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1956-04-03 第24回国会 衆議院 文教委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年四月三日(火曜日)    午前十一時一分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君    理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君    理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君       伊東 岩男君    北村徳太郎君       杉浦 武雄君    田中 久雄君       千葉 三郎君    塚原 俊郎君       並木 芳雄君    山口 好一君       河野  正君    小牧 次生君       高津 正道君    野原  覺君       平田 ヒデ君    小林 信一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     齊藤  正君         専  門  員 石井  勗君     ――――――――――――― 三月三十日  紀元節復活に関する陳情書  (第四四三号)  写真技能師法制定反対に関する陳情書  (第四四四号)  地方教育委員会廃止等に関する陳情書  (第四四五号)  青少年保護のための法律制定に関する陳情書  (第四四六号)  地方教育委員会制度存続に関する陳情書  (第四七九号)  同外四件  (第五〇九号)  地方教育行政民主化に関する陳情書外一件  (第四八〇号)  産業教育振興法の一部改正に関する陳情書  (第四九〇号)  学校給食費全額国庫負担に関する陳情書  (第五〇六  号)  地方教育委員会廃止に関する陳情書  (第五〇八号)  写真技能師法制定に関する陳情書  (第五二三号)  地方教育行政組織及び運営に関する法律等制  定反対に関する陳情書外一件  (  第五二四号) を本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  地方教育行政組織及び運営に関する法律案(  内閣提出第一〇五号)  地方教育行政組織及び運営に関する法律の施  行に伴う関係法律整理に関する法律案内閣  提出第一〇六号)     ―――――――――――――
  2. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  この際申し上げますが、去る三月二十九日の委員会におきまして、その人選等につき委員長及び理事に御一任を願いました公聴会公述人につきましては、次の通り協議決定いたしましたので御了承を願います。  すなわち、長崎県知事西岡竹次郎君、全国町村会長関井仁君、埼玉県教育委員大野元美君、国学院大学教授北岡寿逸君、早稲田大学教授吉村正君、全教委幹事長松沢一鶴君、地教委委員長宮沢八十二君、全国PTA会長塩沢常信君、朝日新聞論説委員伊藤昇君、日教組委員長小林武君、東京大学学長矢内原忠雄君及び元東京大学総長南原繁君、以上十二名でございます。  なお、公述人選定等につきまして、御出席都合等もあり、多少の変更のあります場合は、委員長及び理事に御一任を願いたいと存じます。  それでは、これより地方教育行政組織及び運営に関する法律案並びに地方教育行政に関する法律の施行に伴う関係法律整理に関する法律案一括議題とし審査を進めます。質疑の通告がありますので順次これを許します。前会に引き続き高津正道君。
  3. 高津正道

    高津委員 これは文教の面における実に大法案だと思うのでありますが、この大法案を用意される場合相当の時間が要るものだと思うのです。この法律案要綱ができたのは何月何日であったか、それからその要綱を含めてこの法案の作成を文部省のだれを主任としてきめられたか、その担当者が命ぜられた日時はいつであったか、これを承わっておきたい。
  4. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この法案高津さん御指摘の通り非常に重要な法案であります。かねがね私からお答えしまた通り、わが党が昨年十一月結成いたしましたときに、大体の構想はきまっておるのであります。教育委員会制度については適当な改廃を行うということで、内部的には党としてほぼ形はきまっておりまするが、それを書面に書き表わして討議の資料といたしたのは一月の初めでございます。謄写版に刷ったのは。しかしながらそれ以来成文にするまでの間には相当の変更はございまするが、要綱をいつごろ作ったかとおっしゃれば一月の初めとお答えするのほかはなかろうと思います。これは党並びに内閣重要政策でございますから、責任は私にありまするが、事務折衝をいたしましたのは、ここにおりまする緒方初中局長でございます。
  5. 高津正道

    高津委員 緒方初中局長に最初に命ぜられた日時を聞いておるのです。
  6. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それは私が就任以来引き続いてでございますけれども、要綱のできましたのは一月の初めでございます。
  7. 高津正道

    高津委員 二大政党対立になり、今後は各町村にまで二大政党の支部がどんどんできていく。教育は中正なるべきものであるから、それへの影響ということがあるので、これはそのことのないようにせなければならぬ。すなわち大臣予防措置論というもの、それのためにこの法案を出すようなお話をこの間承わったのでありますが、しかし自由党と民主党が合同されて統一されて、全国組織委員長のようなものをこしらえられる前から、この法案の用意は進んでおったものだと私は思う。だから去る二十八日の清瀬大臣答弁というものは、あとからくっつけたへ理屈ではあるまいか、こう思うのですが、大臣はどうですか。
  8. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あとからくっつけた理屈じゃございません。これはわが党結党以来の大きな考え一つであります。文字はいろいろあとから修正はいたしました。
  9. 高津正道

    高津委員 そのようにその予防措置というものが重要な原因であったならば、提案理由説明の中で、そのことを大きくうたわなければならぬと思う。それが入っていない。天下の形勢はこうなっていくのだ、町でも村でもかくなる以上はと、こうはっきりうたわなくちゃならぬ。そんなことは全くなくて、ネコなで声で調和だ、調和だとこう言う。それから公正、中立永続性というような——そのことをうたわなければしょうがないですよ。
  10. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 提案以来私の答えたことには少しも変りはございませんが、事項を示してお問いがありまするから、お問いに従って答えておるのであります。終始一貫でございます。
  11. 高津正道

    高津委員 今私の聞いたのは、予防措置ということがそんなに必要なのであれば、そのことを提案理由説明の中になぜうたわなかったのか、こういう角度から聞いておるのですよ。それはものを明らかにするためですから、やっぱり答えてもらいたい。
  12. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私の提案理由のうちにもおのずからそれは入っておるんです。
  13. 高津正道

    高津委員 おのずから含まれるような、ニュアンスというようなそんなものでなしに、主として第一にと、こう書き始めて入らなければこれはしょうがないでしょう。
  14. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そこに私の提案理由をお持ちでしょうか。
  15. 高津正道

    高津委員 持っています。
  16. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 その第二段目に、「知事や市町村長は、申すまでもなく、民主的な公選による機関でありますが、本来独任制でありますから、教育のごとく中立を要求せられる事務については、別に合議制機関をもって事務を担当せしめる必要があります。」こうあるのです。すなわち独任制であるから、やはり中立を要求さるる教育事務については、一方に偏せぬように合議制をもってやる必要があるということは、中立が危うくされないようにするという意味でありまするから、予防という言葉を使ってもちっとも差しつかえはない。今中立が侵されてしまってはおりませんけれども、委員会を廃して一つにすれば中立が侵されるから、それを防ぐためということでございます。何も違ったことじゃない。なお深くお聞きになりまするから、またそれだけ掘り下げて私は答えておるのであります。
  17. 高津正道

    高津委員 それではまた別の方面から聞いてみますが、日韓合併という言葉があるのですが、これは実際には日本朝鮮併呑であったわけです。朝鮮民衆の反感を少くするために、また外国からあれこれ介入されるのを防ぐために、併呑といわないで、日韓合併と言った。これは間違いのないことでありますが、大臣は、この法案説明の中でしばしば地方自治体教育委員会との調和をはかるために出したと提案理由説明の中で言われています。しかるに、事実は教育委員公選制を上からの任命制に切りかえてしまった。あるいはまた予算案条例案提出権教育委員会から奪ってしまい、文部大臣措置要求権で右へでも左へでも自由に指揮できるようにする、そういうようにやっておるのでありますが、このような場合に調和をはかるのだという調和々々というのは、日本文法に反すると思う。このような用語例というものを私はいまだかって知らないし、それを文部大臣調和々々と振りまくのはずいぶんひどいことだと私は思うのであります。非文法的な用語例である。国語の正しさを守るという点で文部大臣責任は一番重いと私は考えておる。文法的な表現で聞くからどうも弱まりますが、文法表現の問題にしぼって聞くようで非常に小さい問題のようでありますが、調和ではないですよ。そんなのは調和というものじゃないですよ。日本が武力でもって朝鮮併呑して、伊藤博文が総督で乗り込んでいくと日韓合併というのでありますが、それは併呑ですよ。この場合、教育委員会を腕をもぎ、手をもぎしておいて、そうして一般行政教育行政との調和をはかるというのは、ずいぶんそれはひどい表現で、ごまかすものじゃないか、こう考えますが、大臣から御説明を聞きたいと思う。気の毒ですよ。
  18. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 調和というのは、調整和合ということなんです。両方権限が調整されております。また二本建予算を出すのをやめまして、町村長教育委員会意見を聞いて——聞く以上は尊重するでありましょう。そうして一つに合して出すのですから、調整和合の本旨にかのうていると思うのであります。もっとも人間界のことは初めから反発的にやればそれはいたし方がないのであります。大切なのは子供の教育であります。町村長だって、教育があしかれと思う人はありません。また委員会町村の財政の窮乏を願う委員会はないのであります。二つの立場の人が一緒になって、調整和合していい教育を作ろうということは、私は日韓合併のことはしませんけれども、この教育法案は一歩進めた、聖徳太子もおっしゃる通り、和をもって尊しとなすで、十分いいことだと思っております。
  19. 高津正道

    高津委員 今も申し上げるように、一般行政教育行政との調和をはかったというのならば、教育委員会の一方の手をもぎ足をもいで、ただ名前だけ存置して、それを調和をはかったのであるというのは、それは無理な表現ではないですか。聖徳太子が和をもって尊しとすというのは、一方が支配者であり、一方を奴隷のように、権利のないものに見れば、それで和をもって尊しとしたんだとも言えないでしょう。和とか調和とか言われる以上は、相手をもう少し尊重したものでなければならぬ。それをこれで調和したのだという言葉を使って押しまくることは、これは日本語の用語例からいえば踏んだりけったりということですよ。
  20. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 私はそうは考えておりません。どちらも教育よかれと同じ目的でいく以上は、やはりその間に調整和合は生ずるのであります。ほかの邪心を持てば別でありますが、一にも教育、二にも教育教育の改善ということをもって集まれば、立場が違っておっても必ず和合一致点は見らるると思います。
  21. 高津正道

