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1956-04-06 第24回国会 衆議院 文教委員会 第26号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月六日(金曜日)     午前十時五十九分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 加藤 精三君 理事 坂田 道太君    理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君       伊東 岩男君    杉浦 武雄君       千葉 三郎君    塚原 俊郎君       並木 芳雄君    野依 秀市君       山口 好一君    山本 勝市君       河野  正君    木下  哲君       小牧 次生君    高津 正道君       野原  覺君    平田 ヒデ君       前田榮之助君    小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         検     事         (法制局第二部         長)      野木 新一君         人事院事務官         (管理局長)  丸見  毅君         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         参事官)    斎藤  正君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 四月六日  委員久野忠治君及び山本幸一君辞任につき、そ  の補欠として山本勝市君及び前田榮之助君が議  長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  地方教育行政組織及び運営に関する法律案(  内閣提出第一〇五号)  地方教育行政組織及び運営に関する法律の施  行に伴う関係法律整理に関する法律案内閣  提出第一〇六号)     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 これより会議を開きます。  この際申し上げます。来たる四月九日の公聴会公述人として出頭方を連絡いたしておりました大野元美君が都合により出頭いたしかねるとのことでございます。つきましては、その補欠として東大教授田中一郎君を公述人といたすことに委員長及び理事において協議決定いたしましたので御了承を願います。     —————————————
  3. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 それでは地方教育行政組織及び運営に関する法律案並びに地方教育行政組織及び運営に関する法律の施行に伴う関係法律整理に関する法律案一括議題とし審査を進めます。前会に引き続き質疑を行います。質疑を許します。辻原弘市君。
  4. 辻原弘市

    辻原委員 従来非常に論議されまして問題となっておりました教育委員会法が今国会に提案せられたのでありますが、出ました法律案を見ますると、少くとも私たちが、また一般人たち考えておった教育委員会法改正ではなかったということに、まずわれわれは驚いたのであります。段々の当委員会における論議によりまして、さらに問題は一そう明らかとなったのでありますが、私はこの際そうした委員会法が制定せられまして以来の経過をたどりつつ、大臣に御所見と本法案提出せられました真意をお伺いいたして参りたいと思うのであります。  総括して申し上げますと、今度の法案がこのような形でなぜ提出ざれたのであろうかという点を私ははなはだ疑問といたしております。このような法律がどんないきさつで本国会提出されたのか、この理由というものがどうも納得がいきませんし、おそらく今この法案に対する各界世論が高まつてきておりますが、世論も何がゆえにかようなものを提出しなければならなかったか、こういう理由についての解明が少くとも大臣提案理由あるいは本委員会における大臣答弁からでは、これらの世論を今日納得せしめていないと思うのであります。  そこで私はその点をまず大臣にお伺いいたしたいのであります。すわなち今まで教育委員会改正というものが、法律制度が施行されまして以来、しばしば行われましたけれども、今回の法律は今までの改正とは違って、これは新しい地方教育行政組織というものを、従来とは異なった観点で作り上げるというのが真意であろうと思うし、また法律の構成からしましても、そういう形にでき上っておると思うのでありますが、この点大臣はいかにお考えになっておられますか。まずそれからお伺いいたしたいと思います。
  5. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 地方教育行政中心をなすものは、辻原君御研究通り教育委員会でございます。この教育委員会はそもそも初めて設けまして以来、非常に世間の注意を引いたものでございまして、一方ではこれはなくともよかろうという議論まで出ました。われわれ政治に携わっておる者は、どうしたら国のために最善であろうかということで、年中脳裏を離れられない重要問題でございました。それでわが党が結党いたしました十一月中旬以来、ずっと研究をいたして、国のためにはこの案が一番いいという結論に到達して、今回提案いたした次第でございます。
  6. 辻原弘市

    辻原委員 私がお伺いしておりますのは、そういった経過よりは、むしろこの法律は従来の教育委員会法との関連において、その組織形態改正しようという形で出されたものではなくして、理念的に全く異なった地方教育行政組織というものを立法化しよう、こういう趣旨のもとに作られているのではないか、この点をお伺いいたしているのであります。今までの単なる改正ということではなしに、新しいというよりも——新しいことが必ずしも是ではございません。新しいという表現がこの場合私は的確でないと思う。今までとは異なった形における地方教育行政組織というものを制度として採用しよう、こういう趣旨のもとに立法化せられているのではないか、この点をお伺いいたしているのであります。
  7. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 一般地方公共団体行政、すなわち知事と県会議員市町村長市町村議会、この系統による一般地方行政のほかに、日本では新しい例でありまするが、執行機関で、しかも合議制によるところの教育委員会を設けて、これに教育の実際を託するということが教育委員会制度根幹でございまして、それは同じことでございます。趣意においては少しも変りません。ただ委員選定方法は従前は直接選挙によりましたが、それでは場合によれば教育中立性を危なくすることも生じ得ると思いまして、今回は民主主義を尊重しつつ、すなわち公選された人によってさらに選定するという組織で、一党一派には偏しないようにメンバーの所属制限をする。かくのごとく選定方法は、中立ということを眼中においてさらに慎重にいたしましたけれども教育委員会そのもののアイデアはちっとも変りません。元よりは進歩した方法であると思ってこの案を採用したのであります。
  8. 辻原弘市

    辻原委員 従来の教育委員会法とその原理は全く同じである。これを改善するためにむしろ進歩的な法案であると理解をして提出されたという、まことにおりっぱなお答えでございます。私は理念的な問題はさておきまして、きわめて常識的にこれは一つ大臣にもお伺いをいたしたいのでありますが、それは今までしばしば改正されました法律は、すべてこれ教育委員会法の一部改正として取り上げられているのであります。そういう趣旨のもとにそれぞれ国会におきましても論議を重ね、これを通過せしめてきているのでありますが、今回の法案を見ますれば、その表題にも明らかなごとく、いわゆる教育委員会法という表現がこの法律の命題には採用いたしておりません。しかも附則におきましては、教育委員会法廃止をうたっておるのであります。もし法律というものの中で、その精神を継承し、生かしていこうとするならば、私は、そのうちの部分的問題をとらえてこれを改善しようという場合は、従来の法律改正案でもって事足りるではないか、こう思うのでありますけれども、事実はそうではございませんので、この点一つ平易に御解明を願つておきたいと思うのであります。
  9. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 制度法律改正する場合に、条文を抜いて、必要な頂を改めるという改正方法もありまするし、また今回の場合のように、いっそ全体を書き直すという二つの方法があるのでございます。私もまだ省へは出しませなんだが、私一人の考えで、もとの法律に挿入、削除をして、私の事務所のスタッフを使って一ぺんやつてみたことがあるのです。そうすると非常に煩雑になりまするので、いっそ全部を書き直した方が、これからこの案を使われる人に御便宜だと思って、全部書き直す方法を採用して、文部当局で編さんし、法制局相談をして、このようになったのであります。それは改正案を作るときの便宜の問題であります。全部書き直したがために委員会がみな違ったということじゃないのです。一条々々改める方法もできたのです、やろうと思えば。しかし非常につぎっこはんこになりますので、こうやったのです。
  10. 辻原弘市

    辻原委員 常識的に平易にと私が申し上げましたので、まことに常識的な御答弁をいただきました。しかし大臣の御答弁よりも、今おっしやられた言葉の中に、問うに落ちず語るに落ちるという言葉がありますが、あなたの事務所で一応そういう形で検討された、ところが結果は非常に煩雑な法律になる、こういうお話です。そのことは何を物語るかというと、いわゆる部分的改正ということではなくして、その改正教育委員会の各部門にわたるきわめて広範囲な、根幹に触れる立法措置であったということを物語つているんだろうと思います。その事実は大臣はお認めになりませんか。いかがでございましょうか。
  11. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今申しますように、選挙方法をやめます。選挙方法をとれば、別に公職選挙法があるので、それによったら、これはもう要らないのです。今度はそれをやめまして、町村町村会の同意を得て町村長がやる、しかもその任命には制限をつけるというので、選任の方は相当違っておりまするし、そのほかのものも、多数の個条にわたることは事実であります。けれども有形的に多数の個条にわたるということと、実際の変更がどの程度であるかということは、これは辻原さん別のことであります。たった一個条直しても、大きな点をごそっと直せば、これは非常な大変更です。小さいところを十直しても、それが末節のことだったら、大きな変更じゃないのです。これは私は小さい改正だとは申しません。相当大きな改正でございまするけれども教育委員会というものを作つて町村一般行政と分けて、教育中立に保ちつつやっていくこの大精神は、同じことなんです。さよう御了承願いたいのです。
  12. 辻原弘市

    辻原委員 小さい部分改正しても、法律立法上広がるということは、私も承知をいたしております。しかし今回の場合にはその例ではないということ、これは今大臣最後に御答弁になられたと思いますが、なぜ私がかようなことを申し上げるかといいますると、これは少くとも最初に申しましたように、実はだれもがこの法律を見て、その改正というよりも、広範囲にわたった新しい制度だということに驚いたのであります。というのは、二十三年に委員会ができまして以来、当時から問題になっておった最も大きな部分というのは、地方教育委員会制度をどうするかということであっただろうと思います。このことが絶えずこの委員会制度運用に当って将来改善を要すべき点だということで、各界指摘をいたしまして、それぞれいろいろな多岐にわたる意見によって、この地方教育委員会育成強化ないしは改善という問題に対して、確たる意見が出ておらなかったと私は承知をいたしておるのであります。過ぐる昭和二十七年には、法律当該年度より施行すべきことを命じておりましたので、当時の文部省が、大臣も御承知だろうと思いまするが、やはりもう一カ年延長して、慎重にこの制度については取り扱うべきである、こういう見解のもとに、選挙を一カ年延期するという所要の法案提出いたしたのであります。これが当時国会に出ますると、それぞれ非常な論議が巻き起されまして、当時の自由党は、衆議院においてはこの原案に反対をいたしたのであります。参議院に回って論議の最中に解散という事態があって、地方教育委員会というものが生れた。こういう経過をたどってきておりまするので、制度ができましてからも、この地方教育委員会の扱いについては、それぞれわれわれも検討いたしまして、また当時の政府与党におきましても検討をされたと思うのでありますが、なおそれでも確定的な方針というものが打ち出されなかったのであります。これが最も大きな部分として、教育委員会制度の中で改善を要すべき点として残っておったことは、私は率直に認めなければならぬと思うし、これはだれが考えましても、その通りだとおっしゃるに違いないと思うのであります。ところが翻って、では一体その他の部分にこれと相匹敵するような意見が、世論の中にも、また関係者の間にも、また政府部内の間にでも起っておったかというと、私はそうではないと申し上げるのであります。でありまするから、そうした経過をたどって参りますれば、ここでもし改正を要すべき点として指摘をされるならば、少くともこの点に集約せられて、そうしてすでに地方教育委員会が設置せられておるのでありまするから、この設置せられておる現状にかんがみ、関係者の異常な努力によりまして、少くとも困難ではないかと考えたこの制度が、漸次その体を改めまして、非常に大きな役割を果してきている、こういった現状から、どのようにこの制度運用を伸ばしていくかということに真剣な検討をやつて、そうして解決をせらるるならば、少くとも私は教育委員会制度というものは、これで一応日本の戦後やつて参りました教育の方向に、大体の大きなまとまりをつけることができたのではないか、今日かように私は考えておるのであります。しかし出ました法案は、従来もちろん一部には意見がありましたが、大部分世論とはなっておらなかった選挙方式の問題、あるいは中央地方との関係、あるいは教育委員会所管事務、こういった点に全く抜本的な手を加えておるということは、一体どのような世論に今日の文部大臣が耳を傾けられておやりなすったのかという点にはなはだしく私は疑問を抱くのであります。その点私の申し上げたことは十分おわかりをいただけるだろうと思いますので、率直に大臣の御所見を承わっておきたいと思います。
  13. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今辻原さん御指摘通り教育委員会、わけても地方教育委員会は、採用の初めからやや偶然のことで採用されております。昭和二十七年、吉田内閣当時です。あの当時は私の属しておった党派とあなたの党派とはやや気脈を通じておったのです。私は幹事長で、あなたの方は野溝君でした。これらについてどうしようかということは、まだ機が熟しておりませんが、前の国会で一カ年延期というので、そこへ向いておる最中に、吉田内閣解散を断行したがために、偶然地方教育委員会が成立せざるを得ぬようになたのです。成立の初めからそういうふうによく機を熟さないでこれができておりますから、自来政府解散によってもう一年延ばしてもよかったか、これを否決してもよかったか、まだそれらを十分にしないでできたものでありまするから、それ以来私ども党派としてはこの問題をどうしようかと良心的に調べておったのです。国民に対しても責めがございます。たびたび申し上げましたが、かつて中央教育審議会にも一度諮問されております。これは大達君のときでございます。それから地方制度調査会にも諮問され、それからして教育委員会制度協議会というものでも協議されておりまするし、少しさかのぼりまするけれども法令審議会リッジウェイ将軍が、占領中にこしらえたものでも、遠慮なく改正すべきものは相談せいということでできましたもので、やはり選挙制度はやめて三人の委員制度にせいなんということもあります。それからわれわれの方は二百数十名の代議士を持っておりまするが、これみな選挙区の意見を聞いてのことでございます。これらの人の御意見もやはり世論を反映しておる民主主義的の考察と私は思います。十分検討検討を加えてこの案が最善である。一番最後にはこれは多数決で党内でやったのじやありません。非常に調べた結果、お互いにこれがよかろうといって一致したものでございます。それゆえに私自身がアービトラリーに、勝手にこういう案を書いて出したということではございませんので、御了承願います。
  14. 辻原弘市

    辻原委員 今の大臣お話も、私が申しました二十七年に解散という成り行きによって生まれた地方教育委員会制度、これをどういうふうに円滑に運営できていったりするかという点に対する検討が行われておつたという御説明にすぎないと思います。そのことは私も承知をいたしております。たしか当時あなたが所属せられておった改進党でありますか、たしか改進党と名乗った当時だと思いますが、その当時の方針を見ましもて、やはりこれは改廃するために検討しなければならぬ、こういうような御意見であったと思いまするし、その後の、いつでありましたか、私はさだかに記憶はいたしておりませんが、たしか十五国会当時であったかと思いますが、その年のあなた方の党大会においても、根本方針として地方教育委員会廃止をするという、そういう旗じるしを掲げられておりました。ところが、ここでお伺いいたしたいのは、私はそのことは確かに問題になり、ここにもたくさんいらっしやいますが、当時の文教委員の方々を中心とせられまして、そうした改進党の御方針は絶対に容認ができないということで、地方教育委員会育成強化という方針で、全く対立した意見でおつたということを、これまた私は存じておるのであります。ところがそのいずれもの意見を見ましても、選挙制度に対してかくかくの不適正があるから、この点に対しては改正を行わなければならぬというような、党の方針をお出しになっておつたという事実はなかったと私は思うのであります。ないしは文部大臣教育委員会との権限についても、いわゆる文部大臣権限強化いたしまして、地方教育委員会権限をある程度制約して、指揮監督権というものを何らかの形で強化していこうというような方針も出されておらなかった、私はそう記憶しておるのでありまするが、当時を振り返られまして、幸い大臣幹事長でございましたので、万事御承知のはずだと思いますが、いかがでございましたか。
  15. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 先刻もお答えしました通り、この問題は昭和二十七年、今日まで五年かかっております。それからいろいろなさっきあげました委員会意見もございます。そのほかに個人的に発表された意見陳情申し入れ等は、積んで山をなすといったら大き過ぎますが、たくさんの意見が出ております。みなこれ日本教育をよくしようという趣意から出ているものばかりであります。だれ一人教育を悪しかれと祈る者はありません。これらをいろいろ検討いたしまして、ついに今日の案を最善なりと信じて政府提出するに至りました。
  16. 辻原弘市

