○
辻原委員 まず第一の、この三点の
修正点は
委員会において論議をし尽されて、
政府の
答弁によってそれはすでに
解明をしている点ではないか、こういう
高村さんの
お尋ねでございますが、これは
高村さんが
与党の
立場でございますので、あるいはうかつに聞きなされたかもわかりませんが、われわれといたしましてはこれは
解明どころではなくして、
質疑を展開いたしましてだんだんそれを掘り下げて参りますれば、ますますこの点については重大な疑義と、しかも
危惧の念を持つに至ったのであります。たとえて申し上げますと、第一点の
修正であります第七条についてであります。これは先刻私が
趣旨説明の中で申し述べました
ように、この
検定拒否ということが実際
検定を行われる民主的な
審議会にかかる以前に、
文部省の手によって第一
関門として取り扱われる、しかも
審議会に諮問をして行うというふうにはいたしておりますけれ
ども、しかしそれは第八条に述べられている一般的な
検定についてはすべて
審議会の議に諮って行うというのとでは軽重の差があるということは、ここにいらっしゃる文相も当
委員会において先般明言せられたところであります。従いましてこの
検定の
拒否を扱う場合においては、民主的な
審議会というものはきわめて軽く取り扱われまして、ほとんど
拒否するか
いなかについての
判定は
文部大臣の手によって行う、さらにそれを具体的に申し上げますれば、今回
政府の
原案と軌を一にして予算に計上せられておりますところの四十五名に及ぶ
文部省の初中局に所属されるであろうと
政府も
説明いたしております
常勤調査員、この
常勤調査員の手によってほとんどが審査されて、九分九厘までその
拒否すべきやいなやという
判定が事実上下されるということは、当
委員会におきましてもだんだんの
質問の中において
解明せられたところであります。さ
ようにいたしますと、
現行においても
検定制度はとっておりますが、それはあげていわゆる
検定審議会の議によって
文部大臣が行うことになっておるのであります。ですから従来、
行政監察委員会等の記録を見ましても、また当
委員会におきます
政府の
答弁によりましても、ここにいらっしゃる
緒方局長の
答弁を聞いてみましても、
現行は問題はあるとしても、その形においては必ず
審議会になるまでかかって、
審議会の結論によって九分九厘まで
文部大臣がそれを認めるということになっておる。ところがその場合には、従いまして
申請を
文部省に持っていきましても、
文部省の
官僚ないしは
文部大臣というものは
審議会に
提出する事務的な取り運びをする、それだけの権能しか与えられておりませんから、
検定については多少の欠陥はあるとしても、民主的な
機関で行うということが一応言い得るのであります。ところがそれに対比いたしまして、今の第七条がつけ加わった
政府原案によりますれば、第八条との
関係において、八条においてはこれは
審議会の議によって行うのだとある、ところが
審議会の議にかける必要のないもの、これは第七条の
条項によって
文部省が
拒否するか
いなかの取扱いを決定するのだという、そういう事実がこの中に盛り込まれておるのであります。ここにわれわれとしては特に今少し詳しく申し上げまするならば、その第七条の第一項、この点は私は
与党の方々も十分われわれと
見解を一にいたしておると考えたのでありまするが、
高村さんから思わざる御
質問をいただきましたので、これは当
委員会の
審議の経過に関する重要な点でもありまするから、詳細に申し上げる必要があるかと存じます。特にこの第七条の第一項の「
誤記、
誤植又は誤った事実の
記載が多いことその他
検定の基準に著しく違反することにより、
検定に合格する見込がないと認められる
図書」こうあるのであります。そしてこの
ように
検定が第一
関門、第二
関門と置かれるということの特に
問題点を申し上げますると、いわゆる
誤記、誤まった
記載をしている。これは日本語で書かれておりますれば日本人が見ればだれでもすぐ発見のできる点であろうと思いまするし、それに対していなやを言う者がないと思うので、この点に対してはさしあたり問題はないかと思います。
誤植につきましてもその点も同じ
ように、だれが見ましてもこれは
誤記と
誤植ということになるのでありまするから、これも大した問題はないかと存じます。ところがその次からが問題でございます。その次からは、(「
答弁は的はずれだ」と呼ぶ者あり)いやこれは重大な
修正点の第一について、そういうことは
解明せられておりますかという
質問でありましたから、
解明せられていないということを
前提にして出したのでございますから、今その
解明せられていない
問題点を申し上げておるのでございます。そこの
誤記誤植、この点は今申し上げました
ように大した
