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1956-02-29 第24回国会 衆議院 文教委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十一年二月二十九日(水曜日)     午前十一時三十五分開議  出席委員    委員長 佐藤觀次郎君    理事 加藤 精三君 理事 高村 坂彦君    理事 坂田 道太君 理事 米田 吉盛君    理事 鈴木 義男君 理事 山崎 始男君       北村徳太郎君    杉浦 武雄君       田中 久雄君    並木 芳雄君       町村 金五君    河野  正君       小牧 次生君    辻原 弘市君       野原  覺君    平田 ヒデ君       山本 幸一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 清瀬 一郎君  出席政府委員         文部政務次官  竹尾  弌君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     緒方 信一君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     齋藤  正君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 二月二十九日  委員山本幸一君辞任につき、その補欠として辻  原弘市君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 二月二十三日  義務教育費国庫負担法の一部を改正する法律案  (内閣提出第七四号) 同月二十四日  万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に  関する法律案内閣提出第七七号)(予) 同月二十八日  国立及び公立義務教育学校の児童及び生徒  の災害補償に関する法律案山崎始男君外六名  提出衆法第八号) 同月二十三日  写真技能師法制定に関する請願西村彰一君紹  介)(第八二七号)  教育職員免許法施行法の一部改正に関する請願  (相川勝六紹介)(第八五四号)  学校教科儒教採用請願高橋等紹介)(  第八七三号) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  義務教育費国庫負担法の一部を改正する法律案  (内閣提出第七四号)  学校教育式典問題等に関する件     —————————————
  2. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 これより会議を開きます。  まず義務教育費国庫負担法の一部を改正する法律案を議題とし、その提案理由説明を求めます。清瀬文部大臣。     —————————————     —————————————
  3. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今回政府から提出いたしました義務教育費国庫負担法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容概略を御説明申し上げます。  現在、公立義務教育学校教職員の大部分は、国の恩給法準用を受けており、これら教職員が退職または死亡いたしました場合に支給される恩給は、国の恩給法準用に基いて、都道府県知事が裁定し支給し、これに要する経費は、都道府県負担する建前になっております。もちろん、これに対しまして国は、地方交付税交付を通じて所要財源措置は講じておるのでありますが、この恩給費は相当な額に上り、さらに年々増加する傾向にあるため、都道府県としては相当過重な負担となっている実情であります。  一方、国は、義務教育費国庫負担法に基いて、公立義務教育学校教職員給与費半額負担しておりますが、これは国と地方義務教育に要する経費を折半いたしまして負担することにより、義務教育機会均等とその水準維持向上をはかろうとするにほかなりません。  以上の諸点にかんがみまして、政府は、今回との国庫負担制度を拡大いたしまして、本年七月一日以後において、退職し、または在職中死亡した義務教育学校職員にかかる恩給費についても、国がその半額負担することとして、これに伴い義務教育費国庫負担法所要改正を加えることとしたのであります。  以上この法律案提出いたしました理由及びその内容概略を御説明申し上げました。なにとぞ十分御審議の上御賛成下さるようにお願いいたします。
  4. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 本案に関する質疑次会よりこれを行うことといたします。     —————————————
  5. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 文教行政について前会に引き続き質疑を続行いたします。並木芳雄君。
  6. 並木芳雄

    並木委員 私大臣質問いたしますが、この前の委員会社会党の方から出ました質問を聞いておりますと、紀元節のことなどに関して、何か祖国を忘れたんではないか、あるいは日本歴史とかよき伝統というものを忘却しておるのではないかというような印象を受けましたので、ここにいつまでもそういう議論が蒸し返されて、また近く鳩山総理大臣を呼んでやるということでございますが、それでは困りますので、その議論を整理しつつ、今後の文部大臣としての行き方をはっきりお伺いして、とどめを刺しておきたいと思うのであります。  第一にお伺いしたいのは、国の祝い日としての紀元節のことでございますが、国の誕生日が必要であるということはもうこれは異論がございません。先般来の議論の中には、高知県の小学校で起った紀元節行事と、それから紀元節そのものがいいか悪いかということが混同されておる議論が行われております。これは私ははなはだ遺憾であると存じます。学校における行事は、教育基本法あるいはその他の法令によって教育委員会承認を与えれば、校長権限内でいろいろの行事ができるということは、先般来大臣から御説明があった通りなんです。ですから今国の行事となっておるということを校長が言ったはずもありませんし、昔の紀元節そのものをこの間のお祝いに使ったとは思いません。むしろ国祝いというよりも、学校行事として、学校祝日としてやったという点において私は了承できるのではないかと思うのです。ただ文部大臣授業を休んでやったことは考えものであるというお言葉でございましたが、これも広い意味授業活動と見れば、あの行事も納得できるのだと思うのでありますけれども、そのところはいかがですか。もし授業を休んでやったということが好ましくないならば、大臣としてはこれに対して何か注意を与える所存でございますかどうか、まずその点をお伺いいたします。
  7. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今日の学校教育では、一定の計画のもとに、文部省の出しました学習要領によって教育をいたしておるのでございます。法定の祝祭日またはあらかじめ作っておいた休日においては、これは当然予想されておるのでありますが、祝祭日または休日以外においては、やはり教育水準維持のために子供に勉強させるということが、学校の一番の務めと思います。これが一つの前提でございます。学校管理は、御承知の通り教育委員会というものがありまして、教育委員会管理のもとにやっておるのでございます。私は国の初めを喜んで祝うということはいいことだと思っているのです。しかしながらこれが法律祝日のうちに入っておりませんから、それゆえに学業を休んでやるべきものじゃなかろうと思う。だから学校の校舎、敷地を使ってやるのでございまするから、やはり一方においては教育委員会側の了解を得、他方においては毎日の授業に差しつかえない、こういう状態のもとにおいて神武紀元を教え、またこれを祝するということはやって差しつかえがない、こういう考えで過日来お答えいたしておるのでございます。
  8. 並木芳雄

