○野原
委員 取り消しましたので、それ以上のことは申し上げませんが、しばしばの
委員会において取り消されるのは御勝手ではございますけれ
ども、しかし事実は厳然として残るわけであります。従来とかく
選挙等についで少し政党意識を
大臣として発揮し過ぎておるうらみがありますから、これは私も今後そういうことを
文教委員会において発言なさることを慎しんでいただくように、一つ警告を申し上げておきます。要らざる不測の
事態は、しばしは
大臣の
答弁から起ります。
そこで今
公選の問題で、野原
委員の
関連質問に対して、あくまでもあなたは自画自賛なさっておるのであります。任命というのがまことに中正であって、最も民意を反映するものであって、これにまさる何ものもないと、実に自画自賛をなさっておられるのでありますか、私はこの問題については本日よりもむしろ他日もう少し掘り下げて
大臣と応酬
検討いたした方がよろしかろうと思いまするので、深くは触れません。
そこで先ほどの私の質問に引き戻して申し上げておきたいのでありますが、
山本委員が結婚の例を出されておりました。この比喩はまことに適切であるという
表現をとられたのでありますが、まことに
山本先生には私は申しわけないのでありますけれ
ども、決して私はその比喩が適切であるとは
考えません。人間性に基いた、人間同士の信頼感によって結ばれる結婚の問題と、集団生活をする社会の中において、これをよりよく持っていこうとする
制度の問題とは、私は本質的に違いがあるのではないかという点から、その比喩が似ているようだけれ
ども非なるものであると言わざるを得ません。従ってそのことをまことにりっぱな比喩であると申された
大臣の御
見解を、いささか私は伺いたくなるのでございます。そういうことの議論を私はするつもりはありませんけれ
ども、もしかりにその議論を肯定なさって、どんどんそういうようなものの
考え方、論理の発展の仕方でいきまするならば、世の中における
制度というものの成り立ちは何にも要らぬ。どういうことでやってもよろしい。極言すれば、別に
参議院も
公選でやらぬでいいじゃないか。昔は勅選であったのだから、勅選だって一向差しつかえないじゃないか。出てしまえば議員バッジには変りないのだから……。それをさらに発展させれば、
衆議院だってそうじゃないか。何もむずかしい
選挙というようなことであくせくして出てこなくても、だれかが任命すればいいではないか。総理
大臣か何かを一人
選挙して、そしてそれから任命されれば、同じようにバッジをつけさせれば変りないのだから、別に大した相違はないじゃないか。極言すればそういうことに私はなっていくと思うのであります。しかし
制度というものはそういうものでないところに、われわれがけんけんがくがく知能をしぼ
つて、将来よりよいものを作らんがために、その成り立ちというものを十分吟味して、そしていかなる成り立ちにおいてこれができ上ったものかということを、それに関与し、それにあずかるもの、またそれの影響を受けるもの、すべてに周知徹底させて
運用しようというのが、これが
制度であります。なかんずく
教育などというものは、これはいわば物質に対する
精神的方面をあずかるもので、いわく言いがたしという
言葉がありますが、とらまえてみようとしましても、なかなかこれはとらまえがたいものである。ですからあくまでも理詰めに、あくまでもそういうような理論的な筋を通して、
教育というものが行われなければならぬし、また存在しなければならぬのであります。そういった意味合いにおいて、私はこの
教育委員会制度というものが作られた
趣意は、直接
住民の
意思を反映さすために、率直に
公選という
制度をとられたのだ。このことは疑うべくもない事実であるのであります。私が例にとりました基本法十条の問題を、
大臣は前段を二項、一項、二項を読みかえられました。一項には
教育とあり、二項には
教育行政とあるから、前者には
教育行政のことを言っておるのではなかろう。二項がそうだ。私は二項についてもいろいろお伺いしたい点がありますが、そういう分け方をこの
法律はしておるのではないと思います。
教育という
言葉によって、先ほど申しました
教育実践も
教育行政も含んでおるが、なかんずく第二項においては特に
教育行政についてさらにその方向を示されておる。こういう立案の
趣意であろうと私は思う。そういうことを今あなたが得手勝手に分析されることは、はなはだもって迷惑でございます。しかし一歩譲りまして、そのことを問題にしなくとも、今さっき野原
委員が
指摘をいたしました現行法の第一条の
精神というものは、明らかにこのことを受け継いできておるのであります。これは先般
大臣も当
委員会においてお認めになりました。基本法の第十条に書かれておるから
委員会法には要らぬのだ、しかしその
精神は十分受け継いでおります、こう申された。これは速記録に残っております。そういたしますると、野原
委員も
指摘いたしましたように、この
教育委員会法の目的というものはあなた方の論法をもって言わしむれば、厳然として存在しておるのであります、それは確認いたしますと今も申しました。その読み方に——私はいささか先ほどの御説明がおかしかったので、いま一度わ尋ねをいたしたいのであります。あなたはこの第一条を、
地方の実情に即した
教育行政を行うために
教育委員会を設けたのだ、確かにそれは書いております。だからそれは必ずしも
公選ということではなしに、
地方の実情に即して、実情が任命がいいということであれば任命でやってもいい、こういう御説明であったように思う。しかしその前に書いてある公正な民意により、さらにさかのぼっていきますると、基本法の直接に責任を負って行われるべきであるという、そういった自覚のもとに公正な民意によって
委員会というものを設ける、文法から申しましても、その間にはさまっている
地方の実情というのは、その次に位する制約条件であると私は思う。だからここの根本的な
考え方は、公正な民意によりということが
中心であります。それをいかに解釈するかということが、これが議論の分れ目である。しかしあなたはそうお取りにならないので、
地方の実情ということを書いてあるから任命制でも差しつかえない、任命制の方がいい、こういうふうに御
解明になったのであります。その点でいささか私と
見解を異にいたします。いかがでありますか、公正な民意によって
教育委員会を作らなけれなばらぬ。ということは、自然に
委員というものは公正な民意によって生まれた
公選委員というものを、ここにこの
法律は待望しているのであります、期待しているのであります。それをしも否定されますかどうか、伺っておきたいと思います。