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1956-05-21 第24回国会 衆議院 文教委員会 第43号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年五月二十一日(月曜日)    午後一時二十七分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君    理事 山崎 始男君       伊東 岩男君    伊藤 郷一君       稻葉  修君    久野 忠治君       楠美 省吾君    杉浦 武雄君       田中 久雄君    塚原 俊郎君       野依 秀市君    古川 丈吉君       町村 金五君    松澤 雄藏君       山口 好一君    河野  正君       小牧 次生君    小松  幹君       高津 正道君    野原  覺君       平田 ヒデ君    山本 幸一君       小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弐君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    斎藤  正君         文部事務官         (初等中等教育         局教科書課長) 安達 健二君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 五月二十一日  委員北村徳太郎君、千葉三郎君及び並木芳雄君  辞任につき、その補欠として古川丈吉君、楠美  省吾君及び松澤雄藏君が議長の指名で委員に選  任された。     ————————————— 五月二十一日  次の委員会開会要求書が提出された。    文教委員会及び理事会開会要求書  衆議院規則第六十七条第二項により明二十二日  午前十時三十分より委員会を開会することを要  求する。  なお、委員会議事について協議のため同日午前  十時より理事会を開会することを要求する。   昭和三十一年五月二十一日    文教委員長佐藤觀次郎殿       文教委員 赤城 宗徳            米田 吉盛            加藤 精三            高村 坂彦            坂田 道太            伊東 岩男            伊藤 郷一            稻葉  修            久野 忠治            杉浦 武雄            田中 久雄            塚原 俊郎     ————————————— 本日の会議に付した案件  教科書法案内閣提出第一二一号)     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 これより会議を開きます。  内閣提出教科書法案及び議員提出教科書法案一括議題とし、審査を進めます。質疑を許します。小牧次生君。
  3. 小牧次生

    小牧委員 清瀬文部大臣にお伺いしたいと思います。第四十八条「発行者は、文部省令の定めるところにより、文部大臣認可を受けて教科書定価を定めなければならない。」こういうふうに規定されておるわけであります。いろいろ教科書の問題について質問がなされ、また意見も述べられたわけでありますが、従来民間においていろいろ教科書問題が取り上げられておるというのも、一つ価格の問題にあったのでなないか、かように私は考えております。この四十八条によりますと、「文部大臣認可を受けて教科書定価を定めなければならない。」ここにただ一つ規定されておるわけでありますが、これは従来文部省がとってこられました最高価格をきめるという文部省の御方針と同一でございますか。まずこれから先にお伺いいたしたいと思います。
  4. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 従前と同じく、最高価格だけをきめようという考えでおります。
  5. 小牧次生

    小牧委員 教科書価格の問題についていろいろ論議されておる中に、できるだけ安い値段で供給してもらいたい、これは、父兄の側から見れば、当然のことであろうと考えております。教科書を売り込むために、いろいろ激しい競争が行われまして、そのために莫大な宣伝費を使い、またいろいろなスキャンダルも引き起されてくる、こういう結果になるわけでございますが、たとい教科書でございましても、一応商品としての性質を持っておる以上は、一面競争は避けることのできない問題であって、そのためにいろいろ売り込みその他に狂奔しなければならない、従ってこれにはまたそれ相当の費用がかかる、これが三割程度は教科書価格の中に加算されて、それだけ教科書値段が引き上げられるという結果になってくるわけでございまして、今回教科書法案政府の方において取り上げたという一つの目的と申しますかその動機は、やはりこういった価格の問題をとういうふうに規制していくか、一般大衆の持っておるできるだけ廉価にこれを供給してもらいたいという要望にもこたえるというのが政府提案一つ動機ではなかったかと考えるわけでございますが、ここに四十八条の規定を見ますと、最高価格をきめてこれを規制するというだけで、従来の文部省のとっておられたことと変りはないわけでございますけれども、今私が申し上げましたような点について、法文にはございませんが、何かそれ以外にお考えがあるわけでございますか、お伺いいたします。
  6. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今価格のきめ方について御質問がありましたから、今まで通り最高価格をきめると申しました。どうかして価格が廉価になるようにいろいろ考えております。それは今小牧さん御指摘の通り売り込み宣伝に消費した経費節約をはからなければならぬ、これが一つであります。それから競争競争を重ねて、色刷り等もたくさんにしていこうということはいいことでありまするが、やはりそれにも限度がありまするから、教科書作成について一定基準を定めて、教科書印刷、製本が高くならないようにする、ほかの省の所轄でありまするが、運賃を軽減したい、輸送料もその通りであります。こういうふうな考えで、なるべくいい教科書を廉価に取得されるようなことは何でもやってみたいと考えております。
  7. 小牧次生

    小牧委員 ただいまいろいろ御答弁がありまして、そういうふうにやってみたいというお考えでございますが、たとえば、その中で運賃の問題は非常に教科書というものに大事なものであるにもかかわらず、ほかの新刊とか、あるいはその他そういうものに比べて非常に割高にされている。今大臣の言われるような措置が、今まででも講じようと思えば、文部省の方において運輸省あたりにいろいろ折衝されて講じられたのではないかと私は考えておりますが、今そういうことをやってみたいと、こういうお考えでございますか、念のために伺います。
  8. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 運賃のことですが、貨車便の方は今まで三級でありまするのを二十三級くらいにしてもらいたいと申し入れております。それから高等学校教科書についても義務教育教科書と同じにしてもらいたい。それから貨車でなく客車便を使って点字用見本本を送る場合には、特別の方途を講ずるか、あるいは運賃軽減方策を講じたい。運賃方面ではこういうことを考えまして運輸省と折衝をいたしております。
  9. 小牧次生

    小牧委員 運輸省と今お話のような内容で折衝しておられるということでございますので、できるだけそういう点は早急に実現できるように今後とも大臣の御努力をお願い申し上げたいのでありますが、そのほかに教科書会社、いわゆる発行者自身に対しまして先ほど宣伝費その他の問題をあげて大臣のお考えをお述べになりましたが、それも今回の教科書法案立場から考えまして新しい法案を作るということから考えて当然一定基準を設けてこれを規制していかなければならないということは考えられるわけでございますが、そのほかに、これは私個人考えでございますけれども、この法案内容によりますと、採択範囲が市、郡単位になっております。また場合によつては県一本にもすることができる。そういたしますと、発行社によりますと、非常に大量の同一種類の本を発行するという現象が起ってくるわけであります。また印刷立場から考えまして生産費の問題を考えてみますと、かりに一千冊の教科書を作る場合、一万冊の同じ教科書を作る場合、これはおのずから大量生産原則によりまして単価は安くなって参ることは当然のことであろうと考えております。従いましてこの法案による市、郡あるいは場合によっては県一本という採択範囲と、非常に広くなったその問題、それから今申し上げたような大量生産可能性から考えまして、ある段階を設けて、かりに一万冊あるいは五万冊あるいは十万冊というような数量を売る場合には、それ以上は定価幾ら幾らに下げる。そうすると教科書会社の方ではただ一律にたくさんの部数を売りさえすればそれだけ莫大なもうけが出てくるというようなことにならない。従ってまた激しい競争と申しますか、それに基くスキャンダルと申しますか、そういうこともあわせて防げるのではないかと考えておりますが、今私が申し上げたような点について大臣のお考えをお伺いしてみたいと思います。
  10. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 小牧さんの、採択をやや広い採択区域にしたいといったような希望がそれに現われております。郡、市またはこれを合せたもの、場合によっては県、これは広くとれば自然経費が安くなることは、小牧さんのお説の通りであります。採択規則はそれを主に考え規則じゃございません。しかしあなたのおっしゃる結果になりましょうからして、施行の暁は自然発行所においてそれだけのマージンが出ると思いまするから、今われわれの予定としてどういうことになるか、まだ算定もつきませんけれども、この案でやってみた結果、そういうことも考慮に入れて価格引き下げを年々行い得るかと私は想像いたしております。
  11. 小牧次生

    小牧委員 私はこの法案採択の市、郡単位あるい場合によっては県一本というような、この内容に賛成をいたしておるわけではございませんが、この法案によるとそういう内容になっておりますので、これを例としてあげて御質問申し上げたわけであります。元来教科書の問題でいろいろ価格が問題になるということについては、われわれは根本的に教科書義務教育無償でなければならないという立場をとっておるわけでございまして、その立場がこの法案においては貫かれておらない。私どもとしてはできるだけこれは無償配布原則をもって実施されなければならないと考えておるわけでございますが、もしそうでないとするならば、できるだけこれを安くしなければならぬ、こういう立場から今御質問を申し上げ、また私の意見も申し上げたわけでございますが、四十八条にはただ一本、文部大臣認可を受けて定価を定めなければならないというだけで、そのほかにいろいろ大臣は、宣伝費節約の問題その他基準の問題など言われましたけれども、また運輸省運賃の問題を交渉してみたいというようなお話がございましたが、これは法案の上に具体的には全然表示されておらない。従って今後あなたの、また文部省方々の御努力に待たなければならないということになっておりますので、私はこの問題をあえて取り上げて、そうしてできるだけ父兄大衆のそういった価格引き下げ要望にこたえてやらなければならないということから申し上げたわけでございますので、その点についてはさらに文部大臣におかれましても、また文部省におかれましても、取り上げて十分御研究をお願い申し上げたいと思います。  それから先般来いろいろ問題になりました、教科書検定審議会教科書会社の出したものを審議するに当って、事前調査に当る調査職員の問題でございますが、前にも同僚議員から質問がありました通り、今度の予算に四十五名、これだけの人の予算が計上されておりますが、予算はそれといたしまして、その人選基準であります。どういう基準で四十五名の調査職員を任命されるのか。この点について今大臣はどういうお考えを持っておられるのか、これを最初にお伺いしてみたいと思います。
  12. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の四十五名を算出した基準、それから選任の基準等は、本案作成のときに部内で考えたこともございまするから、局長よりお答えさせます。
  13. 緒方信一

    緒方政府委員 四十五名の教科書検定のための職員でありますが、大体こういうふうに考えております。国語科一が六名、外国語科が二名、社会科十二名、数学科二名、理科十名、音楽、図工、美術が二名、保健、体育、家庭、職業が六名、以上で四十名でありますが、なお五名の補助的な職員、合計四十五名、かように考えております。大体教科書の現行の割り振りを教科別に見まして、こういうふうな割当が適当であるかと存じておりますので、なお検討いたしております。
  14. 小牧次生

    小牧委員 今局長から答弁がありまして、一応その科目担当基準と申しますか、その他若干のことをお聞きしてわかったわけでありますが、これは第七条に関連いたしまして、従来同僚議員方々からいろいろ質問が展開され、きわめて重大な問題であろうと考えております、すなわち検定審議会にかける事前において、この四十五名の人々が、今局長からいろいろ御答弁がありました通り、数人の方々がそれぞれの科目担当されて、発行会社の方から出されてくる原稿について事前調査と申しますか研究いたしまして、そうして第七条に規定してありまする通りに「検定を行わないこととすることができる。」この権限を持って予備審査に当るということを考えますときに、その科目担当の人員と申しますか、それももちろん大事でございますが、いかなる人がその衝に当るか、これが今回の教科書法案中核をなすものであると考えるわけでございますので、私どもは非常に重大視いたしておるわけであります。従来わが国に検定制度が施行されまして今日まで、教科書内容その他についていろいろ問題を起しておるのは、今回文部省考えておられる調査職員ではなくても、千四、五百名の覆面の検定委員あるいは非常勤の調査員、そういう人々の間において行われた事前検定ということからであり、また批判が行われたということから考えまして、今度は正式に四十五人の人々文部大臣あるいはその他の方々がいろいろ調べて選定し、任命されるということになるわけでございますので、先ほど申し上げます通り、非常に大事である今後のわが日本の教科書行政中核を握るものであると考えまして、あえて質問をいたすわけでございますが、たとえば外部から新たに四十五名の人々文部省に任命配置されるのか、あるいはまた従来文部省のどこかの課に所属しておられる方々の中から配置転換あるいはその他によって四十五名を構成されるのか、あるいはそのほか何か御方針があるのか、その辺のところをお伺いしてみたいと思います。
  15. 緒方信一

    緒方政府委員 ただいまお話のようにこの調査職員人選につきましては、その職務柄から申しまして最も慎重を期しなければならぬと存じております。最も適任であって公正な人選をいたしたいと存じております。ただまだ法案が国会で御審議中でございますので、どういう人をということは具体的には私どもまだ考えておりませんが、心がまえといたしましては御説の通りでございまして、十分慎重に最も公正な適任者を得たいと考えております。そこで一口に申しますと、予算の上から申しましても、たとえば十三級ないし十一級、補助の職員は九級くらいでございますけれども、相当高い段階予算をとっておりますので、一口に申しまして大学教授級の人を、かように考えます。外から入れるのか、うちから入れるのかというお話でございますが、これは今申しますようにまだ具体的に人選段階じゃございませんので、一がいには申しかねますけれども、両方考えられると思います。なるべく新しい——新しいと申しますか、原則としましては外部からということに相なりましょうかわかりませんが、両方考えられるだろうと存じます。
  16. 小牧次生

    小牧委員 先ほども申し上げました通り、今回の政府提案教科書法案が、御承知通り国家統制であるとか、あるいはまた中央集権化の強化、また官僚支配、こういう批判が相当強く起っておりまするその重要なるポイントをなすのは、何と申しましてもこの第七条の問題であろうかと考えます。すなわち今申されるような基準により、また方針によって四十五名という専門調査職員が選ばれて、日常ふだん教科書発行会社から出てくる原稿についてこれを調査する。しかもそれを文部大臣が任命する、こういう身分の調査職員が、専門事前発行会社から来る原稿調査して、そうして第七条は検定を行わないことができる、こういう強力なる権限が与えられる。もちろんその最後文部大臣検定を行わないことができるという権限を持つわけでございますが、何も清瀬文部大臣日常そういうものに当っておられるわけではないわけでありまして、その専門調査職員がそれに当る。従ってこまかい御方針は今御説明ございませんでしたが、その人選いかんによりましては、これらの人々考えによって今後学校で使われる教科書内容というものが大きく制約を受け、また規制を受けていくということを考えますときに、従来いろいろ論議されましたように、こういった危険な規定を置かない方がよろしい、危険性がある。この間も同僚小松委員から強くそういうような意見が述べられて、文部省の善処を要望されたのでありますが、そのやり方いかんによっては、清瀬文部大臣がどんなに否定されましても、従来のいきさつから見て、実質上は国定化への道をここで切り開いていく、こういう危険性があるということを、識者もまた同僚委員の間からも強く取り上げられて指摘されておるわけでございまして、私どもは、かりにこの法案が多数をもって強行されて成立いたしました場合に、先ほど局長から人選についてのお話がありましたが、そういうような人々がこれを実施して参ります場合に、そのような人々検定事前拒否というものをやり得る仕事をとうてい担当さしてはならないのではないか、非常に危険であるということを考えておりますが、清瀬文部大臣は、自分考えで四十五人の人を選んで、それぞれの課目を数人の方が担当されて、これはきわめて少い人数でございます。四人あるいは二人、あるいはまた十二人あるいは二人、こういうような方々が今申し上げたような仕事担当する、きわめて限られた少数の人がこういう重大な仕事担当してやるということでございますので、非常に危険であるということからいたしまして、このようなどうしても危険な方向に走りやすい規定というものはこういうところに持ってくるべきではないのではないか、かように考えますが、大臣の御所見をお伺いしてみたいと思います。
  17. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたの今仰せられることも、過日小松君の言われたこともよく注意いたしまして、あやまちのないようにいたしたいと思います。この案では非常に危険ということではなく、まず第一に行わないことをする場合の条件としては、誤記、誤植及び誤まった事実の記載が非常に多い、自分愛憎好悪でするのではない、この客観的事実、また検定基準に著しく違反しておる、検定基準に書いてあることでまるきり漏れたことがある、あるいは二年、三年のことを一年に持ってくるといったような非常に誤まったこと、そういう場合でないとこれはいたしません。今局長より御説明通り四十五人の者は、官吏としては相当高級な人を選ぶことになっております。そこで一たんそう思いましても、これら検定検査員考えたのですぐ検定を行わないという決定をするのではなくして、世間が信用する人々として嘱託いたしました教科書検定審議会に諮問するのでございます。ここで一つの関所がございます。それも諮問して拒絶しっぱなしな、アービトラリー、勝手次第なことになるかもしれませんが、それに不服ある人は、理由一つ聞こうとおっしゃると、公然として理由を書いて、あなたの御本は実はこうこういうわけで調査ができない、こういうことを本人に示すのであります。なお不服でありましたら、行政のことについて不服な場合の救済手段が、小牧さん御承知通りございます。すなわち行政訴訟臨時措置法というものがある。そこへも出訴ができるというので、個人の権利を侵害する非常に危険な規定だとは思っておりません。しかしながらどの規定運用いかんによることは非常に大事でありますから、十分に注意はいたしたいと思います。
  18. 小牧次生

