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1956-05-22 第24回国会 衆議院 文教委員会 第44号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月二十二日(火曜日)    午後七時二十九分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君    理事 山崎 始男君       秋田 大助君    伊東 岩男君       稻葉  修君    北村徳太郎君       久野 忠治君    杉浦 武雄君       田中 久雄君    高岡 大輔君       千葉 三郎君    松浦周太郎君       町村 金五君    山口 好一君       横井 太郎君    河野  正君       小牧 次生君    小松  幹君       高津 正道君    野原  覺君       平田 ヒデ君    前田榮之助君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    斎藤  正君         文部事務官         (初等中等教育         局教科書課長) 安達 健二君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 五月二十二日  委員楠見省吾君、塚原俊郎君、野依秀市君、古  川丈吉君、松澤雄藏君、小松幹君及び山本幸一  君辞任につき、その補欠として千葉三郎君、松  浦周太郎君、高岡大輔君、北村徳太郎君、横井  太郎君、木下哲君及び前田榮之助君が議長の指  名で委員に選任された。 同 日  委員横井太郎君及び木下哲辞任につき、その  補欠として秋田大助君及び小松幹君が議長の指  名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  教科書法案内閣提出第一二一号)  教科書法案辻原弘市君外八名提出衆法第四  四号)     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  この際辻原弘市君外八名提出教科書法案について、提出者全部より撤回の申し出があります。つきましては本案が委員会議題となった後は、その撤回につきましては衆議院規則第三十六条の規定により委員会の許可を得なければなりません。これを許可するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 御異議なしと認めます。よってさよう決しました。     —————————————
  4. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 内閣提出教科書法案議題とし、審査に入ります。内閣提出教科書法案に対して修正案提出されておりますので、この際提出者より趣旨弁明を求めます。辻原弘市君。
  5. 辻原弘市

    辻原委員 ただいま議題となりました教科書法案に対するわが党の修正案につきまして、その内容趣旨を簡略に御説明申し上げたいと存ずる次第であります。  お手元に修正案文を配付いたしておりますので案文の朗読は省略をいたします。修正の要項をあらかじめ朗読いたしまして、次にその修正の個所につきましての趣旨を申し上げたいと存じます。  その第一点は、検定拒否に関する第七条の規定を削除することであります。第二点は、採択地区において都道府県の教育委員会が行うものとせず、各学校ごと校長教員全員意見を聞いて行うものとすることであります。第三点は、教師用指導書に関する届け出義務文部大臣の勧告の規定、五十六条を削除することといたしました。  第一点の削除いたしました趣旨を申し上げますと、この規定は、政府原案によりましては、またその説明をいたされました文部大臣のこの条項に対する趣旨説明ないしは政府委員の補足的な説明によりますと、教科書検定行政の能率的な運用をはかるために設けたといたしているのでありますが、私どもが今まで委員会においてこの条項を中心にいたしまして、政府見解をただしまして、種々検討を加えましたところ、このよう規定をあえて設けなくとも、検定審議会のこの民主的な機関におきましての合理的運営をはかるならば、その目的は十分達成せられると考えたのでございます。すなわち第七条の第一項に規定いたしておりますところの誤記誤植または誤まった事実の記載が非常に多くて、その申請をいたしました教科書原案がとうてい検定に合格する見込みがないと考えられるような場合におきましては、これはあえて第七条の検定拒否という条項を設けられなくとも、十分その審議会は通常の審議の仕方においてそれらの判定を容易にすることができるであろう、かように考えられるのであります。その多くの検討を要することなしに、不合格の判定を下すということが、審議会において十分その機能を発揮し得ればなし得ることであるということは、これは政府説明をだんだん聞いて参りましたところ、われわれにもその確信が今日持ち得るのでございます。同様に第七条第二項の規定により検定された教科書は四年間は教科書修正を認めないというのでありますが、そのよう教科書検定に要する手数というものはかなり少くなるものであり、教育上の目的から考えて教科書に常に改良進歩を加える余地を残しておいた方がはるかに良策であると考えるのであります。むしろ一定の場合には検定審議会に諮問してとはありますが、実質上これは文部省官僚だけの判断により、いわゆる文部省の段階において門前払いをすることができる結果、教科書の適否についての判断が恣意にわたったり、あるいは特定の政治的立場からの片寄ったものとなった場合の危険性が考えられますときに、あらかじめそのよう危惧を除くためにもこの規定を削除することが至当であると判定せられるのであります。  等二点は教科書採択に関することでありまして、第二十条から第二十四条までの採択権者に関する規定を改めまして、さきにわが党から提案いたしました教科書法案がとっておりました採択学校校長教員意見を聞いて行なう、この原則を確立いたしたいと考えていることであります。この採択制度につきましては本委員会におきましてもいろいろな角度から政府に対して質問が繰り返され、特に統一採択というこの問題についてはそれぞれの角度から追及が行われて参ったものでございます。御承知通り先日当委員会が行いました公聴会におきましても、各公述人から最も熱心に公述せられまた問題とせられておったのもその点でございます。この意味におきましてわが党におきましてもこの法案全体に対して多くの、また根本的に見解を異にする点を持っておりますが、特にこの採択に関する規定につきましてはいかように考えましても承認することはできないのであります。もとより教科書教育の主たる教材としての重要性にかんがみ、採択に関する制度をどのように定めるかについても、いろいろな条件を勘案いたしまして決定をしなければなりませんが、まず第一に考慮しなければならないこと、まず第一の原則として確立しておかなければならないことは、あくまでも教育上の観点からこれを決定していくということでございます。(「その通り」)学校教育上、教科書をどのようなものとして取り扱うべきかにつきましては、現場の直接学校指導の任に当っております教師が持ち得るものとしまして、自己の教育方針に最も適合したものが選ばれ、その自由と創意を余すところなく発揮した、生きた教育を行うべしというのが近代教育原則にほかなりません。この意味におきまして、先日の公聴会において森戸公述人も述べておられましたように、英米などの先進諸国におきましてはすでにとられている検定の自由ないしは採択の自由ということが、わが日本の国におきましても将来向うべき方向であることについては議論の余地のない点であろうかと存ずるのでございます。そこで政府原案を見ますならば、極端な場合、実に一県一区で、ただ一種の教科書採択いたしまして、これを各学校教師に押しつけるというのであります。これは明らかにさきに述べました英米その他のいわゆる民主主義諸国家において採用せられているところの検定あるいは採択自由化方向に逆行するものでありまして、近代教育原則に背馳しておるものといわなければなりません。  さらに第二には、これまた多くの人が指摘をいたしておりますように、いわゆる新教育委員会法と相結びまして、中央文部省支配が非常に濃化される県の新しく生まれるであろう教育委員会採択の権限を握ることとなり、画一的な中央集権的教科書行政、それはさらに明らかに教科書国定化へと結びつけられていくのであります。このことはいかように考えましても否定することのできない事実といわなければなりません。  なおまた新しい教科書採択制度教科書の供給との関係についてでありますが、大きな採択地区が設けられ、かつ一種だけ採択するようなことになりますと、発行業者は勢いあらゆる運動方法を用いて、現在よりももっとずっと激しい売り込み運動を始めるであろうということは予想にかたくないところでありまして、これは当委員会におきましても非常に激しい論争が行われたところでありまするが、教科書に関する明治以来の歴史を振り返ってみましても、日露戦争直前明治三十五年に起きました、いわゆる世紀の大疑獄事件といわれるあの金港堂事件は、当時の検定制度のもとにおいて行われた府県一本の採択方式教科書制度の中から巻き起されたものでございます。このことは採択地区が拡大され、採択が統一されて、その教科書の種類というものが限定される傾向に従って、これらの疑獄事件の発生の危険性というものも正比例するであろうということは常識でございます。好ましくはありませんけれども、勢いのおもむくままに、そうした危険性を包蔵しているということは、何人も事実において肯定せざるを得ない点であろうかと思うのでございます。従いまして私どもは最も公正かつ厳粛に取り扱わなければならない教科書にまつわるかかる不公正、疑獄というものを払拭いたしますためにも、これらの公益性のもとに行われる統一採択方式というものは、厳にこれを排除していく必要があると考えるのでございます。これに対する政府の御答弁ないしは法案に出ている予防措置といたしましては、いわゆる取締り規定ないしは罰則ということで、十分不公正あるいはいまわしい疑獄というものに対応する手段だといたしているのでございますけれども、私どもは簡単に取締り、またそれに報いるに処罰規定だというこの割り切り方には納得がいきがたいのでございます。そのようにして採択にまつわる不公正問題が防止でき払拭できるならばこれは幸いでありますけれども、さように簡単に考えることはとうてい不可能であろうと思うのでございます。  さらにまたこうした場合に資本力の大きな会社と小さな会社との間に、資本原則に基く優勝劣敗が起るということも無視することはできないのであります。また発行者立場からいっても、一たん大量に採択が行われまして、次の採択期には教科書内容と何らかかわりなしに採択が激減することとなることも心配せられているのでございます。  以上申し上げましたような諸種の観点からいたしまして、われわれとしましては、あくまでも採択は各学校ごとに行われるということが最も望ましく、かつ不公正を排除するゆえんであると思うのでございます。さらにその裏づけといたしましては、これは政府案のうちにも若干の考慮が払われておりますが、また先般提案をいたしました社会党の代案にもその点を強調しておったのでございますが、十分現場において各学校がその学校独自の立場においてこの教科書を誤まりなく採択でき得るような、そうした素地を作るためにも日常教科書に対する研究機関というもの、研究施設というものを国が援助を与えて恒常的に設置をして、教科書採択に対する高い識見現場教育者においてつちかうよう配慮をぜひ強化して参らなくてはならぬということをその裏づけに考えておるのでございます。  次に修正の第三点でございますが、先刻朗読いたしましたように、教師用指導書に関する第五十六条の規定を削除しようといたしておるのであります。この規定教師用指導書を発行した者は、その指導書文部省提出せよというのでありますが、われわれといたしましては教科書法にこのよう規定を盛り込む必要は毛頭ないと判断をいたします。あくまでも教師用とは単に教師手引きとしての価値を持つものでありまして、いかなる教師手引きを採用いたしましょうとも、それは教師教育的良心教育的識見に基いて行われるべきものであり、教師自身のいわゆる指導に対して、その手引きにおいてすら拘束を与えようとするようなことは、これは現場における生きた教育、これを実践せしめていこうとする今日の新しい教育方針趣旨に背反するものであると申さなければならないのでございます。かよう規定教科書法案に盛り込んでおく場合には、むしろこのことによりまして教師によい教育上の指針を与えるということよりも、指導書までに文部大臣が不当に支配をするという結果を招来いたしまして、教科書においてさらにはこうした教師手引き等にまで、場合によりますると一党一派政治的見解というものがその指導書の上に現われて参り、二重にも三重にも教育の上に干渉の余地を残す結果となるのでございます。こういう点からあくまでも教師の自主的な教育指導にゆだねまして、その教科書をより有効に、より適切に活用していくという、この教育者の実力、教育者識見、これを養成する点に十分なる配慮、十分なる考慮を加えて参ることの方がはるかに教育方針にマッチしていく道であるということをわれわれは考えるのでございまして、すべからくこの指導書については、教師の自主的な教育を妨げるという点において削除せられるべきであると考えたのでございます。  以上が要綱においてお示しをいたしております三点の修正案に対するきわめて簡潔に申し上げました趣旨でございます。  なおその他の条文はそれぞれこの三点の修正をいたします結果から生ずる各条項の整理でございます。何とぞ各位におかれましても従来の委員会審議を振り返られまして、この最も重要なる点に集約をいたしましたわが党の修正案に対しまして与党諸君も十分御勘考の上、最終的には御賛同を賜わらんことを切にお願いを申し上げまして私の提案趣旨を終る次第であります。
  6. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これにて修正案趣旨弁明は終りました。辻原提出修正案について質疑があればこれを許します。高村坂彦君
  7. 高村坂彦