    辻原委員 五年たちましたので、いろいろその間に改善を要する具体的事実が現われたり、ないしは陳情その他の関係が多かったので、これが最善だというふうに考えて提案されたということであります。一応御答弁は筋が通つていると思います。そこで私は本問題につきましては、やはり一つ政務次官にもその点に対する御見解を承わっておきたいと思うのであります。と申しまするのは、今大臣も申されましたように、二十七年以来、この問題に対する当時のわれわれを含めて各政党が相当具体的な方針を出しておったのであります。その具体的方針というものは、今日政府が提案されましたものとは、私の見た目では必ずしも関係がありとは言えないのであります。たとえて申し上げますると十五国会におきましては、当時の改進党とわれわれ当時の両派社会党が互いに相談をいたしまして、当時の岡野文相はあくまでも不測の事態によってこれが生まれた制度であるけれども、生まれた以上これは強化育成をしなけばれならぬという見解のもとに、地方教育委員会というものを強化していくという方針を強く出されたのであります。その背景には、少くとも与党であった自由党の中の大多数の御意見というものが、この地方教育委員会制度というものがそのものの形において、現実に住民が直接に参加するという機会を与え、地方公共団体の最も先端である町村にゆだねることが、日本教育民主化への最大の良策である、こういうような御見解のもとに、その岡野文政を支持せられておったと私は考えております。ところが私どもが、あなたの改進党と相談いたしましたときには、その政府考え方必ずしも是ならず、幾多これには欠陥がある。そういうことを指摘いたしまして、やはり無理のない教育行政——無理のない地方行政というものを教育行政との関連の上において行うべきではなかろうか、こういった見解のもとに、いわゆる地方教育委員会がすべての弱小町村に至るまで必置の形をとるということは良策ではないといい、従ってあくまでも地方住民意思によって行うということは、当時の自由党さんが主張されておりました点と、われわれも全く同感でございましたので、その住民意思をそんたくして、住民意思によって設置するも廃止するもまた存置するも、これはすべてそれにゆだねようではないかという、任意設置教育委員会法改正案提出いたしたのであります。しかし私どもがあなたの方と提携をして提出いたしました法律も、当時の自由党さんが、そういうことではいけないのだ、あくまでも地方分権趣旨に徹底すべきである、だからそのことはまことに時宜に適した次善の方策であるかのごとく見えるけれども、これはしかし教育の将来のことを考えた場合には、とるべき策ではないという形で反対をされておったのであります。われわれは小さな弱小町村に至るまで置いて、しかもそれが公選という形において置いた場合には、実際上はまことに取り扱いにくい問題が出てくるのじゃなかろうかという点を憂えたのでありました。しかし理念的に多少そういうことはあろうとも、やはり住民が直接に参加をするという機会を与えるこの市町村教育委員会制度というものは、将来の教育に対して大きな利益をもたらすのだという主張には、私どももその底を流れる考え方には共鳴をする点があったのでございます。従いまして、今回出されました法律は、少くともそういう経過を順々とたどって参りますると、あるいは大臣の所属されておりしまた改進党の方は、そのときには気づかなかった、その後に気づいたのだからということで、重要な部分である公選の問題なり、あるいは大臣権限強化の問題に触れられたということで、筋が通るかもわかりませんけれども、しかしながらずっとその自由党方針を貫いてこられました竹尾政務次官は、今日その点に対してどういうような解明を、前後の脈絡において与えようとされておるのか。これは私は個人的にはまことに竹尾さんには申し上げたくない言葉でありまするけれども、しかしながら制度というものはやはり前後の脈絡と、また大臣が、少くともこれは今までの制度の上に立って改善強化進歩せしめる、そういう法律案だというふうに自画自賛せられております関係上、どうしても竹尾きんから、その点に対する経過を追つての御解明をいただかぬことには、納得がいきかねるのであります。その点一つ竹尾さんの御答弁をお願いいたします。
  17. 竹尾弌

    竹尾政府委員 お答え申し上げます。先刻辻原委員さんが、二十七年の国会におきまする、地方教育委員会制度を一年延ばすという政府提案が、衆議院を通って参議院にかかったときに解散になって、自然に義務設置になることになったと、こうおっしゃいましたが、(辻原委委員「逆です、逆です」と呼ぶ)御訂正されたようですが、これは逆でございまして、これは参議院先議で、この点にやはり少し問題があろうかと思うのですが、当時教育委員会関係は、文部省では調査局が担当しておりまして、当時の久保田局長が、これはどういうお考えか、いろいろ事情もあったでございましょう。衆議院先議にせずに、参議院先議にいたしました。ところがそのとき参議院は、一日か二日でこの一年延期の法案が通ったのでございます。これは辻原さんは当時日教組の首脳部で、いろいろ御関係があったと思いまするけれども、これは一日か二日で通ってしまった。そこでこれが衆議院に回って参りましたのですが、文部省がこの一年延期をどういう事情でやったのか、そういう点につきましては、当時の自由党といたしましてもいろいろ意見がございまして、私どもといたしましては当時——いろいろ党の事情も辻原さんお話になりましたが、私の方の党派といたしましては、これはいつかもお話申し上げたと思いますが、賛否両論に分れまして、一年延期すべしという意見もあるし、これは義務設置にすぐすべからずという説もございました。私どもは諸般の事情を勘案いたしまして、これは直ちに義務設置をすべきである、すなわち二十七年十一月一日からこれを実施すべきである、こういう意見を強く主張いたしました。その主張者の一人にはここにおられる坂田委員ども非常に強い主張者でございまして、その結果、私ちょうど当時の文部委員長をしておりましたので、その法案は通過させずに、つまり十一月一日から実施をすべきである、こういう考えで、私は非常に強い決意を持っておったのでございます。それでちょうど昭和二十七年八月二十八日の午後に、私の名前で党の首脳部に集まつていただいて、どうしてもこれは義務設置すべきであるから、この法案文部省の提案であるにかかわらず否決しなくちゃならぬ、こういうことを披瀝するつもりでおりましたところが、その日の午前十一時に解散になってしまいまして、いずれにしても義務設置になったのでございます。その事情は辻原委員さんとくと御承知のことでございまして、当時辻原さんを初めいろいろの団体が非常にこれには反対をいたしまして、地方教育委員会は設置すべからず、こういう非常に強い意見でございまして、これは私事にわたって大へん恐縮でございますけれども関係があるから申し上げますが、当時いわゆる義務設置に賛成した自由党の候補者を全部落してしまえというようなうわさまでが立ちまして、私もそのときの選挙には、これははっきり申し上げますが、日教組の皆さんから総攻撃を受けまして、私は三十三から選挙をいたしておりますが、生まれてこれほど苦しい選挙を戦ったことはないのでございます。そういう非常に苦しい体験を持っておったのですけれども、それは辻原さんを初めそうした関係の方方が地方教育委員会を絶対に置いては相ならぬ、こういう主張と私どもの主張が激突をいたしました結果、私も非常な苦しい選挙戦を戦わざるを得なかったという過去を持っております。わはわれといたしましては、どうしても地方教育委員会というものは存置をしなくちゃならぬ、当時大達文相当時、あの教育法律ができましたときに、例の請求権と申しましょうか、あの権限地方教育委員会に与えたというような点から、自然地教委は育成強化されるというような結果に相なりまして、私どもといたしましてはどうしてもこれを存置しなければならぬという考えを持っておったのでありまするし、また今でも持っておるのでございます。しかし諸般の情勢が公選制をめぐり、あるいは人事権の関係をめぐり、それから市町村との関係をめぐりまして、改善をすべき点が相当出て参りました。そういう点を改善いたしまして地教委の精神をできるだけ存置したい、こういう考えのもとに本法案を提案いたしたのであるということをどうぞ御了承願いたいと思います。(「名答弁、明快」と呼ぶ者あり)
  18. 辻原弘市

    辻原委員 やや明快を欠きますので重ねて恐縮でございますが、先ほど私が二十七年のいきさつを申し上げた衆議院では否決というのは私の言い誤りでございます。参議院先議で、参議院自由党の主張によりまして否決されて衆議院に回ってきた、こういうふうに訂正をいたしておきたいと思うのであります。  その後の選挙について竹尾さんが非常に苦労なさったという話は、まことに個人的にはお気の毒にたえませんが、しかしそれは当時のいきさつを振り返つてみますと、やはりいろんな点において相当無理をせられた、そのことが世論として反映されたものであろう、こういうふうに受け取る以外はないのじゃないかと思います。くどく申し上げることもはばかりますが、今竹尾さんの御説明にありましたように、私の特に伺つておきたい点は、やはり制度というものは根本的な原理があつてその上に制度運用されるのでありますから、少くともその法案、その制度に賛否の態度を明らかにつされます場合には、さまつな技術的な部面に対して多少の意見があるからということで根本的に反対をされたり、ないしは賛成をしたりするものではないと理解をいたします。そこで竹尾さんが、またはなはだ恐縮でありますが、竹尾さんとともに当時その中心になっておられたと今言われました坂田委員にいたしましても、やはり文部省が一年延期をして慎重に検討いたしたました、確かに当時その部分に対しては実に真剣な検討が行われておりました。設置をされました町村側においてもまた当時町村教育に理解のある人たち、率直に申し上げますと地教委の委員として出られた方々においても、準備不足のままかようなものを設置せられることはいかがかという、そういった世論がこれは確かにあったのであります。そういうような点からわれわれはやはり当時の文部省考えた、一年延期をしてその間に非常に慎重に世論を徴してしかる後にやつても、すでにこのことは二十三年に法律ができて制度運用され始めて、なおかつ検討したけれども、順次それが繰り延べられて実施が延期されておつたんだから、ここで一年くらい待っても何ら行政上差しつかえないんじゃないか。しかし一たび無理に作つてしまうと、これはこの間清瀬大臣が妙な例にたとえられておりましたので、私も例にならいまして申し上げますると、かりに不測の子でありましても、一たび世に出てきますとそれをむげに扱うことはできないのであります。一たび世に出ますると、何とかしてこれをりつぱに育てていきたいというのはお互い個人にとつても人情であります。ましてや国が一つの制度を作り上げる——それがどういう形においてできましようとも、一たん作つたならば容易にそれをどうこうするということはできない。それに幾多の関係が生まれて参るのであります。だから生む前にもう一ぺん立ちどまつて、情にほだされるか血気にはやるかは知りませんけれども、それは一つ思いとどまつて、もう一ぺんよく考えてみて、将来をおんもぱかった立場において検討するのが至当ではないかというのが当時私どもの主張であったわけであります。何もむげに地教委を頭から反対をするとか、またそれが全然必要がないとか、こういうことではなしに、いわゆる地教委というのはそのままの形で作られるならば、やはり人事の問題等においても問題が出てきまするし、指導部面の行政組織が完備されないような形においては、かえって町村に御迷惑をかける、また教育上もさして大きな利益も生まれないであろう、こういう点からそれを指摘いたしまして、だから一つ地教委についてはなお県教育委員制度等との関連において検討を要すべきである、こういうような主張を私どもは自来ずっと続けてきたのであります。  そこで竹尾さんにお伺いをいたしたいのは、そういういきさつで慎重に取り扱うべしという政府の提案、また世論、こういうものに反対をされてでも、これをどうしても置かなければならぬのだということで、例を見ない政府提案を否決をするという腹を固められ、党内にそういうような一つの態勢を作り上げたというその真の理由は一体何であったのかということを、私はお伺いしておきたいのでございます。  さらに申し上げますると、たしか私の記憶によりますれば、大体私どもと同じように、やはり政府提案に賛成をして、一年慎重に検討してからでもおそくないという御意見の方々が、当時の自由党の中におきましても百名を数えておったと思うのであります。しかしそうした党内の世論も押し切られまして、主として当時の竹尾文教委員長を中心にした自由党の文部委員の方々が、これはあくまでも信念の問題だということで強行突破せられたには、なみなみならぬ理由が存在しておったと私は思うのであります。竹尾さんは先ほど諸般の事情によってそういう態度をとったということでありますが、その諸般の事情、またあなたの御信念というものは那辺にあったかということを承わっておきたい。
  19. 竹尾弌

    竹尾政府委員 お答えいたします。辻原委員さんのいろいろの御説拝聴いたしましたが、また当時のことになりますけれども、これもまた辻原さんよく御承知通り、二十五年に地教委は義務設置をしなければならぬということであったのが、一回延びて二十七年の十一月ということになって、都合二回延びたのでございます。これはよく事情を御承知と思うのであります。そこで当時の文部省考え方が、当然大体の法案衆議院で先議すべきものを参議院に突如これを提案して参ったのでございます。それは当時のいろいろの事情がございますが、当時の久保田局長が私の部屋に参りまして、委員長、これはもう参議院で先議をしますからね、よろしく頼みますよということで意気揚々と引き揚げられた記憶がございますけれども、その当時のそれらの事情というものにつきましては、いろいろございましたでしょう。しかし当時世間に流布されました強力な説は、われわれ当時の自由党が、この地教委を義務設置にいたしまして日教組の勢力を分断するのである、こういう説が非常に強く流布されたのでございます。これはもう辻原さんよく御承知と存じ上げておりますが、私どもはそういうような気持は全然ございませんで、教育委員会法精神にのっとりまして、これは辻原さんが日ごろ強く主張されます通り教育地方分権的に行なって、各地域社会によりよき教育を実施するのだ、こういう説を非常に強く今でも主張されておりますが、そういう線にのっとりまして地域社会の教育を完備したい、こういうつもりで私どもはやったのでございまして、諸般の事情と申しますのはそういう意味でございます。ただ当時日教組からも非常に強い反対を受けまして、なかなか困難な事情もございましたが、私どもといたしましては一回延期し、また二回延期し、もう一年たつと三回目になるので、そういうことは教育委員会法精神にもとるものである、こういうような考え方から、どうしても二十七年にはこれを義務設置しなければならぬ、こういうそれこそ強い信念を私は持ちまして強行しようという固い決意に実は燃えておったのでございます。これはおそらく辻原さんも御承知と存じます。ところがそれが設置をされましたけれども、その後も地教委に反対の線は、むしろ私どもはこれを育成強化しなければならぬと思っておりましたのにかかわらず、辻原さんあたりの御意見では、これはどうしても廃止しなければならぬのだという線の方が非常に強いように私は拝承申し上げておるのでありますが、私どもはその精神選挙制度、予算の関係、人事権等々といろいろ改正しなければならぬ点は改正しなければならぬが、しかし地教委全体としてはこれをあくまでも存置しなければならぬ、こういう強い考えを今でも持っているわけでございまして、あれだけ強く反対されました辻原さんが、今までのように存置しなければならぬというお考えになられているという点につきまして、むしろ私はあべこべにそういう点を——実はこの委員会でこういうことができるかどうかわかりませんが、まあお伺いしたいくらいに思っておりますので、私どもはあくまでも地教委存置という線については変りはない。当時の事情はさようでありましたことをお答え申し上げます。
  20. 辻原弘市