    小牧委員 ただいま最後大臣からそういう場合には行政訴訟があるとかあるいは裁判にかけることができるというような御答弁がございましたが、これは前からたびたび同僚議員質問の最中にも大臣が言われる言葉で、なるほど形式的にはそういう場合にはできるようになっております。しかし大衆というものは行政訴訟ができるとか、裁判ができるということであっても、なかなかいろいろ手続があったり、その他煩雑な手数がかかるのでこれをやらないという場合が多くて泣き寝入りになる場合が非常に多い。ところが不服の場合にはそういった行政訴訟なり裁判手続のみではなくて、自由にそういった調査職員あるいは検定審議会委員という方々とその合格、不合格、あるいは検定拒否、そういった結果について不服を申し立てて、そうして自由に意見を交換して、どこが悪いのかその理由をそれらの人々から述べられた場合、こちらも反駁をいたしまして討論をする。発行者側意見も述べる、編集者意見も述べるということであって初めて民主的でなければなりません。そういうことが民主的なあり方であると私は考えるのでございますが、この法案内容にはどこにもそういったような規定が設けられておらない。従って第七条の問題にいたしましても、その他検定審議会の不合格の問題にいたしましても、それぞれ調査職員人選の問題あるいはまた検定審議会委員の構成、あるいは人選、こういうものがいかに大事であるかということを私は申し上げておるのでございますが、大臣はどのようにお考えでございますか。
  19. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の御質問の初めにありました行政事件特例法のことでありますが、小牧さんの御説の通り特例法訴訟などをすることは煩雑で数が少いと思います。しかしながらそれができるということがここに書いてあると、それだけに審査する時分に無理がかからない。文部省としても審議会委員としても、ほかのことと違って訴訟を受けることは名誉じゃございませんから、この制度があるということが危険を少くすることの一つになろうかと思います。だいぶここをねらったのでございます。  それから審査の最中に当事者と討究いたしまして必要な結果を得るために説明意見を求めるということはするのであります。この法案の十六条の第二項にそのことがあります。しかしこの十六条二項を待つまでもなく、文部省行政庁国民皆様のためにサービスをしなければなりませんから、ちょうど十六条二項に当るような聞いてわかることはおいで願って聞くなり電話で照会するなり、それらは親切にいたしたいと思います。  それからまた第八条の二項にもちょっと修正すれば及第するのだという時分には軽微な修正を行わしめるということをきめております。これらのことで著作者出版者意見立場は十分に擁護していきたい、かように思っておるのであります。
  20. 小牧次生

    小牧委員 ただいまの御答弁でありますが、第八条の二項、それからさらに第九条、これを読んでみますと、なるほど文部大臣から通達をしたりあるいはまた「検定を行わない旨の決定又は不合格決定を受けた者の請求があったとき」書面を交付する、こういうふうに規定されているのであります。これは読んで字の通りです。大臣の方からこれは一方的に通達をされ、またもう一つは不合格決定を受けた者の請求があった場合はというので、もし請求がなければもちろんこれは何もなされないわけで、大臣としては請求がないからそういうことをする必要は毛頭ないのだ、こういうような御意見であろうかと考えますが、その決定に至る前にやはり調査職員なりあるいは検定審議会委員と発行側、あるいは編集者との間にいろいろ意見の交換なり、あるいはその意見が違う場合にはこれを反論し、そうして不合格または拒否になることに対する不服の討論、そういうものはなければならない。この八条ないし九条を見ますと、これはさまったことをただ通達をし、知らせる、そのあとはなるほどさっきおっしゃいました通り行政訴訟とかいうものはございますが、それは私が先ほど意見を申し上げた通りでありまして、あくまでも教科書検定なり、あるいは合格、不合格、あるいは事前拒否ということは、これは非常に重大な関門である。幾ら本を作って売ろうとしましても、検定に通ってからでなければ何もできない、第一のこれは重大な関門でございますのでわれわれはこれはきわめて重要視いたしておるのであります。従って今申し上げた通り内容においていろいろ審議され、その結果が出される前に、そこにはいろいろ意見の交換も行われるような、また結果が出されても、それに対する不服を申し述べ、討論する機会を与えることが、あくまでも民主的な態度であり、あり方であると考えるのであります。こういう意味から今申し上げておるわけですが、いかがですか。
  21. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 合否の決定、または検定を行うやいなやの決定の前には、申請人に向って説明などを大いに求めることと思います。現に第十六条の二項にも、「説明又は意見を求める」という字もあるのであります。必ずしもこういうことが規則になくても、官庁の仕事として申請された件について申請者の説明を求めるのは当然であります。そこで遂に遺憾ながら検定をなさざる決定をした、あるいは不合格決定をしたという場合に、苦情もないのにこちらの方から書面などを出す必要もなかろうが、しかしそれが不服であって、何かそういうことなら一つ訴え出もしてみようという考えのある方は、それを書面にせえとおっしゃった時分に、ぐずぐず言って期間をおくらすようなこともあってはいけませんから、その場合には書面で、その理由を差し出す、こういうことで行政の便宜と申請人の権利保護との間の調和をとったのでございます。
  22. 小牧次生

    小牧委員 重ねては申し上げませんが、第七条に関連いたしまして、私が申し上げた通り、また従来他の同僚議員からいろいろ申し上げた通り、これは危険な結果を生む条文であるからこういう危険性のあるものは法文の上に掲げるべきではない、こういう意見を今申し上げておるわけでございますが、それと関連いたしまして、これもたびたび御質問があり、問題にもなりましたけれども、ここに規定されておる第十五条の検定審議会の問題であります。これも調査職員文部大臣が任命をするが、それと同じように、さらにその上部の機関として最終的な検定に当る審議会委員文部大臣が任命をする、こういうことになっておりまして、私どもはこの点を非常に重大に考えておるわけでございまして、その審議会委員人選ということが従ってまた非常に大事である。内容はここに書いてある通り「教育、学術又は文化に関し広くかつ高い識見を有する者及び教科内容その他教育に関し専門的知識と経験を有する者」これはもう同じような委員を選定される場合に常に出てくる型にはまった文句であろうと考えております。従つてこれは何でも通用のできる抽象的な表現でございまして、高い識見とは一体どういうことか。まずこういったことからすでに大きくこれが問題になるわけでございますが、これも文部大臣の主観によってあの人は非常に高い識見を持っておるりっぱな人だということがきまってくる。どういう人々が八十人以内のこの規定された委員に任命されてくるか。これは単にここに出ておる法文から見ては私どもには全然わからないのであります。従って将来生まれるであろう新しい検定審議会委員方々はどういうような方針をもつて、重大な教科内容審議検定に当られるのか、これはわれわれには見当がつかない。この法文以外にあなたは一体どのような具体的なお考えを持っておられるのでございますか、お伺いいたします。
  23. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この八十人の検定審議会委員は、小牧さん御指摘の通り非常に大切な委員でございます。この検定の結果に基いて検定をし、その検定については文部大臣が責任を負うのでございます。そこでこの検定の方法についてどうするかというのでありますが、かくのごとく形式上ではあろうと思いますが、検定文部大臣の責任でありましてその検定が悪ければ皆さんに私が糾弾されるのであります。現行法においても名前は少し違いますが、検定調査審議会といいまするが、この委員文部大臣が任命いたしておりますので、現在の組織をこの点においては踏襲いたしております。識見の高低ということはむずかしいことでありますけれども、かりにも検定審議会委員になられようという人は、みな世の中の評価のきまった高き深き識見を持たれる方でございます。こういうふうな基準文部省において従前委員を任命いたしたこともあるのであります。それは現在中央教育審議会、世間で申す中教審でありますが、この方々は人格が高潔で教育、学術、文化に関し広く高い識見を有する者ということで、広く高い識見を有する人のまず前例はあるのであります。これでほぼ御解釈を願いたいと思います。どこどこまでも追及されまして、広く高いとは何だといわれれば、これは言葉の説明になってかえって失礼と思います。ああいう意味のりっぱな方というふうに御了解を願いたいと思うのであります。
  24. 小牧次生

    小牧委員 いろいろ御答弁がありましたが、新しく構成されようとする検定審議会委員がどういう人々を選ばれるか、この問題で若干質問いたしたわけであります。われわれといたしましてはまた別な考えを持っておりますけれども、それはそれといたしまして、この条文による場合に、いかにしてこの選出、構成の方法が民主的になされるか、教科書内容検定する人々、これはそれぞれの専門的な立場からその人材というものは各方面にあると思います。非常に広い分野にわたってたくさんの適任者があると私は考えております。従いましてこれができるだけ民主的に構成されて初めてその運営も民主化されるであろうし、また検定も民主的に行われていくであろう、こういうふうに考えるわけであります。しかしながら条文によりますと、最終的には何と申しましても文部大臣、今は清瀬さん、あなたがこれを任命されることになるわけでありまして、おそらく清瀬文部大臣と相当意見の違う人々、あるいはまた立場の異なる人々、そういう方々は——これは今予想するわけでございますが、選ばれないのではないか、かように私は考えるわけであります。従来清瀬文部大臣はいろいろ同僚議員質問の場合に、自分は自由主義者である、こういうことをたびたび申されておる。それはそれといたしまして、自分は自由主義者であるからその立場から人選をし任命をする、従ってこの審議会委員の構成もりりっぱなものである、かように結論づけられるかもわかりませんが、私どもは必ずしもあなたを自由主義者だというふうには考えておらないのであります。これはもちろんあなたは非常に不服であり御不満であろうと考えますが、これはお互いの見方でございますので、お許しを願いたいと思うわけでありますが、必ずしも自由主義者であるとは考えておりません。(「現在は」と呼ぶ者あり)なるほど昔は確かに自由主義者であられたかもわかりませんが、社会、文化はしんしんことして発展してやまないものであります。昔の自由主義者が、今日必ずしも自由主義者であるとは言えない。これはもう社会主義者においても、古い社会主義者が今日の新しい時代の社会主義者として適格者であるかどうかということについても、同じようなことが言えるわけでございまして私どもはこういう観点から、前に出されました新しい教育委員会法案、こういうものを清瀬文部大臣が提案され、ここでいろいろ活発な論議が展開されましたが、あれも公選制を切りかえて任命制にする、しかも文部大臣措置要求というものが規定されて、非常に文部大臣権限が強化される。またいろいろ大臣が申される中に、占領行政の行き過ぎ、あるいはまた現在の民主主義を修正しようとするその態度、こういうことから、必ずしもあなたのお考え通りに、自由主義者だとは考えていない。そういう文部大臣が新教育委員会法案と一緒に、ここに新しい教科書法案というものを出された。これは同じ大臣が提案された法案であります。従って同じような精神が貫かれておる。教育委員会法案審議の際に、私は明らかに新しい教育委員会法案は中央集権の強化を招来するものである、あなたがお考えであろうとなかろうと、結果的にはそういうものを招来するものであり、官僚支配を目ざすものである、こういうふうに申し上げたと思いますが、この教科書法案もやはり同じような精神が貫かれておる。これは御本人がどう否定されても、客観的にはそう言えると私は考えますが、この審議会委員を任命するに当って、大臣が一方的にこれを任命する、もっと何らかほかに民主的な任命の方法があろう、かように私は考えるわけでございますが、この  一方的に任命された審議会委員が、その下部の四十五人の調査職員を使ってそして先ほど来たびたび申し上げるような検定事前拒否とか、あるいは事前調査その他強力な権限をもって当る、これはもう形式はどうでございましょうとも、明らかに教科書国定化への第一の段階である。そういうことはしないということを言われるようでございますが、これを読んでこの内容を見ると、そのままもう一押しで、その次は国定化である、かように私は考えますが、大臣は今私が申し上げたことについて、どのようにお考えでございますか。
  25. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今お話のうち、私一身のことに対する御批判質問には、他人の苦言として私ありがたく受け取って専制政治家にならぬように注意いたそうと思います。その末段の、これが国定主義への接近だということについては、私はそうは思いませんです。国定と検定とは何も程度の差じゃないのです。性質が違ったものです。国定は政府でもって編さんするのです。検定は民間の編さんしたものを政府検定するのです。この案は現在の十六名の検定委員を改めて八十名の検定委員にしてしかも専門調査員を置くというので、検定制度を拡大したものであります。ゆえに国定制度とは一そう離れてくる、こういう大きな検定機関を置くというと、検定制度はこれから国の大きな制度になる。検定を縮めてしもうてやるというなら国定へ近づくおそれがありますけれども、これは国定に近づくものではございません。もっとも本院をすでに通過いたしました新教育行政の法律でありますが、あれでは文部省のする仕事がふえておることは事実なんです。けれどもこれを中央集権といって権力で押えるという規定は一カ所もありません。ただ日本の教育をよくするために、いろいろな指導助言援助をするということばかりでございまするから……。それでもあなたのおっしゃる通りに私が前半生の進止行動を改めて専制政治家になるように見えるがという御注告に対しては、そういうことにならぬように十分注意いたします。八十人は、これは民主的にとおっしゃるが、一方この検定は、私が認めてこの八十人の方々のやった責任を、私が、文部大臣がとるのです。そうでありまするから、現在の法律においても、審議調査委員会文部大臣が選任しております。それと同じように、やはり私の方で選任さしていただきたいと思います。その際にも思想的に、専制主義に近い、あるいは国家主義または超国家主義者は私はとろうとは思っておりません。公平な人を嘱託しようと思っております。
  26. 高津正道

    ○高津委員 関連。建前は今清瀬文相の言われるように、検定制度の維持であって、国定制度に切りかえるものではない。表面上はまさにそう言えると思います。しかしながら小牧委員の指摘されるように、検定職員審議会のメンバーを、別に選定の選考委員会を、設けるでもなく、勝手に文部大臣及び文部省が任命し得るのであるから、実質上は思いのままに指導ができる。建前はくずしていないかもしれぬが、実質上国定へだんだん近寄るのはもちろんであるが、今でさえも思うがままの教科書文部省が作り得るような実態になっておる。こういう意見に対する答弁にはなっていないと思うのであります。  私はけさの有力なる新聞に、記者が責任を明らかにして、平岩、田中両記者として、第一面に特集を出しておるのを読んでみましたが、それは現在でさえ、本年度の検定は四月にはすべて終って、各教科書会社は、その検定にパスしたものを目下急いで製作しておる。教科書会社や著者の間に新しい事態が起きたというので問題が起っておる。どういう問題かといえば、進歩的な著者が敬遠される傾向が年々強くなってきておったが、本年はさらにその面が大幅に現われてきた。たとえば「「今まで左翼を批判してきたが、こうなったらはっきり反動的なものとたたかわねばならぬ」といい出した」著者がある。それは大学教授でありますが、「この教授は前年までは、教科書検定基準となる文部省教科書指導要領の委員だった人」でありまして、そのような立場にあった人がそういう意見を今や述べるようになっておる。  それからもう一つこの事実をただしたい。この法案検定の項項にはそうなっているが、こういう事実が今でさえも現われておる。社会科教科書について「主として憲法問題、平和問題を扱ったものにきびしく、たとえば階級意識を助長するという理由で、民衆の生活、民衆の動きの記述を少くせよ。」こういう注意がきておる。民衆の動きや民衆の生活を多く書けば、なぜそれが階級意識を助長するということになるのか。そういう注意を出しておるのであります。また「満州事変、日華事変、太平洋戦争の侵略的性格を指摘するのは一方的判断で、国民の愛国心を傷つける。」という。真実の歴史を書いてそれを知ればどうして愛国心が傷つけられるのか。これは実に妙な考え方であります。あれは正しい戦争であった、初めは自衛のためであり、終りは白人の東洋制覇からアジアを解放するためであったと書けば愛国心が起るんだ、そんな論理というものは生まれてこないんですよ。しかるに、こういう注意をしておる。第三には「皇宗尊崇を強調する。」皇室尊崇のためにわれわれはもうこりたのであります。天皇を牛耳る勢力があれば、天皇の名において命令を下せば火の中へも飛び込むし、間違った始めてはならない戦争を始めても、天皇の名をもってすればさっと国が動かせるようなことにもなるのでありまして、天皇に対する新しい認識が生まれたことが、われわれは日本のために幸福であると考えておるのに、また天皇尊崇を強調する。こうした角度から、教科書としてそうなっておらないものを不適格と認めるようなことが本年すでに行われておるのです。私はこの平岩、田中両記者の報告を信ずるのでありますが、そういう事実があったかなかったか、このことを聞きたいのであります。現在でさえこうやっているのである。いわんや小牧委員の今まで指摘したように、この法律をもってすれば全く自由自在になる。三越やあるいは松屋、その他の大デパートは資本が多いのでありますから、納入する店に対して、これならば取らないぞ、こういうふうにやれと命令する実力を持っております。だから何としてでも三越へ納入しておるという名前もほしいし安定するから三越の言う通りになるわけであります。この規格はだめだと言えば三越の言う規格に合せる。大資本を持った三越のような立場文部省立場が当ると私は思うのでありますが、大臣はどのようにお考えであるか。またこの事実があったのかなかったのか。このことをお伺いする次第であります。
  27. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 文部省が三越のようになろうとは考えておりません。事実においてそうはならないと思います。今御引用のものはこれは事実問題ですから、もし実際その人が不合格検定を受けたのでありましたら、その受けました原稿をお見せ下さるとお答えができようと思いますが、実際のものを見ないで、抽象的に私ここでお答えしまして違っておるといけませんから、あなたのお問いの初めの部分については留保をいたしたいと思います。拝見しましたらまた私の見解を述べようと思います。ただ皇室のことは、現在の憲法になりましても、国民の象徴であり、国民統合の象徴でありまするから、これを尊敬することは悪いとは私は思っておりません。
  28. 高津正道