    高津委員 今までの法律では和合調整を欠くものがあったが、この法律ならば和合調整ができるというのですか。大臣の口からはっきり聞かなくてはならぬ。
  22. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 一々の具体例を出すことは遠慮いたしまするけれども、今の教育委員会のもとにおいて、府県の段階においても和を欠いた事例があります。市町村段階においても、ややともすると和を欠いたのであります。これを皆さんが御賛成下されば、人間界のことでありまするから絶対とは言えませんけれども、今日よりは改善さるることは私は疑いを持っておりません。きっとよくなります。
  23. 高津正道

    高津委員 和を欠く場合の問題の解決策というものは、教育委員会一般行政地方自治体とが和を欠く場合には、片一方の権限をどんどん縮小して従属関係に置けば、今後はそれでもう調整和合してうまくいくのだという、こういう解決策ならば、議会行政府とが争う場合には、議会権限を絞ってしまえばこれで調整和合できるのだ、あなたの考えはそういう理念で終始一貫しておるように思うのであります。これは調和ではない、征服したのである。力による征服である、こう思うのです。速記録を冷静にあなたもあとで読んでいただきたい。力によってということで話合いでも何でもありはしない。相手を切りきざんでここに調和成れり、こういうので、どうも筋が通らぬように思いますが……。
  24. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そんなことはございませんです。相手を切りきざむなんというふうな、そんな荒っぽいことはここにはちっともございまんので、やはり教育委員会意見がよければこれを町村長は尊重いたしまするし、町村長の御忠告がよければ教育委員会はこれに従うし、こういうことでうまく教育をやっていこうというので、命令服従文字は書いてないのです。やはり調整和合精神でいっていただかなければならぬと思います。
  25. 高津正道

    高津委員 精神一到何事か成らざらん、両方の心得が教育第一、教育尊重であれば両者の見解は必ずまとまるものである、(清瀬国務大臣「その通りです」と呼ぶ)それじゃ精神的な説教さえしておけば、法律は前の通りでも心だにまことの道にかなえばいいでしょう。精神でどうにもならないから法律というもので規制せなければならぬので、あなたは心がけがよくなれば法律は少々悪くてもうまく調和がとれていくものだと言う。あなたは法律を専門にする人で、法治国で、ここは立法府であって、法の不備は精神主義で補うのですか。
  26. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 法律の手の届かぬところはやはり道徳精神によるのほかはありませんです。実際に今度の法案の目次を見て下さい。別段の罰則規定をこしらえておらぬのです。しなかったら処罰するとか命令するとかいうそういうふうな建前ではなくして、地方行政組織を合理的にしてこれを円滑に運営することを目的としておるのであります。どうぞ御了解願いたいと思います。
  27. 高津正道

    高津委員 貴重な時間ですからそれではまた角度を変えて聞くことにしますが、文部大臣措置要求権というものがあるわけであります。その措置要求権内容を例をあげて説明してもらいたい。これ以上は含まないという全貌を示してもらいたい。残っちゃいけませんよ。残すところなく。それ以外は適用しないというならそれでりっぱな答弁ですよ、あなたの説明だけで。
  28. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これは本法の五十二条に書いてあるのでございます。国が法律義務教育制をしいておりまする以上は、教育基本法に基いてほぼ均整したる教育が国内にしかれなければならぬことはもちろんのことでございます。それが十分にいけない場合には、いけないといってすぐ命令とか処罰とかいったようなことはいたしませんけれども、しかしどうかこうありたいということを示しまして、このようにして下さい、こういうことでございまして、別に悪いことをしておるなんということは少しもございません。この法律も昔の法律と違って意を尽して書いてあるのでございます。すなわち教育に関する事務管理執行法令に違反していることを政府は見てほうって置くわけにはいきません。直接法律に違反したとはいわぬでも、程度が著しい教育本来の目的に沿わない、これを座視するわけにいきませんから、そちらの方でこうやって下さいという措置を要求するのでございます。
  29. 高津正道

    高津委員 法令規定に違反しておる場合は違法という言葉で尽きるわけです。しかしそのほかに著しく適正を欠いておる場合、またこの法案の文句を使えば教育本来の目的達成を阻害しているものがあると認める場合、これを認めるのは文部大臣ではないですか。また都道府県の委員会じゃないですか。それを認めるのは政党の、あなたのような頭を持った人間がそれを判定するのですよ。そこに危険があるとわれわれは言うのですよ。それだから文部大臣措置要求権というものはおそろしいものであって、あなた自身がそういうような頭でおられる。あなたのお考えはわれわれはもう拝聴したのでありますが、あなたのような人が、ああこれは著しく適正を欠いておる、これは教育の本来の目的達成を阻害しておるものであると言うに違いないですよ。この法律がまだ通過しない前から勝手なことをおっしゃっておるのだから。これ以上おそろしいことはないですよ。こういう力をあなたに与えるということは、これは青竜刀どころじゃないですよ。そして措置要求権内容を、それはあなたの頭できめることであるから、次に現われるのがまたあなた以上かもしれない。われわれは大達さんをすでに知っておるし、安藤正純氏をすでに知っておるし、松村さんはややおとなしかったのですが、今度あなたがまたさらにその上をうんと出てこられたので、われわれは驚いておるのでありますが、それであなたが認定されるのだから、その措置要求権たるものは強いものでしょう。それを伺います。
  30. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 結局日本の国の構造はこうなると思います。私は認定を誤まって間違ったことをするといたしますれば、責任内閣でありまするから、国会に対して責任を持たなければならぬ。日本の主権は国民にあって国会はその最高機関であります。それに対して責任内閣ができておるので、あやまちましたら国会不信任の決議で私が弾劾さるるのであります。そういう構造になっております。教育目的に反しておるのに、非常に不道徳になっておるのに、それを見ておれというわけにいきませんから、そこで責任内閣行政責任を持つ。もっともそれもまた間違っておるといったら、結局あなた方の作っておらるるこの国会で弾劾していただく、そういうことで運行さるるのであります。
  31. 高津正道

    高津委員 自分自分判断認定をするんだ、それが悪いかいいかは国会がきめるのである。だから国会に多数を持てばそれをあくまでも擁護する場合があるですよ。たとえば今の小選挙区法について、天下の何人も太田自治庁長官の出しておる小選挙制案というものは不都合だといっても、議会の多数がそれを擁護しておるんだから不信任案通りゃしないですよ。次の総選挙にまたねばならぬ。その総選挙の場合に、あまりアメリカアメリカと、アメリカの大使みたいなことを言うから、岡崎さん個人が落ちるということはあるかもしらぬが、党としてやはり数を持っておれば、あなたの認定を、私からいえば確かにこれは間違いだと思っていても、多数でそれを擁護すれば、その人の地位はずっと続くわけですよ。それでは多数さえ持っておれば、その認定は全部正しいんだという議論をあなたはしておられることになるですよ。法律形式論だけからいえば僕はそうなると思うんですが、それでいいんでしょうか。
  32. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 原始的な議論をするようでありますけれども、多数々々といいましても、やはり問題の価値によるです。メリットによるです。非常に私があやまちをすれば、与党議員諸君もさっぱり私を支持して下さいませんです。多数政治といいましても、事柄価値いかんによることで、私が気違いじみた教育行政をやれば、あなた方が国会不信任して下されば通過すると思います。与党の方も場合によっちゃ私を除名してしまうかもしれぬです。でありますから、必ずしも数だけのものではありません。国会政治はやはり投票は数で数えますけれども、それに至るまでは、問題の価値というものが非常に支配するものではないか、私はかように考えているのです。
  33. 高津正道

    高津委員 国会では二大政党対立で、多数と少数とがきまっておるから、大ていの場合は多数が勝つが、事柄いかんによっては少数不信任案がある特定大臣に向けられる場合に、少数派が勝つ場合もあり得る。全くもうめったにないことを想定して答えとされておるのでありますが、現在の小選挙区法を出しておる太田自治庁長官不信任案をわれわれが出す。事柄価値からいえばきわめて重大で、これ以上誤まったことはないと思われるけれども、その太田長官に対する不信任案が通るはずがないですよ。だからあなたの誤まりは、あなたの党派はよくよくの場合でなければそれを見捨てないで清瀬を守っていく、こういうことだと私は思うんです。それではこの法律は非常に危ない法律である、あなたにそういう解釈権を与えるのですから……。
  34. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 一々私が反対答えをして済みませんけれども、太田自治庁長官の場合には、あの案は閣議できめ、また政務調査会でこれを認めてから出したものでございます。今問題になっているのは文部大臣判断を誤まって間違った措置要求をした、地方学校道徳を守っているのに、道徳なんかやめてしまえといったような間違ったことを私が独断でやったという事件が起った時分にどうかというので、この措置はあらかじめ党議でするものではございませんから、非常に間違った措置要求を私がしたとするならば、問題の値打ちによっては国会監督権は十分に発動するものと私は思っております。
  35. 高津正道

    高津委員 大臣はこの法律案提案理由説明の中で「第一に、」とうたって、「地方公共団体における教育行政一般行政との調和を進めるとともに、教育政治的中立教育行政の安定を確保することを目標といたしました。」と、教育政治的中立をうたっておられるのであります。それで教育政治的中立が教壇において侵された、あれはどうも日本的でない、こういうので、あなたがその場合に措置要求ということをされるのかどうか、それを聞いておきたい。
  36. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 五十二条に、地方公共団体の長と教育委員会に対して出すとありまして、学校の教室内のことを直接に書いてはおりません。
  37. 高津正道