    辻原委員 竹尾さんの当時のお考えなり何なりまたあとでだんだんお伺いをいたして参りますが、とにもかくにも委員会制度というものの発足の精神に照らして、地方分権教育行政というものを育成強化していかなければならぬ、こういう根本原理そのものは、現在の地方行政組織の末端である市町村というものを単位にした分権行政というものを徹底していかなくちゃならぬ、こういったお考えのもとにそれを強行せられたのでございます。そのことを竹尾さんの御信念として、まことに終始、今日においても一貫せられておることと存じておりまするので、その点はあとでお伺いをいたしたいと思います。  なお、かようなことをなぜ申し上げるかというと、そういう無理をして作ったが、やってみたところ思わしくないのだ、こういうことは世の中にはしばしばあります。そのことは善なりと信じたけれども、やってみて必ずしもそうでなかった。改むるにはばかることなかれだ、こういう論理で物を考え考え方は世の中にあると思います。しかしその後の竹尾さんなり、これを支持されてきた当時の自由党の方々のお考えというものは、そうした、これはしまったという御反省の上には立たれておらなかったということが非常に問題であると思うのであります。なぜかと申しますと、先ほど私は十五国会と申し上げましたが、さらに十五国会でバカ野郎解散になりまして、当時出しておりました私ども法案が審議未了に終りました。さらに私どもはバカ野郎解散後の総選挙を経まして、十六国会にも大体同様趣旨の提案をこれまたいたしたのでありましたが、同様十五国会、十六国会を通じて、なおかつやってみた、いいではないか、だからますます育成強化をする必要があるんだということを強調せられたのであります。これは単に竹尾さんに御質問しているのではありません。現在そこに緒方局長もすわっておりますが、あなたの上司である田中次官がそのことをしばしば強調された——これはこの間から速記録を克明に調べてみましたが、逐一指摘する時間もありません。後日さらに詳細にわたっての御質問の機会指摘をいたしたいと思うのでありますが、やってみた、悪かったというのではなしに、やはりこれは育成強化をしていくに十分なる価値がございます。かりにどういういきさつでありましょうとも、善である制度はどんどん育成していかなくちゃなりませんので、さらに事務局についても検討いたします。教育長の選任についても考慮をいたしております。いろいろ陳弁これ努めておられるのであります。それを考えてみますると、少くともその考え方というものが、地教委が生まれまして以来のずっと今竹尾さんが述べられたお考えというものは、文部省部内において、また自由党がなくなるまで、少くともこれは続いているということは否定できないだろうと思いますが、今一度竹尾さんからその点をお伺いしておきたいと思います。
  21. 竹尾弌

    竹尾政府委員 お説の通りでございまして、私どもといたしましては、地教委はいかなる形であろうとも、これを存置しなければならないという強い意見を持っておったのでございます。さらに繰り返すようですが、当時の教育法律の制定と相待ちまして、さらに地教委の存在価値というものが非常に強められてきた、こういう工合に考えておりましたし、また現在もいるのでございます。ただし今お説の通り制度というものは、これは不動固定的のものではございませんので、時々刻々悪いところがありましたならば、これは経験や体験に照らして直していくということが当然でございますので、私どもも地教委に重大なる関心を持っておればこそ、悪い点は直していき、よい点を育成して参る、こういうような考え方で本法案を提案したものであることを重ねて御答弁を申し上げたいと思います。
  22. 辻原弘市

    辻原委員 少くとも私は、竹尾さんのそのお考えが終始一貫しておられたにかかわらず、私が十六国会と申し上げましたのは、たしか十六国会は二十九年に及んでおると思うのでありますが、そうするとそこのところまでは地教委をそのままの形で、(「苦しい、苦しい」と呼ぶ者あり)坂田君がえらい苦しそうな声を出しておられますが、公選の問題あるいは人事権の問題、そういったことについては、われわれはむしろ人事権を指摘いたしました。ところが坂田君もやあやあ言われておりますが、私がその点を指摘したところが多少のぎごちない点はありますと、まあありますまでは言っていないはずです。しかしこの末端で町村教育なんだから、町村の先生なんだから、町村で人事を行うことは私は当然だと思う。この見解は、私は竹尾さんも坂田君も強くとっておられたように思うのであります。また公選はどうだ、少くともこの教育委員会制度の妙味というものは公選にある、公選をするところにあるんだからというので、そのまま公選がくっついた地教委存置ということを強く打ち出されてきたのであります。それが具体的国会論議において、二十九年にもその論議が取りかわされておるのであります。先ほど大臣が、作られてから五年くらいたっておるんだ、五年たっておるんだから、その間にいろいろな意見があってこれを改善いたしましたと、こう申されましたけれども、私は少なくとも政務次官たる竹尾さんの御意見というものは、二十九年のいつかの機会に瞬間的に変られたという理解ならばわかりますけれどもその時期までにおいては、終始一貫現行教育委員会制度による地教委の存置、育成強化という点を強調せられておったという事実は、否定いたされまいと思います。いま一度おっしゃっていただきたいと思います。
  23. 竹尾弌

    竹尾政府委員 昭和何十年の何月までこういう意見で、それからすぐ——豹変という言葉を用いちゃあるいはいかぬかもしれませんが、豹変をしたのであるか、こういうことのように取れますが、そういう考え方では毛頭ないのでございまして、今大臣が五年とおっしゃられましたが、これは五年ではございませんで、数字を勘定すればわかる通り、二十七年の十一月からでございますから、きょうまで約三年数カ月ということになります。その間に、私どもも非常に強く主張して設置をした地教委でございますから、このまま放置しておいたというようなことはないのでございまして、私どもも微力ながらこの地教委存置のために、この三年数カ月の間非常に頭をくだいて参ったのでございます。しかしこれも辻原さん御承知通り、一つの市町村に二つの行政機関があるのでございますので、市町村から始終意見もあり、これこれこういうふうにした方がよかろうというようなことも、始終私どもは承わって参ったのであります。でありますからそういう点は、同地域内における摩擦というようなことが教育全体に及ぼす影響等々も考えまして、その結論といたしまして、ただいま提案したような条項を入れまして本法案を提案したのであって、決して私どもが地教委存置に関する説を豹変せしめたものでもなんでもないことをどうぞ御了承願いたく存ずるのでございます。(「明快々々」と呼ぶ者あり)
  24. 辻原弘市

    辻原委員 はなはだ不明快でありまして、お話の御趣意はよくわかるのでありますけれども、私がお伺いをいたしました地教委に対する根本的な考え方、さらに翻って教育委員会制度に対する根本的な考え方から、地方分権趣旨によって作った、しかも現行教育委員会制度を前提としてそれを強行せられた、そのことが十五、十六と繰り返して強く主張されてきた、その考え方が今度の法案ではにわかに変ったとしか受け取れない 私はこう申し上げておるのであります。そこでその後いろいろな意見を聞いて変えたという今の御答弁であります。変えたということは、やはりその信念を曲げられたというふうにしか受け取れないのであります。  そこで私はいま一歩突っ込んでお伺いをいたしますが、当時政務次官がその信念としてお考えなさっておった教育委員会制度の妙味というものは、内容のどこにこの教育委員会制度の妙味、根本があったとお考えなさつていりっしゃるか。根本を考えないで、ただいい、ただいい、そういうことでよもや竹尾さんのような識見豊かな方がお考えなさっておったとは考えられませんが、一体当時のあなたの信念の中にお考えになられておったその教育委員会制度の妙味というものは、那辺にあったか、この点のお考えを承わっておきたい。
  25. 竹尾弌

    竹尾政府委員 お答えを申し上げますが、これは非常に大事なことでございまして、私自身の説が変ったか変らないか、豹変したか豹変しないかというような点は、これは見られる方の御意見でございまして、辻原さんはそうお考えになっているかもしれませんが、私はその根本においては一つも変っておらないということを重ねて申し上げたく存じます。  そこで、なぜ今のような法案の形において出したかということになりますが、なるほどこの法案を見ますると、人事権、公選制、財政の面、いろいろございます。こうした人事と選挙と財政の面につきましては、諸般の事情と申し上げましたけれども、同一地域内におきまする二つの行政機関の摩擦相剋を防ぎ、地域的な教育自体をよりよくしていきたい、こういう考え方からやったのでございまして、この地教委の妙味というものは、つまり教育プロパーの仕事を地域的な教育委員会にまかせる、こういうことでございまして、これも法案個条書きになっておりましょうが、ああした教育プロパーの仕事を完全に遂行せしめるためには、今のような方法によって変えていくのが一番よろしい、こういう信念のもとにこの法案を提案した次第でございます。
  26. 辻原弘市

    辻原委員 私の受け取る範囲では竹尾さんが最初に強調されましたように、信念は変っていないという御答弁は、竹尾さんの率直な気持を表明せられたものとして、私の個人的な胸にはよく響くのであります。しかしここは公開の席上でございまするので、そうした個人的なそんたくは抜きにいたしまして、一つ正しく見解を承わっておきたいと思うのでありまするが、当時信念としてお考えになっておった教育委員会制度の妙味というものを、どう考えておられたのだという質問には、的確な御答弁がないのであります。従いましてこれはあとでお答えを願いたいと思いまするが、今財政、人事それから公選といったようなことは、やはり市町村に二つの行政機関があるので、行政運用をマッチするために、その部分についてはこういうふうにしたのだという御解明で、これは大臣がしばしば提案理由以来ずっと言われておることであって、まことに言い古された言葉でありまして、何ら私のお聞きしたい琴線には触れて参らないのであります。そこで突っ込んでお伺いをいたしますが、現行のまま地教委が設置された場合には、人事運用というものがどういうふうになるかということを何ら考えないで竹尾さんはそのことを強行されたのか、また公選ということはいかにも不安だけれども、まあやってみたら何とかなるだろう、こういうふうなあいまいなお考えでやられたのか、さらに重要なことは、教育プロパーをやる制度だからいいのだ、こうおっしゃるが、少くとも私は竹尾さんの御主張また少くとも文部省全体としての今日まで、戦後における教育の一つの主張、立場を考えてみますると、教育プロパーの仕事なんだけれども、その裏づけ、表裏一体をなすものは財政である。だから財政を切り離しては教育万般の仕事の遂行というものは容易に行うことができない。だから教育財政の確立ということをしばしば強調されておった。私も全くその点については同感であります。しかし教育の仕事は何といっても財政が裏づけになるということ。そこで二本立のあの送付権あるいは支出権限、こういったものが教育委員会制度の中に取り入れられておるというそれ自体を考えてみたときに、そこにいわゆる地方自治体側が持っておる財政運用というものと何らかの、悪い言葉で申しますると相剋というものが生まれてくる。しかしそれは悪い意味において相剋が生まれたのではなしに、教育財政の確立という方途においてその相剋が存在する。従ってそのこと自体は形式的に見れば、また一方の側から見れば不便かつ不円滑のように見えるけれども、何も行政地方公共団体の長のみが責任を持ってやるのではございません。これは住民全体がやるのであります。そういう住民全体の福祉の面に立って考えた場合には、そういうような部分的な摩擦というものは、教育財政を確立し、教育を振興していくというゆえんにおいて許されなければならぬという前提が、私は送付権存在のゆえんであると思うのであります。そのことは地教委を設置するまでもなく、それ以前に十分わかっている事実であります。竹尾さんがそういうことを十分おわかりにならなかった、やってみてその後起ったので、人事権、公選についてはその他の人々の意見を聞いて、これはまことに困る問題だ、こういうことでその点についてお改めになった、こう御説明をなさるのですか、その点を承わりたい。
  27. 竹尾弌

    竹尾政府委員 この制度は地教委が義務設置になる場合に——たびたび申し上げましたが、ともかく二十五年にやるべきのが二十七年に延びたのでございます。その間に地教委の義務設置に関しては御承知通りいろいろ意見があったのでございます。その意見の中には、今御指摘の人事権、財政権、こういう問題が非常に強く取り上げられまして、この点で賛否両論に分れたとも言えるのでございまして、私ども義務設置をする場合に十分そのことを考え義務設置をやったのでございます。でございますから、やってみてこうなったのだということは、全然ないのでございまして、やる場合にはすでに二回もこれは延ばしたのですから——その延ばしたにはいろいろそういう理由があって延びたのでございますので、そういう不便やあるいは欠陥というものを承知いたしながら、ともかく地域社会の教育を充実、拡大しなくちゃならぬ、こういう根本的な精神にのっとりましてこれを義務設置にしたのであるということは十分御承知願えると思うのです。  そこで人事権の問題になりますが、これはおそらく辻原さんもあの狭小なる地域においてあの少数の教員だけを異動して完全に教育ができるとは、よもやお思いではなかろうと思う。そこで人事権を県に上げるということは、おそらく辻原さんあたりの御主張も十分あったのではないか、こういうふうに拝察をいたしております。そこでそういう点をいろいろ勘案して、私どもも人事権はやはり地教委に置かない方がよろしい、こういう結論に達して上にこれを上げたということになろうと存じます。  それから財政権の問題でありますが、なるほど教育プロパーの仕事を完成するためには財政の裏づけがなければならぬことは、これはだれも異論はございません。しかしこれを地教委が握るかあるいは市町村が握るかということは、おのずから別問題でございまして、市町村が握った方が財政運用の妙味を発揮することができる、こういう工合に考えまして今度の法案の提案になった、こう御了承を願いとう存じます。
  28. 辻原弘市

    辻原委員 私は竹尾さんの気持はよくわかっておるのですが、だいぶお話が飛躍なさっておられると思うのであります。というのは竹尾さんは、人事がどうなるだろう、財政のあれで首長側と教育委員会側との摩擦というものがどういう形になるであろう、そういうことも二回にわたって十分検討したので、万々承知しておる、こう言うのであります。承知をしておる、そうして制度をやってみた、当然そのことも予想して制度運用をやられたということになれば、やってみて気づいたから改めたということにはならないのであります。そこで私は最初に申し上げましたように、どこかでその信念、お考えというものを曲げられたのではないか、こう御質問しておるのはその点であります。いかがでございますか。
  29. 竹尾弌

    竹尾政府委員 どうも私はそうはとらないのでございまして、当然そういう欠陥があるであろうということを予想しながら義務設置にしたのであって、そういう問題は、必ずとは申し上げませんが、起るであろうということも考えながら義務設置にしたのでございまして、義務設置にしましたら、そういう点に、ともかく欠陥があるということがわかりましたので、これは政治でございますから、御承知のように政治は生きものでありますから、これに処するのにはやはりそれに対処すべき、よりよい制度を作っていかなくちゃなりませんので、そういう意味合いで本法案のような形において提案したのであります。こういうことであります。
  30. 辻原弘市