    ○高津委員 留保するということはわからないと思います。今私の方から責任を明らかにするために平岩、田中両記者が——これは東京新聞の第一面担当の責任ある記者であります。こういう記事を書いておるのでありますから、これは事実であるかどうか、事実と違うと言えばそういう答弁でも答弁にはなるのであります。事実であるかどうかということをお伺いするのであります。
  29. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 その東京新聞も実は本朝拝見しておりませんが、田中さんはその著者じゃないのですね。どの本のことを見て田中さんがおっしゃるのか、具体的な本をお見せ願いますると答えができると思います。私は近時使っておる社会科の本はだいぶ見ております。具体的のものをお見せ願えば何ゆえに不認可になったという答えはできようと思うのでありまするが、あなたのおっしゃる三段のこと、すなわち第一に、民衆の動きを書くのはいけないといったようなことは、抽象的に私は文部省でとったとは思っておりません、私の代になってからも、前任者の代になってからも。二番目の侵略的性格になった、それも私は、日本は侵略戦争はやめるべきもので、現行憲法にもありまする通り、またわが国の入った不戦条約にもありまする通り、侵略の思想、侵略の行為を弁明するようなことは教科書においては許すべきものじゃないと思います。第三の皇室に関することの私の考えは、現在においても国民結合の象徴、これに向って無礼なことを言うことは私はよくないと思っております。
  30. 高津正道

    ○高津委員 今の三つの注意の中の第一である「階級意識を助長するという理由で、民衆の生活、民衆の動きの記述を少くせよ。」ということは自分の意思ではないんだ、こういうお説だと承わりました。第二の「満州事変、日華事変、太平洋戦争の侵略約性格を指摘するのは一方的判断で、国民の愛国心を傷つける。」この点で侵略戦争ならば侵略戦争であるということを書くことは差しつかえない、こういう意見に承わったのでありますが、国民の愛国心を傷つけるという意見が加わっておるから、なぜそれが愛国心を傷つけることになるかという点に関する文部大臣の御説、御意見を承わっておきたいと思います。
  31. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたの御説のようなことを内示したことも訓示したこともありません。ただお問いの趣意を受けて答えますれば、日本は侵略戦争ばかりをしたんじゃございません。日本の先輩のなさったことに正しい戦争は非常に多いのであります。それをことごとく、事日本に関するものはみな悪いんだ、事ソ連、中共に関することはみないいんだといったように書くのは書き過ぎと思います。自分の父祖より伝来したこの国家は今まで悪いことばかりしておるのだというふうに子供の簡単なる頭に印象づけることは、愛国心を鼓舞奨励するゆえんではない、かように私は思っております。けれども何しろ現物を見ないでここで言うことですから、言葉の足らぬことはお許し願いたいと思います。
  32. 高津正道

    ○高津委員 今大臣のお説の中には、先輩のなさった戦争がみな悪いのではないんだ、いい戦争があったんだ、こういうお説でありますが、その先輩のなさった侵略的でないいい戦争というのはどの分とどの分か。それを指摘していただきたい。
  33. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 われわれが歴史を判断するときにはその時代の制約ということを考えなければなりません。今主権が国民にあり、民主主義の日本。不戦条約に加入したときの日本、この判断でそれ以前のことを判断すると、そこに錯誤が生じます。不戦条約に加わったのは一九二八年です。それゆえに一九二八年以前は国策のための戦争はやはり是認されておったのです。けれどもそれを今日やれという意味じゃありませんよ。それゆえに私は日露戦争も正しい戦争と思っております。日清戦争も正しい戦争と思っております。そのときの日本の最高の国是は極東の平和ということです。東亜の安定ということです。これを一つの正しい日本の国是として戦いました。ところが一九二八年からは不戦条約に加入し、今日は新憲法であの通り規定ができておるのであります。今日の基準からいえば一つの目的のために動いたのでありまするが、それがために当時にさかのぼって、東郷平八郎はけしかしらぬ、乃木大将はけしからぬ、こういうふうに私は歴史は教えるべきではないと思うのです。楠木正成もそうです。あの当時は主権は皇室にある。皇室のためにやることは国のためにやるのだという日本の国の体制でありましたから、国に忠義を尽した。ところが今日主権が国民にあるために国民のために尽すことがこれが忠だ。すべて歴史を読むのには、今日ただいまの世の中を基準にして何もかも判定すべきものではなく、私は明治御一新から国是がきまって極東の平和、東亜の盟主、これをやろうという日本の国是であれば、日露戦争、日清戦争は正しい戦争と思っております。
  34. 高津正道

    ○高津委員 太平洋戦争については弁護をなさらぬで日清、日露の二つの戦争は正しい戦争であった、これは実に大きい御発言であります。日清、日露の戦争は東亜の安定と極東の平和のためにやったのだからこれは正しい戦争であった、こう言われるのでありますが、速記は間違いなくこれを記録し、いかなる権力もこれを動かさないと信じます。これは日本政府の従来の見解とは違うと思います。そうして教科書に関する教育指導要領とも違うと思います。日本の立場からいえば東亜の安定、極東平和のためであるが、しかしながら朝鮮に日本の勢力を植えつけ、満州に日本の勢力を植えつけ、それを併合し、そうしてあるいは満州にはロボット政権を作って自由自在にあやつって、日本の利益を守るためにやったのであって、これは間違いのないことであって、そう見るのが国際的な常識でもある。日本はそのように考えて不戦条約に入っておったかおらないかで区別しないで——そのこと自体は、わが国の実力でもって戦争を始めて領土を日本に併合したり、日本の勢力範囲を広めてそこに日本の勢力を植えつけるという、今最も反対されている植民地帝国に日本がなった過程でありますが、これを反省しないで、日本政府を代表しておる文教の責任者である大臣が、日清戦争でも日露戦争でもあれは正しかったのであって、大東亜戦争は悪かった、過去の先輩のやった幾多の戦争に弁護すべきものは何があるか、いいのは何かといえば、日清戦争と日露戦争とはよかった、あれと同じことを今やるのは悪いがあのときはよかったのだ——あのときよかったということなら今は悪いと書かなければならぬのじゃないですか。今考えてもあれはあの時代あれでよかったのだ、こういう御発言をあなたは取り消さないで文部大臣の地位にずっといるつもりですか。取り消しませんか。
  35. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 満州政権を作ったということをおっしゃいましたが、あれは日清、日露の戦争じゃなく不戦条約以後のことであります。満州事変を自衛権だといった解釈は私はよくないと思います。ですから今のお問いの中で満州事変のことはお答えいたしません。それで私は一九二八年以前と以後で今区別して答えたつもりであります。不戦条約以前ならば、国際法上日本が独立国家として戦争を宣言する権利を持っておるのであります。国際法上はよき戦争、悪い戦争という区別はしないのであります。独立国家は戦争を宣言する権利があったのです。一九二八年以前はその戦争大権によってそれでやったのであって、今日の基準でこれが侵略戦争だから悪いということは私はいけないと思います。   〔委員長退席辻原委員長代理着席〕 しかし今あの通りのことを日本がしていいか悪いかといえば、これは悪いと私は言います。だから日清戦争、日露戦争と同じことをすべきかといったら断然それはいけない。それは悪いといいます。ところがあの当時の国際法と、あの当時の日本の憲法及び国是、これから判断すれば、あの当時としては、これは日本が正しくできたんだ、こういう解釈でありまするから、一品に結果だとか言葉というだけで非難攻撃はされぬように。しかしこれを詳しく言おうとすれば、非常に手間が要るんです。けれども、このことだけに申し上げておきます。
  36. 高津正道

    ○高津委員 一九二八年以前の戦争の場合は、どこの国に対しても宣戦の布告をして戦争をやる権利があったのだから、それは正しい戦争であったのだ、こういう御意見で、非難さるべき戦争ではないと言われるのであるが、私たちは今考えてみても、あのような戦争をしない方がよかったんだ、やり方もまたもっと方法があったんだ、こう考えておるのであります。大臣は、世界がみな聞いておる国会での発言でありますが、日清、日露の戦争は当時として全く正しいことであって、今でもそれを悪かったなんということを言う必要のないものである、こういう発言をしてソ連、中国、朝鮮その他が聞いておっても、内外を通じて何の遠慮もするところのない自分意見だ、こうお考えになっておるのでしょうか。すなわち、今の点は取り消す、こう言われるのであるか、いま一度御意見を承わりたいと思います。外交上大きな影響もあるし、またそのような反省では、この憲法に賛成してそして今日に至り、教育基本法を正しいと認めておる常識とは、私はだいぶズレがある、あるいは百八十度かなたの見解ではあるまいか、このように考えるのでありますが、大臣の御意見をいま一度承わりたいと存じます。
  37. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻申した通りと御了解をお願いいたします。
  38. 小松幹

    小松委員 関連して。ただいま高津委員から戦争の問題が出ました。土曜日だったか、大臣に私から質問したときに、大臣はやはり最後文部大臣としての責任において特に教育基本法を中心軸として考えるならば、平和愛好主義、平和をこいねがうところの人間像を描き、そして国民を作るという意味のことをおっしゃられた。こういう観点に立つと、文部大臣としての御答弁としては、今の高津委員質問に対するオーム式のその答えならば、やり返す意味の答弁ならばそういうこともいいと思いますけれども、私は戦争を肯定するような御答弁はどうかと思うのです。そのときの情勢なり、そのときに指導者の抱いた感情なり、あるいは心理というものは了とすべきものがあったとしても、一応現在の文部大臣が、文部大臣という職責において御答弁なさる言葉としては、やはり戦争そのものを肯定する——いい戦争と悪い戦争があって、あれはいい戦争だというようなことを論ずることは、ちょっと納得がいかないのです。そういう意味において私は、人類始まって以来今日までの戦争において戦争がいい戦争であるということを肯定することはできないと思う。しかしそれは必然の情勢として起ってきたものであって、これをいやしくも教育の面でいい戦争であったというように肯定したならば、私は教育は成り立たないと思う。あの戦争はいい戦争だ、この戦争は悪い戦争だというような言い方をすれば、私は教育は成り立たぬ、こう考えるわけです。そういう意味において、やはり私は、大臣立場とすれば、戦争については一応否定的な立場に立たれて、明治三十七、八年の戦役であろうが、明治二十七、八年の戦役であろうが——私はこれをただ国際法的な立場において是認しようと言っているわけじゃないのです。あなたは答弁では、幾分そのときの指導者である乃木大将とかあるいは東郷平八郎のそうした気持、心持ち、考え方に対して否定していない面もあったと思うが、その点は私は大臣個人的なお考えとすれば——おとといも東条大将の心事についてそういう言葉があった。私は大臣が戦争を合理化するという考え方と戦争に参加した人の心持ち、心がけとを混線しておるように、おとといから感じておるわけです。戦争に参加したのは、私の兄弟も、私のおいも、親戚の者も、みんな尽忠報国の気持で参加しておるのですから、その気持を否定されたら困る。その気持は了とされても、戦争の組織形態あるいは指導するところの一つのイデオロギー、そうしたものを美名化しないようにしていただきたい、合理化しないようにしていただきたい。この点大臣は少し混線して御答弁なさるから、あの戦争はいいんだというように御答弁なさっておるように私は感じたわけです。この点大臣の気持は私はわかっておるが、文部大臣ですから、いい戦争もあったんだ、三十七、八年の戦争はいいんだというような、あまりそういう言い方をしない方が大臣としては穏当じゃないかと思うのです。公平な大臣立場としては、私は穏当であろうと思いますが、どうか大臣、いま一度そういう戦争に対する考え方を教育基本法の理念から考えても御答弁願いたい。
  39. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなた初めからここにおいでになっておりましたか。話の中途からお入りになりましたか。——高津さんにお答えする前にくれぐれも私はこういうことを前提として答えておるのです。すなわち歴史はその事件の起った時代の観念に制約される。そのときの観念で見なければならぬ。それゆえに、一九二八年にわが国が不戦条約に入り、今日のごとき憲法を持ってから、今の考えでこれを持ってきていい悪いということは言えないんで、そのときの社会情勢、そのときの法律情勢、そのときの国際法で見なければなりません。だからむろん戦争についてこれを許す言葉があっても、今それをしてもいいという意味じゃないことをどうか御了解下さい、こういうことをくれぐれも私は前提において言っておるのであります。日清戦争と同じ戦争を今やれば、これは悪いにきまっておるのです。日露戦争と同じ戦争を今やれば、これも悪いにきまっております。でどこを基準とするかといえば、一九二八年の前後でまず区別したらよかろう、というのは、二八年以前は、日本は独立国で、しかもそのときの国際法によって宣戦布告する権利はあったのです。しこうして、宣戦布告は国家の絶対権でありますから、いい戦争を布告しても悪い戦争を布告しても、戦争によしあしなしというのがオーソドックスの国際法であったのです。この区別をしてどうかお聞きを願いたいということをくれぐれも私は言っております。しこうして日露戦争、また日清戦争は、世界はどう言おうと、わが国の東洋における使命としては極東の平和であったのです。極東の安定であったのです。今から考えると、それは疑義があったかもしれませんが、天皇陛下の宣戦の詔勅にも、極東の平和、東亜の安定ということを言っておられます。でありますから、これらの戦争をそのときにおいて見れば、日本人は正しい戦争をしたと思っておる。これは許さなければならぬと思います。それをずっと今から遡及して、不戦条約以後の考えで、あれはわれわれの先輩も誤まっておったのだ、乃木大将は悪い戦争で死んだんだというふうに考えることはよくない。ひとりこれのみならず、すべて歴史上の人物とか歴史上の事件とかいうのは、その時代思潮と照応して考えなければならぬ、こういうことであなたのお考えと大した違いはないと思います。前提を一つ考えて下さい。繰り返して私は言っておりますが、今、日清戦争と同じ戦争をするのはよくないことは言うを待ちません。日露戦争と同じ戦争をすることは、断然これは反対であります。そういうことを言ったのであります。
  40. 小松幹

    小松委員 今、大臣論じられておるのは、教科書法案に関連してなんですよ。しかも教科書法案に関連して、歴史教科書の中に少くとも明治二十七、八年戦役、明治三十七、八年戦役というものが、具体的に取り入れられるということを私たちは予想して、−教科書に関連の質問とするならば、ただ単に私は国際法上の是非をここで大臣に問うよりも、それならば私は文部大臣に問いません、外務大臣か法務大臣に聞きます。そういう意味でなくして、将来の日本の子弟に教える場合に、ただそのときの戦争に参加した人の心情なり気持なりを羅列して教えるという立場をとるのか、やはり戦争の起った——戦争が起るのにはいわく因縁があるでしょう、資本主義の社会に起るところの当然の一つの原因がある。そういうものを克明に批判していくところの行き方もあると思うのです。その行き方はどちらにしても、あなたの今言っているのは、そのときの戦争に参加した人の心持、感情を土台にして合理化しておる。だから感情を土台にしてほめたり浪花節に言うのはかまわぬのです。あるいは筑前びわにその心情を吐露して、玄海灘の筑前びわの外題にするのはいいでしょう。しかし教育として指導する場合に、筑前びわのその美辞、美話を教育にするのでは困ると思う。科学精神を養わねばならぬとするならば、戦争の起った原因なり因果なり結果なりというものを、科学的に究明していかなければ教育にならぬと思う。ただそのときに東郷大将がどうやって、尽忠報国の気持だったんだ、あるいは何々一等兵が一生懸命に骨を折ったというのは、これは美談です。美談としてはなるほどいいのです。しかし教育としては私はそれだけではならぬとすれば、あまりそういう美談や心情をもって、文部大臣が戦争を合理化してくれちゃ困ると思う。その合理化するということは、同時に私は教育基本法の精神に反していくんじゃないかと、将来をおもんぱかる。大臣の今のそのお気持、私はえらい疑っているわけじゃないのですけれども、そのあなたの口を通して出た言葉が、やがては戦争合理化の一つの布石になる、土台にならぬかわからぬけれども、布石になる。そういう意味で、あまり戦争を合理化していただいては、今後の科学教育というものが成り立たなくて、筑前びわの教育が成り立っていく、こういうことを言っておるわけなんです。大臣、その点はどうなんですか。
  41. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻お答えした言葉で御了解を願いたいと思います。私はすべての戦争を合理化する考えはございません。
  42. 小牧次生

    小牧委員 先ほどに引き続きまして御質問いたします。先ほど私がお尋ねしておったのは、主として検定の問題についてであったと思います。そこでさらにこの問題について若干お伺いいたしたいと思います。中教審においては、検定権を行使するにはこれを適正に行使しなければならない、こういうような答申をいたしていると私は考えております。これは当然なことであろうと思います。非常に大事な問題でございますので、教科書検定をやるその検定権の行使は適正でなければならない、適正とは何かということになりまして、結局検定をする立場に立つ人の持っている考え方あるいはまた検定審議会委員を任命する権限を持っている文部大臣考え方なり、そういうことに関連してただいま同僚高津あるいは小松議員からいろいろ御質問があった、かように私は考えるわけでありますが、この検定権の行使を適正にするという中教審の答申、これを考えながらこの教科書法案内容を見ます場合に、第十五条あるいは第十六条あるいはまた第七条、こういうものが直ちに関連して出てくるわけでございますが、先ほども申し上げます通り検定審議会委員文部大臣の一方的な任命によって構成され、また四十五名の新しい調査職員が任命される。これで大臣は中教審の答申にあるように検定権が適正に行使される、かように考えてこの法案をお出しになったのでございますか、お尋ねいたします。
  43. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 中央教育審議会の答申の初めに、文部大臣検定権の行使を適正ならしむるために現行の審議会を拡充強化し、その委員を学識経験者、教員その他のうちから中正かつ適切な方法で選出する、こうあります。この答弁の趣意によりまして、現行審議会の拡充強化、すなわち十六人を八十人に拡充強化いたしました。それからその事務に予備的、補助的に当るために四十五人の調査員を置きました。審議会委員先ほども申す通り、人格においても識見においても広くかつ深い人をとる、こういうことをいたしておるのであります。これをもって趣旨に おいて中央教育審議会の御趣意を十分に取り入れたものと思っております。ただ委員を民主的にとおっしゃるが、選挙とか推薦とかによりませんのは、やはり責任は文部大臣がその検定の結果について負うのですから、大臣の責任でこれを御嘱託申し上げる。しかしてこれは無理なことではなく、現在もてうなっております。こういうことで御了承願いたいと思います。
  44. 小牧次生

