う。私どもはそういう疑いを濃厚にする。そして、今言ったように、東氏が何を訴えたのか知りませんが、今大澤みどり君の証言によれば、あなたが渡さなかったのだと言う。松井さんじゃないんだ。あなたが見ておって渡さなかった。小松さん、そうじゃありませんか。
  241. 小松みどり

    ○小松参考人 その通りであります。
  242. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすれば、松井さんじゃないじゃありませんか。あなた自身がその手紙を見ておって、あなた自身が握っておって、そして渡さなかったんだ。そうすれば、どういう内容が書いてあったか、あなたはわかるはずだ。どういう内容が書いてあったか。そして、そのことが、渡すことによって、いかに東氏の療養生活に響くのです。むやみに人のそういう意思表示を中断させるということは、幾ら精神病医といえども許されないことです。それは精神病医としての立場から療養生活に悪影響を来たすという確固たる証拠があった上の処置でなければならぬ。その文書は一体いかなることが書いてあって、それがどういうふうに療養生活に差しつかえを来たすと判断したのであるか、それを御説明下さい。
  243. 上田守長

    ○上田参考人 先ほど申し上げましたように、お聞き取りになれなかったのかも存じませんが、主治医の松井君が主として検閲、私がそれを補佐する、副院長も補佐するということで、私の判断で処理して、あとで松井主治医にその旨を伝えたということがたびたびございます。そのときの手紙がどんな内容だったか、今ここではっきり思い出せませんが、とにかく精神症状にさわると私が判断しまして、そして処理したわけでございます。  それから、その東さんの病気に対して、病気でないものを、それから入院する必要のないものを手段として病気にしたというふうに、私の思い過しかもわかりませんが、聞き取ったのでございますが、その点は私がいかに御説明申し上げましても十分におわかりいただけないのではないかと思いますので、適当なこの人ならという方にさらに病状について判定をお命じなさいまして、それについてその方から説明をさせまして、御判断をいただいた方が……。私から説明いたしますと、かえって妙な弁解のように聞えますので、それは略させていただきます。
  244. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 小松さん及び臼田夫人にお尋ねいたします。  小松さんは東先生からやはり大学在学中お習いになったかどうか。その時分の先生と入院当時の先生と、あなたは最後までその身辺におられた方だと思うが、何か違った態度や様子があったのかどうか。すなわち、これは精神病なりとして外目にもわかるような、何かあなた方が教わった先生——非常に人気のあった先生だ。あんまり人気があり過ぎるくらい人気があって、そこに学校のいろいろな派閥が起った。私どもは、今日の調べでは、学校の内紛とか、日本女子大学をどうするとか、そういうようなことは毛頭考えておりません。ただ当法務委員会の本来の使命であります人権擁護立場からしているのでございますから、学校関係につきましてはお尋ねしたくないのであるが、あなたが生徒としてお習いして非常に人気のあった時分の東先生と、入院当時の東先生、現在の東先生、どこか変ったところがあるかどうか、その御説明が願いたい。これは、まず小松さんから、次に臼田夫人から御説明を願いたいと思います。
  245. 小松みどり

    ○小松参考人 学校当時お教えを受けましたころと、入院当時、現在、全然変っておりません。ただ、変ったところとしいて申し上げれば、授業のときにおける先生と、それから研究室において研究しておられるときの先生と、仕事が違いますので、服装が違っておりました。それから、近ごろになって特に深く接しますので感ずるのかもしれませんけれども、授業を受けておりますころの先生より現在の先生の方が、より以上に各方面から深くなっております。人情的に大へん深く進んでいるように感じます。
  246. 高橋禎一