見解の相違は生まれないと思いまするが、その次からが——これは私はどう取り扱うかという具体的な事例を当てはめました場合には、実に
主観によって右にもとれ左にもとれるという
ような扱いがここに行われる
可能性を持っておる。そのことを私
どもは重視いたしたのでございます。すなわち誤まった事実の
記載が多いこととあるのであります。その場合に誤まっているかいないか、これは算数の計算ならきわめて簡単でございます。ところが
歴史的事実について
神武天皇は日向の国の高天原に天から降って来たという
歴史のこの書き方、こういうのも一つでありましょうし、いやそうではないのだ、これは南方からこの九州にやって来たんだという
歴史的事実、私は
歴史学者じゃございませんので詳しく申し上げることはできませんけれ
ども、そういう点についてもその事実が一体どうであるかこうであるか。特に上古の
歴史に至りましては、私の浅い学識の中からでも、いろいろなその
歴史的事実についての
記載をしている
図書を知っているのでございます。さ
ようなことに相なりますれば、この誤まった事実ということを土台にいたしまして、そうしてこれはだめだとやる場合に
清瀬大臣でありましたならばおそらくさ
ようなことはあるまいと思うのでありますが、いつの時代にかどの
ような極端な
反動大臣が生れないとも限りません。そのときにその人の
主観が少くともわれわれが小
学校あるいは中
学校で学んだ当時の、わかりやすく言いますれば戦前に学んだそういう
歴史を土台にいたしまして、そうして今日の社会科の
教科書を
判定するということになりましたならばおそらくその後において考古学的な
立場やあるいは
歴史の実証的な
立場からいろいろ研究をして今日の学説の通説としてとられている進歩的な学説というのも、それは間違っておるのだということで一笑に付されるかもわかりません。さらには大臣の段階に至らずとも、それらを扱う
文部省の役人、言いかえましたならば調査官というものがその人々の
主観によって、この
歴史的な事実というものに対する
判定が下され、その誤まった
判定を、これは誤まりであると
検定をされましたものが、即座にそれに対して応答をする機会というものは、これはわずかにその後に
説明書の交付を受けるあるいはだれにでも与えられているところの権利である行政訴訟のこの一般的
規定、一般的保障以外にならないということになりましたならば、これはまことに重大なことでございます。
さらにその次の点がもっと重要な点でございまして、「その他
検定の基準に著しく違反することにより、」とこうあるのであります。一体その
検定の基準というものはどの
ようなものか、これは皆さんが
委員会の中で、
政府からも
説明がありました
ように、
検定の基準なるものはあるいは改訂せられるかもわかりませんが、
現行のものを例にとりますると、一つには絶対条件というものがございます。この絶対条件というものは
教育基本法の
趣旨、あるいは今日の
教育目的に合致しているかどうかということが絶対条件でございます。第二には、必要条件ということにおきまして、それぞれの教科目別にわたって
文部省が編さんをいたしておりますところの学習
指導要領、これに合致しておるかどうかということが、必須の条件とされておる
ようであります。そういたしますると、まずこの絶対条件の問題だけを取り上げてみましても、どの
ようなことになるか。
検定基準ということでありまするが、その絶対条件、
教育基本法の
趣旨に合致しておるかどうか。御
承知のごとく
教育基本法はその発するところは日本国憲法であります。(「その
通り」「そうそう」と呼ぶ者あり)日本国憲法の精神というものは、これは平和主義ということであります。(加藤(精)
委員「そうそう」と呼ぶ、笑声)今日の憲法の解釈におきましても、最も単純にしてだれにでもよもやさ
ようなことには持たすまいと考えられましたいわゆる戦争放棄の
条項におきましても、当時少くとも国民の大部分のものは、ほとんどその疑いをさしはさまない。日本が軍備を持たないのだ、そうして平和的な国家を建設していくのだ、こういうことを考えておったのでございます。今日私
どももさ
ように考えておるのでございます。そこでこの九条の解釈においても同じ
ように、新憲法の平和という理念に基いて片やは軍備を持ち得るとしております。自衛権があって軍備を持ち得るとしており、片やにおいては、これは軍備を持たずに平和主義を徹底さしていくのだといたしておるのであります。この
ように最も国の基本法である憲法の解釈においてすら、この
見解を異にいたしておるのであります。ましてや
教育基本法に至りましては、その
ような考え方を引いて参りますると、その
見解について二つに分れることは、これは事実でございます。そういたしますると、この
検定基準についての絶対条件の解釈においても
主観に基いて行われる。こういうことに相なって参りましたならば、これまたその
主観によって