    高村委員 社会党辻原委員から修正案提案になりましたが、社会党諸君がこの教科書法案に対して真剣に取っ組まれまして、その是とするところを修正案として御提出になったその態度に対しましては、決して敬意を払うにやぶさかではないのでございます。しかしながらこれらの三点につきましては、すでに文部大臣あるいは政府委員等から詳細なる御説明がありまして、ただいま提案理由で御説明になったところは十分解明されておりまして、いやしくも虚心たんかいに政府答弁をお聞きいただいたならば、私はこうした修正案が出るということはいかにも不思議に思うのでごさいますか、私はこの三つの修正の中で最も重要と考えられまする第二の点につきまして若干の質問を申し上げたいと存じます。第二の修正点では、政府案の郡市を単位として採択地区をきめるという原則に対しまして、各学校ごと校長教員全員意見を聞いて行うものとすることに相なっておりますが、現在の制度は御承知ように市町村の各教育委員会採択を決定することに相なっております。そうした制度のもとにおいてすら、実際は政府当局からも御説明がありましたように、全国の約七〇%にわたる地区におきまして、郡市の単位で現にもう採択が行われておるのであります。こうした事実をどういうふうに見ておられるのでございましょう。私どもは各学校ごと採択されるということになれば、教科書が、場合によっては各学校ごとばらばら教科書を使うというようなことが生ずることを予想しなければならないのであります。しかるに現在もうすでにさような状態に相なっておる。こういった現状は、これは教員教科書共同研究をやるという建前からしても、また児童、生徒が転校するような場合にその便宜の上から申しましても、また価格の低廉化を期する上から申しましても、いろいろな点から考えまして必要があり、その必要に迫られた自然発生的な現象であろうと私は思うのであります。従ってそうした自然発生的な、必然的な結果に対して逆行するような、こうした採択ばらばらにするよう方針をあえてこの際とらんとされる趣旨に対して、私はどうしても了解することができないのであります。この点についてお尋ねをいたしたいと存じます。  さらに一体教科書というものはなるほど主たる教材でございまして、決して教員の教える内容というものは教科書だけに拘束されるものではないのでございまして、相当地域の範囲において行われるものでも、いろいろな教材を併用して十分自由闊達な教育をなし得るはずでございます。しかるにただいまお話しになった第三の点とも私は矛盾しておると思うのでありますが、教育指導書は自由闊達に使えるのであるからこれを許したらどうか、こう一面においてはおっしゃるかと思うと、一面においては教科書に全く教員というものが縛られて、それのみによって教育をするということを前提とするような御説明がございましたが、これは私は提案者の考え方の矛盾を暴露しておるものとも思うのでございます。この点につきましても一つ明快に御答弁をいただきたいと存ずるのであります。  まず一応以上の点につきまして、提案者の御説明を承わりたいと存じます。
  8. 辻原弘市

    辻原委員 まず第一の、この三点の修正点委員会において論議をし尽されて、政府答弁によってそれはすでに解明をしている点ではないか、こういう高村さんのお尋ねでございますが、これは高村さんが与党立場でございますので、あるいはうかつに聞きなされたかもわかりませんが、われわれといたしましてはこれは解明どころではなくして、質疑を展開いたしましてだんだんそれを掘り下げて参りますれば、ますますこの点については重大な疑義と、しかも危惧の念を持つに至ったのであります。たとえて申し上げますと、第一点の修正であります第七条についてであります。これは先刻私が趣旨説明の中で申し述べましたように、この検定拒否ということが実際検定を行われる民主的な審議会にかかる以前に、文部省の手によって第一関門として取り扱われる、しかも審議会に諮問をして行うというふうにはいたしておりますけれども、しかしそれは第八条に述べられている一般的な検定についてはすべて審議会の議に諮って行うというのとでは軽重の差があるということは、ここにいらっしゃる文相も当委員会において先般明言せられたところであります。従いましてこの検定拒否を扱う場合においては、民主的な審議会というものはきわめて軽く取り扱われまして、ほとんど拒否するかいなかについての判定文部大臣の手によって行う、さらにそれを具体的に申し上げますれば、今回政府原案と軌を一にして予算に計上せられておりますところの四十五名に及ぶ文部省の初中局に所属されるであろうと政府説明いたしております常勤調査員、この常勤調査員の手によってほとんどが審査されて、九分九厘までその拒否すべきやいなやという判定が事実上下されるということは、当委員会におきましてもだんだんの質問の中において解明せられたところであります。さようにいたしますと、現行においても検定制度はとっておりますが、それはあげていわゆる検定審議会の議によって文部大臣が行うことになっておるのであります。ですから従来、行政監察委員会等の記録を見ましても、また当委員会におきます政府答弁によりましても、ここにいらっしゃる緒方局長答弁を聞いてみましても、現行は問題はあるとしても、その形においては必ず審議会になるまでかかって、審議会の結論によって九分九厘まで文部大臣がそれを認めるということになっておる。ところがその場合には、従いまして申請文部省に持っていきましても、文部省官僚ないしは文部大臣というものは審議会提出する事務的な取り運びをする、それだけの権能しか与えられておりませんから、検定については多少の欠陥はあるとしても、民主的な機関で行うということが一応言い得るのであります。ところがそれに対比いたしまして、今の第七条がつけ加わった政府原案によりますれば、第八条との関係において、八条においてはこれは審議会の議によって行うのだとある、ところが審議会の議にかける必要のないもの、これは第七条の条項によって文部省拒否するかいなかの取扱いを決定するのだという、そういう事実がこの中に盛り込まれておるのであります。ここにわれわれとしては特に今少し詳しく申し上げまするならば、その第七条の第一項、この点は私は与党の方々も十分われわれと見解を一にいたしておると考えたのでありまするが、高村さんから思わざる御質問をいただきましたので、これは当委員会審議の経過に関する重要な点でもありまするから、詳細に申し上げる必要があるかと存じます。特にこの第七条の第一項の「誤記誤植又は誤った事実の記載が多いことその他検定の基準に著しく違反することにより、検定に合格する見込がないと認められる図書」こうあるのであります。そしてこのよう検定が第一関門、第二関門と置かれるということの特に問題点を申し上げますると、いわゆる誤記、誤まった記載をしている。これは日本語で書かれておりますれば日本人が見ればだれでもすぐ発見のできる点であろうと思いまするし、それに対していなやを言う者がないと思うので、この点に対してはさしあたり問題はないかと思います。誤植につきましてもその点も同じように、だれが見ましてもこれは誤記誤植ということになるのでありまするから、これも大した問題はないかと存じます。ところがその次からが問題でございます。その次からは、(「答弁は的はずれだ」と呼ぶ者あり)いやこれは重大な修正点の第一について、そういうことは解明せられておりますかという質問でありましたから、解明せられていないということを前提にして出したのでございますから、今その解明せられていない問題点を申し上げておるのでございます。そこの誤記誤植、この点は今申し上げましたように大した見解の相違は生まれないと思いまするが、その次からが——これは私はどう取り扱うかという具体的な事例を当てはめました場合には、実に主観によって右にもとれ左にもとれるというような扱いがここに行われる可能性を持っておる。そのことを私どもは重視いたしたのでございます。すなわち誤まった事実の記載が多いこととあるのであります。その場合に誤まっているかいないか、これは算数の計算ならきわめて簡単でございます。ところが歴史的事実について神武天皇は日向の国の高天原に天から降って来たという歴史のこの書き方、こういうのも一つでありましょうし、いやそうではないのだ、これは南方からこの九州にやって来たんだという歴史的事実、私は歴史学者じゃございませんので詳しく申し上げることはできませんけれども、そういう点についてもその事実が一体どうであるかこうであるか。特に上古の歴史に至りましては、私の浅い学識の中からでも、いろいろなその歴史的事実についての記載をしている図書を知っているのでございます。さようなことに相なりますれば、この誤まった事実ということを土台にいたしまして、そうしてこれはだめだとやる場合に清瀬大臣でありましたならばおそらくさようなことはあるまいと思うのでありますが、いつの時代にかどのような極端な反動大臣が生れないとも限りません。そのときにその人の主観が少くともわれわれが小学校あるいは中学校で学んだ当時の、わかりやすく言いますれば戦前に学んだそういう歴史を土台にいたしまして、そうして今日の社会科の教科書判定するということになりましたならばおそらくその後において考古学的な立場やあるいは歴史の実証的な立場からいろいろ研究をして今日の学説の通説としてとられている進歩的な学説というのも、それは間違っておるのだということで一笑に付されるかもわかりません。さらには大臣の段階に至らずとも、それらを扱う文部省の役人、言いかえましたならば調査官というものがその人々の主観によって、この歴史的な事実というものに対する判定が下され、その誤まった判定を、これは誤まりであると検定をされましたものが、即座にそれに対して応答をする機会というものは、これはわずかにその後に説明書の交付を受けるあるいはだれにでも与えられているところの権利である行政訴訟のこの一般的規定、一般的保障以外にならないということになりましたならば、これはまことに重大なことでございます。  さらにその次の点がもっと重要な点でございまして、「その他検定の基準に著しく違反することにより、」とこうあるのであります。一体その検定の基準というものはどのようなものか、これは皆さんが委員会の中で、政府からも説明がありましたように、検定の基準なるものはあるいは改訂せられるかもわかりませんが、現行のものを例にとりますると、一つには絶対条件というものがございます。この絶対条件というものは教育基本法の趣旨、あるいは今日の教育目的に合致しているかどうかということが絶対条件でございます。第二には、必要条件ということにおきまして、それぞれの教科目別にわたって文部省が編さんをいたしておりますところの学習指導要領、これに合致しておるかどうかということが、必須の条件とされておるようであります。そういたしますると、まずこの絶対条件の問題だけを取り上げてみましても、どのようなことになるか。検定基準ということでありまするが、その絶対条件、教育基本法の趣旨に合致しておるかどうか。御承知のごとく教育基本法はその発するところは日本国憲法であります。(「その通り」「そうそう」と呼ぶ者あり)日本国憲法の精神というものは、これは平和主義ということであります。(加藤(精)委員「そうそう」と呼ぶ、笑声)今日の憲法の解釈におきましても、最も単純にしてだれにでもよもやさようなことには持たすまいと考えられましたいわゆる戦争放棄の条項におきましても、当時少くとも国民の大部分のものは、ほとんどその疑いをさしはさまない。日本が軍備を持たないのだ、そうして平和的な国家を建設していくのだ、こういうことを考えておったのでございます。今日私どももさように考えておるのでございます。そこでこの九条の解釈においても同じように、新憲法の平和という理念に基いて片やは軍備を持ち得るとしております。自衛権があって軍備を持ち得るとしており、片やにおいては、これは軍備を持たずに平和主義を徹底さしていくのだといたしておるのであります。このように最も国の基本法である憲法の解釈においてすら、この見解を異にいたしておるのであります。ましてや教育基本法に至りましては、そのような考え方を引いて参りますると、その見解について二つに分れることは、これは事実でございます。そういたしますると、この検定基準についての絶対条件の解釈においても主観に基いて行われる。こういうことに相なって参りましたならば、これまたその主観によって拒否されるという事実が生まれる。ここにおいてこの条項というものは、将来教科書文部省官僚文部大臣見解によって左右される危険が生まれる条項であるというふうに私ども判定をいたしたのでございます。  今きわめて簡単に一例を申し上げましたが、そのような点から推しまして、政府答弁におきましては、私どもに納得を与える解明をいただけなかったということを、はなはだ遺憾といたしておりますので、高村委員におかれましても、どうか一つ私の申し上げました点で御了解を願いたいと思うのでございます。  第二の質問でございますが、第二点はこういう御質問でございました。中身は二点に分れておったように記憶いたします。  一点は、学校ごと採択をするという修正案を出しているが、今日現行のこの学校ごと採択方式においては、あるいは各学校によって教科書の種類を異にするという不便が生まれたり、いわゆるばらばらになってしまったり、あるいは転校した場合などにおいては、若干の不便が起きるではないか、しかも今この採択のやり方については、ほとんどが郡市における統一採択のやり方をやっているのに、なぜその方向に逆行するような不便なやり方を是認する修正案を出したか、こういうよう高村さんの御質問でございました。その場合に、私の根本的な考え方と高村委員の根本的な考え方とには相違があるやに思います。この点は高村さんに御了承願いたいと思うのであります。と申し上げますのは、教科書はもちろん便不便という観点からも選ばなければなりませんけれども教育教科書の扱いというものをどうするのが最も正しいかということを前提にしてわれわれは制度を考えておるのでございます。高村さんのように、学校ごとばらばらになるのは不便じゃないか、転校、転学あるいは転入の場合に不便じゃないかという議論、これは実際の議論としては存在いたしておることも私は否定をいたしませんし、十分その点について考慮を払うこともわれわれは考えておるのでござ、いますが、それより以上に重要な問題は、教科書というものは、これは先ほど高村さんが第三の質問に関連してお話になりましたように、主たる教材ではあるが絶対的なものではない、こうおっしゃいました。絶対的なものは何かというと、これは教師その人の人格、識見全体で、この教師がそれぞれの地域に適合した内容をひっさげて、そうして国の方針に合致した教育を実践していく。従って教師その人にゆだねる点が今日の学校教育には多い、こういうことで私と高村さんの意見が一致いたしておるようでありますが、それを前提にして考えますると、その教師が自主的に選ぶということが、やはり基本的な考えとしては最も望ましい形ではないか。しかし教師それ自体、一人々々が選ぶということは、これは人間の能力その他との関係もありまするから、やはり一つの単位としては、それぞれの教師意見を聞いて、その意見に十分にこたえ得るだけの責任とまた能力を持っておるところの学校長、この間において決定採択していくことが、やはり今日の教育の上においては必要なことであって、それを画一的な、統一的なものにしていることが、教育のほんとうの意味における効果を上げていくゆえんではないという考え方のもとに、私どもはこの採択については、あくまでも学校単位という原則を守っていくという方針を打ち出したのでございます。  なお今日各府県においては、郡市を単位にいたしまして、事実上この法案よう統一採択のやり方が行われているではないかという御質問でございましたが、この点は、先般私も当委員会において、大臣の説明に対しまして反論をいたしておきましたが、少くとも今日行われているやり方は、それぞれ下から積み上っております。しかも現状においては、教師それ自体に事実上採択権というものが与えられているのであります。そうして学校なら学校単位にして研究会を組織し、あるいは郡市の単位においてそれぞれの教科書にわたる研究会を組織し、それぞれ研究、研さんを経て、そうして最終的に一つの統一採択の協議機関を設けて数種のものを選んでいく、こういうような形のものが比較的に多いのであります。   〔委員長退席、山崎(始)委員長代理着席〕 そういたしますると、この法案に考えられているように、あらかじめ教科書選定協議会というものを作って、そうして所要の委員を任命して、その範囲において原案を作って、都道府県の委員会が承認をする、教師は、単にその場合に学校長の意見を聞くという程度にとどまっておるものとは、本質的に、また実際上大きな差異があるということを私どもは認めておるのでございます。  次に最後の御質問は、提案いたしました第三点の、教師指導書を削除するということと(「それは聞いてない」と呼ぶ者あり)なければこれで……。
  9. 山崎始男