    高橋委員長 臼田スエ君、今の猪俣委員の御質問に対してお答え下さる前に、姓名と住所と職業をおっしゃって下さい。
  247. 臼田スエ

    臼田(ス)参考人 臼田スエ。大田区馬込東一丁目千二百三十六番地です。仕事は臼田株式会社の専務をしております。  今御質問いただきました、東先生の教えを受けましたころと現在と変っておりますかということについては、東先生は一貫して全然違ったところはございません。  それから、この病院の上田先生のことについて疑問なことをお話ししてよろしいですか。——さっきからいろいろ御説明いただきましたけれども、その中で非常に重大なことが抜けていると思うのです。それは、一月の二十九日に私がお伺いしましたときに、東先生の御病気はどんな工合ですかとお伺いしましたら、そのときに、東先生の病気は非常に悪くて、これから何年かかるかわからないとおっしやいました。それで、どういう療法をなさるのですかと伺いましたら、インシュリン療法をなさるとおっしやいました。それで、私は専門じゃありませんからよくわかりませんけれども、若い方には電気療法をするけれども、年を召した方にはインシュリン療法でなくちゃいけない——。インシュリン療法というのは、どうもない人にかけたら、今までのことは記憶がなくなってしまって、患者にはきくけれども、そうでない人には逆効果があるということを前もって伺っておりましたものですから、非常に心配しまして、その療法はいつからなさいますかとお伺いしましたら、上田先生が、暮れだから、正月過ぎて一月十日ごろから始めるとおっしゃいました。私どもは、暮れやら正月で忙しかったのですけれども、これはどうしても一月十日までに先生をお救いしなければ、永遠に救えないと思いました。どうもない人にかけて変になるのでしたら、今後幾ら私たちが動きましても、もう前の記憶がなくなってしまったのではけんかにならないと思いましたから、どうしたら退院できるかをお伺いしましたら、弟さんがお入れになったのだから、弟さんの承認があればというお話でしたので、その目的に向って、一月十日までという目標に私どもは動いたのです。それで、一月十日にすっかり書類がそろいましたときに、私は直接伺いませんでしたけれども、先生は、一旦入院さしたものをすぐに退院させることは病院の面子にかかわるということをおっしゃって、どうしてももう少し置いておかなければならないということはおっしゃいました。さっき臼田の記憶違いだと思いますけれども、その一月十日のときには、ちょうど臼田が出張しておりましたので、大澤さんその他の卒業生の方がおいでになりましたのです。臼田が帰ってきまして、多分先生が退院なさったと思っておりましたらお帰りになっていないので、どうしたかと言うものですから、実は都の優生課の方の判がいただけないから、それまでには一週間かかるからというお話だったと言ったのです。臼田が、そんなばかなことはないからと言っておりましたら、十一日の朝に弟さんがおいでになりましたので、先に優生課の方に行って伺って、そうして判こをいただいて、抜き打ち的に、どうしても上田先生がこれでは仕方がないというような方法にして、無理に連れて帰ったのです。ですから、非常に違うところは、治療したからいい状態になったのでその日に帰せたと上田先生はおっしゃいましたけれども、そうでなくて、今から治療しようというところで私たちは退院させていただいたのですから、そこはもう非常な違いだと思います。
  248. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 なお、確かめるようにお尋ねしますが、今のあなたの証言は相当重大だと思う。そこで、あなたが上田院長に会いに行かれてそういう話をされたのはいつでしたか、もう一ぺん日を言って下さい。
  249. 臼田スエ

    臼田(ス)参考人 私が最初に参りましたのは十二月の二十九日です。二十九日に参りましたときは、さっき臼田が申しましたように、病気だということはわかったから、せめてお正月だけでも、ああいうところじゃ気の毒だから、私が絶対に責任を持って一日なり二日なり——初めにお願いしたのは三日ですけれども、お正月の三日だけは家でさせたいから、どうぞ、責任を持ってお帰ししますからと言って、お願いしたのです。それがいけないと言われましたから、その次に面会さして下さいと言いましたら、それもいけない。それですから、上田先生がお会いした方は東先生に反対していられる方です。つまり、学校側の人にしかお会いしていないから、どうして今日東先生がこういう目にあわなければならないかを御存じないから、私たちがよく説明しますと言って、どうして先生がそういう精神状態に——その部屋を占領しておるかという理由お話し申し上げましたけれども、そういうことも参考にしてもらいたいと思ってよく説明しようと思ったのですけれども、どうしても聞いていただけなかった。それで、私も非常に腹が立ちましたから、帰りがけに、こういうことをしておったのではいけない、しようがないから帰りましょう、ただ一つお伺いしたいのですけれども、どうしたら東先生をここから出していただけますかと伺ったら、それはお入れになった弟さんの判があれば出してあげるとおっしゃった。それで、一月の十日からその療法をするとおっしゃいましたから、どうしても十日までにその手続をしなければいけないと思ったのです。
  250. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、まだ二年かかるか三年かかるかわからぬということ、それから、何か電気療法をやると言うたのは十二月二十九日ですか。
  251. 臼田スエ