    小牧委員 なるほどさっきからたびたびお話もあったわけでありまして、検定審議会あるいはその他検定についての内容を広げていく、こういう御答弁、それからまた今の御答弁、これは確かに一応表面的にはそういうことも言えると私は考えております。しかしながら何と申しましても、これは新しい教育委員会法案内容とも相当密接な関係があると私は考えております。先ほども申し上げました通り、同じような精神によってこの二つの法案は貫かれておる、こういう立場からいろいろ考えましたときに、新しく構成されようとするこの審議会人選、その構成——なるほど最後大臣が責任を持つということでございましても、やはりわれわれはその内容について重大な関心を持たなければならない。たとえばその審議会委員の中に、直接その教科書を使うところの現場の教師というものの考え方、意見、そういうものがどのような形でどのような方法で反映されるか、こういうことをまず第一に考えてみました場合に、果して私ども考えておるような民主的な構成がなされ、そうして大臣が今言われるように中教審の答申の検定権の行使が適正であるかどうか、適正に行使されるかどうかということが言えるか、また弟七条の検定拒否の問題、これもやはり同じような考え方から重大視しなければならないのであります。さらにまた中教審の答申に、採択についても学校の校長の権限を明確にするようにいたしてあったと考えておりますが、これも御承知のように県教育委員会採択を行うということで大きく内容が変っております。  〔辻原委員長代理退席、委員長着席〕しかも新しい都道府県の教育委員会は御承知通り新教育委員会法案内容によりますと、それぞれの都道府県の議会の同意を得て行政の首長が任命する。しかも教育委員会の実質上の仕事をするところの教育長、これもまた文部大臣の承認を必要とするこういう形によって任命される教育委員会また教育長、こういう人々が最終的な教科書採択権限を握っておる、こう考えますと、検定審議会及び文部省調査職員、これによって検定合格、不合格決定される、しかも最後は今申し上げたような教育委員会によって教科書採択決定される、こういう法案内容になっておりますが、教育というものはほんとうに国民自身の手によって運営されなければならない。御承知通り教育基本法あるいは現在の教育委員会法による教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を持って行われなければならない。すなわち時の政治権力から解放されなければならない、こういうことによって新しい教育が出発した。この正しい方向に対しまして今私が申し上げたような内容は明らかにこれは逆行するものである。また逆行すると断定はしなくても逆行していく危険性がある。政治権力から解放されないで、逆に政治権力に支配される危険性がある、かように申し上げるわけでございますが、清瀬文部大臣はどのようにお考えでございますか。
  45. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のお問いのうちにいろいろ重大なことも含んでおりますが、一番初めおっしゃった現場の教員などが検定にいかなる形において入るかということは、第十五条の第二項をごらん下さいますと、ひとり教育、学術、文化に高邁な識見を有する者というばかりではなく「及び」です。そのほかに「教科内容その他教育に関し専門的知識と経験を有する者」こういうことを入れております。これを入れておりまするのは、現場御出身の教職員諸君を入れる意味でございます。教員さんは必ず入れます。  それから第二段におっしゃった採択の点です。これは中教審の答申そのままじゃございません。それは認めます。中教審の答申においては「公立の小、中学校については、採択に関連する校長の権限を明確にするとともに」云々ということになっておりますが、われわれの案では校長なりはむろん入っておりますけれども、その他教育委員会等より選びました選定協議会というものがあって、選定協議会の選定に基いて地方教育委員会採択をする。少し機構は違っておりまするけれども、大方針においては違いはしません。こういうふうなことをするのは、やはり国民全体のために教育をやるという趣旨に反せぬかとおっしゃいますが、私は反しないと思います。今度の審議会委員にしても公務員で、憲法十五条第二項によって終始国民全体のために仕事をする委員ばかりでございます。昔のような官憲が上にあって、天皇というものがあって、それからやっていく官吏というものが充満しておった場合の考えで今日の組織を御批判になるのは、少し時代がずれておると思います。今は文部省にしても官吏は一人もおらぬ、公務員ばかりで、みんな国民に責任を持つのであります。でありますから、国民全体のためにやるという趣旨にも少しも反しない。もっとも行政は実際でありますから、国民全体といっても、一人々々の言ってこられることをみんなお聞き申すわけにはいかない。国民全体、主権者のために働こうと、みな日々夜々蹇々匪躬の行いをしておるわけでございます。御了承願います。
  46. 野原覺

    ○野原委員 あとでまた私に質問の時間もあるようでございますが、回りくどく同じことを繰り返してもどうかと思いますから、ただいま小牧委員質問に関連して第十五条の検定審議会委員の任命についてでございますが、なるほどこの十五条の条文を読んでみますと、大臣から申されたように確かに書かれてある。ところが任命はあなたがなさるのですね。こういうような教育、学術または文化に関し云々、高い識見、専門的知識と経験を有する者等の中からあなたが御任命になるのです。これは一つ考え方だろうと思うのです。文部大臣が、これは責任を持っておれがやるんだ、文部大臣がやるんだ、どこが悪いかといえばそれまででありますけれども、しかしこれは教科書検定の諮問機関、その諮問機関の委員を任命するに当ってあなたが任命するということになると、あなたの気に食わぬ者はその委員になれぬじゃないかという心配が、ざっくばらんに言ってあるのです。せっかく諮問するのだから、広くやはりあなたの気にくわない人の意見も聞かれることがいいのじゃないか。具体的に言うと、たとえば学術会議というのが今日あります、あるいは教育学会というのもある、歴史学会もある、地理学会もあります、あるいは学士院も存在する。あるいは言論機関として新聞社等には相当りっぱな方たちもある。そういうような一つの民主的な、文化的な団体というものが今日の日本にはたくさんできておるのです。だからそういうところから推薦されるようなワクを考えて、そうしてそこでこれを諮問機関としてあなたが聞くということになれば、実は私どもが非難をしておる点も解消するのじゃないか、こういうことなんですが、そういうことは全然お考えになりませんか。一方的にやってしまいますか。
  47. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この文部大臣——今は私でありますが、清瀬というものをのけて考えて下さい。文部大臣だってこれは民主的のものなんです。民主的の選挙でもって国会ができて、今の内閣は国会の委員会みたいなものです。その小使が文部大臣でありまするから、文部大臣それ自身が専制無礼のやつだという前提は少し違うのです。私の人柄ははなはだよくありませんけれども、(笑声)将来においても文部大臣は国会の意思に基いて結局選挙されるのであります。しかしながら私にしても、だれにしても、こんな大切な審議会委員愛憎好悪で、自分の学友だ、自分の親類だなんといったようなことで任命できるものじゃありません。そうすれば直ちに糾弾を受けます。そこが文部大臣の値打ちなんです。すなわちやりそこなえば、ここで、文教委員会なり、本会議なりでやられまするから、文部大臣は悪いことはしません。すなわち愛憎好悪ではやりません。しかしながら八十人もの方ですから、とうていそれは一人の目の届くものじゃございませんから、実質においては文部省によくおいで下さるところの委員の方なりその他の方の御意見に耳を傾けて公平な人事をいたしたいと思います。公平なる担保、保証というものは皆さんの糾弾ということにあるのです。悪いことをすればすぐにやっつけられますから、これが保証ということになっております。
  48. 野原覺

    ○野原委員 関連だから簡単に終りますが、これは公正な文部大臣なら心配ないのです。また公正な政党なら心配ないのです。今は党利党略を事とする政党、そういう政党内閣の文部大臣が出現しますからやはりちょっと気になる。ちょっとどころじゃない。実は検定審議会意見というものが教科書検定というものを動かすのですからこれは大へんなことになる。あなたの答弁をどんなに聞いても、党利党略的な立場でそういう者は任命されるのじゃないとお言葉では申されますけれども、法文のどこにもあなたの言われるところの保障はない。法律というものは、そういう保障を与えるべきものだと私ども考えるのだが、これがない。しかも第十五条の検定審議会のこういうような任命の仕方は、中教審の答申とも違うでしょう、違いませんか。中教審の答申を尊重していますか。検定審議会委員の任命についてまずお聞きしたい。
  49. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 適正な委員の選定せらるる保障というものは、第十五条第二項にありまする通り、「教育、学術又は文化に関し広くかつ高い識見を有する者」ということが法律の規定で、その規定の趣旨に従わなければなりません。かかる規定があるにかかわらず、見識は非常に低く、性質は野卑、世の中に指弾されるような者を選びますと、その一事で文部大臣は不信任を受けます。これがすなわち大きな保障でございます。中央教育審議会は現行の審議会を拡充強化して、その委員は学識経験者、教職員その他のうちから中正かつ適切な方法で選任する、大体この希望に沿うておるのでございます。推薦委員をこしらえろとおっしゃいますが——あなたはすぐそうおっしゃいます、推薦委員それ自身はだれからも不信任を受けない人です。そういう人が悪い人を推薦したらどうですか。結局最後は選任は文部大臣に責任があるということが大きな保障であって、その推薦団体などを作ってもよろしいが、それにあまりたより過ぎてはいけないと私は思うのです。
  50. 野原覺

    ○野原委員 中教審の答申との違いを尋ねておるのですが、いかがですか。中教審の答申をこの条文は尊重されておるか、この点について大臣にお伺いしたい。
  51. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 尊重をしております。
  52. 野原覺

    ○野原委員 中教審の答申をこの条文に関する限り読み上げて下さい、どういうことになっておるか。
  53. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今読みました。
  54. 緒方信一

    緒方政府委員 中教審の検定に関しまする答申の第二番目にありますところを読み上げます。「文部大臣検定権の行使を適正ならしめるため、現行の審議会を拡充強化し、その委員は学識経験者、教職員その他のうちから中正かつ適切な方法により選任するものとすること。」これだけでございます。
  55. 野原覺

    ○野原委員 一体この第十五条に中正かつ適切なる方法は書かれてないじゃありませんか。私どもはこれを言っておるのです。学識経験とか専門的知識と経験を有するとかいうことは、私ども全くこの通り、そうでなければならぬと思うけれども、中教審が今度答申を出すに当って、最も教科書検定審議会で重点を置いたのは、中正かつ適切な方法によってこの審議会委員が選任されなかったならば、やはり問題が残る、教育のいわゆる政治的な中立というものは保障できない。中正かつ適切な方法をなぜ書かなかったのか、その方法をなぜうたわなかったのかということをお聞きしたいのであります。
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 文部大臣が学識、教育に高邁な識見を持っておる人を三十人、これは拡大ということにかかるのですが、八十人選ぶ、しかして大臣は良心的に、名誉をかけて、責任をもつて選ぶということが中正公平な方法でございます。中教審は諮問機関でございますから、この諮問の趣意を私どもが了解いたしまして、大臣の責任でやるということが公平な方法と私は考えております。
  57. 野原覺

    ○野原委員 中正かつ適切なる方法とは大臣が単独で任命することであるというまことに得手勝手な御解釈をなさっておる。私は委員長に要求します。この問題は、中教審の答申の最も根幹になるものでありますから、中教審でこの担当をされた、これは小委員会委員長でもよろしい、分科会の委員長というか、その人の喚問を要求する。これはぜひ取り上げてもらいたい。
  58. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  59. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 速記を始めて。   ただいまの野原君の要求については、追って理事会に諮ることといたします。
  60. 小牧次生

    小牧委員 同僚議員質問があるようでございますので、私はこれで質問を打ち切りたいと考えておりますが、最後大臣の御意見をお伺いしてみたい、かように思うのであります。まだほかにたくさん採択の問題その他お伺いしてみたいと思ったのでありますが、時間がありませんので、それはやめまして、この法案をずっと一覧いたしまして考えますることは、先ほど私がいろいろ御質問を申し上げました第七条、あるいはまた第九条、あるいはまた今野原君から質問のありました第十五条の問題、あるいはまた第二十条、あるいはまた第二十四条、あるいはまた第三十六条の立ち入り検査の問題、この第三十六条は一昨日小松議員からもいろいろ御質問があった問題であります。あるいはまた第五十六条の教師用の指導書の規制の問題、まだほかにもいろいろあるかと思いますが、こういった条文の内容を静かに考えてみますときに、私はこの法案の持つ意義というものが非常に重大な役割を演ずるものである、かように考えておるのであります。たびたび申し上げます通り、戦争に敗れまして新しい教育制度が生まれた、それによると、教育はあくまでも国民自身の手によって運営されて、初めて効果をあげることができる。敗戦前のわが日本の長い間の教育の歴史にかんがみて反省いたしました結果、今後わが日本のとるべき新しい教育の制度行政方針というものは、今申し上げた通り、できるだけ国民自身の手によって運営されて、初めて正しい民主化が達成される、こういうことになったと私は考えております。新しい教育委員会法案なり、この教科書法案なり、それぞれの法案内容を一貫して流れておるものは、新しく生まれて参った民主主義に何らかの形によって修正を加えよう、こういう意図がはっきりと私は現われて参っておる、かように信ずる一人であります。大臣は新教育委員会法案審議の際に、民主主義を進めるのである、こういうような御答弁がありましたが、またこの教科書法案についても同じような考えを持って出されたのかもわかりませんが、一体現在のわが日本の民主主義というものを現段階において大臣はどのように考えておられるのか、これが最も大事な点であろうと私は考えるのであります。この教科書法案の中で、今私の申し上げましたそれぞれの条文は、そういう民主主義革命、民主化という方向に程度の差こそあれ何らかの制的を加えよう、先ほど申し上げました修正を加えよう、こういう方向を示しておると私は考えております。私がたびたび申し上げます通り、教育の民主化ということは、できるだけ国民自身の手によって運営されて初めて達成される。従って法案を作る際には、民主主義を推進しようとするならば、でき得るだけこれが自由に、制約を受けない方向にこそ進まなければならない、それによって初めて民主主義を推進すると考えておるということができると私は思うのでありますが、この条文をそれぞれ見ますと、立ち入り検査にいたしましても、あるいは検定事前拒否にいたしましても、審議会委員の任命の方法にいたしましても、方法は全然書いてございませんが、あるいはまた教科書採択の方法にいたしましても、現場の教育に密着する教師の採択権限というものは県の教育委員会に移っておる、こういうふうに、その民主性、自由性というものはそれぞれ制約を加えられて参っておる。新教育委員会法案によりましても、公選制が任命制に切りかえられる、また予算の提案権もなくなる、反面文部大臣措置要求は非常に強化されて参っておる。こういうふうに教育の問題について考えてみました場合に、私は、日本の書も根幹をなす重大な教育の民主化というものが、敗戦後十年、重大な危機に立っておる、かように考えております。そのほか他の政治問題にいたしましても、小選挙区法案の問題、あるいはまた憲法改正の問題、またその前提としての憲法調査法案の問題、こういうものが次々に提案をされて参りまして、今わが国の民主政治は、また民主主義は容易ならざる危機に直面しておるということを、私は身をもってひしひしと感じておる一人であります。終戦後、日本では民主主義革命という言葉が盛んに唱えられて、民主化が進んで参った、しかしながらほんとうの民主化というものは、敗戦後十年、今始まったところである、私はかように考えております。従いまして、あと十年あるいは五年この状態を続けることができますならば、おそらく日本の民主化というものは正しい発展を続けるであろう、かように考えておりますが、今まさにこの十年目の今日、いろいろ法案がたくさん出て参りまして非常に激しい反動攻勢の前に日本の民主主義はさらされておる。このときに、このような法案を静かに考えてみまするときに、この内容について、今申し上げたようなそれぞれの条文、これは非常に問題が多い。将来のわが日本の教育、あるいはまた日本の将来の運命を考えるときに、やはり私どもは、この条文の中にある検定拒否の問題その他に反対しなければならない。そうして教育の民主化を守るためには、やはりでき得る限り、こういった法案内容は民主化されたものでなければならない、かように考えますが、清瀬文部大臣は、今私が申し上げましたような意見に照らしてこの法案は果して大臣が言われる通りに、日本の教育を民主化する方向に向っておるのかどうか、そのようにほんとうに信じておられるのかどうか、これをお伺いいたしまして私の質問は終ります。
  61. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 小牧さんのお問いは、まことに広範かつまた深遠なお問いで、と申すのは、民主主義そのものの実体に関しております。民主主義は国民全体に主権があるという考えであります。先人は、これを人民によって人民のためにする政治、と簡単に言っております。国民に主権はありまするが、主権ある国民が寄って政府を作ったら、それに従うということも約束のうちでございます。日本は完全な普通平等の選挙でもって国会を作り、国会の議決によって政府を作っておる。そうしてこれに立法権を与えております。それゆえにかくのごとき方法によってできたところの政府にある程度までの権限を与えるということは、民主主義には反しておりません。しかしこれから選挙をして、政府を作って、また次と、だんだんとそれが次々が大きくなりますると、これはいけませんから、やはり地方には地方自治体の選挙もやっておりまするけれども、今この法案をわれわれ普通選挙主義でできたところの議会で御制定願うということは、私は民主主義に反するものとは考えておりません。その内容に至っても、今言った人民によってということはありまするが、人民のためにということを忘れてはなりません。やはり行政は簡素にし、租税はなるべく少くし、しかもいい教育ができるようにという心配を終始胸中に持たぬというと、人民によって作ったんだから何でも民主主義じゃというわけにいかぬ。人民によってしかも終始人民のために一番いい方策が民主主義、なおりっぱな政治家が後日現われてそれをどうして下さるか知りませんけれども、今日ただいまのときにおいては、この教科書法は民主主義に私は違反したものではなくして、民主主義的の真理でこれが御制定下され、みなこれに従うという約束が民主主義であります。内容を見てみますと、やはりどこにも民主主義に反したことはなく、これでいい教科書検定ができて、去年よりもおととしよりも廉価に配給が行われ、また学校の教師もこれをよくそしゃくして、いい教科書を使って下さるならば、必ず一大進歩でございます。世の中に絶対にいいというほどのものはございませんけれども、今までの制度よりはよくなることは私は受け合っておきます。良心にかけて現在の教科書制度よりは必ずよくなります。これが民主主義でございます。
  62. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 野原覺君。
  63. 野原覺