    並木委員 要するに学校の問題は、私は大臣説明で了承できると思うのです。ただたまたま行なった行事が、国の紀元節であるということで、社会党皆さんはどういうわけですか、紀元節がおきらいのようでございます。何とか憎けりゃけさまで憎いというのでしょう。それをやったものですから、学校行事をとりたてて非難されますけれども、私はこの二つははっきり区別をして考えていかないと間違いだと思います。  そこで次に問題になりますのは、紀元節是か否かということでございます。国の誕生日として紀元節を選ぶことが是か否かということが課題であると思うのです。この点については、清瀬文部大臣賛成であると言われましたし、また先日の閣議でも取り上げられたそうでございますが、閣議でも満場一致賛成だったそうでございます。社会党として果して紀元節反対賛成かという最終的な決定はしていないと思うのですけれども、たまたま参議院で出しております昭和三十一年度の参議院手帳を見ますと、今年は紀元二千六百十六年であると書いてあります。そうするとおそらくは参議院で公式に出した手帳ですから、参議院社会党方々紀元には御同意のようである。衆議院の社会党方々は、まだ先般来の発言によると、紀元というものを認めておらないようでありますけれども、私どもはやはり大臣の言われたように、日本書紀その他の文献によって、また今までの伝統、文化によってこれを継承することは何ら差しつかえないと思うのです。この前の委員会高津委員が、神話とか、伝説をそのまま無批判に受け取ることは非科学的である、こう言われましたが、大臣はこれに対しで、日本書紀などを取り入れることが科学的である、こう答弁された。私はその通りだと思うのです。またそれとともに、そういうものに対してメスを加えることが科学的であるという点で、私も高津委員同意をいたします。それはどっちも科学的なんです。ただしからばどっちに真実性があるかという問題がございます。そういう点からいうと、今まで長い間競いた紀元節というものが、日本の国の始まりであるというこことを、われわれが今日民主主義社会になりましても認めることは一向差しつかえないと思います。しかるに反対の立場に立つ人が、この尊い伝統とか神話とか伝説あるいは歴史を無視して少くとも多数の認めるところを無視しで、少数反日対論をもって否定しようというような態度は、むしろ少数ファッショではないか、こんなふうに考えられますので、私はやはり紀元節をそのまま国の誕生日として認めることがいいと思います。ただ紀元節という文字を使うことがいいか悪いか、この点大臣はいかがにお考えになりますか。また事ここに至りましたならば、われわれ議員としても立法については考えますけれども、政府としても進んで政府部内で国の祝日に関する改正法案を立てることも必要じゃなかろうかと考えます。あわせてお伺いをいたします。
  9. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 お答えいたします前に、誤解を世間にまいてはいけませんから、一言申し上げまするが、あなたは紀元節是か否かという簡単な公式で話を進められ、閣議決定に及ばれたのですが、過日閣議できめたのは紀元節是か否かじゃございませんので、今の問題、すなわち高知県の大豊村の学校でやったことが話に上って、結局これからといえども教育委員会同意を得、学校授業に差しつかえはないという二つのもとにおいては、行事はやてよろしいと私が説明したのに対して閣僚諸君は御承認になった。この限度がきまりでございまするから、それ以外の紀元節是か否かという広い問題は決定じゃございませんからして、私一人の言うこととしてお聞きを願いたいのであります。最後の問いは、紀元節という名前がいいか悪いかということであります。私はそれでいいと思っております。国民感情で国の紀元と思うた日の節でございます。節というのは本来は支那で洛陽を中心としての五節、時の移り変りを節、これは節の字でありますが、それに日本紀元の日に節をつけて紀元節と申したので、決して悪い含蓄を持っておる、また語感においても悪い字ではないと思っておる。しかしながらよりよき名前をお考え下されば、これは改めてもよいかと思います。私は二月十一日は紀元節と思っておるのであります。
  10. 加藤精三

    加藤(精)委員 関連して。政府委員の方からお答えをいただいた方がいいと思いますけれども、私は単にそういうふうな思想上の問題ではなしに、法規上の問題をお聞きしたいのであります。学校長は、学校教育管理についし非常に大きな権限を持っておる。おそらく入学、退学、転校の許可等学校長権限ではないかと思っておりますか、そういうような大きな権限を持っておる学校長には、学校行事の執行というようなことについても相当広範囲に権限が与えられているものだと思っているのです。学習指導要領だとかいろいろな教育内容についての規定はのるだろうと思いますけれども、それだけではとうてい尽せないものが教育院はあるはずでございます。環境の整備とか、社会の趨勢というようなものは教育内容を構成するのに非常に重要なモメントとなるものだと思っております。設例の高知県の場合等におきましては、学校長教育委員会等とよく世路をとったようでありますが、そういう場合、かりに学校長権限学校長だけの意思でそういう行事を執行しても差しつかえないんじゃないかという気が私はするのであります。それは授業日数の関係とか、授業日の繰りかえとかいうことが手続上必要かもしれませんけれども、そういうことは学校長権限であるいはできることじゃないかと思っておりますが、その点をお伺いしたいのであります。  つけ加えて申し上げますが、最近私郷里に帰って聞いた話ですが、私の郷里からアメリカに農業視察団の一人として参った者がカリフォルニァで労働に従事しておる間に、カルフォルニァ南部にメキシコから大量に移民が来ておるそうですが、それが建国の祝祭日には全部一日の労働を休んでお祝いをしたそうであります。自分はそういうことができなかったのは非常に悲しかったということを言っておるのであります。また同時に私の生れたいなかの小さな市でありますけれども、相当数の家庭で紀元節のために奉祝の国旗を掲げておったということを聞いたのであります。そういうことを考え、また私の県でも中央の市でかなり大規模に紀元節を祝う会が官民、有力者によって行われておるのでありまして、また東京等におきましてもその例があるのであります。こういう国民全体の感情思想がそういう方向に向いているときに、高知県のある学校でそういう行事をやってもそれがとがめられるべき根拠はないと思うのでありますが、それとともに法規の上からも差しつかえないんじゃないかという疑いがございますので、その点をお答えいただきたいと思っております。
  11. 緒方信一