    臼田(ス)参考人 そうです。
  252. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 それから、もう一つ言ったことは、どうしたら出られるか、弟さんの同意があれば出られると言ったのも十二月二十九日ですか。
  253. 臼田スエ

    臼田(ス)参考人 そうです。二十九日です。上田先生に初めてお目にかかったその日です。
  254. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、来年の一月十日に電気療法をやられると大へんなことになるというので、あなたは非常に心配なされた。それから、弟さんの同意を得て退院するにも、一週間や二週間、あるいはさっきの臼田さんの証言だが、一カ月もかかるというような話が病院からあったと言っておられたと思うが、あなたに一週間も三週間もかかるのだという話をしたというのはいつですか。
  255. 臼田スエ

    臼田(ス)参考人 その書類が整いましたのは一月十日だったのです。その十日の日には私は病院へ参りませんでした。その書類があったら間違いなく退院さしていただけると思いましたので、私はそのときちょうど病気上りだったものでありますから、家におりまして、大澤さんと、それから長野さんの奥さんと、ほかに卒業生の方がいらっしやった。その書類を持っていけば絶対に大丈夫だと臼田が朝出るときに申して参りましたものですから、私は家に待っておりましたけれども、何時になってもみな連れてこないので、病院に電話したら、病院では、この書類があっても、その手続に一週間や二週間はどうしてもかかるからだめだとおっしゃったと言うのです。だから、私は、それで戻ってきたら絶対にだめだと言ったのです。ほかの先生に伺ったら、もし退院する意思がそっちにあれば、面会をさしてもよいわけだとおっしやる、だから、どうしても面会をさせてもらいなさい、面会さしてもらうまでは帰ってきてはだめだと、私は電話で話したのです。それで、皆さん強硬に先生にかけ合って、そのうちに先生に面会していらっしやったのです。
  256. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そこで、小松みどりさんに聞きますが、あなたは書類を持って一月十日に病院へたずねて、だれに会ったときに何人がどういうことを言ったのですか。
  257. 小松みどり

    ○小松参考人 一月十日に書類を持って参りましたときには、上田先生に面会を申し込みましたけれども、それが許されないで、食養課の小野課長に面会をいたしました。そのときも再三上田院長に会わせてほしいということを申し込みましたけれども、最後までどうしてもお忙しいからという理由で会わされず、それで、書類を出して、これがそろっているからと申し上げたところが、病院には病院の手続があるから、一週間くらいはどうしても退院させることができないと言いました。そのときに臼田さんの方から電話がありましたし、こちらでも、退院させるということがわかっているのに面会をさせない理由があるかということを強硬に申し込みまして、帰りまぎわにやっと面会を許されて、五十日目に面会しました。
  258. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 そうすると、そんな書類がそろっていても一週間も十日もかかると言ったのは、小野房子という食養課長の人が言ったわけですね。
  259. 小松みどり

    ○小松参考人 その通りでございます。
  260. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 実は、私も他に会合がありますし、それから臼田夫妻は実は五時までと言ったのを、うっかりして私も時を過ごしてしまいましたが、ただ、きょうはまだ残りの学校側の方及び東女史本人がありますけれども、他日を期して、きょうはこの程度で打ち切りたいと思うのですが、委員長よりお諮り願いたいと思います。
  261. 高橋禎一

    高橋委員長 今猪俣委員の御発言もありましたが、ただ一点私から参考人にお伺いいたしたいのです。  まず上田参考人にお尋ねしますが、この東佐誉子さんを入院させることについて、学校側から、その治療費のことを何か学校の方で負担するとか、そういうお話はありませんでしたでしょうか、その点いかがですか。
  262. 上田守長

    ○上田参考人 それは、中原先生からお話しいただいた方が非常にはっきりすると思いますが、ばく然として、払うような払わぬような、その辺はどうもはっきり……。退職手当の方を回すとか、いろいろあったように記憶するのですが、中原先生が直接責任の衝に当られましたので、中原先生の方がよくおわかりと思いますが、いかがなものでございましょうか。
  263. 高橋禎一

    高橋委員長 やはりあなたにお尋ねをするのですが、先ほどの御意見の中に、強制入院をするに至った事情は、何か入院の費用という、そういう経済的な問題が一番大きな理由であったように伺ったのですが、そのお話が出たころ、学校の方でその費用は負担するとか、そういう話は出なかったのですか。
  264. 上田守長