    高津委員 それではまた角度を変えてお尋ねしますが、この法律案中央集権化であろう。文部大臣提案説明のときにそれを証明いたしておるのであります。指導強化という言葉もあれば、今のどの条章を見てもそういうことが現われております。しかしわれわれから見る場合に、NHKに対する統制の企てが現われてきたのであるし、農業団体再編成の企ても、元の農業会のようなもの日本に復活して、思いのままに引きずり回そうとする、そういう企てであった。幸いにして今あらかた骨抜きになりましたけれども、青年学級に少しばかり国から補助金を出して、国がそれに見合う以上の権利を持ってそれに発言をしている。どこからどこまでも、われわれから見ると、政府は何か物のけにつかれたかのように、統制強化的な行為が最近非常に多いのであります。それを推進している役者は何かといえば、戦前、戦中に有力な政治家として踊った人々がその衝に当って、また大いに張り切りボーイになっている。この危険性をこの法案に私は最も強く感ずるものであります。中央集権でないと言われれば私は指摘しますが、これは中央集権でしょう。その点をお伺いします。
  38. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それはものの見方でございまして、教育水準維持ということを考えている以上は、だれか水準維持をするものがなければならぬ。しかしながら戦前のような指揮命令といった荒っぽい方法は使わないで、渾然一体とした教育制度を作ろう、そういうのでございます。現行の教育制度におきましても、高津さん御承知の通り、教科書は国の方で検定いたしております。それからまた教育指導要領というものを、主として学校教育法の二十条等から出たものでありますが、国でもって一定の水準を作って、全国にこれをしいておるのであります。地方分権という言葉がどこまで響くかは知りませんけれども、各学校町村では作りまするけれども、法律にありまする通り、全国民のためにやっておるのですね。その町村だけの単位でやるのじゃないのです。それゆえに教育、ことに今は義務教育のことをあなたもおっしゃっておられると思いますが、義務教育の性質として、全国的の水準を維持するという必要がございまする以上は、適当なる指導、助言でこれを進めていくということは余儀ないことか、かように思っております。
  39. 高津正道

    高津委員 ものの見方の違いである、全国的に教育水準を保つ必要があるから中央に強い権力を持たねばならぬ、こういう御説明であったように聞いたのでありますが、現在の制度でも学習指導要領のようなものがちゃんとあって、規格は与えてあるのであるから、全国的にそんなにでこぼこができるようなことはないと思われるが、大臣は今のではいけない、もっと中央集権的にしなければいけないのだ、こういうお考えでしょうか。
  40. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それは程度の問題でございます。世の中は現在に満足せず、よりよきものを始終念願して進まなければなりません。
  41. 高津正道

    高津委員 中央集権にしていくことが、日進月歩でだんだんものを改善する一番有力な方法だ、こういうように受け取っていいですか。
  42. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今日の教育を悪いと言って誹謗するのじゃございませんけれども、まだまだよりよき教育を私どもは念願しておるのであります。
  43. 高津正道

    高津委員 国民はこのような中央集権的なことがあらゆる行政の面に現われてくるので、この傾向を非常に心配しておるのでありますが、国民が何をそんなに心配するのだと文相は認めておられるか。一国の文教を指導する大臣が、そういう国民の憂えとするところがちっとも憂えにならないようなことでは困るのであって、そんなに国民がみな心配しておるのは、何を心配しておるのであろうか、おわかりになっていなければならないと思います。それを大臣の口から承わりたい。
  44. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国民の全体を平均することは非常に困難なことでございまするが、やはり父兄の方々は、戦後の教育にいいところもあるが、はなはだ足らぬところもある。新聞などで報道さるるものは九牛の一毛でございまするけれども、中には学校で集団的に万引した学校もございまするし、卒業式の日に、片手に卒業証書を持ちながら先生をなぐったという学校もございまするし、いろいろと私は日本の父兄諸君が心配されておることがあろうと思います。いかなる場合でも、進歩をしようと思うと、現状維持の人はやはりこれに反対をするのです。今まで教育委員会に籍を置いた人は、えてして今の教育委員会でよかったとはお考えになる場合もあります。これは了といたしますけれども、先に進もうというと、多少のレジスタンスは免れませんので、私はそのうちの一部分は、やはり誤解も手伝うておると思いまして、この委員会で皆さんが適切な御質問をして下さり、われわれがこれに対して解明するといったようなことで、国民の誤解も逐次解けていくのではあるまいかと思って、この会に出席することを楽しみといたしておるのでございます。
  45. 高津正道

    高津委員 文部大臣は、国民が憂いとしておるところのものは、集団万引だとか、卒業式の当日に証書を片手に持ちながら恩師をなぐるというようなことを、父兄も国民も非常に苦々しく思っておると言われるが、これは私の質問に対する答えになっていないのです。私の質問は、文部大臣の発言の端々に現われる、あるいはまたこの法案に現われる、あるいは他の法案にのぞいておるところのファッショ性というか、中央集権性というか、とにかく与え過ぎた民主主義を戻せ戻せといって、失地回復の運動をやる勢力がここに大きく現われてきた、これに対して国民は何を憂えとしておるのであろうか。ファッショという言葉は不適当かもしれませんが、このファッショ的な傾向の進行に対して、進歩のためだから反対は予期したところである、お答えはそのように承わったのでありますが、そういうのでなしに、このような中央集権の行き着くところはどこなんだろうか、私をして答えさせないように、国民は何をこの傾向に対して憂えておるかということを、あなたの口から聞きたいのであります。
  46. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 日本国民、わけても父兄の教育に対する心配は、私の言葉は足りませなんだが、先刻申し上げた通りであります。われわれの政治をファッショと見らるるのは非常な間違いです。われわれはその反対で、自由主義者でございます。自由を守るために、法律の各条々々に気をつけておるのでございます。政治思想としては、他の思想、統制思想の政治もあるのでありまするけれども、われわれはそれはやるまい。しかしながら自由を守ろうとすれば、やはり一定の自由を守る法則がなければなりません。ただほっといたら弱肉強食になります。それゆえに、ほんとうの自由が守られる限度の規制はしなければならぬのです。われわれをファッショとおっしゃることは非常な間違いです。この間の大学教授あたりの声明を見ても、非常に誤解されておるのでありまして、この法律また他の法律も、終始貫く血液は自由主義でございます。
  47. 高津正道

    高津委員 自由主義というものは、国民みずからが投票して教育委員をきめるということであったものを、今度は上から任命制にする、この次は知事がまたそうなるらしいとみんなおそれておるのでありますが、そういうようにすることが自由主義の本来の姿であり、自由主義とは、人民に与えてある権利を次第に縮小するものである、こういう面もあるのでございましょうか。
  48. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 それは違っておるんです。今、上から任命とおっしゃるけれども、昔の官僚政治のように上から任命じゃありませんで、教育委員会——町村自治体は一つのエンティティでしょう、家と同じことなんです。そうして町村長は、町村民が選挙した町村長さんです。町村会議員は、町村民が選挙した町村会議員、それがあることをきめることは非民主的でありましょうか。この民主的の機構によって教育委員会を構成するのであります。たびたび言うことでありまするが、直ちにこれを公選にするということは中立を保つという趣旨に適せぬという実際問題があるのです。選挙は必ずしも直接じゃないといけないということはありません。問題は非常に違いますけれども、たとえにとることをお許し下されば、一番民主主義国であるアメリカの大統領はどうです。直接公選じゃございません。でありますから、それ一つにかかわっておるということは、あまり一本調子なものの見方で、現実の現象は森羅万象いろいろと違ったものでありますから、それに適応するのを作るのが立法者の任務であります。何もかも選挙ならそれでいいのだといったような一本調子には参らないのです。あなた方のような経験にたけた方は御了解下さると思います。(笑声)
  49. 高津正道

    高津委員 米国の大統領の場合は、宣戦、講和の権限からありとあらゆるものが集中しておるわけなんですよ。あの場合は間接選挙もまた可なりで、日本の総理大臣もやはり間接選挙でしょう。直接の投票によって民意を教育委員会に反映せしめるのと、それから自治体の長がその議会の同意を得て任命するのと二つある場合に、どっちがより民主主義的であろうか。これはきわめて明白に、任命よりは直接公選の方が公平に民意を代表し得る、こういうことが言い得ると思うのです。それはきわめて明白だ、常識的でさえもある。それをあなたはどういう論理でひっくり返されるのですか。
  50. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 民主主義は人民による人民のための政治なんです。「よって」ということばかりをつかまえるとあるいは直接選挙の方がすぐれたように見えまするけれども、中立という人民のためにすることも加味しますと、今のやり方も民主主義には反しておりません。どちらがいいかと言えば、すべての場合とは言えませんけれども、教育委員の場合は、今われわれがとっておる方が民主主義であって、最もいい制度だと確信しておるのであります。
  51. 高津正道