    緒方政府委員 学校運営管理につきまして、その所管の学校を設置しておりまする公共団体教育委員会が、全般的、一般的に責任権限を持つことは当然だと思います。ただ校長職務権限といたしましては、学校教育法並びにその施行令等に具体的に規定されております。そこで全般的に教育委員会の指揮、監督と申しますか、管理のもとに学校運営される。これは全般的にかぶって参りますけれども、具体的にそれではどういう事務校長責任を持ってやるかということにつきましては、学校教育法等に掲げてあります以外の事項については、おそらく各教育委員会におきまして定めるのが普通であると思います。教育委員会教育委員会規則あるいは規定等によって大体その権限を委任したり、運営豊本を定めることに相なっておることと存じます。特に今お尋ねになりました点で、学校の休日等一につきましては、学校教育法施行規則の四十七条にきめてありまして、小学校における休業日は次の通りであるということになっております。その第一項第三号には「施行令第三十条の規定により教育委員会が定める日」こういうのが出ておりまして、施行令三十条と申しますのは、公立学校休業日につきましてここに二、三例示されておりますけれども、こういう場合の休業日については教育委員会が定める。これを受けまして施行規則の四十七条では教育委員会が定める、こういうふうに規定されておるのでございます。さらにまた校長権限として、四十六条には「授業終始の時刻は、校長が、これを定める。」とか、四十八条には、非常変災その他急迫の事情があるときは、校長は、休業をすることができるといったような規定がございます。それらのことは法令規定で明らかにせられた校長権限でございますが、それ以外のきめられていない事項については、教育委員会の全般的な管理権に基いて教育委員会が具体的にきめておるのが実情でございます。ただ、学校としての校務運営していく、これは校長責任でございます。これは学校教育法の二十八条に明らかに規定してあるのであります。
  12. 加藤精三

    加藤(精)委員 ただいまのはどうも間違いじゃないかと思うんです。第三十条には「公立学校夏季、冬季、挙手末、農繁期等における休業日は、当該学校を設置する市町村又は都道府県教育委員会が定める。」とありますが、これはどの学校にも通じて、どの学校にも農繁期休業とか夏季休業とかはあるので、そういうものの一般的な普遍妥当性のある休日ということだろうと思うんですがね。ある地帯が特に郷土愛とか祖国愛とかが非常に深いところで、他の地方がやらないことをやるという場合は、こういう条文の適用がないんだろうと思うんです。それから校長がそういうふうに定まって権限をきめられておるということは、どうも適当でないように思う。教育目的に非常に都合のよい場合に、その学校運動会とか記念祭とかをやる、そんなことは教育委員会教育委員会規則できめるということになると、むしろ適当でないように思うんですがね。そういう意味で何か御解釈が違わないかと恵んですけれども、もう一回お聞きしたいのです。
  13. 緒方信一

    緒方政府委員 お説のように具体的に学校運営管理責任を持つのは校長であると存じます。しかし基準となる事項について教育委員会が定めるのであり年中して、ただいまの休業日にしても定め方にはいろいろあると思います。あるいはぴしっと具体的にきめられるところではそうきめられておるでありましょうし、そうでないところでは校長判断にまかせる部分を相当残してきめる、こういうことではないかと思うのであります。全般的に責任を持つ行政機関としては、教育委員会学校運営任ずるということは全般として言えると思います。ただ今お話しのように学校の具体的な運営管理校長がやる、これは二十八条にその規定がございます。
  14. 加藤精三

    加藤(精)委員 教育的に必要なところに従って、学校祝祭日学校記念祭日取りをきめたり、運動会日取りをきめたりすることを、教育委員会規則できめればその教育委員会規則は違法だと思うのですが、その御解釈はいかがですか。
  15. 緒方信一

    緒方政府委員 違法とは言えないと思いますが、具体的にどこの学校運動会を何日にしろというようなことはなかなかきめにくいのじゃないかと思います。それは不適当だと思います。その校長さんの希望にもよりますが、学校のたくさんあるところを一律にきめることはむずかしいでございましょうし、その辺のきめ方はいろいろあると存じますけれども、その基準をきめるということは教育委員会権限じゃないかと思います。
  16. 加藤精三