    ○上田参考人 お答えいたします。第一の理由に入院費用ということもあったのでございますが、むろんそれは精神的な症状が整っていると考えられる適用妥当なケースについてだけでございますから、その点誤解のないようにお願い申し上げたいと思いますが、入院当初から、費用は、一つ、長くなるかもわからぬ、やってみなければわからぬが、長くかかるかもわからぬ、長くなる場合に備えて、いろいろ弟さんの方に負担にならないようにしようじゃないかという話は、十九日の三者の会談のときにございましたので、一応自費で入っていただきましたけれども、その間いろいろ心配いたしまして、手続をああもしよう、こうもしようということを考え、それからまた、いろいろ研究しておったわけでございます。
  265. 高橋禎一

    高橋委員長 東諦君にお尋ねするのですが、先ほどのお話の中で、入院の費用は学校で負担するからというように言ってきたような趣旨と承わったのですが、入院費についてはどうなんです。学校の方から自分の方で払うというような話があったかどうか。
  266. 東諦

    ○東(諦)参考人 私の方へは入院料についてはあなたに御迷惑をかけないようによろしく取り計らうからということでございました。そこで、私は、卒業生であり、長年勤めているので、それだけで負担するのは当然だと思ったから、学校の方が負担するというふうに了解しておったわけです。
  267. 高橋禎一

    高橋委員長 ちょっと速記をやめて下さい。     〔速記中止〕
  268. 高橋禎一

    高橋委員長 それでは速記を始めて下さい。  椎名隆君。
  269. 椎名隆

    椎名(隆)委員 臼田夫人に一点だけお伺いしたいと思います。  あなたがいらっしやったのは十二月の二十九日だったのですね。それで、退院のことを聞いたときに、書類一切が完備しても、病院は病院の面子があるから出せない、こういうお話があったのですか。
  270. 臼田スエ

    臼田(ス)参考人 そのことは、先ほど申し上げましたように、一月十日の書類を持っていきましたときに、私が参りませんでしたものですから、十日にいらした方たちが帰ってきて、そういう報告だったのですけれども……。
  271. 椎名隆

    椎名(隆)委員 小松さんにお伺いしますが、今私が聞いた通り、書類がそろっていても、病院は病院の面子があるのだ、書類がそろっただけでは帰せないのだというようなことを病院側から言われたことがおありでしょうか。
  272. 小松みどり

    ○小松参考人 こちらとしての書類をそろえましたところが、病院としての書類があるということと、それから、今までの手続をすぐ許可——許可というか、手続を解消するといいますか、ちょっと言葉がわかりませんけれども、その手続をとってしまいますと、時期があまり短かいために、今まで入院していたその費用が病院に下ってこないということがおもな理由であったように思います。
  273. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると、その十日の日に書類を持っていって、病院は病院としての書類がある、こうおつしゃられたというが、その持っていった書類以外に、病院で何かほかの書類を作りましたか。
  274. 小松みどり

    ○小松参考人 その当日は病院になくて、都にあるから、それをもらってきて、それに書いてほしい、病院にはなくて、都の方に用紙があるということでした。
  275. 椎名隆

    椎名(隆)委員 その書類を都の方からもらって、その書類を出したのはいつになりますか。
  276. 小松みどり

    ○小松参考人 その書類を上田院長の方から手渡していただく前に、私たちが一月十一日、翌日の朝直接都の優生課の方に参りまして、そこから直接に用紙をいただきまして書き込んで参りました。
  277. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それで、病院でその交渉をなさったのは小野食養課長という方ですか。
  278. 小松みどり

    ○小松参考人 直接話をいたしましたのは小野食養課長でございます。その際に、小野食養課長が間に入りまして、私がいろいろ申し上げるたびごとに、多分上田院長のところだろうと思いますけれども、いつも部屋を飛び出していっては、聞いてくるからということで、聞いてきて、私の方に間接に話をされました。
  279. 椎名隆