    ○山崎(始)委員長代理 高村君、質問はいいですか。
  10. 高村坂彦

    高村委員 もう済みました。
  11. 山崎始男

    ○山崎(始)委員長代理 次に高津正道君。
  12. 高津正道

    ○高津委員 お尋ねいたします。この修正案によれば、検定拒否規定している第七条を削除することになっております。この修正をもってすれば、文部省が新たに四十五名の専属の検定職員を置くことになっておるのが、置かないことになるのでしょうか。すなわちもしも四十五名の検定のための専従職員を置くとすれば、それは大学教授クラスであるともいわれ、行政簡素化にも反すると思います。もう一つは、文部省の中にこういう検定の専門職をたくさん置けば、いよいよ行政権を強めることになって、国定教科書にいよいよ移行することになろう、こう考えますので、この修正案によれば、あの四十五名は削ることになるのでありましょうか。お尋ねいたします。
  13. 辻原弘市

    辻原委員 ただいま高津委員の御質問は、四十五名の調査官を政府原案では置くこととしていることが委員会質疑の中で明瞭になったが今回私の提出いたしました修正案によれば、それはどういうふうに取り扱うのかという御質問でございました。これは政府原案によりましても、法文上は明記せられておりません。これは質疑の中で明らかになりましたが、政府としては、置くという方針のもとに、今日三十一年度予算の中に盛り込んで、その予算が通過しておりまするから、将来教科書法案が成立を見て施行となった暁においては、この四十五名の調査官を活用するということが言われておるのでございます。従いまして、私どもは結論的に申し上げますると、この四十五名の調査官というものは、ある意味においては、誤記誤植があって今日の検定教科書は非常にずさんであると指摘される人々においては、大量のそういう専門調査官を置くことによってそれを防げるから必要だ、こういうふうに考えられるかもわかりませんけれども、われわれとしましては、先ほど高村さんの御質問にお答えいたしましたように、第七条の検定拒否というこの条項に関連をいたしまして、将来この四十五名の調査官が果す役割というものはまことに重大なものがある、言いかえてみますると、この四十五名の調査官によって、事実上審議会というものはあるけれども、ほとんどこの調査官の意向によって教科書検定というこの重大なことが左右せられるのではないか。この重大な点と誤記誤植があって人手が足らぬというこのことを比較対照いたしてみました場合においては、われわれは誤記誤植においては、これは今日の組織形態の中におきましてもその運用を十分考慮して改善を加えれば防止できることでありまするから、将来に悔いを残すような人員の新たな強化、しかも文部省初中局長説明によりますると、その所属は文部大臣の管轄下に、初中局の中に置くというよう官僚の増員ということは、高津委員も今指摘せられましたが、これは今日の行政改革をやって、切れない首を切ってしまおうというよう政府方針とも大きく食い違っております。またそういう社会趨勢の中においてはわれわれは首は容易に切れないのでありまするから、せめてもその人員の増加は極限まで押えることが至当であるという見解のもとに、法律の修正としては、政府原案にございませんので出せませんけれども、態度としましては、これを増員しないことと考えておるのでございます。この社会党の態度は、先般の予算審議の際におきまして、わが党から提出いたしました予算案の組みかえ案の甲で、この政府の予算案から削除いたしております点で明瞭であろうかと存します。
  14. 高津正道

    ○高津委員 この修正案をお出しになるためには、現在出ている教科書法案かどのような動機、どのような背景かり出ているかということを十分に御検討になったのであろうか。私の見るところをもってすれば、清瀬文部大臣は、あの問題になった「うれうべき教科書」という全く党臭ふんぷんたるパンフレットを出された発行編集の責任有の一人であり、そうしてまたこの委員会でわれわれが聞いていると、文相の思想傾向というものは、憲法をマッカーサー憲法と言われるのはもちろんであるが、党のメッセンジャーである、党の決定したことを文部大臣のいすに坐って行うのである、論理上そういうことが言えるけれども、それを幾たびあなたは品にされたことであろうか。教育は中立的なものでなければならぬというのに、党がやるんだ、党がやるんだという、党のメッセンジャーにすぎないんだ、こういうことを言われると、いよいよわれわれはこのよう教科書法案が出て、このよう文部大臣であって困ると思うが、提案者はそこまで考えているのであろうかどうか。また戦争論を聞いても、大東亜戦争についてさえ、初めは自衛権であり、終りは、白人の東洋制覇をアジアのために取り返すのだというようなことを言っている人であるし、私はこういうような思想から出ているということを見なければならぬと思う。   〔山崎(始)委員長代理退席、委員長着席〕 またこの原案は、行監の審査からその結論を取り入れて出したんだと言われるが、あの行監に私は出ておったのでありますが、初めは業界のスキャンダルを扱うのかと思っていると、急に方向を転換して、今度は偏向の問題を論じ、日教組攻撃に移った。そういう偏向に満ちた行監の結論がこの法律案だったということは十分考えられておりねばならぬと私は思うのであります。私はそれらをみなはずしてお話しをしますが、そのような背景やそのような動機を十分に検討の上で、この三つの修正点が出ているのであるかどうか。私は、ここには占領政策是正という名のもとに、戦前派の追放を受けておった諸君が自分たちの政治的地位の失地回復をしよう、あるいはまた戦後に手探りで、あるいはまじめにみんなで打ち立てたこの民主主義的な諸制度、あたかも国会議事堂のごとき民主主義制度に対して悪口を言い、これを白眼視し、それに何らかのおのをふるおうとするかのように私は考える。現在の衆議院を構成しておる議員の四分の三以上が実に戦後派であります。戦前派といえども精神的革命を経ておるのであります。私は古い大臣の説明を聞き、その思想傾向をながめるについて、この三カ条の修正でそれらの意図の現われることを抑えることができるというお考えを持っておられるかどうか、この点を修正案説明者に承わりたいと思います。
  15. 辻原弘市

    辻原委員 高津さんの御質問を総括して拝聴いたしましたが、結論は、今日教科書をめぐっての種々なる背景について承知をしてこの修正案提出したのかということが一点でございます。いま一点は、この三点の修正案でそれらの背景の中で心配せられる点についてことごとく解決せられておるか、またそれによって全部解決せられるかという御質問でございました。第一の背景ということでございますが、私どもがいろいろ把握し検討いたしました諸情勢というものを克明に申し上げるということになりますると、いささかお耳ざわりの点もございまするし、また時間もとることでありまするので、要約して申し上げますると、第一は、政府が急遽この教科書法案提出して参りましたその表面の理由はともかくといたしまして、私ども立場から考えまする場合には、また私どものみならず今日のこの教科書法案について深い危惧を持っておる学者あるいは有識者の方々の見解を見ました場合において、やはり大きな問題は、今日政府が行なっておりますところの文教政策の方向でございます。この点は、先般学者が相寄りまして最近の教育行政の傾向に関する声明というような異例の声明を発表いたして大きくこのことを世論に警告し、さらには政府に対して強く反省を求めております事実からも明らかであろうかと思いまするが、私どもとしましては、今日政府がとり行わんとしておりますところの憲法改正、この憲法改正という方向は、それを実現していく手段として最も必要なことは教育の統制であるという見解に基いておるのではないか、こういうふうに把握いたさなければならぬ最近のいろいろな事実があるのでございます。一つは、ただいま参議院において審議をせられておりますところのいわゆる教育法案でございます。教育委員会制度を根本的に改めて、中央の指揮監督を強化して委員の公選を任命制に改め、地方の行なった教育行政措置に対しては、中央がこれを措置要求の名において監視、干渉することができるというこれらの法案、これも再三ならず世論において国家統制、中央集権への方向であるということが指摘せられております。われわれもその点を心配いたしましたがために、この法案に対してはまっこうから反対をいたして参ったのでございます。この教育二法律と並行して、審議期間を延長してまでもこの通常国会において成立を期したいとしておりますこの教科書法案は、少くともこの新教育法案とその底流、その精神においては軌を一にしておるところのものであると判定せざるを得なかったのであります。さらに重要な点は、私が先般の予算委員会におきまして、鳩山総理並びに清瀬文部大臣に御質問申し上げましたところ、明確に予算委員会において答弁せられておりますところの、今日の教育憲法ともいうべき基本法の改訂すら考えられておるというこの事実をわれわれが知り得ました段階においては、今やこれらの世論にさおさしても通過させようという強行な意図の裏には、単に教科書が転校の場合に不自由だとか、多少の不正なことがあるなどというような理由以外に、その奥底があるということを私どもならずとも賢明な良識を持つ方々であるならば、その点の背景については直観的に知ることができると思うのでございます。さらに高津委員より行政監察の議論云々というお話もございましたが、私がただいま申し上げました総括的な把握においてこの点は御了承賜わりたいと思うのでございます。  次に、第二点の、これによって今申しましたような背景から生れる危険、背景から生れる国家統制、中央集権、教科書の画一化、こういう問題がすべて封じられて、安心をして教科書行政がとり行われていけるかどうかについて自信がありやいなやという御質問でございますが、これは先般私ども政府提案教科書法案審議するに当りまして、多年私ども検討を加えておりました新たなる教科書制度——近代教育における教育方針に即応し得る教科書制度はいかなるものであるかということを私ども検討いたしまして、わが党案として、政府提案と並列的にこれを提出いたしましたその経過から御了解いただけると思うのでありますが、私どもが出しました代案においては——少くともわれわれこの代案によって運用されます場合には、われわれが心配いたしておりますようないろいろな国家統制あるいは中央集権化という面についてはほとんど払拭でき得るという確信を持っておりますし、かつはまた、先刻も申し上げましたいわゆる民主主義諸国家、英国あるいはフランス等において行われている検定自由化採択自由化という方向に順応していける新しい教科書制度であるということを確信を持って御答弁申し上げることができるのでありますが、本日提出いたしました三点の修正案は、委員各位も御承知のごとく、われわれは、質疑を終了いたしました段階におきましては、でき得べくんば与党の賢明なる諸君とも十分話し合いをいたしまして、われわれの代案を与党諸君において承知をしていただけないということであるならば、せめて政府原案に対して、少くとも具体的に問題とされ心配とせられる点、この点について共同の修正でも行なって、場合によればわれわれの意向が取り入れられるならば、そういう形において少くとも政府原案を一歩でも二歩でもよりよいものとして、これが成立、施行を期したいと考えておったのでありますが、そのためには若干の時間が必要であるということで、再三再四にわたって理事会等におきましても、その旨を与党の方と折衝し続けて参ったのでありますが、どうしても本日中に修正案を出すにあらざれば、中間報告を求めるの動議ないしは委員長の解任決議等もあえて辞さないという強硬態度をもって臨まれましたがために、われわれとしてはせっかくの私どもの次善の手である修正の意向を表明する機会を失ってはいけぬと考えましたので、この点できる限り与党諸君の同調も得られやすい修正案の形にわれわれとしては思い切って修正をやりかえまして、今日提出をいたしたのでございます。従ってこれは私ども社会党の考える教科書法案に次ぐ次善の手であって、十分これによってすべてが尽し得るとは考えられませんけれども、最も危険と考える重要な点についてのみはこの修正案によって防止でき得ると考えておる次第でございます。
  16. 高津正道

    ○高津委員 もう一点だけ、私どもとしては、原案の第三十六条によりますと、従来の教科書行政の中では見られなかった、新たに教科書出版会社並びに登録教科書供給業者、それらの事業所も営業所もそこらへ立ち入りして文部省の職員が検査をする。むろん報告を求めるし、帳簿などを見て一々質問をする、そうしてそれらの権利を文部省は都道府県の教育委員会に委譲することもできる、このような従来見られなかった文部省の大へんな権限が持たれることになっておるのでありまして、業者としては文部省の鼻息をうかがうようになって大へんな中央集権になる。これらも入れてほしかったのでありますけれども落ちておりますが、他の三つに比べればなおこれが小さい。自由民主党の同調を得るがために忍びがたきを忍んで三点にしぼった、こういう御説明であるから、その他にも欠点が非常に多いことはよく私にはわかるのでありますが、これは入れてほしいが、他を削るわけにいかないほど三つが重要であった、この点についての何らかの御感想を、むずかしいことかもしれませんけれども、なるべく私には簡単に御答弁をいただきたいと思います。
  17. 辻原弘市