    高津委員 民主主義の解釈の中で、「のために」という部分はいかなる専制主義者も使い得る用語で、他のもう一の言葉が必要なんですよ。「のために」は任命の方がかえっていいのだ——「のために」というのはファシストやらナチスやら封建時代のいろいろな政治家が一番好んで使った言葉であって、その部分はあなたたちを守る武器にならないで、悪い印象を与えますよ。(発言する者あり)今大臣ならぬ人の意見も耳に入ってきますけれども、しかし任命の方が直接選挙よりもより人民のためになるのだ、と大臣は人民の水準を非常に低く評価している。ヨーロッパの民主主義が本格的に日本に迫ってきて、それをみんな呼吸して、新しい民主主義の精神革命を経て、そうして戦後の政治家が出てきた。私も戦前議会にいなかったのですよ。加藤精三さんあるいは九州からは坂田道太さんという若き政治家が出てくるというように、戦後の政治家が寄って、多少手探りのところもあったが、民主主義の殿堂を日本に苦心惨たんして打ち立てたのだ。ここに塚原代議士も田中代議士もおられるが、みんな戦後派なんですよ。(笑声)そうして苦心惨たん、彫骨一代この建築物ができた。これが日本の民主主義態勢なんですよ。辻原君しかり……(「高津君しかり」と呼ぶ者あり、笑声)僕も例外ではない。それを今あなたのような人が現われて、変ったイデオロギーで横車を押しておられるように思うのだが、少しも反省することなく、悪ければ不信任案を出してみれば議会がこれを決定する——あなたの場合は半分憲法問題の担当大臣としてやっておられたのです。野党が本会議にちっとも不信任案を出さないのに、その半分を与党が消してしまったという実例がある。そのことは非常に権威のある体験のこもった御発言だと私は思いますけれども、いつもいつもそんなうまい工合にいかないですよ。野党が出せば与党が感情的にそれを擁護して……。  それでは角度を変えて質問をいたします。教育にとって一番大事なことは環境であろうと思う。教壇に立つ五十万人の義務教育学校の教師たちが、中正でないことをやるからそれで間違いが起るのではなくて、私は原因がほかにあると思うのです。今も集団万引をやったとか、卒業式になぐったとか、許すことができないような極端な例をもって議論をされるが、きょうの新聞を読めば、きのうはどうです。警官が七十人もで、双方分れてその一方を分担して、ビールびんでなぐる。あなたの論法で言えば、何か法律を変えなければいかぬですよ、警官を取締るように。(笑声)何が教育の妨げになるかといえば、上に立つものが汚職、疑獄をやって——大蔵汚職の底をつけというような論文が出るようになり、そしてどんなに不人気でも小選区制を押し切ろうとする、こういう政治が行われ、一方農の仕事をつかさどっている河野農林大臣にサラブレッドの疑惑の雲がかかり……(「八つ当り質問だ」と呼ぶ者あり)いや、そうではないですよ。それからレモンの疑惑の雲がその上にかかり……(「次は砂糖だ」と呼ぶ者あり)次に今度はほんとうに命取りになるといわれる砂糖の疑獄がまたその人をおおうている。およそこういうことがある場合に、教育への影響というものはもう……(「君の方には図書館というものがある」と呼ぶ者あり、笑声)それも恥かしいものと思います。われわれの政党の中にも衷心じくじたる場合もあるんですよ。あるが、大臣が次から次へいろいろな、選挙違反をまだ清算していないとか、あるいはそういう問題が出る場合には、教育は全く非常な影響を受ける。閣議において文部大臣の発言は、文部省の予算をとるということのほかに、こういうような閣僚があっては教育に非常なる支障を来たすので、という文教の責任者としてそういう問題を発言できないものですか。私は発言をすべきものだと思う。何もかも教員の責めにし、特別な事例を引っぱり出してきて、それじゃ法律も必要だろうと、しろうとに思わせるようなことでなしに、もとをただすところがなければならぬと思うのであります。汚職と文教行政の関係をあなたに聞くのであります。
  52. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 閣議において文部大臣もほかの大臣もすべて均等に国政全般について発言はできます。またいたしております。わけても国民道義の問題は非常に大切でございます。また政界の粛正は、これも高津さんおっしゃる通りであります。今御指摘のいろいろな問題が、ほんとに政界の弊害として実際にあるかないかは私は知りませんけれども、しかしながら政党政派にかかわらず、政界を粛正して、国民政治家に向って信頼をするといった状況が出ることを心から希望いたしております。
  53. 高津正道

    高津委員 それでは最後に、文部省で出しておるところの文部広報の三月二十三日号を私配付を受けて今読んでみたのでありますが、地方教育行政組織及び運営に関する法律案、問、教育行政中央集権を招くといわれているが。答、そういう中央集権を意図するものではない、ということを書いて、その大見出しには、「中央集権ではない」と書いてある。  それでちょっと終りの方を読んでみますと、「教育長の任命について、文部大臣なり都道府県教育委員会なりの承認を要することや、小・中学校の教職員の人事を都道府県の教育委員会が行う等の措置がとられているのはこのためである。教育委員会地方公共団体の長の事務処理に法令違反等の事由がある場合には、文部大臣が必要な是正措置を要求することが規定されているが、地方分権といえども法令違反等が許されるわけではないから、そうした事由がある場合にその是正の措置をとることは、あながち中央集権と呼ぶべきものではないであろう。」それから今度二、三行飛んで、「中央集権を意図するものでも、招くものでもない。」われわれはこれは中央集権を招くものだと言うんですよ。まだ議会で論争の最中に、これが質問もまだ続行しているのに、こういうような文書を、税金の中から大量に印刷をして振りまくということは、何らかの法律に違反することじゃないですか。法律の名前を言えば義務教育学校における教育政治的中立の確保に関する臨時措置法、こういう法律があります。前に保守党の諸君がしゃにむに国会を通過させたあの法律に違反しやしないでしょうか。
  54. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この広報の発行は、教職員の政治的中立を確保する法律には違反いたしておりません。政府並びに文部省で出した法律案内容を、世間によく知らしめるための報道は当然のことでありまして、しなかったらわれわれの怠慢でございます。
  55. 高津正道

    高津委員 これは学校教育委員会に配付されたかどうか。  それからもう一点は、このようなことは、これを解明して広報活動をしなければ、政府としての怠慢になると言われるが、野党がこれは中央集権であるといっておるのに、中央集権でないという意見学校などにどんどん配る、教育委員会などに配るということは——さっき言った長い名前の政治的中立確保に関する臨時措置法は、行政の府にある者もみんなで守るようにしなければいかぬでしょう。一方的な見解をそういうところへどんどん押し込むということは、少くともあの法律精神に反することであると思えるが、これに対する大臣の所見いかん
  56. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 配付先については局長より答弁いたします。
  57. 緒方信一

    緒方政府委員 この文部広報は市町村教育委員会には参ります。
  58. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 義務教育学校における教育政治的中立を確保する臨時措置法は、特定の政党を支持する目的で教員を主たる成員とする団体が教員に対して教唆扇動する場合——これは必ずしも教員を主たる成員とする団体に対してじゃございませんが、われわれは、政府提案をして法律になる可能性もあろうというもの内容を、教育委員会の皆さんに知ってもらうために、広報活動をするということはこの法律のらち外と思っております。
  59. 緒方信一

    緒方政府委員 ただいまの大臣の御説明を補足いたしまして、義務教育学校における教育政治的中立の確保に関する臨時措置法の規定について申し上げたいと存じます。これは第三条に規定がございまして、この法律の取締りの対象といたしておりますのは、第三者が一定の目的をもちまして、ただいまお話しのございましたように、学校の職員を主たる構成員とする団体の組織または活動を利用いたしまして、義務教育学校に勤務する教職員に対して、その教員が児童生徒に対して、特定の政党等を支持させ、またはこれに反対させる教育を行う、こういうことを教唆しまたは扇動してはいけないという禁止規定を設けまして、これに対して罰則の規定を設けたのがこの法律でございますので、先ほど御指摘の点はこの法律に当らないことになります。
  60. 高津正道

    高津委員 これは一定的な解釈である。政府説明で特に問題点となるのは、この法案でどういう点かといえば、「教育委員会教育に関する事務の管理及び執行が法令規定に違反していると認めるとき、又は著しく適正を欠き、かつ、教育の本来の目的達成を阻害しているものがあると認めるときは、」というあとの方にこそいよいよ大きな問題が含まれております。そういう場合に文部大臣措置要求をする、こういうことになりまして、不適正というところに一番問題点があるのであります。この印刷物についてはそういう点でなしに、法令違反等の事由がある場合にはと、一番大事なところを等の字の中にぱんとはめて隠してある。これを読んだら、しろうとは法令違反があれば措置要求するのは当りまえだと言うだろう。ところが不適正なものが入っておる。その認定をするのは文部大臣自体なんだから、そこに問題がある。教育の本来の目的達成を阻害しているものがあると認めるときは、措置要求に出る。それをあなたが認めるのですから、問題はそこにあるのだが、そんな不適正なものまで扱うのだということを全然伏せておるのです。等という字に伏せておるのだろうが、そんな解説を流されては困る。まだこれは審議中です。一方的な見解を流すことは、政治道徳上私は悪いと思うのです。
  61. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 この文章が拙劣であるかいなかは別といたしまして、大体世間で知ろうと思っておる今日のこの法案内容を解明したものであります。  それからこういうことで高津さんと論争するわけではありませんが、五十二条は不適正だけではいけない。この措置要求は不適正かつ教育の本来の目的達成を阻害するという二つ一緒にならぬとやれませんです。教育本来の目的教育基本法でありまするから、これを阻害してはやはり違法なんです。不適正で教育基本法にも反しておる、この二つなんです。もう一つくくってしまったら、結局違法ということに一口に言っても、それは間違いではございませんです。文章を簡にするために書かれたものと思います。
  62. 高津正道

    高津委員 問題点があるところを、文章を簡にするために等の字で入れなかったというのは、法律論では通るでしょうが、それは文章が下手とか上手とかいうのではなしに、官僚のずるさというものであって、等の字が一番大事なところだ。ちゃんとほじくったら中に入っていましたという手品のように大きなものが等の字の中から出てくる。関連があるそうですから、私の質問はこれでやめます。
  63. 辻原弘市