    椎名(隆)委員 上田さんにお伺いしますが、弟さんの諦さんの承諾を得たのは入院する前ですか。
  280. 上田守長

    ○上田参考人 どういう承諾ですか。
  281. 椎名隆

    椎名(隆)委員 東さんを入院させる前に弟さんの承諾を得たのですか。入院してもよろしいという……。
  282. 上田守長

    ○上田参考人 私どもの経験から判断して、こういうふうな状態のときは、できるだけ早く入院して、そうして早く治療をする方が早くよくなる、病的な状態であるということには間違いないと思うからと、普通われわれ医者が患家の方に説明しますように説明したわけであります。  それから、もう一つ、今の小松さんのに敷衍いたしたいと思いますが、小松さんのお話はだいぶ誤解があるように思います。精神衛生法の法規をごらんいただけばよくわかるのですが、私がそのときにおったかどうかということです。私、社会保険の東京都の審査委員をやっておりますが、その時分ちょうど審査委員会が毎日ある日でございまして、その審査に行っておりまして、私は留守でございます。十一日の退院の日も審査委員会の席上に東京都から電話があったというような状態でございまして、留守であります。  それと、面子が立たないとか費用が出ないとかいうのも、ちょっと誤解がおありになるのじゃないかと思うのですが、退院させますときは、私どもの方で手続をとりまして、その書類が——急ぐときは電話で申すのでございますが、書類が保健所を通じて都の優生課へ参りまして、退院の指令が都知事の名前で病院あてに出るわけです。——退院してよろしいという指令が。その間に、普通の経過をとりますと、急を要する場合は特に便宜をはかってもらうことがございますが、都知事の指令が出ますのに大体一週間くらい。普通の自費や生活保護の場合は医者の方に手続をとればすぐ退院できるのでございますが、二十九条の場合は、その手続のためにそのくらいの日数がかかるわかるわけであります。それから、一旦都知事が入院指令を出しました以上は、どんなことがありましても、衛生法の二十九条の費用は当然出なくてはならない。従って、私の方でもう退院できるような状態だということで都に手続をとりますと、退院が実現する都知事の指令が出るということになっております。
  283. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると、今あなたのお話の中に、東佐誉子に対する退院はあなたの方で書類を完備してやったのだとおっしやられたのですが、その通りですか。
  284. 上田守長

    ○上田参考人 退院の手続は、私の方で、退院してもよろしいという指令を出してくれということを都知事あてに申請するわけでございます。それによって退院が実現する。ただ、都知事があと引き取って責任を持つとかいうようなことで優生課が手続をとると——この場合は行ったかどうかわかりませんが、普通は家族の方が優生課に行って手続をとるというふうなことはなしに、病院だけで都との話し合いでしょっちゅう退院は実現しております。
  285. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると、退院の手続はあなたの方でやったとおっしゃられるが、やらざるを得ないようになったので、つまり、臼田さんやそのほかの方が一切の書類を出してきたので、あなたの方では退院の手続をとらざるを得ない立場になってやったのじゃないですか。さっきの話を聞いておりますと、何か療法を一月の十日過ぎにやるのだが、その十日過ぎにやるのをやめさせるために一切の書類を整えてあなたのところへ持っていったという。あなたの方では仕方がないからそれに基いて退院の手続をとるようになったのじゃないですか。あなたの方で自発的に、東佐誉子はもうなおったのだから、書類を出してもいいということで作ってやったのですか。
  286. 上田守長

    ○上田参考人 今の治療法も根本的な誤解があるのですか、インシュリン療法も電気衝撃療法も、健康な人にやっても、そんな症状の起きるような治療法じゃございません。インシュリン療法はしょっちゅうやっております。健康な人にはやることはございませんが……。
  287. 椎名隆

    椎名(隆)委員 療法や何かを聞いているのじゃなくて、自発的に退院の手続をやったのかどうか。
  288. 上田守長

    ○上田参考人 ですから、冒頭に申し上げましたように、退院後の世話によって普通の生活ができるという見通しがつけば、われわれの方で退院の手続をとるわけでございます。弟子の方々一つ一生懸命やるからどうだろうということで申し出がありましたので、この程度ならよかろうということで私の方でそれをとったわけでございます。  それから、これも蛇足ですが、もう一ぺんインシュリン療法のことを申し上げますが、インシュン療法は決してあとのディフェクトを残すような治療法じゃございません。これは精神病の方の他の専門家にお聞きいただけるといいと思います。ですから、インシュリン療法をやりますには優生課を通じて都知事の承認が要ります。費用がずいぶん食う療法でございます。一クール二万円くらいかかります。都知事の承認を得て、それも申し込んでから日数が相当かかる。それから始める。この場合はそんな手続は一切やっておりません。
  289. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると、十二月の二十九日の当時においては、来年の一月の十日からそういう治療をしなければならない、こういうふうになっておったのだが、一月の十日にきて、今度そういう治療をしなくても済んだのだと医者の立場から見るようになったのですか。
  290. 上田守長