    ○野原委員 相当時間も経過いたしておりまするので、私の意見はすでに私どもの議員立法で出しました教科書法案の中にありますから、努めて私の意見は避けて率直にお尋ねをいたしたいと思うのであります。  まずその第一点は、大臣から御説明になられました提案説明の中に、次のように述べられてある。「政府はかねてより、現行教科書制度について早急に改善の措置を講ずべく検討いたして参ったのでありますが、教科書学校教育上占める重要な地位にかんがみまして、この問題の取扱いには特に慎重を期し、関係方面の意見も聞きました上、この法案作成いたしたのであります。」とあるわけであります。そこでお尋ねいたしますが、関係方面の意見を聞いたというのは、おそらく中央教育審議会の答申を聞いたこと、これはもう大臣から何回も申されておりまするから、了解できまするが、その他にはどういう方面がございましたか、この法案を作るに当って意見をお聞きになられた関係方面のその内容をお示し願いたい。
  64. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 政府機関といたしましては、中央教育審議会の答申が一番主なものでございます。そのほかにも教科書制度については日本教育学界、教科書協会、教科書懇談会といったような方面が出されました答申なり意見書なりはことごとく見たつもりでございます。
  65. 野原覺

    ○野原委員 それらの答申を十分御尊重なさったと言われておるのでありますけれども、私が調査した範囲では、果して尊重されておるのかどうか。なるほど、たとえば中央教育審議会の答申にいたしましても、さまつな点におきましてはあるいは法案の体裁その他については答申が尊重されたかのような感じを持ちますけれども、よく注意して中教審の答申と今度の法案を分析して参りますると、根本の点において非常な食い違いを私どもは感じておるわけであります。これは政党の政務調査会が民編国管とか言っておった、ああいうような考え方が依然として根本にある、そういうような批判から、私どもは今日まで質問を続けて参ったわけであります。たとえば先ほど私が申し上げました「日本の教科書」の中にも書いておりますが、中教審の答申は「文部大臣検定権の行使を適正ならしめるため、」云々と書いてある。だから文部大臣検定権を持つことはいいとしても、その大臣検定権行使というものは適正なものでなければならぬ、こういうことをその根本に中教審は大きくうたっておるんです。その検定権の行使を適正ならしめるためには、審議会委員をあなたが一人で任命するというやり方は困るから、先ほど申し上げましたように、中正かつ適正な方法によって選任してもらいたい、「選任」と書いてある。任命してもらいたいとは書いてない。そういうように、実はこれは検定の精神から考えてみると、大きな食い違いを感ずるわけでございますが、その他にもたくさんあろうと思う。一体文部省は、中教審の答申とこの法案とで食い違っている点はどういう点だと御認識なさっていらっしゃるか、承わりたい。どういうところをとりませんでした、それはあるはずですから、おっしゃっていただきたいのであります。
  66. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのことはかつてとりまとめてお答えしたと思いますが、再び局長より説明をさせていただきたいと思います。
  67. 緒方信一

    緒方政府委員 採択の点等におきまして政府案におきましては、中教審の精神は十分取り入れておるつもりでございますけれども、具体的な方法といたしまして採択地区の作り方につきまして若干違いがございます。  それから答申の採択の項目の一の(4)でございますが、教科書採択最後にいたします者を、政府案におきましては都道府県の教育委員会といたしておりますけれども、中教審は市町村の教育委員会といたしております。  さらに発行、供給のところにおきましては、特約供給所の選定につきまして、中教審答申の第三の第三項目でございますが、関係の発行者が協議をして特約供給所を選定をする、こういうふうになっておりますけれども政府案におきましては登録を受けた発行者が登録を受けた供給業者の中から任意に選定をする、これは少し違っています。それからそのほかの点におきまして若干の違いはございますけれども、その精神は政府案の中に十分取り入れられておると存じます。ただ、中教審答申の性質でございますけれども、この内容を全部法案に書けという御趣旨じゃないのでございまして、いろいろ行政指導の面におきましても、価格の点そのほかの点におきましても、実際上文部省仕事としてできます点は実現をしていくということがこの中に含まっております。この法案の中に入ってない点もだいぶございます。まだ小さい点は若干あるかと思います。
  68. 野原覺

    ○野原委員 実は局長もただいま申されておるわけですが、あなたが御答弁にならない面もたくさんあるように思うのです。実は大事な点だけ私申し上げますと、今採択の点で私どもと文部当局との間に大きな相違を来たしておるところの校長の権限——中教審の答申は公立の小、中学校については採択に関連する校長の権限を明確にせよとある、採択についての問題がこの論争の一番根本になっておると思うのです。ところが一体校長の採択権限というものは明確になっておるのかどうか、これが一つ。もう一つの大きな論争は、検定審議会というものが民主的に構成されるかどうかということです。私はこの二つが解決すれば、私どもの見解と政府与党の見解は完全に一致したといってもいいと思う。検定審議会が一方的だからこわいのだ、現場の教員、校長というものが採択に参加するということは、選定をする場合に、わずかに校長が市町村教育委員会に申し出ることができるという程度しか規定されていない、この最も根本である二つの点が全然取り上げられていないじゃないか、こういう批判を私は持つのですが、採択についての校長の明確なる権限化というものは一体この法案のどこにあるのか、お示しを願いたい。
  69. 緒方信一

    緒方政府委員 法案の第二十条でありますが、市町村立の小、中学校教科書採択につきましては選定協議会の選定に基いて都道府県の教育委員会が行います。都道府県立の小、中学校または公立の高等学校、盲聾学校、養護学校教科書採択は校長の申し出に基いて所管の教育委員会が行います。それから第三項でございますが、国立の学校において使用する教科書採択はこれは校長が行います。そこで、第一に申し上げました市町村立小、中学校教科書を都道府県の教育委員会採択いたすに当りましては、都道府県に採択地区ごとに設けまする選定協議会の選定に基いてこれを行いますけれども、その選定協議会は学校の校長の意見に基いて選定をいたすのでございまして、ここに市町村立の小、中学校の校長の採択に関しまする権限というものは明確に出ております。それは条文で申し上げますと、第二十四条でございまして、二十四条の第一項に、市町村の教育委員会は、毎年その所管する小、中学校の校長から翌年度に使用することを希望する教科書の申し出をさせ、その申し出をとりまとめ、これに意見を付して都道府県の教育委員会に報告しなければならぬ、こういう規定がございます。これに基きましてそれが選定協議会にかかり、その中から採択が行われるのでございますから、ただいま申し上げましたように市町村立の小、中学校あるいは都道府県立の学校、国立学校、およそ全部につきまして校長の採択に関する権限というものは明確に相なっております。
  70. 野原覺

    ○野原委員 第二十四条に、市町村の教育委員会に対して使用することを希望する教科書の申し出を校長にさせる、採択地区ごとに選定する場合に自分の希望する教科書を申し出る。なるほどこれは二十四条に書いてある。このことを指さして校長に採択権限があるんだという解釈をされておりますが、これは全くごまかしもはなはだしい。第二十四条をすなおに読んで下さい。これは局長にばかりまかしてもらっては困るのです、今度はあなたにも御答弁に立っていただきますが、第二十四条には「市町村の教育委員会は、毎年、その所管する小学校及び中学校の校長から翌年度に使用することを希望する教科書の申出をさせ、その申出をとりまとめ、これに意見を付して、都道府県の教育委員会に報告しなければならない。」校長は申し出るだけなのです。どこに校長に採択権があるという保障が成り立ちますか。申し出るだけですよ。これに関連する第二十条を見ますと、「採択地区ごとに、教科書選定協議会の選定に基づいて、都道府県の教育委員会が行う。」従って市町村立の小中学校における採択権というものは、都道府県の教育委員会が持っている。校長は採択権は持たない。市町村立の採択に関する限り校長は持たない、これははっきりしていると思う。そのことをお認めになりますかどうか。
  71. 緒方信一

    緒方政府委員 中教審の答申におきましても、「採択に関連する校長の権限を明確にする」こうございます。それからなお答申の細目におきまして「採択協議会は、採択地区内の学校の校長の申し出を基礎として採択地区内の学校で使用すべき教科書を選定する。」これが中教審の具体的な答申でございます。採択についての総論といたしまして、採択に関連する校長の権限を明確にするとございまして、具体的には今読み上げましたように採択地区内の学校の校長の申し出を基礎として採択協議会が教科書を選定する、こういうふうに答申が出ておりますので、この答申通りでございます。政府案の内容はこの答申通りでございまして、先ほど質問の、中教審の答申とどういうふうに違うかというお話でございますので、この趣旨は全く同様にできている、かように申し上げているのでございます。採択権は今お話になりましたように、政府案といたしましては都道府県教育委員会に持たしております。
  72. 野原覺

    ○野原委員 そのことが中教審の答申に対するあなた方と私どもの見解の相違なのです。中教審の答申の採択についての第一項の三号を読んでみますと、局長お話のように「学校の校長の申し出を基礎として」云々となるほど書いてある。ここだけが取り上げられたのですけれども、大きな第一項に採択に関連する校長の権限を明確にしろと言っている。なぜ私がこのことをくどく申しますかというと、第二十四条では校長の意見が、なるほどこれは申し出をするわけですから具申をされる。ところが具申をする校長の意見が果して取り上げられるという保障がどこにございますか。第二十四条で機械的形式的に申し出をするというだけで、市町村の教育委員会の所管する小中学校が二十ありましたら、二十名の校長から、私の学校は一年の国語の本はこれだ、二年の国語の本はこれだという申し出をする。その申し出が二十通りになることもあり得るでしょうし、五通りになることもございましょう。それはいろいろあろうと思う。しかしながら、その現場の学校運営の責任者の校長の意見というものが尊重されるという保障にはなりませんね。これは申し出をするかもしれないけれども、その申し出すら実は市町村教育委員会から都道府県教育委員会に具申されるものかどうか、まずその点をお尋ねしたい。
  73. 緒方信一

    緒方政府委員 一番最後のお問いでございますが、市町村の教育委員会は校長の意見を取りまとめて都道府県の教育委員会に出すのでございますから、これは意見を取りまとめてそのまま出します。従いまして、学校の校長の意見はそのまま都道府県の教育委員会に参りまするし、それからさらに選定協議会に出ていくわけでございます。それからなおこの中教審の答申も、地区におきまして採択協議会が統一採択するという方式を出しておりますので、お話通り、十の意見が出て参りました場合に、それがそこで統一されて採択するのは、これは中教審の意見もその通りでございます。従いまして、十の意見が十のまま採択されるということはあり得ません。統一採択という建前をとっておりますから、それはもう明らかなことでございます。しかし、校長の意見に基いて行う、この点はまた明らかになっておりまして、校長の意見のないものをそこで採択するということはございません。
  74. 野原覺

    ○野原委員 第二十四条の場合、校長が申し出をするわけでございますが、その際、教員は一体どういう働きをするのか。これは前も質問されたと思う。校長は教員の意見を聞かないで申し出をしてもよいのかどうか、まずその点を大臣にお尋ねします。
  75. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教員は校長に対し意見を述べるのを常態といたしておるのでございます。すなわち校長は、逆に言えば、教員の意見を聞いて、そうして学校側の意見として持ち出すものであります。
  76. 野原覺

    ○野原委員 聞かなければならぬことはないでしょう。校長がおのれ一個の考えで市町村の教育委員会に申し出をしたといたします。それはいけないですか。その点をお伺いしたい。
  77. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 法律上の校長は必ずしも教員の意見を聞いてからしろということはないのです。しかしながら、現在行われておる実態に即してこの法律を立てております。
  78. 野原覺

    ○野原委員 このことは実は同僚委員によって何回となく指摘した点でありますが、私はこれは重要だと思う。実はここに、清瀬さんとあえて申し上げませんけれども文部省教科書採択についての考え方の重要な片鱗が、その正体が出されておると私は思う。この第二十四条を見ますと、校長が申し出をする場合に、教員の意見を聞かないで、学校全体の研究にまたないで申し出をしても何ら差しつかえないと私は考えます。これは御同感だろうと思います。どこにも教員の意見を聞けとは書いてないのですから、校長が単独でやって何ら差しつかえないのです。そこにやはり問題があると思う。御承知のように、学校教育法の第二十八条ですか、「教諭は、児童の教育を掌る。」とある。学校教育法の命ずるところによって一人一人の先生が子供の教育に責任を持っておるのです。その責任を持っておる教員の意見が聞かれないということは一体どういうわけなんですか。これは簡単なことですからなぜ書き入れぬのかということです。まずその点を大臣にお伺いしたい。
  79. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 野原さん御指摘の通り、法律一本から見れば校長が教員を抜きにして申し出ることがありましようけれども学校教育法全体から見れば、やはり校長は校務を掌握して所属職員を監督する人でございます。大切な教科書の選定の希望について教員の意見を聞かないことはないと考えてこの案が立っておるのであります。
  80. 野原覺

    ○野原委員 校長が申し出をする場合に、常識のある校長ならば教員の意見を聞くだろうというお考えですが、その通りですね。そうなると、常識ある校長ばかりはないのです。だからそういうような保障をしたらどうかというのです。大臣も御承知のように、子供の教科書選定に最も大きな関心を持っておるのは一人々々の現場の先生じゃないですか。その一人々々の現場の先生の意見が聞かれなくても、この法文はそれが認められることになっております。そのことをあなたはお認めになりますか。聞かれなくてもかまわぬでしょう。それをまず明確にお聞きしたい。一体どういう把握の上に立って二十四条を解釈されているのか。聞かれなくてもよいようになっているでしょう。どうなのかお伺いしない。
  81. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これは地方行政の組織並びに運営の法律であります。実際の運営としては、校務をつかさどる責任のある校長が、教員をすっかり抜きにして、おのれ一個の意見で出すことは適切な運営ではございません。法律というものは世の中の当りまえのことを前提として書いておるので、ことごとくそこまでは書く必要がないとも思います。あなたのおっしゃるように書けば、この法律は十倍くらいのかさでやらなければならぬ。校長が教員の言うことを聞かれないでおのれ一個で教科書選定の申請をするものじゃございません。それは校務を総括したということにはなりませんです。
  82. 野原覺

    ○野原委員 教員の意見を聞くことはあまりにも当然だから書かなかった、こういう御答弁です。じゃあお尋ねします。市町村教育委員会が都道府県教育委員会に対して、自分の教育委員会はこういう教科書意見があるということを述べる場合に校長の意見を聞かなければならぬことはあまりにも当然である。校長の意見を市町村教育委員会が開かずして都道府県の教育委員会に何の報告ができるか。あまりにも当然である。だから書かなくてもよいのか。校長が申し出ることは明確に書いておくが、教員の意見を聞かなければならぬことはあまりにも当然だから法文には書かなかったというならば、校長が申し出るということはあまりにも当然であって、当りまえの話である。だから一体なぜ書いたのです。
  83. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 採択権限を都道府県の教育委員会に置いてあるのです。しかし、この教育委員会は選定協議会の決議に基いて採択します。それまでの間に選定協議会にどういうものが出てくるかということは、やはり校長が意見をまとめて、それから委員会がさらにまとめて持ってくる、こういう手続を必要としたのです。しかしながら、校長というものは学校を代表した校務の掌握者でありますから、それまでは書かなかったということでございまして、これはもうもののあり方から当然のことと思います。もしも、教科書は都道府県の教育委員会がこれを採択すと、たった一カ条書いあるだけであったら、それはまたそれですけれども、結局立て方によったら、選択委員とか個々の規則のようなことをやはり条例その他できめることも一つの方法でございましょうけれども、この案は実際を目的としております。教育の組織と運営ですから、地方教育が組織され、運営をされるのに適当な限度を法律に現わしておるのでございます。
  84. 野原覺