    辻原委員 今の御答弁真意であるとするならば、私は竹尾さんには答弁を求めませんけれども、やってみて欠陥がやはり生まれたのだ、考えておったけれどもさらにその欠陥が生まれた、その欠陥というのは、今日改正として出されておる中心点である財政運用に対する問題、人事権の取扱い、あるいは公選、あるいは大臣権限強化、そういうことになりますと、一例を財政権にあげても、これは私は地教委のみならず県教委もそうであろうと思いますが、教育の財政というものを確立し、これを伸ばしていくために送付権というものを認め、今日まできたのです。ところが竹尾さんの今のお説によりますれば、そういうことはこれはやはり教育上も好ましくない、そうやった方がより地方自治体全体の運用としていい、これが自治体側の御意見ならわかります。しかし竹尾さんが、少くとも文部政務次官でいらっしゃるし、教育には一大見識を持って、おられる、そのお方が、財政というものも、送付権などのいわゆる二本立をなくした方が教育によりいいのだというお考えに立たれているということは、はなはだ解せないのであります。そこで私はその点はあとで一つお伺いをいたしますが、これは自治体側の御意見じゃなしに、教育そのもの教育財政確立という方途の上において、これを一元化することの方がよりいいという実証を一つあとで示していただきたいと思います。  それに先んじて先ほどから坂田君もやいやい言うておりますので、ここで申し上げておきたいと思いますが、当時私たちはこの地教委の存置に対してこれを十分検討しなければならぬ。そうして現在の教育委員会制度の中に、人事権の問題等、相当重要な部分運用の欠陥が生れるということにおいて、それの存置をわれわれが肯定をいたさなかった。先ほどから坂田君も鬼の首でも取ったように、近ごろ存置になったことはおかしいじゃないか、こういうことでやじられておるのでありますが、一つここで竹尾さんも、当時の自由党の諸君もよく頭を冷やして聞いていただきたいと思うのであります。少くとも当時論議されておりましたのは、いわゆる民主化の方向へ、よくあなた方が主張された教育分権ないしは教育中立性、こういった点からその基本として公選の方式をとられ、また委員会それ自体として独立した行政機関、地方教育に対してはこれが最高の責任機関であるという立場における教育委員会制度を前提にして、われわれはこれを検討いたしたのであります。その場合に、民主的な民意を反映するという方法は、よし人事権が市町村に置かれなくても、その公選される委員に付託された住民意思によって、その教育というものは民主的に運営せられるという基本的な原理が貫かれておったのであります。ところが今日、従ってそうした原理を左右することなしに、根本精神をゆがめることなしに、最もこの制度住民に親しまれ、またあらゆる方面から支持せられ、また教育を慎重にしていくための最善制度としてやっていくためにはどうするかという観点において、部分的な改善を加える必要つがあるというのが、これが終始変らないわれわれの意見であったわけなのです。ところがこのたびの法案は、われわれ率直に総括的に言うと、あなた方の御意見政府の御説明はいかようあろうとも、否定できないことは、やはり従来の教育委員会制度というものの根本理念、根本精神、こういうものとはほど遠い形において生まれてきている。そのことが公選の否定であり、あるいはそれ自体最高の責任者であった教育委員会というものが、必ずしもそうではない。文部大臣権限によってその教育内容を左右される余地を残しておるというこの改正、あるいは教育財政という見地から考えた場合の二本立の問題、これが廃止されてきておる。こういった根本の原理を曲げる重大改正が行われてきた、これが一番重要な問題であります。従ってこの際地方教育委員会というものをそういう前提の上に、さらにこれをなくしてしまうということになったら、一体どういうことになりますか。民主的な組織、民主的な一つの教育行政というものが否定されて、なおかつその形すらこれを没してしまう、地方教育委員会というものの形すら没してしまうということになれば、全くわが国の地方行政の上において、かりに都道府県の教育委員会というものが残りましょうとも、ほんとうに小さい姿、小さい存在となってしまうおそれがある。だからわれわれの立場は、まず原則的な教育委員会制度というものを残すというその立場を堅持することが、これが正しいという意味において、その前提がかち得られて、初めて部分的な現行の教育委員会制度の欠陥というものを、各界を網羅して、そうして世論に徴して、具体的に検討して改善すべきであるという、こういう主張であります。従って今あなたが言われるように、にわかに立場を変革して地教委の存置をわれわれが主張しておるのではございません。少くとも現行制度を守ることが、これが前提である。あなた方は前提を離れて、全く教育委員会制度というものの根本をなくして、その上に地教委というものの論議をしておるから、さような論議にはわれわれはあずかれないということを申し上げておる。今はこの委員会制度というものを、より堅実なより着実な形として、その根本の精神を残すというのが、これが正しい行き方であるというのが、われわれの終始変っていない考え方なのであります。
  31. 竹尾弌

    竹尾政府委員 辻原さんのお言葉通り、より堅実な、より着実な教育委員会制度を残したい、こういう強い熱望のもとにこの法案提出したのでございまして、大臣が先般どの委員会でございましたか、地教委は絶対に廃止をいたしません、こう申し上げておるのでございますが、その通りでございまして、ただいろいろ三年半の経験、体験に照らしまして、直すべき点は直さなければならぬということが、財政権の問題とか、選挙とか、人事権というようなものに具体化して参ったのでございます。なぜ文部省の立場にありながら自治庁のような考え方をするのか、こういうようなお言葉でございましたが、これは私どもは、辻原さんも御同様に、文部省のため、自治庁のためにわれわれが政治をやっておるのではございませんで、国全体の文教というものを考える上におきまして、やはり財政権というものは市町村に移した方がよろしい、こういう結論に到達した次第であります。さらに人事権につきましてはただいま申し上げた通りでありまして、より堅実に、より着実に地方教育委員会というものを存置するため、私どもはこの法案のいいところをとって皆様にこの通過をお願いしておるような次第であります。
  32. 辻原弘市

    辻原委員 より着実に、より明快にというお話、そういう地方全体あるいは国全体という考え方でやることは、もちろんこれはだれも否定するものではないのであります。その国の行政、国の教育をより高く高めていくという中に、その中に最も教育の立場というものが極限まで高められていくという制度がどういうものであるかという点において、先ほど申し上げたようなこの二本立の精神というものが組み入れられておったのであります。あなたの論拠は、今おっしゃられたのは、これはかつてしばしばあなたが委員長をやられておりました当時、非常な熱意をもって通されました例の現行義務教育費半額国庫負担法の審議の当時も、自治庁側が文部委員会に出て繰り返した主張なのであります。しかしそのことを私は否定するものではございません。逆論から言えば、そのことがより教育財政を確立し、教育行政の立場というものを堅持していくものであるかどうかということに多大の疑いを持つということであります。竹尾さんが絞切り型に、それで非常にけっこうなんだとおっしゃられてしまえばそれまででありますが、私は、竹尾さんの御真意というものは必ずしもそうではないと思うし、今日全国の教育者あるいは教育関係者考えておることは、あなたも御承知のように、国の財政も窮屈である、地方財政も窮屈である、しかしその窮屈のしわ寄せが教育に及んだら大へんなんだということで、比較的弱い立場に放置されるこの教育財政というものを、何とかかためていきたいというのが切なる要望で、そのために教育委員会の財政権というものを強く主張してきたのがわれわれの立場であり、また国民もそれを否定しないで今日まできたと思うのであります。そのことを今あなたは割り切られて、一元的な運用ということで、いわゆる教育財政の立場の主張というものは引っ込めて決して差しつかえないんだ、こういうふうにどうも私には聞えるのでありますが、割り切られてしまったのかどうか、もう一度お伺いをしておきます。
  33. 竹尾弌

    竹尾政府委員 ただいま御指摘のように、国の教育財政という大きな立場におきましては、これは私もしばしば申し上げる機会がございましたが、やはり文部省中心になりまして国の教育財政をつかさどらなければならない。これこそ真の意味におきまする教育に対するサービスである、こういう工合に考えておりまするし、また辻原さんもそうお考えだと思います。  そこで義務教育費半額国庫負担というような法律を——これも非常に御協力を願って作った法律でございますが、今になってみますと、私どもは非常にいい法律を作ったというような慰めを実は持っております。しかしこの教育財政費自体が地方に分散されますると、市町村教育財政の面においては、ただいま申し上げました通り二つの行政機関が相剋摩擦を来しまするし、また財政全体を地域的につかさどらしめるものは市町村の方がよろしいのだ、こういうような考え方において、地域的な教育財政の面におきましては今のような改正を加えたのであると考えますが、私はおっしゃられる通り割り切って申し上げておるのではございませんので、やはり政治でございまするから、悪い直すべき政治の面が出て参りましたときには、はばかるところなくこれを改正して参るということにはやぶさかではございません。ですから非常によい制度であるということについては、これはちょっとそうであるとは申し上げかねるのでございまして、悪い点が生まれてきたらこれをお互いに直して参るということが、完全に政治をしくゆえんである、こういうふうに私は考えておるわけでございます。     〔「明解」と呼ぶ者あり〕
  34. 辻原弘市

    辻原委員 明解ではございません。今竹尾さんが最後に言われたのは、現行法は必ずしもよい方法であるとは言い切れない点があるのであるが、しかし政治は生きものであるので、さらに欠陥が出れば改めるにやぶさかではないという、まことに含みのあるお言葉を言われたのでありますが、私は率直に申しまして、竹尾さんが、あなたのお考えによれば一つの誤まりを犯されてきているわけなんです。私はそうは考えません。地教委の設置というものが、こういう欠陥が出るだろうということを予想されてやってみたところ、やはり出た、そこで改めるんだ、こう言っておる。今またこの制度については割り切れぬところがある、しかし政治であるので——ここで妥協という言葉が入れば、加藤さんが言われる通り実に明解になるのですけれども、それは言われない、そこで政治は生きものであるという言葉表現せられておるのですが、私はその表現真意というものは理解いたしますけれども、しかしそれは速記録には残りませんから、私の方からつけ加えさしていただきますけれども、改めるにははばからないんだと、こういうふうにおっしゃるのであります。そういうことであるならば、事は今審議の途上であります。あなたの方からおやりにくければ、あなたを支持されておる与党というものがあるのであります。だからそこらあたりで十分そういう欠陥が予想される点については再検討を加えられるのが良識ある政党のとるべき態度ではないかと私は考えますが、いかがでございますか。
  35. 竹尾弌

    竹尾政府委員 地教委設置の際に予想される幾つかの事柄があったのでやってみたらこうであったと、こうおっしゃいましたが、そういう意見は当時いろいろ出ておりましたけれども、これは抽象的、客観的に予想されるということは言い得たかもしれませんが、私がこれを予想しておったのであるという意味ではございませんので、やってみたらそれはそういうことであったということになろうと思います。それは今予想されるのであれば、そういう予想される幾つかの欠陥があるのであれば、今この法案を——そうはおっしゃられませんでしたが、撤回されたらどうかというような結論かと存じ上げますが、私どもは今そういうような予想される欠陥は認めておりませんし、また起っておりませんので、ただいまのところはこの法案が一番よろしいと考えて皆様に通過の御協力をお願いしておる次第でございます。
  36. 辻原弘市

    辻原委員 さきにあなたが申されました、たとえば財政の問題でも、従来の送付権を完全に一元化してしまったようないき方が教育一般の善である、こういうふうにあなたは説明された、それを私は割り切って、あなたはそういうふうにお考えなさったのですかと申し上げたら、なかなか割り切れませんというお話であった、だからそのことは必ずしも最も良策であるとは言えない。これは先ほどあなたがそう答弁されたのであります。私は言葉じりなんかはとらまえませんが、そのことが私はあなたの真意であろうと伺ったわけです。だから申し上げた。そういうことが今考えられるような事態であるなら何で無理押しをされる必要があるのか、こういう意味のことを申し上げたのですが、そのことと今答弁されました、全然そういうことは予想しないんだという答弁とには若干の食い違いのあることは事実でございます。というのは、竹尾さんの頭の中を去来しておるものは、やはり一元と言いますけれども二言的なものがあるんじゃないか、その気持はしばしば申し上げるようによくわかります。従って竹尾政務次官の御信念という問題は、私はこれ以上深く問いただして参ろうとは思いません。しかしそのことが前提になって、今後総体的なこの法案の構成、背景、こういった点をお伺いをして参らないと、どうもわれわれにはなぜこういうものを作ったかという、そのいきさつが明瞭にわからないのであります。従いまして、はなはだくどいようでありましたけれども、一応竹尾さんのずっと今日まで委員会制度についてどういう心理的な変遷過程を通ってきたかということについて、ごく短時間お伺いしたにすぎないのであります。今後私はそのことをさらに前提にいたしまして御質問を続けたいと思います。  最後に、時間がないようでありますので一応午前の質問は私はこれで中止をしておきたいと思うのでありますが、先ほど私がいつどういうふうにしてお考えが変ったのか、こう申し上げましたならば、それは変っていないのだという答弁がありました。それともう一つは、今日改正をしなければならぬような欠陥が、この昭和二十三年に強硬にあれを設置したときには全然私はそういうことを考えていなかった、しかしやってみたならばそうした欠陥が生まれたんだ、だから私もそれに賛成したんだ、こういうように言われた。ところが私は先ほどそのことはおかしいじゃないかと申し上げておった。どういうことを申し上げたかといいますと、設置をしたのは二十七年の十月であります。ところがその後一年、二年と運用されてきた。その十六国会の当時にもあなたは依然としてこの制度はいいのだ、人事権についてもそういう支障は一向ここで認められなかった、同様坂田君もその点については全然認められなくて、多少無理があってもそのこと自体が善であり正しいのだという主張を繰り返し繰り返し貫かれた。だから私はおかしいのじゃないかというのです。そのときにやってみて気づいて、その直後に早くこれは改正しなければならぬということで、そういう主張を繰り広げられておるならば、今日のこの法案とのつながりが出てくるのでありますけれども、そうではなかったのです。自由党改正するまではそういう御意見の片鱗だにもわれわれは遺憾にしてつかむことができなかった。むしろそうじゃなしに、そうした意見に対する反対意見を強烈に展開されておったのが竹尾さんでありまた坂田さんであり、さらには当時の大達文政に通する文部事務当局であったわけです。このことは歴然としておる。緒方さんも悠然とすわっておられるが、あなたの側近もこれは全部その主張に突き貫かれておる。だから私はそれとこの法案との脈絡をどこでくっつけたらいいのかに苦しんでおるわけなんです。ぴったり継ぎ目がわからぬようにくっつくならば私はそういうことを質問いたしませんけれども、どう継いでみても、竹の折ったのを二つ合せるようですき間ができる。その間に何らかのモメントがあったに違いない。これは自民党の決定であろうか、鳩山内閣のにわかに変転した政策であろうか、また当時この教育委員会制度にあまり快よからず思っておった人たちのそういう一つの見解が非常に大きく動き出して、それに左右せられてその御意見に屈服したものであるのか、何かのモメントがなければならぬ、こう思いますけれども、今日までの時代においては私もそれが正しいと思います。大臣もおっしゃれば、政務次官もそれに賛同の言葉を送られる、これでは前後の脈絡関係というものはまことに不鮮明であります。そのことをもっと解明できるように十分御説明をなさるのが、やはりこの制度を作られた、この制度中心になって強硬に主張せられた竹尾政務次官の責任のあるお立場ではないか、かように私はそんたくを申し上げるがゆえに以上のようなことを申したのでございます。  さらに大臣その他の関係の質問は次の機会にいたしたいと思います。午前中の質問はこれで終ります。
  37. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 午前の会議はこの程度とし、午後一時五十分より再開いたします。  この際休憩いたします。     午後零時四十五分休憩      ————◇—————     午後二時五十九分開議
  38. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。関連して高津正道君。
  39. 高津正道

    ○高津委員 竹尾政務次官に対し辻原委員との質疑応答に関して、私から質問いたします。政務次官はただいま自分は教育委員会育成強化の主張を少しも変えているのではない、主張を変えたのはむしろ社会党の文教委員諸君であろう、すなわち社会党は初め市町村教育委員会の実施に対して反対をされ、今はその擁護に回っておるではないか、変っておるのは社会党であろう、こういうような御意見でございましたが、大体そういう意味であったと私は理解しておりますが、市町村教育委員会を置くに際しては十分考えるべきで、そんなに急いで誤まってはいかない、十分考えなければならないといって、それに私は反対をした。しかしいやしくも設置された以上は、三年半ぐらいの経験でそれを圧殺するような、ほとんど骨抜きにしてしまうような、そういうことをやるのはいかぬと今われわれが主張しているのでありまして、それはたとえていえば、そう子供を産んではいけないいけないと言っておっても、生まれた以上は、器量が悪いからといってそれをいじめるのも悪いし、乳を与えないのも悪いし、育てるのがいい、われわれの方は実に自然な考え方で進んでいるのであります。これに対してあなた方は用意もないのに産んで、その産んだものを育てないで、今になってあまり乳を与えない、そうして教育委員会の場合大事なのは、辻原委員が強く主張いたしましたように、教育予算の裏づけである財政権ということが非常に大事なのでありますが、それらをもいでしまって、乳を与えないというか、どういう意味になりますか知らぬが、生まれた子供を育てないで、生まれた子供に対して親の財産をちっとも渡さず、職業教育もせず、生むときだけ一生懸命になって、生まれた後はまるでいじめるような態度で、あなたの方こそ意見が変ったのであり、われわれの方は事態に応じて正しい歩み方をしておる。たとえの方ではよくおわかりになると思います。勝手に生んでおいて、生んだあと子供をそまつにする。われわれの方は、生むときは非常に慎重であって、生まれた以上はそれを大事に育てていこう、こういうのでありますから、無理は竹尾政務次官の方にあるように考えるのであります。御意見を承わりたいと存じます。
  40. 竹尾弌