    ○辻原委員 関連。ただいまの文部広報の問題でありますが、これは聞き捨てにならぬ、見過しのできない重要な問題であります。と申しますのは、かつて二法律審議の際にも、文部省は同様の提案をした。法律内容について、これを全国的に宣伝これ努めるといったような形の頒布を行なった事例があるのであります。ただいま高津委員から指摘いたしました内容も、私ずらっと読んでみたのですが、やはりこれは問題がある。今高津委員は、二法律の問題を中心にして詰問せられましたが、私は、二法律以前に文部省が出されたのですから、大臣権限において出したと判断いたしますが、こういったしろもの大臣が出される権限は一体どこにあるか、この点を一つ明確にしておいていただきたい。少くとも私が了解をし、かつ法律でずっと見た範囲においては、もちろん文部省には広報課があって広報活動を行える事実は認めますけれども、しかし今日この法案をめぐって、国会においても、それぞれの党派においても見解が違う。同一の党派においても、必ずしもここに言っているように法律全体のすべての部分にわたって、中央集権にあらず、またいかなる観点からも公選を任命に切りかえることがきわめて民主的であるというような見解は、事実上とっていないと思う。総体的に結論としてどうなるかはわからないけれども、国会論議の過程において、すでに決定的な、民主的な、任命方法であり、中央集権ではないというような、こういうことが政府の一機関である文部省の責任において行えるかどうか。そういうことがもし行えるならば、農林省においても防衛庁においても、すべて広報活動なりと称して、国会の審議を待たずして、みずからが立案をした法律内容について、国民に宣伝して、国民の世論をみずからの意図した方向に持っていこうとするようなことを国会が許すということになるのであります。こういうことは差しつかえありませんと堂々と答弁される大臣の非常識を疑う。いかなる権限に基いてこれは行なったものであるか。単なる文部広報で、文部省が指導できる範囲の解説というようなものであるならば、これは問題にするに足りません。しかしこれは国会審議における重要法案として書かれ、しかもあなた方自身も、ここに重要教育法案なりと命題を打って書かれている。いかなる権限においてやったかを明確にしていただかなければ、今後に及ぼす影響はきわめて大であると思います。大臣、どうですか。
  64. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 冷静にお聞き願いたいのであります。文部省設置法の第五条第十号の「所掌事務の周知宣伝を行うこと。」というのが法律の根拠でありまして、なお文部省組織令の第三十五条には、広報課というものが置かれまして、「広報課においては、左の事務をつかさどる。一文部省の政策及び文教に関する諸制度の趣旨の普及徹底に関すること。二報道事務に関すること。三文部広報等を編集し、及び頒布すること。四文部省の定期刊行物(文部省著作教科書の出版権等に関する法律の適用を受けるものを除く。)の出版について連絡調整すること。」、こういう法規がございます。この教育法案については、院内においてもこの通り、院外においても中正なる大学教授その他が議論の対象としておられますが、悲しいかな、対象とするところの法案自身が世間にあまり知れておりませんので、この際報道事務に関することという範囲で、広報課がこの案の内容を世の中に知らしめるということは当然のことであります。むしろ文部省設置法ではさようなことをすべきことを命じておるのでございます。
  65. 辻原弘市

    ○辻原委員 私は文部省が設置法に定められた広報活動を行なってはならぬということを言っているのではないのであります。またその設置法の第五条の四の「所掌事務の遂行に直接必要な業務用資材、事務用品、研究用資材等を調達すること。」、またそれに関連して周知徹底せしめる行為、こういったものを取り上げて悪いと言っているのではない。だから文部広報は従来出しておったけれども、私が問題にしたことはございません。ただ一回あるのは、かって二法律のときに、今日のと同様趣旨でもってその内容が掲載されておった問題を私は詰問いたしたことがあるだけでございます。問題はこういった内容、いわゆる法案の成り行きが国会においても論議され、それぞれ見解を異にし、国会の審議を通じてでなければ法律の解釈というものが明確にならない。そういったものを事前に取り上げて一方の解釈を、これを文部省の責任において宣伝していくといった行為が、文部省の広報活動かを尋ねておる。それが文部省の広報活動として許される行為であるかということを考えて、そのことを私はあなたに詰問をしておるのでございます。どうでございますか。ここで中央集権ではない、任命制は民主的な方法である、これは文部省の一つの解釈ではありませんか。しかし法案が文部省の責任提案されておるのではございません。政府責任提案されておる。私はこれが自民党なりないしは内閣自体が責任を持っておやりなさることであるならば、これはここでかほど問題にすることはしないでしょう。しかし一機関が独自の見解に基いてこうした広報活動を、単なる通常ありきたりの業務執行であるというそのみのに隠れておやりになることを問題にしているのであります。この及ぼす影響は実に甚大ですよ。どうでありますか、どういうことを考えて書いてもそれは広報活動の範囲になると大臣は強弁されるのですか。
  66. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今日の民主政治はひとりここで論議するのみならず、国民全体が主要なる政治問題について発言し、論議するのが民主政治のあり方であります。しこうしてこの広報課は私の担当しておる文部省の活動の一つで、やはりこれについては私は責任を負います。しこうして提案者がこの意味で提案をしておるということを世の中に知らすことがどこが悪いのでしょうか。またわれわれの意見が悪かったら世間で非難して下さい、よかったならばサポートして下さい。政府並びに文部省が今回の案はこういう意味でございますということを世の中に表明するということを禁止してしまう、文部省の方は言うな、おれの方は攻撃してやろうというのじゃ、これは不公平な話で、これは何にも討論はしておらぬです。この案を私がここで説明する以上のことにはちっとも入っておりません。私はあなた方と討論をいたしたりしませんよ。常に質問に対して答えております。あなた方の意見を反駁する場じゃございません。私がここで質問に対してお答えをしておる範囲もちっとも出ておらぬです。これはあたりまえと思います。官報にも速記録にも出ておるのです。その一部分を参酌して「重要教育法案の問題点を解明」と言っておるのです。これを解明するなというのは、これは御無理の御主張だと思います。
  67. 辻原弘市

    ○辻原委員 私は大臣の御意見は承服いたしかねる。なぜならば、文部省が出したからどのような宣伝活動も、こう考えたんだから行なっていい、こういう議論が成り立つとするならば、少くとも行政府、立法府あるいは司法部といったような三権分立の精神なんというものは私はこわされると思う。行政府というのは法律できまった範囲のことを行政執行すればよろしい。その定まった法律の解釈を周知徹底させることが任務なんです。しかし今おやりなさっていることは、立法府がまだ決定を見てない範囲のものであります。国会がみずからそれぞれの政党立場において宣伝することならばいかようにもなすってよろしい。もし大臣議論をもって言わしむるならば、これは今後行政府はそれぞれ自分考えたことを、かりに法律の案件として国会にかかっている最中といえども、その考えを周知徹底せしめることがより行政府としての責任の遂行であると考えて、どんどんそういうことをおやりなさるということになれば、一体どういうことになります。行政府によって立法府あるいは世論の動向というものが大きく左右されるということは現実じゃありませんか。そういうことをしないところに先ほど大臣の述べられた、かりに自由というような問題を取り上げても、おのずからそこに制約があるということをわれわれ黙って聞いていたわけです。世の中の機構というものもそうなんです。だれがどういう場所で何をしてもよろしい、おれがこう考えておれが提案したのだから——裁判所の検事さんが検事で論告することを、おれはこれを自分の側に世論を引きつける必要があるからといって、至るところで自分立場を強調することをやってごらんなさい。これは世の中の秩序が乱れるもとです。例が多少違うけれども、それと同じことなんです。どうですか、大臣
  68. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 あなたのお言葉の前の部分に、どのような活動でもいいということは承服しがたいとおっしゃったが、私もそんなことは言ったことがない。どのような活動でもいいと言ったのではありません。問題を制限して、この文書これ自身が常軌を逸しておるかどうかを論ずれば、きょうはいいと思います。  もう一つの言わなければならぬことは、法律ができてしもうてからでないと広報活動はできぬとは私は解釈しておりません。(辻原委員「そういうことを言っておりません」。と呼ぶ)あなたはおっしゃったのです。(辻原委員「いやいや、あと説明する」と呼ぶ)法律のできるまででも、国民が注目しておる問題については正直に広報活動をする方が私はいいと思っておるのです。問題は、ここに書いてある文書が、これが常軌を逸して、政府として、また政府機関としてすべからざるものであるかどうかが問題であります。
  69. 辻原弘市

    ○辻原委員 私は法案を広報の中へ載せてはいけないということを言ったのではございません。そういうことは先ほどから言っていない。一方の見解に基いて法律にある種のニュアンスを与えるような、そういう一つ表現の仕方、そういう編集というものは、これは越権であり、常軌を逸したとは言いませんよ。しかし、そういうことは文部省の広報活動の範囲外であると言っている。ここへ法律をかりに載せるとするならば、何ぼでも載せる方法があるじゃありませんか。法律内容を載せればよろしい。法律内容を知らしめればよろしい。そうしてそれによって適当なる判断国民に求めればよろしい。それを何ですか、この表題は。「中央集権ではない」「民主的の任命方法」こういうことは文部省の行う広報活動の範囲外である。一つの例を申し上げましょう。選挙の際に頒布してならない文書というものがある。その中に事実をそのまま公正に載せておる文書であるならば、これは大臣も御承知のように選挙法の違反には問われません。しかしながらそこにある種のニュアンスを織り込んで、そのことによって投票を得さしめようという行為においては、いかにあなたが強弁されているような答弁を裁判所に百万だら繰り返す——あなたのようなりっぱな弁護士が裁判所に行って今のような答弁を百万だら繰り返そうとも、その行為は許されないのであります。あくまでも客観的に、事実をそのまま列挙する場合において、初めて選挙において文書として頒布することを許されるのであります。それとこれは同じことです。これが事実をそのまま、ということは法案内容そのままをここに掲載しておるならば、これは私は文部広報の活動の範囲内であると申します。しかしそこに中央集権ではないかと、現に世論の中の少くとも相当数のパーセンテージが中央集権であるではないかと指摘しておる。民主的な任命方法ではないと指摘しておる。ここで委員の側はどう言うか知りませんけれども、この法案提出されるまでに与党の中でけんけん論議があったということを、これは与党議員の中でも申されておる。そういったような見解の異なる重要なる法案を、国会の審議を待たないで、しかも文部広報が取り上げて一方の世論を喚起するような形の広報活加というものは、これは行き過ぎである、こう申し上げている。断じて行き過ぎではないとおっしゃるならば、もう一ぺん答弁して下さい。
  70. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これは表題が二つある。今回の案は中央集権権利を中央に集めてしまうという案じやないということは、国民に知らした方がいいと思います。もう一つは「国定化の意図はない」これも一部の人は国定だと言っておるのです。非常な間違いです。これは検定制度でございます。それゆえに世の中の人の誤解を解くために、この法案はどういう趣意で出したという文部省の趣意、文部大臣の趣意、それを書いたのでございます。この通り正確です。私がここで案の趣意として説明した以外には出ておりません。これは私はいいと思うのです。
  71. 辻原弘市