    ○上田参考人 そうではございません。いろいろな思い違いがあるようですが、この場合、病床日誌をごらんいただけばわかるのですが、最初の治療方針は精神的な安静ということで病床日誌にきちんと書いてございます。治療方針という欄がございまして、そこに衝撃療法をやる場合は衝撃療法と記載いたしますし、精神的な安静という場合には精神的な安静というふうに書くわけです。ですから、病床日誌には、初め衝撃療法と書いてそれを直したりしたような痕跡は一切ございません。最初から終始精神的な安静ということで治療をいい方に導けるという方針でやっております。くれぐれ、途中で変ったものではございません。
  291. 椎名隆

    椎名(隆)委員 もう一つわからないのは、さっき申し上げたのですが、東佐誉子さんを診察する前に、弟さんの諦さんの同意といいますか、あるいは入院に対する承諾を受けたのですか。
  292. 上田守長

    ○上田参考人 何回も申し上げておりますが、患者さんの家族が参りましたときに、資料を提示してもらいまして、資料診断をやりまして、意見を言いまして、入院する方がよろしいということを申し上げた。ですから、資料診断そのほかのいろいろな材料によって私が判断したところ、その結果をお話して、それに対する対策という質問を受けましたので、こういう場合にはそうする方が外来で治療するよりも早道だということで、そういうふうに私の意見を申した。
  293. 椎名隆

    椎名(隆)委員 それから、二十九条に切りかえて入院するときには、別にあらためて弟さんの諦さんから承諾を得なかったわけですね。承諾を得たというのは一回だけですね。
  294. 上田守長

    ○上田参考人 専門外の方でございますので、二十九条あるいは生活保護法というのはどういうものか、どの程度に御理解があったか、今のお話を聞くと不確かなように見えるのでございますけれども、私は詳しく御説明申したつもりです。今申したようなことで承諾を得たというつもりで、私ども書類の提出を求めましたのも、二十九条の措置をとりますのに必要だからということで、区役所の収入証明を出してもらいまして、そして二十九条の手続をとったわけでございます。むろん承諾を得たというふうに私考えております。
  295. 椎名隆

    椎名(隆)委員 そうすると、一番最初承諾を求めるときにすでに生活保護法による入院だということをはっきり言っておったわけですか。
  296. 上田守長

    ○上田参考人 最初は自費で入られたわけでございます。それから、費用を軽減するのにはどういう方法があるかということで話題に乗りまして、私どもの方でとっている方法は、生活保護法による医療扶助と精神衛生法の二十九条、症状が二十九条に該当すると考えた場合にのみ二十九条は適用できるわけでございますから、その点誤解をいただかないために申し上げたいと思いますが、二つの方法がある。まず生活保護法の手続を研究してみる。その間自費でやって——学校で負担するかどうか、そこまで話が行ったかどうか、他の方に御聴取いただきたいと思いますが、生活保護法がうまくいかなかったときは二十九条の症状もなおいろいろ研究してみるが、二十九条に該当する症状がそろうというふうなことになったら二十九条の手続をとると説明いたしました。生活保護法は、実弟の方が郷里に不動産をだいぶ持っておられるようでございまして、それは申請もうまく参りませんで、それで二十九条というふうになったわけでございます。私どもは最初から何とか好意的にしようという考えで、ほかの患者にもやっていることでございますから、その点を申し上げます。
  297. 高橋禎一

    高橋委員長 いま一点東諦君にお尋ねしますが、あなたは、強制入院するということについて相談を受けられたかどうか、そして、そのときに費用の問題の話があったかどうか、その点についてお話しを願いたいと思います。
  298. 東諦