    竹尾政府委員 ただいま高津委員のお尋ねの言葉に、地方教育委員会の性格を変えたのは社会党であって、自由党ではないんだ、こういうようなお言葉でございますが、私午前の委員会におきまして、社会党が意見を変えたというような表現は一つもいたしておりません。これは私どもの政党もそうであると同じように、高津さんの方の政党も自然な考え方によりまして、その自然に応じて乳も与える、こういうようなことでございますが、私どもといたしましても、まさにその通りでございまして、そのときどきの情勢に応じまして、変るべきところはやはり変えなくちゃならぬ、こういう考え方が午前中に御答弁申し上げましたところでございます。  そこで、予算の裏づけのないのにそれももぎ取ってしまった、こういうお言葉でございましたが、予算に関する相談は、これは地教委自体にそうした制度を設けておるのでございまして、勝手に市町村で予算を切り盛りするのではないということは、この法案の示す通りでございまして、決して予算の裏づけのない教育財政をやっておるということではないと思います。ただそうした事項を市町村側に与えたということは、これは国全体の文教政策でございますから、教育委員会でやらなければならぬということはないのでございまして、その必要に応じますれば、市町村でそれをやっても差しつかえないのでございまして、私どもは現下の教育の諸情勢にかんがみまして、そうした地教委の予算の裏づけ等々は、これは市町村でやらせた方がよろしい、こういう考え方からそうしたのでございますので、地教委の本質を根こそぎに破壊したというようには、私どもは絶対に考えておらないのでございます。以上御答弁申し上げます。
  41. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 関連して小牧次生君。
  42. 小牧次生

    ○小牧委員 先ほどの辻原委員の質問ないし高津委員の質問に関連してお尋ねいたしますが、もしこの法案を実施して、悪いところがあればまた考えてみる、こういうような政務次官の御答弁もあったように聞いておるのであります。私どもは、実施してみて悪いところがあればというよりも、すでに明らかに後退するであろうという予測のもとにいろいろ質問もし、また法案反対考え方を持っておるわけでありますが、とにかく教育内容、そういった問題は一応抜きにいたしましても、一番大きな問題として考えられるのは、何といってもやはり裏づけをなす教育財政、教育予算の問題であろうかと考えます。この点もいろいろ質問があったのでございますが、今でさえも原案送付権があっても、行政の首長に対しては非常に劣勢に立っておる教育委員会が、この法案通りますと、さきに通っております地方財政再建促進特別措置法、こういったものと相待ちまして、おそらく府県や市町村教育予算というものは、行政の首長の圧力のもとに、その予算額は明らかに減少していくであろうと私は断言してはばからないのであります。また国の予算も、こういったことを契機に、文部省が大蔵省に対してどのような努力をなさるかわかりませんが、これは縮小させられていくのではなかろうかということを非常に憂えておる一人であります。国の予算はとにかくとしましても、問題の地方公共団体教育に関する予算が、次第に年々減額させられていかざるを得ない。もしそうなりますと、六三制の育成その他広範な裏づけを必要とする教育行政の推進というものを、大きく阻止させられる、かように私は考えるのでございますが、竹尾政務次官は、絶対にそういうことはない、この法案が実施されても、将来そのような事態は決して起らないという確信をお持ちでございますか、はっきり御答弁をお願いいたしたいと思います。
  43. 竹尾弌

    竹尾政府委員 絶対にあるかないか、こういうようなお問いでございましたが、これは文教関係のみならず、諸般の関係におきましても、絶対にそういうことはないんだというような確言はできないと思っております。ただ一般的に見まして、これは抽象的なお答えでございますが、実施してみて、あればという表現は、そういうものが実際にあるかどうかということ予想して申し上げているのではないのでございまして、ただいまの現状におきましては、そういうことはおそらくないであろう、こういう工合に私ども考えております。  それから国の文教予算は、御承知のように給与の面その他におきましては、半額が国庫負担になっておるのでございますから、そういう点はとにかくはっきりしておるので、それを地方に流す場合に、地教委との関連におきましていろいろ問題が起って参っておる。私どもはこの法案にも掲げておりまする通りやはり相談するのでございます。これは決して市町村が独断でやるという意味ではないのでございまして、これは御承知通りでございます。そこで相談してやるのでございまして、そういうことは絶対にないのだとは申し上げ兼ねますけれども、できるだけそういうことのないように努力をいたしまして、まずまずこの程度でやった方が従来よりはよろしいであろうという考えのもとにこういう法案を提案した次第でございます。
  44. 小牧次生

    ○小牧委員 絶対にないとは断言できないというようなお話もございましたが、先ほど来申し上げます通り、いろいろこの問題について知事なり市町村長が賛成し、これを実施してもらいたいということは、何といっても教育を含めての一般行政また財政、あらゆる面に向ってこれを掌握しようという気持に基いておるものと私は考えるのでございますが、そういたしますと、町村長あるいは知事が新しい教育委員に諮問はいたしますけれども意見は聞きますけれども最後は任命権者でございますから、教育委員に対してははるかに優位に立っておる。最後の決定権を持つという立場を持っておる以上は、行政の首長の意思というものが決定していくことに相なるわけでございますので、従来の私の地方公共団体における体験から見ましても、必ず予算は後退せざるを得ない、これは火を見るよりも明らかであると信じております。しかし政務次官はそのようなことは断言はできないと言う。これはお互いに水かけ論になるかも存じませんが、かりに私の申し上げるような事態地方公共団体の側に出て参りまして、教育行政の推進が停滞するというような場合には、政務次官はどのような態度をおとりになるつもりでございますか、もう一度お伺いしておきたいと思います。
  45. 竹尾弌

    竹尾政府委員 こういう制度を新しく実施いたしますと、必ず予算の後退になるという御意見のようでございますが、再三申し上げます通り、その大ワクは国できめるのでございまして、それをいかに地方に流していくかというところに予算関係の面におきましても問題があるのでございます。これは御承知通りでございます。そこで知事や市町村長の任命によると、自分の都合のいい委員ばかりを任命するというような御心配でございましたが、これは小牧さんもみずから御経験のように、知事が自民党の委員だけを任命するというようなことも絶対にあり得ないし、また社会党の委員ばかりを任命するということも実際問題といたしましてはおそらくあり得ないことでございまして、そこにちょうど調和を保った委員会というものが任命制によっても構成ができるというふうに考えておるのでございます。そこでそういうことになりますればやはり話し合いによるのでございますから、こういう憂うべき事態が起った場合にはどうするかというお尋ねでございますが、そういう場合が起っても、とにかく予算の面については団体長と相談をするのだ、前もって話し合いをするというような法案になっておりますので、そういう点はできるだけ円満に解決ができるであろう、こういう工合に私は考えております。
  46. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 前田榮之助君。
  47. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 久方ぶりに文教委員に舞い戻りまして、ともども文教委員をいたしておった親しみのある竹尾政務次官に午前中の質疑の状態をお聞きいたしまして、私は非常に不可解に感じた点がありまするので、その点お尋ね申し上げてみたいと思うのであります。このことは竹尾君が竹尾議員としてやられたということを質問するのではない。一議員が一年、二年のうちに多少考え方を変えたからといって問題ではないと思います。辻原君に一種の反撃を加えたというような格好でおられますが、私はそういうことでなしに、今の鳩山内閣の性格についてお尋ねを申し上げるのであります。鳩山内閣の性格というものは、前の大達氏が文部大臣になった時代に、教育委員会制度考えられた当時と変っておらない考え方だと思うのです。町村教育委員会を存置すると強く主張された当時の文部大臣大連氏と、今日の鳩山内閣教育委員会制度を存置する、町村教育委員会を存置するという考え方については全く一致いたしておると思うのであります。その点は変っておらないのでありますが、本質的に内容が変っておるという点が私は問題だと思うのであります。すなわち公選制度廃止して指名制度にするとか、任命制度にするとかいうことになりますと、この教育委員会の問題というものは全く変質いたしておるのであります。ただ午前中答弁されたのは一竹尾議員としてでなしに、やはり政府を代表しての答弁だと私は思う。そういたしますると、前の大達文部大臣は、私の記憶するところによりますと、当時文教委員会の専門調査員であった横田君を、扇動したということはないと言われますが、横田君は盛んに全国の町村や各府県の教育委員会へ出向いて、専門調査員がなすべき仕事でない、なすのが逸脱した行為であるのにもかかわらず、それをあえて、町村教育委員会存置ということを教育委員の大会やそのほかで盛んに述べてきた、それを支持されたのが当時の文部大臣であり、当時の自由党のいわゆる文教関係委員諸君である、これが鳩山内閣教育の主流をなしておる、こういたしますると、おそらく当時単なる町村長を集めての大会ではなかったのであって、公選制に生命を持っておるところの教育委員のやったことは、この公選制を持続し、公選制による教育委員会制度の発展を目途として、またそれを考えながらやられたことなんです。それが変質されておるところに、午前中の辻原君の質問の要点があった。それは言葉の上ではどう感ぜられましたか知りませんが、私の聞いた午前中の話はその点なのであります。ただ教育委員会を存置するということは変っておらぬ、だからおれは変っておらぬ。それはそうなんですよ。たとえば植物と動物とは変っておるじゃないかと言われて、いや変っておらぬ、それはどちらも生物だ、こう言うのと同じことなんで、そんなことで国会議員をごまかそうというようなことはなさらぬ方がいいと思う。その点は意見は変りました、今の日本の国民の民度はまだ幼稚であって、一般公選によって国民から選ばれた者に教育をまかすに足らずと考えるようになったからだとなぜ言いなさらぬのか。私はそう思いますということを率直に言われることが、今の鳩山内閣教育制度に対する観点をはっきり示すことではないかと思う。この点に対するところの御答弁をお願いしたい。
  48. 竹尾弌

    竹尾政府委員 この点につきましては、むしろ私よりか、大臣に御答弁願った方がよろしいかと存じますが、私にお尋ねになった部分だけ申しますと、狭くなるかもしれませんが、私が答えてもよろしい程度の御答弁を申し上げたいと思います。今、前田委員の強く主張されているどころは、全体を含めて教育委員会公選制を任命制に切りかえたというところが本質的な変り方である、こういうような御議論でございましたが、私どもから考えますと、要はいかにしてよりりっぱな、より民主的な教育委員を選出するかということでございまして、それが選挙制によるのがよろしいか、あるいは任命制によるのがよろしいかというところに、問題の本質があろうかと存じます。そういうことになると、これは大臣もしばしば御答弁なられましたが、現状におきましては、二つの政党が相当政治的に対立をするのであろうという見通し等々を考えてみますと、少くとも教育の面におきましては、選挙で出てきました議員の同意によって、選挙で出てきた団体の長が任命するということが一番時宜に適し、これこそ教育民主化するベストの——一番最良とは申し上げませんが、よりよき方法である、こういう工合に考えて、ただいまのような法案提出した次第でございます。あとの鳩山内閣の文教政策云々ということにつきましては、大臣からお答え申し上げた方がよろしいと思いますので、御遠慮申し上げます。
  49. 前田榮之助

    ○前田(榮)委員 私はここで議論をしようとは考えておらない。教育委員会のよりよき発展によって、日本教育を発展さそうという御意見は、どろぼうにも三分の理屈があるように、だれもが言うことです。教育委員会制度廃止するということをかりに言った人があるなら、その人も教育をよくするために今の委員会をなくする方がいいといかなる場合でも言うのであって、そういうことをあなたに聞こうといたしておるのではないのであります。すなわちよりよき教育を行うために行われるということではなしに、教育委員会制度に対する方針が変ったじゃないかという午前中の質問に対して、変っておらないと繰り返し繰り返しおっしゃるから、それは変っておるのだ、私は大達文部大臣当時の教育委員会制度を存置するという考え方と、今日の清瀬文部大臣になってからの教育委員会制度存置の考え方とは本質的に変っているのだ、こういう点について変っておらぬと言われるから、変っておるじゃないかと言っておるのです。それがどっちがいいか悪いかということは別の機会に議論するのであって、それは聞いておるのじゃない。変っておることだけは間違いないのであって、大達文部大臣当時は、ただ単に町村教育委員会制度というものを置きさえすればいいというのでなしに、その当時の考え方は依然として公選制の今日の現状を——それは内容について教育長をどうするとかいろいろなことの点はその中に含まれてはおりませんけれども、その当時の大達文部大臣の進められた町村教育委員会制度というものは、公選制によるいわゆる全国の教育委員会の諸君を使ってやるのだという考え方であったことは間違いない、それを今度変えているじゃないかと言うと、それは変えておらぬのだと言われるから、私は本質的な質問は別の機会にするが、午前中の関連質問として、それはわれわれ文教委員をめくらのように考えて言われることじゃないかと私は聞いておるのです。もう少し率直にありのままに御答弁をなさった方がいいと思う。私はその点を要求するのである。
  50. 竹尾弌

    竹尾政府委員 こういう表現を用いるとおしかりになるかもしれませんが、私、言葉が足りないのでございますから、あらかじめおしかりにならぬように一つお願い申し上げます。物事にはどういうことでも本質と現象というものがございまして、これは社会党の皆さんが特に日ごろ述べられていることでございまして、現象形態というような面におきましては、なるほど選挙公選制を任命制に変えるとか、予算のやり繰りの方法を変えるとかあるいは人事権を持っていくとかいろいろありますけれども、しかし教育委員会それ自体の本質というものは大達元文相のときと一つも変っておらぬと私は思っております。ただその時々刻々の情勢に応じまして直すべきものは直していくということが私ども考え方でございまして、本質的には一つも変っておらない。現象形態だけは変りましたけれども、本質は変っておらぬ、こういうことだと私は考えております。
  51. 野原覺

    ○野原委員 関連ですから、簡単に質問したいと思います。今竹尾政務次官の御答弁の中にもございましたが、なおまた文部大臣が、今日まで私ども質疑に対して一貫して答えてきた非常に重要な内容をもった答弁事項があるわけであります。申し上げますと、こういうことです。教育委員会公選廃止して任命制にしたのは、今日の二大政党のもとでは、公選では公正なる人物を出すことができない、これが一貫した大臣答弁であり、ただいまも前田委員の質問に対して、政務次官が重ねてそのようなことを申されておるのであります。これは政府見解であろうと私は思う。そこでお尋ねをいたしますが、今日の国民は、それでは教育委員について公正なる人物を出す能力がないという意味でございますか。公選にしたならば、公正なる教育委員を選び出すことはできないのだ、任命制でなければ、公正なる人物は出せないのだ、こうおっしゃるならば、今日の日本国民というものは、教育委員公選をやった場合に、公正なる人物を出す能力がない、一体こういう確信をもって、そのようなことをおっしゃっておられるのかどうか、承わりたい。
  52. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私はいまだかつて、直接公選によれば公正なる人物を出すことあたわずと言うたことはございません。一ぺんもそう言ったことはございません。ただ私の言うたことは、政党の意識が国民全体に広がってくる情勢にあるから、選挙の結果は、あるいは五人を一党に独占したり、あるいは三人以上、過半数が一党に固まることがあり得る。各政党おのおのの立場から見れば、公正な人物でございます。しかしながら、政党組織でやる場合には 一つの政党に力が寄り過ぎることがあり得る。それが一党に偏せずということが中立の意味でございましたら、中立を害するおそれがあるというので、いまだかつて公選では悪い人が出るのだということは言ったことがございません。
  53. 野原覺