拒否されるという事実が生まれる。ここにおいてこの
条項というものは、将来
教科書が
文部省の
官僚と
文部大臣の
見解によって左右される危険が生まれる
条項であるというふうに私
どもは
判定をいたしたのでございます。
今きわめて簡単に一例を申し上げましたが、その
ような点から推しまして、
政府の
答弁におきましては、私
どもに納得を与える
解明をいただけなかったということを、はなはだ遺憾といたしておりますので、
高村委員におかれましても、どうか一つ私の申し上げました点で御了解を願いたいと思うのでございます。
第二の
質問でございますが、第二点はこういう御
質問でございました。中身は二点に分れておった
ように記憶いたします。
一点は、
学校ごとに
採択をするという
修正案を出しているが、今日
現行のこの
学校ごとの
採択方式においては、あるいは各
学校によって
教科書の種類を異にするという不便が生まれたり、いわゆる
ばらばらになってしまったり、あるいは転校した場合などにおいては、若干の不便が起きるではないか、しかも今この
採択のやり方については、ほとんどが郡市における
統一採択のやり方をやっているのに、なぜその
方向に逆行する
ような不便なやり方を是認する
修正案を出したか、こういう
ような
高村さんの御
質問でございました。その場合に、私の根本的な考え方と
高村委員の根本的な考え方とには相違があるやに思います。この点は
高村さんに御了承願いたいと思うのであります。と申し上げますのは、
教科書はもちろん便不便という
観点からも選ばなければなりませんけれ
ども、
教育上
教科書の扱いというものをどうするのが最も正しいかということを
前提にしてわれわれは
制度を考えておるのでございます。
高村さんの
ように、
学校ごとに
ばらばらになるのは不便じゃないか、転校、転学あるいは転入の場合に不便じゃないかという議論、これは実際の議論としては存在いたしておることも私は否定をいたしませんし、十分その点について
考慮を払うこともわれわれは考えておるのでござ、いますが、それより以上に重要な問題は、
教科書というものは、これは先ほど
高村さんが第三の
質問に関連してお話になりました
ように、主たる
教材ではあるが絶対的なものではない、こうおっしゃいました。絶対的なものは何かというと、これは
教師その人の人格、
識見全体で、この
教師がそれぞれの地域に適合した
内容をひっさげて、そうして国の
方針に合致した
教育を実践していく。従って
教師その人にゆだねる点が今日の
学校教育には多い、こういうことで私と
高村さんの
意見が一致いたしておる
ようでありますが、それを
前提にして考えますると、その
教師が自主的に選ぶということが、やはり基本的な考えとしては最も望ましい形ではないか。しかし
教師それ自体、一人々々が選ぶということは、これは人間の能力その他との
関係もありまするから、やはり一つの
単位としては、それぞれの
教師の
意見を聞いて、その
意見に十分にこたえ得るだけの責任とまた能力を持っておるところの
学校長、この間において決定
採択していくことが、やはり今日の
教育の上においては必要なことであって、それを画一的な、統一的なものにしていることが、
教育のほんとうの
意味における効果を上げていくゆえんではないという考え方のもとに、私
どもはこの
採択については、あくまでも
学校単位という
原則を守っていくという
方針を打ち出したのでございます。
なお今日各府県においては、郡市を
単位にいたしまして、事実上この
法案の
ような
統一採択のやり方が行われているではないかという御
質問でございましたが、この点は、先般私も当
委員会において、大臣の
説明に対しまして反論をいたしておきましたが、少くとも今日行われているやり方は、それぞれ下から積み上っております。しかも現状においては、
教師それ自体に事実上
採択権というものが与えられているのであります。そうして
学校なら
学校を
単位にして研究会を組織し、あるいは郡市の
単位においてそれぞれの
教科書にわたる研究会を組織し、それぞれ研究、研さんを経て、そうして最終的に一つの
統一採択の協議
機関を設けて数種のものを選んでいく、こういう
ような形のものが比較的に多いのであります。
〔
委員長退席、山崎(始)
委員長代理着席〕
そういたしますると、この
法案に考えられている
ように、あらかじめ
教科書選定協議会というものを作って、そうして所要の
委員を任命して、その範囲において
原案を作って、都道府県の
委員会が承認をする、
教師は、単にその場合に
学校長の
意見を聞くという程度にとどまっておるものとは、本質的に、また実際上大きな差異があるということを私
どもは認めておるのでございます。
次に最後の御
質問は、
提案いたしました第三点の、
教師の
指導書を削除するということと(「それは聞いてない」と呼ぶ者あり)なければこれで……。