    辻原委員 先刻御説明申し上げましたように、実は本日修正すべき個所につきまして、高津委員も御承知のごとく、わが党におきましてはいろいろな角度から検討を加えまして出しました二点の修正のほかに、なお問題点として指摘いたしました今御指摘の三十六条もございますし、さらには三十二条に盛られております登録拒否条項、この点につきましても——特に第二項に至りましては、先ほど第七条で申し上げました本来の固有の権利である検定、これについて第一関門拒否することかできるという条項を設けたと同じよりに、登録についても登録させるようにいたしておりますけれども、さらに登録を拒否してもいいというよう条項もございます。この点は先般出しましたわが党におきましては、供給業者についての必要は認めておりますが、さらにそれを発行業者にまで拡大いたしております点については、相当の問題があることを考えまして、本日検討に加えておったのでありますが、そこの検討に至らない段階におきまして、早々に修正案提出を求められたという経緯もございますので、修正点の軽重を考えまして、提出いたしました三点に最終的にしぼったわけでございます。今高津委員のお話のありました三十六条につきましては、委員会審議の中においてもかかる立ち入り検査というものは、いわば強権であって、普通の商行為の中においてかようなことか行われるということは、一面におきましては、官僚のこれらの業者に対する威嚇の手段、威嚇の権限を与える結果になって、そこから将来いまわしい官僚と業者との不正問題を発生する、そういう余地もこの中に残しておる一いうことも考えられますし、またはこの条項があることによって、精神的にいわゆる検定をすべき発行業者教科書内容までこれを規制する、そういう一つの威圧的武器ともなるのではないか、こういう点を種々検討いたしたのでありますが、今回の修正案におきましては、この点を、遺憾ながらわれわれとしては最終的な決定を見るに至らず、他の三点との比較対照の上において一応断念をいたしたのでございます。
  18. 高津正道

    ○高津委員 了承しました。
  19. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 加藤精三君。
  20. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 教科書法案の長く続きましたまじめな審議の最後の質問でございますので、私もごく地味にできるだけ本質に触れる問題につきまして修正案に対して御質問を申し上げたいと思っております。  問題の本質の一つといたしましては、議員の法律案提出権と政党の政策遂行という問題に関するのであります。最初辻原弘市君外八名が初等教育及び中等教育教育内容等に関する法律案、次に教科書法案、これも辻原弘市君外八名の提案に関するものでありまして、賛成者は社会党の方全員ようでございます。この二つの法律案を私は社会党の文教政策の一つの現われと解釈いたしておるのであります。ただいま修正案提出のいきさつにつきまして、ごく検討の時間がなかったことにつきましてのいきさつを拝聴いたしたのでありまして、その点に関しましては私たちもお察し申し上げるのでございますが、この二つの社会党提案の法律案の基調をなす最大の点は、教科委員会の問題だと思うのでございます。新しい、辻原氏個人提案修正案によりますれば、最も重要な内容をなす教科委員会に関する規定は全部削除になっておるのであります。社会党はこの教科委員会に関する制度の創設を政策として廃棄されたわけでありますか、あるいは時間の余裕がないので、比較的重要ならずとして削除せられたものでありますか、あるいはとうてい自民党と同調しがたいと認めまして、できれば二の三点は自民党と共同修正をいたしたいという御意図から削除になったものでありまするか、その点議員の法律提案権と政党の文教政策推進とに関連する問題として御質問申し上げます。
  21. 辻原弘市

    辻原委員 ただいま加藤さんから議員の法律案に対する提案権と政党の文教政策遂行に関する関連性について御質問がございました。ただ最初に申し上げておきますが、加藤さんの御質問の中に若干の誤まりがございますので、その点は訂正をさせていただきます。と申しますのは、私どもが先般出しまして本日撤回をいたしました私ほか社会党議員による提案でございますが、これは社会党全員提案ではございません。社会党は今日百五十三名ございまするが、その全員の署名をもっていたしておりませんことを申し上げておきます。  それから、問題の核心は教科委員会の問題でございました。御承知ように私どもが実行いたしたいと考える教科書制度の新しい試みといたしまして、やはり現行制度の中で最も内容的な問題として非常にこれは心ある人々が今日指摘をいたしておりまするし、心配をしている向きは、検定制度現行においても確かに一応民主的な形をとつている。すなわち大臣の検定権ではあるが、大臣の検定権がいわゆる大臣の個人的な独裁、文部省官僚的なやり方によって独自では行い得ない仕組みとして、いわゆる教科書検定審議会なるものが構成せられておる。その限りにおいては一応民主的な形態ということが言い得るのでございまするが、その場合に、その検定審議会検定をする基準なるものは、これは一応審議会の議に諮問はいたしますけれども、作成者は文部省である。しかもその作成する場合の検定基準の尺度というものは何かといえば、先刻私が申し上げました通り、一つは絶対要件としての今日の基本法に基く教育目的である。一方は必要条件としての学習指導要領である。こういうことになっておるのであります。その必要条件である学習指導要領というものは、一体いかなる形において今日作られておるかということになれば、これは学校教育法の施行規則によってですか、文部省によって作るということになっておる。そういたしますると、この文部省の手によって作った学習指導要領、これを基準にいたしまして検定基準ができ、それによって審議会で個々の教科書検定を行う、こういう段取り。そうすると、検定審議会だけが幾ら民主的であっても、大もとは文部大臣、すなわち政党内閣であるから、そこから出てくるところの文部大臣の手に握っておるということは、これは検定の公正を期していく上に非常に不安定な面が出てくるということは、各位においてもおわかりいただける点だと思うのであります。こういったよう現行のやり方の中で一つの事柄はできておるけれども、一つの事柄が全然放置されている部面にわれわれとしては着目をいたしまして、そうしてこの文部省がやり得るいわゆる学習指導要領、すなわち教育内容に対する指導指針というもの、これはやはり民主的な形において行うことが、検定を民主的な形において行うことと両々相待って、教育内容の中正かつ公正な立場を堅持できるゆえんである、こういうふうに判定いたしましたがために、教科委員会というものを文部省に設けて、今日外局として設けられておりますところの文化財保護委員会等の運用をしんしゃくいたしまして、外局の、教科内容に関して、検定についても相当大幅の独立した権限を持つ教科委員会というものを設定いたしたのでございます。加藤さんの御質問は、この教科委員会を削除した理由は、設けなかった理由は何かということでありまするが、もちろん私どもの代案がそのままの形において、これが各位の御賛同を得まして成立を期せられる、そういう見通しの立ちました場合においては、われわれはこの代案において終始をいたしたかったのでありますけれども、遺憾ながらわれわれの代案につきましては、審議の過程におきましてもほとんど質問というものがないままに、内容解明も行われないままに質疑が終了いたしました。そうして今日の段階を迎えましたので、これでは少くとも政府の案の中で問題点になっている点までがそのまま見送られるということになる。このことはきわめて重要な点であって、われわれ党の政策というものは厳然といたしておりまするが、今日のこの議会の分野におきましてわれわれの政策が一歩でも二歩でも打ち込んでいけるならば、これは党に世論が期待をいたしておりますところの今日の段階において、改善の手として一歩でも二歩でも前進させるようないい法律を、特に教育の上においてはやっていただきたいという、この世論にもこたえる道であると考えまして、政策は厳然としてわれわれはその線を譲りませんが、法案の取扱いといたしましては、与党の間との話し合いをでき得べくんばつけて、そうして政府案に対する問題のできるだけ少いようにいたしたい、かよう趣旨に出ましたものでありましたがために、この教科委員会というものは将来にわれわれの政策の骨子を残して参っておるのでございます。さらに付言をいたしますれば、政府の案によるところの文部大臣検定権を持たすという、この運用のやり方と、それから教科委員会の手によって検定あるいは教育内容の運用をやるやり方といもうのは、相当大きな懸隔がございます。従いまして、教科委員会の構想を取り入れるとなりますならば、すでに加藤さんも御承知のごとく、私ども提案をいたしましたときには、政府の案では教科書法案ただ一つでございます。ところが私どもの案によりますると、教科書法案に並列いたしまして、その裏づけとなるいわゆる教育内容に関する法律案というものが、審議会の構成を含んで提案をいたしておるのでございます。そういたしますと、この教科内容までを修正案の中に織り込めるということになりましたならば、それは事実上与党の御賛成をいただけるよう修正案というものでなくて、やはり代案的性格をもって政府案に対決するものと相なるのであります。従ってこの点を検討いたしまして、この教科委員会を中心にする、われわれの考える構想というものは、将来与党諸君が御賛成をいただければ、ないしはわが党が近い将来において政権を持った暁においては、再びこれを政策の中心にして教科書行政を取り行いたい、かような考えのもとにこの点については削除をいたしたのでございます。お答えいたします。
  22. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 ただいまの御答弁によりまして、一部は了承いたしましたが、一部はどうしても了承できない点があるのでございます。  第一番目には、社会党が党の文教政策というものを強く推進しようという御意思を持っているということが明らかになったのでございますが、しかりとするならば、教科書というものは、教科書内容をなすその教育内容といいますか、そういうものが主で、それに最も重要性を付与せらるべきものだと思うのでございます。社会党の文教政策としての教科書政策、この最重要部門をしかく簡単に国会に提案されあるいはこれを撤回するということは、私は手続問題いかんにかかわらずはなはだしく公党として無責任であるということを感ずるものであります。  しかしながらそれは意見でありまして、私のお尋ねしたいことは、政党は文教政策を持ってもいいかどうかという問題でございます。教育は政党政派を超越しておるものであるということをしばしば言及せられました社会党の議員さんの一人であるところの辻原さんに、その根本の点について一応念のためにお尋ねしておきます。
  23. 辻原弘市