    ○東(諦)参考人 私の方は、とにかく、何でもかまわないから、向うがこういう手続をしなければならないと言われますから、それは必要だったらどんなことでもして下さいというようなわけで、実は精神衛生法というような法律は一切知らなかったのです。何しろ、学校の方で入れてくれるのにはそんな手続きをしなければならないのだろうというような、はなはだうっかりした考え方ですけれども、手続が必要だから書類を送れという話でしたから、たしか私はそういう手紙をもらいまして、入れてあった書類に判を押して送っております。
  299. 高橋禎一

    高橋委員長 猪俣君。
  300. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 最後に一点、さっきからはっきりしないのだが、十一月十九日に弟さんが出てきておる。そのときに、学校側とあなたと病院入院の同意を口頭で求められた。そこで、そのときはあなたは資料の鑑定だけやられた。精神衛生法の第三十三条の鑑定というものは資料鑑定をいうのですか。厚生省の訓示はそうなっていないはずなんだ。資料だけで、入院がいいか悪いか、入院の同意をしなければならぬかどうかなんという鑑定は出ないはずなんです。精神衛生法三十三条は、少くとも院長自身が診察しなければならぬはずなんだ。ところが、資料だけであなたは鑑定して、すでに入院の同意を求められておる。そこをさっき椎名君も質問しているのじゃないかと思うのです。だから、要するに、あなたは、鑑定医として診察しない以前に、すでに弟さんが上京したときに入院しなければならぬという判断をして、その同意を求められたのじゃなかろうか。その判断するについては、いろいろの調書も要る。あるいはその他小野房子の報告、こういうものによって判断する。ただし、私どもがそこに非常に危険があるということは本件のごときは、学閥争いから出てきておることは明らかなんです。あなた方は知っておるか知らぬか知らないが、知っておらぬ道理はないと思うが、小野房子なる人物が、やはりこの女子大の卒業生だろうと思うが、一体どういう派閥の側に立っている人物かわからぬ。こういう人間の報告を材料として、ある人を入院させなければならぬかどうかということを判断をすることは、非常に危険があると思う。それですから、十九日に弟さんが出てきたときに、ただ資料だけの鑑定ですでに入院の必要をあなたが判断されたところに、入院の手続に対して疑問があるということ、いわゆる三十三条の入院を証明するについての医者としての正式な診察がなかったのではないか。これは法務省の人権擁護局が疑問として報告しておるではありませんか。それに対するあなたの答弁ははっきりしていないのだ。それはどうなんです。
  301. 上田守長

    ○上田参考人 先ほどから申し上げておりますのですが、日本女子大とは非常に親しい関係にある、関係者がわれわれの方に入院しておるということから、いろいろな病状に対する説明も懇切になる、好意的な取扱いをやるというふうな傾向は、他の関係のない施設の患者とは違うわけでございます。それで、資料診断の結果をお話しまして、これから見るが、見てこういう場合には、普通一般常識から言って入院治療するのがよろしかろう、早くよくなって早く社会に帰すのがよろしいじゃございませんかということで、そういうときに備えて入院の承諾書をとりまして、それから、二十三日には弟さんがついておいでになりませんので、二十三日は資料診断の結果を頭の中に入れまして、東さんの動作あるいはその他をいろいろ観察いたしまして、そしてわれわれの最初の予想が間違いないということで、正式にその入院承諾書を受理しまして、そして入院手続を二十三日にとったわけであります。正式に受理したのは二十三日でございますから、その結果については、あとで東さんの弟さんの見えたのがたしか二十何日ですか、お見えになったときに、こういうことで処理したからということは御説明したはずであります。家に帰られる前に来られまして、そのときに説明いたしました。
  302. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私はこれで終りますが今の説明にはちっとも承服できませんが、これは、厚生省の役人を呼んで、いかなる精神衛生法の手続をしておるか尋ねたいと思います。そんな、診察もせずして入院せしめるというようなことは違法だと思うのです。しかし、上田院長はいつもそれは合法だと主張されておるから、やむを得ませんが、それは監督官庁の説明を聞いて私どもは考えたいと思います。  きょうは私はこれで終ります。
  303. 高橋禎一

    高橋委員長 ただいまの猪俣委員の発言については、理事会で協議決定することにいたします。  それでは、本日はこの程度にとどめ散会いたしたいと存じますが、本日お聞きできなかった参考人方々には、他日おいでを願って、さらに実情をお聞きすることにいたしたいと存じます。  参考人方々には長い間当委員会の審議に協力下さいまして、どうもありがとうございました。  これにて散会いたします。     午後六時十六分散会