    ○辻原委員 その答弁も私はおかしいと思う。文部省が文部省がと言われておるが、法案提出者は政府なんです。しかもこの間の高津委員の質問にあなたは答えて、それぞれ文部大臣といえども農林大臣といえども、すべては連帯の責任を持っておるのであります、政府の名において法案提案しておる、こういうことを言っておる。こういう活動がある程度必要とあるならば、これは内閣ではありませんか、政党ではありませんか。それならば差しつかえないでしょう。また一般にできるだけそういうことを徹底せしめた方がいい。しかし一般に徹底せしめる方法は、国会公聴会もやり、国会が世論を聞いて、法律についてきめるのであります。それを行政機関である文部省が、国会の行ういわゆる世論を聞いてきめるという行為を行うのは、越権行為ではございませんかと私は申しておる。だから法案中央集権であるとかないとか、教科書の国定化の意図であるとかないとかいうことは別個の問題であります。だから、私は中央集権ではない、こう確信をしているから、そのことを知らしたかったからそのことをやった、かりにその気持が善意であろうとも、やっていいことと悪いことは、善意、悪意は問わないと私は思うのです。少くともあなたは法律家でいらっしゃる。善意であろうともあるいは悪意に基こうとも、法に抵触した場合、その権限の範囲を逸脱した場合において、法は処分を求めるのであります。だから中央集権であるとかないとか、あるいは国定化の意図であるとか、ないとか、そういう考え方があったからこれはやりましたということでは、答弁になりません。これは文部省の権限のらち外にある表現の仕方であり、その表現をもってこれを頒布するということは越権の行為ではないか、こう私は言うのです。先ほど御説明をいただきましたが、設置法の中にある組織令、その中にある政策の浸透とかなんとかいうことも、行政部門ごとにゆだねられた政策であります。文部省が政策を立案し、その政策を遂行するなどということになれば、文部省だけあればよろしい、国会も要りません。しかし法律あるいは組織令にかかっておる言葉の範囲というものは、おのずから行政府として制限された範囲の中におけるその政策を意味しておる。その宣伝を意味しておる。そういうことではこれは答弁にはなりません。御答弁を願います。
  72. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今お聞きすると、国会も要らぬとおっしゃったけれども、私は国会も要らぬとは考えておらぬのです。印刷物を見て下さい。「そこでこれら批判の声に聞かれるおもな問題点について立案の趣旨をここに紹介しよう。」立案の趣旨として私が国会責任を持って答弁いたしましたその答弁の要約をここに書いておるので、立案の趣旨を説明しますといってその趣旨を説明しておるのです。一体文部省といったところが何も政府のらち外のものじゃないのです。やはり政府のする行政を分担し、従って私の答弁を補充するために文部省の官吏がここへ来ておるのであります。こういうことができれば国会は要らぬのだと激論を放たれますけれども、今日の国会制度はこれでよく運行されておると、私はかように思っております。
  73. 辻原弘市

    ○辻原委員 人の言葉の端をとらえて言うが、私はあなたが政策を遂行するためにこういう活動をしてもいいんだとおっしゃったから、文部省自身がそういうち外な政策遂行をやることができるならば、あなたは国会も否定した考え方ではないかと私は言った。またあなたは今立案の趣旨を解説したにとどまるんだからそれはいいんだ、こういうふうにおっしゃった。しかし立案の趣旨というものは少くともあなたがとりまとめて国会提案されたあの提案理由の中にあるわけです。ところが提案理由の中にはこういうどぎついニュアンスというものは出ておりません。だからそれをどう解釈するかは、これは国会がこれから論議をしてやるのであります。それに先走ってこういうような二つの意見に分れておる一方の見解をとって宣伝をするということは、幾ら強弁をされても、この法律に対して一方の世論に傾けるようなそういう宣伝活動を文部省が行なっておるというその事実を曲げることはできないじゃありませんか。しかしこれはあなたがあくまでも差しつかえないという強弁をされるとあらば、やりとりは並行線でありますので、これ以上は申し上げませんけれども、少くとも公正に判断される者があるならば、あなたのような答弁はなさらないと思います。いずれまたその他の事例とも比べまして、さらにこの問題について大臣のお考えを追究いたす機会もあろうかと思いますので、時間もありませんから今日はこの程度にいたしておきます。
  74. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 午前の会議はこの程度にし、午後一時五十分より再開いたします。  この際休憩いたします。    午後零時三十七分休憩      ————◇—————    午後二時二十四分開議
  75. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑の通告がありますのでこれを許します。小牧次生君。
  76. 小牧次生

    ○小牧委員 清瀬文部大臣に質問をいたしたいと思います。  午前中の審議の際に、大臣は本法案の審議に際して答弁については楽しみにして出席しておる、こういう御答弁でございましたので、私も安心して御質問を申し上げたいと思いますが、先ほど文部省が出しました文部広報についていろいろ質問があり、また御答弁がございました。これも私は非常に重要な問題であると考えております。もう一つ、私が重要であると考える問題がございますので、まず初めにその問題について大臣に御質問いたしたいと思うわけでありますが、これは法案内容には直接関係はございません。しかし非常に重大な問題であると考えますので、あえて大臣の御見解を伺ってみたいと考えるわけであります。  それは三十一年度の予算の中に、ことしの秋に行われるべき教育委員会選挙の費用が計上されておらない。なぜ予算に選挙の費用が計上されなかったか、これをお伺いいたしてみたいと思うのであります。
  77. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 予算を提案しましたころには、すでに教育委員会選挙によらない方がよかろうという政府の方針がきまっておりましたから、行わない選挙の予算は必要なしと考えたのであります。
  78. 小牧次生

    ○小牧委員 大体今のように答弁されるだろうと考えましたけれども、一応正式にお伺いいたしてみたわけでございます。しかし私どもはただいまの大臣答弁では納得できません。明らかに法律が現存しており、まだ成立もしておらないこの法案が果してどうなるか、審議の過程において今秋行わるべき選挙の費用をすでに予算から取りはずしたという態度は、なるほどあなたの党は多数でございますから法案を出せば通過する、従って選挙は要らない、なるほど事務的にはそういうことも言えるかと考えます。しかしながらこの態度は、少くともわが国が法治国家であり、法治主義に立つ以上、また清瀬文部大臣は法曹界の権威であり、また弁護士であられ、法律を尊重し、たっとばなければならない仕事に携わっておられる方でありまして、法治主義と国家と、あるいは議会、こういうような観点から今回とられた態度はわれわれは納得できないのであります。  この点については中央公論の三月号の巻頭言というところに、いろいろ批判をした論文が掲載されております。お読みになったかどうかわかりませんが、少くとも中央公論はわが日本でも一流の総合雑誌であろうと私は考えております。従いまして多少内容は長くなりますけれども、一応ここでその巻頭の論文を朗読いたして、さらに文部大臣の御見解を伺ってみたいと考えるわけであります。こう書いてあります。伝えられるところによると、この秋予定されている教育委員公選の費用は、こんどの予算に計上されていないとのことである。おそらく政府の腹は通常国会で、教育委員会を改廃する法案提出し、その通過を、多数派の威力で強行することになるから、その経費は不要と考えたためでああろう。官庁としては、はなはだ時宜に適した便利な措置といわねばならぬ。  だが、日本を法治国家と考え議会政治の国と見ているわれわれ国民にとって、この措置ほど奇怪なことはない。なぜなら、第一に教育委員会は現に存在し、これに関する法律も決して消えていないからである。鳩山内閣は、もし委員会公選が存続するとなれば、予備費をもってその費用に充当する意図であろうが、これは、まつたく本末を顛倒した議論といってよい。なるほど、教育委員公選を廃する声は、政府・自民党・自治体のなかにある。だが、これに反対する世論も、新聞雑誌を通じてすくなくない。改廃法案提出されるという事実は認めても、それが当然法律になるとは、国民は必ずしも考えていない。いまもし同様に賛否の両論が闘わされている自衛隊についても、これを廃止する案が、何党かによって上程されるとしたら、政府は、自衛隊法を無視して、その経費を予算に計上しないつのりであろうか。まさか政府提出法案だけが、予算の面で遡及効を有しているなどという珍説を、法曹生活の永い清瀬文相が抱いているとはおもえない。法律がある以上、その費用は予算に含まれねばならぬ。廃止になったとき、はじめて削除するのが正道である。その意味で、こんどの措置は明かに法律を蹂躙するものである。  けれども、われわその批判すべきより重要な点は、この法律無視の背後にある議会軽視の思想である。多数党を背後に擁する政府提出した法案ならば、その内容の正邪を問わず、かならず法律になるという思い上った態度がこれである。ここでは野党の社会党はもとより、自党の陣笠議員をも、意見のない投票人形と見なしている。これでは、せっかくの民主議会も、法律を製造する自動機械と異なるところはない。  こうした態度と思想が、教育委員公選を廃し、文部省の威令を全国各地の学校に振り撒くこんどの措置を生み出したのである。現に教育委員会の改廃について、かんじんの児童生徒の父兄からは、なにひとつ賛成の声は挙っていない。あるものといえば、文部省や府県市町村行政上の便宜だけである。その便宜が、法治主義の無視と議会の軽視に結びついているとすれば、国定教科書と教育勅語の復活は、あと一歩である。」こういう論文が三月号に掲載されておるのであります。従いましてなるほど先ほどの文部大臣の御答弁は一応わかります。しかしその背後に、ここに書いてあります通り、法治主義と議会という立場から本問題を考えてみますときに、われわれは現在ある法律は、あくまでもこれを尊重しなければならない。もしこの尊重の念がだんだん薄れて参りますと、次第に官僚の力が増大して参ってくる。結局は官僚に議会の勢力がその地位を譲るという弊害を再び引き起さないとは、これは断言できないと思うのであります。われわれはあくまでも国会は最高の機関である。この権威を守るためには現存する法律はあくまでもこれは順守して、そうして正しい立場において運用して参らなければならない。そういうことから申しますと、現在審議されているこの法案は果して通過するのかしないのか、これもわからないのに、すでに予算からこれをとりはずすということは、これは明らかに法治国家の建前から法律を軽視いたしておる、かように私は信ずるのでございまするが、もう一度大臣の御見解を承わりたいと思います。
  79. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 中央公論の記者は、国会法及び国会運営を御承知なかったから、そういうことになったのです。今では予算と法律案の関係は、戦前からでありまするが、同時に均衡を得て出すのであります。それゆえに政府選挙をしないでもいいという法律案を出す時分には予算からこれを削るのです。また逆に今までなかった法律でも、予算のいる法律案を出そうと思えば、法律案と同時に予算に計上するのです。予算を審議する期間、一カ月か二カ月の間はちょっと不ぞろいにはなりますけれども、今の国会法の運営としてはそれより仕方がないのであります。法律案が通ってしまうてから予算案を出すのじゃ、四月五月の後になりまするし、初め予算案が通過しております。この間通過したる予算案でも、それに伴う法律はまだできておりはしません。そういうことになりまするが、戦前から政府の確信をして出そうという法律案と予算とは、法律ができる以前から一致して並行して出すのが、これが今の国会法の運営でございます。
  80. 小牧次生