    ○野原委員 大臣はあまりあなたのお考え方に固執されない方がよろしい。私は常識的に言って法律というものは当りまえのことを書くものだと思っておる。当りまえのことが保障されないから法律は当りまえのことを書くのです。法学博士のあなたよりも、その点については、はなはだ失礼ですけれども私の方が見識が高いように思われる。(笑声)そこで私は具体的に申し上げますが、第二十七条第二十八条を見てみますと、都道府県は二十七条です。「学校の校長及び教員並びにその他の採択関係者」云々、ここには教員をうたってござるのです。第二十八条を見ますと、これは教員をおしかり申し上げる法律になっておるのですが、第二十八条は、「学校の校長及び教員」云々とうたってあるのです。教員を何だか押えつけるときに、くくりつけるときにはちゃんとうたっておりますよ。二十七条は当りまえの規定でしょう。これは教科書研究施設の問題でしょう。教員並びに校長、学校教科書の研究をするということはその職責から見てあまりにも当然過ぎることじゃないか。そういうあまりにも当然なことが書いてある。あなたに言わせると二十七条は書く必要がない。なぜ書いたんだ、私はこう詰め寄りたいのですけれども、教員は採択関係者になっておるのです。二十七条、二十八条に書いてあるのを、なぜ一体二十四条で書かぬのか、そのわけをもっと突っ込んで言って下さい。
  85. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたの識見の御高邁なることは認めております。(笑声)しかし野原さんよく聞いて下さい。この二十七条は教科書の研究をすることなんです。研究は校長もし、教員もするのです。校長だけが教員の代理をして研究をしたって教員の研究になりません。ここは校長も教員も研究する。しかしながら外部へその結果を現わす分には校長先生が現わすのです。しかしながら校長先生が現わす前に教員も有形無形に関係すればこそ悪いことをするなという二十八条には教員はちゃんと入っておるのです。私はこれでよく意味は通ずる、かように思っております。
  86. 野原覺

    ○野原委員 私は二十七条と二十八条を非難はしていない。これは何も問題はないと思っておる。だから二十七条、二十八条で規定しておるその精神に立って教科書の研究は校長だけではいけない。これは教員が主です。だから書いたというならば、校長さんが六年の社会科教科書はどれがよいかということがわかりますか。教科書を申し出るのですよ。申し出るときになぜ教員をうたわぬかということを言っておるのですよ。二十七条、二十八条はよろしいから、この考え方の上に立って、二十四条の場合に教員の意見を聞いてとか、もしくは学校の研究に基いて、希望する教科書の申し出を校長がやるのだ、こう書いてあればもっといいんじゃないですか。なぜこれをやらぬのだと言っておる。ところが何回答弁を求めても、これはまたこ理屈をこね回されるから私はここで申し上げておきましょう。あなたがこの規定をお書きにならなかったということは——私の意見を申し上げる前に、独断でも困りますからもう一ぺんお聞きしましょうか。なぜ書かぬのです。これはもう一ぺんお聞きします。
  87. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教員が校長に教科書について申し出をし、校長は法律に従って校務をつかさどるのでございますから、これは当然のことであります。当然のことを書かなかった次第でございます。
  88. 野原覺

    ○野原委員 繰り返し繰り返しぐるぐる回っておりまするから、ここで私は進行したいと思います。二十七条と二十八条を見ますと、教員は明らかに教科書採択関係者であります。その採択関係者である教員が、二十四条の場合には落されるのであります。大事な教科書を申し出るのです。その先生にとっては大きな関心ですよ。自分の子供には劣等生が多いというクラスもあるのですよ。その個々の教員の意見というものは二十四条で落されておる。これはまさか教員は信用できないというお考え方じゃありますまい。私はもっとはっきり申し上げまするならば、校長というものは保守的だから、うかうかこんなものを法文にうたって、職員会議だ何だということで校長をくくりつけるようにされると、あなた方の心配する、いわゆる「うれうべき教科書」が飛び出すからという御心配じゃないですか。正直に言いなさい。教員というものはたいていこれは組合員だ。しかもこの組合員はあなた方が最も問題にしておる日教組だ。この日教組からいろいろな制肘を受けるのは校長じゃあるまい。教員である。そんなものを法文にうたっておったら、これがまたあなた方にとってとんでもない本が飛び出すかもわからぬから、ここのところはそっとしておけというのがあなたのお考えでしょう。お顔色がちょっと変ったと思います。私の言うことはあなたの琴線に触れておると思うのです。なぜ一体そのことを正直に言わぬか。(発言する者多し)ずばりと言いなさい。とんでもないことでありますから、私はこれは自由民主党の良識ある諸君によって、第二十四条は清瀬さんの意見がどうあろうとも私ども政党の立場にある者としては、あるいは学校の研究に基いてか、教員の意見を聞いてかということを一部挿入するということを坂田君のようなりっぱな人からこれは一つ出していただくように希望いたしまして、この点の質問は終ります。  そこで次に参ります。にぎやかになって参りましたが、中教審の答申と異なる点というものが、これは私の質問の骨格であります。そこで中教審の答申は終始一貫検定権の行使を適切ならしめるというところに尽きております。中教審が最も心配したのは、これは検定ということにすると党派の影響、教育が一方的なものによる支配を受けるのではないか。だからして検定権の行使を適切にしなければならぬということがやはり根幹になっております。そこでこれはあまり蒸し返しませんけれども、まず第七条検定拒否の件、一体検定拒否というものは中教審答申の精神から見て妥当だとお考えになってこれは入れたのか。中教審はこの点については答申をしていないはずだ。これを一体どう把握されておるか承わりたいのであります。
  89. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 検定を適正にするのは、丁重にしなければならない。また申請者から見れば、早くやってあげなければならない。ところが実際から見て非常に事実の誤まりがあって、誤記が非常に多いものが出てくることがある。またすっかり今日のサイエンスと合わぬものがある。中には検定基準を誤まってまるきりああいう基準があるということを知らないで、独善に書いてきたものが相当あるのです。それを受付順番に正直にずっとやっていきますと、ほんとうに正しい決定を受ける価値があるものが非常におそくなる。また人間の能力でありますから限りがあって、たくさんやりますと粗雑になるおそれがありますから、そこでこれは通過はしまいと思うものを独断ではいけませんので、検定審議会に諮問いたしましてそれだけ間引いてやろう、そうするといいものを正確に検定する役に立とう、こういうことでございます。
  90. 野原覺

    ○野原委員 これはずいずん前に同僚の辻原委員、その他の諸君から、私どもの見解をもとにした質疑がなされておりますし、第七条の検定拒否は重要な条章でありますけれども、相当質疑も繰り返されておりますから、むし返すことは私は避けたいと思います。ただ一点私の今もなおお尋ねしなければならぬと考えておるのは、この法案にはございませんけれども、四十五名の常勤調査員を政令か何かで置くのです。そしてその常勤調査員の身分というものは文部省内にある。文部大臣の監督のもとにその調査員の身分はあるわけです。具体的には初中局に籍があるわけでしょう。そしてその調査員は何をするかといったら、専門的な立場でその教科書についての仕事をやる、第七条をやるわけです。第七条以外の仕事もやるわけです。第七条を見てみますと、誤記、誤植はよろしい、誤まった事実の記載が多い、検定基準に著しく違反し、内容が同一または著しく類似しているかということの判定、これは私は大へんなことだと思う。緒方局長のような人のもとで、これはいろいろな意味があります。あなたのような方のもとに四十五人の調査員がおって、そして誤まった事実の記載が多いのだ、これはあの教科書内容が類似だ、こういうような判断をされるならば、私は何のために教科書検定審議会があるのかと言いたい。教科書検定審議会に諮問して、その判断を大臣がするのだ、こういうことに七条はなっております。なっておりますけれども、私は第七条というものを全面的に削除して、一切こういうような判断というものは頭から教科書検定審議会にかけるのだ、こういう行き方が妥当ではないか、そのことが検定権行使を適正ならしめるという中教審答申の精神に沿うものだと思いますが、大臣、いかがですか。
  91. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 適正なる行き届いた審査をしようと思えば、とうてい通過の見込みのないようなものはまず間引いて、そして通過の見込みあるようなものをずっと適正にやる方がいいという考えがあります。これを乱用して適当なものまでもここで間引いてしまうという考えはございません。この運用には注意いたしますけれども、日本は広いからとんでもない教科書が出てくるのです。そういうものは間引いて、これならばいけるというものを丁寧にやる方がいいという私の常識的信念にはかわりありません。
  92. 野原覺

    ○野原委員 角をためて牛を殺すという言葉がある。私は昔百姓をしたことがあります。大根を間引いたことがある。間引きそこなうんだな。りっぱなものを間引きそこなって大へんなことになるのです。そうしてつまらぬものが残る。しかもこの文部省の初中局のもとに置かれた調査員というものは一体どういう考え方を持つか、おわかりでしょう。特定の大臣のもとに置かれた調査員、その人の身分ですからあなたにきゅうきゅうとして忠実に勤める。この人は、その人の学識からいえばいろいろな問題があっても、清瀬さんという人はこうやればごきげんがいいだろう、こうやったら自分はその信頼を博するかもしれないというような考え方を持って、役人というものはえてしてそういう方向にいくのです。   〔委員長退席、山崎(始)委員長代理着席〕 そういう人でない人もあるが、えてしてそういう人が出てくる。そういうようなことでありますから、私どもはこの内容的な誤まった事実の記載——さっき出た日清、日露戦争にしても、これはあなたとしては、私どもの高津会員が質問したような考え方でこう出ておったら、誤まった事実を記載しておると判断して間引いて、もう教科書検定審議会で全面的な審査に付さないかもしれない。これはしかし検定の精神からいってとんでもないことなんです。従ってそういうようなことを特定の文部省に身分を置くような常勤調査員にやらせるということは、私どもはとらない。これはあなたとは見解が違うようでございますからこれ以上は申し上げません。  そこで次にお尋ねしたいことは、市町村立小、中学校教科書の採決は都道府県の教育委員会がやることになっておる。都道府県の教育委員会の実際上の仕事は教育長がやる。つまり教科書採択のしぼり役というお役目は都道府県の教育長が持つ。都道府県の教育長は、新しい教育委員会法によると文部大臣の承認——あなたのお気に入りの教育長だけが四十六都道府県の教育長になって、それが最終の採択をやるのです。このことをどうお考えになりますか。そういうことになるからあの地方教育行政の組織及び運営云々、あの法律の教育長承認はやめよう、こういう御心境におなりになっておりませんかどうか、お尋ねいたします。
  93. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教育長の任命について文部大臣の承認を要すとしましたことは、やはり国の教育行政に連係があることが望ましいからであります。個々の教科書採択は選定協議会で選定しましたものを、これに基いて都道府県の教育委員会採択するのでございます。それゆえにただいまの御審議また野原さんの御説をつぶさに拝聴いたしましたけれども、片一方の制度を変えようという考えは起っておりません。
  94. 野原覺

    ○野原委員 ただいま参議院では教育委員会法の審議がなされておりますが、私の聞くところによりますと、緑風会の諸君は教育長の承認というものはやはり問題があるからこれは何とか修正しようではないかという動きもあったように聞いておるのであります。ところがこれに対して、あなたの方の大臣の属する政党の方から圧力が加わったのか、大臣意見が動かしたのか知りませんけれども、また取りやめになったかのようなうわさも耳にいたしておるのであります。私は教育委員会法が審議されるときに繰り返し申し上げましたように、教育の自主性という点から見て、教育長を文部大臣が承認するというようなばかなことはとるべきではないのです。自民党の私の知っている諸君のうちには同感をしておる方が個人的にあるのです。これは何とかしなければならぬなということを言われておる方もあるのです。これを教科書の場合に持ってきますと、採択は都道府県に集約されるわけでございますし、その実際の扇のかなめの仕事は教育長がやるのですから、教育長がやったことに対してあなたが非常に不満であれば、あなたはこれを不信任かけることができるのです。都道府県の教育委員会に圧力をかけてああいうようなやつはけしからぬ、そうなれば自然文部大臣審議会委員を任命する、それから常勤調査員の問題、教育長の問題、それ何だかんだで完全にあなたの意図によって、文部大臣の意図によって、検定の名前に隠れた、実はそういう一方的な教科書が日本全国に実現しますよ。これは実現します。そういう方向を歩きます。ここに問題がございますから、私は教育長承認とからめて、この点はこの採択の場合に統制の意図がやはり出されてくるのではないかという心配だけを申し上げておきます。お尋ねしてもどうせいいかげんな答弁でございまするからもうこれ以上は申し上げません。  そこで次に、稲田局長は見えておりませんが、しかし文部大臣が責任ですからお尋ねをいたしますが、今日の教員養成の大学で、教科書の理解及び評価についての研究指導、そういう講座が持たれておるかどうか、学芸大学で教科書については一体どういうような状態になっておるのかお尋ねいたします。
  95. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 大学においては教材の研究、教授法の研究というものをやっております。そのうちにむろん教科書の研究も入るのでございます。
  96. 野原覺

    ○野原委員 これは稻田局長がいないので、ただいまの答弁は失礼ですけれどもちょっと信頼ができませんからもう突っ込んでお尋ねいたしません。そこで第二十七条です。第二十七条では「教科書及び教科の研究に常時資するため、」教科書研究施設というものを設けるのだ、こう書いておるのです。この教科書研究施設は都道府県が設けることになっておるのですが、これは国は費用の面で何らかのことを考えているのですか、具体的にはこの第二十七条はどういうことになるのかお尋ねいたします。
  97. 緒方信一

    緒方政府委員 二十七条におきまする教科書研究施設の設置は都道府県の責任にいたしております。都道府県が教科書研究施設を設けまして、そこにそれぞれ教科書以外の参考図書等も備えまして、そこで教科書の常時研究ができるようにいたしたいと思うのであります。事実上の問題といたしましては、国が予算を三十一年度におきましても計上いたしまして、そうしてこれの開設費あるいは研究図書等の購入費の予算を計上いたしまして、補助をいたしたい考えであります。
  98. 野原覺

    ○野原委員 これは教科書問題が論ぜられる都度教科書の常設の展示場が必要ではないか、常設の展示場は公費でまかなうべきではないかということが与野党を通じた意見であったと思う。そのことが具体的に現われて第二十七条になったかと思いまするが、私はうっかりすると、この第二十七条は単に条文どまりに終るのではないかという心配をするのです。なるほど国は予算を設けておるでしょう。スズメの涙のような予算、都道府県は必要な数の教科書研究施設でございまするから、これが県庁所在地にまねごとだけちょっと置くような状態にくるのではないか、だからして、これは緒方さんでよろしゅうございます。やはり具体的にこの条文の精神を生かすためには、今度こそ思い切った教科書研究施設を作り上げる必要があると思う。一体具体的にどういう確信を持っておるのか、あなた方は一体どういう具体的な案をお持ちであるのか、これをお聞かせ願いたいのであります。   〔山崎(始)委員長代理退席、委員長着席〕
  99. 緒方信一

    緒方政府委員 御指摘のように従来の展示会というものは臨時的なものでございまするし、開催の日数も非常に短かくて十分な教科書の研究ができない。従って採択も実質的にいかない。そこに不公正な行為等も発生する余地がある、こういう批判がございまして、教科書研究施設の構想は、この臨時的な展示会の制度の欠陥を是正するということに一つはございます。さらに積極的な意味といたしましては、こういう施設を作りまして、そこにおきましてそれを中心といたしまして採択関係者、教員も含めまして教科書の研究が常時できるようにいたしたい、かような考え方でこの条文はできております。  そこで具体的に今どういうようなやり方をするかということでございますが、先ほど申しましたように、これを設置していくのは都道府県の責任でございますし、都道府県の判断によって適当数を設置してもらいたいと思っておりますが、三十一年度の予算におきましては三千万円を計上いたしております。これは目標といたしましては大体六百カ所くらいを考えております。都道府県にこの予算を補助いたしまして、そうして設置してもらいましてそこで十分な成果が上るようにいたしたいと考えるのでございます。
  100. 野原覺

    ○野原委員 この点については御努力を願いたい。そこに教科書の課長もおられますけれども、課長の方ではこの点は関心を持たれておると思う。これはどうしても大臣局長、次官等、そういう方面で努力してもらいたいと思う。  そこで第三十条は登録の条件なんですね。これをずっと読んでみますと、第三十二条の第二項に事業能力及び信用状態云々ということがあるのです。この事業能力及び信用状態というものは、やはり登録条件だと私は考えますが、いかがですか。
  101. 緒方信一

    緒方政府委員 これは、登録を拒否いたします場合を三十二条は一項、二項と書き分けております。一項の方は比較的客観的に条件がきまっております。第二項の方は、若干認定の余地がある条項が二つあげられております。従いまして第二項の方の第一号も第二号もでございますけれども教科書の発行あるいは供給の事業の遂行に著しく不適当であるような事業能力及び資産状態である場合は、文部大臣は登録の拒否をすることができることになっておるわけでございます。そこの認定の余地がございますので、これにつきましては十分慎重を期する必要がありますから、教科書発行審議会の議を経てこれをきめることにいたしておるのでございます。そういう意味におきまして御質問のように登録条件となると存じます。
  102. 野原覺

    ○野原委員 関連がありますから第六条を見ていただきたい。第六条は、検定を受けようとする場合には図書の見本本とある。これは同僚議員質問したように思います。しかし事業能力云云とこれは関連が非常にあるのです。だからお聞きするわけですが、従来は原稿でよかった。第六条の見本本というのは完全にでき上った書物をさすわけですか、お尋ねいたします。
  103. 緒方信一