    ○野原委員 よう考えてあなたも御答弁なさって下さらないと困るので、ただいまあなた自身がお認めになっておる。公選をやると、特定の党派で固まる。教育委員会の構成が特定の党派で構成され、党派的に片寄った人で構成されるおそれがある。これまではお認めになりますか。一問一答でいきましょう。
  54. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私は党派に属しておる人を不公正な人とは観念しておりません。私も党派に属しております。あなたも属しておられます。しかしながら、人おのおの見るところがありまするが、公選によれば一つの党派に偏重するおそれはあり得るのです。五人ぐらいは同じ党派ばかりになることがあるのです。四人固まることもあります。そういうことがあり得るから、そこで二人だけは同党派でいいが、三人以上は同党派にならぬように構成をする、こういうことを言うのであります。私は党派に属しておる人が公正ならざる人とは思っておりません。私は自由民主党に属しておりまするけれども、自分では公正にやっておるつもりです。あなたは社会党に属しておられるけれども、これも公正なお方でございます。むろん所属は違いまするから、そこで政治上の識見もおのずから違うことがあるのです。そのことと、選挙自身が公正な人を選ばないということとは、区別ができそうなものだと思います。
  55. 野原覺

    ○野原委員 とんでもない詭弁です。それじゃお尋ねしますが、教育委員会公選によって、特定の党派に片寄った人ばかりが選び出されたということがあったと仮定いたしましょう。そういうこともあり得るわけです。そこでそういう場合になぜ悪いのか。国民が公選したのですよ。一つの党派に属する人々だけが選び出される、あなたのおっしゃる通りにそういう場合があったとしても、なぜ悪いのですか。あなたはそれを悪いと評価しておる。悪い理由をお聞かせ願いたい。私はわからぬのだ。
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教育基本法にも、学校の教育は特定の政党を支持したり、または反対するために、政治教育をしてならぬということがございます。また義務教育諸学校における政治的中立を保つ法律も、また学校教育法も、日本教育中立性を保とうと言っておるのです。中立性を保つためには、教育委員会が一党独占ではおもしろくなかろうと私は考えておるのです。公正のつもりでありましても、人はその立場によってやはり自分の所属党派に意識的に支配されるものでございます。教育委員会委員が全部私どもの党員であったら、あなた方児童の父兄も不快に感ずると思います。また私の孫も学校に行っておりますが、その教育委員会がことごとく社会党に占められると、やはり心配が起る。だから両方とも寄って仲よくやって下さるというならば、安心して子供を学校にやる、こういう意味なんです。
  57. 野原覺

    ○野原委員 教育基本法をあなたはお示しになって御答弁になりましたが、結局こういうことなんですね。一つの党派に偏重したらなぜ悪いかという質問に対して、それはやはり困る、それは教育基本法にも特定の党派に属してはいかぬ、教育中立という点から考えても問題がある、こういうことから見ると、一つの党派に偏重いたしますと、事学校教育行政に関しては公正を害するということになるのでしょう。どういうことなんですか。私はそういう意味で公正なる人物ということをさしたのです。あなたはそれはとんでもないとおっしゃいますけれども教育委員会が一方の特定の党派に片寄ったら、学校教育としてもどうしてもそれは公正を欠くおそれがある、こうあなたはただいまおっしゃたところを見ると、やはり公選というものは、事学校教育行政上に関しては、結果的に公正な人物ということに関して問題が出てくる。公正なる教育委員会という全体が一つの意思決定をするわけですから、個々人を私はさしておるのではない。その教育委員会という構成は公正な教育委員会とは言えない、こういうことになるのじゃないですか。どうですか、御所見を承わりたい。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのお問いを十分に私は了解する能力がないのを悲しみますが、党派に属しておるということは、その人が公正でないという意味ではございません。公正な人を選びますけれども、一つの党派の党員が多過ぎては中立性を害するということを言っておるのであります。ルーズヴェルトもアメリカの公正な人です。しかしあれはデモクラットです。アイゼンハワーも公正な人です。インテグリティを疑われたことはありません。しかし共和党の人です。党派に所属するということは、党派という文字も悪いですが、初めから偏向したというふうにお考えになると間違いであります。正直に私は自由民主主義をいいと考えております。あなたは社会主義をいいと考えておられる。これはあなたも公正な方です。しかしその人の人物が公正であるかいなかということと、政党に所属しておるということとは区別して考え得られることと思いますが、これはどうでございましょう。
  59. 野原覺

    ○野原委員 地方住民が選ぶのですよ。私は党派に所属したということで、その人の人物が公正かどうかを問題にするものじゃありません。党派に所属しておっても、公正なる人物は公正なる人物なんです。それは大臣のおっしゃる通りなんです。だから公選をしたらどうか。党派に属しておってもその人物の公正は疑うことができないのだから、公選をした方がいいじゃないか。つまらぬ間接的な任命制なんかをとること自体、それはその地方住民意思とはそぐわない、その首長の恣意的なものによって教育委員会が構成されるおそれが多分にあるのです。  私は関連ですからこの辺でおきますが、とにかく選挙というものを根本からもう一ぺん考え直して、出直してきていただかなければならぬと思うのです。あなた方の考えを押し詰めていけば、国会議員だって地方議員だって、ある特定の者の任命にしたらいい。はっきり言って……。憲法を改正して天皇陛下が、自由党と社会党の二大政党になったから、党員の数のバランスでも考えて任命するお考えですか。そういうことを考えているのじゃないですか。そこのところはよく一つお考えになって——私どもはなおこれは今後の質疑で問題にいたしますから、お考えになられんことを要望して、私は関連ですから、一応質問を終ります。
  60. 辻原弘市

    辻原委員 午前中の私の質問に若干問題が発展をいたしました。関連で時間がおくれましたので、引き続きまして、政務次官に対する具体的な問題はあと回しにして、私が最初に質問いたしました問題について、本論に戻して、大臣にお伺いをいたしたいと思います。  最初に私が申し上げた問題は、今度の法律案は、政府の説明によりますると、また大臣の御答弁によって伺いますると、従来の教育委員会の根本精神というものを継承いたしまして、その上に新しい、何といいますか進歩的な要素を取り入れたものであって、何ら本質的に変らないものである、こういう意味でありましたが、私はこの法案を読んで、その中ににじみ出ているこの新しい行政組織法律考え方というものには、何ら従来の委員会制度との本質的なつながりを見出すことができなかった、その点はいかがでございますかということを御質問いたしておいたのであります。  そこで少しく突っ込んでお伺いしたいのでありますが、今申しましたように、露骨に申しますと、先ほどあなたが御答弁になられましたように、いろいろ一部改正という形で検討を進めましたが、その検討の過程で非常に膨大になりましたので、これに別個の命題をつけて提出したのであって、法律が大部になったからというので、決して中身が変ったものではございませんという意味の強弁がありました。ところがそれはなかなかそのまま受け取りがたいのでありまして、だんだんと申していきますけれども、先ほど前田さんが非常に適切な表現をとられておりました。私もその例にならいまして、最初に私が申し上げたいことを申しておきたいと思います。  それは、竹尾さんもまた文部大臣も、中身は変らぬのだ、中身は全然変っていないのだ、見かけはあるいは変っているかもわからぬけれども……、こういう全く普通の常識人が認識する逆の御説明があったのであります。私たちとしては、中身が変っているじゃないか、あるいはへいくらいは残っているかもわからぬけれども、全く人が住めるような状態でなくなってしまった、こういうことを申しておるのであります。よその家にものを差し上げる場合に、ふろしきに重箱を包んで中にどっさりおもちを入れて差し上げた。ことろがいたずら小僧がおりまして、その中身のおもちをすっかり食ってしまつて、その中に石を投げ込んでおいた。見かけはその通りでありますけれども、中身が全く違うのであります。中身の価値はもうおもちと石では、食べるということにおいては、片一方は一〇〇といたしますと、片一方はゼロであります。何にも価値がないのであります。この法案と現行の教育委員会制度との関係を、例をとって申し上げてみますと、私はそのようなものではないか、こういう意味合いのことを言っておるのであります。その証拠が、まず大部の新しい地方教育行政立法として命題を変えて出されたこのことが、幾ら御説明になりましょうとも雄弁に物語っておるのではございませんかということを申し上げておるのであります。重ねてその点について大臣のもう少しわかりやすい御説明をいただきたいと思います。
  61. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ものの本質と属性というふうに分析して分けますが、地方公共団体町村長のほかに、主たる行政機関のほかに、また別に執行機関たる複数の独任制でない執行機関を設けて、その権限内のことは町村長の支配を受けず独立して教育を指導し、管理するということが、教育委員会の本質でございます。その任命の方法が直接選挙であろうと、それから間接に選任から出た人が選定することであろうと、これはいわば属性に属することでございます。その証拠には、英米で同じく教育委員会と称して同じことをやっておるのに、直接選挙を用いるシステムと、またほかから任命されるシステムとは二つ並立しておりまして、しかもどれも教育委員会、スクール・コミッティとか、エデュケーション・ボードとか、同じくいわれておるのです。すなわち属性に属するところは違います。あなたのおっしゃる重箱とふろしきは違いますけれども、中身のぼたもちは同じことなんです。(「名答」と呼ぶ者あり)
  62. 辻原弘市

    辻原委員 名答じゃなしに、私の言葉を逆にひっくり返しただけでありまして、違うのであります。もう少し申し上げますると、今の大臣の御議論をもっていたしますと、例を公選にあげられまして、独任制でない首長のほかに教育に対してのみの権限を持つ教育委員会というものを作って、それでやるんだから同じではないかと、こういうのです。しかし物事の本質というものはそういうところにないということは、大臣の御良識において私はおわかりいただけるだろうと思う。たとえば、またおそらくそうではないという力説があるかもわかりませんけれども、今公選の問題をあげられた、公選を任命に変えられたからといって、何ら本質は変らないんだというお話がありましたから申し上げますが、では巷間よく問題にされておる、たとえば知事あるいは市町村長、知事が一番手っとり早いと思いますが、知事の公選廃止して任命にする、権限は変りませんね。同じように地方行政を担当する権限は変りません。しかしそれを公選を廃して官選にした場合でも、それは属性ですか。本質的には変りませんか。変らないということならば、それでけっこうです。変りませんか。
  63. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのあなたの例はただいまでは適切じゃないのです。というのは、わが国の憲法で、公共団体の長は直接公選にしろという憲法九十三条があるのです。これを例にとってやれば、マッカーサー元帥がイニシアチブをとられた憲法に違反することになるのですよ。ですからはなはだ適切ではございません。ほかの例をもって一つ御質問願いたいのです。(「名答弁」と呼ぶ者あり)
  64. 辻原弘市

    辻原委員 いやいや、名答弁どころか、私はものの考え方を申し上げておる。あなた方は今憲法を改正されようとしておる。特に清瀬さんは、今はやめられましたけれども、憲法改正の担当大臣でもあられた。ですから私は今形式的に憲法に抵触するとか、そういうことでお答えを求めておるのじゃないのです。ものの考え方として——この委員会公選の問題だって憲法に抵触しないとはいえない、そういう状況にある。だから憲法に抵触するしないの問題はさておいて、ものの考え方としてどうですか。これは大先輩であります清瀬大臣から御指導を仰ぎたい。委員会の場合、公選ということを廃しても本質的には何ら変らないのだ、そういう公選廃止などということは、むしろ本質ではなくして、それは論理の属性に属する、言いかえてみればさまつな問題なんです。何にも変りませんよ。ふろしきと重箱が変ったくらいのことだ、こうあなたはおっしゃる。そうすると他にも、憲法には公選による知事ないしは市町村長、さらにその他公選による云々とありますから、公選ということは憲法の精神から考えますると、これを改めるということはすべて憲法の精神に違反するという考え方も出てくるのですけれども、あなたはそれを画然と、教育委員の場合にはかまわない、知事の場合には明確に差しつかえるのだ、こういうような解釈をとっておられますが、それは後日また論争の問題にいたします。ただ私が申し上げた、憲法抵触の問題はさておいて一つ御指導をいただきたい。どうですか。
  65. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そういう御丁重なお言葉をちょうだいして恐縮でありますけれども、現在の憲法においては長は公選ということで、公選ということを人工的ではありまするけれども本質に取り入れておるのです。で、私は憲法尊重論者でございます。今の憲法のもとにおいて議論すれば、知事、町村長の場合は公選ということが本質に入っております。ところが教育委員会の場合は本質に入っておらないのです。そこで例が適切じゃないのであります。
  66. 辻原弘市

    辻原委員 どうも大臣はときどき御職業柄のくせが出まして、われわれしろうとにはわからぬような議論をなさるので困ります。私たち大臣ほどの法律知識を持ち合せておりませんし、また私のみならず一般の国民の中には私よりもさらに法律のわからぬ人があるのであります。そこで平易に御説明を願いたい。片や公選、片一方も公選——ウエートは違うかもわかりません。しかしいずれもが公選である、それを土台にして構成せられておるわけであります。運営せられておるわけであります。片一方の場合はそれをやめたとてそれはさまつなものであると言い、片一方の場合にはこれは憲法に規定されて、本質的にその中に公選ということが食い入っているのだから、これは比較の対象にはならないという議論では、ちょっとわれわれにはわかりません。もう少しその点、かりに——私はかりにという前提を置いておるのです。その首長の公選がはずされましてもこれは属性である、本質的には変らない、とこうおっしゃるのでありますか、その点いま一度御答弁願いたい。
  67. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それはわれわれはあくまで日本の現行制度のもとで議論しませんと、歴史とか百科全書とか、あるいは語彙、すなわち字引きとかいう場合のことじゃ益はありませんから、現行制度のもとに論ずる場合には、明らかに憲法で長は公選となっておりますから、公選するということが長の観念のうちに入ってしまっているのです。だから本質の方になって、属性じゃありません。今の憲法のもとにおいてはふろしきじゃありませんです。しかしながら教育委員会選挙を本質のうちに入れておりません。すなわち学校の教育は、一般行政以外の執行機関でやるといったようなことが本質で、選挙するやいなやは、日本の憲法には本質的なものとして入れておりませんから、そこで私はこの区別をするのであって、例をおとりになるなら別の例でないというとあやまちを生じます。
  68. 辻原弘市

    辻原委員 あやまちを生ずるのではなくして、それにはお答えができないというふうに私は理解をいたします。まあ逃げられますので、その例は私の方でもこれ以上お尋ねいたしません。  しかし最後大臣の言われた言葉は、私は非常に重大であると思う。というのは、委員会制度の本質と御表現になりましたか、本性ですか、本性は、地方行政と別個に教育行政をやるということが唯一の本性であって、その他は属性であるという御説明が今あったように思います。これは間違いありませんか。
  69. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 少し間違いがあります。唯一のとは私は申しませんでした。
  70. 辻原弘市

    辻原委員 それではほかの本性があれば言って下さい。
  71. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 日本、英米同じ系統の法律教育委員会といっておるのは、一般執行機関とは別意の執行機関として——諮問機関じゃありませんよ。別意の執行機関として同じ公共団体にもう一つ機関がある。この機関は、主として学校に関する権限を持つこと、中立性を保つこと、その運営が民主的であること等が本質に属する部分であって、その選定方法は、アメリカでは州によって違っております。同じ州でも、日本の県に当るカウンティに属する場合と、一番下の町あるいは村、タウン、ヴィレジの場合と違っておるのでありますから、選定方法などは必ずしも教育委員会の本質的のものではない、かように申しておるのでございます。
  72. 辻原弘市