    加藤(精)委員 ただいま教育委員会がきめにくいことはきめないだろうというお話しでございますけれども、きめにくいことまで立ち入って、お前の学校記念祭は、開校の日が三月二日なんだけれども、それを三月十三日にしたらよかろうというようななまいきなことを、地教委が言ったら、それは学校長運営権限に対する侵害であって、違法であると言い得るというふうに私は考えるのです。たまたまある地域によき意味祖国愛とか郷土愛とかいう精神がみなぎったとき、それを教育委員会が阻止するとか、あるいはそれに対してそういうことが起き得ないような、あまりに煩瑣な規則を設けたりすることは、学校長運営権限に対する侵犯であって、どうしても違法だとしか思えないのですが、その点もう一回お尋ねいたしたいと思います。
  17. 緒方信一

    緒方政府委員 私どもただいま申し上げましたのは、休業日につきまして学校教育法施行規則四十七条のことを中心にして申し上げたわけでございますけれども、ただいまお話しの、たとえば学芸会をやる、あるいは修学旅行をやる、これはまさに教育活動でございまして、この施行規則四十七条の休業日には当らぬと私は思います。従いましてそれらのことは学校長計画をしてやることであろうと思います。ただしその場合やはり教育委員会が全般的な運営責任を持つわけでありますから、教育委員会に相談することは適当であろうと存じます。四十七条の規則にありますこの規定をそのまま当てはめるということには相ならぬと思います。その点御質問の趣旨と離れます
  18. 並木芳雄

    並木委員 清瀬文部大臣に先ほど私、紀元節が適当なものであるという結論がもうとこまで出ておるところにきたのでございますから、紀元節を国の祝い日の中に入れるように、改正案を出されることを政府としてもお考えになり、場合によっては政府提案として出してもよいのでありますから、そういうふうに取り計らっていただきたいとお願い申し上げたのでありますが、その点いかがでございましょうか。
  19. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 そのことは私は従前こういうふうにお答えいたしております。現在の祝祭日法律議員提案で御制定になっております。それゆえにやはりこの修正も議員提案で、機が熟せば御提案下さる方がよいのだ、議員提案の場合の政府態度についてはまだ閣議決定しておりませんが、私自身としてはその御提案があれば賛成しようと思っておる、こういうふうに申し上げております。どうかあなたの所属の政党においても適当御研究あらんことを希望いたします。
  20. 並木芳雄

    並木委員 先般大臣新聞記者団皆さんに対して、地久節もけっこうだというふうにお話しになったとか聞いておりますが、地久節の場合もやはりけっこうと大臣はお考えになられますか。なられていいと私は思うのですが、いかがですか。
  21. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 戦前におきましても地久節は実は祝祭日ではなかったのです。皇后陛下のお誕生日でございます。しかしながら女学校等においては地久節を天長節と同様に扱って、式を行なっておりました。それと同じく今日の制度においても、男女共学でなしに、女ばかりを教えておる学校もございます。私の付近にも一つ女ばかりの学校があります。そういうところあたりで地久節に当ります三月五日でございますか、それを私が今言ったように公立学校ならば教育委員会同意を得て、授業をはばまぬように、地久節の日に当っていろいろな行事をするということは妨げないと私は考えております。たださっき政府委員加藤さんからお尋ねのことに対する私の心持ちは、この法文の文字のどこにぴたっと当るということは探すに及ばして、国内において紀元節学校の校内で祝うということはいいと悪いと議論がございます。どっちがよいか悪いか知りません。それからまた多数の父兄の中にも両論あろうと思うのでおります。こういった場合でありますから、やはりこのことを校長がなさる時分には、委員会にお聞きになる方が穏やかであろう、こういう常識的の考え判断をいたしておるのであります。
  22. 並木芳雄

    並木委員 大臣地久節に対しても御賛成であるということがわかりました。そこで一つ提案でございますが、先般靖国神社国家管理について質問をいたしましたときに、大臣はまだ現在の憲法では困難ではないかというお答えでございました。非常に残念でございますが、できれば現在の憲法のもとにおいても靖国神社を国の管理にして、国としてお守りし、お祭りしたいと思っておるのでございますか、その見地から思いついたのでございます。それは国の祝い日の中に、たとえば靖国の日というような名前で英霊をお祭りし、感謝する日を設けたらどうかということなのでございます。それには八月十五日のあの終戦の日が適当ではないかとも思っております。私これは今後提案をしていってみたいと思うのですが、その前に大臣としてこういう考え方に対して御賛成であるかどうか、伺っておけば非常に幸いであると思うのでございます。昔は招魂祭というのがございました。それに相当するような意味合いでございます。
  23. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 わが国降伏の八月十五日を祭日にするかいなかについて、私は考えたことはございませんから、ただいまお答えはできません。またこの間のあなたの問いに対してちょっと補足することは、靖国神社を今やっておる通り行事をする神社としては現行憲法で差しつかえる。その後新聞等によって、あなたの御意見でありますが、他の意見でございまするか、私としては靖国神社行事ですね。おがみ方、あるいは儀礼、それなどを改めて、宗教でない一つの霊廟としてやるという考えが出ておりまするが、それなれば、この間の私の答弁とは違うことになりますが、現在私近くに住んでおりますが、やっておるのは朝晩やはり宗教として礼拝してのりとをやっておる。ほかの神社と同様でありますから、そう申し上げたのであります。神社それ自身の性格を変えれば別でありまするから、申し上げておきます。
  24. 並木芳雄