    緒方政府委員 第六条におきましては、ただいまお話のように一応完成した木をつけて出してもらうということを原則にいたしております。これは御承知のように現行の制度といたしましては原稿あるいは校正刷り、完本と三段階審査になっております。しかし事実上におきましては、これはむしろ業者の方のお話もあったりしまして、校正刷りでやっておるのが原則でございます。どうして三段階制度になったかということは、この前も実は御説明いたしましたけれども、この制度ができました当初、占領治下でございましたので、日本の側の検定を通っても、それを英訳して司令部に出さなければならなかった。また、完本審査ということでは、業者の方にも非常に迷惑がかかる。こういう事情もございまして、なお司令部等の指導もありまして、この二段階審査にいたしたのでございますが、やはり教科書を厳密に審査いたします場合には、完本審査ということをいたしませんと、完全を期し得ないと思うのでございます。これは内容のみならず、その体裁、造本の度合い等につきましても、十分目を届かした審査をする必要があると思うのであります。なおまた原稿審査等におきますと、どうしてもその内容が粗雑になりやすい、これは人情といたしましてそうなりやすいということもございますし、それから戦前の検定の時代におきましても、完本審査をいたしておりますので、審査の完璧を期しますために、一応原則として、この法律では総合立法を作ろうというのでありますから、完本審査の建前をとっております。しかしながらこれは経過措置等も政令でできることになっておりますから、当分の間特別な事情があると認めますならば、これは校正刷りかそのほかの方法で審査ができるような方法は十分講じまして、一度に業者の方面に負担がかからぬようにということは、十分配慮いたしたいと思います。
  104. 野原覺

    ○野原委員 完成本を検定に出した、パスしない、それは大いにあり得ることなんです。そうなると、ただいまの第三十二条の事業能力及び信用の状態が不適当だと認定されると登録を受けないということとからんで、小さな企業の出版業者というものは、この検定本については絶対手を触れることができなくなる。これは好むと好まざるとにかかわらず、そういう方向を歩くことになる。このことを一体大臣はどうお考えでございますか、大企業のものならば完成本でも負担に耐えるでしょうが小さな企業のものでは、今回の法案から考えると、つぶれる以外もう方法がない、こういう見方は成り立ちませんか。その点をどうお考えになっておるか、お尋ねいたします。
  105. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 完本を作ることのできないものが省かれるといったようなことはないので、いやしくも教科書を申請する以上は、これを活字に移して完本を出すことは、そうむずかしいことじゃないと思います。ここにいいます事業能力は資産とか設備とかあるいは人的組織とかの点で、こういうものにやらしては全国に何千万といった大きな出版ができないじゃあるまいかという場合のことであって、一冊の完本ができる、できぬといったような能力のことは考えておりません。
  106. 野原覺

    ○野原委員 いや、あなたは考えていなくても、そういう方向になるのです。そこで九十何社今日出版社がある、これは正確にお聞きいたしますが、局長でよろしい、今日教科書の出版をやっておるのは何社ございますか。お尋ねします。
  107. 緒方信一

    緒方政府委員 九十六社でございます。
  108. 野原覺

    ○野原委員 そこで、その九十六社のうち、今回の法案が通ると残る出版社というものはどういうことになるとお考えですか。
  109. 緒方信一

    緒方政府委員 先ほどから会社の大小のことについてお話がございますけれども、これは必ずしも会社の資本が大きくて会社が大きいからといって——大きい会社と小さい会社との比較はできないと思います。それはどういうことかと申しますと、小さい会社は割合専門教科書を出しているのであります。たとえば音楽とか図工とか、そういう専門教科書を出している会社もたくさんあります。たくさんの種類にわたって出している会社は割合少いのでございます。そういう専門々々で立って生きていくという道も十分あるはずでございます。ただ資本が大きい、小さい、会社が大きい、小さいということではその基礎が確実かどうかということははかれないので、そういう意味におきまして、三十二条、六条等の関連につきまして、御質問がございますけれども、九十六社が何社残るかということは、これは今すぐここで私が申し上げるわけには参りませんけれども、大小にかかわらず確実なものは十分やっていける、かように考えております。
  110. 野原覺

    ○野原委員 とんでもない御認識です。今回の法案によれば、九十六社のうち残されるものはきわめてわずかにはると私どもは見ておる。これはその採択地区というものが設けられてくることともからんで考えてみましょう。小さい会社は完成本でその二つ、三つを検定に出してパスしないということへなると、完成本というものは印刷する場合にはその一冊の本だけじゃないのですから、資本力の点からいっても非常な打撃を受けてくる。これは何といっても、どこからつついてみても、高津委員がすでに申し上げているように、大企業中心の考え方に立っております。そういう考え方で作ったつもりはないかもしれません。しかしながらそういう方向になります。これは事実が物語る。私はこのことを速記に残しておきましょう。あなた方はそうじゃないと言うけれども、そうなるのです、これは。残されるのはたとえば学図あるいは東京書籍、二葉、教育出版そのくらいのものだ。これは日書とか中教出版も入れないと中教出版がしかるというなら入れてもよろしいが、ごくわずかだ。私は、そういう方向になると、小さい出版会社はつぶれざるを得ないということを申し上げておきたいと思うのであります。  そこであとはもう一点、簡単な点ですが、保守政党の諸君が教科書の問題を論議するときにいつもこういうことを言っておった。値段が高い、子供が転校するときに非常に困るということを言われておりましたから、私は今度の法案で、学校をかわる子供の教科書の確保について、一体どこにその万全の策を立てておるかということを見てみますと、やはり書いておられるのです。これはさすがに考えておるなと思ったのです。第四十一条の三項に、発行者は「相当数の予備本を備え、児童又は生徒の転校、被災等による特別の需要に迅速に応ずるための措置を講じておかなければならない。」と書いておりますが、これでは万全の策とは言えない。万全の策とはもつと考えなければならぬと思うが、これは考えていないのですね。万全の策とはどういうことでしょう。大臣、これだけではだめですよ。なぜもっとお考えにならぬのか。わからぬなら私が申してもよろしいが、まずあなたはこれだけでいいと考えたのかどうか承わりたいのです。
  111. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この規定を設けまして、これが実行されるやいなやは報告なり検査の道も開いておりますから、法律できめるのはこの限度でいいかと思います。
  112. 野原覺

    ○野原委員 発行者に予備本を置かなければならぬ、これだけでは迅速なる措置にはならぬでしょう。発行者というのは東京もしくは大阪にしかないのです。これはやはり都道府県の特約供給所に予備本を置かなければならぬという規定をうたわなければならぬと思うのだが、うたっていますか。私の読みそこないならばごかんべん願いたいのだが、特約供給所、都道府県の取次供給店にそういうものを置くべきだと思うのです。これはどうお考えですか。置かぬでもいい、東京だけでいいというお考えですか。
  113. 緒方信一

    緒方政府委員 四十五条に供給業者の供給義務を規定しておりますが、この第四項をごらんいただきますと、今おっしゃったことと少しズレはございますが、大体同じ精神でこの条文を作っております。読み上げてみます。「登録教科書供給業者は、その供給する教科書について需要及び供給の状況を常に明らかにしておくとともに、在庫の教科書が需要に不足するときは、すみやかに発行者からその供給を受けるために必要な措置を講じなければならない。」
  114. 野原覺

    ○野原委員 これでは適正な措置はとれません。これはなるほどこうしておる。こうしておるが、たとえば転校のときには一人二人が問題なんです。特約供給所に本がない。一人のために出してくれるかというと、これは大へんだ。待っておったら一カ月や二カ月はかかる。今日の資本家というものはそういうものなんです。もうけることには思い切って金を使い、思い切って輸送もやりますけれども、一人や二人の教育的の配慮のために、金もうけ主義の大資本家はやりはしないのです。だからしてそういう点についてもこの法案ははなはだもって不備である。あなた方が一枚看板のごとく国民に宣伝するときには転校者のことを考えるのだと二の次には言ってきたのです。しかしそのことすらもできていない。今日まで大きい声を上げてきたことすらも、これはりっぱにできていないところの法案ではないかと私は思うのであります。修正を要する個所はまことに多い、まずその点についてお伺いいたします。
  115. 緒方信一

    緒方政府委員 ただいまおっしゃいましたような発行業者あるいは供給業者に対しまして、従来の法律では監督の規定が不十分でございます。従いまして三十六条の規定を、これはいろいろと御論議がございますけれども、発行業者、供給業者に対しまして十分監督ができるように三十六条の規定を作ったわけでございます。場合によりましては、この文部大臣権限は都道府県の教育委員会に委任をいたしまして中央地方が相連携しまして、ただいまおっしゃいましたような業者の怠慢等によりまして転校の際に迅速な措置ができないというときには、これらの規定の活用によりまして、十分目的を達成したいと存じます。
  116. 野原覺