    辻原委員 第一点は意見であるということでございましたが、誤解を生じたらいけませんので、若干加藤さんに申し上げておきたいと思います。それはるる申し上げました通り、私どもの案の成立を期するためには、やはり今日は議会政治でございますから、多数の与党議君の御賛成を得なければなりません。そうでなければ幾ら力みまして、私どもが万巻の法律案として国会に提出をいたしましても、それは結局絵にかいたもちでございます。実現を期してその上にわれわれが教育政策を具現していく場合は、与党である自民党の諸君にも十分われわれの意のあるところを御了解願って、御協力を仰がなければなりません。しかしながら遺憾ながら審議の過程におきまして、これに御協力願えるような空気には与党諸君が相なられなかった点があったことが、私どもをして次善の修正案提出せざるを得ない羽目に追い込ましたと申して過言でないでありましょう。さらにこのような例は最近においても見られると思います。われわれがよりよいものを作りたい意味において次善の修正案を出すということと対比いたしまして、事柄は若干違いますが、先般選挙法特別委員会におきまして政府提出をいたしました案を与党が強引に通過させようといたしましたところの小選挙区法案というものは、その骨格である小選挙区の区割りについては、これを与党みずからが削除いたされまして国会に提出されたということは、私どもがよりよいものを作るために、政府案より一歩でもよいものを作るために修正案を出したということ以上に、加藤さんの論法をもってすれば、政府に対してその責任を追及しなければならぬ問題であることを私は考えるのでございます。これをもって第一点についての加藤さんの御質問に答えたいと思います。  それから第二点でございますが、教育は超党派的でなければならぬ、この点に対する基本的なものの考え方、常識的なものの考え方については加藤さんのその御信念というものをあえて否定いたすものではございません。しかしながら政党がよって立つゆえんのものは政策でございます。なかんづく教育というものは、それぞれの党における政策の中でもきわめて重視しなければならない性質のものでありまして、その政党が独自に考える教育政策、これを掲げて、委員会さらには国会の中で与党との間にそれぞれその考え方を戦い合せまして、その結果できる限り自己の主張をも織りまぜながら最終的に意見の一致を見るべく努力をする、これが私は教育は超党派的であるということを地に生かすゆえんであり、のっけから教育というものには全部同じ考え方があるのだということは、これは言うことは言いましても、事実においては私は最初からさようなことはあり得ないと思うのであります。教育をよくしていこう、また民主主義的に教育を推進していこうというような基本原理については、それは相一致するところがありましようけれども、それを推進していく具体的な方策についてはそれぞれの党において異なって参ることは、他の諸政策とも私は同然であろうと考えるのであります。しかしながら加藤さんのできる限りの超党派的にいくべきであるという御議論については、私どもも抽象的にはごもっともであるということを申し上げねばなりまん、私もさように考えておるのであります。
  24. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 ただいま教育とそれから政党の政策との関係につきましての辻原委員の御答弁を承わりましたのでありますが、私考えますのに、こういうふうに考えたい。たとえば、われわれはお断りしておきますが、教育の専門家でもなければ、教授法の専門家でもなく、また教育哲学の専門家でもないのでありますが、ひそかにこのたびの教科書法案の論議に現われたいろいろの意見の様相を見ますと、たとえば教育哲学とか、教育学とか、そういうふうなものの分野と、あるいは教育行政とか、教育施設に関する法律とか、そうした二つの分野を混同されておるような傾向があるのではないか、教育教育行政が混同されておる傾向があるのではないか、いわゆる固有の教育という面については、これはあるいは教育文化とか、教育学とか、教育に関する諸多の教育上の対象になっておる分野、その分野については政党の政策というようなものはこれは少くとも日本の国の現状におきましては一致してしかるべきものではないか、しかしながらそういう面以外のもの、実際教育、狭い意味教育という形、それは学校だろうと思うのであります。学校とか教科書というそういうような現象形態の問題になりますと、これはまた付加した要素が入ってくる。それは財政関係であり、あるいは経済関係であり、あるいは社会的な感情とか、父兄の教育に関する人生観、そういうようないろいろな意思が入ってくるのじゃないか、その実際の義務教育の実態に関する認識というもの、それからそれを処理するための法律とか、財政の政策という面で政党の文教政策というものは出てくるのじゃないか、こう私は考えるのであります。六百数十人の大学の教授が地方教育委員会の問題、教科書問題についていろいろの論議を発表されておりますか、その人たちが果して義務教育、地方教育の実態についてまじめな真剣な勉強をしたかどうか、勉強した上で国民に訴えたかどうか、今度の教育二法律案の論議において私が最も遺憾に感ずるのは、その教授たちがそうしたまじめな認識のための努力がなかっただろうと思われる点であります。わが国の多数の国民は貧困によって家庭生活も乏しくされ、個人の人生の思考内容についても非常に貧困化されている傾向があると思うのであります。これとともにわが国の教育制度は、明治の初年以来教育の機会均等を目標とし、教育の機会均等については、たとえば就学率等につきましては、わが国は全世界で最も普及しておりまする国だろうと思うのであります。これらを教育プロパーの面から見ましては、たとえば教科書でも色刷りがきわめて鮮明であり、多数の色彩に使い、そしてまた紙質も最もよくて、視力保護の上から見ましても、あるいは情操教育その他の上から見ましても、りっぱなものが望ましいと思うのでありまするが、それだけではいけない要素がたくさんある。あるいは義務教育の建築施設とか、あるいは学校の先生たちの待遇とか、その他校費の面が非常に大きく制度改革によりまして浮び出ている。財政、経済の面、地方団体の財政、国の財政、個人の私経済の上から、われわれは終戦後非常な多くの努力を払ってきているわけであります。それらの事態をどう処理するかという問題について、いわゆる政党の文教政策というものが分れてくるのじゃないか、私たちはそう考えるのでございまして、その点について辻原委員の御意見を承わりたいと思う。それから最後に一つ、先ほど高津委員さんが質問された点に対する辻原委員の御回答の一つについて、提案者としてのお立場を明瞭にする点からいろいろ御説明があったのですけれども政府原案の三十六条には事業場立ち入り権のことがあるのです。辻原さんは高津委員の御質問に対して、この事業場立ち入り権の問題につきましては、社会党側としてこれを再検討したかったけれども、その時間がなかったという話であります。すでに社会党提案の——社会党提案というと少しいかぬそうですが、社会党の大多数の方の提案教科書法案の三十三条においては、政府原案と同様の規定を掲げておられるのでございます 社会党側におきましては、すでにその事業場の教科書編さんの過程において、どういう資料でもってどういうふうに編さんしたか、どういう人が関連していたかというそういうふうな調査について御同意になっておられるのに、教科書検定拒否その他実務上の申請者の便宜を与えるような点については、政府取扱いが信用できないと言われるくらいであるならば、編さんの経路の立ち入りまでお認めになるのはどうも首尾一貫しない、重点の置き方が違っているように思います。それ自身矛盾していると思うのであります。しかしながら三十三条をすでに党の政策としておきめになっておりながら、しかもそれについてはこれも排し、とにかく立ち入りは認めない方がいいんだということを先刻まで御論議になったというのは、どうも私のふに落ちない点であります。御答弁が間違っていたのではないかと思います。その点について御答弁を願います。
  25. 辻原弘市

    辻原委員 最後の点からお答えをいたします。決して間違っておるのではございません。むしろ私が委員会審議の過程においてしばしば非公式に与党の方々にお願い申し上げ、また大臣にもその点を質疑において強く指摘をいたしましたことは、文言の上で似ているから内容が同じだという把握は、これは少し御検討が不十分である、そういうよう前提においてわれわれの案をながめられたときは、はなはだもって迷惑いたしますと私は申し上げたはずでございます。その意味は、政府原案の三十六条と、撤回いたしましたわれわれの代案の三十三条とを比較検討を願いたいと思う。確かに文言は非常に似通っておりまするが、しさいに検討いたしますると、その精神たるやまさに月とスッポンでございます。それはどういう意味かといえば、われわれは教科委員会という民主的な中立性のある機関に信頼をいたしまして、その機関を設けることによって運用が公正に行われるであろうということが前提であります。しかるに政府案は、その権限を文部大臣——文部大臣といわんか、文部大臣が一々教科書会社に乗り込んでいってやるものでもありますまい。結局は官僚がやるのであります。そこが問題であるとして、われわれの場合においては、教科委員会の民主的な管轄下においてその危険性は防げるという前提であります。ところが今日の官僚の中には得てしてそういう不心得者がないとも限らない。文部省がさようであるということを私は申しませんけれども……。そこでこの点については、政府案においてこのことを認めていくことはいかがなものであろう。従ってわれわれの場合においてはほぼ大丈夫だと考えて、この点についてはこうやったのだけれども政府案においてはその点の危険は相当大きいと考える。しかしそれについては先ほど私は時間がありませんでしたから、高津委員には詳細申し上げませんでしたが、高津委員はわが党委員であるがゆえに、ある程度申し上げればおわかりいただけることと思ったのでありますが特に御指摘がありましたので、その点を申し上げまするならば……。(「簡単々々」と呼ぶ者あり)簡単にということでありまするが、政府案の場合においてはこれはやはり削除した方かいいのではないか。しかしその危険は、文部省の役人をある程度信頼してもいいのではないか、こういう常識論もあるわけであります。そういう点もいろいろ甲論乙駁があって、もう少しの時間をいただきましたならば、多分これは削除になって御提案申し上げたたろう、こういうような事情でございまするので、その点は一つ誤解のないように御了解願いたいと思います。逆にうしろからやりましたので、次には第一点について申し上げたいと思います。この点は直接修正案に対する御質問ではなくて、先般教育法案ないしは政府提案教科書法案について学者あるいは有識者の方々が異常な決意をもって反対せられました。これらの行動、具体的には声明書等の問題について、果してこれらの学者が教育の実態というものを知ってかような行動をしでかしたものであるかどうかについて相当の疑いがあるという、加藤さんの御質問でございます。さらにはこれはほんとうにまじめに考えてそういうことをやったのだろうか、こういうことでありまするが、私どもの受け取り方、これは当時大新聞が大きくこれを第一面に取り上げました経過から見ても、まさか大新聞がふまじめに茶化してやるような行動を第一面に掲げるような愚かしいことは、朝日にいたしましても、毎日にいたしましても、読売にしましても、産経時事にしましても、おそらくあるまいと私は考えるのでありまして、その点からもすでに世論がこれをいかに受けているかということについては、御了解があるだろうと思うのであります。しかし加藤さんがさような御心配の向きがあるということで、お前はどう思うかという御質問でありますから、私は大新聞が取り上げましたその真摯な御態度と同じように、これは世論に対する大きな一つの覚醒を促す——今までは学者といえば象牙の塔に立てこもって世俗にかかわることをあえてきらった、これらの人人がかような決意をしなければならぬようなことは、私どもが考えておったより以上のことがあるのではないか。むしろそのことによってさらに深いいろいろなことをわれわれは示唆せられたのでございます。従ってふまじめであるというようなことはごうまつも私どもは考えておりません。さらには実態を知らなかったではないかということでありますが、この点は先般の教育法案に対する公聴会を開きました節に、南原前東大総長に対して同様な御質問与党の中からありました。こういうことでございましたけれども、そのときに南原前東大総長は憤然と色をなして、教育についての現場の状況を把握するために、日常いかに行動しているかということの、御自身の御体験まで公述答弁せられまして立証のありましたごとく、決してわれわれは今日の教育学者が単に机の上において教育を論じるのみならず、常に現場と接触を保ちつつ教育の問題を取り上げておる事実を把握しておるのでございます。いま一つは実態々々とこう申すのでありますが、えてしてあることは、その実態々々という現実に流れて、いわゆる理想の姿を見失っていくのが現日の傾向ではないか、従って世の指導立場にある方、特に学問の真理を追わんとするこうした学者の方々は、少くとも純粋に現実を見きわめることも大事でありますが、さらに教育の本質、未来への教育の進展の姿、こういうものからの一つの方向づけに対して、一般の世論に対するそれらの純粋な見解を示されるということは、私はこれは実態を知る知らぬにかかわらず、きわめて重大なことであり、重要な要素であるということを、今日の民主主義諸国家においては特に感ずるとともに、最近の日本の国内における風潮等からいたしましても、今や極端に申せば、民主的な教育方向が大きく逆行せしめられるのじゃないか、こういう危惧の念を持つときには、こうした純粋な民主的教育に対する熱意と情熱を盛り込んだこれらの指針というものは、まことに大きな時代への警鐘であるということを考えるのであります。  最後の一点でございますが、私の見解あるいは社会党見解というものが、教育教育行政というものを混同しておるのではないかということをお尋ねでございます。しかしこの点に関する限り私は非常に識見それから経験御豊富な加藤さんの御質問でございまするので、加藤さんの申されるお心持はよくわかります。しかし私があえてその加藤さんのお問いに御答弁申し上げるといたしますると、心持はわかります、けれども、それを是認いたすわけには参りません。なぜかと申しますると、加藤さんのお問いは、教育というような一つのものがあって、その足にタコの足のように行政がある、教育財政があるというようなものの考え方でございます。私は教育教育行政あるいは教育内容、これらを打って一丸となして生きた教育があると考えるのであります。総合されてそれがミックスされて教育があると考えておるのであります。だから加藤さんの御議論がむしろ私をもって言わしむると、これは教育教育行政が混同しておるのではなしに、いわゆる学問の真理というものと、それから教育それ自体というものを混同せられておるのじゃないか、真理ということはこれは何さまがお考えになりましても、太陽が東から出て西に入るということはこれは真理でございます。あるいはいろいろ科学的に追求いたしまして、一種の方程式ができる、その方程式はこれは与党の加藤さんがお考えになりましてもその方程式に到達するでありましょう。私が考えましても、その方程式に到達するでありましょう。学問の真理とはかくあるものと私は了解をいたしておりまするが、教育というものはこれは人を養成するのであります。そのやり方、その方向というものは、いろいろな立場、いろいろな考えが考えられ、目的はよりよい人間道を作って社会に貢献しよう、民主的な人間を作り上げるということが目的でありますが、遠くからいこうとする者あり、近くからいこうとする者あり、あるいはまっすぐ前に向いているようで、よそから見ると後に走っておる者もあり、いろいろございます。従いましてわれわれは教育というものは、そういうふうに常に一つのもの、教育行政から、内容から、財政から全部が、だれがやっても同じ方式があるというふうには理解ができない点を、はなはだ加藤さんとは見解が異なりますが、お許しをいただきまして御答弁にかえる次第でございます。
  26. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 河野正君。
  27. 河野正

    ○河野(正)委員 時間がございませんから、提案者提案されました修正案要綱三点を中心といたしまして、一点だけ御質問申し上げたいと存じます。  御存じのように今度提案されました教科書法の中で、たくさんな問題点がございますが、その問題点を集約いたしますと、大体第一に検定の強化、次に発行、供給に対します監督権の強化、このような二点に尽きるものと私は考えるのでありますが、この二点はさらに発展いたしますると、教科書国定化になり、あるいはそれが発展いたしますると、学問思想の国家統制というものが復活するというふうな、いろいろな重大な危険性というものが生まれて参るわけであります。そこで提案者お尋ね申し上げたい点は、本日の修正要綱で示されました三点、この三点によって私どもが心配しておりますきわめて重要な事項というものが撤除されるかどうか。この点は今日教育委員会法あるいは教科書法、こうした二つのだんびらで教育の民主化というものが根底からくつがえされようとしておる。こうした立場から私どもこの法案をきわめて重要視いたすわけでありますが、そのような心配が本日提案者説明いたしました修正要綱三点によって撤除されるかどうか、この点はきわめて重大でございますし、また教育基本法第十条の精神を堅持して参るためにもきわめて重要でございます。法文は行政上から見て参りますと、あるいは合理的な面もあるかとも存じますけれども、しかしながら先ほどから御指摘申し上げますように、運営いかんによりましては、この教育基本法第十条というものがじゅうりんされる危険性もきわめて濃厚でございます。そこで私がお尋ね申し上げたい点は、先ほど提案者説明されました三点によって、そのようなきわめて重要な危倶というものが抹殺されるかどうか、この点はきわめて重大でございますけれども、時間がございませんので、一つ簡潔に明快に御答弁願いたいと思います。
  28. 辻原弘市