    並木委員 そうですか。そうすると、この前私は金森博士の御意見を引用して、儀式を変えるとか適当な方法によって現在の憲法でも靖国神社をお祭りすることができるんじゃないかということに対しての御答弁は、その後の御研究によって変更されたというふうに今承わりました。そうすると、非常に私けっこうなんです。それならば英霊を祭ることができるし、国としても、これは援護する道が開かれるので、非常にけっこうですが、あげ足をとるわけじゃありませんが、この前の答弁をきょう変更されたと考えてよろしゅうございますか。
  25. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 変更したのではございませんので、この前の答弁はこの前の答弁でいいのです。あなたのお問いは、現在の靖国神社としてのお問いであったんで、その後ある方面から相当宗教的儀式、宗教的礼拝をせぬ、同じあの場所にありましても、性質の違うものにすればこれは別だという論が出ましたから、それに対する私の見解を、老婆心でありますが、つけ加えたのでございます。
  26. 並木芳雄

    並木委員 それでは時間がありませんから簡単に申し上げますが、最後にこれもいろいろ今度の憲法改正の問題をめぐって問題になるおそれのあることだと思いますが、それは国旗と国家の問題でございます。おそらく紀元節是か否かと同じように、憲法改正は復古調そのものであるとか、あるいはかつての全体主義に逆戻りするものであるという見地から、学校教育その他を中心として、非常に関係のある国旗、国歌の問題は、反対の立場に立つ方から繰り返し論議されてくると想像しております。そこで私とももこれに対してははっきりした答えが出るように、この際大臣お尋ねもし、御要望もしたいのであります。国旗の方ですが、国旗は太政官布告か何かできめられていて、そのままになっておるそうですが、その通りでございますか。もしそうだとすれば、太政官布告というものは、現在生きているのでしょうかどうでしょうか。私は自分の気持は、国旗はやはり国旗として、新しい法律に基いて堂々と根拠あるものとしておいてもらった方がいいんじゃないか。ことに学校教育を通じて、行事のときに国旗を掲揚するというようなことが堂々と行われ、いやしくも一人も反対が出ないようにありたいと望むものでありますから、その点をぜひ一つこの機会に、もし少しでも疑問の存するものであるならば、新しい法律によって制定していただきたい。それが一つでございます。  それから国家の方は、これは今まで調べましたところでは、大体国歌ということは、学校ではあまり言ってはおらないのだそうです。君が代ということで言われておるだけだそうですが、ただ君が代だけであると、これはやはり学校で一斉に歌うようにすると、また反対の立場に立つ人が、何の根拠があって君が代など歌わせるのだというようなことになりまして、私どもとしてはやはり不愉快でありますので、これも根拠をはっきりしておいた方がいいと思うのです。幸いに天野文部大臣は、昭和二十五年十月十七日の通達で、国歌という文字を使ってあるそうであります。ほかの場合には国歌という言葉が使われずに、君が代の斉唱ということでございましたけれども、天野さんが国歌ということをはっきり文字に現わしておるそうでございますから、これもこの機会に新しい法律の中に国歌とはこれこれであるという根拠を与えて、一人も疑問を持つことなく、朗らかな気持で国旗を掲揚し、国歌を歌うことができるようにした方がよいのではないかと思いますが、もし法律をお出しにならなかったならば、文部大臣の通達等によって、この機会にはっきり整理していただきたい。そういう意味合いでの質問でございます。
  27. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 国旗または国歌というのは、国で定めた旗、また国で定めた歌ということと思います。日章旗については、旧時代に寸法まできめました布告がございまして、これは完全に現在も有効でございます。それから国歌の万は、明治十三年十一月二日の天長節に宮中の雅楽を参酌されて、ドイツ人のフランツ・エッケルトが作曲しまして、それを国歌じゃと称して吹奏されました。あのころは、法律によらぬでも天皇の意思で国の事が定めらるるのでありますから、国歌じゃと名づけて天長節に御吹奏になったということで、国歌になっておると思います。文部管といたしましては、明治二十四年六月十七日、勅令第二百十五品号というものがあるのです。それに小学校祝祭日は国歌を歌うべきだという祝祭日のやり方がございます。法律じゃございませんが、旧時代は教育のことは勅令でできたのでありますから、学校に対するその勅令で有効になっている。外務省では、ほかの各国に日本の国歌はこれだといって君が代の楽譜を通達したことがございます。今ちょっと日を覚えておりませんけれども、そういうことなんです。ですから、戦後においてはこういうことも法律できめる傾向になっておりますから、この際独立以後の国旗、国歌を新たに法律でもお作りになって御提案下さるならば、それもいいことだと思いますが、やはり君が代を国歌というても差しつかえはないのでございます。憲法以前のときに国歌と称して宮中で御演奏になっております。天野文部大臣時代には、長文でありますから今読みませんが、文化の日その他国民祝祭日に、よりよき社会より豊かな生活を築き上げるために、国民こぞって祝い、感謝し、また記念する日として、われわれ国民がみずから定めた日であります。従って各学校において学生生徒に対して、この祝日の意義を徹底させ、進んで国家及び社会の形成者として自覚をなさしめる、このときに国歌君が代を歌うのはいいことだという意味の相当長い通達を申しております。
  28. 加藤精三