    ○野原委員 私は時間もないから質問を終ろうと思いますが、一番最初に返りまして中教審の答申でございますが、中教審は準要保護子弟の無償供与を答申しておる。この点は本年度の予算を見ますと、これが三分の一か四分の一の予算しかとれていないのであります。私どもの計算によれば本年度とった予算の五倍は必要なのです。準要保護児童の無償供与すらもできていないのであります。しかも約束をしてきたそういった転校児童に対する保障もないのである。いろいろ監督その他といいますけれども、そういう監督その他でこういう問題は解決しはしない、どこから見ても私は十二分にりっぱな教科書法案とは残念ながら考えることはできない。私どものイデオロギーの上に立つならばなおさら、あなた方の考え方の上に立ってもこれはなお不十分、実に不満足の個所が多々あるわけであります。  私どもはいやしくも教科書法案を立てるに当ってます第一に考えなければならぬことは教育の安定ということです。これでは教育は不安定です。文部大臣が日本の教育を勝手にしてしまいます。もういかなる点から考えてもそうなっておる。第二に考えなければならぬことは現場の教員の意見を教育では尊重するということです。一人々々の先生方の意見というものは私が指摘するように尊重されていないのです。その次に考えることは出版の自由ということです。大金持で大資本家だから教科書の出版ができるのだ、良心的な資本力の弱いものはつぶれていくのだ、こういうようなことは今日の日本の国の方針としてとるべきじゃない。  申し上げたいことは実にたくさんございまするが、いずれ後の適当なる機会にこれは成案をもって私どものまとまった意見を出したいと思います。これで終ります。
  117. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 山崎始男君。
  118. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 私は最後に簡単にお尋ねいたしますが、きょうまでのところ教科書法案に対する質疑というものはいろいろ各委員から行われまして、大体あらゆる面にわたって検討されて参ったのでございまするが、私は一、二点重要なことを大臣にお尋ねしたいと思います。  まず六十二条にわたりまするこの教科書法案というものは、全編至るところ見ましても、これが法律とすれば非常にうまくできております。どういうふうにうまくできておるかといいますると、やはり国定という線へ非常に近寄って、形は検定だ、いわゆる非民主的な国定の教科書の復活じゃないのだという姿だけはとっておりまするが、その精神においてあらゆるところに国定への前進、もっと端的に言いますると民編国管の性格というものは非常に強く出されておる。しかも形式上教科書法案の民編国管の形をとっておるそのまた背後におきましては、何と抗弁されましても思想の統制あるいは官僚の行政権の強化というものが打ち出されておる、このようにわれわれは考えるのでありまするが、文部大臣からごく簡単な御答弁でけっこうです。今私が申し上げましたような意図があるのか、公平に考えられてそういう意図がないのだと言われますのか、今までの法律と比べて君が言うような一つの民編国管的な法律になっておるということをお認めになりますか、これはイエスかノーかでけっこうでございますから御答弁願いたい。
  119. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この案は国定教科書を作ろうという方向に向っておるものでもありませんし、民編国管を希望しておるものでもございません。
  120. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 大体そういうふうな御答弁だろうと私は思っておったのでありますが、私は社会党に籍を置く者として以下少しばかり申し上げますると、それはお前たちの勝手な解釈だと言われるかもしれませんが、この教科書の法律案というものは、法律案自体だけを単独に切り離して法律案の性格というものを考えるわけにはいかない。御承知の現在参議院にかかっております教育委員会に関する法律案との関連におきましても、いわゆる法律の底を流れるところの立法の経過あるいはその底意といいますか、立法の意思というものははっきりとこれは兄弟である、全く抱き合せの法律である、何ら別個の法律じゃないと私たちは理解をしておるのであります。私は最後でありますからあまりこまかいことは申し上げたくない。こういう立場から私がお尋ねをいたしたい点は、一連の教育の国家統制への足音がこういう法律の形になって入ってくるというこの底を流れるところのものというものは、とうていわれわれとしては見のがすことはできないのでありますが、皆さん方、特に与党の方はお笑いになるか、また社会党がそういうふうに言うと言われるかもしれませんが、何と申しましてもこれらの法律というものはやはり再軍備あるいは憲法改正につながっておるということをわれわれは申し上げざるを得ないのであります。私はなぜこういうことを申し上げるかと申しますると、私がこれから申し上げることは表面的には直接教科書法律案と関係がないように見えまするが、そういうふうな底を流れるという考え方からは非常に大きな関係があるのであります。少しばかりお尋ねいたしまするが、まず私は今日のこういうふうな立法を政府がお出しになる底意において、何と申しましても国際的な関係というものを私は見のがすことができないと思うのであります。まずこの点に対して文部大臣はそういう国際的な背景というようなものによってこういう法律案が出たか出ないか、そういう点もイエスかノーかでけっこうでありますから御答弁を願いたい。
  121. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国際的の背景には何ら関係を持ちません。
  122. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 これもそういう御答弁があると私は想像しておりました。それでは私は直接に具体的な例をあげて一、二点お聞きしてみたい。この点は私は教育委員会法の問題のときに、御承知のように与党と野党とが不幸にして四日と五日の食い違いでもって、ついに中間報告というような不幸な事態になって私も質問の機会を逸したので、私は当時言わなかった。きょうも本来ならば地方自治庁の大臣でも来てもらって私は欄こうかと思ったが、最後にこの機会に、やはり教科書法案の底を流れる関連においては、非常な関係がありますから、私はお聞きするのでありますが、まず今回出ておりますところの教育委員会法案によりまして——これは私から言わせますならば、昭和三十一年の三月になってこれが出たという法律じゃないという理解を私は持っておるのです。なぜならば、こういう法律が出る下地というものは、すでに昭和二十六年からあるということなんです。そして六年ころからいわゆる官僚というものと、ここいらにいらっしゃる、これは与党、野党を問いませんが、一体代議士というものは人がいいのです。これはあまり勉強しない。同時に当選したり落選したりして詳しい事情は知りません。今日の教育委員会法自体が出てきておるこの内容というものは、まず最初私は申し上げますが、昭和二十六年から出てきておる。なぜこういうことを私が申し上げますかというと、昭和二十八年に地方制度調査会というものが、いわゆる政府の諮問機関として誕生した。その誕生した地方制度調査会が、地方自治体のあらゆる行財政あるいは教育の部面におけるいろいろのことを考えた。その中の教育に関する、特に教育委員会に関する内容を見てみますると、現在参議院で論議されておりまする教育委員会法のあの内容と寸分違わないという事実なんであります。ほとんど変っておりません。すでにもう二十八年に今日出ておりまするあの内容の、教育委員の数まで出ております。ちゃんと二十八年にもうすでに地方制度調査会という審議機関の名前においてこれが出されておる。(「あっちは諮問機関になっている」と呼ぶ者あり)諮問機関です。ところがもっとその奥をたずねてみますると、これはどういうふうな経過でもって、この地方制度調査会という民主的な格好をした審議会のパイプを通じて出ておるかといいますと、昭和二十六年の六月二十一日に——この時分には地方制度調査会という正式な名前ができておりません。別の名前であります。地自乙発方二三九号、昭和二十六年六月二十一日、地方自治庁次長というこの通達を、これは関係がないように見えますが、大いに関係がありますから、簡単でありますからちょっと読んでみます。地方自治庁次長の名において各都道府県知事殿あてでもって、表題が「地方自治制度改革に関する意見について」、こういう見出しです。次に本文「終戦後の地方自治制度の改革から既に五年余を経過し、その運営には相当の成果が挙っているのであるが、更に先般のリッジウエイ声明の次第もあり、講和を間近に控えた今日地方自治制度全般に亘る再検討を急速に行うべき情勢にあると考えられるので、地方行財政制度(例えば、都道府県と市町村の性格、区域、組織機構、事務内容の簡素化、税財政制度等)及び地方自治関係の中央機構の整備等の全般的項目に亘っての改革意見を来る七月二十日までに御提出願いたい。」これが地方自治庁次長から各都道府県知事殿、こうしてあるのでありますから、全部へ出ておるということも予想できるのであります。これを出した日付が六月二十一日、これだけ大きな問題を返答せいという回答の期日が七月二十日なのであります。これは何を意味するか。こんな大きな問題が各都道府県に配られてそして一カ月で答申ができるかできないか。たとえていいますれば、鹿児島あたりへ郵送するのに、往復文書でおそらく一週間くらいかかるでしょう。しかも一カ月の猶余期間でこの大きな問題を答申せいという通達が行っているのです。ところがこれが非常に問題になった県がございます。名前は申し上げません。県議会で問題になった。県知事も知らない。たった一人知っておる者があった。それから探ってみると、驚くなかれこの答申案を作る数カ月前に、各都道府県のいわゆる総務部関係の者を自治庁が中央へ呼んで、こういう試験問題を出すからそのときには答えをこういうふうに書いてくれ、こういう懇談会をやっておるのであります。よろしゅうございますか。やっておるからこそこんな大きな問題——矛盾が出てきておるのは一カ月以内に返答せいという——それがわかっておるのでありまするが、そういうことはともかくといたしまして、そのときに出ておる答申、都道府県からされておる教育委員会に関するこの案というものが母体となって昭和二十八年度の地方行政制度審議会という公的な審議機関のパイプを通過して、そういうふうな経過を経て保守合同をされました今日、教育委員会法の改正という非常に問題となっておりまする法案が出てきているのです。しかもこれを配っております、ただいま私が読みましたこれを配っております。幸か不幸か、不用意にか知りませんが、自治庁次長の名において、リッジウエー声明の次第もありと御丁寧に書いてある。こういうふうな経過をとっておる。よくよく探ってみますと、すでに今日の教育委員会法の案が出てきておる。この案の母体というものはここから出ておるのです。しかもこれを根を探ってみると、リッジウエー声明の次第もあり、こう来ている。でありますから、われわれ国民といたしましては、あなた方が国家統制の方向じゃないのだ、教育委員会の法律案にしても、教科書法案にしてもその方向じゃないんだ、思想統一の内容は含んでおるのじゃないのだ、教科書の単価をただの少しでも安くして供給発行を公正かつ円滑にやろうというのだ、これは民主的なんで国定じゃないんだ、検定制度をとっているのだというふうな形式論的な御答弁を、今日まで私はだまって聞いておりますと、やられておるのであります。しかし私たちはどうしてもこれが納得ができないのであります。(「占領中のことだ、」と呼ぶ者あり)占領下です。そういう話があるから私は申し上げる。これは講和会議の直前なのであります。御承知のように講和会議のときには、日本の政治家とアメリカの政治家とが舞台裏で話し合いをして、ちゃんと今日の再軍備の方向というものも性格づけられておるのであります。従ってそれを母体とした一連の関連において、いわゆる日本の教育行政あるいは教科書制度にいたしましても、すべてのものの再編成をやらなければならない、こういうふうな性格というものは見のがすことができないのであります。でありますから、私は申し上げたいのであります。こういうふうな背景を見て、われわれが最もおそれることは、やはり社会党がいつも申し上げますように、いわゆる小選挙区の法律案にしても、教育関係の法律案にしても、すべてこれは陰に陽にこういうふうな一つの立法のいわゆる基礎においては、国際的な一つの背景というものとのつながりというものがあるんじゃないかと疑わざるを得ないのであります。私はこの点に対して文部大臣の御感想を承わりたい。
  123. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 われわれが教科書のことに着眼いたしましたのは、昨年の夏主として衆議院における行政監察委員会で、教科書の発行、検定採択及び価格について御研究に相なった。それからわれわれは教科書は大切なことだというので、私の属しておりました政党に特に調査委員会を作って研究いたしました。その後われわれ今の自由民主党を作ります時分調査いたしましたが、教科書制度一つ再検討しなければならぬということを考えて、現在の自由民主党の重大なる政策としてこれを採用し、またこれを緊急政策として採用したのであります。この間私の前任者でありました松村大臣のときに、すでにこのことに着眼されて中教審におかけになり、私担当直後その答申まで得ておるのであります。これらを見て十分に研究して作った案がこれであります。これを作る際には中教審のみならず、あなたの今指摘されました地方制度調査会の決議も読みましたし、各種の意見も参酌はしました。しかしながらこの地方制度調査会というものは決して国際情勢にあおられてやったものではなく、むしろその逆ではないか、終戦前期においては、日本の各種制度は、国会はありながら、進駐軍によるところの示唆が非常に巨大であった。朝鮮事変このかた、わが国は占領行政について再検討しなければならぬという議論が起り、私どもの前々の政党においては、占領行政の再検討という綱領の一項を作ったくらいでございます。そのうちにマッカーサー元帥は退任して、かわってリッジウエーが来ましてリッジウエー将軍は占領行政でも日本の国情に合わぬものは、まだそのときも占領中でありましたが、占領中だけれども再検討してよろしいという指令がありました。その指令に基いて遠慮なしに占領行政について再検討が始まったのであります。この地方制度調査会以外に、もう一つ占領行政の改革についての委員会がございました。そういうわけでむしろアメリカの力が強かったときにできた制度を、解放された気持で、日本独自の考えでいこうというのがこの地方制度調査会の考えであり、われわれはそれとは別に国会内の調査によって教科書制度の不備を発見し、ここに案を出すに至ったものでございまして、あなたのおっしゃる国際との関係というものは、あなたの御主張によると、日本の再軍備はアメリカの指示によったのだ、希望によったのだ、それに連絡しておりはせぬかというお問いでございますけれども、全体から考えてそういうことは決してありません。それは全く独自の、むしろ思想的にはアメリカの占領に幾らか反撥するというような気持からこれはできておるのです。
  124. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 リッジウエー将軍が、いわゆるアメリカの占領政策の行き過ぎというものは是正してもよいという考え方を持っておったということは、あなたはごらんになっておられる。その点は今の答弁で認めていらっしゃるのでありますが、その受け取り方の問題、解釈の仕方の問題において、文部大臣と私とはだいぶんの相違があるのでありますが、その点は時間がございませんから申し上げません。いずれにいたしましても、教育委員会法の法律案そのものを見ても、事の起りはこういうところから出ておるという事実は間違いないのであります。(「間違いがある。」と呼ぶ者あり)そして今代議士諸君は間違いがあるとかないとかいってやじっておられますが、こういう方は日本の官僚政治というものが、いかに巧みにあらゆる法律案の底に入っておるかということをお考えにならぬ人ばかりなんです。だからこの教科書法案にいたしましても、先ほど私が申し上げました今日の教育法案の作文そのもの、原案そのものが官僚が作って、これがうまくいわゆる民主的な衣をかぶって、今まさに議会を通過せんとしておるというこの実態と同じように、一皮二皮めくってみますと、いわゆる官僚の中央集権的な、強い国家統制にタッチせんとする気持が、この教科書法案にも流れておる、こう私は申し上げたい。そういう背景というものに対して、大臣はどういうふうな理解をされていらっしゃるのか、どの程度までその点を情勢分析されておられるのか、これが私は知りたかったのであります。あなたはそれは何も関係一がないと言われますが、そういうお言葉が出ますならば、一つ教育問題に関係しますから一点だけお尋ねいたしますが、今日学校給食でアメリカのミルクが無償配給を、あれは約三百万ドルでありましたかなされております。最近まで学童服もただでくれる、くれぬの問題、それに対する加工賃の問題もありましたが、これをアメリカがなぜ日本に無償配給しておるかということに対して、大臣はどういうふうな理解をされておられますか、この点について知っておるとか、知らぬとか、イエス、ノーでけっこうであります。時間がございませんから簡単な御答弁を願いたい。
  125. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 数年前までは、わが国の食糧事情は悪うございました。それでアメリカから幸いにして余剰農産物があるというので給与を受けたのでございます。農産物を受けたがためにわが国の教育をアメリカ流にするという約束は少しもいたしておりません。
  126. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 そういう御理解だから、あなたは私に対していまさっきから表面づらの答弁ばかりされておる。文部大臣たる者が、今日学校給食のミルクというものがどういう経路で、どういう意図できておるかということについて御究明にならないということ私はあと具体的に申し上げますが、この学校給食の粉乳というものは、事の起りは昨年でありましたか三月一日のビキニのあとで、日本の国民感情が非常に悪くなったときに、当時のアメリカ大使館におりましたラデジンスキーという農務官が、この日本の国民感情をいかにして緩和するかという問題をある日本人に相談を持って言っている。私はあえて名前は申し上げません。そのときに、日本のビキニに対する国民感情を緩和するためには、アメリカは非常な余剰農産物をためておる、それにはもう頭のこちんこちんの日本のおとなを相手にしなさんな、相手にしてもだめです。現在の一千七百万の児童生徒をまず喜ばすことであるということをアドヴァイスした者がおるのであります。話はここから発展をしてきておるのであります。でありますから、学童服にいたしましても、いわゆる加工賃の問題で今日まで流産になっておりますが、いわゆる粉乳と一緒に綿花を日本へただでやる、そのかわりにアメリカ自身の腹の中では、その作った加工賃は日本に予算を持たして、でき上った既成品というものを持っていって、メイド・イン・ジャパンとでもギフト・オブ・アメリカとでも入れるということならば話の解決はつくのであります。ところがそこまでやったのではさすがのアメリカも内政干渉になるものでありますから、加工賃々々々でもって押しまくってきて、遂に日本が加工賃を負担しないものだからこれは流産になった。そのかわり余っておる粉乳だけはプラス・アルファをして余分に入れてやろう、こういう経路でもって入っておるのです。今日の学校教育の環境においてそういうふうな粉乳が入る、余剰綿花をただでくれるということに対して、いい悪いの論議は別にいたしまして、日本人は貧乏でありますからありがたいことであります。ありがたいことではありますが、教育の場にいらっしゃる文部大臣が、こういう問題を、ただでくれるのだからけっこうなことだというふうな漫然とした気持でもってお受け取りになっていらっしゃいますか。それとも向うのいわゆる対日政策の一環としてのあらゆる部面にもってきて、そういうふうな意図というものが流れておるということに対してどういうふうな理解を持っていらっしゃるか、こう思って実は私はお尋ねをしたのであります。あなたは全く御存じないらしい。そういうふうな事情があるのです。でありますから当時の自由党の中にもこの事実を知っておる人が二人なり三人はあるはずであります。私は名前を言えといえば申し上げてもいいのであります。いずれにいたしましても、ただ漫然と今日までの学校給食の、この余剰農産物の粉乳というものを文部大臣がただ喜んでありがとうございますというようなことを言って受け取っておりますならば、私は大臣としての資格がないと思う。またそういうふうな教育の環境に国際的な意図が入ってきておるという一つの事例として私は申し上げたい。これはほんとうを言うならば当時予算委員会で私は言いたかったのです。しかし言いますとちょうどほやほやであまりにも妙な問題が派生的に起きはしないかと思って私は申し上げなかった。たまたまこの法律案の性格というものにそういうふうなものがやはり直接間接に入っておるという疑いを私たちは持ったので……。(「入ってないよ」と呼ぶ者あり)入っていないと言われるならもう一ぺん私は言います。また言うかもしれませんが、池田・ロバートソン会談のことを言いますと、高津さんも過日ちょっと触れられたようでありますが、この事実を文部大臣は御存じか御存じでないか、これも知っておるか知らぬか、イエスかノーかでけっこうですが、どうですか。昭和二十九年十月であります。
  127. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 少し言わぬと誤解を生じますので申し上げますが、世の中のこと、外国との関係等についてはいろいろと後日エピソードその他、あのときはこうであったという話はあるのであります。あなたのおっしゃる通りかあるいは幾分あなたの雄弁で潤色されておるか知りませんけれども、どんなことでも多少そういうことはありますが、国民に関係することは現われたことであります。米人も日本の食糧事情を考えて余剰農産物を与えたと思っておりますし、わが国においても私初め児童、父兄もそれだけを思っておるので、政治に関係するのはすなわち多数の人が知って了解することが第一であります。その裏にあるいろいろなエピソードは政治の大勢には影響いたしません。ましてやこの教科書法案はそういうことにちっとも関係なく書いております。
  128. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 私がお尋ねしたのは昭和二十九年十月、池田・ロバートソン会談の内容をあなたは知ってますか知ってませんか、こうお尋ねしているのです。イエスかノーかでけっこうです。
  129. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私はそんなことは存じません。
  130. 山崎始男

    ○山崎(始)委員 これを御存じないのですか。御存じなければ私は申し上げなければならない。なぜというのに、自由党の当時の池田政調会長が十月一日にいわゆる日本の防衛計画を持って吉田首相の特使としてアメリカへ行かした、行かれたときに日本の再軍備に対して相談をされておるのでありますが、あの有名な池田・ロバートソン会談をやられたことを大臣はあまりよく御存じないようですが、同時に日本の教育といわゆる日本の再軍備という一つのテーマに基いて二人がひざつき合せて話をした。その結果池田さんが現在あなたの党にいらっしゃるのだから、うそかほんまか聞いてごらんなさい、はっきりするのでありますが、日本が再軍備をやることに対して、四つのじゃまがあると言っておるのであります。まず一つは、現在の憲法が再軍備のためにはじゃまになると言っている。二番目には、日本には資源が少い。資源が少いから再軍備をするような大きな金がなかなかできにくい。三番目は、日本の教育制度が再軍備のためにじゃまになると言っている。その次には、日本には共産党がおって、再軍備に反対するからじゃまになる、こう言っているのだ。さすがに池田さんも革新政党とは言わなかった、共産党という名前で言うておられまするが、日本の社会党がじゃまになるとは、さすがに遠慮をして、言うておられない。しかしこれは革新政党がじゃまになるという言葉と私は同一の言葉と解釈している。従って今日の小選挙区制法案というものが、三分の一以上とられておったのじゃかなわぬものだから、これをいわゆる国会の四分の一なり五分の一にたたき落そうということ、これがこの小選挙区の法律案となって出てきた。これはまあ別問題といたしましても、そのときに、教育関係と再軍備の相談をされておるのであります。されておるときに、そのひざつき合せてやった結論が、どういう言葉になって出ておるかと言いますると、今後日本の政治において、教育に関していわゆる愛国心を滋養する教育制度に切りかえることに意見の一致を見たということで、覚書、交換公文をかわしておられるのです。それはあなた方の手元のどこかにあるはずなんです。この再軍備のためにひざつき合せて話した結果が、日本の教育制度、教育万般に持ってきて愛国心を滋養するということに意見の一致を見た。こう言っている。これが最後なんです。しかもこの愛国心滋養の方向に持っていかすためには、日本国政府もアメリカ政府も共同の責任を負う、そういう言葉の覚書をかわしていらっしゃるのです。これがたしか昭和二十九年、先ほど私が言いました、いわゆる地方制度の方の関係からも、教育関係というものが、今日の地方自治体の約七割というものを占めておりますから、地方自治体関係の自治庁関係から、こういうような伏線が徐々に官僚の作文によってあちらからもこちらからもやはり出てきておる。この一つの共通した底意というものが流れておるということを、否定することは私はできない。一だから教科書の法律案におきましても、あるいは教育委員会の法律案におきましても、これを単なる教科書法案だといって切り離して考えることはできないのです。よろしゅうございますか。片方では、教育委員会法案ではいわゆる三十三条をもってきて教材の統制をやっておる。この教科書法案では教育そのものの教科書内容まで規制をしようとしてきている。従って検定という問題でも、大体検定そのものの性格というものは、民主的でなければならない。それが下からの、現場の教員なり地方の有識者の意見が集まって検定をするのじゃなくて、一方的に検定基準というものを中央でとりきめて、それでもってやるというような事柄、あるいは先ほども野原委員が言うておられましたが、採択地域を県一本にしぼるという、これが法律の格好ではいかにも特例のような形として出てきております。おりますが、やがてこれは各県が県一本でしぼったならば、東北地区は同じ教科書を使うようになり、あるいは東海地区は各県が同じものを使えば、お隣りの県も、わしもわしもとこうくれば、もうブロックでもって同じ教科書を使うようになってくることはわかり切っておる。言わなくてもこれはわかっておるのです。こういうふうな衣の下によろいを着て、国家統制、思想統制、しかも官僚の中央集権化という一つのよろいを着ておることは、あなたがどんなにうまく答弁をされても、国民はこれを否定することはできないのであります。この点に対して私は、いわゆる教育というものは、一年の計をやるならば田んぼを作れ、麦や米を作れ、十年の計をやるのならば山に木を植えい、百年の計をやるならば教育に力を入れよというたこの言葉において、先日もわが党の小松委員が、文部大臣は一体これから将来のこの教育という大事業に対してどういうふうな人間像を描いているか、こういう教科書法案というようないわゆる教科の内容を規制するところの法律案を作る以上は、将来の人間像はどういうふうな人間像を持っておるかという質問をいたしましたが、私はこれは非常に大切な点だと思う。私は清瀬文部大臣のために、こういう法律案をお出しになってしかも反省の色がないというこの現実を見た場合に、私は政党政派を超越して、非常に残念に思う。(拍手)私はあまり長くは申し上げません。長くは申し上げませんが、最後ですから私は一言だけ申し上げたわけでありまするが、私の最後の言葉に対して文部大臣の御所見を、一つ率直な御所見を、人間清瀬として、腹の底から、一つ願いたい。
  131. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 池田さんとロバートソン次官補が会われたのは吉田内閣の当時でありまして、私と池田君は正反対の立場であります。私は改進党の幹事長でございます。それゆえに池田・ロバートソン会談の内容承知しておりません。承知しておらぬ私が書いた教科書法案であるから、それと関係のないということはこれでわかるのでございます。私は教育は非常に大切なことと思いますけれども、外国の鼻息をうかがってすべきものじゃない、日本人独自の立場で、現代の日本には一番正しい法律として、ここに提案いたしております。
  132. 赤城宗徳

    赤城委員 この際議事進行について動議を提出いたします。すなわち内閣提出教科書法案に関する質疑を終局されんことを要求いたします。
  133. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 お諮りいたします。ただいま赤城君より提出されました、内閣提出教科書法案に関する質疑終了の動議に賛成の諸君の起立を求めます。   〔総員起立〕
  134. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 起立総員。よって赤城君提出の動議の通り内閣提出教科書法案に関して質疑を終了するに決しました。
  135. 赤城宗徳

    赤城委員 緊急動議を提出いたします。すなわちこの際直ちに……。   〔「だめだめ」と呼び、その他発言する者、離席する者多く、議場騒然〕
  136. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 本日はこれにて散会いたします。    午後五時三十八分散会