    辻原委員 重ねてお尋ねいたしましたところ同じ御答弁でありました。私は唯一のとは言わない。それではほかにあるかと申しましたら、別に目新しい本性というべき、そういう教育委員会の属性を御説明いただけませんでした。従って大臣考えておられた現行教育委員会制度の本質というものは、地方行政と別個に教育行政というものを存在せしめること、それから中立性という問題が付加されました。これも確かにその点はそうでありましょう。それが本性であって、公選という問題はこれは属性であるという御説明でありました。そこで、果してそういうことが現行の教育委員会制度を作ったときの趣旨であり、そういうことが国会において論議せられたときの趣旨であったかということをいま一度回想してみなければならぬと思います。これは大臣もよく御研究なさっておられると思いますが、昭和二十三年の六月十四日でありましたか、この法律衆議院提出された当時、政府が提案をいたしましたときに、これはそう長くもない提案理由であったように私も速記を見ましたが、その中にはただいま大臣の申されたような意味合いのことはございません。この間高津委員の質問にあなたが答えられまして、前任者なり、前にはどういうふうに考えておったかわかぬけれども、わしはそう思うのだというような御答弁がありましたけれども、しかし現行の制度というものは、当時立案をされ、その趣旨を述べられた提案理由の中に盛り込まれておるのであって、それを継承するのが正しいのである。得手勝手にだれもが主観に基いて解釈するということは大きな誤りであって、得手勝手に後日になってからそうではなかったのだということでは法律そのものの存在価値というものが薄れるではありませんか。法律はだれが解釈しようとも、立案の趣旨というものは明確に、かりに反対の立場であろうとも明確にしておくのが、法律法律たるゆえんである。それを勝手に後日解釈を変えられるなどということはもってのほかであります。そこでそれを読まれましたならばわかるように、明らかに、この教育委員会を制定するについては、直接住民意思を反映して直接住民に対して責任を持って行えるために公選制というものをとったんだ。このことが提案理由並びに質疑応答の中で明確になっておりますそうではないとおっしゃるのでありますか。
  73. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 当時のことを一々言葉をもって言うことは事に益なしと思います。この案を提出した政府——私の意見を今質問して下さるからこれに答えておるのです。しかしながら、その当時の国務大臣森戸君も私と同じような考えを持っておられるのです。こういうことを言うております。「最後に、教育の本質的使命と、従ってその運営の特殊性に鑑みまして、教育が不当な支配に服さぬためには、その行政機関も自主性を保つような制度的保障を必要とします。教育委員会は、原則として、都道府県、または市町村における独立の機関であり、知事または市町村長の下に属しないのでありまして、直接国民にのみ責任を負って行われるべき教育の使命を保障する制度」これが本質を言うておるのです。私が今本質だと言うたことを当時の国務大臣はよく言っておられます。しかしこのたびは選任方法一般公選制といたしますということが、その前段に書いてあるのです。すなわちこの案では公選制になっておるけれども、本質は私の言ったようなことだと森戸君は言っておるのです。
  74. 辻原弘市

    辻原委員 あなたが今末尾に提案理由として読まれたように、その提案理由の中に明瞭に出ておるように、しばしば繰り返されることでありますが、基本法にいう第十条の直接に住民に責任を負ってやるということと、それから前段にある不当な支配に屈しない、そのことを制度的に保障するて、一つの現われとして、これが公選制度と直接にということの解釈——私は時間がありませんので、当時の文部時報なんかひっくり返して出しませんけれども、それをあくまでも強弁されるならば、次の機会に文部時報をもって、当時辻田政府委員ないしは文部省の係官の方方が国会においてこの法律の立案の趣旨、内容を具体的に説明された中に、そういった意味合いのことがしばしば力説されておるのである、それを申して、この立案の精神というものは、制度的保障というものは、公選であっても任命であっても直接住民に対して責任を持つものだどいうような解釈に立っておりた、こういうふうに言う得るかどうか、そのことを一つ今御答弁を願いたいと思います。それから事務当局はどうか、その点について伺いたい。
  75. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この問題も前にすでに出ておる問題でございます。教育基本法の第十条には、国民全体に対して責任を負うとあります。国民全体に対して責任を負うことは、直接公選でなければならぬという意味じゃないと私は解しておるのです。何となれば、十条の一項は、「教育は、」というサブジェクトです、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って」教育をするのはだれかと言えば、おもに教員であります。間接に教育関係する者にはいろいろあります。けれども教員を含めてここで言うておるのに相違ないのです。しかるに教員に直接公選制をとった例は私はないのじゃないかと思う。教員はみな任命制です。任命される教員がやることが国民全体に対し直接に責任を負うというのでありますから、このサブジェクトと相応じて考えますと、全体に対し責任を負うということは公選せよという意味でないと思います。世界中に小学校、中学校の教員を直接公選するところがありますか。あれば教えていただきたい。しかのみならずこの規則は憲法第十五条の二項と同様の規則であります。公務員は国民に対し直接の責任を負うというのです。公務員のうちで直接公選でない人はたくさんあります。ここにおられる公務員がそうです。政府委員も公務員です。だけれども直接選挙じゃないので、直接国民に対し責任を負うという句は、直接選挙せよという句でないことは、法律的に実に火を見るよりも明らかだ、こう思っておるのです。
  76. 辻原弘市

    辻原委員 むちゃくちゃな議論もそこまでおやりなさると大したものです。私は同じような、大臣が例にお上げになっだ森戸さんの提案理由をこう聞いておるのです。しかしこの議論は、あくまでも白ではない、黒だと言うお方に、それは白だ、こう申し上げても並行線であります。しかしここには良識を持っておられる多数の同僚議員もおられますので、あえて申し上げておきたいと思いますが、今あなたが指摘された一つは、基本法の十条の前段は何も教育委員会とは書いてない。だからこれは教育について言っているのだ。しかし教員は現在公選制をとっていない。教育の中に教員も存在いたします、現場の教育実践もあります、また教育行政もあります。それらが両々相待って教育をかくのごとくしたいというのが、基本法の考え方であります。だからその中に、ここに教育と書いてあるから委員会が含まれないということは論理上あり得ないですよ。
  77. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 含まれないと言っているのではないのです。
  78. 辻原弘市

    辻原委員 そういうことを言っている、それに類似するようなことを言っておる。
  79. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 いや、言わぬ。
  80. 辻原弘市

    辻原委員 それはよろしい、近ごろはすぐ取り消されるくせがありますので、それはよろしいけれども、これは教育基本法の精神を、十条にうたわれていることをそのまま提案理由の中に抜いてこられて、そうしてかかる意味において教育委員会法を提案いたします——こう政府答弁しておると言っておるのであります。もう一回私は違った角度で読み上げてみますよ。「最後に、教育の本質的使命と、従ってその運営の特殊性に鑑みまして、教育が不当な支配に服さぬためには、その行政機関も自主性を保つような制度町保障を必要といたします。教育委員会は、原則として、都道府県、または市町村における独立の機関であり、知事または市町村長の下に属しないのでありまして、直接国民にのみ責任を負って行われるべき教育の使命を保障する制度を確立することにいたしました。」こう言ってあるのです。何も現場の先生を公選にしろということは言っていない。ここでは教育行政をどうあらしめるか、そのためにはかくかくの使命を持っているので、それを十分保障するに足る制度たらしめなければならぬと言っておる。先ほどあなたは基本法を読まれた際にも重要な一カ所を抜かしておる。あした私は速記録を見てみますが、あなたは十条をこう読まれておる。教育は、不当な支配に服することなく、国民に対して責任を持って行われなければならぬ、忘れたのか知ってか知らぬか知りませんけれども、最も重要な直接という言葉を抜かれた。ではお伺いしますが、直接責任を負うという、それを保障するに足る制度ということはどういうことでありますか。直接国民に対して責任を負って行われるべき教育行政の保障制度というものは、どういうような形のものをあなたは考えられるのですか。任命制ですとお答えになれば、そういうことでは私は聞きませんぞ。
  81. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのことについては、ここに教育基本法の委員会の速記録がありまするからそれでお答えいたします。  そのときに辻田政府委員の答えておるのは、「次の「国民全体に対し直接に責任を負って行わるべきものである」と申しますのは、さればとて、教育者が単なる独善に陥って、勝手なことをしていいということではないのでありまして、教育者自身が国民全体に対して直接に責任を負っておるという自覚のもとに、教育は実施されなければならぬということを徹底いたしますために、まず教育行政上において教育自体のあるべき姿をうたったわけであります。」これが当時のテキストでございます。私もさように考えております。
  82. 辻原弘市

    辻原委員 それは何もこの制度の中に公選とそれから直接国民に責任を負うということとの関連を否定する説明じゃないではございませんか。教員それ自体が直接責任を持ってやらなければならぬ、そういう自覚でやらなければならぬということを精神訓話的に述べられたにすぎません。直接国民に対して責任を負うという、われわれが考えられる最良の制度というものは、これは何ですかと私がお尋ねしたごとに対するお答えにはならぬじゃありませんか。われわれは少くともこの提案の趣旨からいきました場合に、自然に生まれてくることは、基本法で教育はとうたつて、こうしなければならぬという本質的な使命を書いてある、その本質的な使命を教育行政の上に具現するためにはこういう制度が必要なのだ、教育が直接国民に責任を持たなければならぬ、そのうちで教育行政として直接責任を持つような形にするための制度的保障というものが、公選ということであったとすなおに解釈している。何も私は曲げて解釈しておるのではありません。それをあなたはそうでなかったと強弁された。別にそうであったと言ったって、その法案の審議にはかまわないじゃありませんか。白を黒と言うからますます何が何だかわからなくなる、どれが正しいか、どれが間違いかわがらないようなお答えになって、われわれも判断に苦しむわけです。
  83. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 同じようなことを繰り返して失礼でございまするし、またこういう質問に私が受け答えをすることは、しまいには感情的になってはなはだ遺憾でございますけれども、お問いでありまするから答えざるを得ませんが、この第十条を一項と二項に分けてごらん下さい。二項の方は教育行政でありまするから、大かた委員会のことを主としていうておるのでありましょう。一項のサブジェクトは教育はということです。ですから教育委員会も含んでおります。町村長も含んでおるでありましょう。しかしおもな部分教育はこうして行われねばならぬというのだから、やはり教員が頭に置かれておるに相違ないのです。さればこの私の読みました当時の速記録にも、教育者自身が国民全体に対して直接に責任を負う自覚のもとに実施されねばならぬ、独善であってはならぬというので、この「教育は」のうちには、多分に教員さんも含んでおるということは見得られるのです。その教員さんを含む教育者は、国民全体に対して責任を負えといっておると。ところが多分に含んでおる教員さんは実は公選じゃないのです。公選してはならぬとは書いておりませんけれども、世界中の情勢から見て教員を公選することは少いのであります。だからしてこの教育基本法のごとき総般的な広い基礎を持った法律では、直接に責任を持つということから逆算して、すべて選挙にせいということは含んでおらぬだろうと私は解釈しておるのでございます。
  84. 山本勝市

    山本(勝)委員 関連して。ちょっと今大臣答弁並びに社会党の諸君の質問を承わっておって、私はこういうふうな点に食い違いがあるのではないかと思って大臣に確かめてみたいと思うのです。社会党の諸君が熱心に質問されるのは、教育委員会の本質というものの中に、教育委員の成立する過程というものを非常に重視しておる、つまりそれが直接公選であるということが本質的に大切な点だというふうに考えられるから、非常に熱心に主張しておられるのだろうと思うのです。しかし大臣の方では、教育委員会そのものの本質というものは、その教育委員の任命の形式というふうなものに本質を置いておられない。ここに大体の質問応答ではっきりしたのではないかと思うのであります。私が承わっておってこういうふうに思うのですが、いかがでしょうか。生成過程というものに非常な重点を置いて、生成過程が変れば本質が違ってくる、こう見るか、あるいは生成過程は違っておっても、でき上ったものの本質は同じ場合がある、こういうふうに考えるか。たとえて申しますと、結婚の場合に、私前からよく考えるのです。結婚生活、家庭生活というものが、本人同士の恋愛結婚によってできた家庭と、そうではなしに、見合い結婚によってできた家庭、あるいは一方が一方をただ夫が選んだ、細君の方は別に恋愛でないけれども、求められてお嫁に行って、そうして結婚しておる間に子供もできて、いろいろ愛情があとで出てくるわけです。しかし結婚生活の前に愛情があって結ばれたものでなければ、もう家庭の本質は違ってしまうのだというふうに考えるか考えないかということを、私は長年問題にしてきたのです。政党の総裁でも、この間五日にわれわれは公選ということをいたしましたが、しかし公選で選ばれた総裁と、そうでなしに推薦で選ばれた総裁、あるいは初めから、創立当時からもう総裁として党員を募集されたような場合と、政党における総裁が本質的に違うかどうか。社会党の委員長公選というわけではなかったようでありますが、ここに見方の違いがあるのではないか。憲法などは私は特に生成過程というものは非常に重大だと思う。生成過程というものは非常に重大だと思いますが、むしろ社会党の諸君の方は生成過程よりも内容が問題だ。私は生成過程は重大だと思うが、でき上ってしまいますと、憲法そのものの本質はむしろ生成過程が重大であっても、そこに本質はないという考え方も立ち得るのじゃないか。そういうふうに思うのですが、大臣との質疑応答を聞いておって、委員の選任方法を非常に重大視すれば社会党のような考えになるのも無理はない。そうではなくて、それは意味はあるにしても、委員会そのものの本質には関係がない。こういうふうに見られるじゃないかと思うが、大臣の御所感を承わりたいと思う。
  85. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今、山本さんのおっしゃることは非常に適切な比喩で、物の本質をよくほんとうに道破されており、敬意を表します。結婚生活は同じだけれども、夫婦の恋愛で両性が同意した場合も家庭を作れますし、お父さんが選定してあの嫁をとれとおっしゃってとった嫁とでも夫婦生活はできる。全く他人が強制してはいけません。お父さんは子供を愛するがゆえであります。本件の場合も任命制とおっしゃるけれども、やはり選挙しでできた町村長選挙してできた町村会議員、それが同意してこしらえるのですから、お父さんが選んでくれた嫁さんみたいなものです。直接公選であったら恋愛結婚——比喩ですから幾らか違いますけれども、あなたは大へん適切なことをお示し下さいました。全く同じであります。
  86. 野原覺

    ○野原委員 関連して。山本さんの比喩はまことに適切なものであるというお言葉でございますが、大臣法律学者でもございますが、私どもが物事の真実を判断する場合に比喩というたとえば、必ずしも物事の真実を現わすものでないことは法律学上の常識であります。だからそれが適切であろうとあるまいと、私どもはそういう比喩でこの問題を考えたくない。私は端的にお尋ねをいたしますが、同僚辻原君がるる公選制について質問をいたしておるわけでございますけれども、私は端的に次のことをお聞きしたいのです。教育行政というものはその地方住民意思によって行われなければならぬ。こういうお考え教育委員会制度をお残しになられたものと思いますが、いかがでございますか。
  87. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 全くその通りでございます。
  88. 野原覺

    ○野原委員 そこでこの総括質問の初日でございましたか、河野正君が、教育委員会法の第一条には、今回の地方教育行政組織並びに運営については書かれてないじゃないか、こういう質問をしたのに対して、大臣はそのことは教育基本法第十条にもあるし、特段にそれを述べる必要はない、従って現在の教育委員会法の第一条というものはその精神考えて立案をされたものだとお述べになられましたが、御確認になりますか。その点はどうですか。
  89. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 確認いたします。
  90. 野原覺

    ○野原委員 そういたしますと、教育行政地方住民意思で行われなければならぬという、その地方住民意思というものは公正なる民意——地方の実情に即した教育行政を行うため公正なる民意によって、その機関が作られるというのが現在の教育委員会法の第一条であります。このことをあなたは確認されておられる以上、地方住民意思というものは何といっても選挙に訴える以外に私ども正確なる判断をすることはできないと思う。ある特定の町村長がこの者という候補者をあげてその町村議会の承認を得て教育委員が決定される、その場合に、地方議会は公選議会であるから地方住民意思とあなたは決してこれが矛盾するものでない、こういう御説明を再三されておりますけれども、しかし矛盾する場合もあり得るわけです。一ぺん選挙をやらしてみなさい。どういう結果になるか。そういうところに疑問がありますから、教育委員会法の第一廉を確認されて、この精神の上で地方教育行政組織運営していこうという場合には、当然公正なる民意——公正なる民意とは公選に訴える以外にないじゃございませんか。それを一体どう御答弁になりますか。それが最も地方住民意思の最終的な判断とお考えになりませんか。
  91. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 ここに書いてあります通り、「公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、」——地方の実情に即した教育行政を行うためには直接選挙も一つの方法です。それからまた直接選挙で出た人人が相談してきめるのもまた一つであります。実状に即するということを翫味してみますと、現代の社会を見れば、あとの方がいいのじゃないかとわれわれは判断をしておるのであります。
  92. 野原覺