    辻原委員 簡潔にお答えいたしたいと思うのでありますが、ただいまの河野さんの御質問は、先ほどの高津委員の御質問をさらに具体的に指摘されまして、かつて一時表面に現われて参りました国定化への心配の問題とか、あるいは教科書の統制に対する危惧の念とか、さらにはまた教育基本法、すなわち教育が不当な支配に屈しないというこの明文を、三点の修正案においてことごとく確保し、また心配点が解消せられるかどうか、これについての提案者の考えを聞きたいというのであります。高津さんにお答えをいたしましたように、修正案提出の経過から、またわれわれが政府案に対抗するわが党案というものを提出いたしておりました関係上からも明らかでございますように、この三点の修正ではことごとく解消するということは言えないのであります。しかし政府原案そのままよりは、大きくこの点の修正がいれられるならば、その心配については相当量減少して参るということは疑いもない事実でございます。簡潔ということでありましたので、詳細は述べませんが、たとえば検定についての拒否の問題の七条を削除いたしました。これは政党大臣である大臣、またそれに連なるところの文部官僚、これらの方々の独善的な検定の左右ということを許さないように、これを削除いたしましたことによって、審議会委員が民主的に選出せられ、またその委員がその任務の深きにこたえて、任務の重さを痛感されて、運用において公正を期せられるならば、民主的な諮問機関としての運用の妙というものは、私は相当量発揮し得るであろうということを期待いたしておるのであります。さらには指導書の問題にいたしましても、採択の点にいたしましても、るる申し上げましたように、この点が入れられまする場合においては、教科書教育的な価値というものを相当量政府原案よりも大きく見出せるということの確信を持っておる次第でございます。簡潔という御要望でございましたので、以上の点をもって河野さんの御質問に対する御答弁にかえたいと思います。
  29. 河野正

    ○河野(正)委員 さらに私はそれに関連いたしまして、二、三の点につきまして、具体的な質問を行いたいと思うわけでございます。第一に私が御質問申し上げたい点は、提案者提案いたしました要項の第一には、検定拒否の条文を削除するということがあげられておるわけでございます。ところが私どもが今日まで心配いたしました点は、検定審議会の問題でございます。これは今日まで清瀬大臣等の御答弁を承わって参ったのでございまするけれども、しかしながら今日検定審議会の八十名以内の委員を任命いたしまするのは、特定の政党で構成いたしまするところの内閣の文部大臣でございます。ところがこういった特定の政党で構成いたします内閣の文部大臣の監督下にあるところの審議会委員、大臣が任命するわけでございますからその監督下にございまするところの審議会委員、このよう委員会の構成で果して教育の中正が守られるかどうか。この点は先ほど私が総合的に御質問申し上げましたように、教育基本法の第十条の精神から照らして見ましても、きわめて重大な問題ではなかろうかというふうに私は考えておるわけでございます。ところが要項の第一項には、検定拒否の条文は削除せられましたけれども検定審議会の構成に関しましては何らタッチしてないのでございます。これは検定をきわめて重要視する立場をとっておりまするわれわれといたしましては、この検定審議会機関の構成、検定審議会立場、位置と申しますか、具体的に申し上げますならば、特定の政党で構成いたします内閣の大臣から独立するということでございまするが、そのような措置が行われておりませんことは、第一項の検定拒否の条文は削除されましたけれども、一方においては何らかの欠陥が認められるのではないかというふうな考え方を強く持つわけでございますが、提案者はこの点はいかがお考えになっておりましたか、その辺の御所感を承わっておきたいと思うわけでございます。
  30. 辻原弘市

    辻原委員 河野さんの御質問は、検定審議会の構成について触れていないことは、その検定審議会の構成メンバーである委員が、文部大臣の手によって選ばれるということが前提になって運用せられた場合には、その委員が、場合によれば独任制である大臣の一方的見解によって選任されて、形は審議会という民主的な構成を整えておるけれども、実際の運用においては、それは大臣が扱っておることとあまり相違のないような非民主的なことが行われる危険が存在するのではないか、こういうような御質問の御要旨でございます。われわれといたしましても、まさに河野さんの御質問通り、そういう危惧の念が大いにあるということを考えておるのでございます。考えておりまするがために、このことを解消いたしますためには、少くても審議会より以前に、問題点は、大臣に検定権を与えることが果して民主的に行われるゆえんであるか、また別個の方法をとることが民主的な方法を運営の上において期していける道であるか、この点を対比して検討してみなければ相ならぬのであります。従って当初提出いたしました社会党案には、この点審議会の構成を民主的にするためには、根本的に大臣の検定権というものを考え直してみる必要があるということを考えて、そこで教科委員会というものを構成いたしまして、これによって、教科委員会検定権を持つというふうに取り扱っておるのでございます。ところが先般、先ほど申し上げましたように、教科委員会の項を入れるということは、結局法案の形態というものが、単なる修正案にあらずして、結局多少形は変っても、それは政府案に対抗する、対決するいわゆる代案的性格を持ちまするので、この点ははなはだ残念でありまするが、せめても第七条を削除することによって、幾分なりとも文部省の独善というものを防ぎたい、こういうよう見解で、この点次善の策を採用いたしたような次第でございます。
  31. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいま提案者説明によりまして、私どももある程度納得いたしましたので、私は修正案の要項に示されました第二項の問題につきまして、きわめて具体的な問題についてお尋ねを申し上げたいと思います。修正案要項の第二項では、採択の問題が取り上げられておるのでございますが、この採択につきましては、今日までの法案では、採択というものは都道府県の教育委員会が行うということでございましたけれども、本修正案によりますると、今度は採択が各学校ごとに、校長教員全員意見を聞いて行うということに改められたわけでございます。そこで私が提案者お尋ね申し上げたい点は、今日社会におきまして、いわゆる学校差の問題ということがございます。この学校差という問題は、いわゆる教育の機会均等という精神が、今日の教育基本法なりあるいは学校教育法に示されておるのでございます。ところが現実の問題といたしましては、今日学校におきまして、非常に優秀な学校、あるいはまた、まことに残念でございまするけれども学校の成績がなかなか上らないというような、学校差というものが現実においては生じて参っておるわけでございます。この点は子供を持ちまする父兄といたしましては、きわめて深刻だろうというふうに私は考えます。だれでも自分の子供を学校にやりまする以上は、上級の学校に、優秀な学校に入れたい、あるいはそれぞれ希望する学校に入れたい、というようなことがあるわけでございますけれども、たまたま学校差のために、そういった所期の目的を達成することができないというようなことは、これは子供を持つ父兄にとりましてはまことに不幸と言わなければなりません。そこで私どもが現実り問題として考えておりましたことは、この教科書採択によって、たとえば今日までの原案は、採択地区というものが都道府県の教育委員会あるいはまた一定の地区にかぎられておる。そういったことで、原則的には教科書教材の一種でございますから、その教科書を使用いたします教員が一番使用しやすい、あるいはまた自分がこの教科書ならばりっぱな教育がやれるというふうな立場から教科書採択いたしますならば、授業をやります上におきましても非常に能率が上りますし、またりっぱな成績を上げ得ると私は思うのでございます。ところが採択というものが一定の地区で行われるということになりますと、自分の希望する、あるいはこれならばいけるというよう教科書教員が使用することはなかなかできない。そのためにあるいは学校差が生じてくるのではなかろうかというふうな考えを私ども持って参ったのでございますが、この採択学校差の問題、このような関連につきまして、提案者はいかがお考えになっておりますか、その点につきまして御所感を承わっておきたいと思うわけでございます。
  32. 辻原弘市

    辻原委員 今回提出いたしました修正案の中で、修正要綱としてお示しを申し上げましたその文言は非常に簡単でございますけれども、しかしこの第二項の点につきましては、政府原案の第三章をほとんど削除いたしまして、新しくこの項だけは、先般われわれが提出をいたしておりましたわが党案の代案の中に盛っておりましたところの採択についての方式をほとんど取り入れておるのでございまして、この点に関する限りは、政府案と今回の修正案とは、その根本的考え方においても全く異にする点であることをあらかじめ御了承願いたいと思います。そこで、河野さんの御質問ですが、政府案では各地区、すなわち第二十条におきまして、まず市町村立の小学校及び中学校において使用する教科書、すなわち主として義務教育教科書は都道府県の教育委員会が最終的にその採択権を持つ、その都道府県の採択権を行使するに当って、第二十一条におきまして採択地区を設けて、郡市を単位とする、また例外においては、都道府県を単位とする相当広域な採択地区を設けまして、その採択地区の範囲ごとに第二十二条においては教科書選定協議会というものを新しく設置いたしまして、都道府県教育委員会が行う採択権の行使についての便宜を与えておるのでございます。この都道府県が行う採択権、また相当広域性を持つ採択地区によって行う採択と、それから修正案による学校単位としている採択の方法において、河野さんの御指摘の学校差というものが、この修正案によれば起きてくるのではないか、そういう点の御質問でございました。これは採択の問題にかかわらず、一般にときどきよく言われる言葉でありますが、特に高等学校等におきましては、この学校差を設けないというふうな意味合いで、通学区域等についての限定を設けている、そういう理由ともなっているように私も知っておるのであります。ところがこの学校差というのは一体何であろうかということを具体的にしさいに検討いたして参りますと、特に教科書の扱い方によって起る学校差というものは確かにあるように考えられます。ところが逆に、教科書が統一的に使われたら果して学校差がなくなるかといえば、往時の国定時代、統一されて全国一律に一つの教科書をもって運用されておりました当時のそれぞれの学校の状態、生徒の学力の状態等を振り返って検討いたしてみますると、やはりそこにある程度の能力差というものが生まれてきているのであります。従いまして、教科書が統一的に使用された場合においては、同じよう内容を同じように教えるというところまでは可能だと思いまするけれども、それによって同じような学力を持たせるということは一概にあり得ないと私は思うのであります。別の教科書を使っても、いわゆる計算の能力というようなものは同じ程度にまで引き上げられるでありましょうし、また、科学的、理化学的な能力等においても、別個の教科書を使っても、それについての素養というものは、研さんして同じようなレベルに引き上げていくことができるだろうと私は思うのであります。また現にできておる事実もあるのであります。  今日特に義務教育で強調せられておるところの、少くとも義務教育段階においては、国民に対する教育においての一定の水準というもの、いわゆる教育水準というものを保持しなければならぬということは、同じことを教えよという意味ではなく、いろいろな教育的過程を経て、将来の国民としての持つべき素養というものを個人々々の特質にかんがみできるだけ伸ばしていって、そうしてその水準をできるだけ保持していかなければならぬという趣旨のものであると思います。しかるがゆえに、今日の教育基本法においても、教育の指針として示されておりますることは、個人の完成ということが中心になっているのでございます。しかもその個人の完成を目ざすためには、個人々々の能力に即応して、能力の向う方向と、その個人の特質の向っている方向に対してできる限り教育の力をもって伸ばしてやり、そうしてその個人々々の伸ばされた能力において、社会に奉仕し得る民主的な平和的な人間を育成していくということが今日の教育目的になっていると私は考えるのでございます。従って、統一して同じような型の人間を作るということは、むしろ今日の教育目的からいたしますれば、間々逆な方向に行く危険性が多分にあるのでございます。従って、往々言われるところの、同じ教科書を使わなければどうも学校差ができて困るというのは、きわめて浅い観点に立って教育というものを、また今日の民主的教育というものの方向を見ているきらいがあるのではなかろうかと思います。従って私どものごとく学校ごと採択をいたしましても、少くとも学校ごと採択をいたしますまでには、先刻も申し上げましたように、十分教師教育の本質を理解せしめるための、また理解していくためのあらゆる教師に対する研究あるいは研鑚というものを保障し得る、そうした諸施設も完備させてやらなくちゃなりませんし、特に教科書についてはすぐさま内容についての検討教師自身、あるいは学校長自身において行わなくちゃなりませんから、従って今日わずかの期間しか開かれない展示会は、これを恒常的に常時開設をいたしまして、しかも一県に一カ所というような、そういうことでははるばる山間僻地から出ていって、そうして教科書を研究するということには経費もかかり時間もなくして、事実上行われない形式的な事柄にすぎないのでありますから、そうした今日の展示会の形式的なやり方というものを根本より改めまして、常時のいわゆる研究施設というものを、少くとも郡市を単位にいたしまして数カ所くらいは設ける必要がある。その研究施設の中において、絶えず教師に発行せられる教科書内容を知悉する機会を与えて、そうしてそれぞれ吟味検討した結果を、また実際の上においては当該学校における全員が相協力して比較検討を加え、さらには法的には当該学校校長教員全員意見を聞いて採択を行うことになっておりますが、現状の採択のやり方をごらんいただきましてもよくおわかりになりまするように、実際はその当該学校採択をするに当っては、必ずその当該地区における教科の責任者、他校の教科の責任者とか有識者、そういった人々、教員の中で特にこの教科についてはあの人が非常によく研究しておる、こういう人の意見をたたいて、慎重の上にも慎重を期して、広範な意見の上に、最終的には学校がきめるという形態をとっておるのでありますから、従って学校単位採択するということは、決して学校差を設けていくゆえんのものでもございませんし、また学校単位だから全部がばらばらになるというようなおそれも少いのでございます。いい教科書であるならば、そこで共同研究あるいは共同研鑚をやって、徹底的に教科書検討いたして参りますれば、おのずからよい教科書はどこでも選ばれるという結果がありまして、必然の帰結としてその地域に適合する教科書が、自然の形においてその学校において採用される、こういうような結果が導かれまするので、あえて政府案のごとくこれを法的に、制度的に選定委員会を設けたり、採択地区を区切ったり、こういったような極端なことをやる必要はないと思うのであります。  さらに一点付加いたしますると、たとえば政府案のごとく郡市に切りました場合においても、地理的条件、文化的諸条件を勘案して定めるということにはなっておりますが、実際は郡市の単位で切るということになると、事実は郡市ということであります。そういたしますると、そこでぶっつり切られた境界線は、やはり地理的環境というものは現実においてはある程度似通っているはずであります。そうすると隣りの学校とは違うのであります。ですから転校による不便などということがやはり広くてもその接点においては起るのであります。これはわずかだからいいじゃないかというようなことは暴論でありまして、教育でありますから、そういうことが事実上部分的に、でも悪いということが前提ならば、そのことが多少とも行われるような危険があるならば、それを排除した形において法案というものは作るべきである、かように私どもは考えておる次第でございます。  簡単に以上を御答弁申し上げます。
  33. 河野正