    ○小牧委員 なるほど法案提出されます以上は必ずこの法案は通すという建前から提案をされるでありましょうが、しかしながら過去の例を見ますと、必ずしもそうではなかったと私は考えております。たとえば第二十二特別国会におきましても、鳩山内閣がその面目にかけても成立させようと非常に努力いたしました、あなたの関係しておられる憲法調査会法案あるいはまた国防会議の構成に関する法案、あるいはまた自治法の一部を改正する法律案、こういった非常に重要な鳩山内閣の看板とも言われるような法案は、審議未了その他によって成立をしておらない。それが今度の教育委員会に関する法案だけが必ず通る、そういうことはどういうことによってそういうふうにお答えになるのか、もう一度お伺いしたいのである。
  81. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今申した通り並行して出すので、前国会の憲法調査会法を出した時分に、まだ通らぬうちに、わずかの予算でありましたが、予算を二百万円か何か出しました。二つ並行して出しておるのであります。中途国会の審議の結果、その法案が通らなかったら予算は執行できないということで終るのであります。これはどの案でもそうなんです。
  82. 小牧次生

    ○小牧委員 先ほど中央公論の論文を読みましたが、その中にも書いてありますが、しからば政府が出した法案だけがそうであるとお考えになるのか。これにも書いてある通りに、かりに自衛隊の問題についても、これを廃止する法案が上程された。もとより政府は出さないでしょうが、もしかりにそういったものが上程されたら、これを予算に計上しないことになるかどうか。しからば政府が出したものは初めから通るから予算に計上しない。ほかの党がもし同じような法案を出した場合に果して予算を計上しないかどうか、この関係についてもう一度お伺いいたします。
  83. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 法律案予算案は並行して出しますが、予算案を出したがためにこの法律案はきっと通るという受け合いをしているわけではない。予算は文字のごとく予定でございます。
  84. 小牧次生

    ○小牧委員 もちろん予算は予定でございます。従って現に法律がある以上、まず予算に計上しておいて、そうしてかりに法案が成立いたした場合に初めてこれを予算から削除する、これが当りまえの態度であろうと思いますが、今の御答弁やまたこの法案提出の仕方、こういうものをいろいろ考えてみますと、御承知の通り予算は衆議院は二月二十八日に通過いたしております。ところがこの法案提出されたのは三月八日であります。あとである。従ってこれは初めから通るものだ。法案もまだ提案されない前に予算から削られてすでにこれが成立いたしておる。これは法治国、法治主義と議会という関係から考えて決して正しい態度ではない。やはり法律を尊重し、法治国家という建前から考えるならば、とにかく法律がある以上は予算に計上しておいて、これが成立した場合に初めてこれを削除する、削減する、これが私は正しい態度であろうと信じております。こういったいろいろな重大な法案を、まだ法律提案されない前にすでに予算から削除したり、あるいは出せば通るのだ、こういうような態度で臨むこと自体が、法案作成に当ってきわめて非民主的な態度をこの法案の中に暴露する大きな原因であろうと私は考えておりますが、さらに大臣のお考えを承わりたいのであります。
  85. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 言葉に拘泥するのじゃございませんが、法治国家というのはできた法律を執行する場合のことでございます。政府が立法でこういう立法をしよう、それと同時に予算案を並行して出そうという時分には、改正せんとする古い法律を基礎とするのじゃなくして、改正されるべく予期しておる法律に沿う予算を出すのでございます。これが日本国会法の趣意で、国会法に従うことが法治主義なんです。
  86. 小牧次生

    ○小牧委員 先ほどの文部広報の問題といいあるいはまた今の選挙費の問題といい、政府がやるのならば大ていのものはよろしい、こういうような思い上った態度、また法治国家の法律をじゅうりんするこの態度は、与党の中ではそういうことはないといろいろおっしゃるような声が聞えておりますけれども、われわれ国会議員がこういう態度を堅持しない限り、次第に往年の官僚の勢力というものがこの間隙に増大するということは、過去の歴史が明らかに証明しておるものと私は考えるわけでありまして、こういう態度を払拭しない限り、ほんとうにこの法案が——答弁では決して中央集権ではない、あるいは非民主的なものではないと言われても、一貫して流れる精神は絶対に答弁されるようなものでなくて、まさにその逆の方向に進みつつあるということをこの歴史からも私は看取するのであります。しかし時間もないようでございますので、この問題は一応このままにいたしておきまして、本論に入って具体的に法案について引き続きお尋ねしてみたいと思います。  今まで同僚委員の諸君から、今回の法案について総括的にいろいろ質問があり、また大臣からもいろいろ御答弁がございましたが、要するに今回提案されましたこの法案は、一方には中央集権の強化である、あるいは教育の国家統制である。あるいはまた今度提案された法案による教育委員会というものは、名前だけは教育委員会であるけれども、すでにその中立性あるいは自主性、そういったものは失われて、行政の首長の従属機関であり諮問機関にほかならない、こういうような見解に対しまして、大臣その他は決してそうではない、こういう答弁によって論議は大きく二つに分かれておるのであります。もちろん一つの問題に対しましては、必ず一方には賛成があり、また必ず一方には反対がある、これに当然でございます。そこで私どもが考えなければならないことは、個人的に主観的にこれは中央集権ではない、あるいはまた教育の統制ではない、こういうふうに政府並びに与党の皆さんは考えられる。しかしながらそういった主観的な考え方、主観的にそう考えておるということは、大して問題でないと私は考えております。少くとも賛成するか反対するか、これは法案に盛られた内容を検討して客観的にこれが判断されなければならない、こういう点から法案提案される前から、あるいは提案されてからのいろいろな各界の動きを見ると、これはもう大臣がよく御承知の通り、有名な大学の学長あるいは六百名余りの教授の方々が一緒になって、教育の国家統制あるいは教育の危機を唱えておられる。また教育に関係する十四の団体が、これに対しましてあげてその逆行性を指摘し、教育の今後起るべき不幸、混乱を心配して、あくまでもこの法案には反対する、こういうような事態にあるわけであります。  そこで私はまず第一に大臣にお伺いいたしたいのは、教育委員会の問題がいろいろ論議された過程の問題であります。私どもが承わるところによりますと、初めは現教育委員会は現状維持でいこう、公選制あるいは原案送付権、こういったものは現状のままでやっていって、そして地方教育委員会廃止したらどうか、こういうような考え方もあったように聞いております。あるいはまた県教育委員会は、ちょうどこの案にあるように任命制にして、原案送付権を削除する、そうして地教委はこれを廃止する。今日までこの法案ができ上るまでにはいろいろな論議が与党内部においてもあったということを私は聞いておるのでありますが、そういったいろいろな意見の中に、新聞紙の報ずるところによりますと、清瀬文部大臣が、存廃両論を取り入れてその中間案をとって、そうして現在のような地方教育委員会は存続する、もとより県教育委員会もそうでありますが、そうして両方ともこれを任命制にする、こういう現在の法案ができたと新聞紙は報じておりますが、今申し上げたようないろいろな変遷——最初は県教育委員会は現状維持でいこう、地方教育委員会廃止しよう、こういうような説もあったと聞いておりますが、なぜ今回のような案になったのか、その点の経過について大臣から承わりたいと思います。
  87. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 教育委員会の問題は、これは非常に重要な問題でございます。昨年の十一月十五日、今の自由民主党ができる以前から、自由党内部におかれても、私の属しておった日本民主党内部におきましてもいろいろ御議論がありました。ただ一致した点は、今日のままではいけないということであります。これは重要なことといたしまして、党内で、文教委員の方々、また特別に文教問題を討議する機関もこさえましたし、政策審議会にもはかりましたし、総務会にも諮りましたし、最後に代議士会等にも検討を願ったのであります。この間紆余曲折のことは私詳しく日誌等もつけておりませんから、いついっかどうなったということは今ここでお答えすることはできませんが、党内にも、地方教育委員会廃止した方がいいという有力な意見があったことも事実でございます。また今の通りでもよかろうじゃないかという考えの方もあったことは事実であります。これらのものが寄りまして、国家のために非常によく研究いたしまして、最後に、今日の現状からすればこの案が一番いいという断案を下されたのでございます。
  88. 小牧次生

    ○小牧委員 詳しい経過の話はございませんでしたが、結論として、廃止するよりも残して今のような案にした方がよろしい、こうおっしゃいましたが、その理由をもう少し明らかにしていただきたいと思います。
  89. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 まず第一に、こういう合議制機関をこさえた方が、全部廃してこれを市町村長の単独担任機関でするよりはいい、こういうことが第一であります。それゆえに、わが国では戦前はなかったことでありまするが、合議機関たる執行機関でございます。さっきあなたは諮問機関とおっしゃいましたが、これは執行機関であります。日本では珍らしいことではあるが、複数合議制の執行機関を置く、すなわち安定をはかるためであります。しからば複数機関選挙によるかよらないかという問題になりますと、直接選挙によることはかえって中立を害する場合があり得る。全員または半数以上一つの党派が独占をしたときを想像してみると、教育中立制という点に害があるから、そこでやはり政党の所属を限定するということを考えて、同じく国民から選ばれた市町村長、これに信任し、同じく国民から選ばれた町村議会、これにも信任して、この国民から選ばれた人が、同じ党派には二人はいいが三人以上はいけないという限定で、人格高潔、しかして教育、学術に識見ある者を委員とするということが、一番穏当、妥当であろうという結論に達して本案を提案することにいたしたのでございます。
  90. 小牧次生