    加藤(精)委員 再び学校休日のことにつきましてお尋ねしたいのでありますが、私もただいまの初等中等教育局長の御説明をお聞きしまして、一応は了解したのでございます。しかしながらまだ十分心に納得しないものがございますので、大へん御迷惑でございますけれども、御答弁をいただきたいのでございます。  日本の国体というものは、私は祖先崇拝とか、そういうようなものが大きな因子になっていると思うのであります。家族制度とか祖先崇拝、それから氏族制度というようなものが国体の本義になっておる、本質的なものになっていると思うのであります。それで御了解をいただくために特に例を設けますが、われわれの郷里には天神様の行事で、地方をあげての、一市五十カ町村くらいの地域をあげての春のお祭があるのでございまして、そこでは男が女に扮装し、女が男に扮装して、互いに顔を布で隠して目だけをあけまして、そしてすげがさをかぶって、菅公の偉霊を慰さめる伝統のお祭りがあるのでございます。そういうまあ地方のカーニバルのような祝祭日にも、わずか一時間か一時間半ぐらいの授業は必ずやって、そうして子供たちがお祭に出るというようなことになっているのでございまして、これもおそらくは休業日というものを非常に厳格に守る、学校教育法施行規則の第四十七条のような規定のおかげだと思うのでありますが、こういうようなことは現在の新しい教育が、地域社会教育だといわれているようなことから考えましても、むしろ学校教育の目的を達する上には、非常に好ましいことじゃないかと思いますので、そういう日を休業日にしまして、十分に古来の伝統の輯睦の雰囲気の中に、その環境の中に入れ込むということは、いいことだと思うのであります。そういうようなものが喜ばしいこと、好ましいことであるとするならば、そういう日を学校長権限で——地方教育委員会権限ではできるわけでありますけれども、その部落々々にそういうお祭があるので、わが国で農村等におきまして、あるいは山村等におきまして、そこに部落が移住いたしましたときに、みなそれぞれ神社を持って、その村始めをしたわけでありますから、おのおのの部落にはおのおのの神社があるのでございます。赤い鳥居があって、そうしてその神社の姿は学校のいらかと同じように、地方住民の思想中心でございます。そういうような意味から、部落の場合は、その部落をあけてその日を学校休日にするというようなことも、これは出十校長教育上、地域社会教育を完成する上において必要だと思うときには、自由にできるようにしてほしいように思うのであります。  それに関連しまして、学校の開校になった祝祭日とか、あるいは特殊な学校祝祭日等は、施行令三十条からいうと、休業日になっていないようでありますが、そういうものは休業日にしてはいけないということになっているか。それから学芸会学校運動会寺も休業日にならないのじゃないかと思っておりますが、その解釈が判明しないので教えていただきたい。私の議論の根拠はどうも学校長権限というものは終戦後非常に弱くなっているように思うのです。そうしますと、学校教育そのものを指導する根本の権威ディグニティというものはどこにあるか、それは理論的な教育学ではいろいろ説明づけがあると思いますけれども問題は法律とか行政とか財政とがいう面にタッチしての、ほんとうの指導力はどこにあるかという問題になりますと、現在の文部大臣権限地方教育の末端まで法律的に及んでない、その時代に、また実質的な教育中心であるところの学校長にもその権限がないとすることが重大なことだと思うのでございます。教育委員会そのものよりも、学校長自身が、ある部落の分学などの場合におきましては、より強く地域社会教育について認識を持ってるのではないかと思いますので、それが弊害がありますときに、教育委員会の実質的な執行機関であるところの教育長がこれに対して、制肘を与えることはけっこうなんでございまして、そういう発言の保障も必要だと思うのですけれども、教育の本質から見まして、ことに新し教育が地域社会教育となりました現在におきましては、学校長権限をもう少し強くする必要があるのではないか、その学校長の指導力が確立されておりませんところに、あるいは共産主義的な教育のいろいろの団体が、文部大臣にかわって、また国の権威にかわって、偏向した教育を実施するというような傾向も生ずるのだと思うのでありまして、今日におきましては、学校長を郷党の師父としてその感化を地方に及ぼし、地方の住民に及ぼし、子女に及ぼすことが、わが国の国体の本質に合する点から考えまして、もう少し学校長権限を広く認め、これる尊重することにしてもらったらどうか、そういう思想でございます。以上の点につきましてお伺いします。
  29. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 必ずしも私にお問いでもなかったようでありまするが、教官のやり万、また教育法規については、加藤さんは私よりも先輩であられるので、これらからかれこれ申すのもいかがかと思いますが、学校長権限のことですね。これは学校教育法施行規則の四十六条に、これは初中局長が引かない条文ですが、「授業終始の時刻は、校長が、これを定める。」初めと終りの時刻は校長が定めるという規則があるのです。その規則の裏からいえば、時刻ではなくして、初めからきょうは休むということを校長自身でやるととはちょっと行き過ぎだろうと思うのです。一日全部ではなくても、半日でも、それもまあ時刻を定めるといううちだ、零というのも数のうちだというふうに論ずれば別でありますけれども、百に五時間やれということがあって、初めと終りは校長がきめるということは法律が委任しておる。それを考えると、臨時休みにしてしまうことを校長がやるのは、まことに行き過ぎだ、私はこう見ておるのです。そこでこういうことを相談するために、地方には教育委員会というのがあるのでございますから、教育委員長さん、どうでございましょうと言うて聞いてやる方が、私は穏当じゃなかろうか。それから今の地方のお祭りのことですが、これも地域社会に融合しなければなりませんから、いいのですけれども、あれが旧来の伝統そのままにやって教育上いいか悪いかちょっと疑わしいようなお祭りもあるのですね。風俗上ちょっと考うべきようなものもあるのでありますから、それなら工合の悪いところは修正してやるということも一つでありますから、これも地域社会の代表者である委員会にやはり御相談なさる方が、この規則いかんにかかわらず、うまく運営できるのじゃなかろうか、こういうふうに思って先刻からお答えしておるわけでございます。
  30. 北村徳太郎