    ○河野(正)委員 ただいま私の質問の言葉が足りなかったので逆にお答えを願ったのでございますけれども、しかし結果的には私が考えております通り、やはり教科書というものは教材の一部でございますから、その教科書を使いまする教師がみずからこの教科書ならばいける、この教科書ならばやれるのだという自信を持った採択の仕方をやった方が、学校差というものをなくする結果になるのではなかろうかというのが私の考えであったわけでございます。逆に御答弁願いましたけれども、結果的には私と全く同様な御回答を得ましたので、この点は非常に満足に感ずるのでございます。  そこでその点につきまして関連いたしまして、さらに一点御質問申し上げたいと思うのでございますが、原案の四十八条には、教科書の価格の問題につきまして規定がございます。子供を持ちます父兄におきましては、やはり価格の問題あるいはまた便利か不便か、たとえば転校いたしました場合、あるいはその他の場合、その教科書が便利であるかあるいは不便であるか、このことはきわめて重要なものでございますが、その一点といたしまして、四十八条には価格の問題が規定されておるわけでございます。ところがこれはすでに御質問した点でもございますけれども、文部当局の指示によりますと、今度価格が引き下げられます。天下り的に引き下げられるわけでございますが、ところがこういった教科書の価格を引き下げる、そうしますと教科書内容というものが低下する。値段が安くなるということは、これは父兄といたしましてもきわめて希望するところでございますけれども、熱望するところでございますけれども、しかしながら内容が低下する。内容が低下いたしますと、先ほど私が御指摘申し上げましたよう学校差が生ずるというようなことになりますので、この価格の点につきましても、私もどもは単に安くなるから歓迎すべきだというふうには考えて参るわけにはいかぬのでございますが、このような価格の問題と、それと今度の採択地区の問題、この関連性に対しまして、提案者はいかがお考えになっておりますか。具体的に申し上げますならば、採択地区が狭くなりますと、価格が高くなるのじゃないかというよう意見も出てくるわけでございますが、この価格の問題は、父兄にとりましてもきわめて関心の深い事柄でございますから、採択の問題と価格の問題との関連性につきまして、提案者はいかがお考えになりますか、その点についての御回答をお願いいたしたいと思います。
  34. 辻原弘市

    辻原委員 河野さんの御質問の要旨は、政府案の第四十八条一項、二項に定められている教科書の価格、これは一応政府案によりましても、教科書が不当につり上らないように、いかに自由発行の自由競争の制度であろうとも、教科書の本質にかんがみて、その価格は適正でなければならぬという趣旨のもとにこれが置かれておりますが、その教科書をできるだけ安くするという意味における条項ではあるが、教科書は安いばかりが能ではあるまい。問題は若干安くなっても、そのことによって教科書内容というものに影響を来たすということがあれば、これは一大事であって、教科書の本質にもとるものである。従ってその点に対する提案者見解はいかがなものであるか、こういうことでございます。私は河野さんのただいまの御質問について、その根本的なお考えにはまさに同感でございます。できるだけ価格は安くしなければいかぬけれども、そのかわりに内容が粗製乱造であっては、これは教科書たるの価値を失うものでございますから、従ってまず教科書について考えなければならぬことは、内容をできるだけ高次に保持するということが前提であって、その上に価格も安いもの、こういうことになりましたならば、これは教育の見地の上からも、また子供を学校に行かせる父兄の立場からも、国民経済の立場からも、これは両々相待ってまことにけっこうであると考えるのでございます。その点で政府案の四十八条にこれが載っかっておりますが、これはあえて法律の明文にうたわないでも、すでに今日の現行の行政措置の上においても十分とり得る方法であって、その証拠には、法案が通過しない以前においても、文部省においてはその価格の引き下げについての基準を発表いたしておるのでございます。先般の委員会における質疑の中でも明らかになりましたように、今回文部省が示したこの教科書価格というものについては、旧来のものよりも一割程度引き下げることができるであろうという見通しを述べておるのでございます。従って、私どもはできる限り内容に影響を来たさない程度において価格を引き下げるということは法案に明文をうたう、うたわないにかかわらず、文部省の責任においてあるいはその他関係各省の責任においてとるべき手段、方法というものは多々あるということを考えておるのでございます。たとえば現在の教科書をながめますると、その発送費等については、教科書というような重要なものでありながら、鉄道運賃の割引の方法も講じられておりませんし、あるいは郵便配達についての特例的な恩典も与えられていない、こういうことは法律の問題ではなしに、それ以前の問題であって、政府が努力をすればこれらの点は解決をして——それらに要する費用が少くとも教科書の中に織り込まれている現状でありますから、その分だけは安く引き下げることが可能であると思うのであります。そういう点から、これは法文の中にうたってもうたわなくても、当然やり得ることであり、文部省の責任でもあり、また政府、国の責任でもあるということが言い得ると思うのであります。しかしながら、価格を引き下げると申しましても、今言いましたような点については可能でございます。しかし、一応自由企業として保障しておる限りにおいては、やはり会社は、教科書といえどももうかるから出すのであります。ある程度の利潤、マージンというものがあるから、それによって経営が成り立っておる、そういうことでありますから、いかに教育的な良心、教育的な意気込みでもって教科書を発行される会社であろうとも、びた一文も利益のないものを手がける方は、おそらく少いであろうと思うのであります。道楽でやる人は別といたしまして、やはりある程度の企業珠算を前提にして教科書を発行されると考えますならば、極限まで、欠損のいくまで価格を引き下げるということは、なかなかもって行われないところでございます。そこでわれわれとしては、片方においては学校に子供を行かす父兄の立場、そのことを考え、片方においては教科書は自由発行で、よりよい内容を競争によって作ってもらいたい、この二つを満足させていくためには、単に教科書を引き下げるというような、また政府案の四十八条にあるような程度の法律措置でもっては、これは根本的に解決がいかないということを考えましたがために、先般教科書の無償に関する法律案というものも提出いたしたのであります。このことは、わが国においては、自由党内閣当時に、義務教育の一年生の小、中学校の生徒に国語と算数の教科書を無償で与えるという臨時立法が行われ、多少趣旨は違いましたけれども教科書の無償というものの一歩をそこに作っておったのでございます。ところが諸外国におきましては、すでにこの無償の制度を実現しておるところもありますし、さらには無償の制度を取り入れるかわりに、教科書学校備品として、これを児童あるいは生徒に貸与しているよう制度、そして父兄の負担を軽減しているような、そういうやり方をしているところが、先進諸国家においては漸次ふえて参っておるのであります。従ってわれわれとしても、国の財政の許す限りにおいて、このことは実現を期していくことが、先刻申し上げました父兄の負担を軽減して、どんなに貧乏な家庭に育った子供でも、少くとも教科書だけは無条件に持つことができる、使用することができる、そういう制度を確立すべきである。従ってそのやり方といたしましては、年次を追って毎年一学年ずつそれに対する無償の経費を予算措置をしていくことによって、完成年度を設けて、これが実現に一歩々々着実に進める、そういう方途をわれわれは考えたのでございます。今日政府の方では、それに相似通った政策としましては、本年度の予算措置の中におきましても、いわゆる要援護家庭と申しますか、それらの子弟にだけ教科書を給付するという程度にとどめておりますが、それでもっては、今日の教育目的と父兄の要請を両両満たしていくわけにはいかぬということを考えましたがために、われわれは無償に関する法律案を提出いたしたのでございます。従いまして河野さんの御質問にありました御趣旨教科書は安くするということばかりに力こぶを入れて、内容が悪くなるよう危険性を防止しなければならぬ、この御議論には同感でございます。以上御答弁申し上げます。
  35. 河野正

    ○河野(正)委員 最後に一点、締めくくりといたしまして御質問申し上げたいと思うのでございます。ただいま提案者から採択地区と価格の点につきましてきわめて適切なる御意見を承わりまして、私どもまことに満足の念を強うするものでございますが、時間がございませんから、最後に一点、要項に示されました第一項と関連いたしまして御質問申し上げて、私の質問を終りたいと思うのでございます。  改正要項の第一項にいわゆる検定拒否の問題を取り上げておりますが、これと並行いたしまして問題となって参りますのは、原案第三十二条の登録拒否の問題ではなかろうかというふうに考えるわけでございます。御承知ように、原案の三十二条には登録拒否問題が規定されておりますが、その中でも問題となりますのは、二項のいわゆる「登録を申請した者の事業能力及び信用状態が教科書の発行又は供給の事業の遂行に著しく不適当である」場合は拒否せられるということでございます。今日出版会社というものが九十六社あるといわれておりますが、巷間伝うるところによりますと、本法案が可決されますと、この九十数社の出版会社というものが六、七社になるのじゃなかろうかというような憶説が唱えられておるわけでございます。そういった点から見て参りますと、私は要項の第一項に示されました検定拒否と並行いたしまして、三十二条の登録拒否というものは削除されるべき問題ではなかろうかというふうに考えて参るわけでございます。これは要項の第一項と並行して考えなければならない問題でございますので、その点を最後に御質問申しげておきたいと思います。この点は時間もございませんので、簡潔でけっこうでございますから、お答えをいただきたい。
  36. 辻原弘市

    辻原委員 これも先刻若干申し上げましたが、われわれが検討いたしました問題点の一つでございます。特に三十二条の登録の拒否の第二項の一号、二号、この点を実際にいろいろ当てはめて考えますると、場合によれば小さい企業のものが漸次この条項に照らして登録を受けることができなくして、必然的につぶれていくような傾向、すなわち教科書についての企業体が大資本に集中されていくような結果を生むのではなかろうか、こういうよう危惧の念少しとしないのであります。従って特に発行の場合においては、先般のわが党案におきましてはこれは除いたのでございます。しかし政府についてこれをどうするかということを考えました場合に、これがこの法文通り趣旨で運用せられましたならば、その心配は出て参らないのでありまするから、従ってこの部分に関する限りは、二号の採択関係者については関係者が不公正な行為に関与するということを排除していくという趣旨は賛成でございます。一応危険性はありましたが、運用の際に良識をもって行われるであろうということを前提にいたしまして、今回提出いたしました修正案の三点に比較いたしまして、若干の点その懸念を比重として軽く取り扱ったわけでございます。以上の点でお答えといたします。
  37. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 この際お諮りいたします。修正案に対する質疑を終了するに賛成の諸君の起立を願います。   〔賛成者起立〕
  38. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 長起立多数。よって修正案に対する質疑は終了するに決しました。  これより教科書法案及びこれに対する修正案を一括して討論に付します。討論の通告がありますのでこれを許します。加藤精三君。
  39. 加藤精三