    ○野原委員 辻原君の質問があるからもうこれで終りますが、現状大臣承知のように、わが国の地方議会というものは保守党が絶対的に圧倒的に中央国会以上に強いわけです。多数なんです。首長が候補者をあげて、その地方議会の承認を得るわけでございますが、地方議会の構成というものは、今日保守党である自由民主党が多数を占めておる。そういうことになりますと、地方議会の承認を求めるということは、自由民主党にとって都合のよい教育委員さんをたくさん出すことができるということです。これは私、皮内で言っておるわけじゃない、現実その通りであります。だから私はここで申し上げたいことは、公選にしたらこわいのでしょう。いかがですか。教育行政にあなた方に御都合の悪い人間が出てきて困るのじゃないか、公選にしたらこわいならこわいと正直に申したらどうです。私はこれを認可制にしたのは明らかに党利党略的な考え方だと思う。(「ノーノー」)ノーじゃない。とんでもない。公選にしたらこわいならこわいとなぜ言わぬ。国民はこれを指摘している。この点をいま一度十分再検討されんことを望みます。
  93. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私は今保守党の教育委員が大部分であるかどうかはここで断言はいたしませんけれども、直接公選をこわいとは思っておりません。どの選挙をやりましても、ただいまの状態においては、投票の数は私の方が多いのです。しかしながらこの気勢に乗じて教育委員会を保守党で独占いたしますことは忌むべきことだと思っております。独占しようと思えばできぬこともないでございましょうけれども教育は大切でありますから、それよりも、独占の力はあっても、教育委員会によって二人以上は取らないように抑制してやって、あなたの方からも出てもらい、中立の方も出、そして教育委員会の中正を保つというのであって、教育委員選挙をやったらいつでも負けるからこわいというような、そんな卑怯な考えは一つも持っておりません。
  94. 野原覺

    ○野原委員 そういう答弁をするなら、私はもう一ぺん立ちますが、地方議会は教育委員を罷免することもできるのです。今度の場合は地方議会が承認をした教育委員でございますから、その地方議会の意にそぐわない教育委員が出て、その言動がどうしても多数を占めているその地方議会の人々の意にそぐわない場合には、これを罷免することもできるわけです。そうなると、選ばれた教育委員というものはまことに戦々兢々として教育のために十分なる活動をすることができなくなる。もっとはっきり言えば、今度の任命制の教育委員というものは、その地方議会の多数を占める党派のテープ・レコーダーになる。何といっても、教育委員会を特別に置く必要はないのですよ、こういう考えでいけば……。そこまで徹底しなければ、あなたの言うことは矛盾なんだ。そういうことになるのだから、よく考えてみて下さい。多数を占めておるところの地方議会が、あいつはけしからぬ、やめさせようじゃないかと、いつでもやめさせられる。そうなれば、その多数によって、少数派から出ておるところの教育委員というものの言動は制約されます。ほんとうに教育のために本来の事務管理をしようという教育委員が、その職責を遂行することができない。ここに本質的な問題があるのです。よろしゅうございますか。いかがですか、これはもう一ぺんあなたのこの点の所見を承わりたい。
  95. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今のお話のうちの質問のポイントをちょっと取りかねましたけれども、前に申しました通り、私の方は教育委員を直接選挙にしたらどうでも負けるだろうなんという卑怯な考えでこの案を出したのじゃございません。教育がとうといから、中立がとうといからこれを出したのでございます。こんなことを言ったら、ちょっと自慢のようですけれども、今の民主自由党考えでは、どの村へ行っても勝つ自信があります。けれどもその勝ちおうせた結果はどうなるかというと、社会党的気分を持っておられる父兄は、いやな感じをされるだろうと思うのです。やはりこれは中正な方がよろしい。罷免のことは自由自在に罷免ができるとおっしゃたけれども、そうじゃございません。これはいずれ逐条のどきやりまするが、第七条には、委員が心身の故障のために——病気になるか気違いになるか、「職務の遂行に堪えないと認める場合又は職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合」、こういう場合にするのであって、それなきにやりましたら、これは行政訴訟も起るのであります。そんなむやみな、その権能を用いて、きらいな委員をすぐにやめさすなんという乱暴なことは決して考えておりません。公平無私、中正、ただ教育にのみ奉仕しようということが、この本案の趣意でございます。
  96. 野原覺

    ○野原委員 重要だ、大臣。どの村へ行っても、あなたの党は勝つ自信があると言ったのだが、これは大へんな失言じゃないか。どの村に行っても勝つ自信があると言ったが、きのう、おととい開票になった鳥取県の参議院議員の開票の結果は、負けたのですよ。選挙で負けている。現実にどの村に行っても勝っておりますか。私は社会党でありますが、ここに代議士に出て来ておる。あたなの党派の諸君は落選してしまった。私の選挙区からは自由民主党はかろうじて一人、革新派が三名出て来ておる。負けておるのですよ。そういう暴言は、一つお慎しみ願いたい。私はただいまの文部大臣の失言の取り消しを要求する。応ずるか応じなりいか。失言の取り消しを要求する。
  97. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そういうふうに聞えましたら、これは取り消します。
  98. 野原覺

    ○野原委員 これはとんでもない。こういうような暴言をあなたが吐かれるなら、私どもは審議はできないですよ。そういうふうに聞えたらとはどうういわけです。そういうふうに聞えたらじゃない、そういうふうにあなたは言ったんだ。だからあなたは率直にただいまのことは言い過ぎだったとお取り消しになるかどうか。そういうふうに聞えたらというような、人をばかにしたような言葉はやめてもらいたい。
  99. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのおっしゃる通り、ただいまのとこは言い過ぎでございまするから、率直に全部取り消します。
  100. 野原覺

    ○野原委員 取り消しましたので、それ以上のことは申し上げませんが、しばしばの委員会において取り消されるのは御勝手ではございますけれども、しかし事実は厳然として残るわけであります。従来とかく選挙等についで少し政党意識を大臣として発揮し過ぎておるうらみがありますから、これは私も今後そういうことを文教委員会において発言なさることを慎しんでいただくように、一つ警告を申し上げておきます。要らざる不測の事態は、しばしは大臣答弁から起ります。  そこで今公選の問題で、野原委員関連質問に対して、あくまでもあなたは自画自賛なさっておるのであります。任命というのがまことに中正であって、最も民意を反映するものであって、これにまさる何ものもないと、実に自画自賛をなさっておられるのでありますか、私はこの問題については本日よりもむしろ他日もう少し掘り下げて大臣と応酬検討いたした方がよろしかろうと思いまするので、深くは触れません。  そこで先ほどの私の質問に引き戻して申し上げておきたいのでありますが、山本委員が結婚の例を出されておりました。この比喩はまことに適切であるという表現をとられたのでありますが、まことに山本先生には私は申しわけないのでありますけれども、決して私はその比喩が適切であるとは考えません。人間性に基いた、人間同士の信頼感によって結ばれる結婚の問題と、集団生活をする社会の中において、これをよりよく持っていこうとする制度の問題とは、私は本質的に違いがあるのではないかという点から、その比喩が似ているようだけれども非なるものであると言わざるを得ません。従ってそのことをまことにりっぱな比喩であると申された大臣の御見解を、いささか私は伺いたくなるのでございます。そういうことの議論を私はするつもりはありませんけれども、もしかりにその議論を肯定なさって、どんどんそういうようなものの考え方、論理の発展の仕方でいきまするならば、世の中における制度というものの成り立ちは何にも要らぬ。どういうことでやってもよろしい。極言すれば、別に参議院公選でやらぬでいいじゃないか。昔は勅選であったのだから、勅選だって一向差しつかえないじゃないか。出てしまえば議員バッジには変りないのだから……。それをさらに発展させれば、衆議院だってそうじゃないか。何もむずかしい選挙というようなことであくせくして出てこなくても、だれかが任命すればいいではないか。総理大臣か何かを一人選挙して、そしてそれから任命されれば、同じようにバッジをつけさせれば変りないのだから、別に大した相違はないじゃないか。極言すればそういうことに私はなっていくと思うのであります。しかし制度というものはそういうものでないところに、われわれがけんけんがくがく知能をしぼつて、将来よりよいものを作らんがために、その成り立ちというものを十分吟味して、そしていかなる成り立ちにおいてこれができ上ったものかということを、それに関与し、それにあずかるもの、またそれの影響を受けるもの、すべてに周知徹底させて運用しようというのが、これが制度であります。なかんずく教育などというものは、これはいわば物質に対する精神的方面をあずかるもので、いわく言いがたしという言葉がありますが、とらまえてみようとしましても、なかなかこれはとらまえがたいものである。ですからあくまでも理詰めに、あくまでもそういうような理論的な筋を通して、教育というものが行われなければならぬし、また存在しなければならぬのであります。そういった意味合いにおいて、私はこの教育委員会制度というものが作られた趣意は、直接住民意思を反映さすために、率直に公選という制度をとられたのだ。このことは疑うべくもない事実であるのであります。私が例にとりました基本法十条の問題を、大臣は前段を二項、一項、二項を読みかえられました。一項には教育とあり、二項には教育行政とあるから、前者には教育行政のことを言っておるのではなかろう。二項がそうだ。私は二項についてもいろいろお伺いしたい点がありますが、そういう分け方をこの法律はしておるのではないと思います。教育という言葉によって、先ほど申しました教育実践も教育行政も含んでおるが、なかんずく第二項においては特に教育行政についてさらにその方向を示されておる。こういう立案の趣意であろうと私は思う。そういうことを今あなたが得手勝手に分析されることは、はなはだもって迷惑でございます。しかし一歩譲りまして、そのことを問題にしなくとも、今さっき野原委員指摘をいたしました現行法の第一条の精神というものは、明らかにこのことを受け継いできておるのであります。これは先般大臣も当委員会においてお認めになりました。基本法の第十条に書かれておるから委員会法には要らぬのだ、しかしその精神は十分受け継いでおります、こう申された。これは速記録に残っております。そういたしますると、野原委員指摘いたしましたように、この教育委員会法の目的というものはあなた方の論法をもって言わしむれば、厳然として存在しておるのであります、それは確認いたしますと今も申しました。その読み方に——私はいささか先ほどの御説明がおかしかったので、いま一度わ尋ねをいたしたいのであります。あなたはこの第一条を、地方の実情に即した教育行政を行うために教育委員会を設けたのだ、確かにそれは書いております。だからそれは必ずしも公選ということではなしに、地方の実情に即して、実情が任命がいいということであれば任命でやってもいい、こういう御説明であったように思う。しかしその前に書いてある公正な民意により、さらにさかのぼっていきますると、基本法の直接に責任を負って行われるべきであるという、そういった自覚のもとに公正な民意によって委員会というものを設ける、文法から申しましても、その間にはさまっている地方の実情というのは、その次に位する制約条件であると私は思う。だからここの根本的な考え方は、公正な民意によりということが中心であります。それをいかに解釈するかということが、これが議論の分れ目である。しかしあなたはそうお取りにならないので、地方の実情ということを書いてあるから任命制でも差しつかえない、任命制の方がいい、こういうふうに御解明になったのであります。その点でいささか私と見解を異にいたします。いかがでありますか、公正な民意によって教育委員会を作らなけれなばらぬ。ということは、自然に委員というものは公正な民意によって生まれた公選委員というものを、ここにこの法律は待望しているのであります、期待しているのであります。それをしも否定されますかどうか、伺っておきたいと思います。
  101. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この案のように直接選挙によってできました長が直接選挙によって選ばれた議会の同意を得て参員を任命するということは、やはり公正な民意によって、地方の実情により教育委員会運営するということにはちっとも差しつかえない、その方が一そう公正なる民意を発揮するゆえんなりとして、この案はできておるのであります。
  102. 辻原弘市

    辻原委員 大臣は少し私の質問を先走ってお取りなすっていらっしゃるのじゃないかと思います。今大臣が提案された趣意、その理由を伺っているのではありませんよ。純粋に現行の教育委員会制度が作られ、しかもこの法律に書かれておる条文に照らして一体どうかと承わっている。個々の条文にうたわれておる公正な民意というものはすなわち現行の公選ということではおりませんか、こうお尋ねしている。いま一度御答弁願いたい。
  103. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 現行の教育委員会法第一条には、必ずしも公選のみという意味は入っておらぬと思います。公選も一つ、また今回のような法案も一つであります。
  104. 辻原弘市

    辻原委員 それでは現行の委員会制度の中で公選をとっておる趣意というものは、どういう考え方からとられたとあなたは理解されておりますか。
  105. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この法案を作る時令には公選がいいと立案者も考え、またこの国会もさように考えて可決したものと思います。しかしながらその後の情勢によって、やはり今回の方がよろしいとわれわれは考えた。法律というものは一たんこしらえたら万世不易というわけにいきません。そのときの要求によって生々発展、一歩々々先へ進むのが法律であります。前にこしらみたときにこう書いたからといって、それを守るというのは琴じにウルシするというものであります。
  106. 辻原弘市

    辻原委員 やはり先走って御答弁になっておられます。そうじゃなしに公選というものを採用した、そのことの意味合いは、この法律の公正な民意あるいは直接選挙をもって行うという、この趣旨から生まれたということはまぎれもない事実だということを先ほどから私は指摘しているのであります。そうでなかったというならば——私はそれ以上追及はいたしません。最後にこれを確認しておきたいと思います。
  107. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この法律の立案者、またこれに賛成された方は公選が当時いいとお考えになったろうと思います。
  108. 辻原弘市

    辻原委員 その当時作られた人は公選がいいと考えた、それではこれは答弁にならないのでありまして、この法律を作ったときに公選という制度をその中にとり入れた、第一条の目的に従って、公選というものが完全に結びついて生まれておるのであります。だから法律ができて、しかる後に制度はこの考え方から、それぞれの条項からどうしたらいいかというふうに後日制度というものが作られるものじゃなしに、法律によって制度というものが定まったのであります。すでにそのときにこの第一条の直接選挙を持つということ、この考え方公選であるという趣旨を明確にして制定されたものであります。そうなんです。これは大臣、それをもなお違う、ただその場合に任命もあり、公選もあったが、公選の方が少しいいというので作ったんだ、こういう程度にしかあなたはお考えになっていないのでありますか。
  109. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の少しという言葉はちょっと余分でありまするが、当時の立案者はこの第一条の目的を達し、また四条の権限を行い、その他当時考えられた教育委員会の目的のためには、直接公選がいいと当時はお考えになったに相違なかろうと思います。
  110. 辻原弘市

    辻原委員 これは大臣のお考え方は当時の立案の趣旨を故意に曲げて答弁をせられておるように思いますし、これ以上申し上げても、そういうようなお考えの方を相手にしてわれわれは論議もむだであります。しかし公選がいいか任命制が果してどういう結果を招くかの具体的な問題は、本日は時間がありませんので私は次会に一つ、今までの大臣の御答弁を素材にいたしまして、この点については相当論議を重ねたいと思います。きょうは時間も非常に経過をいたしましたので、残余の質問を留保いたしまして私の質問を終ります。
  111. 佐藤觀次郎

    ○佐藤委員長 本日の質疑はこの程度といたします。明日は午前十時より文教委員公聴会を開催いたしますので、定刻に全員御出席を願います。  これにて散会いたします。     午後四時五十分散会