    ○北村委員 関連してお伺いします。本日の委員会においての質疑応答を承わっておりますと、いろいろ非常に重要な問題が出るのでありますが、しかし紀元節論、地久節論、あるいは靖国神社論という工合で、ややもすれれば一面において、現在国民が非常におそれておる——ややもすると反動というか、復古の方に引きずられていくのじゃないか、これは扱いようによっては非常に不安をそそるような問題も含んでおると思うのであります。それでこの点、私は日本伝統とかあるいは国民感情というものを尊重しなければならぬことはもちろんであるが、それにはどういう線において尊重するかということが、憲法考えても、あるいは今日論議せられておることを考えても、基本的な一つの理念がなければならぬと思う。それは世界史的な発展の進路に沿って物を考え、世界史発展の進路に沿っているかいないかということが一つの重大な点である。国民感情についてもあるいは伝統についてもそのワクの中で考えなければ逆戻りする。われわれはどうしても前進しなければならぬのでありますから、そういう意味において、われわれはもっと前進的に物を考えていかなければならぬ。紀元節を祝うことは私も大賛成であります。しかし二月十一日が妥当であるかどうかということについても、これは中国の書物から来た日本書紀が、一月一日には必ず偉大なことが出現する、そのことと結びついてその偉大なる一月一日を新暦に直して二月十一日としただけであって、必ずしも科学的な根拠が十分とは言えない。そういうことについての検討は、今の時代に生きておるわれわれが可能な限りにおいて検討を十分する、そしてそれはいつでも日本歴史の向い方は世界史の向うところ、非常に正しい進路の上に乗っているかどうかということを考えていかなければならぬのじゃないかと思います。加藤さんのただいまのお説も、私は非常にけっこうだと思うのであります。伝統を非常に重んじ、地方の習俗をあつくするという点においてはけっこうであるけれども、しかしもし天神様という神社に対して、小学校の児童を連れていって、そこでお祭りに参加するということになれば、現行憲法には違反するのではないか、これは宗教行事に属するのでありましょうけれども、信教の自由とそれはどう調和するのであるかというような問題が起ってくるのではないかというふうに思うのでございまして、こういう点については、文部大臣におかれましても、文教の中枢にあって、こういう世界の転換期に立っておる日本の進路でございますから、世界史の発展の進路というものを見きわめて、それと粗呼応して誤まりないことを期していただきたい。私は今日論議された事柄そのものには賛成でありますが、扱いようについては非常に重大であるということを一言申し上げておきます。
  31. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 今の北村さんのおっしゃることは一々ごもっともでございます。問題の重大さは私もよく承知いたしまして、十分に考えて取扱いはいたしたい、こう考えておりますます。
  32. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 関連して平田ヒデ君。
  33. 平田ヒデ

    ○平田委員 紀元節のことについてでございますけれども、ただいまの北村先生の御意見まことに私ごもっともであると思いますが、日本紀元節は全く学問的には取るに足りない伝説の域を出たものでないということは、もうこれはおわかりになっていらっしゃる通りでございます。アメリカの独立記念日というのは、みずからの力で独立をかちとった全国民の喜びの日でございます。これは国の誕生を祝うという意味は同じであるかもしれませんけれども、その性質においては全く違ったものであるということを私は申し上げたいのであります。  それからまた高知県の紀元第の式典について賛否両論ございますけれども、私はあの日に学校を休んでやったということについては、大臣の御見解もごもっともであるとは思いますが、ただその形なりについてちっとも御意見が出なかったということ、まことに不思議に思います。十年一昔と申しますか、あの昔の式典そのままの姿であったように、私大臣の報告を伺ったときにもそう思いました。まことにかみしもを着たような窮屈な、一体何がおめでたいのかわからないような式のあり方でなかったかと思うのでございます。私はもしもやるのならば、お休みの日でもほんとうに楽しい国の自分たちの誕生を祝うような、そんな姿でやってほしかったと思います。身動きもできない、まるでしゃっちょこばったような形で窮屈がったそういう式典ということを、私は非常に不満に思うのでございます。また私、こういうことも聞いております。小学校の子供ですけれども、昔の歴史のお話を炉ばたでしておったそうです。そうしたら、おじいさんが、何を言っている、天の岩戸の本物をわしはこの目で、ちゃんと見てきているんだぞと言って、子供たちをどやしたということを私たちは聞いております。私はこのような歴史についての常識というものは、——これは大へん失礼なことを申しますけれども、ここにいらっしゃる方にあえて申し上げるのでは決してございませんけれども、今日のおとなたちのこういう常識は平均化ではなかろうかとさえ疑うのでございます。戦後の歴史教育は、皇国史観に基いた誤り、歪曲あるいは誇張、そういう教育のはなはだしい偏向や支配者中心の叙述を改めて、そうして総じて科学性を重視して発足いたしたのであります。もちろん幾多の問題はあるでありましょうけれども、歴史と称する修身でしがなかった歴史教育と比較いたしますとき、これはほんとうにすばらしい前進であったと私は思います。もう一度、私たちはあえてこう申します、義務教育の程度から歴史の基本的な勉強をしていきたいものだと思います。もう一ぺん本を読んでいただきがいと思います。今後本物の祖国愛、愛国・心というものは民族の長所、美点だけを連ねて教え込むのではなくて、長所も短所も、成功の歴史も失敗の歴史も、あるがままに知らせて初めて壇われるものであるということを私は信じております。独善とそれから偏狭とを勇ましい愛国心であるかのごとくに錯覚されてはたまらないということを私は申し上げます。
  34. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 少し聞き取り困難な部分もありましたが、歴史教育について独善的とか、それからこの間も私が言いました通り、初めから社会はこう進歩するのだという段階を予定して、無理にそれに当てはめるとかいったようなことは正しい歴史の行き方ではなくして、公正にあるがままの人類進歩を解説するということはいいことと私は思っております。今あなたのお説と、言葉は違いまするが、同じ意味のことだと思う。私は昔の歴史をあるいは一方において誇張し、二方において省略し、少年に間違った考を与えることを推奨しておるのじゃありませんです。  それからお話の初めの紀元節のことも、現に国があるのですから、紀元はあったに相違ないのです。ただ非常に古いことでございますから、日について定説がないのです。だれか非常な物、的証拠でほかの日を証明してくれたら私も喜んでそれに従いまするけれども、これが紀元の日だということを証明することがない以上は、伝説というものが存在しておるのですから、伝説伝説と見て今までの二月十一日をこれと考えていくことはとがむべきことではなかろう。子供が家出した、死体が返ってきた、いつ死んだか日はわからぬけれども、何用何日としようというので、それを命日ときめて年々拝んでやるというふうなやり万を家庭でもいたしておるのであります。新たなる証拠が出るまではやはり今までの日を紀元と仮定して祝うということは恥ずべきことでもとがむべきことでもなかろうと私は考えておる。しかしながらきっと祝えというのではありません。今自由社会ですから、祝うことも自由、祝わないことも自由です。私どものように二月十一日がいいと思っている者だけが祝ったらいいというのです。
  35. 加藤精三