    ○加藤(精)委員 私は自由民主党を代表いたしまして、ただいま提案になっておりまする辻原弘市君提案にかかる教科書法案に対する修正案に反対し、内閣提出にかかる教科書法案に対する賛成の意を表するものであります。(拍手)  教科書教育上きわめて重要なものでありまして、特に次代の国家のにない手である児童生徒に与えまする影響力のきわめて大であることは論を待たないところであります。わが国の現行教科書制度は御承知通り終戦後、新憲法のもとに教育制度改革の一環として制定されたものでありまして、従前の国定を改め、検定制度を採用したのでありますが、この制度は占領下という特殊事情下にきわめて早々の間に発足されたものであります。従って法規としても教科書全般にわたる統一的な立法はなく、わずかに「教科書の発行に関する臨時措置法」が制定されたのみで、検定採択等についても政令、省令等で各個別に規定しているにすぎないのでありまして、形式的にも内容的にも不備な点が多く、ために各種の問題を族生しつつあるのが偽わらざる現実であると思うのであります。すなわち、検定の機構が不備であり、従って検定が粗漏で適正を欠くことのために、教科書内容誤記誤植または誤った事実の記載が見受けられ、偏向性についても、種々指摘されているのであります。採択についても、発行者間の熾烈な競争によって誘発された不公正な事態に対する批判が行われ、ひいては教科書価格の低廉化の要望等幾多の問題が喧伝されるのに至ったのであります。かくて政府は今回その問題の重要性にかんがみ、中央教育審議会に諮問してその答申を勘案し、ここに教科書法案提出したのであります。  すなわち現行制度の基本的性格たる検定主義はこれを維持することとし、検定採択、発行、供給等の各般にわたり、詳細これを整備し、改善の措置を講じようとするものでありまして、その要旨は、  一、文部大臣による検定制度を維持するとともに、検定の公正かつ迅速を期するため、その機構及び方法を整備改善しようとしていること。  二、教科書採択に関する規定を整備して、採択範囲と採択方式との適正化をはかっていること。  三、発行及び供給の確実、円滑を期するため、所要の規定を整備していること。  四、教科書価格の低廉化を期していること。  五、教科書と並んで教育上重要な機能を持つところの教師用指導書についても、必要な規制を加えていること。  六、本法の円滑な運営を確保するために、必要な事項について、適度の罰則を整備する、また附則においては、従前の規定によって検定を与えられた図書の有効期間の特例を定める等、所要の経過措置を規定していることなどであります。  かくのごとく教科書制度に関する法規は、今回この法案によって初めて完全に一括せられ、形式上の整備を見ましたばかりでなく、その内容におきましてもよく従来の不備欠陥とせられたものを一掃したのでありまして、まことに時宜を得た措置であります。教育の水準を向上せしめ、わが国教育の将来に寄与するところまた甚大であると確信する次第でありまして、私はこの見地に立ちまして、心から本法案に賛成するものであります。  なお辻原弘市君提案修正案は、おおむね以上述べました諸点に対する理解の不足に基くものでありまして、われらのとらざるところであります。  以上をもちまして私の賛成の討論といたします。(拍手)
  40. 佐藤觀次郎

  41. 小松幹

    小松委員 私は政府提出教科書法案に反対いたし、辻原弘市君提出修正案を含む教科書法案に賛成の意を表して討論を試みたいと思います。(拍手)政府並びに民自党が今日強引に教科書法案を提示いたし、われわれ野党の意見も聞かずして、先般の教育委員会法の中間報告に例を見るがごとく、同じような方法によって強引に通過をはからんとするところに、私どもはその意図の那辺にあるかということを疑うとともに、その教科書法案に盛られてある意図というものに、大きな疑問と不可解な念を持つものであります。(「ヒヤヒヤ」、「フアッシヨだ」と呼ぶ者あり)少くとも教育は中立でなくてはならぬとみずから政府も言い、また民自党も言っておりますが、二大政党下におけるところの私ども社会党、野党が、かくも意を込め、かくも熱心に条理を尽して修正に、また修正意見を述べたにもかかわらず、この意見を聞かないで、政府案を強引に押し通そうとする意見の中には、隠されたる意図があるとともに、教育の中立性を破壊する大きな禍根を残すものであろうと私は考えます。(「その通り」)  私は清瀬文部大臣がこの政府提出教科書法案を提示したときのその提案理由をつぶさに速記録によって読みましたところ、何ら新しきものもなく、またみずから文部省自体が反省もなくこの法案を出しているということがわかるのです。その記録の中にあるのは、検定機構の不備と検定の粗漏をまず改正しようとする。このことは、何も法律案を出さなくても、文部省自体の行政、今までのやり方をみずからが反省してやるならばけっこうやれることであります。事新しく教科書法案をここに国民の批判と反対を押し切ってまで出す必要はなくして、現状のままでやり得ると私は考えておるのであります。ここで私は、政治をあずかる者特に権力を持っている為政者が、教科書なり教科用の一切のものを扱うときには、大きな意図があるということを、その歴史の事実において見るのであります。かつて明治検定制度を時の文部大臣森有礼が打ち出したときには、明治十年以後のいわゆる日本の自由民権思想を弾圧して、しかもその上に国粋主義を謳歌しようとする意図のもとに、検定制度を打ち立てたという確固たる記録があり、またそれが今日までの日本の教科書制度というものを大きく毒していたその例を見、またA級戦犯となった荒木貞夫大将が、時の軍部の背景をもって文部大臣になって、教科課程を変更するとともに、教科書の偏向を試みたその結果が、日本の軍国主義をあおって、学校におけるいわゆる軍事教練等を試みてきたことを考えてみたときに、常に洋の東西を問わず、古今を問わず、為政者が、権力ある者が、教科書なり読み物なりに手をつけたときには、必ずその権力の意図する方向教育を指向しようとする意図があるということを見るときに、今日清瀬文部大臣教科書法案を出してきたところには、大きな隠された意図があるのではないかと疑われるのであります。答弁の中で清瀬、大臣はそういうことはないと幾度も言っております。その答弁をまっ正直に解するならば、このことは了としますけれども、あなたのいわゆる文部大臣としての生命はもうそう長くないとするならば、この残された法律案のみは確固として生き、次の大臣、その次の大臣と政党政治の間にどのように政治が変ってくるかわからないときに、このいわゆる教科書法案を悪用されるならば、再び日本の教育の弾圧を意図しようとする方向にあるいは持っていかないとだれが保障するかと考えてみたときに、確固たる法律案をここに残すということは、私はどうしても賛成ができないのであります。  さらに現在のこういう教科書法案を出された一つの政治情勢なり意図なりを聞いてみますと、先般の自民党の意見の中にも、民編国管の意見もあり、あるいは一挙に国定への意見もあり、あるいは憂うべき教科書などの意見も出ております。私はこのことが今日の教科書法案の背景になっておるとするならば、やはり過去の日本の教科書制度に現れた情勢と一つも変らない情勢下に置かれて、清瀬文部大臣がこの教科書法案を提示してきたのであるとするならば、きょうの質問にありましたように、池田・ロバートソン会談によって、日本の教育を他国によって指示されるような屈従のことはよもやないといたしましても、アメリカの意図によってこのことをなさったのではないということは了といたしましても、現在の政治情勢から日本の中にはうはいと起っておるところの平和主義、あるいは憲法改悪に対する反対の考え、戦争に対する嫌悪の情、民主主義のほうはいと起り来る中に、これに対していささかなりとも圧力を加えよう、そうして保守反動の政権を守っていきたいという心根のもとに、教育の偏向を試みようとする意図があるということを危惧するのであります。  教育というものは、現在の与えられたる思想というものを唯々諾々として受け取って、それを守っていくということはやすいことであります。しかしながらそれは孔子以前に孔子なし、孔子以後に孔子なしの、いわゆる支那何千年の訓話の学と同じように、進歩がないのであります。教育の進歩というものは、現状に疑いを持つことである。懐疑を持って、その懐疑を打ち破って、新しいものを批判検討し、科学的精神を養いながら、新しいものを求めていくところに、教育の進歩があり、また指導精神もなければならぬと思うならば、今日のいわゆる保守反動の政権を維持しようとするために、現状のものに固執して、少しの民主的な意見、あるいは社会化の意見というものを、偏向だという名のもとに押えていこうとする考えがもし隠されておるとするならば、おそらく隠されておると思いますが、この教科書法案はまさに危険きわまりない法案だと言わねばなりません。特にその中に現われておる条項としましては、文部省の権限の非常に拡大されておることであります。その最も最たるものは、文部省検定拒否条項である。この条項は非常に危うい、絶対抹殺せねばならないという切なる考えで、私ども修正案を出しておりますが、もしも清瀬文部大臣ような方が永久に文部大臣としておるならば、それは問題ないかもしれません。しかしながらこの拒否権が法律によって確立するならば、この拒否権を利用して、検定拒否も自由自在にやることができる。そうして文部省の考えに合わないところの教科書は全部検定拒否の項にかかって、検定のいわゆる目を入れない、そうして検定教科書の認定外にしてしまうことは、はっきりしておるのであります。私は例をとるまでもなく、先般も申し上げましたが、かつて福沢諭吉先生が明治二十何年かに検定教科書を数冊出した。ところが時の権力者である文部省は、この福沢諭吉先生のうんちくを傾けた教科書を全部検定を没却して、いわゆる検定合格をさせなかったのであります。いわゆる文部省官僚なりあるいは調査官なるものが、時の政党政治、権力者に阿諛追従することによって、このうんちくを傾けた教科書拒否していったということは、そのときはそれで済んだかもしれないけれども、今日われわれが歴史の事実として考えてみたときに、当時の文部官僚の頭脳たるやまことにさもしいものがあると思いますが、将来この教科書法案が出ることによって、おそらくそういう有名な著者がうんちくを傾けて、日本の教育のためにほんとうに自分の生命を宿して出したその教科書が、文部官僚なり調査官の意図によって、政治的な圧力によって、検定拒否をされないとだれが断言することができるでありましょう。このことを考えたときに、この検定拒否条項は抹殺しなければ危険きわまりないものである、かように考えております。  さらに文部省の権限拡大の中に、教科書会社に対する立ち入り検査を法律で認めて、圧力を加えんとしておりますが、教科書会社は商売であります。過去十年間の教科書検定を見ても、ほんとうに日本の民主主義教育を立てよりと考えておるけれども、CIEのごきげんをうかがい、文部省の調査官のごきげんをうかがって、その検定というものによって、自分の思うたことを書き得ないで、遠慮しながらおるという状態を考えたときに、いわゆる教科書発行業者に対する圧力を文部省が加えるということは、私は行き過ぎだと言わなければならない。  同時にまた教師用書に対する文部省の権限拡大であります。子供の持ちものである教科書に対して検定をすることならそれはいいでありましょうが、教師の持っておる教科書を何がゆえに文部省の調査官が権限を持ってこれに筆を加え、あるいは教育基本法をたてにとってこれによって難くせをつけようとするのか、これを法制化しようとするのか、私はそのことを疑わざるを得ないのであります。少くとも教師というものは、自由に真理を追究し、あらゆる学説を取り入れ、反対は反対、裏話は裏話、そのときの科学的な論拠をもって立って、うんちくを傾けて教壇に立ってこそ、ほんとうに力強い教育が推進される。それを馬市馬のようにワクをはめられて、そうして教師用書まで文部省の権限を付与して、その色合いを持った教師用書によって教師の目が隠されんとするならば、子供のばかりでなく、教師までも一方的に馬車馬のように隠されてしまうことをおそれておるならば、社会党提出しているところのいわゆる教師用書に対する手心というものは、法律案から除くべきであると私は考えます。以上のようなことを私は申し上げまして、おそるべき教科書が今後文部省の権限拡大によって出てくるということを危惧して、教育のほんとうの正しき発展をこいねがうという意味においても、また採択においては、文部省の権限が拡大されることが、やがては明治十七年の文部省と政治家とグルになった、いわゆる採択権の大疑獄というものが予想されてならないのであります。こういうことを考えたときに、過去十年間の検定制度の瀬踏みの間には多くの問題はありましたけれども、それは終戦後のスタート、ゼロから出発した日本の検定制度を考えたときに、かような間違いというものは、今日教科書を法定化することによって救われるものではない、むしろ法定化させることによって、より以上大疑獄が起るであろうことを予想するものであります。こういう意味において、少くとも現状維持でよろしい、現状維持でお互いにそれに関与するものが牽制し合っていくところに正しい進歩があり得る、私はかように考えて、民主主義教科書の発足は文部省オールマイティ、文部省の権限の拡大によって真の民主的教科書はできない、民主的に教科書のできるということは、すなわちあらゆるところに権限が分散し、そして多くの目をもって多くの人が教科書を作り、また採択も自由であるところに民主主義教科書のほんとうにりっぱな検定を作り上げていく、私はかように考えられてならないのであります。そういう意味において、教科書採択に至っても、自分が教壇に立って使う教師採択権がないというようなことに至っては、なおさらおかしいのでありまして、みずからが採択権を持って、良心的に持っていくところに私は真の民主教育が可能である、かように考えるものであります。  かように考えまして、憂うべき教科書を作らないという建前から、政府案に盛られてある文部省権限拡大の政府原案に反対いたし、その最もポイントであるところの文部省拒否権を剥奪し、教師用書に対する権限拡大を除き、採択に当って現場教師採択権を認めたところの社会党修正案に賛成をいたしまして、討論を終ります。(拍手)
  42. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これにて討論は終局いたしました。  これより教科書法案について採択に入ります。まず本案に対する修正案について採決いたします。  辻原提出修正案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  43. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 起立少数、よって、辻原提出修正案は否決されました。  次に原案について採決いたします。原案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  44. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 起立多数。よって、教科書法案原案通り可決されました。  なおただいま議決いたしました本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任をいただきたいと思いますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  45. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 御異議なしと認め、さよう取り計らいます。  これにて散会いたします。    午後十時四十四分散会      ————◇—————