    ○小牧委員 先ほどの私の質問は、県教育委員会は一応現状のままでいったらどうか、こういう説も相当あったろうと考えておるし、また聞いておるのでありますが、地方教育委員会はこれを廃止したらどうか、ところが今言われたようないろいろな理由によりまして、廃止しないでこれを残して、そうして三人ないし五人というような委員を、行政の首長が議会の同意を得て任命するという方法をもってこれを存続させよう、こういうようなお考えであろうと思いますが、しからば今申されたような方法によってできる新しい教育委員会、これが独立機関であるかどうか、これを大臣はどのようにお考えでございますかお伺いいたします。
  91. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 これは一つの執行機関であります。独立というとどういう意味かわかりませんけれども、初めから町村長に従属しているものじゃございません。
  92. 小牧次生

    ○小牧委員 なるほど御答弁では初めから従属しているものではない、こういうようなことでございます。なるほど初めからは従属しておらないかもしれないが、結局は従属するものである。そうなると、従来の教育委員会は、御承知の通りこれは純然たる自主的な独立機関でございましたが、今回提案されました法案による新しい教育委員会は、全然前の教育委員会と本質を異にする、全然別個の教育委員会である、かように私は考えますが、大臣はどのようにお考えでございますか。
  93. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 前の教育委員会も今の教育委員会も本質においては同じものなんです。ただ改正案ですから、前と全く同一のものじゃございません。しかしながら今度の案によりましても、教育委員会権限は、町村長と独立して第二十三条というものがございます。教育に関しては委員会がむしろ優先であります。それを受けた二十四条が、その残りが町村長権限でありまして、二つ対立した権限を持っておるのであります。町村長教育委員会指揮命令することじゃありません。
  94. 小牧次生

    ○小牧委員 もう少し具体的にお伺いいたしたいと思います。しからば今回提案されたこの新しくできる教育委員会は、まず第一に先ほど御答弁がありましたように、議会の同意を得て行政の首長が任命する。もう一つは現在の教育委員会が持っておる従来の原案送付権あるいは条例、こういったものが削除されておる。奪われておる。さらにもう一つは、従来教育委員会が任命しておりました教育長、これが県においては、御承知の通り文部大臣の承認を必要とする、また市町村教育委員長は都道府県委員会の承認を必要とする。こういうふうになっておるわけでございますが、まず第一に原案送付権の問題であります。  今日の教育委員会は、御承知のように県議会市町村議会に対して、原案送付権を持っておる。なるほどこれによって、ある程度の問題は、若干あったとは思います。私も長い間県議会に席を有しておりまして、行政の首長と教育委員会の間に立っていろいろその調整に努力をして参った経験を持っておりますが、教育委員会は独自の財政を持っておらない。それだけでも非常に弱い立場に置かれている。ところが今でさえも弱い立場に立たされておる教育委員会が、その原案送付権を奪われたならば、一体どういうことになるか。これは私も県議会にあって、知事と教育委員会のまん中に立って、予算編成の際には、いろいろ両方の御意見を、長い間聞いて参った経験を持っておりますが、もしもそうなるとするならば、もう教育委員会というものは、完全に知事や行政の首長の諮問機関と化してしまって、その自主性、その独立性というものは全然失われてしまう。これはもう私は、どんなに大臣が弁明されましても、結果は明らかにそうなるものと断定いたします。そこで第二十二特別国会でありましたか、自治法の一部改正また地方財政再建促進特別措置法案、こういうもの政府から提案されました際に、初めは教育委員会の持っておる原案送付権を削除しよう、こういうような大体の方針になっておったようであります。そのときに教育委員会の皆さんは、こぞって今私が申し上げたような立場から強い反対をなされ、時の文部大臣松村謙三氏は、そういった意向を受けて、閣議において今申し上げたようなことを説明して、ついに松村前文部大臣の努力によって、ひとまずあのときは教育委員会から原案送付権を削除することは取りやめになった。こういういきさつがあったことは、清瀬さんもよく御記憶のところであろうと考えております。なぜああいうような問題が起ったのか。これから考えてみましても、今回の法案に盛られた原案送付権をとったというこの点は、教育委員会が弱体化することを明らかに立証しておるもの考えるのであります。それでもなおかつ大臣は、今度できる教育委員会はやはり従来と変らない、独立した自主的な権限を持って教育を守ることができるとお考えになっておりますか、お伺いいたします。
  95. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 けさほど高津君にもお答えしたのでありまするが、一番大切なのは教育自体であります。町村長町村会議員といえども、教育を悪くしようという考えの人は一人もないのです。教育委員会の方も、しからば今度は、町村の財政を悪くするという考えはないのであります。しかしながら人おのおの自分の所管ということが早く目につきまするから、やはり教育委員会町村会との間にあつれきはなきにしもあらずであります。そういう状態は好ましい状態でありませんから、そこで調和、すなわち調整和合という方法を考えまして、今回は一つの法人の中に二つの予算を出すというよりも、法律は二十九条でありまするが、議会で議決を要する事件といえば条例と予算であります。議会の議決を要する事件の議案を作成する場合においては、教育委員会意見を聞かなければならぬ、こういう義務をつけておるのであります。その方が調整和合の道にかない、日本の国の教育をよくするゆえんであろうとわれわれは考えまして、本案を提案したのであります。
  96. 小牧次生

    ○小牧委員 午前中の高津委員の質問の際にも、よく調和ということをたびたび申され、今もまた申されるのでありますが、ほんとうに調和ということを考え、また民主的な調整ということを考えるならば、先ほど申し上げました通り、私も県議会でちょうど中間にあって、その調整の役に当った体験がございますが、まず原案を作る前に、教育委員七名の方が、この案に賛成するか反対するかいろいろ論議をなされた結果、教育委員会の原案というものが出て参る。結局は教育委員会自体で十分民主的に話し合いをした結果、教育委員会の案というものがまとまって、そうしてこれを県当局なり市町村当局に送付する。そうすると知事なり市町村長教育委員会との間に、そこにいろいろと折衝が展開される。その折衝もあくまでも民主的に教育委員会行政の首長との間に調整が行われる、そうしてこれが県議会なりあるいは市町村議会提案されて参る。もちろんその過程において、今おっしゃいました通り、全然どこにもいざこざがない、摩擦がないとは申しません。なるほどまだ県教育委員会ができてから六、七年、市町村教育委員会ができましてからまだ三年ぐらいしかたっておりません。まだまだその成長発達は今後に待たなければならない点が多いと考えておりますが、今そういったようなものが多少あるからといって、調和という言葉を使われますけれども、行政の首長が任命する権限を持っておる、行政の首長が任命した教育委員行政の首長が話し合いをする場合に、何としても行政の首長の優位性、その権力による介入というものがないということは断じて言えないと私は考えております。今でさえも、原案送付権があっても、なかなかこれを聞き入れない、従って県教育委員会は常に苦境に立っておる。市町村教育委員会も同じようであります。行政の首長も教育委員会の方々も、今おっしゃる通り教育を悪くしょうと思っておる者は一人もおらない。しかしそこにやはり意見が合わない場合がある。そういたしますと、やはり権力のある方に弱い方は従っていかなければならない。こういうような方向へ今の教育委員会を切りかえていこうということは、これは明らかに今まで民主的にできておった教育委員会に権力が介入して、権力によってこれを解決していこう、言葉はなるほど調和という言葉を使われますが、いろんないざこざがあった場合に権力によってこれを解決していこう、なるほどこの考え方は手取り早い考え方であるかもしれない。極端にいいますと民主主義よりも独裁、これが最も手取り早い。しかしながら今日そういったことは決して許さるべきものではないのであって、いろんな摩擦があり紛争がある場合に、これを調和する場合いずれの方法をとるべきかというと、権力の介入による解決の方法をとらずして、むしろ逆にあくまでも話合いによって民主的に解決していく、この方向をとるのが私は正しい民主化の方向であると考えておりますが、大臣考え方は一貫してそういう場合には権力を持っ立場にある人がこれを解決するという方向になると考えますが、大臣のお考えをお伺いいたします。
  97. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 小牧さんは県の行政または教育等についてみずから御経験をお持ちになって、二本立て予算の場合にはその中間にあって和合の道を講じて下さったということで、小牧さんのような方がある場合は非常にいいのであります。そういう人がなかったら今までの制度では県会議員は県会議員で突つぱり、教育委員会教育委員会で突つぱる。それでにっちもさっちもいかぬという場合があり得るのです。また数県ありました。それよりもむしろそういう案を出す前には、教育委員会と県との間に和合調和をはかって一本で出す。一本で出しましても県会には修正権もあるのでありますから、最も正しいもの、少くとも最も正しいと自分考えておるところに結末はいくのであります。優位性とおっしゃるが、この案では権限が違っておりまして、二十三条に書いてある広い権限教育委員会が持ち、教育に関してはむしろ町村長の方が狭い権限を持っておるのであって上下の考えはありません。どっちも並行して自治体たる、公共団体たるもの機関でございます。これでうまく運営ができると私どもは信じておるのです。多数の私ども友人が——友人というのは代議士でありすまが、参議院議員も寄って各方面から検討に検討を加えて、ある場合は深更に至るまで考えて、これが一番いいという信念を固め得たのでこれを提案したのでございます。
  98. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 ただいま本会議が開会されましたので、本日の質疑はこの程度とし、次会は明四日午前十時より開会いたします。  これにて散会いたします。    午後三時十五分散会