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高村委員 任命制をとられたゆえんのことはわかりましたが、私ども
教育委員会に属しております
関係もございまして、この問題が表に出ましてから、賛否両論がいろいろな点でわれわれにも実は訴えられてきておるのであります。その中で、賛成の人もあり、反対の人もございますが、反対の人の中に、今回の
教育委員会制度の
改正に当って、中央集権を目ざしておるんだ、こういうことで反対しておる人があるのであります。私はそのことはわかりませんけれども、この点もやはり明らかにしておく必要があると思いますので、私の所信を申し上げて、
大臣の御所見を伺ってみたいと存じます。
日本の
教育委員会制度というものができました沿革から申しましても、必ずしもすっきりしたものではなかったことは御
承知の
通りでありまして、経過から申しますと、この前の御説明にもございましたように、初めには昭和二十三年の十一月にこの
法律が施行になって、その際は
都道府県と五大市及び若干の市町村にできまして、その後また二十三年に十五の
教育委員会ができて、計百十というもので昭和二十七年の十一月に全面実施になるまで来ておるわけです。この二十七年の全面実施になりました際には、われわれは実はまだ議席を持っておりませんでしたけれども、野党の立場にあって、市町村
教育委員会の実施には反対で、社会党の
諸君も御反対であったようでございます。しかしながらあのときのいわゆる抜き打ち解散によりまして、遂にこれが全面実施されることに相なってきたのでありまして、今日中央集権化ということが観念的に言われて、
地方分権ということが
日本の
教育の
一つの柱になっているように主張しておる人がございますけれども、これはどうも私には納得がいかないのであります。と申しますのは、やはり
教育の民主化と申しますか、民主主義の進展のためにすべてのことをやらなければならぬということが大きな柱であったと思いますが、
地方分権によって果して民主主義が健全に発達するかどうかというところにも大きな問題があると思うのであります。この点は、中央集権で民主主義が
ほんとうに進む場合もあると思います。たとえば
占領下におきましては、もう
占領政治でございますから、実質的には極端な中央集権である。形の上においては、なるほど非常な
地方分権的な形を持っておりましたけれども、
日本政府の上に強力な専制的な独裁的な
占領軍司令官というものがおりまして、これが末端まで指導するような状況でございますから、私はこのくらいの中央集権はないと思います。そういうふうな
制度のもとにおいて、
日本の民主主義というものは非常に進展をいたして参っておると思います。ところがその後独立いたしましてから、そういった中央集権的な筋金といいますか、そういうものがなくなりましてからはどうなったかというと、私はかえって逆転している点もあるように
考えます。地方で
教育の点を見ましても、一面においては非常に行き過ぎた、偏した
教育を行うようなところも出てきておると言われておる。これは左といわず右といわず、そういうことが現われているかと思います。
教育委員の中には
政治的な
中立性を疑われるような人も出ておるところがないではなかろうと思います。非常に地方では、あるところでは左に片寄り過ぎ、あるところでは右に片寄り過ぎておる、こういうことが言われると思うのであります。ところが中央の
政府はどうなっておるかというと、昔の
日本の中央
政府というものは、天皇が親任された者で
政府ができておりましたから、従ってその当時の中央
政府の性格というものと、今日
全国民が選んだその
政党によって選ばれている中央政権の本質というものは、非常に性格が私は違っておると思う。いわゆる
ほんとうの民主主義
政府というものが、中央にできているといわなければならぬと思うのであります。そういうときに、中央の
政府が若干の地方の
教育等に対して行き過ぎ等を右といわず左といわず是正するということは、むしろ当然なさなければならぬところにきておると思いますが、これらについてどうも中央が少しでも地方に
関係すると申しますか、権力を伸ばして参りますと、それは中央集権であって民主主義に反するのだと言いますが、私はこの
地方分権というのはやはり民主主義の手段であって、もしも
地方分権そのことが民主主義の健全なる発達に害があるような問題につきましては、中央がむしろそれをためていくことが、民主主義を健全に伸ばしていくゆえんだと
考えるのでありますが、これらの点につきまして
大臣の御所見を明らかにしていただきたいと存ずるのであります。