    加藤(精)委員 ただいまいろいろ紀元節についての議論がありましたが、さきに社会党の男性議員の方から、雲にそびゆる高千穂の、高嶺おろしに草も木もという歌を聞くごとに、非常に郷愁を覚えて懐かしいということを前提とした御議論があったのでありますが、ただいまは女性の議員の方から、紀元節の雲にそびゆるも、あるいは日の丸の旗も、その祝祭日の情景も、きわめて不愉快なものであったという御意見が述べられたのでございまして、私はあぜんとしたのであります。しかし降る雪や明治は遠くなりにけりというような、あまりにセンチメンタルな郷愁かもしれませんけれども、何だかあの菊の花とかあるいはそういうふうな古い言い伝え、伝説というようなものはどの民族にもあるので、そういう伝統の中から美しいもの、尊いものを子孫に伝えるということが国体の本質じゃないかと思います。そういうものがなくなって全部化学の方程式だけで人生を渡れといったところが、そういうのは長続きするものではないと思うのでありまして、社会党の女性議員にもう一回御反省をいただきたいと思います。  それから私は郷土の行事のことについて申し上げたのに、これも文部大臣に誤解されたように思いますが、淫祠邪教をわれわれは奨励する意図は毛頭ないので、ございまして、そういうとを教育内容に取り入れるか取り入れないかについて——わが国は七、八十年も学校の先生の養成をいたしておるわけでありまして、わが国のごとく師範教育魂というものがほんとうの祖国愛と結びついている国はないのであります。学校の先生は非常に低い俸給のもとに、しかも教育行政家というのは日本ではあまり優秀でなかったかもしれませんけれども——現在の文部省の教育行政家は非常に優秀ですけれども、われわれなんかも若いときに非常に不十分な教育行政下であったのにかかわらず、わが国の教育が西ドイツとともに世界で非常な特色を持っておって強力なものがある。こういうことから考えまして、学校の先住を信頼する。しかもその先住は長い経験を経て、真に尊敬されて校長になる。わが国では校長はまた同時に郷党の輿望を負って町村長になったりして学校職員をやめても終生地方自治のために尽瘁している。しかるがゆえにわが国の地方自治は非常にとうといものを含んでおって、わが国の国体の基礎であるというところに私は地方自治と教育との深い関連を感じているのでありますが、そういうような意味から、結局立法論としても学校長権限で休校日ぐらいはきめさしてもいいのじゃないか。地域社会教育を全うするために、その地域々々の欲求に応じてそういうことをきめさしてもいいのじゃないか。現在、文部大臣の御引例になった学校教育法施行規則四十六条は、授業単元は学校の受け持ちの先生がきめるのが原則だけれども、校長がこれを調整するという技術的な規定であるにすぎないように思われます。その法文解釈のいかんにかかわらず、立法論として十分文部省に御考究を願いたいということを申し上げたいのでございます。
  36. 清瀬一郎

    清瀬国務大臣 立法のことにつきましてはかねがね申しまする教育制度会議ができますれば、これなどもあわせて研究されることと思います。
  37. 平田ヒデ

    ○平田委員 加藤さんに申し上げますけれども、私は紀元節を祝って悪いと言ったのではございません。国の誕生日には大いに祝ってよろしいと思いますけれども、昔のままの祝典のあり刀に私は批判をしたのでございます。加藤さんは何か自分のますで私の言ったことをすっかりはかって、自分のものになすったという感じがいたします。それからまた私はここに立ちまして男性議員とか女性議員とかいうことは別に考えておりません。やはり国民の代表として私の意思を表明したのでございまして、そういう考え方自体がもう古いと思うのです。
  38. 佐藤觀次郎

    佐藤委員長 本日の会議はこの程度にとどめることにいたします。なお次会開会日時につきましては委員長において鳩山総理大臣とその出席可能の日時を打ち合せて決定いたしますことにし、追って公報をもってお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後零時四十七分散会